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『得る』くらいなら、どうか殺して

●
物心ついた時から、覚えているのは鉄の檻。
まっくらな世界。居並ぶ人は皆が死体のような眼をしていて。
……ああ、ほんとうの死体と間違えたことも、あったっけ。
「労働用奴隷を合計32名、確かに引き取りました。最後に、此方へサインをお願いします」
「承知した」
時刻は深夜、船が行き交う港にて。
鎖につながれた私たちの前で、大人たちが何かを話している。
二人は、今まで私たちを働かせていた『ご主人様』。
もう二人は、見知らぬ男の人たち。彼らがぶあつい紙に『ご主人様』は何かを書いて。それを受け取った男の人が、彼らにおじぎをした後私たちに近づいてきた。
「待たせて済まない。私は通商連の――いや、それを君たちに言っても判らないかな。
兎に角、これから君たちの衣食住はしばらくの間、私たちが請け負う。無碍には扱わないから、心配しないでほしい」
「……わたし、たちは」
すぐ隣、私と同じように鎖でつながれた子供が、ひび割れた声でつぶやいた。
「捨てられたの? あの人たちに」
「……君たちの『所有権』が彼らの手を離れたという意味では否定しない。ただそれは、決して君たちにとって不幸な意味ではなく――」
何かを訴えかける男の人。
けれど、その声は私に届いてはいなかった。
だって………………だって。
――『ゴミを捨てるのも、厄介なもんだ』
去り際、『ご主人様』が、確かにそう言ったのを聞き取ったから。
「なん、で?」
生まれた場所が違うから。ただそれだけで、あの地獄で働かされて。
それでも、死ぬことは怖かったから。ただ生きることだけに執着して、今日まで必死に足掻いてきた。
そんな私を、私たちを、一番近くで見てきた『ご主人様』たちは、最後に私たちをゴミと扱った。
涙もなく、別れの言葉もなく、与えられたのは、ただ、侮蔑の瞳だけ。
「なんで、私たちは、捨てられたの?」
「君……?」
男の人たちは、困った表情で私を見る。
「なんで、私たちは、捨てられるような存在だったの?」
――刹那、きいん、という短い音が。
次いで、ゆるりと漂う黒い霧。何も知らない私たちをよそに、男の人たちは慌てふためいて。
「瘴気!?」
「近くを幽霊列車が通っているのか!? 拙いぞ、このままじゃ……」
他の子たちがおびえる中、自分のことに精いっぱいで気づくのが遅れた私は、その霧を一身に浴びてしまった。
昏む視界、遠くなる音。
意識が閉ざされるのだ、と自覚する前に、その声はやけに明瞭に、私へと届いた。
与えられず、奪われるだけ。
そうして終わるくらいなら、せめて最後は望むままに生きればいいのだ、と。
●
その日、オラクル達に通商連からの依頼が入った。
対象は一体のイブリース。元はヴィスマルク帝国で使いつぶされた一人の奴隷であったという。
度重なる酷使で本来の用途としては最早見込めない奴隷らは、愛玩や養子、あるいは職人の弟子として新たな生を与えられるはずだった。
けれど、その事実を教えられるよりも前に、『彼女』は自らの境遇に絶望しきってしまっていた。
イブリースと化したのはそれからすぐのこと。自らを捕えようとした通商連の男たちを振り切り、いま彼女は旧シャンバラ皇国領へと踏み入っているらしい。
また、彼女は一人ではない。狼型のイブリースも同時に三体が、彼女と同行していることが水鏡によって確認されている。
復興の妨げとなる前に、狼型と少女、それぞれのイブリースを救出すること。
……叶うならば、彼女が引き返せぬ過ちを、犯す前に。
●
願うことが間違っていたんだ。
セカイはきっと不平等で、努力した人間が不幸を味わい続けるのを他所に、何もしない人間がただ幸福を享受することだって容易にあり得る。
こんな下らない場所で、私のようなモノが、かつての『ご主人様』に一度でも憐れんでほしかった、なんて。
「……だから、大丈夫だよ」
血走った目で、涎を滴らせる狼の頭を撫で、私は昏く微笑んだ。
何も得られない私を、これ以上生かすくらいなら。
私は癌になろう。誰かにとっての、毒となろう。
それを、みんなが、望まないというなら。
私の願いを、どうか叶えて。
どうか、生きたくない私を、終わらせて。
物心ついた時から、覚えているのは鉄の檻。
まっくらな世界。居並ぶ人は皆が死体のような眼をしていて。
……ああ、ほんとうの死体と間違えたことも、あったっけ。
「労働用奴隷を合計32名、確かに引き取りました。最後に、此方へサインをお願いします」
「承知した」
時刻は深夜、船が行き交う港にて。
鎖につながれた私たちの前で、大人たちが何かを話している。
二人は、今まで私たちを働かせていた『ご主人様』。
もう二人は、見知らぬ男の人たち。彼らがぶあつい紙に『ご主人様』は何かを書いて。それを受け取った男の人が、彼らにおじぎをした後私たちに近づいてきた。
