MagiaSteam
赤くて丸い月夜の晩に。或いは、飢餓狼と枯れた森



●飢餓の地
日の光も遮る、鬱蒼と茂った木々の枝葉が邪魔だった。
植物は生長を止め、動物たちは新天地を求め逃げ出した。
痩せ枯れた土地からは、毒を有した植物ばかりが生い茂る。
あるいは、森の地下深くを流れる水源が汚染されていたことも原因かもしれない。
水源を汚染したのは、近くの山間部にある人の街だ。
産業汚水。
食物の成長しない死にゆく森。
おかげで、森に残った数少ない獣たちは餓えていた。その筆頭が、かつては森の王者として君臨した狼たちであった。
死にゆく狼たちは、倒れた仲間を食らうことで生を繋ぐ。
それでも、1匹、また1匹と力尽きて死んでいく。
そして、最後に残ったのが“彼”だった。
彼は頭のいい狼だ。
彼は正しく理解していた。
自分たちが餓えた原因は、人間たちにあるのだと。
自分たちが森から出ても、人間たちに駆除される運命にあるのだと。
数多の仲間たちの肉を喰らい、汚染された水を啜り。
けれどついには力尽き、彼は今、死の際にいる。
脚は動かない。
瞼は開かない。
そんな彼の耳に届いたのは、場違いな蒸気列車の汽笛の音で。
その夜、彼は悪魔と化した。
新たな生を、新たな力を得た彼は、とうとう森を出ることに決めた。
その目的は、人間たちへの復讐と、餓えた腹を満たすこと。
それ以外のことは、もはや考えることは出来ないでいた。

●階差演算室
カツン、と靴音が演算室に響き渡る。
どこか浮かない顔をして、、『元気印』クラウディア・フォン・プラテス(nCL3000004)はふぅと重たいため息を吐いた。
「なんていうか、同族がご迷惑をおかけしてごめんなさい……って気分になっちゃうよね」
と、一つ愚痴を零して笑う。
力のない笑み。けれど努めて、いつものように明るく振る舞おうとして。
「ターゲットはイブリース化した狼(飢餓狼)と、彼がスキルで生み出した(怨狼)たち。合わせて7頭の狼の群れだよ」
その声にはやはり、どこか力がこもっていない。

「戦場は森の中。飢餓狼は気づいていないけど、開発が進んでかなり規模が小さくなっているよ。まっすぐ進めば突っ切るのに十分もかからないんじゃないかな?」
もちろん、森の中とは歩きにくいものだ。
何の備えも無ければ、その倍は時間がかかるだろう。
「森の各所を6匹の怨狼がうろついているよ。人を見つけた怨狼は、それに襲いかかる習性があるんだけど……」
と、そこでクラウディアは言葉を止める。
それから、何かを考えるような仕草をした後、言葉の続きを吐き出した。
「怨狼は敵わないと判断したり、大きなダメージを負ったりしたら、飢餓狼のもとへと帰って行くみたいなの」
つまり、消滅しない程度に傷つければ飢餓狼の発見も容易になるということだ。
そういった選択肢があることを自由騎士たちに伝えるべきか否か判断に迷ったので、彼女は言葉を濁したのである。
「怨狼たちは飢餓狼のスキルによって発生しているものだから。攻撃には[カース]の状態異常が付与されているよ」
怨狼たちの特徴としては、連携の取れた素早い動作と鋭く尖った歯や爪があげられる。
こちらは、飢餓狼にも共通する特徴だ。
もっとも飢餓狼のサイズは、怨狼よりもかなり巨大なものではあるが。
「森のどこかにいる飢餓狼は、今のところ移動していないみたい。でも、時間をかけすぎると森の外へ出ちゃうかも知れないから、できるだけ早めに倒してほしいかな」
通常の狼の3倍近い巨大な体躯。
その頭部や胴体の一部からは、骨が覗いている。
特徴的な外見からも、目にすれば即座にそれが飢餓狼であることが理解できるだろう。
「飢餓狼のスキルは怨狼を生み出すもののほかに2つ。対象に[スロウ]を付与するハウリングと、高威力かつ[ウィーク]のついたレッキングだよ」
主な戦場は森の中となるだろう。
暗いとはいえ、太陽の光もある。
明かりは不要だ。
だが、足場は悪くまた木々が邪魔で視界が狭くなるという特徴がある。
こちらには注意が必要だ。
「かわいそうだけど、イブリース化した以上は倒さないわけにはいかないよね。皆、よろしくね」
にこり、と。
普段より少し力のない笑みを浮かべながら、クラウディアはそう言った。


