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名無しの王国




 神であるはずのアクアディーネが、神に祈っている。
 元ヴィスマルク軍少年兵アレス・クィンスは、そんな事を思った。
「これが……女神アクアディーネ、なのかな?」
 出来上がったばかりの彫像を、アレスはまじまじと鑑賞した。
 女神アクアディーネの像。
 女神と言うより、苦悩する非力な少女である。
 打ちひしがれ、懊悩し、何かに縋り付かずにはいられない、弱々しく敬虔な乙女。
 アクアディーネばかりを彫り続けている彫刻家エルトン・デヌビスの、最新作である。
「僕には……今のアクアディーネが、こう見えてしまうんだ」
 汗を拭いながら、エルトンは言った。
 この男はアマノホカリにおいて、とてつもなく荘厳なアクアディーネを岩壁に彫り上げて見せた。磐成山で初めてそれを目の当たりにした時、アレスは圧倒され、息を呑んだものだ。
 それほどの作品が、磐成山もろとも消失した。アマノホカリという国が、国土そのものが、消え失せたのだ。
 かける言葉がない、と思いつつアレスは言った。
「まあ……残念だったよね、エルトン氏」
「なあに。新しいアクアディーネを、僕はいくらでも造り出せる」
 この男は、神の失われた国アマノホカリに、アクアディーネ信仰を根付かせようとしていた。
 そして先頃、ここパノプティコンにおいても神が失われた。
 今や管理国家パノプティコンは存在せず、この地はイ・ラプセルの版図となった。
 これまでアイドーネウスを信仰していた人民に、アクアディーネを信仰させなければならない。
 過酷であろう、とアレスは思う。アクアディーネは、人々に自由を強制する。アイドーネウスのように管理をしない。
 自由とは、すなわち己の行動に責任を持つという事である。管理される事が当然であった人々にとって、これほど恐ろしいものはない。
 アクアディーネは、旧パノプティコンの民にとっては最悪最凶の神となるだろう。
 今エルトンの彫り上げたアクアディーネは、しかし民を威圧するような、強大なる悪神ではなかった。
 1人の、弱々しい少女である。
 アレスは、正直な感想を述べた。
「こんなもので……信仰を集める事が、出来るのかな?」
「……僕も、そう思う」
 エルトンは言った。
「だけど、僕は……僕たちは……アクアディーネを、守らなければいけないという気がする。強大な女神という虚像を、膨れ上がらせてはいけない……それは、信仰や宗教とは相反するもの、なのだろうけれど……」
 磐成山で『あくあ様』を信仰し、そのため邪宗門と呼ばれていた人々は、アマノホカリ消失から逃れてイ・ラプセルに受け入れられた後、ひとまとめに旧パノプティコン領へと追いやられた。
 厄介払いのようなもの、であろうとアレスは思っている。
 アクア神殿にとっては、異国で勝手に育った『あくあ様』信仰など、目障りな異端でしかないのだ。
 旧パノプティコン領の、とある山中。磐成山と、よく似ている。
 山麓では、それほど豪奢なものではないにせよ神殿が建設されている最中である。アクア神殿のパノプティコン支部、という形になるのだろうか。本部との関係は今ひとつ良好ではないのだが。
 ともかく山中でエルトンは岩を見繕い、アクアディーネを彫った。結果、この悲しげな少女像が出来上がった。
「……あたし、いいと思います」
 無言で鑑賞していた志乃が、ようやく言葉を発した。
 アマノホカリのある村で出会った少女。あれから妙にアレスの世話を焼きたがり、付いて回るようになった。迷惑だとは何度も言ったが離れようとしない。
「この、あくあ様……みんなで、守ってあげなきゃって気持ちになります」
「ふん。確かに、お前と同じくらい見すぼらしいものな」
「あんたも、守ってもらう方だからね」
 志乃が言い、エルトンが笑う。アレスは横を向いた。
 まったく、おかしな場所に来てしまったものだと思う。
「おい、苫三老人はいるか」
 声がした。巨体が1つ、のしのしと山麓の方から上って来た。
 エルトンが答える。
「やあハンマーフェイス。苫三さんなら、ここにはいないよ。近隣住民の子供が1人、悩み事を抱えて来てね……苫三さんは今、その子と話し込んでいる」
 苫三老人は「邪宗門」と呼ばれた勢力の統率者であり、オーガーのハンマーフェイスはその補佐である。
 この両名の指導と尽力で、磐成山の人々は1人の欠落も出す事なく、アマノホカリ消失からイ・ラプセル移住に至るまでの混乱を乗り切ったのだ。
 現在ハンマーフェイスは、麓の建設現場で力仕事に従事していたはずである。
「悩み事、か……こやつらも同じかな。いや、作業中に押しかけて来られてな」
 何人かの近隣住民を、ハンマーフェイスは引き連れていた。
 旧パノプティコンの民。その1人が、言った。
「あの……イ・ラプセルの神様は、いつになったら私たちに……新しい番号を、下さるのでしょうか」


