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未来を消し去る悪意の光

●
ふわりと漂うのは、土と清らかな小川の香り。
耳を澄ませてみれば、水の流れる音が僅かに聞こえてきた。
「おとーさん。こっちだよ。はやくー」
おぼつかない足取りで川べりを歩く少女は、満面の笑みで空を見上げながら、後ろについてくる父親を呼ぶ。
「前を見て歩かないと転んでしまうぞ。急がなくても大丈夫だ」
そう注意しながらも、少女の父親は嬉しそうに目を細めている。
少女と同じように父親は空を仰いだ。満天の空には月が淡い光を放っていた。
ここはノウブルが多く住む集落だ。
名産があるわけでもなく、住民も百人に満たない小さな集落だ。
しかし、この集落には他にはない美しい景色を拝むことができる。
「うっ……わぁあぁぁ!」
少女が感嘆の声を上げる。
手が届きそうなところに、光の粒子が飛んでいた。
年にわずか数日、綺麗な水が流れる小川のそばに飛ぶ蛍の群れ。腹部から発光する柔らかな光を見ていると、小さな悩みなど消えてくようだ。
「おとーさん。すごいね! 去年もきれいだったけど、今年はもっときれい! きっと、来年はもっときれいだよ!」
「ああ……そうだな」
亡くした妻も同じことを言っていた。
同じ空を見上げ、いつか死が二人を分かつまで共に生きていこうと誓い合ったのも、この蛍の光のもとだった。
その妻は早く逝ってしまった。
妻が遺してくれた命よりも大切な娘。
いつか娘も同じようにこの空のもとで、誰かと愛を誓い合うのだろうか。その日が来ることは父親にとっては寂しいものだ。
ただ……その日が来るまでは、娘と一緒にこの空を見上げていたい。
来年も再来年も。その先もずっと。
考えないようにしていたのに、ふとした瞬間に悲しみがこみ上げてくる。父親は目に浮かんだ涙を娘に気付かれないように、顔を伏せた。
「ねぇ。おとーさん?」
寂しさと娘の成長を夢想していると――。
「なんか変」
娘が空を指さし、感情の無い声を発した。
父親が涙を拭き、空を見上げると――。
「え?」
潤んだ瞳に映る光景は、美しい蛍の淡い光ではなかった。
まるで一瞬のうちに、夜から昼間になったかのような強烈な光。
「……ぐ、うっ」
とても目を開けていられずに、手で目元を覆う。
次の瞬間、焼け付くような痛みを全身に感じる。
明らかに異常な事態だ。
「お父さんの近くに来るんだ!」
ぽかんと不思議そうな瞳を上空に向ける娘に、父親は腕を伸ばす。
灼ける。焦げる。激痛が伸ばした腕を襲う。
上空に浮かぶ強烈な光球から、真っ赤な炎が放たれたかと思うと――。
「あっ……あああぁぁぁぁぁぁぁぁああぁ!」
伸ばした腕の先にあった娘の体が業火に覆われる。
一瞬だ。
艶やかな髪の毛も。その細い体も。妻の面影を残す顔も。
すべてが燃えていく。
何が起こったのか、父親には知るすべがない。
思考が停止し、父親は膝から崩れ落ちる。
次の瞬間には、猛烈な羽音を発しながら、娘のいたはずの場所に光球が群がってくる。
「あ、ああぁ……うぅ」
頭がおかしくなってしまいそうだった。
巨大な光球から放たれた粒子は一つ一つが――蛍のように見えた。それらが娘の体に群がっていたのだ。
「や……や、めろ……」
父親の懇願など無視するように、無数の蛍は娘の体を貪りつくすと、再度巨大な光球となり、村の中心へと飛び立っていった。
目の前には何もない。土の上には僅かに黒い煤が残っているだけ。
「ヒ……ヒィひ……ははハ……」
未来が奪われた。
将来を誓い合った妻を亡くし、未来を繋いでいくはずの娘も消え去ってしまった。
すでに父親には何もない。
「……グロォオオォォ」
父親の背後には熊。
熊……と言えるのだろうか。その体は成人男性三人分よりもさらに大きい。
早く人を喰いたくて仕方がないのだろう。熊は巨大な口を開け、父親に迫ってくる。
背後にいる熊も脅威だが、村の中心に飛んでいった蛍のことも住民に知らせないといけない。
しかし、そんなことを考える思考は、娘を失ったばかりの父親にはすでに残されてはいない。
「アッハハはははハハハ、ハハッハああぁ……!」
父親は感情の無い笑い声を発しながら――熊に命を刈られたのだった。
●
「みんな、水鏡の情報だよ。今日はね、すっごく大変」
と、クラウディア・フォン・プラテス(nCL3000004)は、細くしなやかな指を自らの頬にあてる。イブリースの出現という緊急事態だというのに、どこか可愛らしい所作に自由騎士たちは毒気を抜かれてしまう。
「イブリースの出現場所は、辺境の集落だよ。イブリース化を確認できたのは、大きな熊のイブリース一体。それと、たくさんの蛍」
クラウディアは一瞬言葉を止めると、再び話し出す。
「熊のイブリースはとても大きくて獰猛なの。もちろん気をつけないといけないけど、厄介なのは蛍のイブリースの方だよ」
自由騎士たちは説明に耳を傾ける。
「数は百匹はいるのかな? 一匹ずつだったら、脅威ではないけど常に固まって行動しているの。強力な炎の魔法も使ってくるし、空も飛んでいるからね。やみくもに攻撃しても倒せないよ」
クラウディアの説明によると、場所は開けた場所のようだ。夜更けではあるが、蛍のイブリース自体が光を放っているため、視界は悪くない。蛍と熊。両方のイブリースに注意を払わないといけない。
「保護対象は成人男性とその娘さん。絶対助けてあげてね!」
自由騎士たちはクラウディアの説明を聞き終えると、大きく息を吸った。
