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白い箱の中にいる。

●
人里離れた荒野に、ツタのからまる白い箱は、ぽつんとあるのだ。
ここは、元々小さな集落があったところで、ほとんどの家はすでに朽ち果てている。この箱があったところも若夫婦がすんでいた家の一部だった。
ずいぶん前に、屋根と二階が風に飛ばされた。
やがて一階部分のほとんどがなくなった。
かつてこの家だったもので残ったのは、一階の奥の部屋にあったレリーフだけだ。
では、白い箱を形成するものは何だというのか。
ドアも朽ちた入り口から、キツネが入ってくる。
入り口から入り込む光が奥まで届かない、どこもかしこも真っ白いのだろうが壁は不規則にでこぼこしている。
自然界にありえない様子にキツネは踵を返そうとした。が、頭を動かすことができなかった。首を何かが押さえている。じたばた暴れるがびくともしない。四方から長細いものがキツネの四肢をつかみ、壁の中に引きずり込んだ。
しばらく「壁の中で」もがいていたキツネは、ぷかりと壁の表面に浮かんでくる。
低いキツネの視点では見えなかった。壁には空飛ぶ小鳥、雨宿りに来た旅人、はぐれたオオカミ、ウサギに根城にしようとした盗賊、もっとも古いのはかつてあった集落の近隣の住人やこの家の使用人が埋まっている。
最も高い場所に美しく飾られた、早逝した奥方。
彼女が始まりだった。
●
「皆様。皆様のご尽力により、国力の増加著しいと宰相閣下がお喜びです。素晴らしいことですわね」
マリオーネ・ミゼル・ブォージン(nCL3000033)のスローモーションな微笑み。表情筋が動ききるまで時間がかかる。
「それを線で結びたいとお考えのようです。さて、皆様。避けることのできる悲劇は回避されねばなりません」
だって、まだ蓋然性だけですもの。と、未亡人は笑う。
「新たな街道の近くに廃屋がありますの――廃屋でよろしいのかしら。のこっているのは壁とその派生だけなのですけれど――不便な場所ですから百年くらい前から放棄されていますわね。その壁の中に不幸な方がいらっしゃいますわ。この家に嫁いだ方ですわね」
壁の中に不幸な方がいらっしゃるってどういう状況ですか。
「水鏡は未来が見えるものなのですけれど、状態から察しますに、当主がこの方を美しく装飾し、永遠におうちに縛り付けたのではないかと考えますわ」
口元をハンカチで覆いつつ、マリオーネはもう片方の手で、壁を塗るような仕草をした。
美しく装飾とその仕草の関連性が分かりません。
「私、まだ説明になれておりませんわね、ごめんなさい。当主は急逝した妻の遺体を壁に埋め込み、美しいレリーフに――壁から浮き出ている壁面装飾ですわ――加工して、生涯眺めて暮らしたそうですわ。当時は急逝した奥方を忍んで作ったと思われていたようですけれど――合ってますわね。ただ、そっくりなのは本人の全身に直接壁材を塗って作ったなんて誰も思わなかっただけで」
え、それ、なんなの。殺人の隠ぺいなの? 純愛なの?
「それは今となってはわかりませんわ。私にわかりますのは、この奥方が還リビトとしてこの廃屋をお化け屋敷にしてしまい、このまま工事が始まってしまうと、たくさんの工事関係者の方が犠牲になるということだけですわ」
その辺から先に言う訓練しよう?
「精進いたします。壁のそばに立つと、壁に飲みこまれて、奥方のお仲間にされてしまいますから、皆様。くれぐれもお気をつけあそばして」
人里離れた荒野に、ツタのからまる白い箱は、ぽつんとあるのだ。
ここは、元々小さな集落があったところで、ほとんどの家はすでに朽ち果てている。この箱があったところも若夫婦がすんでいた家の一部だった。
ずいぶん前に、屋根と二階が風に飛ばされた。
やがて一階部分のほとんどがなくなった。
かつてこの家だったもので残ったのは、一階の奥の部屋にあったレリーフだけだ。
では、白い箱を形成するものは何だというのか。
ドアも朽ちた入り口から、キツネが入ってくる。
入り口から入り込む光が奥まで届かない、どこもかしこも真っ白いのだろうが壁は不規則にでこぼこしている。
自然界にありえない様子にキツネは踵を返そうとした。が、頭を動かすことができなかった。首を何かが押さえている。じたばた暴れるがびくともしない。四方から長細いものがキツネの四肢をつかみ、壁の中に引きずり込んだ。
しばらく「壁の中で」もがいていたキツネは、ぷかりと壁の表面に浮かんでくる。
低いキツネの視点では見えなかった。壁には空飛ぶ小鳥、雨宿りに来た旅人、はぐれたオオカミ、ウサギに根城にしようとした盗賊、もっとも古いのはかつてあった集落の近隣の住人やこの家の使用人が埋まっている。
最も高い場所に美しく飾られた、早逝した奥方。
彼女が始まりだった。
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「皆様。皆様のご尽力により、国力の増加著しいと宰相閣下がお喜びです。素晴らしいことですわね」
マリオーネ・ミゼル・ブォージン(nCL3000033)のスローモーションな微笑み。表情筋が動ききるまで時間がかかる。
「それを線で結びたいとお考えのようです。さて、皆様。避けることのできる悲劇は回避されねばなりません」
だって、まだ蓋然性だけですもの。と、未亡人は笑う。
「新たな街道の近くに廃屋がありますの――廃屋でよろしいのかしら。のこっているのは壁とその派生だけなのですけれど――不便な場所ですから百年くらい前から放棄されていますわね。その壁の中に不幸な方がいらっしゃいますわ。この家に嫁いだ方ですわね」
壁の中に不幸な方がいらっしゃるってどういう状況ですか。
「水鏡は未来が見えるものなのですけれど、状態から察しますに、当主がこの方を美しく装飾し、永遠におうちに縛り付けたのではないかと考えますわ」
口元をハンカチで覆いつつ、マリオーネはもう片方の手で、壁を塗るような仕草をした。
美しく装飾とその仕草の関連性が分かりません。
「私、まだ説明になれておりませんわね、ごめんなさい。当主は急逝した妻の遺体を壁に埋め込み、美しいレリーフに――壁から浮き出ている壁面装飾ですわ――加工して、生涯眺めて暮らしたそうですわ。当時は急逝した奥方を忍んで作ったと思われていたようですけれど――合ってますわね。ただ、そっくりなのは本人の全身に直接壁材を塗って作ったなんて誰も思わなかっただけで」
え、それ、なんなの。殺人の隠ぺいなの? 純愛なの?
