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【流血の女帝】走る貴族たち

●
子供たちが立ち入ってはならない場所が、ここグラーク侯爵領にはいくつかあった。
恐ろしい怪物の住処。入ったら食われる、さらわれる。
そんなふうに言われている場所の1つが『とぐろ岩』である。
数人が上に乗る事の出来る大きさの岩で、とぐろを巻いた大蛇に見えなくもない形をしている。
とある村のはずれに鎮座する大岩で、その村の老人からシェルミーネ・グラークは聞いた事があった。
とぐろ岩は、空腹時に本物の大蛇へと変わる。そして子供を丸呑みする、と。
もちろん幼い頃のシェルミーネは恐れるどころか面白がり、とぐろ岩に上ったり、上って飛び降りたりして大いに遊んだ。
兄エリオットが、とぐろ岩から転げ落ちて大泣きした事がある。
村の女の子が、彼を慰めた。それがメレーナ・カインとの出会いだった。
幼い頃から愛し合ったメレーナを、エリオットはやがて身籠らせ、捨てた。
その罰が下ったのだ、と思うしかない。シェルミーネは頭を振った。
グラーク家の城館を占拠していたイブリースを、自由騎士団が討滅してくれた。
新領主ネリオ・グラークが城館に入り、政務を始めようというところである。領主の妹シェルミーネにも何かしら役割が与えられるであろうが、その前にしなければならない事がある。
シェルミーネは息を切らせ、立ち止まった。
とぐろ岩が、逆さまに転がっていた。下から……地中から、押しのけられたのだ。
地面に、大穴が生じている。
とぐろ岩によって長らく塞がれていた、地下洞窟への入り口。
やはり、とシェルミーネは思った。
かつてグラーク家が発見・盗掘した地下遺跡は、恐ろしく広い。領内の様々な場所に、封印された入口が存在する。危険さのみが語り継がれ、とぐろ岩のような伝説を残していたりもする。
シェルミーネは、地面に見入った。
人ならざるものの足跡、としか思えぬ地面の凹みが、大穴から村の方へと続いている。
地下遺跡から何かが出現し、村へと向かったのだ。
メレーナ・カインが、生まれたばかりの子供と共に静かに暮らしている村へ。
シェルミーネが駆け出した、その時。地響きが起こった。
巨大なものたちが続々と、地下洞窟から這い出して来る。
鍛えられた戦士の如く滑らかに動く、石像たち。あの時と同じ、イブリースの群れであった。
一顧だにせず村へと急ぐ。他に選択肢などないが、この決して鈍重ではない石像たちが、シェルミーネを逃がしてくれるだろうか。複数のイブリースを、村へと導き入れる事になりはしないか。
誰かが、大声を発した。
「失礼、つかぬ事をお聞きしますが」
洞窟の近くで、旅人とおぼしき1人の青年が馬を降りたところである。お世辞にも身軽とは言えぬ動きだ。乗馬に慣れていないのであろう。
「お困りですか?」
「ええ大いに、ですが貴方に助けていただこうとは思いません! 逃げなさい早く!」
シェルミーネは怒鳴りつけた。
石像たちが、青年の方を向いているのだ。
「貴方、弱いのでしょう!? それは私だって強いわけではありませんけど!」
「足跡を見る限り」
青年は、シェルミーネの話を聞いてはいない。
「地中より現れたイブリースが、この先の村へと向かっているようです」
「だから何! ここで貴方が、このイブリースたちを足止めしてくれるとでも!? 馬鹿を言わないで!」
シェルミーネは剣を抜いた。このままでは青年が、動く石像に殴り殺される。
殴り殺される前に、青年は言った。
「……良い考えだと思います、それでいきましょう。貴女はオラクルであると見受けます、村を守って下さい」
「何を……」
「僕は、ここグラーク侯爵領で、ある人に会わなければならない」
何やら世迷い言を口にしながら青年は、
「だけど、この場で見て見ぬふりをするようでは……僕は、その人の力になれない」
地下洞窟へと、飛び込んで消えた。声だけが残った。
「貴女は村へ! さあイブリースたちよ僕を追って来い。君たちにとって大切なものが、この洞窟の奥にあるのだろう? よくは知らないが」
言葉通り、なのかどうかはともかく、動く石像たちが青年を追って地下洞窟へと戻って行く。
シェルミーネは、すでに駆け出していた。
「メレーナさん……!」
唇を噛む。
守るべき相手はメレーナと赤ん坊、だけではない。グラーク家の領民たる村人全員だ。
愚かな旅人など、放っておくしかない。
わかっていながら、メレーナは呻いた。
「……誰か……助けて……」
前方に、巨大なものが見えてきた。
やはり、動く石像である。先程のものたちより巨大で、四足の魔獣の姿をしていた。
ずし、ずしり、と地面に足跡を残すその巨体が、今まさに村へ押し入らんとしている。悲鳴をあげ、逃げ惑う村人たちの姿も見える。
シェルミーネに気付いたのか、魔獣の石像が振り向いてきた。
石造りの人面が、爛々と眼光を燃やし、口元で炎を揺らしている。火を吹く人面の魔獣。長大な尻尾が、石像とは思えぬほど柔らかく高速でうねる。
斬りかかりながら、シェルミーネは叫んだ。
「誰か……あの人を、助けてぇえええええええっ!」
後方、地下洞窟の方から、地響きが聞こえてきた。
●
角灯を片手に、アラム・ヴィスケーノは地下遺跡の通路をとぼとぼ歩いていた。
洞窟、と言うよりは遺跡の類であろう。壁も床も天井も、時代がかった石造りである。
とりあえず走って逃げる必要はなくなった。
自分と、追って来る石像たちの間に先程、巨石の天井が降って来たからだ。
盗掘者を仕留めるための罠であろう。おかげで助かったが、戻る事は出来なくなった。
保存食料は携行している。罠やイブリースに殺されさえしなければ、3日は生きていられるだろうか。
「……何をやっているのかなあ、僕は……」
ぼやきながら、アラムは立ち止まった。
眼前で、何者かが同じく立ち止まっていた。
角灯の光が、流麗な甲冑姿を照らし出している。まるで何かの伝説に登場する聖騎士だ。
アラムは、思わず言った。
「……イブリース?」
「失敬な、と言いたいところだが」
聖なる騎士、のような何者かが応える。
「……この場所は、瘴気が渦巻いている。私など、いつイブリースに変わってもおかしくはないかな」
面頬の内側で、彼は笑った、のであろうか。
自分が銃を向けられている事に、アラムは今ようやく気付いた。
