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猪突猛進、老婆疾走




 八十年近い人生の中、メローサはこれほど命懸けで走った事は無かった。
 旧シャンバラ領、北の国境付近にある小さな村で、足腰もしゃんとした「歳を取るならああなりたいランキング」で村ナンバー1の健康婆さんと知られる彼女が、余裕を持って美しくを心がけるメローサが、こんなよく晴れた昼間っからなぜ形振り構わず命懸けで走るのか。
 理由は簡単だ。
 獣に追われているからである。
 
「ひぃぃぃぃ!」

 呼吸が乱れる。声など出さない方が良い。ランニングの基本は鼻で吸って口で吐く。吸って吸って、吐いて吐いて。理屈ではそう分かっていても、喉から勝手に悲鳴が漏れる。誰だってそうなるだろう、追ってくる相手はその背までの高さだけで村一番のノッポになった倅の頭を越えそうな大猪だ。にめーとるくらい? などと浮かびかけた言葉は頭の中でまとまる前に、自分の悲鳴と混乱でかき消える。
 だが、息子のことを考えたからか、メローサはふと思った。
 自分の様な老人が未だ追い付かれていないのだから、もしかしたら相手は全力で走ってはいないのかもしれない、と。
 最初に目が合い息を呑みながら後退りしたときに見た、子供と思しき猪たち。あれとはぐれぬよう、速度を控えているのかもしれない。
 だがそれは、つまり引き離す事も逃げ切る事もおそらく無理だと言う事だ。
『ブモォッ!』
 威嚇、あるいは鼻息だろうか。野太い音が響いた。
 距離が近い。
 絶望は直ぐ後ろに付いて来ている。
 それでも、足を緩める事は出来ない。
 どれだけ希望が無かろうとも、だからと言って諦めて死を受け入れる事はできなかった。今までどれだけ長生きしようが、惨めな形で死ぬのは嫌だ。余裕を持って美しく、できれば孫とかひ孫とかに囲まれて悼まれつつも眠るように息を引き取りたい。
 こんなところで死んでたまるか。
 だから、走れ。走れメローサ。


「イブリース化はしていない、単に獰猛で凶暴な性質の幻想種だ」
 集まった自由騎士達を見回して、『長』クラウス・フォン・プラテス(nCL3000003) はそう告げる。
「エリュマントスと呼ばれている大猪の幻想種で、本来はもっと寒い高山に住む種なのだが……何らかの理由で人里近くに降りて来ていたところで、この老婆に遭遇してしまう」
 これの退治をお願いしたい。
 そう言ったクラウスに、殺すしかないのかと問う声が聞こえた。
「そう簡単に人と共存できる類の幻想種ではない。
 他に打つ手がないとは言わないが、正直それが一番無難だろう」
 凶暴な幻想種たちを殺さずに無力化する――それだけならば。アクアディーネの加護があれば可能だろう。
 だが彼らを人里から引き離し、もう戻って来ない様にする事が難しい。
「少なくとも、諸君らが介入せねばメローサ女史はこのまま追われ続けることになる」
 なるほど、老婆がこの幻想種に殺されぬよう守れば良いのかと呟いた自由騎士に、老紳士はモノクルを弄りながら少し複雑な顔をした。
「いや、彼女は村まで逃げきることができる。
 だがその結果、幻想種が村を襲うことになる……甚大な被害が出ることになるだろう」
 驚きとも呆れともつかぬ空気が場を支配した。
 死から逃れようとする生き物の、底力と言うのは凄まじい。
 だが、それがばかりに被害が更に大きくなるのでは救われない。それに、被害を被りそうな村は農村だ。豊饒祭たるウィート・バーリィ・ライに使われる予定の作物も数多あるというのに食い荒らされるのも、端的に言えば、困る。
「今から向かえば彼女が追われ始めた途中、山中の少し開けた広場にて待ち受ける事が出来る」
 老婆は素通りさせ、猪達に立ち塞がる。
 それだけでも、村の被害を防ぐことはできるはずだ。
「後は君たちの采配に任せる。宜しく頼むぞ」
 クラウスの言葉を受け、自由騎士達は出立の準備を始めた。


†シナリオ詳細†
シナリオタイプ
通常シナリオ
シナリオカテゴリー
魔物討伐
担当ST
ももんが
■成功条件
1.エリュマントスを村に到達させない
2.メローサ含む村人から被害者を出さない
3.村の農作物に被害を出さない
ももんがです。
年賀状の話をされて、まだ早くないかと思いながら、そういや今年はなんだったかなと。

