緋色蜘蛛
●薬売り曰く
さあ、時は満ちた。全ての準備は整った。
今日からこの世界は反転する。
生まれながらにして生物は、死という病に侵されているのです――。
はて……これは、一体。誰の掌の上で転がされている物語なのだろうか。
さぁさ、皆々様、お手を拝借。
始まりの終わりを祝いましょう。
嗚呼、役者の説明をしていなかったか。
あちらは、『殺芽』。
かの大妖、継美という蜘蛛妖の娘にございます。
殺芽は、継美の戯れに作られた子故に、父は人間、母は大妖だそうです。
父は母が殺し、母は人間が殺した。なんとも人間への感情が愛憎渦巻いている複雑な蜘蛛の娘。
その為彼女は、人間ごと妖に取り込む手段を選び世界に喧嘩を売るのでしょう。
彼女は母の力に恵まれていらっしゃる。
どんな蜘蛛の姉妹兄弟よりも、秀でいている妖としての力を。
ここ数か月で、脅威たるものにまで仕立て上げた。
本日はその、晴れ舞台だそうな。
●
『あぁ、ァァ、嗚呼、あゝ唖々嗟呼あああ!!』
私は蜘蛛の娘。
蝶のように美しく、人間の血を着飾って、牙も仕舞って、獅子のような力も魅せず。
ゆっくり、ゆったり、闇の奥から手を伸ばして少しずつ人間を手中に納めて。
そして、母を葬った人間を根こそぎ蜘蛛の贄として、日本を手に入れて。
しかし、あの覚者たちが尽く私の邪魔をする。
『アアアアアアアア!!!
嫌よ。
嫌よぉぉ!!
イヤァ、いやよ嫌イやよぉそんな、そんなそんなぁぁあァああ!!』
遂には数百の蜘蛛の子が覚者に殺された。
たった八人の覚者に、何故。
もう待てない、もう我慢が出来ない。人間どもめもう容赦はせぬ。
奴らを奈落へと落とす。
奴らを血の味を啜らせる。
その肉を裂いて、骨を食い千切り、そして、そしてそして……!!
人間の種を以て蜘蛛を産む。
人間を愛しているのか、憎らしいのか、もう判らないけれど。
さあ、交わりましょう。
●
東の地で、――空は怒っているように赤く染まった。
「なに!? 神奈川が落ちる!!?」
中・恭介は耳を疑った、できれば嘘であれとも思った。今月はなんだ、厄月か。
全ては夢見の一報から始まった。
FiVE組織の夢見が一斉に、神奈川が息絶える夢を視たのだ。
山積みにされた人間の屍の上で、笑う蜘蛛の女の夢を。
「殺芽が、動き出すのか」
すると、スーツ姿の女性が司令室に駆け込むように入ってくる。
「中さん! 今、政府より緊急の!!」
「ああ、多分蜘蛛女の事だろう。分かってる」
「は、はいっ、そ、そうです!!」
「今すぐに、……今すぐに!! ヒノマルが攻めて来ている以上、五麟を手薄にする訳にはいかない……が、動けるだけの覚者を神奈川へ移送準備!! 直ぐにだ!!」
「はい!!」
●
時間が無いから、ブリーフィングは行わない。
全ては移送中の車内でこの用紙を頭に叩き込んでくれ。
今、神奈川では『殺芽』という蜘蛛の妖が『三千結界』を敷こうとしている。
この結界は、敷いた内部で妖が異常な速度で発生するもので、内部では人間が住むことが不可能になるものだ。
つまり、完全に展開されれば、人間の世界が、丸々そのまま奴らの世界に再構築されるということだ。
殺芽は東京を狙っていた。
だが先日、殺芽が根城にしていたビルをファイヴがぶち壊した為、東京から一度手を引いたのだろう。しかし彼女はまだ首都を狙っている。その為、まず隣接する神奈川を堕とすつもりだ。
……かなり焦っていると見える。もう一度、潜伏して期を待てばいいものを。怒りが彼女を急かしているのだろう。
結界を妨害するには、結界を展開している主軸である妖を倒すしか術は無い。
つまり、単純に『殺芽』を討伐すれば終わる。
彼女は強力な妖であり、隔者や人間も手足として使ってくることは間違いない。
特に、彼女の『糸』には警戒を――――チリン、鈴の鳴る音がした。
……?
覚者の前に、顔を隠した奇抜和装の古妖が立っていた。
『お届け物を、届けに来ただけですが。覚者の少女に頼まれただけですが』
此の古妖の名前は――薬売り。
薬売りの差し出した手のひらの上で、青い炎がぼうと揺れる。
『使用しますか? 使用しませんか?
使用するならば、対価を頂きます。対価は――――』
さあ、時は満ちた。全ての準備は整った。
今日からこの世界は反転する。
生まれながらにして生物は、死という病に侵されているのです――。
はて……これは、一体。誰の掌の上で転がされている物語なのだろうか。
さぁさ、皆々様、お手を拝借。
始まりの終わりを祝いましょう。
嗚呼、役者の説明をしていなかったか。
あちらは、『殺芽』。
かの大妖、継美という蜘蛛妖の娘にございます。
殺芽は、継美の戯れに作られた子故に、父は人間、母は大妖だそうです。
父は母が殺し、母は人間が殺した。なんとも人間への感情が愛憎渦巻いている複雑な蜘蛛の娘。
その為彼女は、人間ごと妖に取り込む手段を選び世界に喧嘩を売るのでしょう。
彼女は母の力に恵まれていらっしゃる。
どんな蜘蛛の姉妹兄弟よりも、秀でいている妖としての力を。
ここ数か月で、脅威たるものにまで仕立て上げた。
本日はその、晴れ舞台だそうな。
●
『あぁ、ァァ、嗚呼、あゝ唖々嗟呼あああ!!』
私は蜘蛛の娘。
蝶のように美しく、人間の血を着飾って、牙も仕舞って、獅子のような力も魅せず。
ゆっくり、ゆったり、闇の奥から手を伸ばして少しずつ人間を手中に納めて。
そして、母を葬った人間を根こそぎ蜘蛛の贄として、日本を手に入れて。
しかし、あの覚者たちが尽く私の邪魔をする。
『アアアアアアアア!!!
嫌よ。
嫌よぉぉ!!
イヤァ、いやよ嫌イやよぉそんな、そんなそんなぁぁあァああ!!』
遂には数百の蜘蛛の子が覚者に殺された。
たった八人の覚者に、何故。
もう待てない、もう我慢が出来ない。人間どもめもう容赦はせぬ。
奴らを奈落へと落とす。
奴らを血の味を啜らせる。
その肉を裂いて、骨を食い千切り、そして、そしてそして……!!
人間の種を以て蜘蛛を産む。
人間を愛しているのか、憎らしいのか、もう判らないけれど。
さあ、交わりましょう。
●
東の地で、――空は怒っているように赤く染まった。
「なに!? 神奈川が落ちる!!?」
中・恭介は耳を疑った、できれば嘘であれとも思った。今月はなんだ、厄月か。
全ては夢見の一報から始まった。
FiVE組織の夢見が一斉に、神奈川が息絶える夢を視たのだ。
山積みにされた人間の屍の上で、笑う蜘蛛の女の夢を。
「殺芽が、動き出すのか」
すると、スーツ姿の女性が司令室に駆け込むように入ってくる。
「中さん! 今、政府より緊急の!!」
「ああ、多分蜘蛛女の事だろう。分かってる」
「は、はいっ、そ、そうです!!」
「今すぐに、……今すぐに!! ヒノマルが攻めて来ている以上、五麟を手薄にする訳にはいかない……が、動けるだけの覚者を神奈川へ移送準備!! 直ぐにだ!!」
「はい!!」
●
時間が無いから、ブリーフィングは行わない。
全ては移送中の車内でこの用紙を頭に叩き込んでくれ。
今、神奈川では『殺芽』という蜘蛛の妖が『三千結界』を敷こうとしている。
この結界は、敷いた内部で妖が異常な速度で発生するもので、内部では人間が住むことが不可能になるものだ。
つまり、完全に展開されれば、人間の世界が、丸々そのまま奴らの世界に再構築されるということだ。
殺芽は東京を狙っていた。
だが先日、殺芽が根城にしていたビルをファイヴがぶち壊した為、東京から一度手を引いたのだろう。しかし彼女はまだ首都を狙っている。その為、まず隣接する神奈川を堕とすつもりだ。
……かなり焦っていると見える。もう一度、潜伏して期を待てばいいものを。怒りが彼女を急かしているのだろう。
結界を妨害するには、結界を展開している主軸である妖を倒すしか術は無い。
つまり、単純に『殺芽』を討伐すれば終わる。
彼女は強力な妖であり、隔者や人間も手足として使ってくることは間違いない。
特に、彼女の『糸』には警戒を――――チリン、鈴の鳴る音がした。
……?
覚者の前に、顔を隠した奇抜和装の古妖が立っていた。
『お届け物を、届けに来ただけですが。覚者の少女に頼まれただけですが』
此の古妖の名前は――薬売り。
薬売りの差し出した手のひらの上で、青い炎がぼうと揺れる。
『使用しますか? 使用しませんか?
使用するならば、対価を頂きます。対価は――――』

■シナリオ詳細
■成功条件
1.殺芽の討伐
2.三千結界展開の阻止
3.なし
2.三千結界展開の阻止
3.なし
●状況
・継美という大妖の娘、殺芽が動き始めた。
殺芽は女性の血を根こそぎ吸い取り己の養分と美貌と力の為に使っていた。一連の『血が無い死体』の事件の首謀者は彼女である。
彼女は継美を敬愛していた隔者たちを手中に取り込み、繁殖し、一群を総動員し日本を壊し始めた。
殺芽の狙いは『首都東京』。
だがしかし、一歩前の依頼にて東京の根城を壊された殺芽は、首都に隣接する『神奈川』から手を出し始める。
この大それた妖の侵攻を、止めることが必要だ。
●注意!
・当依頼が失敗した場合、日本地図上『神奈川県』は妖が住み、人間が住めない危険地域に変わります。
●敵
・妖:殺芽
一連の事件の首謀者、人語を話す大蜘蛛の娘です
見た目は和装の女性の背中から、八枚羽のように巨大な足が生えております
またそれに限らず、手足が元の蜘蛛のように変形します
本来の姿は、途方もなく大きい女郎蜘蛛です
ランク4、九頭竜所属
攻撃に関しては、現在までに彼女の戦闘履歴や詳細が無い為以下の文章を参考にしてください
彼女はとても血を好み、血によって身体を形成している
大きく強力な足は切り裂くことに長け、かつ、鋭い足先は蜂のように射抜くことも可能だ
もちろん、好物は人間である以上、戦闘中に捕食を行うことはあるだろう
彼女の糸には警戒したい。彼女は覚者だろうと操り人形として使うことが可能だ。また、遠くのものを近くに寄せることも可能とする
壁や蜘蛛の糸を自由自在に歩むこともできる
毒蜘蛛であるため、彼女の身体に触れることは薔薇の棘を掴むようなもの
人間の姿は己の力によって形成している為、余裕がなくなれば元の姿を晒すだろう
なお、男を狙う傾向があるが、食うのは女に限る(例外はある)
・妖:蜘蛛(ランク1~2)
三千結界の影響により、こちらの蜘蛛さんは『無限沸き』です
・大蜘蛛(ランク2)
全長2mの蜘蛛。
大蜘蛛が闇に溶け込み、光が差さない場所にいるとき、その姿を見ることは不可能となります。
攻撃は、
捕食 近接、物理、大ダメージ
蜘蛛糸 遠距離、物理、BS麻痺。中衛以降にいるPCを前衛まで引き寄せます
体当たり 近接、列、ノックバック
八つ裂き 遠距離、列
面接着に似たスキルがあり、立体的に動きます。
・子蜘蛛(ランク1)
子蜘蛛闇に溶け込み、光が差さない場所にいるとき、その姿を見ることは不可能となります。
攻撃は大蜘蛛のものと同じですが、威力自体は大蜘蛛に劣ります。
また、面接着に似たスキルがあり、立体的に動きます。
・隔者
継美の信者、今は殺芽の信者
主に回復を担当する者、支援を担当する者にわかれます
妨害されればその都度攻撃に以降しますが、数に限りはある決死隊のような存在です
ただし、殺芽の糸をその身体内に敷かれている為、彼女の操り人形のように動きます
●場所:神奈川県『黄蠱蔓魔市(ヨコハマシ)・渇裂市(カワサキシ)』
・蜘蛛妖が敷いた三千結界により、覚者以外が使用する武具武器兵器が、通らなくなっております。三千結界完全完成までまだ時間はありますが、時間をかけすぎるのは禁物です
・外部から見れば赤い靄がかかってます。中はうっすら見えます
内部に入れば、薄暗い赤黒い世界です。視界にペナルティはありません
今回の覚者が決戦に敗北した場合、これが神奈川全域に広がり、人間が住めない世界となります
・一般人は避難が早かった為、被害は薄いです。全員避難し終わったわけでありませんので、残っている人間もいますが、希望はあります
・黄蠱蔓魔市、渇裂市、所狭しと粘り気のある蜘蛛の糸が張り巡らされております
これにより覚者の行動はかなり制限を受けます
●特殊アイテム
・糸切炎×50
古妖薬売りが用意したもの
炎を宿したランタン、特殊な薬品で燃える炎
人体や物は焼かず、蜘蛛の糸だけを選別して焼く炎です
使いようによれば戦闘が楽になる傾向があります。広範囲には使えません
ひとつの炎で、3回まで使えます
ただし、OPラストで薬売りが言っている通り、使用する場合『対価』を貰います
対価とは、殺芽の死骸を薬売りに差し出すことです。
☆EXプレにて、『承認』と書かれたものが26人以上いれば炎をお渡しします
また、その場合強制的に殺芽の死骸は薬売りが持って帰ります
●味方陣営
・樹神枢
遠距離支援系。指示や絡みがなければサポートに徹します、ていうか描写ないと思います
・大神シロ
前衛攻撃系。上に同じ
・AAA
いつもの避難役と、同じく蜘蛛討伐に力を貸してくれてます
●決戦シナリオのルール
・参加料金は50LPです。
・予約期間はありません。参加ボタンを押した時点で参加が確定します。
・獲得リソースは通常依頼相当です。
・特定の誰かと行動をしたい場合は『御崎 衣緒(nCL2000001)』といった風にIDと名前を全て表記するようにして下さい。又、グループでの参加の場合、参加者全員が【グループ名】という タグをプレイングに記載する事で個別のフルネームをIDつきで書く必要がなくなります。
それではご縁がありましたら、よろしくお願いします
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:0枚 銅:0枚
金:0枚 銀:0枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
50LP
50LP
参加人数
50/50
50/50
公開日
2016年12月04日
2016年12月04日
■メイン参加者 50人■

●
空は、怒っているように紅に染まっていた。
町は、現実とかけ離れた色を見せ、暗く。
そして何故だか冷たい世界が広がっているの。
今、この神奈川の世界を支配するのは人間よりも蜘蛛である。
それを証明するかのように、耳を澄ませば腹をすかせた蜘蛛たちが這い出て、歩き回る音が絶えない。
