咎人たちの物語
●
うっかり猫の頭なんか、撫でるべきじゃなかった。
「だ、駄目だよ! ついて来ちゃあ」
白い猫が、にゃあにゃあ鳴きながら僕の足元にまとわりつこうとする。
「駄目だったら! うちじゃ動物は飼えないんだ。ママが……」
ママが動物嫌い、というわけじゃない。ママは、むしろ猫も犬も大好きだ。
だけど僕は知ってる。ママはいつも一生懸命お仕事して、お金を稼いでる。
毎日のご飯とか、お家賃だけで精一杯だ。
僕は、すたすたと足を早めた。
猫は、ついて来る。僕の足元に、追いすがって来る。
「駄目だったら!」
蹴飛ばす、べきなのかも知れない。パパがいつも、僕にそうしているように。
この猫も、家までついて来たら、きっとパパに殺される。
僕は、全力で走り出すしかなかった。
●
父親の役割とは何か。
妻を、子供を、正しく導いてやる事である。このようにだ。
「てめえ調子に乗ってんじゃねえぞ! ちっと自分が稼いでるからってよぉお!」
泣きわめく美佐子の顔面に、俺はひたすら拳を叩きつけた。
俺が会社を辞め、この女が働くようになった。
だから、どうだと言うのだ。金の稼ぎで人間の価値が決まるわけでもあるまい。
なのにこの女は、あからさまに俺を見下している。
それは人間として、非常に間違った事である。
だから俺は拳を振るわなければならない。妻の教育は、夫の役目であるからだ。
「パパ! やめて!」
裕人が帰って来た。
ただいま帰りました、お父様。そう言えと教えてあるのに言わず、無礼にも俺の眼前に飛び込んで来る。まるで美佐子を庇うようにだ。
「殴るなら、僕を……」
言わせず俺は、裕人の顔面に蹴りを入れた。
吹っ飛んだ裕人の傍らに、白い、小さなものが着地した。
猫だった。
「だ……駄目だってば、来ちゃあ……」
大量の鼻血を流しながら、裕人がそんな事を言っている。
勝手に動物など連れて来る。もう殺すしかない、と俺は思った。
「……その通り。ここで君に殺されるのが、この子の本来の運命よ」
白い猫が、言葉を発した。
「だが私は……ふふっ。君はせいぜい黒縄地獄で済むだろうが、私はいよいよ無間地獄かな」
俺の全身が、炎に包まれた。皮膚が、肉が、はらわたが焼けてゆく。
生きたまま焼死体と化しつつある俺を、美佐子と裕人が呆然と見つめている。夫を、父親を、助けようともしない。やはり教育が足りていないのだ。
「心配はいらない、私の炎は君だけを焼く。ここが火事になる事はないよ」
先程まで白い猫だったものが、そこに立っていた。
白い服を着た若い男、のようだが、もはやよく見えない。俺の眼球も焼けただれている。声は、まだ聞こえる。
「私は火車。予定を変更して、君を連れて行く事にしよう。何、わかりはしないさ」
●
「わかりはしない、とでも思ったのか阿呆が!」
牛頭の巨大な拳が、火車の細身を前屈みにへし曲げた。
倒れ込んで血を吐く火車を、馬頭が見下ろし睨む。
「……今度ばかりは庇いきれんぞ。己が何をしでかしたのか、貴様の頭でもわからぬわけではあるまいが」
「子供だからとて安易な同情をしおってからに」
牛頭が言う。
「あの子供はな、あのまま殺されておれば地蔵菩薩の救済を得て浄土へと旅立つ事が出来たのだ。一方、貴様が殺してしまった男はな、放っておいても何十年か後には地獄行きよ。何の意味もない事をやらかしたのだよ、貴様という大たわけ者は!」
「長らく地獄で働いていると……そんな考え方を、するようになってしまうのかな……」
火車が、苦しげに微笑んだ。
「あの子供も、人の世で生き続けていれば……最終的には、父親よりも救い難い人間に成長してしまう恐れはあるさ。だからと言って、早めに死んで極楽往生する事が幸せだなどと……」
火車の吐いた血が、めらめらと燃え上がった。
「なあ牛頭に馬頭よ、君たちは賽の河原を見て何も思わないのか? 確かに昔と比べて随分と、地蔵菩薩の救済が行き渡るようにはなったけれど……やはり、子供が死ぬのは良くないよ……」
「……貴様は生者の世に出入りする機会が、我らと比べて格段に多い。生きた人間たちに、要らぬ思い入れをするようになってしまったようだな」
馬頭が言った。
「ここで死ね。死者として、閻魔王の裁きを受けるがいい。もはや叫喚地獄の体験などという生温い処罰では済まんぞ」
牛頭が、空を見上げた。
「……馬頭よ、気付いているか?」
「うむ、見られている。あの夢見という者たちか」
馬頭も見上げ、言った。
「おぬしらには助けられた事もあるから、あまり言いたくはないのだがなあ夢見たち。それに覚者たちよ……おぬしらもまた、死すべき定めの人間を救い過ぎた。閻魔王がな、いささか難しい顔をしておられるのだよ」
うっかり猫の頭なんか、撫でるべきじゃなかった。
「だ、駄目だよ! ついて来ちゃあ」
白い猫が、にゃあにゃあ鳴きながら僕の足元にまとわりつこうとする。
「駄目だったら! うちじゃ動物は飼えないんだ。ママが……」
ママが動物嫌い、というわけじゃない。ママは、むしろ猫も犬も大好きだ。
だけど僕は知ってる。ママはいつも一生懸命お仕事して、お金を稼いでる。
毎日のご飯とか、お家賃だけで精一杯だ。
僕は、すたすたと足を早めた。
猫は、ついて来る。僕の足元に、追いすがって来る。
「駄目だったら!」
蹴飛ばす、べきなのかも知れない。パパがいつも、僕にそうしているように。
この猫も、家までついて来たら、きっとパパに殺される。
僕は、全力で走り出すしかなかった。
●
父親の役割とは何か。
妻を、子供を、正しく導いてやる事である。このようにだ。
「てめえ調子に乗ってんじゃねえぞ! ちっと自分が稼いでるからってよぉお!」
泣きわめく美佐子の顔面に、俺はひたすら拳を叩きつけた。
