MagiaSteam




走る花嫁

●
ああ、誰か。私を叱って下さい。
あの方はとてもとてもいい方なのに。優しいまなざしを私は確かに愛していたのに。
戦地でそれはおつらい目に遭って。
私の言った通りに「どんなになっても帰ってきて」くださっただけなのに。
なのに、どうしても。
私、あの方の新しい「目」が怖くてたまらない。
あの方は、本当に私のあの方なのでしょうか。
「どうした、マリエール。ゲオルグ君がお待ちだよ。さあ、行こう」
お父様がエスコートしてくださる。
大聖堂の扉から祭壇の前までの赤いじゅうたんの上を歩くのが夢だった。
祭壇の前ではあの方が待っていらっしゃる。
優しいまなざし、柔らかな笑顔。
でも、今は、冷たい箱で覆われた目元、二つの穴が開いていて、時々不規則に光る。
口元はそのままだけれど、前みたいに笑ってはくださらない。
ああ、本当に? 私はあの方に愛を誓っていいの?
「マリエール」
お父様の手が私の手をお父様の肘にかけさせる。
待って。もう少しだけ待って。自分でもわかっているの。あの方は何も変わっていないの。私が怖気づいているから少し遠くから見守ってくれているだけなの。この間だって、もう少し傷が落ち着いたらもっと怖くない形にしようねっておっしゃっていた。わかっているの。愛しているの。だから、待って。ほんのちょっとだけ。
「マリエール!」
お父様の声で全部はじけ飛んでしまった。
私、自分がどうしてそんなことしたのかわからないの。
びっくりして走り出してしまったの。どうして、あの方の方に走りださなかったのかしら。
そうしていたのなら、あの方は笑って言ってくれたはずなのに。
「あわてんぼうのマリエール。お父様を置いてきてしまったのかい? さあ、僕のお嫁さんになるといい」って。
そしたら、私も「はい」って言えたはずなのに。
●
「諸君。お集まりいただき恐悦至極。本件は、現時点、国にとっては、非常に些末な一件である。しかし、しくじると――そうであるな。ながらく人心に禍根が残ってしまうものである。細心の注意を払ってほしいものである」
本日も、『長』クラウス・フォン・プラテス(nCL3000003) のモノクルの照り返しがまぶしい。
「本題に入ろう。さて。良縁に恵まれ晴れて華燭の宴を上げんとする者たちがいた。花婿は名誉の負傷の末――」
亡くなった。と続くのか。と、オラクルは身構えた。
「キジンになったのである。それにより生活はもとより軍事活動にも何の支障もない。益々の活躍を期待したいものである」
生きてた。よかった。
「しかし、だ。彼が施術を受けたのは両目で、面替わりは免れなかったのである」
目元は金属のマスクに瞳があるべき部分はレンズのようになっている。鼻筋、口元からいくとそもそも端正な顔立ちなのだと推測される。
「これが夫婦の仲も円熟していたなら、愛の力で乗り越えることもできるであろう。しかし、花嫁の方は我が孫娘と変わりない年頃の乙女である。諸君。貴族の深窓の令嬢というのは、概して世俗とはかけ離れた感性を持っていると言わざるを得ないのである。高潔さは美徳であるが――」
クラウスは言葉を濁した。キジンに慣れてないんですね、分かります。
キジン手術は体を張る現場では割とカジュアルに行われるもので、軍閥貴族にも少ない訳ではないが、見慣れないものは怖い。
「戸惑うのは理解できる。また、軍人である以上、新たな部位はどうしても軍事的側面を持つ。およそ手に持つ危険物は刺繍針が精々の令嬢に説いて心底納得することはあるまい。銃後を守る令夫人としての心得は今後教育されるであろう」
貴族の心構え、よくわからない。という顔をするオラクルに、クラウスは咳払いした。
「心中察して余りある。我が孫娘に置き換えれば、吾輩の胸も張り裂けんばかりである。しかし、水鏡によると、彼女は結婚式当日、婚礼衣装のまま発作的に脱走を試み、馬車に轢かれるという非業の死を遂げ――それを面白おかしく流布され、キジンへの偏見がいや増してしまうという結果が出たのである。由々しき事態」
貴族のスキャンダルは庶民の大好物である。
「それならまだいい。この流布には他国が関わっている。人的資源には限りがあるのである。確保・維持にはキジンが不可欠である。しかし、国民がキジンに偏見を持ってしまっては――」
戦争は殺し合いだけではない。敵国にデマを振りまき社会不安を増長させ国力を削るのも戦争の一手段だ。
「話はスキャンダラスな方がいい。ありえもしないあることないことだ。花婿は鬼面の大男、頭も機械になって冷酷無比となったなど根も葉もない内容がねつ造されるのだ。何とも許しがたい。先に手を打とうにも未だ発生していない事象なのでそうもできない。否、発生させてはいけないのである。また、祭り前故、中立国の者であるという触れ込みで入ってくる外国人の往来に規制をかけることはできない。他国に弱みを見せるわけにはいかないのである」
クラウスは、懊悩している。
「諸君らが誤解してはいけないゆえ、私的なことであるが詳細に二人が婚約に至るまでの過程を語ろう。二人は決して政略結婚ではないのである。ごく自然に舞踏会で知り合い、ごく自然にお茶会などで親交を深め、時間をかけ、文を交わし、小さな贈り物を交わし、心を交わし、しかるべき媒酌人を立て、ご縁を深めたのだ。あくまで二人の自由意志によるものなのだ」
そこまで念を押されると逆に怪しく思えなくはないが、きっと貴族的には微笑ましく、ドロドロしたモノとは無縁のご縁だったのだろう。
「花婿は、深く深く花嫁を愛している。しかし、自分の面貌に彼女が不安に思っているのはわかっている。彼から朗らかさが失われ、それに彼女が暗い表情をする。負の悪循環だ。そのあたり、瑞々しい感性を持った諸君達の方が共感できると思う次第」
小さな出来事が大きな出来事の発端になりかねない。
「故に、諸君らの出番だ。花嫁・花婿の不安を取り除き、衝動的に脱走する彼女を止め、轢死という悲劇を未然に防いでほしいものである! 諸君らが式場に潜入する算段はこちらで付ける」
宰相閣下。だいぶ花嫁の父ならぬ祖父に感情移入なさっておられるな?