「それは今となってはわかりませんわ。私にわかりますのは、この奥方が還リビトとしてこの廃屋をお化け屋敷にしてしまい、このまま工事が始まってしまうと、たくさんの工事関係者の方が犠牲になるということだけですわ」
その辺から先に言う訓練しよう?
「精進いたします。壁のそばに立つと、壁に飲みこまれて、奥方のお仲間にされてしまいますから、皆様。くれぐれもお気をつけあそばして」
†シナリオ詳細†
■成功条件
1.イブリースの完全討伐
2.予定された工事の安全確保
2.予定された工事の安全確保
田奈です。
ほら、開発してくと今まで放置されてたあれとかそれとかが視界に入ってくるんですよ。
通りすがりの動植物ホイホイ状態の還リビトか家なのかわからなくなってしまった何かを浄化していただきますよ。
*還リビト「奥方」
20代後半から30代前半の女性ですが、生前の詳しいいきさつはわかりません。
彼女は、死後、夫によってここに埋められた。それだけです。
レリーフ部分は特に動いたりしませんが、健在である限り壁は自動修復します。
レリーフは、高さ2メートルの位置に頭部が来る高さ。全身の前面が白い壁材に覆われて穏やかな笑顔を浮かべている状態です。
後ろ半分は壁と完全に一体化しています。
壁材が装甲代わりになります。直接攻撃するのに工夫が必要でしょう。
「壁からの誘い」 物縁単×1ターンにつき、壁に埋まっていない人数と同じ回数
活性化したイブリースの集合体です。
壁から今まで取りこまれた人間や動物が生えてきて、壁に囲まれた空間にいる全員が毎ターン1回襲われます。かばうは有効です。
回避失敗かつ攻撃力判定に失敗すると引きずり込まれます。
壁に直接触れると回避不可になるので大変危険です。
3ターン以内に脱出しないとスロウが付きます。更に3ターン以内に脱出できないと壁に閉じ込められ、戦闘に参加することはできなくなります。オラクルなのでそう簡単に死にはしませんが、思い出したくない体験をすることになるでしょう。
手助けがあれば、脱出の可能性は上がります。壁との力比べになりますので、手助けする人は腕力がある人が適任です。ですが、壁の近くに行く必要がありますので、力負けすれば二次遭難です。芋づるにならないように、相談してください。奥方を倒せば、容易に脱出できます。
*昼間・曇り、雨の心配はありません。
箱自体は、10メートル×10メートル×3メートル。壁の厚みは1メートル。
天井は入り口側が崩れています。レリーフの上部にはドーム状に元々なかった壁が伸びてドーム状になっている状態です。
出入りは、もともとドアがあった場所から自由にできますし、壁を乗り越えれば容易です。
箱の外から奥方まで遠距離射程は射線がずれて出来ません。
床材は朽ち果てきって、普通の地面です。砂利が魅かれて整地されているところから雑草が生えています。移動修正はありません。
箱が遠距離射程に入ってきたところからスタートです。
ほら、開発してくと今まで放置されてたあれとかそれとかが視界に入ってくるんですよ。
通りすがりの動植物ホイホイ状態の還リビトか家なのかわからなくなってしまった何かを浄化していただきますよ。
*還リビト「奥方」
20代後半から30代前半の女性ですが、生前の詳しいいきさつはわかりません。
彼女は、死後、夫によってここに埋められた。それだけです。
レリーフ部分は特に動いたりしませんが、健在である限り壁は自動修復します。
レリーフは、高さ2メートルの位置に頭部が来る高さ。全身の前面が白い壁材に覆われて穏やかな笑顔を浮かべている状態です。
後ろ半分は壁と完全に一体化しています。
壁材が装甲代わりになります。直接攻撃するのに工夫が必要でしょう。
「壁からの誘い」 物縁単×1ターンにつき、壁に埋まっていない人数と同じ回数
活性化したイブリースの集合体です。
壁から今まで取りこまれた人間や動物が生えてきて、壁に囲まれた空間にいる全員が毎ターン1回襲われます。かばうは有効です。
回避失敗かつ攻撃力判定に失敗すると引きずり込まれます。
壁に直接触れると回避不可になるので大変危険です。
3ターン以内に脱出しないとスロウが付きます。更に3ターン以内に脱出できないと壁に閉じ込められ、戦闘に参加することはできなくなります。オラクルなのでそう簡単に死にはしませんが、思い出したくない体験をすることになるでしょう。
手助けがあれば、脱出の可能性は上がります。壁との力比べになりますので、手助けする人は腕力がある人が適任です。ですが、壁の近くに行く必要がありますので、力負けすれば二次遭難です。芋づるにならないように、相談してください。奥方を倒せば、容易に脱出できます。
*昼間・曇り、雨の心配はありません。
箱自体は、10メートル×10メートル×3メートル。壁の厚みは1メートル。
天井は入り口側が崩れています。レリーフの上部にはドーム状に元々なかった壁が伸びてドーム状になっている状態です。
出入りは、もともとドアがあった場所から自由にできますし、壁を乗り越えれば容易です。
箱の外から奥方まで遠距離射程は射線がずれて出来ません。
床材は朽ち果てきって、普通の地面です。砂利が魅かれて整地されているところから雑草が生えています。移動修正はありません。