俺が会社を辞め、この女が働くようになった。
だから、どうだと言うのだ。金の稼ぎで人間の価値が決まるわけでもあるまい。
なのにこの女は、あからさまに俺を見下している。
それは人間として、非常に間違った事である。
だから俺は拳を振るわなければならない。妻の教育は、夫の役目であるからだ。
「パパ! やめて!」
裕人が帰って来た。
ただいま帰りました、お父様。そう言えと教えてあるのに言わず、無礼にも俺の眼前に飛び込んで来る。まるで美佐子を庇うようにだ。
「殴るなら、僕を……」
言わせず俺は、裕人の顔面に蹴りを入れた。
吹っ飛んだ裕人の傍らに、白い、小さなものが着地した。
猫だった。
「だ……駄目だってば、来ちゃあ……」
大量の鼻血を流しながら、裕人がそんな事を言っている。
勝手に動物など連れて来る。もう殺すしかない、と俺は思った。
「……その通り。ここで君に殺されるのが、この子の本来の運命よ」
白い猫が、言葉を発した。
「だが私は……ふふっ。君はせいぜい黒縄地獄で済むだろうが、私はいよいよ無間地獄かな」
俺の全身が、炎に包まれた。皮膚が、肉が、はらわたが焼けてゆく。
生きたまま焼死体と化しつつある俺を、美佐子と裕人が呆然と見つめている。夫を、父親を、助けようともしない。やはり教育が足りていないのだ。
「心配はいらない、私の炎は君だけを焼く。ここが火事になる事はないよ」
先程まで白い猫だったものが、そこに立っていた。
白い服を着た若い男、のようだが、もはやよく見えない。俺の眼球も焼けただれている。声は、まだ聞こえる。
「私は火車。予定を変更して、君を連れて行く事にしよう。何、わかりはしないさ」
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「わかりはしない、とでも思ったのか阿呆が!」
牛頭の巨大な拳が、火車の細身を前屈みにへし曲げた。
倒れ込んで血を吐く火車を、馬頭が見下ろし睨む。
「……今度ばかりは庇いきれんぞ。己が何をしでかしたのか、貴様の頭でもわからぬわけではあるまいが」
「子供だからとて安易な同情をしおってからに」
牛頭が言う。
「あの子供はな、あのまま殺されておれば地蔵菩薩の救済を得て浄土へと旅立つ事が出来たのだ。一方、貴様が殺してしまった男はな、放っておいても何十年か後には地獄行きよ。何の意味もない事をやらかしたのだよ、貴様という大たわけ者は!」
「長らく地獄で働いていると……そんな考え方を、するようになってしまうのかな……」
火車が、苦しげに微笑んだ。
「あの子供も、人の世で生き続けていれば……最終的には、父親よりも救い難い人間に成長してしまう恐れはあるさ。だからと言って、早めに死んで極楽往生する事が幸せだなどと……」
火車の吐いた血が、めらめらと燃え上がった。
「なあ牛頭に馬頭よ、君たちは賽の河原を見て何も思わないのか? 確かに昔と比べて随分と、地蔵菩薩の救済が行き渡るようにはなったけれど……やはり、子供が死ぬのは良くないよ……」
「……貴様は生者の世に出入りする機会が、我らと比べて格段に多い。生きた人間たちに、要らぬ思い入れをするようになってしまったようだな」
馬頭が言った。
「ここで死ね。死者として、閻魔王の裁きを受けるがいい。もはや叫喚地獄の体験などという生温い処罰では済まんぞ」
牛頭が、空を見上げた。
「……馬頭よ、気付いているか?」
「うむ、見られている。あの夢見という者たちか」
馬頭も見上げ、言った。
「おぬしらには助けられた事もあるから、あまり言いたくはないのだがなあ夢見たち。それに覚者たちよ……おぬしらもまた、死すべき定めの人間を救い過ぎた。閻魔王がな、いささか難しい顔をしておられるのだよ」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.古妖・火車の救出
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
閻魔大王の使いである火車が、本来死ぬべき運命であった子供ではなく、その父親を殺してしまったため、同僚である古妖・牛頭と馬頭による制裁を受けております。
火車に幾らかでも情状酌量の余地がある、とお思いの方おられましたら、助けてあげて下さい。
場所は人気のない空き地で、時間帯は夜。
牛頭馬頭の引き連れて来た鬼火が周囲で燃え盛っておりますので、視界は良好です。
古妖・牛頭と馬頭は、黒いスーツを着た大男の姿をしております。片方は角が生えており、片方は馬面です。
両名の足元で火車が死にかけており、あと一撃でも食らえば死ぬ、というところへ皆様に突入していただきます。
牛頭馬頭(共に前衛)の攻撃手段は格闘戦ですが、これには物理的怪力によるもの(物近単)と、地獄の気を手足にまとったもの(特近単)の2種類があります。
両名とも、普通に戦って体力がゼロになれば退却しますが、覚者の皆様の説得・火車に対する弁護の展開次第では、途中で見逃して引き下がってくれるかも知れません。
死にかけの火車に回復を施してあげる事は可能ですが、彼は制裁を受け入れる気でいますから牛頭馬頭に反撃はしません。戦力として参加させる事は出来ませんのでご注意を。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2018年05月02日
2018年05月02日
■メイン参加者 6人■

●
「未来ある子供を見殺しにするなど……決して正義ではない、と僕は思います」
自身に『蔵王』を施し、土行の護りをまといながら、『願いの花』田中倖(CL2001407)が言葉をかけた。
