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【女神の影】牙ある鳥

●
寿丸が、猛々しく嘶いた。
大柄な馬体に、敵意が漲っている。
鞍上から、武村夏美は愛馬の首を抱き締めた。
「静まれ、寿丸。あれは味方ぞ」
軍馬が、敵と認識してしまうのも当然。
そう思えるほど禍々しいものが、前方に着地したところである。
鴉天狗。最初は、そう見えた。
黒衣をまとい、黒い翼を背負い広げた、1人の若い男。
鍛え込まれた四肢は、空中戦においても地上戦においても、充分な凶器となるだろう。
「イ・ラプセルへようこそ、アマノホカリの姫君よ」
鴉天狗のような男は、言った。
夏美は、まずは馬を降りた。
「アイヴァーン・ゲルト殿、であったな。武村夏美と申す」
「アクアディーネ様の御慈悲は、他国の方々にも分け隔てなく、もたらされるであろう……が、ヒトの心は、そうはゆかぬ。嘆かわしい限りである」
アイヴァーン・ゲルトの鋭い眼光が、夏美の後方へと向けられる。
夏美が引き連れている、人々へと。
武村家の武士団に護衛された、人々の群れ。
自力で歩ける者ばかりではない。衰弱した子供を背負う女性、仲間の肩を借りた傷病者。
難民、と呼ぶべきであろう人々を、アイヴァーンは見渡した。
「イ・ラプセルの民は……アマノホカリの方々を受け入れず、石を投げて追い払い、このような放浪を強いているのだな」
「この者たちはアマノホカリの、民ではなく武士階級の氏族だ。受け入れられぬのは……仕方がない、とは言える」
人殺し。虐殺者。
行く先々で、そう罵られた。
我々を皆殺しにして、この土地を奪うつもりだろう。お前らがアマノホカリで、そうしたように。
イ・ラプセル国内の、どこへ行っても、そう言われた。石を投げられた。
宇羅将軍家の凶行が、余すところなく伝わっているのだ。
イ・ラプセルの人々にとって、アマノホカリの侍とその一族は『民を殺戮する者たち』なのである。
小柄な少年が1人、夏美の眼前に出てアイヴァーンと対峙した。
「……下がれ、仁太」
「姫様……この男、危険です!」
「……その危険極まる男がな、我らを救いに来てくれたのだ」
アイヴァーンの後方で、土煙が立ちのぼる。
大規模な、荷駄隊であった。
満載されているのは、主に食料と医薬品。
傷病者や赤児を大勢、引き連れている身としては、何としても手に入れなければならない物資である。
「アイヴァーン殿……見知らぬ貴公より書簡を受け取った時は、まさかと思ったぞ。酔狂が過ぎる、ともな……何故、我らに手を差し伸べてくれる?」
「アクアディーネ様の御世で、このような事が起こるのは許せぬ」
アイヴァーンは言った。
「聞き及んでいるぞ、武村夏美殿。宇羅将軍の暴虐より自領の民を守り抜いた貴女を……この国の者どもは、人殺しと呼ぶ。許しておけぬ」
「同じ事だ。武村家は結局、宇羅の愚行を止める事が出来なかったのだからな」
他国の民にしてみれば、宇羅将軍家も武村家も等しく虐殺者だ。武村が守り抜いた民よりも、宇羅に殺された民の方がずっと多いのだから。
アイヴァーンが、荷駄隊を片手で示した。
「ともあれ……僅かなもので心苦しいが、お受け取りいただこう。貴女は受け取らねばならぬ、この人々のために」
「…………感謝する」
夏美は、頭を下げた。
武村家の武士団から何人かが進み出て、物資の受け取りと開封に取りかかる。
「これほどの物資……全て、貴殿の私財で?」
「不浄の財を押収する機会があったのでな。それよりも」
アイヴァーンの目が、鋭さと険しさを増した。
「どの町で、どの村で、貴女がたは……石を投げられ、罵声を浴びたのであろうか?」
「……それを知って、何となさる?」
「殺し尽くす」
アイヴァーンは、即答した。
「アクアディーネ様が……長き旅路に、ついてしまわれた。そのような時であるからこそ、人々の心は清きものでなければならん。おぞましい差別を行う者ども、生かしてはおかぬ。殺し尽くして土地を空け、貴女がたに差し上げよう」
「……お気持ちだけに、していただく」
夏美は言った。
「何かひとつ違っておれば……我らの方が、差別を行う側となる。貴公もだぞ、アイヴァーン・ゲルト」
「……貴女は、高潔な心をお持ちのようだ。まるで自由騎士団のように」
アイヴァーンは、暗く微笑んだ。
「……俺は、あやつらのようにはなれぬ。悪しき者どもを見ると、殺さずにはおれん。神の蠱毒が終わり、世界が新たなる段階に至ったところで……ヒトの心は、変わりはしない。差別をする理由を際限なく見つけ出す! 仮にイブリースが全て消え失せたとしても、ヒトの世は穢れたままよ!」
暗黒色の翼から、凶暴な闘気が立ちのぼる。
