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煉獄

●
暴君とは、有能な君主の事をいう。
ガロム・ザグは、そう思っている。
その見本と言うべきが、この地の前領主ベレオヌス・ヴィスケーノ侯爵であった。
彼は指導力と決断力、実行力に優れ、思い付いた政策を即座に断行し、良い結果を出す事が多かった。領主就任後、間もない頃は。
飴と鞭の使い分けも巧みで、配下の者たちに刃向かう気を起こさせなかった。人心掌握にも長けていたのだ。
有能であるが故に、誰も逆らえず、誰も止められなかった。
今思えば、孤独であったのかも知れない。
無論それは、暴虐の免罪符とはなり得ない。
誰にも止められなくなったベレオヌス侯によって、数多くの領民が虐殺された。
領民から恐れられ、憎まれながら、ベレオヌスは病死を遂げた。
病死、という事になってしまった。
現在このヴィスケーノ侯爵領を統治しているのは、ベレオヌス侯の子息アラム・ヴィスケーノである。21歳の、若く頼りない後継者。嵐のような暴君であった父親と比べられ、軽く見られてしまうのは、まあ仕方のない事ではあった。
思いのほか、よくやっている。それが、新たな主君に対するガロム・ザグの評価である。
父の暴政によって荒れ果てた領土を、地道に丹念に手当てしてゆく。そんな政治に、アラム侯爵は心血を注いでいる。時には、民の野良仕事に混ざって農具を振るう事もある。
父親の全てが反転したかのような、この新領主の優しさ穏やかさが、疲弊しきった民衆に少しずつではあるが受け入れられているようであった。
無論、実質的に政務を執り行っているのは、彼の母君マグリア・ヴィスケーノ夫人である。
領主たる者に、しかし政治的手腕など必要ないのかも知れない、とガロムは思う。アラム・ヴィスケーノには、暴君に育ってしまうような有能さはない。
決して有能ではない主君を、武で支える。それが兵隊長としての、ガロム・ザグの使命・任務なのだ。
「お前たちは……憎かろうな、この私が」
異形のものと対峙しながら、ガロムは剣を抜き構えた。
敵も、剣を振り立てている。カチカチと蠢く、何本もの剣。
それらは、鋭利な骨であった。
3、4人分もの人骨が、結合して1体の怪物と化している。
骸骨で組成された、蜘蛛。いや百足か。
鋭利な節足の何本かが、長剣の如く巨大化し、村人たちを切り刻まんとしていたところだ。
そこへガロムは駆け付け、戦った。あの時の、自由騎士たちのように。
あの時の、骨の巨人と比べて、ずっと小さな骸骨の百足。
還リビト、である。鋭利な骨の節足は、悪しき力によって鋼鉄並みの強度を有している。
前領主によって虐殺され、野晒しにされた領民の屍が、こうしてイブリース化し、人々を襲う。
ヴィスケーノ侯爵領で、このところ頻発している災いである。
ベレオヌス侯の悪しき遺産の1つ、とも言える怪物が、長剣の如き節足の群れを蠢かせ、襲いかかって来る。
凶暴に俊敏に暴れる骨の刃たちが、ガロムの全身に浅手を負わせる。
鮮血の霧をしぶかせながら、ガロムは踏み込み、渾身の斬撃を繰り出していた。
骨の百足が、叩き斬られ、砕け散った。
その様がガロムの視界の中で一瞬、ベレオヌスの死に様と重なった。頭蓋を両断され、脳漿をぶちまけながら倒れゆく前領主。
この先、一生、見続けるであろう幻覚。受け入れるしかない、とガロムは思う。
「人殺し!」
村人たちが、罵声を、石を、投げつけて来る。
「こんなので償いでもしたつもりか! この偽善野郎!」
「あたしの父ちゃんは! お前に連れて行かれて殺されたんだ!」
「お前のせいで、お前のせいで! 俺の女房も子供も飢え死にした!」
「お前から死ねよ! あのクソ侯爵の所へ行っちまええええええ!」
血まみれの全身に、罵声と投石を浴びながら、ガロムは歩き出した。
この近くに、もう1つ村がある。あった、と言うべきか。
廃村なのである。ベレオヌス侯の命令によって、村人は殺し尽くされた。
人のいないはずの村で今、少しばかり面倒な事が起こっている。ガロムは、そこへ向かう途中であったのだ。
向かう途中で、人助けをした……という事にはならない。ガロムは、そう思う。
誰かを助けた、などと自分は思ってはならないのだ。
税として、領民から様々なものを奪い取った。何も払えなくなった者を、罪人として捕縛した。
ベレオヌスの尖兵として、それを実行したのは自分ガロム・ザグである。
許される、などとは思っていない。許しなど、感謝など、自分は求めてはならない。
●
アラム・ヴィスケーノは、殴り倒されていた。
「まだよおぉ、領主様のお坊ちゃんでいるつもりなのかあ!? ええおい」
兵士の1人が、倒れたアラムの胸ぐらを掴む。
「お坊ちゃんならお坊ちゃんらしくよぉ、優しいお母様に助け求めなきゃ駄目だろお?」
「ほら早く手紙書けよ、お母様宛てに! 助けて下さいってよおおお!」
父ベレオヌスによって、殺し尽くされた廃村。
そこを、人の住める村として立て直さなければならない。野晒しの死者は埋葬し、使い物にならない廃屋は撤去して、畑も耕し直す。
その作業のため、アラムは兵士の一団を率いて来た。
廃材を運ぶ。死者を埋める穴を掘る。それなら、自分にも出来ない事はない。
領主として今、自分がやるべき事は、まず身体を動かす事だ。
共に身体を動かしてくれる、はずであった兵士たちが、しかし村に着いた途端、反旗を翻した。
「いつまでも夢、見てんじゃねえよアラム坊ちゃん……なあ。わかってんのか? ベレオヌス侯爵閣下は、死んじまったんだぞ」
兵士たちが、口々に言う。
「領民が、俺たちを許してくれるわけがない!」
「ガロム隊長が今どういう目に遭ってるか、あんただって知らねえワケじゃねえだろう!」
「この村に……火を点けたのはな、俺だぞ……」
兵士の1人が、へたり込んだ。
「俺たちが……この村を……」
父ベレオヌスは、まさに人心掌握と洗脳の達人であった。
この兵士たちを、いかなる命令にも逆らえないよう仕上げてしまったのだ。
「俺たちはもう許されない! この国には居られない! ヘルメリアにでも逃げ込むしかないだろう!」
「資金が要る……だから、あんたには人質になってもらう」
兵士の1人が、アラムに剣を突き付ける。
「さあ、お母上に手紙を書け。可愛い息子を助けるために金を出せ、とな」
「……君たちは、母上を甘く見ているな」
血まみれの口元を拭い、アラムは微笑んだ。