箱が遠距離射程に入ってきたところからスタートです。
状態
完了
完了
報酬マテリア
6個
2個
2個
2個




参加費
100LP [予約時+50LP]
100LP [予約時+50LP]
相談日数
6日
6日
参加人数
8/8
8/8
公開日
2018年09月19日
2018年09月19日
†メイン参加者 8人†
●
丁度いいタイミングといえるだろう。
水鏡は未来を映すと言っていたが、これがプラロークが見たものか。と、コジマ・キスケ(CL3000206)は犬を捕まえて放す手間が省けた事に関しては喜ばしいと思ったので、あえてとめなかった。
四方から飛んできた蔦がキツネを壁に埋めていく手際にオラクル達はそれぞれ言葉を飲みこむ。
拷問官吏は、まず自分がどんな目に遭うかたっぷり見せてから実際に拷問にかけるというが、成程、きっと効果があるに違いない。
(わかっちゃうってやーですねえ。避けるはなんとか。振りほどくのも腕力次第。でも、それにしくじったら最後、自力じゃ振りほどけないが確定じゃないですか)
狐の膂力はともかく、敏捷性で捕まるのは、コジマにとって嬉しい判断材料ではない。
「明確なほうが覚悟も決まるってもんですよ」
死にたくないなら、活動の音を止める。
「外からできることってさほどなさそうなんで、結局入るしかないんですから――入っていくのは止められなかったですけどね。急げば間に合うかもしれませんよ。キツネ救出。ひょっとしたらですけど」
同部隊の士気は下げるより上げる。モチベーションの維持は士官の務めだ。
●
『≪母≫の因子』アリア・セレスティ(CL3000222)は、足に羽が生えているように地面を走る。
「箱と言うには大きくないですか……?」
(還リビトで片づけるには些か異様な怪異ですね。これまでずっと拡張してきたのかな? だとすると相当な強敵かも……)
かつてあった、大きめで吹き抜けの部屋。そこから部屋が大きくなったのか元の大きさのままなのかは残念ながら資料がない。
『ちみっこマーチャント』ナナン・皐月(CL3000240)は、走りながら、「聞いて―!」 と、言った。
「あのね、ナナンねぇ、マリオーネちゃんのお話を聞いてて、思った事があるのだ!」
皆の視線がナナンに集中する。
「えっとぉ……、おくがたちゃんがイブリースになっちゃったのは最近でぇ、百年くらい前からそこに居たんだよねぇ?」
実際、イブリース化したのがいつかは特定できていない。埋められた直後かもしれないっし、つい最近かもしれない。
プラロークの水鏡に映るまで、誰も気が付いていなかったのだ。
もし、この近くの街道を整備することにならなければ優先順位は低いままでさらに発見は遅れていただろう。
そうですね。と、『天辰』カスカ・セイリュウジ(CL3000019)は頷いた。
「壁の中や桜の木の下、思わぬ場所に埋められた死体というのは怪談などで偶に聞く話です」
アマノホカリの怪談は怖そうだ。
「しかしまあ『幽霊の正体見たり枯れ尾花』とはよく言ったもので還リビトという、我々にとって実体験の多い『現象』として具現化していると分かってしまえば怖ろしさなど何も感じませんね」
お化けはいないよ。あれは物理現象であるイブリース。そうやって自分を奮い立たせているオラクルがいるとかいないとか。
「まあそれでも、夫が妻を壁に埋め込んだというおぞましい現実は変わりませんがね。魑魅魍魎などより人こそが最も恐ろしい……というオチもまた、怪談ではよくある話ですね」
げに恐ろしきはヒトなりき。
「それってナナンがおくがたちゃんだったら、とっても寂しい気持ちになっちゃうと思うんだぁ」
昔からなら百年の孤独。最近なら、百年後に異形とされてほおり出されたのだ。どちらにしても正気の沙汰ではない。
「だから皆と一緒に居たくなっちゃって、色んな人や動物ちゃん達を自分みたいにしてるのかなぁ? って」
「それな」
『エルローの七色騎士』柊・オルステッド(CL3000152)の動機もそれに起因する。
「寂しがりやなのかな、奥方は。色んなもんを手当たり次第取り込みたがる。壁の中の王国は窮屈で退屈だろう。オレ達が外に連れ出してやるぜ」
『RE:LIGARE』ミルトス・ホワイトカラント(CL3000141)にも、色々思うところはある。主にそれをやらかした御仁について。
(自分がやられるのは御免ですし奥方も不本意だったでしょうが……)
もはや、理由はわからない。
(うん、故人の意思を憶測するのは危険ね、薮蛇だわ)
修道女は、悪い言葉を舌に乗せるのは極力避けるべきだ。
覚悟は決まったコジマだが、お仕事を選べそうで選べない自分の境遇に泣きが入っている。
現時点、自由騎士団に回ってくる仕事は、子供の使いみたいなのか、得体のしれないものを倒しに行けかのどちらかだ。
得体が知れているものは、国防騎士団がいくのだ。
「やれるもんなら、丸ごと燃やしてしまいたいですよねー……」
(わかってます、言ってみただけですよ。はーしんど)
さらば、胸に描いた安穏とした後方勤務。
後衛ではあるが、戦火から精々20メートルしか離れていない。
(帰りてぇ……回復が少しできるだけの一兵卒なんですよこっちは! 何故受けた私! バカ!)