「……自由騎士団がな、そのような者どもを……殺さぬからだ。故に、我らが行う。悪しき者ども、差別を行う者ども、人々を虐げ不浄の蓄財をなす者ども、ことごとく殺戮し尽くして世界を清める。アクアディーネ様の御帰還に備えて」
言いつつ、アイヴァーンは振り向いた。
駆け付けた者たちが、そこにいた。
「俺は今から、それを行う。さあ……どうする? 自由騎士団よ」
寿丸が、猛々しく嘶いた。
大柄な馬体に、敵意が漲っている。
鞍上から、武村夏美は愛馬の首を抱き締めた。
「静まれ、寿丸。あれは味方ぞ」
軍馬が、敵と認識してしまうのも当然。
そう思えるほど禍々しいものが、前方に着地したところである。
鴉天狗。最初は、そう見えた。
黒衣をまとい、黒い翼を背負い広げた、1人の若い男。
鍛え込まれた四肢は、空中戦においても地上戦においても、充分な凶器となるだろう。
「イ・ラプセルへようこそ、アマノホカリの姫君よ」
鴉天狗のような男は、言った。
夏美は、まずは馬を降りた。
「アイヴァーン・ゲルト殿、であったな。武村夏美と申す」
「アクアディーネ様の御慈悲は、他国の方々にも分け隔てなく、もたらされるであろう……が、ヒトの心は、そうはゆかぬ。嘆かわしい限りである」
アイヴァーン・ゲルトの鋭い眼光が、夏美の後方へと向けられる。
夏美が引き連れている、人々へと。
武村家の武士団に護衛された、人々の群れ。
自力で歩ける者ばかりではない。衰弱した子供を背負う女性、仲間の肩を借りた傷病者。
難民、と呼ぶべきであろう人々を、アイヴァーンは見渡した。
「イ・ラプセルの民は……アマノホカリの方々を受け入れず、石を投げて追い払い、このような放浪を強いているのだな」
「この者たちはアマノホカリの、民ではなく武士階級の氏族だ。受け入れられぬのは……仕方がない、とは言える」
人殺し。虐殺者。
行く先々で、そう罵られた。
我々を皆殺しにして、この土地を奪うつもりだろう。お前らがアマノホカリで、そうしたように。
イ・ラプセル国内の、どこへ行っても、そう言われた。石を投げられた。
宇羅将軍家の凶行が、余すところなく伝わっているのだ。
イ・ラプセルの人々にとって、アマノホカリの侍とその一族は『民を殺戮する者たち』なのである。
小柄な少年が1人、夏美の眼前に出てアイヴァーンと対峙した。
「……下がれ、仁太」
「姫様……この男、危険です!」
「……その危険極まる男がな、我らを救いに来てくれたのだ」
アイヴァーンの後方で、土煙が立ちのぼる。
大規模な、荷駄隊であった。
満載されているのは、主に食料と医薬品。
傷病者や赤児を大勢、引き連れている身としては、何としても手に入れなければならない物資である。
「アイヴァーン殿……見知らぬ貴公より書簡を受け取った時は、まさかと思ったぞ。酔狂が過ぎる、ともな……何故、我らに手を差し伸べてくれる?」
「アクアディーネ様の御世で、このような事が起こるのは許せぬ」
アイヴァーンは言った。
「聞き及んでいるぞ、武村夏美殿。宇羅将軍の暴虐より自領の民を守り抜いた貴女を……この国の者どもは、人殺しと呼ぶ。許しておけぬ」
「同じ事だ。武村家は結局、宇羅の愚行を止める事が出来なかったのだからな」
他国の民にしてみれば、宇羅将軍家も武村家も等しく虐殺者だ。武村が守り抜いた民よりも、宇羅に殺された民の方がずっと多いのだから。
アイヴァーンが、荷駄隊を片手で示した。
「ともあれ……僅かなもので心苦しいが、お受け取りいただこう。貴女は受け取らねばならぬ、この人々のために」
「…………感謝する」
夏美は、頭を下げた。
武村家の武士団から何人かが進み出て、物資の受け取りと開封に取りかかる。
「これほどの物資……全て、貴殿の私財で?」
「不浄の財を押収する機会があったのでな。それよりも」
アイヴァーンの目が、鋭さと険しさを増した。
「どの町で、どの村で、貴女がたは……石を投げられ、罵声を浴びたのであろうか?」
「……それを知って、何となさる?」
「殺し尽くす」
アイヴァーンは、即答した。
「アクアディーネ様が……長き旅路に、ついてしまわれた。そのような時であるからこそ、人々の心は清きものでなければならん。おぞましい差別を行う者ども、生かしてはおかぬ。殺し尽くして土地を空け、貴女がたに差し上げよう」
「……お気持ちだけに、していただく」
夏美は言った。
「何かひとつ違っておれば……我らの方が、差別を行う側となる。貴公もだぞ、アイヴァーン・ゲルト」
「……貴女は、高潔な心をお持ちのようだ。まるで自由騎士団のように」
アイヴァーンは、暗く微笑んだ。