†シナリオ詳細†
シナリオタイプ
通常シナリオ
シナリオカテゴリー
魔物討伐
担当ST
病み月
■成功条件
1.ターゲット・飢餓狼の討伐
●ターゲット
飢餓狼(イブリース)×1
悪魔化した狼。
強い餓えと人間に対する恨みの感情を抱いている。
素早い動作と、鋭い牙や爪による攻撃が特徴。
通常の狼の3倍近い巨体を誇る。
・ハウリング[攻撃] A:遠近範【スロウ1】
咆哮による衝撃派を放つ攻撃。

・レッキング[攻撃] A:攻近単【ウィーク2】
対象に喰らい付く攻撃
レッキング使用中は、他者からの攻撃などに対して無頓着になる。

・怨狼[攻撃] A:攻近単【カース1】
飢餓狼の生みだした餓えた狼たちの群れ。
都合6体が森の中を徘徊している。



●場所
暗い森の中。
密集した木々のせいで視界が狭く、また足下も不安定となっている。
森の規模は小さく、10~20分ほどで横断出来る程度。
森の中には都合7体の狼が徘徊している。
また、ところどころに水が湧いているが飲料には適さない。
状態
完了
報酬マテリア
6個  2個  2個  2個
8モル 
参加費
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
参加人数
6/8
公開日
2020年01月26日

†メイン参加者 6人†




 日の光も遮る、鬱蒼と茂った木々の枝葉が邪魔だった。
 じめじめと湿った大地の上に腹を乗せ、その狼……飢餓狼は静かにまどろんでいた。
 腹が空いて堪らないのだ。
 起きていると、どうしても空腹を感じ辛くなるから。
 だから、飢餓狼は眠っているのだ。
 けれど、しかし……。
『……ォォン』
 か細い遠吠えを一つ。
 飢餓狼の眼前に、地面から湧きあがるようにして姿を現す6つの影。
 ガリガリにやせ細った狼たちだ。
 飢餓狼の命令を受け、痩せた狼たち……怨狼はその場を立ち去った。
 森へ足を踏み入れた、哀れな侵入者たちを狩るために。
 飢餓狼は静かに目を閉じ、再び夢の中へと沈む。
 久しぶりに肉が喰える……そんなことを考えながら。
 肋骨が剥き出しになり、内臓も腐り落ちた飢餓狼はもはや真っ当な生物でさえないと言うのに。
 どれだけ肉を喰らおうと、その飢えが満たされることは無いと言うのに。
 そのことを飢餓狼は、気付いていない。

 一方その頃、森の入口付近にて。
 集うは6人の自由騎士。その先頭に立つ『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)は悲しそうに言葉を零す。
「人間の生活の発展の為に犠牲になる動植物達がいる。解決の難しい命題だよね」
 カノンの視線の先には、痩せた森が広がっている。
水質が汚染され、さらには土地開発によって小さくなったその森こそが飢餓狼の住処である。
「悲しいですが、これも運命。果たして、この生存競争の先にはどんな未来が待っているのでしょうね」
カノン同様に『救済の聖女』アンジェリカ・フォン・ヴァレンタイン(CL3000505)もまた、人間の身勝手により苦しんだ飢餓狼や、痩せた森には思うところがあるのだろう。
 そっと目を閉じ、胸の前で十字を切った。
 祈ることだけが、今の彼女に出来る精一杯。それから、決意を秘めた眼差しで森を見やると、傍らに置かれていた巨大な十字架を肩に乗せた。

 仲間たちが次々と森へ入って行く。その後を追う『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)は、ふと思い至りその場でピタリと歩みを止める。
「また、蒸気列車か……」
 空を見上げ、マグノリアはそう呟いた。
 蒸気列車(ゲシュペンスト)と呼ばれるそれは、生物を悪魔(イブリース)化させる謎の現象。
 痩せた森に住まう飢餓狼も、それによってイブリースと化した存在だ。
 マグノリアたちに出来ることは、その後始末のみ。
 果たしてそれは救いと呼べるものなのだろうか……。

