MagiaSteam




凶毒のグルメ

●
人間は、不味い。
個人的な好みの問題ではあるが、どうも人間の肉というものに幻想を抱いている奴が多いので、余計なお世話と知りつつも主張しておきたいところではある。
人間は不味い。肉も骨も歯応えがないし、内臓は脂臭い。あれなら鹿や猪の方がまだマシだ。
しかし俺は最近、新たな味覚に目覚めた。鹿や猪などよりも、ずっと美味いものを見つけたのだ。
イブリースである。
手始めは、いわゆる還リビトと呼ばれる連中だった。
最初は、単なる人間の群れに見えた。だから放っておこうと思ったのだが、何やら良い匂いをさせていたので試しに1体、捕まえて齧ってみた。
腐っていた。だが、美味だった。
ただ腐っているだけのはずの人肉が、何とも言えない感じに熟成していたのである。気がついたら俺は、そいつらを1体残らず平らげていた。
人間という劣悪極まる食材が、イブリース化という調理手段によって、極上のディナーに化けたのだ。
俺のディナータイムが、その還リビトどもに襲われていた、1匹の人間を助ける事になってしまった。
貧相な、牡であった。人間という粗悪な食材どもの中で、特に不味い部類であるのは間違いない。
そいつは俺にひどく感謝し、俺に付きまとうようになった。
俺に対し『神の教え』とやらを語りながらだ。
そいつ曰く、このイ・ラプセルという国にはアクアディーネとかいう女神がいて、信仰しなければならないらしい。信仰する事で、色々と平和になるのだという。
オーガーである俺にとって、人間どもの神など知った事ではなかった。俺はただ、美味いものが喰えれば良い。
さらなる美味を求めて、俺はイ・ラプセルを彷徨った。そいつは、ずっと付いて来た。
イブリースという極上料理に変わるのは、人間だけではなかった。鹿も猪も、虫や魚も、ゴブリンやオークの類も、イブリース化する事で、俺を唸らせるほどの味わいを醸し出す。
時には、瓦礫や石像や蒸気機器類がイブリース化する事もあった。構わず、俺は食った。消化されない鉄屑や石塊は、後で大便と一緒に出て来る。そいつらをイブリース化させていた旨味成分だけを、俺の身体は吸収し続けた。
旨味成分が、俺の全身に行き渡る。心地良い感覚だった。
俺自身が、極上の料理と化しつつある。
俺は、俺を誰かに喰わせたかった。
俺を喰えるような奴がいれば、の話だが。
●
あれから、僕は旅に出た。
アクアディーネを彫るには、僕にはまだまだ足りないものがある。沢山あり過ぎる。それがわかったからだ。
それが何であるのか、まではわからない。まだ。
工房に引きこもり鑿を振るっているだけでは、わからないのだろう。
工房の中で僕は、自分の心にいるアクアディーネとしか向き合っていなかった。
だから、あんな怪物が出来上がってしまった……のか、どうかはわからない。イブリース化が起こる原因に関しては、まだ不明点が多すぎるという話は聞いた事がある。
だが。その時の僕の心が、イブリースという怪物たちと共通する何かを孕んでいたのは間違いない。
そんな僕の彫った、アクアディーネの石像が、イブリース化して殺戮を行うところだったのだ。
それを止めてくれた自由騎士たちに、僕は学んだ。
旅に出なければならない、と。
僕は、他の人々の心にいるアクアディーネを知らなければならない、と。
決意を胸に、僕は旅立った。
決意が後悔に変わったのは、三日目である。
森の中で、僕はイブリースの群れに襲われた。
人間の屍がイブリース化したもの……還リビト、と呼ばれる怪物たちである。
都合良く自由騎士が通りがかってくれるはずもなく、僕は死者たちの怪力に引き裂かれるところであった。
自由騎士ではなく、1体のオーガーが通りがかった。
いわゆる人喰い鬼で、幻想種と呼ばれる生き物の中では特に人間と関係深い種族であるという。
食うもの食われるもの、という実に深い関係である。
人間の捕食者であるはずの怪物が、しかし生きた人間である僕には見向きもせず、死せる人間たちをガツガツと豪快に食らった。
還リビトの群れが、凄まじい勢いで平らげられてゆく。
僕はどうやら、屍肉よりも不味いものと認識されたようであった。
そのオーガーは、ハンマーフェイスと名乗った。僕も、破門神官にして彫刻家エルトン・デヌビスという素性を明かした。
ハンマーフェイスに、僕を助ける意思があったのかどうか、それは問題ではない。僕にとって彼は、まぎれもなく命の恩人なのだ。
僕は彼に、アクアディーネの教義を説いた。
聞く耳など持ってもらえないのは当然だ。それでも僕は、ハンマーフェイスの心にアクアディーネを住まわせてみたかった。
愚かである、としか言いようがない。
そんな事をするよりもまず、イブリースの食べ過ぎを止めるべきだったのだ。
「……エルトン・デヌビス……俺の前から消え失せろ……」
隆々たる全身の筋肉をメキメキと震わせながら、ハンマーフェイスは呻いている。
「……人間どもを……食うわけでもないのに、殺したくて仕方がない……失せろと言っている! まずは……貴様が、死ぬのだぞ……」
僕が逃げれば、この辺りの村人たちがハンマーフェイスに殺される。
彼は今、イブリースと化しつつあるのだ。
僕が逃げずに踏みとどまったところで、彼を止められるわけではない。僕は死に、村の人々もやはり殺される。
もしも、この場に都合良く自由騎士たちが現れてくれたとしたら。
僕は助けてもらえる、かも知れない。
だが結果として、ハンマーフェイスは殺される。
僕は祈った。
「神よ、愛しのアクアディーネよ……僕も彼も両方、助けて欲しい……んだけど、駄目かな……?」
人間は、不味い。
個人的な好みの問題ではあるが、どうも人間の肉というものに幻想を抱いている奴が多いので、余計なお世話と知りつつも主張しておきたいところではある。
人間は不味い。肉も骨も歯応えがないし、内臓は脂臭い。あれなら鹿や猪の方がまだマシだ。
