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【流血の女帝】復活の狂機人間

●
とぐろを巻いた大蛇、に見えなくもない巨岩が少しだけ横に動いた。
地中から、何者かが動かしたのだ。
巨岩によって塞がれていた地下洞窟の入り口が、隙間と呼べる程度、露わになった。
その隙間から、巨岩の蓋を動かした剛力の持ち主が這い出して来る。
甲冑騎士の姿をした、1人のキジンであった。
そのキジンが、隙間から同行者を引きずり上げる。
「も……戻って来て、しまったか」
冴えない身なりの若者である。引きずり上げられ、地に這いつくばり、息を切らせている。
キジンが、周囲を見回した。
夕刻である。空は暗い。が、地下の暗黒と比べれば真昼のようだ。
地上へ、戻る事が出来た。
「……なるほど。貴殿、ここから入ったのか」
「少しばかり格好をつけて、な……この近くに、村がある。無事だっただろうか」
「まずは自分の無事を喜ぶと良い、アラム侯爵閣下」
「……ジーベル・トルク。貴方は、命の恩人だ」
青年が、深々と頭を下げる。キジンは戸惑ったようだ。
「よせ。感謝を求めたわけではない」
「僕の方が、感謝を押し付けているだけさ……僕は、大勢の人々に救われ守られるばかりで何も出来ない」
「上に立つ者はそれで良い、と私は思う。さあ、その村の無事を確認しに行こうか」
ジーベル・トルクが、アラム・ヴィスケーノの腕を掴んで歩き出す。
「……ガロム・ザグに関しては、自由騎士団に一任しておけ」
「わかっている……僕に出来る事など、何もない」
引きずられるまま、アラムが呟く。
「一体……僕は、何をしているのだろう……」
●
「それは……確か、なのかな? ジーベル卿」
「何度でも言おう。ガロム・ザグは自由騎士団に救出され、今は領主ネリオ・グラーク侯爵のもとに身を寄せている。半ば療養中だが、生命にも健康にも別状はないという事だ。ネリオ侯爵に仕えている、私のかつての部下から今、連絡があった」
村は、無事であった。
アラムもジーベルも、今はとある民家で世話になっている。
その民家の娘であるメレーナ・カインという女性が、赤ん坊を抱いてあやしながら言った。
「自由騎士団の方々にはね、私たちも助けていただきました」
「……僕も、ですよ。彼ら彼女らには、厄介をかけ通しです」
俯き加減に、アラムは問いかけた。
「メレーナさん……シェルミーネ・グラーク嬢が、こちらにいらっしゃったのは」
「貴方たちとは入れ違いでしたね。シェルミーネ様はもう、兄君である御領主様のところへ戻られました」
メレーナが微笑む。
「命知らずな方のお話は聞いております。貴方、とぐろ岩の大穴に飛び込んだんですって? この村を守って下さるために」
「僕は……馬鹿な事を、しただけです」
この村を守ったのは自由騎士団であり、シェルミーネ・グラークだ。自分アラムは、他人に迷惑をかけただけである。
「……あの人が、シェルミーネ嬢だったのか」
人々を守るため、凛と闘志を燃やしていた令嬢の姿。アラムの脳裏に、心に、焼き付いている。眩し過ぎるほどにだ。
「僕のような無能者……彼女には、ふさわしくない……」
「それを決めるのは貴殿ではないのだよ侯爵閣下。評価を下すのは、周りの者だ」
ジーベルが言った。
「まずは私の評価を聞かせよう……あの勝ち気な御令嬢にはな、むしろ貴殿のような御仁こそがふさわしい」
「ジーベル卿……」
「自信がなくとも胸を張れ。幸せな姿を領民に見せつけろ。貴族の結婚とは、そういうものだ」
言葉を残し、部屋を出ようとするジーベルに、メレーナが声を投げた。
「ジーベルさん、見て下さい。息子が、貴方に興味を持っています」
赤ん坊が、母親の腕の中からジーベルを見つめている。
流麗な全身甲冑にも似たキジンの姿に、キラキラと興味深げな眼差しを向けている。
「キジンの方を……こんなふうに見つめるのは、もしかしたら失礼な事なのかも知れませんね。どうかお許し下さい」
「いや、そのような事は……」
「……ジーベル卿、言葉をお返ししよう。貴方に関して評価を下すのは、貴方自身ではない」
アラムは言った。
「まずは僕の考えを聞いてもらう……貴方は、立派な人物だ。自分で壁を作るのは、やめて欲しいと思うよ」
「私は……」
面頬のような顔面装甲の内側で、ぎらりと眼光が点った。メレーナ母子に向かってだ。
「……あなた方を、殺そうとしたのだぞ」
「当然です。あの時の私は、イブリースでしたから」
眼差しと言葉を、メレーナはまっすぐに返した。
「自由騎士団の方々が、運良く駆け付けて下さいました。私と、この子が幸運だった……それだけの話です。貴方は、いえ誰も、悪くないんです」
●
ジーベル・トルクは、逃げ出していた。
若い母親の言葉にも、赤ん坊の眼差しにも、耐えられなかった。
「どいつもこいつも……何故、私に光を見せようとするのだ……」
とぼとぼと村はずれを歩きながら、呟く。
「わかっているのか……私の目は、光学装置でしかないのだぞ……眩し過ぎる……」
あまりにも眩し過ぎる光を、自分はかつて見つめていた。
シェルミーネ・グラークは、自分などが見つめてはならない光だったのだ。
己の片手を見る。
これは、手ではない。数多の犠牲で性能を培ってきた、おぞましき殺戮機械だ。
シェルミーネという光に触れる事は、許されない。
こうして歩く自分の足元には、無数の屍が埋まっている。
かつては自力で這う事も出来なかった赤ん坊が、人々の屍を踏みつけながら歩いている。
そんな様を自分は、シェルミーネに見せ続けていたのだ。
ジーベルは立ち止まった。
地下遺跡の入り口。今は、巨岩で塞がれている。
とぐろを巻いた大蛇、の形をした巨岩。とぐろ岩と呼ばれていたらしい。
とぐろが、解かれつつあった。巨岩が、岩の大蛇に変わってゆく。
「……ここへ、来たか」
ジーベルは、腰の大型銃を抜き放った。
岩の大蛇が、さらに巨大に膨れ上がりながら鎌首をもたげている。
否。蛇の首、蛇の頭部ではなかった。
巨大な、美女の上半身。艶かしい身体の曲線を維持したまま蛇体と化した下半身。
玄室の石壁に彫り込まれていた、死の女神。冥府の女王。それが地上に出現していた。
美しくも醜悪な巨体がぬるりと這い、村へ向かおうとする。
ジーベルは立ち塞がり、大型銃をぶっ放した。
岩の巨体の、あちこちで火花が散った。
ほぼ同時に、ジーベルの身体は吹っ飛んでいた。横殴りの重い一撃。
岩とは思えぬほど柔軟に動く、大蛇の尻尾であった。
ジーベルは地面に激突し、即座に立ち上がろうとして立てず、大木にすがりついた。
