【古妖狩人】落涙メメント・モリ
●クライ・ドント・クライ
何処からかさめざめと、女のすすり泣きが聞こえてくる。それはまるでか細い糸のような、ふっとかき消えてしまいそうなほどに儚い声であるのに――何処までも透明で真っ直ぐで、空の彼方まで届きそうな力があった。
(ああ、何を想えばこんな風に泣けるのだろう)
大切なひとを喪ったとか、己の身に不幸が訪れたとか、そんな個人的な理由ではあるまい。ただただ、女は泣いている。其処に打算や理由など無く、やがて訪れるであろう死を想い、透明な涙をはらはらと零す。
(ああ、畜生……泣くな。頭が痛む)
けれど相手に泣くなと言ったところで、通じる相手ではあるまい。彼女はひとではない――古妖なのだ。恨みや悲しみも無く、ただ泣くのが彼女と言う存在なのだから。だから自分が悩む必要など無いのだ。
別にこいつが泣いたから誰かが死ぬとか苦しむとか、そんなことは無い――ただ自分は、命令通りこいつを捕らえればそれで良い。
――だけど、何故こうも苦しい。何故泣いてるあいつの顔が重なって、頭ががんがんと痛みを訴えるのだ。
「……やめろ。鬱陶しい、泣くな。泣くな泣くな!」
かっと胸が憤怒に満ち、男は衝動的に銃の引き金に手をかけた。立て続けに響いた銃声が、女の鳴き声をかき消すように空に響いていく。それを皮切りに、男の仲間たちも一斉に銃口を女へと向けて、迷う事なくその引き金を引いた。
――メメント・モリ。死を想え、そんな言葉があったけれど。
「余計なお世話だ……もう女の泣く声は、聞きたくねぇんだよ」
崩れ落ちる女の妖精を見下ろし、呟いた男の声はかすれていて――その口に咥えた煙草の煙が、ゆっくりと空へと吸い込まれていった。
●月茨の夢見は語る
「みんな、この間は助けてくれてありがとう。あたしの方は、新しい生活にも慣れてきたから……大丈夫」
そう言ってF.i.V.E.の司令室に現れたのは、『月茨』浮森 瞑夜(nCL2000119)――夢見を巡る一連の事件で、救出された夢見の少女のひとりだった。
「それでね、あたしも夢見としてみんなと一緒に戦うことにしたから、あたしの見た予知を聞いて欲しいんだ」
そう言って一呼吸して、ゆっくりと瞑夜が語り出したのは、最近活発に活動している『古妖狩人』と言う憤怒者組織についてのこと。彼らは古妖を捕らえて戦力にする一方で、戦力にならない古妖は非人道的な実験に使用しようと動いているようなのだ。
「あたしが見たのは、バンシーと言う古妖を捕らえようとしている『古妖狩人』の憤怒者の姿。このままだと抵抗する術を持たない古妖は、彼らによって捕らえられてしまう……みたい」
バンシーは、アイルランドなどの伝承で語られる、死を予知してすすり泣く女の妖精だ。彼女は何らかの理由で、日本に流れ着いた存在なのだろうが――不吉な雰囲気に反し、バンシー自身が死をもたらす訳ではなく、ひとに害を与える訳でも無いらしい。
「ただ死を知って泣く、それだけの存在。なのに古妖狩人は、そんなバンシーさえ容赦なく狩ろうとしている」
場所は繁華街の路地裏で、辺りにひと気は無い。その一角にバンシーは追い詰められ、憤怒者は数の力で制圧――完全に動けなくした上で、彼女を連れ去ろうとしているようだ。
「みんなにはこの現場に乗り込んで、バンシーを助けて欲しいんだ。このままだと彼女は捕まって、酷い実験を受けてしまう……ひとじゃないから、古妖だからって何をしてもいいなんて、そんなのあたしは許せない」
そう一気に告げた瞑夜の声は、微かに震えていて。続けて古妖狩人たちの戦力についての説明に移った。彼らは総勢13名――近接攻撃を主体とする者、遠距離戦を行う者それぞれ6名に加え、彼らを指揮する者がひとり居るらしい。
「宇津木、って呼ばれてた男のひと。でも、バンシーの泣き声を聞いて、酷く苛立っていたみたいだった。戦いが長引けば、苛立ちの余りに強硬手段に出るかもしれないから、気を付けておいて」
其処まで告げた後、瞑夜は改めて覚者たちを見つめた。未来を変えてと乞うようにその瞳が揺れて、少女はぐっと拳を握りしめる。
――もしかしたら瞑夜は、ただ死を想い泣く女を、自身に重ねていたのかもしれない。
「……あたしの見た未来を、みんなに託すから。だからあたしも一緒に背負わせて」
どうか、涙で塗りつぶされた未来ではなく――皆が笑顔でいられる、そんな未来を掴めるように、と。
何処からかさめざめと、女のすすり泣きが聞こえてくる。それはまるでか細い糸のような、ふっとかき消えてしまいそうなほどに儚い声であるのに――何処までも透明で真っ直ぐで、空の彼方まで届きそうな力があった。
(ああ、何を想えばこんな風に泣けるのだろう)
大切なひとを喪ったとか、己の身に不幸が訪れたとか、そんな個人的な理由ではあるまい。ただただ、女は泣いている。其処に打算や理由など無く、やがて訪れるであろう死を想い、透明な涙をはらはらと零す。
(ああ、畜生……泣くな。頭が痛む)
けれど相手に泣くなと言ったところで、通じる相手ではあるまい。彼女はひとではない――古妖なのだ。恨みや悲しみも無く、ただ泣くのが彼女と言う存在なのだから。だから自分が悩む必要など無いのだ。
別にこいつが泣いたから誰かが死ぬとか苦しむとか、そんなことは無い――ただ自分は、命令通りこいつを捕らえればそれで良い。
――だけど、何故こうも苦しい。何故泣いてるあいつの顔が重なって、頭ががんがんと痛みを訴えるのだ。
「……やめろ。鬱陶しい、泣くな。泣くな泣くな!」