しかし俺は最近、新たな味覚に目覚めた。鹿や猪などよりも、ずっと美味いものを見つけたのだ。
イブリースである。
手始めは、いわゆる還リビトと呼ばれる連中だった。
最初は、単なる人間の群れに見えた。だから放っておこうと思ったのだが、何やら良い匂いをさせていたので試しに1体、捕まえて齧ってみた。
腐っていた。だが、美味だった。
ただ腐っているだけのはずの人肉が、何とも言えない感じに熟成していたのである。気がついたら俺は、そいつらを1体残らず平らげていた。
人間という劣悪極まる食材が、イブリース化という調理手段によって、極上のディナーに化けたのだ。
俺のディナータイムが、その還リビトどもに襲われていた、1匹の人間を助ける事になってしまった。
貧相な、牡であった。人間という粗悪な食材どもの中で、特に不味い部類であるのは間違いない。
そいつは俺にひどく感謝し、俺に付きまとうようになった。
俺に対し『神の教え』とやらを語りながらだ。
そいつ曰く、このイ・ラプセルという国にはアクアディーネとかいう女神がいて、信仰しなければならないらしい。信仰する事で、色々と平和になるのだという。
オーガーである俺にとって、人間どもの神など知った事ではなかった。俺はただ、美味いものが喰えれば良い。
さらなる美味を求めて、俺はイ・ラプセルを彷徨った。そいつは、ずっと付いて来た。
イブリースという極上料理に変わるのは、人間だけではなかった。鹿も猪も、虫や魚も、ゴブリンやオークの類も、イブリース化する事で、俺を唸らせるほどの味わいを醸し出す。
時には、瓦礫や石像や蒸気機器類がイブリース化する事もあった。構わず、俺は食った。消化されない鉄屑や石塊は、後で大便と一緒に出て来る。そいつらをイブリース化させていた旨味成分だけを、俺の身体は吸収し続けた。
旨味成分が、俺の全身に行き渡る。心地良い感覚だった。
俺自身が、極上の料理と化しつつある。
俺は、俺を誰かに喰わせたかった。
俺を喰えるような奴がいれば、の話だが。
●
あれから、僕は旅に出た。
アクアディーネを彫るには、僕にはまだまだ足りないものがある。沢山あり過ぎる。それがわかったからだ。
それが何であるのか、まではわからない。まだ。
工房に引きこもり鑿を振るっているだけでは、わからないのだろう。
工房の中で僕は、自分の心にいるアクアディーネとしか向き合っていなかった。
だから、あんな怪物が出来上がってしまった……のか、どうかはわからない。イブリース化が起こる原因に関しては、まだ不明点が多すぎるという話は聞いた事がある。
だが。その時の僕の心が、イブリースという怪物たちと共通する何かを孕んでいたのは間違いない。
そんな僕の彫った、アクアディーネの石像が、イブリース化して殺戮を行うところだったのだ。
それを止めてくれた自由騎士たちに、僕は学んだ。
旅に出なければならない、と。
僕は、他の人々の心にいるアクアディーネを知らなければならない、と。
決意を胸に、僕は旅立った。
決意が後悔に変わったのは、三日目である。
森の中で、僕はイブリースの群れに襲われた。
人間の屍がイブリース化したもの……還リビト、と呼ばれる怪物たちである。
都合良く自由騎士が通りがかってくれるはずもなく、僕は死者たちの怪力に引き裂かれるところであった。
自由騎士ではなく、1体のオーガーが通りがかった。
いわゆる人喰い鬼で、幻想種と呼ばれる生き物の中では特に人間と関係深い種族であるという。
食うもの食われるもの、という実に深い関係である。
人間の捕食者であるはずの怪物が、しかし生きた人間である僕には見向きもせず、死せる人間たちをガツガツと豪快に食らった。
還リビトの群れが、凄まじい勢いで平らげられてゆく。
僕はどうやら、屍肉よりも不味いものと認識されたようであった。
そのオーガーは、ハンマーフェイスと名乗った。僕も、破門神官にして彫刻家エルトン・デヌビスという素性を明かした。
ハンマーフェイスに、僕を助ける意思があったのかどうか、それは問題ではない。僕にとって彼は、まぎれもなく命の恩人なのだ。
僕は彼に、アクアディーネの教義を説いた。
聞く耳など持ってもらえないのは当然だ。それでも僕は、ハンマーフェイスの心にアクアディーネを住まわせてみたかった。
愚かである、としか言いようがない。
そんな事をするよりもまず、イブリースの食べ過ぎを止めるべきだったのだ。
「……エルトン・デヌビス……俺の前から消え失せろ……」
隆々たる全身の筋肉をメキメキと震わせながら、ハンマーフェイスは呻いている。
「……人間どもを……食うわけでもないのに、殺したくて仕方がない……失せろと言っている! まずは……貴様が、死ぬのだぞ……」
僕が逃げれば、この辺りの村人たちがハンマーフェイスに殺される。
彼は今、イブリースと化しつつあるのだ。
僕が逃げずに踏みとどまったところで、彼を止められるわけではない。僕は死に、村の人々もやはり殺される。
もしも、この場に都合良く自由騎士たちが現れてくれたとしたら。
僕は助けてもらえる、かも知れない。
だが結果として、ハンマーフェイスは殺される。
僕は祈った。
「神よ、愛しのアクアディーネよ……僕も彼も両方、助けて欲しい……んだけど、駄目かな……?」
†シナリオ詳細†
■成功条件
1.イブリース化した幻想種オーガーの撃破(生死不問)
2.一般人エルトン・デヌビスの生存
2.一般人エルトン・デヌビスの生存
お世話になっております。ST小湊拓也です。
イブリースを食べ過ぎてイブリース化したオーガー(1体)が、一般人エルトン・デヌビス氏を殺そうとしています。これを止めて下さい。
場所は夕刻の原野。凶暴化真っ最中のオーガー、ハンマーフェイスと、腰を抜かせたエルトン氏の間に、皆様に割って入っていただきます。
そうなればハンマーフェイスは、エルトンの殺害よりは自由騎士との戦いを優先させるでしょう。