決意を胸に、力強く歩き出すのだった。
ふわりと漂うのは、土と清らかな小川の香り。
耳を澄ませてみれば、水の流れる音が僅かに聞こえてきた。
「おとーさん。こっちだよ。はやくー」
おぼつかない足取りで川べりを歩く少女は、満面の笑みで空を見上げながら、後ろについてくる父親を呼ぶ。
「前を見て歩かないと転んでしまうぞ。急がなくても大丈夫だ」
そう注意しながらも、少女の父親は嬉しそうに目を細めている。
少女と同じように父親は空を仰いだ。満天の空には月が淡い光を放っていた。
ここはノウブルが多く住む集落だ。
名産があるわけでもなく、住民も百人に満たない小さな集落だ。
しかし、この集落には他にはない美しい景色を拝むことができる。
「うっ……わぁあぁぁ!」
少女が感嘆の声を上げる。
手が届きそうなところに、光の粒子が飛んでいた。
年にわずか数日、綺麗な水が流れる小川のそばに飛ぶ蛍の群れ。腹部から発光する柔らかな光を見ていると、小さな悩みなど消えてくようだ。
「おとーさん。すごいね! 去年もきれいだったけど、今年はもっときれい! きっと、来年はもっときれいだよ!」
「ああ……そうだな」
亡くした妻も同じことを言っていた。
同じ空を見上げ、いつか死が二人を分かつまで共に生きていこうと誓い合ったのも、この蛍の光のもとだった。
その妻は早く逝ってしまった。
妻が遺してくれた命よりも大切な娘。
いつか娘も同じようにこの空のもとで、誰かと愛を誓い合うのだろうか。その日が来ることは父親にとっては寂しいものだ。
ただ……その日が来るまでは、娘と一緒にこの空を見上げていたい。
来年も再来年も。その先もずっと。
考えないようにしていたのに、ふとした瞬間に悲しみがこみ上げてくる。父親は目に浮かんだ涙を娘に気付かれないように、顔を伏せた。
「ねぇ。おとーさん?」
寂しさと娘の成長を夢想していると――。
「なんか変」
娘が空を指さし、感情の無い声を発した。
父親が涙を拭き、空を見上げると――。
「え?」
潤んだ瞳に映る光景は、美しい蛍の淡い光ではなかった。
まるで一瞬のうちに、夜から昼間になったかのような強烈な光。
「……ぐ、うっ」
とても目を開けていられずに、手で目元を覆う。
次の瞬間、焼け付くような痛みを全身に感じる。
明らかに異常な事態だ。
「お父さんの近くに来るんだ!」
ぽかんと不思議そうな瞳を上空に向ける娘に、父親は腕を伸ばす。
灼ける。焦げる。激痛が伸ばした腕を襲う。
上空に浮かぶ強烈な光球から、真っ赤な炎が放たれたかと思うと――。
「あっ……あああぁぁぁぁぁぁぁぁああぁ!」
伸ばした腕の先にあった娘の体が業火に覆われる。
一瞬だ。
艶やかな髪の毛も。その細い体も。妻の面影を残す顔も。
すべてが燃えていく。
何が起こったのか、父親には知るすべがない。
思考が停止し、父親は膝から崩れ落ちる。
次の瞬間には、猛烈な羽音を発しながら、娘のいたはずの場所に光球が群がってくる。
「あ、ああぁ……うぅ」
頭がおかしくなってしまいそうだった。
巨大な光球から放たれた粒子は一つ一つが――蛍のように見えた。それらが娘の体に群がっていたのだ。
「や……や、めろ……」
父親の懇願など無視するように、無数の蛍は娘の体を貪りつくすと、再度巨大な光球となり、村の中心へと飛び立っていった。
目の前には何もない。土の上には僅かに黒い煤が残っているだけ。
「ヒ……ヒィひ……ははハ……」
未来が奪われた。
将来を誓い合った妻を亡くし、未来を繋いでいくはずの娘も消え去ってしまった。
すでに父親には何もない。
「……グロォオオォォ」
父親の背後には熊。
熊……と言えるのだろうか。その体は成人男性三人分よりもさらに大きい。
早く人を喰いたくて仕方がないのだろう。熊は巨大な口を開け、父親に迫ってくる。
背後にいる熊も脅威だが、村の中心に飛んでいった蛍のことも住民に知らせないといけない。
しかし、そんなことを考える思考は、娘を失ったばかりの父親にはすでに残されてはいない。
「アッハハはははハハハ、ハハッハああぁ……!」
父親は感情の無い笑い声を発しながら――熊に命を刈られたのだった。
●
「みんな、水鏡の情報だよ。今日はね、すっごく大変」
と、クラウディア・フォン・プラテス(nCL3000004)は、細くしなやかな指を自らの頬にあてる。イブリースの出現という緊急事態だというのに、どこか可愛らしい所作に自由騎士たちは毒気を抜かれてしまう。
「イブリースの出現場所は、辺境の集落だよ。イブリース化を確認できたのは、大きな熊のイブリース一体。それと、たくさんの蛍」
クラウディアは一瞬言葉を止めると、再び話し出す。
「熊のイブリースはとても大きくて獰猛なの。もちろん気をつけないといけないけど、厄介なのは蛍のイブリースの方だよ」
自由騎士たちは説明に耳を傾ける。
「数は百匹はいるのかな? 一匹ずつだったら、脅威ではないけど常に固まって行動しているの。強力な炎の魔法も使ってくるし、空も飛んでいるからね。やみくもに攻撃しても倒せないよ」
クラウディアの説明によると、場所は開けた場所のようだ。夜更けではあるが、蛍のイブリース自体が光を放っているため、視界は悪くない。蛍と熊。両方のイブリースに注意を払わないといけない。
「保護対象は成人男性とその娘さん。絶対助けてあげてね!」
自由騎士たちはクラウディアの説明を聞き終えると、大きく息を吸った。
決意を胸に、力強く歩き出すのだった。
