MagiaSteam




絶望を告げる汽笛

●
右腕は、肘から先が金属の塊である。
この右手で、刃物を防ぐ事が出来る。最高に上手くゆけば、銃弾を跳ね返すのも不可能ではない。
戦闘時は、なかなか役に立つ。
だが正直、日常生活は不便で仕方がない。
歯車騎士団の一員として、実にふさわしい身体ではある。それはメレス・ライアットの、自嘲にも等しい思いであった。
もっとも、右腕だけが生身ではない自分など、まだまだ甘いとも思う。ヘルメリア軍には、全身の8割近くを機械化し、もはや歩く蒸気鎧となりかけた者もいる。
そこまでして忠誠を尽くす価値を、彼らはあの祖国に見出しているというわけだ。
自分メレス・ライアットも、そうであった。あの海戦の、途中までは。
「その右手……錆びたりは、せんのかい」
漁師の老人が、声をかけてくる。
ぼんやりと砂浜に腰下ろしたまま、メレスは答えた。
「俺は海軍所属だからな。塩水・潮風への対策は、真っ先に済ませたよ」
海辺の漁村である。
戦闘中、海に落ちて水死体の如く漂っていたメレスは、この村の漁師たちに拾われて九死に一生を得た。
今は、何をするでもなく海を見つめている。
子供たちが、楽しげに砂浜を走り回っていた。
砂浜、浅瀬……その向こうに広がる海で、ヘルメリア軍はイ・ラプセルに大敗したのだ。
大した敗北ではない、と言う者もいるだろうが、メレスに言わせれば大敗に等しい。
「赤髭のくそったれどもと、つるんでるようじゃ……な」
軍上層部は、極秘にしていたつもりのようである。が、戦場にいればわかるものだ。
ヘルメリア軍は、海賊と結託していた。海賊を雇っていた。海賊に頼っていた。奴隷売買の利権を、守るために。
「なあ爺さん。クソみてえな国だなあ、ヘルメリアってのは……なんて言ってる俺も、そのクソどもから給料もらって、あんたらの国と戦争やってる兵隊の1人なんだけどな」
メレスは、いくらか無理矢理に笑って見せた。
「……何で、俺なんか助けてくれたんだい」
「村の男衆が漁に出た。あんたを見つけた。乗せてやれる船があった」
老漁師は答えた。
「要するに若いの、お前さんは運が良かったって事よ。アクアディーネ様の御加護と思いな」
「……ヘルメスは、もう俺を守っちゃくれないだろうしな」
言いつつ、メレスは立ち上がった。
走り回っていた子供たちが、浅瀬で奇怪なものを発見したところである。
巨大な、鉄屑と木屑の塊。
船の、残骸であった。
比較的、新しい型の蒸気船である。大砲を備えた外輪船。どこかの国の軍艦か、あるいは海賊船か。先の海戦で潰されたヘルメリア艦、という可能性も捨てきれない。
子供たちが、興味深げに見入っている。船と言えば、漁船しか見た事がないのか。
メレスは、歩み寄って行った。
「おいガキども、あんまり近付くなよ」
「あ、土左衛門の兄ちゃん。ほらほら船! これ軍艦じゃねえの?」
「すげーなあ、乗ってみてえ」
「土左衛門じゃねえっての。とにかく、それに近付くんじゃねえ」
水死体が『土左衛門』と呼ばれる理由は不明である。アマノホカリから流れ伝わった言葉、とも言われている。
船の土左衛門、とでも言うべきものが今、浜辺に打ち上げられていた。戦闘艦の残骸。
もはや鳴らぬはずの汽笛が、鳴り響いた。
天空に向かって、蒸気ではなく瘴気を噴射しながら、蒸気船の残骸が外輪を猛回転させる。
海水と砂の混ざり合ったものを大量に飛散させ、ゆっくりと立ち上がりつつある船体。切り株のような、2本の脚が生えていた。
鉄屑と木屑の塊が、メキメキと蠢き歪み、不格好な人型を形成してゆく。
戦闘艦の残骸は、巨人と化していた。
「逃げろ!」
悲鳴を上げる子供たちを、追い払うように避難させながら、メレスは残骸巨人の眼前に立ち塞がった。
「くそっ、思った通り……イブリースかよ!」
金属塊である前腕からシャキン! と細い刀身が伸び現れる。メレスの右手は、細身の長剣と化していた。
かつて蒸気船であった巨大なイブリースが、ずしりと砂浜を陥没させ、歩き出す。
漁村を、踏み潰そうとしている。
「爺さん、村の連中を避難させろ!」
「お、お前さんはどうするんだ」
「この化け物の、足を止めておく……!」
倒す事が出来れば、それが最良ではある。
老人と子供たちが逃げて行くのを、ちらりと確認しながら、メレスは残骸巨人に剣先を向けた。
「さあ、こっちだデカブツ野郎! 俺が相手してやる」
蟻が人間に挑むようなものだ。
思いつつ、メレスは横に跳んだ。村の方向とは逆である。
イブリースの巨体が、メレスの方を向く。
「いいぞ、俺を追って来い。踏み潰してみろ!」
巨人は、しかしメレスを踏み潰しはしなかった。
右手を、動かしただけだ。
太い五指は、全て砲身であった。
5つの砲口が、一斉に火を噴いた。
砂浜の一部が、粉砕された。
大量に噴出する土と砂。それらと一緒くたになって、メレスは吹っ飛んでいた。
オラクルでなかったら、跡形もなくなっているところである。
発射されたのは当然、実弾ではない。瘴気の塊である。人の手でぎこちなく射出する砲弾とは、比べものにならない命中精度であった。
「イブリースが、暴れてやがる……ヘルメリアでも、イ・ラプセルでも……」
空中に血を吐き散らしながら、メレスは浅瀬に墜落していた。
「戦争なんて……やってる場合じゃ、ねえぞ……」
右腕は、肘から先が金属の塊である。
この右手で、刃物を防ぐ事が出来る。最高に上手くゆけば、銃弾を跳ね返すのも不可能ではない。
戦闘時は、なかなか役に立つ。
だが正直、日常生活は不便で仕方がない。
歯車騎士団の一員として、実にふさわしい身体ではある。それはメレス・ライアットの、自嘲にも等しい思いであった。
もっとも、右腕だけが生身ではない自分など、まだまだ甘いとも思う。ヘルメリア軍には、全身の8割近くを機械化し、もはや歩く蒸気鎧となりかけた者もいる。
