MagiaSteam




【流血の女帝】動乱のグラーク家

●
兄ネリオ・グラークが、この地に帰って来る。
自分エリオット・グラークの居場所は無くなる、という事だ。
「……助けて……母上……」
日々の清掃だけは行き届いている、だが使う者のいない部屋に、エリオットはふらふらと吸い込まれていた。
亡き母アルテミラ・グラークの私室。
母のお気に入りであった鏡台の前に、エリオットはいる。
鏡を取り囲む黄金作りの枠には、いくつもの宝石が散りばめられていた。
婚約の際、父オズワードが贈ったものであるという。
宝石に囲まれた鏡を見ながら母は日々、美を維持する努力を怠らなかった。
今は、憔悴しきったエリオットの姿を映している。
「助けて……母上……」
鏡の中のエリオットが、呟く。
父オズワード・グラークは、領主の任を解かれた。
次期領主は、旧シャンバラ領で民政官としての実績を重ねた長男ネリオ・グラーク。王都の裁定である。
ネリオは弟エリオットを、殺しはしないだろう。捨て扶持を与え、犬のように飼うだけだ。
貴族としては。死も同然である。
「……母上……どうか助けて……」
枠に散りばめられた宝石たちが、幻惑的に輝いている。
その光に囲まれた鏡の中で、母が微笑んでいた。
美しく、優しく、息子に微笑みかけていた。
●
民衆に対しては慈悲深い君主を演じたがる一方、取り立てるものは取り立てて私腹を肥やす。
それが、この地の領主オズワード・グラーク侯爵という人物であった。
このような父でも、美点と呼べるものが1つだけある。シェルミーネ・グラークは、そう思う。
オズワードは、妻アルテミラ・グラークを愛していた。
彼女の存命中はもちろん死後も、城に妾を入れる事はなかった。
父の代わりのように女遊びを止められずにいるのが、次男エリオット・グラークである。
シェルミーネの見たところ、両親に最も可愛がられていたのが、この次兄であった。
長兄ネリオ・グラークは、父には疎んじられ、母からもどこか敬遠されていたようである。
自分シェルミーネはどうか。
今はともかく幼い頃は、父は普通に可愛がってくれた。だが母は。
貴女は綺麗になるわよ、シェルミーネ。私よりも、ずっと。
ある時、幼いシェルミーネの顔を見つめながら、アルテミラは言った。
褒めてもらった、とはシェルミーネは思えなかった。
あの頃の母は、今思えば、すでに心を病んでいたのではないか。
病んでいようと、母はしかし美しかった。
青ざめた美貌を思い出しながら、シェルミーネは立ち止まった。
イ・ラプセル王国、グラーク侯爵領。
森林の真ん中で、地面に大穴が空いている。熊が出入りしそうな大きさである。
誰かが穴を掘った、わけではない。
元からあった地下洞窟が、石碑によって塞がれていたのである。その石碑は砕け散り、散乱している。
何かが洞窟から地上へ出た、としか思えぬ状況である。
「イブリース……」
瘴気の残り香を、シェルミーネは確かに感じた。
森の中で、周囲で、化け物を見た。怪物を見た。領民から、そんな訴えが上がって来ている。
この地下洞窟に関しては、領民たちが知っている程度の事であればシェルミーネも知っている。
旧古代神時代の遺跡。
発見されたのは30年ほど前で、当時はそれなりに話題にはなったようである。
調査の結果、ここは古の王国の国王夫妻が葬られた陵墓であると判明し、大量の副葬品も発見された。財宝、である。
全て、グラーク侯爵家が押収した。
それらの中で特に見事な宝石をいくつか、若き日のオズワードが婚約者アルテミラ嬢に贈った。
現物を、シェルミーネも見た事がある。母の私室に今もある、豪奢な鏡台に散りばめられているのだ。
美しい宝石類ではある。だがシェルミーネは幼い頃から、何か禍々しいものを感じていた。
「お母様……」
語りかけてみる。
母アルテミラは、毒を呷って自ら命を絶った。
あの宝石たちが原因ではないのか、と思う時もある。あの禍々しい輝きが、母の心を蝕み、病ませていったのではないか、と。
宝物類を漁り尽くした後、グラーク侯爵家は地下遺跡の入り口を石碑で塞ぎ、完全に封鎖した。領民がうっかり入り込んで危険な目に遭わぬように、という事であろう。領主としての気遣い、なのであろうか。
その石碑が、崩壊している。封鎖されていた地下洞窟が、口を開いている。
シェルミーネは剣を抜いた。
瘴気の残り香が、濃厚さを増してゆく。それは、もはや残り香ではなかった。
地面が、微かに揺れた。
地響きをもたらすものが、地面の大穴から這い出して来たところである。
熊ほどの巨体。熊の如く滑らかに動くが、熊ではない。生き物ですらない。
石像であった。
旧古代神時代の、英雄か軍神か。たくましく勇壮な姿をした石像。地下遺跡の一部とも言える。
それが、襲いかかって来た。
巨大な石の拳を、シェルミーネは後ろに跳んでかわした。
動く石像が、しかし滑るように間合いを詰めて来る。驚くべき敏捷性であった。
シェルミーネの背中が、大木に当たった。
イブリース化した石像が、大木もろともシェルミーネを粉砕する勢いで、殴りかかってくる。
凄まじい衝撃が、横合いからイブリースに激突した。
踏み込みと斬撃。大型の剣が、動く石像を叩きのめしたのだ。僅かな石の破片を飛び散らせて、イブリースの巨体がよろめく。
大型剣を構え、それと対峙しているのは、体格のがっしりとした1人の男だった。オラクルの重戦士、であろう。
「御無事か」
「あ、ありがとう……貴方は」
言いかけて、シェルミーネは固まった。
重戦士の同行者と思われる青年が、そこにいたからだ。木陰で、微笑んでいる。
「相変わらず無茶をしている……割には、よく生きているじゃないかシェルミーネ」
「ネリオ兄様!」
この地の、新たな領主である。旧シャンバラ領から帰って来る、という話は聞いていた。
「イブリースの気配がする、とガロム君が言うのでね」
ガロムと呼ばれた重戦士が、イブリースの重い拳を大剣で受け流している。
「……積もる話もあるが、それどころではなさそうだ」
ネリオ・グラークの視線の先で、もう1体の石像が、大穴から這い出しつつあった。
3体目以降が続々と出現する、可能性は高い。いや、ここにいるのがすでに5、6体目であるかも知れないのだ。
シェルミーネがここに到着する、その前に出現した何体かが、どこかにいる。
●
私は走っていた。身体を動かすのは苦手だが、そんな事は言っていられない。
