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妖駿




 馬に乗る。
 これは徒歩よりも過酷な事だ、と武村夏美は思っている。
 幼い頃から、乗馬の稽古をやらされる度に、心の中で泣き叫んだものである。自分の足で歩いた方がずっと楽だ、と。
 そんな過酷な稽古を続けてきたおかげで、しかしこの寿丸とも心を通わせる事が出来るようになった。
 馬には、乗り手の心を読む能力が間違いなくある。人間のように言葉で命令する必要もなく、鞍上にいる者の思う通りに動いてくれる。
 その領域に達するまで、夏美は大いに振り落とされてきた。馬糞にもまみれた。譜代大名・武村家の姫君がだ。
 生き物と共に過ごす。それはつまり、汚物にまみれるという事なのである。家柄で言う事を聞いてくれるのは人間だけだ。
「貴様とも腐れ縁かなあ、寿丸よ」
 鞍の上から、語りかけてみる。寿丸は嘶きもせず、ただ駆けるだけだ。
 馬がこうして走るだけで、騎手にとっては良い鍛錬になる。夏美の尻も太股も、随分と鍛えられたものである。
 遠乗り、であった。城の中にいると、どうにも気が塞ぐ。
 それは夏美だけではない、この寿丸も同様だ。
「なあ寿丸よ。お前この間、父上を蹴り殺そうとしたであろう?」
 夏美は微笑んだ。
「気持ちはわかる。私も、あの父を見ていると……な」
 父と口論をして、腰のものを抜き放ちそうになってしまった事は1度2度ではない。
 武村家は古くから宇羅一族に仕え、千国の世を戦い抜いてきた譜代大名家である。
 夏美の曾祖父・武村義秀は猛将として知られ、若き日の宇羅明炉を戦場でよく支えたという。
 この地の領主となったのは、義秀の子・豊秀の代からだ。
 元々この地を治めていたのは、千国の終わりまで宇羅に抗い続けた八木原家で、領民の間には宇羅幕府への敵愾心に近いものが未だに根強く残っている。
 民と良好な関係を築くため苦労に苦労を重ねる祖父・豊秀の姿を、幼き日の夏美は見続けてきた。
 民がようやく武村家を受け入れてくれたか、と思えた頃に豊秀は病で亡くなり、その子・重秀が家督を継いだ。
 夏美の父・武村重秀は、祖父の苦労をことごとく台無しにするような事ばかりをした。民に重税を課す。少しでも反抗的な者を八木原の残党と決め付け、捕らえたり殺したりする。
 寿丸を駆りながら、夏美は見渡した。
 領内の、特に山深い地域である。
 ひときわ高く鬱蒼とそびえ立つのは、山林の緑色濃き磐成山。
 夏美は見据え、愛馬に語りかけた。
「知っているか寿丸よ。あの磐成山にはな、神が住むらしい……かのアマノホカリとは違う、異国より持ち込まれたる神よ。あくあ様、というらしいが」
 領主・武村家の悪政により困窮した民が、磐成山に逃げ込み、異国の神を崇拝しながら暮らしている。
 山中に、いくらか不穏な共同体が形成されているという。
 邪宗門、と呼ばれている。
「仮に、本当に邪悪な者たちであったとしても……それは、我ら武村家が生み出したようなものだな。む」
 夏美は、寿丸の手綱を引いた。
 農民が数名、縛り上げられ、槍を突き付けられ、歩かされている。胴丸姿の、見るからに品性の悪い男たちによってだ。
 野盗・山賊の類であれば、この場で討ち果たす。
 夏美はそう思ったが違った。その男たちは、武村家の兵隊であった。
「おい、何をしている貴様たち!」
「……これは、姫様」
 兵士たちが、露骨に舌打ちをした。
「この者どもは邪宗門ゆえ……それに、税の納めも滞っております」
「それを理由に民を捕らえて人買いに売り渡し、私腹を肥やしておる者どもがいると聞く」
 馬上で、夏美は剣を抜いた。