ハンマーフェイスの攻撃手段は、怪力による白兵戦(攻近、単または列)のみ。ひたすら力押しです。
戦って普通に体力を0にすれば、彼は存命のまま行動不能になります。殺処分するか浄化して助けるかは皆様に委ねられます。
エルトンはハンマーフェイスの助命を強く望んでいますが当然、自由騎士の皆様を止めるような力はありません。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
イブリースを食べ過ぎてイブリース化したオーガー(1体)が、一般人エルトン・デヌビス氏を殺そうとしています。これを止めて下さい。
場所は夕刻の原野。凶暴化真っ最中のオーガー、ハンマーフェイスと、腰を抜かせたエルトン氏の間に、皆様に割って入っていただきます。
そうなればハンマーフェイスは、エルトンの殺害よりは自由騎士との戦いを優先させるでしょう。
ハンマーフェイスの攻撃手段は、怪力による白兵戦(攻近、単または列)のみ。ひたすら力押しです。
戦って普通に体力を0にすれば、彼は存命のまま行動不能になります。殺処分するか浄化して助けるかは皆様に委ねられます。
エルトンはハンマーフェイスの助命を強く望んでいますが当然、自由騎士の皆様を止めるような力はありません。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬マテリア
6個
2個
2個
2個




参加費
100LP [予約時+50LP]
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
7日
参加人数
4/6
4/6
公開日
2019年12月08日
2019年12月08日
†メイン参加者 4人†
●
オーガーというのは要するに人喰い鬼で、ジーロン村にも1度、出現した事がある。村人たちが総出で罠を張り、どうにか撃退したものだ。
あの時、総出の一部でしかなかった自分と、今の自分は違う。『たとえ神様ができなくとも』ナバル・ジーロン(CL3000441)は、そう自負している。並のオーガーであれば、1対1でも恐らくは戦える。
だが、イブリース化した人喰い鬼となれば話は別だ。
失敗すれば、市井の人々から犠牲者が出かねない実戦である、正々堂々の一騎討ちというわけにはいかない。
だから3人、仲間を集めた。それは良い。
「3人とも女の人で、しかもオレより腕っ節が強いっていうね……」
「ちょっと、失礼な事言わないでよナバルお兄さん」
ナバルよりもずっと小柄な少女が、文句を言った。『太陽の笑顔』カノン・イスルギ(CL3000025)である。
「今回はね、男の人ひとりしかいないんだから。か弱い女の子3人、ちゃんと守ってよね」
か弱い女の子が3人も、一体どこにいるのか。ナバルは思わず見回した。
視界に入ったのはカノンの他、戦闘的なボディラインが修道服で全く隠せていない2人の若い尼僧である。
うち1人、『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)が言った。要救助者を、背後に庇いながら。
「カノンさん。守ってあげなきゃいけないのは私たちじゃなくて、この人ですよ」
「し……シスター・エルシー・スカーレット……それにカノンさん……」
エルシーの背後で、その青年が弱々しくへたり込んだまま、辛うじて聞き取れる言葉を発した。
「貴女たちが、来てくれるとは……」
「また会ったね、エルトンさん。あとはカノンたちにお任せだよー」
「お久しぶりですね。この間はいなかったお2人を紹介しましょう。ナバル・ジーロンさんと、シスター・アンジェ。私の頼れる仲間です」
「よろしく」
エルシーの紹介を受けて、ナバルはとりあえず頭を下げた。『救済の聖女』アンジェリカ・フォン・ヴァレンタイン(CL3000505)も、軽く膝を折って優雅に一礼する。
「ブラザー・エルトン・デヌビス……アクアディーネ様の御名において、貴方をお守り致します」
「……僕は破門の身ですよ、シスター」
「貴方の作品の数々に、私は深い感銘を受けました。中には、まあ……信仰心が若干よこしまな方向へ出てしまっているのではないか、と思えるようなものもありましたが。そのような事に関わりなく、私たちは貴方を守ります」
彫刻家エルトン・デヌビスの手による女神アクアディーネの像は、特にアクア神殿関係者たちの間で大いに物議を醸しているようだ。ナバルも、いくつか見た事がある。正直、いささか目のやり場に困るようなものばかりであった。
「ただ、まあ……あんたの技術は確かに凄いと思うよ、エルトンさん。けどな」
エルシーと並んで前衛に立ちながら、ナバルは言った。
「アクアディーネ様は、あんな服着てないぞ」
「あんな服、とは?」
「あんな服って……そりゃ、あんな服だよ。あんな……」
口ごもってしまうナバルに変わって、カノンが言った。
「鎖骨とか胸の谷間はもちろん腋の下も横乳も丸出しで、あと下半身もあり得ないスリット入ってて太股なんかバッチリで、けど上手い具合に下着は見えないんだよねえ。穿いてないかも知れない系の妄想がもりもり捗る。そんなのばっかり造ってるんだからエルトンさんは、もう」
「……昨年の豊穣祭に出展された女神像、あれは大顰蹙でしたね。ブラザー・エルトン、確か貴方の作品であったはす」
アンジェリカの言葉に、エルシーが力強く頷く。
「ありましたね。アレは、はっきり言って猥褻物陳列罪です。そうですか、エルトンさんの作品でしたか」
「ふふん、僕の中にいるアクアディーネは自由奔放なのさ。教科書的な道徳に縛られたりはしない」
エルトンが、何やら誇らしげである。
「誰しもが、己の心の中にいるアクアディーネを思うさま表現する権利を持つ! 僕は、だけど自分の表現に行き詰まりを感じてしまった。気付かせてくれたのは貴女たちさ。だから僕は、他の人たちの心にいるアクアディーネを知らなければならないと思った。様々なアクアディーネを、僕は一切否定しない。そして僕のアクアディーネも否定させない! 全ての人々の心にアクアディーネが住まえば、この世は永遠に平和になる。僕は、だから僕は」
