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【流血の女帝】動乱のグラーク家




 兄ネリオ・グラークが、この地に帰って来る。
 自分エリオット・グラークの居場所は無くなる、という事だ。
「……助けて……母上……」
 日々の清掃だけは行き届いている、だが使う者のいない部屋に、エリオットはふらふらと吸い込まれていた。
 亡き母アルテミラ・グラークの私室。
 母のお気に入りであった鏡台の前に、エリオットはいる。
 鏡を取り囲む黄金作りの枠には、いくつもの宝石が散りばめられていた。
 婚約の際、父オズワードが贈ったものであるという。
 宝石に囲まれた鏡を見ながら母は日々、美を維持する努力を怠らなかった。
 今は、憔悴しきったエリオットの姿を映している。
「助けて……母上……」
 鏡の中のエリオットが、呟く。
 父オズワード・グラークは、領主の任を解かれた。
 次期領主は、旧シャンバラ領で民政官としての実績を重ねた長男ネリオ・グラーク。王都の裁定である。
 ネリオは弟エリオットを、殺しはしないだろう。捨て扶持を与え、犬のように飼うだけだ。
 貴族としては。死も同然である。
「……母上……どうか助けて……」
 枠に散りばめられた宝石たちが、幻惑的に輝いている。
 その光に囲まれた鏡の中で、母が微笑んでいた。
 美しく、優しく、息子に微笑みかけていた。


