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黒鯨。或いは、街を貪る海の災厄……。

●港街……波止場にて
「俺の親父はな、5年前にこの海で死んだ。でけぇ鯨に食われてよ。以来俺は、その鯨をとっ捕まえて仇を討ってやろうと漁師を続けてきたんだが……」
煙草を吹かしながら、初老の男は重々しい声でそう告げた。
それからちらと、視線を海の方へと向ける。
そこにあったのは一隻の漁船。
ただし、後ろ半分は何かに食い千切られたかのようにきれいさっぱり消え去っていた。
「野郎、5年のうちにすっかり化け物になっちまいやがった。俺の船だけじゃねぇ……見てみな」
そう言って男は、自身の背後……港の街を指し示す。
道は大きく抉れ、家屋は倒壊し、人の姿はどこにも無い。
「あぁ、住人たちは喰われたわけじゃねぇよ? 今朝一番で近くの街に逃げてんのさ。俺だって、親父の件がなきゃ逃げてるよ。ありゃぁ、化け物だ。本物のな。悪夢ってのは、あぁいうのを指して言うんだろうぜ」
煙草の先に溜まった灰が、冷たい風に吹かれて落ちた。
いつの間にか、男は小さく体を震わせている。
寒さゆえ……ではない。
恐ろしいのだ。
昨夜見た、とある光景が目に焼き付いて離れないのだ。
それは突然現れた。
仕事を終え、街に帰還した男が船から下りたその瞬間。
深海から浮上したそれは、船の後ろ半分を一口でバクリと食い千切った。
突然の出来事に、男はただそれを眺めていることしかできなかった。
夜闇に浮かぶそのシルエットは、どうやら鯨のようである。
だが、おかしい……。
果たして鯨に、前脚なんてものはあっただろうか?
本来であればヒレのあるべきその場所に、獣のような太い前肢が生えている。
そして……。
「お、親父……?」
鯨の背中に浮かび上がった、百を超える人の顔。
その中の一つは、たしかに彼の父親だった。
苦悶の表情を浮かべた、父の顔。それが鯨の背に張り付いているのだ。
それから……。
『ーーーーーーーーーーーーァ!』
鯨は一声、空に向かって咆吼し。
彼はそこで、気を失った。
「で、目が覚めたら真夜中でよ。街はこの有様だ」
幸いなことに、死傷者は思ったほどには出なかったらしい。
だが、またあの鯨に襲われてはならないと、街の長は即座に避難を決めたのだった。
それが、昨夜から今朝にかけての出来事だ。
「なぁ、誰か……頼むよ。あいつを殺せるなら、そうしてくれ。親父を、解放してやってくれ。俺の代わりに、仇をよぉ……」
力のない声で呟く男の目元から、つぅと一筋雫が零れた。
●階差演算室
「悪魔(イブリース)化した人を襲う鯨か……そうだな【黒鯨】とでも呼ぶとしようか」
ふむ、と。
顎に手を当て『長』クラウス・フォン・プラテス(nCL3000003)はそう言った。
今回のターゲットについて、どこから話すべきか思案しているようである。
しばしの沈黙。そして……。
「鯨というと海の生き物なのだがね、悪魔化したことで前肢を手にいれたらしい。よって、戦場は船着き場から街が良いと思うが……異論はあるかね?」
幸いというべきか不幸にもと言うべきか、黒鯨の襲撃により港の周辺はすでに壊滅状態だ。
ちなみに、港とは逆側にはまだ家屋が無事なエリアが広がっている。
「漁師の男もすでに避難した。遠慮なく武勇を奮ってくれて構わない。と、言うよりも……」
クラウスは言葉を句切ると、手元の資料へ視線を落としてため息をこぼす。
「悪魔化した際、地上活動のためにいくらか縮んだようだがね。それでも、全長8メートルを超える巨体だ。とくに頭部は大きく、体の半分ほどをしめている。皮膚も分厚く、生半可な攻撃ではダメージが少ないだろうな」
さらに言うなら、元々は鯨である。
当然、その気になれば海へ潜ることも可能だろう。
「攻撃方法は主に突進とかみ付きの2通りだな。瓦礫などを投げ飛ばすことで、遠距離にも攻撃可能ではあるがこちらは直撃さえ避ければ問題ないだろう。[ノックバック]や[ブレイク][バーン]にはくれぐれも注意を払ってくれ」
黒鯨は、港街の周辺を主な縄張りとしているようだ。
昨夜の上陸は、様子見を兼ねたものだったのかもしれない。
様子見……つまりは、餌場の規模や餌数の下調べである。
「日が暮れれば、また街にやってくるだろう。釣り上げる手段があれば、昼間でも交戦可能かもしれないがな」
よろしく頼むよ、と。
そう言ってクラウスは部屋を後にした。
「俺の親父はな、5年前にこの海で死んだ。でけぇ鯨に食われてよ。以来俺は、その鯨をとっ捕まえて仇を討ってやろうと漁師を続けてきたんだが……」
煙草を吹かしながら、初老の男は重々しい声でそう告げた。
それからちらと、視線を海の方へと向ける。
そこにあったのは一隻の漁船。
ただし、後ろ半分は何かに食い千切られたかのようにきれいさっぱり消え去っていた。
「野郎、5年のうちにすっかり化け物になっちまいやがった。俺の船だけじゃねぇ……見てみな」
そう言って男は、自身の背後……港の街を指し示す。
道は大きく抉れ、家屋は倒壊し、人の姿はどこにも無い。
「あぁ、住人たちは喰われたわけじゃねぇよ? 今朝一番で近くの街に逃げてんのさ。俺だって、親父の件がなきゃ逃げてるよ。ありゃぁ、化け物だ。本物のな。悪夢ってのは、あぁいうのを指して言うんだろうぜ」
煙草の先に溜まった灰が、冷たい風に吹かれて落ちた。
いつの間にか、男は小さく体を震わせている。
寒さゆえ……ではない。
恐ろしいのだ。
昨夜見た、とある光景が目に焼き付いて離れないのだ。
それは突然現れた。
仕事を終え、街に帰還した男が船から下りたその瞬間。
深海から浮上したそれは、船の後ろ半分を一口でバクリと食い千切った。
突然の出来事に、男はただそれを眺めていることしかできなかった。
夜闇に浮かぶそのシルエットは、どうやら鯨のようである。
だが、おかしい……。
果たして鯨に、前脚なんてものはあっただろうか?