 益村吾三郎は、イ・ラプセル軍に組み込まれた。
 お佳代も、他の子供たちも、寂しがっている。だが吾三郎は、戦を終わらせるために戦う道を選んだ。
 自分も、己の為すべき事をしなければならない。苫三は、そう思い定めた。
「僕たちは……番号を、いただけないのですか!?」
 幼い少年であるが、口調は大人びている。管理国家の歯車として生きる道を、物心つくと同時に受け入れてしまったのだろう。他の道など、周りの大人たちにも考えられなかったに違いない。
 ちょうど長椅子のような形をした岩がある。
 そこに座り、少年を隣に座らせたまま、苫三は言った。
「貴方たちに必要なもの、それは番号ではありません。名前です」
「名前……」
「私の名前はトマーゾ・ランチェルフ。イ・ラプセルの生まれですが、長らくアマノホカリで生きる事となり、かの国の発音に合わせて苫三と名乗っておりました。容易く変わる。つまりは名前など、その程度のものです。その程度のものを持つところから、貴方たちは始めなければなりません」
「……アイドーネウス様と……同じものに、なれと……」
 少年は青ざめ、俯いた。
 この国において名を持つ存在は、長らく神だけであったのだ。
「……管理を、しろと……おっしゃるのですか? 僕たちに……」
「貴方たちは、まず御自分を管理しなければなりません」
 苫三は立ち上がり、少年を背後に庇った。
 そして、木陰から現れた者たちに語りかける。
「……貴方がたも、ですぞ」
「要らぬ……我ら、名前など……」
 8人。全員が、剣を抜いた。
 見ただけでわかる。アマノホカリの、侍たちである。
 宇羅幕府は滅び、アマノホカリは消失した。ならば、侍たちの生きる道はどこにあるのか。
「貴方たちは……人に雇われて、人を殺す道を選んだのですか」
 誰に雇われたのか。聞き出すまでもない、と苫三は思った。
「厄介払い、だけでは済まないと。異端など認められぬと、そういう事ですか」
「我らは……女も子供も、老人も殺せる。もはや躊躇わぬ」
 暗い、声だった。
 苫三は言った。
「私を殺す、貴方たちのお名前を。どうか教えていただきたい」
「我らは名無しの殺戮者よ。それで良い」
「名前を、教えていただきたい」
 この男たちは逃げようとしている。苫三は、逃がさなかった。
「アマノホカリにおいて殺戮を行ったのは……宇羅幕府ではなく、貴方がたです。名前を持つ貴方がたが、名前を持つ人々を殺したのです。名前を捨てる事など、もはや許されませんぞ」


