<死者が蘇る薬>殻紅・上
●背後より――
あら? 殺芽ちゃん、一度人間に殺されたのに。
また殺されちゃうの?
不服な姿、死して直、蹂躙される遺骸とは。
因果応報?
ひとは、そう言うのかしら。ウフフ。
●
元々は、大和撫子を絵に描いたように美しい女性の外見で、背中から翼を広げるように巨大な蜘蛛の足がはえている。
殺芽と呼ばれた、大妖の蜘蛛娘。彼女はファイヴが討伐し、薬売りという古妖が遺骸を回収していた。
しかし今は、その身体は二つに割れていた。
頭から、胴が線対称でぱっくり割れて、中身の臓物を晒しながら蠢いている。
半身は、もう半身を探す訳では無く。
細長く揺れる指先から、髪の毛よりも遥かに細い気糸を揺らし、操るのは『まだ生きている人間』だ。
あぁとか。
うぅとか。
涎を垂らして、口は、ぱくぱく。目は虚ろで、涙を流す。
人間らしい言葉を発する事さえ出来ぬ人間の、手には武器が添えられた。
ナイフとか、工具とか、チェーンソーとか、それが音をたて、友人恋人家族を殺していく。
いい光景だね。
いい眺めだね。
まるで地獄の一部始終。愉快爽快、こりゃ御上もきっと重い腰上げてキレるだろう。
――ちりん、と鈴が鳴る。
『大丈夫ですよ? 後でちゃんと蘇らせて差し上げますから。より、新鮮な死体が欲しいのです』
だから安心して、無事死んでください。
そう、薬売りという古妖は語った。
されどおかしいかな、古妖の姿は見えない。
一瞬だけ、水たまりのような血の水面に、彼の姿が映ったのだが、現実の世界には彼は存在していないのだ。
薬売りは死体が欲しいのだ。更なる実験を、更なる回数を、更なる成功に近づくために。
究極の薬とは、なんぞや。
使命の消えた妖怪の果てとは、なんぞや。
この世界は死という病に侵されてますから――それを救うのが、薬売りなのです。
●
「頼む! 急いでくれ!!
薬売りが、血雨討伐に向かった覚者を、別の勢力で囲い込んだ!!」
久方相馬は血相を変えて怒鳴るように言う。
状況はこうだ。
少し前に、『血雨』という存在を討伐しに行ったファイヴの覚者たちがいる。
しかし彼等を囲むようにして、新手が発生した。彼等は薬売りという古妖が仕掛けた勢力である、どうやら『血雨』は囮であったということか。
「敵は、昨年討伐した『殺芽』というランク4の妖の遺骸だ。それを薬売りが操っていると思うんだけど、こっちもか! こっちも、薬売りの姿見えないんだぜ……どうなってるんだ」
現場に薬売りはいる。
しかし、いない。
「殺芽は、自身の能力で一般人を巻き込んだ。糸によって浸食された一般人は………」
相馬は苦い顔をした。
「もう、助けられない……かも……しれない」
以前、薬売りがそういった殺芽の気糸を焼く炎を持っていた。
しかしそれも不思議と、殺芽を討伐した瞬間に、消え尽くしてしまっている。
「だから、操られた一般人は『邪魔なら』殺すしかない。
大元の殺芽を先に殺せば、なんとかなるかもしれないけれど、でも、殺芽は、いや、薬売りは、嬉々として一般人を盾にしてくると、思うんだ……だから」
これは仕方ない事だと、相馬は爪が刺さって血塗れの拳を震わせた。
「殺芽は、便利にも二体だ。一体が、ふたつに分割されている。死体だからって弄ばれ過ぎだよな……、流石に妖だけど可哀想だって思っちまった。
この件には、二班で当たってもらう。依頼の内容は、同じだけど、広範囲。それに、敵は分割されてても腐ってても殺芽だから強力だ。
生前程は、強くはないとは思うんだけど……油断しないように、気を付けてくれな」
●腐っても同族だったもの
現場に着いた覚者の、背後に妙な気配を感じた。
静かで、存在感が希薄のようだが、しかし、天敵に睨まれているような感覚。
心臓を掴まれたようで、息がし辛い。
それは、恐ろしく朗らかな声で囁くのだ。
割 る の よ。
あら? 殺芽ちゃん、一度人間に殺されたのに。
また殺されちゃうの?
不服な姿、死して直、蹂躙される遺骸とは。
因果応報?
ひとは、そう言うのかしら。ウフフ。
●
元々は、大和撫子を絵に描いたように美しい女性の外見で、背中から翼を広げるように巨大な蜘蛛の足がはえている。
殺芽と呼ばれた、大妖の蜘蛛娘。彼女はファイヴが討伐し、薬売りという古妖が遺骸を回収していた。
しかし今は、その身体は二つに割れていた。
頭から、胴が線対称でぱっくり割れて、中身の臓物を晒しながら蠢いている。
半身は、もう半身を探す訳では無く。
細長く揺れる指先から、髪の毛よりも遥かに細い気糸を揺らし、操るのは『まだ生きている人間』だ。
あぁとか。
うぅとか。
涎を垂らして、口は、ぱくぱく。目は虚ろで、涙を流す。
人間らしい言葉を発する事さえ出来ぬ人間の、手には武器が添えられた。
ナイフとか、工具とか、チェーンソーとか、それが音をたて、友人恋人家族を殺していく。
いい光景だね。
いい眺めだね。
まるで地獄の一部始終。愉快爽快、こりゃ御上もきっと重い腰上げてキレるだろう。
――ちりん、と鈴が鳴る。
『大丈夫ですよ? 後でちゃんと蘇らせて差し上げますから。より、新鮮な死体が欲しいのです』
だから安心して、無事死んでください。
そう、薬売りという古妖は語った。
されどおかしいかな、古妖の姿は見えない。
一瞬だけ、水たまりのような血の水面に、彼の姿が映ったのだが、現実の世界には彼は存在していないのだ。
薬売りは死体が欲しいのだ。更なる実験を、更なる回数を、更なる成功に近づくために。
究極の薬とは、なんぞや。
使命の消えた妖怪の果てとは、なんぞや。
この世界は死という病に侵されてますから――それを救うのが、薬売りなのです。
●
「頼む! 急いでくれ!!
