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悪意無き差別

●
「じゃあ、そこのマザリモノ。早速仕事を頼みたいから、僕の部屋まで来てくれるかい?」
「はい、坊ちゃん」
新たに雇われた使用人の一人に、少年・オリバーは声を掛ける。仕事を頼む相手は、彼でなければならないというわけではなかった。ただ、他のノウブルの使用人達と違い、頭の上にぴんと立つ、犬のような耳が目についただけだ。
「マザリモノ、この手紙を届けてくれ。届け先は……」
「……はい、坊ちゃん」
新たな使用人を迎えてから数日、オリバーは青年によく用事を言いつけていた。使用人達には制服が貸与され、髪型等に一定の基準が設けられているこの屋敷で、彼だけは後ろ姿でもすぐに判別が出来る。最初はそれだけだったが、今では仕事が早く真面目な彼を、すっかり気に入っていた。
「なあ、マザリモ――ぐあ!」
この日も同じように仕事を頼もうとしていたオリバーの細身な体は強烈な衝撃を受け、開け放たれていたテラスへ通じる扉から外へと投げ出された。叩き付けられた先は運良く芝生の上であったが、格闘の心得など無い少年が受け身を取れるはずもなく、鈍い痛みが体を襲う。
「私、ハ……」
「ひっ」
血走った眼に睨まれて身を竦める少年は、振り上げられた拳に成す術もなかった。
青年は、自身がマザリモノである事がコンプレックスだった。種族名で呼ばれる事に不満を募らせていた彼は、他の使用人達も名前で呼ばれていない事に、まだ気付いていなかった。
少年は、人の名前を覚えるのが苦手だった。屋敷に出入りする人間は多く、長く雇っている者くらいしか名前で呼んでいない。
当人に差別するつもりがなくとも、受け止める側は果たしてどう思っていただろうか。ちょっとしたすれ違いが、悲劇へと繋がった。
●
「まだ間に合う。少年の救出を頼む」
急ぎの依頼だと、『長』クラウス・フォン・プラテス(nCL3000003)は水鏡階差演算装置が予知した事の顛末を語った。とある商家の跡取り息子が、イブリース化した使用人によって殺される、と。
「少年は恐怖に身動きが取れずにいる。現地に着いたら、即戦闘に持ち込み、敵の気を引くのが良いであろう」
男はイブリース化の影響により、理性はほとんど残されていない。会話は難しいだろう、とクラウスは続けた。
「だが、彼はオリバー少年を優先的に狙う。それから、『マザリモノ』という言葉に過敏に反応し、矛先を変えるから注意が必要だ」 青年は攻撃力に優れるものの、攻撃手段は物理的な近接攻撃に限られる。庭に投げ出された際の痛みと精神的なダメージから、自力での逃走が難しいオリバーの存在がネックだが、上手く立ち回れば大きな障害にはならないだろう。
「諸君らの健闘を祈る。救ってやってくれ。『二人』を」
「じゃあ、そこのマザリモノ。早速仕事を頼みたいから、僕の部屋まで来てくれるかい?」
「はい、坊ちゃん」
新たに雇われた使用人の一人に、少年・オリバーは声を掛ける。仕事を頼む相手は、彼でなければならないというわけではなかった。ただ、他のノウブルの使用人達と違い、頭の上にぴんと立つ、犬のような耳が目についただけだ。
「マザリモノ、この手紙を届けてくれ。届け先は……」
「……はい、坊ちゃん」
新たな使用人を迎えてから数日、オリバーは青年によく用事を言いつけていた。使用人達には制服が貸与され、髪型等に一定の基準が設けられているこの屋敷で、彼だけは後ろ姿でもすぐに判別が出来る。最初はそれだけだったが、今では仕事が早く真面目な彼を、すっかり気に入っていた。
「なあ、マザリモ――ぐあ!」