 縛り上げられた者たちの中には、女もいる。子供もいる。
「……民への悪虐狼藉は一切、許さぬ。皆を置いて去ね」
「格好付けてんじゃねえぞ小娘がぁああああ!」
 兵士たちが一斉に、槍を突き込んで来る。
「てめえがな、殿様に嫌われてんのぁ知ってんだよ!」
「……その通り。ここで私を討ち殺せば、あの父はお前たちを褒めるであろう。やって見せよ」
 夏美の言葉に合わせ、寿丸は駆けた。兵士たちの間を、駆け抜けた。
 駆けながら槍をかわす術を、寿丸は身に付けている。
 祖父・武村豊秀は、夏美と寿丸を容赦なく鍛え上げた。優しい祖父が、武の稽古に関してだけは、宇羅の荒武者たち以上に鬼であった。
 強くなれ、夏美。祖父は言った。
 わしは息子の育てを誤った。すまぬ。せめて、そなたにだけは民を守る強さを身に付けて欲しい、とも。
 夏美を乗せたまま、寿丸が立ち止まる。
 兵士たちの槍は、全て切断されていた。
「首を刎ねる事も出来た。それは、わかるな?」
 抜き身を揺らめかせ、夏美は言った。
「……去ね」
 命ずるまでもなく、兵士らは逃げ出していた。
 寿丸の鞍上から夏美はひらりと降り立ち、農民たちの縄を切断した。
 拘束を解かれた民が、跪く。
「姫様……おお、姫様……何と御礼を……」
「礼など言ってはならぬ。全て、武村の落ち度である」
 夏美も膝をつき、目の高さを合わせた。
「…………すまぬ」
「姫様がお優しい方である事は、存じ上げております」
 農民の1人が、力なく笑った。
「ですが……せっかくお助けいただいたところで私ども、帰る場所がありませぬ」
「兵の方々に、畑を取り上げられてしまいました。税を納められぬ者に農地は要らぬ、と」
「もはや……お山に入るしか、ありませぬ」
 農民たちが、磐成山を見つめた。
「あくあ様に……おすがりするしか、ありませぬ……」
「……お父ちゃんも、お母ちゃんも……お殿さまに、ころされた……」
 男の子が1人、上目遣いに夏美を睨む。
「…………ひとごろし……」
 すまぬ、という言葉が夏美の喉で凍り付いた。謝罪で済ませる。これほど傲慢な行いがあるだろうか。
 とっさに夏美は振り返り、男の子を背後に庇った。
 兵士たちが、戻って来ていた。
「ぶっ殺してやる!」
 何人かが、おかしな道具を構えていた。黒い棒、であろうか。
 夏美も見た事はある。宇羅幕府と結託している異国の軍勢が持ち込んだ武器……銃、であった。
 いくつもの銃口が火を噴く……よりも早く、様々なものが噴き上がった。脳漿、眼球、頭蓋の破片。
 兵士たち全員の、首から上が砕け散っていた。
 呆然と、夏美は呟いた。
「…………寿丸……」
 殺戮を終えた駿馬が、鮮血・脳漿にまみれた蹄をずしりと着地させる。
 炎のような鬣が、本物の炎と化しているように夏美には見えた。
 寿丸の引き締まった巨体から、炎の如き瘴気が立ちのぼっている。
 夏美は呻いた。
「…………禍憑き……」
 人が、物が、獣が、魔物と化す現象。
 寿丸が、近付いて来る。蹄が地面を穿つ。
 赤く燃え輝く眼光が、夏美を罵った男の子に向けられている。
「やめろ……寿丸……」
 夏美は剣を構えたが、切っ先は震えている。
 自分は今から、寿丸を斬らなければならないのか。
 噂話を、夏美は思い出した。
 幕府に与する軍勢とは別に、異国から来た者たちの噂。
 その者たちは、禍憑きをよく退治するという。
 魔物と化した人も獣も、その者たちの手にかかれば、死ぬ事なく禍憑きを解除され、助かるのだという。
「そんな……そのような、都合の良い力……持つ者が、いるのなら……」
 夏美は、涙を流していた。
「……助けて……寿丸を、助けて……」