本来であればヒレのあるべきその場所に、獣のような太い前肢が生えている。
そして……。
「お、親父……?」
鯨の背中に浮かび上がった、百を超える人の顔。
その中の一つは、たしかに彼の父親だった。
苦悶の表情を浮かべた、父の顔。それが鯨の背に張り付いているのだ。
それから……。
『ーーーーーーーーーーーーァ!』
鯨は一声、空に向かって咆吼し。
彼はそこで、気を失った。
「で、目が覚めたら真夜中でよ。街はこの有様だ」
幸いなことに、死傷者は思ったほどには出なかったらしい。
だが、またあの鯨に襲われてはならないと、街の長は即座に避難を決めたのだった。
それが、昨夜から今朝にかけての出来事だ。
「なぁ、誰か……頼むよ。あいつを殺せるなら、そうしてくれ。親父を、解放してやってくれ。俺の代わりに、仇をよぉ……」
力のない声で呟く男の目元から、つぅと一筋雫が零れた。
●階差演算室
「悪魔(イブリース)化した人を襲う鯨か……そうだな【黒鯨】とでも呼ぶとしようか」
ふむ、と。
顎に手を当て『長』クラウス・フォン・プラテス(nCL3000003)はそう言った。
今回のターゲットについて、どこから話すべきか思案しているようである。
しばしの沈黙。そして……。
「鯨というと海の生き物なのだがね、悪魔化したことで前肢を手にいれたらしい。よって、戦場は船着き場から街が良いと思うが……異論はあるかね?」
幸いというべきか不幸にもと言うべきか、黒鯨の襲撃により港の周辺はすでに壊滅状態だ。
ちなみに、港とは逆側にはまだ家屋が無事なエリアが広がっている。
「漁師の男もすでに避難した。遠慮なく武勇を奮ってくれて構わない。と、言うよりも……」
クラウスは言葉を句切ると、手元の資料へ視線を落としてため息をこぼす。
「悪魔化した際、地上活動のためにいくらか縮んだようだがね。それでも、全長8メートルを超える巨体だ。とくに頭部は大きく、体の半分ほどをしめている。皮膚も分厚く、生半可な攻撃ではダメージが少ないだろうな」
さらに言うなら、元々は鯨である。
当然、その気になれば海へ潜ることも可能だろう。
「攻撃方法は主に突進とかみ付きの2通りだな。瓦礫などを投げ飛ばすことで、遠距離にも攻撃可能ではあるがこちらは直撃さえ避ければ問題ないだろう。[ノックバック]や[ブレイク][バーン]にはくれぐれも注意を払ってくれ」
黒鯨は、港街の周辺を主な縄張りとしているようだ。
昨夜の上陸は、様子見を兼ねたものだったのかもしれない。
様子見……つまりは、餌場の規模や餌数の下調べである。
「日が暮れれば、また街にやってくるだろう。釣り上げる手段があれば、昼間でも交戦可能かもしれないがな」
よろしく頼むよ、と。
そう言ってクラウスは部屋を後にした。
†シナリオ詳細†
■成功条件
1.ターゲットの討伐
●ターゲット
・黒鯨(悪魔)×1
人食い鯨が悪魔化したもの。
元々は20メートルを超える巨体であったが、陸上での活動能力を手に入れたことで
動きやすい8メートルほどへと縮んでいる。
人間のことを食料のひとつと認識しているようだ。
・タックル【ノックB】攻遠貫
巨体を活かした突進。
・グラトニー・バイト【ブレイク1】【バーン2】攻近単
巨大な口で対象に食らい付く攻撃。
・瓦礫投擲 攻遠単
近くの瓦礫を掴み投げつける。
※瓦礫がない場合は使用不可。
●場所
港街。
港には半壊した10の船。
港の側には、倒壊した家屋の残骸が残っている。
港とは逆方向は襲撃を受けておらず無事なまま。船の部品なども、探せばあるかも知れない。
街はさほど大きくなく、元々住人は200名前後だったそうだ。
・黒鯨(悪魔)×1
人食い鯨が悪魔化したもの。
元々は20メートルを超える巨体であったが、陸上での活動能力を手に入れたことで
動きやすい8メートルほどへと縮んでいる。
人間のことを食料のひとつと認識しているようだ。
・タックル【ノックB】攻遠貫
巨体を活かした突進。
・グラトニー・バイト【ブレイク1】【バーン2】攻近単
巨大な口で対象に食らい付く攻撃。
・瓦礫投擲 攻遠単
近くの瓦礫を掴み投げつける。
※瓦礫がない場合は使用不可。
●場所
港街。
港には半壊した10の船。
港の側には、倒壊した家屋の残骸が残っている。
港とは逆方向は襲撃を受けておらず無事なまま。船の部品なども、探せばあるかも知れない。
街はさほど大きくなく、元々住人は200名前後だったそうだ。
状態
完了
完了
報酬マテリア
6個
2個
2個
2個




参加費
100LP [予約時+50LP]
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
