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水鏡は血の海を映す

●
赤ん坊が、すやすやと寝息を立てている。
その丸く柔らかな頬を、まだ頭髪の生え揃わぬ頭を、母親が愛おしげに撫でた。
髪が充分に生えたとしても、隠す事は出来ないであろう。
木の芽のような、2つの小さな突起。赤ん坊の頭から生えている。
今は、単なる可愛らしい突起物。だがいずれ、父親と同じく巨大で鋭利な角となるのは間違いない。
マザリモノの赤ん坊を抱き締めながら、母親が声を震わせる。
「ごめんなさいリオネラさん……私、自由騎士の方々に……御迷惑ばかり……」
「そんな事を考えては駄目よフェレーヌ。自分の身体だけを気遣いなさい。その子のためにも、ね」
25歳の私よりもずっと年下の、若すぎる母親である。子供を産んで育てるには、周囲の大人たちによる支援が必要不可欠であろう。
村の大人たちは、しかし支援どころか、この母子を迫害している。
村一番の美しい乙女であったフェレーヌ・サンドラが、乙女ではなくなったからだ。母親になってしまったからだ。人間ではない赤ん坊の、母親になってしまったからである。
迫害者たちの中には、この赤ん坊の祖父母、つまりフェレーヌの両親もいる。
自宅では、だから赤ん坊に乳を与える事も出来ない。
こうして外出し、村の広場の片隅で、我が子とのひと時を過ごすしかないのだ。
「お乳は、出ているみたいね。安心したわ」
たらふく母乳を飲んで眠っている赤ん坊の寝顔を、私は覗き込んだ。
「まずはね、貴女が健康でなければ駄目なのよ」
「はい……」
フェレーヌは俯いた。俯きながら、赤ん坊を抱き締める。
己の息子に、すがりついているようでもある。
彼女には、この子しかいないのだ。
「リオネラさんは……どうして私たちに、ここまで良くして下さるんですか?」
「貴女たちのためじゃないわ。ここまで来たらね、もう私の意地よ」
私の戦いは、まだ終わってはいないのだ。
昨年の、いつ頃であろうか。村はずれの洞窟に、1体の凶悪な魔物が棲み付いた。
その魔物は、何人もの村人を殺して食らった。
だから村人たちは、魔物に生贄を捧げるしかなかったのだ。
魔物の方から、生贄を要求したのか。それとも村人たちの方が積極的に、フェレーヌを人身御供として保身を図ったのか。それはわからない。
ともかく結果、この子が生まれた。
角のある赤ん坊。名は、まだない。
愛らしい突起物の生えた頭を、私はそっと撫でた。
この子と同じマザリモノの軽戦士が、私の仲間にいた。小生意気な少年で、私にとっては手の掛かる弟のような存在だった。
この子の父親との戦いで、命を落とした。
キジンの巨漢ドミトリも、ソラビトの女戦士ソニアも、皮肉屋の錬金術士ガスヴァルも、あの怪物に殺された。生き残ったのは、私リオネラ・メイスただ1人。
私は、生き残った者の務めを果たさなければならないのだ。
この母子を、守り抜く。
私が、自分勝手に意地を張っているだけである。
(私たちは……貴方から、父親を奪ってしまった……)
眠っている赤ん坊に、心の中で語りかけながら、私は口では別の事を言った。
「やめておきなさい」
フェレーヌが、ビクッと細身を竦ませる。
私は、彼女に対して言っているわけではない。
「あまりこんな事を言いたくはないけれど、貴方たちに対しては他に言いようもないわね……私を、怒らせないで」
「だ、黙れ! 正義の味方気取りの、くそオラクルが!」
村人たちが、広場に集まっていた。
皆、一揆の如く農具を携えている。鍬やシャベルで、私とフェレーヌと赤ん坊を殺そうとしている。
「お前ら自由騎士ってのは本当に、ろくな事をしないな!」
「あのバケモノが、せっかく大人しくなってたのに余計な手ぇ出しやがって!」
「いや……あの化け物を退治してくれた事は感謝する」
年輩の男が1人、進み出て言った。
「だがリオネラさん。そのついでに……何故、フェレーヌを殺しておいてくれなかったのだ」
「……父親の言う事、とも思えないわね」
私の言葉に、男は激昂した。
「そう父親だ! 私はな、化け物の子を産んだ娘の父親になってしまったんだよ! わかっているのかフェレーヌ、お前が! 生きて村へ戻って来たせいで!」
「父さん……」
「その赤ん坊を殺し、自らも命を絶つ! その程度の事も出来ない親不孝者が!」
フェレーヌの父親に合わせて、村人たちが口々に喚く。
「化け物の子供とか、それを産んじまう女とか! 誰が生かして連れ戻せって頼んだよ!?」
「バケモノのついでにぶっ殺して、洞窟の奥に放置する! その程度の気も利かせられないから、お前ら自由騎士は無能の集まりだって言ってんだよ!」
無能。
水鏡もプラロークも、決して万能ではない。
未来予測が行われ、私たち自由騎士が出撃する。その時には、すでに被害者が出てしまっている場合が多々ある。それはもう仕方がない。万能ではないのは、私たち現場の自由騎士も同様だ。
今回もそうだ。私たちがこの村に駆けつけた時には、フェレーヌはすでに魔物の子を孕んでいた。
妻のために子のために、魔物は食料集めに励む。村から農作物を奪い、家畜を奪い、村人もことごとく殺して肉に変える。
それが今回、予測された未来であった。
私たちは辛うじて、それとは異なる未来を導き出した。今、目の前で展開されている光景がそうだ。
(レオ、ドミトリ、ソニア……ガスヴァル……シオン……みんな、こんなものを守るために……死んでしまったの?)