「そんな事になったら、あの母上は私など助けてはくれない。ガロム兵長に命じて、私もろとも君たちを皆殺しにさせるだろう。今頃、彼はこちらに向かっているのではないかな」
アラムは、よろよろと立ち上がった。
「その前に……しかし、どうやら私は死ぬ」
廃村のあちこちで、凶悪に蠢くものたちがいる。
人骨の百足。5体、いや6体か。長剣のような節足をカチカチと振りかざし、群がって来る。
虐殺された民の、復讐。起こるべき事が起こっているだけだ。
「あ……ああああ、やっぱり駄目だ! 俺たちは許されない!」
「殺せ畜生、殺せぇえええええッ!」
泣き叫ぶ兵士たちを、アラムは背後に庇った。
「君たちは逃げろ、私が殺されている間に……そして僅かでもいい、民を守る力となって欲しい」
迫り来る還リビトたちと、アラムは対峙した。
「恐らくは……だけど、償いの真似事にもならないのだろうな。君たちも、私も……」
暴君とは、有能な君主の事をいう。
ガロム・ザグは、そう思っている。
その見本と言うべきが、この地の前領主ベレオヌス・ヴィスケーノ侯爵であった。
彼は指導力と決断力、実行力に優れ、思い付いた政策を即座に断行し、良い結果を出す事が多かった。領主就任後、間もない頃は。
飴と鞭の使い分けも巧みで、配下の者たちに刃向かう気を起こさせなかった。人心掌握にも長けていたのだ。
有能であるが故に、誰も逆らえず、誰も止められなかった。
今思えば、孤独であったのかも知れない。
無論それは、暴虐の免罪符とはなり得ない。
誰にも止められなくなったベレオヌス侯によって、数多くの領民が虐殺された。
領民から恐れられ、憎まれながら、ベレオヌスは病死を遂げた。
病死、という事になってしまった。
現在このヴィスケーノ侯爵領を統治しているのは、ベレオヌス侯の子息アラム・ヴィスケーノである。21歳の、若く頼りない後継者。嵐のような暴君であった父親と比べられ、軽く見られてしまうのは、まあ仕方のない事ではあった。
思いのほか、よくやっている。それが、新たな主君に対するガロム・ザグの評価である。
父の暴政によって荒れ果てた領土を、地道に丹念に手当てしてゆく。そんな政治に、アラム侯爵は心血を注いでいる。時には、民の野良仕事に混ざって農具を振るう事もある。
父親の全てが反転したかのような、この新領主の優しさ穏やかさが、疲弊しきった民衆に少しずつではあるが受け入れられているようであった。
無論、実質的に政務を執り行っているのは、彼の母君マグリア・ヴィスケーノ夫人である。
領主たる者に、しかし政治的手腕など必要ないのかも知れない、とガロムは思う。アラム・ヴィスケーノには、暴君に育ってしまうような有能さはない。
決して有能ではない主君を、武で支える。それが兵隊長としての、ガロム・ザグの使命・任務なのだ。
「お前たちは……憎かろうな、この私が」
異形のものと対峙しながら、ガロムは剣を抜き構えた。
敵も、剣を振り立てている。カチカチと蠢く、何本もの剣。
それらは、鋭利な骨であった。
3、4人分もの人骨が、結合して1体の怪物と化している。
骸骨で組成された、蜘蛛。いや百足か。
鋭利な節足の何本かが、長剣の如く巨大化し、村人たちを切り刻まんとしていたところだ。
そこへガロムは駆け付け、戦った。あの時の、自由騎士たちのように。
あの時の、骨の巨人と比べて、ずっと小さな骸骨の百足。
還リビト、である。鋭利な骨の節足は、悪しき力によって鋼鉄並みの強度を有している。
前領主によって虐殺され、野晒しにされた領民の屍が、こうしてイブリース化し、人々を襲う。
ヴィスケーノ侯爵領で、このところ頻発している災いである。
ベレオヌス侯の悪しき遺産の1つ、とも言える怪物が、長剣の如き節足の群れを蠢かせ、襲いかかって来る。
凶暴に俊敏に暴れる骨の刃たちが、ガロムの全身に浅手を負わせる。
鮮血の霧をしぶかせながら、ガロムは踏み込み、渾身の斬撃を繰り出していた。
骨の百足が、叩き斬られ、砕け散った。
その様がガロムの視界の中で一瞬、ベレオヌスの死に様と重なった。頭蓋を両断され、脳漿をぶちまけながら倒れゆく前領主。
この先、一生、見続けるであろう幻覚。受け入れるしかない、とガロムは思う。
「人殺し!」
村人たちが、罵声を、石を、投げつけて来る。
「こんなので償いでもしたつもりか! この偽善野郎!」
「あたしの父ちゃんは! お前に連れて行かれて殺されたんだ!」
「お前のせいで、お前のせいで! 俺の女房も子供も飢え死にした!」
「お前から死ねよ! あのクソ侯爵の所へ行っちまええええええ!」
血まみれの全身に、罵声と投石を浴びながら、ガロムは歩き出した。
この近くに、もう1つ村がある。あった、と言うべきか。
廃村なのである。ベレオヌス侯の命令によって、村人は殺し尽くされた。
人のいないはずの村で今、少しばかり面倒な事が起こっている。ガロムは、そこへ向かう途中であったのだ。
向かう途中で、人助けをした……という事にはならない。ガロムは、そう思う。
誰かを助けた、などと自分は思ってはならないのだ。
税として、領民から様々なものを奪い取った。何も払えなくなった者を、罪人として捕縛した。
ベレオヌスの尖兵として、それを実行したのは自分ガロム・ザグである。
許される、などとは思っていない。許しなど、感謝など、自分は求めてはならない。
●
アラム・ヴィスケーノは、殴り倒されていた。
「まだよおぉ、領主様のお坊ちゃんでいるつもりなのかあ!? ええおい」
兵士の1人が、倒れたアラムの胸ぐらを掴む。
「お坊ちゃんならお坊ちゃんらしくよぉ、優しいお母様に助け求めなきゃ駄目だろお?」
「ほら早く手紙書けよ、お母様宛てに! 助けて下さいってよおおお!」
父ベレオヌスによって、殺し尽くされた廃村。
そこを、人の住める村として立て直さなければならない。野晒しの死者は埋葬し、使い物にならない廃屋は撤去して、畑も耕し直す。
その作業のため、アラムは兵士の一団を率いて来た。
廃材を運ぶ。死者を埋める穴を掘る。それなら、自分にも出来ない事はない。
領主として今、自分がやるべき事は、まず身体を動かす事だ。
共に身体を動かしてくれる、はずであった兵士たちが、しかし村に着いた途端、反旗を翻した。
「いつまでも夢、見てんじゃねえよアラム坊ちゃん……なあ。わかってんのか? ベレオヌス侯爵閣下は、死んじまったんだぞ」
兵士たちが、口々に言う。
「領民が、俺たちを許してくれるわけがない!」
「ガロム隊長が今どういう目に遭ってるか、あんただって知らねえワケじゃねえだろう!」
「この村に……火を点けたのはな、俺だぞ……」