「もちろん、正義のためなら人殺しも許されると言いたいわけではありません。火車さんの罪を1つ数えるとしたら、子供のお父さんを殺してしまった事でしょう。その罰として、ここで貴方たちに命を奪われてしまう、というのは……やはり、違うのではないでしょうか」
「ふむ。違うならば、どうする覚者たち」
馬頭が言った。
「違う違うと言い立てておれば、相手が必ず引き下がってくれる。人の世が、そのように平和であれば……地獄へ落ちて来る者も今少し、減るのであろうがな」
「へ、減る……地獄だけに」
「工藤君は、空気を読もうとして大失敗するタイプかな」
世迷い言を吐く『ジャンガリアンマスター』工藤奏空(CL2000955)に、『秘心伝心』鈴白秋人(CL2000565)がやんわりと突っ込んだ。
「それはともかく俺も、火車が悪い事をしたとは思わない。だから助ける方へ回るよ」
「……つまり、我々と戦うのだな」
牛頭が、牙を剥く。
「こやつを助けるために、我らと戦うのだな覚者たち」
「やめろ……やめてくれ……」
牛頭の足元に横たわった火車が、言葉と共に血を吐いた。
「私は……懲罰を、受けているだけだ……君たちが、介入する事ではない……」
「火車さん、ですね。男の子を助けて下さって、本当にありがとうございます」
上月里桜(CL2001274)が、しとやかに一礼する。
「そのお礼ではありませんけれど、あなたを助けます。私たちが、やらなければならない事ですから」
言葉と共に、里桜の瞳が白銀色に発光する。前世の『誰か』との同調であった。
「要救助者に、救助を拒む権利はないって事さね」
言いつつ『冷徹の論理』緒形逝(CL2000156)が、ゆらりと前に出る。
「駄目だ……来てはいけない……」
火車が、弱々しい声を発している。
「牛頭と、馬頭だぞ……私や、あの獄卒たちとは……違うのだぞ……」
「わかるよ、俺だって恐い。このお二方と戦うなんて、考えた事なかったもんね」
奏空が言い、牛頭馬頭と対峙した。
「あの……どうか、火車を見逃してあげて下さい。死ぬべき運命の男の子が、助かってしまった。それは地獄の方々にしてみれば確かに許し難いでしょうけど、でも!」
「……もうやめておけ」
ようやく『歪を見る眼』葦原赤貴(CL2001019)は、言葉を発した。
「こいつらが言い伝えに聞く牛頭馬頭であるならば、筋金入りの地獄の番人だ。人間の説得など、聞き入れてくれるわけがない」
脳裏に一瞬、甲冑をまとう騎士の姿が見えた。
何者であるのかは、わからない。まあ、いつもの事だ。
とにかく赤貴の両眼は、真紅に輝き燃え上がっていた。錬覇法・改。
「地獄へ叩き返してやるぞ、馬と鹿……いや、牛か。まあ大して違いはあるまい」
「よく言った、小僧……!」
牛頭と馬頭。2つの巨体が、猛然と迫って来る。
「八大地獄を、今この場で味わえ!」
「そうはさせない……!」
奏空が前衛に立ち、抜刀した。『十六夜』の斬撃が、牛頭と馬頭を連続で薙ぎ払う。
血飛沫を散らせ、よろめいた牛頭が、踏みとどまり踏み込んで拳を振るう。
ハンマーを振り回すような左フックが、奏空の細身をグシャリと吹っ飛ばした。
「工藤さん!」
叫ぶ倖に、馬頭が迫る。
鉄塊のような蹄が、禍々しく燃え盛りながら跳ね上がる。地獄の『気』をまとう蹴り。
その一撃が、土行の護りを帯びた倖の身体をへし曲げた。
血を吐きながら倒れ、のたうち回る倖に、火車が弱々しく声をかける。
「言わぬ事ではない……もう、やめておくのだな。私ごとき助けたところで善行の足しにはならん。極楽へ往けるわけではないのだぞ……見捨てたところで罪業にもならん。地獄へ落ちる、わけでもない……」
「俺たちは……死んだ後で、天国や地獄へ行くために……生きてるわけじゃあ、ないんだよ……」
吹っ飛んで地面に激突した奏空が、血まみれのまま、よろよろと立ち上がる。
「ただ、出来る事をする……生きてる限り、俺たちは……それだけ、さ。死んだ後の事なんて考えちゃいないよ」
重傷者3名の身体に、水行の癒しが降り注ぎ染み込んでゆく。
「極楽往生か地獄行きかは、閻魔様が俺たちの生き方を見て判断してくれればいい」
言葉と共に秋人が、潤しの雨を降らせていた。
「俺たちは、そのために生きてるわけじゃないからね」
「ま、おっさんはもう地獄行き確定してるから好きなようにやらせてもらうぞう」
逝が、火車の身体をさらって担ぎ上げ、そそくさと戦線を離脱して行く。
「うぬっ、待て貴様ら……」
牛頭が、追おうとする。
その時には、赤貴は魔剣・沙門叢雲を地面に突き刺していた。
大量の土が、噴出した。
土行の力が大地を砕いて現れ、幾本もの剣の形を成し、一斉に投射される。
「地獄の番人どもに、1つ訊いておこうか」
魔剣の雨で牛頭馬頭を滅多刺しにしながら、赤貴は言った。
「死すべき定めとは何だ。一体、誰がそんなものを決めている? そいつに言わせれば、オレたち覚者は人を救い過ぎているから許せん、という事らしいな。ならば妖や隔者どもによる殺戮はどうなる。殺される人々に、死すべき定めであるから諦めろとキサマらは言うのか」
赤貴の両眼が、紅蓮の輝きを灯す。
「……そういう世の中を、地獄と呼ぶのだ。2つも要らん。キサマらの職場の方を滅ぼしてやるから、今すぐオレを地獄へ落として見せろ」
●
激怒する赤貴の肩に、里桜がそっと片手を置く。
「牛頭さんも馬頭さんも……不幸な男の子が、あのままなら極楽へ行けたのにと心配して下さったのですね」
土行の護り・蒼鋼壁を自身に施しながら、彼女は言った。
「ありがとうございます……でも、それでも、子供は生きて育って大人にならなければいけないと思います。地獄へ落ちるような大人になってしまうかも知れない、にしてもです」
「……それは惨い事であると、貴様たちは思わんのか」
