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炎の慟哭

●
神に、裏切られた。
そう思ってしまうのは、我々人間の身勝手さ、なのであろうか。
裏切るような神を、己の意思で崇め奉っていたのは、確かに我らヘルメリア人である。
このような事をする神に、我々は信仰を捧げていたのだ。
信仰を捧げていた人々が今、機械と一緒くたの残骸と化している。
死体ではなく、残骸と呼ぶにふさわしい有り様だ。人体の残骸であり、機械の残骸でもある。
キジンではない、生身の人々が、様々な蒸気機器類と融合したまま息絶えているのだ。腐敗しかけた皮膚や筋肉が、錆びた金属と同化している。苦悶の表情のまま硬直した顔面が半ば破裂し、頭蓋骨から巨大な歯車が迫り出している。
原野に掘られた巨大な穴の中で、人々はそんな死に様を晒していた。
「これが……神の御業、か……」
兵士たちによる埋葬作業を監督しながら、私は呟いていた。
赤ん坊もいる。
巨大な蒸気機関の残骸と融合し、その小さな身体は半ば金属化していて腐敗があまり進んでいない。無論、生きているわけはなかった。
今にして思う。
この貧しいヘルメリアが一大強国たり得たのは、チャールズ・バベッジという偉大なる個人の存在あってこそ。加護をもたらしてくれた神など、いなかったのだ。
あのヘルメスという怪物は、偉大なる蒸気王を利用し、おぞましい企てを進めていただけだ。
神の直属たるオラクルたちならば、神の思し召しに疑いを抱く事などないのであろう。
だが私はオラクルではない、一介の部隊長である。軍人として、ヘルメスではなくチャールズ陛下にのみ仕えてきた。
だからか、思ってしまう。
(実存の神々とは、すなわち怪物に他ならないのではないか……)
結果としてヘルメリアという国家を滅ぼした、イ・ラプセルの自由騎士団が、ヘルメスによる人機融合の災いを止めてくれた。融合してしまった民を救うため、出来る限りの事をしてくれてもいる。
それでも、全ての犠牲者を救えるわけはなかった。
救われなかった者たちは、こうして葬るしかない。
私は振り向いた。
大柄な人影が、後方から歩み寄って来たところである。
「屍臭が、漂っている……」
笠状の被り物の下で、その男は言った。
「お前たちが殺戮を行ったのであれば、許せぬ」
巨漢であった。ゆったりとした法衣の上からでも、隆々たる筋肉の形が見て取れる。力強い手で、鋼の杖を軽々と携えている。
止めようとする兵士たちを片手で制しながら、私は言った。
「我らによる殺戮であるかどうか、見て確かめるが良い」
鋼の杖の一振りで、兵士たちの頭蓋は綺麗に砕け散るであろう。
それをせず、巨漢は私の隣に来て大穴を覗き込んだ。
笠の下で、息を呑んだようだ。
「ヘルメスの仕業か……」
「神を信じた者の末路、という事になってしまうのかな」
「弔いをしているところ、だったのだな」
巨漢が、笠を脱いだ。
「……すまぬ、申し訳ない」
「いや……我々が結局、ヘルメスという悪しきものの正体を見抜けなかったのだ」
人間、ではなかった。オニヒトか。否、幻想種であろう。
「トロール……か?」
「アイアンスカルという。我が部族の神に仕える、僧兵だ」
トロールたちの、心の中にのみ存在する神。
それが正しいのではないか、と私は思った。実存の神は、このような災いしかもたらさない。
アクアディーネは、信用出来るのか。
兵士の1人が、大穴に火を投じた。油は、すでに撒いてある。
「個々に、丁寧に、弔ってやりたい……のは山々なのだが」
言っても仕方のない事を、私は言った。
大穴の中が、火の海と化している。鉄屑と融合した屍たちが、火葬されてゆく。
アイアンスカルが言った。
「……我らの神に、祈りを捧げる事は許されるだろうか」
「やってくれ。存在しない神に、祈る……それこそが、信仰の在り方という気がする」
実存の神に何かをさせたら、このような事にしかならないのではないか、と私は思った。
アイアンスカルが、分厚い片掌を立てながら、恐らく人間では発音出来ないのであろう祈りの言葉を唱えている。
奇妙なものが、それに混ざった。大穴の中から……火の海の中から、聞こえて来る。
赤ん坊の、泣き声であった。
「馬鹿な……」
半ば金属と化した、あの赤ん坊が、生きているはずはなかった。それとも我々は、助かるかも知れない赤ん坊を焼き殺そうとしているのか。
アイアンスカルが巨体を跳躍させ、躊躇いもなく火の海に飛び込んで行った。
待て、と言う暇もなかった。
巨大なものが、凄まじい勢いで、大穴から這い出して来たのである。
機械の残骸が、人体の残骸が、炎に包まれたまま一体化を遂げていた。
●
腐肉と鉄屑の融合したものたちが、激しく熱を持ったまま、アイアンスカルの巨体を全方向から圧迫する。
蒸し焼きにも等しい状態でアイアンスカルは今、巨大なイブリース……還リビトの体内にいた。
赤ん坊が、泣いている。半ば金属化した、赤児の屍。
この巨大なイブリースを組成する無数の死者たちを代表して、この赤ん坊は泣いているのだ。
「憎いか……憎いのだな、実存の神々が……」
ひたすらに泣き叫ぶ赤ん坊の屍を、アイアンスカルは抱き締めた。
「許せぬ……か。ヘルメス、のみならずミトラースを、アクアディーネを、他の神々を……神の、蠱毒を……」
振動が、伝わって来る。
この巨大な還リビトが、動いているのだ。どこかへ、行こうとしているのだ。
「実存の神々が、お前たちを踏みにじりながら支配する……この世界そのものが、許せんのだな。だから、滅ぼしに向かうのだな……」
自分は死ぬ、とアイアンスカルは思った。人間であれば、とうの昔に死んでいる。
熱が、圧力が、全方向から押し寄せて来る。呼吸も限界だ。
それでもアイアンスカルは、赤ん坊を抱き締めたまま叫んだ。
「……させぬ! そのような世界を、懸命に守ろうとする者たちがいるのだ。神々はともかく……その者たちは、信じられる……」
死せる赤児に、通じる言葉ではない。
それでもアイアンスカルは語りかけ、微笑みかけた。
「お前たちは、私が連れて行く……共に、ゆこう……我らが神は、お前たちをも受け入れてくれる……」
剛腕の抱擁の中で、死せる赤ん坊は泣き続けた。
●
それは、大量の鉄屑と腐肉で組成された、巨大な赤ん坊であった。
機械の残骸と人の屍で出来た巨体が、炎に包まれている。だが、燃え尽きて焦げ崩れるという事はなさそうであった。