「……俺は、あやつらのようにはなれぬ。悪しき者どもを見ると、殺さずにはおれん。神の蠱毒が終わり、世界が新たなる段階に至ったところで……ヒトの心は、変わりはしない。差別をする理由を際限なく見つけ出す! 仮にイブリースが全て消え失せたとしても、ヒトの世は穢れたままよ!」
暗黒色の翼から、凶暴な闘気が立ちのぼる。
「……自由騎士団がな、そのような者どもを……殺さぬからだ。故に、我らが行う。悪しき者ども、差別を行う者ども、人々を虐げ不浄の蓄財をなす者ども、ことごとく殺戮し尽くして世界を清める。アクアディーネ様の御帰還に備えて」
言いつつ、アイヴァーンは振り向いた。
駆け付けた者たちが、そこにいた。
「俺は今から、それを行う。さあ……どうする? 自由騎士団よ」
†シナリオ詳細†
■成功条件
1.アイヴァーン・ゲルトの撃破
お世話になっております。『女神の影』後編となります。
敵はアクア神殿の過激派筆頭アイヴァーン・ゲルト(ソラビト、男、24歳。格闘スタイル)。『震撃LV3』『影狼LV3』『回天號砲LV3』を使用します。
時間帯は真昼、場所はイ・ラプセル国内の原野。
アマノホカリの難民たちが周囲にいますが、戦闘に巻き込まれる事はありません。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
敵はアクア神殿の過激派筆頭アイヴァーン・ゲルト(ソラビト、男、24歳。格闘スタイル)。『震撃LV3』『影狼LV3』『回天號砲LV3』を使用します。
時間帯は真昼、場所はイ・ラプセル国内の原野。
アマノホカリの難民たちが周囲にいますが、戦闘に巻き込まれる事はありません。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
完了
報酬マテリア
2個
6個
2個
2個




参加費
100LP [予約時+50LP]
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
7日
参加人数
6/8
6/8
公開日
2021年07月16日
2021年07月16日
†メイン参加者 6人†
●
鬼神が、戦場を睥睨していた。
巨大な鬼が、『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)の小さな身体から出現し、この場の自由騎士6名に力を付与したところである。
鬼神の力を得た『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)が、地響きを轟かせた。
「確かにね、差別は駄目です。けど人殺しも駄目なんですよ! 言わなきゃわかりませんか!?」
大地に足型を刻む踏み込み。右の拳が、砲弾の如く繰り出される。
「貴方、やろうとする事が短絡的なんですよ! そういう人には、拳でわからせるしかないわけでっ!」
「うん……清々しいほど、短絡的だね……」
淡く白い、癒しと守りの光を振り撒きながら、『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)が微笑む。
その間、エルシーの拳が、黒衣の特務神官アイヴァーン・ゲルトを直撃していた。
アイヴァーンの拳も、エルシーに叩き込まれている。
壮絶な相討ちを遂げた両者が、大量の血飛沫を散らせ、よろめく。
倒れかけたエルシーを、セアラ・ラングフォード(CL3000634)が支えた。
癒しの光が、セアラの繊手からエルシーの身体へと流れ込む。魔導医療。マグノリアの振り撒いた白色光だけで完治するほど、エルシーは軽傷ではない。
「……短絡的、でしたね。絶対短絡、ぜつ☆たん、でした。ともかくアイヴァーン・ゲルト神官、貴方なかなかやりますけど1人じゃ勝ち目ありませんよ。悪いけど実戦ですから、こっちは集団で行かせてもらいます」
「……こちらの同志は、お前たちに敗れてしまったからな」
一方アイヴァーンは、支える者もおらず自力で踏みとどまらなければならなかった。治してくれる仲間もいない。
「……貴卿、孤独ではないのか」
呪力の錬成を行いながら、『智の実践者』テオドール・ベルヴァルド(CL3000375)が言い放つ。
「他者を助け守るにしても……このやりようでは、誰も賛同してはくれぬぞ」
錬成した力をテオドールは白き剣に込め、その刃を己の首筋に当てた。
目に見えぬ呪いの刃が、アイヴァーンの身体を切り裂いていた。首筋は、自力で外したようである。
それでも少なくない量の血飛沫を噴射しながら、アイヴァーンは呻く。
「……で、あろうな」
「何もかも納得ずくで、馬鹿を晒してるとでも言うのかい」
言いつつ、『クマの捜査官』ウェルス・ライヒトゥーム(CL3000033)が牙を剥く。