薬売りが、血雨討伐に向かった覚者を、別の勢力で囲い込んだ!!」
久方相馬は血相を変えて怒鳴るように言う。
状況はこうだ。
少し前に、『血雨』という存在を討伐しに行ったファイヴの覚者たちがいる。
しかし彼等を囲むようにして、新手が発生した。彼等は薬売りという古妖が仕掛けた勢力である、どうやら『血雨』は囮であったということか。
「敵は、昨年討伐した『殺芽』というランク4の妖の遺骸だ。それを薬売りが操っていると思うんだけど、こっちもか! こっちも、薬売りの姿見えないんだぜ……どうなってるんだ」
現場に薬売りはいる。
しかし、いない。
「殺芽は、自身の能力で一般人を巻き込んだ。糸によって浸食された一般人は………」
相馬は苦い顔をした。
「もう、助けられない……かも……しれない」
以前、薬売りがそういった殺芽の気糸を焼く炎を持っていた。
しかしそれも不思議と、殺芽を討伐した瞬間に、消え尽くしてしまっている。
「だから、操られた一般人は『邪魔なら』殺すしかない。
大元の殺芽を先に殺せば、なんとかなるかもしれないけれど、でも、殺芽は、いや、薬売りは、嬉々として一般人を盾にしてくると、思うんだ……だから」
これは仕方ない事だと、相馬は爪が刺さって血塗れの拳を震わせた。
「殺芽は、便利にも二体だ。一体が、ふたつに分割されている。死体だからって弄ばれ過ぎだよな……、流石に妖だけど可哀想だって思っちまった。
この件には、二班で当たってもらう。依頼の内容は、同じだけど、広範囲。それに、敵は分割されてても腐ってても殺芽だから強力だ。
生前程は、強くはないとは思うんだけど……油断しないように、気を付けてくれな」
●腐っても同族だったもの
現場に着いた覚者の、背後に妙な気配を感じた。
静かで、存在感が希薄のようだが、しかし、天敵に睨まれているような感覚。
心臓を掴まれたようで、息がし辛い。
それは、恐ろしく朗らかな声で囁くのだ。
割 る の よ。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.殺芽の討伐
2.敵の突破を30%以下に抑える
3.なし
2.敵の突破を30%以下に抑える
3.なし
注意はよく読んで、考察するのを楽しんでみてください
それではよろしくです
●注意
・『死者が蘇る薬』と書かれた別の依頼(EX込)に、同時参加はできません。
同時参加された場合は、両方の依頼の参加資格を剥奪した上で、LP返却は行われませんので、お気を付けください。
・当依頼では、今までに一切発見されていなかった神秘が、依頼のギミックとして使用されております。
こちらは打破/解明せずとも十分に成功条件を達成することは可能です。
また、『予期せぬ事態が発生する可能性が高い』ということを念頭に置いて、ご参加下さい。
・当依頼が失敗した場合、血雨を対決している『死者が蘇る薬』依頼に甚大な被害が出ます
●状況
・薬売りという古妖がいる。ファイヴにも幾度となく接触していたが、その目的は彼がいう究極の薬の生成である。その為に、彼は大規模に行動を始めた。
・血雨を討伐しにいった覚者を、別の敵が囲う。
薬売りが殺芽を再現した。また、周囲の一般人も巻き込まれ、敵と化した。
これの討伐を行う。殺芽は薬売りに操られていると見えるが、薬売りは現場には目視の状態では発見出来ない。同現場にいるはずなのだが、何故か。
また、何かしらの気配が現場にいるが、これには反応するべきではないと本能が告げている
盛りだくさんの状況だが、殺芽討伐を最優先されたし。
●用語
・血雨:世間を騒がせていた厄災。正体は逢魔ヶ時智雨という破綻者ランク3+呪具が組み合わさったもの。ファイヴに討伐され、遺骸は薬売りに渡っておりました
・薬売り:古妖。悪意他意一切無く、目的の為に動いている。敵スキルを解析し、己の力にする研究熱心な古妖です
・殺芽:大妖の継美の娘。人を糸で操る妖であったが、ファイヴの覚者に討たれ、その遺骸は薬売りが所持している。
●敵
・殺芽
カデコリ的には、妖という風に思ってください
ただし、死んでいて、かつ身体が半分になっている以上、決戦(拙作)の時レベルの力はありません
ランクは3相当です
・攻撃に関して、威力値はかなり高いです
1ターン2回行動
血制の身体:パッシブ。出血系統のバットステータスを殺芽が与えた場合、与えたバッドステータス分、殺芽は回復をする
毒制の身体:パッシブ。強カウンター
操糸:『物体』を操ります。覚者には効きません
切り裂き:遠物列BS失血 連撃
串刺し:近物貫通3(100%.70%.50%)BS流血
捕食:近物単体BS失血猛毒 HP吸収高
気糸:特遠単体BS魅了 100%ヒットで殺芽の近接範囲に引き寄せます
面接着と同等の技能スキルあり
今回、殺芽の体力低下により、姿が変わることはありません
・一般人×30
当初の数は30ですが、これより増えることはあります
武器は様々ですが、攻撃力はルール上、一定とします
ネームドではない憤怒者程度の力量があると思ってください
・薬売り
現場にいるけど、いません。
●???
・???