違う、と私は即座に思い直した。
皆が守りたかったのは、私が守ってゆかねばならないのは今、背後で寝息を立てている小さな命と、その母親だ。
「……静かになさい。赤ちゃんが、起きてしまうわ」
一般の人々に対して、力を振るわなければならないのか。
私がそう思った、その時。
様々なものが、地上から空中へとぶちまけられていた。村人たちの、手足や肉片や臓物。
私は、何もしていない。
私の代わりに、それは村人たちを片っ端から粉砕していた。
「お前は……!」
私は、息を呑むしかなかった。
「……生きて……いたのね……」
確かに、死体は確認していない。ドミトリが、洞窟の奥の崖底へと道連れにして行ったのを、なす術なく見送っただけである。
あの崖底から這い上がって来た巨体が、炎のような黒い揺らめきを立ち上らせている。
ミノタウロスのアックスヘッドは、イブリースと化していた。
フェレーヌが、細い悲鳴を上げて尻餅をつく。赤ん坊を抱いたまま。
妻と子に向かって、アックスヘッドは吼えた。フェレーヌの名を叫んだ、ようである。
涙を流しながらアックスヘッドは、ズタズタの肉塊をフェレーヌに向かって差し出した。先程まで、彼女の父親であったもの。
私の背後でフェレーヌは青ざめ、悲鳴を漏らすだけだ。
彼女にとって子供は、かけがえのない存在であろう。だがその子供を身籠るまでの過程は、悪夢でしかない。
子供の父親を、受け入れられるはずはないのだ。
「……やめなさいアックスヘッド。そんなものを食べても、お乳は出ないわ」
黒く燃え盛るミノタウロスと、私は対峙した。
村人は1人残らず、原形をなくし散乱している。
結局、あの未来予測とそう変わらぬ結果になってしまった。
私は、問わずにはいられなかった。
「アクアディーネ様……私たちは、余計な事をしたのでしょうか……?」
赤ん坊が、すやすやと寝息を立てている。
その丸く柔らかな頬を、まだ頭髪の生え揃わぬ頭を、母親が愛おしげに撫でた。
髪が充分に生えたとしても、隠す事は出来ないであろう。
木の芽のような、2つの小さな突起。赤ん坊の頭から生えている。
今は、単なる可愛らしい突起物。だがいずれ、父親と同じく巨大で鋭利な角となるのは間違いない。
マザリモノの赤ん坊を抱き締めながら、母親が声を震わせる。
「ごめんなさいリオネラさん……私、自由騎士の方々に……御迷惑ばかり……」
「そんな事を考えては駄目よフェレーヌ。自分の身体だけを気遣いなさい。その子のためにも、ね」
25歳の私よりもずっと年下の、若すぎる母親である。子供を産んで育てるには、周囲の大人たちによる支援が必要不可欠であろう。
村の大人たちは、しかし支援どころか、この母子を迫害している。
村一番の美しい乙女であったフェレーヌ・サンドラが、乙女ではなくなったからだ。母親になってしまったからだ。人間ではない赤ん坊の、母親になってしまったからである。
迫害者たちの中には、この赤ん坊の祖父母、つまりフェレーヌの両親もいる。
自宅では、だから赤ん坊に乳を与える事も出来ない。
こうして外出し、村の広場の片隅で、我が子とのひと時を過ごすしかないのだ。
「お乳は、出ているみたいね。安心したわ」
たらふく母乳を飲んで眠っている赤ん坊の寝顔を、私は覗き込んだ。
「まずはね、貴女が健康でなければ駄目なのよ」
「はい……」
フェレーヌは俯いた。俯きながら、赤ん坊を抱き締める。
己の息子に、すがりついているようでもある。
彼女には、この子しかいないのだ。
「リオネラさんは……どうして私たちに、ここまで良くして下さるんですか?」
「貴女たちのためじゃないわ。ここまで来たらね、もう私の意地よ」
私の戦いは、まだ終わってはいないのだ。
昨年の、いつ頃であろうか。村はずれの洞窟に、1体の凶悪な魔物が棲み付いた。
その魔物は、何人もの村人を殺して食らった。
だから村人たちは、魔物に生贄を捧げるしかなかったのだ。
魔物の方から、生贄を要求したのか。それとも村人たちの方が積極的に、フェレーヌを人身御供として保身を図ったのか。それはわからない。
ともかく結果、この子が生まれた。
角のある赤ん坊。名は、まだない。
愛らしい突起物の生えた頭を、私はそっと撫でた。
この子と同じマザリモノの軽戦士が、私の仲間にいた。小生意気な少年で、私にとっては手の掛かる弟のような存在だった。
この子の父親との戦いで、命を落とした。
キジンの巨漢ドミトリも、ソラビトの女戦士ソニアも、皮肉屋の錬金術士ガスヴァルも、あの怪物に殺された。生き残ったのは、私リオネラ・メイスただ1人。
私は、生き残った者の務めを果たさなければならないのだ。
この母子を、守り抜く。
私が、自分勝手に意地を張っているだけである。
(私たちは……貴方から、父親を奪ってしまった……)
眠っている赤ん坊に、心の中で語りかけながら、私は口では別の事を言った。
「やめておきなさい」
フェレーヌが、ビクッと細身を竦ませる。
私は、彼女に対して言っているわけではない。
「あまりこんな事を言いたくはないけれど、貴方たちに対しては他に言いようもないわね……私を、怒らせないで」
「だ、黙れ! 正義の味方気取りの、くそオラクルが!」
村人たちが、広場に集まっていた。
皆、一揆の如く農具を携えている。鍬やシャベルで、私とフェレーヌと赤ん坊を殺そうとしている。
「お前ら自由騎士ってのは本当に、ろくな事をしないな!」
「あのバケモノが、せっかく大人しくなってたのに余計な手ぇ出しやがって!」
「いや……あの化け物を退治してくれた事は感謝する」
年輩の男が1人、進み出て言った。
「だがリオネラさん。そのついでに……何故、フェレーヌを殺しておいてくれなかったのだ」
「……父親の言う事、とも思えないわね」
私の言葉に、男は激昂した。
「そう父親だ! 私はな、化け物の子を産んだ娘の父親になってしまったんだよ! わかっているのかフェレーヌ、お前が! 生きて村へ戻って来たせいで!」
「父さん……」
「その赤ん坊を殺し、自らも命を絶つ! その程度の事も出来ない親不孝者が!」
フェレーヌの父親に合わせて、村人たちが口々に喚く。
「化け物の子供とか、それを産んじまう女とか! 誰が生かして連れ戻せって頼んだよ!?」
「バケモノのついでにぶっ殺して、洞窟の奥に放置する! その程度の気も利かせられないから、お前ら自由騎士は無能の集まりだって言ってんだよ!」
無能。
水鏡もプラロークも、決して万能ではない。
未来予測が行われ、私たち自由騎士が出撃する。その時には、すでに被害者が出てしまっている場合が多々ある。それはもう仕方がない。万能ではないのは、私たち現場の自由騎士も同様だ。
今回もそうだ。私たちがこの村に駆けつけた時には、フェレーヌはすでに魔物の子を孕んでいた。
妻のために子のために、魔物は食料集めに励む。村から農作物を奪い、家畜を奪い、村人もことごとく殺して肉に変える。
それが今回、予測された未来であった。
私たちは辛うじて、それとは異なる未来を導き出した。今、目の前で展開されている光景がそうだ。
(レオ、ドミトリ、ソニア……ガスヴァル……シオン……みんな、こんなものを守るために……死んでしまったの?)