†シナリオ詳細†
シナリオタイプ
通常シナリオ
シナリオカテゴリー
対人戦闘
担当ST
小湊拓也
■成功条件
1.刺客8名の撃破(生死不問)
2.苫三の生存

 お世話になっております。ST小湊拓也です。

 旧パノプティコン領内。とある山中にて、アマノホカリからの避難者である老人・苫三氏が、あるところから放たれた刺客の集団に襲われております。
 助けてあげて下さい。

 刺客(8名。前衛と後衛が4名ずつ)は全員がアマノホカリ出身の元侍で、以下のスキルを使用します。
・一刀両断
 EP20、近距離単体、攻撃。命-5、攻撃+140。必殺。
・飛燕血風
 EP25、遠距離単体、攻撃。命-10、攻撃+65 。BSスクラッチ1。

 時間帯は昼。場所は山中ですが、急峻な地形ではありません。

 苫三(本名トマーゾ・ランチェルフ。男、67歳、魔導士スタイル。『緋文字LV3』『ユピテルゲイヂLV2』『アステリズムLV1』を使用)は単身で刺客たちと戦っていますが、皆様の到着時点では敗れ負傷し、殺されかけております。現場にはパノプティコン人の少年がいて、駆けつけた皆様に助けを求めてくるでしょう。

 苫三に治療を施し、戦わせる事は可能ですが、体力が0になれば死亡します。皆様の指示には従ってくれるでしょう。

 それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
報酬マテリア
2個  6個  2個  2個
4モル 
参加費
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
参加人数
6/6
公開日
2021年05月26日