かっと胸が憤怒に満ち、男は衝動的に銃の引き金に手をかけた。立て続けに響いた銃声が、女の鳴き声をかき消すように空に響いていく。それを皮切りに、男の仲間たちも一斉に銃口を女へと向けて、迷う事なくその引き金を引いた。
――メメント・モリ。死を想え、そんな言葉があったけれど。
「余計なお世話だ……もう女の泣く声は、聞きたくねぇんだよ」
崩れ落ちる女の妖精を見下ろし、呟いた男の声はかすれていて――その口に咥えた煙草の煙が、ゆっくりと空へと吸い込まれていった。
●月茨の夢見は語る
「みんな、この間は助けてくれてありがとう。あたしの方は、新しい生活にも慣れてきたから……大丈夫」
そう言ってF.i.V.E.の司令室に現れたのは、『月茨』浮森 瞑夜(nCL2000119)――夢見を巡る一連の事件で、救出された夢見の少女のひとりだった。
「それでね、あたしも夢見としてみんなと一緒に戦うことにしたから、あたしの見た予知を聞いて欲しいんだ」
そう言って一呼吸して、ゆっくりと瞑夜が語り出したのは、最近活発に活動している『古妖狩人』と言う憤怒者組織についてのこと。彼らは古妖を捕らえて戦力にする一方で、戦力にならない古妖は非人道的な実験に使用しようと動いているようなのだ。
「あたしが見たのは、バンシーと言う古妖を捕らえようとしている『古妖狩人』の憤怒者の姿。このままだと抵抗する術を持たない古妖は、彼らによって捕らえられてしまう……みたい」
バンシーは、アイルランドなどの伝承で語られる、死を予知してすすり泣く女の妖精だ。彼女は何らかの理由で、日本に流れ着いた存在なのだろうが――不吉な雰囲気に反し、バンシー自身が死をもたらす訳ではなく、ひとに害を与える訳でも無いらしい。
「ただ死を知って泣く、それだけの存在。なのに古妖狩人は、そんなバンシーさえ容赦なく狩ろうとしている」
場所は繁華街の路地裏で、辺りにひと気は無い。その一角にバンシーは追い詰められ、憤怒者は数の力で制圧――完全に動けなくした上で、彼女を連れ去ろうとしているようだ。
「みんなにはこの現場に乗り込んで、バンシーを助けて欲しいんだ。このままだと彼女は捕まって、酷い実験を受けてしまう……ひとじゃないから、古妖だからって何をしてもいいなんて、そんなのあたしは許せない」
そう一気に告げた瞑夜の声は、微かに震えていて。続けて古妖狩人たちの戦力についての説明に移った。彼らは総勢13名――近接攻撃を主体とする者、遠距離戦を行う者それぞれ6名に加え、彼らを指揮する者がひとり居るらしい。
「宇津木、って呼ばれてた男のひと。でも、バンシーの泣き声を聞いて、酷く苛立っていたみたいだった。戦いが長引けば、苛立ちの余りに強硬手段に出るかもしれないから、気を付けておいて」
其処まで告げた後、瞑夜は改めて覚者たちを見つめた。未来を変えてと乞うようにその瞳が揺れて、少女はぐっと拳を握りしめる。
――もしかしたら瞑夜は、ただ死を想い泣く女を、自身に重ねていたのかもしれない。
「……あたしの見た未来を、みんなに託すから。だからあたしも一緒に背負わせて」
どうか、涙で塗りつぶされた未来ではなく――皆が笑顔でいられる、そんな未来を掴めるように、と。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.古妖・バンシーの救出
2.憤怒者・古妖狩人の撃退
3.なし
2.憤怒者・古妖狩人の撃退
3.なし
●憤怒者×13
古妖狩人に所属する憤怒者たちです。武装しており、数の力で戦いを挑んできます。
※近接戦闘員×6
・ナイフ(物近単・【出血】)
・電磁警棒(物近単・【鈍化】)
※遠距離戦闘員×7
・拳銃(物遠単)
・機関銃(物遠列)
●宇津木
憤怒者たちのリーダーの男です。戦いでは遠距離戦闘員のひとりとして動きます。30代前半くらいですが、どうやら過去に何かあったらしく、『女の泣く声』に苛立ちを覚えている様子。その為戦いが長引くにつれ苛立ちが募り、強硬手段に出ようとするようです。
●バンシー
元々はアイルランドからやって来た古妖で、死を予知しすすり泣く女の妖精です。色々不吉なイメージが付いて回っていますが、彼女自身ひとに危害を与えると言う存在では無く、戦う手段は持ち合わせていません。ひたすらに泣き続け、抵抗も見せませんのでどうにかして守る必要があります。
●戦場
時刻は夕暮れ時。路地裏の一角にバンシーが追い詰められている所に、割って入り助けると言う流れになります。周囲にひと気はありませんので、通りすがりの誰かが巻き込まれる心配はありません。
何を想い、あなたは泣くのでしょうか。そんな涙にまつわる心情や、喪ったものや死について、一緒に描写していけたらと思っています。雰囲気重視のお話になりそうですね。それではよろしくお願いします。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2015年12月12日
2015年12月12日
■メイン参加者 8人■

●慟哭、其は死のさきぶれ
古妖狩人の標的にされた古妖、それは異国から流れ着いた涙の妖精――バンシーだった。
「……瞑夜の笑顔を曇らせない為にも、行くか」
自分たちに未来を託した夢見の少女のことを思いながら、『百合の追憶』三島 柾(CL2001148)は灰色に染まる冬の空を見上げた。夕暮れ時も間もなく終わり、直ぐにひたひたと夜が忍び寄ってくることだろう。
「バンシーとな……これはまた、珍しい古妖もいたものだ。書物で読んだことはあるが、ここ日本で出会えるとはなぁ」
