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【流血の女帝】時を繋ぐ魔鏡

●
グラーク侯爵家がヴィスケーノ侯爵家に縁談を申し入れてきたのは、今のヴィスケーノ家であれば容易く尻に敷ける、と見ての事であろう。
そう見られてしまうのは仕方がない、とマグリア・ヴィスケーノは思う。
亡き夫ベレオヌスの後を継いで、息子アラムがヴィスケーノ家の当主となった。
暴君ベレオヌスによって荒廃を極めたヴィスケーノ侯爵領を、立て直さなければならなかったのだ。
それを考えれば、息子はよくやっている。よくやっている、だけでは許されないのが領主という役職ではあるのだが。
実質的に政務を執り行っているのが母親たる自分であるから「母親がいなければ何も出来ない領主」などとも言われてしまう。
母親であろうと誰であろうと、働ける者は働かねばならない。それがヴィスケーノ侯爵領の現状であるというだけの話である。
それはそれとして。ヴィスケーノ家に仕える兵隊長アルゴレオ・テッドが、土下座をしている。
「全ては、私めの落ち度にて……」
「落ち度は問いません。だから正直に報告なさい、兵長殿」
マグリアは、とりあえず微笑みかけた。
「侯爵閣下は……グラーク領へ、行かれたのですね? 領主たる者の責務を放り出して。そして貴方は見て見ぬ振りを」
グラーク侯爵領で、何かが起こった。イブリース関連の厄災であるという。
そんな、あまり詳しくはない情報は、マグリアの方でも掴んではいる。
領主オズワード・グラーク侯爵が罷免され、息子ネリオが新たな領主となる。
その布告が出た、直後の事であった。
グラーク侯爵領で、何かが起こった。
現在オズワードも、その次子エリオット・グラークも、生死が不明であるという。
アラムの縁談相手である、令嬢シェルミーネ・グラークもだ。
「……アラム侯爵閣下は……男です……大バカ野郎です……」
アルゴレオが顔を上げた。泣いていた。
「てめえの嫁さんも守れねえで、何が領主様だと……もちろん行ったって何にも出来ねえですよ! あったり前ですよ! でも……行っちまいました……俺は、一緒に行ってやれませんでした……」
「当たり前です。貴方まで行ってしまったら、誰がこの地の領民を守るのですか」
その領民が、アルゴレオの後ろで平伏している。
ヴィスケーノ侯爵領の、村長組合の人々だった。
「マグリア様……どうか、アラム様をお許し下さいませ」
「あの方は、頼りないですが立派な御領主様でございます。私どものために、色々と良くして下さいました」
「ただ1度……この度だけは、お気の済むまで私事に走らせて差し上げたいのです」
マグリアは、認めざるを得なかった。
最初は英邁なる君主であった夫ベレオヌス・ヴィスケーノが、ついに獲得する事の出来なかったものを、息子アラムは持っている、と。
●
妻アルテミラは、自分が知る女たちの中でも間違いなく最高の美女であった、とオズワード・グラークは今でも思う。性格に問題があった、わけでもない。
ただ、一緒にいると気疲れを覚える。そんな妻でもあった。
時には、だから他の女性に癒しを求める事もあった。
上手くやれた、という自信はあった。うっかり子供など出来ぬよう、細心の注意を払ったものだ。
娘シェルミーネは今でも、父は母以外の女性と一切、関係を持たなかった、と信じているようである。
子供を騙す事は出来ても、しかしアルテミラを騙す事は出来なかった。上手くやれてなどいなかったのだ。
妻から直接、責め立てられた事はない。夫の不義に関して、アルテミラは一言も口にする事はなかった。
元々、美容に関して神経質であったアルテミラが、さらに病的に美を求めるようになっただけである。夫が他の女性に走ったのは、自分の容色が衰えたからだ、などと考えてしまったようであった。
高価な化粧品などを買い求めるようになったアルテミラを、オズワードは放置した。好きにさせた。妻が自由に使える金を、税収から捻出したりもした。そうする事で、妻に対し贖罪をした気持ちになれた。
気付いた時には、アルテミラの心は病んでいた。
胎児を擂り潰したものを身体に塗ると、肌が若返る。そんな話を、信じるようになってしまったのだ。
領内から、子を孕む女性を捕らえて集めるように。アルテミラは兵士たちに、そう命じた。
兵士たちが、それをオズワードに密告した。
怒る。領主として、するべき事は他になかった。
オズワードは、アルテミラを強く叱責した。
その翌日、アルテミラは毒を呷った。
「私が……悪いのだな、どう考えても……」
オズワードの声など、もはや届きはしない。
グラーク侯爵家の由緒ある城館、大広間。
オズワードは、豪奢な領主の椅子に身を沈めていた。昨日から一睡もせず、座ったまま向かい合っていた。
眼前で、婉然と微笑む妻と。
最も美しかった頃の、アルテミラ・グラーク。
鏡の中からアルテミラ様が現れた、などと侍女の1人が青ざめて報告したのが昨日である。
鏡というのは、宝石の散りばめられた、あの鏡台であろう。まだ許嫁同士であった頃に、オズワードが贈った宝石。
あの地下遺跡から30年ほど前、グラーク侯爵家が押収した宝物類の一部である。
婚約者への贈り物を盗掘品で済ませようとした、自分にまず問題がある。オズワードは、今更ながらそう思う。
あの遺跡に関して、一通りの調べはついている。
旧古代神時代の王国の陵墓であり、被葬者は王と王妃。その王妃というのが、アルテミラと同じくと言うべきか、美への執着が強い女性であったらしい。
所業が、遺跡内に壁画として記されていた。
その王妃は、美を求めて赤ん坊を擂り潰し、美少年や美少女の生き血を搾り取ったという。それらを身体に浴び、肌に塗りたくり、若返りの夢に浸っていたという。
夫である国王が、若く美しい側室を後宮に入れた。それが、凶行のきっかけであったという。
国王はそれを悔やんで王妃を殺し、自らも命を絶った。
宝石を通じて、古の王国と現在のグラーク家が繋がってしまった。そう思うしかなかった。
アルテミラは、微笑んでいる。
侍女や使用人、兵士。そういった者たちは全て逃がした。執事のレイモン・アントールが、上手くまとめてくれるだろう。
自分オズワードがここにいる限り、他の者に害が及ぶ事はない。アルテミラが憎んでいるのは、この愚かな夫ただ1人だ。