†シナリオ詳細†
シナリオタイプ
通常シナリオ
シナリオカテゴリー
魔物討伐
担当ST
小湊拓也
■成功条件
1.イブリース(1体)の撃破
 お世話になっております。ST小湊拓也です。

 アマノホカリのとある場所で、軍馬・寿丸がイブリース化を遂げました。これを倒し、浄化を行って下さい。

 寿丸の攻撃手段は、跳躍と蹄を駆使しての白兵戦(攻近、単または範)、呪いの嘶き(魔遠全、BSシール1)。普通に体力を0にしていただければ生きたままの浄化が完了します。

 場所は山林に近い平地、時間帯は真昼。

 現場には非戦闘員である農民数名の他、領主・武村家の姫君である武村夏美(ノウブル、女、17歳。サムライスタイル)がおります。
 寿丸の攻撃対象はまずこの農民たちで、夏美姫が懸命にそれを止めているところです。
 寿丸は現時点では夏美に対してのみ攻撃をせずにいますが、このまま放置した場合その限りではありません。

 夏美姫はサムライの戦闘スキルを持ってはいますが、寿丸と戦う事は出来ません。完全なる戦力外であります。

 それでは、よろしくお願い申し上げます。

状態
完了
報酬マテリア
6個  2個  2個  2個
5モル 
参加費
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
参加人数
6/6
公開日
2020年09月23日