「近くに怨狼がいるようです。皆さん、ご注意を」
 森の半ばほどまで進んだところで、セアラ・ラングフォード(CL3000634)が仲間たちへ警戒を促す。
 [感情探査]のスキルを使用した彼女には、有る程度の範囲内に存在する負の感情を感知できるのだ。とはいえ、その位置や距離を正確に把握することは不可能なのだが……。
「それなら私の出番ですね。ところで、最初に遭遇した怨狼は倒すの? それとも、逃がして飢餓狼の元まで案内してもらうのだったかしら?」
 胸の前で拳を打ち鳴らし、『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)は周囲へ視線を走らせる。
 イェソドのセフィラにより第六感の強化された彼女には、不意打ちなど通用しない。そのため、森の中のような視界の悪い戦場では、周辺警戒や迎撃といった役割を十全にこなすことができるのだ。
「僕も手伝おう。森の中での行動は得意なんだ。それと、怨狼は見つけ次第倒し飢餓狼戦で数を有利にしたいね」
 蒸気鎧装を身に纏った偉丈夫・『真なる騎士の路』アダム・クランプトン(CL3000185)もまた、エルシーとは反対方向へと視線を向けて、剣と化した義手を構えた。
 [フォレストマスター]のスキルにより、現在の彼は森林での活動に最適化された状態にある。
「…………来ます」
 十数秒の沈黙の後、そう呟いたのはセアラである。
 彼女の台詞とほぼ同時に、藪の中から1匹の痩せた狼が飛び出した。
 

「……っく」
 掲げた十字架に鋭い爪が喰い込んだ。
 アンジェリカは、怨狼の突進に押され数歩後方へと下がる。
 後退しながら、十字架を大きく振り抜くが怨狼はひらりとそれを回避した。
「酷く痩せているな……これが、ヒトがより良い世界を求めた代償、か」
 怨狼へ剣を向けつつ、アダムはその背にマグノリアとセアラを庇う。
 そうしながらも、アダムは鎧装の下で強く唇を噛み締めた。
(……考えるのは後だ、戦闘に集中しろ。アレコレ考えながら戦える程器用な男じゃないだろアダム・クランプトン)
 怨狼の痩せた姿に驚愕し、ほんの一瞬、行動が遅れたことを自戒しているのだ。
 どうにかアンジェリカのカバーが間にあったが、戦場では一瞬の油断が死へ直結することも珍しくない。ましてや相手は獣である。獲物に対して、慈悲など与えるはずもなく……つい今し方でさえ、危うくマグノリアがダメージを負う寸前だった。
 アダムが仲間のカバーに回ったのを確認し、エルシーが弾かれたように前へ跳び出す。
「飢餓狼が作り出した狼の群れか。きっとかつての仲間達の姿を模しているのね。なんだか悲しいわ」
 滑るような動きで怨狼の真横へ迫り、その胴体へ拳を打ち込んだ。
『ギャン!!』
 と、悲鳴をあげ怨狼が地を転げる。
 飢餓狼のスキルによって生み出された存在ではあるが、どうやら痛覚や感情を備えているらしい。
 一瞬、エルシーの動きが止まる。
 人に害され、命を散らした狼に拳を振るうことをためらったのだ。
 だが……。
「いいえ……貴方たちの境遇に同情はする。でも、情けはかけない。悪いわね」
 奥歯を強く噛み締めて、地に伏した怨狼へエルシーは拳を振り下ろす。
 地面が揺れるほどの衝撃と共に、怨狼は霞のように消え去った。
 まるで幻影……はじめからそんなものどこにもいなかったかのように。
 何の痕跡も残さず、怨狼は消滅したのだ。