 民衆に対しては慈悲深い君主を演じたがる一方、取り立てるものは取り立てて私腹を肥やす。
 それが、この地の領主オズワード・グラーク侯爵という人物であった。
 このような父でも、美点と呼べるものが1つだけある。シェルミーネ・グラークは、そう思う。
 オズワードは、妻アルテミラ・グラークを愛していた。
 彼女の存命中はもちろん死後も、城に妾を入れる事はなかった。
 父の代わりのように女遊びを止められずにいるのが、次男エリオット・グラークである。
 シェルミーネの見たところ、両親に最も可愛がられていたのが、この次兄であった。
 長兄ネリオ・グラークは、父には疎んじられ、母からもどこか敬遠されていたようである。
 自分シェルミーネはどうか。
 今はともかく幼い頃は、父は普通に可愛がってくれた。だが母は。
 貴女は綺麗になるわよ、シェルミーネ。私よりも、ずっと。
 ある時、幼いシェルミーネの顔を見つめながら、アルテミラは言った。
 褒めてもらった、とはシェルミーネは思えなかった。
 あの頃の母は、今思えば、すでに心を病んでいたのではないか。
 病んでいようと、母はしかし美しかった。
 青ざめた美貌を思い出しながら、シェルミーネは立ち止まった。
 イ・ラプセル王国、グラーク侯爵領。
 森林の真ん中で、地面に大穴が空いている。熊が出入りしそうな大きさである。
 誰かが穴を掘った、わけではない。
 元からあった地下洞窟が、石碑によって塞がれていたのである。その石碑は砕け散り、散乱している。
 何かが洞窟から地上へ出た、としか思えぬ状況である。
「イブリース……」
 瘴気の残り香を、シェルミーネは確かに感じた。
 森の中で、周囲で、化け物を見た。怪物を見た。領民から、そんな訴えが上がって来ている。
 この地下洞窟に関しては、領民たちが知っている程度の事であればシェルミーネも知っている。
 旧古代神時代の遺跡。
 発見されたのは30年ほど前で、当時はそれなりに話題にはなったようである。
 調査の結果、ここは古の王国の国王夫妻が葬られた陵墓であると判明し、大量の副葬品も発見された。財宝、である。
 全て、グラーク侯爵家が押収した。
 それらの中で特に見事な宝石をいくつか、若き日のオズワードが婚約者アルテミラ嬢に贈った。
 現物を、シェルミーネも見た事がある。母の私室に今もある、豪奢な鏡台に散りばめられているのだ。
 美しい宝石類ではある。だがシェルミーネは幼い頃から、何か禍々しいものを感じていた。
「お母様……」
 語りかけてみる。
 母アルテミラは、毒を呷って自ら命を絶った。
 あの宝石たちが原因ではないのか、と思う時もある。あの禍々しい輝きが、母の心を蝕み、病ませていったのではないか、と。
 宝物類を漁り尽くした後、グラーク侯爵家は地下遺跡の入り口を石碑で塞ぎ、完全に封鎖した。領民がうっかり入り込んで危険な目に遭わぬように、という事であろう。領主としての気遣い、なのであろうか。
 その石碑が、崩壊している。封鎖されていた地下洞窟が、口を開いている。
 シェルミーネは剣を抜いた。
 瘴気の残り香が、濃厚さを増してゆく。それは、もはや残り香ではなかった。
 地面が、微かに揺れた。
 地響きをもたらすものが、地面の大穴から這い出して来たところである。
 熊ほどの巨体。熊の如く滑らかに動くが、熊ではない。生き物ですらない。
 石像であった。
 旧古代神時代の、英雄か軍神か。たくましく勇壮な姿をした石像。地下遺跡の一部とも言える。
 それが、襲いかかって来た。
 巨大な石の拳を、シェルミーネは後ろに跳んでかわした。
 動く石像が、しかし滑るように間合いを詰めて来る。驚くべき敏捷性であった。
 シェルミーネの背中が、大木に当たった。
 イブリース化した石像が、大木もろともシェルミーネを粉砕する勢いで、殴りかかってくる。
 凄まじい衝撃が、横合いからイブリースに激突した。
 踏み込みと斬撃。大型の剣が、動く石像を叩きのめしたのだ。僅かな石の破片を飛び散らせて、イブリースの巨体がよろめく。
 大型剣を構え、それと対峙しているのは、体格のがっしりとした1人の男だった。オラクルの重戦士、であろう。
「御無事か」
「あ、ありがとう……貴方は」
 言いかけて、シェルミーネは固まった。
 重戦士の同行者と思われる青年が、そこにいたからだ。木陰で、微笑んでいる。
「相変わらず無茶をしている……割には、よく生きているじゃないかシェルミーネ」
「ネリオ兄様!」
 この地の、新たな領主である。旧シャンバラ領から帰って来る、という話は聞いていた。
「イブリースの気配がする、とガロム君が言うのでね」
 ガロムと呼ばれた重戦士が、イブリースの重い拳を大剣で受け流している。
「……積もる話もあるが、それどころではなさそうだ」
 ネリオ・グラークの視線の先で、もう1体の石像が、大穴から這い出しつつあった。
 3体目以降が続々と出現する、可能性は高い。いや、ここにいるのがすでに5、6体目であるかも知れないのだ。
 シェルミーネがここに到着する、その前に出現した何体かが、どこかにいる。


 私は走っていた。身体を動かすのは苦手だが、そんな事は言っていられない。
 何人かの兵士が、私を護衛してくれている。だがオラクルでもない彼らでは、申し訳ないが、イブリースの相手にはならないだろう。
 イブリース、である事は間違いなかった。
 あれが、アルテミラ様であるわけがないのだ。
 執事として、私は長くグラーク侯爵家に仕えている。領主夫人アルテミラ・グラーク様の御最期にも立ち会った。
 そのアルテミラ様が、侯爵家の城館を支配した。占拠した。乗っ取った、と言って良いだろう。
 エリオット様は、恐らくもはや生きてはおられない。オズワード閣下も。
 御令嬢シェルミーネ様に、私はお伝えしなければならない。城館にはお戻りになりませぬように、と。
 私は、しかし立ち止まっていた。
 前方に広がる森林から、巨大なものが1つ、3つ、5つ。のっそりと、だが滑らかな動きで、姿を現したからだ。
 生き物の如く滑らかに動く、石像だった。


