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血の泥濘に潜む両断者

●
豪勇の侍大将・板倉勝右衛門は、主君・武村重秀の命を受けて出撃し、身体半分になって帰還した。
重秀の娘・夏美姫の、強靭な細腕に運ばれてだ。
「父上……いや、殿」
青ざめ、脇息にすがりつく父の面前に、夏美は勝右衛門の身体をそっと横たえた。
滑らかな断面から、腐敗しかけた臓物がとろりと畳の上に流れ出した。
重秀が、悲鳴を上げた。
「ひいっ、な、ななな夏美よ! 父に対し、いかなる無体」
「お許しを。戦場ゆえ、左半分を回収する余裕もなく……板倉殿、右半分のみ御帰還にございまする」
愛馬・寿丸を駆って戦場に駆け入りながら、夏美は目の当たりにした。
武村家の軍勢を率いる猛将・板倉勝右衛門が、甲冑もろとも頭から両断される、その有り様を。
「何とぞ……殿。板倉殿に、御ねぎらいを」
「だっ、誰ぞ、誰ぞある! この痴れ者を捕えよ、屍を処分せよ!」
「……殿。板倉殿は、不必要なる戦で、かような惨い討ち死にを遂げられたのですぞ」
夏美は言った。
「最後の戦の相手が、民……守るべき民に、刃を向ける戦。無念でありましたろうな」
「……あれらは逆賊ぞ……守るべき民などではない……」
「守るべき民にござる」
青ざめるだけの父の醜態を、夏美は見据えた。
「板倉殿のみにあらず……父上! 数多くの兵が、民との殺し合いに駆り出され! 民を殺し! 民に殺された! 貴方が始めた愚かな戦で! これをいかにお考えであるか」
「あれらは民ではない! 民を惑わす邪宗門ぞ!」
異国の神「あくあ様」を信仰する者たちが、磐成山に籠もって1つの勢力を成している。
武村家の悪政によって困窮した民が、農作を放棄し、続々とそこへ流れ込んでいる。
この地を治める大名としては、確かに手を打たねばならぬ事態ではあった。
磐成山の邪宗門を、皆殺しにする。
重秀がそれを言い出した時、夏美は当然ながら反対した。言葉でだ。
行動を示すべきであった。この父に抜き身を突きつけてでも、止めるべきであったのだ。
それが出来なかった自分にも責任はある、と夏美は思う。
「……あの者たちを邪宗門と呼ぶならば、民を邪教へと追い込んでいるのは我ら武村家に他なりませぬ」
夏美は言った。
「大名家たる我らが政道を改めぬ限り、たとえ磐成山を殺し尽くしたところで……民は、違う場所でいくらでも『あくあ様』を祀り続けるでありましょう」
「だ、黙れ! 領民どもを甘やかせと申すか!」
重秀は青ざめ、震え、怯え、それをごまかすかのように喚いている。
「この地にはな、逆賊・八木原に心寄せる者どもがまだいくらでもおるのだぞ! そやつらを従わせるために、我ら武村家が威を示さずに何とするか! 我が父・豊秀はな、八木原を懐かしむばかりで武村に心服せぬ民どもを大いに甘やかした! 領民が大名を侮り、思い上がって治世を乱す、その根因を作り上げたのだ。おかげで後継者たる余がどれほど苦難を強いられておるものか、小娘ごときに何がわかる!」
「……父上。威を示すとは、領民を虐げる事ではありませぬぞ」
夏美は、怒鳴り返しはしなかった。
「かつて千国の時代、領民を虐げる事なく、この地を立派に治めておられたのが八木原家。我ら武村家が見習い学ぶべき方々にござる。断じて、逆賊の類ではございませぬ」
宇羅に滅ぼされた八木原家の業績を調べれば調べるほど、夏美としては思わざるを得ない。
かつてこの地の領主であった八木原玄道は、完璧な人格者ではなかったにせよ、今の領主である武村重秀とは比べ物にならぬほど英邁な君主であったと。
「……民が何故、八木原殿を懐かしみ武村に心寄せてはくれぬのか。お考えなさいませ、父上」
もはや喚く事も出来ず震えるだけの父を見据え、夏美は言った。
「領民は今、自らが育て実らせた米を口に出来ぬほど貧窮しておりまする。我らが年貢として取り立ててしまうからでござる。父上! 我らは大名家として、それに見合うだけの一体何事を為しておりましょうか?」
●
父であり領主である武村重秀の面前で、夏美がそんな事を言い募ったのが昨日である。
聞き入れてくれた、とは思えなかった。徒労感に近いものが、夏美にはある。
「もはや、言葉は無意味……か」
腰の大小に、夏美は軽く片手を触れた。
(……斬る……しか、ないのであろうか。父を……)
見渡してみる。
村が1つ、失われていた。
残っているのは焼け落ちた民家の残骸のみ。村人らの屍は、すでに埋葬されている。
老若男女の差別なく、皆殺しであった。
赤ん坊に至るまで殺し尽くされた村の惨状を、夏美が遠乗りの最中に発見したのが、一月ほど前である。
何者の仕業であるのかは不明だ。マガツキか、人か。人ならば野盗・山賊の類か。
何者であれ、討ち果たす。討滅する。大名家の一員として、自分がやらねばならぬ事だ。
「……それが出来ぬうちは私とて、あの愚かな父と同じだ」
斬る資格などない、と思い定めた夏美の傍で、いつの間にか仁太が跪いていた。
「姫様、生き残りがいました」
忍びの少年である。確か15になるはずで、幼い頃から武村家に仕えている。
「この殺戮から……無事、逃げ延びた者がいたのか」
「近くの村に逃げ込んだ人が数名おりまして。養生中のところ、僕が話を聞いてきました。まあ詳しい話が出来るほど回復はしてないんですけどね。その人たちも」
心の回復がまだだ、という事であろう。
「……殺魔訛りの言葉を聞いた、との事です」
「殺魔……」
アマノホカリ最南の地である。
「はい。皆殺しを行なった者たちの中に、殺魔人がいると」
夏美は思い出した。
磐成山には民だけでなく、大勢の浪人が身を寄せている。宇羅幕府の統治下で、出世栄達の道から外れた侍たち。
山を守り、武村の軍勢と戦ったのも、彼らである。
武村の侍大将・板倉勝右衛門を討ち取ったのは、浪人たちの中でも特に凶猛な、1人の若者であった。
勝右衛門の巨体を鎧兜もろとも真っ二つに叩き斬りながら、その若い浪人は、殺魔訛りの絶叫を張り上げていた。
●
磐成山、山麓。
先日、ここで戦が行われた。
磐成山に籠って異国神「あくあ様」を信仰し、そのために邪宗門と呼ばれるようになった集団。
邪宗門を討伐せんとする大名・武村家の軍勢。
激突の結果、邪宗門が大名の軍勢を撃退した。武村家の侍たち兵士たちの多くが、山麓に屍を晒す事となったのだ。
それら屍を、邪宗門の人々は埋葬した。
戦場そして埋葬地となった山麓の原野には、墓標として1体の石像が置かれた。
精巧極まる「あくあ様」の像。悲しげな慈愛の表情が、埋葬された全ての死者に向けられている。
その安らかなる眠りが1つ、破られようとしていた。
地面の1部が盛り上がり、砕け散る。
腐敗しかけた屍が1つ、地中から這い出して来て立ち上がる。