彼の中で猛獣が解放されている、とカノンは感じた。
「殺して回って、財を奪って再分配する……いつまで、そいつを続けるんだ?」
二丁拳銃を、ウェルスは構えた。
「この世の終わりまでか? お前が、死ぬまでか?」
「……そうだ。この命尽きるまで、俺は悪しき者どもを殺し続ける。不浄の財を、奪い続ける」
「それで後に続く奴が現れると?」
「現れずとも良い」
アイヴァーンが、吐血の汚れを拭い、身構え直す。
「俺は……俺1人の力で、出来る事をする。アクアディーネ様の御世を、清く保つために」
「……お前に殺されなかった奴が清く正しく生きると?」
「清く生きねば殺す。悪しき者どもはな、殺さぬ限り、いなくはならん」
アイヴァーンは、微笑んだ。
「お前も……その思いで、敵の命を奪ってきたのだろう? 我らの如く」
「ドヤ顔でも晒してやがるつもりか!」
ウェルスは引き金を引いた。
鬼神と獣、両方の力を宿した銃撃が、アイヴァーンを吹っ飛ばした。鮮血の霧が咲き、黒い羽根が舞い散った。
吹っ飛んだソラビトを、ウェルスはまさに獣の如く追う。
「おい、俺がいつ無抵抗の奴を殺したか言ってみろ!」
ウェルスの大きな拳が、起き上がりかけたアイヴァーンに叩き込まれる。
「俺が殺すのはな、戦う意志のある覚悟した連中だけだ。お前のようになあ! お前、ぶち殺される覚悟くらい出来てるんだろうが安心しろ、殺しはしない。このくらいで死ぬ奴じゃあねえ」
ウェルスは、アイヴァーンの胸ぐらを掴んだ。
「……聞け。神を殺さなければ、世界が滅ぶ。けど誰も、神を差し出すなんて馬鹿な事はしない……だから、国も人も巻き込んで戦争になった。そして俺たちは戦った。だが! 俺たちの戦いなんてものはな、100年もしないうちに忘れられる。それは、まあいい」
今にもウェルスは、その牙でアイヴァーンの喉を食いちぎってしまいそうだ。
「……お前ら神殿や政治家がやる事は数百年、千年先も、歴史として語り継がれていく。その権利を捨てて! 俺たちが守った民を殺した上に……自由騎士団が殺さないから自分らが殺す、だと? わかってんのか! 俺たちにしてみりゃなあ、そいつは後ろから味方に刺されるようなモンだっての!」
ウェルスは、アイヴァーンをぐしゃりと蹴り飛ばしていた。
止めるべきか、とカノンは一瞬だけ思った。思いとどまった。
ウェルスは今、戦いをしているのだ。
「お前が、アクアディーネ神に仕える僧侶であるなら! すべき事は粛清じゃないだろう!」
アイヴァーンの身体を物のように掴んで投げて地面に叩き付けながら、ウェルスはなおも吼える。
「民には懇切丁寧に、理論的に、情熱的に! 平和と友愛を説く! 腐った連中には証拠と裁判によって法の裁きを受けさせる! それを諦めてアクアディーネ神に責任転換」
咆哮が、そこで潰れた。
ウェルスの巨体が、吹っ飛んで地面に激突し、よろりと起き上がる。
腹部の辺りに、足跡が刻印されている。ウェルスは血を吐き、呻いた。
「……そうだ、それでいい。無抵抗は、いけねえよ」
「お前たちとて……まるで知らぬ、わけではあるまい……」
血まみれのアイヴァーンが、蹴り終えた片足をフワリと着地させる。
「……法の裁きが、どれほど無力なものか……証拠など、裁判など、金の力でどうとでもなる。不浄の財を持つ者どもには、それが出来る……そしてウェルス・ライヒトゥームよ」
ウェルスだけではなく自分も問いかけられている、とカノンは思った。
「無抵抗の者を殺戮する……覚悟ある者の命を、戦いの果てに奪う……この2つを、お前は明確に分けているのだろう。お前の心の中では、はっきりと線が引かれて消える事はないのだろう。だが」
「……わかってる。そんなもの、俺の心の中だけの事だ。他の連中が外側から見りゃ同じ事、ただのヒト殺しでしかねえよな。両方とも」
ウェルスが拳銃を構え直す。冷静さを、取り戻したようであった。
「ちょいとな、ぶちまけたかっただけだ。おかげでスッキリしたぜ」
「戦いだ。俺も、ぶちまけるさ」
瘴気にも似た闘気が、アイヴァーンの全身で燃え上がる。
「お互い……自身の正しいと思う事を、力で押し通すしかあるまい」
「君は」
カノンは言った。
この男と、会話は出来ない。それでも、言葉が出た。
「……自分のやり方が正しいと、本当に思っているんだね」
「そうでなければ戦いなど出来ぬ。お前は違うのか、カノン・イスルギ」
眼光が、カノンに向かって燃え上がる。
「己の行いが正しいという確固たるものもなく……ヨハネス教皇を殺し、シャンバラ皇国を滅ぼしたのか。ふらふらと迷いながら、ひとつの国家を滅亡へと導き、多くの民を苦しめたのか」