「……貴様のな、そんな話をひたすら聞かされる日々も今日で終わりだ。早急に消えて失せろと言っている」
エルトン・デヌビスを要救助者たらしめている存在が、ようやく言葉を発した。
「そこの奴ら……何者かは知らんが、まあ誰でもいい……大馬鹿者のエルトン・デヌビスを、さっさと連れて行け……」
「そして貴方は1人、ここに残される。その後は、どうするのですか」
アンジェリカが言った。
「悪しき力に呑み込まれてイブリースと化し、人々を殺傷する……私たちは、それを止めなければなりません」
「そういう事だ、人喰い鬼」
イブリース化を遂げつつある怪物に、ナバルは槍を向けた。
隆々たる筋肉を禍々しく脈動させるオーガー。その脈打つ全身で、どす黒い邪気が炎の如く揺らめいている。恐るべき相手である事は間違いない。
ナバルは闘志を燃やした。
「オレたちは今から、お前を討伐する!」
「ま、待ってくれ。僕を助けてくれるのはありがたい、だけどハンマーフェイスも助けて欲しい」
エルトンが、懸命に声を張り上げる。
「彼は、人を食わないオーガーなんだ! 僕も助けてもらった!」
「何だって……?」
人を食べない人喰い鬼。謎めいた言葉にナバルが困惑している間も、エルトンは叫び続ける。
「ハンマーフェイスは、イブリースだけを捕食するオーガーなんだ! 僕が、それを止めなかったせいで……こんな事に、なってしまった……」
「ふっ、ふははははは! その通り、今の俺はイブリース! 極上の味わいであるぞ。さあ、食らってみろ!」
「……イブリース食べ過ぎてイブリースになっちゃった、と。まあ、わかりやすいお話ではあるね」
カノンが、続いてエルシーが言った。
「エルトンさん、逃げて下さい。大丈夫、ハンマーフェイスさんは必ず助けますよ。ちょっと痛い目には遭ってもらいますが」
言いつつエルシーが、ふわりと修道服を脱ぎ捨てた。
刺激的なバトルコスチューム姿が、露わになった。
美しく鍛え込まれた肢体。豊麗な胸の膨らみと尻の丸みが、強靭な筋力で維持されているのだ。
ナバルは、いくらか慌てて目をそらせた。
エルシーが、ハンマーフェイスに牝豹の笑みを向ける。
「私が、このオーガーさんの動きを止めておきます。その間に逃げて下さい……さあ人喰い鬼さん? 手の鳴る方へ。美味しそうな獲物が、ここにいますよー」
食べ頃の果実を思わせる胸が、血に飢えたオーガーに向かって魅惑的に揺れる。
血に飢えているはずのオーガーが、しかし冷笑した。
「……何だそれは。無様な脂肪の塊を2つもぶら下げて、いっぱしの食材を気取るつもりか? 笑わせるな。そんな無駄肉で食欲を満たせるほど俺の味覚は安くはない。消えて失せろ、脂肉」
「…………頭かち割りましょう。絶対、割ります。ぜつ☆かち! です」
「ダメだよエルシーちゃん! 必ず助けるって言ったばっかり!」
カノンが、アンジェリカが、左右からエルシーを取り押さえる。
「落ち着いて下さい先輩、挑発に乗ってはいけません」
「……あのねアンジェ。私と貴女って、ほとんど同期」
「同期でも長幼の序を重んずるべきです。とにかく落ち着きましょう」
エルシーをなだめながら、アンジェリカが前に出て、巨大な十字架を構えた。
本当に人間1人を磔に出来る大きさ。盾としても、撲殺用の武器としても使える得物である。
それを強靭な細腕で軽々と振るい構えながら、アンジェリカは言い放った。
「ハンマーフェイス……貴方もまたイブリースの被害者。全力で、貴方の浄化に取り組みますよ」
十字架が、猛回転して旋風を巻き起こす。ふっさりと豊かな尻尾が、激しく弧を描く。
そう見えた時には、ハンマーフェイスの巨体がへし曲がっていた。
ケモノビトの尼僧が、聖なる祈りを込めて叩き込んだ十字架の一撃。
並みのイブリースであれば、砕け散る。砕けぬまでも、戦闘能力の半分近くを封じられる。
「……まずは、無力化です」
「ありがとうハンマーフェイスさん。私……4人がかりで貴方をぶちのめす事にね、何の抵抗もなくなりました!」
エルシーの拳が、白い光をまとって流星となった。迸る気力の輝き。
その流星が、オーガーのどす黒い巨体を激しく歪める。
そこへアンジェリカが、十字架のさらなる一撃を合わせていった。激しく歪んだハンマーフェイスが、さらにねじ曲がった。
まるで自分が叩きのめされたかのように、エルトンが悲鳴を上げる。
彼は、このイブリース化したオーガーを本当に案じているのだ、とナバルは思った。
(それなら……オレたちの、やるべき事は……)
「心配しないでエルトンさん。鬼ってね、頑丈なんだよっ」
言葉と共に、カノンが疾駆する。地を駆ける疾風。そう見えた。
「うっかり殺しちゃう事は、ないと思う!」
オニヒトの少女の小さな身体が、低い位置からハンマーフェイスの下腹部にめり込んだ。拳か体当たりか判然としない一撃。巨大なオーガーの、下手をしたら金的を直撃をしたのではないか、とナバルは思わず敵を心配してしまった。
そんな場合ではなかった。
前屈みによろめいたハンマーフェイスが、しかし即座に踏みとどまり、雄叫びを上げて反撃に出る。
どす黒い炎のような邪気をまとう巨大な拳が、振り上げられた。
その拳の影を浴びながら、カノンが表情と声を引きつらせる。
「……って言うか、こりゃ下手するとカノンたちの方がうっかり殺されちゃうかも……」
「ほら、こっちですよ!」
エルシーが、今度は色香ではなく嘲り言葉でオーガーを挑発する。
「こっち! 私をぶちのめしてみなさい。味覚も見る目も全然ダメダメな、美食家気取りのバカ鬼さん!」
カノンを叩き潰そうとしていた巨大な拳が、黒い揺らめきを引きずりながらエルシーを襲う。
そして、ナバルを直撃した。