†シナリオ詳細†
シナリオタイプ
シリーズシナリオ
シナリオカテゴリー
魔物討伐
担当ST
小湊拓也
■成功条件
1.イブリース(5体)の撃破
2.一般人レイモン・アントール及び兵士たちの生存
 お世話になっております。ST小湊拓也です。
 シリーズシナリオ全5回(予定)の第1話であります。

 イ・ラプセル王国グラーク侯爵領内の森林地帯に、イブリース化した石像が5体、出現しました。
 侯爵家の執事レイモン・アントール氏(ノウブル、男、51歳)が、護衛の兵士たちもろとも殺されそうになっております。助けてあげて下さい。

 皆様には、まずイブリースと要救助者との間に割り込んでいただきます。

 イブリース『地下遺跡の石像』の攻撃手段は、怪力による格闘戦(攻近単)、瘴気の噴射(魔遠範、BSカース1)。5体いて全てが前衛です。

 場所は森林地帯近くの街道上、時間帯は昼。

 それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
報酬マテリア
6個  2個  2個  2個
5モル 
参加費
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
参加人数
7/8
公開日
2020年10月13日

†メイン参加者 7人†




「旧古代神時代の石像……すごい貴重な歴史的遺物じゃないんですか? 絶対貴重、ぜつ☆きち、ですよ。ぶっ壊しちゃっていいんでしょうか」
「旧古代神時代の陵墓に押し入って、盗掘にも等しい事をした挙げ句、被葬者の遺体を破壊した君が今更そんな事を言うのかい」
「あの時とどめ刺したのマグノリアさんでしょうがっ!」
 会話をしながら、『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)は拳を振るい、『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)は魔導器を掲げている。
「さあ、劣化の秘術は完了したよ。このイブリースたちの力は半減しているはずだ。攻撃も、防御もね」
「くうっ、それでも固いです!」
 綺麗な歯を食いしばりながらエルシーは、巨大なイブリースたちに拳を、蹴りを、叩き込んでいる。真夏の日照と大時化を思わせる激しさでだ。
 5体もの、動く石像。
 神話に登場する英雄か軍神なのであろう勇壮な巨体が、細かな石の破片を飛び散らせながらも歩調と圧力を弱める事なく、自由騎士たちを押し潰しに来る。
「……拳を骨折でもしたら目も当てられません。こっちで、いってみましょうかッ!」
 エルシーが、拳を開いた。
 光まとう掌底が、石像の1つに叩き込まれる。気の光。それが轟音を発し、迸った。
 獅子の咆哮を思わせる轟音と気の奔流が、イブリース化した石像を貫いていた。
 粉末状の石片を噴出させながら、その石像が硬直する。
 他4体が、しかし驚くほど滑らかな動きで反撃に出る。石の拳が4つ、エルシーを襲う。
 左腕のアームバンカーを、『装攻機兵』アデル・ハビッツ(CL3000496)は地面に打ち込んでいた。
 鋼の杭と共に叩き込まれた衝撃波が、大量の土を舞い上げながら拡散し、イブリース5体を直撃する。
 石の巨体が5つ、ひび割れながらよろめいた。
 ひび割れたのは表面だけであろう、とアデルは判断した。容易く砕け散ってくれる相手ではない。
「お嬢様……シェルミーネ様……」
 要救助者が、『智の実践者』テオドール・ベルヴァルド(CL3000375)の後ろで声を震わせている。