そこまでして忠誠を尽くす価値を、彼らはあの祖国に見出しているというわけだ。
自分メレス・ライアットも、そうであった。あの海戦の、途中までは。
「その右手……錆びたりは、せんのかい」
漁師の老人が、声をかけてくる。
ぼんやりと砂浜に腰下ろしたまま、メレスは答えた。
「俺は海軍所属だからな。塩水・潮風への対策は、真っ先に済ませたよ」
海辺の漁村である。
戦闘中、海に落ちて水死体の如く漂っていたメレスは、この村の漁師たちに拾われて九死に一生を得た。
今は、何をするでもなく海を見つめている。
子供たちが、楽しげに砂浜を走り回っていた。
砂浜、浅瀬……その向こうに広がる海で、ヘルメリア軍はイ・ラプセルに大敗したのだ。
大した敗北ではない、と言う者もいるだろうが、メレスに言わせれば大敗に等しい。
「赤髭のくそったれどもと、つるんでるようじゃ……な」
軍上層部は、極秘にしていたつもりのようである。が、戦場にいればわかるものだ。
ヘルメリア軍は、海賊と結託していた。海賊を雇っていた。海賊に頼っていた。奴隷売買の利権を、守るために。
「なあ爺さん。クソみてえな国だなあ、ヘルメリアってのは……なんて言ってる俺も、そのクソどもから給料もらって、あんたらの国と戦争やってる兵隊の1人なんだけどな」
メレスは、いくらか無理矢理に笑って見せた。
「……何で、俺なんか助けてくれたんだい」
「村の男衆が漁に出た。あんたを見つけた。乗せてやれる船があった」
老漁師は答えた。
「要するに若いの、お前さんは運が良かったって事よ。アクアディーネ様の御加護と思いな」
「……ヘルメスは、もう俺を守っちゃくれないだろうしな」
言いつつ、メレスは立ち上がった。
走り回っていた子供たちが、浅瀬で奇怪なものを発見したところである。
巨大な、鉄屑と木屑の塊。
船の、残骸であった。
比較的、新しい型の蒸気船である。大砲を備えた外輪船。どこかの国の軍艦か、あるいは海賊船か。先の海戦で潰されたヘルメリア艦、という可能性も捨てきれない。
子供たちが、興味深げに見入っている。船と言えば、漁船しか見た事がないのか。
メレスは、歩み寄って行った。
「おいガキども、あんまり近付くなよ」
「あ、土左衛門の兄ちゃん。ほらほら船! これ軍艦じゃねえの?」
「すげーなあ、乗ってみてえ」
「土左衛門じゃねえっての。とにかく、それに近付くんじゃねえ」
水死体が『土左衛門』と呼ばれる理由は不明である。アマノホカリから流れ伝わった言葉、とも言われている。
船の土左衛門、とでも言うべきものが今、浜辺に打ち上げられていた。戦闘艦の残骸。
もはや鳴らぬはずの汽笛が、鳴り響いた。
天空に向かって、蒸気ではなく瘴気を噴射しながら、蒸気船の残骸が外輪を猛回転させる。
海水と砂の混ざり合ったものを大量に飛散させ、ゆっくりと立ち上がりつつある船体。切り株のような、2本の脚が生えていた。
鉄屑と木屑の塊が、メキメキと蠢き歪み、不格好な人型を形成してゆく。
戦闘艦の残骸は、巨人と化していた。
「逃げろ!」
悲鳴を上げる子供たちを、追い払うように避難させながら、メレスは残骸巨人の眼前に立ち塞がった。
「くそっ、思った通り……イブリースかよ!」
金属塊である前腕からシャキン! と細い刀身が伸び現れる。メレスの右手は、細身の長剣と化していた。
かつて蒸気船であった巨大なイブリースが、ずしりと砂浜を陥没させ、歩き出す。
漁村を、踏み潰そうとしている。
「爺さん、村の連中を避難させろ!」
「お、お前さんはどうするんだ」
「この化け物の、足を止めておく……!」
倒す事が出来れば、それが最良ではある。
老人と子供たちが逃げて行くのを、ちらりと確認しながら、メレスは残骸巨人に剣先を向けた。
「さあ、こっちだデカブツ野郎! 俺が相手してやる」
蟻が人間に挑むようなものだ。
思いつつ、メレスは横に跳んだ。村の方向とは逆である。
イブリースの巨体が、メレスの方を向く。
「いいぞ、俺を追って来い。踏み潰してみろ!」
巨人は、しかしメレスを踏み潰しはしなかった。
右手を、動かしただけだ。
太い五指は、全て砲身であった。
5つの砲口が、一斉に火を噴いた。
砂浜の一部が、粉砕された。
大量に噴出する土と砂。それらと一緒くたになって、メレスは吹っ飛んでいた。
オラクルでなかったら、跡形もなくなっているところである。
発射されたのは当然、実弾ではない。瘴気の塊である。人の手でぎこちなく射出する砲弾とは、比べものにならない命中精度であった。
「イブリースが、暴れてやがる……ヘルメリアでも、イ・ラプセルでも……」
空中に血を吐き散らしながら、メレスは浅瀬に墜落していた。
「戦争なんて……やってる場合じゃ、ねえぞ……」
†シナリオ詳細†
■成功条件
1.イブリースの撃破
お世話になっております。ST小湊拓也です。
イ・ラプセル沿岸部のとある漁村で、蒸気船の残骸がイブリースと化しました。これを討伐して下さい。
今回のイブリース……残骸巨人(1体)の攻撃手段は、巨体を駆使しての白兵戦(攻近範)、瘴気砲撃(魔遠全)。
時間帯は真昼。
ヘルメリア兵士メレス・ライアット(キジン、男、20歳。軽戦士スタイル)が戦ってはいますが、状況開始時点では敗れて死にかけ、倒れております。あと一撃で死亡する状態ですが、回復を施し、指示通り戦わせる事は可能です。(ラピッドジーンLV2、ヒートアクセルLV2、ピアッシングスラッシュLV1を使用)
それでは、よろしくお願い申し上げます。
イ・ラプセル沿岸部のとある漁村で、蒸気船の残骸がイブリースと化しました。これを討伐して下さい。
今回のイブリース……残骸巨人(1体)の攻撃手段は、巨体を駆使しての白兵戦(攻近範)、瘴気砲撃(魔遠全)。