7日
参加人数
4/8
4/8
公開日
2019年12月15日
2019年12月15日
†メイン参加者 4人†
●
人気の失せた港町。
夜の海を睥睨するは4人の人影。
その視線の先で、海面から何かが浮上する。
潮を吹き上げ、咆哮をあげ、海から陸へと這いあがったのは巨大な鯨。
発達した前脚で、波止場の地面をガリガリと削る。
その背にはこれまで鯨に食われた犠牲者たちの顔が浮かび上がっていた。
「あまりいい趣味とはいえんな。所詮は畜生か」
2本のダガーを手の中で回し、『黒衣の魔女』オルパ・エメラドル(CL3000515)はそう毒づいた。
悪魔化した人喰い鯨……黒鯨と自由騎士たちの戦いはこうして幕を開けたのだった。
●
「この海域は昔から船が難破することが多かったそうだよ。黒鯨はそう言った船の乗組員たちを喰らっていたのだろうね。きっと、黒鯨の親も、そのまた親も……あぁ、考えるだけで怖気が走るよ」
頭上に光球を浮かばせて、『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)はぶるりと身を震わせる。
本気で怖がっているのか、それとも台詞に合わせたポーズなのかはマグノリアの怜悧な表情からは判断できない。
「鯨の背中に、人の顔がたくさん……なかなかショッキングな光景ですね」
ごくり、と唾を飲み込んでセアラ・ラングフォード(CL3000634)は仲間達の後ろへと下がる。
黒鯨に恐れを抱いた……と、そう言うわけではなく、その位置こそが彼女が最大限に力を発揮できる場所なのだ。
事実、セアラは自身にスキルを付与し、己の魔力を底上げてしている。
「それでは、戦いを始めましょう」
巨大な十字架を背に担ぎ、『断罪執行官』アンジェリカ・フォン・ヴァレンタイン(CL3000505)はすいと前方へ腕を振るった。
腕の動きに合わせるように、光の球が空を泳いで黒鯨の頭上で停止する。
光を浴びた黒鯨が不機嫌そうな唸りをあげた。
港の付近にあった建て物の残骸や、船の残骸は既に遠くへ運ばれている。
自由騎士たちが昼間のうちにせっせと移動させたのだ。そのため、港周辺にはぽっかりと何もない空間が広がっている。
「皆様……私の命と背中は任せます!」
真っ先に跳び出したのはアンジェリカだった。
駆け出すと同時に、片手に持った大剣を黒鯨目がけて投げつける。
空気を切り裂き、大剣は黒鯨の右腕付け根に突き刺さった。
だが、浅い……黒鯨の分厚い皮膚を貫くには勢いが足りない。
「はぁっ!」
タタン、と軽いステップでアンジェリカは黒鯨の懐へと潜り込む。
そして振り抜いた十字架の一撃でもって、大剣を黒鯨の体内へと押し込んだ。
黒鯨が悲鳴を上げて、大きく腕を振り回す。
出鼻をくじかれた黒鯨だが、その巨体に対して与えられたダメージは微々たるものだ。剣を引き抜き、アンジェリカは後ろへ跳んだ。
振り回された腕がアンジェリカの胴を掠めたその瞬間、ミシと何かが軋む音。
何か……それはアンジェリカの肋骨だった。
「やはりダメージは大きそうですね……早めに治しませんと」
セアラの周囲に淡い燐光が降り注ぐ。
指揮するように腕を宙に泳がせて、セアラはアンジェリカを指し示した。
燐光は彼女の腕の動きに合わせ、アンジェリカへと集まっていく。じわじわと、胴を中心に光が集まり、その身に受けた傷やダメージを癒していった。
アンジェリカの回復を見届けると、セアラは素早く港の端へと移動する。
仲間達とは重ならない位置へ……黒鯨の攻撃範囲の外へ避難するためだ。
セアラが移動を終えた、その直後……。
『ぐぅうっぅおおおおおおおおおお!』
雄叫びと共に、黒鯨が駆け出した。
まるで黒い弾丸……否、砲弾のようだとマグノリアは冷や汗を垂らす。
マグノリアの傍らに漂う聖遺物には、魔力の輝きが灯っていた。
地面が抉れ、土砂が飛び散る。
腕を掲げることで土砂を避けながら、マグノリアはしっかりと黒鯨の動きをその視界に捉えていた。
見れば、黒鯨の進行方向にいたアンジェリカとオルパはタックルを受け宙を舞っているではないか。
その落下地点では、黒鯨が大口を開けて2人を待ち受けていた。
「おっと……これはまずいね」
腕を降ろし、聖遺物を操作する。
解き放たれた魔力の大渦が黒鯨を飲み込んだ。
「ぐ……重いが……どうにかいけそうだね」
魔力の渦に包みこまれた黒鯨の巨体が僅かに地面から浮いた。
マグノリアが腕を振るうと、それに合わせて黒鯨の巨体も揺らぐ。
次第に揺らぎは大きくなって、魔力渦の中で黒鯨の巨体は激しく振り回されていた。