この日も同じように仕事を頼もうとしていたオリバーの細身な体は強烈な衝撃を受け、開け放たれていたテラスへ通じる扉から外へと投げ出された。叩き付けられた先は運良く芝生の上であったが、格闘の心得など無い少年が受け身を取れるはずもなく、鈍い痛みが体を襲う。
「私、ハ……」
「ひっ」
血走った眼に睨まれて身を竦める少年は、振り上げられた拳に成す術もなかった。
青年は、自身がマザリモノである事がコンプレックスだった。種族名で呼ばれる事に不満を募らせていた彼は、他の使用人達も名前で呼ばれていない事に、まだ気付いていなかった。
少年は、人の名前を覚えるのが苦手だった。屋敷に出入りする人間は多く、長く雇っている者くらいしか名前で呼んでいない。
当人に差別するつもりがなくとも、受け止める側は果たしてどう思っていただろうか。ちょっとしたすれ違いが、悲劇へと繋がった。
●
「まだ間に合う。少年の救出を頼む」
急ぎの依頼だと、『長』クラウス・フォン・プラテス(nCL3000003)は水鏡階差演算装置が予知した事の顛末を語った。とある商家の跡取り息子が、イブリース化した使用人によって殺される、と。
「少年は恐怖に身動きが取れずにいる。現地に着いたら、即戦闘に持ち込み、敵の気を引くのが良いであろう」
男はイブリース化の影響により、理性はほとんど残されていない。会話は難しいだろう、とクラウスは続けた。
「だが、彼はオリバー少年を優先的に狙う。それから、『マザリモノ』という言葉に過敏に反応し、矛先を変えるから注意が必要だ」 青年は攻撃力に優れるものの、攻撃手段は物理的な近接攻撃に限られる。庭に投げ出された際の痛みと精神的なダメージから、自力での逃走が難しいオリバーの存在がネックだが、上手く立ち回れば大きな障害にはならないだろう。
「諸君らの健闘を祈る。救ってやってくれ。『二人』を」
†シナリオ詳細†
■成功条件
1.オリバー少年の無事
オラクルの皆様はじめまして。宮下です。
イブリース化した青年との戦闘シナリオになります。
・イブリース(人間)
通常攻撃(殴る・蹴る) 近単
体当たり 近単+ノックバック
爪で切り裂く 近単+ポイズン1
・場所
屋敷の庭
植木やテーブルセットなど多少の障害物はありますが、戦闘に差し支えるような遮蔽物はありません。存分に闘ってください。
建物内に一般人が居ますが、敵はオリバーや自身に攻撃を加える者を優先する為、気にする必要はありません。
皆様のご参加をお待ちしております。
イブリース化した青年との戦闘シナリオになります。
・イブリース(人間)
通常攻撃(殴る・蹴る) 近単
体当たり 近単+ノックバック
爪で切り裂く 近単+ポイズン1
・場所
屋敷の庭
植木やテーブルセットなど多少の障害物はありますが、戦闘に差し支えるような遮蔽物はありません。存分に闘ってください。
建物内に一般人が居ますが、敵はオリバーや自身に攻撃を加える者を優先する為、気にする必要はありません。
皆様のご参加をお待ちしております。
状態
完了
完了
報酬マテリア
2個
6個
2個
2個




参加費
100LP [予約時+50LP]
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
7日
参加人数
8/8
8/8
公開日
2018年07月01日
2018年07月01日
†メイン参加者 8人†
●
繁華街の喧騒から離れた場所に、タ、タンと、聞き慣れない音が連続して響いた。
振り下ろす寸前の拳に二発の弾丸を受け、マザリモノの青年は介入者達をギロリと睨む。先程の大きな音が銃声であった事に硝煙の匂いで気付き、オリバーは慌てて鎖閂式ライフルの銃口を向けている『イ・ラプセル自由騎士団』グリッツ・ケルツェンハイム(CL3000057)に訴えた。
「ま、待って、撃たないでくれ! このマザリモノは僕の――」
ギィ……ン!