†メイン参加者 6人†




 番号も、名前も、単なる記号に過ぎない。『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)は、そう思う。
 この「マグノリア・ホワイト」という記号に、しかし自分は長らく馴染んできた。愛着、と呼べるものは確かにある。
 パノプティコンの民……この少年とて、同様だ。アイドーネウスより与えられし番号は、自身を認識するための唯一の手段であったのだ。
 それが、イ・ラプセルによって奪われた。
「……僕たちは、戦争をしている。イ・ラプセルはパノプティコンに勝利した。勝者の傲慢を、押し通させてもらうよ」
 すれ違いざまにマグノリアは、少年の肩に手を置いた。
「番号ではなく……名前を、名乗りたまえ。この先ずっと、君という存在を表す事になる記号だ。難しく考える必要はない……好きなもの、色、気に入った花の名前。そんなもので、いいと思う」
「…………あの人を……」
 今はまだ名前のない少年が、微かな声を絞り出している。
「……助けて……下さい……」
「大丈夫だよ」
 同じく少年の肩をぽんと叩きながら、『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)が微笑む。
 少年に「あの人」と呼ばれた老人は、負傷して血まみれである。切り倒されかけた枯れ木のような身体を、セアラ・ラングフォード(CL3000634)が寄り添い支えている。
 その両名をまとめて背後に庇う形に『強者を求めて』ロンベル・バルバロイト(CL3000550)は立ち、老人の命を狙う者たちと対峙していた。
 8名の、刺客。無言のロンベルに抜き身を突きつけ、口々に言う。
「……けだもの風情が、邪魔立てをするか」
「いや、けだものだけではない。見れば女子供もいる」
「去れ。我ら、もはや女子供どころか赤児であろうと容赦は出来ぬ」
「……赤児もろとも、母親を殺した。孫娘もろとも、老婆を殺した。仔犬を連れた童を、もろともに殺した」
 8人とも、まるで還リビトのような顔をしている。瘴気に似たものを、立ちのぼらせている。
 いつイブリース化を引き起こしてもおかしくはない、とマグノリアは思った。
「人殺しの自慢話、かっこ悪いよ」
 カノンが言った。
「誰かを殺すとね、自分の心も死んでいく……貴方たちの心、死にかけてるよ。死んじゃった方が楽になれるんだろうけど残念、死なせない。誰も、殺させない」
 オニヒトの少女の小さな身体から、巨大な鬼神の姿が浮かび上がる。
 鬼の力が全身に漲ってゆくのを、マグノリアは体感した。
 同じく鬼神の力の付与を受けながら、『智の実践者』テオドール・ベルヴァルド(CL3000375)が、
「宇羅将軍の命令により仕方なく、などと言い出さぬあたり……貴卿らには、まだ救いがある。殺戮の罪を、誰に押し付けるでもなく己自身で受け止めようとしたのであろう」
 言葉と共に黒き杖を掲げ、呪力を錬成する。
「だが受け止める事が出来ず、己の名を捨ててしまった……イブリースと何ら変わらぬ名無しの殺人者と成り果てる、か」
「させませんよ」
 鬼神の後押しを受けた『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)が、まず先陣を切った。刺客8名に向かい、踏み込んで行く。
「貴方たちのお名前、忘れちゃったんなら思い出させてあげます。それと! 誰に雇われて苫三さんの命を狙ったのか、それも吐いてもらいます」
 刺客たちの方からも、踏み込んで来る。
 元々、宇羅幕府の侍であった男たちである。斬撃の激しさ鋭さは、決して侮れない。
「……セアラ、苫三老人を頼む」
 マグノリアは、小さな片手で拳銃を形作った。
 セアラが、重傷の老人に肩を貸し、離脱して行く。名無しの少年が、それに続く。
 刺客の1人が、そちらへ向かおうとする。
「……させない」
 マグノリアは、存在しない引き金を引いた。
 人差し指の先端で光が膨れ上がり、大型の光球と化し、3つに分裂しながら放たれた。
 苫三たちの方へと斬りかかろうとした男が、3連光球の直撃を喰らい、吹っ飛んで倒れる。
 他の刺客たちに向かって、エルシーが拳と蹴りの嵐を吹かせた。凹凸の見事なボディラインが激しく捻転し、竜巻と化していた。
「何ですかねぇ……貴方たちの雇い主に心当たり、ありまくるような気がします。気のせいである事、本気で祈りますよ」
 強靱な細腕が、鋭利な美脚が、刺客たちの刃を受け流しながら即座に攻撃へと転じていた。アマノホカリの台風と大時化を思わせる、拳足の乱舞。
 そこへ、もう1つの嵐が加わって行く。
「人に雇われて、人を殺す……それは貴方たちが、自分の足で歩いてる道なのかな?」
 小柄な身体が、ぴょこんと逆立ちをしながら旋風と化した。
 長くはない両脚が轟音を立てて弧を描き、刺客たちを薙ぎ払い蹴り飛ばす。
「カノンにはね、貴方たちが変なふうに流されてるようにしか見えないんだ。お馬鹿な大将のせいで何もかも狂っちゃったのは、わかるけど……流されないで、踏みとどまってみようよ。自分の足で」
「……どこへ……踏みとどまれと言うのだ、我々に……」
 着地したカノンに、刺客の1人が猛然と斬りかかる。
「足を止めるとなぁ、聞こえて来るのだ! 悲鳴が! 怨嗟の呻きが! 慟哭が!」
 その悲痛な絶叫を掻き消すほどの咆哮が、轟いた。飢えた獣の、咆哮だった。
 猛獣の牙、のような斬撃が一閃した。一閃で、6度の直撃。
 カノンに斬りかかった男が、大量の血飛沫をぶちまけて吹っ飛び、地面に激突した。
 死んではいない。アクアディーネの権能が、辛うじて働いている。
 そんなものを、しかしロンベルは今にも捨て去ってしまいそうに見える。
「足を止めたら、見えちまうもんなあ……てめえの足元に、大量の死体が転がってんのがなあ」
 6連の斬撃を終えた大刀・虎杖丸をユラリと構え直しながら、ロンベルは血まみれの巨体を佇ませている。刺客たちの攻撃を、全身で受け続けていたのだ。
「立ち止まって、自分のやらかしを見つめるのが恐い……か? 安心しろ。俺は今からお前を殺すが、その死に様を忘れはしない」
「…………ひ……っ」
 辛うじて生きている男が、立ち上がる事も出来ぬまま地を這い、怯える。ロンベルが、にこやかに牙を剥く。
「……俺は、自分のやらかしを見て見ぬ振りはしねえ。お前の死体を思い出しながら、美味い酒を飲んでやるよ。俺の耳元で悲鳴を上げ続けるがいいぜ」
「このっ……おぞましいケダモノがぁあ!」
 他の刺客たちが一斉に、ロンベルに斬りかかろうとしながら動きを止められた。
 全員、白く冷たいものに絡め取られていた。
 氷の、荊。
 杖をかざし、それを制御しつつテオドールが微笑む。
「良い脅しだロンベル卿。命の重さを忘れていた者に、少なくとも自身の命の重みだけは思い出させる事が出来た」
 笑顔で、ロンベルを見据える。
「……脅しだけに、とどめておけ」