 グラーク侯爵家執事レイモン・アントール。護衛の兵士たち共々、このイブリースたちに踏み潰されかけていたところである。
「お伝えせねば……私が、お伝えせねば……」
「落ち着け。このような時に大事なのは、冷静さだ」
 黒き杖を掲げ、呪力の錬成を行いながら、テオドールが言う。
「状況が変わったのだ。今は、御自分の身を案じられよ。シェルミーネ嬢の元へは我らの仲間が向かった」
「さっき熊さんが空飛んでったでしょ、任しとけば大丈夫!」
 竜巻と化した『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)が、巨大なイブリース5体に激突して行く。
 小さな身体が、逆立ちをしながら旋風のように捻転し、あまり長くない両脚が蒸気式回転翼の如く高速で弧を描く。
「で! カノンたちは、石の塊を5個ばかりメタメタのギタギタにぶっ壊せばいいだけ!? シンプルでいいよねぇえっ!」
 その蹴りが、イブリースたちを激しく薙ぎ払った。ひび割れていた体表面が、砕けて剥離してゆく。
 細かな破片を舞い上げながらも、石像たちは反撃に転じていた。
 着地し残心を決めたカノンに、1体が殴りかかる。
 巨大な石の拳が、小さなオニヒトの少女を直撃し、跳ね返った、ように見えた。
 羅刹破神の構え。殴ったイブリースの方が、吹っ飛んでいた。カノンが笑う。
「よく飛んだねえ。怪力自慢なのは、わかったよ」
 そんなカノンに、別のイブリースが毒煙のような息を吐きかける。
 吐息ではない、瘴気であった。
 それがカノンのみならずエルシーを、アデルをも襲った。
「うっぐぇえ……ち、調子に乗っちゃったかな……」
 カノンが咳き込み、血を吐く。
 アデルも、半機械化した身体を折っていた。生身の臓器に、イブリースの呪いそのものが染み入って来る。
 白い光が、その呪いを優しく消滅させてゆく。
 最初にマグノリアが施してくれた、治療の術式であった。
 その煌めきを身に帯びながら、アデルはジョルトランサーを構えた。
 石像1体が、正面から殴りかかって来たところである。
 全身から蒸気を噴射しながら、アデルはそれを迎え撃った。最大出力・最高速度でジョルトランサーを叩き込む。3連撃。
 3つの大穴を穿たれた状態で、しかしイブリースも攻撃を止めない。石の拳が、アデルを直撃していた。
 グシャリ、と衝撃をまともに受けながら、アデルはしかし踏みとどまった。
 自分は、前衛なのだ。後衛に、敵の攻撃を届かせるわけにはいかない。
 その後衛、テオドールとセアラ・ラングフォード(CL3000634)が、錬成した魔導力を解放している。
「……ぐずぐずは出来んな、早期決着を狙うとしよう。セアラ嬢、治療を頼む」
「お任せを……」
 セアラが、両の細腕を優雅に広げる。癒しの力が解き放たれ、自由騎士全員を包み込む。
 負傷した生身の部分、だけではない。無惨に凹んだカタフラクト装甲までもが、アデルの全身で自己修復を遂げてゆく。
 一方テオドールは、攻撃の魔導力を解き放っていた。
 白い蛇、のようなものが、黒い杖の動きに合わせてイブリース5体を絡め取り締め上げ、切り裂き、凍て付かせる。冷たく鋭利な、氷の荊であった。
 そこへ、エルシーが踏み込んで行く。
「さっさと片付けて! シェルミーネさんを、助けに行きますよ!」
 それに続きながらアデルは、この場にいない仲間に語りかけていた。
「メッセンジャーの役目……だけでは済まないかも知れんが、とにかく頼んだぞウェルス」