「待たせて済まない。私は通商連の――いや、それを君たちに言っても判らないかな。
兎に角、これから君たちの衣食住はしばらくの間、私たちが請け負う。無碍には扱わないから、心配しないでほしい」
「……わたし、たちは」
すぐ隣、私と同じように鎖でつながれた子供が、ひび割れた声でつぶやいた。
「捨てられたの? あの人たちに」
「……君たちの『所有権』が彼らの手を離れたという意味では否定しない。ただそれは、決して君たちにとって不幸な意味ではなく――」
何かを訴えかける男の人。
けれど、その声は私に届いてはいなかった。
だって………………だって。
――『ゴミを捨てるのも、厄介なもんだ』
去り際、『ご主人様』が、確かにそう言ったのを聞き取ったから。
「なん、で?」
生まれた場所が違うから。ただそれだけで、あの地獄で働かされて。
それでも、死ぬことは怖かったから。ただ生きることだけに執着して、今日まで必死に足掻いてきた。
そんな私を、私たちを、一番近くで見てきた『ご主人様』たちは、最後に私たちをゴミと扱った。
涙もなく、別れの言葉もなく、与えられたのは、ただ、侮蔑の瞳だけ。
「なんで、私たちは、捨てられたの?」
「君……?」
男の人たちは、困った表情で私を見る。
「なんで、私たちは、捨てられるような存在だったの?」
――刹那、きいん、という短い音が。
次いで、ゆるりと漂う黒い霧。何も知らない私たちをよそに、男の人たちは慌てふためいて。
「瘴気!?」
「近くを幽霊列車が通っているのか!? 拙いぞ、このままじゃ……」
他の子たちがおびえる中、自分のことに精いっぱいで気づくのが遅れた私は、その霧を一身に浴びてしまった。
昏む視界、遠くなる音。
意識が閉ざされるのだ、と自覚する前に、その声はやけに明瞭に、私へと届いた。
与えられず、奪われるだけ。
そうして終わるくらいなら、せめて最後は望むままに生きればいいのだ、と。
●
その日、オラクル達に通商連からの依頼が入った。
対象は一体のイブリース。元はヴィスマルク帝国で使いつぶされた一人の奴隷であったという。
度重なる酷使で本来の用途としては最早見込めない奴隷らは、愛玩や養子、あるいは職人の弟子として新たな生を与えられるはずだった。
けれど、その事実を教えられるよりも前に、『彼女』は自らの境遇に絶望しきってしまっていた。
イブリースと化したのはそれからすぐのこと。自らを捕えようとした通商連の男たちを振り切り、いま彼女は旧シャンバラ皇国領へと踏み入っているらしい。
また、彼女は一人ではない。狼型のイブリースも同時に三体が、彼女と同行していることが水鏡によって確認されている。
復興の妨げとなる前に、狼型と少女、それぞれのイブリースを救出すること。
……叶うならば、彼女が引き返せぬ過ちを、犯す前に。
●
願うことが間違っていたんだ。
セカイはきっと不平等で、努力した人間が不幸を味わい続けるのを他所に、何もしない人間がただ幸福を享受することだって容易にあり得る。
こんな下らない場所で、私のようなモノが、かつての『ご主人様』に一度でも憐れんでほしかった、なんて。
「……だから、大丈夫だよ」
血走った目で、涎を滴らせる狼の頭を撫で、私は昏く微笑んだ。
何も得られない私を、これ以上生かすくらいなら。
私は癌になろう。誰かにとっての、毒となろう。
それを、みんなが、望まないというなら。
私の願いを、どうか叶えて。
どうか、生きたくない私を、終わらせて。
†シナリオ詳細†
■成功条件
1.イブリース『少女』の救出、もしくは殺害
2.イブリース『狼』の救出、もしくは殺害
2.イブリース『狼』の救出、もしくは殺害
STの田辺です。以下、シナリオ詳細。
『場所』
近隣に小規模な人里を置く森林。その外縁部です。
時間帯は昼、木々の間隔もまばらであるため、動作には制限がありません。
シナリオ開始時、参加者の皆様と敵との距離は20mです。
『敵』
・イブリース『少女』
一般人の少女が、自身の境遇からなる絶望によってイブリースと化した存在です。年齢は十代半ば。
ひび割れた爪を尖らせて相手を切り裂く近距離攻撃と、自身の血液を硬化させて射出する遠距離攻撃が攻撃手段。これらは使用に『少女』自身のHPを消費します。
能力としては下記『狼』と合わせても十分救出は可能なレベルですが、例えイブリース化を解かれたとて、彼女の絶望そのものが消えたわけではありません。
その心までも救うには、相応の説得が必要となります。
・イブリース『狼』
戦闘開始地点となる森林にもともと生息していた狼がイブリース化したものです。数は三体。
近距離の対象にかみつく攻撃と、遠吠えを行うことで自身を賦活する回復・強化能力を持ちます。
知性は元の個体と大差ありませんが、本能的にコンビネーションを得意としており、自身の能力を活かした立ち回りが得意です。
それでは、参加をお待ちしております。
『場所』
近隣に小規模な人里を置く森林。その外縁部です。
時間帯は昼、木々の間隔もまばらであるため、動作には制限がありません。