漂っているだけです
●場所
・大阪府、繁華街
一般人は混乱の渦、少なからず救えるとは思います
『殻紅・下』の班とは別の場所で戦います
解明されていない神秘は戦闘中の現場に存在します、逆を言えば存在しなくなることもあります。
片手間の戦闘はかなり危険だと思ってください。
●解明されていない神秘について
・過去依頼には一切登場してません
それでは宜しくお願いします
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
相談日数
5日
5日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2017年03月27日
2017年03月27日
■メイン参加者 6人■

●
さあさ、皆様、お手を拝借。
始まりの終わりを、祝いましょう。
●
静まらぬ狂騒の世界で、少女は、『刃に炎を、高貴に責務を』天堂・フィオナ(CL2001421)は、奔る。
「こっちの道は安全だから、落ち着いて避難してくれ! 余裕がある人は、周りの人も誘導しながら行って貰えると助かる!」
その声を聴いてくれた一般人はどれ程だろうか。叫び声に塗れて聞こえなかった者もいたかもしれない。
それでも、わかった――ありがとう、その声が時たま聞こえるだけでもフィオナは言葉を止めることは無い。その避難の連鎖がやがては、大きな救いに向かうと信じているのだから――。
その頃、『ほむほむ』阿久津 ほのか(CL2001276)は両手を握りしめていた。
再び対峙するのは、あの敵だ。
殺芽との決戦のとき、下した決断は間違っていたはずはない。しかしそれが更なる犠牲を孕んでしまったことは、ほのかとしては、願わぬ出来事。
ならば決着はつけねばならぬ。
「思ったより、早かったですね」
『水天』水瀬 冬佳(CL2000762)は一刀の刃を抜きながら、ほのかを見つめた。殺芽の討伐からの現時点のこの状況。薬売りは焦っているようにも見受けられる。
沈んだほのかの表情に、何を声かけたらいいものか冬佳は迷ったが。先に口を開いたのは、ほのかの方である。
「これは、私が招いてしまったことなのでしょうか」
「いいえ、炎が無く、殺芽を倒せなかったとき。神奈川は今や、妖の地と化していた。その方が、罪深きものです」
「……では」
「はい、その為に私たちファイヴがいるのでしょう。今は今、できる限りの最善を」
冬佳は見定めていた。まだ、一般人が助けられないと決まったわけではない。そう、背後からの声が、言っているようであった。しかして、そちらの方向には、一切として振り向けなかったが。
しかし何故、その声はこちらに味方するのだろうか。
背後に刺さる、突き刺すような視線に『探偵見習い』工藤・奏空(CL2000955)は、一瞬振り向きそうになったのだが、ぐっと瞳を堪えて前を向く。そう、それでいい。
恐らくその視線の主は、腐っても元同族であった妖が死体として蹂躙されているのは、ちょっとした逆鱗に触れているのだろう――故に、彼女は古妖の行動を見逃さなかった。しかし直接関与するのでは無く、間接的に後ろから、だ。
「いやはや、可愛くない姿になったもんさね」
緒形 逝(CL2000156)は愛刀である悪食の背で肩をたたきながらつぶやいた。
まっぷたつ。一体何で切ればそこまで断面は芸術的なまでになるものか。半分の殺芽は些か……いや、かなり滑稽な姿で踊り狂っている。
「なにはともあれ、敵は排除すべきです」
『教授』新田・成(CL2000538)は昨日まで飲み過ぎていたが、今ではもうその酔っ払いのよの字さえ思わせない程の、鋭利な雰囲気を見に纏っている。
大衆が避難する流れがやがて止み、殺芽がこちらを標的として見定めた時。
両者は激しくぶつかることとなるのだろう。
●
誰か、誰でもいいから助けて。
私より、あのこを先に助けて。
頼む、誰か、誰か。
痛いよ、辛いよ。
誰か――。
「―――ッ゛!!」
奏空が唇を噛みしめた。すれ違ったマリオネットの敵がそう告げている表情をしていた。
誰彼も言葉として叫ぶことされ許されず、代わりに歌うのはチェーンソーの雄たけび。
比較的速度の速いチームである。その中でも最速。奏空の天地と呼ばれた双刀が一閃を引き、一般人を巻き込んでいく。
心の中で、謝罪を繰り返しながら。望まぬ攻撃に少年の手は血で染まってゆく。こんなの、こんなのひどいよと。
「こんな辛いことさせて、絶対に薬売り、許さないよ!!」
奏空にゾンビのように向かう敵に、冬佳の術符が弾けた。
「血雨のもとへは、行かせません」
空気中の水分を吸いに吸った光が放たれ、荒波が操られた一般人を飲み込んでゆく。一瞬、あいた延長線上、殺芽が声なき声で吼えてから、こちらを睨みつけていたのに不気味な冷や汗が噴き出すのだが。
「さあ、来なさい。再びここで、終わりましょう」
冬佳の覚悟の決まっている問いかけに、殺芽はニィィと笑みを浮かべた。
逝の斬撃がチェーンソーごと敵を切り裂くとき、蜘蛛の糸が悪食に絡んだ。動きが鈍り、悪食を持つ腕まで絡む糸。
「おっと、随分命知らずなことをするね」
逝が感嘆の声を漏らす。悪食が糸を噛みちぎるより早く、逝の身体が引き寄せられ殺芽の唇が首を噛みちぎる魅了付のキス。血飛沫に、激痛。慣れたものだが、視界が眩む。
とはいえ逝はそれより先に防御の自己強化を図っていたからか、予想していたダメージよりは幾ばくか抑えられた。とは言えあの殺芽だ、蓄積すれば数ターンで逝が倒れるビジョンが見える。そこへ。
「お待たせ!!」
フィオナが現場へ戻り、流れる動作でガラティーンを抜く。
「いきます!!」
その合間にほのかが片手を地面へ叩きつけ、衝撃が殺芽以外の敵を襲った。弾けるように殺芽の周囲から人が払拭され、導線の軌跡をフィオナは一心不乱に走り出した。