無限に続く火葬の最中にある、巨大な赤ん坊が、四つん這いで地響きを立てる。
近隣の町や村を、その燃え盛る巨体で押し潰し焼き尽くさんとしているのだ。
だが、進まない。
まるで、さらに巨大な見えざる何者かに抱き締められているかの如く、赤ん坊は動きを止めていた。
どこへも行けぬまま、赤ん坊は暴れた。燃え盛る巨体を仰向けに投げ出し、短い手足でじたばたと大地を叩く。遠巻きにしている兵士たちが、ことごとく転倒する。
町中であれば火災が起こりかねないほど大量の火の粉を撒き散らしながら、巨大な赤ん坊は泣き叫び続けた。
神に、裏切られた。
そう思ってしまうのは、我々人間の身勝手さ、なのであろうか。
裏切るような神を、己の意思で崇め奉っていたのは、確かに我らヘルメリア人である。
このような事をする神に、我々は信仰を捧げていたのだ。
信仰を捧げていた人々が今、機械と一緒くたの残骸と化している。
死体ではなく、残骸と呼ぶにふさわしい有り様だ。人体の残骸であり、機械の残骸でもある。
キジンではない、生身の人々が、様々な蒸気機器類と融合したまま息絶えているのだ。腐敗しかけた皮膚や筋肉が、錆びた金属と同化している。苦悶の表情のまま硬直した顔面が半ば破裂し、頭蓋骨から巨大な歯車が迫り出している。
原野に掘られた巨大な穴の中で、人々はそんな死に様を晒していた。
「これが……神の御業、か……」
兵士たちによる埋葬作業を監督しながら、私は呟いていた。
赤ん坊もいる。
巨大な蒸気機関の残骸と融合し、その小さな身体は半ば金属化していて腐敗があまり進んでいない。無論、生きているわけはなかった。
今にして思う。
この貧しいヘルメリアが一大強国たり得たのは、チャールズ・バベッジという偉大なる個人の存在あってこそ。加護をもたらしてくれた神など、いなかったのだ。
あのヘルメスという怪物は、偉大なる蒸気王を利用し、おぞましい企てを進めていただけだ。
神の直属たるオラクルたちならば、神の思し召しに疑いを抱く事などないのであろう。
だが私はオラクルではない、一介の部隊長である。軍人として、ヘルメスではなくチャールズ陛下にのみ仕えてきた。
だからか、思ってしまう。
(実存の神々とは、すなわち怪物に他ならないのではないか……)
結果としてヘルメリアという国家を滅ぼした、イ・ラプセルの自由騎士団が、ヘルメスによる人機融合の災いを止めてくれた。融合してしまった民を救うため、出来る限りの事をしてくれてもいる。
それでも、全ての犠牲者を救えるわけはなかった。
救われなかった者たちは、こうして葬るしかない。
私は振り向いた。
大柄な人影が、後方から歩み寄って来たところである。
「屍臭が、漂っている……」
笠状の被り物の下で、その男は言った。
「お前たちが殺戮を行ったのであれば、許せぬ」
巨漢であった。ゆったりとした法衣の上からでも、隆々たる筋肉の形が見て取れる。力強い手で、鋼の杖を軽々と携えている。
止めようとする兵士たちを片手で制しながら、私は言った。
「我らによる殺戮であるかどうか、見て確かめるが良い」
鋼の杖の一振りで、兵士たちの頭蓋は綺麗に砕け散るであろう。
それをせず、巨漢は私の隣に来て大穴を覗き込んだ。
笠の下で、息を呑んだようだ。
「ヘルメスの仕業か……」
「神を信じた者の末路、という事になってしまうのかな」
「弔いをしているところ、だったのだな」
巨漢が、笠を脱いだ。
「……すまぬ、申し訳ない」
「いや……我々が結局、ヘルメスという悪しきものの正体を見抜けなかったのだ」
人間、ではなかった。オニヒトか。否、幻想種であろう。
「トロール……か?」
「アイアンスカルという。我が部族の神に仕える、僧兵だ」
トロールたちの、心の中にのみ存在する神。
それが正しいのではないか、と私は思った。実存の神は、このような災いしかもたらさない。
アクアディーネは、信用出来るのか。
兵士の1人が、大穴に火を投じた。油は、すでに撒いてある。
「個々に、丁寧に、弔ってやりたい……のは山々なのだが」
言っても仕方のない事を、私は言った。
大穴の中が、火の海と化している。鉄屑と融合した屍たちが、火葬されてゆく。
アイアンスカルが言った。
「……我らの神に、祈りを捧げる事は許されるだろうか」
「やってくれ。存在しない神に、祈る……それこそが、信仰の在り方という気がする」
実存の神に何かをさせたら、このような事にしかならないのではないか、と私は思った。
アイアンスカルが、分厚い片掌を立てながら、恐らく人間では発音出来ないのであろう祈りの言葉を唱えている。
奇妙なものが、それに混ざった。大穴の中から……火の海の中から、聞こえて来る。
赤ん坊の、泣き声であった。
「馬鹿な……」
半ば金属と化した、あの赤ん坊が、生きているはずはなかった。それとも我々は、助かるかも知れない赤ん坊を焼き殺そうとしているのか。
アイアンスカルが巨体を跳躍させ、躊躇いもなく火の海に飛び込んで行った。
待て、と言う暇もなかった。
巨大なものが、凄まじい勢いで、大穴から這い出して来たのである。
機械の残骸が、人体の残骸が、炎に包まれたまま一体化を遂げていた。
●
腐肉と鉄屑の融合したものたちが、激しく熱を持ったまま、アイアンスカルの巨体を全方向から圧迫する。
蒸し焼きにも等しい状態でアイアンスカルは今、巨大なイブリース……還リビトの体内にいた。
赤ん坊が、泣いている。半ば金属化した、赤児の屍。
この巨大なイブリースを組成する無数の死者たちを代表して、この赤ん坊は泣いているのだ。
「憎いか……憎いのだな、実存の神々が……」
ひたすらに泣き叫ぶ赤ん坊の屍を、アイアンスカルは抱き締めた。
「許せぬ……か。ヘルメス、のみならずミトラースを、アクアディーネを、他の神々を……神の、蠱毒を……」
振動が、伝わって来る。
この巨大な還リビトが、動いているのだ。どこかへ、行こうとしているのだ。
「実存の神々が、お前たちを踏みにじりながら支配する……この世界そのものが、許せんのだな。だから、滅ぼしに向かうのだな……」
自分は死ぬ、とアイアンスカルは思った。人間であれば、とうの昔に死んでいる。
熱が、圧力が、全方向から押し寄せて来る。呼吸も限界だ。
それでもアイアンスカルは、赤ん坊を抱き締めたまま叫んだ。
「……させぬ! そのような世界を、懸命に守ろうとする者たちがいるのだ。神々はともかく……その者たちは、信じられる……」
