MagiaSteam
黒い二輪馬車




 深夜。
 店を出ると、霧が人気の途絶えた深夜の街を、白く、虚しく流れていた。
「いやだわ、霧がでている。すっかり遅くなっちゃった……。早く帰って熱いお湯につかりたいけど、こんな時間じゃ、乗合馬車もないし」
 家まで歩いて帰るしかない、とお針子は覚悟を決めて裏道を歩きだした。
 街灯はない。
 広場にはガス燈があるが、それももう消されているだろう。
 その代わり、銀粉を丸く刷いたような、薄っぺらい月が空に出ていた。涙で滲んだような潤んだ月灯りだが、それなりに明るい。
 伸ばした腕の先が掠れて見えるほどの霧だが、通い慣れた道であれば歩行に問題はなかった。
(「だけど……」)
 月をおおう霧の膜をはぎとったなら、その裏には真黒な闇がうずくまっている……そんな、何か不吉で陰惨な感じの空模様だ。
 お針子は、肩にかけていたショールの前をかき合わせた。
「――だ、ダメダメ。そんなことを考えちゃ。自分で自分を怖がらせてどうするの」
 小走りで広場を横切ったとき、石畳をならす蹄と車輪の音が近づいてきた。
「あれ? まだ残っていた馬車があったんだ」
 お針子は音のするほうへ顔を向けた。
 その瞬間、濃い霧の中から、蒼馬に牽かれた黒い二輪馬車が現われた。
 お針子が驚き、固まっていると、すぐ目の前で馬車が停まった。
 静かに扉が開く。
「あ、あの……」
 中は暗かった。
 それこそ闇が扉のすぐ手前でうずくまっているかのように、奥がまるで見えない。
 馬車の中から、饐えたような臭いとともに何かの気配が流れでてきた。
 お針子は二歩、よろめくようにしてあとずさると、目だけを動かして御者台を見た。そのとたん、顔が凍りつく。
 御者台に人は座っていなかった。
 馬車から直接、腕が伸びていて、蒼馬の手綱を握っていたのだ。
 お針子が短く詰まったような悲鳴をあげた途端、馬車の中から真っ黒な舌のようなものが伸びてきて腰に巻きつき、あっという間に中に引きずり込んでしまった。
 閉まった扉の向こうから、くぐもった悲鳴と共に血が飛沫き、骨が砕ける音が聞こえる。 
 黒い二輪馬車は、ガタガタと車体を二、三度大きく揺らしてから止まった。
 静寂。
 ぽた……ぽた……、と液体の滴る音が、馬車の真下から広場全体へ波紋のように広がっていく。
 黒い二輪馬車は腕を大きく振って、蒼馬に鞭を入れた。
 豪々たるひびきを石畳に残し、黒い二輪馬車は深い夜霧の中へ消えた。


 欠伸をかみ殺したのち、プラロークの眩・麗珠良・エングホルム(nCL3000020)は、目じりに溜まった涙をそっと薬指の先でぬぐった。
「なんだか久しぶり過ぎて、どう説明すればいいのか……ちょっと戸惑うわね」
 そんなことをいわれても、自由騎士たちだって困る。
 いきなり呼び集められて階差演算室まで来てみれば、ほぼほぼ初見に近いプラロークが立っていたのだ。
 戸惑いは寧ろ自由騎士たちのほうが強い。
「ま、いいわ。水鏡が、とある街に二輪馬車のイブリースが現れて、たまたま居合わせた若い娘を食い殺すという事件を見せてくれたの。凶事が行われる前に、イブリースを始末してきて。それだけよ」
 貴方たちなら簡単な仕事でしょ、と眩は静かに微笑んだ。
「イブリースのデータはここにまとめてあるから、読んでちょうだい。じゃあ、頼んだわね」


†シナリオ詳細†
シナリオタイプ
通常シナリオ
シナリオカテゴリー
魔物討伐
担当ST
そうすけ
■成功条件
1.お針子を助ける
2.蒼馬を倒す
3.黒い二輪馬車を倒す
●場所と日時
・とある街の広場
 ほぼ正方形の広場。約100メートル四方。
 広場の西に2か所、東に1か所、出入口がある。
  西の北……1
  西の南……1
  東の北……1
 広場はカラフルな4階建てのアパートメントに囲まれている。
 下には様々な店舗が入っていますが、どこも閉まっている。
 前に商品を並べる台や空箱を出したままの店もある。
 広場を囲うアパートメントの窓はすべて閉められている。
 