武器に粘り付く糸を物ともせず、断ち切り、己から溢れる炎で焼き切る天堂・フィオナ(CL2001421)がいた。
「行くぞ! 私達に続け!」
発光するように青光りする髪の毛が風に揺れ、凛々しくも、しかし雄々しく。
背中は味方の指揮を上げるように君臨していた。
「……その『私達』とは誰を含めての話だね?」
八重霞 頼蔵(CL2000693)の苦笑混じりの声色に、一瞬、フィオナはむすっと頬を膨らませたが次の瞬間には笑顔へ変わった。
頼蔵を安心させようとしたか、それともこんな世界だって笑い飛ばせるくらいに強くあるように演じているのかは分からないが、無邪気な笑顔は今度は不安そうに天上を見上げた。
くるくる変わるフィオナの表情に、多少の面白みを感じていた頼蔵だが。
最終的な彼女の表情は看過出来るものでは無い。
繰り返すが、空は紅く、黒く。
まるでこれでは終わった世界。
「眩暈がする程の災厄」
フィオナはそう名付けていた。胸元あたりを掴み、自身を奮い立たせながら、しかしそれは何かに耐えているようにも見えた。
守らなきゃ。
突き動かす衝動は誰ものもであるのだろうか。
頼蔵はフィオナの手を引き、数歩駆け足でずれた。その場に、どちゃどちゃ、と群れて落ちてきたのは小蜘蛛の群れか。
この近辺に逃げ遅れた人間はいないようだが。まるでフィオナと頼蔵の周囲は掃除機でゴミでも吸い上げるように蜘蛛の群れが跋扈していた。
また別の場所では、糸を焼き切り、その燃えカスがちりちりと地面に落ちていた。
奥州 一悟(CL2000076)は焦げ付いた蜘蛛を投げながら、再び構える。足に力を入れ、飛び出した瞬間、一層大きい蜘蛛へと突進。その蜘蛛が衝撃に煽られて地面をバウンドしながら飛んでいく。
その先には、光邑 研吾(CL2000032)がいた。手前に出した腕に力を乗せて、出力。その瞬間、大蜘蛛の身体は炎上しながら、灰さえ残さず消えていく。まるでその炎はいまあるこの状況へ猛抗議するような、そんな怒りを感じる炎でもあった。
後に残った大蜘蛛の叫び声の余韻が、町の空に響いていく。それは虚しく、悲しく、寂しく。
光邑 リサ(CL2000053)は見上げながら、自分たちを中心に蜘蛛が跋扈していることに息をのむ。研吾の傍に駆け寄り、そして怪我は無いかと一悟たちへと優しい目線を向けた。
「俺は大丈夫。じいちゃんやリサさんは?」
「大丈夫ネ」
「ああ……しかし、キリがないな」
研吾はリサを抱きしめながら、しかしその瞳は老いてなお現役であるのだろう。大事な人を守る、当たり前のことができて幸せとも呼べるような瞳だ。
「本当だぜ、全然キリがねえ」
一悟はため息をついてから、その手の炎を乗せた。
突如、足下から吹き荒れるような炎に身を任せて心が高ぶるままに蜘蛛へと突進していく。
その軌跡を辿るように、リサは思い込めた力を振りまいた。彼と、少年が傷ついてもまた立ち上がる力を為すために。
祈り手に重ねた思いを轟かし、研吾は一悟が身を投じた場所へと炎を撒く。再び響く蜘蛛の叫びに、あの空の月は何を思っていたことか。
しかし回復や補助は狙われるのは定番の流れとも言っていいだろう。狙われたのは一悟でもなく研吾でもなく、リサだ。わらわら状態の敵はたったふたつの壁で抑えきるのは難しい、つまり蜘蛛からしてみれば狙いたい放題なのではある。
それとて、誰もカバーできる人間がいなかったらの話ではあるが。
「やれやれ」
天明 両慈(CL2000603)はため息ひとつついていた。
狂人のやることはわからんが、これだけの大規模なものは見逃せない。それにしても不愉快なのはあの蜘蛛たちである。倒しても、倒しても、まだまだ湧いて来る。この世界には、こんなに蜘蛛がいたものかと思えるほどだ。
発光により、彼を取り巻く蜘蛛の存在を明るみに出していく。リサのすぐ後方、民家の屋根から飛び降り、着地した両慈はすぐに術式を解放した。
次の瞬間、空から降り注ぐ幾星霜の星々。まるでその光景は終焉にも似ていた事だろう。
四人を取り巻いていた蜘蛛たちが星の輝きに潰れ、残った蜘蛛は一悟と研吾が目を見合わせタイミングをあわせて貫き、穿ち。
もうひとつ見舞いだと、両慈は再び印を結んだ。その長い髪が風に揺れ、そして。
「終わりだ」
再び降り注ぐ世界の終わりに、蜘蛛の冥福を祈る暇は与えない。
またまた別の場所では、少女が二人、手を繋ぎ合ってかけていく。
守衛野 鈴鳴(CL2000222)が賀茂 たまき(CL2000994)の手を引き、そして暗い夜道を駆けていくのだ。とはいえ、不審者やそういう危ない人間に追われているのでは無く、しつこいくらいの蜘蛛が壁を伝って二人を追っていた。
振り向いた鈴鳴。彼女の身体が淡く発光していたおかげで、蜘蛛が闇に眩むことは無い。
そして、一層広い場所へと出た瞬間、二人はほぼ同時に振り向き、手を握った。
「みんなの町を守りましょう、たまきちゃんっ」
「はい!」
鈴鳴は任務の遂行もそうなのだが、たまきが無傷で生還することも望んでいた。それが叶う事ができるかは、鈴鳴の回復手としての力もそうだが、たまき自身の力量にも左右されるものだろう。
大きな術札を取り出したたまきは、蜘蛛が最接近するときを狙って地面へと広げた。淡く発光した術札が、たまき自身を魔道具として解放されていく。
途端に地面が隆起し、槍にも酷似した土が天を目指して立ち上がれば蜘蛛がざくざくと刺さっていく。しかしそれでも取り逃がした蜘蛛はいた。
たまきの身体に突進した大蜘蛛。その瞬間、鈴鳴の心の中で熱いものがこみ上げるような感覚に襲われた。
彼女の赤い血が、彼女の口から零れて、彼女の躰がバウンドしながら転がっていく。即、救出行動を。鈴鳴は突き動かされるように両手を動かしていた。
交響衛士隊式戦旗は高らかに回転した。鼓舞を願い、彼女の傷の回復を願い、まるで泣きそうな表情を隠しながら鈴鳴は祈った。それにこたえるように、たまきは再び立ち上がる。
次の瞬間、たまきは術札を投げ、大蜘蛛へ衝撃を与えて転がっていく。隣ビルの壁にぶつかった大蜘蛛は、再び稼働しようと足を動かしたが、そのまま途切れていく。
たまきは即座に、鈴鳴と背中合わせになった。どうやら思った以上には、敵というものは多いようだ。
「大丈夫かな、たまきちゃん」
「きっと大丈夫です。だって」
貴女がいるから。
背中合わせになったけれど、後ろ手で二人は手を繋いだ。二人は瞳を瞑り、体内の力を解放する。刹那、爆発が起きたように周囲に攻撃の嵐があふれていく。
衝撃で地が震えていた。葉柳・白露(CL2001329)は、ハッと顔を上げながら、白無垢・白露の二刀のうち、ひとつに刺さった蜘蛛を振り払った。
元々蜘蛛の多い脚がさらにばらばらになりながら地面へ転がった光景に、少し、白露の眉間にしわがぎゅうと寄った。あまり見ていて、気持ちがいいものでは無かったのだ。
白露は歩きながら、住宅の屋根から屋根へ飛び移っていく。空は紅いからか、白露の純白染みた身体も今日は少々赤黒い。しかしそれは魔王にでもなったような気分を高揚とさせ、不思議と悪い気持ちはしなかった。
「見敵必殺、さあさあ散った散った」
と、なれば魔王のように凛としながら、狂う敵を千切っては投げ、だ。まるで映画のような雰囲気に、想像以上の楽しみが湧いてくる。
いつか、気づけば己の足下の周囲は死骸の山が出来ていた。白露の身体だけを避けたように、白露の半径数mだけは蜘蛛の血が一切ない。
さあさ、次、屋根の染みになりたいやつから近付いてくればいい事だろう。
その屋根の下で野武 七雅(CL2001141)が壁伝いに枢と走っていた。
「神奈川県が大変なの!」
「うむ、大変だな」
七雅は枢の手を引きながら、追ってくる隔者と大蜘蛛をチラ見した。嗚呼、やつら目がイっちゃってるよ。捕まったら大変だよ、幼女は特に大変だろう。
この街に住んでいた人だろうか、息絶えた死体がひとつあった。それに悲しみくれたのは枢だけではない、七雅もそうだ。
これ以上、そんな悲しみを産んではいけない。そう改めて決心した七雅は足を止める。
「枢ちゃんも一緒だからきっと怖くないの。大丈夫なの」
「ああ、任せろ―――いえ、任せてください」
七雅の隣に、大人の枢が足をそえた。刹那、枢は弓矢を引き絞り大蜘蛛の頭を矢で貫く。しかし隔者が前へと出てきた。キ、と強気の目線で枢は七雅に近づけさせまいと隔者の刃をその身で受ける。
枢の背中から飛び出した刃が、七雅の鼻先手前で止まった。
「枢ちゃんに、何をするの!!!」
普段は温厚でおっとりしている七雅にしては、珍しく極まった声色で回復を紡いでいく。その速度は高速詠唱と言っても過言ではないほどに、早く、精密で、着実に。
その同時に、隔者と枢の間に赤祢 維摩(CL2000884)が割って入った。回し蹴りをして隔者を後退させた維摩。経典に指を絡めながら、やれやれと首を振るのは憂いているからなのであろう。蜘蛛の我儘に付き合わされるのは、癪である。たった数ヶ月で成長した蜘蛛女を貴重なサンプル扱いとして見れる彼こそ、何処か殺芽以上に狂っているようだ。
蹴り破った覚者を乗り越え、新たに蜘蛛が耳にこびりつくような音で這って出てくる。維摩としては、食欲だけで蠢く物体に恐怖など感じない。淡く光る経典をなぞりつつ、天から一筋の雷撃が維摩の隣に着地。それは獣の形をとりながら、彼の隣で控え、そして次の瞬間には蜘蛛を飲み込み、蹴散らしながら維摩の周囲を守っていた。
「いくぜ!」
天楼院・聖華(CL2000348)は飛び出した。その小さな身体に、二刀の刃をもって無邪気に走り回っていた。
蜘蛛がいる場所を点とすれば、線を引くように白炎が舞い上がっていく。次から次、また次へと彼女が奔った軌跡には、両断された蜘蛛が燃え上がりながら残るだけだ。
しかし運良く攻撃できているばかりではない。聖華の身体が糸に捕らわれ、中空を弧を描きながら引っ張られた。
しかししかし、それは彼女が予想していなかった出来事ではない。すぐさまマントを脱ぎ棄て、地面へ足をもどす。それでもしつこく糸は彼女を追っていた。
「ちくしょう、しつけえ!!」
ついに足が捕らわれたとき、彼女は糸切炎を解放する。彼女の炎ではない、また別の色に灯るそれが彼女の周囲を燃やし尽くしていく。
蒼い炎に導かれ、しかし橡・槐(CL2000732)は呆れ返っていた。ため息しか出ない口もとを上品に押さえつつ、飛び込んできた蜘蛛を手元の盾で跳ね飛ばした。いやはや、敵を見つけたら飛び込んでくるだけの蜘蛛と、直情的な蜘蛛の親玉は似ている。首謀者の精神性はまるで餓鬼。薬売りのほうが、危険な香りがする存在に違いないのだ。
「まあ、死なない程度に頑張るとするのですよ」
何処と無くつぶやいた言葉は、空中で分解して消えていくほど、儚い声であった。カサリ、鳴る音がひとつ。途端に槐は音のした方向へと、懐中電灯を向けた。眉をひそめた槐は、刹那、眠いに誘い落としていく。死んだかのように足を上にあげてぴくりぴくりと夢の中へと旅立ち蜘蛛に明石 ミュエル(CL2000172)は容赦しなかった。槐の背中にミュエルの背中が合わさり、丁度背中合わせの位置
「県一個単位で、人の住めない場所にしようとするなんて……怖い妖、絶対に倒さなきゃ、ね」
「ほんとです。さっさと終わらせるですよ」
槐の言葉に、ミュエルは深く頷く。戦場で眠る蜘蛛へ、漏れ無く黄泉路への切符をプレゼント。ミュエルは手のひらにころがる種一粒に、そっと息を吹きかけた。
途端に急速な成長を遂げたそれは刃であり、鉄をも断てる新緑の剣。
それを横一線に振れば、真っ赤な薔薇が花弁を散らしながら蜘蛛という蜘蛛がオモチャのように千切れていく。しかし、頭上より降り注いだ蜘蛛、そしてその牙。それはミュエルの柔らかく白い肌に容赦なく牙を突き立てた。
回りかける毒、しかし、ミュエルの身体は毒の耐性があるものだ。
蜘蛛が触れたのは、危険な薔薇であったのだろう、刹那、ミュエルのムチに蜘蛛はぷつんといのちを途切れさせた。そして、成瀬 翔(CL2000063)は手を振り上げる。
その手の中にあったのは、何かしらの術式を込められた彼の武器である。
もう片方の手で懐中電灯を操り、そして蜘蛛の姿の軌跡を辿ればそれは攻撃のターゲットを捕捉する合図である。
雷獣と、流れ星。同時に召喚した翔の陰陽技術は既に日本でもかなりの上位の存在に食い込み始めている。翔中心に爆音と轟音と地響き。彼がここまでしてやるのは、恐らくこの先に殺芽が君臨しているからだ。
蜘蛛は神奈川の奥へ奥へと進むたびにその数を増やしていた。つまり、蜘蛛が守護する数が多ければ多いほど、殺芽はそこにいると見極めてもいいだろう。
しかし蜘蛛の糸は厄介だと、振り上げた手に絡んだ糸を引っ張った。蜘蛛が糸の先で翔を引っ張ろうとしていたものだが、即時、呼び戻した獣に糸を食わせて引きちぎる。
「どけ!邪魔だ!!道は倒してもらうぜ!!」
再び翔は、次の術式を入力し始めていく。その、背後、椿屋 ツバメ(CL2001351)が立っていた。その足元で、尻尾を振りながらツバメの周囲をくるくる回るシロ。シロはツバメを守っているつもりなのだろう。
蜘蛛が多くなったのを見て、ツバメは跳躍。電信柱と建物に絡んだ糸の上に足を乗せた。
「私の得物も相当大きな狼の名が付いているんだ。此処で負ける訳にはいかないさ」
『お手伝い、します』
ツバメはシロを撫でてから瞳を閉じた。足下より竜巻のような風が舞い上がり、そしてツバメを包むように登って行く。その風に、炎が巻き込まれた。ツバメから漏れ出るそれは、周囲の糸を焼き散らし、触れる敵全てを永遠の業火に閉じ込めるようにして膨れ上がっていった。
この糸全て、この大鎌・白狼の攻撃で薙ぎ払ってやる。
魂を燃やし、蜘蛛よ死に溺れろ。
振り上げ、そして渾身の一撃で張り切ったツバメの鎌。ツバメの手前から巨大な扇状にして、建築物も蜘蛛も、それこそ敵の覚者でさえ飲み込んで更地へと返した。
「道は作った! 後は進め……!」
ツバメの呼び声に、殺芽たちへ向かう覚者は一斉に走り出して行く。その奥で、殺芽だろうか、ゆらりと高い殺意を隠しもせずにしている影ひとつ。納屋 タヱ子(CL2000019)は、その影が従えた巨大な蜘蛛一体を素手で止めた。上から蜘蛛の足が振り落とされ、頭を打たれようとも、タヱ子は動じない。こんな時のために、頭を鍛えておいたのだから!!