死せる赤児に、通じる言葉ではない。
それでもアイアンスカルは語りかけ、微笑みかけた。
「お前たちは、私が連れて行く……共に、ゆこう……我らが神は、お前たちをも受け入れてくれる……」
剛腕の抱擁の中で、死せる赤ん坊は泣き続けた。
●
それは、大量の鉄屑と腐肉で組成された、巨大な赤ん坊であった。
機械の残骸と人の屍で出来た巨体が、炎に包まれている。だが、燃え尽きて焦げ崩れるという事はなさそうであった。
無限に続く火葬の最中にある、巨大な赤ん坊が、四つん這いで地響きを立てる。
近隣の町や村を、その燃え盛る巨体で押し潰し焼き尽くさんとしているのだ。
だが、進まない。
まるで、さらに巨大な見えざる何者かに抱き締められているかの如く、赤ん坊は動きを止めていた。
どこへも行けぬまま、赤ん坊は暴れた。燃え盛る巨体を仰向けに投げ出し、短い手足でじたばたと大地を叩く。遠巻きにしている兵士たちが、ことごとく転倒する。
町中であれば火災が起こりかねないほど大量の火の粉を撒き散らしながら、巨大な赤ん坊は泣き叫び続けた。
†シナリオ詳細†
■成功条件
1.還リビト(1体)の撃破
お世話になっております。ST小湊拓也です。
旧ヘルメリア領内。ヘルメスによる人機融合で亡くなった人々の屍が巨大な還リビトと化し、近隣の町村を破壊しようとしております。これを討滅して下さい。
還リビト(1体)の攻撃手段は、燃え盛る巨体を用いての白兵戦(攻近範、BSバーン2)、超局地的地震及び火炎散布(攻遠全、BSバーン1。ハイバランサーまたは飛行能力をお持ちの方に対してはダメージ半減)、火炎放射(魔遠、単BSバーン3または範BSバーン2または全BSバーン1)。
この還リビトは現在、体内に取り込まれた幻想種トロールの僧兵アイアンスカル(シリーズシナリオ『信仰と侵攻』にて初登場)によって動きを止められており、移動は不可能ですが、この場にとどまっての戦闘は可能です。
アイアンスカルは放置しておけば還リビトの体内で死亡しますが、これを倒せば救出は出来ます。ターン制限はありません。
場所は原野、時間帯は夕刻。ヘルメリア軍の部隊がいる事はいますが、この敵に対しては戦力外であります。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
旧ヘルメリア領内。ヘルメスによる人機融合で亡くなった人々の屍が巨大な還リビトと化し、近隣の町村を破壊しようとしております。これを討滅して下さい。
還リビト(1体)の攻撃手段は、燃え盛る巨体を用いての白兵戦(攻近範、BSバーン2)、超局地的地震及び火炎散布(攻遠全、BSバーン1。ハイバランサーまたは飛行能力をお持ちの方に対してはダメージ半減)、火炎放射(魔遠、単BSバーン3または範BSバーン2または全BSバーン1)。
この還リビトは現在、体内に取り込まれた幻想種トロールの僧兵アイアンスカル(シリーズシナリオ『信仰と侵攻』にて初登場)によって動きを止められており、移動は不可能ですが、この場にとどまっての戦闘は可能です。
アイアンスカルは放置しておけば還リビトの体内で死亡しますが、これを倒せば救出は出来ます。ターン制限はありません。
場所は原野、時間帯は夕刻。ヘルメリア軍の部隊がいる事はいますが、この敵に対しては戦力外であります。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬マテリア
7個
3個
3個
3個




参加費
100LP [予約時+50LP]
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
7日
参加人数
6/6
6/6
公開日
2020年08月15日
2020年08月15日
†メイン参加者 6人†
●
咆哮が、轟いた。
巨大な十字架を担いだまま跳躍した『機国解放者』アンジェリカ・フォン・ヴァレンタイン(CL3000505)が、空中で吼えている。
その身体が、ふっさりと伸びた尻尾で弧を描きながら車輪状に回転した。十字架が、還リビトの脳天に打ち下ろされる。
並のイブリースであれば、飛び散って跡形もなくなる一撃であった。
だが今回の相手は、動くだけで地響きの起こる巨大な怪物。
屑鉄と腐肉で組成された、赤ん坊である。その巨体は炎に包まれ、今はアンジェリカの一撃を受けて火の粉を散らせている。
ふわりと落下しながら、アンジェリカはさらなる攻撃を実行していた。
牝獣そのもののボディラインが、竜巻の如く捻転する。巨大な十字架が、金色の輝きを発しながら、いくつもの弧を描く。
速度と重量を兼ね備えた、打撃の弧。
それが5つ、巨大な赤ん坊の顔面を直撃していた。
6度目で、打撃が斬撃に変わった。黄金色の大型十字架から、閃光が走り出す。
十字架から抜き放たれた、聖剣の一閃であった。
人体及び機械の残骸で出来た赤ん坊が、血飛沫の如く火の粉を飛散させる。
アンジェリカは着地し、呟いた。
「以上、一連の攻撃……出来れば、ヘルメス神に喰らわせて差し上げたいところ」
「ヘルメスは死んじまったが、まあ気持ちはわかる」
癒しの魔導力を錬りながら『帰ってきた工作兵』ニコラス・モラル(CL3000453)は言った。まだ負傷者はいないが、この敵が相手であれば、すぐに誰かが重傷を負う。
「神様の、死に際の悪あがきってのはなあ。本当にタチが悪い……ま、それにしてもだ」
泣き喚く赤ん坊を、ニコラスは見上げた。
「でっかいねえ。おじさんの何倍あるんだか……本当、でかくて良かったよ。ここまで大きけりゃ、怪物だって思い込める」
「赤ちゃんの形を、しておりますものね……」
言葉と共に『機国解放者』フリオ・フルフラット(CL3000454)が、両腕両脚から蒸気を噴射する。
「炎に焼かれる赤ちゃん……痛まし過ぎるであります」
「……気のせい、でしょうか」
ロザベル・エヴァンス(CL3000685)が言った。
「この赤ちゃんを……たくましい腕で、しっかりと抱き締めている、大きな誰かの姿が見えるような……」
「……アイアンスカルだ」
ニコラスとは面識のないトロールの名を、『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)が口にした。
「存在しない神……否。己の心の中にだけ確かに存在する神の教えに従って、彼は行動している……」