冥府の女王の巨大な全身あちこちに、亀裂が走っている。
自分の銃撃が効いた、わけではないとジーベルは見て取った。
「……そうか、貴様……最初から、限界を迎えているのだな……」
亀裂から、鮮血の如く瘴気が噴出する。
「ガロム・ザグという依り代を失い、無理矢理にでも代わりの何かに取り憑かねば行動が取れぬ……にしても、いささか無理矢理が過ぎたようだな。貴様、長くは保たぬぞ」
放っておけば、この怪物は崩壊する。その前にしかし、村人を皆殺しにする事が出来るだろう。
メレーナ母子も死ぬ。アラムも死ぬ。
「……人々の血を浴びれば……その醜い姿が美しくなる、と信じているのだな……何とも、哀れ」
ジーベルはよろよろと立ち上がり、銃を構えた。
「力を貸せ、ゲンフェノム・トルク……貴方の作った出来損ないの機械人形にも、出来る事はあるはずだ!」
とぐろを巻いた大蛇、に見えなくもない巨岩が少しだけ横に動いた。
地中から、何者かが動かしたのだ。
巨岩によって塞がれていた地下洞窟の入り口が、隙間と呼べる程度、露わになった。
その隙間から、巨岩の蓋を動かした剛力の持ち主が這い出して来る。
甲冑騎士の姿をした、1人のキジンであった。
そのキジンが、隙間から同行者を引きずり上げる。
「も……戻って来て、しまったか」
冴えない身なりの若者である。引きずり上げられ、地に這いつくばり、息を切らせている。
キジンが、周囲を見回した。
夕刻である。空は暗い。が、地下の暗黒と比べれば真昼のようだ。
地上へ、戻る事が出来た。
「……なるほど。貴殿、ここから入ったのか」
「少しばかり格好をつけて、な……この近くに、村がある。無事だっただろうか」
「まずは自分の無事を喜ぶと良い、アラム侯爵閣下」
「……ジーベル・トルク。貴方は、命の恩人だ」
青年が、深々と頭を下げる。キジンは戸惑ったようだ。
「よせ。感謝を求めたわけではない」
「僕の方が、感謝を押し付けているだけさ……僕は、大勢の人々に救われ守られるばかりで何も出来ない」
「上に立つ者はそれで良い、と私は思う。さあ、その村の無事を確認しに行こうか」
ジーベル・トルクが、アラム・ヴィスケーノの腕を掴んで歩き出す。
「……ガロム・ザグに関しては、自由騎士団に一任しておけ」
「わかっている……僕に出来る事など、何もない」
引きずられるまま、アラムが呟く。
「一体……僕は、何をしているのだろう……」
●
「それは……確か、なのかな? ジーベル卿」
「何度でも言おう。ガロム・ザグは自由騎士団に救出され、今は領主ネリオ・グラーク侯爵のもとに身を寄せている。半ば療養中だが、生命にも健康にも別状はないという事だ。ネリオ侯爵に仕えている、私のかつての部下から今、連絡があった」
村は、無事であった。
アラムもジーベルも、今はとある民家で世話になっている。
その民家の娘であるメレーナ・カインという女性が、赤ん坊を抱いてあやしながら言った。
「自由騎士団の方々にはね、私たちも助けていただきました」
「……僕も、ですよ。彼ら彼女らには、厄介をかけ通しです」
俯き加減に、アラムは問いかけた。
「メレーナさん……シェルミーネ・グラーク嬢が、こちらにいらっしゃったのは」
「貴方たちとは入れ違いでしたね。シェルミーネ様はもう、兄君である御領主様のところへ戻られました」
メレーナが微笑む。
「命知らずな方のお話は聞いております。貴方、とぐろ岩の大穴に飛び込んだんですって? この村を守って下さるために」
「僕は……馬鹿な事を、しただけです」
この村を守ったのは自由騎士団であり、シェルミーネ・グラークだ。自分アラムは、他人に迷惑をかけただけである。
「……あの人が、シェルミーネ嬢だったのか」
人々を守るため、凛と闘志を燃やしていた令嬢の姿。アラムの脳裏に、心に、焼き付いている。眩し過ぎるほどにだ。
「僕のような無能者……彼女には、ふさわしくない……」
「それを決めるのは貴殿ではないのだよ侯爵閣下。評価を下すのは、周りの者だ」
ジーベルが言った。
「まずは私の評価を聞かせよう……あの勝ち気な御令嬢にはな、むしろ貴殿のような御仁こそがふさわしい」
「ジーベル卿……」
「自信がなくとも胸を張れ。幸せな姿を領民に見せつけろ。貴族の結婚とは、そういうものだ」
言葉を残し、部屋を出ようとするジーベルに、メレーナが声を投げた。
「ジーベルさん、見て下さい。息子が、貴方に興味を持っています」
赤ん坊が、母親の腕の中からジーベルを見つめている。
流麗な全身甲冑にも似たキジンの姿に、キラキラと興味深げな眼差しを向けている。
「キジンの方を……こんなふうに見つめるのは、もしかしたら失礼な事なのかも知れませんね。どうかお許し下さい」
「いや、そのような事は……」
「……ジーベル卿、言葉をお返ししよう。貴方に関して評価を下すのは、貴方自身ではない」
アラムは言った。
「まずは僕の考えを聞いてもらう……貴方は、立派な人物だ。自分で壁を作るのは、やめて欲しいと思うよ」
「私は……」
面頬のような顔面装甲の内側で、ぎらりと眼光が点った。メレーナ母子に向かってだ。
「……あなた方を、殺そうとしたのだぞ」
「当然です。あの時の私は、イブリースでしたから」
眼差しと言葉を、メレーナはまっすぐに返した。
「自由騎士団の方々が、運良く駆け付けて下さいました。私と、この子が幸運だった……それだけの話です。貴方は、いえ誰も、悪くないんです」
●
ジーベル・トルクは、逃げ出していた。
若い母親の言葉にも、赤ん坊の眼差しにも、耐えられなかった。
「どいつもこいつも……何故、私に光を見せようとするのだ……」
とぼとぼと村はずれを歩きながら、呟く。
「わかっているのか……私の目は、光学装置でしかないのだぞ……眩し過ぎる……」
あまりにも眩し過ぎる光を、自分はかつて見つめていた。
シェルミーネ・グラークは、自分などが見つめてはならない光だったのだ。
己の片手を見る。
これは、手ではない。数多の犠牲で性能を培ってきた、おぞましき殺戮機械だ。
シェルミーネという光に触れる事は、許されない。
こうして歩く自分の足元には、無数の屍が埋まっている。
かつては自力で這う事も出来なかった赤ん坊が、人々の屍を踏みつけながら歩いている。
そんな様を自分は、シェルミーネに見せ続けていたのだ。
ジーベルは立ち止まった。
地下遺跡の入り口。今は、巨岩で塞がれている。
とぐろを巻いた大蛇、の形をした巨岩。とぐろ岩と呼ばれていたらしい。
とぐろが、解かれつつあった。巨岩が、岩の大蛇に変わってゆく。