大勢を守るべき為に。もしかすれば倒れ行く一般人を殺さねばならないときは来てしまうかもしれない。それは最終手段。
しかしだ、大元である殺芽さえ絶ってしまえば、きっと彼らは生き残れる可能性は出て来る。
その僅かな希望に、少女たちは縋る他無い。誰だって進んで殺しなどしたくはないのだから。
そしてそれが、儚いものだったとしても。フィオナこそ、ほのかだって、この場の覚者だって、大切な誰かや何かを奪われた時の悲しみは知っている。
悲劇を生まないためにも、ここに来たのだ。
故に、フィオナのガラティーンはよく冴えた。一撃を見舞い、殺芽の胸元に刺さる正義の剣。
しかし羽のように広げられた殺芽の蜘蛛の足は、無残にも少女たちの夢を砕くようにフィオナを突き刺し、腹を抉る。
では、大人の話をしよう。
成は仕込み杖でフィオナを刺す足を切り伏せた。成もほのかの作った導線を歩んできたものだが、しかして一般人たちが立ち上がるまではもう僅か。その奥に控える殺芽のなんと滑稽なものか。
「線対称に半分という悪趣味さはともかくとして、別件でこちらを釣っておいてからの逆方位ですか。夢見の予知をどう潜り抜けたのか、興味深くはありますな」
成の瞳が血だまりを蹴る。
――ちりん。
血だまりを飛び越える影ひとつがあったから。
「例えば、別世界があるとして。別世界が関与したものの予知は、少々鈍いという事ですかな」
はてはて、それはひとつの解である。この世界以外の世界があると、思ったことはないか?
●
こうなるだろう、と。本当は分かっていた。
わかってなお、あの時、手を出さずにはいられなかった――不安気な顔色のほのかは、問わなくてはならない真理があった。
何故、薬売りは――。
「あ……」
ほのかへ倒れていた数名が這い寄るも彼女には地を揺らし衝撃を放つ強い術が味方についていた。それを使うのは、攻撃し壊すためでは無く、護るため。
最悪……命を奪う。そのことは考えたくは無かった。多義性を救ったら、別のものをこうして壊さねばならないことを、是としない為にも。
「皆さん!! お願いします!!」
放つ衝撃、倒れる一般人。しかし佇み、しつこく殺芽を守護するマリオネットは残る。
悲鳴があがった。倒れた少女が一人、あぶれた敵一般人の殴打の餌になっていく。
「やめなさい!!」
一人でも多く生かす為、荒波に力が入る冬佳。
「早く、逃げて」
隙を作ったその一瞬、少女は泣きながら立ち去っていく。ほっと刹那の間だけ、ため息をついた冬佳。きっと、これも見ているのでしょう――趣味が、悪い。
薬売り。
白銀の髪を揺らし、冬佳は水面の血を蹴った。
ゆらりゆらめくマリオネット、まるで不出来な人形劇だ。ほのかが捉えきれないそれが、後衛へと、さらにその奥へ行かんと押し寄せた。
それはほのかの力不足がなるものでは無い。敵の数が、多すぎるのだ。
かくして成は、自らの手を進んで汚す決意をした。今日の晩酌はいつもよりも味が不味くなるかもしれないが、敗戦により更なる悲劇を招くよりはマシだ。
決意さえすれば、成は何だって切れるその刃が街頭の光に照らされ切っ先まで輝きを放つ。
それが血に染まるまであと数秒も無い合間、薬売りが死体を欲しがっていたのを成は思い出したが、今更。
「今だけ、術中にはまりましょう。この仇は高くつきますがね」
居合いの容量で、男の頭がぽおんと跳ねた。
そこから先は簡単だ。針に糸を通すような精密ささえ要求されない、命を奪うという作業が開始される。逝くとしてと、悪食の餌が増える好機とは思えたものの、それを口にしてしまうほど子供でもない。
「くそぉ、こんな……こんなことって!!」
叫びたい気持ちを抑え、しかし言葉にせずにはいられない。フィオナは涙を溜めそうになる瞳を何度も瞬きし、何処へ何を怨めばいいのか繰り返し呪いながら、ガラティーンを強く握った。
武器とは、刃とは、攻撃する為のもの。それを持っていて、命を奪いたくないとは矛盾であることは理解していたはずだ。
護るためだ、仕方ない。仕方ないなんて言葉で、終われるのか。
今の状況、30人の命を奪えるか――『たった30人』なんて思いたくはない。
30人も、だ。
奏空は叫ぶ。
「俺はやる、でも本当に、覚えててよ薬売り――!!」
人が殺されるのを、黙ってみているのは嫌だと心に決めてきた。なのに、結果、己が殺してしまう方に立っていた。
世界はどこまでも等しく不平等で、奏空は心優しい少年だ。しかしてまだ『少年』なのだ。人の十字架を背負うには、まだまだ早すぎる歳ではある。
やるよ――、双刀を握る腕が一瞬だけ止まった。倒さねば終わる、倒さねば、殺芽が殺す。倒さねば殺芽にこちらが倒される。
声ならぬ声で、奏空は返り血を浴びた。いつだったか、初めて人を殺したときの感覚を、鮮明に思い出しながら。
「皆、やる気があって結構だけどね。あれだね、面白くないさね」
逝の声が響く。ある程度数が減れば、殺芽への導線は完成されたようなものだ。過剰な犠牲を払わされたのは腹が煮えくり返るところではあるが、成と並んで逝はこの場では冷静なほうである。
「悪食、食い散らかせ」
殺芽の刺突を腹に受けてヘルメットのなかで吐血をしながらも、逝の悪食はお行儀よく食事を開始した。そう、いいこいいこ、日頃のご褒美だと逝は思う。
まずはその肩である。振り切る逝の刃がぶちぶちと音を出しながら、殺芽の皮膚と肉をむさぼるのだ。きっと、いつか食べた百合よりも遥かに美味しいだろうよ――ねえ、悪食。
しかし残念だ。この器は、空っぽなのだ。魂が無い。喰われてもきょとんとしながら、殺芽は逝の腹を食いちぎった。
食われ、喰い、貪り、貪られ。
「どっちが先に食われ尽くすか、勝負ってところかね」