†メイン参加者 6人†




「お馬さん! こっち、こっち!」
 小さな拳をぶんぶん振り回しながら、『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)が元気に殴りかかって行く。農民たちを背後に庇って魔物と対峙する、1人の少女に。
「ほら、間抜けなお姫様がカノンにぶん殴られちゃう! お百姓さんの相手なんか、してる場合じゃないよー」
 間抜けなお姫様、と呼ばれた少女が、抜き身を構えたまま呆気に取られている。
 構えでわかる。なかなかの手練れである、と『智の実践者』テオドール・ベルヴァルド(CL3000375)は見た。カノンが相手であれば見応えのある戦いになりそうだが本当に戦うわけはない。
 殴りかかる寸前でカノンは立ち止まり、少女剣士を背後に庇う格好で魔物の方を向いた。
 魔物と化した、1頭の駿馬。燃え盛る眼光は、まっすぐカノンに向けられている。
 イブリース。ここアマノホカリにおいては、禍憑き。
 その殺意の矛先が、農民たちからカノンへ……この場に集った自由騎士6人へと移った。
 駿馬が、もう1頭いる。『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)を乗せた『黒弾』号である。
「ありますよ姫君。都合の良い力を持つ者が、都合良く颯爽と現れる展開……絶対ご都合主義、ぜつ☆ごつ! ですよっ」
「うんうん。お芝居の脚本でもね、ご都合主義って実は割と大事なんだ」
 カノンが頷く。
 エルシーが、長い脚をひらりと舞い上げ、鞍上から地面へと降り立った。
「イ・ラプセルの緋き拳、エルシー・スカーレット参上! さあ、大人しくして下さい寿丸さん。姫様を悲しませちゃあいけませんよ」
「おぬしらは……」
 少女剣士が、息を呑む。
 この地を治める大名家の姫君、武村夏美。今回の、要救助者の1人である。
 テオドールは言った。
「そう。都合の良い力を持った、異国の者だ」
 言葉と共に黒き杖を掲げ、敵を見据える。
 夏美姫の愛馬、寿丸。
「……良い馬だな、夏美嬢」
 単純な褒め言葉が、心から自然に出て来てしまう。
「元々、気性は荒いようだが……禍憑きと化したのは、貴女を慕っているからだろう。夏美嬢に向けられる理不尽を、何よりも許さない心。あるいは」
 ちらりと夏美の方を向き、微笑んでみる。
「……貴女が我慢している分を代わりに担っている、のかも知れん。忍耐強さは美徳だが無理はなさらぬよう。程々に、な」
「暴れたい時はイブリース狩りがお勧めだ。あんたの腕なら、そこそこの奴を退治出来るぜ」
 太い指と二丁拳銃を躍動させ、超高速の弾込めを披露しながら、『ラスボス(HP50)』ウェルス・ライヒトゥーム(CL3000033)が言った。
「ま、今回の奴は俺たちに任せてもらう。ああもちろん退治はしない、浄化だ。必ず助けるからな」
「もちろん皆様方もお助けいたします。さあ、もう大丈夫ですよ」
 農民たちに向かってキラキラと癒しの光を振り撒いているのは、セアラ・ラングフォード(CL3000634)である。魔導医療の煌めき。
 農民の何名かが、軽い怪我をしていたようだ。兵士らに捕えられた際の、負傷であろう。
 その兵士たちは、潰れた屍と化し、散乱している。
 セアラの優しげな美貌が、翳りを帯びた。
「私たちが……もう少し早く、来ていれば……」
「キリがないわよ。そんな事、言ってたら」
 言いつつ天哉熾ハル(CL3000678)が、死体を観察している。