何人かの兵士が、私を護衛してくれている。だがオラクルでもない彼らでは、申し訳ないが、イブリースの相手にはならないだろう。
イブリース、である事は間違いなかった。
あれが、アルテミラ様であるわけがないのだ。
執事として、私は長くグラーク侯爵家に仕えている。領主夫人アルテミラ・グラーク様の御最期にも立ち会った。
そのアルテミラ様が、侯爵家の城館を支配した。占拠した。乗っ取った、と言って良いだろう。
エリオット様は、恐らくもはや生きてはおられない。オズワード閣下も。
御令嬢シェルミーネ様に、私はお伝えしなければならない。城館にはお戻りになりませぬように、と。
私は、しかし立ち止まっていた。
前方に広がる森林から、巨大なものが1つ、3つ、5つ。のっそりと、だが滑らかな動きで、姿を現したからだ。
生き物の如く滑らかに動く、石像だった。
兄ネリオ・グラークが、この地に帰って来る。
自分エリオット・グラークの居場所は無くなる、という事だ。
「……助けて……母上……」
日々の清掃だけは行き届いている、だが使う者のいない部屋に、エリオットはふらふらと吸い込まれていた。
亡き母アルテミラ・グラークの私室。
母のお気に入りであった鏡台の前に、エリオットはいる。
鏡を取り囲む黄金作りの枠には、いくつもの宝石が散りばめられていた。
婚約の際、父オズワードが贈ったものであるという。
宝石に囲まれた鏡を見ながら母は日々、美を維持する努力を怠らなかった。
今は、憔悴しきったエリオットの姿を映している。
「助けて……母上……」
鏡の中のエリオットが、呟く。
父オズワード・グラークは、領主の任を解かれた。
次期領主は、旧シャンバラ領で民政官としての実績を重ねた長男ネリオ・グラーク。王都の裁定である。
ネリオは弟エリオットを、殺しはしないだろう。捨て扶持を与え、犬のように飼うだけだ。
貴族としては。死も同然である。
「……母上……どうか助けて……」
枠に散りばめられた宝石たちが、幻惑的に輝いている。
その光に囲まれた鏡の中で、母が微笑んでいた。
美しく、優しく、息子に微笑みかけていた。
●
民衆に対しては慈悲深い君主を演じたがる一方、取り立てるものは取り立てて私腹を肥やす。
それが、この地の領主オズワード・グラーク侯爵という人物であった。
このような父でも、美点と呼べるものが1つだけある。シェルミーネ・グラークは、そう思う。
オズワードは、妻アルテミラ・グラークを愛していた。
彼女の存命中はもちろん死後も、城に妾を入れる事はなかった。
父の代わりのように女遊びを止められずにいるのが、次男エリオット・グラークである。
シェルミーネの見たところ、両親に最も可愛がられていたのが、この次兄であった。
長兄ネリオ・グラークは、父には疎んじられ、母からもどこか敬遠されていたようである。
自分シェルミーネはどうか。
今はともかく幼い頃は、父は普通に可愛がってくれた。だが母は。
貴女は綺麗になるわよ、シェルミーネ。私よりも、ずっと。
ある時、幼いシェルミーネの顔を見つめながら、アルテミラは言った。
褒めてもらった、とはシェルミーネは思えなかった。
あの頃の母は、今思えば、すでに心を病んでいたのではないか。
病んでいようと、母はしかし美しかった。
青ざめた美貌を思い出しながら、シェルミーネは立ち止まった。
イ・ラプセル王国、グラーク侯爵領。
森林の真ん中で、地面に大穴が空いている。熊が出入りしそうな大きさである。
誰かが穴を掘った、わけではない。
元からあった地下洞窟が、石碑によって塞がれていたのである。その石碑は砕け散り、散乱している。
何かが洞窟から地上へ出た、としか思えぬ状況である。
「イブリース……」
瘴気の残り香を、シェルミーネは確かに感じた。
森の中で、周囲で、化け物を見た。怪物を見た。領民から、そんな訴えが上がって来ている。
この地下洞窟に関しては、領民たちが知っている程度の事であればシェルミーネも知っている。
旧古代神時代の遺跡。
発見されたのは30年ほど前で、当時はそれなりに話題にはなったようである。
調査の結果、ここは古の王国の国王夫妻が葬られた陵墓であると判明し、大量の副葬品も発見された。財宝、である。
全て、グラーク侯爵家が押収した。
それらの中で特に見事な宝石をいくつか、若き日のオズワードが婚約者アルテミラ嬢に贈った。
現物を、シェルミーネも見た事がある。母の私室に今もある、豪奢な鏡台に散りばめられているのだ。
美しい宝石類ではある。だがシェルミーネは幼い頃から、何か禍々しいものを感じていた。
「お母様……」
語りかけてみる。
母アルテミラは、毒を呷って自ら命を絶った。
あの宝石たちが原因ではないのか、と思う時もある。あの禍々しい輝きが、母の心を蝕み、病ませていったのではないか、と。
宝物類を漁り尽くした後、グラーク侯爵家は地下遺跡の入り口を石碑で塞ぎ、完全に封鎖した。領民がうっかり入り込んで危険な目に遭わぬように、という事であろう。領主としての気遣い、なのであろうか。
その石碑が、崩壊している。封鎖されていた地下洞窟が、口を開いている。
シェルミーネは剣を抜いた。
瘴気の残り香が、濃厚さを増してゆく。それは、もはや残り香ではなかった。
地面が、微かに揺れた。
地響きをもたらすものが、地面の大穴から這い出して来たところである。
熊ほどの巨体。熊の如く滑らかに動くが、熊ではない。生き物ですらない。
石像であった。
旧古代神時代の、英雄か軍神か。たくましく勇壮な姿をした石像。地下遺跡の一部とも言える。
それが、襲いかかって来た。
巨大な石の拳を、シェルミーネは後ろに跳んでかわした。
動く石像が、しかし滑るように間合いを詰めて来る。驚くべき敏捷性であった。
シェルミーネの背中が、大木に当たった。
イブリース化した石像が、大木もろともシェルミーネを粉砕する勢いで、殴りかかってくる。
凄まじい衝撃が、横合いからイブリースに激突した。
踏み込みと斬撃。大型の剣が、動く石像を叩きのめしたのだ。僅かな石の破片を飛び散らせて、イブリースの巨体がよろめく。
大型剣を構え、それと対峙しているのは、体格のがっしりとした1人の男だった。オラクルの重戦士、であろう。
「御無事か」
「あ、ありがとう……貴方は」
言いかけて、シェルミーネは固まった。
重戦士の同行者と思われる青年が、そこにいたからだ。木陰で、微笑んでいる。