●
ほんの少し、旋律が乱れたように覚者の配置が荒れた。殺芽の糸は隊列を乱す。初期位置より遥か前方に密集せし覚者たちはまだ合図して己が位置に戻ろうとするが、一瞬の隙を突かれ切り裂かれることが重なっていく。特に狙われたのが冬佳だ、前衛としても優秀な能力値である彼女だが、日本刀のように鋭利な牙に捉えられた冬佳は膝をつき命の消費を感じ取る。その時。
殺芽の糸に引き寄せられ、マリオネット化したフィオナが奏空を貫いていた。
フィオナの心は叫び声をあげていたが、表情さえいじくれる殺芽の糸は、フィオナを笑わせながら少年の腹部を大きく破壊する。
「大丈夫、だよ――」
奏空は歯奥を噛みしめながら、されどその身体から命を失う感覚を覚えた。その時フィオナを縛る呪いが消え、泣きたい思いで抱きしめた奏空の体温がみるみる内に消えていくのを感じていた。フィオナの瞳に、冷酷な赤い炎が灯る。夕焼けのような、明るいそれが。
「絶対に、許さない」
「おっちゃんに任せなさい」
二人を乗り越え逝の刃が殺芽の背中にまで貫く。呪いを施すその攻撃に、殺芽の身体が鈍った瞬間、ほのかが身体を回転させながら殺芽の腹部へと己が腕を貫通させた。
その時、明らかに内蔵では無いようなものに触れたような感覚を覚えた。手を抜いてみれば、一筋の切り傷と、そこから血が流れている。
「ガラス、みたいな」
つぶやいたとき、焦ったように殺芽は前衛を切り裂き、フィオナや、ほのかを蹴散らしながれ後退した。明らかな動揺はここで初めて、ダメージの蓄積とともに認められた。
殺芽の衝撃は成へも直撃している。空中で体勢を整える成は、その一瞬のほのかたちと殺芽の異変を見逃さない。キラ、と輝きを放つものが殺芽の腹部奥深くに見えたとき、自律で解析を開始する成のエネミースキャン。
「成程、体内に原因を飼っているとは」
成は地面に足がついた瞬間に前進する。冴えた一閃を、刃の切っ先を、その硝子のような、鏡のような破片を突き刺さんと迸る。突き刺さる手前、破片と刃の間に見えない壁でもあるかのように通らない刃に、成は少しの苛立ちを顔に見せた。
「往生際が悪いですね」
「手伝いますッッ!!」
同じく奏空が成の柄を蹴り上げて、
バキ
という音が響いた。しかしまだ殺芽は動く。冬佳は術符にキスをした。放つその気力はこれで最後となる一撃。冬佳の生み出した波に乗り、フィオナの炎と一体化した一撃が殺芽を貫き爆ぜる。
「待って」
奏空が思考を巡らせたとき、だらりと力を無くした殺芽。しかし破片は周囲吸い込もうとしているように気糸を伸ばし、目が眩むような光が周囲一帯を飲み込んでいく。奏空は気づいた、薬売りは死体を欲しがっていた、つまりこれは回収するつもりなのだろう。
「みんな―!!」
奏空が手を伸ばした時、足元から下に落ちるかのような感覚に、襲われた。
●
「ここは……」
冬佳が顔を上げた世界は、とても暗い場所であった。
よくよく見てみれば、反転した配置で建築物がある世界で。
「鏡面世界?」
――チリン。
と音がする。少し遠くでは、別班がこちらに手を振っていることに気づいた。その間に、薬売りもいて、こちらを見ている。
「あなた……!!」
冬佳が術符を取り出した時、ほのかが片腕で制した。彼と話しがしたかった。こんな形になってしまい、文句は山ほどあるのだが。ほのかは震える声で、怒りを抑えた。
「薬売りさんは私が体を差し出そうとした時、『怖いとは、恐ろしいとは思わないのですか?』と訊きましたよね」
『そういうことも、ありましたね』
「体を差し出すのは本当は怖かったですし、恐ろしいとも思ってました。でも私がもっと怖がっているのは血と肉を失う事ではないんです」
『……』
「薬売りさんにはそれが分かるでしょうか……分からないから、こんな事になっているのかもしれないですね」
ほのかは悲しげな表情をした。とても、悲しい、こんなことになってしまったことが。
「薬売りぃっ!」
フィオナは拳を握りしめて叫んだ。その拳は、血が出るほど握りしめられ、それが多くの犠牲を出してしまったことに憤りを感じている表れ。
「これ以上、好きにはさせないよ」
奏空も刃を構えた。その後ろで、逝は残った殺芽の残骸を悪食ばりばりと捕食させていたところで。
「嗚呼、後半に続く、というやつかね」
「では、お相手つかまりましょう」
成は手に残った破片を見た。この欠片は恐らくこの異世界と繋がるゲートとなっている。
ということは、この破片が無くなってしまっては、帰る道が途絶えるということだ。
「どこまで粘れますかな」
瞳の涙を腕で拭ったほのか。
「必ず、この事態を止めるまで、粘ってみせます」
「では、経戦ということで」
成はくつくつ笑いながら空を見る。暗天は不本意だが波乱の予感を見せていた。この場に集まった、十二人が帰る道へと手立てである。
決着はこの場でつくだろう。
薬売りは、小さく笑ってから袖より光輝く淡い液体の入ったものを取り出した――。
さあさ、皆様、お手を拝借。
始まりの終わりを、祝いましょう。
●
静まらぬ狂騒の世界で、少女は、『刃に炎を、高貴に責務を』天堂・フィオナ(CL2001421)は、奔る。
「こっちの道は安全だから、落ち着いて避難してくれ! 余裕がある人は、周りの人も誘導しながら行って貰えると助かる!」
その声を聴いてくれた一般人はどれ程だろうか。叫び声に塗れて聞こえなかった者もいたかもしれない。
それでも、わかった――ありがとう、その声が時たま聞こえるだけでもフィオナは言葉を止めることは無い。その避難の連鎖がやがては、大きな救いに向かうと信じているのだから――。
その頃、『ほむほむ』阿久津 ほのか(CL2001276)は両手を握りしめていた。
再び対峙するのは、あの敵だ。