・真夜中
 霧が出ている。
 月あかりはあるが、ぼんやりとしている。
 街灯は消されており、ついていない。
 見通しが非常に悪いため、広場の端から端は見えない。


●敵
・黒い二輪馬車(イブリース)×1
 何らかの原因でイブリース化。
 非常に用心深い。
 御者台があったところから腕を生やし、手綱を握っている。
 車体の左側の扉のみ開く。
 中が口になっており、舌で人を引きずり込んで食い殺す。
 邪魔なものは車輪で轢きつぶす。
 なお、速度は落ちるが単体でも移動可能。

 黒い舌 A:物近単【ショック】
 ※舌は切っても切っても生えてくる。
 喰消化 A:物近単【致命】
 ※自由騎士は消化されず、二、三回咀嚼されたのち吐き出される。
 轢潰し A:物近単【スクラッチ2】
 乳白霧 P:神範囲 
 ※人間大の何かを食べている時のみ、霧を出さない。
  あまり間を置かずに8回食事させると、広場の霧はほぼ消える。

・蒼馬(イブリース)×1
 黒い二輪馬車を引くゾンビ馬。
 口から青白い霊炎を吐く。
 黒い二輪馬車から離れて単体で行動可能。
 
 前蹴り A:物近単【ブレイク1】
 後蹴り A:物近単【ノックバック】
 死霊炎 A:神近列【生命逆転】


●NPC
・お針子
 若い女性。
 たまたま、現場に居合わせる。
 自由騎士が助けなければ、黒い二輪馬車に食われて死亡する。
 ※そのほかに人はいません。犬もネコも眠っています。

●注意
 キャラクターの装備品以外は描写しません。
 店の前に置かれたままになっているものは使って構いません。
 常識の範囲であれば、自由にでっち上げてください。
 木の平荷台、空の木箱、畳んだパラソル等。

●その他
 リプレイは、お針子が広場に入る直前から始まります。
 ちなみにお針子が勤めている店は広場の東側にあります。
 黒い二輪馬車はとても用心深い性質で、広場に誰もいなければ出てきません。
 逆に、広場にたくさん人の気配があっても出てきません。
 危険を感じて逃げ出し、時と場所を変えて人を襲うでしょう。
 逃げられてしまったら失敗です。

※キャラクターの装備品とST側で持込許可したアイテム以外は描写できません。


よろしければご参加ください。
お待ちしております。
状態
完了
報酬マテリア
6個  2個  2個  2個
15モル 
参加費
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
参加人数
6/8
公開日
2020年05月07日

†メイン参加者 6人†




 誰もいない、寂寥とした深夜の広場に自由騎士たちがたどり着いたとき、月はまだ見えていた。
 『救済の聖女』アンジェリカ・フォン・ヴァレンタイン(CL3000505)が耳をすませる。
「――蹄の音も車輪の音も聞こえませんけど、こうして霧も出てきていることですし、私たちは急いでお針子さんを保護しにいきましょう」
 いまいる広場に繋がる道は三つ、うち東方面の北側にある道へ向かって、アンジェリカは歩きだした。
「待て」
 『酔鬼』氷面鏡 天輝(CL3000665)が呼び止める。
「本当にいいのか? 単にイブリースをおびき寄せるだけでなく、一度食われるかもしれないのだぞ」
 おとり役を変わってやろうか、と天輝がいう。
 アンジェリカはぐるりと視線を巡らせて仲間たちの顔を見た。
「大丈夫ですよ、ちょっとだけ体力には自信ありますから。でもちゃんと助けて下さいね、皆さん」
 全員を代表して、『艶師』蔡 狼華(CL3000451)が請け負う。
「なにが起こっても必ず助けますよって。ほな、うちら三人は東の北へ。みなさん、他の出口の見張り、よろしゅう頼みますね」
 三人がお針子の保護に向かう。
 霧はすでに広場全体を覆っていた。東へ向かった三人の背も、すぐに霞んで見えなくなる。
 セアラ・ラングフォード(CL3000634)はかき混ぜるように手を動かした。
 どんどんと濃さを増していく霧が、セアラの腕の回りで柔らかく渦巻まく。
「黒い二輪馬車と蒼馬のイブリース、それにこの霧……。被害を出さずに済むよう、浄化しないといけませんね……。奥州様、よろしくお願いいたします」
 『炎の駿馬』奥州 一悟(CL3000079)が親指を立てる。
「おう、頑張ろうぜ。ナタリア、一人で心細いだろうけど……なんかあったら声をあげてくれ。すぐ駆けつけるから」
「ほんと、新入りを一人にするだなんて、厳しい先輩たちね。これは私に華を持たせてくれるためのかしら?」
 ナタリア・ブラッディローズ(CL3000675)が冗談めかしていうと、一悟たちは、きっとそうだよ、と笑った。
 霧の中でナタリアが腕を組む。
「そうなら嬉しいことだけど……イブリースが私の担当してる出入口から入ってきて、私一人で対応する事になったらさすがに嫌よ」
「エングホルム様の話では、イブリースはお針子の正面からやって来たとのこと。可能性で言えば私たちが担当する、西の北から広場に入る確率が高いでしょう。ねえ、奥州様」
「どっちかと言われれば、な。でも西の南がないも限らねえし……待つ間になんか罠を張っとくとか?」
 とりあえず、配置に着こうということになり、それぞれ持ち場に向かった。