オリバーが震えるような金属の音に振り返れば、『春雷』イーイー・ケルツェンハイム(CL3000076)が身の丈程もあろうかという刀身で、自身を狙う青年の爪を受け止めていた。
「少年の保護を!」
「あんな風になっても彼を案じられるのにさ、ホント救えないよね」
――まあ、これから救うのだけれど。そんな言葉は声に出してやらず、『空を泳ぐ』ツツジ フェヴリエ(CL3000009)は『梟の帽子屋』アンネリーザ・バーリフェルト(CL3000017)の援護射撃で青年が後ずさった僅かな隙を突き、オリバーの身体を抱えて跳躍する。すかさず彼らを追わせまいと、『ゆるふわ鉄拳ガール』パッフェル・ガブリエラ(CL3000299)は穏やかな、それでいて油断のない構えを取りつつ割って入った。
「ア、アクアディーネ様の権能がある。だ、大丈夫だ」
「俺達は自由騎士団だ。彼を殺す心配は無い」
言葉足らずな『下水道暮らし』ダンケル・アルトマン(CL3000010)をフォローするように『クマの捜査官』ウェルス ライヒトゥーム(CL3000033)が人好きのする笑みを浮かべ、ようやく少年は落ち着きを取り戻したようだった。
「いい経験だったな、と思えるような形のエピソードにしてやりたいもんだな」
それこそ、後から笑い話に出来るくらいに、と。『イ・ラプセル自由騎士団』グスタフ・カールソン(CL3000220)は、青年の鋭い視線から後衛を庇うように立ち塞がった。
●
(マザリモノ、ねぇ……)
今でこそ野生の獣のような眼と肥大した身体は化け物のように見えるが、外見的な特徴と言えば頭部の耳くらいで、ケモノビトと相違ないように思える。むしろ見た目だけで言えば熊のケモノビトである自身よりも限りなくヒトに近いのだが、彼らの抱える悩みは計れないのだろうと、ウェルスは顔を顰めた。
境遇に思う所はあれど、攻撃の手を緩める道理は無い。使い込まれた愛銃から放たれた弾丸は膨れ上がった筋肉に阻まれて貫通する事こそなかったが、小さくないダメージを与えた。
既にオリバーとは距離があり、立ち塞がるオラクル達を敵と認識した青年はウェルスに拳を向ける。
「雇い主のご子息になんてことを……」
拳には、拳を。たおやかな振る舞いに反し、敵を力で抑え込むと豪語するパッフェルと青年がぶつかり合い、鈍い音が響く。
「雇用契約をなんだと思っているのでしょうか」
骨が軋む痛みにも表情一つ変えず、腕を振り抜いた彼女から漏れた呟きは、なんとも場違いなものであった。とはいえそんな言葉が出るのも青年を種族以前に一人の人間として見ているからなのだが、今の彼には知る由もない。
「確かに使用人としては、してはならない事をしてしまったわね。でも……自分を認めて欲しいという願いの裏返しにも思えるの」
――違うかな? 会話の出来ない相手に声を掛ける様はさながら癇癪を起こした子供を宥めるかのようだが、アンネリーザは青年に同調するように、努めて優しく声を掛けた。種族での差別は、なにもマザリモノに限った話ではない。彼女にも何がしかの経験があるのかもしれない。
「きっと、分かり合えるから」
スキルによって戦場を把握したアンネリーザの射撃が、青年の大腿を撃ち抜いた。
「アアアア゛ッ!」
苦悶の表情を浮かべ、青年が吠える。その声に負けじとグスタフが雄叫びを上げ、青年の瞳に微かな怯えの色が浮かんだ。
「こんな、すれ違ったままなんて、悲し過ぎるよ!」
「そうだ、二人はもっと、し、知らなきゃいけねえんだよ。まずは、お互いの名前、だろ。そ、それから……」
青年がグリッツの二連撃から身を守ろうと両腕を掲げた刹那、がら空きになった腹部にダンケルがナックルを叩き込み、ぐぶ、とくぐもった声が漏れる。
「……名前?」
ぽつりと呟いたオリバーの声は、銃声と青年の怒号が響き渡る中であっても、隣に居たツツジの耳に届いた。
「孤児院の新しい兄弟たちも、名前を覚えるまではおれのこと『鬼』って呼んだりする。オリバーも、悪意はなかったんだ……!」