「……迷ったよ。その迷いも無くしちゃったら、おしまいなんだよ。君たちが、そうだ」
自分が正しい、などとカノンは思った事もない。
「何が正しい、何が間違っている。そんなの誰にもわからない。わからない事は、だけど何もしない言い訳にはならないんだよ。迷いながら、何かをする。やった事に後悔はしない。それだけなんだ。今の君に言っても、わかってもらえないだろうけど」
誰にも、わかってはもらえない。
そういうものかも知れない、とカノンは思う。
自分が教皇ヨハネスとの戦いに、1人の拳士として重く特別な何かを見出していたとしても。
他の者から見れば、それは暴走した正義の果てにある殺人でしかないのかも知れないのだ。
他者に理解してもらえる事など、実は何もないのではないか。
「……それでもね、これだけは言っておきたい」
カノンは踏み込んだ。
小さく鋭利な拳が超高速で弧を描き、アイヴァーンの身体を激しくへし曲げていた。
「わかってくれないなら、それでいい……わからないなら、カノンとヨハネス教皇の戦いに軽々しく立ち入って欲しくないよ。名前、出さないで」
「ほう……それは、すまんなっ!」
アイヴァーンが血を吐き、笑い、五指で鉤爪を作る。
その一撃がカノンを襲う、寸前。
「アイヴァーン・ゲルト……君は、ひとつ現実を受け入れなければならない」
マグノリアが言葉と共に、存在しない弓を引き、弦を手放していた。
魔力の矢が2本、アイヴァーンに突き刺っていた。
「…………アクアディーネは、もう帰らないよ……」
「……世迷い言を……ッ……!」
鮮血の飛沫を噴き、黒い羽根を舞い散らせ、アイヴァーンは激昂していた。吼えていた。怒り狂っていた。
「戯言を! ほざくな、貴様ぁああああっ!」
●
ホムンクルス、よりも儚いものたちが、そこに出現していた。
マグノリアの錬金術が生み出した、人形兵士の部隊。槍や剣でアイヴァーンに攻撃を喰らわせながら、砕け散り消滅してゆく。
彼らの破片を蹴散らしながらアイヴァーンは暴れ狂い、ウェルスに激突し、エルシーと殴り合い、カノンとぶつかり合う。
その3人に、セアラは魔導医療の光を投げかけ続けた。
エルシーが、カノンが、ウェルスが、負傷とほぼ同時に回復してゆく。
人形兵団を操縦しながらマグノリアが、セアラの消耗を気にしてくれているのがわかった。
確かに、治療回復に専念出来る者は今のところセアラ1人である。
だが自分が力尽きる事はない、とセアラは思った。その前に、戦いは終わる。
この6人を相手に、勝てるわけがないのだ。
「アイヴァーン様……ひとつ、お聞かせ下さい」
降服勧告など、聞き入れてはくれないだろう。別の事をセアラは言った。
「貴方は……かつて、自由騎士団におられたのですか」
「……イブリースと戦っていた。戦いながら、俺は思った」
エルシーの蹴りを喰らい、よろめきつつも、アイヴァーンは答える。
「こやつらがいる限り……イブリースは永遠に出現し続ける、とな」
「確かに……多くの場合、イブリースはヒトの悪しき心が原因で生まれます。貴方は、それが許せなかったのですか」
癒しの光をカノンに浴びせながら、セアラはなおも言った。
「……最後の戦いが、間もなく行われます。それに私たちが勝利した瞬間、世の人々の心が清らかなるものとなり、誰も悪事を働かなくなる……そんな奇跡が、起これば素晴らしいのですが」
「殺したのだな」
テオドールが、呪力の刃で自身を斬る。
「恐らくはイブリース発生の原因となる悪事を働いた者を……貴卿は許せず、殺害した。そして自由騎士団を追放された」
「何人か、いますよ。そういう人。私、知ってます」
血飛沫をぶちまけるアイヴァーンに、エルシーが必殺の拳を叩き込む。
「ちょっと道を間違えただけで、目的地は私たちと同じ……同志、仲間だって! 私、勝手に思ってますから!」
深紅の衝撃光が飛散し、アイヴァーンが吹っ飛んで行く。
「仲間として……まずは貴方に、反省をしてもらいます」
「アイヴァーン……君は、僕たちから見れば虐殺者だ」
吹っ飛び、倒れ、起き上がるアイヴァーンに、マグノリアが手を緩めずに人形兵団を突撃させる。
「けれど……君のその行動で、助かった人々もいる。彼らにとって、君は英雄だろう」
遠巻きに戦いを見守るアマノホカリの難民たちに、マグノリアは視線を投げた。
「彼らに石を投げ、追い出し、生きる道を閉ざす……許せない行いだろうね。でも……そんな事が行われてしまう原因は『正しく知らず』『不安だから』だ。正しく伝達させる力、不安を収める力に……僕は、ならなければいけないと思っている。君は、どうかな」
「……要らぬ……他者を攻撃する事でしか、不安を晴らせぬ者どもなど! アクアディーネ様の御世には要らぬ!」
