無辜の大罪
無辜の大罪


●獣の行い

 虐げるということ。

 生物科学的な観点からも、その行為は存在している。同じ種の中でも、競争や淘汰という行為はある。群れの中で弱者を作っておいて天敵の動物がやってきたときにその弱者を犠牲にすれば、自らの身が助かる確率が上がるという面もある。
 以上のような合理的な理由のある行為だが、あくまでそれは獣の行いだ。文明の発達により、ヒトはそのような淘汰圧や外敵の存在を気にしなくてよくなった筈なのだ。

 しかしそれでも、悲しいことにヒトは同胞を虐げるのである。

●無垢故に
 果たして何故彼女がそんな目に遭っているのか。その原因を追及するのは今となってはナンセンスな事なのかもしれない。
 一つ考えられるのは、彼女の父親が獣の因子を持つ覚者であることだろう。
 親同士の会話を聞いた子供の気まぐれだったのかもしれない。
 ――あの子のお父さん、腕に蛇の鱗があったわよ。のような。
 そして、彼女がやや内向的な性格だったこともあったかもしれない。
 しかしそれよりも重要なことは、彼女が受けてきた仕打ちだった。

 最初は隔離だった。
 遊んでくれない、グループ分けで孤立するなど当然。彼女が触れると同級生たちは嫌がった顔をして、その個所をぬぐって他の同級生に触れた。
 ばいきんなのだと、扱われた。

 次は妨害だった。
 登校中道を遮られるなど当たり前。
 掃除をしている先からごみを撒き散らかされたり、教科書を隠されたり。

 最後は暴力だった。
 罵詈雑言など日常的だった。消しゴムをぶつけられるなど甘っちょろいもので、最終的にはペットボトルやランドセルで袋叩きにされた。

 教師は無視以上の酷い仕打ちをした。
 彼女を同級生達の前で問題児扱いし、彼女を虐げることを実質的に許可した。
 それがこのクラスという檻の中の秩序を保つためだったのかもしれない。

 それでも彼女は耐えた。両親には伝えたが「そういう時はやめてって言いなさい」とあまり真剣に取り合わなかった。

 そうしているうちに、彼女は声を発することを諦めた。

 心は、どんどんひずんでいった。


 ある日のことだった。
 例によって帰り道を妨害されて逃げ込んだ先に、廃屋があった。
 追い詰められた彼女は、同級生たちによってその中に押し込められた。

 彼女は叫んだ。扉を叩いた。何度も何度も。手が内出血を起こし、ささくれだった木で傷つこうとも。声が枯れて割れても、もう叫ぶことさえできなくても。
 しかし同級生達は嘲笑を上げるばかりで、更に扉を閉めにかかった。

 誰も、止めなかった。彼女は必死に声を上げたにも関わらず。

 そんな彼女の声を聞いたのは――皮肉にも。
「いやああああああああああああああああ!!」

●贄の代償
 ずしん、と。重い音がした。
 悲鳴が聞こえ、静まった筈の廃屋の中。そこから聞こえた音に同級生たちは狼狽した。
「……何だ今の音」
「わかるかよ」
「あいつか……?」
 次々に不安を口にするが、それに答えられる者も無く。
 ずしん、ずしんと何度も音は響き、そして近くなっていく。
 そして、その音がドアの丁度前に来て、しばしの静寂。

 虫達の声が、嫌に耳に残る。

 刹那、音の主はとてつもない勢いで扉をぶち破り、同級生である少年達の前にその姿を現した。

 少年達はその光景に凍り付くしかなかった。

 薄暗くなったその空気の中、浮いていたのは。
 先程彼等が廃屋に閉じ込めた少女だったのだ。

 しかしその首は不自然な方向に90度折れ曲がり、瞳には生気は無く。口元には赤い血の筋が見えた。

「……ネ、ネエ……」
 仮初の身体を得たそれは、元の宿主の声帯を借りて言葉を紡ぐ。
 ――そして。


「ワタシ、ト……イッショニ。……シ、ンデヨ」

 次の瞬間、無数の赤が散った。

●指令
 覚者達が集まった会議室の中。
 最後に入ってきた夢見の久方 真由美(nCL2000003)の表情は、嫌に深刻だった。
 彼女は一通り資料を覚者に渡してから周囲を見回し、そして一言。