「……ここへ、来たか」
ジーベルは、腰の大型銃を抜き放った。
岩の大蛇が、さらに巨大に膨れ上がりながら鎌首をもたげている。
否。蛇の首、蛇の頭部ではなかった。
巨大な、美女の上半身。艶かしい身体の曲線を維持したまま蛇体と化した下半身。
玄室の石壁に彫り込まれていた、死の女神。冥府の女王。それが地上に出現していた。
美しくも醜悪な巨体がぬるりと這い、村へ向かおうとする。
ジーベルは立ち塞がり、大型銃をぶっ放した。
岩の巨体の、あちこちで火花が散った。
ほぼ同時に、ジーベルの身体は吹っ飛んでいた。横殴りの重い一撃。
岩とは思えぬほど柔軟に動く、大蛇の尻尾であった。
ジーベルは地面に激突し、即座に立ち上がろうとして立てず、大木にすがりついた。
冥府の女王の巨大な全身あちこちに、亀裂が走っている。
自分の銃撃が効いた、わけではないとジーベルは見て取った。
「……そうか、貴様……最初から、限界を迎えているのだな……」
亀裂から、鮮血の如く瘴気が噴出する。
「ガロム・ザグという依り代を失い、無理矢理にでも代わりの何かに取り憑かねば行動が取れぬ……にしても、いささか無理矢理が過ぎたようだな。貴様、長くは保たぬぞ」
放っておけば、この怪物は崩壊する。その前にしかし、村人を皆殺しにする事が出来るだろう。
メレーナ母子も死ぬ。アラムも死ぬ。
「……人々の血を浴びれば……その醜い姿が美しくなる、と信じているのだな……何とも、哀れ」
ジーベルはよろよろと立ち上がり、銃を構えた。
「力を貸せ、ゲンフェノム・トルク……貴方の作った出来損ないの機械人形にも、出来る事はあるはずだ!」
†シナリオ詳細†
■成功条件
1.イブリース(1体)の撃破
お世話になっております。ST小湊拓也です。
シリーズシナリオ『流血の女帝』最終回であります。これまでの御参加ありがとうございました。
イ・ラプセル王国、とある村のはずれに、イブリース化を遂げた石像『冥府の女王』が出現しました。これを討滅して下さい。
冥府の女王の行動は、尻尾による薙ぎ払い(攻近範)、瘴気の噴射・攻撃用(魔遠範または全、BSポイズン3及び生命逆転)と防御用(BS全無効)。
現場には、キジンの戦士ジーベル・トルクがいて、冥府の女王を足止めしていますが、自由騎士団の到着時には力尽き倒れ、あと一撃で死ぬ状態にあります。
以前の彼は修復に専用スタッフの手が必要でしたが、改良済みの今は魔導医療等による回復を受け付けます。回復させ、戦わせる事が可能です。
ジーベルは、銃撃(攻遠単)と格闘戦(攻近単)を行います。
冥府の女王は、皆様の到着から1時間後に力尽き、崩壊します。その場合でも討伐完了です。
場所は村はずれの野原、時間帯は昼。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
シリーズシナリオ『流血の女帝』最終回であります。これまでの御参加ありがとうございました。
イ・ラプセル王国、とある村のはずれに、イブリース化を遂げた石像『冥府の女王』が出現しました。これを討滅して下さい。
冥府の女王の行動は、尻尾による薙ぎ払い(攻近範)、瘴気の噴射・攻撃用(魔遠範または全、BSポイズン3及び生命逆転)と防御用(BS全無効)。
現場には、キジンの戦士ジーベル・トルクがいて、冥府の女王を足止めしていますが、自由騎士団の到着時には力尽き倒れ、あと一撃で死ぬ状態にあります。
以前の彼は修復に専用スタッフの手が必要でしたが、改良済みの今は魔導医療等による回復を受け付けます。回復させ、戦わせる事が可能です。
ジーベルは、銃撃(攻遠単)と格闘戦(攻近単)を行います。
冥府の女王は、皆様の到着から1時間後に力尽き、崩壊します。その場合でも討伐完了です。
場所は村はずれの野原、時間帯は昼。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬マテリア
6個
2個
2個
2個




参加費
100LP [予約時+50LP]
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
7日
参加人数
8/8
8/8
公開日
2020年12月05日
2020年12月05日
†メイン参加者 8人†
●
真冬に舞う蝶々。そんな光景であった。
無論、真冬であるのは、この場においてのみだ。氷雪を含む冷気の嵐が、『祈りは歌にのせて』サーナ・フィレネ(CL3000681)の剣舞と羽ばたきに合わせて吹き荒れ、イブリースの巨体を凍り付かせてゆく。
吹雪の精霊を召喚する、ヨウセイの舞い。
「ひとりぼっちの王妃様……あなたの望みは、かないません」
サーナが、蝶々の翅をぱたぱたと躍動させる。
「もう、セフィロトの海へ行ってください……私たちが送ってあげますから、ね」
冥府の女王。
ひび割れた石造りの巨体が、しかし凍結に抗って暴れもがく。ここが村の中であれば、それだけで建物が倒壊し、悪ければ人死にが出ているところだ。
「外見で差別はしたくねえが」
大型の二丁拳銃をぶっ放しながら、ウェルス・ライヒトゥーム(CL3000033)が言った。
「……こいつは、どう見たって化け物だな。さすがに女扱いはしてやれん」
「内面の良し悪しって、ある程度は外見に出ちゃいますからねっ!」
ウェルスの射撃に援護されながら『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)が、冥府の女王に拳を叩き込んでいった。
ひび割れ凍りかけたイブリースが、銃弾と拳を嵐の如く打ち込まれ、血飛沫のような瘴気の粒子を飛び散らせる。
音声ではない絶叫を張り上げている、ようでもある。
長くはないのだろう、と『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)は思った。
「冥府の女神……いや。恐怖の亡霊、か」
語りかけながら、魔導力を錬成する。
「僕には、わかる。お前は今……恐怖している。自身の存在が失われる事を、恐れている」
「その恐怖をね……君は! 大勢の人たちに与えてきたんだからねっ!」
叫び、踏み込んで行ったのは、『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)である。
その両手、愛らしい五指が牙となって、冥府の女王に突き刺さる。掌から、気の奔流が獣の咆哮の如く迸ってイブリースの巨体を穿つ。石の破片が、飛散した。
なおも語りかけながらマグノリアは、