ああ、誰か。私を叱って下さい。
あの方はとてもとてもいい方なのに。優しいまなざしを私は確かに愛していたのに。
戦地でそれはおつらい目に遭って。
私の言った通りに「どんなになっても帰ってきて」くださっただけなのに。
なのに、どうしても。
私、あの方の新しい「目」が怖くてたまらない。
あの方は、本当に私のあの方なのでしょうか。
「どうした、マリエール。ゲオルグ君がお待ちだよ。さあ、行こう」
お父様がエスコートしてくださる。
大聖堂の扉から祭壇の前までの赤いじゅうたんの上を歩くのが夢だった。
祭壇の前ではあの方が待っていらっしゃる。
優しいまなざし、柔らかな笑顔。
でも、今は、冷たい箱で覆われた目元、二つの穴が開いていて、時々不規則に光る。
口元はそのままだけれど、前みたいに笑ってはくださらない。
ああ、本当に? 私はあの方に愛を誓っていいの?
「マリエール」
お父様の手が私の手をお父様の肘にかけさせる。
待って。もう少しだけ待って。自分でもわかっているの。あの方は何も変わっていないの。私が怖気づいているから少し遠くから見守ってくれているだけなの。この間だって、もう少し傷が落ち着いたらもっと怖くない形にしようねっておっしゃっていた。わかっているの。愛しているの。だから、待って。ほんのちょっとだけ。
「マリエール!」
お父様の声で全部はじけ飛んでしまった。
私、自分がどうしてそんなことしたのかわからないの。
びっくりして走り出してしまったの。どうして、あの方の方に走りださなかったのかしら。
そうしていたのなら、あの方は笑って言ってくれたはずなのに。
「あわてんぼうのマリエール。お父様を置いてきてしまったのかい? さあ、僕のお嫁さんになるといい」って。
そしたら、私も「はい」って言えたはずなのに。
●
「諸君。お集まりいただき恐悦至極。本件は、現時点、国にとっては、非常に些末な一件である。しかし、しくじると――そうであるな。ながらく人心に禍根が残ってしまうものである。細心の注意を払ってほしいものである」
本日も、『長』クラウス・フォン・プラテス(nCL3000003) のモノクルの照り返しがまぶしい。
「本題に入ろう。さて。良縁に恵まれ晴れて華燭の宴を上げんとする者たちがいた。花婿は名誉の負傷の末――」
亡くなった。と続くのか。と、オラクルは身構えた。
「キジンになったのである。それにより生活はもとより軍事活動にも何の支障もない。益々の活躍を期待したいものである」
生きてた。よかった。
「しかし、だ。彼が施術を受けたのは両目で、面替わりは免れなかったのである」
目元は金属のマスクに瞳があるべき部分はレンズのようになっている。鼻筋、口元からいくとそもそも端正な顔立ちなのだと推測される。
「これが夫婦の仲も円熟していたなら、愛の力で乗り越えることもできるであろう。しかし、花嫁の方は我が孫娘と変わりない年頃の乙女である。諸君。貴族の深窓の令嬢というのは、概して世俗とはかけ離れた感性を持っていると言わざるを得ないのである。高潔さは美徳であるが――」
クラウスは言葉を濁した。キジンに慣れてないんですね、分かります。
キジン手術は体を張る現場では割とカジュアルに行われるもので、軍閥貴族にも少ない訳ではないが、見慣れないものは怖い。
「戸惑うのは理解できる。また、軍人である以上、新たな部位はどうしても軍事的側面を持つ。およそ手に持つ危険物は刺繍針が精々の令嬢に説いて心底納得することはあるまい。銃後を守る令夫人としての心得は今後教育されるであろう」
貴族の心構え、よくわからない。という顔をするオラクルに、クラウスは咳払いした。
「心中察して余りある。我が孫娘に置き換えれば、吾輩の胸も張り裂けんばかりである。しかし、水鏡によると、彼女は結婚式当日、婚礼衣装のまま発作的に脱走を試み、馬車に轢かれるという非業の死を遂げ――それを面白おかしく流布され、キジンへの偏見がいや増してしまうという結果が出たのである。由々しき事態」
貴族のスキャンダルは庶民の大好物である。
「それならまだいい。この流布には他国が関わっている。人的資源には限りがあるのである。確保・維持にはキジンが不可欠である。しかし、国民がキジンに偏見を持ってしまっては――」
戦争は殺し合いだけではない。敵国にデマを振りまき社会不安を増長させ国力を削るのも戦争の一手段だ。
「話はスキャンダラスな方がいい。ありえもしないあることないことだ。花婿は鬼面の大男、頭も機械になって冷酷無比となったなど根も葉もない内容がねつ造されるのだ。何とも許しがたい。先に手を打とうにも未だ発生していない事象なのでそうもできない。否、発生させてはいけないのである。また、祭り前故、中立国の者であるという触れ込みで入ってくる外国人の往来に規制をかけることはできない。他国に弱みを見せるわけにはいかないのである」
クラウスは、懊悩している。
「諸君らが誤解してはいけないゆえ、私的なことであるが詳細に二人が婚約に至るまでの過程を語ろう。二人は決して政略結婚ではないのである。ごく自然に舞踏会で知り合い、ごく自然にお茶会などで親交を深め、時間をかけ、文を交わし、小さな贈り物を交わし、心を交わし、しかるべき媒酌人を立て、ご縁を深めたのだ。あくまで二人の自由意志によるものなのだ」
そこまで念を押されると逆に怪しく思えなくはないが、きっと貴族的には微笑ましく、ドロドロしたモノとは無縁のご縁だったのだろう。
「花婿は、深く深く花嫁を愛している。しかし、自分の面貌に彼女が不安に思っているのはわかっている。彼から朗らかさが失われ、それに彼女が暗い表情をする。負の悪循環だ。そのあたり、瑞々しい感性を持った諸君達の方が共感できると思う次第」
小さな出来事が大きな出来事の発端になりかねない。
「故に、諸君らの出番だ。花嫁・花婿の不安を取り除き、衝動的に脱走する彼女を止め、轢死という悲劇を未然に防いでほしいものである! 諸君らが式場に潜入する算段はこちらで付ける」
宰相閣下。だいぶ花嫁の父ならぬ祖父に感情移入なさっておられるな?