神奈川がもし殺芽の手に落ちたら、隣接する東京も時間の問題であることはタヱ子はよくわかっていた。つまりこの戦いは、どう足掻いたとしても負けられないものなのだ、
これは日本という国を守る戦いです。
今更になって闇から這い出た妖が、日本を数ヶ月で落とすなんて笑えない。タヱ子は押さえていた蜘蛛の、その足を掴んで振り回し、投げた。
氷門・有為(CL2000042)は構えた。飛ばされてきた蜘蛛を、おおきく振りかぶって二つに分ける。蜘蛛の血や粘液が身体にまとわりついたとしても、構わない。
蜘蛛の娘が何をしようが、有為にとって止めるだけの価値である。まさかそれが、日本の、それもど真ん中を狙って射抜いてくるほどひっしだとは、いっそ憐憫か。浅くも同情してしまいそうである。
再びタヱ子がなんだかさっきより大きめの蜘蛛に集られていた。まるで彼女は蜘蛛を吸い込み寄せ付ける花のような存在であった。
得物を出した有為は、足下から炎を吐き出しながら構えた。守護使役が照らす蜘蛛を視界におさめ、そして、膨れ上がるような炎が一帯の敵を飲み込んでいった。
覚者たちの猛攻は、少しずつではあるが、確かに敵を抑えていることには成功している。
●
ふわり、と。
まるで天女のように着地した女。着物に、紅い番傘。しかし背中には翼のような、悪魔の腕をはやした姿は人間ではないことを示すには十分である。
「見つけましたよ、殺芽」
水瀬 冬佳(CL2000762)は氷結の風を身にまといながら、その女へと言った。
此処までダイジェストに説明すると、神奈川、とくにこの支配されている地域は少々広い。女一人、探し出すには少し時間がかかってしまっていたのだ。
なお、殺芽としても結果さえ展開できればあとは好き放題できる身なのだ。やすやすと覚者たちの前に姿を現すことはしない。
という前提があるため、正直に言えば覚者たちには結界展開終了までのタイムリミットは刻一刻。
冬佳は迷わず、殺芽へと突進していく。吹雪を散らし、氷の結晶を散らしながら。
蒼い一閃は敵の喉元を貫き通すはずだ、しかし殺芽は冬佳の刃を二指で挟んでから横へと投げる動作をした。それだけで、冬佳の細い身体は重力か、見えない糸に引っ張られたように横へと投げられたのだ。
空中で体勢を立て直し、しかし冬佳が顔を上げたときには、顔擦れ擦れのところで殺芽が飛び出してきていた。
『綺麗ね、血を頂戴? 後で、全部貰うわ。きっと紅茶にいれると、美味しい血よ』
「それは……遠慮させていただきます」
殺芽が冬佳を掴む、その寸前。
市中を爆走していた音が響き渡った。
バイクって普通、道路ってものを走ると思うけど。それは五階建てマンションの屋上から出てきては、故意で殺芽へ突進、轢いた。
冬佳は地面に足がついた途端後退し、バイクはUターンして戻ってくる。
「チカ君! アクセル全開!! さもなくば、当てるわよ!」
もう当たってます。
時任・千陽(CL2000014)の運転するバイクである。彼の後ろで彼の腰に手を廻していた酒々井 数多(CL2000149)が、座席に足を乗せ、利き手に刃を持ち、柄のあたりから白炎が舞い上がった。
「今なんか人轢いた!! 絶対今轢いた!!? 殺芽轢いた!!?」
そのバイクはサイドカー付で、そこに乗るのは赤髪の兎。体勢を屈めた切裂 ジャック(CL2001403)が魔導書から栞を抜き出し、放るとバイクを囲むようにして浮遊する氷刃の群れが出現した。
冬佳もそうなのだが、それより男を狙う傾向にあった殺芽は向かい来るバイクへ見て舌で唇をなぞり、口から噴き出した糸が千陽へと伸びるが蒼炎が舞い上がり糸は彼らに触れるまでも無く灰となっていく。
爆発のような青い炎の中、座席を蹴った数多が殺芽目掛けて刃を振るう。温度が上がり過ぎて白く燃ゆる刃の先端が空中を白線で裂きながら殺芽の足をひとつ削り取った。
と、同時に指を鳴らしたジャックが、控えさせていた氷刃を槍投げか弾丸のようにして殺芽を串刺していく。
千陽は片腕を出し、地面に着地した数多の躰を回収しつつ、バイクはそのまま闇へと消えた。どうやら目的が別にあるようだ。轢き逃げである。
黒崎 ヤマト(CL2001083)の、その足下は震える。それは恐怖か、それとも何かトラウマでも埋め込まれてしまっているか。
そんな彼の、心の支えとなっているのは鈴駆・ありす(CL2001269)である。彼女がいるからこそ、ヤマトも今、この場に立っていられるのだろう。
しかしそんな事は殺芽には関係無い。
同じくして、彼女の攻撃は容赦なく飛んできた。狙いは、ありすではない、ヤマトだ。
「久しぶり。覚えてる?」
『ええ、覚えてます。非力な、餓鬼であることを――』
挑発に、ちりりと怒りを見せたのはありすのほうだ。腹の底から燃え広がるような怒りに、ありすは拳を握りしめる。
「いくよ!」
「ええ!!」
ヤマトとありすは同時に動き出した。一歩、いや、何歩分も速かったのは殺芽のほうである。
にぃ、と笑った彼女の手から伸びた糸がヤマトに絡んだ。レイジングブルと一緒に飲み込むように糸は螺旋を描いてヤマトの身体を飲み込んでいく。
『おいでおいで坊や。この私が、遊んであげる、死ぬまで』
「お断りよ!!」
ありすは炎を解放する。渡せないのだ、彼だけは。それは当初からの怒りも入っていたが、もっとあるのは彼を思う心が発した怒りであろう。人はそれをときに、嫉妬と呼ぶが。ありすのものはそんな黒黒したような感情ではないのだろう。
解放されたヤマトは、術式を展開。迸る演奏に、炎が同調して協奏曲は完成する。殺芽を飲み込むような炎の嵐。そこで飛び込むのは、ありすが練りに練った魔力を凝縮した炎。
二種の、同じ赤色であれど、赤色のなかでも別々の輝きを放つそれが殺芽を包み込んだ。
炎は苦手か、悔しそうに唇を噛んだ殺芽。だが次の瞬間、殺芽の背にある脚はありすを貫いた。
『思ったの。貴方をいじめるより、貴方の周囲をいじめたほうが、貴方はきっと傷つくって』
ヤマトの眼前で、ありすの腹部が千切れそうな勢いで血を廻せていた。どくん、と高鳴ったヤマトの胸を埋めるのは、怒りか、悲しみか。
獅子王 飛馬(CL2001466)が殺芽の腕目掛けて、一閃を放つ。ぶつん、と取れた腕、そこに纏っていた糸が解けて蒼い炎がそれを焼いて行く。
「仲間は殺らせねーぞ。世の中にどんな恨みがあるのか知らねーけどな」
自己強化した刀は研ぎ澄まされた霊力を秘めていた。殺芽は取れた腕と飛馬を見比べてから、三日月のように口を裂かせていく。
『踊りましょう?』
「誰が」
殺芽が跳ねる、刹那には飛馬の首を掴み、そして背中の翼のような足たちが彼を突き刺した。痛みに武器を落としかけた手を、強く握り。飛馬は燃ゆる瞳を持ってして、ヤイバを振るう。左肩に命中したそこから炎を上げたが殺芽は問答無用と螺旋にまわる瞳を輝かせ、そして飛馬に自らの毒を肌接触で侵していく。
殺芽の躰は猛毒の塊。全身を流れる血も、構成されている肉も、ほら、触れる足下。地面さえ紫に色づいて腐っていく。
「貴女の相手はここです」
柳 燐花(CL2000695)はしかし、立ち止まらなかった。殺芽はうざったそうに、気怠そうに背中におわす足で燐花を切り裂くが、分身を切った事に気づいたときには、
『ほう?』
と眉を動かした。
『これは、分身』
上空斜め上。殺芽はそちらへ瞳をスライドさせ、燐花は気づかれた事に攻撃の被弾を覚悟した。
流石高ランクか、彼女のスピードを以てしても『まだ遅い』と言わせる余裕がある。殺芽の足に吸い込まれるように腹部を串刺された燐花。
蘇我島 恭司(CL2001015)はその時、何かを吼えていたが燐花の耳は激痛に音が掠れた。
拳を、爪が食い込むまで握りしめた恭司。我が身を切り刻まれるよりも彼女の身がそうなる事のほうが、苦しい。地獄の炎に焼かれても、彼女が無事なのならまだまだぬるいと言えるのだろう。
「燐ちゃん、出来る限りサポートはするけれども、倒れる前に後ろに下がるんだよ?」
抑えた冷静さで言うも、恭司の声は怒りに震えていた。即座に精密な糸をつむぐように回復を。天空から歌声が降りそそぐように、彼女の傷を修復したい。
『ほう?』
殺芽はしかし、二人の関係性を一瞬にして把握した。其処には愛憎、いや、嫉妬にも似た感情があっただろう。
殺芽の足から抜け出し、騒ぎ立てる血のままに燐花は、いざ征かん。毒花という殺芽の手が触れた頬が今にも血色が悪くなれど、進軍する。
今や漆黒にも似た炎を纏い、逢魔ヶ時の力――いや、今や彼女のものとなった鋼さえ貫く攻撃を放つ。
放つ対象は――――恭司。
「いや」
燐花は首を振った。こんなものの為に、真の力を欲しがったんじゃない。
殺芽の笑い声が聞こえた。躰がいう事を聞いてくれない。
「いやです」
「大丈夫」
皺くちゃになりそうな燐花を、恭司は両手を広げて迎え入れた。
その時、蒼い炎が二人を包み込む。
鉄の香り優雅な夜。狂騒のおごりが漂い続けて、愚かな蜘蛛の夢は届かぬ事を教えに行こう。
三島 柾(CL2001148)の喉元の印が闇をかき分ける。
「殺芽――!!」
びちゃ、と血を払った殺芽は血塗れの両手で己が頬を撫でた。血のあとが、べとりと頬を染める。
『ふあ……あら? あらあらあらあらあらあらあらあらららら???』
風祭・誘輔(CL2001092)を瞳に入れた殺芽は心底嬉しそうに、それでいてぐるぐる螺旋を描く紅い目が愛憎渦巻くよう。
「上等だよ絡新婦」
誘輔は前回の戦いで、殺芽にマークされている。騒がしいくらいに、静寂の中を殺意が火花散っていた。
『あぁ来たの? 逃げても、追ったわ。隠れても、探したわ。死んでも、貪ったわ』
「テメェとの因果も、これで終わりだ。俺の子種が欲しいンだろ?」
『いやぁねえ、言葉にしないで頂戴。恥ずかしいでしょう』
誘輔は問答無用でグレネードランチャーをぶっ放した。殺芽は放たれた弾を、指先でちょん、と触った瞬間大爆発が彼女を包みこんでいく。
これで終わる相手だとは到底思っていない。誘輔は直後、周囲の仲間へと指示を飛ばす。囮は、己である。
煙の中から殺芽が直球で前へと飛び出してきた。狙いは誘輔。彼との距離を最短で線引く彼女、だが。
阿久津 ほのか(CL2001276)はその線を断つようにして割り込んだ。向かってくる球を打ち返すバッターのように。身体を半身後ろへ引き、力を込めた右拳で殺芽の頬を直接穿つ。
「こんな事、終わりにする。終わらせてみせる!」
ぐぎ、と音を立てて首が伸びた殺芽だがすぐさま所定の位置に戻った頭。螺旋の瞳はほのかをとらえる事はなかった。まるで、通過点と言わんばかりに殺芽はほのかの後頭部を掴んで地面へと叩きつける。地面が陥没する衝撃に、柾は、
「貴様!!」
と叫んだ瞬間、飛び出す。
燃ゆる両腕で殺芽の躰を押し返していく。殴った、右手で左手で、連続で何度も何度でも。ほのかの躰から手が離れた殺芽、柾は最終的に蹴りを放ち殺芽の躰をすぐ隣のビルの壁へと押し付けていく。
『ぬるい』
柾の足を殺芽を掴んで、蹴りの衝撃を逃がした。瞬間、殺芽の背にある巨大な足が羽のように広がっていく。大して、柾は抵抗したが足を掴む腕はびくともしない。
『まずは貴方から搾り取ってあげましょうか? 骨の髄まで、吸い取って』
柾の頬から汗が流れる。
しかしその時、殺芽の腕がぷつん、と断たれた。何も、一人で戦っているわけではないのだ。
木暮坂 夜司(CL2000644)の小さな、若い体があった。双刀の一刀と上へ振り上げ、上空で殺芽の腕が回転しながら血を撒いていく。
「殺芽の母継美は息子夫婦の仇。今また母の遺志を継ぐ娘が横浜を地獄に変えようとしているなら看過はできん」
殺芽は無くなった腕をじぃ、と見てから夜司のほうへ視線をスライドさせる。
『餓鬼』
「餓鬼かどうかも、わからぬか? 小娘」
必ずや引導を渡してやる。
夜司の瞳は、血走る一歩手前のように復讐心が埋めていた。それを抑えながら、理性をもって殺芽を見据える彼の葛藤がどれほど辛いものは想像は筆舌にしがたく。
『しかし邪魔よ』
殺芽の眉が動いた刹那、蜘蛛足が鋭く、蜂のそれのように夜司と、振り返った柾、そうほのかを貫いた。
しかしこの戦場には支えという姫巫女が存在する。
「絶対に、この場は乗り切るのですよ!!」
鼎 飛鳥(CL2000093)は祈りを込めた両手を重ねた。まるで地獄のような風景に同化するでは無く、少女は妖世界に否定をもって救いを撒く。
飛鳥はまだ小学生という身分であるが、その神々しい光を身の内から燈す姿は年齢を超えた麗しさがあることだろう。
殺芽の毒牙にかけられた仲間の腐蝕を少しずつ解いていく光に、もののふたちは再び立ち上がる気力を手に入れるのだ。
月歌 浅葱(CL2000915)の爆光により、足下から衝撃波が起こり何人かの隔者が吹き飛んでいった。そんな感じに、ヒーローは今日もド派手に君臨するのだ。
「天が知る地が知る人知れずっ。蜘蛛退治のお時間ですっ。交わり仇なし暴れて害をなすっ。
それが貴女の関わり方なら、力で止めるだけですよっ」
『あら?止められるかしら』
毒蜘蛛の牙が浅葱の腹部を射抜いた、殺芽の攻撃、いやそれよりも即座に腹部の血色は明らかに悪くなり、毒の威力の高さを示していた。しかし浅葱はそれでも笑っていた、笑い続けていた。
すぐさま切り替え、己の血を吸った殺芽を掴んでそのまま地面へと叩きつけた。地面が凹むほどの威力に、殺芽は歯奥を鳴らす。背中の足も、数本が折れていると見える。
「ふっ、触れるものを傷つける毒蜘蛛ですかっ」
ニヤついた浅葱、しかし次の瞬間、身体の変化を解放した殺芽は巨大な蜘蛛になり浅葱の前に立ちふさがった。
●
麻弓 紡(CL2000623)はプリンス・オブ・グレイブル(CL2000942)の乗った車のすぐ隣に降りた。AAAの車をタクシー代わりにするとは、なんともやんごとなき発想である。
降り立つこの場所は二人にとってはよく知る場所なのだろう、あのお菓子ならここにあると的確に歩きながら、まるで修学旅行のようなテンションで物色していた。とは言え、今は店員さんがいないので、取り放題の店並びではあるが。
しかし、戦闘中である身、紡は意識を切らさなかった。子供すすり泣く声に即座に反応した彼女は、瑠璃の翼を広げていく。
すると路地の僅かな室外機の裏で少女が身を縮めていたのであった。少女は最初、怯えたように紡を見ていたが、敵ではないと理解してもらえるように微笑みを向ければ、自ずと少女は守ってくれるのだろうと駆け寄ってきていた。
「はい、飴ちゃんあげるからね。ねー、こっちに女の子が」
「それは大変だね!ツム姫、すぐにおまわりさんを」
「おまわりさんで解決してたら、ボクたちはいらなかったよ」
唇を尖らせるようにした紡に、額を叩くようにして戯けたプリンス。
しかし二人の瞳は同時に左右へと滑っていく。どうやら囲まれているか、さっきのAAAが割と都合よく置いていったビークルのライトを当てればいるわいるわ、敵の群れ。
「あーあ、折角甘酒を楽しもうとしてたところなのにな。食べ物の恨みは怖いよ?」
「辛い!このおせんべ、辛いよ!!」
「明らかに真っ赤なのを買うからでしょー」
空の月に重なるシルエットがあった。その影は長い耳と、丸みおびえた尾を持ち、ガントレットを振り上げ隔者の群れのなかへと突っ込んでいく。
爆発が起きたようになぎ倒されていく風圧のその中心、御白 小唄(CL2001173)は立ち上がりながら強くそして凛々しく君臨する。
妖に従う人間なんて、きっとどうかしている。現に、皆、目が死んでいるように虚ろで、それでいて不安定な言葉を使い、ふらふらと立ち上がる、亡者やゾンビのようだ。
殺芽へ飛ぶ回復を何より恐れた小唄は、術式を使う水行の男性のもとへ真っ先に走った。右手を振り上げ、そして穿つ。闇夜の空に衝撃がひとつ発生した。
灼熱の炎がフィオナの頬を赤く染めていた。頼蔵の攻撃、彼の出した炎の渦は蜘蛛を巻き込み、飲み込む大蛇のよう。
フィオナはその赤さにふと、何かを思い出しかけていた。その妙な気配に、頼蔵は眉を顰める。
しかし彼女はいつもと変わらぬ笑みで、剣を振るう。美しささえ兼ね揃えた剣技に、一瞬の不安を持っていた頼蔵も小さな笑みが零れる、フィナオはフィナオであることを実感して。
フィオナはフィオナで、彼岸の夜の、彼のあの笑みをふと思い出す――しかし、貴方が「誰」であっても「頼蔵」だから「守りたい」。その意思は変わらぬ。
飛び出してきた大蜘蛛に頼蔵は咄嗟に彼女を守る仕草へ出た。抉られた彼の身体、しかしフィオナはそれを数倍返しで蜘蛛へと見舞う。
しつこく付きまとうのは、何も蜘蛛だけでは無い。まるでそこの蜘蛛の列に同化するのは、人間もある。
細く細く、見えないくらいの銀の糸に操られたマリオネットは、焔陰 凛(CL2000119)にしてみれば滑稽以外のなにものでも無かっただろう。
もはや言葉さえ失くした隔者の痛撃に、しかし凛は首を振って耐えた。敵の剣が通過した、今この瞬間がチャンスである。
朱焔に乗せる、気力の業火。斬る、よりは、叩き斬るに近いそれ。彼女から漏れ出す炎が、刃を取り巻き。周囲の温度は加速して上がっていく。
「人様に迷惑かけんなって親から教わらんかったんかい! お前ら一回幼稚園からやり直せ!」
腕から血を流す彼女のそれさえ、灼熱にあてられ気化していく。そに構わず、凛は前方隔者の群れを薙ぎ払う勢いで横一閃に凪いだ。
玩具みたいに風圧で隔者たちは倒れていく。手が空けばすぐに進軍。凛は燃ゆるような瞳で、次の隔者へと走り出し、そして弾丸のように突っ込んでいくのだ。
凛の爆風から逃れた隔者が一人、いた。彼は死に物狂いで場を離脱し、ビルとビルの間に入った、そこで。諏訪 刀嗣(CL2000002)がいた。
刀の背で肩を叩きながら、白炎を従えて歩いていた。蜘蛛を切っても楽しくは無い、愛刀に油と血が乗るだけだ。あと疲れる。
隔者の一人が、血走って左右別別の方向を見る狂ったそれが、刀嗣の背後に迫り奇声を上げながらナイフを振り上げた。
刹那、白炎が足下から舞い上がり、隔者が叫びながら後退する。
「あ?」
四白眼染みた瞳が、振り返る。
「あぁ、思ったよりこのカナガワって広いからよ。はぐれちまったよ、ま、一人でもいいけどなァ」
刀嗣は周囲を見回した。わらわらと。蟻が、餌をみつけて群がるのと似ていた。既に囲まれている状態か、誘われたか、いや、誘ったのだろう。
間違えてはいけない。刀嗣は常に捕食する側なのであることを。
「一人のほうが気楽でいい。その方が、楽しませてくれるんだろうなァ!!?」