この答えが出るときがコジマの人生の先行き不透明になった人生航路が見えてくるときかもしれない。
「命ってもんはいずれ還るもんだ。いつまでも留まり続けちゃいけねぇよ」
癒し手であるブラッド・アーベントロート(CL3000390)は、きっちり奥方をセフィロトの海に還すことを再確認した。
「箱の外には何もしてなくて箱の中にいる奴らだけ取り込もうとしてるんだよな。ひょっとすると夫を探してるのかもしれねぇな。もう死んでから長い時間が経ってるってぇのに……たく、俺はこういう類の話は嫌いなんだよ」
狼の耳が想像で若干しょげるおっさんは、国の親御さんに仕送りをかかさない親孝行者だ。「こういう類」が、怪談なのか切ない悲恋なのかをぜひ確認したい。
箱から感じる言葉にできない違和感は、とどまり続ける魂の気配だ。
「皆さん準備はいーですか。まず奥方狙いですからね? 私撃ちますからね? せめて最初の一回は、結果を見て動いてくださいね?」
国防騎士団から転属してきているコジマの作戦提案は合理的だ。
「箱の外は安全そうですよね」
先行するアリアは入り口を避け、空中二段飛びで壁を飛び越えた。
前転している腹越しに見えた壁の上面部。
けば立って見えるのは半ば沈んだ鳥の翼や頭だ。逆さになって足が出ているのもいる。
壁の上もまた壁なのだ。もしも、壁に乗るという選択をしていたら、小鳥のように手足の先だけ出して壁の住人の仲間入りをしていたかもしれない。
「壁には絶対に触らないでここまで来てくださいね! 上に乗ってもダメです! 鳥が、鳥が!」
まだ壁の外にいる仲間に向かって叫ぶ。
「壁も屋根もダメです。退避場所になりません!」
表面の凹凸は装飾ではない。指や頭髪だ。触ったら取り込まれる。
箱の中からアリアが叫んでいる背後から、白い蔦のようなものが壁の表面でうごめいているのに『梟の帽子屋』アンネリーザ・バーリフェルト(CL3000017)は気が付いた。
「上方5時と7時から攻撃が来る! 気を付けて!」
空中を駆け上がるように、アリアは回避を試みる。
途切れなく飛んでくる蔦や木の枝。もっと壁に近づけば動物や人間が飛び出してくるのだろうか。
オラクル達は次々と壁の中に飛び込んでいく。
正面、見上げる位置に奥方の顔。白く固められた面は穏やかに微笑んでいる。
猛禽類の翼で揚力を得たアンネリーザが戦場全域を見極める。四方の壁側面はもとより、上面からも攻撃は来る。上空にいるからと言って安心はできない。先程アリアが壁の上に乗るなという警告は正しかった。
加速遺伝子の活性化を持つ者たちは、我先にと奥方に向かう。
「ここは一緒に壁に取り込まれないように庇いも助けもしない。オレのときもそうするがいい。自己責任でいこう」
柊が言う。
相手を一度殴るたび、一人一回の運だめし。
細身の剣に乗せられた空の刃が奥方の腹の辺りに食い込む。そのヒビ割れ具合を壁を見通す目で確認した柊は、自分めがけて突き出された腕の持ち主の熱烈な抱擁をすんでのところでよけきった。
千切れた前髪がキラキラ光る。
(――還リビト満載の壁って生きてない有機物扱いでいいのか? さっきキツネがめり込んだような)
物質透過はだいぶ博打の気がする。というか、行けるかもしれないが大分気持ち悪い。
「畜生――こういう時のためのスキルと思っていたのに」
というか、壁の外に出たら、元の位置に戻ってくるまで数ターンのロスがある。それは実質戦線離脱も同じだ。
「切ない思い――集中して奥方に叩き込んでやるっ」
ミルトスのそよぐような動きが、壁からとびかかってくる蛇の頭を壁の中にいなして返す。
「――あら、思ったより有効。壁があって、衝撃が通って、奥方と直接繋がっている。まあ、つまり、そういうことよね」
なら。と、人間が埋まっている辺りに体をずらす。狙い通りに自分めがけて状態ごとつかみに来るのを交わし、その体を徹して奥方めがけて渾身の体当たりの衝撃をぶつけた。
その横でカスカの連撃が気に穴をあけるキツツキのごとく。刀を叩きつけるたびに切っ先が加速していく。奥方を包む壁材が直る速さより切っ先が早い飛び散る破片とすれ違うように、コジマのマスケット銃の銃弾がぶち込まれる。
飛んでくる壁からの攻撃が当たりながらも壁に引きずり込まれていないのは、敵の攻撃を看過したうえで驚異的な脚力でじたばたするからだ。
猛烈な足の回転は軽戦士も目を見張る。現時点、それが戦闘に昇華されることはないだろうが、単純な脚力は余人を軽く凌駕する。
韋駄天の脚力を走力以外に使う画期的な実践例になるだろう。
「撃破が遠のくので、前衛の救助は拒否です。自分の面倒は自分で見ますよ!」
連撃を加えたアリアめがけて飛んできたのは、両手を伸ばした老婆だった。
その形相にわずかにひるんだのが致命的だった。
幅広のベルトで絞られた腰をつかむ不自然に長くて白い腕が壁から伸びる。
伸ばされた複数の腕が大きく開いたサメの顎のようだ。
アリアが背中から。
空を掻く手と足の爪先が壁の中にのみこまれていく。
腕と膝から下が壁に埋まっている。そのまま後ろに引っ張られていくのが分かった。そらされた格好の背骨がきしむ。
せめてと、奥方めがけて氷の柩の呪文を紡ぐ。表面がビシビシと凍り付いてもろもろと表面が地面に落ちた。
壁にめり込むのを恐れるあまり宙に突き出さざるを得ない胸部や腰部。スカートのすそを気にしている場合ではない。
壁から延びる腕が届く距離。細い女の指が、やせ細った年寄りの指が、節くれだった男の指が、生を渇望する柔肉に食い込んで、壁の中に引きずり込もうとする。