弱々しい日の光を日傘で遮りつつ、しみじみと言った様子で『白い人』由比 久永(CL2000540)が呟く。モノクロームの世界に溶け込むような、白い髪と肌――何処かひとを超越した佇まいを見せる彼だが、その唇から零れる白い吐息が、彼が血の通った存在であると教えてくれた。
「そりゃ、悲しいだろうな……人の死ばかり、感じてしまったら。今まで、どれだけの死を感じ取ったんだろうな」
静かに瞬きをひとつ、『笑顔の約束』六道 瑠璃(CL2000092)は鮮やかな瑠璃色の双眸を悲哀に染めて、誰に問うと言う訳でもなく呟いた。そんな瑠璃に、諸説あるがと前置きし、書物で得た知識を語るのは久永。彼曰く、バンシーの声は遠く離れた家族にも届くこともあると言う。
「死を予期するのは不吉だが、悪いことばかりではないと思うのだがなぁ……」
と、其処で彼らの会話に加わって来たのが、『名も無きエキストラ』エヌ・ノウ・ネイム(CL2000446)だった。銀の仮面から覗く素顔に奇怪な笑みを浮かべて、彼はうっとりと――何処か芝居がかった調子で朗々と告げる。
「バンシーですか、いやあいいですよねえ、彼女。他に何をするわけでもなく、しとしとと雨が降り注ぐように延々と嘆くその姿であり、たった『それだけ』の存在。正しく僕にとって好ましい古妖ではありませんか!」
理性を超越した、本能からあふれ出す声――それがエヌの求めるもの。故にただ泣き続ける存在は、彼にとって非常に魅力的なのだろう。ぜひ家で飼いたいですねと囁かれた言葉は、多分本気だ。
(俺は上官が死んだ時、泣くことはできなかった)
軍帽を目深に被り直しつつ、『狗吠』時任・千陽(CL2000014)は懐のナイフをそっと指でなぞった。それは上官から受け継いだもので、日本の為に戦い命を落としたことこそ誉だと思っていたのだけれど。
(それでも――……)
――憶うメメント・モリ。九十九大尉、と千陽は此処には居ない存在へ思いを馳せた。
(素直に人の死に涙できる彼女が、少し羨ましいのは感傷でしょうか)
バンシー。死を予知し、ただ泣くだけの妖精。メメント・モリ。それは死を忘れるなと言う教訓。規則正しい靴音を響かせ、『鴟梟』谷崎・結唯(CL2000305)は静かに路地裏を進んでいく。
(だが、言い換えればそれは生を自覚せよ、という意味でもある。しかし)
果たしてこの世の中に、生の実感を得ているものは一体どれほどいるのだろう。そして、こいつら憤怒者はどうなのか――彼女の冷ややかな瞳が、バンシーを囲む男たちをゆっくりと睨みつける。彼らは銃や刃物で武装したもの達、古妖狩人の戦闘員だ。
「……武器を持つ以上、殺される覚悟はある筈だ」
だから淡々と、一切の情を交えずに結唯は呟く――ここにいる奴ら全員殺してやるよ、と。
「誰だ、貴様ら……っ!?」
不意に背後に迫った複数の気配に、古妖狩人たちが訝しむ間も無く、『ゴシップ記者』風祭・誘輔(CL2001092)が遠慮なく機関銃をぶっ放した。雨霰のように降り注ぐ弾丸は容易に彼らの注意を引き、血煙が辺りに舞う中――英霊の力を引き出した『浅葱色の想い』志賀 行成(CL2000352)が、薙刀を手に一気に斬り込んでいく。
(バンシー狩りが疎かになる様、盛大に暴れさせてもらおう)
傾きかけた陽を受けて、鈍色の光を放つ刃が翻ると同時、鮮やかに周囲を薙ぎ払った。背後からの強襲に狩人たちは明らかに動揺していたが、一先ずバンシーは後回しにして此方の対応をしろと、指揮官と思しき男――宇津木が声を張り上げる。
「バンシーよ、今君は誰が為に涙する」
透明な涙をはらはらと零し、路地裏の片隅で泣き続ける古妖へ、行成は真っ直ぐに問いかけた。けれど応えは放たれず――彼の心に去来するのは、涙が枯れるほどに泣き続けた過去の光景だった。
「……誰の死を想い泣いている」
――ああ、何故。こうも彼女は、ただただ涙を流せるのだろう。
●泣き濡れる妖精を救え
土の心を使えたのならば、もっと詳細な地形把握が出来たのだろうが――千陽がざっと周囲を確認したところ、憤怒者たちをどうにかしない限りバンシーの元へは向かえないようだ。
(あまり派手なことが得意なわけではありませんが、仕方ないですね)
覚悟を決めた千陽は覚醒し、いろを変えた髪と瞳を殊更に見せつけて、彼らの憎む存在――覚者であると強烈に印象付けた。
「我々は覚者だ、貴様らを捕縛しに来た!」
猛き咆哮を響かせながら、地烈の代わりに無頼を放つことで、敵の気を引こうと千陽が動く。強烈な重圧によって敵の身動きが取れなくなる中、結唯はバンシーを護るべく蒼鋼壁を張り巡らせた。
「こいつら、何故ここに……っ!」
憤怒者のひとりがナイフを振りかざして襲い掛かってくるが、それは行成の肌に微かな朱を刻むに留まる。壁となり仲間たちの前に立ちはだかりつつ、彼は素早い突きを重ねるように放って敵対者を圧倒していった。
「行けるか……?」
生まれたその一瞬の隙を逃さず、柾は俊足を活かして憤怒者たちの間を走り抜けようと試みる。そのままバンシーの元へ辿り着けたら、と思ったのだが――数の上で勝る彼らに行く手を阻まれてしまった。
「……三島サン!」
敵の中に飛び込んだ柾を支援しようと、刃の如き誘輔の蹴りが叩きこまれ、狩人の身体が引き裂かれていく。其処へ瑠璃の招いた雷雲が雷を落とし、標的を纏めて打ち据えていった。
(さて、するりとすり抜けられるならば、回ってみたいところですが……)
一方でエヌは、物質透過を用い袋小路をすり抜けられないかと思考する。それは無機物を透過出来る便利な能力なのだが、すり抜けられる厚さに制限があるのが難点だ。――そして1メートルと言う距離は、バンシーの元へ向かうには足りなかった。