獣のような咆哮に、一瞬、隔者はびくと身体を震わせた。『普通』を生きていればそういうことはまずないだろうが、明確な『天敵』と出会ったときの感覚に似ているのだ。
一歩引いた戦士に勝利は訪れない。
刀嗣の刃は既に最前衛にいた男の首を跳ね飛ばした。容赦は無かった、殺さない? そんな生温いことは一切無い。必ず殺す。
精々する、楽しいくらいだ。こんなもの、作業である。命を刈り取るという作業。絶対に殺す。
血が吹き刀嗣は、血に濡れるのを嫌がるように後退。した直後飛んできた攻撃を寸前で顔をずらし回避し、半回転した身体で後ろの影を真っ二つに斬った。何があっても殺す。
さあ、恐怖と踊れ。全て闇の中で片づけてやる。終わるまで殺す。
「仕える相手を間違ったなテメェら。強い奴に従うなら俺に従えば生きていられたのになぁ!」
雷獣が、通り過ぎる。両慈のもの。
「ああ? 俺様の舞台の獲物だぞ」
「ああ、すまなかった」
両慈、汗。
「そこ! 喧嘩しない!」
四条・理央(CL2000070)は眼鏡をくいっとした。
全く。嫌な事は重なるとはこういうことだ。同じようにして、ヒノマルが戦争を仕掛けているのに、妖も戦争を仕掛けてきたのは笑えるわけがない。されど回復手が寝割れれ鵜のは至極単純な戦闘の基本でもある。理央でさえその流れにはきちんとハマるものは秘めていた。
ゆえに、影に新田・成(CL2000538)あり。物陰より、身を潜め、そして理央を引き寄せ食い散らかす準備をしていた蜘蛛が、一瞬のうちに細切れとなって落ちた。
そばに控えていた隔者が何事であるか状況が読み込めぬうちに、隔者の肩に手が置かれた。
「いけませんね。女性を背後から狙う、などと」
ゾク、と隔者の背筋に冷たいものが流れた。振り返る隔者、だがそこには幾重にもブレた残像が一瞬残っただけであり、直ぐにただの風景だけが残った。隔者は思う、よくないものに出くわしていると。つまり、恐れ、その恐怖に飲み込まれた隔者は持っていた銃を四方八方に連射した。
成は冷静に仕込み刀を引いてから、手元が風のように静かに震えたとき。剛刃が隔者の手元から、胸元まで切り開いて倒れ伏した。
「おや」
少し油断していたか、成が見上げればまた別の隔者がその一部始終を見ていたようだ。
「次は貴方ですね」
コツ、と靴の音を鳴らしながら、一方的な成の鬼ごっこは始まった。
まだあどけなさはあるものの、女性としての凛とした出で立ちは戦場でも花である。檜山 樹香(CL2000141)は敵の背後という絶好の立ち位置を獲得していた。やけに刀が多い戦場で、妖薙・濡烏は特にその存在を目立たせていた。月の光に輝き満ち、赤黒く、呼吸するように光を放つそれが理央を狙った隔者を切り裂き、倒していく。
「この……女!!」
今や、樹香に敵の怨嗟なんて通用しないだろうが、放たれる罵詈雑言に彼女は悲しい瞳を見せていた。
(まあ、思っておるんじゃろうな……。殺芽の為ならば世界なぞ、と)
という考えはあっている。彼らはきっと、この世界に絶望してしまった人間なんだろう。そして人間という枠から外れて、殺芽に付き従うのだろう。それを、人間と呼んでいいのかは樹香にはわからないが。
「ならば、それはワシが許さぬ。力の続く限り、抵抗して見せようぞ」
隔者の拳が樹香の腹部を殴打した、が、込みあがった胃液を飲み込み樹香は濡烏で隔者の胴を吹き飛ばして壁の奥へと。
「殺芽の傍になど、行かせぬよ。その魂、ここで置いてゆかれよ」
その間に、ふわりと聖花は立った。
「俺は正義のヒーロー! 一つの県が無くなるかどうかの瀬戸際なら、命を張ってでもそれを止めてやる!」
聖花の瞳、光がぎらりを籠った。
背中には一般人を、だからこそ前出るしか彼女に選択肢は無いのだろう。爆炎を身にまとい、そして聖花の身体は大蜘蛛の中央へと突撃した。衝撃で、地面が壊れ、断層がズレを起こし、周囲を取り巻いていた糸がちぎれて燃えていく。
「悪い妖怪は刀の錆にしてやるぜ!」
突撃したのは、ただの接近に過ぎない。本命は、刀である。
聖花が地面を蹴り、月を背に刃を振り上げた。大蜘蛛の瞳に、美麗なる光景が、いやこれは絶望の光景であったが、聖花が笑いながら刃を振り落とした刹那、大蜘蛛の身体はぶちいと音を立てながら命を絶たれた。
再び槐の混乱が咲き乱れていく。桂木・日那乃(CL2000941)はその瞬間がチャンスであると踏んだ。混乱している敵はこっちには目を向けなかったのだ。ここで百発百中の恩恵ひとつ。
「被害が出るなら消す」
いまだに敵の指揮は絶えない。おそらく殺芽がいなくなるまで、あれは保たれていくものなのだろう。ならば、回復という形で日那乃は戦場を支えるのだ。
しかしだ、そうしながらも日那乃は戦場で声なき声に耳を研ぎ澄ませていた。回復を終え、しかし彼女は別の場所へと走り出す。崩落したビルのそのうえで、トタンのようなものを退かしたそこにいた一般人の親子である。おそらくこのままここに残しても、戦火に巻き込まれれば助かる見込みなんてないだろう。日那乃は手を伸ばし、親子は泣きそうな顔で彼女の手を取った。
どこかに、AAAはいないだろうか。
●
巨大蜘蛛になっている彼女を見ると、坂上 懐良(CL2000523)はなんとなく帰りたい気分にはなっていた。
いやだがしかし、彼女は弱ったからこうなっているわけで、普段は妙齢の美女の姿なのだ。だとしたら、救わない訳は無い。
とある意気込みを胸にちらつかせ、懐良は炎を身に纏っていた。
友人を、仲間を、飲み込む糸を断ち切るように。懐良の身体からも、絶えず漏れ出す炎が天上に手を伸ばすように膨れ上がり燃えていく。
糸から解放された小唄は、地面に着地した途端殺芽へと突っ込んだ。その目が多い顔面へ、こすり付けるように殴打をひとつ。そしてふたつと連続で繰り出していく。
「ここでお前を倒さないと沢山の不幸が生まれるんだ! ここで終わりだ、覚悟しろ!」
最後に両手握り、こぶしにしたそれを上から落とした。瞬間、殺芽の頭部が地面に落ち衝撃でコンクリートがめくりあがっていく。
そんな状況で、鳴海 蕾花(CL2001006)は舌打ちした。薬売りの動向も気になるが……蕾花はそれよりも目の前の殺芽を優先した。
蕾花を捕まえたいように繰り出された糸を踊るように回避しつつ、逆立てた猫毛を隠さず、まるで己の怒りを相手にぶつけるように利き手を殺芽の背部へと叩きつけた。
「先ほどは、よくも」
燐花が武器を持ち、片膝をつけた状態で、ぼろぼろのセーラー服のままで立ち上がった。
燐花の背中より後ろには恭司がいる。その恭司は陣を組み、点と線を結んでもののふを支える力を解放していく。
恭司が燐花の心を少しずつ溶かしていくように、恭司が燐花に触れたとき彼女が熱を帯びるように。
彼の力が彼女の背中を押す。だから、倒れる訳にはいかぬ。しかし毒で腐った足では立つことはできぬ。
燐花は胸元で輝くアクアマリンを握りしめた。なんの変哲も無いペンダントは光いっぱい輝き、不思議と勇気が湧いていく。
「いけ!! 燐ちゃん!」
本当は行って欲しくは無いのかもしれない。危険な事なんてして欲しくないのかもしれない。
けれど。
「あああああああああああああ!!」
燐花が両手で握りしめるそこから溢れる、溢れすぎる炎が燐花を包み込み、爆発が起きた瞬間、劫火の猫は殺芽の正面から突撃していた。
『どうしてそんな、にくい、愛が、にくい』
多大なダメージによろけた殺芽は、ついに隔者へと手を伸ばした。傍で防衛を行っていた隔者を糸で釣り、その体を食んだのだ。隔者の絶叫が戦場を埋め、黒桐 夕樹(CL2000163)は苦い顔を見せる。一体全体、何を見せられているのだろうか。
即座に夕樹は指で弾き飛ばした種を成長させ、隔者の身に絡ませて絞め落としていく。そうすれば殺芽が眼をつけたのは秋津洲 いのり(CL2000268)である。
回復を兼任する彼女と、捕食の対象である女としては絶好のポジションにいたいのり。
それまで回復に身をささげていた彼女だが、睨まれたと分かった瞬間に一瞬手を止め、少女らしく身を震わせた。
即座に気付いた夕樹がいのりと殺芽を結ぶ直線に割って入り、殺芽の糸は夕樹を捕えていく。
『邪魔なのよ、小僧!!』
「へっ」
夕樹は苦笑いであったが、接近した殺芽の顎に拳を叩きつけながら茨を成長させて顎を縛っていく。これには殺芽もたまらない。彼女の足が捕まえた夕樹を貫く。
いのりの頬に、彼の血がぶっかかった。助けるために、少女は祈りを捧げよう。
神奈川とそこに暮らす人々の命。それを守る為に全力を尽くす。その力は救いを求める誰かの為にあるのだから、そして今は仲間を助けるために。
「殺芽を倒そうと命を懸けて戦う方々の邪魔は決してさせません!」
杖を掲げて金の瞳に決意の炎をもやし、それはまるで神降ろしにも似た神々しさを秘めていた。いのりが選ぶのは回復、いやそれもそうだが、先に放ったのは幾重にも降りたる星々の輝きであった。それは殺芽の体力を削り取り、瀕死の傷を合わせていく。
懐良は殺芽の前に立った。
彼にとって、ぶっちゃけ全てはこのために来たようなもので。その他はとんと、オマケに過ぎないのだ。殺芽はこれをなんとみたか、兼良を見るや否や、姿を変える。
まるで日本人形、いやもっと美しい妙齢の女が、今、震えながら彼の瞳を見据えた。
懐良は何をいうか決めてきている。
「こちら側に来る気はないか?」
それは、もし、起こったのなら。恐らく妖としては初になるであろう出来事だ。
殺芽は正直にいって、懐良の言っている意味が解らなかった。例えば事件されたり、拷問されたり、しかもここまで人を殺してきたものだ。もっと酷い目にあってもいいくらいだ。
なのに、懐良の声色はとても優しかった。それに、甘えてしまえればどれだけ楽か。
薬売りに彼女を渡したくない意思もそこにはあった。しかし大半は彼女への、人間との共存を道を呈する事が大きかったのだ。
『あっ……ああ。私、私、人間に……なれる?』
差し出されたのは懐良の手。それに殺芽は手を差し出し――。
「残念だ」
しかし次の瞬間、殺芽の手が鎌のように変形し、懐良を切り刻もうとしていた。
「させるか!!」
ヤマトは懐良と殺芽の間に飛び込んだ。
やっぱりどう考えたって、ヤマトは殺芽を許せない。懐良のように優しくもなれない。
しかし何故だか、憎む心はどこかへ忘れてしまっていたようだ。殺芽の行動は常に母を追い、人を集め、まるで人間のようでもある。
もしかして、寂しかったんじゃないか。
その一フレーズで、ヤマトは憎む心を捨てきっていた。しかしそれが、倒さない理由にもならないことも理解していた。
ヤマトの演奏が、炎を産み。殺芽の身体を押し返す。
刹那、ありすの中で何かがはじけた。『12月という先を見据えて』いた彼女は、こんなところで止まるわけにはいかないのだ。
「ずっとこの時を待ってた! アンタもこれで終わりよ!」
魂を燃やし、立ち上がる。血に濡れたような真紅が、更に彩を増して輝くように髪の毛が揺れた。
限界まで開き切ったありすの第参の瞳が発光し、そして赤の鬼は殺芽へと突っ込む。
殺芽は思う、人とはどこまで限界があるものか。今度こそ身体を蜘蛛へ戻した殺芽。
鎧甲冑のように炎をまとわせたありすの拳が、一撃、直撃した。刹那、背筋まで響く衝撃に殺芽は叫び声をあげる。言葉さえ忘れた声色に感化され、ありすは同じく獣のような慟哭を武器にし、糸切炎の青色がありすの色に絡んだ。利き手にまとわすそれを、殺芽の口の中に捻じりこむように放てば、炎上する殺芽の体。と同時に、彼女の体からどこかへ繋がっていた銀糸が次次と炎上していく。
あれはおそらく傀儡を操っていた糸なのだろう。
「殺芽はその野望ごとぶっ殺す! 棲み分けも共存しようもない敵というものがあるからさー」
同じく、シャロン・ステイシー(CL2000736)も魂を発動させた。駆け狂う、雷の獣を従わせて殺芽へぶつける。
その二人の熱意に心が動かされない者はいないだろう。覚者側の指揮が上がると同時に、再び断糸の影あり。
秋人の詠唱が爆ぜる。周囲の仲間へ回復を施し、そして秋人は天上を見上げた。
空を覆う赤色が、いよいよ濃くなってきているのだ。恐らく時間がないのだろう。ここまで通してくれた味方のためにも、どうしても負けることなどできない。
内心焦ってはいたが、秋人は冷静に対処した。
総攻撃を、仕掛けることを。
「もうその姿じゃ、気分もノらねえな」
ある意味困り顔の誘輔の、その腕に繋がる得物が火を噴きながら砲弾を吐き出した。爆風と衝撃、その弾に続けといわんばかりに、工藤・奏空(CL2000955)が駆けだしていた。
「誘輔さんとの子供なんて素直ないい子は産まれて来ないから止めときなよ」
身軽に殺芽の背部まで跳躍し、殺芽の上から刀を突き刺す。その衝撃は彼の速度と威力の合わせ技だ。背に風穴を開ける勢いの猛攻が繰り出されていた。蒼黒い血液が奏空の体を染めるをも、彼は攻撃の手をやめることはない。
「人々の平穏な暮らしを蹂躙されてたまるか! すべて終わらせて帰るんだ!」
まるで鬼か、修羅のような形相に奏空はなっていたことに本人は気付いていなかっただろう。奏空が離れた刹那、柾の拳が響き渡る。
「思い方は極端だが、お前がどれだけ人を思っても。仲間も神奈川もお前にやるわけにはいかないんだよ、殺芽」
静電気のようなものが全身からぱちぱち放ちながら、しかし纏う炎を殺芽へ食わせるように柾は殺芽の体を正面から圧倒していく。確かな手応えと衝撃があった。
「こんな事、終わりにする。終わらせてみせる!」
繰り出された糸を寸前のところでかわした、ほのか。
「あなたは私と少し似てますね。私もお父ちゃんの背中を追って、やっとここまで来れたから。でもだからといって……あなたの暴虐を認める訳にはいかない」
少女の叫びに、彼女の立つ地が震えた。
一見ふつうの少女であるほのかだが、その心は何度でも立ち上がる頑固さと強固さを秘めているのだろう。故に雄々しく世界を取り巻く地は、彼女へ力を貸すことを認めている。
「覚悟!!」
ほのかの意思は魂を揺らす。
巨大な殺芽からしてみれば、苦無という……針ほどにも小さな武器が、何故だか約束された勝利の剣のように畏怖めいて見えていた。恐怖に引くものには常に敗北が付きまとうのも必至。
前へ出たほのかの体が質量ありきの残像を生み出しながら、殺芽の体を掻っ切った。ほのかの軌跡には、銀色の軌跡が余韻を残して消えていく。
「聞け殺芽! 母の愛に飢えて狂うた憐れな娘よ!
儂は炎帝、木暮坂夜司。
ぬしに引導を渡しにきた!」
夜司は一層、恨みか、そういう黒い炎を吹き出しながら少年の体で構えた。
数多の人間を操り。
数多の人を殺し。
数多の悲しみを作った継美の、最悪の置き土産である殺芽を。
その、大蜘蛛たちの呪われた糸を断つために。
何よりもその運命に、翻弄された夜司と、
「サヨナラだ」
誘輔は同時に放つ。
運命とも宿命とも呼べる、たった数秒にも満たぬ時を目に焼き付けろ。
『いや』
二重螺旋、雨のように降り注ぐ誘輔の暴君と、夜司の魂を犠牲に生み出した炎は、
『やめてぇぇ』
よくよく研がれた一振りの日本刀のように精度を増しながら、
『た、たすけっ、あやかさまっ』
殺芽という極まった人間の敵を、打ち砕く。
介錯を、しましょうか。
こつ、こつ、と靴を鳴らし、負傷した腕を支えながら奈那美は殺芽の目の前に立った。
千切れていく鎖。巨大な体を再構成して、奈那美と同じくらいの背丈の少女が完成した。見上げたぐるぐる螺旋描く瞳が、漆黒の闇色の奈那美の瞳を重なる。
『た、たすけっ、も、もう悪い事はしないわ!!』
「その手は、もう喰いませんから」
殺芽は唇を噛んだ。くそ、くそ……と遂には噛み千切る程に瞳が揺れ、困惑、蜘蛛は罪に吼える。もう、指一本さえ動かすことができないのだ。
奈那美には殺芽が尊ぶような母はいなかった。代わりに、兄がいた。だから寂しくなんか無かった。
しかし、殺芽は。
「可哀想に。誰にも愛してもらえなかったのですね」
『わ、わたっ、わたしはっ』
ここは処刑台の上。
それは殺芽が一番よく分かっていた事だろう。奈那美の背後には控えるように断糸の武具武器たちが控えている。
これで不気味な晩餐も終わり。
――――少女は罰を下す。
「さようなら、そしておやすみなさい殺芽。どうか良き夢を」
奈那美の声に、殺芽は嫌だと吼えた。
しかし、冬佳が構えた。その身から噴き出す力を、刀という出力機に込み入れるように。
「相容れざる在り方のまま交われば、何れかが排除されるは必定です」
かつて、この世界を守っていたAAAが。彼女の父や、その仲間たちという尊い犠牲を払ってでも継美を討った気持ちは、今、よくわかるのだ。
この蜘蛛、壊れた蜘蛛は。生かしてはいけない。
血と肉で、楽しいと笑いながら人形のように弄ぶ化け物を生かすわけにはいかない。
「継美の娘、殺芽。恨むならば恨みなさい。人は人が生きる為に――貴女を討つ」
解放した力は周囲全ての水気を取り込み高圧縮圧縮圧縮圧縮され、彼女の刀の刃を強固な氷の刃で固定、そして。
螺旋ように風が舞い上がる。
『人間めえぇえええ!!』
冬佳が一歩、駆けだす。弾丸のように、殺芽の目前へ。
『赦さぬ許さぬ……!!』
しかし終わる一歩手前、殺芽は解放感のような幸福感に満たされていた。
『もし次があるのならそのときは――!!』
冬佳の斬撃が、女の頭から足先まで微塵に切り伏せ、その恐ろしい威力に地面が割れ周囲のビルの窓ガラスが全て吹き飛んでいく。
もし、次があるなら。
その先の答えが聞けなかったが。
頭を下げた奈那美は。その時は、友達になりましょう? と瞳を閉じ、ヤマトの鎮魂歌が響き渡る。
タヱ子は首をあげた。
「薬売り」
『お約束の品を受け取りに参りましたが』
「次は……厄病神の身体が対価ですか?」
『……いえいえ。
それも欲しいですが、その前に、貴方達とは決裂しそうですが』
コツ、と靴を鳴らし、咳払いをして間を置いた成がいた。表情はにこやかでも、無表情でも無く。
「どういう意味ですかな。それは。しかし、薬売り」
静かに成は、異変を指差した。
「『右腕』はどこへ落としましたかね?」
そう。
薬売りの片腕が消え、血が激しく零れて地を濡らしていたのだ。
『いやはや、とんだ好奇心をお持ちのお三方にしてやられまして』
思い出してみて。
殺芽と、厄病神の噂が流れたとき。
あともうひとつ、噂があったことを。
●『死者が蘇る薬』――第1幕
ちりん、鈴が鳴り。
数多は言う。
「都市伝説の噂のひとつ。死者が蘇る薬。そんなの本当にあるのかしら? ねえ――」
――薬売り?