「この、大きな赤ちゃんを……中から止めて下さってる僧兵さん、でありますね」
蒸気噴く巨大な鋼の拳を握りながらフリオはしかし、還リビトへの攻撃をいくらか躊躇っているようである。
「い、一体どこを攻撃すれば……傷付けずに救出する事が」
「……アイアンスカルなら、大丈夫」
小さな身体で、さらに低く身構えたまま、『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)が言った。
「あんなに頑丈なお兄さん、そうそういないよ。本気でぶん殴って、助け出す! それで大丈夫!」
獲物を狙う獣のように、カノンは跳躍していた。
愛らしくも鋭利な両手五指が、そのまま牙となり、還リビトの顔面に叩き込まれる。
「あの時みたいに! 本気でいくよっ、アイアン兄さん!」
激しい光が、赤ん坊の巨大な顔面を、いくらかは歪ませた。
獣王の咆哮、とも言うべき気の光の奔流。カノンの両手から、放たれ撃ち込まれていた。
大量の火の粉を飛散させながら、巨大な赤ん坊は泣き叫んでいる。
それは、しかしアンジェリカやカノンの攻撃で痛みを感じたから、ではないだろう。
この還リビトが、ずっと発し続けている、憎悪の慟哭。巨体を包むは憎悪の炎。
それが、ひときわ激しく燃え盛り膨張した。
紅蓮の荒波が、自由騎士団を襲う。
アンジェリカが、カノンが、フリオが、ロザベルが、灼き払われていた。
淡く白い光が4人の身体を包み込み、即座に火傷を癒してゆく。マグノリアが投げかけた、魔導医療の光であった。
「母親を、求めている……」
液体らしきものの入った錬金術容器を掲げたまま、マグノリアは呟いた。
「と……いうわけでは、ないのか。赤ん坊だからと言って」
液体の揺らぎに合わせて、雨が降った。癒しの力の雨。
灼き払われた4名が、マグノリアによる治療を得て、よろよろと立ち上がる。
特に足取りの頼りないロザベルを、ニコラスは支えた。支えられながら、ロザベルが言う。
「身寄りのない、もしくは家族類縁1人残らず人機融合してしまった人たちだけが、ここに埋葬される予定であったそうです」
「そうか……遺族がいれば、引き渡されているはずだものね」
燃え盛る巨大な赤ん坊を、マグノリアは見上げた。
「では……この還リビトの、中核となった赤ん坊は……母親、父親、もろともに」
「……そう、この馬鹿でかい赤さんの中にいる」
ニコラスは言った。
「親父も、おふくろさんもな、もう泣き喚いて暴れるしかない赤ん坊に変わっちまってやがるのさ」
「私も……」
ロザベルが、ニコラスの腕をやんわりと振りほどいた。
「1つ、何かが間違っていたら……ニコラスさんが、いなかったら……私も、この中に……」
「……俺なんかいなくたって、誰かがお前さんを助けていただろうさ」
このロザベル・エヴァンスという少女が、ロンディアナの人機融合災害から奇跡的に救出され、1人のキジンとして新しい道を歩み始めた、その過程においてニコラスが浅からず関わっているのは事実である。役割がたまたま自分に回ってきただけだ、とニコラス自身は思っている。
それよりも1つ、懸念がある。
「……お前さん、気負っちゃいないか?」
「この災い……私が止めなければ、と思うだけです」
ロザベルの細い機体から、蒸気が噴出した。
「離れて下さいニコラスさん、危険です」
「おい待て……」
炎と鉄の塊が、斜め上方からロザベルを襲った。
赤ん坊の、燃え盛る右手。這い這いの進行上にいる虫か何かを、叩き潰す動きである。
隕石にも似た、その襲撃に向かって、フリオが踏み込んでいた。
「怨嗟の炎が……この地に住まう人々を、焼き尽くさんとするならばッ」
地面に、巨大な足跡が刻み込まれる。
「それを止めるのが私たちの任務であります! その怨嗟が、憎しみが、どれほど正当なものであろうとも!」
たおやかな生身の胴体とは不釣り合いに巨大な、機械の四肢。出力の調整を誤れば、華奢な生身部分が一瞬にして潰れちぎれてしまうであろうが、この凶暴な鋼鉄の手足をフリオは見事に制御している。
巨大な鋼鉄の拳が、さらに巨大な赤ん坊の右手に激突していった。
爆発が起こった。
フリオの前腕部に装填されていた多段式炸裂弾が、拳の一撃と共に超至近距離から還リビトの右手に叩き込まれたのだ。
巨大な赤ん坊が、大量の火の粉を放散しながら揺らぎ硬直する。
そこへ、ロザベルが狙いを定める。細い機体の各所が、静かに開いてゆく。
「安全装置、解除……オールライフチェンジド」
待て、という言葉をニコラスは呑み込んだ。
本人は、言葉では否定するかも知れない。
だが、このロザベルという少女は間違いなく、眼前の巨大な還リビトに己自身を見出している。
彼女のこれまでを思えば、無理からぬ事であった。外からの言葉で、止められるものではない。
「……エクスプロージョン」
ロザベルの言葉に合わせ、細身の機体が爆炎と化した。推進剤が一斉発火し、彼女を前方へと吹っ飛ばしたのだ。
それはまるで、たおやかな少女の形をした人型の噴進弾であった。
その直撃を喰らった還リビトが、様々なものを飛び散らせつつ後方に揺らぐ。血飛沫のような火の粉、鉄屑や腐肉の破片。
それでも原形を充分にとどめた、巨大なる赤ん坊に向かって、カノンとアンジェリカが猛然と踏み込んで行く。
対照的にロザベルは、自身の引き起こした爆発に吹っ飛ばされ、残骸そのものの有り様を晒しながらニコラスに抱き止められていた。
錬りに錬り上げた医療魔導力をロザベルの細身に注ぎ込みながら、ニコラスは訊いた。
「ヘルメスが憎い……ってより、ヘルメスを信じてた自分が許せない。そんな感じか?」
「ヘルメス様を……」
ロザベルが弱々しく目を開き、言葉を発する。
「信じていた事が、間違いだった……と、思いたくない……だけかも知れません。だけど……」
死者の復活、に近いほどの治療を施されたロザベルの身体が、ニコラスの腕の中からよろよろと立ち上がる。
「……それでも私は、あの災禍を生き延びた祖国の人々を……守るために、戦いたい……」
しっかりと自力で、ロザベルは立った。
「それが正しいかどうか、ではなく……私が、そうしたいから。そのために……ごめんなさいニコラスさん、こんな御迷惑を」
「こんなもの迷惑と思っちまうようじゃ自由騎士は務まらんよ。しっかりしなさい」
ニコラスは微笑んだ。
「おじさん、女の子が無茶するのは確かに感心しないがね……止められないものがあるって事くらいは、わかるつもりだ。いいさ、存分に無茶しておいで。いくらでも治すから」