今のところ殺されずにいるのは、夫に対する一片の情の、残滓のようなものが辛うじて残っているから、であろうか。
ただ、殺されてしまった者はいる。
ぎくしゃくと歩み寄って来る、1体の屍。死後硬直に逆らって動く手足が、青ざめ歪んだ顔面が、オズワードに迫る。
「エリオット……」
呼びかけても、応えてはくれない。
誰よりも母アルテミラに甘えていたのが、この次男であった。歪んだまま固まった顔面は、幸せそうに笑っているようでもある。
「……すまなかった……エリオット……アルテミラ……」
オズワードは椅子から立ち上がり、跪いた。
「愚かな父を、夫を……許してくれ、とは言えぬが……どうか私の命ひとつで、とどまって欲しい……」
母の命令を受けたかのようにエリオットが、鉄の如く硬直した手を伸ばしてくる。
避けず、オズワードは呟いた。
「シェルミーネよ、男勝りは程々にせよ……そしてネリオ、貴様の事は最後まで好きになれなかったが、もはや託すしかない……良き領主になれよ」
グラーク侯爵家がヴィスケーノ侯爵家に縁談を申し入れてきたのは、今のヴィスケーノ家であれば容易く尻に敷ける、と見ての事であろう。
そう見られてしまうのは仕方がない、とマグリア・ヴィスケーノは思う。
亡き夫ベレオヌスの後を継いで、息子アラムがヴィスケーノ家の当主となった。
暴君ベレオヌスによって荒廃を極めたヴィスケーノ侯爵領を、立て直さなければならなかったのだ。
それを考えれば、息子はよくやっている。よくやっている、だけでは許されないのが領主という役職ではあるのだが。
実質的に政務を執り行っているのが母親たる自分であるから「母親がいなければ何も出来ない領主」などとも言われてしまう。
母親であろうと誰であろうと、働ける者は働かねばならない。それがヴィスケーノ侯爵領の現状であるというだけの話である。
それはそれとして。ヴィスケーノ家に仕える兵隊長アルゴレオ・テッドが、土下座をしている。
「全ては、私めの落ち度にて……」
「落ち度は問いません。だから正直に報告なさい、兵長殿」
マグリアは、とりあえず微笑みかけた。
「侯爵閣下は……グラーク領へ、行かれたのですね? 領主たる者の責務を放り出して。そして貴方は見て見ぬ振りを」
グラーク侯爵領で、何かが起こった。イブリース関連の厄災であるという。
そんな、あまり詳しくはない情報は、マグリアの方でも掴んではいる。
領主オズワード・グラーク侯爵が罷免され、息子ネリオが新たな領主となる。
その布告が出た、直後の事であった。
グラーク侯爵領で、何かが起こった。
現在オズワードも、その次子エリオット・グラークも、生死が不明であるという。
アラムの縁談相手である、令嬢シェルミーネ・グラークもだ。
「……アラム侯爵閣下は……男です……大バカ野郎です……」
アルゴレオが顔を上げた。泣いていた。
「てめえの嫁さんも守れねえで、何が領主様だと……もちろん行ったって何にも出来ねえですよ! あったり前ですよ! でも……行っちまいました……俺は、一緒に行ってやれませんでした……」
「当たり前です。貴方まで行ってしまったら、誰がこの地の領民を守るのですか」
その領民が、アルゴレオの後ろで平伏している。
ヴィスケーノ侯爵領の、村長組合の人々だった。
「マグリア様……どうか、アラム様をお許し下さいませ」
「あの方は、頼りないですが立派な御領主様でございます。私どものために、色々と良くして下さいました」
「ただ1度……この度だけは、お気の済むまで私事に走らせて差し上げたいのです」
マグリアは、認めざるを得なかった。
最初は英邁なる君主であった夫ベレオヌス・ヴィスケーノが、ついに獲得する事の出来なかったものを、息子アラムは持っている、と。
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妻アルテミラは、自分が知る女たちの中でも間違いなく最高の美女であった、とオズワード・グラークは今でも思う。性格に問題があった、わけでもない。
ただ、一緒にいると気疲れを覚える。そんな妻でもあった。
時には、だから他の女性に癒しを求める事もあった。
上手くやれた、という自信はあった。うっかり子供など出来ぬよう、細心の注意を払ったものだ。
娘シェルミーネは今でも、父は母以外の女性と一切、関係を持たなかった、と信じているようである。
子供を騙す事は出来ても、しかしアルテミラを騙す事は出来なかった。上手くやれてなどいなかったのだ。
妻から直接、責め立てられた事はない。夫の不義に関して、アルテミラは一言も口にする事はなかった。
元々、美容に関して神経質であったアルテミラが、さらに病的に美を求めるようになっただけである。夫が他の女性に走ったのは、自分の容色が衰えたからだ、などと考えてしまったようであった。
高価な化粧品などを買い求めるようになったアルテミラを、オズワードは放置した。好きにさせた。妻が自由に使える金を、税収から捻出したりもした。そうする事で、妻に対し贖罪をした気持ちになれた。
気付いた時には、アルテミラの心は病んでいた。
胎児を擂り潰したものを身体に塗ると、肌が若返る。そんな話を、信じるようになってしまったのだ。
領内から、子を孕む女性を捕らえて集めるように。アルテミラは兵士たちに、そう命じた。
兵士たちが、それをオズワードに密告した。
怒る。領主として、するべき事は他になかった。
オズワードは、アルテミラを強く叱責した。
その翌日、アルテミラは毒を呷った。
「私が……悪いのだな、どう考えても……」
オズワードの声など、もはや届きはしない。
グラーク侯爵家の由緒ある城館、大広間。
オズワードは、豪奢な領主の椅子に身を沈めていた。昨日から一睡もせず、座ったまま向かい合っていた。
眼前で、婉然と微笑む妻と。
最も美しかった頃の、アルテミラ・グラーク。
鏡の中からアルテミラ様が現れた、などと侍女の1人が青ざめて報告したのが昨日である。
鏡というのは、宝石の散りばめられた、あの鏡台であろう。まだ許嫁同士であった頃に、オズワードが贈った宝石。
あの地下遺跡から30年ほど前、グラーク侯爵家が押収した宝物類の一部である。
婚約者への贈り物を盗掘品で済ませようとした、自分にまず問題がある。オズワードは、今更ながらそう思う。
あの遺跡に関して、一通りの調べはついている。
旧古代神時代の王国の陵墓であり、被葬者は王と王妃。その王妃というのが、アルテミラと同じくと言うべきか、美への執着が強い女性であったらしい。
