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煙突の巣

●
涙をハンカチで拭うレディを言葉巧みに慰めながら、『君のハートを撃ち抜くぜ』ヨアヒム・マイヤー(nCL3000006)は帽子の庇をちょいと指でつまみ上げた。助けてくれそうな者の姿を探して視線を彷徨わせる。
このレディのお願いを叶えてやりたいのはやまやまだが、自分一人では無理だ。あまりに荷が重い。
レディのお願いとは「街で一番古くて大きい煙突に作られたカラスの巣から、祖母の形見であるダイヤの指輪を取り返して欲しい」というものだった。
ただ、その煙突というのが――。
ヨアヒムは水神神殿が建っている方角へ歩いていく集団を見つけた。
女神の祝福を受けた印である紋章を彼らの体に見つけることはできなかったが、たぶんオラクルのはずだ。
「あ、そこの君たち!! ちょっと、ちょっと……こっちへ来てくれないか」
声を上げ、手を振って集団の気を引く。
何事か、と怪訝な顔をしてオラクルたちがやって来た。
「やあ、実は君たちの力を借りて助けたあげたいレディがいるんだ。俺の話を聞いてくれるね?」
彼らの返事を待たず、少々強引に話を進めていく。
「なに、君たちなら簡単なことさ」
たぶんね、と後に小さくくわえられた言葉をオラクルたちは聞きのがさなかった。
●
煙突というものはたいてい高い。
煙突が高い理由は二つある。一つは煙を早く遠くに飛ばすため。二つ目に十分な上昇気流を生じさせて火力を高めるためだ。その火によって発生した蒸気が多くの機械を動かしていることは、言葉を覚え始めた子供でも知っている常識だ。
大空を黒煙で埋める工場を所有する者が、公害のことに気をつかっているとは思えない。街のいたる所にニョキニョキと生える煙突の多くは、二つ目の理由で年々高く、太くなっていく。
「正式な高さは聞き忘れた。けど、見ての通り。この煙突が王都サンクディゼールで一二を争う高さなのは間違いないね」
実際、王都のどこからでもほぼこの煙突を見つけることができる。雲に届くのではないか、と思わせるほど高いこの煙突は、街のランドマークになっているほどだ。
「それで、肝心のカラスの巣だけど……」
そこでヨアヒムはさりげなくオラクルたちから視線を外す。
「あの煙突には24個の巣が掛けられていてね……その……指輪を盗んだカラスがどの巣に運んだのか、まったくわからないんだ」
カラスの巣はどれも目も眩むほどの高さに作られていた。煙突掃除用の梯子を基礎にして、街のあちらこちらから集めてきた枝や針金などで器用に半お椀型の巣を作っている。
工場広報者の話では、煙突内部の清掃のため巣は定期的に撤去しているのだが、この時期はすぐに作り直されてしまうという。カラスたちがちょうど卵を産み、ヒナを育てている時期だからだ。
つい一か月前に定期清掃のため巣を撤去したばかりだし、フン害以外に目立つ被害もないので、工場としては次の定期清掃まで放置するということだった。
「うん、24ある巣のどこかにレディの指輪があるのは間違いない。このレディが、カラスが煙突へ真っ直ぐ飛びあがっていくのを見ていたそうだよ」
レディは工場主の孫だった。ちょっと外の風を取り入れようと部屋の窓をあけ、宝石箱を開けたままよそ見をしていたら、カァと鳴き声がした。振り返った時にはもう、カラスはダイヤの指輪を口にくわえて窓辺から飛び立とうとしているところだったという。
「カラスは頭がいい動物さ。相手が敵か味方を判断することができる。むやみにいたずらをしたり、害を与えない限りは襲ってくることはないんだけど、いまこの時期のカラスだけはちょっと例外でね。普段は襲い掛かってくることのないカラスでも、襲い掛かってくることがある」
つまり、「足場が不安定で常に強い風が吹く高所」という危険に加えて、巣に近づこうものなら産まれたばかりの雛を守るためであったり、まだ孵化していない卵を守るためであったりする「怒れる親カラスたちから攻撃を受ける」ということだ。
「幸いカラスたちはイブリース化していない。……君たちなら大丈夫さ」
すっかり受けることになっている。
ヨアヒムはしれっと、お礼は後で、とつけ加えた。
涙をハンカチで拭うレディを言葉巧みに慰めながら、『君のハートを撃ち抜くぜ』ヨアヒム・マイヤー(nCL3000006)は帽子の庇をちょいと指でつまみ上げた。助けてくれそうな者の姿を探して視線を彷徨わせる。
このレディのお願いを叶えてやりたいのはやまやまだが、自分一人では無理だ。あまりに荷が重い。
レディのお願いとは「街で一番古くて大きい煙突に作られたカラスの巣から、祖母の形見であるダイヤの指輪を取り返して欲しい」というものだった。
ただ、その煙突というのが――。
ヨアヒムは水神神殿が建っている方角へ歩いていく集団を見つけた。
女神の祝福を受けた印である紋章を彼らの体に見つけることはできなかったが、たぶんオラクルのはずだ。
「あ、そこの君たち!! ちょっと、ちょっと……こっちへ来てくれないか」
声を上げ、手を振って集団の気を引く。
何事か、と怪訝な顔をしてオラクルたちがやって来た。
「やあ、実は君たちの力を借りて助けたあげたいレディがいるんだ。俺の話を聞いてくれるね?」
彼らの返事を待たず、少々強引に話を進めていく。
「なに、君たちなら簡単なことさ」
たぶんね、と後に小さくくわえられた言葉をオラクルたちは聞きのがさなかった。
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煙突というものはたいてい高い。
煙突が高い理由は二つある。一つは煙を早く遠くに飛ばすため。二つ目に十分な上昇気流を生じさせて火力を高めるためだ。その火によって発生した蒸気が多くの機械を動かしていることは、言葉を覚え始めた子供でも知っている常識だ。