違う、と私は即座に思い直した。
皆が守りたかったのは、私が守ってゆかねばならないのは今、背後で寝息を立てている小さな命と、その母親だ。
「……静かになさい。赤ちゃんが、起きてしまうわ」
一般の人々に対して、力を振るわなければならないのか。
私がそう思った、その時。
様々なものが、地上から空中へとぶちまけられていた。村人たちの、手足や肉片や臓物。
私は、何もしていない。
私の代わりに、それは村人たちを片っ端から粉砕していた。
「お前は……!」
私は、息を呑むしかなかった。
「……生きて……いたのね……」
確かに、死体は確認していない。ドミトリが、洞窟の奥の崖底へと道連れにして行ったのを、なす術なく見送っただけである。
あの崖底から這い上がって来た巨体が、炎のような黒い揺らめきを立ち上らせている。
ミノタウロスのアックスヘッドは、イブリースと化していた。
フェレーヌが、細い悲鳴を上げて尻餅をつく。赤ん坊を抱いたまま。
妻と子に向かって、アックスヘッドは吼えた。フェレーヌの名を叫んだ、ようである。
涙を流しながらアックスヘッドは、ズタズタの肉塊をフェレーヌに向かって差し出した。先程まで、彼女の父親であったもの。
私の背後でフェレーヌは青ざめ、悲鳴を漏らすだけだ。
彼女にとって子供は、かけがえのない存在であろう。だがその子供を身籠るまでの過程は、悪夢でしかない。
子供の父親を、受け入れられるはずはないのだ。
「……やめなさいアックスヘッド。そんなものを食べても、お乳は出ないわ」
黒く燃え盛るミノタウロスと、私は対峙した。
村人は1人残らず、原形をなくし散乱している。
結局、あの未来予測とそう変わらぬ結果になってしまった。
私は、問わずにはいられなかった。
「アクアディーネ様……私たちは、余計な事をしたのでしょうか……?」
†シナリオ詳細†
■成功条件
1.イブリース化した幻想種ミノタウロスの撃破(生死不問)
お世話になっております。ST小湊拓也です。
イ・ラプセル国内のとある村で、幻想種ミノタウロスのアックスヘッドがイブリース化しました。
自由騎士団の一員リオネラ・メイス(ノウブル、女性、25歳。魔導士スタイル。『マナウェーブLV1』『緋文字LV2』『コキュートスLV2』を使用)がこれと戦っていますが、皆様の現場到着時にはいくらか負傷・消耗しております。
アックスヘッドの攻撃手段は、怪力による白兵戦(攻近単)、それに突進体当たり(攻近単、貫通2)。
時間帯は昼。場所は村の広場で、村人たちの屍がぶちまけられておりますが戦闘に支障はありません。
リオネラの後方では、村の女性フェレーヌ・サンドラが、生まれて間もない息子を抱いたまま怯えています。
アックスヘッドはこの母子に執着しておりますが、まずは自由騎士団による妨害の排除を優先させるでしょう。
リオネラは、皆様の指示には従います。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
イ・ラプセル国内のとある村で、幻想種ミノタウロスのアックスヘッドがイブリース化しました。
自由騎士団の一員リオネラ・メイス(ノウブル、女性、25歳。魔導士スタイル。『マナウェーブLV1』『緋文字LV2』『コキュートスLV2』を使用)がこれと戦っていますが、皆様の現場到着時にはいくらか負傷・消耗しております。
アックスヘッドの攻撃手段は、怪力による白兵戦(攻近単)、それに突進体当たり(攻近単、貫通2)。
時間帯は昼。場所は村の広場で、村人たちの屍がぶちまけられておりますが戦闘に支障はありません。
リオネラの後方では、村の女性フェレーヌ・サンドラが、生まれて間もない息子を抱いたまま怯えています。
アックスヘッドはこの母子に執着しておりますが、まずは自由騎士団による妨害の排除を優先させるでしょう。
リオネラは、皆様の指示には従います。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬マテリア
6個
2個
2個
2個




参加費
100LP [予約時+50LP]
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
7日
参加人数
6/6
6/6
公開日
2020年01月08日
2020年01月08日
†メイン参加者 6人†
●
決して理解されず、交わらぬ愛というものも、あるのだろう。『断罪執行官』アンジェリカ・フォン・ヴァレンタイン(CL3000505)は、そう思う。
「もっとも……それを愛と呼ぶ事が出来れば、の話ですが」
一方的に己の子を身篭らせ、産ませ、母子共々洞窟に住まわせて少なくとも飢える事はない暮らしをさせる。
それを愛と、解釈したい者はすれば良い。だが愛であるからと言って、受け入れなければならない理由はない。
そう思い定めながらアンジェリカは、その母子を背後に庇って十字架を構えた。
あまりにも若い母親であった。赤ん坊を抱いている、と言うより赤ん坊にすがりついている。
可愛らしい角の生えた赤ん坊。しがみつくような抱擁の中、すやすやと寝息を立てている。
「大したもんだ、この状況で……将来、大物になるなあ。こいつ」
牙を見せて微笑みながらウェルス・ライヒトゥーム(CL3000033)が、巨体に着込んでいたローブを脱ぐ。それを、母子に着せ被せる。
「とは言え、起きちまったらいけねえ。ちょっと赤ん坊にゃ見せられねえ事が、もう始まっちまってる」
村人たちが、もはや死体とも呼び難い肉の残骸と成り果て、ぶちまけられている。
そんな光景を作り出した張本人こそ、この赤ん坊の父親なのだ。
筋骨たくましい全身に、黒い瘴気の揺らめきをまとう、1頭のミノタウロス。
その巨体を正面から睨み、見上げながら、1人の女性が片膝をついていた。アンジェリカたち自由騎士6名の到着まで、この母子を守り続けていた女性オラクル。
弱々しくこちらを振り向きながら、彼女は言った。
「ウェルス・ライヒトゥーム……まさか、貴方たちが来てくれるなんて」
「久し振りだなリオネラ・メイス。このところ顔も見ないし名前も聞かなかったから、もしかして死んじまったんじゃねえかと思ってたところさ」
言いつつウェルスが、すでに羽ばたき機を背負っている。
翼ある機械に、『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)が興味を示した。