騎士の右手。拳銃、と呼ぶにはいささか大型の銃身である。
「貴公は……撃ち殺さねばならぬほど、危険な存在ではないようだ」
その大型銃をくるりと腰に戻しつつ、甲冑騎士は言った。
「父を、亡くしたところでな」
「父を……」
「埋葬をしようとして、この場所の入り口を掘り当てた。イブリースもいる、貴公のように迷い込んでしまった者もいる。放ってはおけん」
面頬の内側で、眼光が点る。
光学装置の点灯だ、とアラムは思った。
「是非・善悪はともかく……波乱の生涯を送った父だ。埋められる土の下くらいは、平和な場所にしてやっても良かろうと思ってな」
この男は、キジンであった。
子供たちが立ち入ってはならない場所が、ここグラーク侯爵領にはいくつかあった。
恐ろしい怪物の住処。入ったら食われる、さらわれる。
そんなふうに言われている場所の1つが『とぐろ岩』である。
数人が上に乗る事の出来る大きさの岩で、とぐろを巻いた大蛇に見えなくもない形をしている。
とある村のはずれに鎮座する大岩で、その村の老人からシェルミーネ・グラークは聞いた事があった。
とぐろ岩は、空腹時に本物の大蛇へと変わる。そして子供を丸呑みする、と。
もちろん幼い頃のシェルミーネは恐れるどころか面白がり、とぐろ岩に上ったり、上って飛び降りたりして大いに遊んだ。
兄エリオットが、とぐろ岩から転げ落ちて大泣きした事がある。
村の女の子が、彼を慰めた。それがメレーナ・カインとの出会いだった。
幼い頃から愛し合ったメレーナを、エリオットはやがて身籠らせ、捨てた。
その罰が下ったのだ、と思うしかない。シェルミーネは頭を振った。
グラーク家の城館を占拠していたイブリースを、自由騎士団が討滅してくれた。
新領主ネリオ・グラークが城館に入り、政務を始めようというところである。領主の妹シェルミーネにも何かしら役割が与えられるであろうが、その前にしなければならない事がある。
シェルミーネは息を切らせ、立ち止まった。
とぐろ岩が、逆さまに転がっていた。下から……地中から、押しのけられたのだ。
地面に、大穴が生じている。
とぐろ岩によって長らく塞がれていた、地下洞窟への入り口。
やはり、とシェルミーネは思った。
かつてグラーク家が発見・盗掘した地下遺跡は、恐ろしく広い。領内の様々な場所に、封印された入口が存在する。危険さのみが語り継がれ、とぐろ岩のような伝説を残していたりもする。
シェルミーネは、地面に見入った。
人ならざるものの足跡、としか思えぬ地面の凹みが、大穴から村の方へと続いている。
地下遺跡から何かが出現し、村へと向かったのだ。
メレーナ・カインが、生まれたばかりの子供と共に静かに暮らしている村へ。
シェルミーネが駆け出した、その時。地響きが起こった。
巨大なものたちが続々と、地下洞窟から這い出して来る。
鍛えられた戦士の如く滑らかに動く、石像たち。あの時と同じ、イブリースの群れであった。
一顧だにせず村へと急ぐ。他に選択肢などないが、この決して鈍重ではない石像たちが、シェルミーネを逃がしてくれるだろうか。複数のイブリースを、村へと導き入れる事になりはしないか。
誰かが、大声を発した。
「失礼、つかぬ事をお聞きしますが」
洞窟の近くで、旅人とおぼしき1人の青年が馬を降りたところである。お世辞にも身軽とは言えぬ動きだ。乗馬に慣れていないのであろう。
「お困りですか?」
「ええ大いに、ですが貴方に助けていただこうとは思いません! 逃げなさい早く!」
シェルミーネは怒鳴りつけた。
石像たちが、青年の方を向いているのだ。
「貴方、弱いのでしょう!? それは私だって強いわけではありませんけど!」
「足跡を見る限り」
青年は、シェルミーネの話を聞いてはいない。
「地中より現れたイブリースが、この先の村へと向かっているようです」
「だから何! ここで貴方が、このイブリースたちを足止めしてくれるとでも!? 馬鹿を言わないで!」
シェルミーネは剣を抜いた。このままでは青年が、動く石像に殴り殺される。
殴り殺される前に、青年は言った。
「……良い考えだと思います、それでいきましょう。貴女はオラクルであると見受けます、村を守って下さい」
「何を……」
「僕は、ここグラーク侯爵領で、ある人に会わなければならない」
何やら世迷い言を口にしながら青年は、
「だけど、この場で見て見ぬふりをするようでは……僕は、その人の力になれない」
地下洞窟へと、飛び込んで消えた。声だけが残った。
「貴女は村へ! さあイブリースたちよ僕を追って来い。君たちにとって大切なものが、この洞窟の奥にあるのだろう? よくは知らないが」
言葉通り、なのかどうかはともかく、動く石像たちが青年を追って地下洞窟へと戻って行く。
シェルミーネは、すでに駆け出していた。
「メレーナさん……!」
唇を噛む。
守るべき相手はメレーナと赤ん坊、だけではない。グラーク家の領民たる村人全員だ。
愚かな旅人など、放っておくしかない。
わかっていながら、メレーナは呻いた。
「……誰か……助けて……」
前方に、巨大なものが見えてきた。
やはり、動く石像である。先程のものたちより巨大で、四足の魔獣の姿をしていた。
ずし、ずしり、と地面に足跡を残すその巨体が、今まさに村へ押し入らんとしている。悲鳴をあげ、逃げ惑う村人たちの姿も見える。
シェルミーネに気付いたのか、魔獣の石像が振り向いてきた。
石造りの人面が、爛々と眼光を燃やし、口元で炎を揺らしている。火を吹く人面の魔獣。長大な尻尾が、石像とは思えぬほど柔らかく高速でうねる。
斬りかかりながら、シェルミーネは叫んだ。
「誰か……あの人を、助けてぇえええええええっ!」
後方、地下洞窟の方から、地響きが聞こえてきた。
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角灯を片手に、アラム・ヴィスケーノは地下遺跡の通路をとぼとぼ歩いていた。
洞窟、と言うよりは遺跡の類であろう。壁も床も天井も、時代がかった石造りである。
とりあえず走って逃げる必要はなくなった。
自分と、追って来る石像たちの間に先程、巨石の天井が降って来たからだ。
盗掘者を仕留めるための罠であろう。おかげで助かったが、戻る事は出来なくなった。