シナリオ開始時、参加者の皆様と敵との距離は20mです。
『敵』
・イブリース『少女』
一般人の少女が、自身の境遇からなる絶望によってイブリースと化した存在です。年齢は十代半ば。
ひび割れた爪を尖らせて相手を切り裂く近距離攻撃と、自身の血液を硬化させて射出する遠距離攻撃が攻撃手段。これらは使用に『少女』自身のHPを消費します。
能力としては下記『狼』と合わせても十分救出は可能なレベルですが、例えイブリース化を解かれたとて、彼女の絶望そのものが消えたわけではありません。
その心までも救うには、相応の説得が必要となります。
・イブリース『狼』
戦闘開始地点となる森林にもともと生息していた狼がイブリース化したものです。数は三体。
近距離の対象にかみつく攻撃と、遠吠えを行うことで自身を賦活する回復・強化能力を持ちます。
知性は元の個体と大差ありませんが、本能的にコンビネーションを得意としており、自身の能力を活かした立ち回りが得意です。
それでは、参加をお待ちしております。
状態
完了
完了
報酬マテリア
6個
2個
2個
2個




参加費
100LP [予約時+50LP]
100LP [予約時+50LP]
相談日数
8日
8日
参加人数
8/8
8/8
公開日
2019年06月19日
2019年06月19日
†メイン参加者 8人†
●
人気のない森中は、しかし存外に騒がしい。
虫のさざめき、獣のわずかな呼吸音、ひうとかすかに風が吹くだけで、密接する木々は無秩序に伸ばした枝葉をがさがさと鳴りたたせる。
「……どうして」
そこに紛れる声は、あまりにも小さく。
『ピースメーカー』アンネリーザ・バーリフェルト(CL3000017)の懊悩を込めた声に、ゆえ、気づくものはそう居なかった。
自らの運命を収奪されるだけのものと定めた少女。此度はイブリース化した彼女を倒すことが目標とされた。
今回の依頼に参加した者たちに――殊、アンネリーザにとっては尚、救うべき対象である少女に向ける思いは、暗く、冷たい。
「奪われ続けた少女。奪われて終わることを望んだ少女。
それが彼女の本心だとして……それを止めようとしている私達は果たして悪なのかしら、善なのかしら」
「如何様にも、くー達があの子に比べて『運が良い者』であることは紛れもない事実じゃ。声が届くかどうかは……」
『浮世の憂い』エル・エル(CL3000370)の何気ない問いに、忸怩たる表情で答えるのは『アイギスの乙女』フィオレット・クーラ・スクード(CL3000559)だ。
普段、物事に善悪を求めないエルのこうした発言は、どちらかといえば自身のためというより、思い思いの胸中を持つ仲間たちの視野を広げるためのそれだろう。
「ま、何となくは分からんでも無い。尤も、不幸も絶望も当人だけの物だ。とやかくは言えんが……」
風に煽られて舞う木の葉を鬱陶しげに払いつつ、『咲かぬ橘』非時香・ツボミ(CL3000086)が呟いた。
「……それでも、彼女には機会がある。得る機会が。与えられる機会が」
当人がそれを知らぬことは、残念じゃが。そう言ってかぶりを振ったのは『揺れる豊穣の大地』シノピリカ・ゼッペロン(CL30000201)。
木々の間に漏れ落ちる陽光が金髪に反射する。昼日中にありて陰鬱な雰囲気を消せない全員の中に於いて、しかし、確たる自己を失わぬものも、居る。
「嘗ての空虚な俺には、それでも一つの炎は確かにあった。この少女にそれがあるかどうか、だな」
『殲滅弾頭』ザルク・ミステル(CL3000067)。自らの過去を少女の中に重ねるその紫眼には、聊か投げやりなその口調に反し、決意の光が煌めいている。
「……こちらとしては、彼女の境遇に対して言えることはない」
面々の思いを、意見を聞き遂げた『鋼壁の』アデル・ハビッツ(CL3000496)は、その上できっぱりと言い放ち、だが。
「しかし、お前たちが『それ』を望むというのならば、手伝うことも吝かではない」
「ああ、それで十分だ」
感情のない発言に、『折れぬ傲槍』ボルカス・ギルトバーナー(CL3000092)はその強面をさらに厳しくしつつ、言う。
「……散々辛い思いをして、疲れ切った子供にまだ生きろと言う」
傲慢な役目で、そして優しすぎる役目で。そんな押し付けをする彼らに、少女が何を返すかは、未だ、誰も知らないけれど。
「――任せろ、偉そうに物を言うのは、得意分野だ!」
けれど、想いの強さだけは、決して揺らぐことはない。
視界の遥か彼方に見える、少女はそれを聞き遂げる。
木漏れ日の下、死別と救い、相反する願いを交えた戦いは幕を開けた。
●
挙動は誰よりも早く、ザルクが二丁拳銃を構えてつぶやく。
「よう、お嬢さん。散歩にしては随分物騒なお供だな」
大人しくしてろ、と。
言葉に次いで放たれたパラライズショット――疑似結界弾が二頭の狼に撃ち込まれれば、その行動を制限すべく魔力がその身を縛り上げる。