†シナリオ詳細†
■成功条件
1.イブリースの討伐
2.親子の保護
2.親子の保護
初めまして。新米STのちゅうたろうと申します。
辺境にあるノウブルの集落に出現した蛍と熊のイブリースの討伐です。
戦闘場所は開けた草原です。足場も良好です。
夜更けですが蛍自体が放つ光のおかげで視界は良好です。しかし、蛍を先に討伐してしまうと、辺りは暗くなってしまうので、倒す順番も考えなければいけません。ですので、光源の持ち込みは可能です。
【成功条件】
・イブリースの討伐
・親子の保護
【倒すべき敵】
熊のイブリース ×1体
蛍のイブリース ×100匹ほど
お互い連携攻撃などはしてきません。
熊は弱いものを優先的に攻撃してこようとするので、保護対象は安全な場所に避難させないといけません。
・熊のイブリース
体当たり(近距離・単体)
腕ぶん回し(近距離・範囲)
物理攻撃も魔法攻撃も良く効きます。ただ、巨大なため体力は豊富です。
・蛍のイブリース
炎攻撃(遠距離・範囲)
噛みつき攻撃(近距離・単体)
空を飛び回っていますが、自由騎士や親子を喰おうと降りてきますので、その時ならば近距離攻撃も届きます。ただ、蛍は百匹ほどの集合体です。単体攻撃では倒しきるには何十回と攻撃をしなければなりません。範囲攻撃が有効です。
辺境にあるノウブルの集落に出現した蛍と熊のイブリースの討伐です。
戦闘場所は開けた草原です。足場も良好です。
夜更けですが蛍自体が放つ光のおかげで視界は良好です。しかし、蛍を先に討伐してしまうと、辺りは暗くなってしまうので、倒す順番も考えなければいけません。ですので、光源の持ち込みは可能です。
【成功条件】
・イブリースの討伐
・親子の保護
【倒すべき敵】
熊のイブリース ×1体
蛍のイブリース ×100匹ほど
お互い連携攻撃などはしてきません。
熊は弱いものを優先的に攻撃してこようとするので、保護対象は安全な場所に避難させないといけません。
・熊のイブリース
体当たり(近距離・単体)
腕ぶん回し(近距離・範囲)
物理攻撃も魔法攻撃も良く効きます。ただ、巨大なため体力は豊富です。
・蛍のイブリース
炎攻撃(遠距離・範囲)
噛みつき攻撃(近距離・単体)
空を飛び回っていますが、自由騎士や親子を喰おうと降りてきますので、その時ならば近距離攻撃も届きます。ただ、蛍は百匹ほどの集合体です。単体攻撃では倒しきるには何十回と攻撃をしなければなりません。範囲攻撃が有効です。
状態
完了
完了
報酬マテリア
6個
2個
2個
2個




参加費
100LP [予約時+50LP]
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
7日
参加人数
4/8
4/8
公開日
2020年08月11日
2020年08月11日
†メイン参加者 4人†
●
涼やかな風が、木々の枝葉を揺らす音が聞こえてくるだけだった。
闇夜を照らす月の淡い光が、ノウブルの住む辺境の集落へと続く、狭い山道を照らしていた。
イブリースの討伐と、親子の保護。四人の自由騎士たちは、水鏡が予知した場所へと足早に向かっていた。
「夜も更けてきました。急ぎましょう」
静けさが満ちる場に、セアラ・ラングフォード(CL3000634)の声が響く。
わずかに青みがかったエメラルドの瞳には、若干焦りが浮かんでいる。
「ええ……。水鏡の予知通りには絶対にさせないわ」
『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)の表情からは、どこか強い決意の色が見て取れる。
彼女の生い立ちがそうさせるのだろうか。この依頼を受けた時から、握ったこぶしは緩むことは無かった。
「ノウブルの集落か……。思うところが無いわけじゃないが、依頼は依頼だ。きっちり仕事はする」
先頭を駆けるその姿は、雄々しく逞しい。
熊のケモノビト。『海蛇を討ちし者』ウェルス ライヒトゥーム(CL3000033)だ。
「あら? そんなこと言って、目はぎらついてますよ?」
『救済の聖女』アンジェリカ・フォン・ヴァレンタイン(CL3000505)はウェルスに対し、少しだけ意地悪そうに言う。
「ん……まぁ、美しい場所だからな。観光資源としても有用そうだ。できれば、周りを荒らさずに浄化したいもんだ」
どこかばつが悪そうに、ウェルスはアンジェリカから目線をそらす。
「必ず救い出しましょうね。親子を」
セアラが笑みを浮かべながらそう言うと、ウェルスは鼻を鳴らす。再び前を見据える。
「いた! 蛍よ」
自由騎士たちが、エルシーの声に足を止める。
一瞬、今からイブリースと戦うのだということを忘れてしまうほどの光景だった。
「綺麗……」
エルシーだけではない。他の三人も感嘆のため息を漏らす。
月光が映り込む水面には、数えきれないほどの蛍が発光し飛び回っていた。
蛍から放たれる光の筋は、幾重にも重なり引き伸ばされ、この世の光景ではないようにも感じられる。
が、
あまりの美しさに見惚れてしまったのも一瞬だった。
次の瞬間、蛍はその体を赤黒く変質させ、強烈な光を放つ大きな一つの塊としてその姿を変貌させる。
「しまった!」
隙が出てしまった自分を叱咤し、エルシーは真っ先に親子の元へと駆け寄る。弾かれたように、他の三人も駆ける。
エルシーはその鍛え上げられた脚力で、親子のもとに駆け寄ると、
「横に飛んで!」
娘を腕に抱き、父親にそう叫ぶ。
蛍から炎が放たれる。