巨体であった。が、左半分しかない。大柄な侍の、真っ二つに両断された屍である。
断面から、大量の臓物が溢れ出して蠢き、膨れ上がり、失われた右腕右脚の形を成してゆく。
左半分は死せる侍、右半分は蠢く臓物。そんな怪物が、ゆらりと歩き出す。腐りかけた左手に、血まみれの大刀を握ってだ。
板倉勝右衛門は、アマノホカリ人には珍しい、左利きの侍であった。
人間を手当たり次第に両断し、己の右半身を探す。
そのために歩き出した還リビトの背中を、あくあ様の石像が悲しげに見送っていた。
豪勇の侍大将・板倉勝右衛門は、主君・武村重秀の命を受けて出撃し、身体半分になって帰還した。
重秀の娘・夏美姫の、強靭な細腕に運ばれてだ。
「父上……いや、殿」
青ざめ、脇息にすがりつく父の面前に、夏美は勝右衛門の身体をそっと横たえた。
滑らかな断面から、腐敗しかけた臓物がとろりと畳の上に流れ出した。
重秀が、悲鳴を上げた。
「ひいっ、な、ななな夏美よ! 父に対し、いかなる無体」
「お許しを。戦場ゆえ、左半分を回収する余裕もなく……板倉殿、右半分のみ御帰還にございまする」
愛馬・寿丸を駆って戦場に駆け入りながら、夏美は目の当たりにした。
武村家の軍勢を率いる猛将・板倉勝右衛門が、甲冑もろとも頭から両断される、その有り様を。
「何とぞ……殿。板倉殿に、御ねぎらいを」
「だっ、誰ぞ、誰ぞある! この痴れ者を捕えよ、屍を処分せよ!」
「……殿。板倉殿は、不必要なる戦で、かような惨い討ち死にを遂げられたのですぞ」
夏美は言った。
「最後の戦の相手が、民……守るべき民に、刃を向ける戦。無念でありましたろうな」
「……あれらは逆賊ぞ……守るべき民などではない……」
「守るべき民にござる」
青ざめるだけの父の醜態を、夏美は見据えた。
「板倉殿のみにあらず……父上! 数多くの兵が、民との殺し合いに駆り出され! 民を殺し! 民に殺された! 貴方が始めた愚かな戦で! これをいかにお考えであるか」
「あれらは民ではない! 民を惑わす邪宗門ぞ!」
異国の神「あくあ様」を信仰する者たちが、磐成山に籠もって1つの勢力を成している。
武村家の悪政によって困窮した民が、農作を放棄し、続々とそこへ流れ込んでいる。
この地を治める大名としては、確かに手を打たねばならぬ事態ではあった。
磐成山の邪宗門を、皆殺しにする。
重秀がそれを言い出した時、夏美は当然ながら反対した。言葉でだ。
行動を示すべきであった。この父に抜き身を突きつけてでも、止めるべきであったのだ。
それが出来なかった自分にも責任はある、と夏美は思う。
「……あの者たちを邪宗門と呼ぶならば、民を邪教へと追い込んでいるのは我ら武村家に他なりませぬ」
夏美は言った。
「大名家たる我らが政道を改めぬ限り、たとえ磐成山を殺し尽くしたところで……民は、違う場所でいくらでも『あくあ様』を祀り続けるでありましょう」
「だ、黙れ! 領民どもを甘やかせと申すか!」
重秀は青ざめ、震え、怯え、それをごまかすかのように喚いている。
「この地にはな、逆賊・八木原に心寄せる者どもがまだいくらでもおるのだぞ! そやつらを従わせるために、我ら武村家が威を示さずに何とするか! 我が父・豊秀はな、八木原を懐かしむばかりで武村に心服せぬ民どもを大いに甘やかした! 領民が大名を侮り、思い上がって治世を乱す、その根因を作り上げたのだ。おかげで後継者たる余がどれほど苦難を強いられておるものか、小娘ごときに何がわかる!」
「……父上。威を示すとは、領民を虐げる事ではありませぬぞ」
夏美は、怒鳴り返しはしなかった。
「かつて千国の時代、領民を虐げる事なく、この地を立派に治めておられたのが八木原家。我ら武村家が見習い学ぶべき方々にござる。断じて、逆賊の類ではございませぬ」
宇羅に滅ぼされた八木原家の業績を調べれば調べるほど、夏美としては思わざるを得ない。
かつてこの地の領主であった八木原玄道は、完璧な人格者ではなかったにせよ、今の領主である武村重秀とは比べ物にならぬほど英邁な君主であったと。
「……民が何故、八木原殿を懐かしみ武村に心寄せてはくれぬのか。お考えなさいませ、父上」
もはや喚く事も出来ず震えるだけの父を見据え、夏美は言った。
「領民は今、自らが育て実らせた米を口に出来ぬほど貧窮しておりまする。我らが年貢として取り立ててしまうからでござる。父上! 我らは大名家として、それに見合うだけの一体何事を為しておりましょうか?」
●
父であり領主である武村重秀の面前で、夏美がそんな事を言い募ったのが昨日である。
聞き入れてくれた、とは思えなかった。徒労感に近いものが、夏美にはある。
「もはや、言葉は無意味……か」
腰の大小に、夏美は軽く片手を触れた。
(……斬る……しか、ないのであろうか。父を……)
見渡してみる。
村が1つ、失われていた。
残っているのは焼け落ちた民家の残骸のみ。村人らの屍は、すでに埋葬されている。
老若男女の差別なく、皆殺しであった。
赤ん坊に至るまで殺し尽くされた村の惨状を、夏美が遠乗りの最中に発見したのが、一月ほど前である。
何者の仕業であるのかは不明だ。マガツキか、人か。人ならば野盗・山賊の類か。
何者であれ、討ち果たす。討滅する。大名家の一員として、自分がやらねばならぬ事だ。
「……それが出来ぬうちは私とて、あの愚かな父と同じだ」
斬る資格などない、と思い定めた夏美の傍で、いつの間にか仁太が跪いていた。
「姫様、生き残りがいました」
忍びの少年である。確か15になるはずで、幼い頃から武村家に仕えている。
「この殺戮から……無事、逃げ延びた者がいたのか」
「近くの村に逃げ込んだ人が数名おりまして。養生中のところ、僕が話を聞いてきました。まあ詳しい話が出来るほど回復はしてないんですけどね。その人たちも」
心の回復がまだだ、という事であろう。
「……殺魔訛りの言葉を聞いた、との事です」
「殺魔……」
アマノホカリ最南の地である。
「はい。皆殺しを行なった者たちの中に、殺魔人がいると」
夏美は思い出した。
磐成山には民だけでなく、大勢の浪人が身を寄せている。宇羅幕府の統治下で、出世栄達の道から外れた侍たち。
山を守り、武村の軍勢と戦ったのも、彼らである。
武村の侍大将・板倉勝右衛門を討ち取ったのは、浪人たちの中でも特に凶猛な、1人の若者であった。
勝右衛門の巨体を鎧兜もろとも真っ二つに叩き斬りながら、その若い浪人は、殺魔訛りの絶叫を張り上げていた。
●
磐成山、山麓。
先日、ここで戦が行われた。
磐成山に籠って異国神「あくあ様」を信仰し、そのために邪宗門と呼ばれるようになった集団。
邪宗門を討伐せんとする大名・武村家の軍勢。
激突の結果、邪宗門が大名の軍勢を撃退した。武村家の侍たち兵士たちの多くが、山麓に屍を晒す事となったのだ。