「相変わらず無茶をしている……割には、よく生きているじゃないかシェルミーネ」
「ネリオ兄様!」
この地の、新たな領主である。旧シャンバラ領から帰って来る、という話は聞いていた。
「イブリースの気配がする、とガロム君が言うのでね」
ガロムと呼ばれた重戦士が、イブリースの重い拳を大剣で受け流している。
「……積もる話もあるが、それどころではなさそうだ」
ネリオ・グラークの視線の先で、もう1体の石像が、大穴から這い出しつつあった。
3体目以降が続々と出現する、可能性は高い。いや、ここにいるのがすでに5、6体目であるかも知れないのだ。
シェルミーネがここに到着する、その前に出現した何体かが、どこかにいる。
●
私は走っていた。身体を動かすのは苦手だが、そんな事は言っていられない。
何人かの兵士が、私を護衛してくれている。だがオラクルでもない彼らでは、申し訳ないが、イブリースの相手にはならないだろう。
イブリース、である事は間違いなかった。
あれが、アルテミラ様であるわけがないのだ。
執事として、私は長くグラーク侯爵家に仕えている。領主夫人アルテミラ・グラーク様の御最期にも立ち会った。
そのアルテミラ様が、侯爵家の城館を支配した。占拠した。乗っ取った、と言って良いだろう。
エリオット様は、恐らくもはや生きてはおられない。オズワード閣下も。
御令嬢シェルミーネ様に、私はお伝えしなければならない。城館にはお戻りになりませぬように、と。
私は、しかし立ち止まっていた。
前方に広がる森林から、巨大なものが1つ、3つ、5つ。のっそりと、だが滑らかな動きで、姿を現したからだ。
生き物の如く滑らかに動く、石像だった。
†シナリオ詳細†
■成功条件
1.イブリース(5体)の撃破
2.一般人レイモン・アントール及び兵士たちの生存
2.一般人レイモン・アントール及び兵士たちの生存
お世話になっております。ST小湊拓也です。
シリーズシナリオ全5回(予定)の第1話であります。
イ・ラプセル王国グラーク侯爵領内の森林地帯に、イブリース化した石像が5体、出現しました。
侯爵家の執事レイモン・アントール氏(ノウブル、男、51歳)が、護衛の兵士たちもろとも殺されそうになっております。助けてあげて下さい。
皆様には、まずイブリースと要救助者との間に割り込んでいただきます。
イブリース『地下遺跡の石像』の攻撃手段は、怪力による格闘戦(攻近単)、瘴気の噴射(魔遠範、BSカース1)。5体いて全てが前衛です。
場所は森林地帯近くの街道上、時間帯は昼。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
シリーズシナリオ全5回(予定)の第1話であります。
イ・ラプセル王国グラーク侯爵領内の森林地帯に、イブリース化した石像が5体、出現しました。
侯爵家の執事レイモン・アントール氏(ノウブル、男、51歳)が、護衛の兵士たちもろとも殺されそうになっております。助けてあげて下さい。
皆様には、まずイブリースと要救助者との間に割り込んでいただきます。
イブリース『地下遺跡の石像』の攻撃手段は、怪力による格闘戦(攻近単)、瘴気の噴射(魔遠範、BSカース1)。5体いて全てが前衛です。
場所は森林地帯近くの街道上、時間帯は昼。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬マテリア
6個
2個
2個
2個




参加費
100LP [予約時+50LP]
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
7日
参加人数
7/8
7/8
公開日
2020年10月13日
2020年10月13日
†メイン参加者 7人†

●
「旧古代神時代の石像……すごい貴重な歴史的遺物じゃないんですか? 絶対貴重、ぜつ☆きち、ですよ。ぶっ壊しちゃっていいんでしょうか」
「旧古代神時代の陵墓に押し入って、盗掘にも等しい事をした挙げ句、被葬者の遺体を破壊した君が今更そんな事を言うのかい」
「あの時とどめ刺したのマグノリアさんでしょうがっ!」
会話をしながら、『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)は拳を振るい、『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)は魔導器を掲げている。
「さあ、劣化の秘術は完了したよ。このイブリースたちの力は半減しているはずだ。攻撃も、防御もね」
「くうっ、それでも固いです!」
綺麗な歯を食いしばりながらエルシーは、巨大なイブリースたちに拳を、蹴りを、叩き込んでいる。真夏の日照と大時化を思わせる激しさでだ。
5体もの、動く石像。
神話に登場する英雄か軍神なのであろう勇壮な巨体が、細かな石の破片を飛び散らせながらも歩調と圧力を弱める事なく、自由騎士たちを押し潰しに来る。
「……拳を骨折でもしたら目も当てられません。こっちで、いってみましょうかッ!」
エルシーが、拳を開いた。
光まとう掌底が、石像の1つに叩き込まれる。気の光。それが轟音を発し、迸った。
獅子の咆哮を思わせる轟音と気の奔流が、イブリース化した石像を貫いていた。
粉末状の石片を噴出させながら、その石像が硬直する。
他4体が、しかし驚くほど滑らかな動きで反撃に出る。石の拳が4つ、エルシーを襲う。
左腕のアームバンカーを、『装攻機兵』アデル・ハビッツ(CL3000496)は地面に打ち込んでいた。
鋼の杭と共に叩き込まれた衝撃波が、大量の土を舞い上げながら拡散し、イブリース5体を直撃する。
石の巨体が5つ、ひび割れながらよろめいた。
ひび割れたのは表面だけであろう、とアデルは判断した。容易く砕け散ってくれる相手ではない。
「お嬢様……シェルミーネ様……」
要救助者が、『智の実践者』テオドール・ベルヴァルド(CL3000375)の後ろで声を震わせている。
グラーク侯爵家執事レイモン・アントール。護衛の兵士たち共々、このイブリースたちに踏み潰されかけていたところである。
「お伝えせねば……私が、お伝えせねば……」
「落ち着け。このような時に大事なのは、冷静さだ」
黒き杖を掲げ、呪力の錬成を行いながら、テオドールが言う。