だが、叶わず。微かに軋む体を気にせず、後衛陣をめがけて牙を剥き出しにした二頭に対して、フィオレットが構えた大盾を地につけて、身体ごと突進する。
「悪いが、暫くはくー達に付き合ってもらうのじゃ!」
「ッ!!」
双方の衝撃は如何ばかりか。堅守のフィオレットは足を踏みしめ、宙を舞った狼のイブリースは空中で態勢を整えてきれいに着地する。
だが、その着地地点のそばには。
「往くぞ、ボルカス!」
「ああ、一気にカタを付ける」
双方が声を上げれば、精錬した氣が体外で爆発する。
バーチカルブロウ、二連。拉いだ頭をしかし上げて、その腕に食らいつく二頭の目に、未だ怯懦の気配は見えない。
その一方で、残る少女と武器を交える者たちの戦いも熾烈な開幕を迎えていた。
「……あなたたちは、だれ」
「問うならば答えよう。イ・ラプセル自由騎士団だ。此度はお前と言う脅威の排除に出向いた」
「……。嗚呼、そう」
言葉にも何処か上の空。アデルの機械槍、ジョルトランサーが撃発音を発するのと同時に、少女も繊手から伸ばした爪を振るって一撃を払う。
「もどかしい……! もっと声を上げなさい! もっと叫びなさい!」
感情を根こそぎ削り取ったその声に、舌打ちを漏らしたエルが、二本の矢を番えて號と叫ぶ。
「誰にも聞こえない場所で世界を呪いながら死ぬなんて、寂しいじゃない!」
「生まれてからずっと、私はさみしかったよ?」
直射、手で受け止める。曲射、その肩を見事に貫く。
痛みに顔をゆがめることもしない。それがイブリース化の影響か、少女の性質が故かは分からないけれど。
「かわいそうと言うのは簡単だね。私の生きてきたすべては、きっとあなたにとってそう呼ばれる程度の塵とおんなじものなのかな」
「……っ」
僅かに臍を噛んだのは、恐らくエルだけではないだろう。
絶望『しきって』しまっている。事前にオラクル達が伝えられた情報を、彼らはほんの少し甘く見ていたとここで知る。
「……はん、『得る』を厭うならばすまんがな。貴様は少なくとも最低二つはもう『得て』いる」
「……?」
出来た傷口から血弾が飛ぶ。強かに身を打たれた前衛陣に対して、素知らぬ顔のツボミは収束した魔力を治癒の形で彼らへ付与していく。
「要するに私は今この時点で貴様を憐れんでいる。で、もう一つ。
それ以上に凄いと思っている。
先々は知らん。だが事実として貴様が味わい続けた不幸は今此処で一端ゴールだ」
「………………」
目を見開き、きょとんとした表情でツボミを見る少女。
対峙して以降、初めて見た年相応の顔に、しかし飛ぶ一撃。
戦闘が開始して幾許も経たぬものの、人数差と攻撃手段からなる対応策は着実に戦況をオラクル側の優位に進めていく。
それでも――
「……攻め切れないか」
ザルクが呟き、アデルも小さくそれに頷く。
オラクル側は考えても居なかったろうが、少女の側は彼らの攻撃に対して『避けない』という選択肢を有しているがためだ。
元より短期決戦を主軸とした彼らの攻撃はその威力が乏しいということは先ず無いと言っていい。
それが十全以上の精度によって急所を貫けば、その命は瞬時に死へと近づく。
その瀕死の状態をオラクル側が打って救出しうるか、或いは自死の為、少女が自らを害する方が早いかは、正に双方にとって賭けと呼ぶに等しい。
ゆえ、オラクル側の攻撃には躊躇いが生まれる。その隙を突いて逃げることも難しいものの、戦況は一つの膠着状態を見せ始めていた、が。
「――――――?」
じりじりと交わされる彼我の術技において、終ぞ狼達の唸り声が聞こえなくなった、その時。
「やっと、お話ができるね」
――梟の羽を羽搏かせて、アンネリーザが少女の前に降り立った。
●
手に届く存在を救いたいだけだった。
自身が万能だなんて思わない。その手で抱きしめるだけで苦しみが取り除けるような聖人であればと考えたことは数知れない。
それでも、望む力には程遠くても、アンネリーザにはできることがあった。
それを諦めてしまえれば、きっと、彼女は今のように、水鏡によって広がる視界から、そこに映る『救いたい人』への想いから、解放されたかもしれないのに。
「……邪魔」
ひび割れた爪が、その脇腹を貫いた。
滲む血。微かな苦悶を漏らすアンネリーザに、少女は驚いた表情でその場から距離をとる。
回避、しなかった。あまつさえ武器すら捨てて、栗髪の女性は微笑みながら少女へと歩み寄っていく。
「貴女の痛みや苦しみを、私は想像することしか出来ない」
創口から血液が出で、幾度も身を貫いた。
「浄化する術を知りながら、私は貴女に銃口を向けられない」
二度、欠けた爪が体を裂いた。
「……だけど、ごめんなさい。私は、貴女を救いたい」
伸ばした手が、少女の腕を掴んだ。
舌を打つ彼女を、アンネリーザは強く抱きしめる。
「大丈夫……貴女はもう、使い捨てになんてされないわ」
「掬い上げて欲しいなんて、私は望んでない……!」
再度の攻手を、しかしザルクのパラライズバレットが封じる。
「……今のお前には、本当に何もないのか?