全身に突き刺さった魔剣を、引き抜いて捨てながら、牛頭と馬頭は言った。
「極楽往生の好機を捨て去り、人の世の穢れに染まってゆく……地獄へ落ちて来るのは、そういう者どもばかりだ。うんざりしているのだよ、我々は」
「……お前さんも、うんざりしてるのかね?」
少し離れた所で、火車の全身を『土蜘蛛の糸』でぐるぐる巻きに拘束しながら、逝は言った。
「見ててうんざりするような人間しか落ちて行かないのが、まあ地獄なんだろうけど。おっさんもね、そのうち行くよー」
「な、何故、私を縛り上げる……」
「お前さんにはねえ、何やら自殺願望みたいなもんが見えるのよ。だから大人しくしててもらうぞう」
「自殺願望……か。確かに私は、あのまま牛頭馬頭に殺されてしまうべきだったのだ」
「駄目よ猫ちゃん。お前さんは、生きないと」
強盗のようなフルフェイスヘルメットの内側で、逝は微笑んだ。
「死んで天国へ行けたはずの子供を、生かしちゃったんだろう? 結果どうなるか見届けないと。もしかしたら、とんでもない隔者にでもなって人を殺しまくるかも知れない。どうなるにせよ、お前さんの責任よ」
「……子供を生かした、だけではない。死ぬ定めではなかった人間を1人、私は」
「ああ、それは気にしなくていいと思う。何か足せば、何か引かれるもんさな」
逝は、直刀・悪食を抜き構えた。
「どっかしらで等価交換が起こってプラマイゼロになる。それは、この世も地獄も変わらんのじゃないかね」
等価交換、と呼べるものであるかはともかく奏空が、地獄の番人2名に十六夜の猛撃を叩き込み、返礼の拳を牛頭から喰らったところである。隕石のような右拳が、燃え盛る地獄の気を帯びたまま奏空を直撃する。
その衝撃が、跳ね返った。奏空と牛頭、双方が吹っ飛んでいた。
倖の『紫鋼塞』が、いつの間にか奏空をがっちりと防護している。
「あれ、いいなあ……ようし、おっさんも掛けてもらうぞう」
縛り上げた火車をその場に残して、逝は駆け出し斬りかかった。
馬頭の蹄が、倖の身体を蹴り転がしている。
逝は、直刀・悪食を叩き付けていった。斬撃と呼べるほど綺麗な動きにはならない。
それでも命中した。妖刀ノ楔。呪いをまとう刃が、馬頭の巨体を殴り飛ばす。
蹄から解放された倖が、しかし立ち上がれずに苦痛の呻きを漏らす。逝は言葉をかけた。
「田中ちゃん田中ちゃん、おっさんにも紫鋼塞頼むわよ。おおい田中ちゃん、生きてる? もしもーし」
「……アンタの斬撃フォームは相変わらずひどいな、おっさん」
言いつつ赤貴が地烈を繰り出し、牛頭馬頭をまとめて切り刻みにかかる。
「まるで鍬を振るう百姓だ」
「お百姓さんを馬鹿にしちゃあ駄目だぞう」
「……そうだな。すまない、田中さん」
「ぼ……僕は、お百姓……ではありませんよ。確かに、花壇や農園をお手入れしたりはしますけど……」
里桜に支えられて、倖がようやく立ち上がる。
「……僕は、五麟学園の事務員です」
「クレーム対応までしてくれる、得難い人材だ。大切にしないとね」
そんな事を言いながら秋人が弓を引き、空に向かって水行術式を放つ。
潤しの雨が降り注ぎ、倖を、奏空を、治療している間。
赤貴の斬撃に圧されていた牛頭と馬頭が、猛然と体勢を立て直し、踏み込んで来る。
「……さすが、やるようだな。だが我らとて、子供の使いで来ておるわけではない」
「閻魔王の使いよ。果たさねば、地獄へ帰れぬ……!」
迫り来る両名を阻むように、何枚もの符が宙を舞った。
「その閻魔大王に、どうかお伝え下さい」
里桜の、結界符・癒。
覚者6名を取り巻いて蝶の如く舞う術符たちが、癒しの力を鱗粉のように降らせている。
「人々の生死が、神仏の思し召しによって定められたものであるのなら……私たちはこれからも、それに背き続けるでしょう」
「ですが、こうも思いませんか」
覚者2名による立て続けの術式治療を得た奏空が、鱗粉のような光をキラキラとまといながら立ち上がる。
「死ぬはずだった男の子を、火車が助けてしまった。それもまた、御仏の定められた運命だと。本当に書き換えの出来ない天命なら、そもそも火車が、夢見が、覚者が、俺たち人間なんかが介入するのは不可能だと思うんです! 介入出来てしまうという事は、それも含めて天の計らい……思し召しなんじゃないかな」
「小賢しい屁理屈を……!」
牛頭が激昂しかける。
倖が、キラキラと癒しの光に包まれながら立ち上がる。
「屁理屈でも何でも、言わせていただきますよ……ああ緒形さん、紫鋼塞でしたね。どうぞ」
土行の護りが、逝を包み込む。
それを確認しつつ、倖は語る。
「僕は小学生の頃、塾をサボって友達と遊びに行った事があります。親子喧嘩で、母親を口汚く罵って傷付けた事もあります。あの瞬間に死んでいたら、地獄に落ちていたでしょうね。今死んでも落ちるかも知れませんが、あの頃よりはましな人間になっているつもりです。どうせ地獄へ堕ちるのならば意味はない、と地獄の方々はお考えですか?」
獣憑のロップイヤーが、風もないのに揺らめいている、ように見えた。
「人は、生きている限り変わる事が出来るのですよ。特に、子供の可能性は無限です。貴方たちは、それすらも否定するのですか? まさか、とは思いますが……生まれた瞬間、汚れのない赤ちゃんのうちに浄土へ召されるのが、人にとって幸せであるとでも」
「生まれた瞬間、浄土へ……か」
牛頭が、馬頭が、低く重い声を発した。
「それも、悪くはなかろう……殺生、姦淫、偸盗、いかなる罪にも染まっておらぬ赤児のうちに極楽往生を遂げる」
「なあ人間たちよ。それに勝る幸福を、お前たちは見出しているのか? 罪業と穢れに満ちた、この現世の生に」
「……火車も最初、同じような事を言ってたよ」