「状況が変わったのだ。今は、御自分の身を案じられよ。シェルミーネ嬢の元へは我らの仲間が向かった」
「さっき熊さんが空飛んでったでしょ、任しとけば大丈夫!」
竜巻と化した『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)が、巨大なイブリース5体に激突して行く。
小さな身体が、逆立ちをしながら旋風のように捻転し、あまり長くない両脚が蒸気式回転翼の如く高速で弧を描く。
「で! カノンたちは、石の塊を5個ばかりメタメタのギタギタにぶっ壊せばいいだけ!? シンプルでいいよねぇえっ!」
その蹴りが、イブリースたちを激しく薙ぎ払った。ひび割れていた体表面が、砕けて剥離してゆく。
細かな破片を舞い上げながらも、石像たちは反撃に転じていた。
着地し残心を決めたカノンに、1体が殴りかかる。
巨大な石の拳が、小さなオニヒトの少女を直撃し、跳ね返った、ように見えた。
羅刹破神の構え。殴ったイブリースの方が、吹っ飛んでいた。カノンが笑う。
「よく飛んだねえ。怪力自慢なのは、わかったよ」
そんなカノンに、別のイブリースが毒煙のような息を吐きかける。
吐息ではない、瘴気であった。
それがカノンのみならずエルシーを、アデルをも襲った。
「うっぐぇえ……ち、調子に乗っちゃったかな……」
カノンが咳き込み、血を吐く。
アデルも、半機械化した身体を折っていた。生身の臓器に、イブリースの呪いそのものが染み入って来る。
白い光が、その呪いを優しく消滅させてゆく。
最初にマグノリアが施してくれた、治療の術式であった。
その煌めきを身に帯びながら、アデルはジョルトランサーを構えた。
石像1体が、正面から殴りかかって来たところである。
全身から蒸気を噴射しながら、アデルはそれを迎え撃った。最大出力・最高速度でジョルトランサーを叩き込む。3連撃。
3つの大穴を穿たれた状態で、しかしイブリースも攻撃を止めない。石の拳が、アデルを直撃していた。
グシャリ、と衝撃をまともに受けながら、アデルはしかし踏みとどまった。
自分は、前衛なのだ。後衛に、敵の攻撃を届かせるわけにはいかない。
その後衛、テオドールとセアラ・ラングフォード(CL3000634)が、錬成した魔導力を解放している。
「……ぐずぐずは出来んな、早期決着を狙うとしよう。セアラ嬢、治療を頼む」
「お任せを……」
セアラが、両の細腕を優雅に広げる。癒しの力が解き放たれ、自由騎士全員を包み込む。
負傷した生身の部分、だけではない。無惨に凹んだカタフラクト装甲までもが、アデルの全身で自己修復を遂げてゆく。
一方テオドールは、攻撃の魔導力を解き放っていた。
白い蛇、のようなものが、黒い杖の動きに合わせてイブリース5体を絡め取り締め上げ、切り裂き、凍て付かせる。冷たく鋭利な、氷の荊であった。
そこへ、エルシーが踏み込んで行く。
「さっさと片付けて! シェルミーネさんを、助けに行きますよ!」
それに続きながらアデルは、この場にいない仲間に語りかけていた。
「メッセンジャーの役目……だけでは済まないかも知れんが、とにかく頼んだぞウェルス」
●
森が、凹んでいる。
一言で表現するならば、そうなる。
大きな背中に装着した羽ばたき機械の出力を調整し、飛行速度を落としながら、『ラスボス(HP50)』ウェルス・ライヒトゥーム(CL3000033)は空中から森の中を見下ろした。
ラビットイヤーも、リュンケウスの瞳も、使う必要がなかった。一見してわかる異変が生じている。
森林地帯の中央。木々がまばらで、半ば広場のようであったのだろう。
その広場全体が、陥没していた。
地下洞窟への入り口が、地盤もろとも崩落している。
広範囲にわたる陥没地に、周囲の木々が倒れ込み、それが蓋となってしまっている。
辛うじて倒れてはいない大木の陰から、1人の青年が呆然と陥没地を見渡している。
降下しつつ、ウェルスは声を投げた。
「ネリオ男爵!」
「おお……ウェルス・ライヒトゥーム殿」
見上げてくるネリオ・グラークの傍に、ウェルスは着地した。
「あんた1人か? 妹御はどうした」
「……そこだ」
ネリオの言葉と視線は、陥没地に向けられている。まさか、崩落に巻き込まれてしまったのか。
陥没地の蓋となっている倒木の下から、やがて1人の少女が這い出して来た。
「駄目……ガロムさんが見つからないわ、兄様……」
「おい、無茶をするなよシェルミーネ嬢」
泥まみれの令嬢に、ウェルスは手を差し伸べた。
その手を掴んで地中から這い出し、ウェルスの巨体にすがりつきながら、シェルミーネ・グラークが言い募る。
「ウェルス殿! ガロムさんが……私たちを、助けるために……」
「落ち着いてくれ。まずは何が起こったのか、順を追って話して欲しい」
シェルミーネをなだめつつ、ウェルスは陥没地を見渡し観察した。
地下洞窟の、かなり深いところまで崩落している。
その上に木々が倒れて蓋をしているわけだが、隙間はある。ある程度の深さまでなら、オラクル軽戦士の身体能力であれば入って行けぬ事もない。
だからシェルミーネは、潜って調べていたのだろう。
「……ガロム・ザグが、この下にいるのか」
ウェルスの問いに、ネリオが答えた。
「ご存じだろうが、イブリースが出現した。ガロム君が、シェルミーネと共に戦ってくれていたのだがね」
「戦いの最中に、崩れたか」
地下にある、旧古代神時代の構造物。その一部が、経年劣化で崩壊したのだろう。何しろ数千年前の遺跡である。
あるいは、とウェルスは思う。そんな地盤の弱さを察知したガロムが、何か無茶をしたのかも知れない。
「……イブリースの……数が多く……」
シェルミーネが、声を震わせる。
「ガロムさんが、地面にバッシュを打ち込んだのです……兄と私に、逃げろと叫びながら……」
「イブリースの群れを、道連れか」
ウェルスは、牙を噛み締めた。
「ガロムの野郎……」
この陥没地を掘り返すには、蒸気式重機類を何台も用いての大規模な作業が必要となる。それを手配するには、この近辺の安全を確実なものにしなければならない。
出現したイブリースの殲滅が最優先事項である、という事だ。
「私が……私が、弱いから! 私がもっと強ければ……」
「御令嬢、そんな事を考えては駄目だ」
いくらか荒々しく、ウェルスはシェルミーネの細い肩を揺さぶった。
「それよりも、あんた方には伝えなきゃならん事がある。レイモン・アントールという人物を知っているか?」