「妖の潜んだ廃屋に少女が閉じ込められます。彼女を助けてきてください」
 そう言い放った真由美のその目は、怒りに震えひどく鋭かった。


■シナリオ詳細
種別:通常
難易度:普通
担当ST:品部 啓
■成功条件
1.妖7体の討伐
2.少女を無事保護すること(軽傷までなら可)
3.少年3名に大きな怪我を与えないこと
前回字数の儚さを再認識したSTの品部です。

さて、今回の主な目的は少女を保護すること、そして廃屋にいる妖を倒すことですが、途中で悪ガキの邪魔が入ります。
当然一般人なので不必要に危害を加えるのはご法度です。その点についての工夫が必要になるでしょう。

PCさん達が現場に突入するタイミングは、少女が廃屋に押し込められた直後となります。

如何に悪ガキ連中の妨害を回避して廃屋に向かうか。また廃屋にどうやって侵入し、少女を保護するか。
その点についての工夫が必要です。

尚、少年達への過度な制裁は不要ですし厳禁です。ゲンコツぐらいは構いませんが、過度な暴力及び度を過ぎた制裁を加えるプレイングを行った場合は相応のペナルティを容赦なく課しますのでご了承ください。

§状況
移動手段についてはFiVEが手配をしてくれます。

廃屋の面積は約225平米。上から見て正方形の形をしています。一辺大体15m程です。
木造築X年。もはやいつ建てられたのか不明なほどにボロボロです。一階建てであり、倉庫として使われていたようですが、金属の屋根は錆びだらけで、扉のついている壁以外にあるガラス窓もヒビが入っています。
ガラス窓、壁共々破壊は可能ですし、この廃屋の破壊許可は下りていますが、少女を救出するために壁を破壊した場合は屋根が落ちて彼女の身に危険が及ぶ可能性が極めて高いです。

片道一車線の道路から廃屋までは15m程の舗装されていない一本道を進むことになります。道、および廃屋の周囲にはマテバシイの林が生い茂っています。
迂回して廃屋の後ろに回り込むことも可能と言えば可能ですが、どこを見回してもマテバシイの木しかないので迷子になる確率は極めて高いでしょう。

図にすると以下のような形になります。(※縮尺はでたらめです)
林林林林林林林林林林林
林木木木木木木木木木林
林木木木木木木木木木林
林木木      木木林
林木木 倉 庫  木木林
林木木      木木林
林木木      木木林
林木木木木道木木木木林
林木木木木道木木木木林
林木木木木道木木木木林
林木木木木道木木木木林
林木木木木道木木木木林
林木木木木道木木木木林
道路道路道路道路道路道路


§エネミーデータ
・火魂(ひのたま)
心霊妖。ランク2。直径50cm程の青い炎。当然ながら物理攻撃は効きづらい。
スキル
炎(エン)(特遠単)対象一体に特殊ダメージ。
暴(ボウ)(特遠列)対象列に特殊ダメージ。
惑(マドイ)(特遠単)単体の特殊防御を下げる。

・屍犬(しけん)×4
生物系妖。ランク1。野良だった中型犬の死体が妖となったもの。物理耐久は低め。
スキル
噛みつき(物近単)対象一体に物理ダメージ。命中時一定の確率で物理防御を下げる。
突進(物近単)対象一体に物理ダメージ。

・亜鉛鍍鉄板(あえんとてっぱん)×2
物質系妖。ランク1。別名トタン。亜鉛メッキを施した鋼の板。錆びてはいるが耐久はそこそこある。
スキル
切り裂き(物近単)対象一体に物理ダメージ。命中時自身の物理攻撃力を上げる。
プレス(物近列)対象列に物理ダメージ。