奏空が言った。
「生きるより死ぬ方が幸せ、って考え方に……なっちゃう、のかな。地獄にいると」
「うんざりしている。そう言ってたね、君たちはさっき」
続いて、秋人が言葉を発する。
「あの獄卒たちと戦った時から、思っていたよ。君たちは、もしかしたら心を病んでいるんじゃないか? 地獄へ落ちて来る人間たちの、罪穢れに当てられて」
「地獄へ落ちるような連中を、何千年何万年と見続けてりゃね。そりゃあ心も病んでこようさ」
逝は、同情して見せた。
「大変なお仕事だろう、とは思うわよ。誉めてあげるから、このまま帰っておくれ」
「たわけが! 帰るにしても貴様を連れて行くわ!」
地獄の番人たちの闘志は、衰えない。
この戦いが、むしろストレス解消になっているのではないか、と逝は思わない事もなかった。
●
奏空の剣舞『不知火の舞』が、馬頭の巨体を鮮やかに切り裂いた。
血の池地獄そのものの血飛沫をぶちまけながら、馬頭はしかし猛々しく蹄を高速離陸させる。反撃の蹴りが、奏空を襲う。
一方、牛頭の拳は逝を直撃していた。
逝は殴り倒され、だが牛頭も吹っ飛んで倒れている。紫鋼塞が、衝撃を跳ね返したのだ。
「……こちとら、伊達に6人もいるわけじゃあないさね」
言いつつ逝が立ち上がり、気の流れを操って回復の波動を拡散させる。癒力大活性。
自分が回復を行う必要はない、と里桜は判断した。今は、それよりも攻撃だ。
馬頭が、蹴りの姿勢のまま硬直している。蹄が、奏空を直撃する寸前で止まっている。
「ぐっ……こ、これは……」
逝が叩き込んだ、妖刀ノ楔。その呪いの力が、馬頭の巨体を束縛していた。
今です、などと里桜が叫ぶ必要もなく、秋人が弓を引く。
光の矢が放たれ、馬頭に突き刺さる。
B.O.T.に貫かれ、よろめく馬頭に向かって、里桜は印を結んだ。
「葦原さん!」
「了解した……上月さんに合わせる」
里桜と赤貴。覚者2人分の力を宿した巨大な隆神槍が、地面から激しく生えて馬頭を直撃する。
高々と吹っ飛んだ馬頭に向かって、兎が跳ねた。里桜には、そう見えた。
倖の鋭刃脚が、空中で馬頭に叩き込まれる。
墜落した相棒を、牛頭が助け起こした。
「おい、馬頭……」
「心配は無用……これしきの、痛手……」
苦しげに闘志を振り絞ろうとする馬頭に向かって、里桜は1歩、踏み出した。
「危険だ、上月さん……」
「大丈夫、ありがとう」
赤貴に向かって微笑んだ後、里桜は、銀色に輝く瞳を地獄の番人たちに向けた。
「……ここまでに、しましょう。これ以上の戦いは無意味であると、牛頭さんも馬頭さんも本当はわかっておられるのではないですか?」
「命が惜しいのなら素直にそう言え。命乞いならば聞き入れてやる。火車を置いて立ち去るがいい」
「命なんて惜しいに決まっています!」
里桜はつい、怒り叫んでいた。
覚者たちが、息を呑んでいる。火車と牛頭馬頭もだ。
里桜は小さく、咳払いをした。
「……命の大切さを、地獄の方々に説明するのは難しいかも知れません。ただ、これだけは言えます。お2人とも本当は、火車さんの命を奪いたくはないのでしょう? こうして覚者が妨害に来るのを、あなたたちが待ち構えていたように私には見えました」
「本当に大切なものを、君たちは地獄の激務の中で見失っていたんじゃないかな。火車には見えている何かを、ね」
秋人が言う。
「見つめ直す、いい機会だと思うよ」
「……我らの見つめるものなど、いにしえも今も変わりはせんよ。人間どもの罪業だけだ」
「まあいい、ここは引き下がるとしよう。閻魔王の懲罰を、此度は火車ではなく我らが受ける。それも一興」
牛頭が、馬頭に肩を貸す。
そこへ赤貴が、言葉を投げた。
「これだけは言っておくぞ地獄の番人ども。オレにとってはキサマらも、火車に殺された男と同じだ。己の都合で、平然と子供の未来を奪う……そんな輩は、人間であろうと古妖であろうとオレの敵だ。覚えておけ」
「天の定めに抗いながら生きてゆけると本当に思うのならば小僧、まあ行けるところまで行くがいい」
「またな、覚者たち。それに火車よ、これで終わりと思ってはならんぞ」
牛頭馬頭の姿が、消え失せた。
残された火車の身体から、土蜘蛛の糸をほどきながら、逝が言う。
「と、いうわけで失業おめでとう地獄の猫ちゃん。お祝いに飲みに行こうか、ねえ鈴白先生」
「アルコールは駄目だよ緒形さん。思いきり殴られていたじゃないか。それより……火車は、これからどうするのかな?」
「……知らん。何も出来はせんよ」
火車が、力なく答える。
「私はここで、死ぬはずだったのだから……」
「生きて、やる事があるだろう火車」
奏空が言った。
「おっちゃんも言ってたけど、助けた男の子の事。あんたが責任持って、導かなきゃ」
「……そういう事に、なってしまうのかな」
一瞬、炎が巻き起こって消えた。
火車の姿も、消えていた。
1匹の白い猫が、そこにいて言葉を発している。
「君たちにも、いずれ借りは返す……ありがとう、とは言っておこう」
猫が、ぴょんと跳ね駆けて姿を消す。
抱き捕らえようとした倖の両手が、見事に空振りをした。
「上月さん、お疲れ様……ありがとう」
秋人が、声をかけてきた。
「説得の突破口を開いてくれて、本当に助かったよ」
「ふふ……鈴白先生なら、出来るんじゃないですか?」
里桜は微笑んだ。
「地獄の人たちに、命の大切さを教える事」
「どうかな。俺たち覚者が、まずはそれを本当に理解しているのかな」
秋人は言った。
逝は、赤貴と何やら話し込んでいる。
奏空は、落胆する倖を慰めていた。
「未来ある子供を見殺しにするなど……決して正義ではない、と僕は思います」
自身に『蔵王』を施し、土行の護りをまといながら、『願いの花』田中倖(CL2001407)が言葉をかけた。