保存食料は携行している。罠やイブリースに殺されさえしなければ、3日は生きていられるだろうか。
「……何をやっているのかなあ、僕は……」
ぼやきながら、アラムは立ち止まった。
眼前で、何者かが同じく立ち止まっていた。
角灯の光が、流麗な甲冑姿を照らし出している。まるで何かの伝説に登場する聖騎士だ。
アラムは、思わず言った。
「……イブリース?」
「失敬な、と言いたいところだが」
聖なる騎士、のような何者かが応える。
「……この場所は、瘴気が渦巻いている。私など、いつイブリースに変わってもおかしくはないかな」
面頬の内側で、彼は笑った、のであろうか。
自分が銃を向けられている事に、アラムは今ようやく気付いた。
騎士の右手。拳銃、と呼ぶにはいささか大型の銃身である。
「貴公は……撃ち殺さねばならぬほど、危険な存在ではないようだ」
その大型銃をくるりと腰に戻しつつ、甲冑騎士は言った。
「父を、亡くしたところでな」
「父を……」
「埋葬をしようとして、この場所の入り口を掘り当てた。イブリースもいる、貴公のように迷い込んでしまった者もいる。放ってはおけん」
面頬の内側で、眼光が点る。
光学装置の点灯だ、とアラムは思った。
「是非・善悪はともかく……波乱の生涯を送った父だ。埋められる土の下くらいは、平和な場所にしてやっても良かろうと思ってな」
この男は、キジンであった。
†シナリオ詳細†
■成功条件
1.イブリース(1体)の撃破
お世話になっております。ST小湊拓也です。
シリーズシナリオ『流血の女帝』全5話中第3話であります。
イ・ラプセル国内。とある村の近くに、イブリースが出現しました。
地下遺跡内の石像が、イブリース化し這い出して来たものです。これを討滅して下さい。
イブリース『人面魔獣の石像』の攻撃手段は、尻尾による薙ぎ払い(攻近範)、口から吐き出す瘴気の炎(魔遠範、BSバーン2)、呪いの眼光(魔遠単、BSウィーク3)。
現場には前領主令嬢シェルミーネ・グラーク(ノウブル、女、19歳。軽戦士スタイル。初登場シナリオ『高貴なる者の義務』)がいて、イブリースと戦い始めたところであります。まだ負傷はありません。
初登場時よりいくらか強くはなっているので、微量のダメージなら与えられると思われます。自由騎士団の指示には従います。彼女は『ヒートアクセルLV2』『デュアルストライクLV2』を使用します。
場所は村はずれの野原、時間帯は昼。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
シリーズシナリオ『流血の女帝』全5話中第3話であります。
イ・ラプセル国内。とある村の近くに、イブリースが出現しました。
地下遺跡内の石像が、イブリース化し這い出して来たものです。これを討滅して下さい。
イブリース『人面魔獣の石像』の攻撃手段は、尻尾による薙ぎ払い(攻近範)、口から吐き出す瘴気の炎(魔遠範、BSバーン2)、呪いの眼光(魔遠単、BSウィーク3)。
現場には前領主令嬢シェルミーネ・グラーク(ノウブル、女、19歳。軽戦士スタイル。初登場シナリオ『高貴なる者の義務』)がいて、イブリースと戦い始めたところであります。まだ負傷はありません。
初登場時よりいくらか強くはなっているので、微量のダメージなら与えられると思われます。自由騎士団の指示には従います。彼女は『ヒートアクセルLV2』『デュアルストライクLV2』を使用します。
場所は村はずれの野原、時間帯は昼。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬マテリア
6個
2個
2個
2個




参加費
100LP [予約時+50LP]
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
7日
参加人数
7/8
7/8
公開日
2020年11月11日
2020年11月11日
†メイン参加者 7人†

●
女神アクアディーネが現れる以前にも、この世界には神々がいた、とされている。
旧古代神時代。
存在なき神の存在を人々は信じ、姿なき神の姿を形として残さずにはいられなかったのだ。
人面獣身の神。死せる人間を、冥府へと導く存在であるという。
「……生きている人を冥府へ導かれては、困りますよ」
己の遺伝子に加速を施しながら、『祈りは歌にのせて』サーナ・フィレネ(CL3000681)は駆けた。
イ・ラプセル建国よりも遥か昔、この地に存在した王国に関して、文献で調べられる程度の事は調べてみた。様々な神を祀る、多神教の王国であったという。
それら神々の中に、死者を導く人面獣身の神がいる。
その神に、1人の若い女剣士が挑みかかろうとしていた。
彼女を護衛する形に、『海蛇を討ちし者』ウェルス ライヒトゥーム(CL3000033)が、すでに神の眼前で大型の二丁拳銃を構えている。
「動く石像ってのは、あれか。この土地の特産品か何かか? ひと山いくらで売りさばきたいくらい出て来るじゃないか」
牙を剥き、微笑みかけるウェルスを、人面獣身の神が間近から睨み据える。石の眼球が、光を発する。呪いの眼光。
それが迸る前に、ウェルスは引き金を引いていた。
「その目は、光を映さず……」
雷鳴の如き銃声。零距離射撃が、動く石像の眼球に撃ち込まれる。鮮血のような火花が散った。
呪いの眼光を放つ目を、完全に破壊出来たのかどうかは、わからない。
ともかく人面獣身の神が、口を開いた。瘴気の炎が、紅蓮の吐息となって放たれる……よりも早くウェルスが、二丁拳銃を神の口内に突っ込んでいた。
「その口は、熱を持たず……」
零距離射撃。神が、血反吐のような火花を吐き散らせながら、石造りの巨体を暴れさせる。
そこへ、サーナは突きかかって行った。構えた剣に、己の魔力を流し込みながら。
女剣士に、声をかける。
「こんにちは。シェルミーネ・グラークさん、ですね?」
「貴女は……」
「サーナ・フィレネ。貴女と同じく軽戦士です。一緒に、戦いましょうっ!」
魔力の宿った切っ先を、動く石像の体表面に叩き込んでゆく。深々と、突き刺った。
即座に引き抜きながら、サーナは跳び退った。
間髪入れずシェルミーネの剣が、サーナの穿ち込んだ傷口を正確に直撃する。
「いいですよ、いい動きです。メニューちゃんとこなしてくれてるみたいですね!」