「ほう。これで、ソラビトの人たちみたく飛べるようになると」
「あんな自由自在な飛行は無理だろうが、空から一方的に撃ちまくる事は出来るぜ」
「地に足がついてない射撃は、難しいんじゃないですか?」
「だから大いに練習したぜ。まあ見ててくれシスター……それにしてもリオネラ、こんな所にいたとはな」
禍々しく燃える眼球でこちらを睨むミノタウロスに、狙撃銃を向けながら、ウェルスは言った。
「まったく。結果報告もしねえで何やってるかと思えば……上に判断を仰ごうって気にならなかったのか?」
「そうすれば……自由騎士団が、フェレーヌを保護してくれたのよね、きっと」
呻くリオネラを、『死人の声に寄り添う者』アリア・セレスティ(CL3000222)が、そっと助け起こす。
アリアに支えられながら、リオネラはなおも言った。
「その結果フェレーヌは、この村を出て行く事になるわ」
「それが気に入らんのか。どう見ても、そうならざるを得ない状況だがな」
「……そうよね。だけどウェルス、考えてもみてよ。こんな村でもね、フェレーヌにとっては故郷なのよ……」
「リオネラさん……」
声を震わせるリオネラを、アリアが気遣う。
リオネラは、泣いていた。
「私……フェレーヌを、赤ちゃんと一緒にね、この村で暮らさせてあげたかった……村の人たちも、いつか……わかってくれると思ってたのよ。だけど結局……私の方が、村の人たちを許せなくなって……助けてあげる事も、出来なかった……」
「まあまあ。あんまり自分を責めなさんな」
声をかけながら『その過去は消えぬけど』ニコラス・モラル(CL3000453)が、リオネラの負傷した身体に医療魔力を注ぎ込む。
「1人きりで、よく頑張ってくれたな。あとは任せてもらう。お前さんは、その子らについててやってくれ」
リオネラをさりげなく母子の方へと押しやりつつ、ニコラスは言った。
「出来るだけ、ここから離れてくれると助かる」
その言葉を、理解したのであろうか。
ミノタウロスのアックスヘッドは、吼えていた。憤激の咆哮。びりびりと空気が震えるのを、アンジェリカは全身で感じた。
「離れさせは、しない……というわけかな、ミノタウロスのアックスヘッド」
たおやかな両腕を広げて錬金術式を拡散させながら、『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)が会話を試みている。
「君が、そこまで執着しているものを……奪うために、僕たちは来た。まずは、だから僕たちと戦ってもらうよ」
拡散した力が、この場にいる自由騎士全員に生体強化をもたらしてゆく。回復力の増大を、アンジェリカは体感していた。
「水鏡も僕たちも、確かに万能ではないね……こんな事が起こる前に、ここへ来る事が出来ていれば、と思うよ。本当に」
「私たちの仕事は基本そんなのばっかりですよ、マグノリアさん」
エルシーが、ばさりと修道服を脱ぎ捨てた。刺激的なバトルコスチューム姿が、アンジェリカと並んでミノタウロスと対峙する。
「神職の私が言うのもアレですけど、神様にだって出来ない事いくらでもあります。私たちは、だから目の前にある……ほんの僅かの出来る事に、ひたすら挑むしかないんです。蝶のように舞い、私らしく殴るだけ」
古き紅竜の篭手をまとう拳が、ぼんやりと輝く。エルシーの手の甲で、オラクルの印章が発光しているのだ。
「さあフェレーヌさん、逃げて下さい」
「先輩、お待ちを……」
アンジェリカは、意を決した。
「フェレーヌ様……今しばらく、この場におとどまり下さるわけには参りませんでしょうか」
「アンジェ! 貴女、何を……」
エルシーが息を呑む。
瘴気で黒く燃え盛るミノタウロスを見据えたまま、アンジェリカはさらに言った。
「貴女の全てを壊した暴君との……完全なる、訣別を。フェレーヌ様、どうか貴女の口から」
「アンジェさん……貴女、自分で何を言ってるか……わかってるの……?」
アリアが青ざめ、悲鳴に近い声を発している。
「フェレーヌさんは、逃げなきゃいけないのよ……立ち向かおうなんて思っちゃいけないものから……ずっと、逃げ続けなきゃいけないのよ? それを助けるのが私たちの役目、なのに……どうして、立ち向かわせようとするの?」
「私は酷い事を言っている、それは百も承知……」
アックスヘッドが咆哮を張り上げ、蹄で地面を削り、大量の土を舞い上げながら突っ込んで来る。
自由騎士団を、蹴散らそうとしている。妻と子……自身がそう思い込んでいる存在を、奪い去らんとしている。
させない。1歩も、近付けさせない。
それが、この場にとどまれ、などとフェレーヌに言ってしまった自分の、命を捨てても仕遂げなければならない使命なのだ。
思い定めながら、アンジェリカは踏み込んだ。剛力の細腕が、巨大な十字架を振るう。
暴風が巻き起こり、ミノタウロスの黒い巨体が激しくへし曲がった。
「哀れなる暴獣よ、貴方をそこから1歩も動かせはしませんよっ」
十字架が猛回転し、重量級の打撃を立て続けに叩き込む。
叩き込まれたミノタウロスが、しかし反撃に転じていた。今度は、アンジェリカの肢体がへし曲がっていた。
鉄槌のような蹄が、腹部にめり込んでいる。
「私をっ……人の心を持たぬ獣と、罵り憎んで下さいアリア様……ッ」
血を吐きながら、アンジェリカは言った。
「それでも私は……フェレーヌ様、貴女ご自身に……断ち切っていただきたいのです……」
●
角の生えた赤ん坊を、フェレーヌは抱いている。赤児に救いを求めるかの如く、しっかりと。
自分が、父親のわからぬ子供を産んだとしたら。そんな事を、アリアは考えてしまう。
その子を、こんなふうに抱く事は出来るだろうか。
自分はフェレーヌと比べて、運が良かったのか。
とりとめのない思いを断ち切るかのように、アリアは剣を振るった。
刀身が、百足の如く節くれ立って伸びながら一閃する。
鞭のような斬撃が、瘴気で黒ずんだミノタウロスの巨体を打ち据える。どす黒い鮮血が飛ぶ。
手応えを握り締めながら、アリアは身を翻した。
しなやかに鍛え込まれた全身が、豊かな胸の膨らみを横殴りに揺らしながら捻転する。その周囲で、百足のような剣が螺旋状に渦を巻く。
そして、アックスヘッドに向かって伸び閃く。
泳ぐ海蛇にも似た斬撃が、よろめき身を折るアンジェリカを迂回して、立て続けにアックスヘッドを直撃した。
全身に裂傷を刻み込まれながら、黒いミノタウロスは吼えた。