「もちろん、正義のためなら人殺しも許されると言いたいわけではありません。火車さんの罪を1つ数えるとしたら、子供のお父さんを殺してしまった事でしょう。その罰として、ここで貴方たちに命を奪われてしまう、というのは……やはり、違うのではないでしょうか」
「ふむ。違うならば、どうする覚者たち」
馬頭が言った。
「違う違うと言い立てておれば、相手が必ず引き下がってくれる。人の世が、そのように平和であれば……地獄へ落ちて来る者も今少し、減るのであろうがな」
「へ、減る……地獄だけに」
「工藤君は、空気を読もうとして大失敗するタイプかな」
世迷い言を吐く『ジャンガリアンマスター』工藤奏空(CL2000955)に、『秘心伝心』鈴白秋人(CL2000565)がやんわりと突っ込んだ。
「それはともかく俺も、火車が悪い事をしたとは思わない。だから助ける方へ回るよ」
「……つまり、我々と戦うのだな」
牛頭が、牙を剥く。
「こやつを助けるために、我らと戦うのだな覚者たち」
「やめろ……やめてくれ……」
牛頭の足元に横たわった火車が、言葉と共に血を吐いた。
「私は……懲罰を、受けているだけだ……君たちが、介入する事ではない……」
「火車さん、ですね。男の子を助けて下さって、本当にありがとうございます」
上月里桜(CL2001274)が、しとやかに一礼する。
「そのお礼ではありませんけれど、あなたを助けます。私たちが、やらなければならない事ですから」
言葉と共に、里桜の瞳が白銀色に発光する。前世の『誰か』との同調であった。
「要救助者に、救助を拒む権利はないって事さね」
言いつつ『冷徹の論理』緒形逝(CL2000156)が、ゆらりと前に出る。
「駄目だ……来てはいけない……」
火車が、弱々しい声を発している。
「牛頭と、馬頭だぞ……私や、あの獄卒たちとは……違うのだぞ……」
「わかるよ、俺だって恐い。このお二方と戦うなんて、考えた事なかったもんね」
奏空が言い、牛頭馬頭と対峙した。
「あの……どうか、火車を見逃してあげて下さい。死ぬべき運命の男の子が、助かってしまった。それは地獄の方々にしてみれば確かに許し難いでしょうけど、でも!」
「……もうやめておけ」
ようやく『歪を見る眼』葦原赤貴(CL2001019)は、言葉を発した。
「こいつらが言い伝えに聞く牛頭馬頭であるならば、筋金入りの地獄の番人だ。人間の説得など、聞き入れてくれるわけがない」
脳裏に一瞬、甲冑をまとう騎士の姿が見えた。
何者であるのかは、わからない。まあ、いつもの事だ。
とにかく赤貴の両眼は、真紅に輝き燃え上がっていた。錬覇法・改。
「地獄へ叩き返してやるぞ、馬と鹿……いや、牛か。まあ大して違いはあるまい」
「よく言った、小僧……!」
牛頭と馬頭。2つの巨体が、猛然と迫って来る。
「八大地獄を、今この場で味わえ!」
「そうはさせない……!」
奏空が前衛に立ち、抜刀した。『十六夜』の斬撃が、牛頭と馬頭を連続で薙ぎ払う。
血飛沫を散らせ、よろめいた牛頭が、踏みとどまり踏み込んで拳を振るう。
ハンマーを振り回すような左フックが、奏空の細身をグシャリと吹っ飛ばした。
「工藤さん!」
叫ぶ倖に、馬頭が迫る。
鉄塊のような蹄が、禍々しく燃え盛りながら跳ね上がる。地獄の『気』をまとう蹴り。
その一撃が、土行の護りを帯びた倖の身体をへし曲げた。
血を吐きながら倒れ、のたうち回る倖に、火車が弱々しく声をかける。
「言わぬ事ではない……もう、やめておくのだな。私ごとき助けたところで善行の足しにはならん。極楽へ往けるわけではないのだぞ……見捨てたところで罪業にもならん。地獄へ落ちる、わけでもない……」
「俺たちは……死んだ後で、天国や地獄へ行くために……生きてるわけじゃあ、ないんだよ……」
吹っ飛んで地面に激突した奏空が、血まみれのまま、よろよろと立ち上がる。
「ただ、出来る事をする……生きてる限り、俺たちは……それだけ、さ。死んだ後の事なんて考えちゃいないよ」
重傷者3名の身体に、水行の癒しが降り注ぎ染み込んでゆく。
「極楽往生か地獄行きかは、閻魔様が俺たちの生き方を見て判断してくれればいい」
言葉と共に秋人が、潤しの雨を降らせていた。
「俺たちは、そのために生きてるわけじゃないからね」
「ま、おっさんはもう地獄行き確定してるから好きなようにやらせてもらうぞう」
逝が、火車の身体をさらって担ぎ上げ、そそくさと戦線を離脱して行く。
「うぬっ、待て貴様ら……」
牛頭が、追おうとする。
その時には、赤貴は魔剣・沙門叢雲を地面に突き刺していた。
大量の土が、噴出した。
土行の力が大地を砕いて現れ、幾本もの剣の形を成し、一斉に投射される。
「地獄の番人どもに、1つ訊いておこうか」
魔剣の雨で牛頭馬頭を滅多刺しにしながら、赤貴は言った。
「死すべき定めとは何だ。一体、誰がそんなものを決めている? そいつに言わせれば、オレたち覚者は人を救い過ぎているから許せん、という事らしいな。ならば妖や隔者どもによる殺戮はどうなる。殺される人々に、死すべき定めであるから諦めろとキサマらは言うのか」
赤貴の両眼が、紅蓮の輝きを灯す。
「……そういう世の中を、地獄と呼ぶのだ。2つも要らん。キサマらの職場の方を滅ぼしてやるから、今すぐオレを地獄へ落として見せろ」
●
激怒する赤貴の肩に、里桜がそっと片手を置く。
「牛頭さんも馬頭さんも……不幸な男の子が、あのままなら極楽へ行けたのにと心配して下さったのですね」
土行の護り・蒼鋼壁を自身に施しながら、彼女は言った。
「ありがとうございます……でも、それでも、子供は生きて育って大人にならなければいけないと思います。地獄へ落ちるような大人になってしまうかも知れない、にしてもです」