時間帯は真昼。
ヘルメリア兵士メレス・ライアット(キジン、男、20歳。軽戦士スタイル)が戦ってはいますが、状況開始時点では敗れて死にかけ、倒れております。あと一撃で死亡する状態ですが、回復を施し、指示通り戦わせる事は可能です。(ラピッドジーンLV2、ヒートアクセルLV2、ピアッシングスラッシュLV1を使用)
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬マテリア
7個
3個
3個
3個




参加費
100LP [予約時+50LP]
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
7日
参加人数
6/6
6/6
公開日
2020年01月01日
2020年01月01日
†メイン参加者 6人†
●
「ほら砂浜ですよマグノリアさん! 走り込みにちょうど良さそうな、青春の砂浜です。絶対青春。ぜつ☆しゅん! ですよ」
「な、何を言っているのかわからないが落ち着きたまえシスター。ここで君が虐めるべき相手は僕ではなく」
「……イブリース、だねえ」
暢気な会話が聞こえる。
メレス・ライアットは血まみれで倒れたまま、思わずそちらを睨み付けた。
「バカ野郎……来るんじゃねえ、逃げろ……」
「死ぬ気だね、若者。自分の命って案外、簡単に捨てられちゃうからねえ」
ミズヒトの熟年男が、そんな事を言いながらイブリースを見上げ観察する。
「ふーむ……こりゃヘルメリアの船、かな? ここまで歪んじまってると、ちょっとわからんが」
青い瞳が、メレスに向けられる。
「お前さんの右腕は……間違いなく、ヘルメリア製だな」
「イ・ラプセルへようこそ。さっそくだが、まだ戦えるか?」
言いつつ、メレスの負傷した身体に片手を触れているのは、1人の幼い少女である。第三の目を額で見開いた少女。マザリモノ、であろうか。
外見通りの年齢ではないのかも知れない彼女の片手から、目に見えぬ何かが流れ込んで来て、メレスの体内外の傷を無理矢理に治療してゆく。
魔導医学。
この者たちが何者であるのかを、メレスはようやく理解した。
「イ・ラプセルの自由騎士団……か」
治療の激痛が走る身体で、メレスはよろりと立ち上がった。
「戦えるか、と訊かれれば……戦うさ。それしか取り柄がなくてな」
「ならば前衛を任せる」
三ツ目の魔導医学士が、眼前に聳え立つイブリースの巨体を見据える。
「見ての通り、相手はデカブツだ。素早く立ち回るしかない。高速系の技、持っているなら使ってくれ。要はセオリー通り頼む、という事さ」
「自由騎士団が、ヘルメリア兵と共闘……」
前衛を任せる、と言われたのでメレスは、幼い少女に見える魔導医学士を背後に庇った。
「……いいのか?」
「まずは、目の前の危険を排除する事が先決」
言葉と共に、天使のような何者かが、メレスの傍らにふわりと降り立った。翼ある、若い女性。
「それよりも大切な事なんて、ある?」
「ない……かな、今のところは」
「今だけでいい。先の事は、この戦いが終わってから」
マザリモノの少女が、もう1人いた。いや、少年なのか。優美なる繊手で、この場にいるオラクル全員に何かを施している。
「……で、問題なかろうと僕は思うが」
己の生命力が僅かながら活性化してゆくのを、メレスは感じた。
ここまでされては、もはや戦うしかない。
金属塊である右前腕から生えた細身の刀身を、まっすぐ眼前に立てながら、メレスは言った。
「後ろから撃つ、のは構わねえが……やるなら、ひと思いに頼むぜ」
一言も喋らず、メレスと視線を合わせようともしない男が1人いる。大柄な、ケモノビトの銃士。
メレスの後方で、狙いを定めている。無論イブリースに向かってだ。今のところは。
背後から、撃たれる。
敵国の戦闘部隊と共闘する、とは即ち、そういう事なのだ。
●
見損なうな、というのがウェルス・ライヒトゥーム(CL3000033)の本音であろう。『ピースメーカー』アンネリーザ・バーリフェルト(CL3000017)は、そう思う。
たとえ憎むべき相手であろうと、共闘という形が出来上がった以上、背後から撃つ事は決してない。
(それが私たちガンナーの矜持……銃士の、魂の掟よ)
アンネリーザは嫋やかな五指を高速躍動させ、スナイパーライフルへの装填作業をほぼ一瞬で完了させた。
その一瞬の間にも、戦況は動いている。
「こっち! こっちですよ、さあ!」
地響きを立てて歩行する巨大なイブリースを、『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)が挑発している。零元であった。
「来なさい……スクラップに、してあげますっ」
自分を踏み潰さんと迫り来る、不恰好な大木のような足に向かって、エルシーの方から踏み込んで行く。修道服を脱ぎ捨てて露わになった肢体が、そのまま疾風と化した。
「メレスさん、少しの間ですが背中を預けます。よろしく頼みますよ!」
拳、肘打ち、蹴り……嵐のような連打が、イブリースの脚部を超高速で削り取る。
削られた部分に、メレスが半ば刺突のような斬撃を正確に打ち込んでゆく。
両者をまとめて踏み潰すべく、イブリースが片足を上げた。
元々は武装船であった、その巨体が揺らいだ。胸部の辺りで衝撃が爆ぜ、微量の破片が飛散する。
ウェルスの狙撃銃が、立て続けに火を噴いていた。銃火の連撃。イブリースに突き刺さった1発目の銃弾が、2発目の銃撃でさらに深く押し込められたのだ。
ウェルスの狙撃は、冷酷なまでに正確無比だ。彼は今、冷徹である事を己に強いている。感情を、押し殺している。
無駄な事、とわかっていながら、アンネリーザはつい口に出してしまう。
「ウェルスさんは……」
「今は、よそう」