所業が、遺跡内に壁画として記されていた。
その王妃は、美を求めて赤ん坊を擂り潰し、美少年や美少女の生き血を搾り取ったという。それらを身体に浴び、肌に塗りたくり、若返りの夢に浸っていたという。
夫である国王が、若く美しい側室を後宮に入れた。それが、凶行のきっかけであったという。
国王はそれを悔やんで王妃を殺し、自らも命を絶った。
宝石を通じて、古の王国と現在のグラーク家が繋がってしまった。そう思うしかなかった。
アルテミラは、微笑んでいる。
侍女や使用人、兵士。そういった者たちは全て逃がした。執事のレイモン・アントールが、上手くまとめてくれるだろう。
自分オズワードがここにいる限り、他の者に害が及ぶ事はない。アルテミラが憎んでいるのは、この愚かな夫ただ1人だ。
今のところ殺されずにいるのは、夫に対する一片の情の、残滓のようなものが辛うじて残っているから、であろうか。
ただ、殺されてしまった者はいる。
ぎくしゃくと歩み寄って来る、1体の屍。死後硬直に逆らって動く手足が、青ざめ歪んだ顔面が、オズワードに迫る。
「エリオット……」
呼びかけても、応えてはくれない。
誰よりも母アルテミラに甘えていたのが、この次男であった。歪んだまま固まった顔面は、幸せそうに笑っているようでもある。
「……すまなかった……エリオット……アルテミラ……」
オズワードは椅子から立ち上がり、跪いた。
「愚かな父を、夫を……許してくれ、とは言えぬが……どうか私の命ひとつで、とどまって欲しい……」
母の命令を受けたかのようにエリオットが、鉄の如く硬直した手を伸ばしてくる。
避けず、オズワードは呟いた。
「シェルミーネよ、男勝りは程々にせよ……そしてネリオ、貴様の事は最後まで好きになれなかったが、もはや託すしかない……良き領主になれよ」
†シナリオ詳細†
■成功条件
1.還リビト(2体)の撃破
お世話になっております。ST小湊拓也です。
シリーズシナリオ『流血の女帝』全5話中の第2話であります。
イ・ラプセル地方貴族グラーク家の城館に、還リビトが2体、出現しました。霊体の女性と、青年のゾンビです。
これらを討滅して下さい。
●アルテミラ・グラーク(後衛)
鏡から出現した残留想念がイブリース化したもの。とてつもない美女の姿をしており、様々な形に瘴気を放って攻撃します(魔遠、単BSカース3または範BSシール1または全BSポイズン2)。
●エリオット・グラーク(前衛)
青年のゾンビです。攻撃手段は白兵戦(攻近単)のみですが、アルテミラを常に味方ガードします。
現場には城館の主オズワード・グラーク侯爵(ノウブル、男、50歳)がいて、還リビトに殺されそうになっております。助ける場合は、まず彼と還リビトの間に割り込んでいただく事になります。
時間帯は昼。場所は城館内の大広間。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
シリーズシナリオ『流血の女帝』全5話中の第2話であります。
イ・ラプセル地方貴族グラーク家の城館に、還リビトが2体、出現しました。霊体の女性と、青年のゾンビです。
これらを討滅して下さい。
●アルテミラ・グラーク(後衛)
鏡から出現した残留想念がイブリース化したもの。とてつもない美女の姿をしており、様々な形に瘴気を放って攻撃します(魔遠、単BSカース3または範BSシール1または全BSポイズン2)。
●エリオット・グラーク(前衛)
青年のゾンビです。攻撃手段は白兵戦(攻近単)のみですが、アルテミラを常に味方ガードします。
現場には城館の主オズワード・グラーク侯爵(ノウブル、男、50歳)がいて、還リビトに殺されそうになっております。助ける場合は、まず彼と還リビトの間に割り込んでいただく事になります。
時間帯は昼。場所は城館内の大広間。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬マテリア
6個
2個
2個
2個




参加費
100LP [予約時+50LP]
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
7日
参加人数
7/8
7/8
公開日
2020年10月28日
2020年10月28日
†メイン参加者 7人†

●
「ふおおおおおおお」
倒すべきイブリースの姿を目の当たりにした『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)が、感極まっている。
「こんな美人、見た事ない! 手足すらーっとしてて、出るとこ出てて引っ込むとこ引っ込んでて! 顔ちっちゃくて細くて綺麗! なれるの? カノンはどうやったらこの人みたいになれるの!?」
「落ち着いて、カノンさん」
油断なく前衛で身構えながら『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)が言った。
まずは2人で、イブリースと要救助者の間に押し入ったところである。
「そのままだってカノンさんは魅力的ですよ、あの人に負けないくらい。自信持って」
「あのねエルシーちゃん。カノンは今、12歳なんだよね」
カノンは涙ぐんでいた。
「けど何か、5歳とか6歳の子供の役が回って来る事多いのよ。もちろん、それだって大事な役だけど!」
「……何だ、お前たちは……勝手に入って来て、騒ぎおって……」
要救助者オズワード・グラークが、弱々しい声を出した。
「私は……静かに、死を迎えたいのだ……」
「そうはゆかぬ」
厳かに告げながら『智の実践者』テオドール・ベルヴァルド(CL3000375)が、オズワードを背後に庇う。
「ここは小説の中ではなく現実だ。思い通りの最期など望めぬもの、と思っていただこう」
「オズワード・グラーク……君は、死んではいけない」
言葉と共に『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)が、テオドールと並ぶ。そうしながら、敵を見据える。
2体の還リビト。貴族の正装をした美女と、生前はそれなりに容姿端麗であったと思われる青年の屍。
死後硬直に逆らってギチギチと動く青年を、マグノリアはじっと見つめた。
「エリオット……」
謝罪の言葉を、飲み込んだようである。