『おや……これはこれは』
薬売りは一礼してから、その場を去るように背を向けた。
しかし、ジャックが口開く言葉に足を止める。
「ある意味神への反逆ってところかな」
振り向く薬売り。其処には、千陽と数多が立つ。
「死者が蘇るというのはどういった意味で?」
薬売りの顔は隠れていて見えないが、鋭い瞳が三人を順番に見比べていた事だろう。
『他にお気づきの点は?』
「人が腹が減ったから飯を食うくらい当たり前に薬を作り、必要なやつに渡していく。それなら全てを解決するには死を治せる薬と踏んだか」
「人から死がなくなる、病気も意味がなくなる。死者がいなくなるって薬使いにとっては究極の形よね」
「その薬は一度失われた魂を肉体に戻す魂と体をつなぎ直すものなのか。それとも死者がただ動くだけなのか。後者であればそれは本当に蘇ったとあなたは言うのですか?」
『以前、こう話したことがありますが。
貴方達にとっても悪い話では無いものを作っている。しかし、もしかしたらこの薬売りは敵になるかもしれない――と』
「あの三つの都市伝説はあなた流布したものですか? 究極の薬を完成させるための撒き餌として」
『黙秘権は』
薬売りは両手をあげながら言うのだが。
「肯定と解釈いたします」
千陽ははっきりと言った。反論はない。ジャックが連れていたシロが、犬歯をむき出しにして威嚇を始める。
薬売りの手に数多の手が絡んだ。
少しでも薬売りをこの場に留める為。動かさない為に。
されど……捕まったのは、もしかしたら薬売りではなく、数多の方であるのかもしれない。
『どうにも。聡い子は、苦手ですね』
「ときちっ――」
何かを察したジャックは千陽の腕を強引に引いた。
背中に隠すように庇った瞬間、ぶぉん、と振られたものにより、極小の爆発を起こしたようにジャックの上半身が腰から千切れて中空を回転。ジャックの血と肉が千陽の顔を染め、僅かに開いていた千陽の口のその奥は、濃い鉄の味と香りに満たされるそのときに、視界に入ったのは。
頭のてっぺんから足先まで真っ白の女性――『血雨』の形をしたものが八尺のようなものを振り抜いていた。
気配はまるで無かった。故に視認するまで見えなかった。控えていたシロでさえ、わからなかった。
数多が手を離そうとしたが、しかし、手が離れない。強い力で動かされないというよりは、粘着質のようなものでくっついているようだ。
「殺芽の糸で何か作ったわね!!」
『はは。
ああ、遅れましたが解答です。
魂と身を繋ぎ直すものか、それとも死者が動くだけか、残念ながら研究中の身で未完成ですので、解答は控えたい。まあ、番犬を欲しがってみただけですが。
ここまで暴露されては隠す事もありませんがね』
嘲り笑う。
それで。
薬売りの細長い指が数多の頬を撫でる。
『よく、できているでしょう? ご安心を、貴方方三人も蘇らせれば死などただの経過に過ぎませんから。安心して無事死んでください』
「命は、貴方の実験動物や人形じゃないわ!!」
数多と繋がる薬売りの手、その袖から血塗れた腕が伸びて、数多の腕から肩へと絡んでいく。
数多は空いている手で刀を握り、薬売りの腕ごと斬り離脱。腕が消えても冷静な薬売りは、袖から試験管のようなものを落とした瞬間、それが数多の足下で気化した。
千陽の足下はジャックの血で水たまりができ始めていたが、この時ジャックは己の命より遥かに友人の命を重んじた。命数で自分の体を修復しつつ、水行である彼の技術だからできたこと、血が一人でに地面を駆け走り魔方陣を描き、飛び出す氷柱が血雨を射抜き、血雨の身体が後退した隙に、千陽はジャックの身体を抱えて走った。
「大神!!」
千陽は名を呼び、シロが吼えながら薬売りの手首へとかみついた。数多の身体が謎の煙にふらりと倒れ、千陽はもう片方の腕で彼女を抱え、走る。
振り返らなかった。
しかし気配で分かる。
血雨が追走してきている。
恐らく八尺を振り上げているのだろう、千陽を飲み込むような影のシルエットがそれだ。
ぱち、と瞳を開けた数多。眠りからの回復が早かった。即、視界に入ったのはボタボタボタと血を流しながら動かないジャックと、振り上げられた八尺と、離脱の為にかける千陽。
千陽の腕から離れた数多は刃を下から上へと振り上げた。
八尺は上から下へと振り落とした。
血雨の腕に食い込んだ数多の刃。歯が鳴る程振り切った刀は、だがまだ足りない。厄災クラスの化け物の相手の力だ。
その時、千陽が数多より少し上、空中で身体を斜めに捩じって跳躍していた。長い片足が数多の刃を押すように蹴り、振り切り、血雨の腕を切り伏せ、八尺が隣ビルの窓ガラスを突き破って飛んでいく。血雨は八尺と薬売りと数多たちを見比べてから、八尺のほうにのそのそと歩いていく。
「薬売りの目的は解りました。殺芽の死体を渡してはいけません」
しかし、その時。
天上の赤色景色が晴れ、どこかで鎮魂歌が響いていた。
「――が、手遅れだったかもしれません」
「ああ、もう!! それなら、薬売りが行動する前に、『次』で先手を打つわ!!」
FiVEが誇る夢見へ通達。
何が何でも薬売りを見つけ出せ――――。
空は、怒っているように紅に染まっていた。
町は、現実とかけ離れた色を見せ、暗く。
そして何故だか冷たい世界が広がっているの。
今、この神奈川の世界を支配するのは人間よりも蜘蛛である。
それを証明するかのように、耳を澄ませば腹をすかせた蜘蛛たちが這い出て、歩き回る音が絶えない。
武器に粘り付く糸を物ともせず、断ち切り、己から溢れる炎で焼き切る天堂・フィオナ(CL2001421)がいた。
「行くぞ! 私達に続け!」
発光するように青光りする髪の毛が風に揺れ、凛々しくも、しかし雄々しく。
背中は味方の指揮を上げるように君臨していた。
「……その『私達』とは誰を含めての話だね?」
八重霞 頼蔵(CL2000693)の苦笑混じりの声色に、一瞬、フィオナはむすっと頬を膨らませたが次の瞬間には笑顔へ変わった。
頼蔵を安心させようとしたか、それともこんな世界だって笑い飛ばせるくらいに強くあるように演じているのかは分からないが、無邪気な笑顔は今度は不安そうに天上を見上げた。
くるくる変わるフィオナの表情に、多少の面白みを感じていた頼蔵だが。
最終的な彼女の表情は看過出来るものでは無い。
繰り返すが、空は紅く、黒く。
まるでこれでは終わった世界。
「眩暈がする程の災厄」
フィオナはそう名付けていた。胸元あたりを掴み、自身を奮い立たせながら、しかしそれは何かに耐えているようにも見えた。
守らなきゃ。
突き動かす衝動は誰ものもであるのだろうか。
頼蔵はフィオナの手を引き、数歩駆け足でずれた。その場に、どちゃどちゃ、と群れて落ちてきたのは小蜘蛛の群れか。
この近辺に逃げ遅れた人間はいないようだが。まるでフィオナと頼蔵の周囲は掃除機でゴミでも吸い上げるように蜘蛛の群れが跋扈していた。
また別の場所では、糸を焼き切り、その燃えカスがちりちりと地面に落ちていた。
奥州 一悟(CL2000076)は焦げ付いた蜘蛛を投げながら、再び構える。足に力を入れ、飛び出した瞬間、一層大きい蜘蛛へと突進。その蜘蛛が衝撃に煽られて地面をバウンドしながら飛んでいく。
その先には、光邑 研吾(CL2000032)がいた。手前に出した腕に力を乗せて、出力。その瞬間、大蜘蛛の身体は炎上しながら、灰さえ残さず消えていく。まるでその炎はいまあるこの状況へ猛抗議するような、そんな怒りを感じる炎でもあった。
後に残った大蜘蛛の叫び声の余韻が、町の空に響いていく。それは虚しく、悲しく、寂しく。
光邑 リサ(CL2000053)は見上げながら、自分たちを中心に蜘蛛が跋扈していることに息をのむ。研吾の傍に駆け寄り、そして怪我は無いかと一悟たちへと優しい目線を向けた。
「俺は大丈夫。じいちゃんやリサさんは?」
「大丈夫ネ」
「ああ……しかし、キリがないな」
研吾はリサを抱きしめながら、しかしその瞳は老いてなお現役であるのだろう。大事な人を守る、当たり前のことができて幸せとも呼べるような瞳だ。
「本当だぜ、全然キリがねえ」
一悟はため息をついてから、その手の炎を乗せた。
突如、足下から吹き荒れるような炎に身を任せて心が高ぶるままに蜘蛛へと突進していく。
その軌跡を辿るように、リサは思い込めた力を振りまいた。彼と、少年が傷ついてもまた立ち上がる力を為すために。
祈り手に重ねた思いを轟かし、研吾は一悟が身を投じた場所へと炎を撒く。再び響く蜘蛛の叫びに、あの空の月は何を思っていたことか。
しかし回復や補助は狙われるのは定番の流れとも言っていいだろう。狙われたのは一悟でもなく研吾でもなく、リサだ。わらわら状態の敵はたったふたつの壁で抑えきるのは難しい、つまり蜘蛛からしてみれば狙いたい放題なのではある。
それとて、誰もカバーできる人間がいなかったらの話ではあるが。
「やれやれ」
天明 両慈(CL2000603)はため息ひとつついていた。
狂人のやることはわからんが、これだけの大規模なものは見逃せない。それにしても不愉快なのはあの蜘蛛たちである。倒しても、倒しても、まだまだ湧いて来る。この世界には、こんなに蜘蛛がいたものかと思えるほどだ。
発光により、彼を取り巻く蜘蛛の存在を明るみに出していく。リサのすぐ後方、民家の屋根から飛び降り、着地した両慈はすぐに術式を解放した。
次の瞬間、空から降り注ぐ幾星霜の星々。まるでその光景は終焉にも似ていた事だろう。
四人を取り巻いていた蜘蛛たちが星の輝きに潰れ、残った蜘蛛は一悟と研吾が目を見合わせタイミングをあわせて貫き、穿ち。
もうひとつ見舞いだと、両慈は再び印を結んだ。その長い髪が風に揺れ、そして。
「終わりだ」
再び降り注ぐ世界の終わりに、蜘蛛の冥福を祈る暇は与えない。
またまた別の場所では、少女が二人、手を繋ぎ合ってかけていく。
守衛野 鈴鳴(CL2000222)が賀茂 たまき(CL2000994)の手を引き、そして暗い夜道を駆けていくのだ。とはいえ、不審者やそういう危ない人間に追われているのでは無く、しつこいくらいの蜘蛛が壁を伝って二人を追っていた。
振り向いた鈴鳴。彼女の身体が淡く発光していたおかげで、蜘蛛が闇に眩むことは無い。
そして、一層広い場所へと出た瞬間、二人はほぼ同時に振り向き、手を握った。
「みんなの町を守りましょう、たまきちゃんっ」
「はい!」
鈴鳴は任務の遂行もそうなのだが、たまきが無傷で生還することも望んでいた。それが叶う事ができるかは、鈴鳴の回復手としての力もそうだが、たまき自身の力量にも左右されるものだろう。
大きな術札を取り出したたまきは、蜘蛛が最接近するときを狙って地面へと広げた。淡く発光した術札が、たまき自身を魔道具として解放されていく。
途端に地面が隆起し、槍にも酷似した土が天を目指して立ち上がれば蜘蛛がざくざくと刺さっていく。しかしそれでも取り逃がした蜘蛛はいた。
たまきの身体に突進した大蜘蛛。その瞬間、鈴鳴の心の中で熱いものがこみ上げるような感覚に襲われた。
彼女の赤い血が、彼女の口から零れて、彼女の躰がバウンドしながら転がっていく。即、救出行動を。鈴鳴は突き動かされるように両手を動かしていた。
交響衛士隊式戦旗は高らかに回転した。鼓舞を願い、彼女の傷の回復を願い、まるで泣きそうな表情を隠しながら鈴鳴は祈った。それにこたえるように、たまきは再び立ち上がる。
次の瞬間、たまきは術札を投げ、大蜘蛛へ衝撃を与えて転がっていく。隣ビルの壁にぶつかった大蜘蛛は、再び稼働しようと足を動かしたが、そのまま途切れていく。
たまきは即座に、鈴鳴と背中合わせになった。どうやら思った以上には、敵というものは多いようだ。
「大丈夫かな、たまきちゃん」
「きっと大丈夫です。だって」
貴女がいるから。
背中合わせになったけれど、後ろ手で二人は手を繋いだ。二人は瞳を瞑り、体内の力を解放する。刹那、爆発が起きたように周囲に攻撃の嵐があふれていく。
衝撃で地が震えていた。葉柳・白露(CL2001329)は、ハッと顔を上げながら、白無垢・白露の二刀のうち、ひとつに刺さった蜘蛛を振り払った。
元々蜘蛛の多い脚がさらにばらばらになりながら地面へ転がった光景に、少し、白露の眉間にしわがぎゅうと寄った。あまり見ていて、気持ちがいいものでは無かったのだ。
白露は歩きながら、住宅の屋根から屋根へ飛び移っていく。空は紅いからか、白露の純白染みた身体も今日は少々赤黒い。しかしそれは魔王にでもなったような気分を高揚とさせ、不思議と悪い気持ちはしなかった。
「見敵必殺、さあさあ散った散った」
と、なれば魔王のように凛としながら、狂う敵を千切っては投げ、だ。まるで映画のような雰囲気に、想像以上の楽しみが湧いてくる。
いつか、気づけば己の足下の周囲は死骸の山が出来ていた。白露の身体だけを避けたように、白露の半径数mだけは蜘蛛の血が一切ない。
さあさ、次、屋根の染みになりたいやつから近付いてくればいい事だろう。
その屋根の下で野武 七雅(CL2001141)が壁伝いに枢と走っていた。
「神奈川県が大変なの!」
「うむ、大変だな」
七雅は枢の手を引きながら、追ってくる隔者と大蜘蛛をチラ見した。嗚呼、やつら目がイっちゃってるよ。捕まったら大変だよ、幼女は特に大変だろう。
この街に住んでいた人だろうか、息絶えた死体がひとつあった。それに悲しみくれたのは枢だけではない、七雅もそうだ。
これ以上、そんな悲しみを産んではいけない。そう改めて決心した七雅は足を止める。
「枢ちゃんも一緒だからきっと怖くないの。大丈夫なの」
「ああ、任せろ―――いえ、任せてください」
七雅の隣に、大人の枢が足をそえた。刹那、枢は弓矢を引き絞り大蜘蛛の頭を矢で貫く。しかし隔者が前へと出てきた。キ、と強気の目線で枢は七雅に近づけさせまいと隔者の刃をその身で受ける。
枢の背中から飛び出した刃が、七雅の鼻先手前で止まった。
「枢ちゃんに、何をするの!!!」
普段は温厚でおっとりしている七雅にしては、珍しく極まった声色で回復を紡いでいく。その速度は高速詠唱と言っても過言ではないほどに、早く、精密で、着実に。
その同時に、隔者と枢の間に赤祢 維摩(CL2000884)が割って入った。回し蹴りをして隔者を後退させた維摩。経典に指を絡めながら、やれやれと首を振るのは憂いているからなのであろう。蜘蛛の我儘に付き合わされるのは、癪である。たった数ヶ月で成長した蜘蛛女を貴重なサンプル扱いとして見れる彼こそ、何処か殺芽以上に狂っているようだ。
蹴り破った覚者を乗り越え、新たに蜘蛛が耳にこびりつくような音で這って出てくる。維摩としては、食欲だけで蠢く物体に恐怖など感じない。淡く光る経典をなぞりつつ、天から一筋の雷撃が維摩の隣に着地。それは獣の形をとりながら、彼の隣で控え、そして次の瞬間には蜘蛛を飲み込み、蹴散らしながら維摩の周囲を守っていた。
「いくぜ!」
天楼院・聖華(CL2000348)は飛び出した。その小さな身体に、二刀の刃をもって無邪気に走り回っていた。
蜘蛛がいる場所を点とすれば、線を引くように白炎が舞い上がっていく。次から次、また次へと彼女が奔った軌跡には、両断された蜘蛛が燃え上がりながら残るだけだ。
しかし運良く攻撃できているばかりではない。聖華の身体が糸に捕らわれ、中空を弧を描きながら引っ張られた。
しかししかし、それは彼女が予想していなかった出来事ではない。すぐさまマントを脱ぎ棄て、地面へ足をもどす。それでもしつこく糸は彼女を追っていた。
「ちくしょう、しつけえ!!」