「ぐえぇ……」
無論、盾で受けた。
盾も甲冑も、その中身であるナバルの肉体も、もろともに薙ぎ倒されていた。
そして、エルシーに抱き起こされる。
「ナバルさん……貴方は、また!」
「……こないだと、同じやり方でいこう。エルシーさんが攻撃、オレが防御……」
エルシーの膝の上で、ナバルは無理矢理に微笑んで見せた。
やはり攻撃に関しては、この4名の中で自分が最も非力であるのは間違いない。
ならば、狙うべきものは1つしかなかった。
「ナバル様の防御を、打ち倒すとは……」
エルシーとナバルを、まとめて背後に庇う格好で、アンジェリカが立ち構える。
「私たちの一連の攻撃を受けて、これほどの力を発揮する……恐るべき相手。ですが、こうでなくては」
「……とんでもない馬鹿力。いいですね、相手にとって不足なし!」
アンジェリカとエルシーが、同時に踏み込んだ。
2つの疾風。そう見えた。
「もっと盛り上げていきましょうか。アンジェ!」
「了解……合わせます、先輩」
重く鋭い、拳の一撃。竜巻のような回転から繰り出される、十字架の3連撃。
それらが嵐の如く、ハンマーフェイスを直撃する。
どす黒く燃え上がるオーガーの巨体は、ひしゃげたように歪んで鮮血をしぶかせながらも、まだ力を失っていない。
「どうした……そんなもので、俺を! 喰い殺す事など出来んぞぉおおおッ!」
「食べないし、殺さないし」
カノンの声。
尼僧2人の華やかな連携に隠れるようにして、小型肉食獣にも似た人影が疾駆していた。
それは、物陰から獲物に食らいつく狼の如き一撃であった。
カノンの小さな拳が、牙となってハンマーフェイスに突き刺さる。どす黒く燃える巨体が、激しく凹む。
直撃の瞬間。カノンの愛らしい細腕が、肘関節を外して伸びた、ようにナバルには見えた。
残心の構えを取りながら、カノンはなおも言う。
「理由はともかく、君は人を食べない……それに、エルトンさんを逃がそうとしていた。だからね、殺さないよ。カノンたちの力で、元に戻すから」
「甘い……甘いぞ……」
ハンマーフェイスが、血を吐きながら吼えた。
「食い物の味を殺す甘さ、許してはおけんなあああ!」
どす黒く燃える巨大な拳が、カノンを襲う。
エルシーが、半ば抱き寄せるようにしてカノンを庇う。
そしてナバルは、2人を背後に庇って盾を構えた。
そこへ、ハンマーフェイスの拳がぶつかって来る。
凄まじい衝撃に全身を歪めながら、ナバルは思った。種を植え付けられた、と。
その衝撃を、右手の槍へと導き流し込んでゆく。
敵の攻撃は、すなわち種だ。己の肉体を土壌として、その種を反撃の力として芽吹かせる。
そして最終的に、勝利を収穫する。
「このっ……腹ぺこ野郎ーッ!」
ナバルは、槍を叩き付けた。
ハンマーフェイスの巨体が、吹っ飛んで行く。
「これが……今、お前に振る舞ってやれる、オレの料理……」
ナバルは片膝をついた。
「お前の馬鹿力をな、隠し味に使ってみた……どうだ、少しは……腹が膨れたか……」
返答は、咆哮だった。
吹っ飛んで倒れたハンマーフェイスが、即座に立ち上がりながら牙を剥いて吼え、黒色の炎を燃え猛らせる。
猛り狂う黒い巨体が、突進して来る。
アンジェリカが、ナバルの前に立ち、それを迎え撃った。
「いいでしょう。暴れなさい、吐き出しなさい。私たちが、その全てを受け止めます……それが、すなわち浄化」
●
鐘の音が、高らかに鳴り響いた。カノンの叫びと共にだ。
「轟け! 神音!」
オニヒトの少女の小さな身体が、愛らしい拳を先端部としてハンマーフェイスに激突する。
「お見事……」
ナバルに肩を貸しながら、エルシーは思わず声を漏らした。
オーガーの黒い巨体が、鐘の音にも似た直撃音を響かせ、砕け散る。
いや違う。砕け散ったのは、どす黒い邪気だ。
砕け、消えゆく邪気の残滓を立ち上らせながら、ハンマーフェイスは倒れている。
「浄化……完了」
カノンが、己の脇腹に肘を打ち付ける感じに拳を引いた。残心。
立ち上がらないオーガーを、エルトンがおたおたと気遣っている。
「ハンマーフェイス……い、生きているのか……?」
「……こやつら、とうとう俺を殺さずに戦いを終わらせおった」
ハンマーフェイスは、苦笑しているようだ。
「人を食べない人喰い鬼……殺す理由なんて、ないさ。ああ、ありがとうエルシーさん。オレなら大丈夫」
辛うじて自力で立ったナバルに、エルシーは言った。
「敵の攻撃を食らう事が前提の戦い方……程々にしないと、駄目ですよ」
「オレ、頑丈なのだけが取り柄だから」
ナバルが笑う。
「まったく、呆れた頑丈さであったぞ貴様」
ハンマーフェイスが、エルトンに支えられて上体を起こす。
「この中では……ふふふ小僧。貴様が一番、美味そうではある。歯応えがあってなあ」
「ひ、人を食べるのは駄目だ。たとえイブリースでも……人は、浄化で元に戻せるかも知れないから」
「ハンマー兄さん。まずはね、本当にありがとう。エルトンさんを助けてくれて」
カノンが、ぺこりと頭を下げる。
「でね、ものは相談なんだけど……アクアディーネ様の眷属にならない? イブリース食べるんなら、その方が都合いいよ。前もって色々わかるし、浄化で助けてあげなきゃいけないイブリースもたまにいるけど、それ以外は食べちゃっていいから」
「食べ過ぎて、おかしくなったら、また私たちの出番です。何度でも浄化してあげますからね」
エルシーは、拳を鳴らしながら微笑んだ。
「エルトンさんも。思うところあって旅に出るのは立派だと思いますけど、もう少し気を付けないと駄目ですよ。貴方に何かあったら……誰よりも、アクアディーネ様がお悲しみになります」
「アクアディーネは……僕が死んだら、悲しんでくれるだろうか……」
「ほうほう。自分のやってる事、キモがられてるかも知れないって自覚はある」
などと言いかけたカノンの口を、アンジェリカが片手で塞いだ。
ハンマーフェイスが、呆れている。