それら屍を、邪宗門の人々は埋葬した。
戦場そして埋葬地となった山麓の原野には、墓標として1体の石像が置かれた。
精巧極まる「あくあ様」の像。悲しげな慈愛の表情が、埋葬された全ての死者に向けられている。
その安らかなる眠りが1つ、破られようとしていた。
地面の1部が盛り上がり、砕け散る。
腐敗しかけた屍が1つ、地中から這い出して来て立ち上がる。
巨体であった。が、左半分しかない。大柄な侍の、真っ二つに両断された屍である。
断面から、大量の臓物が溢れ出して蠢き、膨れ上がり、失われた右腕右脚の形を成してゆく。
左半分は死せる侍、右半分は蠢く臓物。そんな怪物が、ゆらりと歩き出す。腐りかけた左手に、血まみれの大刀を握ってだ。
板倉勝右衛門は、アマノホカリ人には珍しい、左利きの侍であった。
人間を手当たり次第に両断し、己の右半身を探す。
そのために歩き出した還リビトの背中を、あくあ様の石像が悲しげに見送っていた。
†シナリオ詳細†
■成功条件
1.還リビト(1体)の撃破
お世話になっております。ST小湊拓也です。
アマノホカリのとある山麓で、戦死した侍大将の屍がイブリース化を遂げました。これを討滅して下さい。
場所は山麓の原野、時間帯は昼。
この侍大将は、左手の大刀で斬撃を繰り出してくる(攻近単)他、異形の右半身から瘴気の波動(魔遠単または範、BSショック)を放ちます。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
アマノホカリのとある山麓で、戦死した侍大将の屍がイブリース化を遂げました。これを討滅して下さい。
場所は山麓の原野、時間帯は昼。
この侍大将は、左手の大刀で斬撃を繰り出してくる(攻近単)他、異形の右半身から瘴気の波動(魔遠単または範、BSショック)を放ちます。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬マテリア
6個
2個
2個
2個




参加費
100LP [予約時+50LP]
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
7日
参加人数
6/6
6/6
公開日
2020年11月04日
2020年11月04日
†メイン参加者 6人†
●
斬る。
サムライという人々はそれが全てである、と『戦姫』デボラ・ディートヘルム(CL3000511)は聞いていた。
それ以外の全てを、この板倉勝右衛門という故人は失ってしまったのだろう。
そう思えるほど凄まじい斬撃が、『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)を猛襲していた。デボラが飛び込んで盾になる、暇もないほどの速度である。
危うく、エルシーは自力で回避をした。後方への跳躍。緊迫する美貌の眼前を、斬撃の光が真上から真下へと高速通過する。
回避が一瞬でも遅れていたら、エルシーは左右に両断・等分されていたところである。眼前の故人と同じく。
左半分は、筋骨たくましい腐乱死体。右半分は、蠢く臓物。断面から溢れ出したものが、蠢き震えながら人の半身の形をなしているのだ。
「還リビトに、言葉を発する能力があったとしたら……」
大気中のマナと己の魔力を同調させながら、『みつまめの愛想ない方』マリア・カゲ山(CL3000337)が言った。
「身体をよこせ、半分よこせ……と叫んでいるでしょうね」
「確かに……分かたれた御遺体を、揃えて差し上げたいところ」
セアラ・ラングフォード(CL3000634)が、死せる侍大将に語りかける。
「……ともあれ板倉様。貴方に、民を害するような事はさせませんよ」
「うーん、見事に真っ二つだねえ」
左右非対称な還リビトの姿に感心しているのは、『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)である。
「笛とか吹いたら、苦しむかな」
「……ええと。何です? それは」
デボラの問いに、カノンは答えた。
「そういうお芝居があるんだよ。右と左で別々の心を持つ、不思議なキジンのお話。悪い魔法使いのお爺さんが笛吹くと、苦しむの」
言葉と共に、カノンが踏み込んで行く。
「こないだ舞台やって、カノンも役もらったんだけどねっ」
愛らしい両手の五指が牙となり、板倉勝右衛門の腹部に突き刺さる。
左右の掌から、轟音を立てて気の奔流が迸る。カノンの両手が、咆哮を放つ獣の顎門と化していた。
気を撃ち込まれた還リビトの身体が、激しくへし曲がり、痙攣する。
その痙攣から、しかし勝右衛門は即座に立ち直っていた。左手で握る柄に、蠢く臓物である右手を添える。両手で、大刀を振り下ろす。カノンの頭上にだ。
いや、振り下ろされる寸前。
「させません……私の必殺、正中線三連突き! 喰らってもらいますよっ」
エルシーが、踏み込んでいた。鋭利な拳が右、左、右と、ほぼ同時に勝右衛門を直撃する。還リビトの腐敗した肉体に縦一直線、拳の跡が3つ、超高速で刻印されていた。
腐った血飛沫を散らせながら、死せる侍大将がよろめき、踏みとどまる。
エルシーは、残心を決める。
「先程の斬撃、お見事でした。私も危うく真っ二つになるところでしたよ……いいですよね、綺麗に真っ二つ。豪快です。絶対豪快、ぜつ☆ごう! ですよ。苦しみなく一瞬で死ねそう。理想の死に様だと思います」
「……残る屍は惨いもの、だけどね」
大刀を構え直そうとする還リビトに、『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)が右手の人差し指を向ける。
たおやかな指先が、銃声を発した、ようにデボラは感じた。
「僕はねシスター……君の真っ二つの屍を後片付けなど、したくはないよ。真っ二つにされないよう気をつけたまえ」
「つれないですねえ。後片付け、してくれないんですか? 私のはらわたとか」
エルシーがそんな事を言っている間。マグノリアの放ったものが、還リビトに突き刺さりながら巨大化してゆく。
白銀色の楔が、勝右衛門の身体を貫通していた。
死せる猛将が、痺れ、震え、だが即座にその痺れを振りきって右手をかざす。5方向に分かれて五指を成す、肥大臓物。
それが、瘴気の波動を放射していた。マグノリアへの報復であった。
広範囲に渡って荒れ狂う瘴気はしかし、マグノリアのみならずマリアとセアラをも巻き込むだろう。
荒れ狂う波動の行く手に、デボラは立ち塞がった。マリアとセアラを、背後に庇っていた。
瘴気の波動が、全身にぶつかって来る。デボラは血を吐いた。
見えた。
獣の如く跳躍する、1人の男。跳躍と共に、刃が振り下ろされる。
光が、降って来た。直後、闇が訪れた。
(……これ……は……板倉勝右衛門様、貴方の……死に際……?)