「……ならば仕方ありません、愚か者の相手をいたしましょう」
バンシーの元へ行けなくても、立ち位置が変わるだけでやる事は全く同じ。そう嘯いてエヌは辺りに絡みつく霧を纏わせ、憤怒者たちの動きを封じていく。その混乱に乗じ、翼により上空からバンシーの元へ向かおうとしたのが久永だった。
「危ない……!」
――しかし、高度飛行には危険も伴う。上空を舞う久永は格好の的となり、直ぐに銃を持つ者が狙いを定めようとするが――それよりも一瞬早く、救出に向かう仲間たちの安全に気を配っていた千陽が、牽制するべく素早く銃弾を叩きこんだ。そうして辛くも久永は危機を免れ、バンシーを庇うようにふわりと降り立つ。
「女子が泣いているのを見るのは忍びない。そういう古妖なのだとしても、だ」
余らがそなたを守るからと言うように、久永はバンシーの震える肩にそっと手を置いて。そして古妖狩人たちを挟んだ向かい側では、結唯が魔眼の力を解放しようと動いていた。
(全員殺すつもりで動く)
その為に彼女は暗示をかけ、互いに殺し合えと命令して同士討ちを行わせるつもりだった。しかし、混戦状態の中、落ち着いて目を合わせるタイミングはなかなか訪れず、また相手に対抗されると効果は発揮されない。
それに簡単な命令ならともかく『互いに殺し合え』と言うような強引な命令では、無意識の内に抵抗を行ってしまうだろう。直ぐに彼らも結唯の不審な素振りに気付いたらしく、警棒を使って彼女の動きを抑えつつ、後方から射撃を行い無力化しようとしていったのだった。
●涙の記憶
「オレの家族が死ぬ時も、こいつは泣いていたのかな……」
やがて、バンシーの嘆き悲しむ声に心を揺さぶられた瑠璃が、真っ直ぐに刃を振り下ろしながらぽつりぽつりと言の葉を紡ぐ。肩口を切り裂かれて地べたに崩れ落ちる憤怒者の姿が、いつかの光景と重なっていった。
「オレの家族を食った妖は、駆けつけた数人の覚者に倒された。……それから」
後処理がどうだこうだって数人が来て帰って、ひとり静まり返った家に残されて。廊下の壁に背を預けて、たくさん泣いた。やがて涙が出なくなって、嗚咽するだけになって、でも。
「それでも悲しい気持ちが胸の中から消えてくれなくて、声すらも出なくなった頃に、疲れて眠ってしまった」
それから起きて、寂しくなった居間に移動して――もう家族の誰もいないんだって現実に向き合って。またひとしきり泣いた。
――食べ物を咀嚼する感触に怖気立って、吐き出して。あぁ、食べられなくなったんだと分かったのは、それから少ししてからのことだった。
「五人もいた家に、オレ一人だけがいる。もう誰も笑ってくれないし、泣いてもくれないんだ」
(ちっ、バンシーの慟哭が耳に障る)
地面から隆槍を立ち上らせながら、誘輔は舌打ちをする。こんな時だと言うのに、無性に煙草が吸いたかった。ああ、前に泣いたのは何年前だろうか――もう覚えていない。
(でも、うんとガキの頃は泣いていた、筈だ)
けれど自分が泣いていたら、妹が安心できない。自分は兄貴だったから、クズな両親に代わってアイツを守らなきゃならなかったから――泣いてる暇なんかない、そう思っていた。
(でも、そんな俺の虚勢を見抜いて、気にかけてくれた人がいて)
近所に住む、優しい女のひと。出会ったのは自分が先なのに――彼女が、百合さんが惚れたのは自分の先輩だった。
「三島サン……」
その誘輔の掠れた声は、柾に届いただろうか。気の弾丸――烈波で一斉掃射しつつ、柾が思い出していたのは自分が泣いた時の記憶。それは両親を失った事故から始まり、兄妹ふたり残された自分は、妹を守らなくてはと思い強くなれたのだと思う。
(けれど、婚約者の……百合を失ったとき)
それは目の前で、自分の力のなさ故に失ったあの時――彼女は最後まで自分を案じ、微笑んでいた。だからなのか、自分はただ己の無力さと彼女の死に、哭く事しか出来なかったのだ。
(あの時、それでも自分が歪ながら立てたのは、少し遅れて、でも必死に駆けつけてきてくれた誘輔の存在に、掛けてくれた言葉に救われたからだ)
しかし、そんな柾の感謝の気持ちとは裏腹に、誘輔の心は千々に乱れていた。百合が死んだとき、彼は泣けなかった、否、泣く資格が無かったのだ。
(俺は恩人の彼女に横恋慕してただけの、脇役にすぎねー)
ぐっと拳を握りしめ、吐き捨てるように誘輔は叫ぶ。バンシーの泣き声に、次第に苛立ちを募らせる男に向かって。
「おいてめぇ、宇津木とか言ったな。バンシーに誰を重ねてやがんだ。恋人か身内か……どっちにしろてめえが救えなかった女だろ!」
●誰が為に君は泣く
「さあ、さあ、舞台に立ったのです。――此方の可愛らしいお声をお持ちのお姫様を、微力ながらも御守りしましょうとも」
――戦いは確実に、終わりへと向かっていた。古妖狩人たちは半数ほどが既に倒れていたが、此方も無事にとはいかなくて。定期的に皆へ癒しの霧を施す久永の氣力を回復しようと、エヌが填気によって己の精神力を分け与えていった。
「な……!」
と、そんな中、誘輔から声を掛けられた宇津木が一瞬目を見開き――やがてその貌を怒りに歪ませる。お前に何が分かると彼は叫び、銃弾と共に想いを吐き出した。
「救えなかった、だと! 俺はあいつを救おうとした! てめぇら覚者に巻き込まれてダチが殺されて! ひとり残されたあいつがどれだけ悲しんだと思う!」
感情的に叫びつつも、戦いにおいて宇津木は冷静なようだ。彼らの中でも与しやすいと判断した結唯に狙いを定め、連携を取りながら追い詰めていく。