§エネミー(?)データ
悪ガキ×3
廃屋へ続く道を妨害する連中。全員小学校2年生。背の低い奴と太った奴とやせ細った奴。背の低いやつがリーダー格です。
BB弾の入ったおもちゃの拳銃、水風船、爆竹装備。どっかから捕まえてきた蛇(無毒)とか投げつけてきます。
いずれも当たっても覚者にダメージはありませんが人によっては腹が立ちます。あと罵詈雑言がうざい。決定的なまでにうざい。心の狭い当STだったら怒鳴り飛ばしてるレベル。
頭の程度がお察しレベルなので当然反論も想像がつく発言しかしませんが、何故か悪知恵だけは働きます。
覚者達が到着直後は3人がかりで扉を抑えにかかってますが、覚者達が来たと分かると道をあからさまに通せんぼしてきたり妨害工作に出ます。
何度も断っている通り彼等への暴力、制裁行為はほとんど認められませんが、技能スキルや特定のデバフ(睡眠等)を使用することはアリとします。
彼等を迅速にどうにかして廃屋にたどり着くのがカギとなるでしょう。

§一般人データ
少女
覚者(獣因子(巳))を父親に持つ少女。小学校2年生。
悪ガキ連中の同級生です。組織的ないじめに遭っており、どうしようもないまま悪ガキ連中に廃屋の中に閉じ込められました。
急いで救出しないと妖に殺害され、彼女も妖と化します(その場合生物系妖として出現することになりますが、彼女が死んだ時点でこの依頼は失敗判定となります)

それでは、皆様の参加をお待ちしております。
状態
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
(3モルげっと♪)
相談日数
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
公開日
2016年12月15日

■メイン参加者 8人■

『居待ち月』
天野 澄香(CL2000194)
『夢想に至る剣』
華神 刹那(CL2001250)
『追跡の羽音』
風祭・誘輔(CL2001092)
『見守り続ける者』
魂行 輪廻(CL2000534)
『冷徹の論理』
緒形 逝(CL2000156)

●護れ、救え
「チッ……」
 今し方、少女が廃屋の中に閉じ込められた。
 矯正された視力でハッキリと見えたその光景に、『ゴシップ探偵』風祭・誘輔(CL2001092)はわざと大きく舌打ちをした。まるで、自分が過去味わった辛苦を一緒に吐き出すように。
「こりゃ時間が無い」
 そうぽつりと呟いて緒形 逝(CL2000156)は廃屋をフルフェイスのヘルメット越しに誘輔と同じ場所を見た。『ドキドキお姉さん』魂行 輪廻(CL2000534)は後ろからやって来た『星護の騎士』天堂・フィオナ(CL2001421)と中田・D・エリスティア(CL2001512)にウィンクをしつつ声を掛ける。
「急がないとまずいわねん。頼むわよん♪」
「ああ! 当然だ!」
「……会話してる暇も惜しいな。とっとと行くぜ?」
 もう既に作戦は決まっている。早く行かねば少女の身が危ない。
 『願いの翼』天野 澄香(CL2000194)も静かに頷いた。この依頼には色々と思う所はある。しかし。
「まずは、あの子を助けなきゃいけません」

「む……」
 そんな彼女に抱きかかえられ、宙に浮いた華神 刹那(CL2001250)は、わずかに不穏な声を零した。いくら戦いに慣れた彼女とはいえ、不安に感じる物もある。

 仲間達の様子を見て、次の瞬間、逝と輪廻は風より速く地面を駆けた。
「おい! だれか来たぞ!」
 当然、少年達は気付いた――のだが。時速にして22km、トップクラス級のマラソンランナーより速く走る逝と輪廻に目が追いつく筈が無く。少年達は容易くガードを抜かれる結果に終わった。
「なにいいい!?」
 悲鳴を上げる少年達に、追い打ちを掛ける様にやって来たのが誘輔とフィオナとエリスティアの3人である。
「そこの悪い子達! 君達のしてる事は全部見てたぞ! 通報した!」
 ワーズ・ワースの力で強い説得力を得たその言葉に、少年達は一瞬ひるんだ様子を見せた。そこに私服警官の格好をしたエリスティアがやって来て更にひるむ。
 そんな彼等の上を飛んでいたのが『彼誰行灯』麻弓 紡(CL2000623) だ。
 彼女はふわりと空で一回転すると、その翼を羽ばたかせて風を起こした。艶舞・寂夜が見事決まったようで、一瞬にして少年達は地面に倒れて夢の世界に行ってしまった。
「あとは俺がこいつら見張ってる! 先に行け!!」
 眠りこけた彼等を見て、他の面々も一気に廃屋へと突入した。