「自身の抱えるものが多いほど、失う時の恐怖は計り知れないのだろう……」
ひび割れた巨大なイブリースに、人差し指を向けた。
華奢な指先で、錬成されつつある魔導力が凝縮し、弾丸と化してゆく。
「だが……安心するがいい冥府の女王。恐怖は、長くは続かない」
「私たちの手で、終わりに致します!」
巨大な十字架を猛然と振りかざして、『未来を切り拓く祈り』アンジェリカ・フォン・ヴァレンタイン(CL3000505)が駆けた。獣の疾駆だった。
「間もなく崩れ去る命であるとしても! 放置はっ、しません!」
十字架の一撃が、冥府の女王の巨体を凹ませた。石の破片と瘴気の飛沫が、飛び散った。
その間。セアラ・ラングフォード(CL3000634)が、1人の要救助者を抱き起こし、その身体に癒しの光をキラキラと流し込んで行く。
「本当に……都合良く、駆け付けるものだな。自由騎士団……」
癒されゆく機械の身体を、ゆっくりと動かしながら、ジーベル・トルクは言った。『智の実践者』テオドール・ベルヴァルド(CL3000375)が微笑みかける。
「その身体。魔導医療を、受け付けるようになったのだな」
黒き杖を厳かに掲げ、呪力の錬成を行いながらだ。
「リノック・ハザン卿たちによる……改良に次ぐ、改良の結果であろう」
「……技術者として、立派に生きてゆける者たちだ。私など見捨てて、自由に生きれば良いものを」
「君を見捨てない。それが彼らの、自由意志なのだろう」
錬成した魔導弾丸を、マグノリアは発射していた。たおやかな指先が、銃声を発した。
「ジーベル……君は、彼らをはじめ大勢の人々の、希望の光で出来ている。その光を消してはいけない……君は、生きなければならない」
聖なる魔弾を撃ち込まれたイブリースが、またしても音声なき絶叫を張り上げる。
ひび割れた巨体。それら無数の亀裂から、大量の瘴気が噴出して渦を巻く。
ジーベルが立ち上がった。セアラやマグノリアを庇おうとしている、ようである。
だが。瘴気の大渦は、この場にいる全員を荒々しく巻き込んでいた。
マグノリアは身を折り、咳をした。どす黒い飛沫が、飛び散った。呪いの猛毒で、血液が変色している。
凄惨な光景が、視界内に広がった。
これまで幾度となく見せられたもの。幻覚である事は、頭では理解出来る。
「……まだ……わからないんですか……こんな事したって、綺麗になんか……なれないって事……!」
黒い鮮血を滴らせながら、エルシーが呻く。
「人の内面はね、外見に出ます……心を美しくする努力……自分でしなきゃ、美人になんて! なれるわけがないんです!」
「醜悪な御心を……何万年も、抱えてこられたのですね……」
美しい口元を、毒性の吐血で黒く痛々しく汚しながら、セアラが左右の繊手を掲げた。
目に見えぬ聖杯を、彼女は保持していた。
「……全て、お忘れ下さい……私たちの手で今、あちらへお連れいたします」
不可視の聖杯から、魔導医療の光が溢れ出し、ジーベルを含む全員をキラキラと優しく包み込む。
呪いの猛毒が、消滅してゆく。
マグノリアはもう1度、咳き込んだ。赤い血飛沫が飛散した。
解呪を施された自由騎士団に、さらなる瘴気を吐きかけようとして、冥府の女王が痙攣している。
その巨体に氷の荊が幾重にも絡み付き、瘴気を噴く亀裂をピッタリと押さえ閉ざしていた。
「ジーベル・トルク卿……わからぬか。光を見せられているのはな、貴卿だけではないのだぞ」
黒き杖で氷の荊を操作しながら、テオドールが言う。
「貴卿もまた、大勢の人々に光を見せている。たとえ自ら望んで闇の中を歩こうと、だ」
(僕には……光も、闇すら……ない……二百余年、存在しながら……ずっと)
マグノリアは魔力を癒しの光に変え、振り撒いた。
振り撒く事も出来ない、思いがある。
(光を見せられて、辛いのは……君だけではないよ、ジーベル)
●
ひび割れた体表面が、剥離してゆく。
細かな石の破片を散らかし、それでもなお荒れ狂い続ける冥府の女王。
腐敗した還リビトに等しい、とカノンは思う。
思いつつ、吹っ飛ばれていた。
ひび割れた石造りの尻尾が、自由騎士たちを薙ぎ払っていた。柳凪の身ごなしでも、受け流しきれない一撃。
「くぅ……ッ! 何て執念……!」
地面に激突したカノンを、機械の腕が助け起こしてくれた。
同じく尻尾の一撃を喰らい、どうにか立ち上がってきたジーベルである。
「まさに……ふふ、おぞましいき執念……」
自嘲している、ようである。
「かつての私も……あなた方の目には、同じように見えていたのだろうな」
「……違うよ。君は間違いなく、大勢の人たちを守っていた。今でも、そうだよ」
カノンは言った。
「……アスハムの手も、握ってあげて欲しいな」
「…………」
一瞬、無言で俯いたジーベルが、すぐさま戦いの場に視線を戻す。
アンジェリカが、血まみれで佇んでいた。巨大な十字架から、大剣を抜き放った体勢のまま。
冥府の女王が、後方に揺らいでいた。石の巨体に、大きな裂傷がざっくりと刻み込まれている。
尻尾の一撃を喰らいながら、アンジェリカはほぼ同時に返礼の斬撃を見舞っていた。
「数万年に及ぶ妄執……しかと、受け止めましたよ……」
アンジェリカが倒れてゆく。
同じく倒れていたエルシーが、よろりと起き上がってアンジェリカを抱き止めた。
そこへ、冥府の女王が猛然と襲い掛かる。巨体を縛っていた氷の荊が、溶けちぎれてゆく。
「くっ、まだ止まらぬか!」
テオドールが、氷の荊による拘束を諦め、呪いの短剣を己の首筋に当てた。
冥府の女王の首筋が、ざくりと裂けた。石造りの巨体が一瞬、硬直する。
その一瞬の間にカノンは、
「ジーベル、カノンを投げて! 思いっきり!」
「わ、わかった」
機械の剛腕によって、投擲されていた。
拳を握りながら、カノンは飛翔そして激突してゆく。巨大なイブリースに、まるで隕石の如く。
「何万年分かの執念……敬意を、払っておくよ」
隕石の如き拳の一撃が、冥府の女王の顔面を直撃していた。真紅の衝撃光が飛散し、鐘の音が鳴り響く。
「だから全力で打ち砕く! ご自慢の、綺麗な顔ごと……」
カノンは落下し、着地に失敗し、転倒した。もう足に力が入らない。
冥府の女王の、裂けていた首筋が完全にちぎれていた。巨大な頭部が転げ落ち、崩れ砕ける。
だが。首から上を失ったイブリースの巨体は、動きを止めない。尻尾が、重い唸りを立ててカノンを襲う。
立ち上がれぬカノンの身体を、ジーベルが掴んで引き寄せた。巨大な石造りの尻尾が、カノンをかすめて空を切る。
「……しぶといぜ。まったく、女の執念深さってのは……熟知してる、つもりだがな……」