「グラーク家の執事だ。久しぶりに会うのを楽しみにしていたのだが」
ネリオが言った。
「……彼が、何か?」
「俺の仲間たちが保護している。大まかな話だけは聞いてきたから、今から伝える」
グラーク家の兄妹の目を、ウェルスはしっかりと見据えた。
「いいか、落ち着いて聞けよ。グラーク家の城館はイブリースに占拠された。あんた方も絶対に戻るな、という事だ」
●
会心の手応えであった、と言って良いだろう。心地良い衝撃と感触が、まだ掌に残っている。
あの時。綺麗な顔にセアラの手形をくっきりと刻印されたエリオット・グラークは、その顔をくしゃくしゃに歪めて泣きじゃくった。母親に叱られた幼子のようにだ。
哀れみに近いものが、セアラの胸中に湧き起こったのは事実である。母性本能に訴えかける魅力、のようなものを、もしかしたら持っていたのかも知れない。
動く石像がエルシーに殴り倒される様を観察しつつセアラは、何となく思い出していた。自分はエリオットを、いくら何でもここまで豪快に叩きのめしたわけではないが。
ともかくセアラは、消耗した魔力が回復してゆくのを感じていた。マグノリアの施術によるものだ。
回復した魔力を、セアラは攻撃のために錬成していった。皆の負傷の具合も確かに気になるが、ここはテオドールの言う通り、早期決着を狙うべきであった。
出現したイブリースは、ここにいる5体だけではないかも知れないのだ。
最も急いでいる、ように見えるのはアデルであった。負傷した身体のあちこちから血飛沫の如く蒸気を噴射しながら、突進して行く。押し寄せる石像たちに、ジョルトランサーを叩き込んでゆく。
爆発、そのものの一撃が、動く石像の1体を吹っ飛ばしていた。
膝をついたアデルに、別の1体が拳を叩きつけようとする。
その動きが、止まった。石の巨体が硬直していた。
そこにマグノリアが、右手の人差し指を向けている。
「随分と……飛ばすものだね? アデル。そんなに急いで、どこへ行くのかと思ってしまうな」
繊細な指先から放たれた何かが、イブリースの胸部に突き刺っていた。
石の胸板に、亀裂が広がってゆく。石の破片が、噴出する。突き刺ったものが巨体化し、イブリースの胸と背中から現れていた。
白銀色の、杭であった。
「……それは、急ぐさ」
エルシーに助け起こされながらアデルは、微笑んだ、のであろうか。
「セアラ嬢のおかげでな、身体が勝手に回復してしまう。ぐずぐずしていたら、死に際の馬鹿力が出なくなる」
「死にかける事が前提の戦い方など……治療士として、認めるわけには参りませんよっ」
細身を翻しながらセアラは、錬成した魔力を解放していた。
桃色に近い淡紅色の髪が、ふわりと弧を描く。
荒ぶる魔力の大渦が解き放たれ、動く石像たちを激しく薙ぎ払った。石の破片が大量に、渦を巻いて飛散する。
「とどめ……と、なれば良いが」
テオドールが、厳かな手つきで杖を掲げる。荘厳なる魔導の儀式。
星が生まれた、とセアラは感じた。
惑星の、始原の状態を思わせる火の海が、イブリースたちを灼き払い吹っ飛ばす。
動く石像が、全て砕け散った。
いや。1体だけが辛うじて原形をとどめ、よろよろと揺らぎながら小刻みに瘴気を噴く。
それが迸って自由騎士団を襲う、よりも速く、小柄な人影が踏み込んでいた。
カノンだった。
小さな全身で捻りと踏ん張りを活かし、拳を打ち込んでゆく。
弱々しく瘴気を放散しながら、イブリースは崩れ落ちた。
残心の構えを取りながら、カノンは言う。
「さ、シェルミーネさんたちを助けに行こう!」
「……ありがとう。こちらは、とりあえず大丈夫だ」
声がした。
森の方から、要救助者がもう2名、ウェルスに伴われ現れたところである。
テオドールが、まずは声をかけた。
「民政官殿……ではなく領主殿だな。このような時ではあるが、お祝い申し上げる」
「もう少し、総督府にいたかった。仕事を数多く、残して来てしまいましたよ」
ネリオ・グラークが苦笑した。
「それらを無理矢理、片付けてくれた人がいましてね。まるで僕をシャンバラから追い出すかのように」
「公爵家の、あの人ですね」
言いつつエルシーが、ちらりと視線を動かす。
泥まみれの令嬢が、そこにいた。
「エルシー……」
「シェルミーネさん……無事で、良かった」
「ガロムさんが……」
もう1人、ガロム・ザグという重戦士のオラクルがいる、とはセアラも聞いている。
「埋まった」
言ったのは、ウェルスである。
「地面が崩れてな。下の遺跡に……恐らく、閉じ込められている」
「助けなきゃ!」
カノンが叫ぶ。ネリオが、片手を上げる。
「無論そうして欲しいのは山々だ。ガロム君を死なせては、僕はヴィスケーノ家に顔向けが出来ない。だが」
新領主である青年が、頭を下げた。
「……自由騎士団に、どうか頼みたい。今は、戦う力を持つオラクルよりも、力なき民衆の安全を確実なものにして欲しいんだ」
「……イブリースが他にも出現している、と?」
セアラの言葉に、ネリオは頷いた。
「地下遺跡の入り口は、この森だけではないんだ。何しろ広大な遺跡、通じている場所が領内にいくつもある。もちろん全て封鎖されているが」
そんな封鎖は、内側からイブリースが出現すれば容易に破られる。この森のようにだ。
ウェルスが言った。
「……レイモン・アントール殿、詳しい話を頼むぜ。グラーク家の城館が、イブリースに乗っ取られたんだよな?」
「アルテミラ様が……」
その名が出た瞬間、泥にまみれたシェルミーネの美貌が青ざめた。
「……あの方と、同じ姿のイブリースが……城内に、出現いたしました」
「……父と、兄は?」
シェルミーネの問いに、レイモンは無言で俯くだけだ。
だから、マグノリアが言わねばならなかった。
「……死体を見たのかい? レイモン、君は」
「……いえ……ですが、恐らく……」
無言で走り出そうとするシェルミーネの細腕を、ネリオが掴んだ。
「……ウェルス殿が伝えに来てくれて助かったよ。さもなくば僕もシェルミーネも、のこのこと城館に戻っていただろうからね」
「……あの城館には、いずれは行かねばならなくなる。自由騎士団が、恐らくは突入という形でな」
アデルが言う。
レイモンを護衛している兵士たちを、ウェルスがちらりと見やった。
「……領主殿、さっそく仕事だぜ。生き残った兵隊さんを何とか集めて、まずは城館に人が近付かねえように」
「そうだな。レイモン、疲れているところ申し訳ないが、ひと働きをしてもらうよ」