燻るものは。その胸の奥、腹の底に、怒りは、怨みの炎はないのか?」
「くー達の言葉など、到底受け入れられぬかもしれぬ。
じゃが、それでも。自らの為には生きられぬのであれば、僅かな時とはゆえお主に付き従ったこやつらの為に生きる事は出来ぬか……?」
ザルクが、フィオレットが、己の想いを少女へと吐露する。
抱きすくめられたその面立ちが、ぐっと下を向いた。見えぬ表情に期待と不安を抱きながらも。オラクル達は言葉を止めることはない。
「間違っていたなんてな、人間生きてりゃ誰でもいくらでも間違うんだよ。
その上で、君は子供だ。間違えたら、誰かにそれを正されて、その上で生きていくのが子供の役目だ」
ボルカスが言って、その口元を綻ばせた。
「得られないというなら、奪われるだけだというなら、あたしが――エル・エルが与えてあげる。私の命を分け与”える”!」
エルが、自らの胸元に手を当てて、決意を込めて声を上げた。
「今この瞬間貴様が死んだとて、遂げた事実は消えん。当然私のこの評価も覆らん。今後も褒め続ける。それだけだ」
よく頑張ったなと、ツボミは嘯いた顔で呟いて。
「お主が望むなら、手も貸そう、足も支えよう、共に泣こう、じゃが!
それを成すのは、あくまでもお主の意志なのじゃぞ!」
そして、声高にシノピリカが手を差し伸べた。
望めと、与えられるものを受け入れろと、それが、オラクル達の違わぬ願い。
少女は、それに嗚咽を含めた涙声で――
「……かわらない」
「――――――、あ」
――行動阻害から立ち直ったその手が、アンネリーザの胸元を貫いていた。
「変わらない、結局、あなたたちはご主人様と同じだ。
奪われることを『押し付けられた』私に、あなたたちは与えられることを、望むことを『押し付けようとする』!」
「そん、な――――――!」
反論を待つまでもない。二次行動、すでに度重なる攻撃によってフラグメンツを消費したアンネリーザの傷口をひ弱な拳が、強烈な一撃となって撃ち込まれる。
傾いで、倒れる。それに誰かが声を上げるよりも早く、少女は声を荒げて残るオラクル達に臨んだ。
「死ぬことがあなたたちにとって悪いことだから!? 生きることが尊いことだから!?
私が、短い人生でも、感じたことから必死に考えて出したこの答えを、どうしてあなたたちは真っ先に否定するの!?」
血と涙と洟でぐしゃぐしゃになった表情が、堪え切れぬ感情を、オラクル達に思い知らせる。
「あなたたちは、私を知ろうとしない。
ただ、あなたたちの救いたい私を、救おうとしてるだけ」
首元に手を当てた少女。その行動が指すところを知ったオラクルが、一気に動いてその動きを止めようとする。
だが、能わず。ただ一人、アデルが最後に投げかけた言葉だけが。
「……だが、彼らはお前に生きて欲しかった」
「それは、死ぬことを否定することでしかできなかったの?」
刺し貫かれた爪が、鮮血を地にまき散らした。
●
『望みがきっと他にあるはず』などと、誰が思い込んだことだろうか。
少女は望んでいた。オラクル達はそれを拒んだ。
ただそれだけで、お互いは決定的に分かり合うことがなくなってしまった。
「……なら、どうすればよかったの」
誰ともなく呟いたエルに、ザルクはしかし律義に返答した。
「殺せば良かった……違うな、殺すことを誓えばよかったんだ」
それが、今すぐのものでなくとも。その言葉にシノピリカは苦渋の表情を浮かべる。
「救ってほしかったのでもなければ、与えてほしかったのでもない。
彼女は、理解してほしかっただけと言うことか」
考えれば道理だ。仲の良い人間がいたという情報もなかった彼女は、物心ついてから今まで、ずっと孤独だったのだ。
自らを売った主に、憐みの眼差し一つしか望まなかったほどに。
「それがよりにもよって死を叶えるという形じゃなければ……な」
「あの子が言った通り、短い生涯を糧に悩みぬいて出した結論じゃ。そこにすり寄るべきは、くー達であったかも知れんのう」
ボルカスの無念に、フィオレットは摘んできた森の野花を少女の亡骸に落とす。
首元を朱に染めたその体は、しかしそこを除けば存外に奇麗だった。それでも僅かに残った汚れは、アデルが可能な限り拭っていく。
ツボミは未だ目覚めぬアンネリーザに癒術を施しつつ、あの時の少女の表情を思い返した。
否定も肯定もなく、唯事実を伝えた時の、気の抜けた表情。ただ一度だけ垣間見た剥き出しの心に、あれ以上触れることができなかったことに微かな痛みを覚えつつも、せめて後悔だけはしまいと彼女は口をつぐむ。