大空を黒煙で埋める工場を所有する者が、公害のことに気をつかっているとは思えない。街のいたる所にニョキニョキと生える煙突の多くは、二つ目の理由で年々高く、太くなっていく。
「正式な高さは聞き忘れた。けど、見ての通り。この煙突が王都サンクディゼールで一二を争う高さなのは間違いないね」
実際、王都のどこからでもほぼこの煙突を見つけることができる。雲に届くのではないか、と思わせるほど高いこの煙突は、街のランドマークになっているほどだ。
「それで、肝心のカラスの巣だけど……」
そこでヨアヒムはさりげなくオラクルたちから視線を外す。
「あの煙突には24個の巣が掛けられていてね……その……指輪を盗んだカラスがどの巣に運んだのか、まったくわからないんだ」
カラスの巣はどれも目も眩むほどの高さに作られていた。煙突掃除用の梯子を基礎にして、街のあちらこちらから集めてきた枝や針金などで器用に半お椀型の巣を作っている。
工場広報者の話では、煙突内部の清掃のため巣は定期的に撤去しているのだが、この時期はすぐに作り直されてしまうという。カラスたちがちょうど卵を産み、ヒナを育てている時期だからだ。
つい一か月前に定期清掃のため巣を撤去したばかりだし、フン害以外に目立つ被害もないので、工場としては次の定期清掃まで放置するということだった。
「うん、24ある巣のどこかにレディの指輪があるのは間違いない。このレディが、カラスが煙突へ真っ直ぐ飛びあがっていくのを見ていたそうだよ」
レディは工場主の孫だった。ちょっと外の風を取り入れようと部屋の窓をあけ、宝石箱を開けたままよそ見をしていたら、カァと鳴き声がした。振り返った時にはもう、カラスはダイヤの指輪を口にくわえて窓辺から飛び立とうとしているところだったという。
「カラスは頭がいい動物さ。相手が敵か味方を判断することができる。むやみにいたずらをしたり、害を与えない限りは襲ってくることはないんだけど、いまこの時期のカラスだけはちょっと例外でね。普段は襲い掛かってくることのないカラスでも、襲い掛かってくることがある」
つまり、「足場が不安定で常に強い風が吹く高所」という危険に加えて、巣に近づこうものなら産まれたばかりの雛を守るためであったり、まだ孵化していない卵を守るためであったりする「怒れる親カラスたちから攻撃を受ける」ということだ。
「幸いカラスたちはイブリース化していない。……君たちなら大丈夫さ」
すっかり受けることになっている。
ヨアヒムはしれっと、お礼は後で、とつけ加えた。
†シナリオ詳細†
■成功条件
1.煙突に作られたカラスの巣をすべて撤去する
2.カラスの巣からダイヤモンドの指輪を取り戻す
2.カラスの巣からダイヤモンドの指輪を取り戻す
マギスチ・シナリオ第一弾!
ダイヤモンドの指輪をカラスの巣から取り戻し、持ち主に返してあげてください。
●天候
晴れ。日没まで5時間あります。
●煙突とカラスの巣
王都サンクディゼールで一二を争う高さと太さを誇る煙突です。
雲に届くかと思われるほど高いその煙突には、『24』ものカラスの巣が掛けられています。
定期清掃で使われる梯子が、東西南北に四本かけられています。
1本の梯子上に平均6つの巣がかかっています。
途中にいくつか安全対策で小さく狭い踊り場が設けられています。
煙突の最上部にゴンドラが設置されていますが、それは内部を清掃するためのものです。
煙突の外側には吊るせません。
ゴンドラを吊るし、固定するための鉄輪があちらこちらにあります。
ゴンドラを吊るす長くて太い予備のロープがいくつか工場に保管されており、貸してもらえます。
上部に近づくほど煙突に吹きつける風が強くなります。
現在、南西の方角に風が吹いています。
煙突から出る煙にまかれると服が黒く汚れるばかりか、肺によくありません。
梯子に掛けられたカラスの巣はたいてい、安全のために設けられている小さな踊り場の上に作られています。
踊り場は大人一人が横向きに立てるほどの幅で、大人二人が並んで腰掛けられるだけの長さがあります。
ヒナはある程度羽ばたけるようになると地面に降りて飛行訓練を行います。
煙突に巣をつくるカラスたちにとって、踊り場は地面の代わりなのでしょう。
踊り場に落ちているヒナもいます。
●カラスたち
親カラス……子育ての時期で大変気が立っています。攻撃的ですがイブリース化はしていません。
子カラス……一つの巣につき1羽から3羽のひながいます。
●NPC
『君のハートを撃ち抜くぜ』ヨアヒム・マイヤー(nCL3000006)は指輪をカラスに盗まれたレディのケアに忙しいので、PCたちの手伝いは一切してくれません。
あてにしないでください。
●その他
カラスは宝物を隠す習性があります。
ダイヤモンドの指輪は巣の底に隠されいる可能性が高く、ちょっと覗いた程度では見つからないでしょう。
しかも、カラスたちは他にもガラス玉などの宝物を巣に隠しているようですよ。
●STコメント
サポーターの方は撤去された巣を別のところに設置したり、ダイヤモンドの指輪以外の宝物の持ち主を探して返してあげたり、落下対策用の網を張ったりなどのサポート作業をお願いします。
※リプレイでは地の文でさらりとサポート全体の動きに触れるだけで、ほぼ個人が描写されることははありません。
よろしければご参加ください。お待ちしております。
ダイヤモンドの指輪をカラスの巣から取り戻し、持ち主に返してあげてください。
●天候
晴れ。日没まで5時間あります。
●煙突とカラスの巣
王都サンクディゼールで一二を争う高さと太さを誇る煙突です。
雲に届くかと思われるほど高いその煙突には、『24』ものカラスの巣が掛けられています。
定期清掃で使われる梯子が、東西南北に四本かけられています。
1本の梯子上に平均6つの巣がかかっています。
途中にいくつか安全対策で小さく狭い踊り場が設けられています。