 森が、凹んでいる。
 一言で表現するならば、そうなる。
 大きな背中に装着した羽ばたき機械の出力を調整し、飛行速度を落としながら、『ラスボス(HP50)』ウェルス・ライヒトゥーム(CL3000033)は空中から森の中を見下ろした。
 ラビットイヤーも、リュンケウスの瞳も、使う必要がなかった。一見してわかる異変が生じている。
 森林地帯の中央。木々がまばらで、半ば広場のようであったのだろう。
 その広場全体が、陥没していた。
 地下洞窟への入り口が、地盤もろとも崩落している。
 広範囲にわたる陥没地に、周囲の木々が倒れ込み、それが蓋となってしまっている。
 辛うじて倒れてはいない大木の陰から、1人の青年が呆然と陥没地を見渡している。
 降下しつつ、ウェルスは声を投げた。
「ネリオ男爵!」
「おお……ウェルス・ライヒトゥーム殿」
 見上げてくるネリオ・グラークの傍に、ウェルスは着地した。
「あんた1人か? 妹御はどうした」
「……そこだ」
 ネリオの言葉と視線は、陥没地に向けられている。まさか、崩落に巻き込まれてしまったのか。
 陥没地の蓋となっている倒木の下から、やがて1人の少女が這い出して来た。
「駄目……ガロムさんが見つからないわ、兄様……」
「おい、無茶をするなよシェルミーネ嬢」
 泥まみれの令嬢に、ウェルスは手を差し伸べた。
 その手を掴んで地中から這い出し、ウェルスの巨体にすがりつきながら、シェルミーネ・グラークが言い募る。
「ウェルス殿! ガロムさんが……私たちを、助けるために……」
「落ち着いてくれ。まずは何が起こったのか、順を追って話して欲しい」
 シェルミーネをなだめつつ、ウェルスは陥没地を見渡し観察した。
 地下洞窟の、かなり深いところまで崩落している。
 その上に木々が倒れて蓋をしているわけだが、隙間はある。ある程度の深さまでなら、オラクル軽戦士の身体能力であれば入って行けぬ事もない。
 だからシェルミーネは、潜って調べていたのだろう。
「……ガロム・ザグが、この下にいるのか」
 ウェルスの問いに、ネリオが答えた。
「ご存じだろうが、イブリースが出現した。ガロム君が、シェルミーネと共に戦ってくれていたのだがね」
「戦いの最中に、崩れたか」
 地下にある、旧古代神時代の構造物。その一部が、経年劣化で崩壊したのだろう。何しろ数千年前の遺跡である。
 あるいは、とウェルスは思う。そんな地盤の弱さを察知したガロムが、何か無茶をしたのかも知れない。
「……イブリースの……数が多く……」
 シェルミーネが、声を震わせる。
「ガロムさんが、地面にバッシュを打ち込んだのです……兄と私に、逃げろと叫びながら……」
「イブリースの群れを、道連れか」
 ウェルスは、牙を噛み締めた。
「ガロムの野郎……」
 この陥没地を掘り返すには、蒸気式重機類を何台も用いての大規模な作業が必要となる。それを手配するには、この近辺の安全を確実なものにしなければならない。
 出現したイブリースの殲滅が最優先事項である、という事だ。
「私が……私が、弱いから! 私がもっと強ければ……」
「御令嬢、そんな事を考えては駄目だ」
 いくらか荒々しく、ウェルスはシェルミーネの細い肩を揺さぶった。
「それよりも、あんた方には伝えなきゃならん事がある。レイモン・アントールという人物を知っているか?」
「グラーク家の執事だ。久しぶりに会うのを楽しみにしていたのだが」
 ネリオが言った。
「……彼が、何か?」
「俺の仲間たちが保護している。大まかな話だけは聞いてきたから、今から伝える」
 グラーク家の兄妹の目を、ウェルスはしっかりと見据えた。
「いいか、落ち着いて聞けよ。グラーク家の城館はイブリースに占拠された。あんた方も絶対に戻るな、という事だ」