●敵情報
・エリュマントス
(文字数キツければ猪で構いません)
寒い高山に住む大猪の幻想種。頑丈。
冷気に強く熱に弱い傾向があるほかは、攻撃特化型。
獰猛な分知性は低く罠にもかかりやすいが、今回は時間がないことを考慮されたし。

攻撃方法
 突き上げ:物近範:巨体を生かした突き上げ。【ノックB】
 突撃:物近単:凄まじい貫通力の、強力な突進。[貫:80%,60%]【スクラッチ3】

 激憤:自P:仔猪が1体倒れると有効化される。
       攻撃+50% 会心+20% FB+20 持続無制限
 悲憤:自P:仔猪が2体とも倒れると有効化される。
       攻撃+100% 会心+60% FB+40 持続無制限


・仔エリュマントス(×2)
(文字数キツければ仔猪で構いません)
普通の猪程度の大きさ。耐久力は親に比べると大幅に低い。代わりに素早く、高い命中力を誇る。……小回りが利くとも言う。
エリュマントス同様熱に弱いが、未熟な間は魔力の冷気を纏っている。
「あれだ、子犬の牙は成犬より鋭い、みたいなヤツ」(ご近所の幻想種研究家の言)

攻撃方法
 突き上げ:物近単:牙による素早い突き上げ。【二連・ノックB】
 氷雪突撃:物近単:冷気を纏った突進。[貫:50%,20%]【フリーズ3】
状態
完了
報酬マテリア
6個  2個  2個  2個
5モル 
参加費
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
参加人数
4/6
公開日
2019年11月10日

†メイン参加者 4人†




 一歩でも立ち止まれば死ぬのだと、彼女は理解していた。
 極限まで研ぎ澄まされた生への執着、野生とでも呼ぶべき感覚は、背後の気配が飢餓を帯びていると察知していた。だがそんなこと、すぐに忘れた。生か死かを争うこのDeadline、それを問うにはこの状況はあまりにも今更だったから。
 ただ走る。息をするように走る。呼吸をするときに内腑の動きを意識しない、それと同じように走る。脚の感覚は既になく、ただずんずんと地に叩きつける衝撃が体から頭を貫き、その感覚すら当たり前のこととしてやがて薄れた。ただ早く、速く、迅く。走り続けるメローサの意識は体よりも前にあって、体はそれを追い続ける。そんな錯覚さえ、今の彼女の中では真実だった。
 風のごとく、否、風よりも早く。走り続けろ。走る限りは生き続けられる。
 己の体、そして速度への、信仰にも似た信頼はメローサの中でひとつのかたちを結びはじめていた。
 ――我走る、故に我あり。
 生の、星空の、すべての答えがそこにあるのだとかどうとか益体もないことを思った瞬間に人の姿が視界に入った。
「だずげでえ゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛!!!!!」
 限界の境地でチラ見したような気がする悟りかなにかを即座に投げ捨て、老婆は全力で叫んだ。


「素晴らしい体力をお持ちですね……いえ、感心している場合ではありませんね」
「人も村も守るのが自由騎士の役割なんだぞ!」
 最初にそれとわかったのは、修道服を着た二人の姿だった。近年の教義や信仰の対象がどうのといった話の詳しいところは老婆にはよくわからないことも多いのだが、修道服なのはさすがにわかる。それと同時に、あ、これもしかしていわゆるひとつのお迎えだったりしたのかなーなんてこともメローサの脳裏を過ぎったが、すぐにそうではないとわかった。お迎えなら、何やら戦意を伺わせるような呼吸を整えていたりはしないだろうし、背後の獣たちがメローサに向けるそれにも似た食欲的ななにかを、それこそ獣に向けていたりはしないだろう。
 何より、他にも人の姿があった。
「ここはカノン達が食い止めるから早く逃げて!」
 異郷のものと思しき服の子供が、老婆へと声をかける。その言葉に、走り始めてから初めて、わずかながらもメローサは躊躇した。助けはこの上なくありがたい。だが見た目は年端もいかぬ子供だ。その子より何倍も長く生きてきたはずの己が命を惜しむことを、初めて、浅ましいと思ったのだ。
 ここで、神職や子供の命を無碍に散らすより――この老婆の身ひとつを荒ぶる幻想種に捧げ、若人が逃げ延びる端緒となるほうが、余裕を持った美しい振る舞いに見えるのではないだろうか?
 しかし悩むよりも早く脚が動いている彼女の目に、小銃を構え、迫る魔獣達を睥睨するケモノビトが映った。性別も含め瞬時に詳しいことを見抜けるほどの慧眼など持ち得ぬ老婆には、少なくとも見た感じ大変大柄で、頼り甲斐がある様に見える。熊だし。
「後はああぁぁ、任せたああぁ、ぞおおおおぉぉぉぉーーーー(ドップラー効果)」
 晴れやかな貌を浮かべたメローサは心置きなく自由騎士たちとすれ違い、遺憾なくそのまま走り抜けた。