 その頃、少女は一人助けを求めて叫び、泣き崩れていた。開けてと叫んでも誰も開けず、しかも目の前には得体のしれぬ化け物。
 もうだめだ、と思ったその瞬間。彼女を狙っていた犬はしなやかに動く刃で斬り付けられた。
 それは、韋駄天足で駆け付けた、輪廻の放った刃だった。
「その声、確と聞いたぞ」
 澄香に運ばれて空を飛び、屋根から物質透過で廃屋へと入って来た刹那は温和な笑みを浮かべて言う。
 急いで駆け付けた逝は少女と妖の間に割って入り、彼女をそっと抱きかかえた。ようやく身の安全が一応確保出来た所で、安堵の溜息を吐く。
「じゃ、あとは頼むよ」
「任せておきなさい♪」
「……斬る」
 いつもの軽いノリの輪廻と、スイッチが入って口数の減った刹那。二人は敵を見据え、そして軽く地面を蹴った。
 輪廻の廓舞床が鞭の如くしなり、屍犬を斬り付けた所に刹那の鮮やかな抜刀が入る。
 まるで剃刀のように薄く、しかし鋭い一撃は、犬の身体をゼリーの如く容易く切り裂いた。
 ……だが。
「少々、多い」
 刹那が零す。いくら歴戦の覚者とはいえこちらは2人。妖は7体。早く他の仲間に来てもらわないと消耗は多い。
 巨大な鉄板が刹那と輪廻に襲い掛かろうとしたそこを狙って、ガラスの割れる音。そして空気の弾丸。
 がらんがらんと大きな音を立てて、トタンは吹っ飛んだ。
「女の子は大丈夫ですか!?」
「大丈夫だ。顔にも傷は無さそうで安心したね」
 ちらりとそちらを一瞥してみれば、逝に安否を尋ねる澄香の姿が。
 今度は無数の銃声。襲い掛かって来たもう一枚の鉄板に穴を開けるまでは行かなかったものの、無数にひしゃげたそれは地面に一旦突き刺さる。
「……おいおい。こりゃ堅ぇな」
 今度は誘輔が煙草のフィルタを噛みながらそう呟く。それに続いてフィオナと紡も廃屋に入って来た。
 フィオナはその剣に青白い炎をまとわせ、敵を見据えた。
「か弱い女の子に手を出す妖は私が斬ってやるぞ!」
 一方、紡は逝に抱えられた少女に軽く手を振った。彼女は手を振り返さなかったものの、代わりに逝がその手を振り返す。
 幸いにも覚者達の見解は一致していた。まずはあの頭数の多い犬を減らす。
 刹那はその銀の髪を揺らし、金の瞳で犬を見据え、再び刀を構えた。
 抜いた刀は獲物の身体を見事に屠り、その鞘は身体を抉る勢いで。更にひらりと一回転し刃で薙ぎ払う。
 そこに輪廻の舞うような連続攻撃が入る。その豊満な身体を揺らし、大胆に広げた裾を翻し、物理的破壊力を増したその連撃は、見事犬を元の屍へと戻した。
「やあねぇ。しつこいのは私嫌いよん」
 悩ましげな吐息を吐き、そう輪廻は一言。
 今度は鉄板にフィオナの一撃が風の如く襲い掛った。刃に纏った炎はあまりの高温に赤を通り越して青白く輝き、表面の亜鉛さえ蒸発する勢いで燃え盛る。
 そこに今度は誘輔の機関銃が吠えた。駆動音は鼓膜を破壊する勢いで空気を震わせ、凶弾で板が抉れるたびに甲高い金属音が廃屋中を反響し、木の壁をがたがたと震わせる。
 澄香と紡はそんな彼等の回復と援助に回った。攻撃に加わっているのが実質的に4人である以上敵も減りにくく、こちらの標的は絞られやすい。攻撃に回るより回復に対応した方が賢明だと判断したのだ。
「安心して話すといい。守ってるから大丈夫だ。何だっていいぞ。話を聞いてやるさね」
「……」
「何か言いたいことあるんでない? 気軽に言ってみんしゃい」
 そんな中、逝はフルフェイスに仲間の姿を映し、言う。少女は妖への恐怖で涙を流しながらも、その奥にある彼の目をじっと見ていた。
 斬り、叩かれ、燃やされ、そして斬り返し。輪廻と刹那は消耗しながらも命数を使って執念の如く立ち上がった。
「……去ね」
 残った火魂に向かってその刃を差し向け、ぼそりと一言。その刃に結露がうっすらと顔を出し、一瞬にして凍り付き、周囲さえ凍らす勢いで冷気を纏っていく。
 次の瞬間冷気は氷の槍となって無慈悲に火魂に襲い掛かり、貫いた。
 体内の炎を更に燃え上がらせ、重力を全く感じさせず宙を跳んだ輪廻がそこにふわりと飛ぶ。
「じゃあねん。ま、ちょっとは楽しかったわよ♪」
 苦戦を感じさせず、くすりと楽し気に笑い、ウィンクを投げた彼女の剣が、貫いた氷ごとすっぱりと。火魂を真っ二つに切り裂いた。