 会心の手応えであった、と言って良いだろう。心地良い衝撃と感触が、まだ掌に残っている。
 あの時。綺麗な顔にセアラの手形をくっきりと刻印されたエリオット・グラークは、その顔をくしゃくしゃに歪めて泣きじゃくった。母親に叱られた幼子のようにだ。
 哀れみに近いものが、セアラの胸中に湧き起こったのは事実である。母性本能に訴えかける魅力、のようなものを、もしかしたら持っていたのかも知れない。
 動く石像がエルシーに殴り倒される様を観察しつつセアラは、何となく思い出していた。自分はエリオットを、いくら何でもここまで豪快に叩きのめしたわけではないが。
 ともかくセアラは、消耗した魔力が回復してゆくのを感じていた。マグノリアの施術によるものだ。
 回復した魔力を、セアラは攻撃のために錬成していった。皆の負傷の具合も確かに気になるが、ここはテオドールの言う通り、早期決着を狙うべきであった。
 出現したイブリースは、ここにいる5体だけではないかも知れないのだ。
 最も急いでいる、ように見えるのはアデルであった。負傷した身体のあちこちから血飛沫の如く蒸気を噴射しながら、突進して行く。押し寄せる石像たちに、ジョルトランサーを叩き込んでゆく。
 爆発、そのものの一撃が、動く石像の1体を吹っ飛ばしていた。
 膝をついたアデルに、別の1体が拳を叩きつけようとする。
 その動きが、止まった。石の巨体が硬直していた。
 そこにマグノリアが、右手の人差し指を向けている。
「随分と……飛ばすものだね? アデル。そんなに急いで、どこへ行くのかと思ってしまうな」
 繊細な指先から放たれた何かが、イブリースの胸部に突き刺っていた。
 石の胸板に、亀裂が広がってゆく。石の破片が、噴出する。突き刺ったものが巨体化し、イブリースの胸と背中から現れていた。
 白銀色の、杭であった。
「……それは、急ぐさ」
 エルシーに助け起こされながらアデルは、微笑んだ、のであろうか。
「セアラ嬢のおかげでな、身体が勝手に回復してしまう。ぐずぐずしていたら、死に際の馬鹿力が出なくなる」
「死にかける事が前提の戦い方など……治療士として、認めるわけには参りませんよっ」
 細身を翻しながらセアラは、錬成した魔力を解放していた。
 桃色に近い淡紅色の髪が、ふわりと弧を描く。
 荒ぶる魔力の大渦が解き放たれ、動く石像たちを激しく薙ぎ払った。石の破片が大量に、渦を巻いて飛散する。
「とどめ……と、なれば良いが」
 テオドールが、厳かな手つきで杖を掲げる。荘厳なる魔導の儀式。
 星が生まれた、とセアラは感じた。
 惑星の、始原の状態を思わせる火の海が、イブリースたちを灼き払い吹っ飛ばす。
 動く石像が、全て砕け散った。
 いや。1体だけが辛うじて原形をとどめ、よろよろと揺らぎながら小刻みに瘴気を噴く。
 それが迸って自由騎士団を襲う、よりも速く、小柄な人影が踏み込んでいた。
 カノンだった。
 小さな全身で捻りと踏ん張りを活かし、拳を打ち込んでゆく。
 弱々しく瘴気を放散しながら、イブリースは崩れ落ちた。
 残心の構えを取りながら、カノンは言う。
「さ、シェルミーネさんたちを助けに行こう!」
「……ありがとう。こちらは、とりあえず大丈夫だ」
 声がした。
 森の方から、要救助者がもう2名、ウェルスに伴われ現れたところである。
 テオドールが、まずは声をかけた。
「民政官殿……ではなく領主殿だな。このような時ではあるが、お祝い申し上げる」
「もう少し、総督府にいたかった。仕事を数多く、残して来てしまいましたよ」
 ネリオ・グラークが苦笑した。
「それらを無理矢理、片付けてくれた人がいましてね。まるで僕をシャンバラから追い出すかのように」
「公爵家の、あの人ですね」
 言いつつエルシーが、ちらりと視線を動かす。
 泥まみれの令嬢が、そこにいた。
「エルシー……」
「シェルミーネさん……無事で、良かった」
「ガロムさんが……」
 もう1人、ガロム・ザグという重戦士のオラクルがいる、とはセアラも聞いている。