●
巨大な赤ん坊が、泣き喚き暴れている。仰向けに倒れ込んだ巨体が、短い手足でじたばたと大地を殴打する。凄まじい量の火の粉を、まき散らしながらだ。
超局地的な地震が、自由騎士団を襲った。
均衡を維持するための足運びで、震動をやり過ごす事は出来る。だが、街中であれば火災が起こりかねないほどの火の粉と熱風を防ぐ事は不可能である。
全身が焼け付く。そして、呼吸が出来ない。
マグノリアは片膝をついていた。体力も魔力も、そろそろ限界である。自然回復の術式は施してあるが、この敵が回復を待ってくれるはずはない。
暴れる赤ん坊の指に、小さな生き物が食らい付いている。
カノンだった。間近から火の粉を浴び、振り回されながらも、還リビトからの吸血で力を回復せんとしている。
マグノリアの身体には、敵の血液ではないものが注ぎ込まれていた。
充分に錬られた、医療魔力。まさに注入されるが如き体力の回復を、マグノリアは体感していた。
膝をつき十字架にすがっていたアンジェリカが、同じく体力を注入されつつ立ち上がる。倒れていたロザベルとフリオが、肩を貸し合い身を起こす。
ニコラスが片手をかざし、魔導医療を実行していた。
「動き回って、あっちこっち壊しまくりたいほど憎らしい……のに、それが出来ない。そりゃあ、赤ん坊みたく泣き喚くしかないだろうなあ」
「憎らしい……よね確かに、ヘルメスは」
皆と同じく治療回復を得たカノンが、着地し、踏み込み、跳躍した。
「だけど、そのヘルメスはもういない」
蛙を思わせる跳躍。突き上げられゆく拳が赤く輝く。
「だから君たちは、その憎しみを他の人たちにぶつけるしかなくなって……そういう事、あるよね。だけどっ!」
鐘の音が、響き渡った。真紅の光まとう拳が、還リビトの巨体を歪め凹ませている。
「弔いの鐘……とは、ならないかな。まだ」
「ならば何度でも響かせましょう!」
着地し残心するカノンの傍らで、アンジェリカが十字架を構える。
巨大な十字架が、爆炎を迸らせた。多段式炸裂弾の一斉射。
撃ち抜かれ、灼かれ、泣き叫ぶ赤ん坊に、マグノリアは右手を向けた。人差し指を銃身とする、拳銃を形作った。
「アクアディーネに、ミトラースそしてヘルメスと……実存の神々を見続けてきて、ひとつ気付いた事がある」
繊細な指先で、強毒性の炸薬が調合されてゆく。
「神とは……1つの指向性しか持っていない、それのみでしか動けない存在……ヒトのように変わってゆく事が出来ない……」
調合されたものが、還リビトの体表面で爆発した。
「……まるで、機械のようなもの」
猛毒の爆炎が、巨大な赤ん坊を包み灼く。元からある炎が、その爆炎と拮抗している。
「機械の如く確固たる、その指向性に、ヒトの心が合わなくなった時……」
「……その最たる例が、ヘルメリアだな」
癒しの力を制御しながら、ニコラスが言った。
「合いすぎたら、シャンバラみたいになっちまう」
「ならばイ・ラプセルは……アクアディーネはどうであるのか、という話になってしまうね」
「……それを強烈に問いかけてきたのが、アイアンスカル様でした」
言葉と共にアンジェリカが、燃え盛る巨大な赤ん坊にひたすら炸裂弾を撃ち込んでいる。
「答えは……私たちも、まだ見つけられずにいます」
「そのアイアンスカルさんが、この子を内側から抱き締めておられる」
フリオだった。暴れ狂う還リビトの頭上に、いつの間にかいる。
「……ならば私は、外側から参りますよっ」
フリオは跳躍し、降下した。機械の両手で合掌し、赤ん坊の巨大な顔面と向かい合う格好で。
その顔面が、縦に裂けてゆく。
「手向けの斬撃! で、あります!」
フリオの巨大な両手が、合掌の形のまま、分厚くも鋭利な刃となっていた。彼女の身体そのものが、一振りの剣と化したかのようである。
「アクアディーネ様の、権能をもって……」
還リビトの巨大な顔面を両断しながら、フリオは着地に失敗し、尻餅をついた。治療を受けたとは言え、彼女も今や万全ではない。
赤ん坊の顔面、縦に生じた裂け目から、炎が噴出し、フリオを襲った。
立てぬフリオを、カノンが引きずった。炎が、フリオの爪先をかすめた。
「か、かたじけないであります」
「まったく、元気な赤ちゃんだよね。もうちょっと遊んであげないと、おねむの時間にならないかな」
そうだ、とマグノリアは思った。赤ん坊は、眠れない時にも泣く。
「ならば、君が眠くなるまで……たくさん、遊ぼうか」
●
ロザベルの細腕が、塔を抱えている。そう見えた。
塔の如く巨大な、螺旋状の廻穿機構。それが轟音を立てて回転し、還リビトの裂けた顔面に突き刺さる。
とどめの一撃、であった。
巨大な赤ん坊の、頭部が、胴体が、穿たれながら崩壊してゆく。焼け焦げた金属屑が無数、落下した。
それらに混じって地面に投げ出されたロザベルの細身を、アンジェリカは抱き起こした。
「ロザベル様……」
「……私は……大丈夫です……それよりも……」
ロザベルが見回す。
アンジェリカは微笑んだ。
「……ええ。あの方も、大丈夫ですよ」
トロールのアイアンスカルが、カノンとマグノリアとニコラスに助け起こされている。
「……すまぬ……来てくれたか……」
「来るさ」
死にかけた僧兵の巨体に、マグノリアとニコラスが2人がかりで治療を施している。
「あんた、いい感じにズタボロで色男だなあ」
ニコラスが、アイアンスカルの分厚い胸板を叩く。
「おかげで助かった、礼を言うよ」
「私は……ただ、我らの神にすがっていただけだ」
「実存の神様を」
カノンが問う。
「……まだ、信じられない?」
「どうかな……」
散乱する残骸を、アイアンスカルは見渡した。
「お前たちの信じるアクアディーネが……このような事をしない、と私は信じたいが」
やはり答えられない問いだ、とアンジェリカは思った。
兵士たちが、埋葬作業を再開している。
指揮官らしき人物が、こちらに来て敬礼をした。
「自由騎士の方々、ありがとうございます……」
「よーよーよー任務ご苦労さん」
ニコラスが、馴れ馴れしくしている。
「今のヘルメリアは、あれだなあ。これと同種のイブリースが、いつどこに出てもおかしくない状況だよな。オラクルがもう何部隊か欲しいところ、かね」
埋葬を手伝っていたフリオが、こちらを向いた。
「同種のイブリース……出たそうでありますよ。北の方に」
「北、と言うとメレス君やメイフェム嬢の管轄か」