言いつつ『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)が、小さな細身でふわりと舞う。魔導の舞い。
凄まじい破壊力の大渦が、生じていた。
「君の言う通り今は、イブリース討伐が最優先だ」
「……そうね」
魔導の大渦が、イブリースを直撃し、その巨体をよろめかせる。
合わせて、アンネリーザは引き金を引いていた。
銃声とほぼ同時に、イブリースの巨体が硬直する。
ウェルスが穿った胸部の銃痕に、アンネリーザの狙撃が正確に突き刺さっていた。
硬直していたイブリースが、しかし即座に動き出す。背中の外輪が猛回転し、海水と砂を噴射する。
元々は武装蒸気船であった巨人の両手が、轟音と爆炎を放った。
艦砲である左右五指の先端から、凄まじい瘴気が砲撃となって迸ったのだ。
標的は、零元による挑発を行っていたエルシーであったろう。だが瘴気砲撃の大規模な破壊力は、この場にいるオラクル全員を吹っ飛ばしていた。
「私の零元……全然、意味なかったですね……」
弱々しい言葉と共に、エルシーが砂浜に墜落する。
言葉を吐く余裕もなくアンネリーザは、大量の砂を掘削し噴出させながら、地面に埋まっていた。
人間大の標的になどまず当たらない艦砲射撃の精度が、イブリース化の影響で大幅に向上している。空中に飛び上がったアンネリーザにさえ、正確に当ててくる。
(……か……勝てる、の……? 私たち、こんな敵に……)
心の中で弱音を吐きながら、アンネリーザは砂の中から引きずり出されていた。
「……生きてるか?」
ウェルスだった。
熊そのものの剛腕でアンネリーザを発掘救助しつつ、しかし彼も血まみれである。
どうにか、アンネリーザは声を発する事が出来た。
「あ……ありがとう……貴方は、大丈夫……でもなさそう……」
「……こちらの御老体よりは、元気さ」
言いつつウェルスが、ぼろ雑巾のようなものを砂の中から引きずり出した。
マグノリアだった。辛うじて、生きてはいる。
「ああ……人喰い熊のような、恐ろしい怪物が……セフィロトの海から僕を引きずり上げて……食べるのかい?」
「お医者さん方、あんたらの出番だぜ。頼む」
マグノリアの世迷い言を無視して、ウェルスは声を投げる。
魔導医学の使い手2名……『罰はその命を以って』ニコラス・モラル(CL3000453)と『咲かぬ橘』非時香・ツボミ(CL3000086)が、よろよろと肩を貸し合い、立ち上がったところであった。
「……参ったね。どこの船だろうと、イブリースになっちまったら皆……同じ危険物……」
ニコラスが、続いてツボミが、
「……イブリース絡みの厄介事に、国境はないって事だ」
言葉と共に、雨を降らせた。
術者2人分の、ハーベストレイン。癒しの力が豪雨となって、負傷者7名に激しく降り注ぐ。
自分の肉体がメキメキと容赦なく修復されてゆく、その痛みにアンネリーザは耐えるしかなかった。
同じく耐えながら、ツボミが重く微笑む。
「だから、どの国も一致団結してイブリースと戦おう! ……って話に、なかなかならないのは悲しい事だよなあ、メレス・ライアット君」
エルシーに引きずり起こされながら、メレスは振り向かず声だけを返した。
「……俺もな、戦争やってる場合じゃねえとは思うさ」
●
(戦争やってる場合じゃない……か)
メレス・ライアットは、何も知らない、何も聞かされていないのだ、とニコラスは思った。
彼はただ、祖国ヘルメリアの国益のためだけに刃を振るってきたのだ。
今も高速の踏み込みを繰り返し、細身の刃で、イブリースの巨大な脚部をちくちくと削り続けている。涙ぐましい努力ではある。
別に贖罪のために戦っている、わけではないだろうとニコラスは思う。視界内にイブリースが出現し、人々を脅かしている。だからメレスは戦っている。
ヘルメリアの兵士なのだ。イ・ラプセルという他国に対する贖罪の思いなど、無くて当然であろう。
自国の民を富ませるために、他国と戦う。他国の兵を、民を、殺傷する。それが兵士の務めである。
その戦いと殺傷が、自国の民の幸福に繋がっている。自国内の子供たちが飢える事なく生きてゆける、そんな社会の構築に繋がっている。
メレスだけではない。ヘルメリアの兵士たちは皆そう信じ、戦い続けているのだ。
「やりきれないねえ、まったく……」
ニコラスは魔力を集め続けた。自然界に存在する、無形の魔力。それらを癒しの力に還元する作業である。
ハーベストレイン、あるいはメセグリンの準備。
仲間たちの治療、以外に今回の戦い、自分のやるべき事はないとニコラスは思い定めていた。治療に専念する者が必要となるほど、このイブリースは危険な相手だ。
「ああ本当に……やりきれん話さ」
言いつつツボミが、ニコラスと同じく魔道医学術式の準備をしている。
「どいつもこいつも、守るためにしか戦っていない……この村を、あるいは自分の国を、そこに住まう連中を」
エルシーが、旋風となって拳や蹴りを振り回す。ウェルスが、黙々と銃火を迸らせる。
自由騎士団の攻撃が嵐の如く吹き荒れ、イブリースの巨体を少しずつ超高速で削減してゆく。
削られつつ、元武装船の巨人は背部の外輪を猛回転させていた。汽笛が、禍々しく鳴り響いた。
「誰かを守るためなら、戦争も出来るし殺し合いもやれる! 私も含めて、そんなロクデナシばっかりだ!」
ツボミの叫びに合わせるかの如く、巨人の両手が轟音を発した。
瘴気の砲撃。
海岸の一部が砕け散り、大量の砂と土が噴出する。
それらと共に吹っ飛んで宙を舞いながら、ニコラスもツボミも、練りに練り上げたハーベストレインを最大出力で解放していた。
癒しの力の豪雨を浴びつつ、しかしニコラスは砂浜に埋れ、立ち上がる事が出来なかった。
無理矢理、立たされていた。
ツボミが、強引に肩を貸してきたところである。