†シナリオ詳細†
■成功条件
1.花嫁の轢死を防ぐ。
2.1に付随して、ゴシップ記事の発生を阻止する。
2.1に付随して、ゴシップ記事の発生を阻止する。
ごきげんよう。田奈です。
マリッジ・ブルーによる衝動的な事故を防いで、みんな幸せハッピーエンドにしてください。
ひいては、敵国の情報操作の目を摘むことになります。
『花嫁』マリエール
*花婿とは相思相愛です。
*嫁ぐ不安、花婿に対する不安、そんなことを考える自分への自己嫌悪が募って衝動的にランナウェイしてしまう未来を背負った乙女。
*こんな切迫した事態でなければ、よくいる貴族の娘。色々考えて我慢してたから爆発したのです。思慮に欠けている訳ではありません。
*接触するには、招待客や神職者や教会の小間使いなどが考えられます。
『花婿』ゲオルグ
*花嫁とは相思相愛です。
*怪我の不安、キジンとなった不安、マリエールとの間に感じる溝。こっちもナーバスになってます。
*本来、朗らかな好青年。キジン・クォーターになります。
自由騎士団に移動するか悩んでいます。
*接触するなら、招待客やイ・ラプセル騎士団関係者、神職者などが考えられます。
*馬車
花婿の家の四頭立ての立派なものです。ひかれたら目も当てられない状態になるでしょう。
本来なら、式を終えた二人を乗せて、披露宴会場にお連れするための馬車でした。
御者やフットマンとして潜入が可能です。馬が扱えればなおいいでしょう。
教会の前は広場になっているので、見通しはとてもいいです。
OPの通り、クラウスは皆さんに便宜を図ってくれます。
『花嫁対策』『花婿対策』『馬車対策』のどこに重点を置くかは、参加者の得手不得手があると思いますので、皆さんで相談してください。もちろん、複数対策もありですし、これ以外の対象への対策も有効です。
皆さんの、
*花嫁の不安を取り除く。
*花婿の不安を取り除く。
*花嫁が走り出さないようにする。
*馬車を何らかの方法で制御する。
などの行動から、「悲劇発生フラグ」を削っていきます。
出来るだけ大事にしないよう、色々企ててください。
サポートに入る場合は、人払いや目隠しや視線誘導などでメインの手助けするのがお勧めです。
マリッジ・ブルーによる衝動的な事故を防いで、みんな幸せハッピーエンドにしてください。
ひいては、敵国の情報操作の目を摘むことになります。
『花嫁』マリエール
*花婿とは相思相愛です。
*嫁ぐ不安、花婿に対する不安、そんなことを考える自分への自己嫌悪が募って衝動的にランナウェイしてしまう未来を背負った乙女。
*こんな切迫した事態でなければ、よくいる貴族の娘。色々考えて我慢してたから爆発したのです。思慮に欠けている訳ではありません。
*接触するには、招待客や神職者や教会の小間使いなどが考えられます。
『花婿』ゲオルグ
*花嫁とは相思相愛です。
*怪我の不安、キジンとなった不安、マリエールとの間に感じる溝。こっちもナーバスになってます。
*本来、朗らかな好青年。キジン・クォーターになります。
自由騎士団に移動するか悩んでいます。
*接触するなら、招待客やイ・ラプセル騎士団関係者、神職者などが考えられます。
*馬車
花婿の家の四頭立ての立派なものです。ひかれたら目も当てられない状態になるでしょう。
本来なら、式を終えた二人を乗せて、披露宴会場にお連れするための馬車でした。
御者やフットマンとして潜入が可能です。馬が扱えればなおいいでしょう。
教会の前は広場になっているので、見通しはとてもいいです。
OPの通り、クラウスは皆さんに便宜を図ってくれます。
『花嫁対策』『花婿対策』『馬車対策』のどこに重点を置くかは、参加者の得手不得手があると思いますので、皆さんで相談してください。もちろん、複数対策もありですし、これ以外の対象への対策も有効です。
皆さんの、
*花嫁の不安を取り除く。
*花婿の不安を取り除く。
*花嫁が走り出さないようにする。
*馬車を何らかの方法で制御する。
などの行動から、「悲劇発生フラグ」を削っていきます。
出来るだけ大事にしないよう、色々企ててください。
サポートに入る場合は、人払いや目隠しや視線誘導などでメインの手助けするのがお勧めです。
状態
完了
完了
報酬マテリア
2個
2個
6個
2個




参加費
100LP [予約時+50LP]
100LP [予約時+50LP]
相談日数
6日
6日
参加人数
8/8
8/8
公開日
2018年07月13日
2018年07月13日
†メイン参加者 8人†
●
アクアディーネがほほ笑んでいる。そんな天気だ。
少し前から、『エルローの七色騎士』柊・オルステッド(CL3000152)は、教会裏の馬車だまりにいた。
先ほど馬車が通る予定の位置と大聖堂の距離を下見してきた。
すでに数日前から馬の従僕として潜入している。
馬のストレスを軽減する環境づくりを心掛けた。言葉なくとも心を通わせることができる動物と会話ができれば鬼に金棒だ。
「最近変な人間を見たりたべものを与えられたりとかしてない?」
否と答える馬に安堵しつつも、警戒は馬車にまで及び、念のためと車高の調整を願い出たときは仕事が丁寧と褒められた。
今日はフットマンとして待機中。花や布で飾られた婚礼馬車を見ようと人が集まってくる。
「すまねえが、ダンナ――様の大切な馬にさわらんでくれ。けられて大怪我してもつまらんことだぜ」