少しも声を漏らしたり、固く閉じた瞼を開けたら、顔の周りを張っている蔦がそこから入り込んできそうだ。
首の後ろが泡立っているのは、耳の中に何かの生き物の細長い部分が入りこんでいるからだ。爪を立てられているのだろうか。耳がチクチクして痛い。だが、何の動物なのかわかったらきっと叫び出してしまう。じっとして助けが来るまで耐えるしかない。あるいは、仲間が奥方を破壊するまで。だ。
つかんでいた指が一度放され呼吸する間もなく抱き込まれる。背中や尻が冷たい。死に至る境界面だ。
飲みこまれる。覚悟をするときが来た。死にたいし手ではない。正気を失らず、仲間を信じる覚悟だ。
巨大な生物に飲みこまれたらこんな感じがするだろうと言う、圧倒的な重圧がアリアを襲う。数の暴力だ。
中は生き物でいっぱいだった。形はない。ただ生き物が生き物だった形の記憶でいっぱいだった。みんな壁に溶けてしまった。今や壁は生き物であり生き物は壁なのだ。なんでそんなことがわかるかというとアリアも壁の一部になろうとしているからだ表面がアリアが溶けていくこのまま行くと割とすぐにアリアは壁に溶けてアリアの形をした壁になるだろう。いや、オラクルだから簡単には死ねない。いやだ、気持ち悪い、一瞬だってこんなところにいたくない。気持ち悪い。からだの前にココロが溶ける。だれか。
「――おおおりゃあああ!」
戦闘に身を沈めるものの奮起で目をキラキラさせたナナンが、その境界面を粉々に打ち砕いた。
圧倒的な力の暴力だ。ひび割れた壁の派遣の上にバランスを崩したアリアが崩れ落ちる。
「急いで、急いで。穴が開いてる内に離れよう!」
あいた大穴も徐々に埋まっていく。奥方を破壊しない限り終わらないのだ。
「すごかったでしょ! Lv3だよ!」
「3」
「そう。1は『おりゃ!』くらいだから! おくがたちゃんはね、1!」
●
「下手に回避するよりは力で抜け出す方がまだ脱出できる可能性はあるかもしれねぇな」
壁に取り込まれたものを助けるための近道は、奥方を撃破することなのだ。だから、四肢を絡み取られたブラッドはもがきながらも助けるな。と、言った。
「俺も壁材削りの役には立ったかねえ」
先程まで立っていた辺りには相応の壁材が転がっている。
待ってて。と、請け合う仲間を信じて、ブラッドは目を閉じた。悲鳴を上げて動揺させないように奥歯は噛み締めた。
「装甲撃破まであと10センチ! このまま行くわよ!」
アンネリーゼと柊の目には、壁材の向こうに何が潜んでいるのは見えている。
「……さあ、貴女の本当の姿を見せて頂戴!」
白い壁材が薄くぱらりとこぼれて落ちた。
銃弾が穿つたび、ミルトスの掌底から衝撃が通るたび、ぱらぱらと奥方を包むま白き壁材は零れていく。
最初は散発的に。やがて、零れる雨のように。衝撃は確かに徹っていた。
カスカの腕が動いた瞬間、今日もパアンと鞘がはじけ飛ぶ。イブリースが滅びるたびに、カスカの愛刀は伴侶を失う。
最後には、埃と音を立てて、両手で抱え上げる程な大きな塊が落ちて、雑草にまみれた床の上に落ちる。
毛髪一本、肉片一つも残っていない、磨き上げたようなま白い骨がそこにあった。
何もかもが長い年月の間に溶け壁全体にしみこんで、奥方が壁になったのか壁が奥方になったのかわからないまま、あの忌々しい列車がはるか頭上を通り過ぎたのだろう。
奥方の形を保っているのは、生前そのままの骨格の配置。
オラクル達が、飲みこまれた仲間を気遣いながら殺到する。
奥方の骨が壁から引きはがされた時、、奥方になりきらなかったブラッドを吐き出して、壁は沈黙した。
蔦の一本も動かない。すべてが制止した。
ころりと、骨の指から指輪が落ちて、砕けて割れた。オラクルの攻撃の衝撃に耐えられなかったのだろう。
「ダンナの魔力でこのホイホイ維持してるとかいうオチじゃねーかな。愛情がゆがむとろくなことにならんからな」
柊が言う。
夫婦に何があったのかの記録は残っていない。
しかし、ここでこの夫婦の長い物語は終わったのだ。
●
「呪縛の家なんて破壊だ破壊」
柊が早口で言う。
「そうだよね。ドッカーン!」
答えたナナンが巨大な両手剣を振り回した。奥方を失った壁は経年劣化で粉々に砕けた。
「最大火力!」
救出の際、壁の中の仲間に対しての手心があったのだと胸をなでおろさずを得ない。
「奥方を含めた回収可能な壁の中の人の死体はカタコンベに。動物はそこらの土の中にでも埋葬しておきましょう」
ここで誰も墓参りに来ないところに作るよりは、国の誰かは参ってくれる共同墓地の方がいいだろう。
「工事をする時は、おくがたちゃんに祈ってから、お墓を壊さないでね? ってお願いをするつもりだったんだけど、その方が淋しくないかなぁ?」
カスカの提案に、ナナンは、寂しくないのがいいね。と言った。
「念のため、石を置いて工事の人に申し送りしてもらいましょう」
死んだ者に対する敬意を示すのは危機管理。
壁の中を見てしまったアリアとブラッドは一律に血の気の引いた顔をしている。もちろん、コジマの治癒魔法はできうる限り掛けられた後だ。念のためとクリアカースもかけられた。
「後は、本人の気のもちようです」
壁に閉じ込められることはなかったが、腕をつかまれたり、動物にかみつかれたりで、コジマもかなりの手傷を追っていた。十分恐怖体験だ。それでも逃げ切った点で称賛に値する。
(壁の中の世界を見てしまった人はご愁傷様です。運が悪ければ私もそうなったかもしれません)