「死にかけなら助けてあげた、かも知れないけど、これじゃムリねえ。みんな一撃……なかなかの殺しっぷりよ、お馬さん」
 その言葉に応えて、というわけではなかろうが寿丸が駆けた。突進。凶暴なほどに力強い馬体で、自由騎士6人を轢き殺さんとしている。
 それを、エルシーが迎え撃った。鋭利な拳が、銃弾の速度で寿丸の顔面に打ち込まれる。2発、いや3発か。
 夏美が、息を呑みながら悲鳴を漏らす。
 気遣い無用、とでも言わんばかりに、寿丸が即座に反撃を行った。
 エルシーが、カノンが、ハルが、血飛沫をぶちまけて揺らいだ。
 重い蹄が、隕石の如く彼女らに降り注いでいた。寿丸の跳躍。誰にも、見えなかった。
 速い、とテオドールは感服するしかなかった。見えない、ならば読むしかない。
「この場は我らに任せて……姫君は、民の避難を」
 杖を掲げ、呪力を錬成しながら、テオドールは言った。
 血まみれのカノンが倒れず踏みとどまり、小さな両手を獣の顎門に変え、寿丸に叩き込んでいる。
 その両手から、気の光が迸った。獅子の咆哮を思わせる光の波動。至近距離から打ち込まれ、寿丸の巨体がよろめく。だが倒れない。
 そんな愛馬と、己の背後で身を寄せ合う農民たちを、夏美は落ち着きなく見比べている。
「見比べてはいけない、夏美嬢」
 テオドールは言った。
「愛馬、いや友を気遣うのは当然。だが見比べ迷う行動を、民に見せてはならないのだよ」
 銃声が轟いた。
 術式で空間認識能力を強化したウェルスが、左右の拳銃を立て続けにぶっ放している。
「何度も言うが寿丸は必ず助ける! 何しろ、都合のいい力があるからな俺たちには!」
 2つの銃弾が、寿丸の太く頑強な頸部に突き刺さった。鮮血と、それを上回る量の瘴気が噴出するが、寿丸は変わらぬ荒々しさで襲いかかって来る。
「民を、安全な場所へと導きなさい」
 言いつつテオドールは、錬成した呪力を解き放った。
 寿丸の突進が、止まった、
 巨大な馬体に、黒いものがズシリと絡み付いている。重力の塊だった。
「反発する民を、いかに導くか。上に立つ者の器量が試される局面、それが今なのだよ」
 テオドールは厳かな手つきで、黒き杖の角度を変えていった。
 重力の塊である黒い大蛇が、寿丸をメキメキと締め上げてゆく。
「貴女の祖父御は偉大な人物であったのだろう? 想いを受け継ぐ意志があるのならば」
「……寿丸を……よろしく、お頼み申し上げる……」
 夏美は深々と一礼し、農民たちの方へと向かった。
 血まみれのハルが、それを見送りながら倭刀を抜き放つ。
「頼まれた以上……きっちりやるわよ、お馬ちゃん」
 イブリースの瘴気にも似た、悪しき何かをまとった倭刀が、寿丸の分厚い筋肉に深々と突き刺さる。
 その刃が、イブリース化した駿馬の燃え渦巻く生命力を吸引し、ハルの体内に流し込んでいる。
 重力の塊に拘束されたまま寿丸が、凶暴な嘶きを張り上げた。
 1度、気遣わしげにこちらを振り向いた夏美が、農民たちの避難を促し誘導している。
 子供が、転んだ。夏美は抱き上げた。
「お優しい、姫君ですね……」
 たおやかな両手を握り合わせながら、セアラが言う。
 その細身から、癒しの魔力がふんわりと漂い出し、エルシーを、カノンを、ハルを、包み込んだ。
「余計な事ですけれど、心配です。あの方の今後……良い事には、ならないような気がして……」
「それをも乗り越える。優しい心を持つ者の宿命だ。セアラ嬢、貴女のようにな」
 テオドールが言うとセアラは、魔導医療を実行しつつ微笑んだ。
「……私は、良い事だらけですよテオドール伯爵様。許されるのか、と思えるほど幸せに生きていますから」