日は少しだけ傾いて、その色を橙に変えようと西へ西へ駆けていく。
木々の間を縫って零れた光は、少女の目元に涙滴のような形を映していた。
人気のない森中は、しかし存外に騒がしい。
虫のさざめき、獣のわずかな呼吸音、ひうとかすかに風が吹くだけで、密接する木々は無秩序に伸ばした枝葉をがさがさと鳴りたたせる。
「……どうして」
そこに紛れる声は、あまりにも小さく。
『ピースメーカー』アンネリーザ・バーリフェルト(CL3000017)の懊悩を込めた声に、ゆえ、気づくものはそう居なかった。
自らの運命を収奪されるだけのものと定めた少女。此度はイブリース化した彼女を倒すことが目標とされた。
今回の依頼に参加した者たちに――殊、アンネリーザにとっては尚、救うべき対象である少女に向ける思いは、暗く、冷たい。
「奪われ続けた少女。奪われて終わることを望んだ少女。
それが彼女の本心だとして……それを止めようとしている私達は果たして悪なのかしら、善なのかしら」
「如何様にも、くー達があの子に比べて『運が良い者』であることは紛れもない事実じゃ。声が届くかどうかは……」
『浮世の憂い』エル・エル(CL3000370)の何気ない問いに、忸怩たる表情で答えるのは『アイギスの乙女』フィオレット・クーラ・スクード(CL3000559)だ。
普段、物事に善悪を求めないエルのこうした発言は、どちらかといえば自身のためというより、思い思いの胸中を持つ仲間たちの視野を広げるためのそれだろう。
「ま、何となくは分からんでも無い。尤も、不幸も絶望も当人だけの物だ。とやかくは言えんが……」
風に煽られて舞う木の葉を鬱陶しげに払いつつ、『咲かぬ橘』非時香・ツボミ(CL3000086)が呟いた。
「……それでも、彼女には機会がある。得る機会が。与えられる機会が」
当人がそれを知らぬことは、残念じゃが。そう言ってかぶりを振ったのは『揺れる豊穣の大地』シノピリカ・ゼッペロン(CL30000201)。
木々の間に漏れ落ちる陽光が金髪に反射する。昼日中にありて陰鬱な雰囲気を消せない全員の中に於いて、しかし、確たる自己を失わぬものも、居る。
「嘗ての空虚な俺には、それでも一つの炎は確かにあった。この少女にそれがあるかどうか、だな」
『殲滅弾頭』ザルク・ミステル(CL3000067)。自らの過去を少女の中に重ねるその紫眼には、聊か投げやりなその口調に反し、決意の光が煌めいている。
「……こちらとしては、彼女の境遇に対して言えることはない」
面々の思いを、意見を聞き遂げた『鋼壁の』アデル・ハビッツ(CL3000496)は、その上できっぱりと言い放ち、だが。
「しかし、お前たちが『それ』を望むというのならば、手伝うことも吝かではない」
「ああ、それで十分だ」
感情のない発言に、『折れぬ傲槍』ボルカス・ギルトバーナー(CL3000092)はその強面をさらに厳しくしつつ、言う。
「……散々辛い思いをして、疲れ切った子供にまだ生きろと言う」
傲慢な役目で、そして優しすぎる役目で。そんな押し付けをする彼らに、少女が何を返すかは、未だ、誰も知らないけれど。
「――任せろ、偉そうに物を言うのは、得意分野だ!」
けれど、想いの強さだけは、決して揺らぐことはない。
視界の遥か彼方に見える、少女はそれを聞き遂げる。
木漏れ日の下、死別と救い、相反する願いを交えた戦いは幕を開けた。
●
挙動は誰よりも早く、ザルクが二丁拳銃を構えてつぶやく。
「よう、お嬢さん。散歩にしては随分物騒なお供だな」
大人しくしてろ、と。
言葉に次いで放たれたパラライズショット――疑似結界弾が二頭の狼に撃ち込まれれば、その行動を制限すべく魔力がその身を縛り上げる。
だが、叶わず。微かに軋む体を気にせず、後衛陣をめがけて牙を剥き出しにした二頭に対して、フィオレットが構えた大盾を地につけて、身体ごと突進する。
「悪いが、暫くはくー達に付き合ってもらうのじゃ!」
「ッ!!」
双方の衝撃は如何ばかりか。堅守のフィオレットは足を踏みしめ、宙を舞った狼のイブリースは空中で態勢を整えてきれいに着地する。
だが、その着地地点のそばには。
「往くぞ、ボルカス!」
「ああ、一気にカタを付ける」
双方が声を上げれば、精錬した氣が体外で爆発する。