「……俺は憤怒者になって、仇を取ろうと思った。それなのにあいつは、俺の姿を見て変わらないでとずっと、ずっと泣き叫んで……それから……!」
――その後はもう、言葉にならなかった。けれど銃弾は無慈悲に、結唯を狙う。敵の数が多いゆえに隊列は無意味だろう、そう思い注意を払わず前に出ていた彼女は良い的になり――また、敵の状況に応じて攻撃手段を使い分けるとだけ考え、行動に具体性が欠けていたのも相まって、痛烈な一撃を貰って遂には膝を屈した。
「馬鹿野郎……はっ、笑わせる。女の泣き声が嫌なら、テメエの口で塞ぎゃいいじゃねぇか」
その誘輔の一言に、宇津木は虚を突かれたような表情で黙り込む。けれど次の瞬間、その顔に酷く疲れたような笑みを浮かべて――銃口を無造作にバンシーへと向けた。
(……させません)
超直観に頼れない分、対応が少し遅れたが――それでも宇津木に注意を払っていた千陽は直ぐに動き、銃を持つ手を撃ち抜く。
「狩人のつもりが狩られる気分はどうだ? 随分と滑稽な話だ」
「……ッ!」
すかさず行成も水礫を放ち意識を此方に向けた所で、動いたのは誘輔だった。腕を硬化させて宇津木に飛び掛かり、至近距離での殴り合いを挑む。
「ふん、守れねえなら殺しちまえってか。それで過去が清算できるかよ、くだらねえ」
多分宇津木は、自分とよく似た境遇にあったのだろう。横恋慕の脇役、彼女に振り向いては貰えなくて――その理由にも気付かず、道を踏み外した。
「そういえば、その声が不愉快だそうですが……僕には関係ないですねぇ。それで喚くのもまた一興です」
一方でエヌは、何処までも傍観者の立場でこの状況を見守っている。ついでにバンシーにも、嘆きの理由とその意味について問いかけたのだが――案の定返ってきたのは無意味なすすり泣きだけで、彼はくすくすと艶やかな笑みを浮かべて愉悦に浸った。
「……正直なところ『死』についてはよく分からぬのだ。頭では理解しているのだが、なんというか……心情的にどうなのかと言われるとな」
バンシーと共に在る久永は、達観した表情でぽつりぽつりと己の想いを口にしていく。長年生きてきた彼だが、身近な死を感じることがなかった――恐らく自分が本当に死を理解するのは、それが自分に迫った時なのかもしれない、と。
「ゆえに仮に宇津木とやらに悲話があったとしても、余がかけてやれる言葉はないだろうな……」
だが、女子が泣いているのはやはり忍びない。ゆっくり久永は頷くと、手拭いを取り出してバンシーの涙を拭いてあげた。
「涙は止めてやれぬが、せめてその心まで悲しみに潰されてしまわぬことを願う」
(……優しい心を持っているのかもな、この古妖は)
そして行成は、バンシーの涙を見て今は亡き恋人――恭華の涙を思い出す。涙する姿は美しくもあるが、心かき乱されるものでもある。けれど彼女は自分の為には涙せず、他人の為に涙した。だから。
(私の涙は、彼女の葬式で流し尽した)
――彼女を守れなかった。それが悔しくて、逆に守られてしまったことが恥ずかしくて、彼女の両親に申し訳がなくて。自分は土下座して謝罪の言葉を叫び続け、畳に擦り付けた額を上げるころには涙は枯れていた。
(私は、自分の為の涙しか流せなかった)
故に他人の為に泣けるものは、それが性質だったとしても尊敬する。だから――行成の薙刀が唸りをあげて、宇津木の四肢を灰色の壁に縫い止めるように突きつけられた。
「……他人の為に流せる涙を持つものを、消させるわけにはいかない」
「女を守るのは色男の務め、俺の役目は悪党退治だ」
それと同時、誘輔の鋭い蹴りが叩きこまれ、宇津木の手首を見事に砕いていたのだった。
「悪かったな、怖い目にあわせて」
死の気配が薄れていったからか――やがて泣き声を止めたバンシーに、柾が駆け寄りほっと胸を撫で下ろす。彼らの指揮官である宇津木を制圧したことで、残りの憤怒者たちの士気は落ち、彼らは次々に投降を促す千陽へ従っていった。後程、拘束してAAAへ引き渡すことになるだろうと行成は告げる。
「バンシーが死を思って泣くならば……泣き止ませる為にも、誰も殺したくはない」
「……バンシー、お前はこれからどうする」
結唯の問いにバンシーは無言で空を仰ぎ、灰色の髪を揺らしてふらりと歩き出した。その姿はゆっくりと、夕闇に溶けて見えなくなっていく――。
「お前は泣いていいんだ、亡くなる誰かを悼んで泣くわけじゃなくっても、亡くなったその人は、少しくらい救われたって感じてくれるかもしれないから」
その背中に瑠璃が声を掛ける中、柾は誘輔の方を向いて照れつつ、あの時は有難なとそっと呟いた。
「お前が居てくれたから俺はあの時、立ち上がれたんだ」
(……同族嫌悪なのかもな)
傍らで誘輔は一服――紫煙の苦さに顔をしかめて、煙草を一本、拘束された宇津木へと差し出す。
「てめえも喫うか、宇津木」
メメント・モリ――自分が死ぬ時にも、誰か泣いてくれるだろうかと久永は思った。彼女が死を予言し、泣く未来がこの先の日本に多くあるのだろうかと、一方で千陽は憂いをみせる。――もし、そうだとしたら。
「貴女の存在意義が泣くことだとしても、泣き止んで欲しい。貴女が泣かなくてすむ日本に、したいと思っています」
古妖狩人の標的にされた古妖、それは異国から流れ着いた涙の妖精――バンシーだった。
「……瞑夜の笑顔を曇らせない為にも、行くか」
自分たちに未来を託した夢見の少女のことを思いながら、『百合の追憶』三島 柾(CL2001148)は灰色に染まる冬の空を見上げた。夕暮れ時も間もなく終わり、直ぐにひたひたと夜が忍び寄ってくることだろう。
「バンシーとな……これはまた、珍しい古妖もいたものだ。書物で読んだことはあるが、ここ日本で出会えるとはなぁ」