 深夜に霧の立ち込める狭く複雑に入り組んだ路地を歩いていると、時を遥かに越えて迷子になってしまったような心持になる。
 お針子はすっかり怯えていた。
 とにかく広場へ。少しでも広い場所にでれば、すくなくても胸を塞ぐような閉塞感からは逃れることができる。
 あと少しで広場にでる、というところで、目の前の霧が塊になって動いた。
 白い人影が手を広げる。
「ここを通るんはやめときなはれ。死にたくはあらへんやろ?」
 お針子は、ひっ、と短く息を飲んだ。
 助けを呼ぶために、緊張と恐怖で硬直した喉から声を絞り出そうとした瞬間、後ろから肩越しにぬっと白い腕が伸びてきて、口を塞がれた。
 耳に温かい息がかかる。
「ココは危険じゃ。これからちょっと騒がしくなるから、広場には近寄るなよ?」
「驚かせてごめんなさい。でも、これは貴女を助けるためなのです」
 アンジェリカが自由騎士だと名乗ると、お針子の体の強張りが解けた。
 悲鳴をあげる心配がなくなった、とみて天輝が口から手を離す。
 体にまとわりつく霧を払って、狼華はお針子の前に進み出た。
「とりあえず、店に戻って待っといてもらえまへんか。イブリースを退治したら、迎えにいくさかい」
 お針子が来た道を引き返していくのを見届けて、天輝は酒を入れたひょうたんの栓を抜いた。
「では我らもオバケ退治に戻るとするかの」
 ぐびりと喉をならして酒を飲む。
「うちらが先に入口につきますさかい、アンジェリカは少し後からおいでやす」
「わかりました。そのまま何食わぬ顔で広場に出ていきますね」
 東の北側で三人の準備が整ったころ、西の北側ではセアラと一悟が、それぞれ能力を活性化させてイブリースが現れるのを待っていた。
 セアラは細い路地を二メートルほど奥へ入ったところで目を凝らし、壁や霧を透かして道行く者がいないか監視する。
「もっと先まで見透かすことができれば、ここからアンジェリカさんが広場に入るところも確認できるのですが……」
 まったくの闇でないが、霧が視界を白く塗りこめていた。リュンケウスの瞳がなければ、すぐ前にしゃがむ一悟の赤茶けた髪すら見えないだろう。
 だが、力が及ぶのは自分を中心とした半径三メートル以内だ。
 いまいる場所から広場の端まではとても見通せない。
「しょうがねえよ。一人一人ができる範囲で頑張りゃいいさ。及ばないところは他のやつがカバーする。そのためのチーム制だろ?」
 一悟は石畳に手をついたまま、耳をすませた。
 空気中を伝わる音と石が伝える振動を拾って、いち早くイブリースの出現を捉える作戦だ。
「お? 来たみたいだぜ。奴が前を通り過ぎてから飛び出して、追いかけよう」
「わかりました」
 舗道の石畳に響く馬のひづめの音とガタゴトという撤の音が、霧の中で冷たく和する。
 広場の西、南の道にいたナタリアの耳にもはっきりとイブリースが立てる音が聞こえてきた。
 北へ目をやると、微かに小さな赤い点が動いているのが見えた。アンジェリカだろう。来ている修道女服が暗い黄緑色になって見えている。周りの建物や石畳は暗い青だ。
 あらゆる物体は、その温度に応じた赤外線を出している。深い霧の中でもサーモグラフィは有効だ。
 いま、ナタリアの世界は、黒から赤まで十二の色調で構成されていた。これに夜目を加えれば、半径三十メートル以内の行動になんの支障もなくなる。広場の端から端までは見通せないが、十分だろう。
 蒼馬と黒い二輪馬車が広場に入ってきたようだ。二つの黒い塊が、蒼い背景を背にして、音とともに西から東へ移動していく。
(「百メートル先じゃあ、はっきり見えなくてもしかたがないわね」)
 ただ、わかったことがある。
 このイブリースたちは熱を放っていない。元が物だからなのか、はたまた一度は死んだ黄泉がえりだからか。
「なるほどね。冷えた体を温めるには真紅のワイン、もとい、真っ赤な鮮血が一番……」
 三十メートル以上離れられれば、暗い背景に溶けこまれてしまう。常に動き回るから、音を追って狙いをつけるにも一苦労するはずだ。
 やはりある程度まで霧を晴らす必要がある。
 アンジェリカは見つけておいたロープを西の南口に張って封鎖すると、東へ走り出した。