アイヴァーンが、人形兵の破片を蹴散らした。
「俺は、そのような者どもから不浄の財を奪い、土地を奪う! そして真に救いを必要とする人々に」
轟音が、アイヴァーンを黙らせた。
ウェルスの大きな両手で、砲身が砕け散っていた。
砲撃に灼かれ、倒れ伏したアイヴァーンに、テオドールが言葉をかける。存在しない弓を引きながら。
「……それこそ世迷い言というものだ。この国の土地は、全て陛下の温情の元に賜り、皆で統治しているものであるのだぞ」
「……陛下……ふふ、エドワード王か……」
アイヴァーンが、ゆらりと立ち上がる。
「何が出来るのかな? あのような……自由騎士団という力を擁しながら、悪しき者どもを一掃する事も出来ぬ……惰弱な、王に」
「……程々にせよ、アイヴァーン・ゲルト」
テオドールは躊躇いもなく、魔力の矢を放っていた。
直撃を喰らったアイヴァーンが、鮮血をぶちまけて痙攣する。テオドールは、なおも言葉を投げる。
「罵詈雑言の投げ合いは一向に構わぬ。私に対しては、いかなる言葉であろうと好きに放つが良い……エドワード陛下への無礼・不敬は、許さぬぞ」
「要らぬ……王など、要らぬ!」
痙攣を振りきるようにアイヴァーンは、傷付いた翼で猛々しく痛々しく羽ばたき、踏み込んで来た。
「この世には、アクアディーネ様と! 心清き民だけが、存在しておれば良いのだ! それがわからぬか」
「いい加減にしろ! この大バカ野郎!」
カノンが叫び、迎え撃った。
見えざる拳。そのようにしか、思えなかった。
「アクアディーネ様はね、いなくなっちゃったんだよ! カノンたちが平気だとでも思ってるわけ!?」
セアラには目視不可能の一撃が、アイヴァーンを打ち倒していた。
「……どんなに駄々こねたってね、アクアディーネ様はもう帰って来てくれないんだよ」
「…………嘘だ……」
アイヴァーンは、もう立ち上がらない。弱々しく、声を漏らすだけだ。
「……嘘だと……言ってくれ……」
「……みんな、これから忙しくなる。君だってね、石を投げて来る人たちを殺して回るような暇はなくなるよ」
カノンが、背を向ける。
代わるように、マグノリアが言葉をかける。
「やはり……彼女に1番帰ってきて欲しいと願っているのは、今は……君、なのかも知れない」
小さな身体が、アイヴァーンの傍らに膝をつく。
「……ヒトは、不浄のものだよ。聖人じゃあない……それでも、彼女が愛したものの1つだ。だから、僕は守る。君も、一緒に来て欲しい……見届けて欲しい。アクアディーネを失った後の、ヒトの往く道を」
アクアディーネを失った後。
そのような世界を、彼は受け入れる事が出来るのか。
思いつつセアラは、アイヴァーンの身体に手を触れた。
「真っ先に申し上げるべき、でしたね。アイヴァーン様……夏美姫様たちを助けて下さって、ありがとうございます」
何も言わなくなったアイヴァーンに、生命維持のための最低限の魔導医療を施す。
エルシーが、見下ろした。
「ゆっくり休んで、とっとと元気になってもらいますよ。負けた人に拒否権はありません。私と一緒に、神殿の雑務をこなしてもらいます。朝から晩まで、こき使いますからね」
「神殿は……あり続ける、のでしょうね。アクアディーネ様が、いなくなられた後も」
セアラは言った。エルシーが、俯く。
「……神殿として、やらなきゃいけない事はいくらでもあります……アクアディーネ様が、いらっしゃらなくても……」
アイヴァーン、だけではない。
アクアディーネの消滅を本当に受け入れている自由騎士など、1人もいないのではないか、とセアラは思う。
蹄の音が、聞こえた。
武村夏美が、愛馬・寿丸の鞍上を降り、頭を下げる。
「……武家の指導者として、無様なところを見せてしまったな」
「何言ってるの、夏美さんは立派だよ」
カノンに続いて、セアラは言った。
「夏美姫様……御無事とは言い難くも、生きておられた事。本当に嬉しく思います。磐成山の方々に続く、幸せな再会です」
「おぬしらに会いたかった」
夏美は、涙ぐんでいた。
「おぬしらに頼ろうかと、何度思った事か知れぬ……」
「頼って下されば良かったのに……大名家の誇りが、それを許さなかったのですね」
セアラは軽く、夏美を抱き締めていた。
「家中の方々を、御自分の力だけで守らなければ……そう思ってしまわれたのでしょう。ですが、こうして私たちの知るところとなってしまいました。運の尽き、ですね」
間近から、微笑みかける。
「貴女様の自由意志は一切、考慮いたしません。お助け、いたしますよ」
「…………すまぬ……」
「うむ、寿丸も息災で何より」
テオドールが言い、寿丸が軽く嘶く。