「デボラ様! 無茶をなさらないで!」
セアラの叫びで、デボラは我に返った。
倒れかけたデボラの身体を、セアラの細腕が背後から抱き支えてくれている。
抱擁と共に、温かな力が流れ込んで来るのをデボラは体感した。
セアラによる魔導医療。瘴気の痛手が、デボラの体内からゆっくりと消滅してゆく。
「……まあ、おかげで助かりました。落ち着いて魔力を錬成する事も出来ましたし」
セアラの隣でマリアが杖を掲げ、錬成した魔導力を解放した。
「仕返しは済ませておきます。デボラさんは、もう無茶しないで」
猛吹雪が、生じた。
氷の粒を大量に含んだ冷気の嵐が、勝右衛門を直撃していた。
腐敗した肉体が凍り付き、ひび割れ、どす黒い血飛沫が冷たく固まる。
そんな状態の全身をバキバキと動かし、凍った肉片を飛散させながら、勝右衛門は斬りかかって来る。
デボラは、立ち上がった。
「いくらかは無茶をしなければ……勝てる相手では、ありませんね」
歴戦の侍大将が、還リビトと化したのだ。
「盾としての役割を……私が、果たさなければ」
「それなら私は、剣の役割を果たしましょうか!」
エルシーが、踏み込んで行った。
●
上から下へと、剣を振るう。斬撃の基本である。
この板倉勝右衛門という侍は、死してなお基本を疎かにしない剣士であった。
基本に忠実な斬撃が、自由騎士団に苦戦を強いていた。
エルシーも、カノンも、全身に浅手を負っている。上から下へ振り下ろされるだけ、であるはずの刃を、かわしきれない。
デボラは、血まみれで倒れていた。
幾度か直撃を受けた、ように見えたが両断死には至っていない。彼女でなければ、とうの昔に真っ二つであろう。
よろり、と立ち上がろうとするデボラに、カノンは手を化した。
「デボラさん、大丈夫? ……じゃないのはわかるけど。盾に徹するのも、程々にね」
「……そう……ですね。守りの姿勢だけで、勝てる相手では……ありません、か。どこかで私も……剣に、ならなくては……」
「……守ってもらうばかりで、申し訳ない」
マグノリアが言った。
「気休めにしか、ならないけれど……勝右衛門には、劣化の術式を施しておいた。今の彼は、力が半減している」
「私なんかでも、一撃では殺されないという事です。多分」
マリアが、愛らしい両手で杖を振るう。
「だから、後衛の事はあまり気にせずに戦ってくれて構わないと思いますよっ」
冷気の嵐が、吹きすさんだ。
還リビトの全身が凍り付いた。凍った腐肉が、ぼろぼろと剥離し続ける。
冷気に全身を削られながらも勝右衛門はしかし、細かく剥離したものを猛然と蹴散らし、斬りかかって来る。
前に出ようとするデボラを、カノンは片手で制した。
そして身構える。羅刹破神の構え。
「こっちは6人がかり。正々堂々も何も、ないよね」
語りかけ、踏み込む。凄まじい斬撃が、頭上に降り注いで来るのが感じられる。
「だけどね……真っ正面から来たものは、受けるよ。受けて立つよっ」
脳天に、衝撃。刀身ではなく鍔が、カノンの頭を直撃していた。
鮮血が噴出する。
マグノリアの術式で力が半減していなかったら、こんなものでは済まない。鍔が、頭蓋骨にめり込んでいたところである。
ますますもって正々堂々ではないが、これが実戦だ、と思いながらカノンは地を蹴った。蛙の如く低い姿勢からの、半ば跳躍に等しい突進、体当たり。
大柄な還リビトが、ぐしゃりと歪みながら吹っ飛んだ。
「お見事です、カノン様……!」
デボラが、追撃に出た。機械化を遂げた肢体が、大量の蒸気を噴射する。
「人機一体、戦闘形態変換! 最強の、盾から剣へと。いざ!」
血まみれで死にかけていたデボラの全身が、輝剣をまっすぐに構えながら砲弾と化していた。最後の力を、振り絞っているかのようだ。
吹っ飛んだ勝右衛門が、地面に激突し、即座に立ち上がり、そこへデボラの突撃を喰らって再びへし曲がる。
へし曲がった還リビトに、輝剣による刺突・斬撃が連続で叩き込まれている間。
カノンは、脳天から血飛沫を噴いていた。
血まみれの頭を、セアラが優しく撫でてくれる。
「酷い目に遭いましたね、カノン様」
「……たんこぶがね、出来た瞬間に破裂したよ」
癒しの力が、セアラの優しい繊手から溢れ出してカノンを包む。カノンの身体からも溢れ出し、自由騎士全員を包み込む。
魔導医療を施行しながらセアラは、少し前には戦場であった山麓の原野を見渡した。
「民と侍が、殺し合いを行った場所……する必要のない、してはならない戦で亡くなられた、大勢の方々を」
輝剣に穿たれ、切り苛まれ、それでも原形を失わない還リビトが、大刀の一撃をデボラに叩きつける。
その様を見つめ、セアラは言う。
「……板倉勝右衛門様は、代表しておられる。私、そんなふうに感じてしまいます」
重い一撃を辛うじて輝剣で受けたデボラが、吹っ飛んで来て受け身を取り、立ち上がる。血まみれで死にかけていた身体が、セアラによる治療で力を取り戻している。
「無用の戦で、人々を殺める……そのような方が、この地を治めていらっしゃる?」
「その方の御令嬢は、とても聡明な方なのですけど」
呟くセアラに治療を受けたエルシーが、デボラと交代する格好で踏み込んだ。
勝右衛門の全身に、嵐の如き衝撃が叩き込まれる。
エルシーの拳。銃撃連射の勢いで、還リビトの腐った肉体を穿ってゆく。
穿たれゆく侍大将を、カノンは見やった。
「無駄な戦争でも……主君の命令なら、やらなきゃいけない。それが侍、なのかな」
「お侍に限らず。アマノホカリ人って、そういうところありますよ」
杖を振るい、冷気の嵐を制御しながら、マリアが言った。
「お上の決めた事、周りのしている事には、逆らわない。異を唱えない。空気を乱さず仕事をこなすのが美徳……それで上手くいく場合もあるんでしょうけど。ちょっと個性的な人が上に立っちゃうと、全体がその人に流されて良くない方向へ突っ走る」