疾駆する猛獣の速度で踏み込んで来たのは『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)と、『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)である。
「じゃあカノンたちと一緒に実戦いってみよー!」
カノンの愛らしい五指とエルシーの優美な五指が、牙となって石像に突き刺さる。
両者の掌から、気の奔流が轟音を立てて迸る。さながら咆哮であった。
獣王2頭の咆哮を撃ち込まれたイブリースが、僅かな石の破片を飛散させて吹っ飛び、即座に着地する。恐ろしく身軽な石の巨体が、人面獣身の異形を誇示しつつ自由騎士団と対峙する。
「一緒……私が、あなたたちと……」
シェルミーネが呟く。
「未熟な私に……あなたたちと共に戦う資格が、あると言うの……?」
「未熟は、我々も同じ事」
杖を掲げ、呪力の錬成を行いながら、『智の実践者』テオドール・ベルヴァルド(CL3000375)が言った。
「貴女より、いくらかは腕が立つにせよ……そんなものは経験の差でしかない。死線をくぐり抜けた経験など、あったところで自慢にならぬ。誰かを心配させる事にしか、ならんのだ」
「私……テオドール伯爵の事、カタリーナ様から託されております」
言いつつセアラ・ラングフォード(CL3000634)が、ちらりとテオドールの方を見る。
「あまり無茶をさせないように、と」
「……気を付けようかセアラ嬢。お互いに、な」
言葉と共に、テオドールが呪力を解放する。
白いものが、人面獣身の神を絡め取った。
氷の荊であった。石の巨体が、拘束されながら凍て付き、切り苛まれてゆく。
厳かな手つきで杖を操り、氷の荊を制御しながら、テオドールが言う。
「動きを封じてしまいたい。サーナ嬢、力をお借りしたいが」
「お任せを」
サーナは舞った。小柄な細身が翅をはためかせて躍動し、刺突用の剣がキラキラと冷気を散らす。
精霊召喚の、剣舞であった。
煌めく冷気が、猛吹雪となってイブリースを襲う。雪山の精霊の、荒ぶる猛襲。
人面獣身の神が、凍り付いてゆく。
そう見えた直後、氷の破片と石の破片が飛び散った。
イブリースが、立て続けの冷気の束縛に抗い、巨体を暴れさせている。石の体表面を氷の荊に切り刻まれながら、反撃を繰り出さんとしている。
「……させない」
銃声が轟いた、ように聞こえた。『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)が、右手を拳銃にしている。
その綺麗な指先から射出されたものが、動く石像に突き刺さっていた。
突き刺さったものが、巨大化した。白銀色の楔が、人面獣身の神を貫通している。
「傲慢かも知れない……いや実際、傲慢なのだろうけれど。取捨選択を、させてもらうよ」
穿たれ、痙攣する石の巨体に、マグノリアは語りかけていた。
「僕は、ヒトを守る。君たちを守らない。ヒトを脅かすものの意思は、尊重しない」
彼の言う「ヒト」とは、ノウブルのみを指す言葉ではない。マグノリア自身が、まずノウブルではない。ウェルスやカノン、それに自分サーナもだ。
この世界においてヒトとは、すなわちノウブルであった。長らくそうだ。
ヨウセイは、ヒトではなかったのだ。
そんな時代は終わった、とサーナは思う。
自分たち自由騎士団が、そんな時代を終わらせる。女神アクアディーネの加護があれば、それは出来る。
(アクアディーネ様が、私を救ってくれる……憎しみから、救って下さる。アクアディーネ様の、権能だけが……)
「アクアディーネ様を、信じていますか?」
言葉と共にセアラが、魔力の大渦を解放していた。
「私は、もちろん信じています。オラクルですからね。アクアディーネ様を信じて戦う、当然の事です」
たおやかな全身に漲っていた魔力を迸らせ、渦巻かせ、イブリースに叩き付けながら、セアラは微笑んでいる。
いや、それは本当に笑顔なのか。
「現実問題として……今は、戦わなければいけません。こうしてイブリースに脅かされる人々がいる、今は」
自分は女神アクアディーネを信じている。あるいはアクアディーネにすがっている、とサーナは思う。
不殺の権能がなかったら、自分は果たしてどうなっていた事か。
似たようなものを、セアラも心の内に抱えているのではないか。
彼女は、アクアディーネを信仰するために理由を必要としている、のではないだろうか。
魔力の大渦に巨体を少しずつ削られ、細かな石片を大量に飛散させながらも、人面獣身の神は荒れ狂っている。氷の荊を引きちぎらんと暴れ続ける。
その様を見つめ、セアラは語る。
「人々の心の中にのみ存在した、古の神々は……実存の神々によって駆逐されました。駆逐する側に、アクアディーネ様はいらっしゃったのです。私たちも今、大いに駆逐を行っています。シャンバラを滅ぼし、ヘルメリアを滅ぼし」
やはりセアラは、笑ってなどいなかった。
「神の蠱毒の果てに……皆が命を謳歌する未来が、本当にあるのでしょうか」
「セアラさん……」
「ねえサーナ様。無理をなさってまで……私たちノウブルをお許しになる必要は、ないと思いますよ」
「……無理は、していません。あなたたちは、とても素晴らしい方々です。私……努力して、そう思い込んでるわけじゃないですから」
駆逐されゆく神の像に剣先を向けながら、サーナは思う。
神など、実存しようがしまいがヒトは争い、他者を蹂躙する。ならば旧古代神時代の方が、ましだったのではないか。
かの時代、少なくともミトラースは存在しなかったのだから。
●
厳かに杖を掲げて氷の荊を操り、イブリースの暴れる巨体を束縛し続けるテオドールの姿は、投網で大魚と格闘する漁師のようにも見えた。
サーナが冷気の嵐で、それを補佐しながら歯を食いしばる。
「くっ……このイブリース、まだ動けるとは……」
「……ならば、これで」
テオドールが、己の首筋に短剣を当てる。
人面獣身の神が、ざくりと巨大な裂傷を負った。太い石製の頸部が裂け、瘴気の飛沫が噴出する。
動く石像は、悲鳴を上げない。
その代わりのように、尻尾がうねり跳ねた。
柔軟な石柱、とでも言うべき巨大な尾が、氷の荊を引きちぎりながら自由騎士団を襲う。
テオドールが叫んだ。
「しまった……すまぬ、攻撃が行く!」