弱々しく苦笑しながら、ウェルスが大型の蒸気式ロケットランチャーを構えようとして膝を折る。
倒れそうになったその巨体を、セアラが細腕で抱き支えた。
「猛毒の瘴気を……浴び過ぎましたね? ウェルス様」
「女の執念は、真正面から受け止めるのが……男の振る舞いってものさ……」
「程々になさいな」
言葉と共に、セアラの優美な全身から光が溢れ出し、ウェルスを包み込んだ。
いや、ウェルス1人にとどまらない。柔らかな魔導医療の輝きが、全員の身体に優しく染み込んでいった。
カノンは、ゆらりと立ち上がった。地を踏む両足にも、拳を握る両手にも、力が戻っている。
まるでセアラが、自身の生命力を全員に分け与えたかのようである。
「これが……最後の治療に、なると思います……皆様……どうか……」
力尽き膝をついたセアラを、ウェルスが背後に庇う。
「任されたぜ。休んでくれ、セアラ嬢!」
轟音が起こり、ロケットランチャーが砕け散った。その破片がセアラの方に行かぬよう、ウェルスが身体で爆風を止めたようである。
砲身を爆砕しながら飛び出したロケット弾が、冥府の女王を直撃した。爆炎の中で、首無しの巨体が崩壊してゆく。
否。おぞましい怪物の原形は、まだ残っている。
「あと1時間……どころか数十分も、保たないだろうが……放置は、しない」
爆炎の塊に向かって、マグノリアが踏み込んで行く。
「……時間切れでは、終わらせない」
「この場で撃滅しますよ。絶対撃滅すなわち、ぜつ☆めつ!」
エルシーが、それに合わせた。
セアラによる最後の魔導医療が、最後の力を全員に振り絞らせている。
「お戯れはここまでですよ女王様。貴女が、好き勝手に出来る時代は! とっくの昔に終わっているんです!」
緋色の閃光を伴う、エルシーの鋭利な拳。
光り輝く魔力を宿した、マグノリアのたおやかな掌。
光そのものと言うべき2つの攻撃が、冥府の女王に叩きつけられていた。爆炎で熱された石の破片が、大量に飛び散った。
それらを蹴散らすように瘴気が溢れ出し、エルシーとマグノリアを襲う。
いや。迸った瘴気が、白く冷たい気流に吹き飛ばれて消滅する。
目に見えるほど濃密な、冷気の渦。それは死を司る何者かの、両腕のようにも見える。
「おいたわしき方よ……ここは、今や貴女の生きる時代ではないのです」
テオドールが、死を司る何かを召喚していた。
「終わりに致しましょう……時を司る者よ、その抱擁にて彼女を包み去れ」
召喚されたものによる、白く冷たい抱擁が、冥府の女王を圧迫してゆく。
今や原形を失いつつある石の巨体が、凍り付き、砕け、崩壊しながらも瘴気を噴出させている。
噴出したものが自由騎士団を襲う……寸前。閃光が、冥府の女王を貫いていた。
軽やかな蝶々の羽ばたきを、カノンは一瞬だけ幻視した。
「……羨ましいです。そんなふうに、自分勝手な執念を最後まで押し通せるなんて」
サーナだった。
魔力を帯びた必殺の刺突が、閃光の衝角となってイブリースを貫通したのだ。
「私は、自分のやりたい事を押し通す前に……アクアディーネ様の権能を、身に付けてしまいました」
女神アクアディーネの権能がなかったら、彼女が一体、何を押し通していたのか。それは想像に難くなかった。
冥府の女王が、崩壊してゆく。溢れんばかりであった瘴気が、消え失せてゆく。
その様に背を向けながらサーナが、カノンに微笑みかける。屈託のない、愛らしい笑顔。
「まだ言っていませんでしたね、カノンさん……本当に、ありがとうございました」
「サーナちゃん……」
「あの男が生きていたら、私……それこそ今頃、冥府の女王様みたいになっていたと思います」
●
「汝アラム・ヴィスケーノ。汝シェルミーネ・グラーク」
何度も何度も練習した台詞を、アンジェリカはどうにか紡ぎ出していた。
「健やかなる時も病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も貧しい時も、互いを愛し敬い、慰め、共に助け合い、命ある限り真心を尽くす事を」
自分の声が上擦っていないか、緊張が声に出てはいないか、気になって仕方がない。
「……アクアディーネ様に、誓いますか?」
「ち……ちかいます……」
この場で今最も緊張しているのは、新郎アラム・ヴィスケーノであった。
新婦シェルミーネ・グラークは、落ち着いたものである。
「誓います」
花嫁のベールの下で、微笑みすら浮かべている。
花嫁衣装の似合う細身は戦闘的に鍛え上げられていて、さすがエルシー・スカーレットの直弟子であると思わせる。
そのエルシーが、明るく拍手をしていた。
参列者全員が拍手をしており、それは新郎新婦への祝福であろうとわかるが、エルシーの拍手は間違いなく自分アンジェリカに対してのものだ。
酒宴が始まってすぐに、エルシーが話しかけてきた。
「いやあ、お見事でしたよアンジェ。偉い、偉い!」
「……先輩は、もう酔っ払っていますね」
頭を撫でようとするエルシーの手を、アンジェリカは、かわした。
「まったく。どうして私が口上をやらないといけないんですか。押し付けられる私も私ですが」
「いいじゃないですかぁ。私がやるよりずっと立派でしたよ? ね、サーナさんもそう思うでしょ」
「……まあ、今のエルシーさんがやるよりは」
未成年であるサーナは、酒を呑んでいないので冷静だ。冷静な眼差しが、新郎新婦に向けられる。
「あのアラムさんが万一、浮気でもしたら……今回のような事が起こるかも知れない、という事ですよね」
「……ここまで関わってしまった以上、そうならぬよう、お節介を焼くべきなのでしょうか」
言いつつアンジェリカは、自分がそれをしたら口頭注意では済まないだろう、と思った。
それでも、彼女がするよりは穏便に済むか。
「うふふ、アラムさんに限って! そんな事あるわけないですよおぉ。ね? 素敵な旦那様」
「……先輩、呑み過ぎです」
新郎に絡んで行こうとするエルシーを、アンジェリカは掴んで引き寄せた。
「ふふっ、うっふふふふ、これが呑まずにいられますかぁ。だってねアンジェ、私より、私より年下の子がね、結婚うわーん!」
泣き出したエルシーの肩を、アンジェリカはそっと叩いた。
●
うら若い新婦が、別に新郎を嫌っているわけでもないのに結婚式場から逃げ出してしまう。
そういう事が時折、起こるらしいが、性別が逆でもそれは起こりうるのではないかとセアラは思う。
新婦シェルミーネは、泣きじゃくるエルシーと楽しげにお喋りをしている。
新郎アラムは、今にも逃げ出してしまいそうである。
「僕のような無能者……彼女に、ふさわしくない……」