「あ、っぶないなぁもう。これだけの巨体、しかも元は水棲生物ともなれば、陸上での動きはそれほど素早くないハズと思っていたのに、なかなかどうして瞬発力はあるみたいだな」
淡い燐光に包まれながら、オルパは地面に着地した。
黒鯨のタックルに巻き込まれて、アンジェリカと共に宙へと跳ね飛ばされたのだ。
咄嗟にガードはしたものの、完全には防げずそれなりのダメージは貰ってしまったようである。オルパの額からは、だくだくと血が零れていた。
セアラの回復スキルのおかげで、既に血は止まっているようだ。顔にこびりついた血を服の袖で乱暴に拭い、オルパはダガーを構え直す。
ガードの際にもダガーを使用したのだが、その刃には歯こぼれの一つも見られない。
どうやらよほどに頑丈な業物であるようだ。
オルパがダガーを構え直すのと同時に、魔力の大渦が消え黒鯨の巨体が地面に落ちた。
地震のように地面が揺らぐ。
だが、オルパは揺れる足元など意に介さずにいつものように高速で黒鯨との距離を詰めた。スキルで強化されたバランス感覚は、足元の状態がどうであろうと彼に不都合を与えはしない。
オルパの放った素早く、そして鋭い斬撃が黒鯨の鼻先に無数の傷を刻むのだった。
「俺のダガーは妖精郷製だ。真の能力はその刃に込められた力にこそある」
オルパのダガーは、パラライズの状態異常が付与された特別製だ。
麻痺状態が付与された黒鯨へ、アンジェリカが迫る。
オルパが手数で押す戦闘スタイルを主とするなら、アンジェリカは一撃の重さに特化した重戦士だ。大剣を黒鯨の右目へと突き刺し、そこへ十字架による打撃を叩き込む。
咆哮をあげ、黒鯨が仰け反った。
「……頑丈ですね」
麻痺状態の間に叩きこまれる2人の猛攻。
黒鯨は未だ健在。
むしろ怒りのボルテージはさらに1段も2段も上昇していると言える。
麻痺状態が解除され、黒鯨は大きく口を開く。
咄嗟にオルパとアンジェリカは離脱を図るが、間に合わない。
バクン、と。
アンジェリカの身体が黒鯨の口内へと消えた。
「今は救助が優先ですね……っ!」
後衛のセアラは、黒鯨へ向け手の平を翳す。
黒鯨の周囲に魔力が集い、極寒の冷気と化してその身を覆った。
「緊急事態というやつだね」
同じく黒鯨へ手を翳したマグノリアがそう呟く。
黒く濁った魔力が収束し、汚泥を固めたかのような不吉な色の球を形成。黒鯨の喉元で爆ぜた球は、黒鯨の身に降りかかり、その全身を毒で侵した。
動きが鈍ればこちらのもの、と言わんばかりに後退していたオルパは地面を蹴って宙へ跳ぶ。
コートを翻しながら黒鯨の頭部に着地し、その額へと2本のダガーを突き刺した。
背に浮いていた誰かの死相が、苦しそうに顔を歪めた。
その光景に怖気を感じながらも、オルパは攻勢へと移る。
一撃、二撃……さらに刺突の数は増していく。
身を捩じらせ、暴れ狂う黒鯨。取り付いたオルパを振り落とすつもりなのだろうが、ハイバランサーを活性化させた今の彼には、動作の鈍った黒鯨の頭上で姿勢を保つ程度のことは朝飯前といったところか。
にぃ、とオルパの口角が吊りあがる。
今のうちに、黒鯨へと与えられるだけのダメージを叩きつける心算である。
魔力の大渦が黒鯨を振り回す。
黒鯨の身体が、海へと叩きつけられた。
盛大な水飛沫。豪雨のような勢いで降り注ぐ大量の海水の中に、吐き出されたアンジェリカの姿があった。
ぐったりとその身体からは力が抜けてしまっているが、どうやら意識はまだ残っているようだ。
それならば、とセアラは即座に回復を図るが……遠い。
戦闘を行ううちに、黒鯨が後退してスキルの射程の外へ逃れていたようだ。
「俺が回収してくるよ」
落下してくるアンジェリカの足元へ、オルパが駆け込む。
両腕を広げ、アンジェリカを受け止めた。
「……華奢だな。その身体でよくアレを振り回せるものだ」
ズゴン、と重たい音とともにアンジェリカの十字架が波止場の地面に突き刺さる。
静寂。
水飛沫も収まり、水面も凪いだ。
マグノリアやアンジェリカの放った光球が、海上を明るく照らし出す。
黒鯨の姿は見えない。魚影さえも……だが、近くに潜んでいることだけは理解できる。
気配……或いは、黒鯨以外の魚影さえも見えないことから、マグノリアの目はそのことを正確に見極めていた。
嵐の前の静けさだ……と、小さく溜め息を零した、その瞬間。
水飛沫と共に、黒鯨が海から飛び出した。
黒い砲弾と呼ぶに相応しい、圧倒的な質量を活かした突進である。
現在、アンジェリカは治療のために後方へ下がっているため前衛はオルパただ一人。黒鯨の姿を視認すると同時に、オルパは地面を転がりタックルの進路から回避を図る。
ガリガリと地面を削り、黒鯨は急停止。
そして……。