「心配無用、これなら受けられる……!」
言いつつウェルスが、尻尾の直撃を受けて吹っ飛んだ。
「その尾は人を払わず……ってなワケには、いかねえか……」
地面に激突したウェルスの巨体が、軽やかに受け身を取って立ち上がる。
「が……この程度なら……おい、無事か御令嬢!」
「無事……と言うほど、無事ではないけれど」
同じく尾の一撃を食らったシェルミーネが、カノンに助け起こされている。
「……肋骨に、ひびが入ったわ。だけど不思議……自然に、治っていく……ような……」
「錯覚じゃあないぜ。このデカブツは今、力が半減している。ま、そちらの御老体に感謝しな」
ウェルスに親指を向けられ、マグノリアは微笑んだ。
「……小細工は、僕の得意分野さ」
小細工しかないのだ、とマグノリアは思う。
二百年かけて細々と磨き上げてきた、小細工の腕前。
ヒトを守るため自分にあるのは、それだけなのだ。
「ね、シェルミーネさん。今更な確認だけど」
カノンが言った。
人面獣身の神が、そこへ猛然と襲いかかる。
「……この村に、メレーナさんがいるんだよね? 赤ちゃんと一緒に、ってキミはうるさい! さっさと瓦礫になってよね!」
カノンは踏み込み、跳躍した。小さな拳が、巨大な石の人面に叩き込まれた。
鐘の音が、鳴り響いた。
裂けていた頸部が完全にちぎれ、石の生首が高々と宙を舞う。
潰れかけた人面が、潰れかけた両眼を空中で見開いた。
呪いの眼光が迸り出る……寸前、ウェルスが引き金を引いた。
「虚像は砕け、砂となる……っとぉ! 畜生やっぱり1度しか使えねえか!」
擲弾筒が砕け散った。巨大な石の生首も、空中で砕け散っていた。
地上に残された胴体の方には、エルシーが拳を叩き込んでいる。
「勝機……スカーレット・インパクト!」
血飛沫の如く赤い、衝撃の閃光。
頭部のない神の巨体が、砕け崩れてゆく。
石の破片を大量にぶちまけながら、イブリースはしかし辛うじて原形をとどめている。
「嘘……まだ動けるんですか!?」
息を呑むエルシーを、取り巻いて防護する形に、魔力の大渦が荒れ狂った。
「やはり、あなた方が……実存の神であっては、ならないと思います」
セアラの、たおやかな肢体の躍動から生み出される魔力の大渦。それが、イブリースを粉砕してゆく。
「失われた信仰と共に……どうか、安らけく」
失われし神を見送る、葬送と鎮魂の舞い。マグノリアには、そう見えた。
石像はサラサラと崩壊し、ウェルスの言葉通り砂に変わった。
シェルミーネが、へなへなと両膝をつく。
「……お手柄でしたね、シェルミーネさん」
エルシーが声をかけた。
「貴女がまず真っ先にイブリースの足止めに動いてくれた、おかげで人死にが出ませんでした。けど……無茶は、駄目ですよ」
「……私より、無茶な人が……!」
シェルミーネが、泣きそうな顔を上げた。
「地下遺跡の中に……! 早く! 助けに行かなければ。お願い皆さん、力を貸して!」
「出来る限りの事はしましょう。私たち全員、まだ余力があります。が……」
サーナの言葉を、カノンが受け継いだ。
「うん……道が塞がれちゃったところ、水鏡に映ってたからね。こっち側からは行けなくなってるかも知れない。悪運は強い人だけど」
「そうですね。絶対悪運、ぜつ☆あく! ですね。あの人なら大丈夫」
「それだと凄い極悪人みたいだよエルシーちゃん」
「……知って、いるの?」
シェルミーネが、声を震わせる。
「あなたたちは、あの人を……知っているの……?」
「いやまあ、ちょっと……ね。カノンたちの知ってる人に、似てるかなって」
アラム・ヴィスケーノ。
その名を出すのは生存が確認されてから、とカノンは決めたようであった。
「心配は無用だ」
テオドールが、優しい声を発した。
「彼は、地下遺跡の中で同行者を得た。我々も、それに貴女もよく知る人物だ。あの青年を、必ずや守ってくれるであろう」
●
「カノン達が行った時には、もう虫の息だったんだ。けど、メレーナさんとその子の事を気にしてたよ! もう……一緒に暮らす事は出来ないけど、彼の分まで2人共、幸せになって欲しいな」
一気に、カノンはまくし立てた。
これは、まくし立てる台詞ではない。自分が演出家であったら、容赦なく不可を叩き付けているところだ。
だが、メレーナ・カインは微笑んでくれた。
「……あの方を看取って下さって、本当にありがとう」
「いえそんな……」
カノンは俯いた。
メレーナの、実家である。両親と共に彼女はここで、父親のいない赤ん坊を育てている。
招き入れられたところで、まずはテオドールが告げた。エリオット・グラークがイブリースに殺された、と。
それをカノンは補足した。そして、失敗を確信した。
メレーナの優しい笑顔を見ればわかる。彼女は真実を見抜き、そして受け入れている。
(全然、ダメだなぁ……カノンは、役者として……)
うなだれるカノンの肩に、エルシーがそっと手を置く。
「この子は、あなたたちが守って下さいました」
メレーナが、胸に抱いた我が子に語りかける。
「さ、ご挨拶をなさいアスハム。貴方の、恩人の方々よ」
「アスハム……と、いうのだね。その子の名は……」
マグノリアが、おずおずと言った。
「マザリモノの僕が……アスハムに触れる事は、許されるだろうか……?」
「私とアスハムの、盾になってくれた人ですね」
微笑むメレーナの腕の中で、アスハムが小さな両手をぱたぱたと動かしている。
母子の眼前で、マグノリアの細身が弱々しく崩折れた。
セアラが駆け寄り、支える。
「大丈夫ですか!? ……もう。マグノリア様は、無理をなさり過ぎです」
「……そう、かな」
「そうだよ」
カノンも言った。
あれから全員で地下遺跡に足を踏み入れ、捜索を行った。
動く石像が何体も出現し、行く手を阻んだ。
これらとの戦闘で最も奮戦と言うか無茶をしたのが、マグノリアである。
アラム・ヴィスケーノを救う事……ヒトを救う事に、マグノリアは特別な何かを見出してしまったようであった。
結局、アラムを見つける事は出来なかった。
彼が迷い込んだのであろう遺跡最奥部へと続く通路は、水鏡が映し出した通り、罠によって塞がれていたのだ。
力尽きたマグノリアをエルシーが抱え運び、こうして村へ戻って来る事となった。
力尽きていたマグノリアがしかし、アスハムの澄んだ瞳に見つめられ、力を取り戻したようであった。