少しでも早く元に戻してやりたいと、イーイーは力強く踏み込み、斬りつけた。肩口から袈裟に斬られた青年はイーイーの痩躯を苦し紛れに掴むと、爪を立てる。どちらのともわからない鮮血が舞い、思わずオリバーは顔を背けた。
「あいつがああなったのは……僕のせい?」
今にも泣きそうな声で、オリバーは問う。ツツジは毒爪を突き立てられたイーイーを癒しながら、全てがあなたの責ではなくどちらもお馬鹿さんだったのだと前置いて、問いにはやんわりとした肯定を返した。
「人を身体的特徴で呼ぶのは良くない。上に立つ者なら尚更ね」
●
幾度もの攻防の末、しっかりと各々の役割を果たすオラクル達と異なり、回復手段を持たない青年は目に見えて疲弊している事が伺えた。彼が人を傷つける様も痛みにもがく姿も見るに堪えなかったが、オリバーは自分が招いた状況である事を理解し、真っ直ぐに見据える。
「貴方からしたら親しみの表現だったのかもしれない。ただそれは、彼にとって気持ちのいいものじゃ無かったのよ」
引き金を引く手を止めぬまま、アンネリーザが声を掛ける。
「貴方にオリバーという名前があるのと同じく、彼にも彼だけの名前があるわ」
青年が後ろに足を引いた予備動作にいち早く気付き、イーイーが真正面に躍り出た。
「ここで止めさせてもらう……ッ」
腰を落とし、真っ向から受け止める。骨と骨がぶつかるような音の直後、背中から地面に倒れ込んだイーイーに飛び掛かろうとした青年をグリッツの正確無比な弾丸が穿つと、間に滑り込んだパッフェルが手首を掴んで毒爪の追撃を防ぎ、体勢を立て直す時間を稼いだ。
「おれだって、仲間から『鬼』としか呼ばれなかったら――寂しい」
名前を覚えるのが大変ならば、誰も傷つかない他の呼び名を考えてみたらどうだろうか、と提案するイーイーの背に、グリッツはニカッと笑って言った。
「それがいいね、『イーちゃん』!」
たったそれだけのやり取りの中に二人の信頼関係が見て取れ、オリバーは羨望の眼差しを向ける。
「混血種のコンプレックスなど……わたしには想像も及びません。けれど、どうか覚えていてほしい。あなたの何気ない一言に傷付いたひとが、確かにここに居るのだと」
静かに話すパッフェルと取っ組み合っている青年の表情に宿っているのは、強い憤り。そこに至るまでに、彼はどれだけ悲しんだのだろうか。押し負けたパッフェルが体勢を崩した瞬間、懐に飛び込んだグスタフが長剣で青年の腕を跳ね上げる。
「ったく、いい加減目を覚ましやがれ、クソ坊主!」
鋭い一喝と共に、振り上げた剣の腹で横っ面を殴りつける。ぐらりと傾いた青年の脚に銃口を向け、ウェルスが引き金を引いた。
「ガァアアア゛ッ!! 私ハ、私、ハァア!」
青年が地面を踏み締める度に、両脚の射創から血が滴った。それでも彼は、足を止めはしない。
「殺すのも、殺されるのも、な、なしだ。戻れなく、なっちまう……っ なぁ、な、名前だ。まずは名前を、お、教えてくれよ」
「私ハ、私ハ……」
ダンケルが話し掛けるも、辛うじて発される言葉はうわごとのように繰り返されるばかりだ。悲壮な顔で見つめる事しか出来ないオリバーに、空中に魔導文字を描いていたツツジが口を開いた。
「有象無象の名前を覚えるのは大変だけど、そこを上手くやるのが紳士ってものだよ」
さして歳の変わらない少年が、さらりと有象無象と言ってのけた事に呆気に取られたが、改めてツツジの姿を見ればすぐに納得がいった。品位のある出で立ちから貴族階級である事が見て取れるが、つるりとした羽毛の翼はソラビトの証だ。亜人種を下に見る古参も少なくない貴族社会で、堂々と振る舞う彼はどれだけの努力をしてきたのだろうか。
対してオリバーは、商人たるもの顧客の名前を覚えろと言う父の言葉を聞き流し、使用人や従業員の名前すら蔑ろにした結果がこの様だ。
「謝らなきゃ……あいつに、謝らなきゃ」
今更傷付けた事実は消えないが、これから新たな関係が築けるように。
「名前、最初に聞いたはずなんだ。知らないんじゃない、僕に覚える気が無かっただけ……!」