 刺客たちの何人かが、自身を拘束し凍て付かせ切り苛む氷の荊を、自力で切断した。
 裂傷にも凍傷にも負けぬ気合いの叫びを張り上げ、自由騎士たちに斬りかかって行く。
「宇羅将軍家が、道を誤りさえしなければ……彼らとて、立派な侍のままでいられましたものを」
 呟く苫三老人に、片手をかざして癒しの光を降らせながら、セアラは言った。
「……同じような方々が、他にもいらっしゃるのでしょうね。宇羅将軍に命ぜられるまま殺戮を行い……御自身の心をも殺してしまわれた、侍の方々が」
「……あの…………」
 名無しの少年が、おずおずと問いかけてくる。
「アマノホカリでは、幕府という統治機関が人民を管理していた、と聞きます。その機関が失われ、管理から放り出されてしまった、のだとしたら……あの方々は、僕たちと同じ、なのでしょうか……」
「……そうですね。あの方々も、貴方たちも、今は迷子のようなもの」
 セアラは、少年と目の高さを合わせた。
 苫三は、セアラの魔導医療によって一命を取り留めた。一方この少年は、放っておけば心が死んでしまいかねない。あの侍たちのように。
「本当に……不安で、いっぱいでしょうね」
 この少年に必要なのは、魔導医療ではないのだ。
「ですが、貴方たちには名前を獲得していただきます。アイドーネウス様のように……貴方を管理するのは、神ではなく統治機関でもなく、貴方ご自身となります。あの方々は、それを拒絶なさろうとしておられますが」
 セアラは立ち上がり、少年と老人に背を向けた。
「させません。ご自身のお名前を、思い出していただきます……殺戮を行った者の、名を」
 そこまで立派な事が、お前に言えるのか。
 心のどこかから、声が聞こえた。
 セアラ・ラングフォードという名前に恥じぬ自分で、あり続けていられるのか、と。
 それを証明するためにも、今は戦わなければならない。仲間たちと共に。
 戦いの場へと向かって、セアラは歩き出した。
 刺客の1人が、気付いて刃を向けてくる。
「うぬっ、小娘が! 女だからとて容赦はせぬ」
 斬りかかって来られる、よりも早く、セアラは歩きながら細身を翻した。
 たおやかな全身から、魔力の大渦が溢れ出し迸っていた。
 刺客たちが、木の葉の如く吹っ飛んで行く。
 そこへ、セアラは言葉を投げかけた。
「初めまして。私、セアラ・ラングフォードと申します……貴方がたは?」