今のところ、不審な輩が馬車に近づいてきてはいない。
丁度広場の反対側のカフェテラスのパラソルの下に熊男が座っているのが見えた。
●
広場を見渡せるカフェテラスにいる『クマの捜査官』ウェルス ライヒトゥーム(CL3000033)は、この結婚式が無事に終わるまでは『ライアー新聞社のマントゥール』だ。身分を問われたら、弱小出版社の記者だと答えるだろう。
(あからさまなケモノビトが貴族様の結婚式に参加してたら、どうあっても目立つからな)
カバンにカメラ、懐にメモ帳。ハンチングを目深にかぶっている。
件の馬車は広場の反対側の隅に待機していて、華やかな飾りを見ようと人だかりができている。
そろそろ時間だ。もしもの時に対処できる距離に移動を始めた。
●
『梟の帽子屋』アンネリーザ・バーリフェルト(CL3000017)と『翠玉』スイ 早緑(CL3000326)は、教会手配の花嫁の介添え人として潜入していた。
「本日お世話をさせて頂くアンネリーザと申します。何でもお申し付けくださいね」
花嫁の前に姿を見せたのはアンネリーザ。スイは、ドアの前で「御髪を整えておいでです」と確固たる笑顔で人払いをしている。
柔らかいクッションに大きめのソファ、リラックス効果のあるハーブティーに、優しい甘さのクッキー。お祝いの気持ちを込めて、華やかなフラワーアレンジメントもスイの手によってセッティングされていた。
「僭越ながら、この方が髪が映えるかと――」
「素敵。本職の方みたい」
髪を飾るヴェールを整えながら、アンネリーザは切り出した。
「……何かお悩みですか? 新婦様の美しいお顔が曇っていらっしゃいますよ?」
内緒にして差し上げます。と、微笑む小間使い。
「私で良ければお話を伺いましょう。アクアディーネ様の御心のままに」
常にない緊張が彼女の口を開かせた。とつとつと告げられる中身は依頼の際に聞いていた通りの内容だったけれど、言葉の端々に彼女は心変わりなどしていないことがうかがい知れた。
「……見た目が変わってしまったことが、不安なのですか?」
「いいえ。私は、あの方の御心が変わってしまったのじゃないかと。今まで、不安になった時はあの方の目を見ては安心していました。でも――」
あの方の心をよく映す窓は失われてしまった。
「でしたら、必要なのは話し合いでは無いでしょうか」
見て分からなければ、話せばいいのだ。
「ご誠実な方なのでしょう? お話になれば、彼の中身は何一つ変わっていないかどうか確かめられます。貴方に対する愛情も本物だと実感出来ているはずです」
お互いを思って踏み出せなかった隙間に疑心暗鬼が入り込んだのだ。
「勇気を出して、ちゃんと向き合ってみてください。そうすることで、きっと貴方も救われるはずです」
花嫁は、小さく頷いた。
「そうですね。きっと、そうです」
スイはドアの前で控えていた。
「お支度はお済みになりましたか?」
(お二人がマザリモノのわたくしに驚いてしまうかもしれませんから)
今日は裏方に徹するのだ。
窓の外には、飾り馬車。フットマンが馬の様子を見ている。
目を上げれば、打ち合わせ通り偽記者が配置についた。
スイはドアの向こうに声をかけた。
「お出ましを。お客様方がお待ちです」
●
花嫁、花婿に出席者が一言贈るのはそれほど珍しいことではない。
そして、大量の招待客と花嫁・花婿に面識がないのも珍しいことではない。
君たちに幸多かれと。
花嫁は、聖堂の入り口近くの控室。花婿は、聖堂の奥の控室。
独身最後の軽口は互いの耳に入れないことがハネムーンを穏やかに過ごす極意である。
「ゲオルグ卿には大変お世話に」
『ビッグ・ヴィーナス』シノピリカ・ゼッペロン(CL3000201)は花嫁の元に知己たちと参じた。軍関係者にはキジンも多い。
眼帯と前髪で覆われたシノピリカの右目に花嫁の目が吸い寄せられた。
「お顔の色が優れぬ様ですが……?」
シノピリカの指摘に、そうですか? と、控えめに否定する様子はしつけられた貴族の娘だ。
「知らせがございました。聖堂の準備が整いましてございます」
スイがさりげなくシノピリカの知己たちを室外に誘導する。
「――貴女は悪くない」
「みなさん、そうおっしゃってくださいます。結婚を前に不安に思うのは当たり前のことだと。皆様とお話して、大分緊張は解けてきましたのよ?」
いや、そのことではなく。と、シノピリカは首を横に振る。
「彼が負傷されたのは、貴女が願った言葉のせいではない」
花嫁の目がわずかに見張られた。
「どなたにも言ったりしておりませんでしたのに――」
プラロークから聞いたとはもちろん言えないオラクルは辛い。
「私の身内にも、あなたのような表情をした者がおりました」
私がこうなった時に。
シノピリカは降ろしていた前髪と眼帯をそっとかき分けた。花嫁の顔といつかの妹の表情が重なる。
『私が、どんなになってもと言ったのがいけなかったですか?』
「彼が負傷されたのは、貴女のせいではない。むしろその願いがあったればこそ、今ここに立っていられるのじゃ。
もっと言えば、彼の献身で救われた命すらあるはず」
自分の言葉が彼に不運を運んだのでは。根拠のない不安だと他ならぬ自分がよくわかっているのに。
「誇りに思う「べき」とは言わぬ。だが、その献身・誠実こそ、貴女が愛した卿であると言う何よりの証明になるのではないか? 貴女がいつも通りに笑いかければ、暖かい腕も優しい声もそのままじゃて」
●