「お前たちは……オーガーである俺を、人間の味方に付けようと言うのか」
「種族で差別するような奴は、アクアディーネ様の周りにはいないよ」
ナバルが、続いてアンジェリカが言った。
「意図はどうあれ、貴方はエルトン・デヌビスという1人の人間を救ったのです……アクアディーネ様の思し召し、と私は思う事にいたします」
「都合良く考えるための拠り所、それが神というものか」
「貴方がイブリースを補食する事で、きっと大勢の人が救われた事でしょう。神の御意思が働いているとしか、私には思えないのです……が、オーガーのハンマーフェイスよ。イブリース補食は、今回のような悪しき事態をも引き起こします。イブリースよりも、ずっと美味しいものがある事を、つまり貴方は知らなければなりません」
小さめの樽を、アンジェリカは傍らにどすんと置いた。
「……パスタを、お食べなさい」
オーガーというのは要するに人喰い鬼で、ジーロン村にも1度、出現した事がある。村人たちが総出で罠を張り、どうにか撃退したものだ。
あの時、総出の一部でしかなかった自分と、今の自分は違う。『たとえ神様ができなくとも』ナバル・ジーロン(CL3000441)は、そう自負している。並のオーガーであれば、1対1でも恐らくは戦える。
だが、イブリース化した人喰い鬼となれば話は別だ。
失敗すれば、市井の人々から犠牲者が出かねない実戦である、正々堂々の一騎討ちというわけにはいかない。
だから3人、仲間を集めた。それは良い。
「3人とも女の人で、しかもオレより腕っ節が強いっていうね……」
「ちょっと、失礼な事言わないでよナバルお兄さん」
ナバルよりもずっと小柄な少女が、文句を言った。『太陽の笑顔』カノン・イスルギ(CL3000025)である。
「今回はね、男の人ひとりしかいないんだから。か弱い女の子3人、ちゃんと守ってよね」
か弱い女の子が3人も、一体どこにいるのか。ナバルは思わず見回した。
視界に入ったのはカノンの他、戦闘的なボディラインが修道服で全く隠せていない2人の若い尼僧である。
うち1人、『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)が言った。要救助者を、背後に庇いながら。
「カノンさん。守ってあげなきゃいけないのは私たちじゃなくて、この人ですよ」
「し……シスター・エルシー・スカーレット……それにカノンさん……」
エルシーの背後で、その青年が弱々しくへたり込んだまま、辛うじて聞き取れる言葉を発した。
「貴女たちが、来てくれるとは……」
「また会ったね、エルトンさん。あとはカノンたちにお任せだよー」
「お久しぶりですね。この間はいなかったお2人を紹介しましょう。ナバル・ジーロンさんと、シスター・アンジェ。私の頼れる仲間です」
「よろしく」
エルシーの紹介を受けて、ナバルはとりあえず頭を下げた。『救済の聖女』アンジェリカ・フォン・ヴァレンタイン(CL3000505)も、軽く膝を折って優雅に一礼する。
「ブラザー・エルトン・デヌビス……アクアディーネ様の御名において、貴方をお守り致します」
「……僕は破門の身ですよ、シスター」
「貴方の作品の数々に、私は深い感銘を受けました。中には、まあ……信仰心が若干よこしまな方向へ出てしまっているのではないか、と思えるようなものもありましたが。そのような事に関わりなく、私たちは貴方を守ります」
彫刻家エルトン・デヌビスの手による女神アクアディーネの像は、特にアクア神殿関係者たちの間で大いに物議を醸しているようだ。ナバルも、いくつか見た事がある。正直、いささか目のやり場に困るようなものばかりであった。
「ただ、まあ……あんたの技術は確かに凄いと思うよ、エルトンさん。けどな」
エルシーと並んで前衛に立ちながら、ナバルは言った。
「アクアディーネ様は、あんな服着てないぞ」
「あんな服、とは?」
「あんな服って……そりゃ、あんな服だよ。あんな……」
口ごもってしまうナバルに変わって、カノンが言った。
「鎖骨とか胸の谷間はもちろん腋の下も横乳も丸出しで、あと下半身もあり得ないスリット入ってて太股なんかバッチリで、けど上手い具合に下着は見えないんだよねえ。穿いてないかも知れない系の妄想がもりもり捗る。そんなのばっかり造ってるんだからエルトンさんは、もう」
「……昨年の豊穣祭に出展された女神像、あれは大顰蹙でしたね。ブラザー・エルトン、確か貴方の作品であったはす」
アンジェリカの言葉に、エルシーが力強く頷く。
「ありましたね。アレは、はっきり言って猥褻物陳列罪です。そうですか、エルトンさんの作品でしたか」
「ふふん、僕の中にいるアクアディーネは自由奔放なのさ。教科書的な道徳に縛られたりはしない」
エルトンが、何やら誇らしげである。
「誰しもが、己の心の中にいるアクアディーネを思うさま表現する権利を持つ! 僕は、だけど自分の表現に行き詰まりを感じてしまった。気付かせてくれたのは貴女たちさ。だから僕は、他の人たちの心にいるアクアディーネを知らなければならないと思った。様々なアクアディーネを、僕は一切否定しない。そして僕のアクアディーネも否定させない! 全ての人々の心にアクアディーネが住まえば、この世は永遠に平和になる。僕は、だから僕は」
「……貴様のな、そんな話をひたすら聞かされる日々も今日で終わりだ。早急に消えて失せろと言っている」
エルトン・デヌビスを要救助者たらしめている存在が、ようやく言葉を発した。
「そこの奴ら……何者かは知らんが、まあ誰でもいい……大馬鹿者のエルトン・デヌビスを、さっさと連れて行け……」
「そして貴方は1人、ここに残される。その後は、どうするのですか」
アンジェリカが言った。
「悪しき力に呑み込まれてイブリースと化し、人々を殺傷する……私たちは、それを止めなければなりません」
「そういう事だ、人喰い鬼」
イブリース化を遂げつつある怪物に、ナバルは槍を向けた。