そんなマグノリアの肩をポンと叩いて、『ラスボス(HP50)』ウェルス ライヒトゥーム(CL3000033)が前衛に出た。
「カノン嬢の言う通り……あんたは途方もなく美しいよ、アルテミラ・グラーク侯爵夫人」
熊の顔面にズームスコープを装着しながら、ウェルスは大型拳銃を構えた。
そして引き金を引く。
「……それは、この世にあっちゃいけない美しさだ」
アルテミラ・グラーク侯爵夫人に向けられた銃口が、火を噴いた。
銃撃は、しかしユラリと動いた青年の屍を直撃していた。死せる肉体が、弾痕を刻み込まれながらも侯爵夫人を背後に庇っている。
死せる青年に、セアラ・ラングフォード(CL3000634)は言葉をかけていた。
「……お母様を守りたいのですね、エリオット様」
「どうして……それを! メレーナさんに、してあげられなかったんですかっ!」
エルシーが吼え、踏み込んだ。鋭利な左右の拳が、強靭極まる美脚が、エリオット・グラークの死せる肉体を容赦なく打ち据える。
オズワードが、悲鳴に近い声を発した。
「エリオット……!」
「……下がっていろ。後で聞きたい事がある」
オズワードを押しのけるようにして、『装攻機兵』アデル・ハビッツ(CL3000496)が踏み込んだ。
重く、速い突進。半機械化を遂げた身体が、蒸気機関車の如くエリオットに激突する。
衝撃が、エリオットを貫通し、アルテミラを直撃した。霊気と瘴気で構成された美しい姿が、揺らいだ。
おぞましい絶叫が、邸内に響き渡る。
エリオットが、青ざめ硬直した頰を引きちぎって牙を剥き、叫んでいた。
エルシーとアデル、両名の攻撃をまともに受けた全身あちこちが、折れた骨に突き破られている。
そんな有り様を晒しながらもエリオットは、アルテミラの前で倒れず踏みとどまり、母の盾であり続けていた。
「涙ぐましい事だな」
アデルの顔面装甲で、光学装置の冷たい輝きが点る。
「が……盾になるだけでは『お母様』を守る事は出来んぞ」
その言葉に応えてか、エリオットが全身をばきばきと鳴らしながらアデルに殴りかかる。
それを、カノンが妨害した。
「ひとつ、伝えておこうかな。シェルミーネさんが言ってたんだけど」
小さな身体が、床を踏みしめながら激しく捻転する。
カノンの拳が、超高速で弧を描きながらエリオットに突き刺さっていた。言葉と共にだ。
「メレーナさんがね……無事に、赤ちゃんを産んだって」
「……伝えてしまうのだね、カノン」
マグノリアが、たおやかな片手で拳銃を形作った。
その指先から、聖なる純白の砲火が迸る。
へし曲がっていたエリオットの身体が、退魔の銃撃に穿たれて反り返り、硬直した。
カノンが、呟く。
「伝えるともさ……これはね、伝えなきゃいけない事だよ」
メレーナ・カインという女性に関する報告書を、セアラも一読はした。その時は、実にグラーク侯爵家らしい話だ、と冷ややかに思っただけである。
カノンの言う、無事に産まれた赤ん坊の祖母である侯爵夫人が、エリオットの背後で微笑んだ。
孫の誕生を喜んでいる、わけはなかった。
その優美な全身を組成する瘴気が、燃え上がるように迸っていた。
炎の如き瘴気が、この場の自由騎士7名全員を灼き払っていた。
「うっ……くぅ……ッッ!」
歯を食いしばりながらセアラは、癒しの魔導力を錬成し続けた。
外傷はない。が、瘴気の猛毒が体内を容赦なく破壊してゆく。
セアラは、血を吐いた。
同じく血を吐きながらテオドールが、震える片手で杖を掲げている。
「見たであろう、オズワード卿……これはな、奥方の姿をしているだけのイブリースでしかない」
白く冷たく煌めく氷の荊が、アルテミラとエリオットをきらきらと拘束していった。
霊体と屍体。2つの死せる身体をひとまとめに凍てつかせ、切り裂きながら、テオドールはさらに言った。
「貴卿お1人が犠牲となれば、殺戮を止めてくれる……そのような相手では、ないのだぞ」
呪力の束縛の中で、アルテミラは変わらず微笑みながら瘴気を揺らめかせ、エリオットは腐敗した体液を吐き散らし叫んでいる。
己の妻子のそんな様を、オズワードはただ呆然と見つめている。
練り上げた魔導医療の力を、セアラは解放した。
「エリオット様……貴方は、私も含め全ての女性に、お母様の代わりを求めておられました」
解放された光が、自由騎士たちを包み込み、治療をもたらしてゆく。
セアラ自身の体内からも、瘴気の毒が消え失せてゆく。
オズワードの心を、こんなふうに治療術式で癒す事など出来はしない。そんな事を思いながらセアラは、彼の息子に語りかけた。
「応えられるわけが、ないでしょう? 貴方のお母上は、アルテミラ・グラーク様ただお1人なのですから」
●
1つの広大な地方を大過なく統治してきたオズワード・グラークが、無能な君主であるわけがなかった。いくらか露骨に私腹を肥やすような人物であるにしてもだ。
長男ネリオは、調整能力のみを言うなら父オズワードを上回っている。
その妹シェルミーネには、揺るがぬ意志の力と実行力がある。
そんな兄と妹の間で、これといったものを持たぬ次男エリオットが、いかなる思いに苛まれていたのか。
「……女性に……逃げ込むしか、なかったのかも知れないね……」
氷の荊に締め潰され、力尽き、崩れ落ちてゆくエリオットの姿を見つめながら、マグノリアは魔導力を解放し続けた。練り上げた魔導医療の光で、仲間たちを包み込み防護し続けた。
息子の破片を後方から蹴散らすようにして、アルテミラが瘴気を放ち迸らせているのだ。
迸り、渦を巻くものが、マグノリアのもたらす光の上から自由騎士たちを直撃する。
形の無い、悪しきものが、突き刺さって来る。それをマグノリアは体感した。
全身から、血が噴出した。
ずっと施し続けている魔導医療が、追い付かない。身体のあちこちが、癒されながら傷付いてゆく。
膝をつき、血の汚れを床にぶちまけながら、マグノリアは見た。幻視した。
現在のグラーク家と繋がっている、古の王国を。
古の王国で繰り広げられた、惨劇を。
惨劇が今、自由騎士たちの肉体で再現されているのだ。
「やめて……」
たおやかな全身から血飛沫を迸らせながら、セアラが叫んだ。
「やめて……やめて! やめてやめてっ、やめてぇえええええええッッ!」
肉体の負傷に耐えられず叫んでいる、わけではない。
古の王国の惨劇は今、セアラの肉体よりも心を、ズタズタに蹂躙している。