 月は高く上っているようだが、それは垂れこめる霧をほんの少し白く輝かせるのみだ。
 アンジェリカは一人、広場に入った。
 ほどなく、前から石畳をたたく蹄と車輪の音が聞こえてきた。
 驚いたふりをして立ち止まるり、素早く守護者の影を纏って戦いに備える。
 霧の中から黒い馬の顔がぬっと出てきた。そのあとに黒塗りの馬車が続く。二輪馬車はアンジェリカのすぐ目の前で馬首を回し、車体を横づけにした。
 音もなく、赤に濃い紫、金の浮き彫り模様がついた黒塗りのドアが開く。
 本能に命じられて後ろに跳び下がるアンジェリカの腰に、馬車の中から延ばされた黒い舌が巻きついた。
「おいでましたなぁ、どこから入ったかわからへんけども」
 口元に笑みを浮かべながら、狼華が小太刀を振り上げた。そして、一気に蒼馬との距離を詰め、鋭く振り下ろす。
 刃は霧に濡れ光る黒いタテガミを刈って、首を浅く切った。
 同時に、ものすごい勢いでアンジェリカが馬車の中に引きずり込まれる。
 咀嚼を始めた馬車が揺れる。
 蒼馬は前足を高く上げて、威嚇するようにいなないた。首を狼華へ向けて、口から青白い霊炎を吐き出す。
「ヴァレンタイン様、蔡様!!」
 扉はまだ開かない。が、待ってはいられない。
 生が逆流する体に回復の光は毒となるが、呪いさえ解いてしまえば、すぐに一悟が手当てをしてくれるだろう。
 セアラはヘビの巻きついた幻の杯を掲げると、朧に霞む月から零れ落ちる神秘の光で満たした。
「女神よ。慈悲深き愛で、わが友に掛けられし忌まわしき死者の呪いを解きたまえ」
 杯から射す光が、霧粒の中で屈折反射し、さらに回折することによって虹が作られた。
 七色の帯が狼華の体に巻きついて、強く縛る。
 呪いが解けると同時に、生命逆転によって与えられた苦痛は一瞬で去った。
「おおきに。助かったわ」
 それならばと、ガタガタと揺れる馬車とともに体を回した蒼馬が、高くあげた前足で踏みつけようとセアラを狙う。
 一悟は引きずって持ってきた平台を手放すと、振り下された脚を避けるため石畳に転がったセアラを助け起こし、馬車から離れた。
 二人のカバーに入る天輝が、蒼馬の側面――馬車の扉があく方へ回り込みながら、筋肉で盛り上がる分厚い青馬の胸に光玉を撃ち込む。
「ちと、おとなしくしておれ。すぐに狼華が貴様の相手をしてくれるわ!」
「そういうことや。うちがアンタの相手をしてあげるさかい、あんじょう楽しませておくれやす!」
 狼華は逆手に握った小太刀と短刀を、蒼馬の前でクロスさせた。
 後方から馬車に迫っていたナタリアは、指先に神秘の炎を灯すと、黒い車体に緋文字を書き込んだ。
 文字から広がった炎が、馬車の後部から屋根にかけて舐めるように焼く。
 腐った血が焼けるたような臭いと、黒い煙がもくもくと上がって霧に染みを広げる。単に焦げ臭いというだけでは絶対的に物足りない悪臭が、つん、と鼻の奥に突き刺ささった。
「なに、こいつ?!」
 尻を焦がす炎の熱さに耐えかねてか、内側から激しく大剣で突かれたためか、自由騎士の攻撃に耐えかねて、二輪馬車が扉を開いた。
 ぺっ、とアンジェリカが吐き出される。
 馬車はすぐに黒い舌を扉の外へ伸ばした。
「ずいぶん食い意地の張った奴じゃの。どれ、余が食い物を用意してやろう」
 天輝は一悟が放り出した平台の端を、手でむんずと掴むと、向かってくる黒い舌目がけて投げつけた。
 扉が閉まり、馬車が咀嚼を始めると、バリバリと木をかみ砕く音が広場に響いた。最初は激しく上下していた車体が、戸惑っているかのように、徐々に大人しくなっていく。
 食べているのが人間ではない、と気がつきだしたようだ。
「すぐおかわりを用意いたそう。なに、遠慮はいらぬ。どんどん食べるがよい」
 天輝はナタリアが投げて寄越した木箱を受け取ると、ゆっくり開き始めた扉の隙間から、無理やり奥へ押し込んだ。
「……こいつ、バカじゃね? またモグモグしだしたぜ」、と一悟が呆れ混じりの言葉を漏らす。
「馬鹿で助かるのう。おかげで少しずつじゃが、霧が晴れてきよったわ。さて、余はこれに食わせるエサを取ってくる。少しの間、皆を頼んだぞ」
 天輝が店の前に残されているものを取りに向かうと、一悟は霧を集めて圧縮して、神秘の力を折り込んだ雨雲に変えた。
 傷ついた仲間たちの上に雲を広げ、降らした慈雨で流れでる血を洗い、傷口を塞ぐ。
 立ち上がったアンジェリカが、馬車の車輪に断罪と救済の十字架を叩きつけた。
「さきほどのお返しです。足を折らせていただきますよ。貴方様に逃げられては困りますから」
 セアラは一悟が回復しきれなかった仲間のダメージをさっと癒すと、身に幾つもつけたマジックリングをシャララと鳴らしながら、回り踊り始めた。