『ぐぉぉぉぉおぉ……』
振り抜いた前脚で、抉り取った地面の一部をアンジェリカ目がけて撃ち出した。
「セアラは回復を! 瓦礫は僕に任せてくれ!」
アンジェリカの前に跳び出したのはマグノリアであった。両腕を大きく広げ、瓦礫の弾丸を受け止める。その身を淡い燐光が包んだ。自身に[アンチトキシス]をかけて、回復力を高めているのだ。
小さな体が、瓦礫に打たれて大きく仰け反る。
乱れた桃色の髪に血の雫が飛び散った。
意識を繋ぎとめるために噛み締めた唇からは、血の雫が滴っている。
マグノリアの顔は、自身の血で真っ赤に濡れていた。
淡い燐光がアンジェリカの身体を包みこむ。
アンジェリカの傷を、その身に蓄積したダメージを回復させる癒しのスキル。
次いで、その身を蝕んでいた状態異常を取り除く。
身体の調子を確かめるようにアンジェリカが立ち上がり、肩や肘を動かしていた。
本当ならば、今すぐにでも前衛へ復帰したいのだ。
けれど、しっかりと回復しないままでは足手まといになってしまう。そのことを理解しているからこそ、こうしてコンディションの確認に時間を割いているのである。
「いけそうかい?」
額を押さえてマグノリアが問うた。
自身のスキルによって既に傷は癒えているようだが、流れた血までは元に戻らない。
流れた血で、髪が頬に張り付いていた。
「えぇ、問題なく。後は私たちにお任せを」
前衛へと戻るアンジェリカを援護するため、マグノリアとセアラは再び術の行使へ移る。
アンジェリカの武器である十字架は、黒鯨の背後……波止場の地面に突き刺さったままだ。まずは彼女がそれを回収するまでの時間稼ぎに注力すべきという判断であった。
「オルパさんの回復を……いえ、まずは状態異常の回復を優先すべきでしょうか?」
無駄なく、そして最善の選択を……。
セアラの脳裏を無数の選択肢がよぎる。
短時間とはいえ1人で前線を支えていたオルパのダメージは深刻だ。持ち前の機敏さでもって致命傷こそ避けてはいるものの、じわじわとダメージは蓄積していく。
手数と速度こそオルパの圧勝ではあるが、一撃の重さとなると黒鯨に軍配があがる。オルパの攻撃では、黒鯨の硬い皮膚を相手取るには火力不足であるようだ。
それでも、ダメージが無いわけではないのだが……。
「アンジェリカ殿、脚は俺がやる。脚さえ破壊すれば黒鯨は陸上で立ち往生するしかなくなる筈だ!」
オルパの身体を光が包む。
セアラの回復を受けながら、オルパはアンジェリカへとそう告げた。
しばらく前から、彼は黒鯨の脚……正確にはその付け根付近を集中して攻撃しているようだった。
「承知いたしました」
「頼むよ。……ところで、剣はどこへやった?」
「ちょうど良いところに突き刺さっていますよ」
オルパの問いに対して、アンジェリカは笑みを浮かべてそう答えた。
●
黒鯨の脚が凍りつく。
動きの鈍ったその隙に、その身を魔力の大渦が飲み込んだ。
「砕くよ。これ以上、仲間を喰われるのは御免だからね」
「はい。……ところで、黒鯨を浄化したら、陸で元の鯨に戻ってしまうのですよね?」
「……食べられてしまった人達の敵討ちだ。後のことは漁師たちに任せるさ」
悪魔化が解けても人喰い鯨は人喰い鯨のままなのだ。それを、そのまま海へと帰すわけにはいかない。
魔力の渦に振り回された黒鯨の巨体が地面に叩きつけられた。
氷に覆われていた左右の脚に、ビシリと細かい罅が入る。
「これなら……いける」
駆ける勢いを乗せて、オルパはダガーでまずは右脚を斬りつけた。
次いで、左脚……。
オルパの斬撃から一拍遅れて、黒鯨の両脚が音をたてて砕け散る。
咆哮する黒鯨の正面へ、アンジェリカが駆け込んだ。
大きく開いたその口内へ、彼女はその痩身を躍らせる。
そして……。
「申し訳ありませんが、しっかり息の根を止めさせていただきます!」
口内、上顎に刺さった大剣目がけて、十字架によるフルスイングを叩き込む。
『ぉおおおおおお……』
黒鯨の額を突き破り、アンジェリカの大剣が飛び出した。
脳を貫かれた黒鯨は、そうしてついに息絶えた。
後衛のセアラは、鯨の背に浮く犠牲者たちの表情が、その時ふっと和らいだのを確認し、安堵に胸を撫で下ろす。
安らかに……と。
誰にも聞こえない小さな声で、犠牲者たちの冥福を祈った。
東の空に日が昇る。
抉れた地面のその中心に、体長20メートル近い巨大な鯨が横たわっていた。
その背には既に人の顔など浮いていない。
切断された前脚も、すでにヒレへと戻っている。
息絶えた巨大な人喰い鯨のなれの果て。
生きるために喰らい、生きるために倒された。
ただそれだけの、自然に生きる生命の法。
「鎮魂ぐらいはしてあげようか」