花婿の控室はあちらの廊下の突き当りでございます。と、大きな角を持った小間使いが指し示した。
コジマ・キスケ(CL3000206)は、軍後方で出世できたかもしれないが、歴史書に激動の時代だったと書かれるのが確定している現在、将来は五里霧中である。
それは、花婿も似たようなものだ。キジンになったので、開けた新しい道。舗装どころか轍もない状態ではあるが。
「ごきげんよう。騎士団より、祝辞やら差し上げに参りましたよ」
お加減いかがですか。と尋ねるドクターに、上々です。と苦笑交じりに答える花婿。
コジマはいけません。といった。機械に覆われてるけど、眉は絶対八の字に垂れてる。わかる。
自分が耐えれば丸く収まると飲みこむタイプ。ただし、飲みこんでいるのを見ている周囲へのフォローなどそうできるものではなく、花婿の表情は痛々しい。。
「その笑顔が半端でいけません。ご本人、わかってるとは思いますが!」
(防衛大の成績維持で青春消えた、戻る場もない移民の子の私では、どーしても僻みが滲みでてしまうやもですが)
でも、やり過ごそうとしている花婿の力になりたいコジマである。
「様々な変化からくる不安、ですよね」
マリッジブルーは、花嫁の専売特許ではない。花婿も環境が激変するのだ。
「国は多くの騎士によって守られています。けど、花嫁を守るのは、花婿だけでしょう!?」
しっかりしろ。と、喝を入れるのは防衛大の流儀である。
●
まもなく開け放たれる扉の向こうには花嫁がいる。
花婿は、軍の礼装に身を包み、祭壇の前で待っていた。
招待客の中にも同じものを身に着けているものが多い。
端正な面差しに貼りついた金属部品を殊更に悲劇のように口にする者はない。
彼は今日愛しい娘を花嫁として迎えようとしているのだ。 彼の手は、花嫁の手を取るために存在している。
●
『清廉なる剛拳』アダム・クランプトン(CL3000185)にとって、花婿であるゲオルグは知らない仲ではなかった。
二人の幸せのためなら悪役もいとわないと覚悟を決めた。
「それにしても貴方は気付いているかな。彼女が貴方のキジンとしての姿に怯えている事を」
(僕は彼の本音を引き出したいんだ。どんなに言葉を掛けようとも前に進むのは彼自身)
いかにも憤慨している風情でアダムは花婿に迫る。
(だから出来るのなら彼に僕の言葉を否定して欲しいんだ
殴り掛かって来る位の勢いでね)
「彼女はもしかして貴方の容姿と騎士という肩書だけを見て貴方自身の事は見ていなかったんじゃないのかな。だとしたらあまりにも――」
アダムは強い言葉を使おうとした。それこそ、ゲオルグとの今後を諦めなくてはいけないほどの。
「そこまで」
花婿はアダムを制した。口元には苦笑が浮かんでいる。
「僕は思ったより幸せ者だ。三文芝居で奮起させようとしてくれるいい友人がいるじゃないか。その様子だと、自由騎士団は悪い所じゃあなさそうだね?」
花婿はアダムに握手を求めた。
「君は騎士で正解だよ。芝居はむいてない。間違っても役者になろうと思ってくれるなよ」
●
馬車よりは馬をじっと見ている男たちがいる。怪しい。
柊が目くばせすると、心得た。と、ウェルスが動いた。
(イ・ラプセルっぽくしようとしてるけどへんてこだ)
「こんにちはー。観光客の方ですね? イ・ラプセルの結婚式を見るのは初めてかい?」
ウェルスは、とっさに、やあやあと近づいていった。 罪のない観光客かもしれないが、今、この場所で、馬車のそばに、明らかに怪しい異国の旅行者。もう張り付くしかない。
「どうかな、この国の印象は。ぜひ、お話を聞かせてもらいたいなぁ!」
御者台で、従僕がひらひらとイ・ラプセルにようこそ―。と、笑顔を振りまいた。この従僕はとても目がいいのだ。
広場にいるオラクルが警戒してくれている。何も起こらないのが一番なのだ。
ウェルスは、気合を入れて男達を馬車が定位置につくまで男たちをその場に釘付けにし続けた。
●
「そういうことなら、紹介したい人がいる」
シノピリカが、キジンのメンテナンスに通じたドクターと、花嫁に紹介したのは、たまき 聖流(CL3000283)だった。
「キジン化によって他から拒絶される事は、何より怖い筈ですから……それが愛している人なら尚の事です」
彼が笑わなくなったというのは心配に思うことではないと、たまきは言った。
「キジン化した人と接するのは、他の人と区別を付けない事。――そして『マシーナリー』として、私が貴女に伝えられる事は、その技術を教える事です」
たまきがそう言った。
花嫁は、目をぱちくりさせた。
「彼の異変も技術を学べば解るでしょうし、自身に出来る事があると知っている事は、自信にも繋がります」
信念をもってたまきは言う。時間さえ許すならここでギアリペアラーの講義を始めそうだ。手に道具ポーチを握っている。
「よろしければ、シノピリカさんのお体の歯車の調整からですね――」
「いけません」
花嫁は、自分の強い口調に自分でびっくりしながらしどろもどろで呟いた。
「これからお式に参列してくださるお客様のお体の大事なところを――花嫁が露出させていじるだなんて、シノピリカ様がご婦人でも、だからこそ、いけないことですわ」
乙女らしい羞恥心である。
「ゲオルグ様がシノピリカ様にやきもちを焼いては困ります」
と、赤面されて、シノピリカとたまきも場に満ちた甘ったるい空気にあてられてしまう。そうだ。結婚式だった。