「何故、どうして!? 貴女は何故、このような……こんな非道い事が、どうして出来るのですか……? お願いです、やめて下さい……やめてぇ……」
崩折れかけたセアラの細身を、エルシーが抱き支えた。セアラと同じく、血まみれで震えながらだ。
「……そんな事したって……そんなもの、肌に浴びたって……綺麗なんか、なりはしませんよ……」
「光学装置の、故障……と、いうわけでも……ないようだな……」
全身の装甲から血を滴らせながら、アデルが呻く。
「今、俺が見ているものを……この場の全員が、見せられている……」
「……オズワードさんは、偉いよ……」
カノンが、切り苛まれた身体をよろよろと立ち上がらせる。
「これを……奥さんに、させなかった……これをやろうとした奥さんを、ちゃんと叱って、止めて……本当、立派だと思う」
「愛する奥方を、叱責する……辛かったであろうな……」
テオドールが弱々しく剣を抜く。白き、呪いの剣。
その刃がどこへ向けられているのか、マグノリアは理解した。
古の王国。惨劇の中心。様々なものを全身に浴び、愉悦の笑みを浮かべる女性。
宝石を、身にまとっている。髪飾りや首飾り、腕輪の形でだ。
「許せない……」
言葉を発したのは、セアラである。
「私は、貴女を許さない……その時代、その場に居合わせなかった自分が、許せない……!」
エルシーと支え合い、立ち上がりながら、セアラは力を解放した。血まみれで泣き叫びながらも、魔導力を錬成し続けていたようだ。
癒しの、魔導力であった。
マグノリアの細い全身で、傷が優しく塞がってゆく。他の自由騎士たちにも、キラキラと治療が施されてゆく。
「……待ってくれ。回復の前に……切り札を、切らせてもらう」
アデルが、満身創痍の全身から蒸気を噴射した。推進力全開の、踏み込みであった。
同時にエルシーが、
「そう……せっかくね、死に際の馬鹿力が発動しているんです!」
死にかけた全身に、猛々しい生命力を漲らせながら捻転・回転を加えてゆく。左右の拳が、銃撃の如く繰り出される。
エルシーの拳が、アデルのジョルトランサーが、交差する感じにアルテミラを直撃していた。
爆発が起こり、空薬莢が大量に排出される。霊気と瘴気で組成された美しい姿が、爆撃と拳撃で激しく揺らぐ。
美しい笑顔は変わらない。この侯爵夫人は、もはや微笑み以外の表情を失っているのだ。
その笑顔に、ウェルスが狙いを定めている。血まみれで死にかけていた巨体が、セアラの癒しによって力を取り戻し、雄々しく立って蒸気式榴弾砲を構えている。
「……倒すべき相手が、見えたな」
ウェルスは引き金を引いた。榴弾砲が、轟音と共に砕け散った。
「こちらの侯爵夫人は、そいつと同調して出来上がった……操り人形、みたいなもんだ」
アルテミラが、聖なる銀色の爆炎に包まれた。砲身を破壊し飛び立ったものが、命中したのだ。
浄化の爆発に灼かれ続けるアルテミラに、マグノリアは人差し指を向けた。
この弱々しい手では、ウェルスのように大型火器を豪快にぶっ放す事は出来ない。素手で、拳銃を形作るだけだ。
「アルテミラ……君を一番、愛した者の傍に……どうか、向かって欲しい」
指先から、魔導力の弾丸が放たれた。
それがアルテミラに突き刺さり、巨大化し、白銀色の楔となって、美しい姿を惨たらしく貫通した。
硬直したアルテミラの霊体が、次の瞬間ざっくりと裂けた。血飛沫の代わりに、瘴気の粒子が大量に噴出する。
「……古の王妃よ。アルテミラ・グラーク夫人を、解放してもらうぞ」
セアラの治療を受けたテオドールが、力強く立ったまま、己の首筋に白き剣を当てている。呪力の斬撃であった。
力尽きた、ように見えたエルシーとアデルも、癒しの光をまとうセアラの繊手に触れられ、立ち上がっている。
穿たれ、切り裂かれ、それでも微笑み続けている侯爵夫人に、マグノリアは語りかけた。
「古の王妃……流血の、女帝……まずはアルテミラを、エリオットに返してもらうよ」
●
「カノンもね、女だからね。美しさにこだわる気持ち、すっごくわかるよ。でも!」
語りかけ、叫びながら、カノンが跳んだ。じっと地に伏せて全力で獲物を狙う、蛙のように。
「カノンは見ての通り子供だけど、大人になって! もっともっと綺麗になるよ!」
拳を、突き上げてゆく。
その拳が、アルテミラを粉砕した。鐘の音が鳴り響き、真紅の光が飛散した。
「……美しさってね、変わっていくんだよ」
永遠に変わらぬ美しさを求めた女性が、2人いた。過去と現在に、1人ずつ。
その両者が、魔鏡を通じて繋がった。
「過去と、現在。結末まで同じである必要はあるまい、オズワード卿」
テオドールは、言葉をかけた。
アルテミラが、ついに微笑みを崩す事なく消滅してゆく。霊気と瘴気が、霧散する。
ぼんやりと見つめながら、オズワードは座り込んでいる。
「私に……どうしろと言うのだ、ベルヴァルドの当主よ」
「生きられよ。援助は惜しまぬ……いささか傲慢な物言いになってしまうな」
「……貴公、奥方以外の女性と関係を持った事は?」
「ない。今までも、この先も」
テオドールは断言し、オズワードは俯いた。
「……ならば、私の心はわかるまい」
「わからぬが言わせてもらう。喜びも悲しみも、罪も恥も分かち合ってこその夫婦であるとな」
「ね、オズワードさん」
カノンが声をかける。
「死んで償うとか……する方は、それでいいかもだけど。ネリオさんシェルミーネさんの事、少しは考えて欲しいな。仲悪くても、残された家族なんだから」
「貴方とネリオさんシェルミーネさんなら、今からでも仲良し家族になれると思いますよ。絶対的仲良し家族、ぜつ☆ぞく! ですよ」
「何を、たわけた事を……」
「……すまない、オズワード」
マグノリアが言った。
「接触感応で、君の想いを2人に伝えるつもりだったけど……そんな余裕を与えてくれるほど、甘い相手ではなかった」
「……アルテミラ様の想いならば、貴方にお伝えする事が出来ます。私、交霊術を使えますので」
セアラがしとやかに身を折り、オズワードと目の高さを近付けた。
「奥方の、最後のお言葉です……ごめんなさい、ありがとう、と」
オズワードは、俯いたまま何も言わない。
しばしの静寂を、アデルが破った。
「それにしても……事件の絶えない家だな、グラーク家は。それとも貴族の家というのは大抵こうなのかな? テオドール伯爵」
「ベルヴァルド家の諸問題は私があらかた解決したとも。無論、平和的にな」
「平和的にいかない場合はいつでもお手伝いしますよ……ところで」