「だけど皆……自分に出来る、精一杯をやり遂げるロクデナシだ」
エルシーとメレスが、ウェルスが、マグノリアが、魔導治療の雨を受けて弱々しくも立ち上がる。
3つの目で全員を見据え、ツボミは言った。
「今は、それで充分だ。違うか? 違わんなら、もっと景気のいい顔をしようじゃないか。おじさん」
「……この歳だ。不景気な顔は、もう直らんさ」
苦笑しつつ、ニコラスは見上げた。
砲撃を終えたイブリースが、ゆっくりと次の動きに入ろうとしている。
いや、止まった。外輪を背負った巨体が、痙攣・硬直していた。銃声と共にだ。
シルバーバレット。イブリースの動きを封じる、聖弾の一撃が、巨体胸部の弾痕に突き刺さっていた。
「撃ち込む隙……やっと、見出せたわ……」
スナイパーライフルから硝煙を立ちのぼらせたまま、アンネリーザが言った。
「護り救う、アクアディーネ様の聖なる権能……それはイブリースよ、貴方たちを解放するための力でもあるのよ。お願い……どうか安らかに、眠ってちょうだい」
●
「喰らいなさい、緋色の拳!」
エルシーの肢体が、赤く輝く拳を先端とする矢となって、イブリースの胸部を貫通する。
蒸気船の残骸であった巨人の脚部は、度重なる攻撃によって完全に破壊されていた。下半身全体が崩壊し、地上からの攻撃が上半身に届くようになったところである。
巨人の背部の外輪を粉砕しながら、エルシーの身体が空中へと抜けて行く。
大穴の生じた巨人の胸部に、マグノリアが人差し指を向けていた。繊細な片手が、拳銃の形を成す。
「……ばぁん」
マグノリアの声に合わせ、猛毒の炸薬が調合され、爆裂する。イブリース胸部の、大穴の内部でだ。
今や上半身しか残っていない巨人が、爆炎を発しながら崩落し、砂浜に沈んでゆく。
同じようにと言うべきか、半ば砂に埋もれて座り込んだまま、ツボミは息をついた。
「やぁれやれ……だな。こっちも搾りカスだよ、まったくもう」
エルシーが、着地に失敗して倒れ込む。マグノリアも、尻餅をついていた。
「……で、あとは俺の処遇か」
仰向けに倒れていたメレスが、むくりと上体を起こす。
「戦いは終わった。共闘の必要はなくなった……つまり、俺を生かしとく理由もなくなったわけだが」
「今はオラトリオ・オデッセイの時期よ。戦争は一時休戦」
アンネリーザが言った。
「……いえ、それは関係ないわね。たとえ国同士の戦争が続いていたとしても、貴方の命を奪う理由なんてないわ。もちろん、このまま放っておくわけにはいかないけれど」
「お前さんの身柄は、国防騎士団に預ける事になる。まあ殺されやしないだろうが、気構えはしといてくれよ」
言いつつニコラスも、砂浜に座り込んだままだ。
全員が、負傷し、消耗しきっている。
「どれ……じゃあ私のとっておきで、皆を元気にしてあげよう」
ツボミは、すっくと立ち上がった。
大量の何かが、砂を跳ね飛ばして暴れ蠢く。
透明な、触手の群れであった。
「なっ何、新手のイブリース!? きゃあああああっ!」
アンネリーザが、愛らしい悲鳴を上げる。それだけでツボミの疲労と消耗は吹っ飛んだ。
「うふふふふ。これぞ我が魔導医術の最終奥義、連鎖式範囲治療」
アンネリーザに、エルシーに、マグノリアに、半透明の触手たちが優しく執拗に絡み付いてゆく。
これら触手は全て、癒しの魔力の塊だ。生き物の如く蠢きながら、精密な治療を実行する。
「うっふふふふふふ、触診触診。あくまで触診。さあさあさあさあ皆、痛かったら言うんだよ。気持ち良かったら声出してもいいんだよー」
ツボミの言葉に合わせて暴れうねる触手の塊から、ニコラスが、ウェルスが、メレスが、放り出された。
「……はい。貴様らの治療は終わりね」
「ち、治療と言うか修理だねえ。すごく機械的に直してもらったような」
ニコラスが控え目に文句を言ったようだが、ツボミは一笑に付した。
「お前さん方と触手の組み合わせなんて、一体誰が得をする。どこに需要がある」
「じ、需要とは……?」
蠢く触診と治療の中で、マグノリアが呻いた。
「それよりも。ぼ、僕はもう大丈夫だよツボミ。解放してくれないか」
「ちょっと、これ! 服の中に入って来るんだけど!」
「いい機会だよマグノリア、君が男の子なのか女の子なのか確かめさせてもらおう。それとアンネリーザ、着衣の上からではわからない微かな負傷具合を甘くみてはいけないよ。あとはシスター、最前線で戦っていた君には特に精密な触診と治療が必要ぎゃああああああああ!」
エルシーが、手刀で触手を叩き斬った。
「……イブリースの断末魔みたいな声を出さないで下さいドクター。それよりメレスさん、ちょっと嫌な言い方ですけど、私たちは事を穏便に済ませたいです。だから」
「指示に従えってんだろう。いいさ、好きにしてくれ。イブリースに殺される運命が、あんたらに殺される運命に変わったんなら、まあマシな死に様さ」
「殺すつもりなら、もうやってる。そう死ぬ死ぬ言うなって」
ニコラスが、メレスの肩をぽんと叩いた。
メレスが、ちらりとニコラスを見る。
「……あんた、もしかしてヘルメリアの関係者か?」
「お前さんには色々、訊きたい事がある。だから生きててくれよ。一緒に、ヘルメリアのこれからを見届けようじゃないか」
その傍らを、ウェルスの巨体が静かに通り過ぎた。
ツボミは声を投げた。
「この後、皆でメシでも……って気には、なれないかな?」
「味がしねえ」
一言で切り捨てて、ウェルスは歩み去って行く。
その広い背中に、マグノリアが問いかけた。
「……ここで、やりたい事があるのではないかな? 君には、まだ」
ウェルスは答えない。マグノリアは、さらに問う。
「それは……僕たちの賛同が得られない、だけで思いとどまってしまう程度のものかい?」
突然、ウェルスは振り返った。狙撃銃を構えながらだ。