 1体の怨狼を撃破したことで、残る5体の怒りを買ってしまったのだろう。
「数が多いね。ここは僕に任せてくれ」
 アダムとアンジェリカに守られながら、マグノリアは指揮者のようにその細い腕を宙へと浮かす。
 ゆっくりと腕を泳がす動作に合わせ、不可視の魔力が眼前に迫る3体の怨狼の身体を包み込み宙へと持ち上げた。
 魔力の渦に飲み込まれ、怨狼たちは悲鳴をあげる。
 だが、それだけでは消滅させることは叶わなかった。解放された直後、3体の怨狼が地面を蹴ってマグノリアへと跳びかかる。
 うち2体はアダムとアンジェリカが抑えてみせたが、突破した1体の爪がマグノリアの腹部を切り裂いた。切り裂かれた薄い腹から、ぼたぼたと赤い血が零れる。
「っつ……しまったね」
 腹部を押さえて膝を突いたマグノリアの眼前に、血に濡れた鋭い牙が迫った。
「治療を……いえ、迎撃が先、かしら」
 マグノリアを庇うようにセアラは前へ。
 だが、ここで問題となるのが彼我の距離だ。
 すぐ目の前には怨狼。背後には傷を負ったマグノリア。
 治療を優先すれば、その間に自分が怨狼の攻撃を受ける。
 とはいえ、マグノリアを放置して戦闘に移っても、怨狼を即座に討伐できるかは怪しい状態だ。
 ほんの一瞬、セアラの脳裏に迷いが生じた。
 その迷いを打ち払ったのは、カノンである。
「許しは請わない。後悔もしない。カノンの全力でお相手するよ!」
 離れた位置で別の怨狼の相手をしていたはずのカノンが、仲間を救うべく後衛付近へと駆け戻ったのだ。
 跳びかかる勢いで怨狼の胴を掴むと、そのままもつれあうようにして地面を転がる。
「今なら……回復を!」 
 セアラは背後のマグノリアへと手を翳した。
 飛び散る淡い燐光が、マグノリアの傷を癒していく。

 泥に塗れながらも、カノンは怨狼へと拳を叩き込み続けた。
 鋭い牙が、爪が、カノンの肌に深い裂傷を刻み込む。
 泥と血に濡れた凄惨な姿。
 カノンの瞳には涙が溜まっていた。
 痛みによる涙、というわけではない。拳を受け、牙をへし折られながらも恨みの籠った瞳でカノンを見据える怨狼を哀れと感じたことによる涙だ。
「手加減はしないよ。それは君の怒りと憎しみと誇りを汚すだけだから」
 怨狼の爪が、カノンの頬を切り裂いた。
 カノンの拳が怨狼の鼻先へと叩きつけられる。
 そうして、怨狼は霞と化して消え去った。
 恨みを晴らすことも出来ずに、力及ばず消えたのだ。
 それはまさしく、弱肉強食の具現であろう。
 カノンにはそれが、ひどく悲しいことに思えた。

「すまない。僕は騎士だからね、仲間を傷付けさせるワケにはいかないんだ」
 振り抜かれたアダムの剣が、怨狼の首を刎ねた。 
「これで4体……残る2体は逃がして、飢餓狼の元へ案内していただきましょう」
 さらにもう1体。
 振り抜かれたアンジェリカの十字架により、怨狼が消滅する。
 アンジェリカの身体も、アダムの鎧装も傷だらけだ。
 なりふり構わず襲って来る怨狼の爪や牙により付けられた傷からは、強い恨みの感情が滲む。
 ザリ、と十字架に刻まれた爪の跡を指先で撫で、アンジェリカは視線を前方へと向けた。
 2体の怨狼と激しく打ち合うエルシーの姿がそこにはあった。

 ぐるる、と唸り怨狼はエルシーの傍から離れていった。
 深追いはせず、拳を構えて彼女はそれを見据えている。
 やがて……エルシーの背後に残る5名の自由騎士たちが集う。それを見て、怨狼は「敵わない」と判断したのだろう。
 悔しげに顔を歪めると、森の中へと逃げていく。
「狼達も、森の動植物達もまた被害者か……人間の生活が豊かになった反面、世界のどこかでこうした歪みが出てしまうのね」
 拳を降ろし、エルシーは言った。
「追跡します。おそらく飢餓狼の元へ帰って行くのだと思いますから」
 と、そう告げてエルシーの肩にセアラがそっと手を乗せた。
先頭に立ってセアラが歩き始める。
 感情探査の有効範囲は、さほど広いとは言えない。怨狼が射程内に留まっているうちに、その後を追いかける必要があるのだ。
 そんなセアラを庇うように、アダムが傍へと近づいていく。
 そうして、移動開始から数十秒が経過した頃。
『アァァォォォオオオン!!』
 森のどこかで、飢餓狼が遠吠えた。