兵士の1人が、へたり込んだ。
「俺たちが……この村を……」
父ベレオヌスは、まさに人心掌握と洗脳の達人であった。
この兵士たちを、いかなる命令にも逆らえないよう仕上げてしまったのだ。
「俺たちはもう許されない! この国には居られない! ヘルメリアにでも逃げ込むしかないだろう!」
「資金が要る……だから、あんたには人質になってもらう」
兵士の1人が、アラムに剣を突き付ける。
「さあ、お母上に手紙を書け。可愛い息子を助けるために金を出せ、とな」
「……君たちは、母上を甘く見ているな」
血まみれの口元を拭い、アラムは微笑んだ。
「そんな事になったら、あの母上は私など助けてはくれない。ガロム兵長に命じて、私もろとも君たちを皆殺しにさせるだろう。今頃、彼はこちらに向かっているのではないかな」
アラムは、よろよろと立ち上がった。
「その前に……しかし、どうやら私は死ぬ」
廃村のあちこちで、凶悪に蠢くものたちがいる。
人骨の百足。5体、いや6体か。長剣のような節足をカチカチと振りかざし、群がって来る。
虐殺された民の、復讐。起こるべき事が起こっているだけだ。
「あ……ああああ、やっぱり駄目だ! 俺たちは許されない!」
「殺せ畜生、殺せぇえええええッ!」
泣き叫ぶ兵士たちを、アラムは背後に庇った。
「君たちは逃げろ、私が殺されている間に……そして僅かでもいい、民を守る力となって欲しい」
迫り来る還リビトたちと、アラムは対峙した。
「恐らくは……だけど、償いの真似事にもならないのだろうな。君たちも、私も……」
†シナリオ詳細†
■成功条件
1.還リビト(8体)の撃破
2.アラム・ヴィスケーノの生存
2.アラム・ヴィスケーノの生存
お世話になっております。ST小湊拓也です。
イ・ラプセル国内のとある廃村に、還リビト「骨の百足」が8体、出現しました。
現在この地の領主であるアラム・ヴィスケーノ侯爵(男、21歳)が、兵士数名と共に、骨の百足たちによって殺される寸前であります。助けてあげて下さい。
骨の百足(8体。前衛4、中衛4)の攻撃手段は、鋭利な節足による斬撃(攻近単、BSカース1)。骨の刃を、ブーメラン状に飛ばす事もあります(攻遠単、BSカース1)。
アラム侯爵と兵士たちは、骨の百足の攻撃を受ければ一撃で死亡します。
自由騎士の皆様には、まず最初に侯爵と還リビト8体との間に割って入っていただきます。そうなれば骨の百足たちは、位置の近い皆様との戦いを優先させるでしょう。お1人でも戦闘可能である限り、アラム侯爵と兵士たちに危険が及ぶ事はありません。
時間帯は真昼。
3ターン目に、侯爵家の兵隊長であるガロム・ザグ(ノウブル、男、23歳。重戦士スタイル)が場に到着し、前衛として皆様への加勢に入ります。(『バッシュLv2』『ライジングスマッシュLv1』を使用)指示には従いますので、まあ盾の役くらいには立つのではないでしょうか。
戦闘後。ガロムが存命であれば、彼は兵士たちを皆殺しにしようとします。この兵士たちの生死は成功条件には含まれません。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
イ・ラプセル国内のとある廃村に、還リビト「骨の百足」が8体、出現しました。
現在この地の領主であるアラム・ヴィスケーノ侯爵(男、21歳)が、兵士数名と共に、骨の百足たちによって殺される寸前であります。助けてあげて下さい。
骨の百足(8体。前衛4、中衛4)の攻撃手段は、鋭利な節足による斬撃(攻近単、BSカース1)。骨の刃を、ブーメラン状に飛ばす事もあります(攻遠単、BSカース1)。
アラム侯爵と兵士たちは、骨の百足の攻撃を受ければ一撃で死亡します。
自由騎士の皆様には、まず最初に侯爵と還リビト8体との間に割って入っていただきます。そうなれば骨の百足たちは、位置の近い皆様との戦いを優先させるでしょう。お1人でも戦闘可能である限り、アラム侯爵と兵士たちに危険が及ぶ事はありません。
時間帯は真昼。
3ターン目に、侯爵家の兵隊長であるガロム・ザグ(ノウブル、男、23歳。重戦士スタイル)が場に到着し、前衛として皆様への加勢に入ります。(『バッシュLv2』『ライジングスマッシュLv1』を使用)指示には従いますので、まあ盾の役くらいには立つのではないでしょうか。
戦闘後。ガロムが存命であれば、彼は兵士たちを皆殺しにしようとします。この兵士たちの生死は成功条件には含まれません。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬マテリア
6個
2個
2個
2個




参加費
100LP [予約時+50LP]
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
7日
参加人数
6/6
6/6
公開日
2019年12月26日
2019年12月26日
†メイン参加者 6人†
●
還リビトに、生前の意思はない。
だから、この死者たちも、生前に受けた仕打ちの報復をしようとしているわけではないのだ。
数人分の人骨で組成された、巨大な百足。その数は8体。鋭利な長剣の如き節足をカチカチと蠢かせ、眼前の生者たちを切り刻もうとしている。
命あるものを殺戮する。
この百足たちは、イブリースとしてのその本能に従っているだけだ。復讐をせんとしているわけではない。
だが今、彼らに切り刻まれようとしている兵士たちは、復讐を受けて当然とも言える事をしてきたのだ。
「だとしても……殺させるわけには、いかない。今、生きてる人たちを護るためにね、カノンは戦うよ」
百足たちの眼前に、『太陽の笑顔』カノン・イスルギ(CL3000025)は小さな身体で立ち塞がった。
隣には1人の青年が、同じく兵士たちを背後に庇い、立っている。
「自由騎士団……来て、くれたのか」
ここヴィスケーノ侯爵領の現領主、アラム・ヴィスケーノ侯爵。
その細い肩に、『灼熱からの帰還者』ザルク・ミステル(CL3000067)が片手を置く。
「自分に出来る事を、する……それはいいが、無茶はするなよ」
「ここは私たちに任せて。お退がり下さい、アラム侯」
修道服をばさりと脱ぎ捨てながら『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)が前に出る。
「ご立派でした。でも死んでは駄目ですよ」
「あーあ、嫌だね。胸糞悪い……と思ってたけど」