じりじりと、焼け付くような痛みを肌に感じながら、エルシーと親子は間一髪、炎をかわす。
「こ、これは……一体、なにが……?」
「よかった。ご無事でしたか。私たちは自由騎士です」
そう言われても、父親はまだ自分と娘に何が起こったのか理解ができない様子だ。
「あの光はイブリース化した蛍よ。ここは危険です。私の傍から離れないでください」
「イ、 イブリース? まさか、そんな」
父親は驚愕の表情を浮かべる。
イブリースに襲われたこともそうだが、妻との思い出の蛍が自分たちに向け悪意を振りまく存在になったことにも、ショックを隠せないのだろう。
やがて追いついてきたセアラが詠唱を始めると、癒しの力がその場にいる全員を包み込む。
「絶対に助けますから、落ち着いて協力してくださいね」
セアラの声は穏やかだった。とにかく落ち着かせないといけない。
「セアラ様。エルシー様。そのお二人のことはおまかせします」
アンジェリカは親子を守るように前に立つと、盾兵隊を親子の前に展開させる。
「蛍の数はやはり百匹ほどでしょうか? 少々厄介で――」
「ねぇ」
アンジェリカが、闇夜を縦横無尽に飛び回る蛍に視線を向けていると、
「蛍……やっつけちゃうの?」
娘が眉根を下げながら、アンジェリカの服の裾をつまんでいる。
「大丈夫よ」
アンジェリカは微笑むと、娘の頭を優しく撫でる。
「私たちがするのは『浄化』。必ず、元の蛍に戻ります」
傍にいるセアラとエルシーも力強く頷いた。
「ゴアアアァァァァァア!」
皆が蛍へ注意を向けている中、身の毛もよだつような咆哮が聞こえてきた。
そうだ。もう一体のイブリースも脅威なのだ。人の大きさの三倍はあろうかという熊。蛍だけに目を向けているわけにはいかない。
「おおっとぉ!」
熊のイブリースが親子を喰おうと走り込んでくると――ウェルスがそれを阻む。
「おぉい! 蛍の方は任せたぜ! 俺はこいつの抑えに回る。絶対にそっちにはいかせねぇ!」
ウェルスは大きく横に手を広げると、
「だけど、別に倒してしまっても構わないのだろ?」
と、不敵な笑みを浮かべる。
「熊の旦那かお嬢かは知らんが、イブリース化してるなら浄化させてもらうぜ。どう処分するかは、その後次第だ」
自分と同じような似姿が目の前にいるからなのか。熊は目標をウェルスに切り替えると、地をえぐる程の脚力で体当たりをぶちかましてきた。
「っが……ぐぁあああぁぁぁぁ!」
熊の体当たりをウェルスは渾身の力で抑え込む。その強大な力に、ウェルスは片膝をつくが、
「単身速攻撃破だ」
ウェルスはクロスバレルの銃口を、熊の腹に押し当てトリガーを引く。
「グオオォ……オゥ!」
至近距離から放たれた弾丸は、確実に熊の体力を奪い去る。
「……ァガ……ウガァアアァァ!」
が、巨大な熊のイブリースだ。無尽蔵の体力は、ウェルスの弾丸を耐え抜く。
「……ま、一発で倒せるとは思っちゃいないさ。やりあおうぜ」
親子にとっての思い出の場所が、戦場と化す。こんなことはだれも望んではいない。しかし、未来を消し去る悪意の光は、存在させてはいけないのだ。
終わらせないといけない。
自由騎士たちは持てる力のすべてを発揮し、イブリースに挑んでいくのだった。
●
蛍から炎が放たれるたびに、夜の空は赤く染まる。
「うっ……このままでは……何か打開策は」
セアラのサンクチュアリが親子の周りに不可侵の聖域を形成している。いくら強力な炎とはいえ、親子に危険が及ぶことは無いだろう。とはいえ、いつまでもその効果が持続するわけではない。
エルシーは親子を上手く誘導し、蛍の炎から逃れている。
「光よ。固まり爆ぜよ」
炎を避けた隙に、エルシーは極限まで練り上げた気を、光球として打ち放つ。
素早く飛び回る蛍には当たるものの、なにしろ数が多い。やみくもに攻撃していても、力尽きてしまうのは明白だ。
「どうにか、蛍には降りてきてもらわないといけませんね」
アンジェリカもコルク栓ほどの大きさの炸裂弾頭を一斉発射するが、蛍の素早い動きは完全にはとらえきれてはいないようだ。
「どおおおおぉぉっらああぁぁぁ!」
前方では、ウェルスが必死に熊を押さえ込んでいる。熊の攻撃を受けつつ、自慢の銃での接近射撃。完全な防御無視の殴り合い。簡単に倒れるウェルスではないが、それでも強靭な体を持つ熊には少々分が悪い。
時折、ウェルスは回復薬液を血管に注いでいる。その副作用もあり、劣勢に立たされているのだろう。
「サンクチュアリが……もう、持ちません!」
親子を包んでいた不可侵の領域が徐々に薄くなり、次第に大気と混じり合い消失していく。知能が無いに等しい蛍のイブリースとはいえ、勝機と思ったのだろうか? 親子に向け、炎を放つ。
「やらせない!」
エルシーは親子の前で仁王立ちし、炎を迎え撃つ。
「お姉ちゃん!」
「貴方とお父さんは、私が必ず守るから」
太陽と見紛うほどの、巨大な火球がエルシーを燃やす。
「うあああぁぁぁぁぁぁあっ!」
これまで心身ともに鍛え上げてきたエルシーだ。振り払うように体を捻り、炎を払いのける。
あれだけの強力な炎をその身に受けたのだ。無事では済まないだろう。しかし。エルシーはその瞳に宿る決意を微塵にも鈍らせてはいない。
「エルシー様! 大丈夫ですか? 今すぐ、回復を行いたいのですが……」
セアラも満身創痍だ。親子を守るための魔法で、あと少し、動くことはできない。
「大丈夫……大丈夫よ。それに」
――蛍の動きが明らかに変わった。
蛍の大群が、膝をつき荒い呼吸を繰り返すエルシーに向け、飛んできたのだ。