銃口が、メレスに向けられている。ツボミには、そう見えた。
誰かが止める暇もなく、銃声が轟いた。
メレスの後方で、何かが砕け散った。5つの砲身が、崩れ落ちる。
イブリースの左手。
崩壊したはずの巨人が、最後の力を振り絞ろうとしていたところである。
もう2度、3度と、ウェルスは引き金を引いた。何も起こらなかった。
「……弾切れだ」
言い捨ててウェルスは背を向け、もはや立ち止まらなかった。
「ほら砂浜ですよマグノリアさん! 走り込みにちょうど良さそうな、青春の砂浜です。絶対青春。ぜつ☆しゅん! ですよ」
「な、何を言っているのかわからないが落ち着きたまえシスター。ここで君が虐めるべき相手は僕ではなく」
「……イブリース、だねえ」
暢気な会話が聞こえる。
メレス・ライアットは血まみれで倒れたまま、思わずそちらを睨み付けた。
「バカ野郎……来るんじゃねえ、逃げろ……」
「死ぬ気だね、若者。自分の命って案外、簡単に捨てられちゃうからねえ」
ミズヒトの熟年男が、そんな事を言いながらイブリースを見上げ観察する。
「ふーむ……こりゃヘルメリアの船、かな? ここまで歪んじまってると、ちょっとわからんが」
青い瞳が、メレスに向けられる。
「お前さんの右腕は……間違いなく、ヘルメリア製だな」
「イ・ラプセルへようこそ。さっそくだが、まだ戦えるか?」
言いつつ、メレスの負傷した身体に片手を触れているのは、1人の幼い少女である。第三の目を額で見開いた少女。マザリモノ、であろうか。
外見通りの年齢ではないのかも知れない彼女の片手から、目に見えぬ何かが流れ込んで来て、メレスの体内外の傷を無理矢理に治療してゆく。
魔導医学。
この者たちが何者であるのかを、メレスはようやく理解した。
「イ・ラプセルの自由騎士団……か」
治療の激痛が走る身体で、メレスはよろりと立ち上がった。
「戦えるか、と訊かれれば……戦うさ。それしか取り柄がなくてな」
「ならば前衛を任せる」
三ツ目の魔導医学士が、眼前に聳え立つイブリースの巨体を見据える。
「見ての通り、相手はデカブツだ。素早く立ち回るしかない。高速系の技、持っているなら使ってくれ。要はセオリー通り頼む、という事さ」
「自由騎士団が、ヘルメリア兵と共闘……」
前衛を任せる、と言われたのでメレスは、幼い少女に見える魔導医学士を背後に庇った。
「……いいのか?」
「まずは、目の前の危険を排除する事が先決」
言葉と共に、天使のような何者かが、メレスの傍らにふわりと降り立った。翼ある、若い女性。
「それよりも大切な事なんて、ある?」
「ない……かな、今のところは」
「今だけでいい。先の事は、この戦いが終わってから」
マザリモノの少女が、もう1人いた。いや、少年なのか。優美なる繊手で、この場にいるオラクル全員に何かを施している。
「……で、問題なかろうと僕は思うが」
己の生命力が僅かながら活性化してゆくのを、メレスは感じた。
ここまでされては、もはや戦うしかない。
金属塊である右前腕から生えた細身の刀身を、まっすぐ眼前に立てながら、メレスは言った。
「後ろから撃つ、のは構わねえが……やるなら、ひと思いに頼むぜ」
一言も喋らず、メレスと視線を合わせようともしない男が1人いる。大柄な、ケモノビトの銃士。
メレスの後方で、狙いを定めている。無論イブリースに向かってだ。今のところは。
背後から、撃たれる。
敵国の戦闘部隊と共闘する、とは即ち、そういう事なのだ。
●
見損なうな、というのがウェルス・ライヒトゥーム(CL3000033)の本音であろう。『ピースメーカー』アンネリーザ・バーリフェルト(CL3000017)は、そう思う。
たとえ憎むべき相手であろうと、共闘という形が出来上がった以上、背後から撃つ事は決してない。
(それが私たちガンナーの矜持……銃士の、魂の掟よ)
アンネリーザは嫋やかな五指を高速躍動させ、スナイパーライフルへの装填作業をほぼ一瞬で完了させた。
その一瞬の間にも、戦況は動いている。
「こっち! こっちですよ、さあ!」
地響きを立てて歩行する巨大なイブリースを、『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)が挑発している。零元であった。
「来なさい……スクラップに、してあげますっ」
自分を踏み潰さんと迫り来る、不恰好な大木のような足に向かって、エルシーの方から踏み込んで行く。修道服を脱ぎ捨てて露わになった肢体が、そのまま疾風と化した。
「メレスさん、少しの間ですが背中を預けます。よろしく頼みますよ!」
拳、肘打ち、蹴り……嵐のような連打が、イブリースの脚部を超高速で削り取る。
削られた部分に、メレスが半ば刺突のような斬撃を正確に打ち込んでゆく。
両者をまとめて踏み潰すべく、イブリースが片足を上げた。
元々は武装船であった、その巨体が揺らいだ。胸部の辺りで衝撃が爆ぜ、微量の破片が飛散する。
ウェルスの狙撃銃が、立て続けに火を噴いていた。銃火の連撃。イブリースに突き刺さった1発目の銃弾が、2発目の銃撃でさらに深く押し込められたのだ。
ウェルスの狙撃は、冷酷なまでに正確無比だ。彼は今、冷徹である事を己に強いている。感情を、押し殺している。
無駄な事、とわかっていながら、アンネリーザはつい口に出してしまう。
「ウェルスさんは……」
「今は、よそう」
言いつつ『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)が、小さな細身でふわりと舞う。魔導の舞い。
凄まじい破壊力の大渦が、生じていた。
「君の言う通り今は、イブリース討伐が最優先だ」
「……そうね」
魔導の大渦が、イブリースを直撃し、その巨体をよろめかせる。
合わせて、アンネリーザは引き金を引いていた。