煙突の最上部にゴンドラが設置されていますが、それは内部を清掃するためのものです。
煙突の外側には吊るせません。
ゴンドラを吊るし、固定するための鉄輪があちらこちらにあります。
ゴンドラを吊るす長くて太い予備のロープがいくつか工場に保管されており、貸してもらえます。
上部に近づくほど煙突に吹きつける風が強くなります。
現在、南西の方角に風が吹いています。
煙突から出る煙にまかれると服が黒く汚れるばかりか、肺によくありません。
梯子に掛けられたカラスの巣はたいてい、安全のために設けられている小さな踊り場の上に作られています。
踊り場は大人一人が横向きに立てるほどの幅で、大人二人が並んで腰掛けられるだけの長さがあります。
ヒナはある程度羽ばたけるようになると地面に降りて飛行訓練を行います。
煙突に巣をつくるカラスたちにとって、踊り場は地面の代わりなのでしょう。
踊り場に落ちているヒナもいます。
●カラスたち
親カラス……子育ての時期で大変気が立っています。攻撃的ですがイブリース化はしていません。
子カラス……一つの巣につき1羽から3羽のひながいます。
●NPC
『君のハートを撃ち抜くぜ』ヨアヒム・マイヤー(nCL3000006)は指輪をカラスに盗まれたレディのケアに忙しいので、PCたちの手伝いは一切してくれません。
あてにしないでください。
●その他
カラスは宝物を隠す習性があります。
ダイヤモンドの指輪は巣の底に隠されいる可能性が高く、ちょっと覗いた程度では見つからないでしょう。
しかも、カラスたちは他にもガラス玉などの宝物を巣に隠しているようですよ。
●STコメント
サポーターの方は撤去された巣を別のところに設置したり、ダイヤモンドの指輪以外の宝物の持ち主を探して返してあげたり、落下対策用の網を張ったりなどのサポート作業をお願いします。
※リプレイでは地の文でさらりとサポート全体の動きに触れるだけで、ほぼ個人が描写されることははありません。
よろしければご参加ください。お待ちしております。
状態
完了
完了
報酬マテリア
2個
2個
6個
2個




参加費
100LP [予約時+50LP]
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
7日
参加人数
8/8
8/8
公開日
2018年06月13日
2018年06月13日
†メイン参加者 8人†
●
突然のお願いに、『イ・ラプセル自由騎士団』アリア・セレスティ(CL3000222)は眉をひそめた。翡翠の瞳に影を落として呟く。
「素直に次の清掃を待てば良いと思うのだけど……」
もっともな理屈であり、実際そのとおりなのであるが、伊達男の横でしくしくと泣く女性にとっては我慢ならないことなのであろう。
祖母の形見だといわれれば無下にするわけにもいかず、アリアは別方向にモチベーションを求めた。
「まあでも、カラス達が静かな場所に引越しできるように、頑張ろう!」
「煙突にあるカラスの巣を撤去してご婦人の指輪を取り戻せばいいんだね! 張りきって参ろうでござるよ」
『ノラ狗』篁・三十三(CL3000014)は、空から一直線にずどんと降りている白い煙突の先へ目を凝らした。
もくもくと吐きだされる煙で先端は早くも汚れ始めており、濃い灰色になって見える。
「……にしてもデカイ煙突だねー」
あまりの太さ、高さに驚くやら呆れるやら。知らずのうちにあんぐり口が開く。
隣で同じように煙突を見上げ、『太陽の笑顔』カノン・イスルギ(CL3000025)が呟いた。
「わー、凄く高いなー。でも、頑張って探し出すよー」
カノンの張り切り声でハッとして口を閉じる。
「おっと、気を引き締めていかないとね!」
「そうだねー。落ちたら大変……あ、でもヒューは大丈夫だねー」
『蒼穹を漂うはぐれ雲』ヒュパティア・バルフムテオン(CL3000096)がサムズアップしながら翼を広げ、体を浮かせた。
「ダイヤの指輪を頑張って探すのよ! ヒューが飛んでいってロープをかけてきます。準備できたら戻ってくるので、それまでに安全ベルトをつけておいてくださいなのよ」
清掃補修用者のロープは一本一本が長く太かった。小さな体ではさすがに一度に運ぶのは無理なので、何度か往復するという。
翼の落とす影が小さくなった頃、ガチャガチャと音をたてて『イ・ラプセル自由騎士団』グスタフ・カールソン(CL3000220)が戻ってきた。
両腕にいっぱい金属の輪がついた帯と靴を抱えている。ロープとともに工場から貸しのあったものだ。
「安全ベルトもってきたぞ。梯子の昇り降りに適した頑丈な靴もついでに借りてきた」
抱えていたものをどさっと下に落とした。
「さて、今回の仕事はカラスの悪戯に救済を、って感じかい?」
安全ベルトと靴の小山の前にしゃがみ込み、かき分けて崩しながら『炎の駿馬』奥州 一悟(CL3000079)がいう。
「カラスも悪気があったわけじゃないんだろうけど……。それにしてもタイミング悪いよな」
「人とカラスの縄張り境界線は互いにわかりづらいだろうからな。ま、こういうこともあるわけだ。誰が悪いわけでもない。ちょっとしたボタンの掛け違いってもんだ」
グスタフは一悟が差し出した安全ベルトを受け取ると、腰に巻いた。
臍の前で止まることは止まったのだが、正直きつい。うう、と小さく唸ってベルトを外す。
「見た時、嫌な予感はしていたんだが……いや、その中にも俺にあうやつがあるはずだ」
ほい、と横のたまき 聖流(CL3000283)に安全ベルトを手渡す。
「……煙突掃除は貧しい子供の仕事ですからね。小さめのサイズを多く揃えているのでしょう。あ、これ、逆に私には大きすぎるようです」
マリア・スティール(CL3000004)が小山に手を差し込んで、安全ベルトを二つ引き抜く。
「じゃあ、これなんかどう?」