 狩りを教えなければならなかった。
 飢えた仔がこの先、生きていく術。それを教えるために、手頃な獲物を見つけた。
 確実な狩りの方法の一つとして、追い回すという手もあるのだと実践していた母エリュマントスの、その耳に、愛する仔らの悲鳴が届いた。
「ピギッ!」
 最初に聞こえたのは息子の高い悲鳴。
「ギュッ!?」
 そして娘の唸る声。


「ピギッ!」
 己の突撃を、固い覆いに包まれた拳でもって迎えた目前の少女。仔エリュマントスは自分自身の幼さを脇に置いて、小さき者の拳に何ら警戒などしていなかった。だがその一撃は命中した個所に留まらず、その身の内腑の奥にまで激痛と重みを運ぶ。震撃。『太陽の笑顔』カノン・イスルギ(CL3000025)が培い積み上げた武術の業を、幼い幻想種が知らぬのは当然の事でもあった。
「ギュッ!?」
 そしてもう一方の仔猪を撃ち抜いたのはウェルス ライヒトゥーム(CL3000033)の狙撃。メローサ嬢――媼、と呼びたいところだがあの老婆なら嬢と呼ばれても嫌がるまい――の期待は正しく、その体躯で持って子供とは言え並の猪ほどある仔エリュマントスの突撃を抑え込んだ彼は、至近距離から愛銃の一撃をお見舞いしたのだ。躊躇なく急所を狙うその狙いは、正確無比。
「ブウァッ!?」
 エリュマントスは、仔等の悲鳴に動揺する。助けに行きたい、だが己もまた大きな十字を構えた雌の獣にその道を塞がれていた。危険だと本能が警告する。これを排除せねばならぬ、仔を生き延びさせるためには他に手はないと。故に、エリュマントスは全力の突撃を叩き込んだ。
 それが間違いだったのだ。
「スケルツォ――」
 その雌、『救済の聖女』アンジェリカ・フォン・ヴァレンタイン(CL3000505)は巨体の突撃に耐え、その場に踏みとどまるばかりか、その口から洩れたのは悲鳴ですらなかった。
 何故なら彼女は最初からその一撃を覚悟し、そして、待っていたからだ。
「――カプリチオーソ!!」
 幻想種との衝突、アンジェリカはそれによる苦痛を、銃爪だと認識をすり替える。打ち下ろされるのは撃鉄ではなく巨大な十字架。その一撃は、この幻想種たちの未来を暗雲へと引きずり落とす不幸の鉄槌だった。
 よろめきながらも、エリュマントスは自由騎士たちを睨めつける。
 何だこいつらは。
 何故倒れないのだ。
 木の葉のように、枯れ木のように、いつものように、吹き飛ばすはずが!
 ――どうして。
「メローサのおばあさんは走って逃げきれるという予測は出ているんだぞ。
 だからエリュマントスをどうにかできれば村も作物もばんばんざいだぞ!」
 それまでずっと高山の奥地に住まい、人と接する機会の無かったエリュマントス達には分かるはずがなかった。背後で声援を送っているだけに見える少女、子供向けの聖書を手に持つ『教会の勇者!』サシャ・プニコフ(CL3000122)が編み上げた守護の術式が、猪の力任せの猛威から自由騎士達を守っている事など。