● 
「狼たちの王……飢餓狼よ。貴公のお相手はこのアダム・クランプトンが務めよう。いざ、参られよ!」
 胸の前に剣を掲げ、アダムはそう名乗りをあげた。
 視線の先には地面に伏せた飢餓狼と、その前に待機する2体の怨狼がいる。
 飢餓狼はどんよりと濁った視線でアダムを見やり、ゆっくりとその身を起こす。
「来るがいい。貴公の痛みも想いも、すべて私が受け止めよう」
 剣を振り抜き、アダムが前へ。
 飢餓狼は唸り声をあげながらも前へ出た。通常の狼の3倍近い体躯は、痩せているとはいえかなりの迫力。ましてや元は野生の獣だ。鋭い牙など、まるで杭のようである。
 アダムと飢餓狼がほぼ同時に跳び出した。
 1人と1匹の間で、剣と爪とが衝突する。周囲の木々がざわめいて、樹の葉がはらはらと散っていく。
「……所々に骨が露出しているわね。あれでは、たとえ浄化してももう助からないかしら?」
 ちら、と横目で飢餓狼の様子を窺いながらもエルシーは怨狼と対峙した。
 跳びかかって来た怨狼の爪を避け、エルシーはその胸元へと鋭い拳を叩き込む。
 飢餓狼から感じる威圧感は本物だ。可能であれば、6人全員で相手をしたいところだが、そのためにはまず怨狼が邪魔となるのだ。
 そして、そう考えたのはエルシーだけではなかった。
「君たちは人間が憎いんだよね。そんな風になってしまうくらいに」
 怨狼の牙を受け流し、放たれるは回し蹴り。
 2発の足刀をその身に受けた怨狼が、苦しげな呻き声をあげる。
 だが、流石は野生の獣と言うべきか……ダメージを負いながらも、正確にカノンの脚へ喰らい付き、ダメージを残す。
「……っ!?」
 血の雫が周囲に跳んだ。カノンの脚の肉が食いちぎられたのだ。
 バランスを崩すカノンの前にアンジェリカが割り込んだ。

「その生き地獄、せめてここで終わりにしてあげましょう」
 ひゅおん、と。
 風が鳴る。
 流れるように振り回される巨大な十字架が、怨狼の攻撃をいなす。
 怨狼の状態が目に見えておかしくなりはじめたのは、それから少し経った頃だった。
 [コンフュ]の状態異常によるものか。
 怨狼は虚ろな視線で周囲を見回し、エルシーと相対する別の怨狼へと襲いかかる。
 その隙にカノンの元へとセアラが駆け寄り、抉れた足首へ手を翳した。
 セアラの手の平から降り注ぐ淡い燐光が傷口を覆い、じわじわとその傷を癒していく。
「ここは戦場。早めに回復しておいて損ということはないでしょう」
 そうしてカノンの傷を癒し終えた彼女は、仲間たちへ向け[ノートルダムの息吹]を行使した。
 燐光を孕んだ暖かな風が、仲間たちの身を覆う。
 
「っと……見境がないわね」
 混乱状態にある怨狼は敵味方を区別せず、全力での攻撃を繰り返している。
 激しくもつれあう怨狼2体の戦闘に巻き込まれまいと、エルシーは慌ててその場を退いた。
 その直後、怨狼の混乱が解けた。エルシーが後退するのとタイミングを合わせ、2体の怨狼が地面を蹴って跳び出したのだ。
「しまっ……」
 咄嗟のことに反応が遅れる。
 振るった拳は怨狼の背を掠めたが、消滅させるには至らない。
 脇を駆け抜ける怨狼たちの視線の先にはマグノリアがいた。
 後衛であるマグノリアが、2体の怨狼を相手にどれだけ立ちまわれるだろう。エルシーの頬を冷や汗が伝う。
 だが、マグノリアは小さく、そして寂しげに笑っていた。
「噛まれようと死にはしないさ……彼らの乾きに比べればなんてことないよ」
 そう呟いて、マグノリアは両の腕を怨狼の前へと差し出す。
 鋭い牙がマグノリアの細い腕に食い込んだ。
 骨の軋む音。肉と筋が断裂する音。赤い血が滴り、地面を濡らす。
「無念だったんだろう。同胞を食べて迄繋いだ生命……其れを途絶えさせる瞬間。やりきれないね」
 マグノリアを中心に魔力の渦が展開される。
 渦に巻かれ、宙へと浮いた怨狼はやがて霞と化して消え去った。
「さぁ、残るは飢餓狼だけだ。飢えて逝ったのは、何とも言えない気持ちだっただろうね」