初老の執事に、ネリオが言葉をかける。テオドールが、それに続く。
「歩けぬか、ならば私の馬に乗ると良い」
「大丈夫ですか?」
エルシーが、心配そうな声を出す。
「馬に乗るって、かなり体力の消耗になりますよ」
「この馬は、乗り手を気遣う走り方が出来る。そこだけは、あの寿丸に優る部分かな」
「あの子は本当に、容赦がありませんでしたね……」
言いつつ、セアラは思い浮かべた。荒馬を駆る、1人の凜とした姫君の姿を。
凜としながらも彼女は、領民のために悪戦苦闘をしていたものだ。
「……私たちは、この領内を見て回りましょう。イブリースが出ているようであれば、戦わなければ」
セアラは言った。
「領主様のおっしゃる通り、まずは領民の方々の安全を確かなものに」
「ガロムさんは……」
エルシーが言いかけ、俯く。
「……自力で助かってもらう、しかありませんか」
「奴なら心配は要らん」
アデルが、ジョルトランサーに炸薬を装填している。
「俺たちとて、ここに常駐出来るわけではない。居られる間に、するべき事をしよう。出来れば城館を強行偵察しておきたいところだが……まずは、セアラ嬢の言う通り」
「そうだな、ここの領民に危険が及ぶのは良くない。イブリースが湧いて出ていたら滅ぼす。俺は戦ってないから力が有り余っているぜ」
ウェルスが、拳銃を回転させた。
「最終的には……遺跡を調べる事にも、なりそうだな。金目の物は浚っちまった後らしいが」
「……文献で調べられる、程度の事は調べてみたよ」
マグノリアが言った。
「失われし王国の、王と王妃が眠る陵墓……どちらかと言うと、王妃を弔う意味合いの方が強いらしい。美容に執着する女性で、己の美しさを維持するために……民を殺して生き血を浴びる、などという事もしていたようだ。それが本当なら……遺跡から、イブリースがいくら出て来ても不思議はないという気がするよ」
「旧古代神時代の石像……すごい貴重な歴史的遺物じゃないんですか? 絶対貴重、ぜつ☆きち、ですよ。ぶっ壊しちゃっていいんでしょうか」
「旧古代神時代の陵墓に押し入って、盗掘にも等しい事をした挙げ句、被葬者の遺体を破壊した君が今更そんな事を言うのかい」
「あの時とどめ刺したのマグノリアさんでしょうがっ!」
会話をしながら、『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)は拳を振るい、『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)は魔導器を掲げている。
「さあ、劣化の秘術は完了したよ。このイブリースたちの力は半減しているはずだ。攻撃も、防御もね」
「くうっ、それでも固いです!」
綺麗な歯を食いしばりながらエルシーは、巨大なイブリースたちに拳を、蹴りを、叩き込んでいる。真夏の日照と大時化を思わせる激しさでだ。
5体もの、動く石像。
神話に登場する英雄か軍神なのであろう勇壮な巨体が、細かな石の破片を飛び散らせながらも歩調と圧力を弱める事なく、自由騎士たちを押し潰しに来る。
「……拳を骨折でもしたら目も当てられません。こっちで、いってみましょうかッ!」
エルシーが、拳を開いた。
光まとう掌底が、石像の1つに叩き込まれる。気の光。それが轟音を発し、迸った。
獅子の咆哮を思わせる轟音と気の奔流が、イブリース化した石像を貫いていた。
粉末状の石片を噴出させながら、その石像が硬直する。
他4体が、しかし驚くほど滑らかな動きで反撃に出る。石の拳が4つ、エルシーを襲う。
左腕のアームバンカーを、『装攻機兵』アデル・ハビッツ(CL3000496)は地面に打ち込んでいた。
鋼の杭と共に叩き込まれた衝撃波が、大量の土を舞い上げながら拡散し、イブリース5体を直撃する。
石の巨体が5つ、ひび割れながらよろめいた。
ひび割れたのは表面だけであろう、とアデルは判断した。容易く砕け散ってくれる相手ではない。
「お嬢様……シェルミーネ様……」
要救助者が、『智の実践者』テオドール・ベルヴァルド(CL3000375)の後ろで声を震わせている。
グラーク侯爵家執事レイモン・アントール。護衛の兵士たち共々、このイブリースたちに踏み潰されかけていたところである。
「お伝えせねば……私が、お伝えせねば……」
「落ち着け。このような時に大事なのは、冷静さだ」
黒き杖を掲げ、呪力の錬成を行いながら、テオドールが言う。
「状況が変わったのだ。今は、御自分の身を案じられよ。シェルミーネ嬢の元へは我らの仲間が向かった」
「さっき熊さんが空飛んでったでしょ、任しとけば大丈夫!」
竜巻と化した『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)が、巨大なイブリース5体に激突して行く。
小さな身体が、逆立ちをしながら旋風のように捻転し、あまり長くない両脚が蒸気式回転翼の如く高速で弧を描く。
「で! カノンたちは、石の塊を5個ばかりメタメタのギタギタにぶっ壊せばいいだけ!? シンプルでいいよねぇえっ!」
その蹴りが、イブリースたちを激しく薙ぎ払った。ひび割れていた体表面が、砕けて剥離してゆく。
細かな破片を舞い上げながらも、石像たちは反撃に転じていた。
着地し残心を決めたカノンに、1体が殴りかかる。
巨大な石の拳が、小さなオニヒトの少女を直撃し、跳ね返った、ように見えた。
羅刹破神の構え。殴ったイブリースの方が、吹っ飛んでいた。カノンが笑う。
「よく飛んだねえ。怪力自慢なのは、わかったよ」
そんなカノンに、別のイブリースが毒煙のような息を吐きかける。
吐息ではない、瘴気であった。
それがカノンのみならずエルシーを、アデルをも襲った。
「うっぐぇえ……ち、調子に乗っちゃったかな……」
カノンが咳き込み、血を吐く。
アデルも、半機械化した身体を折っていた。生身の臓器に、イブリースの呪いそのものが染み入って来る。
白い光が、その呪いを優しく消滅させてゆく。
最初にマグノリアが施してくれた、治療の術式であった。
その煌めきを身に帯びながら、アデルはジョルトランサーを構えた。
石像1体が、正面から殴りかかって来たところである。
全身から蒸気を噴射しながら、アデルはそれを迎え撃った。最大出力・最高速度でジョルトランサーを叩き込む。3連撃。
3つの大穴を穿たれた状態で、しかしイブリースも攻撃を止めない。石の拳が、アデルを直撃していた。