ついに足が捕らわれたとき、彼女は糸切炎を解放する。彼女の炎ではない、また別の色に灯るそれが彼女の周囲を燃やし尽くしていく。
蒼い炎に導かれ、しかし橡・槐(CL2000732)は呆れ返っていた。ため息しか出ない口もとを上品に押さえつつ、飛び込んできた蜘蛛を手元の盾で跳ね飛ばした。いやはや、敵を見つけたら飛び込んでくるだけの蜘蛛と、直情的な蜘蛛の親玉は似ている。首謀者の精神性はまるで餓鬼。薬売りのほうが、危険な香りがする存在に違いないのだ。
「まあ、死なない程度に頑張るとするのですよ」
何処と無くつぶやいた言葉は、空中で分解して消えていくほど、儚い声であった。カサリ、鳴る音がひとつ。途端に槐は音のした方向へと、懐中電灯を向けた。眉をひそめた槐は、刹那、眠いに誘い落としていく。死んだかのように足を上にあげてぴくりぴくりと夢の中へと旅立ち蜘蛛に明石 ミュエル(CL2000172)は容赦しなかった。槐の背中にミュエルの背中が合わさり、丁度背中合わせの位置
「県一個単位で、人の住めない場所にしようとするなんて……怖い妖、絶対に倒さなきゃ、ね」
「ほんとです。さっさと終わらせるですよ」
槐の言葉に、ミュエルは深く頷く。戦場で眠る蜘蛛へ、漏れ無く黄泉路への切符をプレゼント。ミュエルは手のひらにころがる種一粒に、そっと息を吹きかけた。
途端に急速な成長を遂げたそれは刃であり、鉄をも断てる新緑の剣。
それを横一線に振れば、真っ赤な薔薇が花弁を散らしながら蜘蛛という蜘蛛がオモチャのように千切れていく。しかし、頭上より降り注いだ蜘蛛、そしてその牙。それはミュエルの柔らかく白い肌に容赦なく牙を突き立てた。
回りかける毒、しかし、ミュエルの身体は毒の耐性があるものだ。
蜘蛛が触れたのは、危険な薔薇であったのだろう、刹那、ミュエルのムチに蜘蛛はぷつんといのちを途切れさせた。そして、成瀬 翔(CL2000063)は手を振り上げる。
その手の中にあったのは、何かしらの術式を込められた彼の武器である。
もう片方の手で懐中電灯を操り、そして蜘蛛の姿の軌跡を辿ればそれは攻撃のターゲットを捕捉する合図である。
雷獣と、流れ星。同時に召喚した翔の陰陽技術は既に日本でもかなりの上位の存在に食い込み始めている。翔中心に爆音と轟音と地響き。彼がここまでしてやるのは、恐らくこの先に殺芽が君臨しているからだ。
蜘蛛は神奈川の奥へ奥へと進むたびにその数を増やしていた。つまり、蜘蛛が守護する数が多ければ多いほど、殺芽はそこにいると見極めてもいいだろう。
しかし蜘蛛の糸は厄介だと、振り上げた手に絡んだ糸を引っ張った。蜘蛛が糸の先で翔を引っ張ろうとしていたものだが、即時、呼び戻した獣に糸を食わせて引きちぎる。
「どけ!邪魔だ!!道は倒してもらうぜ!!」
再び翔は、次の術式を入力し始めていく。その、背後、椿屋 ツバメ(CL2001351)が立っていた。その足元で、尻尾を振りながらツバメの周囲をくるくる回るシロ。シロはツバメを守っているつもりなのだろう。
蜘蛛が多くなったのを見て、ツバメは跳躍。電信柱と建物に絡んだ糸の上に足を乗せた。
「私の得物も相当大きな狼の名が付いているんだ。此処で負ける訳にはいかないさ」
『お手伝い、します』
ツバメはシロを撫でてから瞳を閉じた。足下より竜巻のような風が舞い上がり、そしてツバメを包むように登って行く。その風に、炎が巻き込まれた。ツバメから漏れ出るそれは、周囲の糸を焼き散らし、触れる敵全てを永遠の業火に閉じ込めるようにして膨れ上がっていった。
この糸全て、この大鎌・白狼の攻撃で薙ぎ払ってやる。
魂を燃やし、蜘蛛よ死に溺れろ。
振り上げ、そして渾身の一撃で張り切ったツバメの鎌。ツバメの手前から巨大な扇状にして、建築物も蜘蛛も、それこそ敵の覚者でさえ飲み込んで更地へと返した。
「道は作った! 後は進め……!」
ツバメの呼び声に、殺芽たちへ向かう覚者は一斉に走り出して行く。その奥で、殺芽だろうか、ゆらりと高い殺意を隠しもせずにしている影ひとつ。納屋 タヱ子(CL2000019)は、その影が従えた巨大な蜘蛛一体を素手で止めた。上から蜘蛛の足が振り落とされ、頭を打たれようとも、タヱ子は動じない。こんな時のために、頭を鍛えておいたのだから!!
神奈川がもし殺芽の手に落ちたら、隣接する東京も時間の問題であることはタヱ子はよくわかっていた。つまりこの戦いは、どう足掻いたとしても負けられないものなのだ、
これは日本という国を守る戦いです。
今更になって闇から這い出た妖が、日本を数ヶ月で落とすなんて笑えない。タヱ子は押さえていた蜘蛛の、その足を掴んで振り回し、投げた。
氷門・有為(CL2000042)は構えた。飛ばされてきた蜘蛛を、おおきく振りかぶって二つに分ける。蜘蛛の血や粘液が身体にまとわりついたとしても、構わない。
蜘蛛の娘が何をしようが、有為にとって止めるだけの価値である。まさかそれが、日本の、それもど真ん中を狙って射抜いてくるほどひっしだとは、いっそ憐憫か。浅くも同情してしまいそうである。
再びタヱ子がなんだかさっきより大きめの蜘蛛に集られていた。まるで彼女は蜘蛛を吸い込み寄せ付ける花のような存在であった。
得物を出した有為は、足下から炎を吐き出しながら構えた。守護使役が照らす蜘蛛を視界におさめ、そして、膨れ上がるような炎が一帯の敵を飲み込んでいった。
覚者たちの猛攻は、少しずつではあるが、確かに敵を抑えていることには成功している。
●
ふわり、と。
まるで天女のように着地した女。着物に、紅い番傘。しかし背中には翼のような、悪魔の腕をはやした姿は人間ではないことを示すには十分である。
「見つけましたよ、殺芽」
水瀬 冬佳(CL2000762)は氷結の風を身にまといながら、その女へと言った。
此処までダイジェストに説明すると、神奈川、とくにこの支配されている地域は少々広い。女一人、探し出すには少し時間がかかってしまっていたのだ。
なお、殺芽としても結果さえ展開できればあとは好き放題できる身なのだ。やすやすと覚者たちの前に姿を現すことはしない。
という前提があるため、正直に言えば覚者たちには結界展開終了までのタイムリミットは刻一刻。
冬佳は迷わず、殺芽へと突進していく。吹雪を散らし、氷の結晶を散らしながら。
蒼い一閃は敵の喉元を貫き通すはずだ、しかし殺芽は冬佳の刃を二指で挟んでから横へと投げる動作をした。それだけで、冬佳の細い身体は重力か、見えない糸に引っ張られたように横へと投げられたのだ。
空中で体勢を立て直し、しかし冬佳が顔を上げたときには、顔擦れ擦れのところで殺芽が飛び出してきていた。
『綺麗ね、血を頂戴? 後で、全部貰うわ。きっと紅茶にいれると、美味しい血よ』
「それは……遠慮させていただきます」
殺芽が冬佳を掴む、その寸前。
市中を爆走していた音が響き渡った。
バイクって普通、道路ってものを走ると思うけど。それは五階建てマンションの屋上から出てきては、故意で殺芽へ突進、轢いた。
冬佳は地面に足がついた途端後退し、バイクはUターンして戻ってくる。
「チカ君! アクセル全開!! さもなくば、当てるわよ!」
もう当たってます。
時任・千陽(CL2000014)の運転するバイクである。彼の後ろで彼の腰に手を廻していた酒々井 数多(CL2000149)が、座席に足を乗せ、利き手に刃を持ち、柄のあたりから白炎が舞い上がった。
「今なんか人轢いた!! 絶対今轢いた!!? 殺芽轢いた!!?」
そのバイクはサイドカー付で、そこに乗るのは赤髪の兎。体勢を屈めた切裂 ジャック(CL2001403)が魔導書から栞を抜き出し、放るとバイクを囲むようにして浮遊する氷刃の群れが出現した。
冬佳もそうなのだが、それより男を狙う傾向にあった殺芽は向かい来るバイクへ見て舌で唇をなぞり、口から噴き出した糸が千陽へと伸びるが蒼炎が舞い上がり糸は彼らに触れるまでも無く灰となっていく。
爆発のような青い炎の中、座席を蹴った数多が殺芽目掛けて刃を振るう。温度が上がり過ぎて白く燃ゆる刃の先端が空中を白線で裂きながら殺芽の足をひとつ削り取った。
と、同時に指を鳴らしたジャックが、控えさせていた氷刃を槍投げか弾丸のようにして殺芽を串刺していく。
千陽は片腕を出し、地面に着地した数多の躰を回収しつつ、バイクはそのまま闇へと消えた。どうやら目的が別にあるようだ。轢き逃げである。
黒崎 ヤマト(CL2001083)の、その足下は震える。それは恐怖か、それとも何かトラウマでも埋め込まれてしまっているか。
そんな彼の、心の支えとなっているのは鈴駆・ありす(CL2001269)である。彼女がいるからこそ、ヤマトも今、この場に立っていられるのだろう。
しかしそんな事は殺芽には関係無い。
同じくして、彼女の攻撃は容赦なく飛んできた。狙いは、ありすではない、ヤマトだ。
「久しぶり。覚えてる?」
『ええ、覚えてます。非力な、餓鬼であることを――』
挑発に、ちりりと怒りを見せたのはありすのほうだ。腹の底から燃え広がるような怒りに、ありすは拳を握りしめる。
「いくよ!」
「ええ!!」
ヤマトとありすは同時に動き出した。一歩、いや、何歩分も速かったのは殺芽のほうである。
にぃ、と笑った彼女の手から伸びた糸がヤマトに絡んだ。レイジングブルと一緒に飲み込むように糸は螺旋を描いてヤマトの身体を飲み込んでいく。
『おいでおいで坊や。この私が、遊んであげる、死ぬまで』
「お断りよ!!」
ありすは炎を解放する。渡せないのだ、彼だけは。それは当初からの怒りも入っていたが、もっとあるのは彼を思う心が発した怒りであろう。人はそれをときに、嫉妬と呼ぶが。ありすのものはそんな黒黒したような感情ではないのだろう。
解放されたヤマトは、術式を展開。迸る演奏に、炎が同調して協奏曲は完成する。殺芽を飲み込むような炎の嵐。そこで飛び込むのは、ありすが練りに練った魔力を凝縮した炎。
二種の、同じ赤色であれど、赤色のなかでも別々の輝きを放つそれが殺芽を包み込んだ。
炎は苦手か、悔しそうに唇を噛んだ殺芽。だが次の瞬間、殺芽の背にある脚はありすを貫いた。
『思ったの。貴方をいじめるより、貴方の周囲をいじめたほうが、貴方はきっと傷つくって』
ヤマトの眼前で、ありすの腹部が千切れそうな勢いで血を廻せていた。どくん、と高鳴ったヤマトの胸を埋めるのは、怒りか、悲しみか。
獅子王 飛馬(CL2001466)が殺芽の腕目掛けて、一閃を放つ。ぶつん、と取れた腕、そこに纏っていた糸が解けて蒼い炎がそれを焼いて行く。
「仲間は殺らせねーぞ。世の中にどんな恨みがあるのか知らねーけどな」
自己強化した刀は研ぎ澄まされた霊力を秘めていた。殺芽は取れた腕と飛馬を見比べてから、三日月のように口を裂かせていく。
『踊りましょう?』
「誰が」
殺芽が跳ねる、刹那には飛馬の首を掴み、そして背中の翼のような足たちが彼を突き刺した。痛みに武器を落としかけた手を、強く握り。飛馬は燃ゆる瞳を持ってして、ヤイバを振るう。左肩に命中したそこから炎を上げたが殺芽は問答無用と螺旋にまわる瞳を輝かせ、そして飛馬に自らの毒を肌接触で侵していく。
殺芽の躰は猛毒の塊。全身を流れる血も、構成されている肉も、ほら、触れる足下。地面さえ紫に色づいて腐っていく。
「貴女の相手はここです」
柳 燐花(CL2000695)はしかし、立ち止まらなかった。殺芽はうざったそうに、気怠そうに背中におわす足で燐花を切り裂くが、分身を切った事に気づいたときには、
『ほう?』
と眉を動かした。
『これは、分身』
上空斜め上。殺芽はそちらへ瞳をスライドさせ、燐花は気づかれた事に攻撃の被弾を覚悟した。
流石高ランクか、彼女のスピードを以てしても『まだ遅い』と言わせる余裕がある。殺芽の足に吸い込まれるように腹部を串刺された燐花。
蘇我島 恭司(CL2001015)はその時、何かを吼えていたが燐花の耳は激痛に音が掠れた。
拳を、爪が食い込むまで握りしめた恭司。我が身を切り刻まれるよりも彼女の身がそうなる事のほうが、苦しい。地獄の炎に焼かれても、彼女が無事なのならまだまだぬるいと言えるのだろう。
「燐ちゃん、出来る限りサポートはするけれども、倒れる前に後ろに下がるんだよ?」
抑えた冷静さで言うも、恭司の声は怒りに震えていた。即座に精密な糸をつむぐように回復を。天空から歌声が降りそそぐように、彼女の傷を修復したい。
『ほう?』
殺芽はしかし、二人の関係性を一瞬にして把握した。其処には愛憎、いや、嫉妬にも似た感情があっただろう。
殺芽の足から抜け出し、騒ぎ立てる血のままに燐花は、いざ征かん。毒花という殺芽の手が触れた頬が今にも血色が悪くなれど、進軍する。
今や漆黒にも似た炎を纏い、逢魔ヶ時の力――いや、今や彼女のものとなった鋼さえ貫く攻撃を放つ。
放つ対象は――――恭司。
「いや」
燐花は首を振った。こんなものの為に、真の力を欲しがったんじゃない。
殺芽の笑い声が聞こえた。躰がいう事を聞いてくれない。
「いやです」
「大丈夫」
皺くちゃになりそうな燐花を、恭司は両手を広げて迎え入れた。
その時、蒼い炎が二人を包み込む。
鉄の香り優雅な夜。狂騒のおごりが漂い続けて、愚かな蜘蛛の夢は届かぬ事を教えに行こう。
三島 柾(CL2001148)の喉元の印が闇をかき分ける。
「殺芽――!!」
びちゃ、と血を払った殺芽は血塗れの両手で己が頬を撫でた。血のあとが、べとりと頬を染める。
『ふあ……あら? あらあらあらあらあらあらあらあらららら???』
風祭・誘輔(CL2001092)を瞳に入れた殺芽は心底嬉しそうに、それでいてぐるぐる螺旋を描く紅い目が愛憎渦巻くよう。
「上等だよ絡新婦」
誘輔は前回の戦いで、殺芽にマークされている。騒がしいくらいに、静寂の中を殺意が火花散っていた。
『あぁ来たの? 逃げても、追ったわ。隠れても、探したわ。死んでも、貪ったわ』
「テメェとの因果も、これで終わりだ。俺の子種が欲しいンだろ?」
『いやぁねえ、言葉にしないで頂戴。恥ずかしいでしょう』
誘輔は問答無用でグレネードランチャーをぶっ放した。殺芽は放たれた弾を、指先でちょん、と触った瞬間大爆発が彼女を包みこんでいく。
これで終わる相手だとは到底思っていない。誘輔は直後、周囲の仲間へと指示を飛ばす。囮は、己である。
煙の中から殺芽が直球で前へと飛び出してきた。狙いは誘輔。彼との距離を最短で線引く彼女、だが。
阿久津 ほのか(CL2001276)はその線を断つようにして割り込んだ。向かってくる球を打ち返すバッターのように。身体を半身後ろへ引き、力を込めた右拳で殺芽の頬を直接穿つ。
「こんな事、終わりにする。終わらせてみせる!」
ぐぎ、と音を立てて首が伸びた殺芽だがすぐさま所定の位置に戻った頭。螺旋の瞳はほのかをとらえる事はなかった。まるで、通過点と言わんばかりに殺芽はほのかの後頭部を掴んで地面へと叩きつける。地面が陥没する衝撃に、柾は、
「貴様!!」
と叫んだ瞬間、飛び出す。
燃ゆる両腕で殺芽の躰を押し返していく。殴った、右手で左手で、連続で何度も何度でも。ほのかの躰から手が離れた殺芽、柾は最終的に蹴りを放ち殺芽の躰をすぐ隣のビルの壁へと押し付けていく。
『ぬるい』
柾の足を殺芽を掴んで、蹴りの衝撃を逃がした。瞬間、殺芽の背にある巨大な足が羽のように広がっていく。大して、柾は抵抗したが足を掴む腕はびくともしない。
『まずは貴方から搾り取ってあげましょうか? 骨の髄まで、吸い取って』
柾の頬から汗が流れる。
しかしその時、殺芽の腕がぷつん、と断たれた。何も、一人で戦っているわけではないのだ。