エルシーが、広間を見回した。
「……ウェルスさんは、どこへ?」
「戻ったぜ。こいつが例の鏡だ」
いつの間にかどこかへ行っていたウェルスが、担いで来たものを床に下ろした。
豪奢な、鏡台であった。エルシーが見入った。
「ほほう、私のセレクションと実にマッチしそうな逸品……ってちょっと、勝手に持って来ちゃったんですか」
「どのみち俺たちがどうにかしなきゃならん代物だ。売り捌くなら、ルートはあるぜ」
ウェルスが、にやりと牙を見せる。
「呪いの宝石やら、見たら死ぬ絵画やら、その手の物が大好きな顧客と繋がるルートさ」
カノンが、恐る恐る鏡を覗き込む。カノンの顔が映るだけだ。
「……触って、大丈夫なものなの?」
「最初に確認した。触るとヤバい毒だの何だのは付いてない」
説明しつつウェルスが、鏡台にはめ込まれた宝石類に太い指を触れる。
「この宝石どもが、まあヤバいと言えばヤバい。鏡そのものは単なる高級品だ」
「私……見ました」
鏡を飾る宝石類を見つめ、セアラが言った。
「あの方は、確かに……これら宝石を、身に付けておられました。髪飾りや首飾りとして」
テオドールも見た。美しい容姿を宝石で飾り立てながら、さらなる美を求めて血に狂う女性の姿を。
「……どうしますか? この宝石」
エルシーが、拳を握る。
「自由騎士団で預かるか、それとも……私、自然石割りやった事あります。宝石を砕けるかどうかは、やってみないとわかりませんが」
「そいつは……ちょいと待ってくれ、シスター」
ウェルスは、慎重である。
「この鏡はな、通路なんだ。旦那に浮気されて、美しさに異常にこだわるようになった貴族の奥方……そんな超絶的に限定された相手にだけ、ヤバい力をお届けする。そんな通路さ。それをぶっ壊したら」
「やばい力が、溢れ出す。かも知れない」
カノンが、顎に片手を当てた。
「限定された相手、じゃない人たちにも……あの人の呪いが、ふりかかる」
あの人。
この場の自由騎士全員が幻視した、だが古の時代においては幻ではなく確かに実在した、1人の女性。
「つまり」
アデルが言った。
「大元を叩き潰さねばならん、という事だ……あの、血まみれの女を」
「ふおおおおおおお」
倒すべきイブリースの姿を目の当たりにした『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)が、感極まっている。
「こんな美人、見た事ない! 手足すらーっとしてて、出るとこ出てて引っ込むとこ引っ込んでて! 顔ちっちゃくて細くて綺麗! なれるの? カノンはどうやったらこの人みたいになれるの!?」
「落ち着いて、カノンさん」
油断なく前衛で身構えながら『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)が言った。
まずは2人で、イブリースと要救助者の間に押し入ったところである。
「そのままだってカノンさんは魅力的ですよ、あの人に負けないくらい。自信持って」
「あのねエルシーちゃん。カノンは今、12歳なんだよね」
カノンは涙ぐんでいた。
「けど何か、5歳とか6歳の子供の役が回って来る事多いのよ。もちろん、それだって大事な役だけど!」
「……何だ、お前たちは……勝手に入って来て、騒ぎおって……」
要救助者オズワード・グラークが、弱々しい声を出した。
「私は……静かに、死を迎えたいのだ……」
「そうはゆかぬ」
厳かに告げながら『智の実践者』テオドール・ベルヴァルド(CL3000375)が、オズワードを背後に庇う。
「ここは小説の中ではなく現実だ。思い通りの最期など望めぬもの、と思っていただこう」
「オズワード・グラーク……君は、死んではいけない」
言葉と共に『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)が、テオドールと並ぶ。そうしながら、敵を見据える。
2体の還リビト。貴族の正装をした美女と、生前はそれなりに容姿端麗であったと思われる青年の屍。
死後硬直に逆らってギチギチと動く青年を、マグノリアはじっと見つめた。
「エリオット……」
謝罪の言葉を、飲み込んだようである。
そんなマグノリアの肩をポンと叩いて、『ラスボス(HP50)』ウェルス ライヒトゥーム(CL3000033)が前衛に出た。
「カノン嬢の言う通り……あんたは途方もなく美しいよ、アルテミラ・グラーク侯爵夫人」
熊の顔面にズームスコープを装着しながら、ウェルスは大型拳銃を構えた。
そして引き金を引く。
「……それは、この世にあっちゃいけない美しさだ」
アルテミラ・グラーク侯爵夫人に向けられた銃口が、火を噴いた。
銃撃は、しかしユラリと動いた青年の屍を直撃していた。死せる肉体が、弾痕を刻み込まれながらも侯爵夫人を背後に庇っている。
死せる青年に、セアラ・ラングフォード(CL3000634)は言葉をかけていた。
「……お母様を守りたいのですね、エリオット様」
「どうして……それを! メレーナさんに、してあげられなかったんですかっ!」
エルシーが吼え、踏み込んだ。鋭利な左右の拳が、強靭極まる美脚が、エリオット・グラークの死せる肉体を容赦なく打ち据える。
オズワードが、悲鳴に近い声を発した。
「エリオット……!」
「……下がっていろ。後で聞きたい事がある」
オズワードを押しのけるようにして、『装攻機兵』アデル・ハビッツ(CL3000496)が踏み込んだ。
重く、速い突進。半機械化を遂げた身体が、蒸気機関車の如くエリオットに激突する。
衝撃が、エリオットを貫通し、アルテミラを直撃した。霊気と瘴気で構成された美しい姿が、揺らいだ。
おぞましい絶叫が、邸内に響き渡る。
エリオットが、青ざめ硬直した頰を引きちぎって牙を剥き、叫んでいた。
エルシーとアデル、両名の攻撃をまともに受けた全身あちこちが、折れた骨に突き破られている。
そんな有り様を晒しながらもエリオットは、アルテミラの前で倒れず踏みとどまり、母の盾であり続けていた。
「涙ぐましい事だな」
アデルの顔面装甲で、光学装置の冷たい輝きが点る。
「が……盾になるだけでは『お母様』を守る事は出来んぞ」
その言葉に応えてか、エリオットが全身をばきばきと鳴らしながらアデルに殴りかかる。
それを、カノンが妨害した。
「ひとつ、伝えておこうかな。シェルミーネさんが言ってたんだけど」