グシャリ、と衝撃をまともに受けながら、アデルはしかし踏みとどまった。
自分は、前衛なのだ。後衛に、敵の攻撃を届かせるわけにはいかない。
その後衛、テオドールとセアラ・ラングフォード(CL3000634)が、錬成した魔導力を解放している。
「……ぐずぐずは出来んな、早期決着を狙うとしよう。セアラ嬢、治療を頼む」
「お任せを……」
セアラが、両の細腕を優雅に広げる。癒しの力が解き放たれ、自由騎士全員を包み込む。
負傷した生身の部分、だけではない。無惨に凹んだカタフラクト装甲までもが、アデルの全身で自己修復を遂げてゆく。
一方テオドールは、攻撃の魔導力を解き放っていた。
白い蛇、のようなものが、黒い杖の動きに合わせてイブリース5体を絡め取り締め上げ、切り裂き、凍て付かせる。冷たく鋭利な、氷の荊であった。
そこへ、エルシーが踏み込んで行く。
「さっさと片付けて! シェルミーネさんを、助けに行きますよ!」
それに続きながらアデルは、この場にいない仲間に語りかけていた。
「メッセンジャーの役目……だけでは済まないかも知れんが、とにかく頼んだぞウェルス」
●
森が、凹んでいる。
一言で表現するならば、そうなる。
大きな背中に装着した羽ばたき機械の出力を調整し、飛行速度を落としながら、『ラスボス(HP50)』ウェルス・ライヒトゥーム(CL3000033)は空中から森の中を見下ろした。
ラビットイヤーも、リュンケウスの瞳も、使う必要がなかった。一見してわかる異変が生じている。
森林地帯の中央。木々がまばらで、半ば広場のようであったのだろう。
その広場全体が、陥没していた。
地下洞窟への入り口が、地盤もろとも崩落している。
広範囲にわたる陥没地に、周囲の木々が倒れ込み、それが蓋となってしまっている。
辛うじて倒れてはいない大木の陰から、1人の青年が呆然と陥没地を見渡している。
降下しつつ、ウェルスは声を投げた。
「ネリオ男爵!」
「おお……ウェルス・ライヒトゥーム殿」
見上げてくるネリオ・グラークの傍に、ウェルスは着地した。
「あんた1人か? 妹御はどうした」
「……そこだ」
ネリオの言葉と視線は、陥没地に向けられている。まさか、崩落に巻き込まれてしまったのか。
陥没地の蓋となっている倒木の下から、やがて1人の少女が這い出して来た。
「駄目……ガロムさんが見つからないわ、兄様……」
「おい、無茶をするなよシェルミーネ嬢」
泥まみれの令嬢に、ウェルスは手を差し伸べた。
その手を掴んで地中から這い出し、ウェルスの巨体にすがりつきながら、シェルミーネ・グラークが言い募る。
「ウェルス殿! ガロムさんが……私たちを、助けるために……」
「落ち着いてくれ。まずは何が起こったのか、順を追って話して欲しい」
シェルミーネをなだめつつ、ウェルスは陥没地を見渡し観察した。
地下洞窟の、かなり深いところまで崩落している。
その上に木々が倒れて蓋をしているわけだが、隙間はある。ある程度の深さまでなら、オラクル軽戦士の身体能力であれば入って行けぬ事もない。
だからシェルミーネは、潜って調べていたのだろう。
「……ガロム・ザグが、この下にいるのか」
ウェルスの問いに、ネリオが答えた。
「ご存じだろうが、イブリースが出現した。ガロム君が、シェルミーネと共に戦ってくれていたのだがね」
「戦いの最中に、崩れたか」
地下にある、旧古代神時代の構造物。その一部が、経年劣化で崩壊したのだろう。何しろ数千年前の遺跡である。
あるいは、とウェルスは思う。そんな地盤の弱さを察知したガロムが、何か無茶をしたのかも知れない。
「……イブリースの……数が多く……」
シェルミーネが、声を震わせる。
「ガロムさんが、地面にバッシュを打ち込んだのです……兄と私に、逃げろと叫びながら……」
「イブリースの群れを、道連れか」
ウェルスは、牙を噛み締めた。
「ガロムの野郎……」
この陥没地を掘り返すには、蒸気式重機類を何台も用いての大規模な作業が必要となる。それを手配するには、この近辺の安全を確実なものにしなければならない。
出現したイブリースの殲滅が最優先事項である、という事だ。
「私が……私が、弱いから! 私がもっと強ければ……」
「御令嬢、そんな事を考えては駄目だ」
いくらか荒々しく、ウェルスはシェルミーネの細い肩を揺さぶった。
「それよりも、あんた方には伝えなきゃならん事がある。レイモン・アントールという人物を知っているか?」
「グラーク家の執事だ。久しぶりに会うのを楽しみにしていたのだが」
ネリオが言った。
「……彼が、何か?」
「俺の仲間たちが保護している。大まかな話だけは聞いてきたから、今から伝える」
グラーク家の兄妹の目を、ウェルスはしっかりと見据えた。
「いいか、落ち着いて聞けよ。グラーク家の城館はイブリースに占拠された。あんた方も絶対に戻るな、という事だ」
●
会心の手応えであった、と言って良いだろう。心地良い衝撃と感触が、まだ掌に残っている。
あの時。綺麗な顔にセアラの手形をくっきりと刻印されたエリオット・グラークは、その顔をくしゃくしゃに歪めて泣きじゃくった。母親に叱られた幼子のようにだ。
哀れみに近いものが、セアラの胸中に湧き起こったのは事実である。母性本能に訴えかける魅力、のようなものを、もしかしたら持っていたのかも知れない。
動く石像がエルシーに殴り倒される様を観察しつつセアラは、何となく思い出していた。自分はエリオットを、いくら何でもここまで豪快に叩きのめしたわけではないが。
ともかくセアラは、消耗した魔力が回復してゆくのを感じていた。マグノリアの施術によるものだ。
回復した魔力を、セアラは攻撃のために錬成していった。皆の負傷の具合も確かに気になるが、ここはテオドールの言う通り、早期決着を狙うべきであった。
出現したイブリースは、ここにいる5体だけではないかも知れないのだ。
最も急いでいる、ように見えるのはアデルであった。負傷した身体のあちこちから血飛沫の如く蒸気を噴射しながら、突進して行く。押し寄せる石像たちに、ジョルトランサーを叩き込んでゆく。
爆発、そのものの一撃が、動く石像の1体を吹っ飛ばしていた。
膝をついたアデルに、別の1体が拳を叩きつけようとする。
その動きが、止まった。石の巨体が硬直していた。
そこにマグノリアが、右手の人差し指を向けている。