バーチカルブロウ、二連。拉いだ頭をしかし上げて、その腕に食らいつく二頭の目に、未だ怯懦の気配は見えない。
その一方で、残る少女と武器を交える者たちの戦いも熾烈な開幕を迎えていた。
「……あなたたちは、だれ」
「問うならば答えよう。イ・ラプセル自由騎士団だ。此度はお前と言う脅威の排除に出向いた」
「……。嗚呼、そう」
言葉にも何処か上の空。アデルの機械槍、ジョルトランサーが撃発音を発するのと同時に、少女も繊手から伸ばした爪を振るって一撃を払う。
「もどかしい……! もっと声を上げなさい! もっと叫びなさい!」
感情を根こそぎ削り取ったその声に、舌打ちを漏らしたエルが、二本の矢を番えて號と叫ぶ。
「誰にも聞こえない場所で世界を呪いながら死ぬなんて、寂しいじゃない!」
「生まれてからずっと、私はさみしかったよ?」
直射、手で受け止める。曲射、その肩を見事に貫く。
痛みに顔をゆがめることもしない。それがイブリース化の影響か、少女の性質が故かは分からないけれど。
「かわいそうと言うのは簡単だね。私の生きてきたすべては、きっとあなたにとってそう呼ばれる程度の塵とおんなじものなのかな」
「……っ」
僅かに臍を噛んだのは、恐らくエルだけではないだろう。
絶望『しきって』しまっている。事前にオラクル達が伝えられた情報を、彼らはほんの少し甘く見ていたとここで知る。
「……はん、『得る』を厭うならばすまんがな。貴様は少なくとも最低二つはもう『得て』いる」
「……?」
出来た傷口から血弾が飛ぶ。強かに身を打たれた前衛陣に対して、素知らぬ顔のツボミは収束した魔力を治癒の形で彼らへ付与していく。
「要するに私は今この時点で貴様を憐れんでいる。で、もう一つ。
それ以上に凄いと思っている。
先々は知らん。だが事実として貴様が味わい続けた不幸は今此処で一端ゴールだ」
「………………」
目を見開き、きょとんとした表情でツボミを見る少女。
対峙して以降、初めて見た年相応の顔に、しかし飛ぶ一撃。
戦闘が開始して幾許も経たぬものの、人数差と攻撃手段からなる対応策は着実に戦況をオラクル側の優位に進めていく。
それでも――
「……攻め切れないか」
ザルクが呟き、アデルも小さくそれに頷く。
オラクル側は考えても居なかったろうが、少女の側は彼らの攻撃に対して『避けない』という選択肢を有しているがためだ。
元より短期決戦を主軸とした彼らの攻撃はその威力が乏しいということは先ず無いと言っていい。
それが十全以上の精度によって急所を貫けば、その命は瞬時に死へと近づく。
その瀕死の状態をオラクル側が打って救出しうるか、或いは自死の為、少女が自らを害する方が早いかは、正に双方にとって賭けと呼ぶに等しい。
ゆえ、オラクル側の攻撃には躊躇いが生まれる。その隙を突いて逃げることも難しいものの、戦況は一つの膠着状態を見せ始めていた、が。
「――――――?」
じりじりと交わされる彼我の術技において、終ぞ狼達の唸り声が聞こえなくなった、その時。
「やっと、お話ができるね」
――梟の羽を羽搏かせて、アンネリーザが少女の前に降り立った。
●
手に届く存在を救いたいだけだった。
自身が万能だなんて思わない。その手で抱きしめるだけで苦しみが取り除けるような聖人であればと考えたことは数知れない。
それでも、望む力には程遠くても、アンネリーザにはできることがあった。
それを諦めてしまえれば、きっと、彼女は今のように、水鏡によって広がる視界から、そこに映る『救いたい人』への想いから、解放されたかもしれないのに。
「……邪魔」
ひび割れた爪が、その脇腹を貫いた。
滲む血。微かな苦悶を漏らすアンネリーザに、少女は驚いた表情でその場から距離をとる。
回避、しなかった。あまつさえ武器すら捨てて、栗髪の女性は微笑みながら少女へと歩み寄っていく。
「貴女の痛みや苦しみを、私は想像することしか出来ない」
創口から血液が出で、幾度も身を貫いた。
「浄化する術を知りながら、私は貴女に銃口を向けられない」
二度、欠けた爪が体を裂いた。
「……だけど、ごめんなさい。私は、貴女を救いたい」
伸ばした手が、少女の腕を掴んだ。
舌を打つ彼女を、アンネリーザは強く抱きしめる。
「大丈夫……貴女はもう、使い捨てになんてされないわ」
「掬い上げて欲しいなんて、私は望んでない……!」
再度の攻手を、しかしザルクのパラライズバレットが封じる。
「……今のお前には、本当に何もないのか?