同じく進み出て来た『罰はその命を以って』ニコラス・モラル(CL3000453)が、アラム侯をやんわりと後方へ下がらせる。
「アンタみたいな人が領主サンなら……ま、こういう連中でも助けてやろうかって気になるわな。ほら、お前らも下がった下がった」
怯えている兵士たちをアラム共々、骨の百足の群れから遠ざけて行くニコラス。
これで、イブリースの標的は自分たちになった、とカノンは思った。存分に戦える。
戦うべき相手を、カノンは見据えた。
8体もの巨大な百足を構成する、人骨の群れ。
小さな頭蓋骨もある。子供や、赤ん坊。
砕くしかない。砕いて、弔うしかないのだ。
ごめんね、という言葉を、カノンは呑み込んだ。
「救えなかった命に対して、出来る事など……本当は、何もないのですね」
隣に、いつの間にか『歩く懺悔室』アンジェリカ・フォン・ヴァレンタイン(CL3000505)が立っている。
「祈りも、弔いも、死者ではなく生者に救いをもたらすもの……」
「自己満足。そう言ってしまったら、身も蓋もないかな」
微笑んだのは、『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)だ。
「自己満足で、だけど救われている者もいる。それで良いと僕は思うよ」
「ええ。まずは私たちが救われましょう……死せる者よ、あなたたちを永遠の安寧へと導く事で」
アンジェリカが、踏み込んで行く。巨大な十字架を振るいながら。
「参りましょう、先輩!」
「了解、アンジェ。貴女に合わせますよっ」
エルシーも踏み込んで行く。徒手空拳で。
剛力の細腕で振り回される十字架が、猛回転しつつ、骨の百足の1体を滅多打ちにする。
人骨の細かな破片を飛散させながら、イブリースが痙攣し、それでも節足を暴れさせてアンジェリカを切り刻もうとする。
その斬撃を、エルシーが身体で止めた。アンジェリカの盾になった、ように見えた。
否。それは防御ではなく、攻撃だった。肩あるいは背中からぶつかってゆく、体当たり。
巨大な盾で殴打したかのような一撃が、骨の百足を吹っ飛ばす。吹っ飛んだイブリースが、後方の1体と激突して骨の破片を散らせる。
他6体の百足たちが、しかしその時には反撃に出ていた。ぞっとするほど、滑らかで俊敏な動き。
長剣のような節足の群れが、獰猛に斬りかかって来る。
降り注ぐ刃の雨を、カノンはことごとく手甲で受け流した。小さな身体を、柳の如く柔軟に躍動させながら。
無数の斬撃が、全身をかすめる。鮮血の霧がしぶく。いくつか浅手を負った。
「くっ……!」
カノンは歯を食いしばった。
アンジェリカもエルシーも、微かな血飛沫を散らせながら、斬撃の豪雨をやり過ごしている。カノンと同じ『柳凪』の身のこなし。
よろめく足で、カノンは辛うじて踏みとどまった。小さな身体で、さらに低く屈して跳躍に備える。反撃の備え。
その間、イブリースの何体かが、己の身体の一部分を発射していた。いくつもの鋭利な人骨が、百足から分離して高速で宙を裂き、自由騎士たちを襲う。
その全てを、ザルクが受けた。
左半分が機械化した青年の長身が、痛々しく切り裂かれながら揺らぎ、火花と血飛沫を散らせる。
「ザルク兄さん!」
「……平気……でもねえが、まあ大丈夫だ」
苦しげに、ザルクが微笑む。
「なあカノン嬢ちゃん、それにシスターお2人……その柳凪、だったか? なかなか羨ましい技術だ。俺も身に付けられんかな」
「ふふふ。シスター・エルシーに教えを乞うのは、やめた方がいい。地獄を見るよ」
その後方から、マグノリアが言葉をかける。
「それよりザルク。まさか、とは思うけれど」
言葉に合わせ、細い身体が揺らめく。マグノリアもまた、反撃の準備を整えている。
「今……僕を、庇ってくれたのかい?」
「……こいつらの攻撃がな、お前さんを嫌がって! 俺の方に来ちまったんだよっ」
応えつつザルクが、拳銃をぶっ放す。地面に向かってだ。
骨の百足の何体かが、痙攣・硬直し、動きを止めた。地中から噴出した見えざる力に、拘束されている。ザルクが撃ち込んだ力。
「ヘルメリアにいた頃から、な……厄病神には、好かれてる」
「カノンたちが追い払ってあげるよ! ねっ、エルシーちゃん」
溜め込んだ跳躍と回転の力を、カノンは解放していた。
オニヒトの少女の小さな身体が、逆さまに飛翔した。あまり長くない両脚が、空気を切り裂いて猛回転し、揚力を生む。破壊力もだ。
嵐の如き回転蹴りが、骨の百足たちを薙ぎ払っていた。
小さな子供の頭蓋骨が1つ、砕け散った。
足に残る感触。忘れるまい、と思いながらカノンは着地した。
「まだまだ……厄というものはね、これくらいでなければ」
マグノリアのゆったりとした動きが、激しい魔導の踊りに変わった。
踊り狂う細身から、破壊そのものの力が溢れ出し、イブリース8体を直撃する。
細かな人骨の破片が、大量に飛び散った。村人たちが、砕けてゆく。
「……本当の厄災に見舞われたのは、彼ら……か」
マグノリアが、ふわりと舞いを止める。
村人たちは今、2度目の虐殺を受けているのだ、とカノンは思った。
「マグノリアさん、地獄はまだまだ始まったばかりですよ。ザルクさんも、地獄への参加は大歓迎です」
エルシーが言った。
「だから皆さん……生きて、帰りますよ」
●
他力本願。
魔導術式の類は基本的に、全てそうである。自力で出来る事など何もないのでは、と思えるほどに。
自然界に存在する無形の魔力を、癒しの力に還元する。それにはオラクルとしての技術が必要で、そこはまあ自力と言えない事もないか。
「だからどう、ってワケでもないがね……こんなもんで良かろうと思うが、どうかな領主サン」
「大丈夫……ありがとう、自由騎士殿」
アラム・ヴィスケーノ侯爵が、己の顔面を軽く撫で回している。折れかけていた鼻や切れていた唇が、綺麗に癒えているのを確認している。
「あなた方には、世話になってばかりだ。本当にすまないと思う」
「ま、確かに無茶をし過ぎだとは思うぜ。アンタ」
俯き加減の、若い領主の顔を、ニコラスはじっと見据えた。
「偉い人が現場仕事をやりたがるのは、まあ悪い事じゃあない。けどなあ……安全な場所で、ふんぞり返って偉そうにあれこれ指示を出す奴ってのも、絶対に必要なんだよねえ。あそこで暴れてるシスターの言葉を借りるなら、ぜつ☆ひつ! お前さんは、それをやってもいい器だと思う」
アラム侯の細い肩に片手を置きながら、ニコラスはじろりと視線を動かした。
「で、そこの連中。何、ヘルメリアに亡命希望なんだって?」
「俺たちは……もう、ここには居られない……」