カスカの背筋にもぞわぞわしたものが走る。
「これできっと、工事も滞りなく始まるでしょう」
アンネリーザが言う。
「これ以上被害を出す前に終わらせられて良かった……こんな悲しいこと、二度と無いといいわね……」
アリアとブラッドが何度もうなずいた。
壁の中で何を見たかについて、せめて、戻るまではそっとしておこうと皆で頷きあった。
狐が一匹、野に帰っていく。運のいい狐だ。どうにか間に合ったようだった。
丁度いいタイミングといえるだろう。
水鏡は未来を映すと言っていたが、これがプラロークが見たものか。と、コジマ・キスケ(CL3000206)は犬を捕まえて放す手間が省けた事に関しては喜ばしいと思ったので、あえてとめなかった。
四方から飛んできた蔦がキツネを壁に埋めていく手際にオラクル達はそれぞれ言葉を飲みこむ。
拷問官吏は、まず自分がどんな目に遭うかたっぷり見せてから実際に拷問にかけるというが、成程、きっと効果があるに違いない。
(わかっちゃうってやーですねえ。避けるはなんとか。振りほどくのも腕力次第。でも、それにしくじったら最後、自力じゃ振りほどけないが確定じゃないですか)
狐の膂力はともかく、敏捷性で捕まるのは、コジマにとって嬉しい判断材料ではない。
「明確なほうが覚悟も決まるってもんですよ」
死にたくないなら、活動の音を止める。
「外からできることってさほどなさそうなんで、結局入るしかないんですから――入っていくのは止められなかったですけどね。急げば間に合うかもしれませんよ。キツネ救出。ひょっとしたらですけど」
同部隊の士気は下げるより上げる。モチベーションの維持は士官の務めだ。
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『≪母≫の因子』アリア・セレスティ(CL3000222)は、足に羽が生えているように地面を走る。
「箱と言うには大きくないですか……?」
(還リビトで片づけるには些か異様な怪異ですね。これまでずっと拡張してきたのかな? だとすると相当な強敵かも……)
かつてあった、大きめで吹き抜けの部屋。そこから部屋が大きくなったのか元の大きさのままなのかは残念ながら資料がない。
『ちみっこマーチャント』ナナン・皐月(CL3000240)は、走りながら、「聞いて―!」 と、言った。
「あのね、ナナンねぇ、マリオーネちゃんのお話を聞いてて、思った事があるのだ!」
皆の視線がナナンに集中する。
「えっとぉ……、おくがたちゃんがイブリースになっちゃったのは最近でぇ、百年くらい前からそこに居たんだよねぇ?」
実際、イブリース化したのがいつかは特定できていない。埋められた直後かもしれないっし、つい最近かもしれない。
プラロークの水鏡に映るまで、誰も気が付いていなかったのだ。
もし、この近くの街道を整備することにならなければ優先順位は低いままでさらに発見は遅れていただろう。
そうですね。と、『天辰』カスカ・セイリュウジ(CL3000019)は頷いた。
「壁の中や桜の木の下、思わぬ場所に埋められた死体というのは怪談などで偶に聞く話です」
アマノホカリの怪談は怖そうだ。
「しかしまあ『幽霊の正体見たり枯れ尾花』とはよく言ったもので還リビトという、我々にとって実体験の多い『現象』として具現化していると分かってしまえば怖ろしさなど何も感じませんね」
お化けはいないよ。あれは物理現象であるイブリース。そうやって自分を奮い立たせているオラクルがいるとかいないとか。
「まあそれでも、夫が妻を壁に埋め込んだというおぞましい現実は変わりませんがね。魑魅魍魎などより人こそが最も恐ろしい……というオチもまた、怪談ではよくある話ですね」
げに恐ろしきはヒトなりき。
「それってナナンがおくがたちゃんだったら、とっても寂しい気持ちになっちゃうと思うんだぁ」
昔からなら百年の孤独。最近なら、百年後に異形とされてほおり出されたのだ。どちらにしても正気の沙汰ではない。
「だから皆と一緒に居たくなっちゃって、色んな人や動物ちゃん達を自分みたいにしてるのかなぁ? って」
「それな」
『エルローの七色騎士』柊・オルステッド(CL3000152)の動機もそれに起因する。
「寂しがりやなのかな、奥方は。色んなもんを手当たり次第取り込みたがる。壁の中の王国は窮屈で退屈だろう。オレ達が外に連れ出してやるぜ」
『RE:LIGARE』ミルトス・ホワイトカラント(CL3000141)にも、色々思うところはある。主にそれをやらかした御仁について。
(自分がやられるのは御免ですし奥方も不本意だったでしょうが……)
もはや、理由はわからない。
(うん、故人の意思を憶測するのは危険ね、薮蛇だわ)
修道女は、悪い言葉を舌に乗せるのは極力避けるべきだ。
覚悟は決まったコジマだが、お仕事を選べそうで選べない自分の境遇に泣きが入っている。
現時点、自由騎士団に回ってくる仕事は、子供の使いみたいなのか、得体のしれないものを倒しに行けかのどちらかだ。
得体が知れているものは、国防騎士団がいくのだ。
「やれるもんなら、丸ごと燃やしてしまいたいですよねー……」
(わかってます、言ってみただけですよ。はーしんど)
さらば、胸に描いた安穏とした後方勤務。
後衛ではあるが、戦火から精々20メートルしか離れていない。
(帰りてぇ……回復が少しできるだけの一兵卒なんですよこっちは! 何故受けた私! バカ!)