「来たわね」
蛍の攻撃対象が親子からエルシーに変わった。弱っていると感じたのだろう。それでも、エルシーは恐怖を微塵にも見せず、蛍を見据え構える。
「はあぁぁぁぁぁぁぁっ!」
エルシーは至近距離まで近づいてきた蛍に向け、こぶしを振るう。
片っ端から蛍が落とされていく。それでも、何匹かの蛍はエルシーの体に食らいつく。しかし、そんなことではエルシーは止まらない。
「すべて叩き落す!」
エルシーは幾度もこぶしを振るい、そのたびに蛍は数を減らしていく。たまらず、蛍の群れは空に逃げようとすると――。
「エルシー様の身を挺した攻撃……無駄にはしません!」
アンジェリカは、炸裂弾頭を蛍に向け一斉発射する。
先ほどまでの縦横無尽に空を飛び回っていた蛍ではない。ただ、逃げているだけだ。
アンジェリカの攻撃に、蛍たちは次々に撃ち落とされていく。エルシーの攻撃に随分と数を減らしていたのだろう。目を開いていられないほどの光を発していた蛍の群れは、徐々に暗くなっていく。
そして、最後の蛍が消し炭となって風に攫われていった。
「……やった」
エルシーは最後の蛍が消え去っていくのを見ると、その場に尻もちをついた。
「無茶しすぎですよ」
アンジェリカがやれやれと、エルシーの元へと駆け寄る。
「ああでもしなきゃ、勝利への活路は見いだせなかったわ」
「ええ。エルシー様のおかげです」
アンジェリカは穏やかに笑みを作る。
「エルシー様。今怪我を治しますからね」
セアラはエルシーに癒しの力を使う。火傷や蛍の噛み傷がゆっくりと癒されていく。
蛍を倒したことで、辺りは闇に包まれる。しかし、暗闇への対策は怠ってはいない。
蛍が光を発していた時ほどではないが、辺りの様子を確認するには支障はない。
「うおらああぁぁぁぁぁぁ!」
前方でウェルスの気合の声が聞こえてきた。それに混じるように熊の咆哮。
幾度も幾度も幾度も、ウェルスは銃を撃ち込んではいるが、未だ熊は倒れてはいない。
「くそっ! なんて体力だ。こっちが先にへばっちまうぜ」
とはいえ、ウェルスの瞳には一切の悲観は感じられない。
アンジェリカはすぐさま駆けだす。
「うああぁぁぁぁぁ!」
アンジェリカは熊とウェルスの攻防の隙間を縫うように、全力全壊の一撃を見舞う。
「ギャアアアアアァァゥっ!」
この一撃には熊もその巨大な体をよろめかせる。これまでのウェルスの攻撃によるダメージもあってか、体を震わせ辛そうに呻き声を発している。
「よしっ! 今だ」
ウェルスは銃を天に向けると、魔力を籠めた弾丸を撃ち放つ。翡翠色の魔力が周囲に降り注ぎ、皆の傷を癒す。
「さぁて、これでこっちは気力体力全開だぜ」
ウェルスは肩を大きく回すと、熊に銃口を向ける。
アンジェリカもいつでも熊に一撃を見舞えるよう武器を構える。
「私も助太刀を」
傷を癒したエルシーもその中に加わった。
三人が熊を睨みつける中、後方からは癒しの力が辺りを包む。
「これで、勝機はこちらに傾いたでしょうか」
セアラも同じように熊を見据える。親子の前には盾兵隊が、しっかりと立ちはだかっていた。
「悪いが、倒させてもらうぜ」
ウェルスが銃のトリガーに触れたのが合図だった。
「グウウォオオォォォォ!」
これまで聞いたことがないような熊の咆哮。いや、恐怖で泣き叫ぶ声なのかもしれない。熊はめちゃくちゃに腕を振り回しながら、自由騎士たちへと迫る。
「はぁっ!」
だが、隙が大きい。
アンジェリカは攻撃を避けつつ、熊に一撃を見舞う。確かな技量に裏打ちされた一撃だ。アンジェリカの手には確かな手ごたえが伝わってきた。
「せぁっ!」
間髪入れずに、エルシーも間合いに入り込み、片っ端からこぶしを熊に打ち付ける。身を守ることも叶わずに、熊はよろめいた。
が、膨大な体力は、まだ残っているようだ。
熊は踏みとどまると、前傾姿勢を取る。憎悪と恐怖に歪んだ悪意の瞳を光らせ、襲い掛かろうとするが、
「次はやらせねぇぜ」
ウェルスは素早い動作で熊の胸元まで入り込む。銃口を熊のみぞおちに突きつけると、トリガーを引いた。
「これで仕舞だ」
すさまじい爆音と共に、熊の体が大きくのけぞる。腹には大きな風穴が空いていた。
「……オオオォォォア」
幾度も歴戦の自由騎士たちの攻撃を耐え抜いていた巨大な体が、ついに地に伏した。
「やったか……?」
……再び起き上がってくるのではないか。
その考えが、皆の胸に湧き起こってくるが、しばらく経っても熊は起き上がることはなかった。
胸に溜まっていた緊張感は、徐々に安堵感に包まれていく。
これでこの集落も、普段の静かな場所に戻るのだろう。
「……お空。真っ暗」
ぽつり、と娘が呟く。
周囲は闇に包まれたままだった。
夜空には星が、寂しく瞬いているばかりだった。
●
「よぉし、じゃあ俺はこの旦那を森まで送っていく」
ウェルスがなぜか、浄化した熊と肩を抱き合っている。
「迷子なって、人里まで降りてきちまったそうだ。不安になってたところに瘴気の影響を受けてイブリース化したようだな。人は食っていないようだから、問題はないはずだ」
「ウガゥ、ウガゥ」
妙に気が合ってしまったようだ。ウェルスもどことなく陽気になっている。
「もう大丈夫です。さぁ、帰りましょう?」
エルシーは親子に語りかける。集落の家まで送り届ければ、任務は完了だ。
「おぉい。家に帰るぞ。自由騎士の皆さんを困らせるんじゃない」
父親が、ぽつんと夜空を見上げる娘に声をかける。
先ほどから、娘が夜空を見上げたまま動こうとしないのだ。