年若い領主に暴力を振るっていた兵士たちが、暗い声を発している。
「俺たちが、この村で何をしでかしたか! 知らないなら聞かせてやろうか……」
「今が酒飲んでる最中とかだったら、まあ聞いてやらんでもないが」
ニコラスは頭を掻いた。
「ま、やめとけ。お前さん方がのんびり生きていけるほど、ヘルメリアってのは甘い国じゃあない。甘ったれが長生きしたいと思うんなら、何にも考えず上に従っていた方がいい。ちょうどアレだろ、上がだいぶマシな領主様に代わったところだ。こちらの侯爵サンに従ってりゃ間違いはない、アンタらみたく考え無しな連中はな」
「兵たちを、民を、従わせているのは……私の、母だ」
アラムが、ぽつりと言った。
「私は、母がいなければ何も出来ぬ飾り物の領主……それではいけないと思って、自分で動いてみた結果がこの様ではな」
「ふむ、おふくろ様が苦手と」
「無様な話だが……」
「いや。男の子ってのは、そうさ。いくつになっても、おっ母さんには敵わない」
ニコラスは、空を見上げた。
「……女の子はなあ。とっとと親父なんか放っぽって、自分の道を行っちまう……」
空、以外の何かが見えるわけでもなかった。
●
頭の中で、エルシーは音楽を鳴らした。優雅な、それでいて激烈な、戦いの調べ。
身体が、踊り出す。凹凸のくっきりとしたボディラインが竜巻状に捻転し、むっちりと力強い太股が超高速で跳ね上がる。
嵐のような蹴りが、骨の百足たちを薙ぎ払っていた。
細かな人骨の破片を血飛沫の如く噴射しながら、しかしイブリースの群れはすぐさま反撃に転じてきた。
何体かは、ザルクが地中に撃ち込んだ結界に拘束されたままだ。
動けるものたちが、しかし鋭利な節足の斬撃を容赦なく降らせて来る。
エルシーも、カノンもアンジェリカも、『柳凪』の動きでそれらを受け流し、かわしながらも、かわしきれずに薄く切り苛まれて鮮血の霧を漂わせた。
浅手ではある。浅手が、しかし積み重なりつつある。
エルシーはよろめき、踏みとどまり、苦笑した。
「まったく……これだから足の多い生き物は好きになれないんです。まあ生き物じゃありませんが」
「無理をするなよ、お嬢さん方!」
ザルクが、左右2丁の拳銃をぶっ放した。
マズルフラッシュが、そのまま爆炎と化し、骨の百足たちを焼き払う。飛散した骨の破片が、そのまま灰となった。
「女性陣に前衛を任せっぱなしってのもな、男としちゃ心苦しいもんがある。代わるぜ?」
「……ザルク様も、お怪我を……」
半ば十字架にすがりついて立ちながら、アンジェリカが言う。
ザルクは微笑んだ。
「この身体……ヘルメリア製だ。そう簡単に、ぶっ壊れはしない」
「君はね、前衛に立ったら……僕たちの中で一番、無茶をするよ。賭けてもいい」
言葉と共に、マグノリアが舞った。
細い身体が、壊れそうなほどに躍動し、魔力の大渦を発生させる。まだまだ鍛えてあげなければ、とエルシーは思った。
ともあれ。荒れ狂う大渦の中で、骨の百足の何体がが崩れ散ってゆく。
生き残ったものたちが、鋭い節足の群れを蠢かせ、迫り寄って来る。
それを阻む形に、何者かが立った。
「ガロムさん……」
声をかけるエルシーの方を振り向かずにガロム・ザグは、イブリースの群れを見据えて剣を抜いた。
「貴公らに加勢は不要、とは思うが……すまんな。勝手に戦わせてもらう」
「いや、戦ってくれるのは助かるよ。だけど……」
マグノリアが、続いてカノンが言った。
「ガロム……さん? 怪我してる……前衛なんて、ダメだよ」
「大した傷ではない……」
「そう言うんだよ、みんな」
ニコラスの声、と共に雨が降った。
癒やしの雨。ハーベストレイン。魔導医学による容赦ない治療が、ガロムを含む負傷者全員に降り注ぐ。
ザルクが呻いた。
「……染みるぜ、ニコラスの旦那」
「大人なんだから我慢しなさい。ほれ、カノン嬢だって耐えている」
「痛いけどね~」
「で……どんな感じだい、あの連中」
ザルクの言う『連中』が、アラム侯爵の周囲で膝をつき、俯き、震えている。
マグノリアが、片手を庇にした。
「やあ、泣かせてしまったね」
「勘弁してくれ。あいつらはな、ガキなんだよ。成長の機会を潰されちまってる。前の領主にな」
ニコラスは頭を掻いた。
「自分の頭で考えるって事を、させてもらえなかった……ま、かわいそうな連中さ」
●
カノンの小さな身体が、旋風となった。
弾丸のような飛び蹴りが、竜巻にも似た回し蹴りに移行し、骨の百足たちを粉砕する。何体かが、砕け散った。
着地したカノンが、残心の構えをとる。
残るは2体、いや3体か。
マグノリアは、片手で拳銃を形作った。
すぐ近くでは、ザルクが本物の拳銃を構えている。
2つの銃撃が、同時に迸った。
神聖なる純白の砲火が、骨の百足を焼き砕く。人骨の破片が、そのまま遺灰に変わり、漂った。ザルクの、シルバーバレットである。
マグノリアの人差し指が向けられた先では、猛毒の炸薬が調合完了と同時に爆発し、骨の百足を砕き吹っ飛ばしていた。大小の人骨が、吹っ飛びながら粉末状に崩壊する。錬金の秘術・ティンクトラの雫。
残る1体のイブリースは、しかし他のものよりもいくらか強力な個体であるようだった。ひび割れた骨の刃が、しかし鋭さと激しさを失う事なく荒れ狂い、襲いかかって来る。
巨大な十字架が、その襲撃を打ち砕いた。アンジェリカの一撃であった。
「死せる者たちよ、とこしえの安らぎへと還りなさい……」
砕け、崩壊しかけながらも、骨の百足はしかし禍々しい原形を失ってはいない。
震えながら結合し続ける死者たちに向かって、アンジェリカは踏み込んだ。そして身を翻した。
ふっさりと豊かな尻尾が、弧を描く。
それと同時に、光が一閃した。一閃で、3度の斬撃が繰り出されていた。
イブリースの最後の1体が、完全に切り刻まれて崩れ落ちる。
その様に背を向けながらアンジェリカは、十字架から引き抜いた大剣を、十字架に収納した。
「見事……」
ガロムが言った。
「1度ならず2度までも……貴公らには、面倒をかけてしまうな。すまぬと思う」
「……本当に面倒なのは、これからじゃあないのかな」
言いつつニコラスが、さりげなく動いて立ち塞がる。ガロムと、兵士たちとの間にだ。
「面倒な事を、やりに来たんだろう? ガロム兵長」
「……見て見ぬ振りを、してくれぬか」
「それが出来る人、自由騎士団には1人もいません」
エルシーが、ガロムの腕を掴む。
「……死者に祈りを捧げる前に、生きてる人のやらかしを止めさせてもらいます」
「放せ、シスター……」
「放しません。この、たくましい腕……殺気が漲っていますよ。貴方、その兵隊さんたちを」