●誰でも、何でも
 戦いが終わり、少女を無事保護した後のこと。
「おい、起きろ」
 紡の放った艶舞・寂夜でぐっすり眠った3人をエリスティアは叩き起こした。
「んあ?」
 寝ぼけ眼の3人の周囲を、誘輔とフィオナとエリスティアが囲む。これには少年達もびっくりしたようで、文字通りひっくり返った。
「な、なんだお前らー!」
 リーダー格の少年が、ランドセルからおもちゃの銃を取り出し彼等に向ける。それにエリスティアは腕を組んだまま言い放つ。
「……それはこっちの台詞だ」
 その目には少年に対する怒りというよりも呆れがにじみ出ていた。
「お前達の悪事はおまわりさんが全部見てたんだぞ!」
 フィオナが胸を張って言った直後、変装の達人で警官の姿になった誘輔が彼女の後ろから出てくる。
「お前達のせいであの子が妖に殺されそうになったんだ。証拠はこの通りある」
 一応制服の警官らしくそれっぽい口調を心掛けつつ、誘輔が見せたのは念写による証拠の絵。もっとも鮮明に写ったそれは、最早写真の領域だ。
 少年達はそれを見て一瞬青い顔をしたものの、しかし驚いたことに。
「あいつがバケモンよんだんじゃねーのかよ」
 ふてぶてしくもそんな反論をしてきた。これには数名が凍り付いた。
「何を今更……」
 中田が掠れた声でそう呟く。
「だってあいつ、『カクシャ』のこどもだろー。そんぐらいできそうじゃん」
「センセーにだって『もんだいじだ』って言われてるし」
「だからって女の子に乱暴していいわけねーだろ!」
「うっせーえらそうに!」
「おとなだからっておうぼうにしていいと思ってんのかよ!」
 子供の暴言に彼女は遂に言葉を失い、一瞬硬直した。威風を使ったのが裏目に出たらしい。
 思わず彼女は一言。
「こりゃ親や教師側が覚者差別主義者なんじゃねーのか?」
 その、言葉が。誘輔の怒りに火をつけた。

 どんと地面を揺らす音。それとほぼ同時に地面が思いっきり抉れた。
「こっの……クソガキ共が……!」
 怒るまい。そうは思っていた。だが、衝動的に地面を殴っていた。
「あ、けいかんがぼうりょくやったぜー」

 そこまでの騒ぎになって、彼等は悟った。
 相手が強かろうと弱かろうと、覚者であろうとなかろうと知ったことではない。
 誰でもよかった。理由も何でもよかったのだ、と。
 ただ、無辜の民である自分達の敵を作り、そいつを叩けばよかったのだと。
 誰も自分の罪を考えなかった。むしろ今も尚自分は正しいと思っているだろう。