弱々しい日の光を日傘で遮りつつ、しみじみと言った様子で『白い人』由比 久永(CL2000540)が呟く。モノクロームの世界に溶け込むような、白い髪と肌――何処かひとを超越した佇まいを見せる彼だが、その唇から零れる白い吐息が、彼が血の通った存在であると教えてくれた。
「そりゃ、悲しいだろうな……人の死ばかり、感じてしまったら。今まで、どれだけの死を感じ取ったんだろうな」
静かに瞬きをひとつ、『笑顔の約束』六道 瑠璃(CL2000092)は鮮やかな瑠璃色の双眸を悲哀に染めて、誰に問うと言う訳でもなく呟いた。そんな瑠璃に、諸説あるがと前置きし、書物で得た知識を語るのは久永。彼曰く、バンシーの声は遠く離れた家族にも届くこともあると言う。
「死を予期するのは不吉だが、悪いことばかりではないと思うのだがなぁ……」
と、其処で彼らの会話に加わって来たのが、『名も無きエキストラ』エヌ・ノウ・ネイム(CL2000446)だった。銀の仮面から覗く素顔に奇怪な笑みを浮かべて、彼はうっとりと――何処か芝居がかった調子で朗々と告げる。
「バンシーですか、いやあいいですよねえ、彼女。他に何をするわけでもなく、しとしとと雨が降り注ぐように延々と嘆くその姿であり、たった『それだけ』の存在。正しく僕にとって好ましい古妖ではありませんか!」
理性を超越した、本能からあふれ出す声――それがエヌの求めるもの。故にただ泣き続ける存在は、彼にとって非常に魅力的なのだろう。ぜひ家で飼いたいですねと囁かれた言葉は、多分本気だ。
(俺は上官が死んだ時、泣くことはできなかった)
軍帽を目深に被り直しつつ、『狗吠』時任・千陽(CL2000014)は懐のナイフをそっと指でなぞった。それは上官から受け継いだもので、日本の為に戦い命を落としたことこそ誉だと思っていたのだけれど。
(それでも――……)
――憶うメメント・モリ。九十九大尉、と千陽は此処には居ない存在へ思いを馳せた。
(素直に人の死に涙できる彼女が、少し羨ましいのは感傷でしょうか)
バンシー。死を予知し、ただ泣くだけの妖精。メメント・モリ。それは死を忘れるなと言う教訓。規則正しい靴音を響かせ、『鴟梟』谷崎・結唯(CL2000305)は静かに路地裏を進んでいく。
(だが、言い換えればそれは生を自覚せよ、という意味でもある。しかし)
果たしてこの世の中に、生の実感を得ているものは一体どれほどいるのだろう。そして、こいつら憤怒者はどうなのか――彼女の冷ややかな瞳が、バンシーを囲む男たちをゆっくりと睨みつける。彼らは銃や刃物で武装したもの達、古妖狩人の戦闘員だ。
「……武器を持つ以上、殺される覚悟はある筈だ」
だから淡々と、一切の情を交えずに結唯は呟く――ここにいる奴ら全員殺してやるよ、と。
「誰だ、貴様ら……っ!?」
不意に背後に迫った複数の気配に、古妖狩人たちが訝しむ間も無く、『ゴシップ記者』風祭・誘輔(CL2001092)が遠慮なく機関銃をぶっ放した。雨霰のように降り注ぐ弾丸は容易に彼らの注意を引き、血煙が辺りに舞う中――英霊の力を引き出した『浅葱色の想い』志賀 行成(CL2000352)が、薙刀を手に一気に斬り込んでいく。
(バンシー狩りが疎かになる様、盛大に暴れさせてもらおう)
傾きかけた陽を受けて、鈍色の光を放つ刃が翻ると同時、鮮やかに周囲を薙ぎ払った。背後からの強襲に狩人たちは明らかに動揺していたが、一先ずバンシーは後回しにして此方の対応をしろと、指揮官と思しき男――宇津木が声を張り上げる。
「バンシーよ、今君は誰が為に涙する」
透明な涙をはらはらと零し、路地裏の片隅で泣き続ける古妖へ、行成は真っ直ぐに問いかけた。けれど応えは放たれず――彼の心に去来するのは、涙が枯れるほどに泣き続けた過去の光景だった。
「……誰の死を想い泣いている」
――ああ、何故。こうも彼女は、ただただ涙を流せるのだろう。
●泣き濡れる妖精を救え
土の心を使えたのならば、もっと詳細な地形把握が出来たのだろうが――千陽がざっと周囲を確認したところ、憤怒者たちをどうにかしない限りバンシーの元へは向かえないようだ。
(あまり派手なことが得意なわけではありませんが、仕方ないですね)
覚悟を決めた千陽は覚醒し、いろを変えた髪と瞳を殊更に見せつけて、彼らの憎む存在――覚者であると強烈に印象付けた。
「我々は覚者だ、貴様らを捕縛しに来た!」
猛き咆哮を響かせながら、地烈の代わりに無頼を放つことで、敵の気を引こうと千陽が動く。強烈な重圧によって敵の身動きが取れなくなる中、結唯はバンシーを護るべく蒼鋼壁を張り巡らせた。
「こいつら、何故ここに……っ!」
憤怒者のひとりがナイフを振りかざして襲い掛かってくるが、それは行成の肌に微かな朱を刻むに留まる。壁となり仲間たちの前に立ちはだかりつつ、彼は素早い突きを重ねるように放って敵対者を圧倒していった。
「行けるか……?」
生まれたその一瞬の隙を逃さず、柾は俊足を活かして憤怒者たちの間を走り抜けようと試みる。そのままバンシーの元へ辿り着けたら、と思ったのだが――数の上で勝る彼らに行く手を阻まれてしまった。
「……三島サン!」
敵の中に飛び込んだ柾を支援しようと、刃の如き誘輔の蹴りが叩きこまれ、狩人の身体が引き裂かれていく。其処へ瑠璃の招いた雷雲が雷を落とし、標的を纏めて打ち据えていった。
(さて、するりとすり抜けられるならば、回ってみたいところですが……)