アスハムの小さな手を、マグノリアがそっと握る、と言うより指先でつまむ。
少し離れた所から見つめながら、シェルミーネが小声を発した。
「本当に……あなた方には、御面倒ばかり押し付けてしまうわね」
「それよりもだ、御令嬢」
ウェルスも小声を出した。
「あの地下遺跡、とにかく予想以上に広いという事はわかった。入り口が他に何か所もあると見たが、お心当たりはないかな」
「……昔から危険地帯とされている場所は、いくつもあるわ」
「片っ端から調べてみる必要はありそうだな。そう言えば、墓を作ってたら掘り当てちまった奴もいるみたいだが」
「……そういった場所から、またイブリースが現れるかも知れません」
サーナが、続いてテオドールが言った。
「いよいよもって……大元を絶たねばならぬ、か。伸ばし伸ばしにする事でもない。我らと関わりある人々がすでに数名、あの遺跡に呑み込まれてしまった。何と言うか……我々が招かれている、という気がする」
「あの、血まみれの人に……ですね」
エルシーは左掌に思いきり右拳を打ち込もうとして、赤ん坊がいるので思いとどまったようだ。
「……上等。私、あの人を許してはおけません」
泣き声が、聞こえた。
マグノリアが、赤ん坊の手を取ったまま涙を流している。
「僕は……目に見えるものしか、知ろうとしなかった……ヒトには、目に見えないものが……いくらでもあると言うのに……」
母子に向かって、マグノリアは恭しく跪いている。そう見えた。
「これほど……胸が苦しくなるほど、大切に思えるものが……ヒトには、いくらでも……僕は今まで、何も知ろうとしなかった……フラスコから出ない小人と一体、どれほどの違いがあると言うのか……」
この場にいない者にマグノリアは語りかけていた。
「胸が苦しくなるほど、大切に思えるものを……遥か古の時代から、脅かす……蹂躙せんとする……お前にも、僕は興味がある。お前を、知らなければならないと思う。そして、お前を……許さない……流血の、女帝……」
女神アクアディーネが現れる以前にも、この世界には神々がいた、とされている。
旧古代神時代。
存在なき神の存在を人々は信じ、姿なき神の姿を形として残さずにはいられなかったのだ。
人面獣身の神。死せる人間を、冥府へと導く存在であるという。
「……生きている人を冥府へ導かれては、困りますよ」
己の遺伝子に加速を施しながら、『祈りは歌にのせて』サーナ・フィレネ(CL3000681)は駆けた。
イ・ラプセル建国よりも遥か昔、この地に存在した王国に関して、文献で調べられる程度の事は調べてみた。様々な神を祀る、多神教の王国であったという。
それら神々の中に、死者を導く人面獣身の神がいる。
その神に、1人の若い女剣士が挑みかかろうとしていた。
彼女を護衛する形に、『海蛇を討ちし者』ウェルス ライヒトゥーム(CL3000033)が、すでに神の眼前で大型の二丁拳銃を構えている。
「動く石像ってのは、あれか。この土地の特産品か何かか? ひと山いくらで売りさばきたいくらい出て来るじゃないか」
牙を剥き、微笑みかけるウェルスを、人面獣身の神が間近から睨み据える。石の眼球が、光を発する。呪いの眼光。
それが迸る前に、ウェルスは引き金を引いていた。
「その目は、光を映さず……」
雷鳴の如き銃声。零距離射撃が、動く石像の眼球に撃ち込まれる。鮮血のような火花が散った。
呪いの眼光を放つ目を、完全に破壊出来たのかどうかは、わからない。
ともかく人面獣身の神が、口を開いた。瘴気の炎が、紅蓮の吐息となって放たれる……よりも早くウェルスが、二丁拳銃を神の口内に突っ込んでいた。
「その口は、熱を持たず……」
零距離射撃。神が、血反吐のような火花を吐き散らせながら、石造りの巨体を暴れさせる。
そこへ、サーナは突きかかって行った。構えた剣に、己の魔力を流し込みながら。
女剣士に、声をかける。
「こんにちは。シェルミーネ・グラークさん、ですね?」
「貴女は……」
「サーナ・フィレネ。貴女と同じく軽戦士です。一緒に、戦いましょうっ!」
魔力の宿った切っ先を、動く石像の体表面に叩き込んでゆく。深々と、突き刺った。
即座に引き抜きながら、サーナは跳び退った。
間髪入れずシェルミーネの剣が、サーナの穿ち込んだ傷口を正確に直撃する。
「いいですよ、いい動きです。メニューちゃんとこなしてくれてるみたいですね!」
疾駆する猛獣の速度で踏み込んで来たのは『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)と、『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)である。
「じゃあカノンたちと一緒に実戦いってみよー!」
カノンの愛らしい五指とエルシーの優美な五指が、牙となって石像に突き刺さる。
両者の掌から、気の奔流が轟音を立てて迸る。さながら咆哮であった。
獣王2頭の咆哮を撃ち込まれたイブリースが、僅かな石の破片を飛散させて吹っ飛び、即座に着地する。恐ろしく身軽な石の巨体が、人面獣身の異形を誇示しつつ自由騎士団と対峙する。
「一緒……私が、あなたたちと……」
シェルミーネが呟く。
「未熟な私に……あなたたちと共に戦う資格が、あると言うの……?」
「未熟は、我々も同じ事」
杖を掲げ、呪力の錬成を行いながら、『智の実践者』テオドール・ベルヴァルド(CL3000375)が言った。
「貴女より、いくらかは腕が立つにせよ……そんなものは経験の差でしかない。死線をくぐり抜けた経験など、あったところで自慢にならぬ。誰かを心配させる事にしか、ならんのだ」
「私……テオドール伯爵の事、カタリーナ様から託されております」
言いつつセアラ・ラングフォード(CL3000634)が、ちらりとテオドールの方を見る。
「あまり無茶をさせないように、と」
「……気を付けようかセアラ嬢。お互いに、な」
言葉と共に、テオドールが呪力を解放する。
白いものが、人面獣身の神を絡め取った。
氷の荊であった。石の巨体が、拘束されながら凍て付き、切り苛まれてゆく。
厳かな手つきで杖を操り、氷の荊を制御しながら、テオドールが言う。
「動きを封じてしまいたい。サーナ嬢、力をお借りしたいが」
「お任せを」
サーナは舞った。小柄な細身が翅をはためかせて躍動し、刺突用の剣がキラキラと冷気を散らす。