「……それは惨い事であると、貴様たちは思わんのか」
全身に突き刺さった魔剣を、引き抜いて捨てながら、牛頭と馬頭は言った。
「極楽往生の好機を捨て去り、人の世の穢れに染まってゆく……地獄へ落ちて来るのは、そういう者どもばかりだ。うんざりしているのだよ、我々は」
「……お前さんも、うんざりしてるのかね?」
少し離れた所で、火車の全身を『土蜘蛛の糸』でぐるぐる巻きに拘束しながら、逝は言った。
「見ててうんざりするような人間しか落ちて行かないのが、まあ地獄なんだろうけど。おっさんもね、そのうち行くよー」
「な、何故、私を縛り上げる……」
「お前さんにはねえ、何やら自殺願望みたいなもんが見えるのよ。だから大人しくしててもらうぞう」
「自殺願望……か。確かに私は、あのまま牛頭馬頭に殺されてしまうべきだったのだ」
「駄目よ猫ちゃん。お前さんは、生きないと」
強盗のようなフルフェイスヘルメットの内側で、逝は微笑んだ。
「死んで天国へ行けたはずの子供を、生かしちゃったんだろう? 結果どうなるか見届けないと。もしかしたら、とんでもない隔者にでもなって人を殺しまくるかも知れない。どうなるにせよ、お前さんの責任よ」
「……子供を生かした、だけではない。死ぬ定めではなかった人間を1人、私は」
「ああ、それは気にしなくていいと思う。何か足せば、何か引かれるもんさな」
逝は、直刀・悪食を抜き構えた。
「どっかしらで等価交換が起こってプラマイゼロになる。それは、この世も地獄も変わらんのじゃないかね」
等価交換、と呼べるものであるかはともかく奏空が、地獄の番人2名に十六夜の猛撃を叩き込み、返礼の拳を牛頭から喰らったところである。隕石のような右拳が、燃え盛る地獄の気を帯びたまま奏空を直撃する。
その衝撃が、跳ね返った。奏空と牛頭、双方が吹っ飛んでいた。
倖の『紫鋼塞』が、いつの間にか奏空をがっちりと防護している。
「あれ、いいなあ……ようし、おっさんも掛けてもらうぞう」
縛り上げた火車をその場に残して、逝は駆け出し斬りかかった。
馬頭の蹄が、倖の身体を蹴り転がしている。
逝は、直刀・悪食を叩き付けていった。斬撃と呼べるほど綺麗な動きにはならない。
それでも命中した。妖刀ノ楔。呪いをまとう刃が、馬頭の巨体を殴り飛ばす。
蹄から解放された倖が、しかし立ち上がれずに苦痛の呻きを漏らす。逝は言葉をかけた。
「田中ちゃん田中ちゃん、おっさんにも紫鋼塞頼むわよ。おおい田中ちゃん、生きてる? もしもーし」
「……アンタの斬撃フォームは相変わらずひどいな、おっさん」
言いつつ赤貴が地烈を繰り出し、牛頭馬頭をまとめて切り刻みにかかる。
「まるで鍬を振るう百姓だ」
「お百姓さんを馬鹿にしちゃあ駄目だぞう」
「……そうだな。すまない、田中さん」
「ぼ……僕は、お百姓……ではありませんよ。確かに、花壇や農園をお手入れしたりはしますけど……」
里桜に支えられて、倖がようやく立ち上がる。
「……僕は、五麟学園の事務員です」
「クレーム対応までしてくれる、得難い人材だ。大切にしないとね」
そんな事を言いながら秋人が弓を引き、空に向かって水行術式を放つ。
潤しの雨が降り注ぎ、倖を、奏空を、治療している間。
赤貴の斬撃に圧されていた牛頭と馬頭が、猛然と体勢を立て直し、踏み込んで来る。
「……さすが、やるようだな。だが我らとて、子供の使いで来ておるわけではない」
「閻魔王の使いよ。果たさねば、地獄へ帰れぬ……!」
迫り来る両名を阻むように、何枚もの符が宙を舞った。
「その閻魔大王に、どうかお伝え下さい」
里桜の、結界符・癒。
覚者6名を取り巻いて蝶の如く舞う術符たちが、癒しの力を鱗粉のように降らせている。
「人々の生死が、神仏の思し召しによって定められたものであるのなら……私たちはこれからも、それに背き続けるでしょう」
「ですが、こうも思いませんか」
覚者2名による立て続けの術式治療を得た奏空が、鱗粉のような光をキラキラとまといながら立ち上がる。
「死ぬはずだった男の子を、火車が助けてしまった。それもまた、御仏の定められた運命だと。本当に書き換えの出来ない天命なら、そもそも火車が、夢見が、覚者が、俺たち人間なんかが介入するのは不可能だと思うんです! 介入出来てしまうという事は、それも含めて天の計らい……思し召しなんじゃないかな」
「小賢しい屁理屈を……!」
牛頭が激昂しかける。
倖が、キラキラと癒しの光に包まれながら立ち上がる。
「屁理屈でも何でも、言わせていただきますよ……ああ緒形さん、紫鋼塞でしたね。どうぞ」
土行の護りが、逝を包み込む。
それを確認しつつ、倖は語る。
「僕は小学生の頃、塾をサボって友達と遊びに行った事があります。親子喧嘩で、母親を口汚く罵って傷付けた事もあります。あの瞬間に死んでいたら、地獄に落ちていたでしょうね。今死んでも落ちるかも知れませんが、あの頃よりはましな人間になっているつもりです。どうせ地獄へ堕ちるのならば意味はない、と地獄の方々はお考えですか?」
獣憑のロップイヤーが、風もないのに揺らめいている、ように見えた。
「人は、生きている限り変わる事が出来るのですよ。特に、子供の可能性は無限です。貴方たちは、それすらも否定するのですか? まさか、とは思いますが……生まれた瞬間、汚れのない赤ちゃんのうちに浄土へ召されるのが、人にとって幸せであるとでも」
「生まれた瞬間、浄土へ……か」
牛頭が、馬頭が、低く重い声を発した。
「それも、悪くはなかろう……殺生、姦淫、偸盗、いかなる罪にも染まっておらぬ赤児のうちに極楽往生を遂げる」
「なあ人間たちよ。それに勝る幸福を、お前たちは見出しているのか? 罪業と穢れに満ちた、この現世の生に」