 あの男は、己の望む生き方を押し通し、自己満足に浸りながら死んでいった。頑張れ、などと言い残して。
「……ダメだよ……あんな奴に、心を道連れにされたまんまじゃ!」
 カノンは叫び、地面を踏み締めた。
 大地から返って来た力を拳に乗せ、全身を捻る。
「どんなに辛くて、苦しくても! 貴方たちはね、生きていくしかないんだよっ!」
 旋風を巻き起こして弧を描いた拳が、刺客の1人をへし曲げる。
 へし曲がった男が足元に沈み、弱々しく転げ回って立ち上がらないのを確認しつつ、カノンは素早く周囲を見回して戦況を確認した。
 赤い閃光が、まずは見えた。
「……無理ですよ、貴方たちの剣では」
 エルシーの拳が、衝撃の閃光を飛び散らせていた。
 その一撃を受けた刺客の1人が、錐揉み旋回をしながら吹っ飛んで行く。砕けた剣の破片が、飛散する。
「自分のやった事、受け入れられなくて名前を無くす。自分である事を、やめてしまう……情けないにも程があります。侍の誇り、思い出して下さい」
「そう……だよな。やらかした事には、きっちり名前を残さなきゃならねえ」
 言いつつロンベルが、刺客の1人を叩き斬る。
 アクアディーネの権能が働いていなければ、両断していたであろう斬撃だ。
 辛うじて死んではいない男の身体に、ロンベルは大刀を突きつけた。
「俺はロンベル・バルバロイト……今から、てめえの首を切り落とす」
「なりません」
 セアラが、ロンベルの負傷した巨体に片手を触れた。
「私……アクアディーネ様には、少し複雑な思いを抱いています。教義としてではなく、私個人の自分勝手で貴方を止めますよ」
 癒しの力の煌めきが、ロンベルの身体に流れ込む。血まみれの獣毛の下で、無数の裂傷が塞がってゆく。
 魔導医療を施されながら、ロンベルは言った。
「……神様って連中が、この先いつまで頼りになるか、わからねえからな。自分勝手を押し通す。いい事だと思うぜ」
「何が起ころうと、神のせいには出来なくなる……か」
 言葉と共にテオドールが、白き剣を眼前に掲げている。
 目に見えぬ災厄が召喚され、刺客数名を覆い包んでいた。
 病魔、であった。
 青ざめ、倒れ、苦しみ呻く刺客たちに、テオドールは言葉をかける。
「己を証明するものを、強固に保っておかなければならない、という事だ……名前を、捨ててはいけない。名を明かし、己を証明した上で、貴卿らは自身の罪を受け止めなければならぬ。さあ」
「…………俺は……三郎太だ……篠崎三郎太……」
 1人が、病魔に抗い立ち上がる。剣を構える。
 必殺の、斬撃の構え。
 戦う力を、殺す力を、まだ充分に残した篠崎三郎太が、
「俺は、民を殺した! よぼよぼと逃げ惑う爺さん婆さんを殺した! 子供だけは助けて、と泣いて頼む女をな、子供もろとも殺したんだ! この篠崎三郎太が! さあ殺せ、俺を殺せええええッ!」
 叫び、自由騎士団に斬りかかる。
 そして、光の矢に撃ち抜かれた。
「……自分の名前を……取り戻して、くれたね。本当に……ありがとう」
 マグノリアが、存在しない弓を引き、魔力の矢を射出したところである。
「名前を捨てたところで、君たちの命はこれからも続く……終わらせはしない、続かせてみせる」
 よろめいた篠崎三郎太が、力尽き、倒れる。
 その身体を、マグノリアは小さな全身で抱き止めた。
「君たち侍は、宇羅将軍家の命令に背く事は出来ない……絶対の命令を下す宇羅幕府は、しかしこの世から失われてしまった。君たちは、自力で立ち続けなければならない。自分の足で、歩み続けなければならないんだよ篠崎三郎太」
 三郎太の身体に、ぼんやりと魔導医療の光を流し込みながら、マグノリアは囁いた。
「償いを……いや、その真似事にしかならないような事であろうと、1つずつ積み重ねる。1歩ずつ、進んで行く……そうして欲しいと、思うよ。それが僕の、自分勝手だ」