殺芽との決戦のとき、下した決断は間違っていたはずはない。しかしそれが更なる犠牲を孕んでしまったことは、ほのかとしては、願わぬ出来事。
ならば決着はつけねばならぬ。
「思ったより、早かったですね」
『水天』水瀬 冬佳(CL2000762)は一刀の刃を抜きながら、ほのかを見つめた。殺芽の討伐からの現時点のこの状況。薬売りは焦っているようにも見受けられる。
沈んだほのかの表情に、何を声かけたらいいものか冬佳は迷ったが。先に口を開いたのは、ほのかの方である。
「これは、私が招いてしまったことなのでしょうか」
「いいえ、炎が無く、殺芽を倒せなかったとき。神奈川は今や、妖の地と化していた。その方が、罪深きものです」
「……では」
「はい、その為に私たちファイヴがいるのでしょう。今は今、できる限りの最善を」
冬佳は見定めていた。まだ、一般人が助けられないと決まったわけではない。そう、背後からの声が、言っているようであった。しかして、そちらの方向には、一切として振り向けなかったが。
しかし何故、その声はこちらに味方するのだろうか。
背後に刺さる、突き刺すような視線に『探偵見習い』工藤・奏空(CL2000955)は、一瞬振り向きそうになったのだが、ぐっと瞳を堪えて前を向く。そう、それでいい。
恐らくその視線の主は、腐っても元同族であった妖が死体として蹂躙されているのは、ちょっとした逆鱗に触れているのだろう――故に、彼女は古妖の行動を見逃さなかった。しかし直接関与するのでは無く、間接的に後ろから、だ。
「いやはや、可愛くない姿になったもんさね」
緒形 逝(CL2000156)は愛刀である悪食の背で肩をたたきながらつぶやいた。
まっぷたつ。一体何で切ればそこまで断面は芸術的なまでになるものか。半分の殺芽は些か……いや、かなり滑稽な姿で踊り狂っている。
「なにはともあれ、敵は排除すべきです」
『教授』新田・成(CL2000538)は昨日まで飲み過ぎていたが、今ではもうその酔っ払いのよの字さえ思わせない程の、鋭利な雰囲気を見に纏っている。
大衆が避難する流れがやがて止み、殺芽がこちらを標的として見定めた時。
両者は激しくぶつかることとなるのだろう。
●
誰か、誰でもいいから助けて。
私より、あのこを先に助けて。
頼む、誰か、誰か。
痛いよ、辛いよ。
誰か――。
「―――ッ゛!!」
奏空が唇を噛みしめた。すれ違ったマリオネットの敵がそう告げている表情をしていた。
誰彼も言葉として叫ぶことされ許されず、代わりに歌うのはチェーンソーの雄たけび。
比較的速度の速いチームである。その中でも最速。奏空の天地と呼ばれた双刀が一閃を引き、一般人を巻き込んでいく。
心の中で、謝罪を繰り返しながら。望まぬ攻撃に少年の手は血で染まってゆく。こんなの、こんなのひどいよと。
「こんな辛いことさせて、絶対に薬売り、許さないよ!!」
奏空にゾンビのように向かう敵に、冬佳の術符が弾けた。
「血雨のもとへは、行かせません」
空気中の水分を吸いに吸った光が放たれ、荒波が操られた一般人を飲み込んでゆく。一瞬、あいた延長線上、殺芽が声なき声で吼えてから、こちらを睨みつけていたのに不気味な冷や汗が噴き出すのだが。
「さあ、来なさい。再びここで、終わりましょう」
冬佳の覚悟の決まっている問いかけに、殺芽はニィィと笑みを浮かべた。
逝の斬撃がチェーンソーごと敵を切り裂くとき、蜘蛛の糸が悪食に絡んだ。動きが鈍り、悪食を持つ腕まで絡む糸。
「おっと、随分命知らずなことをするね」
逝が感嘆の声を漏らす。悪食が糸を噛みちぎるより早く、逝の身体が引き寄せられ殺芽の唇が首を噛みちぎる魅了付のキス。血飛沫に、激痛。慣れたものだが、視界が眩む。
とはいえ逝はそれより先に防御の自己強化を図っていたからか、予想していたダメージよりは幾ばくか抑えられた。とは言えあの殺芽だ、蓄積すれば数ターンで逝が倒れるビジョンが見える。そこへ。
「お待たせ!!」
フィオナが現場へ戻り、流れる動作でガラティーンを抜く。
「いきます!!」
その合間にほのかが片手を地面へ叩きつけ、衝撃が殺芽以外の敵を襲った。弾けるように殺芽の周囲から人が払拭され、導線の軌跡をフィオナは一心不乱に走り出した。
大勢を守るべき為に。もしかすれば倒れ行く一般人を殺さねばならないときは来てしまうかもしれない。それは最終手段。
しかしだ、大元である殺芽さえ絶ってしまえば、きっと彼らは生き残れる可能性は出て来る。
その僅かな希望に、少女たちは縋る他無い。誰だって進んで殺しなどしたくはないのだから。
そしてそれが、儚いものだったとしても。フィオナこそ、ほのかだって、この場の覚者だって、大切な誰かや何かを奪われた時の悲しみは知っている。
悲劇を生まないためにも、ここに来たのだ。
故に、フィオナのガラティーンはよく冴えた。一撃を見舞い、殺芽の胸元に刺さる正義の剣。
しかし羽のように広げられた殺芽の蜘蛛の足は、無残にも少女たちの夢を砕くようにフィオナを突き刺し、腹を抉る。
では、大人の話をしよう。
成は仕込み杖でフィオナを刺す足を切り伏せた。成もほのかの作った導線を歩んできたものだが、しかして一般人たちが立ち上がるまではもう僅か。その奥に控える殺芽のなんと滑稽なものか。
「線対称に半分という悪趣味さはともかくとして、別件でこちらを釣っておいてからの逆方位ですか。夢見の予知をどう潜り抜けたのか、興味深くはありますな」
成の瞳が血だまりを蹴る。
――ちりん。
血だまりを飛び越える影ひとつがあったから。
「例えば、別世界があるとして。別世界が関与したものの予知は、少々鈍いという事ですかな」
はてはて、それはひとつの解である。この世界以外の世界があると、思ったことはないか?