 大気を動かし、イブリースたちの回りに霧を渦巻かせて足止めする。
「奥州様、私も何か取ってきます」
「おう、じゃあオレは――!! ナタリア、気をつけろ。馬と離れてバックするぞ!」
 イブリースたちの意図に気づいた一悟が叫ぶ。
 ナタリアは声を受けてすぐに横へ跳んだが、僅かに遅かった。
 左肩から先が、蒼馬と分離した馬車の後部とぶつかって、石畳につき飛ばされた。
 手綱を解かれた蒼馬が、狼華の猛追をかわして霧の向こうへ走り去る。
 膝立ちになったナタリアが両腕を広げて進路を塞ぐが、上を飛び越えられてしまった。
 腹に緋文字を綴ろうと腕をあげた時には、もう、後ろへぬけていた。蹄の音が、西の南へ走っていく。
「ナタリア、馬はどこへ行きよりました? まさか逃げ――」
 駆けつけてきた狼華に手を貸してもらい立ちあがった時、霧の向こうで石畳に重い肉が叩きつけられた音がした。
 ナタリアがくつくつと忍び笑いをもらす。
「いまの音、私が張っておいたロープに足を引っかけて転んじゃったみたいね」
「それはお手柄どすな。すぐ追いかけ……あ、戻ってきよりましたえ。あの馬はうちに任せて、ナタリアは馬車を頼みます。北の二つの道を塞ぐのにも、人がいりますやろ」
「一人で大丈夫?」
「できればセアラかアンジェリカ、どっちか一人来てもらえると助かるわぁ。天輝には引き続き馬車の相手をしてもらいたい、って伝えておくんなまし」
 わかったわ、と言ってナタリアは、馬車へ走った。
「この野郎!!」
 一悟は固く握った拳に全体重を乗せると、黒い車体に叩きつけた。
 馬車が、がふ、と扉を開き、粉々の木片を勢いよく吐き出す。
「うわっ!」
 木くずまみれになりながらも、一悟は馬車の内部に目を凝らした。
「げっ……キモ、目玉と目があっちまったぜ」
 黒い車体は、凝固した人の血でできていた。肥大化し変形した肋骨が車体の骨格を成している。大腿骨が座席に、背骨と足の骨は車輪を回す軸だ。
 開かない扉一面に、のびた顔が張りついていた。
「還リビト……じゃねえな。怨念が馬車に憑りついて人みたいになったのか?」
「どっちにしてもキモいわね」
 ナタリアは、片方の車輪を破損して傾く馬車の側面に、緋文字を走らせた。
 燃え上がる炎が、霧を赤く染める。
「ですが、そう言うことでしたらこの嫌な匂いにも納得です」
 セアラは杯を掲げて、癒しの虹の輪を広げた。
 戻ってきた天輝が開いた扉に酒樽をぶち込む。
 馬車は扉を閉めると、樽を咀嚼し始めた。
「ちともったいなかったかの……じゃが、これでかなり先まで見通せるようになった。もう逃げられまい……うむ?」
 天輝の鋭い目が、扉の側面に刻まれものが紋章であることを見抜いた。歪な形に再現されているが、菱に竜胆の柄であることが判った。
「どこぞ、名のある家の馬車だったか。まあ、イブリース化して物など返して欲しくはなかろう。さあ、トドメを刺すぞ」
「あ、そうだわ。セアラかアンジェリカ、どちらか狼華を助けに行って」
「なんなら二人とも応援に行ってもいいぜ、こいつはオレと天輝、セアラの三人で倒すから」
 一悟はまだ樽を咀嚼中の馬車の正面に回り込むと、気を込めたトンファーを繰り出した。衝撃波が前から後ろへ突き抜け、後部を吹き飛ばす。
「なにをしておる二人とも、早く行かぬか!」
 二人が駆けだすと、天輝は蒼き水のマナを用いて馬車にまとわりつく霧を凍らせた。
 馬車はぎしぎしと軋みをあげながら体を回すと、東の北へ向かって逃げ出した。
 一悟が走って前に回り込む。
 轢き潰されながらも、馬車を止めた。
「上出来じゃ、一悟! トドメは余に任せよ!」
 天輝は馬車の後ろに開いた穴に足をかけて飛びあがると、真上から光り輝く玉を撃って、粉々に吹き飛ばした。
 馬車が倒されて尚、まだ広場に残る霧が緩やかに動いて濃淡を作り、不可思議な生き物のように形を変化させる。
 セアラは手のひらに意識を集中させると、狼華の背に押し当てて気を送り込んだ。
 霊炎を吐きかけられる前に、完全に回復させる。
「来たえ!」
 狼華の合図でアンジェリカは大剣を横に薙いだ。
 手に重い衝撃が走る。
 胸を深く切り裂かれて、どうっと音をたてて倒れた蒼馬に、二刀を構えた狼華が歩み寄る。
「馬は男のシンボルやからなぁ。切り刻むんは惜しいけどもしゃぁない……」
 タン、タン、ダララ!
 ぽっくり下駄が石畳に破滅のビートを刻む。
「うちという太陽に焼かれて死ねる……なんて幸せな男はんやろね、お前さんは。馬やけど」
 乱舞する二枚の刃が、霧とともに蒼馬を切り晴らした。