おぞましいほど筋骨たくましい巨体が、瘴気混じりの血飛沫を散らせつつ、アリアの高速斬撃を蹴散らし突進して来る。
牡の、暴威。男の暴威。
アリアは立ち竦み、硬直した。
迫り来るアックスヘッドに向かって、その時、疾風が吹いた。
エルシーの拳が、手刀が、鋭利な美脚が、瘴気放つミノタウロスの巨体を打ちのめし切り苛んでいた。
血まみれで揺らぐアックスヘッドの眼前に着地しつつ、エルシーがアリアを背後に庇う。
「アリアさん、大丈夫ですか!?」
「エルシー……さん……」
「無理をしたら駄目ですよ。恐いのは……当たり前なんです」
言葉に合わせて、エルシーの肢体が超高速で躍動する。拳が速射され、蹴りが閃いて、アックスヘッドの周囲に黒い血飛沫を咲かせ続ける。
そこへ、アリアは狙いを定めた。
「……ありがとう、エルシーさん。私は、もう大丈夫……」
節状の刃を連結させ、まっすぐな刀身に戻しながら、アリアはもう1本の剣を抜いた。
「みんなが、いるから……大丈夫よ」
2つの剣が、蒼色と翠色に輝いた。
2色の輝きが、光の飛剣となって放たれ、アックスヘッドの黒ずんだ巨体に突き刺さる。
その巨体が、蒼と翠の剣に刺されたまま、しかし猛然と踏み込んで来る。
蹄で大地を削りながらの突進が、エルシーとアリアをひとまとめに直撃した。
「……柳凪でっ、受け流し……きれませんでした……」
吹っ飛んだエルシーが、呻きながら地面に激突する。そして血を吐いた。
「ごめんなさい、アリアさん……無事ですかっ……」
同じく地面にぶつかり、倒れ伏したアリアは、立ち上がれぬままエルシーの身体に覆い被さった。吐血で声が潰れ、応える事が出来ない。
アックスヘッドの蹄が、襲いかかって来る。
アリアとエルシーをまとめて蹴り潰さんとするミノタウロスの巨体が、銃声と共に後方へ揺らいだ。瘴気混じりの鮮血が、空中にぶちまけられる。
上空からの、狙撃であった。
「……前衛、交替かな。ご婦人方」
空飛ぶ熊が、負傷者たちをまとめて背後に庇う形に降り立った。
マグノリアが、声を投げる。
「やあ助かったよウェルス。僕が前に出なければならないか、と思っていたところさ」
調合の準備が、整ったようであった。マグノリアの繊細な片手が、拳銃を形作っている。
よろめき踏みとどまろうとしていたアックスヘッドが、爆炎に灼かれながら吹っ飛び、倒れた。
猛毒の炸薬が、調合されると同時に爆発したのだ。
「……もうちょっと頑丈な身体を作ってから、ですよマグノリアさん」
言いつつエルシーが、アリアと支え合いながら立ち上がる。
降り注ぐ癒しの力を、アリアもエルシーもアンジェリカも全身で受けていた。損傷した体内が容赦なく修理されてゆく、その痛みにアリアは耐えた。
ニコラスの、ハーベストレインであった。
「無駄だぜ旦那。アンタがいくら頑張ってもな、俺が治しちまう」
満身創痍で立ち上がって来るアックスヘッドに、ニコラスは語りかけていた。
「……頑張る方向をな、アンタ最初っから間違えてるんだよ。家族を持つってのは、そうじゃあない」
応えた、わけではないだろう。
アックスヘッドは吼えていた。フェレーヌの名を呼んだ。名も無き我が子の名を叫んだ。アリアには、そう聞こえた。
「…………ありがとう……」
リオネラの後ろで、フェレーヌが立ち上がっていた。
赤ん坊を抱いたまま、その赤ん坊の父親に対し、精一杯の言葉を発している。
「私に、この子を授けて下さった事……それだけは、感謝しています。でも駄目、貴方は人の中では生きていけません! だから……この子のお父さんにも、なれないんです……」
立ち向かおう、などと思ってはならないものに、フェレーヌは立ち向かっているのだ。
「…………さようなら……」
「お見事……!」
アンジェリカが、アックスヘッドに十字架を叩き込んでいった。
●
女性に無理矢理、己の子を孕ませ産ませる。
それを『家族を持つ』とは言えないだろう、とマグノリアは思う。
この哀れなミノタウロスは結局、守り愛すべき家族を持つ事が、ついに出来なかったのだ。
彼が持てたのは、家族という名の幻影だけ。妄想と言ってもいい。
「それすら、だけど僕は持つ事が出来ない……」
マグノリアの眼前に2本、光の矢が生じて浮かぶ。
「アックスヘッド、君は幸せだ。親子3人、幸せに暮らすといい……安らかな夢の中で、ね」
語りかけながら、マグノリアは指を鳴らした。たおやかな指が、軽快なフィンガースナップ音を響かせる。
光の矢が2本、弓もなく放たれてアックスヘッドに突き刺さった。眉間と、心臓。
どす黒い鮮血にまみれた巨体が、地響きを立てて倒れた。瘴気は全て流血と共に排出された、とマグノリアは思った。
特に負傷の度合いが著しかったエルシーに、医療術式メセグリンを施しながら、ニコラスが声を投げてくる。
「伊達に歳は食っていないねえ、見事なもんだ。文句なしの、とどめだったぜ」
「僕はただ、生ける屍に矢を突き刺しただけさ。アックスヘッドの……心は、すでに死んでいた」
ちらりと、マグノリアは視線を動かした。
哀れなミノタウロスが、己の愛する家族と思い込んでいた母子。うなだれて赤ん坊を抱くフェレーヌに、アリアとアンジェリカが言葉をかけている。
アックスヘッドの心を死に至らしめたのは紛れもなく、フェレーヌによる決別の言葉だ。
(フェレーヌ・サンドラ、君は往くのだね……父のいない子供の、母親であり続ける道を)
ニコラスが、アックスヘッドの屍の傍で片膝をつく。
「家族云々に関しちゃ、俺も偉そうな事は言えんけどね……間違えてるのは、俺も同じ」
女神アクアディーネに捧げる祈りの印を切りながら、ニコラスは語りかけていた。もはや応える事の出来ないミノタウロスに。
「本当に……上手くいかないもんだよなあ、旦那」
マグノリアは思う。自分の4分の1程度の年月しか生きていない、このミズヒトは、しかしその短い年月で、自分など想像もつかない何かを経験してきたのだと。
それが、ニコラスの横顔には滲み出ている。
わらわらと、微弱な気配が多数、生じていた。
村人たちだった。殺戮と闘争の現場を、ぼんやりと遠巻きに見守っている。
商人らしくと言うべきか、ウェルスが彼らに向かって友好的に紳士的に語っている。主に、人口の過半数を失ったこの村への、国からの援助に関してだ。
村人たちの、フェレーヌに対する悪意害意を、ウェルスは熱弁で押し流そうとしているのだ。
そんな必要はあるまい、とマグノリアは思う。誰かに危害を加える気力を、この村人たちは完全に失っている。