ならば心配なかろう、と言いたげな、ニコラスの口調であった。
埋葬作業は、ほぼ終わりつつある。
目を閉じ黙祷を捧げるロザベルを支えたまま、アンジェリカも祈りを唱えた。
皆にパスタを振る舞うのは、弔いの儀式の後である。
フリオの弔いの子守歌が、穏やかに流れる。
カノンが、ぽつりと言った。
「カノンはね、アクアディーネ様が好きだけど、救って欲しいわけじゃあない。人を救うのは人、神様を救うのも……人」
人、とは人間のみを意味するわけではない。
亜人などとまとめられてしまう種族、それにキジンやマザリモノ……全てが、人だ。
「神の蠱毒が終わって、アクアディーネ様に何かあったら……カノンが、助けに行くよ」
●
南の方に出現した、巨大な赤ん坊よりは、ずっと小型のイブリースであった。それでも容易い相手ではなかったが。
死にかけたメレス・ライアットに治療を施しながら、マチュア・レムザが頭を下げる。
「……来ていただいて、ありがとうございました。エルシー様」
「いやいや、マチュアさんもお疲れ様でした……貴女も、ね」
微笑んで見せながら『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)は、メイフェム・グリムの肩を少し強めに叩いた。この女戦士とは、殺し合い寸前の組み手を何度やらかしたかわからない。
「気に入らないわ……」
斃したイブリースの残骸を睨みながら、メイフェムは言った。
「貴女もそうだけど……何より、神様って連中。イブリースどもが出て来るのも、あいつらのせい」
「まあ……今回のイブリースは、そうですね」
「何よりも……神様どもの後ろに、何だか得体の知れない奴らがいるような気がする。そいつらが気に入らない」
「ふむ。私たちを駒にして、チェスの名人でも気取ってる」
エルシーも薄々、感じている事ではあった。
「そんな方々がいるとしたら、確かに許せませんねえ」
咆哮が、轟いた。
巨大な十字架を担いだまま跳躍した『機国解放者』アンジェリカ・フォン・ヴァレンタイン(CL3000505)が、空中で吼えている。
その身体が、ふっさりと伸びた尻尾で弧を描きながら車輪状に回転した。十字架が、還リビトの脳天に打ち下ろされる。
並のイブリースであれば、飛び散って跡形もなくなる一撃であった。
だが今回の相手は、動くだけで地響きの起こる巨大な怪物。
屑鉄と腐肉で組成された、赤ん坊である。その巨体は炎に包まれ、今はアンジェリカの一撃を受けて火の粉を散らせている。
ふわりと落下しながら、アンジェリカはさらなる攻撃を実行していた。
牝獣そのもののボディラインが、竜巻の如く捻転する。巨大な十字架が、金色の輝きを発しながら、いくつもの弧を描く。
速度と重量を兼ね備えた、打撃の弧。
それが5つ、巨大な赤ん坊の顔面を直撃していた。
6度目で、打撃が斬撃に変わった。黄金色の大型十字架から、閃光が走り出す。
十字架から抜き放たれた、聖剣の一閃であった。
人体及び機械の残骸で出来た赤ん坊が、血飛沫の如く火の粉を飛散させる。
アンジェリカは着地し、呟いた。
「以上、一連の攻撃……出来れば、ヘルメス神に喰らわせて差し上げたいところ」
「ヘルメスは死んじまったが、まあ気持ちはわかる」
癒しの魔導力を錬りながら『帰ってきた工作兵』ニコラス・モラル(CL3000453)は言った。まだ負傷者はいないが、この敵が相手であれば、すぐに誰かが重傷を負う。
「神様の、死に際の悪あがきってのはなあ。本当にタチが悪い……ま、それにしてもだ」
泣き喚く赤ん坊を、ニコラスは見上げた。
「でっかいねえ。おじさんの何倍あるんだか……本当、でかくて良かったよ。ここまで大きけりゃ、怪物だって思い込める」
「赤ちゃんの形を、しておりますものね……」
言葉と共に『機国解放者』フリオ・フルフラット(CL3000454)が、両腕両脚から蒸気を噴射する。
「炎に焼かれる赤ちゃん……痛まし過ぎるであります」
「……気のせい、でしょうか」
ロザベル・エヴァンス(CL3000685)が言った。
「この赤ちゃんを……たくましい腕で、しっかりと抱き締めている、大きな誰かの姿が見えるような……」
「……アイアンスカルだ」
ニコラスとは面識のないトロールの名を、『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)が口にした。
「存在しない神……否。己の心の中にだけ確かに存在する神の教えに従って、彼は行動している……」
「この、大きな赤ちゃんを……中から止めて下さってる僧兵さん、でありますね」
蒸気噴く巨大な鋼の拳を握りながらフリオはしかし、還リビトへの攻撃をいくらか躊躇っているようである。
「い、一体どこを攻撃すれば……傷付けずに救出する事が」
「……アイアンスカルなら、大丈夫」
小さな身体で、さらに低く身構えたまま、『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)が言った。
「あんなに頑丈なお兄さん、そうそういないよ。本気でぶん殴って、助け出す! それで大丈夫!」
獲物を狙う獣のように、カノンは跳躍していた。
愛らしくも鋭利な両手五指が、そのまま牙となり、還リビトの顔面に叩き込まれる。
「あの時みたいに! 本気でいくよっ、アイアン兄さん!」
激しい光が、赤ん坊の巨大な顔面を、いくらかは歪ませた。
獣王の咆哮、とも言うべき気の光の奔流。カノンの両手から、放たれ撃ち込まれていた。
大量の火の粉を飛散させながら、巨大な赤ん坊は泣き叫んでいる。
それは、しかしアンジェリカやカノンの攻撃で痛みを感じたから、ではないだろう。
この還リビトが、ずっと発し続けている、憎悪の慟哭。巨体を包むは憎悪の炎。
それが、ひときわ激しく燃え盛り膨張した。
紅蓮の荒波が、自由騎士団を襲う。
アンジェリカが、カノンが、フリオが、ロザベルが、灼き払われていた。
淡く白い光が4人の身体を包み込み、即座に火傷を癒してゆく。マグノリアが投げかけた、魔導医療の光であった。
「母親を、求めている……」
液体らしきものの入った錬金術容器を掲げたまま、マグノリアは呟いた。
「と……いうわけでは、ないのか。赤ん坊だからと言って」
液体の揺らぎに合わせて、雨が降った。癒しの力の雨。
灼き払われた4名が、マグノリアによる治療を得て、よろよろと立ち上がる。
特に足取りの頼りないロザベルを、ニコラスは支えた。支えられながら、ロザベルが言う。