 ――みんな、やっているから。

 多数は、正義だ。みんながやっていれば、それが正しいのだ。

 彼等は贖罪の山羊を奉げただけなのだ。
 ……そこに罪など、存在する筈が無かった。

 そして彼等は何かを見た気がした。
 有象無象の無知で無思慮の怪物が、無邪気な笑みを浮かべ、アメーバの如く無数に蠢く。そんな何かを。

「ぼうりょくはんたいー!」
「かえれかえれー!」
 遂には手当たり次第物を投げ出した子供達に、覚者達は少女だけを連れて去ることにした。

 それを見ていた刹那がポツリ。
「……やはり、この世は地獄よの」
 少女が味わった地獄とは、果たして如何程のものか。
 これでは戦う意志も助けを求める意志も失って当然ということか。
 輪廻がそれに頷きを返した。
「酷いもんよねん」
 輪廻のそのため息は、いつもの悩ましげなものとは少々違う質のものだった。
●どうか、どうか
 後日。
「あれ。逝ちゃん」
 自宅の縁側に座っていた紡は、見知った長身が垣根の向こうにいることに気づいて声を掛けた。
「や。元気かね? おっさん、いいニュースを持ってきたんだ。彼女達と一緒に」
 彼女達。その言葉に垣根越しを覗くと、そこには澄香とフィオナも居た。
「あれ、澄ちゃんとフィオちゃんも?」
「私達、今からこの間の女の子に会いに行くんです」
「あの子、五麟に転校したって言うからな!」

 ――あの子。
 紡はその言葉に眠たげな目を見開き、急いで支度をし、彼等について行くことにした。

「おっさんもな、五麟やFiVEを頼ることはあの子に伝えたんだが。転校なんてのは麻弓ちゃんの考えだろ?」
 逝は見ていた。会議室で静かに書類を握りつぶす紡の姿を。そして最後に会議室を出てきたことも、彼は知っていた。

 紡は悪あがきをした。この子をどうしても守りたくて、真由美に相談をした。
 まず、この子をFiVEで保護出来ないかということ。根本的な問題を解決するために知り合いの弁護士に相談していいかということ。そして最後が。五麟への転校だ。
 幸いにも少女の身柄はすぐに両親が来たことでFiVEが保護する必要はなかったが、他の2つは容易く叶った。

 五麟学園への転校は、彼女の両親の意向があった。流石に今回の件で事態を深刻に見たらしい。あそこには彼等の知り合いも多くいるし、きっとよくしてくれるはずだ。

 弁護士は話を聞いて即座に何通かの文書を書いて彼女に渡した。それは学校と教育委員会宛の抗議文だったようだ。それでも動かないなら文科省にも同じものを書くからと、その弁護士は付け加えてくれた。
 少女の通っていた学校は公立だった。そこに弁護士がこの行いが如何に違法なのかを指摘した書類を出したら、教育委員会は動かざるを得ない。学校も所詮は役所だ。上からの圧力には弱いと見越した上での行為だったのだろう。

 少女を保護した後の誘輔の行動も功を奏した。彼はあの後、少女の通っていた学校に行って校長に伝えたのだ。
「てめーの学校のやったことは人権侵害も甚だしい。記事にされる前に手を打つこった」
 当然、彼は記事にするつもりなどなかった。場合によっては彼女の身元さえ危ういと思ったからだ。
 知らぬ存ぜぬで通せば本当に容赦はしないつもりだった。いくらでも火の無い所から煙は出せる。このクズ共は何があっても許さねぇ。殺意とも呼べるほどのその怒りが彼をそうさせた。

 幸いにも校長は気の弱い凡庸な男だったので誘輔のその言葉にはひっくり返ったし、今頃役所の人間から大目玉を食らって担任もろとも小さくなっているだろう。
 だが、大目玉で終わる筈がない。あの学校も来年には大きく変わっている筈だ。……もちろん、いい方向に。

「次に会ったら今度こそあの男の子達にも騎士道を伝えるぞ! 守ってあげる方が格好いいに決まっている!」
 フィオナが空を仰ぎ、そう言った。
 妖を退治した直後、あの少年達には何も伝えられなかった。だが、今度ちゃんと正しさとは何なのかを自覚できれば、きっと。自分の声は届く筈だ。
 誰だって間違える。今は分からなくても、いつかしら自分の過ちに気づいたときに素直に反省して。その時は心から励まして助けになりたい。彼女は強くそう思うのだ。
 その言葉に澄香は、ヒーローになることを熱望する自身の従弟の姿を思い出し、小さく笑った。
「そうですね。男の子が悪の怪人なのは格好悪いですよ」