マグノリアのその一言に、アンジェリカは無言のままに深く頷きを返すのだった。
人気の失せた港町。
夜の海を睥睨するは4人の人影。
その視線の先で、海面から何かが浮上する。
潮を吹き上げ、咆哮をあげ、海から陸へと這いあがったのは巨大な鯨。
発達した前脚で、波止場の地面をガリガリと削る。
その背にはこれまで鯨に食われた犠牲者たちの顔が浮かび上がっていた。
「あまりいい趣味とはいえんな。所詮は畜生か」
2本のダガーを手の中で回し、『黒衣の魔女』オルパ・エメラドル(CL3000515)はそう毒づいた。
悪魔化した人喰い鯨……黒鯨と自由騎士たちの戦いはこうして幕を開けたのだった。
●
「この海域は昔から船が難破することが多かったそうだよ。黒鯨はそう言った船の乗組員たちを喰らっていたのだろうね。きっと、黒鯨の親も、そのまた親も……あぁ、考えるだけで怖気が走るよ」
頭上に光球を浮かばせて、『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)はぶるりと身を震わせる。
本気で怖がっているのか、それとも台詞に合わせたポーズなのかはマグノリアの怜悧な表情からは判断できない。
「鯨の背中に、人の顔がたくさん……なかなかショッキングな光景ですね」
ごくり、と唾を飲み込んでセアラ・ラングフォード(CL3000634)は仲間達の後ろへと下がる。
黒鯨に恐れを抱いた……と、そう言うわけではなく、その位置こそが彼女が最大限に力を発揮できる場所なのだ。
事実、セアラは自身にスキルを付与し、己の魔力を底上げてしている。
「それでは、戦いを始めましょう」
巨大な十字架を背に担ぎ、『断罪執行官』アンジェリカ・フォン・ヴァレンタイン(CL3000505)はすいと前方へ腕を振るった。
腕の動きに合わせるように、光の球が空を泳いで黒鯨の頭上で停止する。
光を浴びた黒鯨が不機嫌そうな唸りをあげた。
港の付近にあった建て物の残骸や、船の残骸は既に遠くへ運ばれている。
自由騎士たちが昼間のうちにせっせと移動させたのだ。そのため、港周辺にはぽっかりと何もない空間が広がっている。
「皆様……私の命と背中は任せます!」
真っ先に跳び出したのはアンジェリカだった。
駆け出すと同時に、片手に持った大剣を黒鯨目がけて投げつける。
空気を切り裂き、大剣は黒鯨の右腕付け根に突き刺さった。
だが、浅い……黒鯨の分厚い皮膚を貫くには勢いが足りない。
「はぁっ!」
タタン、と軽いステップでアンジェリカは黒鯨の懐へと潜り込む。
そして振り抜いた十字架の一撃でもって、大剣を黒鯨の体内へと押し込んだ。
黒鯨が悲鳴を上げて、大きく腕を振り回す。
出鼻をくじかれた黒鯨だが、その巨体に対して与えられたダメージは微々たるものだ。剣を引き抜き、アンジェリカは後ろへ跳んだ。
振り回された腕がアンジェリカの胴を掠めたその瞬間、ミシと何かが軋む音。
何か……それはアンジェリカの肋骨だった。
「やはりダメージは大きそうですね……早めに治しませんと」
セアラの周囲に淡い燐光が降り注ぐ。
指揮するように腕を宙に泳がせて、セアラはアンジェリカを指し示した。
燐光は彼女の腕の動きに合わせ、アンジェリカへと集まっていく。じわじわと、胴を中心に光が集まり、その身に受けた傷やダメージを癒していった。
アンジェリカの回復を見届けると、セアラは素早く港の端へと移動する。
仲間達とは重ならない位置へ……黒鯨の攻撃範囲の外へ避難するためだ。
セアラが移動を終えた、その直後……。
『ぐぅうっぅおおおおおおおおおお!』
雄叫びと共に、黒鯨が駆け出した。
まるで黒い弾丸……否、砲弾のようだとマグノリアは冷や汗を垂らす。
マグノリアの傍らに漂う聖遺物には、魔力の輝きが灯っていた。
地面が抉れ、土砂が飛び散る。
腕を掲げることで土砂を避けながら、マグノリアはしっかりと黒鯨の動きをその視界に捉えていた。
見れば、黒鯨の進行方向にいたアンジェリカとオルパはタックルを受け宙を舞っているではないか。
その落下地点では、黒鯨が大口を開けて2人を待ち受けていた。
「おっと……これはまずいね」
腕を降ろし、聖遺物を操作する。
解き放たれた魔力の大渦が黒鯨を飲み込んだ。
「ぐ……重いが……どうにかいけそうだね」
魔力の渦に包みこまれた黒鯨の巨体が僅かに地面から浮いた。
マグノリアが腕を振るうと、それに合わせて黒鯨の巨体も揺らぐ。
次第に揺らぎは大きくなって、魔力渦の中で黒鯨の巨体は激しく振り回されていた。
「あ、っぶないなぁもう。これだけの巨体、しかも元は水棲生物ともなれば、陸上での動きはそれほど素早くないハズと思っていたのに、なかなかどうして瞬発力はあるみたいだな」