「……火車も最初、同じような事を言ってたよ」
奏空が言った。
「生きるより死ぬ方が幸せ、って考え方に……なっちゃう、のかな。地獄にいると」
「うんざりしている。そう言ってたね、君たちはさっき」
続いて、秋人が言葉を発する。
「あの獄卒たちと戦った時から、思っていたよ。君たちは、もしかしたら心を病んでいるんじゃないか? 地獄へ落ちて来る人間たちの、罪穢れに当てられて」
「地獄へ落ちるような連中を、何千年何万年と見続けてりゃね。そりゃあ心も病んでこようさ」
逝は、同情して見せた。
「大変なお仕事だろう、とは思うわよ。誉めてあげるから、このまま帰っておくれ」
「たわけが! 帰るにしても貴様を連れて行くわ!」
地獄の番人たちの闘志は、衰えない。
この戦いが、むしろストレス解消になっているのではないか、と逝は思わない事もなかった。
●
奏空の剣舞『不知火の舞』が、馬頭の巨体を鮮やかに切り裂いた。
血の池地獄そのものの血飛沫をぶちまけながら、馬頭はしかし猛々しく蹄を高速離陸させる。反撃の蹴りが、奏空を襲う。
一方、牛頭の拳は逝を直撃していた。
逝は殴り倒され、だが牛頭も吹っ飛んで倒れている。紫鋼塞が、衝撃を跳ね返したのだ。
「……こちとら、伊達に6人もいるわけじゃあないさね」
言いつつ逝が立ち上がり、気の流れを操って回復の波動を拡散させる。癒力大活性。
自分が回復を行う必要はない、と里桜は判断した。今は、それよりも攻撃だ。
馬頭が、蹴りの姿勢のまま硬直している。蹄が、奏空を直撃する寸前で止まっている。
「ぐっ……こ、これは……」
逝が叩き込んだ、妖刀ノ楔。その呪いの力が、馬頭の巨体を束縛していた。
今です、などと里桜が叫ぶ必要もなく、秋人が弓を引く。
光の矢が放たれ、馬頭に突き刺さる。
B.O.T.に貫かれ、よろめく馬頭に向かって、里桜は印を結んだ。
「葦原さん!」
「了解した……上月さんに合わせる」
里桜と赤貴。覚者2人分の力を宿した巨大な隆神槍が、地面から激しく生えて馬頭を直撃する。
高々と吹っ飛んだ馬頭に向かって、兎が跳ねた。里桜には、そう見えた。
倖の鋭刃脚が、空中で馬頭に叩き込まれる。
墜落した相棒を、牛頭が助け起こした。
「おい、馬頭……」
「心配は無用……これしきの、痛手……」
苦しげに闘志を振り絞ろうとする馬頭に向かって、里桜は1歩、踏み出した。
「危険だ、上月さん……」
「大丈夫、ありがとう」
赤貴に向かって微笑んだ後、里桜は、銀色に輝く瞳を地獄の番人たちに向けた。
「……ここまでに、しましょう。これ以上の戦いは無意味であると、牛頭さんも馬頭さんも本当はわかっておられるのではないですか?」
「命が惜しいのなら素直にそう言え。命乞いならば聞き入れてやる。火車を置いて立ち去るがいい」
「命なんて惜しいに決まっています!」
里桜はつい、怒り叫んでいた。
覚者たちが、息を呑んでいる。火車と牛頭馬頭もだ。
里桜は小さく、咳払いをした。
「……命の大切さを、地獄の方々に説明するのは難しいかも知れません。ただ、これだけは言えます。お2人とも本当は、火車さんの命を奪いたくはないのでしょう? こうして覚者が妨害に来るのを、あなたたちが待ち構えていたように私には見えました」
「本当に大切なものを、君たちは地獄の激務の中で見失っていたんじゃないかな。火車には見えている何かを、ね」
秋人が言う。
「見つめ直す、いい機会だと思うよ」
「……我らの見つめるものなど、いにしえも今も変わりはせんよ。人間どもの罪業だけだ」
「まあいい、ここは引き下がるとしよう。閻魔王の懲罰を、此度は火車ではなく我らが受ける。それも一興」
牛頭が、馬頭に肩を貸す。
そこへ赤貴が、言葉を投げた。
「これだけは言っておくぞ地獄の番人ども。オレにとってはキサマらも、火車に殺された男と同じだ。己の都合で、平然と子供の未来を奪う……そんな輩は、人間であろうと古妖であろうとオレの敵だ。覚えておけ」
「天の定めに抗いながら生きてゆけると本当に思うのならば小僧、まあ行けるところまで行くがいい」
「またな、覚者たち。それに火車よ、これで終わりと思ってはならんぞ」
牛頭馬頭の姿が、消え失せた。
残された火車の身体から、土蜘蛛の糸をほどきながら、逝が言う。
「と、いうわけで失業おめでとう地獄の猫ちゃん。お祝いに飲みに行こうか、ねえ鈴白先生」
「アルコールは駄目だよ緒形さん。思いきり殴られていたじゃないか。それより……火車は、これからどうするのかな?」
「……知らん。何も出来はせんよ」
火車が、力なく答える。
「私はここで、死ぬはずだったのだから……」
「生きて、やる事があるだろう火車」
奏空が言った。
「おっちゃんも言ってたけど、助けた男の子の事。あんたが責任持って、導かなきゃ」
「……そういう事に、なってしまうのかな」
一瞬、炎が巻き起こって消えた。
火車の姿も、消えていた。
1匹の白い猫が、そこにいて言葉を発している。
「君たちにも、いずれ借りは返す……ありがとう、とは言っておこう」
猫が、ぴょんと跳ね駆けて姿を消す。
抱き捕らえようとした倖の両手が、見事に空振りをした。
「上月さん、お疲れ様……ありがとう」
秋人が、声をかけてきた。
「説得の突破口を開いてくれて、本当に助かったよ」
「ふふ……鈴白先生なら、出来るんじゃないですか?」
里桜は微笑んだ。
「地獄の人たちに、命の大切さを教える事」
「どうかな。俺たち覚者が、まずはそれを本当に理解しているのかな」
秋人は言った。
逝は、赤貴と何やら話し込んでいる。
奏空は、落胆する倖を慰めていた。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