「……殺すつもり、だね?」
マグノリアが言った。
「アラム・ヴィスケーノ。ここは君の出番だと思うが」
「……ガロム兵長、彼らに罪はない」
アラム侯爵が、兵士たちを背後に庇ってガロムと対峙する。
「彼らには、この地の民を守ってもらわなければならない。そうだろう?」
「配下の者どもを庇う。上に立つ者として、それは決して美徳ではありませんぞ。侯爵閣下」
「私は、美徳を追求しているわけではないよ。ガロム兵長」
アラムは微笑んだ。
「……私を、侯爵閣下と呼んでくれるのだね」
「……おどきなさい侯爵閣下。その者ども、生かしてはおけません」
「それが、ガロムさんのしたい事?」
カノンが、じっとガロムを見上げる。
「人の、命を奪う。それが?」
「……多くの命を、奪ってきた。私も、その者たちも」
「カノンもだよ。戦争で、人の命を奪った……許して欲しい、なんて思っちゃいけない。そこはガロムさんと同じだね」
ガロムに、だけではない。兵士たちにも、カノンは語りかけている。
「許されないし、逃げちゃいけない……死ぬのは、逃げるのと同じだよ」
「そういう事だな」
ザルクの言葉が、眼光が、怯え泣く兵士たちに突き刺さる。
「やっちまった事ってのは消えない、その上で生きてくしかねえ……なあガロム。こいつらにはな、生きて辛い思いをさせるべきだと思うぜ。楽にさせちゃ、いけねえよ」
「罪が消える事は、ありません……ですが、少しずつ溝を埋めてゆく事は出来ます」
アンジェリカも言った。
「背負った罪を償うために、どうか歩み続けて下さい。それを耐え難く思った時は、最寄りの教会へ行きなさい。今、この場で懺悔をするのも良いでしょう。私が、全て受け止めます」
「アンジェは優しさ担当、私は厳しさ担当で行きましょう。貴方たち、こんな所で死んでいる場合じゃないですよ」
マグノリアに過酷な走り込みをさせている時の口調で、エルシーは言う。
「ガロムさんも。これは貴方の責任問題でもあります。この弱虫な兵隊さんたちを、しっかり導いて下さい。貴方もね、ご自分を責めてる場合じゃありません」
「私は……」
「もう充分だろう、ガロム・ザグ」
マグノリアは、ガロムの言葉を遮った。
「君は、血まみれの道を歩いてきた。背後の屍や、血染めの足跡を、いちいち確認しながらね……そろそろ、前を向いて歩き始めるべきだと思う」
「…………」
黙り込んでしまったガロムの背中を、ザルクが軽く叩いた。
還リビトに、生前の意思はない。
だから、この死者たちも、生前に受けた仕打ちの報復をしようとしているわけではないのだ。
数人分の人骨で組成された、巨大な百足。その数は8体。鋭利な長剣の如き節足をカチカチと蠢かせ、眼前の生者たちを切り刻もうとしている。
命あるものを殺戮する。
この百足たちは、イブリースとしてのその本能に従っているだけだ。復讐をせんとしているわけではない。
だが今、彼らに切り刻まれようとしている兵士たちは、復讐を受けて当然とも言える事をしてきたのだ。
「だとしても……殺させるわけには、いかない。今、生きてる人たちを護るためにね、カノンは戦うよ」
百足たちの眼前に、『太陽の笑顔』カノン・イスルギ(CL3000025)は小さな身体で立ち塞がった。
隣には1人の青年が、同じく兵士たちを背後に庇い、立っている。
「自由騎士団……来て、くれたのか」
ここヴィスケーノ侯爵領の現領主、アラム・ヴィスケーノ侯爵。
その細い肩に、『灼熱からの帰還者』ザルク・ミステル(CL3000067)が片手を置く。
「自分に出来る事を、する……それはいいが、無茶はするなよ」
「ここは私たちに任せて。お退がり下さい、アラム侯」
修道服をばさりと脱ぎ捨てながら『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)が前に出る。
「ご立派でした。でも死んでは駄目ですよ」
「あーあ、嫌だね。胸糞悪い……と思ってたけど」
同じく進み出て来た『罰はその命を以って』ニコラス・モラル(CL3000453)が、アラム侯をやんわりと後方へ下がらせる。
「アンタみたいな人が領主サンなら……ま、こういう連中でも助けてやろうかって気になるわな。ほら、お前らも下がった下がった」
怯えている兵士たちをアラム共々、骨の百足の群れから遠ざけて行くニコラス。
これで、イブリースの標的は自分たちになった、とカノンは思った。存分に戦える。
戦うべき相手を、カノンは見据えた。
8体もの巨大な百足を構成する、人骨の群れ。
小さな頭蓋骨もある。子供や、赤ん坊。
砕くしかない。砕いて、弔うしかないのだ。
ごめんね、という言葉を、カノンは呑み込んだ。
「救えなかった命に対して、出来る事など……本当は、何もないのですね」
隣に、いつの間にか『歩く懺悔室』アンジェリカ・フォン・ヴァレンタイン(CL3000505)が立っている。
「祈りも、弔いも、死者ではなく生者に救いをもたらすもの……」
「自己満足。そう言ってしまったら、身も蓋もないかな」
微笑んだのは、『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)だ。
「自己満足で、だけど救われている者もいる。それで良いと僕は思うよ」
「ええ。まずは私たちが救われましょう……死せる者よ、あなたたちを永遠の安寧へと導く事で」
アンジェリカが、踏み込んで行く。巨大な十字架を振るいながら。
「参りましょう、先輩!」
「了解、アンジェ。貴女に合わせますよっ」
エルシーも踏み込んで行く。徒手空拳で。
剛力の細腕で振り回される十字架が、猛回転しつつ、骨の百足の1体を滅多打ちにする。
人骨の細かな破片を飛散させながら、イブリースが痙攣し、それでも節足を暴れさせてアンジェリカを切り刻もうとする。
その斬撃を、エルシーが身体で止めた。アンジェリカの盾になった、ように見えた。
否。それは防御ではなく、攻撃だった。肩あるいは背中からぶつかってゆく、体当たり。
巨大な盾で殴打したかのような一撃が、骨の百足を吹っ飛ばす。吹っ飛んだイブリースが、後方の1体と激突して骨の破片を散らせる。
他6体の百足たちが、しかしその時には反撃に出ていた。ぞっとするほど、滑らかで俊敏な動き。
長剣のような節足の群れが、獰猛に斬りかかって来る。
降り注ぐ刃の雨を、カノンはことごとく手甲で受け流した。小さな身体を、柳の如く柔軟に躍動させながら。
無数の斬撃が、全身をかすめる。鮮血の霧がしぶく。いくつか浅手を負った。