淡い燐光に包まれながら、オルパは地面に着地した。
黒鯨のタックルに巻き込まれて、アンジェリカと共に宙へと跳ね飛ばされたのだ。
咄嗟にガードはしたものの、完全には防げずそれなりのダメージは貰ってしまったようである。オルパの額からは、だくだくと血が零れていた。
セアラの回復スキルのおかげで、既に血は止まっているようだ。顔にこびりついた血を服の袖で乱暴に拭い、オルパはダガーを構え直す。
ガードの際にもダガーを使用したのだが、その刃には歯こぼれの一つも見られない。
どうやらよほどに頑丈な業物であるようだ。
オルパがダガーを構え直すのと同時に、魔力の大渦が消え黒鯨の巨体が地面に落ちた。
地震のように地面が揺らぐ。
だが、オルパは揺れる足元など意に介さずにいつものように高速で黒鯨との距離を詰めた。スキルで強化されたバランス感覚は、足元の状態がどうであろうと彼に不都合を与えはしない。
オルパの放った素早く、そして鋭い斬撃が黒鯨の鼻先に無数の傷を刻むのだった。
「俺のダガーは妖精郷製だ。真の能力はその刃に込められた力にこそある」
オルパのダガーは、パラライズの状態異常が付与された特別製だ。
麻痺状態が付与された黒鯨へ、アンジェリカが迫る。
オルパが手数で押す戦闘スタイルを主とするなら、アンジェリカは一撃の重さに特化した重戦士だ。大剣を黒鯨の右目へと突き刺し、そこへ十字架による打撃を叩き込む。
咆哮をあげ、黒鯨が仰け反った。
「……頑丈ですね」
麻痺状態の間に叩きこまれる2人の猛攻。
黒鯨は未だ健在。
むしろ怒りのボルテージはさらに1段も2段も上昇していると言える。
麻痺状態が解除され、黒鯨は大きく口を開く。
咄嗟にオルパとアンジェリカは離脱を図るが、間に合わない。
バクン、と。
アンジェリカの身体が黒鯨の口内へと消えた。
「今は救助が優先ですね……っ!」
後衛のセアラは、黒鯨へ向け手の平を翳す。
黒鯨の周囲に魔力が集い、極寒の冷気と化してその身を覆った。
「緊急事態というやつだね」
同じく黒鯨へ手を翳したマグノリアがそう呟く。
黒く濁った魔力が収束し、汚泥を固めたかのような不吉な色の球を形成。黒鯨の喉元で爆ぜた球は、黒鯨の身に降りかかり、その全身を毒で侵した。
動きが鈍ればこちらのもの、と言わんばかりに後退していたオルパは地面を蹴って宙へ跳ぶ。
コートを翻しながら黒鯨の頭部に着地し、その額へと2本のダガーを突き刺した。
背に浮いていた誰かの死相が、苦しそうに顔を歪めた。
その光景に怖気を感じながらも、オルパは攻勢へと移る。
一撃、二撃……さらに刺突の数は増していく。
身を捩じらせ、暴れ狂う黒鯨。取り付いたオルパを振り落とすつもりなのだろうが、ハイバランサーを活性化させた今の彼には、動作の鈍った黒鯨の頭上で姿勢を保つ程度のことは朝飯前といったところか。
にぃ、とオルパの口角が吊りあがる。
今のうちに、黒鯨へと与えられるだけのダメージを叩きつける心算である。
魔力の大渦が黒鯨を振り回す。
黒鯨の身体が、海へと叩きつけられた。
盛大な水飛沫。豪雨のような勢いで降り注ぐ大量の海水の中に、吐き出されたアンジェリカの姿があった。
ぐったりとその身体からは力が抜けてしまっているが、どうやら意識はまだ残っているようだ。
それならば、とセアラは即座に回復を図るが……遠い。
戦闘を行ううちに、黒鯨が後退してスキルの射程の外へ逃れていたようだ。
「俺が回収してくるよ」
落下してくるアンジェリカの足元へ、オルパが駆け込む。
両腕を広げ、アンジェリカを受け止めた。
「……華奢だな。その身体でよくアレを振り回せるものだ」
ズゴン、と重たい音とともにアンジェリカの十字架が波止場の地面に突き刺さる。
静寂。
水飛沫も収まり、水面も凪いだ。
マグノリアやアンジェリカの放った光球が、海上を明るく照らし出す。
黒鯨の姿は見えない。魚影さえも……だが、近くに潜んでいることだけは理解できる。
気配……或いは、黒鯨以外の魚影さえも見えないことから、マグノリアの目はそのことを正確に見極めていた。
嵐の前の静けさだ……と、小さく溜め息を零した、その瞬間。
水飛沫と共に、黒鯨が海から飛び出した。
黒い砲弾と呼ぶに相応しい、圧倒的な質量を活かした突進である。
現在、アンジェリカは治療のために後方へ下がっているため前衛はオルパただ一人。黒鯨の姿を視認すると同時に、オルパは地面を転がりタックルの進路から回避を図る。
ガリガリと地面を削り、黒鯨は急停止。
そして……。
『ぐぉぉぉぉおぉ……』
振り抜いた前脚で、抉り取った地面の一部をアンジェリカ目がけて撃ち出した。