理由は分かっている。
浄化できたのは熊だけだった。
いくらイブリース化していたとはいえ、蛍自体は脆弱な生き物だ。自由騎士たちの攻撃に体が耐えられるはずもない。
「……ぅう……ぐすん」
水辺でしゃがみ込むと、娘はすすり泣く。
だれも声をかけることができない。
父親も夜空を見上げ、体を震わせている。愛する妻との思い出が消え去ってしまったのだ。夜の闇で見えないが、その瞳は涙で濡れているのだろう。
「辛いとは思いますが、帰りましょう。きっと……未来は明るいはずです」
セアラが娘の肩に手を置き、優しく語りかけた時、
「あれ?」
水面から見えるコケに楕円形の何かがくっついているのが見えた。
「これってまさか」
よく目を凝らして見ると、川べりに生えているコケにはすべて、楕円形のものが張り付いていた。
アンジェリカは娘の肩越しから、水面をのぞき込む。
「卵……でしょうか。蛍の」
その言葉に、泣き腫らした瞳で娘がアンジェリカの顔を見上げる。
「卵って……蛍の赤ちゃん? これ全部?」
少しだけ、娘の表情に生気が戻る。
「ええ。そうですよ」
娘はその言葉を聞くと、うわぁ、と声を弾ませる。父親の元へと駆けていくと、その手を引っ張り嬉しそうに親子で卵を見つめている。
未来は失われない。消し去るわけにはいかない。
自由騎士たちは、来年にはこの夜空を美しく彩る蛍の光を夢想しながら、笑みを浮かべるのだった。
涼やかな風が、木々の枝葉を揺らす音が聞こえてくるだけだった。
闇夜を照らす月の淡い光が、ノウブルの住む辺境の集落へと続く、狭い山道を照らしていた。
イブリースの討伐と、親子の保護。四人の自由騎士たちは、水鏡が予知した場所へと足早に向かっていた。
「夜も更けてきました。急ぎましょう」
静けさが満ちる場に、セアラ・ラングフォード(CL3000634)の声が響く。
わずかに青みがかったエメラルドの瞳には、若干焦りが浮かんでいる。
「ええ……。水鏡の予知通りには絶対にさせないわ」
『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)の表情からは、どこか強い決意の色が見て取れる。
彼女の生い立ちがそうさせるのだろうか。この依頼を受けた時から、握ったこぶしは緩むことは無かった。
「ノウブルの集落か……。思うところが無いわけじゃないが、依頼は依頼だ。きっちり仕事はする」
先頭を駆けるその姿は、雄々しく逞しい。
熊のケモノビト。『海蛇を討ちし者』ウェルス ライヒトゥーム(CL3000033)だ。
「あら? そんなこと言って、目はぎらついてますよ?」
『救済の聖女』アンジェリカ・フォン・ヴァレンタイン(CL3000505)はウェルスに対し、少しだけ意地悪そうに言う。
「ん……まぁ、美しい場所だからな。観光資源としても有用そうだ。できれば、周りを荒らさずに浄化したいもんだ」
どこかばつが悪そうに、ウェルスはアンジェリカから目線をそらす。
「必ず救い出しましょうね。親子を」
セアラが笑みを浮かべながらそう言うと、ウェルスは鼻を鳴らす。再び前を見据える。
「いた! 蛍よ」
自由騎士たちが、エルシーの声に足を止める。
一瞬、今からイブリースと戦うのだということを忘れてしまうほどの光景だった。
「綺麗……」
エルシーだけではない。他の三人も感嘆のため息を漏らす。
月光が映り込む水面には、数えきれないほどの蛍が発光し飛び回っていた。
蛍から放たれる光の筋は、幾重にも重なり引き伸ばされ、この世の光景ではないようにも感じられる。
が、
あまりの美しさに見惚れてしまったのも一瞬だった。
次の瞬間、蛍はその体を赤黒く変質させ、強烈な光を放つ大きな一つの塊としてその姿を変貌させる。
「しまった!」
隙が出てしまった自分を叱咤し、エルシーは真っ先に親子の元へと駆け寄る。弾かれたように、他の三人も駆ける。
エルシーはその鍛え上げられた脚力で、親子のもとに駆け寄ると、
「横に飛んで!」
娘を腕に抱き、父親にそう叫ぶ。
蛍から炎が放たれる。
じりじりと、焼け付くような痛みを肌に感じながら、エルシーと親子は間一髪、炎をかわす。
「こ、これは……一体、なにが……?」
「よかった。ご無事でしたか。私たちは自由騎士です」
そう言われても、父親はまだ自分と娘に何が起こったのか理解ができない様子だ。
「あの光はイブリース化した蛍よ。ここは危険です。私の傍から離れないでください」
「イ、 イブリース? まさか、そんな」
父親は驚愕の表情を浮かべる。
イブリースに襲われたこともそうだが、妻との思い出の蛍が自分たちに向け悪意を振りまく存在になったことにも、ショックを隠せないのだろう。
やがて追いついてきたセアラが詠唱を始めると、癒しの力がその場にいる全員を包み込む。
「絶対に助けますから、落ち着いて協力してくださいね」
セアラの声は穏やかだった。とにかく落ち着かせないといけない。
「セアラ様。エルシー様。そのお二人のことはおまかせします」
アンジェリカは親子を守るように前に立つと、盾兵隊を親子の前に展開させる。
「蛍の数はやはり百匹ほどでしょうか? 少々厄介で――」
「ねぇ」
アンジェリカが、闇夜を縦横無尽に飛び回る蛍に視線を向けていると、
「蛍……やっつけちゃうの?」
娘が眉根を下げながら、アンジェリカの服の裾をつまんでいる。
「大丈夫よ」
アンジェリカは微笑むと、娘の頭を優しく撫でる。
「私たちがするのは『浄化』。必ず、元の蛍に戻ります」