「メローサ嬢を襲った経緯は分からないが……」
 戦場(いくさば)に似合わぬほど静かに呟くと、ウェルスは蒸気式狙撃銃を握り直す。
「狂暴だっていうなら流石に分かり合えはしないからな」
 発砲。
 戦場全体を俯瞰的に把握する彼の放つ銃弾は、一撃一撃が着実に仔猪の命を削る。
(殺さずに追い返すだけで済めばよかったんだけど……)
 本音を心の中のみに抑えたカノンも、鏖殺の覚悟を持って拳を振るい続ける。
 元は寒い山に住んでいたという彼らが、何故、農村近くまで下りてきたのか。原因を突き止め、改善できれば山に返すこともできるかもしれない。だが。
(そんな時間もないし原因を改善できる保証もない。辛いけど……)
 予測される被害の大きさを思えば、自由騎士として引く訳にはいかないのだ。
「こちらを向きなさい!」
 初撃の恐怖が強すぎたのか、あるいはこどもたちを心配する親心ゆえか。親猪の注意を己に集めようとするアンジェリカの動き、それ自体はあまり効果があったとは言えない。だがそれは最も凶暴かつ強力な存在の武威、エリュマントスの警戒が、排除すべき敵への戦意と守るべき者達への配慮で千々になるという結果をもたらした。
 事実、水鏡が告げた周囲全てを吹き飛ばす突き上げを、その大きなエリュマントスは一度も放っていない。ひどく入り乱れたこの状況でそれを放てば己の仔らも諸共に巻き込まれるからだ。無論、それは反撃をしてこない、という意味ではない。親子そろった突撃はそれなり以上の威力を持って自由騎士達を傷つけ、時に凍り付かせる。
「支援するんだぞ!」
 だがサシャの癒しが、自由騎士たちの被害が深刻になる前に抑えていく。それぞれの突撃、その余波を何度も受けている彼女にしても、余波だけでその動きを止められるほど軟ではない。
 少数ではあった。だが精鋭でもあった。
 自由騎士たちの連携は、野生の親子の連携を上回っていた。
 それがすべてだ。


「……ギ……」
「グウ……ゥ」
 先に、と。狙われ続けた二匹の仔猪が倒れるのに、そう時間はかからなかった。それぞれが、最期にわずかに顔を上げ、見たのは成獣の顔。やがて幼獣の体に纏わりついていた冷気が霧散していくのを、自由騎士は、そしてエリュマントスは確かに見た。

「ブォァァァァァ!!!!!!」

 それは悲嘆。
 それは拒絶。
 それは憤怒。
 ないまぜになった音はただ、絶叫という単語が似つかわしかった。
 この巨大な母が最も厭ったもの、それは愛し子の危機であり、死であった。
 だというのに。
 この母獣はそれらに、何ら太刀打ちできなかった。
 仔らが斃れるのを前に、何もしてやることができなかった。
 何も。
 何も。
 何も!
 巨猪は今一度、山全体を揺るがす様な叫びを上げた。
 そしてその頭を、牙を、地を深々と掘り刻むほどに下げ、渾身の力で振り上げる。
 それは怒りと嘆き。護るべきものを護れなかった悲憤。己への、そして敵への怨念を込めた突き上げは、自由騎士達を一様に吹き飛ばす。
 一歩離れていたサシャ、それを除いた全員を、この一撃で屠る――少なくともエリュマントスは、怒り狂った頭のどこかでそう考えていた。そのはずだった。
 なのに――何故、立ち上がるのだ。
「怒るのは当たり前だよね。だけどカノン達も負けられないんだ」
 聞こえた響きは冷静で、エリュマントスは、己に勝ち目がないことを悟る。だがそれでも沸騰した頭が冷める通りは無い。思えばあの恐ろしい初撃を放った雌こそが諸悪の根源ではないか。エリュマントスはアンジェリカを睨む。今この場で逃げを打てば、山の奥へと急いで引き返せば、この幻想種はもしかしたら生きられたのかもしれない。だが生存を求める本能は、仔を喪った怒り、そして膨大な後悔の波に押し流されてしまっていた。
 憤りを込めて振るわれた牙は当たらず、自由騎士を掠めもしない。脚が絡まり無様に転ぶ。幻想種がどれだけもがいても、まともな反撃には繋がりそうにない。
 今やエリュマントスはただ、仇を取ろうとするばかりだった。
 失ったことへの嘆き、自責、怒り。そのすべてが、彼女の判断を鈍らせた。
 ――敢えて言えば。
 このエリュマントスには、メローサのような、己の生への執着がなかったのだろう。もしくは今、それさえも失ったというべきか。
 巨体をただ無闇と振り回すばかりのエリュマントスは、滑稽なまでに無力であった。一矢報いる事もできぬまま、銃弾と拳と信仰の鉄塊によってその生命を砕かれて行く。
「せめて、カノンの最高の一撃をお見舞いするよ。
 自分はこんな凄い人間達に負けたんだって納得できるよーに」
 その声には優しさがあった。まだ幼く、しかし故にこそ純粋な厚意が籠っていた。
 されど狂った獣には理解できない。獣は既に、ここにいる自由騎士の誰のことも見えていない。もう動かない仔らの遺骸の他、何に目を留めることもない。振るった牙はまた、仇でもなんでもない岩肌を抉る。
 いっそ哀れでさえある様を晒すエリュマントスには、過ぎた慈悲かもしれないが。
「──神音──!」
 エリュマントスはその身の内に、葬送の鐘音に似たものを感じた。だが山に暮らしていた獣にそれが何かを知る術はなく、ただ母獣は耳に届いた轟音がどこから聞こえたのかを知るより先に絶命した。