出会った日の記憶を、必死に手繰り寄せる。青年が、血を吐きながら慟哭のような咆哮を上げた。
「もうやめてくれ! すまなかった……『ジェイコブ』!!」
ほんの一瞬、青年が顔をオリバーへと向けた。意識を奪われた無防備な瞬間を見逃す事なく、グリッツの撃ち込んだ弾丸が、弾の軌道を邪魔しないように振るわれたイーイーの大剣が、青年を捉えた。
その場に崩れ落ちた青年の、ジェイコブの表情は穏やかだった。
●
「おいおい。……いい加減落ち着けよ、な?」
手当てを施されたジェイコブは、無事に目を覚ましたものの、そこから始まったのはオリバーとの謝罪合戦だった。
ウェルスは今回の件で青年が解雇されないようにと気を回し、屋敷の主人に話をつけていた。騒ぎにならないよう補佐についていた自由騎士が事前に屋敷周辺の一般人に話を通してくれていた事もあり、スムーズに交渉は進んだのだが、
「この調子じゃ、必要無かったかもな」
気遣いは無駄だったかと肩を竦めるが、その表情は晴れ晴れとしていた。
「口さがない奴の言葉に卑屈になって、あなたまで混血種を卑下してどうすんのさ」
ようやく落ち着いたジェイコブに、ツツジは呆れたように言う。あなた自身が評価されたからこそ雇われたのだろうと続ければ、ジェイコブは驚いたような表情を見せた。
「そ、そうだ、ツツジの言う通りだ。マザリビト? であること自体、ぜ、全然悪いことじゃねえんだし」
口下手ながら何とか伝えようとするダンケルの言葉に、ジェイコブは目を見開き、破顔する。
「――マザリ『ビト』、ですか」
ただの言い間違いかもしれないし、彼の情勢に疎そうな様子から間違えて覚えていただけかもしれない。それでも他の種族と同じように『ヒト』と表現した響きを甚く気に入り、噛みしめるように呟いた。
「負の感情だけでイブリースになってしまうものなのかしら……」
「うーん……こう、もやもやしていたものが、急に抑えられなくなったのは覚えているのですが……あ。いや、でも……」
考え込むアンネリーザに、記憶を辿っていたジェイコブは何かを思い出したようだったが、話すべきかと逡巡する。
「なにか?」
「――汽笛が、聞こえたんです」
この辺りに路線は通っていないから気のせいですよね、と苦笑するが、子供達は沸き立った。
「それ、幽霊列車ってやつ?」
「見ると気が狂うって噂の?」
「さらわれるって聞いたよ?」
グリッツとイーイーがあれこれ言うが、どれも孤児院の子供達の間で囁かれる怪談話の域を出なかった。
「噂通り『幽霊列車』が負の感情を増幅するというなら確かに今回の件と辻褄は合うけど、調査が必要ね」
「さーて、無事に依頼を遂行した事だし、この後は親睦を深めるためにも打ち上げとかどうよ♪」
特に女子の参加は大歓迎、とグスタフに笑いかけられ、パッフェルは少し考えるような素振りをするも、
「打ち上げ……ですか。勤務時間外手当が出るわけではありませんから、悩み所ですね……」
「ええーっ?! 流石にその理由で悩むのは、ちょっとつれないっていうか……」
至極真面目な顔でのたまう彼女に、がくりと肩を落とす。項垂れたグスタフを労うように皆が肩を叩き、笑い合う。
「あ……あの!」
がやがやと賑やかに屋敷を後にしようとする自由騎士団員達の背に、オリバーが声を掛けた。
「本当に、ありがとうございました!」
少年の隣には、最敬礼で見送るジェイコブの姿があった。
「いい社会勉強になったろ?」
背を向けたまま、ひらりと手を上げる。彼らがこれからどんな関係を築いていくのかはわからないが、彼らの未来が明るい事を確信していた。
繁華街の喧騒から離れた場所に、タ、タンと、聞き慣れない音が連続して響いた。
振り下ろす寸前の拳に二発の弾丸を受け、マザリモノの青年は介入者達をギロリと睨む。先程の大きな音が銃声であった事に硝煙の匂いで気付き、オリバーは慌てて鎖閂式ライフルの銃口を向けている『イ・ラプセル自由騎士団』グリッツ・ケルツェンハイム(CL3000057)に訴えた。
「ま、待って、撃たないでくれ! このマザリモノは僕の――」
ギィ……ン!