一つを聖流に差し出し、もう一つは自分の腰に巻いた。
「ありがとうございます。ぴったりです」
「2人ずつで手分けして煙突の巣を探しに行くんだよな。だったらたまきさん、オレとペアを組もうぜ」
キジンとマシーナリーって組み合わせがいいし、とマリアは屈託なく笑った。
「あ、じゃあカノンは一悟お兄さんと組むよー」
「おう、ヨロシクな」
一本目のロープを煙突のてっぺんから降ろし終えて、ヒュパティアが地上に戻ってきた。
「ヒューはさとみくんがいいのよ。ダメ?」
「ぜんぜんダメじゃないよ、よろしくね。煙が流れる西南は視界が悪そうだ……ヒューは空が飛べるし、俺は西の梯子を登るよ。ヒュー、サポート頼むでござる」
任せてなのよ、と微笑みを残し、ソラビトは新しいロープを持って飛び立った。
「よし、俺たちは北の梯子を登ろう。アリア、よろしく頼む」
靴を履き替えていたアリアが頭をあげ、グスタフに顔を向けてにこやかに微笑む。
「よろしくお願いいたします」
ペア組と担当する梯子が決まった。
しばらくして煙突の四方にロープが垂らされ、登攀の準備が整う。
「それじゃカラス達には少しお引越し願おうか」
胸の前で手を組み合わせたレディ――無事指輪を取り戻してくれたらという条件で、工場内の大浴場解放を約束してくれた――と伊達男、それに後から騒ぎに気づいて集まってきた有志のオラクルたちに見守られ、8人はそれぞれの梯子に向かった。
●
聖流とマリアは煙突の東へ移動すると、煙を直接吸い込まないように顔の半分をタオルで隠した。風は西南方向に流れているが用心のだめだ。
向かいあわせで安全ベルトがきちんと装備できているか確認する。
「うふふ……」
「え、なに? オレの格好、どこかへん?」
マリアは安全ベルトの環状金具を開き、最初の結び目の上に取りつけた。
結び目といってもロープ自体が太いので拳二つ分の大きさがある。万が一、梯子から手を離してしまってもロープの途中で金具が引っ掛かり、地上へのダイレクト落下を防ぐ仕組みだ。
「ううん。準備がいいなぁ、って。まるで今日、この煙突に登る予定があったみたいですね」
「たまきさんこそ。双眼鏡なんか首からかけちゃって、神殿で何を見るつもりだったの?」
「あ、これは何となく……タオルはこの季節にしては珍しく暑かったので。これよりも私は自分がビー玉を持って来ていたことに驚いています」
そういうと、聖流はポケットから綺麗な色模様のガラス玉を取りだした。
「奇遇だね。オレも持っているよ。話を聞いたとき、指輪の代わりに使えるなって思ったんだ」
私も、とタオルの上で聖流の目が笑う。
先行してマリアが梯子を登り、後を聖流が追った。
登り始めてすぐカラスが二羽飛んできて、ガーガーと威嚇の声を出しながらマリアの頭を蹴り出した。
<『探し物があるから来ただけで、子供にゃ危害は加えねえ』>
接触時に伝えようとするが、何せ接触している面も時間も極端に少ない。カラスの夫婦はマリアへのヒット&ウェーを繰り返してやめようとしなかった。
ならば、とマリアも強引な手に打って出る。
「すまねえけど巣を動かすぜ。んで探し物ももらってく」
巣に手を伸ばすともぎ取って、聖流が待つ煙突途中の踊り場に戻った。
「マリアさん、そのまま。腕を曲げないでください。カラスの羽を関節が強く噛んで歯車にヒビが入ると大変です」
いつも持ち歩く工具をとり出すと、聖流はテキパキとマリアの腕からカラスの抜け落ち羽を引き抜いた。頭のひっかき怪我は回復の術で手当した。
「この子も一緒にお願いします」
工具を仕舞い、それから踊り場に落ちていたカラスの子をそっとマリアが持つ巣へ戻す。
「降りてから探そう。カラスの夫婦はオレが引きつけるから、たまきさん、先に降りて」
地上で巣の中の宝物を取りだし、代わりにガラス玉を入れてやった。
「……ありませんでしたね」
「まだ一個目だし。さ、頑張って登ろうぜ」
「ええ、上からカラスさんたちの巣をかける森も探してみましよう」
待っていた仲間に巣を手渡すと、今度は聖流を先にして梯子を登った。
●
「スゴイ数のカラスなのよ。ひえぇぇ」
大げさなほど翼をはためかせてヒュパティアが戻ってきた。全身からマイナスイオンを発しているが、巣と子を取り戻そうと躍起になっているカラスたちの気はなかなか落ち着かず、かわりに翼の動きでカラスたちを遠ざけていた。
煙を飛ばして自分のまわりの空気を良くしようという意図もあるのだが――。
「汚れて黒くなっちゃったね。カラスの翼みたいになっているよ、ヒュー」
そっちはほとんど意味がないようだ。
三十三は狭い踊り場からほんの少しだけ身をせり出して、黒煙の隙間から下を見た。工場の青い屋根が初夏の日差しを跳ね返して光っている。
煙突を登れば登るほど、工場内部から吐き出される黒い煙は濃くなった。刺激のある匂いが、顔に巻いたタオルを通り抜けて鼻と喉を刺激する。ゴーグルをしていなければ、目を開けてもいられないだろう。
一体、この下の工場では何が作られているのだろうか。
「さとみくんだって、すっかり黒ワンコちゃんなのです。あ、そうだ。下でたくさん濡れタオルを用意してくれた人がいるのよ。一度、降りる?」
ヒュパティアの声に物思いをやぶられて、三十三は顔を起こした。
「いや、あともうちょっとだからこのまま続けるよ。キレイにしてもまた汚れるだろうし……。これ、頼むでござる」
三十三は撤去したカラスの巣をヒュパティア手渡した。三羽の子ガラスがピービーと鳴いて親を呼んでいる。
三羽ともカラスということを割り引いても真黒だ。巣も黒い。どう考えても健康に良くない。もっと他に巣をつくるに適した環境があるだろうに……。
「あ! 親が戻ってきたのよ! 羽根を引っこ抜かれるのよ。ヒューはこの子たちと降ります。さとみくん、グットラックなのよ」
グットラックって大げさな……。