木暮坂 夜司(CL2000644)の小さな、若い体があった。双刀の一刀と上へ振り上げ、上空で殺芽の腕が回転しながら血を撒いていく。
「殺芽の母継美は息子夫婦の仇。今また母の遺志を継ぐ娘が横浜を地獄に変えようとしているなら看過はできん」
殺芽は無くなった腕をじぃ、と見てから夜司のほうへ視線をスライドさせる。
『餓鬼』
「餓鬼かどうかも、わからぬか? 小娘」
必ずや引導を渡してやる。
夜司の瞳は、血走る一歩手前のように復讐心が埋めていた。それを抑えながら、理性をもって殺芽を見据える彼の葛藤がどれほど辛いものは想像は筆舌にしがたく。
『しかし邪魔よ』
殺芽の眉が動いた刹那、蜘蛛足が鋭く、蜂のそれのように夜司と、振り返った柾、そうほのかを貫いた。
しかしこの戦場には支えという姫巫女が存在する。
「絶対に、この場は乗り切るのですよ!!」
鼎 飛鳥(CL2000093)は祈りを込めた両手を重ねた。まるで地獄のような風景に同化するでは無く、少女は妖世界に否定をもって救いを撒く。
飛鳥はまだ小学生という身分であるが、その神々しい光を身の内から燈す姿は年齢を超えた麗しさがあることだろう。
殺芽の毒牙にかけられた仲間の腐蝕を少しずつ解いていく光に、もののふたちは再び立ち上がる気力を手に入れるのだ。
月歌 浅葱(CL2000915)の爆光により、足下から衝撃波が起こり何人かの隔者が吹き飛んでいった。そんな感じに、ヒーローは今日もド派手に君臨するのだ。
「天が知る地が知る人知れずっ。蜘蛛退治のお時間ですっ。交わり仇なし暴れて害をなすっ。
それが貴女の関わり方なら、力で止めるだけですよっ」
『あら?止められるかしら』
毒蜘蛛の牙が浅葱の腹部を射抜いた、殺芽の攻撃、いやそれよりも即座に腹部の血色は明らかに悪くなり、毒の威力の高さを示していた。しかし浅葱はそれでも笑っていた、笑い続けていた。
すぐさま切り替え、己の血を吸った殺芽を掴んでそのまま地面へと叩きつけた。地面が凹むほどの威力に、殺芽は歯奥を鳴らす。背中の足も、数本が折れていると見える。
「ふっ、触れるものを傷つける毒蜘蛛ですかっ」
ニヤついた浅葱、しかし次の瞬間、身体の変化を解放した殺芽は巨大な蜘蛛になり浅葱の前に立ちふさがった。
●
麻弓 紡(CL2000623)はプリンス・オブ・グレイブル(CL2000942)の乗った車のすぐ隣に降りた。AAAの車をタクシー代わりにするとは、なんともやんごとなき発想である。
降り立つこの場所は二人にとってはよく知る場所なのだろう、あのお菓子ならここにあると的確に歩きながら、まるで修学旅行のようなテンションで物色していた。とは言え、今は店員さんがいないので、取り放題の店並びではあるが。
しかし、戦闘中である身、紡は意識を切らさなかった。子供すすり泣く声に即座に反応した彼女は、瑠璃の翼を広げていく。
すると路地の僅かな室外機の裏で少女が身を縮めていたのであった。少女は最初、怯えたように紡を見ていたが、敵ではないと理解してもらえるように微笑みを向ければ、自ずと少女は守ってくれるのだろうと駆け寄ってきていた。
「はい、飴ちゃんあげるからね。ねー、こっちに女の子が」
「それは大変だね!ツム姫、すぐにおまわりさんを」
「おまわりさんで解決してたら、ボクたちはいらなかったよ」
唇を尖らせるようにした紡に、額を叩くようにして戯けたプリンス。
しかし二人の瞳は同時に左右へと滑っていく。どうやら囲まれているか、さっきのAAAが割と都合よく置いていったビークルのライトを当てればいるわいるわ、敵の群れ。
「あーあ、折角甘酒を楽しもうとしてたところなのにな。食べ物の恨みは怖いよ?」
「辛い!このおせんべ、辛いよ!!」
「明らかに真っ赤なのを買うからでしょー」
空の月に重なるシルエットがあった。その影は長い耳と、丸みおびえた尾を持ち、ガントレットを振り上げ隔者の群れのなかへと突っ込んでいく。
爆発が起きたようになぎ倒されていく風圧のその中心、御白 小唄(CL2001173)は立ち上がりながら強くそして凛々しく君臨する。
妖に従う人間なんて、きっとどうかしている。現に、皆、目が死んでいるように虚ろで、それでいて不安定な言葉を使い、ふらふらと立ち上がる、亡者やゾンビのようだ。
殺芽へ飛ぶ回復を何より恐れた小唄は、術式を使う水行の男性のもとへ真っ先に走った。右手を振り上げ、そして穿つ。闇夜の空に衝撃がひとつ発生した。
灼熱の炎がフィオナの頬を赤く染めていた。頼蔵の攻撃、彼の出した炎の渦は蜘蛛を巻き込み、飲み込む大蛇のよう。
フィオナはその赤さにふと、何かを思い出しかけていた。その妙な気配に、頼蔵は眉を顰める。
しかし彼女はいつもと変わらぬ笑みで、剣を振るう。美しささえ兼ね揃えた剣技に、一瞬の不安を持っていた頼蔵も小さな笑みが零れる、フィナオはフィナオであることを実感して。
フィオナはフィオナで、彼岸の夜の、彼のあの笑みをふと思い出す――しかし、貴方が「誰」であっても「頼蔵」だから「守りたい」。その意思は変わらぬ。
飛び出してきた大蜘蛛に頼蔵は咄嗟に彼女を守る仕草へ出た。抉られた彼の身体、しかしフィオナはそれを数倍返しで蜘蛛へと見舞う。
しつこく付きまとうのは、何も蜘蛛だけでは無い。まるでそこの蜘蛛の列に同化するのは、人間もある。
細く細く、見えないくらいの銀の糸に操られたマリオネットは、焔陰 凛(CL2000119)にしてみれば滑稽以外のなにものでも無かっただろう。
もはや言葉さえ失くした隔者の痛撃に、しかし凛は首を振って耐えた。敵の剣が通過した、今この瞬間がチャンスである。
朱焔に乗せる、気力の業火。斬る、よりは、叩き斬るに近いそれ。彼女から漏れ出す炎が、刃を取り巻き。周囲の温度は加速して上がっていく。
「人様に迷惑かけんなって親から教わらんかったんかい! お前ら一回幼稚園からやり直せ!」
腕から血を流す彼女のそれさえ、灼熱にあてられ気化していく。そに構わず、凛は前方隔者の群れを薙ぎ払う勢いで横一閃に凪いだ。
玩具みたいに風圧で隔者たちは倒れていく。手が空けばすぐに進軍。凛は燃ゆるような瞳で、次の隔者へと走り出し、そして弾丸のように突っ込んでいくのだ。
凛の爆風から逃れた隔者が一人、いた。彼は死に物狂いで場を離脱し、ビルとビルの間に入った、そこで。諏訪 刀嗣(CL2000002)がいた。
刀の背で肩を叩きながら、白炎を従えて歩いていた。蜘蛛を切っても楽しくは無い、愛刀に油と血が乗るだけだ。あと疲れる。
隔者の一人が、血走って左右別別の方向を見る狂ったそれが、刀嗣の背後に迫り奇声を上げながらナイフを振り上げた。
刹那、白炎が足下から舞い上がり、隔者が叫びながら後退する。
「あ?」
四白眼染みた瞳が、振り返る。
「あぁ、思ったよりこのカナガワって広いからよ。はぐれちまったよ、ま、一人でもいいけどなァ」
刀嗣は周囲を見回した。わらわらと。蟻が、餌をみつけて群がるのと似ていた。既に囲まれている状態か、誘われたか、いや、誘ったのだろう。
間違えてはいけない。刀嗣は常に捕食する側なのであることを。
「一人のほうが気楽でいい。その方が、楽しませてくれるんだろうなァ!!?」
獣のような咆哮に、一瞬、隔者はびくと身体を震わせた。『普通』を生きていればそういうことはまずないだろうが、明確な『天敵』と出会ったときの感覚に似ているのだ。
一歩引いた戦士に勝利は訪れない。
刀嗣の刃は既に最前衛にいた男の首を跳ね飛ばした。容赦は無かった、殺さない? そんな生温いことは一切無い。必ず殺す。
精々する、楽しいくらいだ。こんなもの、作業である。命を刈り取るという作業。絶対に殺す。
血が吹き刀嗣は、血に濡れるのを嫌がるように後退。した直後飛んできた攻撃を寸前で顔をずらし回避し、半回転した身体で後ろの影を真っ二つに斬った。何があっても殺す。
さあ、恐怖と踊れ。全て闇の中で片づけてやる。終わるまで殺す。
「仕える相手を間違ったなテメェら。強い奴に従うなら俺に従えば生きていられたのになぁ!」
雷獣が、通り過ぎる。両慈のもの。
「ああ? 俺様の舞台の獲物だぞ」
「ああ、すまなかった」
両慈、汗。
「そこ! 喧嘩しない!」
四条・理央(CL2000070)は眼鏡をくいっとした。
全く。嫌な事は重なるとはこういうことだ。同じようにして、ヒノマルが戦争を仕掛けているのに、妖も戦争を仕掛けてきたのは笑えるわけがない。されど回復手が寝割れれ鵜のは至極単純な戦闘の基本でもある。理央でさえその流れにはきちんとハマるものは秘めていた。
ゆえに、影に新田・成(CL2000538)あり。物陰より、身を潜め、そして理央を引き寄せ食い散らかす準備をしていた蜘蛛が、一瞬のうちに細切れとなって落ちた。
そばに控えていた隔者が何事であるか状況が読み込めぬうちに、隔者の肩に手が置かれた。
「いけませんね。女性を背後から狙う、などと」
ゾク、と隔者の背筋に冷たいものが流れた。振り返る隔者、だがそこには幾重にもブレた残像が一瞬残っただけであり、直ぐにただの風景だけが残った。隔者は思う、よくないものに出くわしていると。つまり、恐れ、その恐怖に飲み込まれた隔者は持っていた銃を四方八方に連射した。
成は冷静に仕込み刀を引いてから、手元が風のように静かに震えたとき。剛刃が隔者の手元から、胸元まで切り開いて倒れ伏した。
「おや」
少し油断していたか、成が見上げればまた別の隔者がその一部始終を見ていたようだ。
「次は貴方ですね」
コツ、と靴の音を鳴らしながら、一方的な成の鬼ごっこは始まった。
まだあどけなさはあるものの、女性としての凛とした出で立ちは戦場でも花である。檜山 樹香(CL2000141)は敵の背後という絶好の立ち位置を獲得していた。やけに刀が多い戦場で、妖薙・濡烏は特にその存在を目立たせていた。月の光に輝き満ち、赤黒く、呼吸するように光を放つそれが理央を狙った隔者を切り裂き、倒していく。
「この……女!!」
今や、樹香に敵の怨嗟なんて通用しないだろうが、放たれる罵詈雑言に彼女は悲しい瞳を見せていた。
(まあ、思っておるんじゃろうな……。殺芽の為ならば世界なぞ、と)
という考えはあっている。彼らはきっと、この世界に絶望してしまった人間なんだろう。そして人間という枠から外れて、殺芽に付き従うのだろう。それを、人間と呼んでいいのかは樹香にはわからないが。
「ならば、それはワシが許さぬ。力の続く限り、抵抗して見せようぞ」
隔者の拳が樹香の腹部を殴打した、が、込みあがった胃液を飲み込み樹香は濡烏で隔者の胴を吹き飛ばして壁の奥へと。
「殺芽の傍になど、行かせぬよ。その魂、ここで置いてゆかれよ」
その間に、ふわりと聖花は立った。
「俺は正義のヒーロー! 一つの県が無くなるかどうかの瀬戸際なら、命を張ってでもそれを止めてやる!」
聖花の瞳、光がぎらりを籠った。
背中には一般人を、だからこそ前出るしか彼女に選択肢は無いのだろう。爆炎を身にまとい、そして聖花の身体は大蜘蛛の中央へと突撃した。衝撃で、地面が壊れ、断層がズレを起こし、周囲を取り巻いていた糸がちぎれて燃えていく。
「悪い妖怪は刀の錆にしてやるぜ!」
突撃したのは、ただの接近に過ぎない。本命は、刀である。
聖花が地面を蹴り、月を背に刃を振り上げた。大蜘蛛の瞳に、美麗なる光景が、いやこれは絶望の光景であったが、聖花が笑いながら刃を振り落とした刹那、大蜘蛛の身体はぶちいと音を立てながら命を絶たれた。
再び槐の混乱が咲き乱れていく。桂木・日那乃(CL2000941)はその瞬間がチャンスであると踏んだ。混乱している敵はこっちには目を向けなかったのだ。ここで百発百中の恩恵ひとつ。
「被害が出るなら消す」
いまだに敵の指揮は絶えない。おそらく殺芽がいなくなるまで、あれは保たれていくものなのだろう。ならば、回復という形で日那乃は戦場を支えるのだ。
しかしだ、そうしながらも日那乃は戦場で声なき声に耳を研ぎ澄ませていた。回復を終え、しかし彼女は別の場所へと走り出す。崩落したビルのそのうえで、トタンのようなものを退かしたそこにいた一般人の親子である。おそらくこのままここに残しても、戦火に巻き込まれれば助かる見込みなんてないだろう。日那乃は手を伸ばし、親子は泣きそうな顔で彼女の手を取った。
どこかに、AAAはいないだろうか。
●
巨大蜘蛛になっている彼女を見ると、坂上 懐良(CL2000523)はなんとなく帰りたい気分にはなっていた。
いやだがしかし、彼女は弱ったからこうなっているわけで、普段は妙齢の美女の姿なのだ。だとしたら、救わない訳は無い。
とある意気込みを胸にちらつかせ、懐良は炎を身に纏っていた。
友人を、仲間を、飲み込む糸を断ち切るように。懐良の身体からも、絶えず漏れ出す炎が天上に手を伸ばすように膨れ上がり燃えていく。
糸から解放された小唄は、地面に着地した途端殺芽へと突っ込んだ。その目が多い顔面へ、こすり付けるように殴打をひとつ。そしてふたつと連続で繰り出していく。
「ここでお前を倒さないと沢山の不幸が生まれるんだ! ここで終わりだ、覚悟しろ!」
最後に両手握り、こぶしにしたそれを上から落とした。瞬間、殺芽の頭部が地面に落ち衝撃でコンクリートがめくりあがっていく。
そんな状況で、鳴海 蕾花(CL2001006)は舌打ちした。薬売りの動向も気になるが……蕾花はそれよりも目の前の殺芽を優先した。
蕾花を捕まえたいように繰り出された糸を踊るように回避しつつ、逆立てた猫毛を隠さず、まるで己の怒りを相手にぶつけるように利き手を殺芽の背部へと叩きつけた。
「先ほどは、よくも」
燐花が武器を持ち、片膝をつけた状態で、ぼろぼろのセーラー服のままで立ち上がった。
燐花の背中より後ろには恭司がいる。その恭司は陣を組み、点と線を結んでもののふを支える力を解放していく。
恭司が燐花の心を少しずつ溶かしていくように、恭司が燐花に触れたとき彼女が熱を帯びるように。
彼の力が彼女の背中を押す。だから、倒れる訳にはいかぬ。しかし毒で腐った足では立つことはできぬ。
燐花は胸元で輝くアクアマリンを握りしめた。なんの変哲も無いペンダントは光いっぱい輝き、不思議と勇気が湧いていく。
「いけ!! 燐ちゃん!」
本当は行って欲しくは無いのかもしれない。危険な事なんてして欲しくないのかもしれない。
けれど。
「あああああああああああああ!!」
燐花が両手で握りしめるそこから溢れる、溢れすぎる炎が燐花を包み込み、爆発が起きた瞬間、劫火の猫は殺芽の正面から突撃していた。
『どうしてそんな、にくい、愛が、にくい』
多大なダメージによろけた殺芽は、ついに隔者へと手を伸ばした。傍で防衛を行っていた隔者を糸で釣り、その体を食んだのだ。隔者の絶叫が戦場を埋め、黒桐 夕樹(CL2000163)は苦い顔を見せる。一体全体、何を見せられているのだろうか。
即座に夕樹は指で弾き飛ばした種を成長させ、隔者の身に絡ませて絞め落としていく。そうすれば殺芽が眼をつけたのは秋津洲 いのり(CL2000268)である。
回復を兼任する彼女と、捕食の対象である女としては絶好のポジションにいたいのり。
それまで回復に身をささげていた彼女だが、睨まれたと分かった瞬間に一瞬手を止め、少女らしく身を震わせた。
即座に気付いた夕樹がいのりと殺芽を結ぶ直線に割って入り、殺芽の糸は夕樹を捕えていく。
『邪魔なのよ、小僧!!』
「へっ」
夕樹は苦笑いであったが、接近した殺芽の顎に拳を叩きつけながら茨を成長させて顎を縛っていく。これには殺芽もたまらない。彼女の足が捕まえた夕樹を貫く。