傍にいるセアラとエルシーも力強く頷いた。
「ゴアアアァァァァァア!」
皆が蛍へ注意を向けている中、身の毛もよだつような咆哮が聞こえてきた。
そうだ。もう一体のイブリースも脅威なのだ。人の大きさの三倍はあろうかという熊。蛍だけに目を向けているわけにはいかない。
「おおっとぉ!」
熊のイブリースが親子を喰おうと走り込んでくると――ウェルスがそれを阻む。
「おぉい! 蛍の方は任せたぜ! 俺はこいつの抑えに回る。絶対にそっちにはいかせねぇ!」
ウェルスは大きく横に手を広げると、
「だけど、別に倒してしまっても構わないのだろ?」
と、不敵な笑みを浮かべる。
「熊の旦那かお嬢かは知らんが、イブリース化してるなら浄化させてもらうぜ。どう処分するかは、その後次第だ」
自分と同じような似姿が目の前にいるからなのか。熊は目標をウェルスに切り替えると、地をえぐる程の脚力で体当たりをぶちかましてきた。
「っが……ぐぁあああぁぁぁぁ!」
熊の体当たりをウェルスは渾身の力で抑え込む。その強大な力に、ウェルスは片膝をつくが、
「単身速攻撃破だ」
ウェルスはクロスバレルの銃口を、熊の腹に押し当てトリガーを引く。
「グオオォ……オゥ!」
至近距離から放たれた弾丸は、確実に熊の体力を奪い去る。
「……ァガ……ウガァアアァァ!」
が、巨大な熊のイブリースだ。無尽蔵の体力は、ウェルスの弾丸を耐え抜く。
「……ま、一発で倒せるとは思っちゃいないさ。やりあおうぜ」
親子にとっての思い出の場所が、戦場と化す。こんなことはだれも望んではいない。しかし、未来を消し去る悪意の光は、存在させてはいけないのだ。
終わらせないといけない。
自由騎士たちは持てる力のすべてを発揮し、イブリースに挑んでいくのだった。
●
蛍から炎が放たれるたびに、夜の空は赤く染まる。
「うっ……このままでは……何か打開策は」
セアラのサンクチュアリが親子の周りに不可侵の聖域を形成している。いくら強力な炎とはいえ、親子に危険が及ぶことは無いだろう。とはいえ、いつまでもその効果が持続するわけではない。
エルシーは親子を上手く誘導し、蛍の炎から逃れている。
「光よ。固まり爆ぜよ」
炎を避けた隙に、エルシーは極限まで練り上げた気を、光球として打ち放つ。
素早く飛び回る蛍には当たるものの、なにしろ数が多い。やみくもに攻撃していても、力尽きてしまうのは明白だ。
「どうにか、蛍には降りてきてもらわないといけませんね」
アンジェリカもコルク栓ほどの大きさの炸裂弾頭を一斉発射するが、蛍の素早い動きは完全にはとらえきれてはいないようだ。
「どおおおおぉぉっらああぁぁぁ!」
前方では、ウェルスが必死に熊を押さえ込んでいる。熊の攻撃を受けつつ、自慢の銃での接近射撃。完全な防御無視の殴り合い。簡単に倒れるウェルスではないが、それでも強靭な体を持つ熊には少々分が悪い。
時折、ウェルスは回復薬液を血管に注いでいる。その副作用もあり、劣勢に立たされているのだろう。
「サンクチュアリが……もう、持ちません!」
親子を包んでいた不可侵の領域が徐々に薄くなり、次第に大気と混じり合い消失していく。知能が無いに等しい蛍のイブリースとはいえ、勝機と思ったのだろうか? 親子に向け、炎を放つ。
「やらせない!」
エルシーは親子の前で仁王立ちし、炎を迎え撃つ。
「お姉ちゃん!」
「貴方とお父さんは、私が必ず守るから」
太陽と見紛うほどの、巨大な火球がエルシーを燃やす。
「うあああぁぁぁぁぁぁあっ!」
これまで心身ともに鍛え上げてきたエルシーだ。振り払うように体を捻り、炎を払いのける。
あれだけの強力な炎をその身に受けたのだ。無事では済まないだろう。しかし。エルシーはその瞳に宿る決意を微塵にも鈍らせてはいない。
「エルシー様! 大丈夫ですか? 今すぐ、回復を行いたいのですが……」
セアラも満身創痍だ。親子を守るための魔法で、あと少し、動くことはできない。
「大丈夫……大丈夫よ。それに」
――蛍の動きが明らかに変わった。
蛍の大群が、膝をつき荒い呼吸を繰り返すエルシーに向け、飛んできたのだ。
「来たわね」
蛍の攻撃対象が親子からエルシーに変わった。弱っていると感じたのだろう。それでも、エルシーは恐怖を微塵にも見せず、蛍を見据え構える。
「はあぁぁぁぁぁぁぁっ!」
エルシーは至近距離まで近づいてきた蛍に向け、こぶしを振るう。
片っ端から蛍が落とされていく。それでも、何匹かの蛍はエルシーの体に食らいつく。しかし、そんなことではエルシーは止まらない。
「すべて叩き落す!」
エルシーは幾度もこぶしを振るい、そのたびに蛍は数を減らしていく。たまらず、蛍の群れは空に逃げようとすると――。
「エルシー様の身を挺した攻撃……無駄にはしません!」
アンジェリカは、炸裂弾頭を蛍に向け一斉発射する。
先ほどまでの縦横無尽に空を飛び回っていた蛍ではない。ただ、逃げているだけだ。
アンジェリカの攻撃に、蛍たちは次々に撃ち落とされていく。エルシーの攻撃に随分と数を減らしていたのだろう。目を開いていられないほどの光を発していた蛍の群れは、徐々に暗くなっていく。
そして、最後の蛍が消し炭となって風に攫われていった。
「……やった」
エルシーは最後の蛍が消え去っていくのを見ると、その場に尻もちをついた。
「無茶しすぎですよ」
アンジェリカがやれやれと、エルシーの元へと駆け寄る。
「ああでもしなきゃ、勝利への活路は見いだせなかったわ」
「ええ。エルシー様のおかげです」
アンジェリカは穏やかに笑みを作る。