三十三は苦笑した。確かに動物会話を使った説得は種の違いからダイレクトに通じず、何度か首の後ろの毛をむしり取られた。だが思ったほどカラスたちの攻撃は激しくなく、二人ともダメージらしいダメージは受けていない。
だから今度もまた、飛んできたカラスの夫婦に動物会話を試みる。
「ごめんよー。ちょっと巣を他の場所に移すだけだからさー、君達や雛達には危害は加えないよー」
カラスの夫婦は形ばかりの攻撃をヒュパティアと三十三に行うと、戦利品の羽とふわふわした毛をくわえて先に地上へ降りていった。
取った羽や毛を巣材にするのだろう。
「ふぉぉぉっ! ボヤボヤしていたらまた引っこ抜かれたのよ!」
「あはは。ところで他の人たちはどんな様子?」
「きよらお姉さんが双眼鏡で森や林を探しているのよ。支援してくれている人たちが巣を運んでかけ直せるように、て」
それいいね、といって三十三も双眼鏡を取りだした。
「俺も巣をとるついでに探してみるよ。じゃ、また後で」
●
高い煙突の上からは、王都サンクディゼールの街中が一望できた。
遠くに連なる山々は東西から海を抱くように伸びており、それが湾を形作っているのがわかる。初夏の爽やかな日差しが降り注ぐ海は、遠くまできらきらと輝いていた。
「すごーい。キレイだねー」
煙突から出た黒煙は西南の風に引き伸ばされて細長い川となり、時折うねりながら頭の上を流れていく。幸い、一悟とカナンが登る西の梯子に煙が流れてくることは滅多になく、二人はカラスの巣の撤去に集中することができた。
飛んでくるカラスの夫婦を遠ざけるためにカナンはなんの憂いもなく喉を震わせ、自慢の声で歌った。
「空飛ぶ烏のお母さん♪ 可愛い子供は元気だよ。苛める人はいないから、どうか安心していてね♪」
優しい歌を上で、あるいは下で聞きながら、一悟は顔に巻いていたタオルをほどき、手に持って振り回す余裕があったのだ。そのためかどうかはわからないが、四組の中で二人が最初に煙突の先端にたどり着いた。
「うん。空振りの褒美としちゃ、悪くない。マジでいい眺めだな」
強い風が斜め横から吹きつけて、煙突の縁に腰掛ける一悟のシャツを膨らませた。背中に描かれた鷹が大きく翼を広げる。
一悟はシャツの裾をぐいっと引っ張り上げて顔についた煤をぬぐい取った。
「あの平和に見える海でカノンたちはヴィスマルクの艦隊と戦ったんだね……。なんだか遠い日の出来事のように思えるよー」
よくぞ退けた。さすがは女神の寵愛をうけたオラクルだ。防衛戦に参加した者は、誰もが市民たちから熱烈な感謝を受けた。
実際、よく勝てたと一悟は思う。とくにオラクルたちの手で『ヴィスマルクの神殺し』がなされたことは大戦果だ。
カノンも一悟も敵艦隊に乗り込んで勇敢に戦い、勝利に大いに貢献した。
二人で景色を眺めながら感傷にふけっていると、下から親ガラスの鳴き声が聞こえて来た。
カノンの腕の中の巣でヒナたちがピーピーと可愛い声をあげ、親を呼び出した。
「泣かないで。もうすぐかーさまに会えるよ♪ 一緒に新しい木にいこうね♪」
ヒナたちを見つめながら、カノンは新しい場所で親子仲良く暮らして欲しい、と願いを声に込めて歌う。
「……にしても皮肉だよな。ヴィスマルクの神さまって、カラスだったんだろ?」
そこはカラスそのものではなく、カラスのような見た目と言うべきだろう。ともかく、一悟はカラス似の神を殺した直後に、カラスたちを救っている自分たちに皮肉を感じていた。
「あー、きたきた。オレが先に降りて、親たちを遠ざける。そんでマリア――」
「なにー?」
「下に降りたら一緒にゴミ箱を探して、きちんと管理されているかどうか調べようぜ」
カラスたちがここに巣をかけるのはエサが豊富に取れるからだろう。巣を別の場所に映しても、ここでエサを取らせないようにしないとまた戻ってくる。だから手伝ってくれ。
「それもそうだねー。わかったよ、カノンも手伝うよー」
カノンの快諾を受け、一悟は背中の鷹を親カラスたちに見せながら梯子を降り始めた。
●
下でグスタフが何か叫んだが、アリアにはその声がみょうに遠くに聞こえた。
(「わぁ……」)
意を決し、振り返った先にはすばらしい景色が広がっていた。クリスタルのように澄んだイ・ラプセルの海、中央に浮かぶ小さな島のまわりで砕ける白い波――。それらを頂くようにして復興途中にあるアデレードの街が見えた。
必死になって守った家々はまるで精巧なミニチュアのようで、手を伸ばせば掴み取れそうなほど近くに感じる。
いまいる場所を忘れて、アリアは梯子から手を離しそうになった。
皮肉にも正気づかせてくれたのは親カラスたちが出す威嚇の鳴き声だった。慌ててポケットに手を入れて飴玉を取りだし、ひょいと投げて親カラスの気を反らす。
(「……上の巣まであと少し。こ、恐いけど頑張って登りましょう」)
親カラスたちが戻ってこないうちに、と梯子を登る。
巣に下から手を伸ばしてゆっくりと外した。巣には二羽のヒナがいた。
「か、可愛い……うう、抱っこしたい」
がまん、と自分に言い聞かせたところで、踊り場で待機しているグスタフがまた何か叫んだ。
つい下を見たのがいけなかった。
地上で忙しく動き回っている支援者たちの姿が点のようだ。しかも、タイミング悪く強い風がスカートの裾を掴みとり、大きくはためかせ、体が空に投げ出されそうになった。
(「こ、怖いぃ……」)
片腕にヒナの入った巣を抱えたまま、体が固まった。足がすくんで動けない。
困っていると、アリアのピンチを察したグスタフが梯子を登ってきた。
「よしよし、もう大丈夫だ。さ、その巣を落として。両手で梯子を掴むんだ。大丈夫、巣は俺がぜったい受け止める」
「落とすのはちょっと……。頑張って腕を下に伸ばしますから受け取って――」
その時、アリアは見た。見てしまった。グスタフのにんまりと弛んだ顔を。
グスタフが頬をピンク色にしている理由に瞬時に思い至る。さっき、風がスカートを大きく翻したときだ。絶対に見ている!