いのりの頬に、彼の血がぶっかかった。助けるために、少女は祈りを捧げよう。
神奈川とそこに暮らす人々の命。それを守る為に全力を尽くす。その力は救いを求める誰かの為にあるのだから、そして今は仲間を助けるために。
「殺芽を倒そうと命を懸けて戦う方々の邪魔は決してさせません!」
杖を掲げて金の瞳に決意の炎をもやし、それはまるで神降ろしにも似た神々しさを秘めていた。いのりが選ぶのは回復、いやそれもそうだが、先に放ったのは幾重にも降りたる星々の輝きであった。それは殺芽の体力を削り取り、瀕死の傷を合わせていく。
懐良は殺芽の前に立った。
彼にとって、ぶっちゃけ全てはこのために来たようなもので。その他はとんと、オマケに過ぎないのだ。殺芽はこれをなんとみたか、兼良を見るや否や、姿を変える。
まるで日本人形、いやもっと美しい妙齢の女が、今、震えながら彼の瞳を見据えた。
懐良は何をいうか決めてきている。
「こちら側に来る気はないか?」
それは、もし、起こったのなら。恐らく妖としては初になるであろう出来事だ。
殺芽は正直にいって、懐良の言っている意味が解らなかった。例えば事件されたり、拷問されたり、しかもここまで人を殺してきたものだ。もっと酷い目にあってもいいくらいだ。
なのに、懐良の声色はとても優しかった。それに、甘えてしまえればどれだけ楽か。
薬売りに彼女を渡したくない意思もそこにはあった。しかし大半は彼女への、人間との共存を道を呈する事が大きかったのだ。
『あっ……ああ。私、私、人間に……なれる?』
差し出されたのは懐良の手。それに殺芽は手を差し出し――。
「残念だ」
しかし次の瞬間、殺芽の手が鎌のように変形し、懐良を切り刻もうとしていた。
「させるか!!」
ヤマトは懐良と殺芽の間に飛び込んだ。
やっぱりどう考えたって、ヤマトは殺芽を許せない。懐良のように優しくもなれない。
しかし何故だか、憎む心はどこかへ忘れてしまっていたようだ。殺芽の行動は常に母を追い、人を集め、まるで人間のようでもある。
もしかして、寂しかったんじゃないか。
その一フレーズで、ヤマトは憎む心を捨てきっていた。しかしそれが、倒さない理由にもならないことも理解していた。
ヤマトの演奏が、炎を産み。殺芽の身体を押し返す。
刹那、ありすの中で何かがはじけた。『12月という先を見据えて』いた彼女は、こんなところで止まるわけにはいかないのだ。
「ずっとこの時を待ってた! アンタもこれで終わりよ!」
魂を燃やし、立ち上がる。血に濡れたような真紅が、更に彩を増して輝くように髪の毛が揺れた。
限界まで開き切ったありすの第参の瞳が発光し、そして赤の鬼は殺芽へと突っ込む。
殺芽は思う、人とはどこまで限界があるものか。今度こそ身体を蜘蛛へ戻した殺芽。
鎧甲冑のように炎をまとわせたありすの拳が、一撃、直撃した。刹那、背筋まで響く衝撃に殺芽は叫び声をあげる。言葉さえ忘れた声色に感化され、ありすは同じく獣のような慟哭を武器にし、糸切炎の青色がありすの色に絡んだ。利き手にまとわすそれを、殺芽の口の中に捻じりこむように放てば、炎上する殺芽の体。と同時に、彼女の体からどこかへ繋がっていた銀糸が次次と炎上していく。
あれはおそらく傀儡を操っていた糸なのだろう。
「殺芽はその野望ごとぶっ殺す! 棲み分けも共存しようもない敵というものがあるからさー」
同じく、シャロン・ステイシー(CL2000736)も魂を発動させた。駆け狂う、雷の獣を従わせて殺芽へぶつける。
その二人の熱意に心が動かされない者はいないだろう。覚者側の指揮が上がると同時に、再び断糸の影あり。
秋人の詠唱が爆ぜる。周囲の仲間へ回復を施し、そして秋人は天上を見上げた。
空を覆う赤色が、いよいよ濃くなってきているのだ。恐らく時間がないのだろう。ここまで通してくれた味方のためにも、どうしても負けることなどできない。
内心焦ってはいたが、秋人は冷静に対処した。
総攻撃を、仕掛けることを。
「もうその姿じゃ、気分もノらねえな」
ある意味困り顔の誘輔の、その腕に繋がる得物が火を噴きながら砲弾を吐き出した。爆風と衝撃、その弾に続けといわんばかりに、工藤・奏空(CL2000955)が駆けだしていた。
「誘輔さんとの子供なんて素直ないい子は産まれて来ないから止めときなよ」
身軽に殺芽の背部まで跳躍し、殺芽の上から刀を突き刺す。その衝撃は彼の速度と威力の合わせ技だ。背に風穴を開ける勢いの猛攻が繰り出されていた。蒼黒い血液が奏空の体を染めるをも、彼は攻撃の手をやめることはない。
「人々の平穏な暮らしを蹂躙されてたまるか! すべて終わらせて帰るんだ!」
まるで鬼か、修羅のような形相に奏空はなっていたことに本人は気付いていなかっただろう。奏空が離れた刹那、柾の拳が響き渡る。
「思い方は極端だが、お前がどれだけ人を思っても。仲間も神奈川もお前にやるわけにはいかないんだよ、殺芽」
静電気のようなものが全身からぱちぱち放ちながら、しかし纏う炎を殺芽へ食わせるように柾は殺芽の体を正面から圧倒していく。確かな手応えと衝撃があった。
「こんな事、終わりにする。終わらせてみせる!」
繰り出された糸を寸前のところでかわした、ほのか。
「あなたは私と少し似てますね。私もお父ちゃんの背中を追って、やっとここまで来れたから。でもだからといって……あなたの暴虐を認める訳にはいかない」
少女の叫びに、彼女の立つ地が震えた。
一見ふつうの少女であるほのかだが、その心は何度でも立ち上がる頑固さと強固さを秘めているのだろう。故に雄々しく世界を取り巻く地は、彼女へ力を貸すことを認めている。
「覚悟!!」
ほのかの意思は魂を揺らす。
巨大な殺芽からしてみれば、苦無という……針ほどにも小さな武器が、何故だか約束された勝利の剣のように畏怖めいて見えていた。恐怖に引くものには常に敗北が付きまとうのも必至。
前へ出たほのかの体が質量ありきの残像を生み出しながら、殺芽の体を掻っ切った。ほのかの軌跡には、銀色の軌跡が余韻を残して消えていく。
「聞け殺芽! 母の愛に飢えて狂うた憐れな娘よ!
儂は炎帝、木暮坂夜司。
ぬしに引導を渡しにきた!」
夜司は一層、恨みか、そういう黒い炎を吹き出しながら少年の体で構えた。
数多の人間を操り。
数多の人を殺し。
数多の悲しみを作った継美の、最悪の置き土産である殺芽を。
その、大蜘蛛たちの呪われた糸を断つために。
何よりもその運命に、翻弄された夜司と、
「サヨナラだ」
誘輔は同時に放つ。
運命とも宿命とも呼べる、たった数秒にも満たぬ時を目に焼き付けろ。
『いや』
二重螺旋、雨のように降り注ぐ誘輔の暴君と、夜司の魂を犠牲に生み出した炎は、
『やめてぇぇ』
よくよく研がれた一振りの日本刀のように精度を増しながら、
『た、たすけっ、あやかさまっ』
殺芽という極まった人間の敵を、打ち砕く。
介錯を、しましょうか。
こつ、こつ、と靴を鳴らし、負傷した腕を支えながら奈那美は殺芽の目の前に立った。
千切れていく鎖。巨大な体を再構成して、奈那美と同じくらいの背丈の少女が完成した。見上げたぐるぐる螺旋描く瞳が、漆黒の闇色の奈那美の瞳を重なる。
『た、たすけっ、も、もう悪い事はしないわ!!』
「その手は、もう喰いませんから」
殺芽は唇を噛んだ。くそ、くそ……と遂には噛み千切る程に瞳が揺れ、困惑、蜘蛛は罪に吼える。もう、指一本さえ動かすことができないのだ。
奈那美には殺芽が尊ぶような母はいなかった。代わりに、兄がいた。だから寂しくなんか無かった。
しかし、殺芽は。
「可哀想に。誰にも愛してもらえなかったのですね」
『わ、わたっ、わたしはっ』
ここは処刑台の上。
それは殺芽が一番よく分かっていた事だろう。奈那美の背後には控えるように断糸の武具武器たちが控えている。
これで不気味な晩餐も終わり。
――――少女は罰を下す。
「さようなら、そしておやすみなさい殺芽。どうか良き夢を」
奈那美の声に、殺芽は嫌だと吼えた。
しかし、冬佳が構えた。その身から噴き出す力を、刀という出力機に込み入れるように。
「相容れざる在り方のまま交われば、何れかが排除されるは必定です」
かつて、この世界を守っていたAAAが。彼女の父や、その仲間たちという尊い犠牲を払ってでも継美を討った気持ちは、今、よくわかるのだ。
この蜘蛛、壊れた蜘蛛は。生かしてはいけない。
血と肉で、楽しいと笑いながら人形のように弄ぶ化け物を生かすわけにはいかない。
「継美の娘、殺芽。恨むならば恨みなさい。人は人が生きる為に――貴女を討つ」
解放した力は周囲全ての水気を取り込み高圧縮圧縮圧縮圧縮され、彼女の刀の刃を強固な氷の刃で固定、そして。
螺旋ように風が舞い上がる。
『人間めえぇえええ!!』
冬佳が一歩、駆けだす。弾丸のように、殺芽の目前へ。
『赦さぬ許さぬ……!!』
しかし終わる一歩手前、殺芽は解放感のような幸福感に満たされていた。
『もし次があるのならそのときは――!!』
冬佳の斬撃が、女の頭から足先まで微塵に切り伏せ、その恐ろしい威力に地面が割れ周囲のビルの窓ガラスが全て吹き飛んでいく。
もし、次があるなら。
その先の答えが聞けなかったが。
頭を下げた奈那美は。その時は、友達になりましょう? と瞳を閉じ、ヤマトの鎮魂歌が響き渡る。
タヱ子は首をあげた。
「薬売り」
『お約束の品を受け取りに参りましたが』
「次は……厄病神の身体が対価ですか?」
『……いえいえ。
それも欲しいですが、その前に、貴方達とは決裂しそうですが』
コツ、と靴を鳴らし、咳払いをして間を置いた成がいた。表情はにこやかでも、無表情でも無く。
「どういう意味ですかな。それは。しかし、薬売り」
静かに成は、異変を指差した。
「『右腕』はどこへ落としましたかね?」
そう。
薬売りの片腕が消え、血が激しく零れて地を濡らしていたのだ。
『いやはや、とんだ好奇心をお持ちのお三方にしてやられまして』
思い出してみて。
殺芽と、厄病神の噂が流れたとき。
あともうひとつ、噂があったことを。
●『死者が蘇る薬』――第1幕
ちりん、鈴が鳴り。
数多は言う。
「都市伝説の噂のひとつ。死者が蘇る薬。そんなの本当にあるのかしら? ねえ――」
――薬売り?
『おや……これはこれは』
薬売りは一礼してから、その場を去るように背を向けた。
しかし、ジャックが口開く言葉に足を止める。
「ある意味神への反逆ってところかな」
振り向く薬売り。其処には、千陽と数多が立つ。
「死者が蘇るというのはどういった意味で?」
薬売りの顔は隠れていて見えないが、鋭い瞳が三人を順番に見比べていた事だろう。
『他にお気づきの点は?』
「人が腹が減ったから飯を食うくらい当たり前に薬を作り、必要なやつに渡していく。それなら全てを解決するには死を治せる薬と踏んだか」
「人から死がなくなる、病気も意味がなくなる。死者がいなくなるって薬使いにとっては究極の形よね」
「その薬は一度失われた魂を肉体に戻す魂と体をつなぎ直すものなのか。それとも死者がただ動くだけなのか。後者であればそれは本当に蘇ったとあなたは言うのですか?」
『以前、こう話したことがありますが。
貴方達にとっても悪い話では無いものを作っている。しかし、もしかしたらこの薬売りは敵になるかもしれない――と』
「あの三つの都市伝説はあなた流布したものですか? 究極の薬を完成させるための撒き餌として」
『黙秘権は』
薬売りは両手をあげながら言うのだが。
「肯定と解釈いたします」
千陽ははっきりと言った。反論はない。ジャックが連れていたシロが、犬歯をむき出しにして威嚇を始める。
薬売りの手に数多の手が絡んだ。
少しでも薬売りをこの場に留める為。動かさない為に。
されど……捕まったのは、もしかしたら薬売りではなく、数多の方であるのかもしれない。
『どうにも。聡い子は、苦手ですね』
「ときちっ――」
何かを察したジャックは千陽の腕を強引に引いた。
背中に隠すように庇った瞬間、ぶぉん、と振られたものにより、極小の爆発を起こしたようにジャックの上半身が腰から千切れて中空を回転。ジャックの血と肉が千陽の顔を染め、僅かに開いていた千陽の口のその奥は、濃い鉄の味と香りに満たされるそのときに、視界に入ったのは。
頭のてっぺんから足先まで真っ白の女性――『血雨』の形をしたものが八尺のようなものを振り抜いていた。
気配はまるで無かった。故に視認するまで見えなかった。控えていたシロでさえ、わからなかった。
数多が手を離そうとしたが、しかし、手が離れない。強い力で動かされないというよりは、粘着質のようなものでくっついているようだ。
「殺芽の糸で何か作ったわね!!」
『はは。
ああ、遅れましたが解答です。
魂と身を繋ぎ直すものか、それとも死者が動くだけか、残念ながら研究中の身で未完成ですので、解答は控えたい。まあ、番犬を欲しがってみただけですが。
ここまで暴露されては隠す事もありませんがね』
嘲り笑う。
それで。
薬売りの細長い指が数多の頬を撫でる。
『よく、できているでしょう? ご安心を、貴方方三人も蘇らせれば死などただの経過に過ぎませんから。安心して無事死んでください』
「命は、貴方の実験動物や人形じゃないわ!!」
数多と繋がる薬売りの手、その袖から血塗れた腕が伸びて、数多の腕から肩へと絡んでいく。
数多は空いている手で刀を握り、薬売りの腕ごと斬り離脱。腕が消えても冷静な薬売りは、袖から試験管のようなものを落とした瞬間、それが数多の足下で気化した。
千陽の足下はジャックの血で水たまりができ始めていたが、この時ジャックは己の命より遥かに友人の命を重んじた。命数で自分の体を修復しつつ、水行である彼の技術だからできたこと、血が一人でに地面を駆け走り魔方陣を描き、飛び出す氷柱が血雨を射抜き、血雨の身体が後退した隙に、千陽はジャックの身体を抱えて走った。
「大神!!」
千陽は名を呼び、シロが吼えながら薬売りの手首へとかみついた。数多の身体が謎の煙にふらりと倒れ、千陽はもう片方の腕で彼女を抱え、走る。
振り返らなかった。
しかし気配で分かる。
血雨が追走してきている。
恐らく八尺を振り上げているのだろう、千陽を飲み込むような影のシルエットがそれだ。
ぱち、と瞳を開けた数多。眠りからの回復が早かった。即、視界に入ったのはボタボタボタと血を流しながら動かないジャックと、振り上げられた八尺と、離脱の為にかける千陽。
千陽の腕から離れた数多は刃を下から上へと振り上げた。
八尺は上から下へと振り落とした。
血雨の腕に食い込んだ数多の刃。歯が鳴る程振り切った刀は、だがまだ足りない。厄災クラスの化け物の相手の力だ。
その時、千陽が数多より少し上、空中で身体を斜めに捩じって跳躍していた。長い片足が数多の刃を押すように蹴り、振り切り、血雨の腕を切り伏せ、八尺が隣ビルの窓ガラスを突き破って飛んでいく。血雨は八尺と薬売りと数多たちを見比べてから、八尺のほうにのそのそと歩いていく。
「薬売りの目的は解りました。殺芽の死体を渡してはいけません」
しかし、その時。
天上の赤色景色が晴れ、どこかで鎮魂歌が響いていた。
「――が、手遅れだったかもしれません」
「ああ、もう!! それなら、薬売りが行動する前に、『次』で先手を打つわ!!」
FiVEが誇る夢見へ通達。
何が何でも薬売りを見つけ出せ――――。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
軽傷
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