「くっ……!」
カノンは歯を食いしばった。
アンジェリカもエルシーも、微かな血飛沫を散らせながら、斬撃の豪雨をやり過ごしている。カノンと同じ『柳凪』の身のこなし。
よろめく足で、カノンは辛うじて踏みとどまった。小さな身体で、さらに低く屈して跳躍に備える。反撃の備え。
その間、イブリースの何体かが、己の身体の一部分を発射していた。いくつもの鋭利な人骨が、百足から分離して高速で宙を裂き、自由騎士たちを襲う。
その全てを、ザルクが受けた。
左半分が機械化した青年の長身が、痛々しく切り裂かれながら揺らぎ、火花と血飛沫を散らせる。
「ザルク兄さん!」
「……平気……でもねえが、まあ大丈夫だ」
苦しげに、ザルクが微笑む。
「なあカノン嬢ちゃん、それにシスターお2人……その柳凪、だったか? なかなか羨ましい技術だ。俺も身に付けられんかな」
「ふふふ。シスター・エルシーに教えを乞うのは、やめた方がいい。地獄を見るよ」
その後方から、マグノリアが言葉をかける。
「それよりザルク。まさか、とは思うけれど」
言葉に合わせ、細い身体が揺らめく。マグノリアもまた、反撃の準備を整えている。
「今……僕を、庇ってくれたのかい?」
「……こいつらの攻撃がな、お前さんを嫌がって! 俺の方に来ちまったんだよっ」
応えつつザルクが、拳銃をぶっ放す。地面に向かってだ。
骨の百足の何体かが、痙攣・硬直し、動きを止めた。地中から噴出した見えざる力に、拘束されている。ザルクが撃ち込んだ力。
「ヘルメリアにいた頃から、な……厄病神には、好かれてる」
「カノンたちが追い払ってあげるよ! ねっ、エルシーちゃん」
溜め込んだ跳躍と回転の力を、カノンは解放していた。
オニヒトの少女の小さな身体が、逆さまに飛翔した。あまり長くない両脚が、空気を切り裂いて猛回転し、揚力を生む。破壊力もだ。
嵐の如き回転蹴りが、骨の百足たちを薙ぎ払っていた。
小さな子供の頭蓋骨が1つ、砕け散った。
足に残る感触。忘れるまい、と思いながらカノンは着地した。
「まだまだ……厄というものはね、これくらいでなければ」
マグノリアのゆったりとした動きが、激しい魔導の踊りに変わった。
踊り狂う細身から、破壊そのものの力が溢れ出し、イブリース8体を直撃する。
細かな人骨の破片が、大量に飛び散った。村人たちが、砕けてゆく。
「……本当の厄災に見舞われたのは、彼ら……か」
マグノリアが、ふわりと舞いを止める。
村人たちは今、2度目の虐殺を受けているのだ、とカノンは思った。
「マグノリアさん、地獄はまだまだ始まったばかりですよ。ザルクさんも、地獄への参加は大歓迎です」
エルシーが言った。
「だから皆さん……生きて、帰りますよ」
●
他力本願。
魔導術式の類は基本的に、全てそうである。自力で出来る事など何もないのでは、と思えるほどに。
自然界に存在する無形の魔力を、癒しの力に還元する。それにはオラクルとしての技術が必要で、そこはまあ自力と言えない事もないか。
「だからどう、ってワケでもないがね……こんなもんで良かろうと思うが、どうかな領主サン」
「大丈夫……ありがとう、自由騎士殿」
アラム・ヴィスケーノ侯爵が、己の顔面を軽く撫で回している。折れかけていた鼻や切れていた唇が、綺麗に癒えているのを確認している。
「あなた方には、世話になってばかりだ。本当にすまないと思う」
「ま、確かに無茶をし過ぎだとは思うぜ。アンタ」
俯き加減の、若い領主の顔を、ニコラスはじっと見据えた。
「偉い人が現場仕事をやりたがるのは、まあ悪い事じゃあない。けどなあ……安全な場所で、ふんぞり返って偉そうにあれこれ指示を出す奴ってのも、絶対に必要なんだよねえ。あそこで暴れてるシスターの言葉を借りるなら、ぜつ☆ひつ! お前さんは、それをやってもいい器だと思う」
アラム侯の細い肩に片手を置きながら、ニコラスはじろりと視線を動かした。
「で、そこの連中。何、ヘルメリアに亡命希望なんだって?」
「俺たちは……もう、ここには居られない……」
年若い領主に暴力を振るっていた兵士たちが、暗い声を発している。
「俺たちが、この村で何をしでかしたか! 知らないなら聞かせてやろうか……」
「今が酒飲んでる最中とかだったら、まあ聞いてやらんでもないが」
ニコラスは頭を掻いた。
「ま、やめとけ。お前さん方がのんびり生きていけるほど、ヘルメリアってのは甘い国じゃあない。甘ったれが長生きしたいと思うんなら、何にも考えず上に従っていた方がいい。ちょうどアレだろ、上がだいぶマシな領主様に代わったところだ。こちらの侯爵サンに従ってりゃ間違いはない、アンタらみたく考え無しな連中はな」
「兵たちを、民を、従わせているのは……私の、母だ」
アラムが、ぽつりと言った。
「私は、母がいなければ何も出来ぬ飾り物の領主……それではいけないと思って、自分で動いてみた結果がこの様ではな」
「ふむ、おふくろ様が苦手と」
「無様な話だが……」
「いや。男の子ってのは、そうさ。いくつになっても、おっ母さんには敵わない」
ニコラスは、空を見上げた。
「……女の子はなあ。とっとと親父なんか放っぽって、自分の道を行っちまう……」
空、以外の何かが見えるわけでもなかった。
●
頭の中で、エルシーは音楽を鳴らした。優雅な、それでいて激烈な、戦いの調べ。
身体が、踊り出す。凹凸のくっきりとしたボディラインが竜巻状に捻転し、むっちりと力強い太股が超高速で跳ね上がる。
嵐のような蹴りが、骨の百足たちを薙ぎ払っていた。
細かな人骨の破片を血飛沫の如く噴射しながら、しかしイブリースの群れはすぐさま反撃に転じてきた。
何体かは、ザルクが地中に撃ち込んだ結界に拘束されたままだ。
動けるものたちが、しかし鋭利な節足の斬撃を容赦なく降らせて来る。
エルシーも、カノンもアンジェリカも、『柳凪』の動きでそれらを受け流し、かわしながらも、かわしきれずに薄く切り苛まれて鮮血の霧を漂わせた。
浅手ではある。浅手が、しかし積み重なりつつある。
エルシーはよろめき、踏みとどまり、苦笑した。
「まったく……これだから足の多い生き物は好きになれないんです。まあ生き物じゃありませんが」
「無理をするなよ、お嬢さん方!」
ザルクが、左右2丁の拳銃をぶっ放した。
マズルフラッシュが、そのまま爆炎と化し、骨の百足たちを焼き払う。飛散した骨の破片が、そのまま灰となった。
「女性陣に前衛を任せっぱなしってのもな、男としちゃ心苦しいもんがある。代わるぜ?」
「……ザルク様も、お怪我を……」