「随分と……飛ばすものだね? アデル。そんなに急いで、どこへ行くのかと思ってしまうな」
繊細な指先から放たれた何かが、イブリースの胸部に突き刺っていた。
石の胸板に、亀裂が広がってゆく。石の破片が、噴出する。突き刺ったものが巨体化し、イブリースの胸と背中から現れていた。
白銀色の、杭であった。
「……それは、急ぐさ」
エルシーに助け起こされながらアデルは、微笑んだ、のであろうか。
「セアラ嬢のおかげでな、身体が勝手に回復してしまう。ぐずぐずしていたら、死に際の馬鹿力が出なくなる」
「死にかける事が前提の戦い方など……治療士として、認めるわけには参りませんよっ」
細身を翻しながらセアラは、錬成した魔力を解放していた。
桃色に近い淡紅色の髪が、ふわりと弧を描く。
荒ぶる魔力の大渦が解き放たれ、動く石像たちを激しく薙ぎ払った。石の破片が大量に、渦を巻いて飛散する。
「とどめ……と、なれば良いが」
テオドールが、厳かな手つきで杖を掲げる。荘厳なる魔導の儀式。
星が生まれた、とセアラは感じた。
惑星の、始原の状態を思わせる火の海が、イブリースたちを灼き払い吹っ飛ばす。
動く石像が、全て砕け散った。
いや。1体だけが辛うじて原形をとどめ、よろよろと揺らぎながら小刻みに瘴気を噴く。
それが迸って自由騎士団を襲う、よりも速く、小柄な人影が踏み込んでいた。
カノンだった。
小さな全身で捻りと踏ん張りを活かし、拳を打ち込んでゆく。
弱々しく瘴気を放散しながら、イブリースは崩れ落ちた。
残心の構えを取りながら、カノンは言う。
「さ、シェルミーネさんたちを助けに行こう!」
「……ありがとう。こちらは、とりあえず大丈夫だ」
声がした。
森の方から、要救助者がもう2名、ウェルスに伴われ現れたところである。
テオドールが、まずは声をかけた。
「民政官殿……ではなく領主殿だな。このような時ではあるが、お祝い申し上げる」
「もう少し、総督府にいたかった。仕事を数多く、残して来てしまいましたよ」
ネリオ・グラークが苦笑した。
「それらを無理矢理、片付けてくれた人がいましてね。まるで僕をシャンバラから追い出すかのように」
「公爵家の、あの人ですね」
言いつつエルシーが、ちらりと視線を動かす。
泥まみれの令嬢が、そこにいた。
「エルシー……」
「シェルミーネさん……無事で、良かった」
「ガロムさんが……」
もう1人、ガロム・ザグという重戦士のオラクルがいる、とはセアラも聞いている。
「埋まった」
言ったのは、ウェルスである。
「地面が崩れてな。下の遺跡に……恐らく、閉じ込められている」
「助けなきゃ!」
カノンが叫ぶ。ネリオが、片手を上げる。
「無論そうして欲しいのは山々だ。ガロム君を死なせては、僕はヴィスケーノ家に顔向けが出来ない。だが」
新領主である青年が、頭を下げた。
「……自由騎士団に、どうか頼みたい。今は、戦う力を持つオラクルよりも、力なき民衆の安全を確実なものにして欲しいんだ」
「……イブリースが他にも出現している、と?」
セアラの言葉に、ネリオは頷いた。
「地下遺跡の入り口は、この森だけではないんだ。何しろ広大な遺跡、通じている場所が領内にいくつもある。もちろん全て封鎖されているが」
そんな封鎖は、内側からイブリースが出現すれば容易に破られる。この森のようにだ。
ウェルスが言った。
「……レイモン・アントール殿、詳しい話を頼むぜ。グラーク家の城館が、イブリースに乗っ取られたんだよな?」
「アルテミラ様が……」
その名が出た瞬間、泥にまみれたシェルミーネの美貌が青ざめた。
「……あの方と、同じ姿のイブリースが……城内に、出現いたしました」
「……父と、兄は?」
シェルミーネの問いに、レイモンは無言で俯くだけだ。
だから、マグノリアが言わねばならなかった。
「……死体を見たのかい? レイモン、君は」
「……いえ……ですが、恐らく……」
無言で走り出そうとするシェルミーネの細腕を、ネリオが掴んだ。
「……ウェルス殿が伝えに来てくれて助かったよ。さもなくば僕もシェルミーネも、のこのこと城館に戻っていただろうからね」
「……あの城館には、いずれは行かねばならなくなる。自由騎士団が、恐らくは突入という形でな」
アデルが言う。
レイモンを護衛している兵士たちを、ウェルスがちらりと見やった。
「……領主殿、さっそく仕事だぜ。生き残った兵隊さんを何とか集めて、まずは城館に人が近付かねえように」
「そうだな。レイモン、疲れているところ申し訳ないが、ひと働きをしてもらうよ」
初老の執事に、ネリオが言葉をかける。テオドールが、それに続く。
「歩けぬか、ならば私の馬に乗ると良い」
「大丈夫ですか?」
エルシーが、心配そうな声を出す。
「馬に乗るって、かなり体力の消耗になりますよ」
「この馬は、乗り手を気遣う走り方が出来る。そこだけは、あの寿丸に優る部分かな」
「あの子は本当に、容赦がありませんでしたね……」
言いつつ、セアラは思い浮かべた。荒馬を駆る、1人の凜とした姫君の姿を。
凜としながらも彼女は、領民のために悪戦苦闘をしていたものだ。
「……私たちは、この領内を見て回りましょう。イブリースが出ているようであれば、戦わなければ」
セアラは言った。
「領主様のおっしゃる通り、まずは領民の方々の安全を確かなものに」
「ガロムさんは……」
エルシーが言いかけ、俯く。
「……自力で助かってもらう、しかありませんか」
「奴なら心配は要らん」
アデルが、ジョルトランサーに炸薬を装填している。
「俺たちとて、ここに常駐出来るわけではない。居られる間に、するべき事をしよう。出来れば城館を強行偵察しておきたいところだが……まずは、セアラ嬢の言う通り」
「そうだな、ここの領民に危険が及ぶのは良くない。イブリースが湧いて出ていたら滅ぼす。俺は戦ってないから力が有り余っているぜ」
ウェルスが、拳銃を回転させた。
「最終的には……遺跡を調べる事にも、なりそうだな。金目の物は浚っちまった後らしいが」
「……文献で調べられる、程度の事は調べてみたよ」
マグノリアが言った。
「失われし王国の、王と王妃が眠る陵墓……どちらかと言うと、王妃を弔う意味合いの方が強いらしい。美容に執着する女性で、己の美しさを維持するために……民を殺して生き血を浴びる、などという事もしていたようだ。それが本当なら……遺跡から、イブリースがいくら出て来ても不思議はないという気がするよ」