「セアラは回復を! 瓦礫は僕に任せてくれ!」
アンジェリカの前に跳び出したのはマグノリアであった。両腕を大きく広げ、瓦礫の弾丸を受け止める。その身を淡い燐光が包んだ。自身に[アンチトキシス]をかけて、回復力を高めているのだ。
小さな体が、瓦礫に打たれて大きく仰け反る。
乱れた桃色の髪に血の雫が飛び散った。
意識を繋ぎとめるために噛み締めた唇からは、血の雫が滴っている。
マグノリアの顔は、自身の血で真っ赤に濡れていた。
淡い燐光がアンジェリカの身体を包みこむ。
アンジェリカの傷を、その身に蓄積したダメージを回復させる癒しのスキル。
次いで、その身を蝕んでいた状態異常を取り除く。
身体の調子を確かめるようにアンジェリカが立ち上がり、肩や肘を動かしていた。
本当ならば、今すぐにでも前衛へ復帰したいのだ。
けれど、しっかりと回復しないままでは足手まといになってしまう。そのことを理解しているからこそ、こうしてコンディションの確認に時間を割いているのである。
「いけそうかい?」
額を押さえてマグノリアが問うた。
自身のスキルによって既に傷は癒えているようだが、流れた血までは元に戻らない。
流れた血で、髪が頬に張り付いていた。
「えぇ、問題なく。後は私たちにお任せを」
前衛へと戻るアンジェリカを援護するため、マグノリアとセアラは再び術の行使へ移る。
アンジェリカの武器である十字架は、黒鯨の背後……波止場の地面に突き刺さったままだ。まずは彼女がそれを回収するまでの時間稼ぎに注力すべきという判断であった。
「オルパさんの回復を……いえ、まずは状態異常の回復を優先すべきでしょうか?」
無駄なく、そして最善の選択を……。
セアラの脳裏を無数の選択肢がよぎる。
短時間とはいえ1人で前線を支えていたオルパのダメージは深刻だ。持ち前の機敏さでもって致命傷こそ避けてはいるものの、じわじわとダメージは蓄積していく。
手数と速度こそオルパの圧勝ではあるが、一撃の重さとなると黒鯨に軍配があがる。オルパの攻撃では、黒鯨の硬い皮膚を相手取るには火力不足であるようだ。
それでも、ダメージが無いわけではないのだが……。
「アンジェリカ殿、脚は俺がやる。脚さえ破壊すれば黒鯨は陸上で立ち往生するしかなくなる筈だ!」
オルパの身体を光が包む。
セアラの回復を受けながら、オルパはアンジェリカへとそう告げた。
しばらく前から、彼は黒鯨の脚……正確にはその付け根付近を集中して攻撃しているようだった。
「承知いたしました」
「頼むよ。……ところで、剣はどこへやった?」
「ちょうど良いところに突き刺さっていますよ」
オルパの問いに対して、アンジェリカは笑みを浮かべてそう答えた。
●
黒鯨の脚が凍りつく。
動きの鈍ったその隙に、その身を魔力の大渦が飲み込んだ。
「砕くよ。これ以上、仲間を喰われるのは御免だからね」
「はい。……ところで、黒鯨を浄化したら、陸で元の鯨に戻ってしまうのですよね?」
「……食べられてしまった人達の敵討ちだ。後のことは漁師たちに任せるさ」
悪魔化が解けても人喰い鯨は人喰い鯨のままなのだ。それを、そのまま海へと帰すわけにはいかない。
魔力の渦に振り回された黒鯨の巨体が地面に叩きつけられた。
氷に覆われていた左右の脚に、ビシリと細かい罅が入る。
「これなら……いける」
駆ける勢いを乗せて、オルパはダガーでまずは右脚を斬りつけた。
次いで、左脚……。
オルパの斬撃から一拍遅れて、黒鯨の両脚が音をたてて砕け散る。
咆哮する黒鯨の正面へ、アンジェリカが駆け込んだ。
大きく開いたその口内へ、彼女はその痩身を躍らせる。
そして……。
「申し訳ありませんが、しっかり息の根を止めさせていただきます!」
口内、上顎に刺さった大剣目がけて、十字架によるフルスイングを叩き込む。
『ぉおおおおおお……』
黒鯨の額を突き破り、アンジェリカの大剣が飛び出した。
脳を貫かれた黒鯨は、そうしてついに息絶えた。
後衛のセアラは、鯨の背に浮く犠牲者たちの表情が、その時ふっと和らいだのを確認し、安堵に胸を撫で下ろす。
安らかに……と。
誰にも聞こえない小さな声で、犠牲者たちの冥福を祈った。
東の空に日が昇る。
抉れた地面のその中心に、体長20メートル近い巨大な鯨が横たわっていた。
その背には既に人の顔など浮いていない。
切断された前脚も、すでにヒレへと戻っている。
息絶えた巨大な人喰い鯨のなれの果て。
生きるために喰らい、生きるために倒された。
ただそれだけの、自然に生きる生命の法。
「鎮魂ぐらいはしてあげようか」
マグノリアのその一言に、アンジェリカは無言のままに深く頷きを返すのだった。