「これこそが……生ける屍、か」
「……もうやめときな。この連中にゃ何言っても無駄だ」
ニコラスに言われて、ウェルスが頭を掻いた。
代わるように村人たちと対峙しながら、ニコラスはなおも語る。
「とは言ったが、これだけは言わせてもらう。今回のこれはな、アンタらが招いた事態だぜ。まあ反省してどうにかなるモンでもないが……ともかく、フェレーヌ母子は俺たちが連れて行く。文句なかろ? 死んだと思えばいい。元々アンタら、そのつもりだったんだからな」
●
リオネラが、ぺこりと頭を下げた。
「本当に、ありがとう……ご面倒をかけたわね」
「いえそんな」
エルシーは恐縮し、リオネラは自嘲の笑みを浮かべた。
「私たちのした事……結局、なんの意味もなかったのね」
「そんな事はありません!」
「……そうよリオネラさん。フェレーヌさんには、貴女が必要なんです」
アリアが、歩み寄って来た。
少し離れたところでは、ようやく目を覚ました赤ん坊が、ニコラスに抱かれている。まるで奥さんに逃げられた男だ、とエルシーは思った。
そんなニコラスの腕の中から、有角の赤ん坊がウェルスの獣毛にじゃれついている。
ようやく訪れた安息、と言うべき光景を見つめながら、アリアはなおも言った。
「この村と、近辺……瘴気の影響が、まだ残っているかも知れないわ。幻想種がイブリース化したくらいだもの」
「殺された人たちが……還リビトになるかも知れないと?」
「リオネラさん、言いにくい事だけど貴女のお仲間も。どんなふうに亡くなって、どんなふうに埋葬したのか……お話を、聞かせていただけませんか?」
「構わないわよ。まあ1人は、崖底に落っこちたきりだけど」
アリアとリオネラが、熱心に話し込んでいる。
還リビトの発生に備える、という目的をアリアは見出したようであった。
アンジェリカが、いくらか声を潜めた。
「アリア様……立ち直って、下さったのでしょうか」
「だと良いけれど」
無理に目的を見つけて、そこへ逃げ込む。
アリアの様子が、エルシーには、そのようにも見えてしまう。
「あの海賊ども……絶対に許しません。ぶちのめします。ぜつ☆ぶち! なんてレベルじゃ済ませませんよ」
決して理解されず、交わらぬ愛というものも、あるのだろう。『断罪執行官』アンジェリカ・フォン・ヴァレンタイン(CL3000505)は、そう思う。
「もっとも……それを愛と呼ぶ事が出来れば、の話ですが」
一方的に己の子を身篭らせ、産ませ、母子共々洞窟に住まわせて少なくとも飢える事はない暮らしをさせる。
それを愛と、解釈したい者はすれば良い。だが愛であるからと言って、受け入れなければならない理由はない。
そう思い定めながらアンジェリカは、その母子を背後に庇って十字架を構えた。
あまりにも若い母親であった。赤ん坊を抱いている、と言うより赤ん坊にすがりついている。
可愛らしい角の生えた赤ん坊。しがみつくような抱擁の中、すやすやと寝息を立てている。
「大したもんだ、この状況で……将来、大物になるなあ。こいつ」
牙を見せて微笑みながらウェルス・ライヒトゥーム(CL3000033)が、巨体に着込んでいたローブを脱ぐ。それを、母子に着せ被せる。
「とは言え、起きちまったらいけねえ。ちょっと赤ん坊にゃ見せられねえ事が、もう始まっちまってる」
村人たちが、もはや死体とも呼び難い肉の残骸と成り果て、ぶちまけられている。
そんな光景を作り出した張本人こそ、この赤ん坊の父親なのだ。
筋骨たくましい全身に、黒い瘴気の揺らめきをまとう、1頭のミノタウロス。
その巨体を正面から睨み、見上げながら、1人の女性が片膝をついていた。アンジェリカたち自由騎士6名の到着まで、この母子を守り続けていた女性オラクル。
弱々しくこちらを振り向きながら、彼女は言った。
「ウェルス・ライヒトゥーム……まさか、貴方たちが来てくれるなんて」
「久し振りだなリオネラ・メイス。このところ顔も見ないし名前も聞かなかったから、もしかして死んじまったんじゃねえかと思ってたところさ」
言いつつウェルスが、すでに羽ばたき機を背負っている。
翼ある機械に、『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)が興味を示した。
「ほう。これで、ソラビトの人たちみたく飛べるようになると」
「あんな自由自在な飛行は無理だろうが、空から一方的に撃ちまくる事は出来るぜ」
「地に足がついてない射撃は、難しいんじゃないですか?」
「だから大いに練習したぜ。まあ見ててくれシスター……それにしてもリオネラ、こんな所にいたとはな」
禍々しく燃える眼球でこちらを睨むミノタウロスに、狙撃銃を向けながら、ウェルスは言った。
「まったく。結果報告もしねえで何やってるかと思えば……上に判断を仰ごうって気にならなかったのか?」
「そうすれば……自由騎士団が、フェレーヌを保護してくれたのよね、きっと」
呻くリオネラを、『死人の声に寄り添う者』アリア・セレスティ(CL3000222)が、そっと助け起こす。
アリアに支えられながら、リオネラはなおも言った。
「その結果フェレーヌは、この村を出て行く事になるわ」
「それが気に入らんのか。どう見ても、そうならざるを得ない状況だがな」
「……そうよね。だけどウェルス、考えてもみてよ。こんな村でもね、フェレーヌにとっては故郷なのよ……」
「リオネラさん……」
声を震わせるリオネラを、アリアが気遣う。
リオネラは、泣いていた。
「私……フェレーヌを、赤ちゃんと一緒にね、この村で暮らさせてあげたかった……村の人たちも、いつか……わかってくれると思ってたのよ。だけど結局……私の方が、村の人たちを許せなくなって……助けてあげる事も、出来なかった……」
「まあまあ。あんまり自分を責めなさんな」
声をかけながら『その過去は消えぬけど』ニコラス・モラル(CL3000453)が、リオネラの負傷した身体に医療魔力を注ぎ込む。
「1人きりで、よく頑張ってくれたな。あとは任せてもらう。お前さんは、その子らについててやってくれ」
リオネラをさりげなく母子の方へと押しやりつつ、ニコラスは言った。
「出来るだけ、ここから離れてくれると助かる」
その言葉を、理解したのであろうか。
ミノタウロスのアックスヘッドは、吼えていた。憤激の咆哮。びりびりと空気が震えるのを、アンジェリカは全身で感じた。
「離れさせは、しない……というわけかな、ミノタウロスのアックスヘッド」