「……貴族としての特権と人脈、大いに活用させていただく。アマノホカリの方々よ、まずは我がベルヴァルド領においでいただこう」
「アラムさんやネリオさんにも、声かけたいね」
「苫三さんにも。ねえ夏美さん、磐成山の人たちですよ」
「あの人々が……」
「通商連にも話は通しておこうか。無償の人助けは出来ないが……お前さん方にも、仕事が必要だろう」
カノンやエルシーやウェルスの話を、アイヴァーンは呆然と聞き流している。
セアラは、言葉をかけた。
「ほら……貴方が躍起になって殺戮などなさらずとも、この方々に差し伸べられる手はあります。焦らずに、参りましょう」
鬼神が、戦場を睥睨していた。
巨大な鬼が、『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)の小さな身体から出現し、この場の自由騎士6名に力を付与したところである。
鬼神の力を得た『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)が、地響きを轟かせた。
「確かにね、差別は駄目です。けど人殺しも駄目なんですよ! 言わなきゃわかりませんか!?」
大地に足型を刻む踏み込み。右の拳が、砲弾の如く繰り出される。
「貴方、やろうとする事が短絡的なんですよ! そういう人には、拳でわからせるしかないわけでっ!」
「うん……清々しいほど、短絡的だね……」
淡く白い、癒しと守りの光を振り撒きながら、『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)が微笑む。
その間、エルシーの拳が、黒衣の特務神官アイヴァーン・ゲルトを直撃していた。
アイヴァーンの拳も、エルシーに叩き込まれている。
壮絶な相討ちを遂げた両者が、大量の血飛沫を散らせ、よろめく。
倒れかけたエルシーを、セアラ・ラングフォード(CL3000634)が支えた。
癒しの光が、セアラの繊手からエルシーの身体へと流れ込む。魔導医療。マグノリアの振り撒いた白色光だけで完治するほど、エルシーは軽傷ではない。
「……短絡的、でしたね。絶対短絡、ぜつ☆たん、でした。ともかくアイヴァーン・ゲルト神官、貴方なかなかやりますけど1人じゃ勝ち目ありませんよ。悪いけど実戦ですから、こっちは集団で行かせてもらいます」
「……こちらの同志は、お前たちに敗れてしまったからな」
一方アイヴァーンは、支える者もおらず自力で踏みとどまらなければならなかった。治してくれる仲間もいない。
「……貴卿、孤独ではないのか」
呪力の錬成を行いながら、『智の実践者』テオドール・ベルヴァルド(CL3000375)が言い放つ。
「他者を助け守るにしても……このやりようでは、誰も賛同してはくれぬぞ」
錬成した力をテオドールは白き剣に込め、その刃を己の首筋に当てた。
目に見えぬ呪いの刃が、アイヴァーンの身体を切り裂いていた。首筋は、自力で外したようである。
それでも少なくない量の血飛沫を噴射しながら、アイヴァーンは呻く。
「……で、あろうな」
「何もかも納得ずくで、馬鹿を晒してるとでも言うのかい」
言いつつ、『クマの捜査官』ウェルス・ライヒトゥーム(CL3000033)が牙を剥く。
彼の中で猛獣が解放されている、とカノンは感じた。
「殺して回って、財を奪って再分配する……いつまで、そいつを続けるんだ?」
二丁拳銃を、ウェルスは構えた。
「この世の終わりまでか? お前が、死ぬまでか?」
「……そうだ。この命尽きるまで、俺は悪しき者どもを殺し続ける。不浄の財を、奪い続ける」
「それで後に続く奴が現れると?」
「現れずとも良い」
アイヴァーンが、吐血の汚れを拭い、身構え直す。
「俺は……俺1人の力で、出来る事をする。アクアディーネ様の御世を、清く保つために」
「……お前に殺されなかった奴が清く正しく生きると?」
「清く生きねば殺す。悪しき者どもはな、殺さぬ限り、いなくはならん」
アイヴァーンは、微笑んだ。
「お前も……その思いで、敵の命を奪ってきたのだろう? 我らの如く」
「ドヤ顔でも晒してやがるつもりか!」
ウェルスは引き金を引いた。
鬼神と獣、両方の力を宿した銃撃が、アイヴァーンを吹っ飛ばした。鮮血の霧が咲き、黒い羽根が舞い散った。
吹っ飛んだソラビトを、ウェルスはまさに獣の如く追う。
「おい、俺がいつ無抵抗の奴を殺したか言ってみろ!」
ウェルスの大きな拳が、起き上がりかけたアイヴァーンに叩き込まれる。
「俺が殺すのはな、戦う意志のある覚悟した連中だけだ。お前のようになあ! お前、ぶち殺される覚悟くらい出来てるんだろうが安心しろ、殺しはしない。このくらいで死ぬ奴じゃあねえ」