アリアは巣から手を離して、グスタフの顔に直撃させた。
宣言どおり、グスタフは巣とヒナたちを受け止めた。
普通ならいくら頭にきても絶対にやらなかっただろうが、恐怖を飲み込んでよく見てみるとグスタフの片足はまだ踊り場についていたし、なんだかんだ言ってもこの大柄な兵士のことを信用していたのでやったのだ。
「絶対に顔をあげないでくださいね」
パンティーを見られた恥ずかしさで顔がほてっていた。
踊り場に降りると、パタパタと手で顔を仰ぎながら「それで、何を叫んでいたのですか?」と聞いた。
「例の指輪、見つけたぜ」
グスタフはズボンのポケットに手を入れると、指輪を取りだしてアリアに見せた。
初夏の夕日が水平線にかかり、紫色の黄昏が訪れていた。西の穏やかな空にか細い新月が浮かんでいる。そのすぐ下で指輪のダイヤモンドが残照を弾いて星のように輝いていた。
「さあ、こいつらを連れて下に戻ろう。指輪を取られたレディも、親カラスたちも、首を長くして待っているぞ」
●
「ありがとうございます!」
無事、レディに祖母の形見の指輪を返すことができた。他の巣から見つかったたくさんの『宝物』も支援者たちが街中を走って持ち主を探し出し、全部返し切っている。
「大浴場の湯が沸いております。どうぞ、汗と汚れを落としてお帰りください。でもその前に――」
レディはヨアヒムに顔を向けると、続きを促した。
「みんなでグスタフ・カールソンの37回目の誕生日をお祝いしようじゃないか」
ヨアヒムの合図で支援者たちが大きなケーキを運んできた。火のついた37本のローソクが立てられている。
「「誕生日、おめでとう!」」
「――!!」
誕生日を祝うみんなの歌声に合わせて、まだ新しい木に運ばれていない巣のヒナたちと親カラスたちも鳴きだした。
グスタフがロウソクの火を吹き消すと、街角に拍手が鳴り響いた。
突然のお願いに、『イ・ラプセル自由騎士団』アリア・セレスティ(CL3000222)は眉をひそめた。翡翠の瞳に影を落として呟く。
「素直に次の清掃を待てば良いと思うのだけど……」
もっともな理屈であり、実際そのとおりなのであるが、伊達男の横でしくしくと泣く女性にとっては我慢ならないことなのであろう。
祖母の形見だといわれれば無下にするわけにもいかず、アリアは別方向にモチベーションを求めた。
「まあでも、カラス達が静かな場所に引越しできるように、頑張ろう!」
「煙突にあるカラスの巣を撤去してご婦人の指輪を取り戻せばいいんだね! 張りきって参ろうでござるよ」
『ノラ狗』篁・三十三(CL3000014)は、空から一直線にずどんと降りている白い煙突の先へ目を凝らした。
もくもくと吐きだされる煙で先端は早くも汚れ始めており、濃い灰色になって見える。
「……にしてもデカイ煙突だねー」
あまりの太さ、高さに驚くやら呆れるやら。知らずのうちにあんぐり口が開く。
隣で同じように煙突を見上げ、『太陽の笑顔』カノン・イスルギ(CL3000025)が呟いた。
「わー、凄く高いなー。でも、頑張って探し出すよー」
カノンの張り切り声でハッとして口を閉じる。
「おっと、気を引き締めていかないとね!」
「そうだねー。落ちたら大変……あ、でもヒューは大丈夫だねー」
『蒼穹を漂うはぐれ雲』ヒュパティア・バルフムテオン(CL3000096)がサムズアップしながら翼を広げ、体を浮かせた。
「ダイヤの指輪を頑張って探すのよ! ヒューが飛んでいってロープをかけてきます。準備できたら戻ってくるので、それまでに安全ベルトをつけておいてくださいなのよ」
清掃補修用者のロープは一本一本が長く太かった。小さな体ではさすがに一度に運ぶのは無理なので、何度か往復するという。
翼の落とす影が小さくなった頃、ガチャガチャと音をたてて『イ・ラプセル自由騎士団』グスタフ・カールソン(CL3000220)が戻ってきた。
両腕にいっぱい金属の輪がついた帯と靴を抱えている。ロープとともに工場から貸しのあったものだ。
「安全ベルトもってきたぞ。梯子の昇り降りに適した頑丈な靴もついでに借りてきた」
抱えていたものをどさっと下に落とした。
「さて、今回の仕事はカラスの悪戯に救済を、って感じかい?」
安全ベルトと靴の小山の前にしゃがみ込み、かき分けて崩しながら『炎の駿馬』奥州 一悟(CL3000079)がいう。
「カラスも悪気があったわけじゃないんだろうけど……。それにしてもタイミング悪いよな」
「人とカラスの縄張り境界線は互いにわかりづらいだろうからな。ま、こういうこともあるわけだ。誰が悪いわけでもない。ちょっとしたボタンの掛け違いってもんだ」
グスタフは一悟が差し出した安全ベルトを受け取ると、腰に巻いた。
臍の前で止まることは止まったのだが、正直きつい。うう、と小さく唸ってベルトを外す。
「見た時、嫌な予感はしていたんだが……いや、その中にも俺にあうやつがあるはずだ」
ほい、と横のたまき 聖流(CL3000283)に安全ベルトを手渡す。
「……煙突掃除は貧しい子供の仕事ですからね。小さめのサイズを多く揃えているのでしょう。あ、これ、逆に私には大きすぎるようです」
マリア・スティール(CL3000004)が小山に手を差し込んで、安全ベルトを二つ引き抜く。
「じゃあ、これなんかどう?」
一つを聖流に差し出し、もう一つは自分の腰に巻いた。
「ありがとうございます。ぴったりです」
「2人ずつで手分けして煙突の巣を探しに行くんだよな。だったらたまきさん、オレとペアを組もうぜ」
キジンとマシーナリーって組み合わせがいいし、とマリアは屈託なく笑った。
「あ、じゃあカノンは一悟お兄さんと組むよー」
「おう、ヨロシクな」
一本目のロープを煙突のてっぺんから降ろし終えて、ヒュパティアが地上に戻ってきた。
「ヒューはさとみくんがいいのよ。ダメ?」
「ぜんぜんダメじゃないよ、よろしくね。煙が流れる西南は視界が悪そうだ……ヒューは空が飛べるし、俺は西の梯子を登るよ。ヒュー、サポート頼むでござる」
任せてなのよ、と微笑みを残し、ソラビトは新しいロープを持って飛び立った。
「よし、俺たちは北の梯子を登ろう。アリア、よろしく頼む」
靴を履き替えていたアリアが頭をあげ、グスタフに顔を向けてにこやかに微笑む。
「よろしくお願いいたします」
ペア組と担当する梯子が決まった。