「……マリアさんは、この国の事あんまり好きじゃない? もしかして」
「そういうわけでは、ないですが」
カノンの問いに、マリアは少しだけ微笑んだ、のであろうか。
「……こんな事が起こる国でも、私の祖国です。心配には、なりますよ」
●
鐘の音が鳴り響き、真紅の光が飛散する。
カノンの一撃が、還リビトに撃ち込まれたところである。しかし。
「くっ……仕留めきれてないっ」
残心をしながら、カノンは跳び退っていた。その眼前を、大刀の斬撃が激しく通過する。
「そこまでだよ、板倉勝右衛門……アクアディーネが、悲しそうに君を見ている」
語りかけながらマグノリアは、片手を掲げた。たおやかな掌の上で、球形の魔導具が白銀色の光を発し、猛回転をしている。
回転する銀色の光が、放たれた。
聖なる光の塊が、銃弾の速度で還リビトを直撃する。
板倉勝右衛門が、力尽き、崩れ落ちてゆく。
腐敗した異形の肉体が、ぼろぼろと粉末状に崩壊し、土と区別がつかなくなった。
自由騎士6人をことごとく両断するところであった大刀だけが、そこに残った。
セアラが呟く。
「御遺体は……残りませんでしたか」
「……これを、何とかして夏美姫に渡しましょう。取り計らってくれると思います」
エルシーが、恭しく大刀を手に取った。
そのまま、この場の墓標も同然のアクアディーネ像に歩み寄り、跪く。
共に祈りを捧げながら、デボラが言った。
「板倉勝右衛門様……ご存命中に、お会いしたかったと思います」
涙を、流している。
「朽ちかけた半分だけのお顔でも、わかりました……年の頃3、40代、お髭の似合った精悍な方です。ああ、何という運命の無情……」
マリアが冷静な事を言った。
「……きっと奥さんもお子さんもいる人だと思いますよ」
「そ……そう、ですよ……ね……」
そんな会話の隣で、マグノリアも片膝をつき、石像に語りかけた。
「終わったよアクアディーネ。お目汚し、だったかな」
「まだまだ、お目汚しをしなきゃいけませんね」
跪いたまま、エルシーが言った。
「この国では、まだきっと色々あります」
「板倉勝右衛門は……左利き、だったね」
ふと気になった事を、マグノリアは口にした。
「左利きの武士が、侍大将として認められる。それが武村家の懐の広さ、か」
「先代・豊秀様が、懐の広い人だったみたいです。夏美姫の、お祖父さんですね」
「彼女は、素晴らしいものを祖父から受け継いでいるのだね。父ではなく」
この地の領主・武村重秀が、暗愚な人物である事は疑いない。
その娘・夏美姫には、人望がある。結果、暗愚な父との折り合いは悪くなる。その対立に、先日のごとくヴィスマルク軍が関わって来るような事があれば。
「まさしく……色々ある、というわけだ……うん?」
突然、空気が変わったような気がしたので、マグノリアは立ち上がった。
エルシーやデボラはすでに立ち上がっていて、マグノリアやセアラを背後に庇っている。
山の方から、1人、歩み寄って来たところである。がっしりとした、若い侍。
益村吾三郎であった。
「かたじけなか……マガツキば、仕留めてくれもしたか」
「お仕事ですからね。ところで益村さん」
エルシーが、板倉勝右衛門の遺品を掲げる。
「……この刀。どなたのものか、おわかりですか?」
「板倉どん……」
吾三郎が、目を見開く。
「よもや……マガツキは、板倉どんにごわしたか」
「あの人を倒したのは益村さん、って事でいいのかな?」
カノンの問いに、吾三郎は頷いた。
「……仇討ちなら、受けて立ちもす」
「そんな話じゃないよ。ただ……すごい腕前だなーって」
「私……勝右衛門様の御最期しかと見ました」
デボラが言った。
「貴方は真正面から、あの方を……まるで落雷の如く、お斬りになりましたね。怖気を震うほど見事なお腕前だと思います」
「……おはんらも、強かおなごばい」
吾三郎が油断なく、こちら6名を見渡し観察する。
その視線が、マグノリアで止まった。男か女かを判別しかねているのだろう、とマグノリアは思った。
山の方から、また誰かが近づいて来た。子供たちであった。
「ござ兄ちゃーん」
「何してんのさ、こんなとこで」
「こら……おはんら、来てはいけんてゆちょっじゃろうが」
いくらか荒っぽく、吾三郎が子供らの頭を撫でる。
「マガツキが、まだ出っかも知れんばい。苫三さぁの所におりやんせ」
「ござ兄ちゃんも一緒」
子供らが、吾三郎のたくましい身体に飛びついてゆく。
マグノリアは、微笑んで見せた。
「子供に好かれるからと言って、善人とは限らない。子供たちは、魅力的な悪人に懐く事もあるからね。それはともかくマガツキ……イブリースは、出る時はどこにでも出る。安全な場所など、実はないのさ。君が子供たちと一緒にいてあげたまえ」
「マガツキを……」
子供らの中から、いくらか年長の女の子が1人、進み出て来て頭を下げた。
「……退治して下さって、ありがとうございました」
「あなたたちが御無事で、本当に良かったと思います」
セアラが微笑み、その笑顔をすぐに引き締めた。
「益村吾三郎様……私、貴方にお訊きしたい事があります。この近くの村で、痛ましく惨たらしい出来事があったのをご存じですか」
子供たちの顔が、引きつり青ざめた。
その村で生き残った子供たちなのだ、とマグノリアは思った。
「あの村は、オイが皆殺しにいたしもした」
吾三郎が、自分に飛び付く子供らを引き剥がした。
「……オイを、ぶった斬ってくいやんせ」
「あくあ様の御前です。そんな事はしません」
エルシーが、厳しい声を発した。
「ご覧の通り、ここにはアクアディーネ様がいらっしゃいます。つまりここはアクア神殿です。殺生は厳禁、従ってもらいますよ」
「……益村様、私たちは戦争を仕掛けている側の者です。押し付けがましい道徳を説く資格などありません」