この答えが出るときがコジマの人生の先行き不透明になった人生航路が見えてくるときかもしれない。
「命ってもんはいずれ還るもんだ。いつまでも留まり続けちゃいけねぇよ」
癒し手であるブラッド・アーベントロート(CL3000390)は、きっちり奥方をセフィロトの海に還すことを再確認した。
「箱の外には何もしてなくて箱の中にいる奴らだけ取り込もうとしてるんだよな。ひょっとすると夫を探してるのかもしれねぇな。もう死んでから長い時間が経ってるってぇのに……たく、俺はこういう類の話は嫌いなんだよ」
狼の耳が想像で若干しょげるおっさんは、国の親御さんに仕送りをかかさない親孝行者だ。「こういう類」が、怪談なのか切ない悲恋なのかをぜひ確認したい。
箱から感じる言葉にできない違和感は、とどまり続ける魂の気配だ。
「皆さん準備はいーですか。まず奥方狙いですからね? 私撃ちますからね? せめて最初の一回は、結果を見て動いてくださいね?」
国防騎士団から転属してきているコジマの作戦提案は合理的だ。
「箱の外は安全そうですよね」
先行するアリアは入り口を避け、空中二段飛びで壁を飛び越えた。
前転している腹越しに見えた壁の上面部。
けば立って見えるのは半ば沈んだ鳥の翼や頭だ。逆さになって足が出ているのもいる。
壁の上もまた壁なのだ。もしも、壁に乗るという選択をしていたら、小鳥のように手足の先だけ出して壁の住人の仲間入りをしていたかもしれない。
「壁には絶対に触らないでここまで来てくださいね! 上に乗ってもダメです! 鳥が、鳥が!」
まだ壁の外にいる仲間に向かって叫ぶ。
「壁も屋根もダメです。退避場所になりません!」
表面の凹凸は装飾ではない。指や頭髪だ。触ったら取り込まれる。
箱の中からアリアが叫んでいる背後から、白い蔦のようなものが壁の表面でうごめいているのに『梟の帽子屋』アンネリーザ・バーリフェルト(CL3000017)は気が付いた。
「上方5時と7時から攻撃が来る! 気を付けて!」
空中を駆け上がるように、アリアは回避を試みる。
途切れなく飛んでくる蔦や木の枝。もっと壁に近づけば動物や人間が飛び出してくるのだろうか。
オラクル達は次々と壁の中に飛び込んでいく。
正面、見上げる位置に奥方の顔。白く固められた面は穏やかに微笑んでいる。
猛禽類の翼で揚力を得たアンネリーザが戦場全域を見極める。四方の壁側面はもとより、上面からも攻撃は来る。上空にいるからと言って安心はできない。先程アリアが壁の上に乗るなという警告は正しかった。
加速遺伝子の活性化を持つ者たちは、我先にと奥方に向かう。
「ここは一緒に壁に取り込まれないように庇いも助けもしない。オレのときもそうするがいい。自己責任でいこう」
柊が言う。
相手を一度殴るたび、一人一回の運だめし。
細身の剣に乗せられた空の刃が奥方の腹の辺りに食い込む。そのヒビ割れ具合を壁を見通す目で確認した柊は、自分めがけて突き出された腕の持ち主の熱烈な抱擁をすんでのところでよけきった。
千切れた前髪がキラキラ光る。
(――還リビト満載の壁って生きてない有機物扱いでいいのか? さっきキツネがめり込んだような)
物質透過はだいぶ博打の気がする。というか、行けるかもしれないが大分気持ち悪い。
「畜生――こういう時のためのスキルと思っていたのに」
というか、壁の外に出たら、元の位置に戻ってくるまで数ターンのロスがある。それは実質戦線離脱も同じだ。
「切ない思い――集中して奥方に叩き込んでやるっ」
ミルトスのそよぐような動きが、壁からとびかかってくる蛇の頭を壁の中にいなして返す。
「――あら、思ったより有効。壁があって、衝撃が通って、奥方と直接繋がっている。まあ、つまり、そういうことよね」
なら。と、人間が埋まっている辺りに体をずらす。狙い通りに自分めがけて状態ごとつかみに来るのを交わし、その体を徹して奥方めがけて渾身の体当たりの衝撃をぶつけた。
その横でカスカの連撃が気に穴をあけるキツツキのごとく。刀を叩きつけるたびに切っ先が加速していく。奥方を包む壁材が直る速さより切っ先が早い飛び散る破片とすれ違うように、コジマのマスケット銃の銃弾がぶち込まれる。
飛んでくる壁からの攻撃が当たりながらも壁に引きずり込まれていないのは、敵の攻撃を看過したうえで驚異的な脚力でじたばたするからだ。
猛烈な足の回転は軽戦士も目を見張る。現時点、それが戦闘に昇華されることはないだろうが、単純な脚力は余人を軽く凌駕する。
韋駄天の脚力を走力以外に使う画期的な実践例になるだろう。
「撃破が遠のくので、前衛の救助は拒否です。自分の面倒は自分で見ますよ!」
連撃を加えたアリアめがけて飛んできたのは、両手を伸ばした老婆だった。
その形相にわずかにひるんだのが致命的だった。
幅広のベルトで絞られた腰をつかむ不自然に長くて白い腕が壁から伸びる。
伸ばされた複数の腕が大きく開いたサメの顎のようだ。
アリアが背中から。
空を掻く手と足の爪先が壁の中にのみこまれていく。
腕と膝から下が壁に埋まっている。そのまま後ろに引っ張られていくのが分かった。そらされた格好の背骨がきしむ。
せめてと、奥方めがけて氷の柩の呪文を紡ぐ。表面がビシビシと凍り付いてもろもろと表面が地面に落ちた。
壁にめり込むのを恐れるあまり宙に突き出さざるを得ない胸部や腰部。スカートのすそを気にしている場合ではない。
壁から延びる腕が届く距離。細い女の指が、やせ細った年寄りの指が、節くれだった男の指が、生を渇望する柔肉に食い込んで、壁の中に引きずり込もうとする。
少しも声を漏らしたり、固く閉じた瞼を開けたら、顔の周りを張っている蔦がそこから入り込んできそうだ。