銃声とほぼ同時に、イブリースの巨体が硬直する。
ウェルスが穿った胸部の銃痕に、アンネリーザの狙撃が正確に突き刺さっていた。
硬直していたイブリースが、しかし即座に動き出す。背中の外輪が猛回転し、海水と砂を噴射する。
元々は武装蒸気船であった巨人の両手が、轟音と爆炎を放った。
艦砲である左右五指の先端から、凄まじい瘴気が砲撃となって迸ったのだ。
標的は、零元による挑発を行っていたエルシーであったろう。だが瘴気砲撃の大規模な破壊力は、この場にいるオラクル全員を吹っ飛ばしていた。
「私の零元……全然、意味なかったですね……」
弱々しい言葉と共に、エルシーが砂浜に墜落する。
言葉を吐く余裕もなくアンネリーザは、大量の砂を掘削し噴出させながら、地面に埋まっていた。
人間大の標的になどまず当たらない艦砲射撃の精度が、イブリース化の影響で大幅に向上している。空中に飛び上がったアンネリーザにさえ、正確に当ててくる。
(……か……勝てる、の……? 私たち、こんな敵に……)
心の中で弱音を吐きながら、アンネリーザは砂の中から引きずり出されていた。
「……生きてるか?」
ウェルスだった。
熊そのものの剛腕でアンネリーザを発掘救助しつつ、しかし彼も血まみれである。
どうにか、アンネリーザは声を発する事が出来た。
「あ……ありがとう……貴方は、大丈夫……でもなさそう……」
「……こちらの御老体よりは、元気さ」
言いつつウェルスが、ぼろ雑巾のようなものを砂の中から引きずり出した。
マグノリアだった。辛うじて、生きてはいる。
「ああ……人喰い熊のような、恐ろしい怪物が……セフィロトの海から僕を引きずり上げて……食べるのかい?」
「お医者さん方、あんたらの出番だぜ。頼む」
マグノリアの世迷い言を無視して、ウェルスは声を投げる。
魔導医学の使い手2名……『罰はその命を以って』ニコラス・モラル(CL3000453)と『咲かぬ橘』非時香・ツボミ(CL3000086)が、よろよろと肩を貸し合い、立ち上がったところであった。
「……参ったね。どこの船だろうと、イブリースになっちまったら皆……同じ危険物……」
ニコラスが、続いてツボミが、
「……イブリース絡みの厄介事に、国境はないって事だ」
言葉と共に、雨を降らせた。
術者2人分の、ハーベストレイン。癒しの力が豪雨となって、負傷者7名に激しく降り注ぐ。
自分の肉体がメキメキと容赦なく修復されてゆく、その痛みにアンネリーザは耐えるしかなかった。
同じく耐えながら、ツボミが重く微笑む。
「だから、どの国も一致団結してイブリースと戦おう! ……って話に、なかなかならないのは悲しい事だよなあ、メレス・ライアット君」
エルシーに引きずり起こされながら、メレスは振り向かず声だけを返した。
「……俺もな、戦争やってる場合じゃねえとは思うさ」
●
(戦争やってる場合じゃない……か)
メレス・ライアットは、何も知らない、何も聞かされていないのだ、とニコラスは思った。
彼はただ、祖国ヘルメリアの国益のためだけに刃を振るってきたのだ。
今も高速の踏み込みを繰り返し、細身の刃で、イブリースの巨大な脚部をちくちくと削り続けている。涙ぐましい努力ではある。
別に贖罪のために戦っている、わけではないだろうとニコラスは思う。視界内にイブリースが出現し、人々を脅かしている。だからメレスは戦っている。
ヘルメリアの兵士なのだ。イ・ラプセルという他国に対する贖罪の思いなど、無くて当然であろう。
自国の民を富ませるために、他国と戦う。他国の兵を、民を、殺傷する。それが兵士の務めである。
その戦いと殺傷が、自国の民の幸福に繋がっている。自国内の子供たちが飢える事なく生きてゆける、そんな社会の構築に繋がっている。
メレスだけではない。ヘルメリアの兵士たちは皆そう信じ、戦い続けているのだ。
「やりきれないねえ、まったく……」
ニコラスは魔力を集め続けた。自然界に存在する、無形の魔力。それらを癒しの力に還元する作業である。
ハーベストレイン、あるいはメセグリンの準備。
仲間たちの治療、以外に今回の戦い、自分のやるべき事はないとニコラスは思い定めていた。治療に専念する者が必要となるほど、このイブリースは危険な相手だ。
「ああ本当に……やりきれん話さ」
言いつつツボミが、ニコラスと同じく魔道医学術式の準備をしている。
「どいつもこいつも、守るためにしか戦っていない……この村を、あるいは自分の国を、そこに住まう連中を」
エルシーが、旋風となって拳や蹴りを振り回す。ウェルスが、黙々と銃火を迸らせる。
自由騎士団の攻撃が嵐の如く吹き荒れ、イブリースの巨体を少しずつ超高速で削減してゆく。
削られつつ、元武装船の巨人は背部の外輪を猛回転させていた。汽笛が、禍々しく鳴り響いた。
「誰かを守るためなら、戦争も出来るし殺し合いもやれる! 私も含めて、そんなロクデナシばっかりだ!」
ツボミの叫びに合わせるかの如く、巨人の両手が轟音を発した。
瘴気の砲撃。
海岸の一部が砕け散り、大量の砂と土が噴出する。
それらと共に吹っ飛んで宙を舞いながら、ニコラスもツボミも、練りに練り上げたハーベストレインを最大出力で解放していた。
癒しの力の豪雨を浴びつつ、しかしニコラスは砂浜に埋れ、立ち上がる事が出来なかった。
無理矢理、立たされていた。
ツボミが、強引に肩を貸してきたところである。
「だけど皆……自分に出来る、精一杯をやり遂げるロクデナシだ」
エルシーとメレスが、ウェルスが、マグノリアが、魔導治療の雨を受けて弱々しくも立ち上がる。
3つの目で全員を見据え、ツボミは言った。
「今は、それで充分だ。違うか? 違わんなら、もっと景気のいい顔をしようじゃないか。おじさん」
「……この歳だ。不景気な顔は、もう直らんさ」
苦笑しつつ、ニコラスは見上げた。