精霊召喚の、剣舞であった。
煌めく冷気が、猛吹雪となってイブリースを襲う。雪山の精霊の、荒ぶる猛襲。
人面獣身の神が、凍り付いてゆく。
そう見えた直後、氷の破片と石の破片が飛び散った。
イブリースが、立て続けの冷気の束縛に抗い、巨体を暴れさせている。石の体表面を氷の荊に切り刻まれながら、反撃を繰り出さんとしている。
「……させない」
銃声が轟いた、ように聞こえた。『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)が、右手を拳銃にしている。
その綺麗な指先から射出されたものが、動く石像に突き刺さっていた。
突き刺さったものが、巨大化した。白銀色の楔が、人面獣身の神を貫通している。
「傲慢かも知れない……いや実際、傲慢なのだろうけれど。取捨選択を、させてもらうよ」
穿たれ、痙攣する石の巨体に、マグノリアは語りかけていた。
「僕は、ヒトを守る。君たちを守らない。ヒトを脅かすものの意思は、尊重しない」
彼の言う「ヒト」とは、ノウブルのみを指す言葉ではない。マグノリア自身が、まずノウブルではない。ウェルスやカノン、それに自分サーナもだ。
この世界においてヒトとは、すなわちノウブルであった。長らくそうだ。
ヨウセイは、ヒトではなかったのだ。
そんな時代は終わった、とサーナは思う。
自分たち自由騎士団が、そんな時代を終わらせる。女神アクアディーネの加護があれば、それは出来る。
(アクアディーネ様が、私を救ってくれる……憎しみから、救って下さる。アクアディーネ様の、権能だけが……)
「アクアディーネ様を、信じていますか?」
言葉と共にセアラが、魔力の大渦を解放していた。
「私は、もちろん信じています。オラクルですからね。アクアディーネ様を信じて戦う、当然の事です」
たおやかな全身に漲っていた魔力を迸らせ、渦巻かせ、イブリースに叩き付けながら、セアラは微笑んでいる。
いや、それは本当に笑顔なのか。
「現実問題として……今は、戦わなければいけません。こうしてイブリースに脅かされる人々がいる、今は」
自分は女神アクアディーネを信じている。あるいはアクアディーネにすがっている、とサーナは思う。
不殺の権能がなかったら、自分は果たしてどうなっていた事か。
似たようなものを、セアラも心の内に抱えているのではないか。
彼女は、アクアディーネを信仰するために理由を必要としている、のではないだろうか。
魔力の大渦に巨体を少しずつ削られ、細かな石片を大量に飛散させながらも、人面獣身の神は荒れ狂っている。氷の荊を引きちぎらんと暴れ続ける。
その様を見つめ、セアラは語る。
「人々の心の中にのみ存在した、古の神々は……実存の神々によって駆逐されました。駆逐する側に、アクアディーネ様はいらっしゃったのです。私たちも今、大いに駆逐を行っています。シャンバラを滅ぼし、ヘルメリアを滅ぼし」
やはりセアラは、笑ってなどいなかった。
「神の蠱毒の果てに……皆が命を謳歌する未来が、本当にあるのでしょうか」
「セアラさん……」
「ねえサーナ様。無理をなさってまで……私たちノウブルをお許しになる必要は、ないと思いますよ」
「……無理は、していません。あなたたちは、とても素晴らしい方々です。私……努力して、そう思い込んでるわけじゃないですから」
駆逐されゆく神の像に剣先を向けながら、サーナは思う。
神など、実存しようがしまいがヒトは争い、他者を蹂躙する。ならば旧古代神時代の方が、ましだったのではないか。
かの時代、少なくともミトラースは存在しなかったのだから。
●
厳かに杖を掲げて氷の荊を操り、イブリースの暴れる巨体を束縛し続けるテオドールの姿は、投網で大魚と格闘する漁師のようにも見えた。
サーナが冷気の嵐で、それを補佐しながら歯を食いしばる。
「くっ……このイブリース、まだ動けるとは……」
「……ならば、これで」
テオドールが、己の首筋に短剣を当てる。
人面獣身の神が、ざくりと巨大な裂傷を負った。太い石製の頸部が裂け、瘴気の飛沫が噴出する。
動く石像は、悲鳴を上げない。
その代わりのように、尻尾がうねり跳ねた。
柔軟な石柱、とでも言うべき巨大な尾が、氷の荊を引きちぎりながら自由騎士団を襲う。
テオドールが叫んだ。
「しまった……すまぬ、攻撃が行く!」
「心配無用、これなら受けられる……!」
言いつつウェルスが、尻尾の直撃を受けて吹っ飛んだ。
「その尾は人を払わず……ってなワケには、いかねえか……」
地面に激突したウェルスの巨体が、軽やかに受け身を取って立ち上がる。
「が……この程度なら……おい、無事か御令嬢!」
「無事……と言うほど、無事ではないけれど」
同じく尾の一撃を食らったシェルミーネが、カノンに助け起こされている。
「……肋骨に、ひびが入ったわ。だけど不思議……自然に、治っていく……ような……」
「錯覚じゃあないぜ。このデカブツは今、力が半減している。ま、そちらの御老体に感謝しな」
ウェルスに親指を向けられ、マグノリアは微笑んだ。
「……小細工は、僕の得意分野さ」
小細工しかないのだ、とマグノリアは思う。
二百年かけて細々と磨き上げてきた、小細工の腕前。
ヒトを守るため自分にあるのは、それだけなのだ。
「ね、シェルミーネさん。今更な確認だけど」
カノンが言った。
人面獣身の神が、そこへ猛然と襲いかかる。
「……この村に、メレーナさんがいるんだよね? 赤ちゃんと一緒に、ってキミはうるさい! さっさと瓦礫になってよね!」
カノンは踏み込み、跳躍した。小さな拳が、巨大な石の人面に叩き込まれた。
鐘の音が、鳴り響いた。
裂けていた頸部が完全にちぎれ、石の生首が高々と宙を舞う。
潰れかけた人面が、潰れかけた両眼を空中で見開いた。
呪いの眼光が迸り出る……寸前、ウェルスが引き金を引いた。
「虚像は砕け、砂となる……っとぉ! 畜生やっぱり1度しか使えねえか!」
擲弾筒が砕け散った。巨大な石の生首も、空中で砕け散っていた。
地上に残された胴体の方には、エルシーが拳を叩き込んでいる。
「勝機……スカーレット・インパクト!」
血飛沫の如く赤い、衝撃の閃光。
頭部のない神の巨体が、砕け崩れてゆく。
石の破片を大量にぶちまけながら、イブリースはしかし辛うじて原形をとどめている。
「嘘……まだ動けるんですか!?」