「身寄りのない、もしくは家族類縁1人残らず人機融合してしまった人たちだけが、ここに埋葬される予定であったそうです」
「そうか……遺族がいれば、引き渡されているはずだものね」
燃え盛る巨大な赤ん坊を、マグノリアは見上げた。
「では……この還リビトの、中核となった赤ん坊は……母親、父親、もろともに」
「……そう、この馬鹿でかい赤さんの中にいる」
ニコラスは言った。
「親父も、おふくろさんもな、もう泣き喚いて暴れるしかない赤ん坊に変わっちまってやがるのさ」
「私も……」
ロザベルが、ニコラスの腕をやんわりと振りほどいた。
「1つ、何かが間違っていたら……ニコラスさんが、いなかったら……私も、この中に……」
「……俺なんかいなくたって、誰かがお前さんを助けていただろうさ」
このロザベル・エヴァンスという少女が、ロンディアナの人機融合災害から奇跡的に救出され、1人のキジンとして新しい道を歩み始めた、その過程においてニコラスが浅からず関わっているのは事実である。役割がたまたま自分に回ってきただけだ、とニコラス自身は思っている。
それよりも1つ、懸念がある。
「……お前さん、気負っちゃいないか?」
「この災い……私が止めなければ、と思うだけです」
ロザベルの細い機体から、蒸気が噴出した。
「離れて下さいニコラスさん、危険です」
「おい待て……」
炎と鉄の塊が、斜め上方からロザベルを襲った。
赤ん坊の、燃え盛る右手。這い這いの進行上にいる虫か何かを、叩き潰す動きである。
隕石にも似た、その襲撃に向かって、フリオが踏み込んでいた。
「怨嗟の炎が……この地に住まう人々を、焼き尽くさんとするならばッ」
地面に、巨大な足跡が刻み込まれる。
「それを止めるのが私たちの任務であります! その怨嗟が、憎しみが、どれほど正当なものであろうとも!」
たおやかな生身の胴体とは不釣り合いに巨大な、機械の四肢。出力の調整を誤れば、華奢な生身部分が一瞬にして潰れちぎれてしまうであろうが、この凶暴な鋼鉄の手足をフリオは見事に制御している。
巨大な鋼鉄の拳が、さらに巨大な赤ん坊の右手に激突していった。
爆発が起こった。
フリオの前腕部に装填されていた多段式炸裂弾が、拳の一撃と共に超至近距離から還リビトの右手に叩き込まれたのだ。
巨大な赤ん坊が、大量の火の粉を放散しながら揺らぎ硬直する。
そこへ、ロザベルが狙いを定める。細い機体の各所が、静かに開いてゆく。
「安全装置、解除……オールライフチェンジド」
待て、という言葉をニコラスは呑み込んだ。
本人は、言葉では否定するかも知れない。
だが、このロザベルという少女は間違いなく、眼前の巨大な還リビトに己自身を見出している。
彼女のこれまでを思えば、無理からぬ事であった。外からの言葉で、止められるものではない。
「……エクスプロージョン」
ロザベルの言葉に合わせ、細身の機体が爆炎と化した。推進剤が一斉発火し、彼女を前方へと吹っ飛ばしたのだ。
それはまるで、たおやかな少女の形をした人型の噴進弾であった。
その直撃を喰らった還リビトが、様々なものを飛び散らせつつ後方に揺らぐ。血飛沫のような火の粉、鉄屑や腐肉の破片。
それでも原形を充分にとどめた、巨大なる赤ん坊に向かって、カノンとアンジェリカが猛然と踏み込んで行く。
対照的にロザベルは、自身の引き起こした爆発に吹っ飛ばされ、残骸そのものの有り様を晒しながらニコラスに抱き止められていた。
錬りに錬り上げた医療魔導力をロザベルの細身に注ぎ込みながら、ニコラスは訊いた。
「ヘルメスが憎い……ってより、ヘルメスを信じてた自分が許せない。そんな感じか?」
「ヘルメス様を……」
ロザベルが弱々しく目を開き、言葉を発する。
「信じていた事が、間違いだった……と、思いたくない……だけかも知れません。だけど……」
死者の復活、に近いほどの治療を施されたロザベルの身体が、ニコラスの腕の中からよろよろと立ち上がる。
「……それでも私は、あの災禍を生き延びた祖国の人々を……守るために、戦いたい……」
しっかりと自力で、ロザベルは立った。
「それが正しいかどうか、ではなく……私が、そうしたいから。そのために……ごめんなさいニコラスさん、こんな御迷惑を」
「こんなもの迷惑と思っちまうようじゃ自由騎士は務まらんよ。しっかりしなさい」
ニコラスは微笑んだ。
「おじさん、女の子が無茶するのは確かに感心しないがね……止められないものがあるって事くらいは、わかるつもりだ。いいさ、存分に無茶しておいで。いくらでも治すから」
●
巨大な赤ん坊が、泣き喚き暴れている。仰向けに倒れ込んだ巨体が、短い手足でじたばたと大地を殴打する。凄まじい量の火の粉を、まき散らしながらだ。
超局地的な地震が、自由騎士団を襲った。
均衡を維持するための足運びで、震動をやり過ごす事は出来る。だが、街中であれば火災が起こりかねないほどの火の粉と熱風を防ぐ事は不可能である。
全身が焼け付く。そして、呼吸が出来ない。
マグノリアは片膝をついていた。体力も魔力も、そろそろ限界である。自然回復の術式は施してあるが、この敵が回復を待ってくれるはずはない。
暴れる赤ん坊の指に、小さな生き物が食らい付いている。
カノンだった。間近から火の粉を浴び、振り回されながらも、還リビトからの吸血で力を回復せんとしている。
マグノリアの身体には、敵の血液ではないものが注ぎ込まれていた。
充分に錬られた、医療魔力。まさに注入されるが如き体力の回復を、マグノリアは体感していた。
膝をつき十字架にすがっていたアンジェリカが、同じく体力を注入されつつ立ち上がる。倒れていたロザベルとフリオが、肩を貸し合い身を起こす。
ニコラスが片手をかざし、魔導医療を実行していた。
「動き回って、あっちこっち壊しまくりたいほど憎らしい……のに、それが出来ない。そりゃあ、赤ん坊みたく泣き喚くしかないだろうなあ」
「憎らしい……よね確かに、ヘルメスは」
皆と同じく治療回復を得たカノンが、着地し、踏み込み、跳躍した。
「だけど、そのヘルメスはもういない」
蛙を思わせる跳躍。突き上げられゆく拳が赤く輝く。
「だから君たちは、その憎しみを他の人たちにぶつけるしかなくなって……そういう事、あるよね。だけどっ!」
鐘の音が、響き渡った。真紅の光まとう拳が、還リビトの巨体を歪め凹ませている。
「弔いの鐘……とは、ならないかな。まだ」