隆々たる筋肉を禍々しく脈動させるオーガー。その脈打つ全身で、どす黒い邪気が炎の如く揺らめいている。恐るべき相手である事は間違いない。
ナバルは闘志を燃やした。
「オレたちは今から、お前を討伐する!」
「ま、待ってくれ。僕を助けてくれるのはありがたい、だけどハンマーフェイスも助けて欲しい」
エルトンが、懸命に声を張り上げる。
「彼は、人を食わないオーガーなんだ! 僕も助けてもらった!」
「何だって……?」
人を食べない人喰い鬼。謎めいた言葉にナバルが困惑している間も、エルトンは叫び続ける。
「ハンマーフェイスは、イブリースだけを捕食するオーガーなんだ! 僕が、それを止めなかったせいで……こんな事に、なってしまった……」
「ふっ、ふははははは! その通り、今の俺はイブリース! 極上の味わいであるぞ。さあ、食らってみろ!」
「……イブリース食べ過ぎてイブリースになっちゃった、と。まあ、わかりやすいお話ではあるね」
カノンが、続いてエルシーが言った。
「エルトンさん、逃げて下さい。大丈夫、ハンマーフェイスさんは必ず助けますよ。ちょっと痛い目には遭ってもらいますが」
言いつつエルシーが、ふわりと修道服を脱ぎ捨てた。
刺激的なバトルコスチューム姿が、露わになった。
美しく鍛え込まれた肢体。豊麗な胸の膨らみと尻の丸みが、強靭な筋力で維持されているのだ。
ナバルは、いくらか慌てて目をそらせた。
エルシーが、ハンマーフェイスに牝豹の笑みを向ける。
「私が、このオーガーさんの動きを止めておきます。その間に逃げて下さい……さあ人喰い鬼さん? 手の鳴る方へ。美味しそうな獲物が、ここにいますよー」
食べ頃の果実を思わせる胸が、血に飢えたオーガーに向かって魅惑的に揺れる。
血に飢えているはずのオーガーが、しかし冷笑した。
「……何だそれは。無様な脂肪の塊を2つもぶら下げて、いっぱしの食材を気取るつもりか? 笑わせるな。そんな無駄肉で食欲を満たせるほど俺の味覚は安くはない。消えて失せろ、脂肉」
「…………頭かち割りましょう。絶対、割ります。ぜつ☆かち! です」
「ダメだよエルシーちゃん! 必ず助けるって言ったばっかり!」
カノンが、アンジェリカが、左右からエルシーを取り押さえる。
「落ち着いて下さい先輩、挑発に乗ってはいけません」
「……あのねアンジェ。私と貴女って、ほとんど同期」
「同期でも長幼の序を重んずるべきです。とにかく落ち着きましょう」
エルシーをなだめながら、アンジェリカが前に出て、巨大な十字架を構えた。
本当に人間1人を磔に出来る大きさ。盾としても、撲殺用の武器としても使える得物である。
それを強靭な細腕で軽々と振るい構えながら、アンジェリカは言い放った。
「ハンマーフェイス……貴方もまたイブリースの被害者。全力で、貴方の浄化に取り組みますよ」
十字架が、猛回転して旋風を巻き起こす。ふっさりと豊かな尻尾が、激しく弧を描く。
そう見えた時には、ハンマーフェイスの巨体がへし曲がっていた。
ケモノビトの尼僧が、聖なる祈りを込めて叩き込んだ十字架の一撃。
並みのイブリースであれば、砕け散る。砕けぬまでも、戦闘能力の半分近くを封じられる。
「……まずは、無力化です」
「ありがとうハンマーフェイスさん。私……4人がかりで貴方をぶちのめす事にね、何の抵抗もなくなりました!」
エルシーの拳が、白い光をまとって流星となった。迸る気力の輝き。
その流星が、オーガーのどす黒い巨体を激しく歪める。
そこへアンジェリカが、十字架のさらなる一撃を合わせていった。激しく歪んだハンマーフェイスが、さらにねじ曲がった。
まるで自分が叩きのめされたかのように、エルトンが悲鳴を上げる。
彼は、このイブリース化したオーガーを本当に案じているのだ、とナバルは思った。
(それなら……オレたちの、やるべき事は……)
「心配しないでエルトンさん。鬼ってね、頑丈なんだよっ」
言葉と共に、カノンが疾駆する。地を駆ける疾風。そう見えた。
「うっかり殺しちゃう事は、ないと思う!」
オニヒトの少女の小さな身体が、低い位置からハンマーフェイスの下腹部にめり込んだ。拳か体当たりか判然としない一撃。巨大なオーガーの、下手をしたら金的を直撃をしたのではないか、とナバルは思わず敵を心配してしまった。
そんな場合ではなかった。
前屈みによろめいたハンマーフェイスが、しかし即座に踏みとどまり、雄叫びを上げて反撃に出る。
どす黒い炎のような邪気をまとう巨大な拳が、振り上げられた。
その拳の影を浴びながら、カノンが表情と声を引きつらせる。
「……って言うか、こりゃ下手するとカノンたちの方がうっかり殺されちゃうかも……」
「ほら、こっちですよ!」
エルシーが、今度は色香ではなく嘲り言葉でオーガーを挑発する。
「こっち! 私をぶちのめしてみなさい。味覚も見る目も全然ダメダメな、美食家気取りのバカ鬼さん!」
カノンを叩き潰そうとしていた巨大な拳が、黒い揺らめきを引きずりながらエルシーを襲う。
そして、ナバルを直撃した。
「ぐえぇ……」
無論、盾で受けた。
盾も甲冑も、その中身であるナバルの肉体も、もろともに薙ぎ倒されていた。
そして、エルシーに抱き起こされる。
「ナバルさん……貴方は、また!」
「……こないだと、同じやり方でいこう。エルシーさんが攻撃、オレが防御……」
エルシーの膝の上で、ナバルは無理矢理に微笑んで見せた。
やはり攻撃に関しては、この4名の中で自分が最も非力であるのは間違いない。
ならば、狙うべきものは1つしかなかった。
「ナバル様の防御を、打ち倒すとは……」
エルシーとナバルを、まとめて背後に庇う格好で、アンジェリカが立ち構える。
「私たちの一連の攻撃を受けて、これほどの力を発揮する……恐るべき相手。ですが、こうでなくては」
「……とんでもない馬鹿力。いいですね、相手にとって不足なし!」
アンジェリカとエルシーが、同時に踏み込んだ。