「ですが、素晴らしい示唆をいただきました。機会を作ってお勉強をしたいと思います」
花嫁は、晴れやかな笑顔を浮かべた。
刻限を知らせる鐘が鳴った。
●
大聖堂の扉が開き、花嫁は前を見る。
花婿の口元に柔らかな笑みが浮かんでいる。
居並ぶ招待客の中、コジマ、アダム、シノピリカも礼を取る。
「畜生。わたしだってそんな相手ほしいわ!」
「しかし、眩しい。そして、羨ましい。今日はやけに義眼が曇るのう」
ご婦人の小声の応酬。善良なアダムは微笑むのみである。
赤い絨毯の上を進む花嫁の軽やかな足取りは、喜びに満ち溢れていた。
大聖堂のあちこちに待機していたオラクル達もそれぞれの立場から安堵する。
父君から花婿に花嫁の手が預けられ、式は滞りなく済んだ。
拍手と花が降り注ぐ中、花嫁と花婿が聖堂を出、馬車に乗り込もうとした。
御者が、祝いの言葉を口にする。
「若様、この度は、本当に――わたくし、嬉しくて昨夜から一睡もできず――」
老御者は、花婿に仕え、感極まった様子だった。一時は花婿の戦死も覚悟していたという。
「この喜びを――」
急に御者がしゃがみこんだ。緊張の糸が切れたらしい。
常ならぬ空気に馬が動揺する。
「止めて!」
いち早く異変を察した柊が叫ぶ。
オラクル達は一斉に飛び出した。
コジマとたまきはへたり込む御者を担いで、安全圏に避難させた。
アダムとシノピリカは後ろ足で立ち上がろうとする馬の鼻先をとらえた。
柊は、後列の馬の背に飛び乗ると、もう一方の馬の首筋をなでる。
ウェルスは、センスがおかしい連中の肩をがっちりつかんだ。
花嫁と花婿は。と、皆が思ったときには、花婿は花嫁を抱き上げ、大聖堂の階段を駆け上がりきっていた。
素早い。電光石火だ。柊がスカウトに来る。
「前より目がよくなったから。これは危ないと思って」
花婿は、晴れやかに笑った。疑う余地はなかった。
「ご列席の皆様、申し訳ない。妻を最優先にしてしまいました」
歓声があがる。指笛が混じるのはご愛敬だ。
「――ゲオルグ様。お目のことは私にお任せくださいね。勉強いたしますから!」
聖堂の扉の陰からスイとアンネリーザが二人に声をかけた。
「奥方様のお召し物を整えさせていただきます」
アクアディーネがほほ笑んでいる。そんな天気。
幸せな夫婦が誕生した。
アクアディーネがほほ笑んでいる。そんな天気だ。
少し前から、『エルローの七色騎士』柊・オルステッド(CL3000152)は、教会裏の馬車だまりにいた。
先ほど馬車が通る予定の位置と大聖堂の距離を下見してきた。
すでに数日前から馬の従僕として潜入している。
馬のストレスを軽減する環境づくりを心掛けた。言葉なくとも心を通わせることができる動物と会話ができれば鬼に金棒だ。
「最近変な人間を見たりたべものを与えられたりとかしてない?」
否と答える馬に安堵しつつも、警戒は馬車にまで及び、念のためと車高の調整を願い出たときは仕事が丁寧と褒められた。
今日はフットマンとして待機中。花や布で飾られた婚礼馬車を見ようと人が集まってくる。
「すまねえが、ダンナ――様の大切な馬にさわらんでくれ。けられて大怪我してもつまらんことだぜ」
今のところ、不審な輩が馬車に近づいてきてはいない。
丁度広場の反対側のカフェテラスのパラソルの下に熊男が座っているのが見えた。
●
広場を見渡せるカフェテラスにいる『クマの捜査官』ウェルス ライヒトゥーム(CL3000033)は、この結婚式が無事に終わるまでは『ライアー新聞社のマントゥール』だ。身分を問われたら、弱小出版社の記者だと答えるだろう。
(あからさまなケモノビトが貴族様の結婚式に参加してたら、どうあっても目立つからな)
カバンにカメラ、懐にメモ帳。ハンチングを目深にかぶっている。
件の馬車は広場の反対側の隅に待機していて、華やかな飾りを見ようと人だかりができている。
そろそろ時間だ。もしもの時に対処できる距離に移動を始めた。
●
『梟の帽子屋』アンネリーザ・バーリフェルト(CL3000017)と『翠玉』スイ 早緑(CL3000326)は、教会手配の花嫁の介添え人として潜入していた。
「本日お世話をさせて頂くアンネリーザと申します。何でもお申し付けくださいね」
花嫁の前に姿を見せたのはアンネリーザ。スイは、ドアの前で「御髪を整えておいでです」と確固たる笑顔で人払いをしている。
柔らかいクッションに大きめのソファ、リラックス効果のあるハーブティーに、優しい甘さのクッキー。お祝いの気持ちを込めて、華やかなフラワーアレンジメントもスイの手によってセッティングされていた。
「僭越ながら、この方が髪が映えるかと――」
「素敵。本職の方みたい」
髪を飾るヴェールを整えながら、アンネリーザは切り出した。
「……何かお悩みですか? 新婦様の美しいお顔が曇っていらっしゃいますよ?」
内緒にして差し上げます。と、微笑む小間使い。
「私で良ければお話を伺いましょう。アクアディーネ様の御心のままに」
常にない緊張が彼女の口を開かせた。とつとつと告げられる中身は依頼の際に聞いていた通りの内容だったけれど、言葉の端々に彼女は心変わりなどしていないことがうかがい知れた。
「……見た目が変わってしまったことが、不安なのですか?」
「いいえ。私は、あの方の御心が変わってしまったのじゃないかと。今まで、不安になった時はあの方の目を見ては安心していました。でも――」
あの方の心をよく映す窓は失われてしまった。