小さな身体が、床を踏みしめながら激しく捻転する。
カノンの拳が、超高速で弧を描きながらエリオットに突き刺さっていた。言葉と共にだ。
「メレーナさんがね……無事に、赤ちゃんを産んだって」
「……伝えてしまうのだね、カノン」
マグノリアが、たおやかな片手で拳銃を形作った。
その指先から、聖なる純白の砲火が迸る。
へし曲がっていたエリオットの身体が、退魔の銃撃に穿たれて反り返り、硬直した。
カノンが、呟く。
「伝えるともさ……これはね、伝えなきゃいけない事だよ」
メレーナ・カインという女性に関する報告書を、セアラも一読はした。その時は、実にグラーク侯爵家らしい話だ、と冷ややかに思っただけである。
カノンの言う、無事に産まれた赤ん坊の祖母である侯爵夫人が、エリオットの背後で微笑んだ。
孫の誕生を喜んでいる、わけはなかった。
その優美な全身を組成する瘴気が、燃え上がるように迸っていた。
炎の如き瘴気が、この場の自由騎士7名全員を灼き払っていた。
「うっ……くぅ……ッッ!」
歯を食いしばりながらセアラは、癒しの魔導力を錬成し続けた。
外傷はない。が、瘴気の猛毒が体内を容赦なく破壊してゆく。
セアラは、血を吐いた。
同じく血を吐きながらテオドールが、震える片手で杖を掲げている。
「見たであろう、オズワード卿……これはな、奥方の姿をしているだけのイブリースでしかない」
白く冷たく煌めく氷の荊が、アルテミラとエリオットをきらきらと拘束していった。
霊体と屍体。2つの死せる身体をひとまとめに凍てつかせ、切り裂きながら、テオドールはさらに言った。
「貴卿お1人が犠牲となれば、殺戮を止めてくれる……そのような相手では、ないのだぞ」
呪力の束縛の中で、アルテミラは変わらず微笑みながら瘴気を揺らめかせ、エリオットは腐敗した体液を吐き散らし叫んでいる。
己の妻子のそんな様を、オズワードはただ呆然と見つめている。
練り上げた魔導医療の力を、セアラは解放した。
「エリオット様……貴方は、私も含め全ての女性に、お母様の代わりを求めておられました」
解放された光が、自由騎士たちを包み込み、治療をもたらしてゆく。
セアラ自身の体内からも、瘴気の毒が消え失せてゆく。
オズワードの心を、こんなふうに治療術式で癒す事など出来はしない。そんな事を思いながらセアラは、彼の息子に語りかけた。
「応えられるわけが、ないでしょう? 貴方のお母上は、アルテミラ・グラーク様ただお1人なのですから」
●
1つの広大な地方を大過なく統治してきたオズワード・グラークが、無能な君主であるわけがなかった。いくらか露骨に私腹を肥やすような人物であるにしてもだ。
長男ネリオは、調整能力のみを言うなら父オズワードを上回っている。
その妹シェルミーネには、揺るがぬ意志の力と実行力がある。
そんな兄と妹の間で、これといったものを持たぬ次男エリオットが、いかなる思いに苛まれていたのか。
「……女性に……逃げ込むしか、なかったのかも知れないね……」
氷の荊に締め潰され、力尽き、崩れ落ちてゆくエリオットの姿を見つめながら、マグノリアは魔導力を解放し続けた。練り上げた魔導医療の光で、仲間たちを包み込み防護し続けた。
息子の破片を後方から蹴散らすようにして、アルテミラが瘴気を放ち迸らせているのだ。
迸り、渦を巻くものが、マグノリアのもたらす光の上から自由騎士たちを直撃する。
形の無い、悪しきものが、突き刺さって来る。それをマグノリアは体感した。
全身から、血が噴出した。
ずっと施し続けている魔導医療が、追い付かない。身体のあちこちが、癒されながら傷付いてゆく。
膝をつき、血の汚れを床にぶちまけながら、マグノリアは見た。幻視した。
現在のグラーク家と繋がっている、古の王国を。
古の王国で繰り広げられた、惨劇を。
惨劇が今、自由騎士たちの肉体で再現されているのだ。
「やめて……」
たおやかな全身から血飛沫を迸らせながら、セアラが叫んだ。
「やめて……やめて! やめてやめてっ、やめてぇえええええええッッ!」
肉体の負傷に耐えられず叫んでいる、わけではない。
古の王国の惨劇は今、セアラの肉体よりも心を、ズタズタに蹂躙している。
「何故、どうして!? 貴女は何故、このような……こんな非道い事が、どうして出来るのですか……? お願いです、やめて下さい……やめてぇ……」
崩折れかけたセアラの細身を、エルシーが抱き支えた。セアラと同じく、血まみれで震えながらだ。
「……そんな事したって……そんなもの、肌に浴びたって……綺麗なんか、なりはしませんよ……」
「光学装置の、故障……と、いうわけでも……ないようだな……」
全身の装甲から血を滴らせながら、アデルが呻く。
「今、俺が見ているものを……この場の全員が、見せられている……」
「……オズワードさんは、偉いよ……」
カノンが、切り苛まれた身体をよろよろと立ち上がらせる。
「これを……奥さんに、させなかった……これをやろうとした奥さんを、ちゃんと叱って、止めて……本当、立派だと思う」
「愛する奥方を、叱責する……辛かったであろうな……」
テオドールが弱々しく剣を抜く。白き、呪いの剣。
その刃がどこへ向けられているのか、マグノリアは理解した。
古の王国。惨劇の中心。様々なものを全身に浴び、愉悦の笑みを浮かべる女性。
宝石を、身にまとっている。髪飾りや首飾り、腕輪の形でだ。
「許せない……」
言葉を発したのは、セアラである。
「私は、貴女を許さない……その時代、その場に居合わせなかった自分が、許せない……!」
エルシーと支え合い、立ち上がりながら、セアラは力を解放した。血まみれで泣き叫びながらも、魔導力を錬成し続けていたようだ。
癒しの、魔導力であった。
マグノリアの細い全身で、傷が優しく塞がってゆく。他の自由騎士たちにも、キラキラと治療が施されてゆく。
「……待ってくれ。回復の前に……切り札を、切らせてもらう」
アデルが、満身創痍の全身から蒸気を噴射した。推進力全開の、踏み込みであった。
同時にエルシーが、
「そう……せっかくね、死に際の馬鹿力が発動しているんです!」
死にかけた全身に、猛々しい生命力を漲らせながら捻転・回転を加えてゆく。左右の拳が、銃撃の如く繰り出される。
エルシーの拳が、アデルのジョルトランサーが、交差する感じにアルテミラを直撃していた。
爆発が起こり、空薬莢が大量に排出される。霊気と瘴気で組成された美しい姿が、爆撃と拳撃で激しく揺らぐ。