半ば十字架にすがりついて立ちながら、アンジェリカが言う。
ザルクは微笑んだ。
「この身体……ヘルメリア製だ。そう簡単に、ぶっ壊れはしない」
「君はね、前衛に立ったら……僕たちの中で一番、無茶をするよ。賭けてもいい」
言葉と共に、マグノリアが舞った。
細い身体が、壊れそうなほどに躍動し、魔力の大渦を発生させる。まだまだ鍛えてあげなければ、とエルシーは思った。
ともあれ。荒れ狂う大渦の中で、骨の百足の何体がが崩れ散ってゆく。
生き残ったものたちが、鋭い節足の群れを蠢かせ、迫り寄って来る。
それを阻む形に、何者かが立った。
「ガロムさん……」
声をかけるエルシーの方を振り向かずにガロム・ザグは、イブリースの群れを見据えて剣を抜いた。
「貴公らに加勢は不要、とは思うが……すまんな。勝手に戦わせてもらう」
「いや、戦ってくれるのは助かるよ。だけど……」
マグノリアが、続いてカノンが言った。
「ガロム……さん? 怪我してる……前衛なんて、ダメだよ」
「大した傷ではない……」
「そう言うんだよ、みんな」
ニコラスの声、と共に雨が降った。
癒やしの雨。ハーベストレイン。魔導医学による容赦ない治療が、ガロムを含む負傷者全員に降り注ぐ。
ザルクが呻いた。
「……染みるぜ、ニコラスの旦那」
「大人なんだから我慢しなさい。ほれ、カノン嬢だって耐えている」
「痛いけどね~」
「で……どんな感じだい、あの連中」
ザルクの言う『連中』が、アラム侯爵の周囲で膝をつき、俯き、震えている。
マグノリアが、片手を庇にした。
「やあ、泣かせてしまったね」
「勘弁してくれ。あいつらはな、ガキなんだよ。成長の機会を潰されちまってる。前の領主にな」
ニコラスは頭を掻いた。
「自分の頭で考えるって事を、させてもらえなかった……ま、かわいそうな連中さ」
●
カノンの小さな身体が、旋風となった。
弾丸のような飛び蹴りが、竜巻にも似た回し蹴りに移行し、骨の百足たちを粉砕する。何体かが、砕け散った。
着地したカノンが、残心の構えをとる。
残るは2体、いや3体か。
マグノリアは、片手で拳銃を形作った。
すぐ近くでは、ザルクが本物の拳銃を構えている。
2つの銃撃が、同時に迸った。
神聖なる純白の砲火が、骨の百足を焼き砕く。人骨の破片が、そのまま遺灰に変わり、漂った。ザルクの、シルバーバレットである。
マグノリアの人差し指が向けられた先では、猛毒の炸薬が調合完了と同時に爆発し、骨の百足を砕き吹っ飛ばしていた。大小の人骨が、吹っ飛びながら粉末状に崩壊する。錬金の秘術・ティンクトラの雫。
残る1体のイブリースは、しかし他のものよりもいくらか強力な個体であるようだった。ひび割れた骨の刃が、しかし鋭さと激しさを失う事なく荒れ狂い、襲いかかって来る。
巨大な十字架が、その襲撃を打ち砕いた。アンジェリカの一撃であった。
「死せる者たちよ、とこしえの安らぎへと還りなさい……」
砕け、崩壊しかけながらも、骨の百足はしかし禍々しい原形を失ってはいない。
震えながら結合し続ける死者たちに向かって、アンジェリカは踏み込んだ。そして身を翻した。
ふっさりと豊かな尻尾が、弧を描く。
それと同時に、光が一閃した。一閃で、3度の斬撃が繰り出されていた。
イブリースの最後の1体が、完全に切り刻まれて崩れ落ちる。
その様に背を向けながらアンジェリカは、十字架から引き抜いた大剣を、十字架に収納した。
「見事……」
ガロムが言った。
「1度ならず2度までも……貴公らには、面倒をかけてしまうな。すまぬと思う」
「……本当に面倒なのは、これからじゃあないのかな」
言いつつニコラスが、さりげなく動いて立ち塞がる。ガロムと、兵士たちとの間にだ。
「面倒な事を、やりに来たんだろう? ガロム兵長」
「……見て見ぬ振りを、してくれぬか」
「それが出来る人、自由騎士団には1人もいません」
エルシーが、ガロムの腕を掴む。
「……死者に祈りを捧げる前に、生きてる人のやらかしを止めさせてもらいます」
「放せ、シスター……」
「放しません。この、たくましい腕……殺気が漲っていますよ。貴方、その兵隊さんたちを」
「……殺すつもり、だね?」
マグノリアが言った。
「アラム・ヴィスケーノ。ここは君の出番だと思うが」
「……ガロム兵長、彼らに罪はない」
アラム侯爵が、兵士たちを背後に庇ってガロムと対峙する。
「彼らには、この地の民を守ってもらわなければならない。そうだろう?」
「配下の者どもを庇う。上に立つ者として、それは決して美徳ではありませんぞ。侯爵閣下」
「私は、美徳を追求しているわけではないよ。ガロム兵長」
アラムは微笑んだ。
「……私を、侯爵閣下と呼んでくれるのだね」
「……おどきなさい侯爵閣下。その者ども、生かしてはおけません」
「それが、ガロムさんのしたい事?」
カノンが、じっとガロムを見上げる。
「人の、命を奪う。それが?」
「……多くの命を、奪ってきた。私も、その者たちも」
「カノンもだよ。戦争で、人の命を奪った……許して欲しい、なんて思っちゃいけない。そこはガロムさんと同じだね」
ガロムに、だけではない。兵士たちにも、カノンは語りかけている。
「許されないし、逃げちゃいけない……死ぬのは、逃げるのと同じだよ」
「そういう事だな」
ザルクの言葉が、眼光が、怯え泣く兵士たちに突き刺さる。
「やっちまった事ってのは消えない、その上で生きてくしかねえ……なあガロム。こいつらにはな、生きて辛い思いをさせるべきだと思うぜ。楽にさせちゃ、いけねえよ」
「罪が消える事は、ありません……ですが、少しずつ溝を埋めてゆく事は出来ます」
アンジェリカも言った。
「背負った罪を償うために、どうか歩み続けて下さい。それを耐え難く思った時は、最寄りの教会へ行きなさい。今、この場で懺悔をするのも良いでしょう。私が、全て受け止めます」
「アンジェは優しさ担当、私は厳しさ担当で行きましょう。貴方たち、こんな所で死んでいる場合じゃないですよ」
マグノリアに過酷な走り込みをさせている時の口調で、エルシーは言う。
「ガロムさんも。これは貴方の責任問題でもあります。この弱虫な兵隊さんたちを、しっかり導いて下さい。貴方もね、ご自分を責めてる場合じゃありません」
「私は……」
「もう充分だろう、ガロム・ザグ」
マグノリアは、ガロムの言葉を遮った。
「君は、血まみれの道を歩いてきた。背後の屍や、血染めの足跡を、いちいち確認しながらね……そろそろ、前を向いて歩き始めるべきだと思う」
「…………」
黙り込んでしまったガロムの背中を、ザルクが軽く叩いた。