しばらくして煙突の四方にロープが垂らされ、登攀の準備が整う。
「それじゃカラス達には少しお引越し願おうか」
胸の前で手を組み合わせたレディ――無事指輪を取り戻してくれたらという条件で、工場内の大浴場解放を約束してくれた――と伊達男、それに後から騒ぎに気づいて集まってきた有志のオラクルたちに見守られ、8人はそれぞれの梯子に向かった。
●
聖流とマリアは煙突の東へ移動すると、煙を直接吸い込まないように顔の半分をタオルで隠した。風は西南方向に流れているが用心のだめだ。
向かいあわせで安全ベルトがきちんと装備できているか確認する。
「うふふ……」
「え、なに? オレの格好、どこかへん?」
マリアは安全ベルトの環状金具を開き、最初の結び目の上に取りつけた。
結び目といってもロープ自体が太いので拳二つ分の大きさがある。万が一、梯子から手を離してしまってもロープの途中で金具が引っ掛かり、地上へのダイレクト落下を防ぐ仕組みだ。
「ううん。準備がいいなぁ、って。まるで今日、この煙突に登る予定があったみたいですね」
「たまきさんこそ。双眼鏡なんか首からかけちゃって、神殿で何を見るつもりだったの?」
「あ、これは何となく……タオルはこの季節にしては珍しく暑かったので。これよりも私は自分がビー玉を持って来ていたことに驚いています」
そういうと、聖流はポケットから綺麗な色模様のガラス玉を取りだした。
「奇遇だね。オレも持っているよ。話を聞いたとき、指輪の代わりに使えるなって思ったんだ」
私も、とタオルの上で聖流の目が笑う。
先行してマリアが梯子を登り、後を聖流が追った。
登り始めてすぐカラスが二羽飛んできて、ガーガーと威嚇の声を出しながらマリアの頭を蹴り出した。
<『探し物があるから来ただけで、子供にゃ危害は加えねえ』>
接触時に伝えようとするが、何せ接触している面も時間も極端に少ない。カラスの夫婦はマリアへのヒット&ウェーを繰り返してやめようとしなかった。
ならば、とマリアも強引な手に打って出る。
「すまねえけど巣を動かすぜ。んで探し物ももらってく」
巣に手を伸ばすともぎ取って、聖流が待つ煙突途中の踊り場に戻った。
「マリアさん、そのまま。腕を曲げないでください。カラスの羽を関節が強く噛んで歯車にヒビが入ると大変です」
いつも持ち歩く工具をとり出すと、聖流はテキパキとマリアの腕からカラスの抜け落ち羽を引き抜いた。頭のひっかき怪我は回復の術で手当した。
「この子も一緒にお願いします」
工具を仕舞い、それから踊り場に落ちていたカラスの子をそっとマリアが持つ巣へ戻す。
「降りてから探そう。カラスの夫婦はオレが引きつけるから、たまきさん、先に降りて」
地上で巣の中の宝物を取りだし、代わりにガラス玉を入れてやった。
「……ありませんでしたね」
「まだ一個目だし。さ、頑張って登ろうぜ」
「ええ、上からカラスさんたちの巣をかける森も探してみましよう」
待っていた仲間に巣を手渡すと、今度は聖流を先にして梯子を登った。
●
「スゴイ数のカラスなのよ。ひえぇぇ」
大げさなほど翼をはためかせてヒュパティアが戻ってきた。全身からマイナスイオンを発しているが、巣と子を取り戻そうと躍起になっているカラスたちの気はなかなか落ち着かず、かわりに翼の動きでカラスたちを遠ざけていた。
煙を飛ばして自分のまわりの空気を良くしようという意図もあるのだが――。
「汚れて黒くなっちゃったね。カラスの翼みたいになっているよ、ヒュー」
そっちはほとんど意味がないようだ。
三十三は狭い踊り場からほんの少しだけ身をせり出して、黒煙の隙間から下を見た。工場の青い屋根が初夏の日差しを跳ね返して光っている。
煙突を登れば登るほど、工場内部から吐き出される黒い煙は濃くなった。刺激のある匂いが、顔に巻いたタオルを通り抜けて鼻と喉を刺激する。ゴーグルをしていなければ、目を開けてもいられないだろう。
一体、この下の工場では何が作られているのだろうか。
「さとみくんだって、すっかり黒ワンコちゃんなのです。あ、そうだ。下でたくさん濡れタオルを用意してくれた人がいるのよ。一度、降りる?」
ヒュパティアの声に物思いをやぶられて、三十三は顔を起こした。
「いや、あともうちょっとだからこのまま続けるよ。キレイにしてもまた汚れるだろうし……。これ、頼むでござる」
三十三は撤去したカラスの巣をヒュパティア手渡した。三羽の子ガラスがピービーと鳴いて親を呼んでいる。
三羽ともカラスということを割り引いても真黒だ。巣も黒い。どう考えても健康に良くない。もっと他に巣をつくるに適した環境があるだろうに……。
「あ! 親が戻ってきたのよ! 羽根を引っこ抜かれるのよ。ヒューはこの子たちと降ります。さとみくん、グットラックなのよ」
グットラックって大げさな……。
三十三は苦笑した。確かに動物会話を使った説得は種の違いからダイレクトに通じず、何度か首の後ろの毛をむしり取られた。だが思ったほどカラスたちの攻撃は激しくなく、二人ともダメージらしいダメージは受けていない。
だから今度もまた、飛んできたカラスの夫婦に動物会話を試みる。
「ごめんよー。ちょっと巣を他の場所に移すだけだからさー、君達や雛達には危害は加えないよー」
カラスの夫婦は形ばかりの攻撃をヒュパティアと三十三に行うと、戦利品の羽とふわふわした毛をくわえて先に地上へ降りていった。
取った羽や毛を巣材にするのだろう。
「ふぉぉぉっ! ボヤボヤしていたらまた引っこ抜かれたのよ!」
「あはは。ところで他の人たちはどんな様子?」
「きよらお姉さんが双眼鏡で森や林を探しているのよ。支援してくれている人たちが巣を運んでかけ直せるように、て」
それいいね、といって三十三も双眼鏡を取りだした。
「俺も巣をとるついでに探してみるよ。じゃ、また後で」
●
高い煙突の上からは、王都サンクディゼールの街中が一望できた。
遠くに連なる山々は東西から海を抱くように伸びており、それが湾を形作っているのがわかる。初夏の爽やかな日差しが降り注ぐ海は、遠くまできらきらと輝いていた。
「すごーい。キレイだねー」
煙突から出た黒煙は西南の風に引き伸ばされて細長い川となり、時折うねりながら頭の上を流れていく。幸い、一悟とカナンが登る西の梯子に煙が流れてくることは滅多になく、二人はカラスの巣の撤去に集中することができた。