「ならば何度でも響かせましょう!」
着地し残心するカノンの傍らで、アンジェリカが十字架を構える。
巨大な十字架が、爆炎を迸らせた。多段式炸裂弾の一斉射。
撃ち抜かれ、灼かれ、泣き叫ぶ赤ん坊に、マグノリアは右手を向けた。人差し指を銃身とする、拳銃を形作った。
「アクアディーネに、ミトラースそしてヘルメスと……実存の神々を見続けてきて、ひとつ気付いた事がある」
繊細な指先で、強毒性の炸薬が調合されてゆく。
「神とは……1つの指向性しか持っていない、それのみでしか動けない存在……ヒトのように変わってゆく事が出来ない……」
調合されたものが、還リビトの体表面で爆発した。
「……まるで、機械のようなもの」
猛毒の爆炎が、巨大な赤ん坊を包み灼く。元からある炎が、その爆炎と拮抗している。
「機械の如く確固たる、その指向性に、ヒトの心が合わなくなった時……」
「……その最たる例が、ヘルメリアだな」
癒しの力を制御しながら、ニコラスが言った。
「合いすぎたら、シャンバラみたいになっちまう」
「ならばイ・ラプセルは……アクアディーネはどうであるのか、という話になってしまうね」
「……それを強烈に問いかけてきたのが、アイアンスカル様でした」
言葉と共にアンジェリカが、燃え盛る巨大な赤ん坊にひたすら炸裂弾を撃ち込んでいる。
「答えは……私たちも、まだ見つけられずにいます」
「そのアイアンスカルさんが、この子を内側から抱き締めておられる」
フリオだった。暴れ狂う還リビトの頭上に、いつの間にかいる。
「……ならば私は、外側から参りますよっ」
フリオは跳躍し、降下した。機械の両手で合掌し、赤ん坊の巨大な顔面と向かい合う格好で。
その顔面が、縦に裂けてゆく。
「手向けの斬撃! で、あります!」
フリオの巨大な両手が、合掌の形のまま、分厚くも鋭利な刃となっていた。彼女の身体そのものが、一振りの剣と化したかのようである。
「アクアディーネ様の、権能をもって……」
還リビトの巨大な顔面を両断しながら、フリオは着地に失敗し、尻餅をついた。治療を受けたとは言え、彼女も今や万全ではない。
赤ん坊の顔面、縦に生じた裂け目から、炎が噴出し、フリオを襲った。
立てぬフリオを、カノンが引きずった。炎が、フリオの爪先をかすめた。
「か、かたじけないであります」
「まったく、元気な赤ちゃんだよね。もうちょっと遊んであげないと、おねむの時間にならないかな」
そうだ、とマグノリアは思った。赤ん坊は、眠れない時にも泣く。
「ならば、君が眠くなるまで……たくさん、遊ぼうか」
●
ロザベルの細腕が、塔を抱えている。そう見えた。
塔の如く巨大な、螺旋状の廻穿機構。それが轟音を立てて回転し、還リビトの裂けた顔面に突き刺さる。
とどめの一撃、であった。
巨大な赤ん坊の、頭部が、胴体が、穿たれながら崩壊してゆく。焼け焦げた金属屑が無数、落下した。
それらに混じって地面に投げ出されたロザベルの細身を、アンジェリカは抱き起こした。
「ロザベル様……」
「……私は……大丈夫です……それよりも……」
ロザベルが見回す。
アンジェリカは微笑んだ。
「……ええ。あの方も、大丈夫ですよ」
トロールのアイアンスカルが、カノンとマグノリアとニコラスに助け起こされている。
「……すまぬ……来てくれたか……」
「来るさ」
死にかけた僧兵の巨体に、マグノリアとニコラスが2人がかりで治療を施している。
「あんた、いい感じにズタボロで色男だなあ」
ニコラスが、アイアンスカルの分厚い胸板を叩く。
「おかげで助かった、礼を言うよ」
「私は……ただ、我らの神にすがっていただけだ」
「実存の神様を」
カノンが問う。
「……まだ、信じられない?」
「どうかな……」
散乱する残骸を、アイアンスカルは見渡した。
「お前たちの信じるアクアディーネが……このような事をしない、と私は信じたいが」
やはり答えられない問いだ、とアンジェリカは思った。
兵士たちが、埋葬作業を再開している。
指揮官らしき人物が、こちらに来て敬礼をした。
「自由騎士の方々、ありがとうございます……」
「よーよーよー任務ご苦労さん」
ニコラスが、馴れ馴れしくしている。
「今のヘルメリアは、あれだなあ。これと同種のイブリースが、いつどこに出てもおかしくない状況だよな。オラクルがもう何部隊か欲しいところ、かね」
埋葬を手伝っていたフリオが、こちらを向いた。
「同種のイブリース……出たそうでありますよ。北の方に」
「北、と言うとメレス君やメイフェム嬢の管轄か」
ならば心配なかろう、と言いたげな、ニコラスの口調であった。
埋葬作業は、ほぼ終わりつつある。
目を閉じ黙祷を捧げるロザベルを支えたまま、アンジェリカも祈りを唱えた。
皆にパスタを振る舞うのは、弔いの儀式の後である。
フリオの弔いの子守歌が、穏やかに流れる。
カノンが、ぽつりと言った。
「カノンはね、アクアディーネ様が好きだけど、救って欲しいわけじゃあない。人を救うのは人、神様を救うのも……人」
人、とは人間のみを意味するわけではない。
亜人などとまとめられてしまう種族、それにキジンやマザリモノ……全てが、人だ。
「神の蠱毒が終わって、アクアディーネ様に何かあったら……カノンが、助けに行くよ」
●
南の方に出現した、巨大な赤ん坊よりは、ずっと小型のイブリースであった。それでも容易い相手ではなかったが。
死にかけたメレス・ライアットに治療を施しながら、マチュア・レムザが頭を下げる。
「……来ていただいて、ありがとうございました。エルシー様」
「いやいや、マチュアさんもお疲れ様でした……貴女も、ね」
微笑んで見せながら『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)は、メイフェム・グリムの肩を少し強めに叩いた。この女戦士とは、殺し合い寸前の組み手を何度やらかしたかわからない。
「気に入らないわ……」
斃したイブリースの残骸を睨みながら、メイフェムは言った。
「貴女もそうだけど……何より、神様って連中。イブリースどもが出て来るのも、あいつらのせい」
「まあ……今回のイブリースは、そうですね」
「何よりも……神様どもの後ろに、何だか得体の知れない奴らがいるような気がする。そいつらが気に入らない」
「ふむ。私たちを駒にして、チェスの名人でも気取ってる」
エルシーも薄々、感じている事ではあった。
「そんな方々がいるとしたら、確かに許せませんねえ」