吾三郎の目を見据え、セアラは言う。
「真相を……真実を、どうかお聞かせ下さい」
「撫で斬り、根切り、ぶった斬り……オイが、1人でやらかした事にごつ」
「……それが真実ならば、とても悲しい事だと思います。ですが」
「違うよ……」
1人の子供が、声を震わせた。
「ござ兄ちゃんは、おいらたちを助けてくれて……」
吾三郎が無言で、その子を左腕で担ぎ上げた。
「……あたしの……」
年長の女の子が、何かを言おうとしている。
「あたしの……せいで、村が……」
吾三郎が、その子を右腕で担ぎ上げた。
子供2人を荷物の如く担いだまま、吾三郎が山の方へと去って行く。他の子供たちが、それに付き従う。時折おどおどと、こちらを振り返りながらだ。
今はとりあえず見送るしかないまま、マリアが声を投げる。
「……私の父が言っていました。殺魔の、特に男の人は、とにかく喋らないのが美徳だと思っている。言い訳は男のする事じゃないと、黙って何もかも背負い込むのが男だと」
「私とて、口数や言い訳の多い殿方を尊敬する事は出来ませんが」
セアラも言った。
「……一体どなたを、庇っておられるのですか益村様。貴方が全てを被り、背負い込む事で、その方は本当に救われるのですか」
斬る。
サムライという人々はそれが全てである、と『戦姫』デボラ・ディートヘルム(CL3000511)は聞いていた。
それ以外の全てを、この板倉勝右衛門という故人は失ってしまったのだろう。
そう思えるほど凄まじい斬撃が、『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)を猛襲していた。デボラが飛び込んで盾になる、暇もないほどの速度である。
危うく、エルシーは自力で回避をした。後方への跳躍。緊迫する美貌の眼前を、斬撃の光が真上から真下へと高速通過する。
回避が一瞬でも遅れていたら、エルシーは左右に両断・等分されていたところである。眼前の故人と同じく。
左半分は、筋骨たくましい腐乱死体。右半分は、蠢く臓物。断面から溢れ出したものが、蠢き震えながら人の半身の形をなしているのだ。
「還リビトに、言葉を発する能力があったとしたら……」
大気中のマナと己の魔力を同調させながら、『みつまめの愛想ない方』マリア・カゲ山(CL3000337)が言った。
「身体をよこせ、半分よこせ……と叫んでいるでしょうね」
「確かに……分かたれた御遺体を、揃えて差し上げたいところ」
セアラ・ラングフォード(CL3000634)が、死せる侍大将に語りかける。
「……ともあれ板倉様。貴方に、民を害するような事はさせませんよ」
「うーん、見事に真っ二つだねえ」
左右非対称な還リビトの姿に感心しているのは、『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)である。
「笛とか吹いたら、苦しむかな」
「……ええと。何です? それは」
デボラの問いに、カノンは答えた。
「そういうお芝居があるんだよ。右と左で別々の心を持つ、不思議なキジンのお話。悪い魔法使いのお爺さんが笛吹くと、苦しむの」
言葉と共に、カノンが踏み込んで行く。
「こないだ舞台やって、カノンも役もらったんだけどねっ」
愛らしい両手の五指が牙となり、板倉勝右衛門の腹部に突き刺さる。
左右の掌から、轟音を立てて気の奔流が迸る。カノンの両手が、咆哮を放つ獣の顎門と化していた。
気を撃ち込まれた還リビトの身体が、激しくへし曲がり、痙攣する。
その痙攣から、しかし勝右衛門は即座に立ち直っていた。左手で握る柄に、蠢く臓物である右手を添える。両手で、大刀を振り下ろす。カノンの頭上にだ。
いや、振り下ろされる寸前。
「させません……私の必殺、正中線三連突き! 喰らってもらいますよっ」
エルシーが、踏み込んでいた。鋭利な拳が右、左、右と、ほぼ同時に勝右衛門を直撃する。還リビトの腐敗した肉体に縦一直線、拳の跡が3つ、超高速で刻印されていた。
腐った血飛沫を散らせながら、死せる侍大将がよろめき、踏みとどまる。
エルシーは、残心を決める。
「先程の斬撃、お見事でした。私も危うく真っ二つになるところでしたよ……いいですよね、綺麗に真っ二つ。豪快です。絶対豪快、ぜつ☆ごう! ですよ。苦しみなく一瞬で死ねそう。理想の死に様だと思います」
「……残る屍は惨いもの、だけどね」
大刀を構え直そうとする還リビトに、『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)が右手の人差し指を向ける。
たおやかな指先が、銃声を発した、ようにデボラは感じた。
「僕はねシスター……君の真っ二つの屍を後片付けなど、したくはないよ。真っ二つにされないよう気をつけたまえ」
「つれないですねえ。後片付け、してくれないんですか? 私のはらわたとか」
エルシーがそんな事を言っている間。マグノリアの放ったものが、還リビトに突き刺さりながら巨大化してゆく。
白銀色の楔が、勝右衛門の身体を貫通していた。
死せる猛将が、痺れ、震え、だが即座にその痺れを振りきって右手をかざす。5方向に分かれて五指を成す、肥大臓物。
それが、瘴気の波動を放射していた。マグノリアへの報復であった。
広範囲に渡って荒れ狂う瘴気はしかし、マグノリアのみならずマリアとセアラをも巻き込むだろう。
荒れ狂う波動の行く手に、デボラは立ち塞がった。マリアとセアラを、背後に庇っていた。
瘴気の波動が、全身にぶつかって来る。デボラは血を吐いた。
見えた。
獣の如く跳躍する、1人の男。跳躍と共に、刃が振り下ろされる。
光が、降って来た。直後、闇が訪れた。
(……これ……は……板倉勝右衛門様、貴方の……死に際……?)