2つの疾風。そう見えた。
「もっと盛り上げていきましょうか。アンジェ!」
「了解……合わせます、先輩」
重く鋭い、拳の一撃。竜巻のような回転から繰り出される、十字架の3連撃。
それらが嵐の如く、ハンマーフェイスを直撃する。
どす黒く燃え上がるオーガーの巨体は、ひしゃげたように歪んで鮮血をしぶかせながらも、まだ力を失っていない。
「どうした……そんなもので、俺を! 喰い殺す事など出来んぞぉおおおッ!」
「食べないし、殺さないし」
カノンの声。
尼僧2人の華やかな連携に隠れるようにして、小型肉食獣にも似た人影が疾駆していた。
それは、物陰から獲物に食らいつく狼の如き一撃であった。
カノンの小さな拳が、牙となってハンマーフェイスに突き刺さる。どす黒く燃える巨体が、激しく凹む。
直撃の瞬間。カノンの愛らしい細腕が、肘関節を外して伸びた、ようにナバルには見えた。
残心の構えを取りながら、カノンはなおも言う。
「理由はともかく、君は人を食べない……それに、エルトンさんを逃がそうとしていた。だからね、殺さないよ。カノンたちの力で、元に戻すから」
「甘い……甘いぞ……」
ハンマーフェイスが、血を吐きながら吼えた。
「食い物の味を殺す甘さ、許してはおけんなあああ!」
どす黒く燃える巨大な拳が、カノンを襲う。
エルシーが、半ば抱き寄せるようにしてカノンを庇う。
そしてナバルは、2人を背後に庇って盾を構えた。
そこへ、ハンマーフェイスの拳がぶつかって来る。
凄まじい衝撃に全身を歪めながら、ナバルは思った。種を植え付けられた、と。
その衝撃を、右手の槍へと導き流し込んでゆく。
敵の攻撃は、すなわち種だ。己の肉体を土壌として、その種を反撃の力として芽吹かせる。
そして最終的に、勝利を収穫する。
「このっ……腹ぺこ野郎ーッ!」
ナバルは、槍を叩き付けた。
ハンマーフェイスの巨体が、吹っ飛んで行く。
「これが……今、お前に振る舞ってやれる、オレの料理……」
ナバルは片膝をついた。
「お前の馬鹿力をな、隠し味に使ってみた……どうだ、少しは……腹が膨れたか……」
返答は、咆哮だった。
吹っ飛んで倒れたハンマーフェイスが、即座に立ち上がりながら牙を剥いて吼え、黒色の炎を燃え猛らせる。
猛り狂う黒い巨体が、突進して来る。
アンジェリカが、ナバルの前に立ち、それを迎え撃った。
「いいでしょう。暴れなさい、吐き出しなさい。私たちが、その全てを受け止めます……それが、すなわち浄化」
●
鐘の音が、高らかに鳴り響いた。カノンの叫びと共にだ。
「轟け! 神音!」
オニヒトの少女の小さな身体が、愛らしい拳を先端部としてハンマーフェイスに激突する。
「お見事……」
ナバルに肩を貸しながら、エルシーは思わず声を漏らした。
オーガーの黒い巨体が、鐘の音にも似た直撃音を響かせ、砕け散る。
いや違う。砕け散ったのは、どす黒い邪気だ。
砕け、消えゆく邪気の残滓を立ち上らせながら、ハンマーフェイスは倒れている。
「浄化……完了」
カノンが、己の脇腹に肘を打ち付ける感じに拳を引いた。残心。
立ち上がらないオーガーを、エルトンがおたおたと気遣っている。
「ハンマーフェイス……い、生きているのか……?」
「……こやつら、とうとう俺を殺さずに戦いを終わらせおった」
ハンマーフェイスは、苦笑しているようだ。
「人を食べない人喰い鬼……殺す理由なんて、ないさ。ああ、ありがとうエルシーさん。オレなら大丈夫」
辛うじて自力で立ったナバルに、エルシーは言った。
「敵の攻撃を食らう事が前提の戦い方……程々にしないと、駄目ですよ」
「オレ、頑丈なのだけが取り柄だから」
ナバルが笑う。
「まったく、呆れた頑丈さであったぞ貴様」
ハンマーフェイスが、エルトンに支えられて上体を起こす。
「この中では……ふふふ小僧。貴様が一番、美味そうではある。歯応えがあってなあ」
「ひ、人を食べるのは駄目だ。たとえイブリースでも……人は、浄化で元に戻せるかも知れないから」
「ハンマー兄さん。まずはね、本当にありがとう。エルトンさんを助けてくれて」
カノンが、ぺこりと頭を下げる。
「でね、ものは相談なんだけど……アクアディーネ様の眷属にならない? イブリース食べるんなら、その方が都合いいよ。前もって色々わかるし、浄化で助けてあげなきゃいけないイブリースもたまにいるけど、それ以外は食べちゃっていいから」
「食べ過ぎて、おかしくなったら、また私たちの出番です。何度でも浄化してあげますからね」
エルシーは、拳を鳴らしながら微笑んだ。
「エルトンさんも。思うところあって旅に出るのは立派だと思いますけど、もう少し気を付けないと駄目ですよ。貴方に何かあったら……誰よりも、アクアディーネ様がお悲しみになります」
「アクアディーネは……僕が死んだら、悲しんでくれるだろうか……」
「ほうほう。自分のやってる事、キモがられてるかも知れないって自覚はある」
などと言いかけたカノンの口を、アンジェリカが片手で塞いだ。
ハンマーフェイスが、呆れている。
「お前たちは……オーガーである俺を、人間の味方に付けようと言うのか」
「種族で差別するような奴は、アクアディーネ様の周りにはいないよ」
ナバルが、続いてアンジェリカが言った。
「意図はどうあれ、貴方はエルトン・デヌビスという1人の人間を救ったのです……アクアディーネ様の思し召し、と私は思う事にいたします」
「都合良く考えるための拠り所、それが神というものか」
「貴方がイブリースを補食する事で、きっと大勢の人が救われた事でしょう。神の御意思が働いているとしか、私には思えないのです……が、オーガーのハンマーフェイスよ。イブリース補食は、今回のような悪しき事態をも引き起こします。イブリースよりも、ずっと美味しいものがある事を、つまり貴方は知らなければなりません」
小さめの樽を、アンジェリカは傍らにどすんと置いた。
「……パスタを、お食べなさい」