オリバーが震えるような金属の音に振り返れば、『春雷』イーイー・ケルツェンハイム(CL3000076)が身の丈程もあろうかという刀身で、自身を狙う青年の爪を受け止めていた。
「少年の保護を!」
「あんな風になっても彼を案じられるのにさ、ホント救えないよね」
――まあ、これから救うのだけれど。そんな言葉は声に出してやらず、『空を泳ぐ』ツツジ フェヴリエ(CL3000009)は『梟の帽子屋』アンネリーザ・バーリフェルト(CL3000017)の援護射撃で青年が後ずさった僅かな隙を突き、オリバーの身体を抱えて跳躍する。すかさず彼らを追わせまいと、『ゆるふわ鉄拳ガール』パッフェル・ガブリエラ(CL3000299)は穏やかな、それでいて油断のない構えを取りつつ割って入った。
「ア、アクアディーネ様の権能がある。だ、大丈夫だ」
「俺達は自由騎士団だ。彼を殺す心配は無い」
言葉足らずな『下水道暮らし』ダンケル・アルトマン(CL3000010)をフォローするように『クマの捜査官』ウェルス ライヒトゥーム(CL3000033)が人好きのする笑みを浮かべ、ようやく少年は落ち着きを取り戻したようだった。
「いい経験だったな、と思えるような形のエピソードにしてやりたいもんだな」
それこそ、後から笑い話に出来るくらいに、と。『イ・ラプセル自由騎士団』グスタフ・カールソン(CL3000220)は、青年の鋭い視線から後衛を庇うように立ち塞がった。
●
(マザリモノ、ねぇ……)
今でこそ野生の獣のような眼と肥大した身体は化け物のように見えるが、外見的な特徴と言えば頭部の耳くらいで、ケモノビトと相違ないように思える。むしろ見た目だけで言えば熊のケモノビトである自身よりも限りなくヒトに近いのだが、彼らの抱える悩みは計れないのだろうと、ウェルスは顔を顰めた。
境遇に思う所はあれど、攻撃の手を緩める道理は無い。使い込まれた愛銃から放たれた弾丸は膨れ上がった筋肉に阻まれて貫通する事こそなかったが、小さくないダメージを与えた。
既にオリバーとは距離があり、立ち塞がるオラクル達を敵と認識した青年はウェルスに拳を向ける。
「雇い主のご子息になんてことを……」
拳には、拳を。たおやかな振る舞いに反し、敵を力で抑え込むと豪語するパッフェルと青年がぶつかり合い、鈍い音が響く。
「雇用契約をなんだと思っているのでしょうか」
骨が軋む痛みにも表情一つ変えず、腕を振り抜いた彼女から漏れた呟きは、なんとも場違いなものであった。とはいえそんな言葉が出るのも青年を種族以前に一人の人間として見ているからなのだが、今の彼には知る由もない。
「確かに使用人としては、してはならない事をしてしまったわね。でも……自分を認めて欲しいという願いの裏返しにも思えるの」
――違うかな? 会話の出来ない相手に声を掛ける様はさながら癇癪を起こした子供を宥めるかのようだが、アンネリーザは青年に同調するように、努めて優しく声を掛けた。種族での差別は、なにもマザリモノに限った話ではない。彼女にも何がしかの経験があるのかもしれない。
「きっと、分かり合えるから」
スキルによって戦場を把握したアンネリーザの射撃が、青年の大腿を撃ち抜いた。
「アアアア゛ッ!」
苦悶の表情を浮かべ、青年が吠える。その声に負けじとグスタフが雄叫びを上げ、青年の瞳に微かな怯えの色が浮かんだ。
「こんな、すれ違ったままなんて、悲し過ぎるよ!」
「そうだ、二人はもっと、し、知らなきゃいけねえんだよ。まずは、お互いの名前、だろ。そ、それから……」
青年がグリッツの二連撃から身を守ろうと両腕を掲げた刹那、がら空きになった腹部にダンケルがナックルを叩き込み、ぐぶ、とくぐもった声が漏れる。
「……名前?」
ぽつりと呟いたオリバーの声は、銃声と青年の怒号が響き渡る中であっても、隣に居たツツジの耳に届いた。
「孤児院の新しい兄弟たちも、名前を覚えるまではおれのこと『鬼』って呼んだりする。オリバーも、悪意はなかったんだ……!」
少しでも早く元に戻してやりたいと、イーイーは力強く踏み込み、斬りつけた。肩口から袈裟に斬られた青年はイーイーの痩躯を苦し紛れに掴むと、爪を立てる。どちらのともわからない鮮血が舞い、思わずオリバーは顔を背けた。