たおやかな両腕を広げて錬金術式を拡散させながら、『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)が会話を試みている。
「君が、そこまで執着しているものを……奪うために、僕たちは来た。まずは、だから僕たちと戦ってもらうよ」
拡散した力が、この場にいる自由騎士全員に生体強化をもたらしてゆく。回復力の増大を、アンジェリカは体感していた。
「水鏡も僕たちも、確かに万能ではないね……こんな事が起こる前に、ここへ来る事が出来ていれば、と思うよ。本当に」
「私たちの仕事は基本そんなのばっかりですよ、マグノリアさん」
エルシーが、ばさりと修道服を脱ぎ捨てた。刺激的なバトルコスチューム姿が、アンジェリカと並んでミノタウロスと対峙する。
「神職の私が言うのもアレですけど、神様にだって出来ない事いくらでもあります。私たちは、だから目の前にある……ほんの僅かの出来る事に、ひたすら挑むしかないんです。蝶のように舞い、私らしく殴るだけ」
古き紅竜の篭手をまとう拳が、ぼんやりと輝く。エルシーの手の甲で、オラクルの印章が発光しているのだ。
「さあフェレーヌさん、逃げて下さい」
「先輩、お待ちを……」
アンジェリカは、意を決した。
「フェレーヌ様……今しばらく、この場におとどまり下さるわけには参りませんでしょうか」
「アンジェ! 貴女、何を……」
エルシーが息を呑む。
瘴気で黒く燃え盛るミノタウロスを見据えたまま、アンジェリカはさらに言った。
「貴女の全てを壊した暴君との……完全なる、訣別を。フェレーヌ様、どうか貴女の口から」
「アンジェさん……貴女、自分で何を言ってるか……わかってるの……?」
アリアが青ざめ、悲鳴に近い声を発している。
「フェレーヌさんは、逃げなきゃいけないのよ……立ち向かおうなんて思っちゃいけないものから……ずっと、逃げ続けなきゃいけないのよ? それを助けるのが私たちの役目、なのに……どうして、立ち向かわせようとするの?」
「私は酷い事を言っている、それは百も承知……」
アックスヘッドが咆哮を張り上げ、蹄で地面を削り、大量の土を舞い上げながら突っ込んで来る。
自由騎士団を、蹴散らそうとしている。妻と子……自身がそう思い込んでいる存在を、奪い去らんとしている。
させない。1歩も、近付けさせない。
それが、この場にとどまれ、などとフェレーヌに言ってしまった自分の、命を捨てても仕遂げなければならない使命なのだ。
思い定めながら、アンジェリカは踏み込んだ。剛力の細腕が、巨大な十字架を振るう。
暴風が巻き起こり、ミノタウロスの黒い巨体が激しくへし曲がった。
「哀れなる暴獣よ、貴方をそこから1歩も動かせはしませんよっ」
十字架が猛回転し、重量級の打撃を立て続けに叩き込む。
叩き込まれたミノタウロスが、しかし反撃に転じていた。今度は、アンジェリカの肢体がへし曲がっていた。
鉄槌のような蹄が、腹部にめり込んでいる。
「私をっ……人の心を持たぬ獣と、罵り憎んで下さいアリア様……ッ」
血を吐きながら、アンジェリカは言った。
「それでも私は……フェレーヌ様、貴女ご自身に……断ち切っていただきたいのです……」
●
角の生えた赤ん坊を、フェレーヌは抱いている。赤児に救いを求めるかの如く、しっかりと。
自分が、父親のわからぬ子供を産んだとしたら。そんな事を、アリアは考えてしまう。
その子を、こんなふうに抱く事は出来るだろうか。
自分はフェレーヌと比べて、運が良かったのか。
とりとめのない思いを断ち切るかのように、アリアは剣を振るった。
刀身が、百足の如く節くれ立って伸びながら一閃する。
鞭のような斬撃が、瘴気で黒ずんだミノタウロスの巨体を打ち据える。どす黒い鮮血が飛ぶ。
手応えを握り締めながら、アリアは身を翻した。
しなやかに鍛え込まれた全身が、豊かな胸の膨らみを横殴りに揺らしながら捻転する。その周囲で、百足のような剣が螺旋状に渦を巻く。
そして、アックスヘッドに向かって伸び閃く。
泳ぐ海蛇にも似た斬撃が、よろめき身を折るアンジェリカを迂回して、立て続けにアックスヘッドを直撃した。
全身に裂傷を刻み込まれながら、黒いミノタウロスは吼えた。
おぞましいほど筋骨たくましい巨体が、瘴気混じりの血飛沫を散らせつつ、アリアの高速斬撃を蹴散らし突進して来る。
牡の、暴威。男の暴威。
アリアは立ち竦み、硬直した。
迫り来るアックスヘッドに向かって、その時、疾風が吹いた。
エルシーの拳が、手刀が、鋭利な美脚が、瘴気放つミノタウロスの巨体を打ちのめし切り苛んでいた。
血まみれで揺らぐアックスヘッドの眼前に着地しつつ、エルシーがアリアを背後に庇う。
「アリアさん、大丈夫ですか!?」
「エルシー……さん……」
「無理をしたら駄目ですよ。恐いのは……当たり前なんです」
言葉に合わせて、エルシーの肢体が超高速で躍動する。拳が速射され、蹴りが閃いて、アックスヘッドの周囲に黒い血飛沫を咲かせ続ける。
そこへ、アリアは狙いを定めた。
「……ありがとう、エルシーさん。私は、もう大丈夫……」
節状の刃を連結させ、まっすぐな刀身に戻しながら、アリアはもう1本の剣を抜いた。
「みんなが、いるから……大丈夫よ」
2つの剣が、蒼色と翠色に輝いた。
2色の輝きが、光の飛剣となって放たれ、アックスヘッドの黒ずんだ巨体に突き刺さる。
その巨体が、蒼と翠の剣に刺されたまま、しかし猛然と踏み込んで来る。
蹄で大地を削りながらの突進が、エルシーとアリアをひとまとめに直撃した。
「……柳凪でっ、受け流し……きれませんでした……」
吹っ飛んだエルシーが、呻きながら地面に激突する。そして血を吐いた。
「ごめんなさい、アリアさん……無事ですかっ……」
同じく地面にぶつかり、倒れ伏したアリアは、立ち上がれぬままエルシーの身体に覆い被さった。吐血で声が潰れ、応える事が出来ない。
アックスヘッドの蹄が、襲いかかって来る。
アリアとエルシーをまとめて蹴り潰さんとするミノタウロスの巨体が、銃声と共に後方へ揺らいだ。瘴気混じりの鮮血が、空中にぶちまけられる。
上空からの、狙撃であった。
「……前衛、交替かな。ご婦人方」
空飛ぶ熊が、負傷者たちをまとめて背後に庇う形に降り立った。
マグノリアが、声を投げる。
「やあ助かったよウェルス。僕が前に出なければならないか、と思っていたところさ」
調合の準備が、整ったようであった。マグノリアの繊細な片手が、拳銃を形作っている。