 寿丸が、暴れに暴れた。
 その太い首筋に食らいついていた牝鬼が、振り落とされて地面にぶつかり、受身を取って起き上がる。
 美しい牙を血に染めたまま、ハルは微笑んだ。
「寿丸……アナタの血、極上の味わいよ。最高級の馬刺しになれるわね」
 激昂したのか、寿丸がひときわ激しく地を蹴った。疾駆、いや跳躍。上空からハルを踏み砕かんとする攻撃。
 いや、その跳躍は不発に終わった。力強い蹄が、硬い地面ではなく、柔らかな泥濘を蹴り付けたのだ。泥の飛沫を散らせながら、寿丸の巨体が揺らぐ。
 その足元が、泥沼に変化していた。
「私も貴族として、乗馬を嗜む者……愛馬を戦場に出した事はないが」
 テオドールが、寿丸の足元に杖を向けている。
「馬の行動は、そこそこに読める」
「お見事です、テオドールさん……!」
 エルシーが踏み込んだ。泥濘に囚われた妖馬の巨体に、ぶつかって行く。
 体当たりにも似た、拳の一撃であった。
 衝撃の光が、緋色に輝きながら迸る。
 光まとう拳が、寿丸に打ち込まれていた。並みのイブリースであれば跡形も無くなる一撃。
 鮮血と瘴気を飛散させながら、寿丸は吼えた。嘶いた。
 悲鳴、ではない。怒りと闘志の……いや、攻撃の嘶き。
 呪いの念が、獣の声となって放たれ、自由騎士6名を直撃した。
 全身の毛細血管が破裂したかのような衝撃に、セアラは耐えた。
 仲間5人が、鮮血の霧を迸らせながら倒れ伏し、あるいは片膝をつく。
 セアラは辛うじて立ち、よろめきながら、寿丸の呪いの念を全身で反芻していた。
「大切な存在……なのですね。寿丸様、貴方にとって……夏美姫は……」
 その呪いの根源となっているのは寿丸の、主に対する想いである。
 主が武村夏美でなければ、この駿馬がイブリース化する事も無かったであろう。
「なればこそ、です。その立派な蹄で……殺戮の道を歩むのは、おやめなさい」
 セアラの魔力が、癒しの力に変換され、細い全身から溢れ出す。
「……皆が、命を謳歌する。そんな未来へ続く道を……大切な姫君を、その背に乗せて」
 溢れ出した力が、負傷した自由騎士たちを優しく包み込み、傷と呪いを溶かしてゆく。
 エルシーとハルが、肩を貸し合い立ち上がる。カノンの小さな身体がぴょこんと跳ね起き、テオドールがゆらりと身を起こしながら存在しない弓を引く。そして呪力の矢をつがえる。
 巨体を立ち上がらせたウェルスが、拳銃に何かを接続していた。
「……はっきり言うぞ、寿丸。これから、この土地は大変な事になる。夏美姫も無関係じゃいられない」
 大型の銃身、と言うより砲身。それが寿丸に向けられる。
「お前さんの力が、どうしても必要になる。嫌でも元に戻ってもらうぜ!」
 ウェルスは引き金を引いた。
 接続砲身が、爆散した。
 その破片を巨体と獣毛で受け止めながら、ウェルスが呻く。
「くそ……やっぱり、1回しか使えんか」
 その1度きりの爆撃が、寿丸に命中していた。
 力強い馬体が、爆炎に灼かれながら暴れ狂う。
 凶暴な筋肉に、殺意が漲っている。
 セアラは確信した。ここで止めなければ、際限なく人が死ぬ。命尽きるまで寿丸は、夏美以外の人間を殺し続けるだろう。
 言葉など通じない。わかっていてもセアラは、言葉を止められなかった。
「それは……大切な人を守る、事にはなりませんよ?」