「せめて次は平穏な日々を過ごせるように……無事新たな命に生まれ変わるように」
 幼いエリュマントスたちを急ごしらえで作った穴に横たえ、アンジェリカは簡素な埋葬を済ませ祈りを捧げる。親の方はさすがに大きく、これだけの大きさを埋める穴を掘るには少し時間がかかりすぎるからと、妥協案的に仔猪のものだけを作った。
 親の方といえば立った状態でウェルスの頭ほどの位置に背があったのだから、その頭から尻尾までの全長たるや、かなりのものである。
「この幻想種は食えるんだろうか?」
 どう扱ったものかと首を傾げたウェルスが呟いたところ、サシャが少しだけ考え込んでから声を上げた。
「……サシャは知ってるぞ。食べていい時、食べていけない時。
 食べていいと言われてない時は食べずに我慢するんだぞ」
 確かに、変な毒を持っていないとも限らない。サシャのまっとうな指摘を受けてウェルスは顎に手を当てて少し考える。だがこれだけの肉、脂、そして毛皮。毒などのおそれがないのなら、冬をこえる支度にはとても適切なものに見える。今血抜きなどをやらなければ傷むだろうことも踏まえれば、メローサが逃げたという村に持ち込んで、調べてみるのも良いかもしれない。
「皮を大きめに切り出して……肉はいくつかに小分けして……」
 何やらぶつぶつ言い出したウェルスに、カノンが「あ」と声を上げた。
「村へお婆さんの様子を確認に行きたいのと、あとこの山の様子も調べたいんだよ」
「ああ、俺も気になってたんだ」
 このエリュマントスたちが母子だというのなら――この幻想種が、他の数多の獣の例に従うというのなら、母のつがいになる雄がいるはずなのだ。
「ですが……この鉱山地帯近くに国境がありましたね。
 あまり深入りはしない方が良いのではないでしょうか?」
 頭の中に地図を思い浮かべたアンジェリカに、ウェルスはひとつ頷いた。
「流石に連戦は厳しいな。見てくるだけにする」
 言い出したカノンとウェルスが山を見回ることにし、サシャとアンジェリカのシスターふたりが村の様子を確認しに行くことになった。
「おにくが食べても良さそうだったら、わけてもらえると嬉しいんだぞ!」
「猪であれば……ラグーにすればパスタに、」
「うん?」
「いえ、なんでもありません」

 駆け抜けた老婆と幻想種の足跡を来し方へたどり続けてしばらく山を行くと、やがてある程度登りきったためか、視界がひらけた場所に出た。
 異変は、すぐに見つかった。否、見えた、というべきか。
 山底の深い谷の中、あまりにも大きな猪が倒れていた。
 本当にただの猪であれば胡麻粒程度にしか見えないだろう距離だが、はっきりとあれはエリュマントスだと判別できる程度の巨体が横たわっている。それはもう傍目に動きそうになく、屍肉を食らう類の獣が様子を伺っているらしき様も見える。
 遠近感が狂いそうなほどに大きな体のエリュマントスと、先程まで交戦していた幻想種の関係を断定することはできないが、まったくの無関係ということもあるまい。
 だが――その遺骸のある場所は、先刻指摘されたとおり、国境を越えた先、であるように見える。だが幸いにもそこに見えるものが動くことはない。今すぐ確かめに行くほど、急を要するものでもないだろう。
 ひとつだけ確信を持って言えることは、このあたりで、大猪のような幻想種が少なくとも親子単位で生息していた、ということだけだ。
 どうしてエリュマントスたちが山を降りようとしていたのか、その理由の詳細までは今の所、わかりそうにもない。そのことと村の無事、そして筋肉痛に寝込むメローサの健在を確かめて、自由騎士たちは帰路についた。

〈了〉

†シナリオ結果†

成功

†詳細†

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