美しい笑顔は変わらない。この侯爵夫人は、もはや微笑み以外の表情を失っているのだ。
その笑顔に、ウェルスが狙いを定めている。血まみれで死にかけていた巨体が、セアラの癒しによって力を取り戻し、雄々しく立って蒸気式榴弾砲を構えている。
「……倒すべき相手が、見えたな」
ウェルスは引き金を引いた。榴弾砲が、轟音と共に砕け散った。
「こちらの侯爵夫人は、そいつと同調して出来上がった……操り人形、みたいなもんだ」
アルテミラが、聖なる銀色の爆炎に包まれた。砲身を破壊し飛び立ったものが、命中したのだ。
浄化の爆発に灼かれ続けるアルテミラに、マグノリアは人差し指を向けた。
この弱々しい手では、ウェルスのように大型火器を豪快にぶっ放す事は出来ない。素手で、拳銃を形作るだけだ。
「アルテミラ……君を一番、愛した者の傍に……どうか、向かって欲しい」
指先から、魔導力の弾丸が放たれた。
それがアルテミラに突き刺さり、巨大化し、白銀色の楔となって、美しい姿を惨たらしく貫通した。
硬直したアルテミラの霊体が、次の瞬間ざっくりと裂けた。血飛沫の代わりに、瘴気の粒子が大量に噴出する。
「……古の王妃よ。アルテミラ・グラーク夫人を、解放してもらうぞ」
セアラの治療を受けたテオドールが、力強く立ったまま、己の首筋に白き剣を当てている。呪力の斬撃であった。
力尽きた、ように見えたエルシーとアデルも、癒しの光をまとうセアラの繊手に触れられ、立ち上がっている。
穿たれ、切り裂かれ、それでも微笑み続けている侯爵夫人に、マグノリアは語りかけた。
「古の王妃……流血の、女帝……まずはアルテミラを、エリオットに返してもらうよ」
●
「カノンもね、女だからね。美しさにこだわる気持ち、すっごくわかるよ。でも!」
語りかけ、叫びながら、カノンが跳んだ。じっと地に伏せて全力で獲物を狙う、蛙のように。
「カノンは見ての通り子供だけど、大人になって! もっともっと綺麗になるよ!」
拳を、突き上げてゆく。
その拳が、アルテミラを粉砕した。鐘の音が鳴り響き、真紅の光が飛散した。
「……美しさってね、変わっていくんだよ」
永遠に変わらぬ美しさを求めた女性が、2人いた。過去と現在に、1人ずつ。
その両者が、魔鏡を通じて繋がった。
「過去と、現在。結末まで同じである必要はあるまい、オズワード卿」
テオドールは、言葉をかけた。
アルテミラが、ついに微笑みを崩す事なく消滅してゆく。霊気と瘴気が、霧散する。
ぼんやりと見つめながら、オズワードは座り込んでいる。
「私に……どうしろと言うのだ、ベルヴァルドの当主よ」
「生きられよ。援助は惜しまぬ……いささか傲慢な物言いになってしまうな」
「……貴公、奥方以外の女性と関係を持った事は?」
「ない。今までも、この先も」
テオドールは断言し、オズワードは俯いた。
「……ならば、私の心はわかるまい」
「わからぬが言わせてもらう。喜びも悲しみも、罪も恥も分かち合ってこその夫婦であるとな」
「ね、オズワードさん」
カノンが声をかける。
「死んで償うとか……する方は、それでいいかもだけど。ネリオさんシェルミーネさんの事、少しは考えて欲しいな。仲悪くても、残された家族なんだから」
「貴方とネリオさんシェルミーネさんなら、今からでも仲良し家族になれると思いますよ。絶対的仲良し家族、ぜつ☆ぞく! ですよ」
「何を、たわけた事を……」
「……すまない、オズワード」
マグノリアが言った。
「接触感応で、君の想いを2人に伝えるつもりだったけど……そんな余裕を与えてくれるほど、甘い相手ではなかった」
「……アルテミラ様の想いならば、貴方にお伝えする事が出来ます。私、交霊術を使えますので」
セアラがしとやかに身を折り、オズワードと目の高さを近付けた。
「奥方の、最後のお言葉です……ごめんなさい、ありがとう、と」
オズワードは、俯いたまま何も言わない。
しばしの静寂を、アデルが破った。
「それにしても……事件の絶えない家だな、グラーク家は。それとも貴族の家というのは大抵こうなのかな? テオドール伯爵」
「ベルヴァルド家の諸問題は私があらかた解決したとも。無論、平和的にな」
「平和的にいかない場合はいつでもお手伝いしますよ……ところで」
エルシーが、広間を見回した。
「……ウェルスさんは、どこへ?」
「戻ったぜ。こいつが例の鏡だ」
いつの間にかどこかへ行っていたウェルスが、担いで来たものを床に下ろした。
豪奢な、鏡台であった。エルシーが見入った。
「ほほう、私のセレクションと実にマッチしそうな逸品……ってちょっと、勝手に持って来ちゃったんですか」
「どのみち俺たちがどうにかしなきゃならん代物だ。売り捌くなら、ルートはあるぜ」
ウェルスが、にやりと牙を見せる。
「呪いの宝石やら、見たら死ぬ絵画やら、その手の物が大好きな顧客と繋がるルートさ」
カノンが、恐る恐る鏡を覗き込む。カノンの顔が映るだけだ。
「……触って、大丈夫なものなの?」
「最初に確認した。触るとヤバい毒だの何だのは付いてない」
説明しつつウェルスが、鏡台にはめ込まれた宝石類に太い指を触れる。
「この宝石どもが、まあヤバいと言えばヤバい。鏡そのものは単なる高級品だ」
「私……見ました」
鏡を飾る宝石類を見つめ、セアラが言った。
「あの方は、確かに……これら宝石を、身に付けておられました。髪飾りや首飾りとして」
テオドールも見た。美しい容姿を宝石で飾り立てながら、さらなる美を求めて血に狂う女性の姿を。
「……どうしますか? この宝石」
エルシーが、拳を握る。
「自由騎士団で預かるか、それとも……私、自然石割りやった事あります。宝石を砕けるかどうかは、やってみないとわかりませんが」
「そいつは……ちょいと待ってくれ、シスター」
ウェルスは、慎重である。
「この鏡はな、通路なんだ。旦那に浮気されて、美しさに異常にこだわるようになった貴族の奥方……そんな超絶的に限定された相手にだけ、ヤバい力をお届けする。そんな通路さ。それをぶっ壊したら」
「やばい力が、溢れ出す。かも知れない」
カノンが、顎に片手を当てた。
「限定された相手、じゃない人たちにも……あの人の呪いが、ふりかかる」
あの人。
この場の自由騎士全員が幻視した、だが古の時代においては幻ではなく確かに実在した、1人の女性。
「つまり」
アデルが言った。
「大元を叩き潰さねばならん、という事だ……あの、血まみれの女を」