●
こうなるだろう、と。本当は分かっていた。
わかってなお、あの時、手を出さずにはいられなかった――不安気な顔色のほのかは、問わなくてはならない真理があった。
何故、薬売りは――。
「あ……」
ほのかへ倒れていた数名が這い寄るも彼女には地を揺らし衝撃を放つ強い術が味方についていた。それを使うのは、攻撃し壊すためでは無く、護るため。
最悪……命を奪う。そのことは考えたくは無かった。多義性を救ったら、別のものをこうして壊さねばならないことを、是としない為にも。
「皆さん!! お願いします!!」
放つ衝撃、倒れる一般人。しかし佇み、しつこく殺芽を守護するマリオネットは残る。
悲鳴があがった。倒れた少女が一人、あぶれた敵一般人の殴打の餌になっていく。
「やめなさい!!」
一人でも多く生かす為、荒波に力が入る冬佳。
「早く、逃げて」
隙を作ったその一瞬、少女は泣きながら立ち去っていく。ほっと刹那の間だけ、ため息をついた冬佳。きっと、これも見ているのでしょう――趣味が、悪い。
薬売り。
白銀の髪を揺らし、冬佳は水面の血を蹴った。
ゆらりゆらめくマリオネット、まるで不出来な人形劇だ。ほのかが捉えきれないそれが、後衛へと、さらにその奥へ行かんと押し寄せた。
それはほのかの力不足がなるものでは無い。敵の数が、多すぎるのだ。
かくして成は、自らの手を進んで汚す決意をした。今日の晩酌はいつもよりも味が不味くなるかもしれないが、敗戦により更なる悲劇を招くよりはマシだ。
決意さえすれば、成は何だって切れるその刃が街頭の光に照らされ切っ先まで輝きを放つ。
それが血に染まるまであと数秒も無い合間、薬売りが死体を欲しがっていたのを成は思い出したが、今更。
「今だけ、術中にはまりましょう。この仇は高くつきますがね」
居合いの容量で、男の頭がぽおんと跳ねた。
そこから先は簡単だ。針に糸を通すような精密ささえ要求されない、命を奪うという作業が開始される。逝くとしてと、悪食の餌が増える好機とは思えたものの、それを口にしてしまうほど子供でもない。
「くそぉ、こんな……こんなことって!!」
叫びたい気持ちを抑え、しかし言葉にせずにはいられない。フィオナは涙を溜めそうになる瞳を何度も瞬きし、何処へ何を怨めばいいのか繰り返し呪いながら、ガラティーンを強く握った。
武器とは、刃とは、攻撃する為のもの。それを持っていて、命を奪いたくないとは矛盾であることは理解していたはずだ。
護るためだ、仕方ない。仕方ないなんて言葉で、終われるのか。
今の状況、30人の命を奪えるか――『たった30人』なんて思いたくはない。
30人も、だ。
奏空は叫ぶ。
「俺はやる、でも本当に、覚えててよ薬売り――!!」
人が殺されるのを、黙ってみているのは嫌だと心に決めてきた。なのに、結果、己が殺してしまう方に立っていた。
世界はどこまでも等しく不平等で、奏空は心優しい少年だ。しかしてまだ『少年』なのだ。人の十字架を背負うには、まだまだ早すぎる歳ではある。
やるよ――、双刀を握る腕が一瞬だけ止まった。倒さねば終わる、倒さねば、殺芽が殺す。倒さねば殺芽にこちらが倒される。
声ならぬ声で、奏空は返り血を浴びた。いつだったか、初めて人を殺したときの感覚を、鮮明に思い出しながら。
「皆、やる気があって結構だけどね。あれだね、面白くないさね」
逝の声が響く。ある程度数が減れば、殺芽への導線は完成されたようなものだ。過剰な犠牲を払わされたのは腹が煮えくり返るところではあるが、成と並んで逝はこの場では冷静なほうである。
「悪食、食い散らかせ」
殺芽の刺突を腹に受けてヘルメットのなかで吐血をしながらも、逝の悪食はお行儀よく食事を開始した。そう、いいこいいこ、日頃のご褒美だと逝は思う。
まずはその肩である。振り切る逝の刃がぶちぶちと音を出しながら、殺芽の皮膚と肉をむさぼるのだ。きっと、いつか食べた百合よりも遥かに美味しいだろうよ――ねえ、悪食。
しかし残念だ。この器は、空っぽなのだ。魂が無い。喰われてもきょとんとしながら、殺芽は逝の腹を食いちぎった。
食われ、喰い、貪り、貪られ。
「どっちが先に食われ尽くすか、勝負ってところかね」
●
ほんの少し、旋律が乱れたように覚者の配置が荒れた。殺芽の糸は隊列を乱す。初期位置より遥か前方に密集せし覚者たちはまだ合図して己が位置に戻ろうとするが、一瞬の隙を突かれ切り裂かれることが重なっていく。特に狙われたのが冬佳だ、前衛としても優秀な能力値である彼女だが、日本刀のように鋭利な牙に捉えられた冬佳は膝をつき命の消費を感じ取る。その時。