「貴方は、まだそのような事を」
苛立つセアラを、マグノリアがなだめる。
「まあまあ。結婚とは、きっとイブリースと戦う以上の困難を伴うものなのだろう……アラム、君はそれに立ち向かってゆけると僕は思うよ。今回、あの村を守ったのは君だ。それを思えば」
「ま、無茶は控えるようにね」
カノンが言い、式場を見渡す。
「これだけの人たちが、この結婚をお祝いしてくれてる……アラムさんに何かあったら、みんな悲しむよ」
セアラも、見渡してみた。
メレーナ母子がいて、アンジェリカそれにサーナと明るく話し込んでいる。
1人のキジンが、酒宴の片隅で柱にもたれていた。
そこへ、ウェルスが話しかけてゆく。
「……俺はな、キジンって連中があんまり好きじゃねえ」
「私もだ。この身体が、厭わしい」
ジーベルは、苦笑したようだ。
「そんな私が、残骸となって朽ち果てる事を……貴方がたは、許してくれなかったな」
「悪運ってやつだ」
ウェルスが、にやりと牙を見せた。
「生き残っちまったんなら、まあ呑めよ。その身体、飲み食いは出来るんだろう?」
「……私は、未成年だ」
「そうか、じゃあ食え。雰囲気だけで酔っ払ってみろ」
このキジンの少年には酔いが必要なのだろう、とセアラは思った。
●
かつてはテオドールに負けぬほど押し出しの良かった人物が、今はまるで痩せこけた老人である。
そんな姿を1人、城壁の上に佇ませ、夜空を見上げている人物に、テオドールは声をかけた。
「祝って差し上げてはどうか、と思うが」
「…………私の、祝福など……」
オズワード・グラークは、会話には応じてくれた。
「私は……みすぼらしく醜く、未練な男だ……めでたき場に、みすぼらしい顔を見せるべきではないのだ」
「その未練、私はみすぼらしいとも醜いとも思わぬ」
テオドールは言った。
「……人として、当たり前の事だ」
「…………」
オズワードは俯き、声を漏らした。
悲痛に震える、微かな声。
「…………エリオット…………」
「……呑め、オズワード卿」
テオドールが勧めた酒を、オズワードは涙もろとも飲み干していた。
真冬に舞う蝶々。そんな光景であった。
無論、真冬であるのは、この場においてのみだ。氷雪を含む冷気の嵐が、『祈りは歌にのせて』サーナ・フィレネ(CL3000681)の剣舞と羽ばたきに合わせて吹き荒れ、イブリースの巨体を凍り付かせてゆく。
吹雪の精霊を召喚する、ヨウセイの舞い。
「ひとりぼっちの王妃様……あなたの望みは、かないません」
サーナが、蝶々の翅をぱたぱたと躍動させる。
「もう、セフィロトの海へ行ってください……私たちが送ってあげますから、ね」
冥府の女王。
ひび割れた石造りの巨体が、しかし凍結に抗って暴れもがく。ここが村の中であれば、それだけで建物が倒壊し、悪ければ人死にが出ているところだ。
「外見で差別はしたくねえが」
大型の二丁拳銃をぶっ放しながら、ウェルス・ライヒトゥーム(CL3000033)が言った。
「……こいつは、どう見たって化け物だな。さすがに女扱いはしてやれん」
「内面の良し悪しって、ある程度は外見に出ちゃいますからねっ!」
ウェルスの射撃に援護されながら『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)が、冥府の女王に拳を叩き込んでいった。
ひび割れ凍りかけたイブリースが、銃弾と拳を嵐の如く打ち込まれ、血飛沫のような瘴気の粒子を飛び散らせる。
音声ではない絶叫を張り上げている、ようでもある。
長くはないのだろう、と『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)は思った。
「冥府の女神……いや。恐怖の亡霊、か」
語りかけながら、魔導力を錬成する。
「僕には、わかる。お前は今……恐怖している。自身の存在が失われる事を、恐れている」
「その恐怖をね……君は! 大勢の人たちに与えてきたんだからねっ!」
叫び、踏み込んで行ったのは、『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)である。
その両手、愛らしい五指が牙となって、冥府の女王に突き刺さる。掌から、気の奔流が獣の咆哮の如く迸ってイブリースの巨体を穿つ。石の破片が、飛散した。
なおも語りかけながらマグノリアは、
「自身の抱えるものが多いほど、失う時の恐怖は計り知れないのだろう……」
ひび割れた巨大なイブリースに、人差し指を向けた。
華奢な指先で、錬成されつつある魔導力が凝縮し、弾丸と化してゆく。
「だが……安心するがいい冥府の女王。恐怖は、長くは続かない」
「私たちの手で、終わりに致します!」
巨大な十字架を猛然と振りかざして、『未来を切り拓く祈り』アンジェリカ・フォン・ヴァレンタイン(CL3000505)が駆けた。獣の疾駆だった。
「間もなく崩れ去る命であるとしても! 放置はっ、しません!」
十字架の一撃が、冥府の女王の巨体を凹ませた。石の破片と瘴気の飛沫が、飛び散った。
その間。セアラ・ラングフォード(CL3000634)が、1人の要救助者を抱き起こし、その身体に癒しの光をキラキラと流し込んで行く。
「本当に……都合良く、駆け付けるものだな。自由騎士団……」
癒されゆく機械の身体を、ゆっくりと動かしながら、ジーベル・トルクは言った。『智の実践者』テオドール・ベルヴァルド(CL3000375)が微笑みかける。
「その身体。魔導医療を、受け付けるようになったのだな」
黒き杖を厳かに掲げ、呪力の錬成を行いながらだ。
「リノック・ハザン卿たちによる……改良に次ぐ、改良の結果であろう」
「……技術者として、立派に生きてゆける者たちだ。私など見捨てて、自由に生きれば良いものを」
「君を見捨てない。それが彼らの、自由意志なのだろう」
錬成した魔導弾丸を、マグノリアは発射していた。たおやかな指先が、銃声を発した。
「ジーベル……君は、彼らをはじめ大勢の人々の、希望の光で出来ている。その光を消してはいけない……君は、生きなければならない」
聖なる魔弾を撃ち込まれたイブリースが、またしても音声なき絶叫を張り上げる。
ひび割れた巨体。それら無数の亀裂から、大量の瘴気が噴出して渦を巻く。
ジーベルが立ち上がった。セアラやマグノリアを庇おうとしている、ようである。
だが。瘴気の大渦は、この場にいる全員を荒々しく巻き込んでいた。
マグノリアは身を折り、咳をした。どす黒い飛沫が、飛び散った。呪いの猛毒で、血液が変色している。
凄惨な光景が、視界内に広がった。