一方でエヌは、物質透過を用い袋小路をすり抜けられないかと思考する。それは無機物を透過出来る便利な能力なのだが、すり抜けられる厚さに制限があるのが難点だ。――そして1メートルと言う距離は、バンシーの元へ向かうには足りなかった。
「……ならば仕方ありません、愚か者の相手をいたしましょう」
バンシーの元へ行けなくても、立ち位置が変わるだけでやる事は全く同じ。そう嘯いてエヌは辺りに絡みつく霧を纏わせ、憤怒者たちの動きを封じていく。その混乱に乗じ、翼により上空からバンシーの元へ向かおうとしたのが久永だった。
「危ない……!」
――しかし、高度飛行には危険も伴う。上空を舞う久永は格好の的となり、直ぐに銃を持つ者が狙いを定めようとするが――それよりも一瞬早く、救出に向かう仲間たちの安全に気を配っていた千陽が、牽制するべく素早く銃弾を叩きこんだ。そうして辛くも久永は危機を免れ、バンシーを庇うようにふわりと降り立つ。
「女子が泣いているのを見るのは忍びない。そういう古妖なのだとしても、だ」
余らがそなたを守るからと言うように、久永はバンシーの震える肩にそっと手を置いて。そして古妖狩人たちを挟んだ向かい側では、結唯が魔眼の力を解放しようと動いていた。
(全員殺すつもりで動く)
その為に彼女は暗示をかけ、互いに殺し合えと命令して同士討ちを行わせるつもりだった。しかし、混戦状態の中、落ち着いて目を合わせるタイミングはなかなか訪れず、また相手に対抗されると効果は発揮されない。
それに簡単な命令ならともかく『互いに殺し合え』と言うような強引な命令では、無意識の内に抵抗を行ってしまうだろう。直ぐに彼らも結唯の不審な素振りに気付いたらしく、警棒を使って彼女の動きを抑えつつ、後方から射撃を行い無力化しようとしていったのだった。
●涙の記憶
「オレの家族が死ぬ時も、こいつは泣いていたのかな……」
やがて、バンシーの嘆き悲しむ声に心を揺さぶられた瑠璃が、真っ直ぐに刃を振り下ろしながらぽつりぽつりと言の葉を紡ぐ。肩口を切り裂かれて地べたに崩れ落ちる憤怒者の姿が、いつかの光景と重なっていった。
「オレの家族を食った妖は、駆けつけた数人の覚者に倒された。……それから」
後処理がどうだこうだって数人が来て帰って、ひとり静まり返った家に残されて。廊下の壁に背を預けて、たくさん泣いた。やがて涙が出なくなって、嗚咽するだけになって、でも。
「それでも悲しい気持ちが胸の中から消えてくれなくて、声すらも出なくなった頃に、疲れて眠ってしまった」
それから起きて、寂しくなった居間に移動して――もう家族の誰もいないんだって現実に向き合って。またひとしきり泣いた。
――食べ物を咀嚼する感触に怖気立って、吐き出して。あぁ、食べられなくなったんだと分かったのは、それから少ししてからのことだった。
「五人もいた家に、オレ一人だけがいる。もう誰も笑ってくれないし、泣いてもくれないんだ」
(ちっ、バンシーの慟哭が耳に障る)
地面から隆槍を立ち上らせながら、誘輔は舌打ちをする。こんな時だと言うのに、無性に煙草が吸いたかった。ああ、前に泣いたのは何年前だろうか――もう覚えていない。
(でも、うんとガキの頃は泣いていた、筈だ)
けれど自分が泣いていたら、妹が安心できない。自分は兄貴だったから、クズな両親に代わってアイツを守らなきゃならなかったから――泣いてる暇なんかない、そう思っていた。
(でも、そんな俺の虚勢を見抜いて、気にかけてくれた人がいて)
近所に住む、優しい女のひと。出会ったのは自分が先なのに――彼女が、百合さんが惚れたのは自分の先輩だった。
「三島サン……」
その誘輔の掠れた声は、柾に届いただろうか。気の弾丸――烈波で一斉掃射しつつ、柾が思い出していたのは自分が泣いた時の記憶。それは両親を失った事故から始まり、兄妹ふたり残された自分は、妹を守らなくてはと思い強くなれたのだと思う。
(けれど、婚約者の……百合を失ったとき)
それは目の前で、自分の力のなさ故に失ったあの時――彼女は最後まで自分を案じ、微笑んでいた。だからなのか、自分はただ己の無力さと彼女の死に、哭く事しか出来なかったのだ。
(あの時、それでも自分が歪ながら立てたのは、少し遅れて、でも必死に駆けつけてきてくれた誘輔の存在に、掛けてくれた言葉に救われたからだ)
しかし、そんな柾の感謝の気持ちとは裏腹に、誘輔の心は千々に乱れていた。百合が死んだとき、彼は泣けなかった、否、泣く資格が無かったのだ。
(俺は恩人の彼女に横恋慕してただけの、脇役にすぎねー)
ぐっと拳を握りしめ、吐き捨てるように誘輔は叫ぶ。バンシーの泣き声に、次第に苛立ちを募らせる男に向かって。
「おいてめぇ、宇津木とか言ったな。バンシーに誰を重ねてやがんだ。恋人か身内か……どっちにしろてめえが救えなかった女だろ!」
●誰が為に君は泣く
「さあ、さあ、舞台に立ったのです。――此方の可愛らしいお声をお持ちのお姫様を、微力ながらも御守りしましょうとも」
――戦いは確実に、終わりへと向かっていた。古妖狩人たちは半数ほどが既に倒れていたが、此方も無事にとはいかなくて。定期的に皆へ癒しの霧を施す久永の氣力を回復しようと、エヌが填気によって己の精神力を分け与えていった。
「な……!」
と、そんな中、誘輔から声を掛けられた宇津木が一瞬目を見開き――やがてその貌を怒りに歪ませる。お前に何が分かると彼は叫び、銃弾と共に想いを吐き出した。
「救えなかった、だと! 俺はあいつを救おうとした! てめぇら覚者に巻き込まれてダチが殺されて! ひとり残されたあいつがどれだけ悲しんだと思う!」