燻るものは。その胸の奥、腹の底に、怒りは、怨みの炎はないのか?」
「くー達の言葉など、到底受け入れられぬかもしれぬ。
じゃが、それでも。自らの為には生きられぬのであれば、僅かな時とはゆえお主に付き従ったこやつらの為に生きる事は出来ぬか……?」
ザルクが、フィオレットが、己の想いを少女へと吐露する。
抱きすくめられたその面立ちが、ぐっと下を向いた。見えぬ表情に期待と不安を抱きながらも。オラクル達は言葉を止めることはない。
「間違っていたなんてな、人間生きてりゃ誰でもいくらでも間違うんだよ。
その上で、君は子供だ。間違えたら、誰かにそれを正されて、その上で生きていくのが子供の役目だ」
ボルカスが言って、その口元を綻ばせた。
「得られないというなら、奪われるだけだというなら、あたしが――エル・エルが与えてあげる。私の命を分け与”える”!」
エルが、自らの胸元に手を当てて、決意を込めて声を上げた。
「今この瞬間貴様が死んだとて、遂げた事実は消えん。当然私のこの評価も覆らん。今後も褒め続ける。それだけだ」
よく頑張ったなと、ツボミは嘯いた顔で呟いて。
「お主が望むなら、手も貸そう、足も支えよう、共に泣こう、じゃが!
それを成すのは、あくまでもお主の意志なのじゃぞ!」
そして、声高にシノピリカが手を差し伸べた。
望めと、与えられるものを受け入れろと、それが、オラクル達の違わぬ願い。
少女は、それに嗚咽を含めた涙声で――
「……かわらない」
「――――――、あ」
――行動阻害から立ち直ったその手が、アンネリーザの胸元を貫いていた。
「変わらない、結局、あなたたちはご主人様と同じだ。
奪われることを『押し付けられた』私に、あなたたちは与えられることを、望むことを『押し付けようとする』!」
「そん、な――――――!」
反論を待つまでもない。二次行動、すでに度重なる攻撃によってフラグメンツを消費したアンネリーザの傷口をひ弱な拳が、強烈な一撃となって撃ち込まれる。
傾いで、倒れる。それに誰かが声を上げるよりも早く、少女は声を荒げて残るオラクル達に臨んだ。
「死ぬことがあなたたちにとって悪いことだから!? 生きることが尊いことだから!?
私が、短い人生でも、感じたことから必死に考えて出したこの答えを、どうしてあなたたちは真っ先に否定するの!?」
血と涙と洟でぐしゃぐしゃになった表情が、堪え切れぬ感情を、オラクル達に思い知らせる。
「あなたたちは、私を知ろうとしない。
ただ、あなたたちの救いたい私を、救おうとしてるだけ」
首元に手を当てた少女。その行動が指すところを知ったオラクルが、一気に動いてその動きを止めようとする。
だが、能わず。ただ一人、アデルが最後に投げかけた言葉だけが。
「……だが、彼らはお前に生きて欲しかった」
「それは、死ぬことを否定することでしかできなかったの?」
刺し貫かれた爪が、鮮血を地にまき散らした。
●
『望みがきっと他にあるはず』などと、誰が思い込んだことだろうか。
少女は望んでいた。オラクル達はそれを拒んだ。
ただそれだけで、お互いは決定的に分かり合うことがなくなってしまった。
「……なら、どうすればよかったの」
誰ともなく呟いたエルに、ザルクはしかし律義に返答した。
「殺せば良かった……違うな、殺すことを誓えばよかったんだ」
それが、今すぐのものでなくとも。その言葉にシノピリカは苦渋の表情を浮かべる。
「救ってほしかったのでもなければ、与えてほしかったのでもない。
彼女は、理解してほしかっただけと言うことか」
考えれば道理だ。仲の良い人間がいたという情報もなかった彼女は、物心ついてから今まで、ずっと孤独だったのだ。
自らを売った主に、憐みの眼差し一つしか望まなかったほどに。
「それがよりにもよって死を叶えるという形じゃなければ……な」
「あの子が言った通り、短い生涯を糧に悩みぬいて出した結論じゃ。そこにすり寄るべきは、くー達であったかも知れんのう」
ボルカスの無念に、フィオレットは摘んできた森の野花を少女の亡骸に落とす。
首元を朱に染めたその体は、しかしそこを除けば存外に奇麗だった。それでも僅かに残った汚れは、アデルが可能な限り拭っていく。
ツボミは未だ目覚めぬアンネリーザに癒術を施しつつ、あの時の少女の表情を思い返した。
否定も肯定もなく、唯事実を伝えた時の、気の抜けた表情。ただ一度だけ垣間見た剥き出しの心に、あれ以上触れることができなかったことに微かな痛みを覚えつつも、せめて後悔だけはしまいと彼女は口をつぐむ。
日は少しだけ傾いて、その色を橙に変えようと西へ西へ駆けていく。
木々の間を縫って零れた光は、少女の目元に涙滴のような形を映していた。