これまで幾度となく見せられたもの。幻覚である事は、頭では理解出来る。
「……まだ……わからないんですか……こんな事したって、綺麗になんか……なれないって事……!」
黒い鮮血を滴らせながら、エルシーが呻く。
「人の内面はね、外見に出ます……心を美しくする努力……自分でしなきゃ、美人になんて! なれるわけがないんです!」
「醜悪な御心を……何万年も、抱えてこられたのですね……」
美しい口元を、毒性の吐血で黒く痛々しく汚しながら、セアラが左右の繊手を掲げた。
目に見えぬ聖杯を、彼女は保持していた。
「……全て、お忘れ下さい……私たちの手で今、あちらへお連れいたします」
不可視の聖杯から、魔導医療の光が溢れ出し、ジーベルを含む全員をキラキラと優しく包み込む。
呪いの猛毒が、消滅してゆく。
マグノリアはもう1度、咳き込んだ。赤い血飛沫が飛散した。
解呪を施された自由騎士団に、さらなる瘴気を吐きかけようとして、冥府の女王が痙攣している。
その巨体に氷の荊が幾重にも絡み付き、瘴気を噴く亀裂をピッタリと押さえ閉ざしていた。
「ジーベル・トルク卿……わからぬか。光を見せられているのはな、貴卿だけではないのだぞ」
黒き杖で氷の荊を操作しながら、テオドールが言う。
「貴卿もまた、大勢の人々に光を見せている。たとえ自ら望んで闇の中を歩こうと、だ」
(僕には……光も、闇すら……ない……二百余年、存在しながら……ずっと)
マグノリアは魔力を癒しの光に変え、振り撒いた。
振り撒く事も出来ない、思いがある。
(光を見せられて、辛いのは……君だけではないよ、ジーベル)
●
ひび割れた体表面が、剥離してゆく。
細かな石の破片を散らかし、それでもなお荒れ狂い続ける冥府の女王。
腐敗した還リビトに等しい、とカノンは思う。
思いつつ、吹っ飛ばれていた。
ひび割れた石造りの尻尾が、自由騎士たちを薙ぎ払っていた。柳凪の身ごなしでも、受け流しきれない一撃。
「くぅ……ッ! 何て執念……!」
地面に激突したカノンを、機械の腕が助け起こしてくれた。
同じく尻尾の一撃を喰らい、どうにか立ち上がってきたジーベルである。
「まさに……ふふ、おぞましいき執念……」
自嘲している、ようである。
「かつての私も……あなた方の目には、同じように見えていたのだろうな」
「……違うよ。君は間違いなく、大勢の人たちを守っていた。今でも、そうだよ」
カノンは言った。
「……アスハムの手も、握ってあげて欲しいな」
「…………」
一瞬、無言で俯いたジーベルが、すぐさま戦いの場に視線を戻す。
アンジェリカが、血まみれで佇んでいた。巨大な十字架から、大剣を抜き放った体勢のまま。
冥府の女王が、後方に揺らいでいた。石の巨体に、大きな裂傷がざっくりと刻み込まれている。
尻尾の一撃を喰らいながら、アンジェリカはほぼ同時に返礼の斬撃を見舞っていた。
「数万年に及ぶ妄執……しかと、受け止めましたよ……」
アンジェリカが倒れてゆく。
同じく倒れていたエルシーが、よろりと起き上がってアンジェリカを抱き止めた。
そこへ、冥府の女王が猛然と襲い掛かる。巨体を縛っていた氷の荊が、溶けちぎれてゆく。
「くっ、まだ止まらぬか!」
テオドールが、氷の荊による拘束を諦め、呪いの短剣を己の首筋に当てた。
冥府の女王の首筋が、ざくりと裂けた。石造りの巨体が一瞬、硬直する。
その一瞬の間にカノンは、
「ジーベル、カノンを投げて! 思いっきり!」
「わ、わかった」
機械の剛腕によって、投擲されていた。
拳を握りながら、カノンは飛翔そして激突してゆく。巨大なイブリースに、まるで隕石の如く。
「何万年分かの執念……敬意を、払っておくよ」
隕石の如き拳の一撃が、冥府の女王の顔面を直撃していた。真紅の衝撃光が飛散し、鐘の音が鳴り響く。
「だから全力で打ち砕く! ご自慢の、綺麗な顔ごと……」
カノンは落下し、着地に失敗し、転倒した。もう足に力が入らない。
冥府の女王の、裂けていた首筋が完全にちぎれていた。巨大な頭部が転げ落ち、崩れ砕ける。
だが。首から上を失ったイブリースの巨体は、動きを止めない。尻尾が、重い唸りを立ててカノンを襲う。
立ち上がれぬカノンの身体を、ジーベルが掴んで引き寄せた。巨大な石造りの尻尾が、カノンをかすめて空を切る。
「……しぶといぜ。まったく、女の執念深さってのは……熟知してる、つもりだがな……」
弱々しく苦笑しながら、ウェルスが大型の蒸気式ロケットランチャーを構えようとして膝を折る。
倒れそうになったその巨体を、セアラが細腕で抱き支えた。
「猛毒の瘴気を……浴び過ぎましたね? ウェルス様」
「女の執念は、真正面から受け止めるのが……男の振る舞いってものさ……」
「程々になさいな」
言葉と共に、セアラの優美な全身から光が溢れ出し、ウェルスを包み込んだ。
いや、ウェルス1人にとどまらない。柔らかな魔導医療の輝きが、全員の身体に優しく染み込んでいった。
カノンは、ゆらりと立ち上がった。地を踏む両足にも、拳を握る両手にも、力が戻っている。
まるでセアラが、自身の生命力を全員に分け与えたかのようである。
「これが……最後の治療に、なると思います……皆様……どうか……」
力尽き膝をついたセアラを、ウェルスが背後に庇う。
「任されたぜ。休んでくれ、セアラ嬢!」
轟音が起こり、ロケットランチャーが砕け散った。その破片がセアラの方に行かぬよう、ウェルスが身体で爆風を止めたようである。
砲身を爆砕しながら飛び出したロケット弾が、冥府の女王を直撃した。爆炎の中で、首無しの巨体が崩壊してゆく。
否。おぞましい怪物の原形は、まだ残っている。
「あと1時間……どころか数十分も、保たないだろうが……放置は、しない」
爆炎の塊に向かって、マグノリアが踏み込んで行く。
「……時間切れでは、終わらせない」
「この場で撃滅しますよ。絶対撃滅すなわち、ぜつ☆めつ!」
エルシーが、それに合わせた。
セアラによる最後の魔導医療が、最後の力を全員に振り絞らせている。
「お戯れはここまでですよ女王様。貴女が、好き勝手に出来る時代は! とっくの昔に終わっているんです!」
緋色の閃光を伴う、エルシーの鋭利な拳。
光り輝く魔力を宿した、マグノリアのたおやかな掌。
光そのものと言うべき2つの攻撃が、冥府の女王に叩きつけられていた。爆炎で熱された石の破片が、大量に飛び散った。
それらを蹴散らすように瘴気が溢れ出し、エルシーとマグノリアを襲う。
いや。迸った瘴気が、白く冷たい気流に吹き飛ばれて消滅する。
目に見えるほど濃密な、冷気の渦。それは死を司る何者かの、両腕のようにも見える。