 こちらへ突っ込んで来る寿丸を妨害する形に、獣のような影が駆けた。
 ハルだった。
 狼の疾駆を思わせる斬撃が、寿丸の突進を止めた。
 鮮血と瘴気をしぶかせる巨体が、しかし一瞬後には勢いを取り戻し、ハルを蹴り殺しにかかるだろう。
 その一瞬の間に、カノンは踏み込んでいた。
「大切な御主人様を、傷付けるものは許さない……それは、わかるけど。やり方が悪かったらね、余計に御主人様を傷付ける事にもなるんだよっ」
 馬に、言葉でわからせる事ではない。
 想いは、だから拳に宿すしかなかった。
「……響け! 我が魂の旋律!」
 カノンの小さな身体が、拳を先端として寿丸に激突して行く。
 鐘の音が、鳴り響いた。真紅の光が、血飛沫のように飛散した。
 寿丸の巨体が、地響きを立てて倒れ伏す。
 残心を決めたカノンの傍らで、ハルがさっそく医療行動に入っている。
「……頑丈なお馬ちゃんで、良かったわ。人間なら死んでいたかも」
「馬刺しにしたら駄目だよ、ハル姉さん」
「ふふ、死んでいたらね。血抜きと解体に入っていたところだけど」
 カノンの軽口にそう応えながらハルは、手持ちの医療道具類を広げている。
 エルシーの黒弾が、倒れた寿丸に鼻面を近付けている。何か語りかけている、ようでもあった。
 愛馬の首を撫でながら、エルシーが言う。
「土地の権力者に恩を売る事が出来た……なぁんて考えたら、駄目でしょうかね」
「いや、そいつは俺も考えた」
 ウェルスが腕組みをする。
「あの夏美って姫様は、敵か味方かで言えば……俺たちから見て、今のところは敵勢力だ。敵に貸しを作っておく、ってのは有りだと思う。ただなあ」
「うむ。夏美嬢のお父君が……娘御に関する事を、恩義や借りと受け取ってくれる人物であれば良いのだが」
 テオドールも、難しい顔をしている。
「伝え聞く限り……この地の御領主・武村重秀卿に関しては、真逆の人物像しか思い浮かばぬ」
「立派な子供に、立派じゃない父親……か。ま、どこにでもある話だな」
 ウェルスの言葉を聞いて、カノンとしては、思い浮かべるものが1つしかない。
「……気のせいかな。同じようなお話、カノンは知ってるような気がするよ」
「グラーク侯爵家の方々、ですね」
 反応したのがセアラだったので、カノンはいくらか驚いた。
「セアラお姉さん、知ってるの?」
「皆様が解決なさった事件に関しては私、報告書を読んだだけですが……グラーク家は大貴族で、私の家は……あまり大きくはない貴族ですから……」
「……嫌がらせでも、された?」
 ハルの問いに、セアラは俯き加減に答えた。
「私……侯爵閣下の御子息に、言い寄られた事がありまして。弟君の、エリオット様です」
「ほほう」
 エルシーの口調が、剣呑な響きを帯びた。
「つまり、あそこの馬鹿息子を今からぶちのめしに行きましょうと。そういう事ですね」
「落ち着きなさいシスター。その程度の事、自力で対処出来ないセアラ嬢ではないよ」
 テオドールが言った。
「エリオット子爵の、執拗な求愛に対する返答。それは見事な平手打ちであったそうな」
「……テオドール伯爵様には、大変な御迷惑を」
「私は何もしてはいない、仲裁者として名乗りを上げただけだ。それだけでグラーク家は引き下がってくれた」
「ベルヴァルド家の名前が効いたな」
 ウェルスが笑う。
「いや、と言うより……ベルヴァルド家・中興の祖、テオドール伯爵個人の名前か」
「貴族をおだててはいけない」
 言いつつ、テオドールが振り返った。
「夏美嬢、もう心配は要らぬ」
「……世話に、なった」
 歩み寄って来た夏美姫が、恭しく頭を下げた。
 カノンも頭を下げた。
「さっきは、間抜けなお姫様なんて言ってごめんなさい」
「いや、私は間抜けな愚か者だ」
 弱々しく、夏美が微笑む。
 エルシーが、まじまじと姫君の肢体に見入っている。
「……がっちりとした、いいお尻をしてますね。大臀筋は白兵戦の要。乗馬って本当、いい鍛錬になりますよね」
「おぬしも馬に乗るのか。良い馬だな。大たわけの寿丸と違って賢そうだ」
 夏美は、いくらかは元気になったようだ。
 農民たちは、いない。
 代わりに同行者を2人、夏美は伴っていた。
 うち1人が、言った。老人である。
「……アクアディーネ様の、お導きでしょうか」
「苫三の旦那じゃないか」
 ウェルスが応じた。
「……そうか。あの農民連中は結局、あんた方が面倒見ると」
「土地を失った人々です。あくあ様に、おすがりする他ありませぬ」
 林の向こうに聳える山を、苫三は見上げた。
 磐成山。
 アマノホカリ人でありながら、女神アクアディーネを信仰する人々が隠れ住んでいるという。その中心人物が、この苫三という老人なのだ。
 ハルによって手際良く包帯を巻かれた寿丸が、ゆっくりと身を起こす。
 その鼻面を、夏美は抱いていた。
「この……たわけ者がっ……!」
「そのような事、おっしゃってはいけませんよ」
 セアラが、夏美の肩を撫でる。
「寿丸様を……どうか、しっかりと抱いてあげて下さい」
「……すまぬ。この恩は必ず返す」
「アナタ本当、誰かに似てるわ」
 ハルが言った。
「その子も、いいところの御令嬢なんだけど。アナタと同じで、家族の男どもがダメンズばっかり……で、通りすがりの鬼が訊いてみたわけ。どうしようもない父親と暮らしていくのは大変じゃない? って」
「……息女である以上、父御の感心出来ぬ暮らしぶりと無縁ではいられまいな」
「わかるのね、そうなのよ。贅沢三昧のお零れに与って生きている、なんて思っちゃう性格でね……大変よ? そんなんだと」
「ここの領主は……あのオズワード・グラークと比べても格段に、救いなき人物であるようだ」
 夏美の、もう1人の同行者が言った。『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)だった。
 エルシーが声をかける。
「マグノリアさんも、来ていたんですね」
「すまない、こちらの戦いには参加出来なかった」
「あの山の様子、どうだい」
 ウェルスが訊いた。
「『あくあ様』を信仰する連中なら、俺たちが力を貸すべきだとは思うが」
「やりましょう!」
 エルシーが拳を握る。
「私たちだって、あくあ様の信徒です。協力しない理由はありませんよ」
「山の連中……やってる事が歪んでなければ、の話だがな」
 ウェルスは慎重である。
「山の中なんて環境だ。アクアディーネ信仰だって……下手すりゃ本当に、邪宗門なんて呼ばれても仕方ない暴走に行き着きかねん。苫三の旦那にゃ悪いが」
 苫三ではなく、マグノリアが応えた。
「僕が見たところ、その心配はないと思う」
「ならいいが……何にしても山の連中を今後どうするか、だな」
 磐成山を、ウェルスは見据えた。
「戦争が始まったら、無力な奴らから殺されちまう……俺らや天津朝廷で、本腰を入れて保護するかどうか」
「天津朝廷って……本当に、信用出来るの?」
 ハルが言った。
「アマノホカリって神様も、どうなのよ。今までずっと隠れていたんだか逃げていたんだか、それが今になって神様面? そんなのよりは……まあ、アクアディーネ様を信じようって事にはなるわよね」

†シナリオ結果†

成功

†詳細†

FL送付済