砲撃を終えたイブリースが、ゆっくりと次の動きに入ろうとしている。
いや、止まった。外輪を背負った巨体が、痙攣・硬直していた。銃声と共にだ。
シルバーバレット。イブリースの動きを封じる、聖弾の一撃が、巨体胸部の弾痕に突き刺さっていた。
「撃ち込む隙……やっと、見出せたわ……」
スナイパーライフルから硝煙を立ちのぼらせたまま、アンネリーザが言った。
「護り救う、アクアディーネ様の聖なる権能……それはイブリースよ、貴方たちを解放するための力でもあるのよ。お願い……どうか安らかに、眠ってちょうだい」
●
「喰らいなさい、緋色の拳!」
エルシーの肢体が、赤く輝く拳を先端とする矢となって、イブリースの胸部を貫通する。
蒸気船の残骸であった巨人の脚部は、度重なる攻撃によって完全に破壊されていた。下半身全体が崩壊し、地上からの攻撃が上半身に届くようになったところである。
巨人の背部の外輪を粉砕しながら、エルシーの身体が空中へと抜けて行く。
大穴の生じた巨人の胸部に、マグノリアが人差し指を向けていた。繊細な片手が、拳銃の形を成す。
「……ばぁん」
マグノリアの声に合わせ、猛毒の炸薬が調合され、爆裂する。イブリース胸部の、大穴の内部でだ。
今や上半身しか残っていない巨人が、爆炎を発しながら崩落し、砂浜に沈んでゆく。
同じようにと言うべきか、半ば砂に埋もれて座り込んだまま、ツボミは息をついた。
「やぁれやれ……だな。こっちも搾りカスだよ、まったくもう」
エルシーが、着地に失敗して倒れ込む。マグノリアも、尻餅をついていた。
「……で、あとは俺の処遇か」
仰向けに倒れていたメレスが、むくりと上体を起こす。
「戦いは終わった。共闘の必要はなくなった……つまり、俺を生かしとく理由もなくなったわけだが」
「今はオラトリオ・オデッセイの時期よ。戦争は一時休戦」
アンネリーザが言った。
「……いえ、それは関係ないわね。たとえ国同士の戦争が続いていたとしても、貴方の命を奪う理由なんてないわ。もちろん、このまま放っておくわけにはいかないけれど」
「お前さんの身柄は、国防騎士団に預ける事になる。まあ殺されやしないだろうが、気構えはしといてくれよ」
言いつつニコラスも、砂浜に座り込んだままだ。
全員が、負傷し、消耗しきっている。
「どれ……じゃあ私のとっておきで、皆を元気にしてあげよう」
ツボミは、すっくと立ち上がった。
大量の何かが、砂を跳ね飛ばして暴れ蠢く。
透明な、触手の群れであった。
「なっ何、新手のイブリース!? きゃあああああっ!」
アンネリーザが、愛らしい悲鳴を上げる。それだけでツボミの疲労と消耗は吹っ飛んだ。
「うふふふふ。これぞ我が魔導医術の最終奥義、連鎖式範囲治療」
アンネリーザに、エルシーに、マグノリアに、半透明の触手たちが優しく執拗に絡み付いてゆく。
これら触手は全て、癒しの魔力の塊だ。生き物の如く蠢きながら、精密な治療を実行する。
「うっふふふふふふ、触診触診。あくまで触診。さあさあさあさあ皆、痛かったら言うんだよ。気持ち良かったら声出してもいいんだよー」
ツボミの言葉に合わせて暴れうねる触手の塊から、ニコラスが、ウェルスが、メレスが、放り出された。
「……はい。貴様らの治療は終わりね」
「ち、治療と言うか修理だねえ。すごく機械的に直してもらったような」
ニコラスが控え目に文句を言ったようだが、ツボミは一笑に付した。
「お前さん方と触手の組み合わせなんて、一体誰が得をする。どこに需要がある」
「じ、需要とは……?」
蠢く触診と治療の中で、マグノリアが呻いた。
「それよりも。ぼ、僕はもう大丈夫だよツボミ。解放してくれないか」
「ちょっと、これ! 服の中に入って来るんだけど!」
「いい機会だよマグノリア、君が男の子なのか女の子なのか確かめさせてもらおう。それとアンネリーザ、着衣の上からではわからない微かな負傷具合を甘くみてはいけないよ。あとはシスター、最前線で戦っていた君には特に精密な触診と治療が必要ぎゃああああああああ!」
エルシーが、手刀で触手を叩き斬った。
「……イブリースの断末魔みたいな声を出さないで下さいドクター。それよりメレスさん、ちょっと嫌な言い方ですけど、私たちは事を穏便に済ませたいです。だから」
「指示に従えってんだろう。いいさ、好きにしてくれ。イブリースに殺される運命が、あんたらに殺される運命に変わったんなら、まあマシな死に様さ」
「殺すつもりなら、もうやってる。そう死ぬ死ぬ言うなって」
ニコラスが、メレスの肩をぽんと叩いた。
メレスが、ちらりとニコラスを見る。
「……あんた、もしかしてヘルメリアの関係者か?」
「お前さんには色々、訊きたい事がある。だから生きててくれよ。一緒に、ヘルメリアのこれからを見届けようじゃないか」
その傍らを、ウェルスの巨体が静かに通り過ぎた。
ツボミは声を投げた。
「この後、皆でメシでも……って気には、なれないかな?」
「味がしねえ」
一言で切り捨てて、ウェルスは歩み去って行く。
その広い背中に、マグノリアが問いかけた。
「……ここで、やりたい事があるのではないかな? 君には、まだ」
ウェルスは答えない。マグノリアは、さらに問う。
「それは……僕たちの賛同が得られない、だけで思いとどまってしまう程度のものかい?」
突然、ウェルスは振り返った。狙撃銃を構えながらだ。
銃口が、メレスに向けられている。ツボミには、そう見えた。
誰かが止める暇もなく、銃声が轟いた。
メレスの後方で、何かが砕け散った。5つの砲身が、崩れ落ちる。
イブリースの左手。
崩壊したはずの巨人が、最後の力を振り絞ろうとしていたところである。
もう2度、3度と、ウェルスは引き金を引いた。何も起こらなかった。
「……弾切れだ」
言い捨ててウェルスは背を向け、もはや立ち止まらなかった。