 飢餓狼の猛攻を、アダムは黙って受け続ける。
 元より彼は攻めることよりも守ることを主眼に置いた戦闘を行う傾向にある。そのため、積極的に攻めていくよりも、こうして敵の攻撃を受け、捌き、隙をみてダメージを与えるといった戦闘スタイルを得意としていた。
「怨念を抱え続けるなんて、あまりにも辛いじゃないか」
 飢餓狼の牙をいなし、カウンター気味に剣での一撃をその喉元へと突き刺した。
 飢餓狼の巨体相手では、通常の狼ならば致命であろうその一撃も大したダメージには繋がっていない。
 刺さった剣もそのままに、飢餓狼はアダムの首へと喰らいつく。鎧装の隙間から皮膚を穿たれ、アダムの鎧が朱に染まった。
「僕の剣でその怨念を切り裂こう。許してくれとは言わない……どうか、安らかに眠ってくれ」
 喰らい付かれた状態のまま、アダムは剣義手とは逆の腕を飢餓狼の首へと回す。
 その間もアダムの体力は減っている。
 このままではそう遠からずアダムは力尽きるだろう。
 だが、問題ない。
「ぁぁぁぁああああああああああああああ!!」
 獣のそれに似た咆哮。
 大音声と共にエルシーが迫る。
 咆哮を浴びた飢餓狼の動きが鈍った。獣特有の素早い動きは、アダムの拘束と併せてこれでほぼ失われた状態だ。
「はぁっ!!」
 怒号と共に、飢餓狼の胴へ巨大な十字架が叩き込まれた。
 アンジェリカによる追撃。飢餓狼はしかし、獲物と定めたアダムへの攻撃に執着しており、自身のダメージなど気にも留めていないようだ。
「どこかの神様は狼に片腕を食わせて相手を倒したらしいよね。なんだかそれに似てるなぁ」
 なんて、言って。
 飢餓狼の真下へ潜り込んだカノンは、地面を踏みしめ力を溜める。
 そうして放たれた渾身の一撃は、飢餓狼の胸を穿った。
 リィンーーゴォン、と。
 鳴り響くは鐘の音。
 そして、飢餓狼は力を失い倒れ伏す。
 
 後に残ったのは、痩せこけた1匹の狼だった。
「一時でいい……せめて、その飢えが満たされれば」
 飢餓狼の命が潰える、その前に。
 マグノリアは自身の腕を……怨狼に喰らわれ、肉の抉れた細い腕をその口元へと差し出した。
 果たして……。
『ぅるる』
 飢餓狼は、確かに笑った。
 ぺろり、と赤い舌でマグノリアの血を舐めて。
 満足そうに息絶えた。
 少なくとも、マグノリアの目にはそう見えた。

「これで良し」 
 と、そう呟いてセアラは水筒をしまう。
 水筒の中には、森で採取した汚染水が詰まっていた。
「汚染にも対処が必要でしょうからね。無毒化など、できればいいのですが」
 真剣な表情で、セアラはそう呟いた。
「ヒトにとっての優しい世界だったとしても、狼たちにはそうでなかった。動植物にまで僕は目を向ける事が出来ていただろうか……考えなければならない。本当の意味で優しい世界、ヒトも獣も何もかも『全て』に優しい世界を」
 飢餓狼の遺体を丁重に埋め、アダムはそう言葉を紡ぐ。
 人知れず、人の身勝手で息絶えた哀れな狼たちの王の冥福を祈り、彼は胸の前で剣を掲げる。
 その魂が、せめて安らかに昇華されることを願って。
 今はまだ……彼には願うことしか出来ない。

†シナリオ結果†

成功

†詳細†

FL送付済