感情的に叫びつつも、戦いにおいて宇津木は冷静なようだ。彼らの中でも与しやすいと判断した結唯に狙いを定め、連携を取りながら追い詰めていく。
「……俺は憤怒者になって、仇を取ろうと思った。それなのにあいつは、俺の姿を見て変わらないでとずっと、ずっと泣き叫んで……それから……!」
――その後はもう、言葉にならなかった。けれど銃弾は無慈悲に、結唯を狙う。敵の数が多いゆえに隊列は無意味だろう、そう思い注意を払わず前に出ていた彼女は良い的になり――また、敵の状況に応じて攻撃手段を使い分けるとだけ考え、行動に具体性が欠けていたのも相まって、痛烈な一撃を貰って遂には膝を屈した。
「馬鹿野郎……はっ、笑わせる。女の泣き声が嫌なら、テメエの口で塞ぎゃいいじゃねぇか」
その誘輔の一言に、宇津木は虚を突かれたような表情で黙り込む。けれど次の瞬間、その顔に酷く疲れたような笑みを浮かべて――銃口を無造作にバンシーへと向けた。
(……させません)
超直観に頼れない分、対応が少し遅れたが――それでも宇津木に注意を払っていた千陽は直ぐに動き、銃を持つ手を撃ち抜く。
「狩人のつもりが狩られる気分はどうだ? 随分と滑稽な話だ」
「……ッ!」
すかさず行成も水礫を放ち意識を此方に向けた所で、動いたのは誘輔だった。腕を硬化させて宇津木に飛び掛かり、至近距離での殴り合いを挑む。
「ふん、守れねえなら殺しちまえってか。それで過去が清算できるかよ、くだらねえ」
多分宇津木は、自分とよく似た境遇にあったのだろう。横恋慕の脇役、彼女に振り向いては貰えなくて――その理由にも気付かず、道を踏み外した。
「そういえば、その声が不愉快だそうですが……僕には関係ないですねぇ。それで喚くのもまた一興です」
一方でエヌは、何処までも傍観者の立場でこの状況を見守っている。ついでにバンシーにも、嘆きの理由とその意味について問いかけたのだが――案の定返ってきたのは無意味なすすり泣きだけで、彼はくすくすと艶やかな笑みを浮かべて愉悦に浸った。
「……正直なところ『死』についてはよく分からぬのだ。頭では理解しているのだが、なんというか……心情的にどうなのかと言われるとな」
バンシーと共に在る久永は、達観した表情でぽつりぽつりと己の想いを口にしていく。長年生きてきた彼だが、身近な死を感じることがなかった――恐らく自分が本当に死を理解するのは、それが自分に迫った時なのかもしれない、と。
「ゆえに仮に宇津木とやらに悲話があったとしても、余がかけてやれる言葉はないだろうな……」
だが、女子が泣いているのはやはり忍びない。ゆっくり久永は頷くと、手拭いを取り出してバンシーの涙を拭いてあげた。
「涙は止めてやれぬが、せめてその心まで悲しみに潰されてしまわぬことを願う」
(……優しい心を持っているのかもな、この古妖は)
そして行成は、バンシーの涙を見て今は亡き恋人――恭華の涙を思い出す。涙する姿は美しくもあるが、心かき乱されるものでもある。けれど彼女は自分の為には涙せず、他人の為に涙した。だから。
(私の涙は、彼女の葬式で流し尽した)
――彼女を守れなかった。それが悔しくて、逆に守られてしまったことが恥ずかしくて、彼女の両親に申し訳がなくて。自分は土下座して謝罪の言葉を叫び続け、畳に擦り付けた額を上げるころには涙は枯れていた。
(私は、自分の為の涙しか流せなかった)
故に他人の為に泣けるものは、それが性質だったとしても尊敬する。だから――行成の薙刀が唸りをあげて、宇津木の四肢を灰色の壁に縫い止めるように突きつけられた。
「……他人の為に流せる涙を持つものを、消させるわけにはいかない」
「女を守るのは色男の務め、俺の役目は悪党退治だ」
それと同時、誘輔の鋭い蹴りが叩きこまれ、宇津木の手首を見事に砕いていたのだった。
「悪かったな、怖い目にあわせて」
死の気配が薄れていったからか――やがて泣き声を止めたバンシーに、柾が駆け寄りほっと胸を撫で下ろす。彼らの指揮官である宇津木を制圧したことで、残りの憤怒者たちの士気は落ち、彼らは次々に投降を促す千陽へ従っていった。後程、拘束してAAAへ引き渡すことになるだろうと行成は告げる。
「バンシーが死を思って泣くならば……泣き止ませる為にも、誰も殺したくはない」
「……バンシー、お前はこれからどうする」
結唯の問いにバンシーは無言で空を仰ぎ、灰色の髪を揺らしてふらりと歩き出した。その姿はゆっくりと、夕闇に溶けて見えなくなっていく――。
「お前は泣いていいんだ、亡くなる誰かを悼んで泣くわけじゃなくっても、亡くなったその人は、少しくらい救われたって感じてくれるかもしれないから」
その背中に瑠璃が声を掛ける中、柾は誘輔の方を向いて照れつつ、あの時は有難なとそっと呟いた。
「お前が居てくれたから俺はあの時、立ち上がれたんだ」
(……同族嫌悪なのかもな)
傍らで誘輔は一服――紫煙の苦さに顔をしかめて、煙草を一本、拘束された宇津木へと差し出す。
「てめえも喫うか、宇津木」
メメント・モリ――自分が死ぬ時にも、誰か泣いてくれるだろうかと久永は思った。彼女が死を予言し、泣く未来がこの先の日本に多くあるのだろうかと、一方で千陽は憂いをみせる。――もし、そうだとしたら。
「貴女の存在意義が泣くことだとしても、泣き止んで欲しい。貴女が泣かなくてすむ日本に、したいと思っています」
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
特殊成果
『宇津木のライター』
カテゴリ:アクセサリ
取得者:風祭・誘輔(CL2001092)
カテゴリ:アクセサリ
取得者:風祭・誘輔(CL2001092)