飛んでくるカラスの夫婦を遠ざけるためにカナンはなんの憂いもなく喉を震わせ、自慢の声で歌った。
「空飛ぶ烏のお母さん♪ 可愛い子供は元気だよ。苛める人はいないから、どうか安心していてね♪」
優しい歌を上で、あるいは下で聞きながら、一悟は顔に巻いていたタオルをほどき、手に持って振り回す余裕があったのだ。そのためかどうかはわからないが、四組の中で二人が最初に煙突の先端にたどり着いた。
「うん。空振りの褒美としちゃ、悪くない。マジでいい眺めだな」
強い風が斜め横から吹きつけて、煙突の縁に腰掛ける一悟のシャツを膨らませた。背中に描かれた鷹が大きく翼を広げる。
一悟はシャツの裾をぐいっと引っ張り上げて顔についた煤をぬぐい取った。
「あの平和に見える海でカノンたちはヴィスマルクの艦隊と戦ったんだね……。なんだか遠い日の出来事のように思えるよー」
よくぞ退けた。さすがは女神の寵愛をうけたオラクルだ。防衛戦に参加した者は、誰もが市民たちから熱烈な感謝を受けた。
実際、よく勝てたと一悟は思う。とくにオラクルたちの手で『ヴィスマルクの神殺し』がなされたことは大戦果だ。
カノンも一悟も敵艦隊に乗り込んで勇敢に戦い、勝利に大いに貢献した。
二人で景色を眺めながら感傷にふけっていると、下から親ガラスの鳴き声が聞こえて来た。
カノンの腕の中の巣でヒナたちがピーピーと可愛い声をあげ、親を呼び出した。
「泣かないで。もうすぐかーさまに会えるよ♪ 一緒に新しい木にいこうね♪」
ヒナたちを見つめながら、カノンは新しい場所で親子仲良く暮らして欲しい、と願いを声に込めて歌う。
「……にしても皮肉だよな。ヴィスマルクの神さまって、カラスだったんだろ?」
そこはカラスそのものではなく、カラスのような見た目と言うべきだろう。ともかく、一悟はカラス似の神を殺した直後に、カラスたちを救っている自分たちに皮肉を感じていた。
「あー、きたきた。オレが先に降りて、親たちを遠ざける。そんでマリア――」
「なにー?」
「下に降りたら一緒にゴミ箱を探して、きちんと管理されているかどうか調べようぜ」
カラスたちがここに巣をかけるのはエサが豊富に取れるからだろう。巣を別の場所に映しても、ここでエサを取らせないようにしないとまた戻ってくる。だから手伝ってくれ。
「それもそうだねー。わかったよ、カノンも手伝うよー」
カノンの快諾を受け、一悟は背中の鷹を親カラスたちに見せながら梯子を降り始めた。
●
下でグスタフが何か叫んだが、アリアにはその声がみょうに遠くに聞こえた。
(「わぁ……」)
意を決し、振り返った先にはすばらしい景色が広がっていた。クリスタルのように澄んだイ・ラプセルの海、中央に浮かぶ小さな島のまわりで砕ける白い波――。それらを頂くようにして復興途中にあるアデレードの街が見えた。
必死になって守った家々はまるで精巧なミニチュアのようで、手を伸ばせば掴み取れそうなほど近くに感じる。
いまいる場所を忘れて、アリアは梯子から手を離しそうになった。
皮肉にも正気づかせてくれたのは親カラスたちが出す威嚇の鳴き声だった。慌ててポケットに手を入れて飴玉を取りだし、ひょいと投げて親カラスの気を反らす。
(「……上の巣まであと少し。こ、恐いけど頑張って登りましょう」)
親カラスたちが戻ってこないうちに、と梯子を登る。
巣に下から手を伸ばしてゆっくりと外した。巣には二羽のヒナがいた。
「か、可愛い……うう、抱っこしたい」
がまん、と自分に言い聞かせたところで、踊り場で待機しているグスタフがまた何か叫んだ。
つい下を見たのがいけなかった。
地上で忙しく動き回っている支援者たちの姿が点のようだ。しかも、タイミング悪く強い風がスカートの裾を掴みとり、大きくはためかせ、体が空に投げ出されそうになった。
(「こ、怖いぃ……」)
片腕にヒナの入った巣を抱えたまま、体が固まった。足がすくんで動けない。
困っていると、アリアのピンチを察したグスタフが梯子を登ってきた。
「よしよし、もう大丈夫だ。さ、その巣を落として。両手で梯子を掴むんだ。大丈夫、巣は俺がぜったい受け止める」
「落とすのはちょっと……。頑張って腕を下に伸ばしますから受け取って――」
その時、アリアは見た。見てしまった。グスタフのにんまりと弛んだ顔を。
グスタフが頬をピンク色にしている理由に瞬時に思い至る。さっき、風がスカートを大きく翻したときだ。絶対に見ている!
アリアは巣から手を離して、グスタフの顔に直撃させた。
宣言どおり、グスタフは巣とヒナたちを受け止めた。
普通ならいくら頭にきても絶対にやらなかっただろうが、恐怖を飲み込んでよく見てみるとグスタフの片足はまだ踊り場についていたし、なんだかんだ言ってもこの大柄な兵士のことを信用していたのでやったのだ。
「絶対に顔をあげないでくださいね」
パンティーを見られた恥ずかしさで顔がほてっていた。
踊り場に降りると、パタパタと手で顔を仰ぎながら「それで、何を叫んでいたのですか?」と聞いた。
「例の指輪、見つけたぜ」
グスタフはズボンのポケットに手を入れると、指輪を取りだしてアリアに見せた。
初夏の夕日が水平線にかかり、紫色の黄昏が訪れていた。西の穏やかな空にか細い新月が浮かんでいる。そのすぐ下で指輪のダイヤモンドが残照を弾いて星のように輝いていた。
「さあ、こいつらを連れて下に戻ろう。指輪を取られたレディも、親カラスたちも、首を長くして待っているぞ」
●
「ありがとうございます!」
無事、レディに祖母の形見の指輪を返すことができた。他の巣から見つかったたくさんの『宝物』も支援者たちが街中を走って持ち主を探し出し、全部返し切っている。
「大浴場の湯が沸いております。どうぞ、汗と汚れを落としてお帰りください。でもその前に――」
レディはヨアヒムに顔を向けると、続きを促した。
「みんなでグスタフ・カールソンの37回目の誕生日をお祝いしようじゃないか」
ヨアヒムの合図で支援者たちが大きなケーキを運んできた。火のついた37本のローソクが立てられている。
「「誕生日、おめでとう!」」
「――!!」
誕生日を祝うみんなの歌声に合わせて、まだ新しい木に運ばれていない巣のヒナたちと親カラスたちも鳴きだした。
グスタフがロウソクの火を吹き消すと、街角に拍手が鳴り響いた。