「エルシー様。今怪我を治しますからね」
セアラはエルシーに癒しの力を使う。火傷や蛍の噛み傷がゆっくりと癒されていく。
蛍を倒したことで、辺りは闇に包まれる。しかし、暗闇への対策は怠ってはいない。
蛍が光を発していた時ほどではないが、辺りの様子を確認するには支障はない。
「うおらああぁぁぁぁぁぁ!」
前方でウェルスの気合の声が聞こえてきた。それに混じるように熊の咆哮。
幾度も幾度も幾度も、ウェルスは銃を撃ち込んではいるが、未だ熊は倒れてはいない。
「くそっ! なんて体力だ。こっちが先にへばっちまうぜ」
とはいえ、ウェルスの瞳には一切の悲観は感じられない。
アンジェリカはすぐさま駆けだす。
「うああぁぁぁぁぁ!」
アンジェリカは熊とウェルスの攻防の隙間を縫うように、全力全壊の一撃を見舞う。
「ギャアアアアアァァゥっ!」
この一撃には熊もその巨大な体をよろめかせる。これまでのウェルスの攻撃によるダメージもあってか、体を震わせ辛そうに呻き声を発している。
「よしっ! 今だ」
ウェルスは銃を天に向けると、魔力を籠めた弾丸を撃ち放つ。翡翠色の魔力が周囲に降り注ぎ、皆の傷を癒す。
「さぁて、これでこっちは気力体力全開だぜ」
ウェルスは肩を大きく回すと、熊に銃口を向ける。
アンジェリカもいつでも熊に一撃を見舞えるよう武器を構える。
「私も助太刀を」
傷を癒したエルシーもその中に加わった。
三人が熊を睨みつける中、後方からは癒しの力が辺りを包む。
「これで、勝機はこちらに傾いたでしょうか」
セアラも同じように熊を見据える。親子の前には盾兵隊が、しっかりと立ちはだかっていた。
「悪いが、倒させてもらうぜ」
ウェルスが銃のトリガーに触れたのが合図だった。
「グウウォオオォォォォ!」
これまで聞いたことがないような熊の咆哮。いや、恐怖で泣き叫ぶ声なのかもしれない。熊はめちゃくちゃに腕を振り回しながら、自由騎士たちへと迫る。
「はぁっ!」
だが、隙が大きい。
アンジェリカは攻撃を避けつつ、熊に一撃を見舞う。確かな技量に裏打ちされた一撃だ。アンジェリカの手には確かな手ごたえが伝わってきた。
「せぁっ!」
間髪入れずに、エルシーも間合いに入り込み、片っ端からこぶしを熊に打ち付ける。身を守ることも叶わずに、熊はよろめいた。
が、膨大な体力は、まだ残っているようだ。
熊は踏みとどまると、前傾姿勢を取る。憎悪と恐怖に歪んだ悪意の瞳を光らせ、襲い掛かろうとするが、
「次はやらせねぇぜ」
ウェルスは素早い動作で熊の胸元まで入り込む。銃口を熊のみぞおちに突きつけると、トリガーを引いた。
「これで仕舞だ」
すさまじい爆音と共に、熊の体が大きくのけぞる。腹には大きな風穴が空いていた。
「……オオオォォォア」
幾度も歴戦の自由騎士たちの攻撃を耐え抜いていた巨大な体が、ついに地に伏した。
「やったか……?」
……再び起き上がってくるのではないか。
その考えが、皆の胸に湧き起こってくるが、しばらく経っても熊は起き上がることはなかった。
胸に溜まっていた緊張感は、徐々に安堵感に包まれていく。
これでこの集落も、普段の静かな場所に戻るのだろう。
「……お空。真っ暗」
ぽつり、と娘が呟く。
周囲は闇に包まれたままだった。
夜空には星が、寂しく瞬いているばかりだった。
●
「よぉし、じゃあ俺はこの旦那を森まで送っていく」
ウェルスがなぜか、浄化した熊と肩を抱き合っている。
「迷子なって、人里まで降りてきちまったそうだ。不安になってたところに瘴気の影響を受けてイブリース化したようだな。人は食っていないようだから、問題はないはずだ」
「ウガゥ、ウガゥ」
妙に気が合ってしまったようだ。ウェルスもどことなく陽気になっている。
「もう大丈夫です。さぁ、帰りましょう?」
エルシーは親子に語りかける。集落の家まで送り届ければ、任務は完了だ。
「おぉい。家に帰るぞ。自由騎士の皆さんを困らせるんじゃない」
父親が、ぽつんと夜空を見上げる娘に声をかける。
先ほどから、娘が夜空を見上げたまま動こうとしないのだ。
理由は分かっている。
浄化できたのは熊だけだった。
いくらイブリース化していたとはいえ、蛍自体は脆弱な生き物だ。自由騎士たちの攻撃に体が耐えられるはずもない。
「……ぅう……ぐすん」
水辺でしゃがみ込むと、娘はすすり泣く。
だれも声をかけることができない。
父親も夜空を見上げ、体を震わせている。愛する妻との思い出が消え去ってしまったのだ。夜の闇で見えないが、その瞳は涙で濡れているのだろう。
「辛いとは思いますが、帰りましょう。きっと……未来は明るいはずです」
セアラが娘の肩に手を置き、優しく語りかけた時、
「あれ?」
水面から見えるコケに楕円形の何かがくっついているのが見えた。
「これってまさか」
よく目を凝らして見ると、川べりに生えているコケにはすべて、楕円形のものが張り付いていた。
アンジェリカは娘の肩越しから、水面をのぞき込む。
「卵……でしょうか。蛍の」
その言葉に、泣き腫らした瞳で娘がアンジェリカの顔を見上げる。
「卵って……蛍の赤ちゃん? これ全部?」
少しだけ、娘の表情に生気が戻る。
「ええ。そうですよ」
娘はその言葉を聞くと、うわぁ、と声を弾ませる。父親の元へと駆けていくと、その手を引っ張り嬉しそうに親子で卵を見つめている。
未来は失われない。消し去るわけにはいかない。
自由騎士たちは、来年にはこの夜空を美しく彩る蛍の光を夢想しながら、笑みを浮かべるのだった。