 ――それにしても。
「保護した直後はどうなるかと思いましたけどね……」
 澄香は当時の事を思い出し、ぽつりとこぼす。

 少年達に追いやられた後の話だ。
 逝の腕に抱えられていた少女は、本当に何も喋ろうとはしなかった。
「これでも落ち着いた方だがね? 頷きはする辺りよくなったと思いたいんだが」
 何か言えることがあればと声を掛けつつ、ずっと彼女をなだめていた逝の言葉がはっきりと耳に残っている。
 「辛かったですね」と言って澄香も彼女を抱きしめたものの、少女は何も言わなかった。ただ、恐怖に震え、涙で声をひくつかせるだけ。
 何度も何度も背中をさすりつつ、澄香は声を待った。目の赤みが引いてきた頃になって、澄香はようやく彼女に聞いた。
「何を話してもいいんですよ? ご両親に言えなかったんですよね? お父さんが覚者のせいで、色々酷いことされたって」
 少女は澄香の言葉に驚きはしたものの、しかし、黙ったまま頷いて。そして、全てを思い出して堰を切ったようにわんわんと泣き出した。
 その後彼女が泣きながらも言ったのは要領を得ない、しかし想像に難くないことばかりだった。大体の内容に予測が付くほどに、酷い仕打ちの数々。澄香はあまりの残酷さに閉口しかけたが、同時にこれでよかったのだと思った。ようやく、自分に助けを求めてくれたのだから。
「……優しい子なんですね」
 澄香は慈しむ様に少女をぎゅっと抱きしめ、逝もよくやったと彼女を褒めた。フィオナもそれに同感だった。
 一部始終を語った少女を、フィオナは笑顔で励ましてその頭をくしゃくしゃと撫でた。
「君は100%悪くないぞ! むしろ正しい! ……だから。私はそんな君の味方だ! それを誓う!」

 騎士らしく片膝をつき、その手を取ってフィオナは微笑む。そんな彼女の行為にぽかんとしていた少女は、そこでようやく小さく笑った。
 覚者達の中にも笑いが起こった。空気が温まった。

 当然、フィオナばかりが少女の身を案じた訳ではない。
 輪廻は困ったことがあったら自分の万事屋に来るようにと連絡先を渡した。今度は自分がやってやるから、と。
 誘輔も自分の名刺に振り仮名を入れて渡したし……その後何かを更にこっそり渡したようだ。
「お茶をしに来るだけでもいいんだからな! お菓子を用意して待ってるぞ!」
 最後にフィオナはそう言って、少女と別れた。


「……しっかし、心残りなのは」
 五麟学園に着く直前になって、逝が何かをしみじみと思いだすように呟く。彼が見た空には一筋の飛行機雲が見えた。
「おっさん、あの子を怖がらせてなかったかしら?」
 そう、彼の心にはそれがあった。
 人の気持ちが分からないとよく指摘される。少女を怖がらせる要素は多いとも思う。そう考える逝に、3人の視線が一気に集まった。思わず逝は足を止める。
「ん? 何だね?」
「逝ちゃん、あの子にかなり懐かれてたと思うよ?」
「私もそう思います。緒形さんの服を最後まで掴んでましたし」
「同感だ! 守って話し掛けてあげたのかよかったんだな!」
 逝はしばし動きを止めたものの、しばらくしてからようやく。いつもの調子でハハハと声を上げた。
「ホントか。そりゃ、おっさんも嬉しいわ」

 空の飛行機雲も消え、彼のそんな小さな不安も消えた頃。
「おねーちゃーん! おにーちゃーん!」
 一人の少女の声が聞こえた。
 その手には、誘輔に渡された一枚の絵を持って。そこには。あの時の泣き顔が嘘のように、その絵と全く同じように笑顔を浮かべて手を大きく振る少女の姿があった。


 それを見て、紡は密かに、しかし切に思った。

 ――願わくば、これからもずっと。この小さな子にとってあったかい世界を……どうか、どうか。

■シナリオ結果■

成功

■詳細■

軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
『慈悲の黒翼』
取得者:天野 澄香(CL2000194)
『刃に炎を、高貴に責務を』
取得者:天堂・フィオナ(CL2001421)
『或る少年の痛み』
取得者:風祭・誘輔(CL2001092)
『未来への祈り』
取得者:麻弓 紡(CL2000623)
『隠された眼』
取得者:緒形 逝(CL2000156)
特殊成果
なし




 
ここはミラーサイトです