「おいたわしき方よ……ここは、今や貴女の生きる時代ではないのです」
テオドールが、死を司る何かを召喚していた。
「終わりに致しましょう……時を司る者よ、その抱擁にて彼女を包み去れ」
召喚されたものによる、白く冷たい抱擁が、冥府の女王を圧迫してゆく。
今や原形を失いつつある石の巨体が、凍り付き、砕け、崩壊しながらも瘴気を噴出させている。
噴出したものが自由騎士団を襲う……寸前。閃光が、冥府の女王を貫いていた。
軽やかな蝶々の羽ばたきを、カノンは一瞬だけ幻視した。
「……羨ましいです。そんなふうに、自分勝手な執念を最後まで押し通せるなんて」
サーナだった。
魔力を帯びた必殺の刺突が、閃光の衝角となってイブリースを貫通したのだ。
「私は、自分のやりたい事を押し通す前に……アクアディーネ様の権能を、身に付けてしまいました」
女神アクアディーネの権能がなかったら、彼女が一体、何を押し通していたのか。それは想像に難くなかった。
冥府の女王が、崩壊してゆく。溢れんばかりであった瘴気が、消え失せてゆく。
その様に背を向けながらサーナが、カノンに微笑みかける。屈託のない、愛らしい笑顔。
「まだ言っていませんでしたね、カノンさん……本当に、ありがとうございました」
「サーナちゃん……」
「あの男が生きていたら、私……それこそ今頃、冥府の女王様みたいになっていたと思います」
●
「汝アラム・ヴィスケーノ。汝シェルミーネ・グラーク」
何度も何度も練習した台詞を、アンジェリカはどうにか紡ぎ出していた。
「健やかなる時も病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も貧しい時も、互いを愛し敬い、慰め、共に助け合い、命ある限り真心を尽くす事を」
自分の声が上擦っていないか、緊張が声に出てはいないか、気になって仕方がない。
「……アクアディーネ様に、誓いますか?」
「ち……ちかいます……」
この場で今最も緊張しているのは、新郎アラム・ヴィスケーノであった。
新婦シェルミーネ・グラークは、落ち着いたものである。
「誓います」
花嫁のベールの下で、微笑みすら浮かべている。
花嫁衣装の似合う細身は戦闘的に鍛え上げられていて、さすがエルシー・スカーレットの直弟子であると思わせる。
そのエルシーが、明るく拍手をしていた。
参列者全員が拍手をしており、それは新郎新婦への祝福であろうとわかるが、エルシーの拍手は間違いなく自分アンジェリカに対してのものだ。
酒宴が始まってすぐに、エルシーが話しかけてきた。
「いやあ、お見事でしたよアンジェ。偉い、偉い!」
「……先輩は、もう酔っ払っていますね」
頭を撫でようとするエルシーの手を、アンジェリカは、かわした。
「まったく。どうして私が口上をやらないといけないんですか。押し付けられる私も私ですが」
「いいじゃないですかぁ。私がやるよりずっと立派でしたよ? ね、サーナさんもそう思うでしょ」
「……まあ、今のエルシーさんがやるよりは」
未成年であるサーナは、酒を呑んでいないので冷静だ。冷静な眼差しが、新郎新婦に向けられる。
「あのアラムさんが万一、浮気でもしたら……今回のような事が起こるかも知れない、という事ですよね」
「……ここまで関わってしまった以上、そうならぬよう、お節介を焼くべきなのでしょうか」
言いつつアンジェリカは、自分がそれをしたら口頭注意では済まないだろう、と思った。
それでも、彼女がするよりは穏便に済むか。
「うふふ、アラムさんに限って! そんな事あるわけないですよおぉ。ね? 素敵な旦那様」
「……先輩、呑み過ぎです」
新郎に絡んで行こうとするエルシーを、アンジェリカは掴んで引き寄せた。
「ふふっ、うっふふふふ、これが呑まずにいられますかぁ。だってねアンジェ、私より、私より年下の子がね、結婚うわーん!」
泣き出したエルシーの肩を、アンジェリカはそっと叩いた。
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うら若い新婦が、別に新郎を嫌っているわけでもないのに結婚式場から逃げ出してしまう。
そういう事が時折、起こるらしいが、性別が逆でもそれは起こりうるのではないかとセアラは思う。
新婦シェルミーネは、泣きじゃくるエルシーと楽しげにお喋りをしている。
新郎アラムは、今にも逃げ出してしまいそうである。
「僕のような無能者……彼女に、ふさわしくない……」
「貴方は、まだそのような事を」
苛立つセアラを、マグノリアがなだめる。
「まあまあ。結婚とは、きっとイブリースと戦う以上の困難を伴うものなのだろう……アラム、君はそれに立ち向かってゆけると僕は思うよ。今回、あの村を守ったのは君だ。それを思えば」
「ま、無茶は控えるようにね」
カノンが言い、式場を見渡す。
「これだけの人たちが、この結婚をお祝いしてくれてる……アラムさんに何かあったら、みんな悲しむよ」
セアラも、見渡してみた。
メレーナ母子がいて、アンジェリカそれにサーナと明るく話し込んでいる。
1人のキジンが、酒宴の片隅で柱にもたれていた。
そこへ、ウェルスが話しかけてゆく。
「……俺はな、キジンって連中があんまり好きじゃねえ」
「私もだ。この身体が、厭わしい」
ジーベルは、苦笑したようだ。
「そんな私が、残骸となって朽ち果てる事を……貴方がたは、許してくれなかったな」
「悪運ってやつだ」
ウェルスが、にやりと牙を見せた。
「生き残っちまったんなら、まあ呑めよ。その身体、飲み食いは出来るんだろう?」
「……私は、未成年だ」
「そうか、じゃあ食え。雰囲気だけで酔っ払ってみろ」
このキジンの少年には酔いが必要なのだろう、とセアラは思った。
●
かつてはテオドールに負けぬほど押し出しの良かった人物が、今はまるで痩せこけた老人である。
そんな姿を1人、城壁の上に佇ませ、夜空を見上げている人物に、テオドールは声をかけた。
「祝って差し上げてはどうか、と思うが」
「…………私の、祝福など……」
オズワード・グラークは、会話には応じてくれた。
「私は……みすぼらしく醜く、未練な男だ……めでたき場に、みすぼらしい顔を見せるべきではないのだ」
「その未練、私はみすぼらしいとも醜いとも思わぬ」
テオドールは言った。
「……人として、当たり前の事だ」
「…………」
オズワードは俯き、声を漏らした。
悲痛に震える、微かな声。
「…………エリオット…………」
「……呑め、オズワード卿」
テオドールが勧めた酒を、オズワードは涙もろとも飲み干していた。