「埋まった」
 言ったのは、ウェルスである。
「地面が崩れてな。下の遺跡に……恐らく、閉じ込められている」
「助けなきゃ!」
 カノンが叫ぶ。ネリオが、片手を上げる。
「無論そうして欲しいのは山々だ。ガロム君を死なせては、僕はヴィスケーノ家に顔向けが出来ない。だが」
 新領主である青年が、頭を下げた。
「……自由騎士団に、どうか頼みたい。今は、戦う力を持つオラクルよりも、力なき民衆の安全を確実なものにして欲しいんだ」
「……イブリースが他にも出現している、と?」
 セアラの言葉に、ネリオは頷いた。
「地下遺跡の入り口は、この森だけではないんだ。何しろ広大な遺跡、通じている場所が領内にいくつもある。もちろん全て封鎖されているが」
 そんな封鎖は、内側からイブリースが出現すれば容易に破られる。この森のようにだ。
 ウェルスが言った。
「……レイモン・アントール殿、詳しい話を頼むぜ。グラーク家の城館が、イブリースに乗っ取られたんだよな?」
「アルテミラ様が……」
 その名が出た瞬間、泥にまみれたシェルミーネの美貌が青ざめた。
「……あの方と、同じ姿のイブリースが……城内に、出現いたしました」
「……父と、兄は?」
 シェルミーネの問いに、レイモンは無言で俯くだけだ。
 だから、マグノリアが言わねばならなかった。
「……死体を見たのかい? レイモン、君は」
「……いえ……ですが、恐らく……」
 無言で走り出そうとするシェルミーネの細腕を、ネリオが掴んだ。
「……ウェルス殿が伝えに来てくれて助かったよ。さもなくば僕もシェルミーネも、のこのこと城館に戻っていただろうからね」
「……あの城館には、いずれは行かねばならなくなる。自由騎士団が、恐らくは突入という形でな」
 アデルが言う。
 レイモンを護衛している兵士たちを、ウェルスがちらりと見やった。
「……領主殿、さっそく仕事だぜ。生き残った兵隊さんを何とか集めて、まずは城館に人が近付かねえように」
「そうだな。レイモン、疲れているところ申し訳ないが、ひと働きをしてもらうよ」
 初老の執事に、ネリオが言葉をかける。テオドールが、それに続く。
「歩けぬか、ならば私の馬に乗ると良い」
「大丈夫ですか?」
 エルシーが、心配そうな声を出す。
「馬に乗るって、かなり体力の消耗になりますよ」
「この馬は、乗り手を気遣う走り方が出来る。そこだけは、あの寿丸に優る部分かな」
「あの子は本当に、容赦がありませんでしたね……」
 言いつつ、セアラは思い浮かべた。荒馬を駆る、1人の凜とした姫君の姿を。
 凜としながらも彼女は、領民のために悪戦苦闘をしていたものだ。
「……私たちは、この領内を見て回りましょう。イブリースが出ているようであれば、戦わなければ」
 セアラは言った。
「領主様のおっしゃる通り、まずは領民の方々の安全を確かなものに」
「ガロムさんは……」
 エルシーが言いかけ、俯く。
「……自力で助かってもらう、しかありませんか」
「奴なら心配は要らん」
 アデルが、ジョルトランサーに炸薬を装填している。
「俺たちとて、ここに常駐出来るわけではない。居られる間に、するべき事をしよう。出来れば城館を強行偵察しておきたいところだが……まずは、セアラ嬢の言う通り」
「そうだな、ここの領民に危険が及ぶのは良くない。イブリースが湧いて出ていたら滅ぼす。俺は戦ってないから力が有り余っているぜ」
 ウェルスが、拳銃を回転させた。
「最終的には……遺跡を調べる事にも、なりそうだな。金目の物は浚っちまった後らしいが」
「……文献で調べられる、程度の事は調べてみたよ」
 マグノリアが言った。
「失われし王国の、王と王妃が眠る陵墓……どちらかと言うと、王妃を弔う意味合いの方が強いらしい。美容に執着する女性で、己の美しさを維持するために……民を殺して生き血を浴びる、などという事もしていたようだ。それが本当なら……遺跡から、イブリースがいくら出て来ても不思議はないという気がするよ」

†シナリオ結果†

成功

†詳細†

FL送付済