「オレが送っていくよ」
「お、一悟、送り狼をする気か? 心配じゃ、余もついていくぞ」
「しねーよ!」
 結局、全員でお針子が待つ店に向かった。
 一悟が店の扉を叩いて、無事にイブリースを退治できたと告げる。
 まだ怖がっているお針子をみんなで囲んで歩きだす。
「そう言えばお主、菱に竜胆の紋章がどの家のものか知らぬか? おそらく、この街か、この街の近くに住む貴族のものだと思うのだが」
「え、菱に竜胆……ですか? それは先日、事件があったあの――」
 プラロークが水鏡から未来予測を弾きだす少し前、この付近に住む貴族の娘と使用人が家の馬車を盗んで駆け落ちするという事件があったらしい。
 事件は、貴族の娘の心変わりによって、悲しい結末を迎えた。追手に追われている最中に、娘が扉を開けて外へ飛び出したのだ。
「……それで、手加減する必要がなくなった追手に惨殺されたのですか」
 アンジェリカが胸の前で十字を切る。
 遠くで微かに、亡霊列車の警笛が鳴った。

†シナリオ結果†

成功

†詳細†


†あとがき†

お疲れさまでした。
みなさんが蒼馬と黒い二輪馬車を倒してくれたおかげで、被害が出ずにすみました。

ちなみに、お針子が話してくれた『事件』には後日談があります。
使用人と駆け落ちしようとした娘が、行方不明になっているそうです。
さて、彼女は今どこにいるのでしょうね。

また機会がありましたら、よろしくお願いいたします。
ご参加、ありがとうございました。
FL送付済