 8名の刺客を、存命のまま捕縛した。
 尋問や拷問の必要はない、とテオドールは思っている。
 主家を失い彷徨っていた侍たちを、このような仕事に雇ったのが何者であるのか。
「私なりに、少し調べ上げてみたのだがな」
 テオドールは、苫三老人に話しかけた。
「今よりも、ずっと強権的であった時代のアクア神殿に……トマーゾ・ランチェルフという、若き神官がいた。清廉と熱血の具現化とも言える若者であったそうな」
「お恥ずかしい、世間知らずの若造が騒いでいただけの話ですよ」
「その大騒ぎの結果、何名もの高位聖職者が失脚の憂き目に遭っている」
 言いつつテオドールは、1人の尼僧に視線を向けた。
「全員……エルシー嬢であれば問答無用で叩きのめしていたであろうほど、汚職にまみれていたようだ」
「今からでも、それやりたいです私」
 戦いが勝利で終わった、と言うのにエルシーは難しい顔をしている。
「つまり、あれですかねえ……苫三さんたちが、こんな所へ追いやられたのは。ここなら、何が起こってもパノプティコン残党のせいに出来るから? ああごめんなさい、こんな所なんて言っちゃいました」
「いえ……確かに、この国は……変わらなければならない、と思います」
 今はまだ名無しの少年が、言った。
「それは……僕たちが、名前を獲得するところから……なのでしょうか……?」
 聡い少年だ、とテオドールは思った。
 彼にならば、名前が必要だと説くのは容易い。理由も、伝えれば理解してもらえるだろう。
 どのような名前にするのか。それは、しかし容易な事ではない。
 エルシーが、少年の頭を撫でた。
「名前を持つのが恐いですか? でも、貴方なら大丈夫。自分のやる事に、自分で責任を負って生きていく……貴方なら、それを誇らしく思えるようになります! そうして生きていくのが、きっと楽しくなりますから。まぁ今、口で言ってもわからないでしょうから追々ね」
「追々、か……」
 テオドールは腕組みをした。
 追々、わかってゆく事が、あの侍たちに出来るだろうか。
「あの方々の、雇い主……というのは」
 セアラが、呟く。
「…………やはり……?」
「……うむ。そうではないか、と私も思う。残念ながら」
 テオドールは呻いた。
「問題人物トマーゾ・ランチェルフを、どうにか国外へと追放したは良いものの……彼はアマノホカリにて独自の信仰勢力を確立し、戻って来てしまった。アクア神殿の一部の方々としては、心穏やかではいられないところであろうな」
「ああもう。はっきり言っちゃいますか、テオドールさんは」
 エルシーが、にこにこと不自然に微笑む。
「私、今すっごく我慢してるの、わかってもらえます? この絶対的忍耐力ぜつ☆にん、褒めてもらいたいです」
「ほらほらエルシーちゃん。この子、恐がってるから」
 カノンが、名無しの少年の手を引いた。
 ロンベルが、ニヤリと牙を見せる。
「我慢する事ぁねえよシスター。神殿に殴り込むなら、手伝うぜ?」
「やめたまえ」
 マグノリアが言った。
「……神の蠱毒の、終局が近いせいかな……僕には君が、イブリース化よりも禍々しいところへ……近付きつつあるように思えてしまうよ、ロンベル……」
「望むところだ、とは思うぜ」
 ロンベルは、正気を失いかけている、わけではないようだった。
「神の蠱毒が終わる。そこで何が起こる? アクアディーネが勝ち残ってめでたしめでたし、で終わりゃいいがな……力を持っておく、必要はあると思うぜ」
「……イ・ラプセルにも、こんな物騒な考え方の奴がいるんだよな」
 アレス・クィンスが、いつの間にか、そこにいた。
「甘く見た僕たちが……負ける、わけだ」
「やあアレス君。お志乃ちゃんと、仲良くなれたようじゃないですか」
 エルシーが、いくらか自然に笑う。アレスは横を向く。
 セアラも、微笑んだ。
「皆様……ご無事で、良かったです」
「君たちのおかげさ。本当に、ありがとう」
 エルトン・デヌビスも、そこにいた。
 彼の作品に、カノンが見入っている。
「エルトンさんにも……今のアクアディーネ様が、こんなふうに見えるんだね」
「アクアディーネを守りたい。今ほど強く、そう思った事はないよ」
「ほら見て。自由に生きるって、こういう事」
 苦悩する少女の像を、カノンは名無しの少年と共に見た。
「辛くて苦しい事、一杯あるよ。神様だって、辛くて苦しい……ヒトも、神様も、変わらないんだ」

†シナリオ結果†

成功

†詳細†

FL送付済