「あいつがああなったのは……僕のせい?」
今にも泣きそうな声で、オリバーは問う。ツツジは毒爪を突き立てられたイーイーを癒しながら、全てがあなたの責ではなくどちらもお馬鹿さんだったのだと前置いて、問いにはやんわりとした肯定を返した。
「人を身体的特徴で呼ぶのは良くない。上に立つ者なら尚更ね」
●
幾度もの攻防の末、しっかりと各々の役割を果たすオラクル達と異なり、回復手段を持たない青年は目に見えて疲弊している事が伺えた。彼が人を傷つける様も痛みにもがく姿も見るに堪えなかったが、オリバーは自分が招いた状況である事を理解し、真っ直ぐに見据える。
「貴方からしたら親しみの表現だったのかもしれない。ただそれは、彼にとって気持ちのいいものじゃ無かったのよ」
引き金を引く手を止めぬまま、アンネリーザが声を掛ける。
「貴方にオリバーという名前があるのと同じく、彼にも彼だけの名前があるわ」
青年が後ろに足を引いた予備動作にいち早く気付き、イーイーが真正面に躍り出た。
「ここで止めさせてもらう……ッ」
腰を落とし、真っ向から受け止める。骨と骨がぶつかるような音の直後、背中から地面に倒れ込んだイーイーに飛び掛かろうとした青年をグリッツの正確無比な弾丸が穿つと、間に滑り込んだパッフェルが手首を掴んで毒爪の追撃を防ぎ、体勢を立て直す時間を稼いだ。
「おれだって、仲間から『鬼』としか呼ばれなかったら――寂しい」
名前を覚えるのが大変ならば、誰も傷つかない他の呼び名を考えてみたらどうだろうか、と提案するイーイーの背に、グリッツはニカッと笑って言った。
「それがいいね、『イーちゃん』!」
たったそれだけのやり取りの中に二人の信頼関係が見て取れ、オリバーは羨望の眼差しを向ける。
「混血種のコンプレックスなど……わたしには想像も及びません。けれど、どうか覚えていてほしい。あなたの何気ない一言に傷付いたひとが、確かにここに居るのだと」
静かに話すパッフェルと取っ組み合っている青年の表情に宿っているのは、強い憤り。そこに至るまでに、彼はどれだけ悲しんだのだろうか。押し負けたパッフェルが体勢を崩した瞬間、懐に飛び込んだグスタフが長剣で青年の腕を跳ね上げる。
「ったく、いい加減目を覚ましやがれ、クソ坊主!」
鋭い一喝と共に、振り上げた剣の腹で横っ面を殴りつける。ぐらりと傾いた青年の脚に銃口を向け、ウェルスが引き金を引いた。
「ガァアアア゛ッ!! 私ハ、私、ハァア!」
青年が地面を踏み締める度に、両脚の射創から血が滴った。それでも彼は、足を止めはしない。
「殺すのも、殺されるのも、な、なしだ。戻れなく、なっちまう……っ なぁ、な、名前だ。まずは名前を、お、教えてくれよ」
「私ハ、私ハ……」
ダンケルが話し掛けるも、辛うじて発される言葉はうわごとのように繰り返されるばかりだ。悲壮な顔で見つめる事しか出来ないオリバーに、空中に魔導文字を描いていたツツジが口を開いた。
「有象無象の名前を覚えるのは大変だけど、そこを上手くやるのが紳士ってものだよ」
さして歳の変わらない少年が、さらりと有象無象と言ってのけた事に呆気に取られたが、改めてツツジの姿を見ればすぐに納得がいった。品位のある出で立ちから貴族階級である事が見て取れるが、つるりとした羽毛の翼はソラビトの証だ。亜人種を下に見る古参も少なくない貴族社会で、堂々と振る舞う彼はどれだけの努力をしてきたのだろうか。
対してオリバーは、商人たるもの顧客の名前を覚えろと言う父の言葉を聞き流し、使用人や従業員の名前すら蔑ろにした結果がこの様だ。
「謝らなきゃ……あいつに、謝らなきゃ」
今更傷付けた事実は消えないが、これから新たな関係が築けるように。
「名前、最初に聞いたはずなんだ。知らないんじゃない、僕に覚える気が無かっただけ……!」
出会った日の記憶を、必死に手繰り寄せる。青年が、血を吐きながら慟哭のような咆哮を上げた。
「もうやめてくれ! すまなかった……『ジェイコブ』!!」