息を呑むエルシーを、取り巻いて防護する形に、魔力の大渦が荒れ狂った。
「やはり、あなた方が……実存の神であっては、ならないと思います」
セアラの、たおやかな肢体の躍動から生み出される魔力の大渦。それが、イブリースを粉砕してゆく。
「失われた信仰と共に……どうか、安らけく」
失われし神を見送る、葬送と鎮魂の舞い。マグノリアには、そう見えた。
石像はサラサラと崩壊し、ウェルスの言葉通り砂に変わった。
シェルミーネが、へなへなと両膝をつく。
「……お手柄でしたね、シェルミーネさん」
エルシーが声をかけた。
「貴女がまず真っ先にイブリースの足止めに動いてくれた、おかげで人死にが出ませんでした。けど……無茶は、駄目ですよ」
「……私より、無茶な人が……!」
シェルミーネが、泣きそうな顔を上げた。
「地下遺跡の中に……! 早く! 助けに行かなければ。お願い皆さん、力を貸して!」
「出来る限りの事はしましょう。私たち全員、まだ余力があります。が……」
サーナの言葉を、カノンが受け継いだ。
「うん……道が塞がれちゃったところ、水鏡に映ってたからね。こっち側からは行けなくなってるかも知れない。悪運は強い人だけど」
「そうですね。絶対悪運、ぜつ☆あく! ですね。あの人なら大丈夫」
「それだと凄い極悪人みたいだよエルシーちゃん」
「……知って、いるの?」
シェルミーネが、声を震わせる。
「あなたたちは、あの人を……知っているの……?」
「いやまあ、ちょっと……ね。カノンたちの知ってる人に、似てるかなって」
アラム・ヴィスケーノ。
その名を出すのは生存が確認されてから、とカノンは決めたようであった。
「心配は無用だ」
テオドールが、優しい声を発した。
「彼は、地下遺跡の中で同行者を得た。我々も、それに貴女もよく知る人物だ。あの青年を、必ずや守ってくれるであろう」
●
「カノン達が行った時には、もう虫の息だったんだ。けど、メレーナさんとその子の事を気にしてたよ! もう……一緒に暮らす事は出来ないけど、彼の分まで2人共、幸せになって欲しいな」
一気に、カノンはまくし立てた。
これは、まくし立てる台詞ではない。自分が演出家であったら、容赦なく不可を叩き付けているところだ。
だが、メレーナ・カインは微笑んでくれた。
「……あの方を看取って下さって、本当にありがとう」
「いえそんな……」
カノンは俯いた。
メレーナの、実家である。両親と共に彼女はここで、父親のいない赤ん坊を育てている。
招き入れられたところで、まずはテオドールが告げた。エリオット・グラークがイブリースに殺された、と。
それをカノンは補足した。そして、失敗を確信した。
メレーナの優しい笑顔を見ればわかる。彼女は真実を見抜き、そして受け入れている。
(全然、ダメだなぁ……カノンは、役者として……)
うなだれるカノンの肩に、エルシーがそっと手を置く。
「この子は、あなたたちが守って下さいました」
メレーナが、胸に抱いた我が子に語りかける。
「さ、ご挨拶をなさいアスハム。貴方の、恩人の方々よ」
「アスハム……と、いうのだね。その子の名は……」
マグノリアが、おずおずと言った。
「マザリモノの僕が……アスハムに触れる事は、許されるだろうか……?」
「私とアスハムの、盾になってくれた人ですね」
微笑むメレーナの腕の中で、アスハムが小さな両手をぱたぱたと動かしている。
母子の眼前で、マグノリアの細身が弱々しく崩折れた。
セアラが駆け寄り、支える。
「大丈夫ですか!? ……もう。マグノリア様は、無理をなさり過ぎです」
「……そう、かな」
「そうだよ」
カノンも言った。
あれから全員で地下遺跡に足を踏み入れ、捜索を行った。
動く石像が何体も出現し、行く手を阻んだ。
これらとの戦闘で最も奮戦と言うか無茶をしたのが、マグノリアである。
アラム・ヴィスケーノを救う事……ヒトを救う事に、マグノリアは特別な何かを見出してしまったようであった。
結局、アラムを見つける事は出来なかった。
彼が迷い込んだのであろう遺跡最奥部へと続く通路は、水鏡が映し出した通り、罠によって塞がれていたのだ。
力尽きたマグノリアをエルシーが抱え運び、こうして村へ戻って来る事となった。
力尽きていたマグノリアがしかし、アスハムの澄んだ瞳に見つめられ、力を取り戻したようであった。
アスハムの小さな手を、マグノリアがそっと握る、と言うより指先でつまむ。
少し離れた所から見つめながら、シェルミーネが小声を発した。
「本当に……あなた方には、御面倒ばかり押し付けてしまうわね」
「それよりもだ、御令嬢」
ウェルスも小声を出した。
「あの地下遺跡、とにかく予想以上に広いという事はわかった。入り口が他に何か所もあると見たが、お心当たりはないかな」
「……昔から危険地帯とされている場所は、いくつもあるわ」
「片っ端から調べてみる必要はありそうだな。そう言えば、墓を作ってたら掘り当てちまった奴もいるみたいだが」
「……そういった場所から、またイブリースが現れるかも知れません」
サーナが、続いてテオドールが言った。
「いよいよもって……大元を絶たねばならぬ、か。伸ばし伸ばしにする事でもない。我らと関わりある人々がすでに数名、あの遺跡に呑み込まれてしまった。何と言うか……我々が招かれている、という気がする」
「あの、血まみれの人に……ですね」
エルシーは左掌に思いきり右拳を打ち込もうとして、赤ん坊がいるので思いとどまったようだ。
「……上等。私、あの人を許してはおけません」
泣き声が、聞こえた。
マグノリアが、赤ん坊の手を取ったまま涙を流している。
「僕は……目に見えるものしか、知ろうとしなかった……ヒトには、目に見えないものが……いくらでもあると言うのに……」
母子に向かって、マグノリアは恭しく跪いている。そう見えた。
「これほど……胸が苦しくなるほど、大切に思えるものが……ヒトには、いくらでも……僕は今まで、何も知ろうとしなかった……フラスコから出ない小人と一体、どれほどの違いがあると言うのか……」
この場にいない者にマグノリアは語りかけていた。
「胸が苦しくなるほど、大切に思えるものを……遥か古の時代から、脅かす……蹂躙せんとする……お前にも、僕は興味がある。お前を、知らなければならないと思う。そして、お前を……許さない……流血の、女帝……」