よろめき踏みとどまろうとしていたアックスヘッドが、爆炎に灼かれながら吹っ飛び、倒れた。
猛毒の炸薬が、調合されると同時に爆発したのだ。
「……もうちょっと頑丈な身体を作ってから、ですよマグノリアさん」
言いつつエルシーが、アリアと支え合いながら立ち上がる。
降り注ぐ癒しの力を、アリアもエルシーもアンジェリカも全身で受けていた。損傷した体内が容赦なく修理されてゆく、その痛みにアリアは耐えた。
ニコラスの、ハーベストレインであった。
「無駄だぜ旦那。アンタがいくら頑張ってもな、俺が治しちまう」
満身創痍で立ち上がって来るアックスヘッドに、ニコラスは語りかけていた。
「……頑張る方向をな、アンタ最初っから間違えてるんだよ。家族を持つってのは、そうじゃあない」
応えた、わけではないだろう。
アックスヘッドは吼えていた。フェレーヌの名を呼んだ。名も無き我が子の名を叫んだ。アリアには、そう聞こえた。
「…………ありがとう……」
リオネラの後ろで、フェレーヌが立ち上がっていた。
赤ん坊を抱いたまま、その赤ん坊の父親に対し、精一杯の言葉を発している。
「私に、この子を授けて下さった事……それだけは、感謝しています。でも駄目、貴方は人の中では生きていけません! だから……この子のお父さんにも、なれないんです……」
立ち向かおう、などと思ってはならないものに、フェレーヌは立ち向かっているのだ。
「…………さようなら……」
「お見事……!」
アンジェリカが、アックスヘッドに十字架を叩き込んでいった。
●
女性に無理矢理、己の子を孕ませ産ませる。
それを『家族を持つ』とは言えないだろう、とマグノリアは思う。
この哀れなミノタウロスは結局、守り愛すべき家族を持つ事が、ついに出来なかったのだ。
彼が持てたのは、家族という名の幻影だけ。妄想と言ってもいい。
「それすら、だけど僕は持つ事が出来ない……」
マグノリアの眼前に2本、光の矢が生じて浮かぶ。
「アックスヘッド、君は幸せだ。親子3人、幸せに暮らすといい……安らかな夢の中で、ね」
語りかけながら、マグノリアは指を鳴らした。たおやかな指が、軽快なフィンガースナップ音を響かせる。
光の矢が2本、弓もなく放たれてアックスヘッドに突き刺さった。眉間と、心臓。
どす黒い鮮血にまみれた巨体が、地響きを立てて倒れた。瘴気は全て流血と共に排出された、とマグノリアは思った。
特に負傷の度合いが著しかったエルシーに、医療術式メセグリンを施しながら、ニコラスが声を投げてくる。
「伊達に歳は食っていないねえ、見事なもんだ。文句なしの、とどめだったぜ」
「僕はただ、生ける屍に矢を突き刺しただけさ。アックスヘッドの……心は、すでに死んでいた」
ちらりと、マグノリアは視線を動かした。
哀れなミノタウロスが、己の愛する家族と思い込んでいた母子。うなだれて赤ん坊を抱くフェレーヌに、アリアとアンジェリカが言葉をかけている。
アックスヘッドの心を死に至らしめたのは紛れもなく、フェレーヌによる決別の言葉だ。
(フェレーヌ・サンドラ、君は往くのだね……父のいない子供の、母親であり続ける道を)
ニコラスが、アックスヘッドの屍の傍で片膝をつく。
「家族云々に関しちゃ、俺も偉そうな事は言えんけどね……間違えてるのは、俺も同じ」
女神アクアディーネに捧げる祈りの印を切りながら、ニコラスは語りかけていた。もはや応える事の出来ないミノタウロスに。
「本当に……上手くいかないもんだよなあ、旦那」
マグノリアは思う。自分の4分の1程度の年月しか生きていない、このミズヒトは、しかしその短い年月で、自分など想像もつかない何かを経験してきたのだと。
それが、ニコラスの横顔には滲み出ている。
わらわらと、微弱な気配が多数、生じていた。
村人たちだった。殺戮と闘争の現場を、ぼんやりと遠巻きに見守っている。
商人らしくと言うべきか、ウェルスが彼らに向かって友好的に紳士的に語っている。主に、人口の過半数を失ったこの村への、国からの援助に関してだ。
村人たちの、フェレーヌに対する悪意害意を、ウェルスは熱弁で押し流そうとしているのだ。
そんな必要はあるまい、とマグノリアは思う。誰かに危害を加える気力を、この村人たちは完全に失っている。
「これこそが……生ける屍、か」
「……もうやめときな。この連中にゃ何言っても無駄だ」
ニコラスに言われて、ウェルスが頭を掻いた。
代わるように村人たちと対峙しながら、ニコラスはなおも語る。
「とは言ったが、これだけは言わせてもらう。今回のこれはな、アンタらが招いた事態だぜ。まあ反省してどうにかなるモンでもないが……ともかく、フェレーヌ母子は俺たちが連れて行く。文句なかろ? 死んだと思えばいい。元々アンタら、そのつもりだったんだからな」
●
リオネラが、ぺこりと頭を下げた。
「本当に、ありがとう……ご面倒をかけたわね」
「いえそんな」
エルシーは恐縮し、リオネラは自嘲の笑みを浮かべた。
「私たちのした事……結局、なんの意味もなかったのね」
「そんな事はありません!」
「……そうよリオネラさん。フェレーヌさんには、貴女が必要なんです」
アリアが、歩み寄って来た。
少し離れたところでは、ようやく目を覚ました赤ん坊が、ニコラスに抱かれている。まるで奥さんに逃げられた男だ、とエルシーは思った。
そんなニコラスの腕の中から、有角の赤ん坊がウェルスの獣毛にじゃれついている。
ようやく訪れた安息、と言うべき光景を見つめながら、アリアはなおも言った。
「この村と、近辺……瘴気の影響が、まだ残っているかも知れないわ。幻想種がイブリース化したくらいだもの」
「殺された人たちが……還リビトになるかも知れないと?」
「リオネラさん、言いにくい事だけど貴女のお仲間も。どんなふうに亡くなって、どんなふうに埋葬したのか……お話を、聞かせていただけませんか?」
「構わないわよ。まあ1人は、崖底に落っこちたきりだけど」
アリアとリオネラが、熱心に話し込んでいる。
還リビトの発生に備える、という目的をアリアは見出したようであった。
アンジェリカが、いくらか声を潜めた。
「アリア様……立ち直って、下さったのでしょうか」
「だと良いけれど」
無理に目的を見つけて、そこへ逃げ込む。
アリアの様子が、エルシーには、そのようにも見えてしまう。
「あの海賊ども……絶対に許しません。ぶちのめします。ぜつ☆ぶち! なんてレベルじゃ済ませませんよ」