「デボラ様! 無茶をなさらないで!」
セアラの叫びで、デボラは我に返った。
倒れかけたデボラの身体を、セアラの細腕が背後から抱き支えてくれている。
抱擁と共に、温かな力が流れ込んで来るのをデボラは体感した。
セアラによる魔導医療。瘴気の痛手が、デボラの体内からゆっくりと消滅してゆく。
「……まあ、おかげで助かりました。落ち着いて魔力を錬成する事も出来ましたし」
セアラの隣でマリアが杖を掲げ、錬成した魔導力を解放した。
「仕返しは済ませておきます。デボラさんは、もう無茶しないで」
猛吹雪が、生じた。
氷の粒を大量に含んだ冷気の嵐が、勝右衛門を直撃していた。
腐敗した肉体が凍り付き、ひび割れ、どす黒い血飛沫が冷たく固まる。
そんな状態の全身をバキバキと動かし、凍った肉片を飛散させながら、勝右衛門は斬りかかって来る。
デボラは、立ち上がった。
「いくらかは無茶をしなければ……勝てる相手では、ありませんね」
歴戦の侍大将が、還リビトと化したのだ。
「盾としての役割を……私が、果たさなければ」
「それなら私は、剣の役割を果たしましょうか!」
エルシーが、踏み込んで行った。
●
上から下へと、剣を振るう。斬撃の基本である。
この板倉勝右衛門という侍は、死してなお基本を疎かにしない剣士であった。
基本に忠実な斬撃が、自由騎士団に苦戦を強いていた。
エルシーも、カノンも、全身に浅手を負っている。上から下へ振り下ろされるだけ、であるはずの刃を、かわしきれない。
デボラは、血まみれで倒れていた。
幾度か直撃を受けた、ように見えたが両断死には至っていない。彼女でなければ、とうの昔に真っ二つであろう。
よろり、と立ち上がろうとするデボラに、カノンは手を化した。
「デボラさん、大丈夫? ……じゃないのはわかるけど。盾に徹するのも、程々にね」
「……そう……ですね。守りの姿勢だけで、勝てる相手では……ありません、か。どこかで私も……剣に、ならなくては……」
「……守ってもらうばかりで、申し訳ない」
マグノリアが言った。
「気休めにしか、ならないけれど……勝右衛門には、劣化の術式を施しておいた。今の彼は、力が半減している」
「私なんかでも、一撃では殺されないという事です。多分」
マリアが、愛らしい両手で杖を振るう。
「だから、後衛の事はあまり気にせずに戦ってくれて構わないと思いますよっ」
冷気の嵐が、吹きすさんだ。
還リビトの全身が凍り付いた。凍った腐肉が、ぼろぼろと剥離し続ける。
冷気に全身を削られながらも勝右衛門はしかし、細かく剥離したものを猛然と蹴散らし、斬りかかって来る。
前に出ようとするデボラを、カノンは片手で制した。
そして身構える。羅刹破神の構え。
「こっちは6人がかり。正々堂々も何も、ないよね」
語りかけ、踏み込む。凄まじい斬撃が、頭上に降り注いで来るのが感じられる。
「だけどね……真っ正面から来たものは、受けるよ。受けて立つよっ」
脳天に、衝撃。刀身ではなく鍔が、カノンの頭を直撃していた。
鮮血が噴出する。
マグノリアの術式で力が半減していなかったら、こんなものでは済まない。鍔が、頭蓋骨にめり込んでいたところである。
ますますもって正々堂々ではないが、これが実戦だ、と思いながらカノンは地を蹴った。蛙の如く低い姿勢からの、半ば跳躍に等しい突進、体当たり。
大柄な還リビトが、ぐしゃりと歪みながら吹っ飛んだ。
「お見事です、カノン様……!」
デボラが、追撃に出た。機械化を遂げた肢体が、大量の蒸気を噴射する。
「人機一体、戦闘形態変換! 最強の、盾から剣へと。いざ!」
血まみれで死にかけていたデボラの全身が、輝剣をまっすぐに構えながら砲弾と化していた。最後の力を、振り絞っているかのようだ。
吹っ飛んだ勝右衛門が、地面に激突し、即座に立ち上がり、そこへデボラの突撃を喰らって再びへし曲がる。
へし曲がった還リビトに、輝剣による刺突・斬撃が連続で叩き込まれている間。
カノンは、脳天から血飛沫を噴いていた。
血まみれの頭を、セアラが優しく撫でてくれる。
「酷い目に遭いましたね、カノン様」
「……たんこぶがね、出来た瞬間に破裂したよ」
癒しの力が、セアラの優しい繊手から溢れ出してカノンを包む。カノンの身体からも溢れ出し、自由騎士全員を包み込む。
魔導医療を施行しながらセアラは、少し前には戦場であった山麓の原野を見渡した。
「民と侍が、殺し合いを行った場所……する必要のない、してはならない戦で亡くなられた、大勢の方々を」
輝剣に穿たれ、切り苛まれ、それでも原形を失わない還リビトが、大刀の一撃をデボラに叩きつける。
その様を見つめ、セアラは言う。
「……板倉勝右衛門様は、代表しておられる。私、そんなふうに感じてしまいます」
重い一撃を辛うじて輝剣で受けたデボラが、吹っ飛んで来て受け身を取り、立ち上がる。血まみれで死にかけていた身体が、セアラによる治療で力を取り戻している。
「無用の戦で、人々を殺める……そのような方が、この地を治めていらっしゃる?」
「その方の御令嬢は、とても聡明な方なのですけど」
呟くセアラに治療を受けたエルシーが、デボラと交代する格好で踏み込んだ。
勝右衛門の全身に、嵐の如き衝撃が叩き込まれる。
エルシーの拳。銃撃連射の勢いで、還リビトの腐った肉体を穿ってゆく。
穿たれゆく侍大将を、カノンは見やった。
「無駄な戦争でも……主君の命令なら、やらなきゃいけない。それが侍、なのかな」
「お侍に限らず。アマノホカリ人って、そういうところありますよ」
杖を振るい、冷気の嵐を制御しながら、マリアが言った。
「お上の決めた事、周りのしている事には、逆らわない。異を唱えない。空気を乱さず仕事をこなすのが美徳……それで上手くいく場合もあるんでしょうけど。ちょっと個性的な人が上に立っちゃうと、全体がその人に流されて良くない方向へ突っ走る」
「……マリアさんは、この国の事あんまり好きじゃない? もしかして」
「そういうわけでは、ないですが」
カノンの問いに、マリアは少しだけ微笑んだ、のであろうか。
「……こんな事が起こる国でも、私の祖国です。心配には、なりますよ」
●
鐘の音が鳴り響き、真紅の光が飛散する。
カノンの一撃が、還リビトに撃ち込まれたところである。しかし。
「くっ……仕留めきれてないっ」
残心をしながら、カノンは跳び退っていた。その眼前を、大刀の斬撃が激しく通過する。
「そこまでだよ、板倉勝右衛門……アクアディーネが、悲しそうに君を見ている」