「でしたら、必要なのは話し合いでは無いでしょうか」
見て分からなければ、話せばいいのだ。
「ご誠実な方なのでしょう? お話になれば、彼の中身は何一つ変わっていないかどうか確かめられます。貴方に対する愛情も本物だと実感出来ているはずです」
お互いを思って踏み出せなかった隙間に疑心暗鬼が入り込んだのだ。
「勇気を出して、ちゃんと向き合ってみてください。そうすることで、きっと貴方も救われるはずです」
花嫁は、小さく頷いた。
「そうですね。きっと、そうです」
スイはドアの前で控えていた。
「お支度はお済みになりましたか?」
(お二人がマザリモノのわたくしに驚いてしまうかもしれませんから)
今日は裏方に徹するのだ。
窓の外には、飾り馬車。フットマンが馬の様子を見ている。
目を上げれば、打ち合わせ通り偽記者が配置についた。
スイはドアの向こうに声をかけた。
「お出ましを。お客様方がお待ちです」
●
花嫁、花婿に出席者が一言贈るのはそれほど珍しいことではない。
そして、大量の招待客と花嫁・花婿に面識がないのも珍しいことではない。
君たちに幸多かれと。
花嫁は、聖堂の入り口近くの控室。花婿は、聖堂の奥の控室。
独身最後の軽口は互いの耳に入れないことがハネムーンを穏やかに過ごす極意である。
「ゲオルグ卿には大変お世話に」
『ビッグ・ヴィーナス』シノピリカ・ゼッペロン(CL3000201)は花嫁の元に知己たちと参じた。軍関係者にはキジンも多い。
眼帯と前髪で覆われたシノピリカの右目に花嫁の目が吸い寄せられた。
「お顔の色が優れぬ様ですが……?」
シノピリカの指摘に、そうですか? と、控えめに否定する様子はしつけられた貴族の娘だ。
「知らせがございました。聖堂の準備が整いましてございます」
スイがさりげなくシノピリカの知己たちを室外に誘導する。
「――貴女は悪くない」
「みなさん、そうおっしゃってくださいます。結婚を前に不安に思うのは当たり前のことだと。皆様とお話して、大分緊張は解けてきましたのよ?」
いや、そのことではなく。と、シノピリカは首を横に振る。
「彼が負傷されたのは、貴女が願った言葉のせいではない」
花嫁の目がわずかに見張られた。
「どなたにも言ったりしておりませんでしたのに――」
プラロークから聞いたとはもちろん言えないオラクルは辛い。
「私の身内にも、あなたのような表情をした者がおりました」
私がこうなった時に。
シノピリカは降ろしていた前髪と眼帯をそっとかき分けた。花嫁の顔といつかの妹の表情が重なる。
『私が、どんなになってもと言ったのがいけなかったですか?』
「彼が負傷されたのは、貴女のせいではない。むしろその願いがあったればこそ、今ここに立っていられるのじゃ。
もっと言えば、彼の献身で救われた命すらあるはず」
自分の言葉が彼に不運を運んだのでは。根拠のない不安だと他ならぬ自分がよくわかっているのに。
「誇りに思う「べき」とは言わぬ。だが、その献身・誠実こそ、貴女が愛した卿であると言う何よりの証明になるのではないか? 貴女がいつも通りに笑いかければ、暖かい腕も優しい声もそのままじゃて」
●
花婿の控室はあちらの廊下の突き当りでございます。と、大きな角を持った小間使いが指し示した。
コジマ・キスケ(CL3000206)は、軍後方で出世できたかもしれないが、歴史書に激動の時代だったと書かれるのが確定している現在、将来は五里霧中である。
それは、花婿も似たようなものだ。キジンになったので、開けた新しい道。舗装どころか轍もない状態ではあるが。
「ごきげんよう。騎士団より、祝辞やら差し上げに参りましたよ」
お加減いかがですか。と尋ねるドクターに、上々です。と苦笑交じりに答える花婿。
コジマはいけません。といった。機械に覆われてるけど、眉は絶対八の字に垂れてる。わかる。
自分が耐えれば丸く収まると飲みこむタイプ。ただし、飲みこんでいるのを見ている周囲へのフォローなどそうできるものではなく、花婿の表情は痛々しい。。
「その笑顔が半端でいけません。ご本人、わかってるとは思いますが!」
(防衛大の成績維持で青春消えた、戻る場もない移民の子の私では、どーしても僻みが滲みでてしまうやもですが)
でも、やり過ごそうとしている花婿の力になりたいコジマである。
「様々な変化からくる不安、ですよね」
マリッジブルーは、花嫁の専売特許ではない。花婿も環境が激変するのだ。
「国は多くの騎士によって守られています。けど、花嫁を守るのは、花婿だけでしょう!?」
しっかりしろ。と、喝を入れるのは防衛大の流儀である。
●
まもなく開け放たれる扉の向こうには花嫁がいる。
花婿は、軍の礼装に身を包み、祭壇の前で待っていた。
招待客の中にも同じものを身に着けているものが多い。
端正な面差しに貼りついた金属部品を殊更に悲劇のように口にする者はない。
彼は今日愛しい娘を花嫁として迎えようとしているのだ。 彼の手は、花嫁の手を取るために存在している。
●
『清廉なる剛拳』アダム・クランプトン(CL3000185)にとって、花婿であるゲオルグは知らない仲ではなかった。
二人の幸せのためなら悪役もいとわないと覚悟を決めた。
「それにしても貴方は気付いているかな。彼女が貴方のキジンとしての姿に怯えている事を」
(僕は彼の本音を引き出したいんだ。どんなに言葉を掛けようとも前に進むのは彼自身)
いかにも憤慨している風情でアダムは花婿に迫る。