首の後ろが泡立っているのは、耳の中に何かの生き物の細長い部分が入りこんでいるからだ。爪を立てられているのだろうか。耳がチクチクして痛い。だが、何の動物なのかわかったらきっと叫び出してしまう。じっとして助けが来るまで耐えるしかない。あるいは、仲間が奥方を破壊するまで。だ。
つかんでいた指が一度放され呼吸する間もなく抱き込まれる。背中や尻が冷たい。死に至る境界面だ。
飲みこまれる。覚悟をするときが来た。死にたいし手ではない。正気を失らず、仲間を信じる覚悟だ。
巨大な生物に飲みこまれたらこんな感じがするだろうと言う、圧倒的な重圧がアリアを襲う。数の暴力だ。
中は生き物でいっぱいだった。形はない。ただ生き物が生き物だった形の記憶でいっぱいだった。みんな壁に溶けてしまった。今や壁は生き物であり生き物は壁なのだ。なんでそんなことがわかるかというとアリアも壁の一部になろうとしているからだ表面がアリアが溶けていくこのまま行くと割とすぐにアリアは壁に溶けてアリアの形をした壁になるだろう。いや、オラクルだから簡単には死ねない。いやだ、気持ち悪い、一瞬だってこんなところにいたくない。気持ち悪い。からだの前にココロが溶ける。だれか。
「――おおおりゃあああ!」
戦闘に身を沈めるものの奮起で目をキラキラさせたナナンが、その境界面を粉々に打ち砕いた。
圧倒的な力の暴力だ。ひび割れた壁の派遣の上にバランスを崩したアリアが崩れ落ちる。
「急いで、急いで。穴が開いてる内に離れよう!」
あいた大穴も徐々に埋まっていく。奥方を破壊しない限り終わらないのだ。
「すごかったでしょ! Lv3だよ!」
「3」
「そう。1は『おりゃ!』くらいだから! おくがたちゃんはね、1!」
●
「下手に回避するよりは力で抜け出す方がまだ脱出できる可能性はあるかもしれねぇな」
壁に取り込まれたものを助けるための近道は、奥方を撃破することなのだ。だから、四肢を絡み取られたブラッドはもがきながらも助けるな。と、言った。
「俺も壁材削りの役には立ったかねえ」
先程まで立っていた辺りには相応の壁材が転がっている。
待ってて。と、請け合う仲間を信じて、ブラッドは目を閉じた。悲鳴を上げて動揺させないように奥歯は噛み締めた。
「装甲撃破まであと10センチ! このまま行くわよ!」
アンネリーゼと柊の目には、壁材の向こうに何が潜んでいるのは見えている。
「……さあ、貴女の本当の姿を見せて頂戴!」
白い壁材が薄くぱらりとこぼれて落ちた。
銃弾が穿つたび、ミルトスの掌底から衝撃が通るたび、ぱらぱらと奥方を包むま白き壁材は零れていく。
最初は散発的に。やがて、零れる雨のように。衝撃は確かに徹っていた。
カスカの腕が動いた瞬間、今日もパアンと鞘がはじけ飛ぶ。イブリースが滅びるたびに、カスカの愛刀は伴侶を失う。
最後には、埃と音を立てて、両手で抱え上げる程な大きな塊が落ちて、雑草にまみれた床の上に落ちる。
毛髪一本、肉片一つも残っていない、磨き上げたようなま白い骨がそこにあった。
何もかもが長い年月の間に溶け壁全体にしみこんで、奥方が壁になったのか壁が奥方になったのかわからないまま、あの忌々しい列車がはるか頭上を通り過ぎたのだろう。
奥方の形を保っているのは、生前そのままの骨格の配置。
オラクル達が、飲みこまれた仲間を気遣いながら殺到する。
奥方の骨が壁から引きはがされた時、、奥方になりきらなかったブラッドを吐き出して、壁は沈黙した。
蔦の一本も動かない。すべてが制止した。
ころりと、骨の指から指輪が落ちて、砕けて割れた。オラクルの攻撃の衝撃に耐えられなかったのだろう。
「ダンナの魔力でこのホイホイ維持してるとかいうオチじゃねーかな。愛情がゆがむとろくなことにならんからな」
柊が言う。
夫婦に何があったのかの記録は残っていない。
しかし、ここでこの夫婦の長い物語は終わったのだ。
●
「呪縛の家なんて破壊だ破壊」
柊が早口で言う。
「そうだよね。ドッカーン!」
答えたナナンが巨大な両手剣を振り回した。奥方を失った壁は経年劣化で粉々に砕けた。
「最大火力!」
救出の際、壁の中の仲間に対しての手心があったのだと胸をなでおろさずを得ない。
「奥方を含めた回収可能な壁の中の人の死体はカタコンベに。動物はそこらの土の中にでも埋葬しておきましょう」
ここで誰も墓参りに来ないところに作るよりは、国の誰かは参ってくれる共同墓地の方がいいだろう。
「工事をする時は、おくがたちゃんに祈ってから、お墓を壊さないでね? ってお願いをするつもりだったんだけど、その方が淋しくないかなぁ?」
カスカの提案に、ナナンは、寂しくないのがいいね。と言った。
「念のため、石を置いて工事の人に申し送りしてもらいましょう」
死んだ者に対する敬意を示すのは危機管理。
壁の中を見てしまったアリアとブラッドは一律に血の気の引いた顔をしている。もちろん、コジマの治癒魔法はできうる限り掛けられた後だ。念のためとクリアカースもかけられた。
「後は、本人の気のもちようです」
壁に閉じ込められることはなかったが、腕をつかまれたり、動物にかみつかれたりで、コジマもかなりの手傷を追っていた。十分恐怖体験だ。それでも逃げ切った点で称賛に値する。
(壁の中の世界を見てしまった人はご愁傷様です。運が悪ければ私もそうなったかもしれません)
カスカの背筋にもぞわぞわしたものが走る。
「これできっと、工事も滞りなく始まるでしょう」
アンネリーザが言う。
「これ以上被害を出す前に終わらせられて良かった……こんな悲しいこと、二度と無いといいわね……」
アリアとブラッドが何度もうなずいた。
壁の中で何を見たかについて、せめて、戻るまではそっとしておこうと皆で頷きあった。
狐が一匹、野に帰っていく。運のいい狐だ。どうにか間に合ったようだった。