殺芽の糸に引き寄せられ、マリオネット化したフィオナが奏空を貫いていた。
フィオナの心は叫び声をあげていたが、表情さえいじくれる殺芽の糸は、フィオナを笑わせながら少年の腹部を大きく破壊する。
「大丈夫、だよ――」
奏空は歯奥を噛みしめながら、されどその身体から命を失う感覚を覚えた。その時フィオナを縛る呪いが消え、泣きたい思いで抱きしめた奏空の体温がみるみる内に消えていくのを感じていた。フィオナの瞳に、冷酷な赤い炎が灯る。夕焼けのような、明るいそれが。
「絶対に、許さない」
「おっちゃんに任せなさい」
二人を乗り越え逝の刃が殺芽の背中にまで貫く。呪いを施すその攻撃に、殺芽の身体が鈍った瞬間、ほのかが身体を回転させながら殺芽の腹部へと己が腕を貫通させた。
その時、明らかに内蔵では無いようなものに触れたような感覚を覚えた。手を抜いてみれば、一筋の切り傷と、そこから血が流れている。
「ガラス、みたいな」
つぶやいたとき、焦ったように殺芽は前衛を切り裂き、フィオナや、ほのかを蹴散らしながれ後退した。明らかな動揺はここで初めて、ダメージの蓄積とともに認められた。
殺芽の衝撃は成へも直撃している。空中で体勢を整える成は、その一瞬のほのかたちと殺芽の異変を見逃さない。キラ、と輝きを放つものが殺芽の腹部奥深くに見えたとき、自律で解析を開始する成のエネミースキャン。
「成程、体内に原因を飼っているとは」
成は地面に足がついた瞬間に前進する。冴えた一閃を、刃の切っ先を、その硝子のような、鏡のような破片を突き刺さんと迸る。突き刺さる手前、破片と刃の間に見えない壁でもあるかのように通らない刃に、成は少しの苛立ちを顔に見せた。
「往生際が悪いですね」
「手伝いますッッ!!」
同じく奏空が成の柄を蹴り上げて、
バキ
という音が響いた。しかしまだ殺芽は動く。冬佳は術符にキスをした。放つその気力はこれで最後となる一撃。冬佳の生み出した波に乗り、フィオナの炎と一体化した一撃が殺芽を貫き爆ぜる。
「待って」
奏空が思考を巡らせたとき、だらりと力を無くした殺芽。しかし破片は周囲吸い込もうとしているように気糸を伸ばし、目が眩むような光が周囲一帯を飲み込んでいく。奏空は気づいた、薬売りは死体を欲しがっていた、つまりこれは回収するつもりなのだろう。
「みんな―!!」
奏空が手を伸ばした時、足元から下に落ちるかのような感覚に、襲われた。
●
「ここは……」
冬佳が顔を上げた世界は、とても暗い場所であった。
よくよく見てみれば、反転した配置で建築物がある世界で。
「鏡面世界?」
――チリン。
と音がする。少し遠くでは、別班がこちらに手を振っていることに気づいた。その間に、薬売りもいて、こちらを見ている。
「あなた……!!」
冬佳が術符を取り出した時、ほのかが片腕で制した。彼と話しがしたかった。こんな形になってしまい、文句は山ほどあるのだが。ほのかは震える声で、怒りを抑えた。
「薬売りさんは私が体を差し出そうとした時、『怖いとは、恐ろしいとは思わないのですか?』と訊きましたよね」
『そういうことも、ありましたね』
「体を差し出すのは本当は怖かったですし、恐ろしいとも思ってました。でも私がもっと怖がっているのは血と肉を失う事ではないんです」
『……』
「薬売りさんにはそれが分かるでしょうか……分からないから、こんな事になっているのかもしれないですね」
ほのかは悲しげな表情をした。とても、悲しい、こんなことになってしまったことが。
「薬売りぃっ!」
フィオナは拳を握りしめて叫んだ。その拳は、血が出るほど握りしめられ、それが多くの犠牲を出してしまったことに憤りを感じている表れ。
「これ以上、好きにはさせないよ」
奏空も刃を構えた。その後ろで、逝は残った殺芽の残骸を悪食ばりばりと捕食させていたところで。
「嗚呼、後半に続く、というやつかね」
「では、お相手つかまりましょう」
成は手に残った破片を見た。この欠片は恐らくこの異世界と繋がるゲートとなっている。
ということは、この破片が無くなってしまっては、帰る道が途絶えるということだ。
「どこまで粘れますかな」
瞳の涙を腕で拭ったほのか。
「必ず、この事態を止めるまで、粘ってみせます」
「では、経戦ということで」
成はくつくつ笑いながら空を見る。暗天は不本意だが波乱の予感を見せていた。この場に集まった、十二人が帰る道へと手立てである。
決着はこの場でつくだろう。
薬売りは、小さく笑ってから袖より光輝く淡い液体の入ったものを取り出した――。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