(だから出来るのなら彼に僕の言葉を否定して欲しいんだ
殴り掛かって来る位の勢いでね)
「彼女はもしかして貴方の容姿と騎士という肩書だけを見て貴方自身の事は見ていなかったんじゃないのかな。だとしたらあまりにも――」
アダムは強い言葉を使おうとした。それこそ、ゲオルグとの今後を諦めなくてはいけないほどの。
「そこまで」
花婿はアダムを制した。口元には苦笑が浮かんでいる。
「僕は思ったより幸せ者だ。三文芝居で奮起させようとしてくれるいい友人がいるじゃないか。その様子だと、自由騎士団は悪い所じゃあなさそうだね?」
花婿はアダムに握手を求めた。
「君は騎士で正解だよ。芝居はむいてない。間違っても役者になろうと思ってくれるなよ」
●
馬車よりは馬をじっと見ている男たちがいる。怪しい。
柊が目くばせすると、心得た。と、ウェルスが動いた。
(イ・ラプセルっぽくしようとしてるけどへんてこだ)
「こんにちはー。観光客の方ですね? イ・ラプセルの結婚式を見るのは初めてかい?」
ウェルスは、とっさに、やあやあと近づいていった。 罪のない観光客かもしれないが、今、この場所で、馬車のそばに、明らかに怪しい異国の旅行者。もう張り付くしかない。
「どうかな、この国の印象は。ぜひ、お話を聞かせてもらいたいなぁ!」
御者台で、従僕がひらひらとイ・ラプセルにようこそ―。と、笑顔を振りまいた。この従僕はとても目がいいのだ。
広場にいるオラクルが警戒してくれている。何も起こらないのが一番なのだ。
ウェルスは、気合を入れて男達を馬車が定位置につくまで男たちをその場に釘付けにし続けた。
●
「そういうことなら、紹介したい人がいる」
シノピリカが、キジンのメンテナンスに通じたドクターと、花嫁に紹介したのは、たまき 聖流(CL3000283)だった。
「キジン化によって他から拒絶される事は、何より怖い筈ですから……それが愛している人なら尚の事です」
彼が笑わなくなったというのは心配に思うことではないと、たまきは言った。
「キジン化した人と接するのは、他の人と区別を付けない事。――そして『マシーナリー』として、私が貴女に伝えられる事は、その技術を教える事です」
たまきがそう言った。
花嫁は、目をぱちくりさせた。
「彼の異変も技術を学べば解るでしょうし、自身に出来る事があると知っている事は、自信にも繋がります」
信念をもってたまきは言う。時間さえ許すならここでギアリペアラーの講義を始めそうだ。手に道具ポーチを握っている。
「よろしければ、シノピリカさんのお体の歯車の調整からですね――」
「いけません」
花嫁は、自分の強い口調に自分でびっくりしながらしどろもどろで呟いた。
「これからお式に参列してくださるお客様のお体の大事なところを――花嫁が露出させていじるだなんて、シノピリカ様がご婦人でも、だからこそ、いけないことですわ」
乙女らしい羞恥心である。
「ゲオルグ様がシノピリカ様にやきもちを焼いては困ります」
と、赤面されて、シノピリカとたまきも場に満ちた甘ったるい空気にあてられてしまう。そうだ。結婚式だった。
「ですが、素晴らしい示唆をいただきました。機会を作ってお勉強をしたいと思います」
花嫁は、晴れやかな笑顔を浮かべた。
刻限を知らせる鐘が鳴った。
●
大聖堂の扉が開き、花嫁は前を見る。
花婿の口元に柔らかな笑みが浮かんでいる。
居並ぶ招待客の中、コジマ、アダム、シノピリカも礼を取る。
「畜生。わたしだってそんな相手ほしいわ!」
「しかし、眩しい。そして、羨ましい。今日はやけに義眼が曇るのう」
ご婦人の小声の応酬。善良なアダムは微笑むのみである。
赤い絨毯の上を進む花嫁の軽やかな足取りは、喜びに満ち溢れていた。
大聖堂のあちこちに待機していたオラクル達もそれぞれの立場から安堵する。
父君から花婿に花嫁の手が預けられ、式は滞りなく済んだ。
拍手と花が降り注ぐ中、花嫁と花婿が聖堂を出、馬車に乗り込もうとした。
御者が、祝いの言葉を口にする。
「若様、この度は、本当に――わたくし、嬉しくて昨夜から一睡もできず――」
老御者は、花婿に仕え、感極まった様子だった。一時は花婿の戦死も覚悟していたという。
「この喜びを――」
急に御者がしゃがみこんだ。緊張の糸が切れたらしい。
常ならぬ空気に馬が動揺する。
「止めて!」
いち早く異変を察した柊が叫ぶ。
オラクル達は一斉に飛び出した。
コジマとたまきはへたり込む御者を担いで、安全圏に避難させた。
アダムとシノピリカは後ろ足で立ち上がろうとする馬の鼻先をとらえた。
柊は、後列の馬の背に飛び乗ると、もう一方の馬の首筋をなでる。
ウェルスは、センスがおかしい連中の肩をがっちりつかんだ。
花嫁と花婿は。と、皆が思ったときには、花婿は花嫁を抱き上げ、大聖堂の階段を駆け上がりきっていた。
素早い。電光石火だ。柊がスカウトに来る。
「前より目がよくなったから。これは危ないと思って」
花婿は、晴れやかに笑った。疑う余地はなかった。
「ご列席の皆様、申し訳ない。妻を最優先にしてしまいました」
歓声があがる。指笛が混じるのはご愛敬だ。
「――ゲオルグ様。お目のことは私にお任せくださいね。勉強いたしますから!」
聖堂の扉の陰からスイとアンネリーザが二人に声をかけた。
「奥方様のお召し物を整えさせていただきます」
アクアディーネがほほ笑んでいる。そんな天気。
幸せな夫婦が誕生した。