ほんの一瞬、青年が顔をオリバーへと向けた。意識を奪われた無防備な瞬間を見逃す事なく、グリッツの撃ち込んだ弾丸が、弾の軌道を邪魔しないように振るわれたイーイーの大剣が、青年を捉えた。
その場に崩れ落ちた青年の、ジェイコブの表情は穏やかだった。
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「おいおい。……いい加減落ち着けよ、な?」
手当てを施されたジェイコブは、無事に目を覚ましたものの、そこから始まったのはオリバーとの謝罪合戦だった。
ウェルスは今回の件で青年が解雇されないようにと気を回し、屋敷の主人に話をつけていた。騒ぎにならないよう補佐についていた自由騎士が事前に屋敷周辺の一般人に話を通してくれていた事もあり、スムーズに交渉は進んだのだが、
「この調子じゃ、必要無かったかもな」
気遣いは無駄だったかと肩を竦めるが、その表情は晴れ晴れとしていた。
「口さがない奴の言葉に卑屈になって、あなたまで混血種を卑下してどうすんのさ」
ようやく落ち着いたジェイコブに、ツツジは呆れたように言う。あなた自身が評価されたからこそ雇われたのだろうと続ければ、ジェイコブは驚いたような表情を見せた。
「そ、そうだ、ツツジの言う通りだ。マザリビト? であること自体、ぜ、全然悪いことじゃねえんだし」
口下手ながら何とか伝えようとするダンケルの言葉に、ジェイコブは目を見開き、破顔する。
「――マザリ『ビト』、ですか」
ただの言い間違いかもしれないし、彼の情勢に疎そうな様子から間違えて覚えていただけかもしれない。それでも他の種族と同じように『ヒト』と表現した響きを甚く気に入り、噛みしめるように呟いた。
「負の感情だけでイブリースになってしまうものなのかしら……」
「うーん……こう、もやもやしていたものが、急に抑えられなくなったのは覚えているのですが……あ。いや、でも……」
考え込むアンネリーザに、記憶を辿っていたジェイコブは何かを思い出したようだったが、話すべきかと逡巡する。
「なにか?」
「――汽笛が、聞こえたんです」
この辺りに路線は通っていないから気のせいですよね、と苦笑するが、子供達は沸き立った。
「それ、幽霊列車ってやつ?」
「見ると気が狂うって噂の?」
「さらわれるって聞いたよ?」
グリッツとイーイーがあれこれ言うが、どれも孤児院の子供達の間で囁かれる怪談話の域を出なかった。
「噂通り『幽霊列車』が負の感情を増幅するというなら確かに今回の件と辻褄は合うけど、調査が必要ね」
「さーて、無事に依頼を遂行した事だし、この後は親睦を深めるためにも打ち上げとかどうよ♪」
特に女子の参加は大歓迎、とグスタフに笑いかけられ、パッフェルは少し考えるような素振りをするも、
「打ち上げ……ですか。勤務時間外手当が出るわけではありませんから、悩み所ですね……」
「ええーっ?! 流石にその理由で悩むのは、ちょっとつれないっていうか……」
至極真面目な顔でのたまう彼女に、がくりと肩を落とす。項垂れたグスタフを労うように皆が肩を叩き、笑い合う。
「あ……あの!」
がやがやと賑やかに屋敷を後にしようとする自由騎士団員達の背に、オリバーが声を掛けた。
「本当に、ありがとうございました!」
少年の隣には、最敬礼で見送るジェイコブの姿があった。
「いい社会勉強になったろ?」
背を向けたまま、ひらりと手を上げる。彼らがこれからどんな関係を築いていくのかはわからないが、彼らの未来が明るい事を確信していた。
†シナリオ結果†
成功
†詳細†
†あとがき†
ご参加くださりありがとうございました。
エネミーの特性を戦術的に利用せず、誰一人「マザリモノ」という言葉を使わない優しさに感激しております。
素敵なプレイングが多く悩みに悩んだ末に、MVPはイブリース化した青年の今後まで気遣ってくれたあなたに。
エネミーの特性を戦術的に利用せず、誰一人「マザリモノ」という言葉を使わない優しさに感激しております。
素敵なプレイングが多く悩みに悩んだ末に、MVPはイブリース化した青年の今後まで気遣ってくれたあなたに。
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