語りかけながらマグノリアは、片手を掲げた。たおやかな掌の上で、球形の魔導具が白銀色の光を発し、猛回転をしている。
回転する銀色の光が、放たれた。
聖なる光の塊が、銃弾の速度で還リビトを直撃する。
板倉勝右衛門が、力尽き、崩れ落ちてゆく。
腐敗した異形の肉体が、ぼろぼろと粉末状に崩壊し、土と区別がつかなくなった。
自由騎士6人をことごとく両断するところであった大刀だけが、そこに残った。
セアラが呟く。
「御遺体は……残りませんでしたか」
「……これを、何とかして夏美姫に渡しましょう。取り計らってくれると思います」
エルシーが、恭しく大刀を手に取った。
そのまま、この場の墓標も同然のアクアディーネ像に歩み寄り、跪く。
共に祈りを捧げながら、デボラが言った。
「板倉勝右衛門様……ご存命中に、お会いしたかったと思います」
涙を、流している。
「朽ちかけた半分だけのお顔でも、わかりました……年の頃3、40代、お髭の似合った精悍な方です。ああ、何という運命の無情……」
マリアが冷静な事を言った。
「……きっと奥さんもお子さんもいる人だと思いますよ」
「そ……そう、ですよ……ね……」
そんな会話の隣で、マグノリアも片膝をつき、石像に語りかけた。
「終わったよアクアディーネ。お目汚し、だったかな」
「まだまだ、お目汚しをしなきゃいけませんね」
跪いたまま、エルシーが言った。
「この国では、まだきっと色々あります」
「板倉勝右衛門は……左利き、だったね」
ふと気になった事を、マグノリアは口にした。
「左利きの武士が、侍大将として認められる。それが武村家の懐の広さ、か」
「先代・豊秀様が、懐の広い人だったみたいです。夏美姫の、お祖父さんですね」
「彼女は、素晴らしいものを祖父から受け継いでいるのだね。父ではなく」
この地の領主・武村重秀が、暗愚な人物である事は疑いない。
その娘・夏美姫には、人望がある。結果、暗愚な父との折り合いは悪くなる。その対立に、先日のごとくヴィスマルク軍が関わって来るような事があれば。
「まさしく……色々ある、というわけだ……うん?」
突然、空気が変わったような気がしたので、マグノリアは立ち上がった。
エルシーやデボラはすでに立ち上がっていて、マグノリアやセアラを背後に庇っている。
山の方から、1人、歩み寄って来たところである。がっしりとした、若い侍。
益村吾三郎であった。
「かたじけなか……マガツキば、仕留めてくれもしたか」
「お仕事ですからね。ところで益村さん」
エルシーが、板倉勝右衛門の遺品を掲げる。
「……この刀。どなたのものか、おわかりですか?」
「板倉どん……」
吾三郎が、目を見開く。
「よもや……マガツキは、板倉どんにごわしたか」
「あの人を倒したのは益村さん、って事でいいのかな?」
カノンの問いに、吾三郎は頷いた。
「……仇討ちなら、受けて立ちもす」
「そんな話じゃないよ。ただ……すごい腕前だなーって」
「私……勝右衛門様の御最期しかと見ました」
デボラが言った。
「貴方は真正面から、あの方を……まるで落雷の如く、お斬りになりましたね。怖気を震うほど見事なお腕前だと思います」
「……おはんらも、強かおなごばい」
吾三郎が油断なく、こちら6名を見渡し観察する。
その視線が、マグノリアで止まった。男か女かを判別しかねているのだろう、とマグノリアは思った。
山の方から、また誰かが近づいて来た。子供たちであった。
「ござ兄ちゃーん」
「何してんのさ、こんなとこで」
「こら……おはんら、来てはいけんてゆちょっじゃろうが」
いくらか荒っぽく、吾三郎が子供らの頭を撫でる。
「マガツキが、まだ出っかも知れんばい。苫三さぁの所におりやんせ」
「ござ兄ちゃんも一緒」
子供らが、吾三郎のたくましい身体に飛びついてゆく。
マグノリアは、微笑んで見せた。
「子供に好かれるからと言って、善人とは限らない。子供たちは、魅力的な悪人に懐く事もあるからね。それはともかくマガツキ……イブリースは、出る時はどこにでも出る。安全な場所など、実はないのさ。君が子供たちと一緒にいてあげたまえ」
「マガツキを……」
子供らの中から、いくらか年長の女の子が1人、進み出て来て頭を下げた。
「……退治して下さって、ありがとうございました」
「あなたたちが御無事で、本当に良かったと思います」
セアラが微笑み、その笑顔をすぐに引き締めた。
「益村吾三郎様……私、貴方にお訊きしたい事があります。この近くの村で、痛ましく惨たらしい出来事があったのをご存じですか」
子供たちの顔が、引きつり青ざめた。
その村で生き残った子供たちなのだ、とマグノリアは思った。
「あの村は、オイが皆殺しにいたしもした」
吾三郎が、自分に飛び付く子供らを引き剥がした。
「……オイを、ぶった斬ってくいやんせ」
「あくあ様の御前です。そんな事はしません」
エルシーが、厳しい声を発した。
「ご覧の通り、ここにはアクアディーネ様がいらっしゃいます。つまりここはアクア神殿です。殺生は厳禁、従ってもらいますよ」
「……益村様、私たちは戦争を仕掛けている側の者です。押し付けがましい道徳を説く資格などありません」
吾三郎の目を見据え、セアラは言う。
「真相を……真実を、どうかお聞かせ下さい」
「撫で斬り、根切り、ぶった斬り……オイが、1人でやらかした事にごつ」
「……それが真実ならば、とても悲しい事だと思います。ですが」
「違うよ……」
1人の子供が、声を震わせた。
「ござ兄ちゃんは、おいらたちを助けてくれて……」
吾三郎が無言で、その子を左腕で担ぎ上げた。
「……あたしの……」
年長の女の子が、何かを言おうとしている。
「あたしの……せいで、村が……」
吾三郎が、その子を右腕で担ぎ上げた。
子供2人を荷物の如く担いだまま、吾三郎が山の方へと去って行く。他の子供たちが、それに付き従う。時折おどおどと、こちらを振り返りながらだ。
今はとりあえず見送るしかないまま、マリアが声を投げる。
「……私の父が言っていました。殺魔の、特に男の人は、とにかく喋らないのが美徳だと思っている。言い訳は男のする事じゃないと、黙って何もかも背負い込むのが男だと」
「私とて、口数や言い訳の多い殿方を尊敬する事は出来ませんが」
セアラも言った。
「……一体どなたを、庇っておられるのですか益村様。貴方が全てを被り、背負い込む事で、その方は本当に救われるのですか」