ウェルスは、アイヴァーンの胸ぐらを掴んだ。
「……聞け。神を殺さなければ、世界が滅ぶ。けど誰も、神を差し出すなんて馬鹿な事はしない……だから、国も人も巻き込んで戦争になった。そして俺たちは戦った。だが! 俺たちの戦いなんてものはな、100年もしないうちに忘れられる。それは、まあいい」
今にもウェルスは、その牙でアイヴァーンの喉を食いちぎってしまいそうだ。
「……お前ら神殿や政治家がやる事は数百年、千年先も、歴史として語り継がれていく。その権利を捨てて! 俺たちが守った民を殺した上に……自由騎士団が殺さないから自分らが殺す、だと? わかってんのか! 俺たちにしてみりゃなあ、そいつは後ろから味方に刺されるようなモンだっての!」
ウェルスは、アイヴァーンをぐしゃりと蹴り飛ばしていた。
止めるべきか、とカノンは一瞬だけ思った。思いとどまった。
ウェルスは今、戦いをしているのだ。
「お前が、アクアディーネ神に仕える僧侶であるなら! すべき事は粛清じゃないだろう!」
アイヴァーンの身体を物のように掴んで投げて地面に叩き付けながら、ウェルスはなおも吼える。
「民には懇切丁寧に、理論的に、情熱的に! 平和と友愛を説く! 腐った連中には証拠と裁判によって法の裁きを受けさせる! それを諦めてアクアディーネ神に責任転換」
咆哮が、そこで潰れた。
ウェルスの巨体が、吹っ飛んで地面に激突し、よろりと起き上がる。
腹部の辺りに、足跡が刻印されている。ウェルスは血を吐き、呻いた。
「……そうだ、それでいい。無抵抗は、いけねえよ」
「お前たちとて……まるで知らぬ、わけではあるまい……」
血まみれのアイヴァーンが、蹴り終えた片足をフワリと着地させる。
「……法の裁きが、どれほど無力なものか……証拠など、裁判など、金の力でどうとでもなる。不浄の財を持つ者どもには、それが出来る……そしてウェルス・ライヒトゥームよ」
ウェルスだけではなく自分も問いかけられている、とカノンは思った。
「無抵抗の者を殺戮する……覚悟ある者の命を、戦いの果てに奪う……この2つを、お前は明確に分けているのだろう。お前の心の中では、はっきりと線が引かれて消える事はないのだろう。だが」
「……わかってる。そんなもの、俺の心の中だけの事だ。他の連中が外側から見りゃ同じ事、ただのヒト殺しでしかねえよな。両方とも」
ウェルスが拳銃を構え直す。冷静さを、取り戻したようであった。
「ちょいとな、ぶちまけたかっただけだ。おかげでスッキリしたぜ」
「戦いだ。俺も、ぶちまけるさ」
瘴気にも似た闘気が、アイヴァーンの全身で燃え上がる。
「お互い……自身の正しいと思う事を、力で押し通すしかあるまい」
「君は」
カノンは言った。
この男と、会話は出来ない。それでも、言葉が出た。
「……自分のやり方が正しいと、本当に思っているんだね」
「そうでなければ戦いなど出来ぬ。お前は違うのか、カノン・イスルギ」
眼光が、カノンに向かって燃え上がる。
「己の行いが正しいという確固たるものもなく……ヨハネス教皇を殺し、シャンバラ皇国を滅ぼしたのか。ふらふらと迷いながら、ひとつの国家を滅亡へと導き、多くの民を苦しめたのか」
「……迷ったよ。その迷いも無くしちゃったら、おしまいなんだよ。君たちが、そうだ」
自分が正しい、などとカノンは思った事もない。
「何が正しい、何が間違っている。そんなの誰にもわからない。わからない事は、だけど何もしない言い訳にはならないんだよ。迷いながら、何かをする。やった事に後悔はしない。それだけなんだ。今の君に言っても、わかってもらえないだろうけど」
誰にも、わかってはもらえない。
そういうものかも知れない、とカノンは思う。
自分が教皇ヨハネスとの戦いに、1人の拳士として重く特別な何かを見出していたとしても。
他の者から見れば、それは暴走した正義の果てにある殺人でしかないのかも知れないのだ。
他者に理解してもらえる事など、実は何もないのではないか。
「……それでもね、これだけは言っておきたい」
カノンは踏み込んだ。
小さく鋭利な拳が超高速で弧を描き、アイヴァーンの身体を激しくへし曲げていた。
「わかってくれないなら、それでいい……わからないなら、カノンとヨハネス教皇の戦いに軽々しく立ち入って欲しくないよ。名前、出さないで」
「ほう……それは、すまんなっ!」
アイヴァーンが血を吐き、笑い、五指で鉤爪を作る。
その一撃がカノンを襲う、寸前。
「アイヴァーン・ゲルト……君は、ひとつ現実を受け入れなければならない」
マグノリアが言葉と共に、存在しない弓を引き、弦を手放していた。
魔力の矢が2本、アイヴァーンに突き刺っていた。
「…………アクアディーネは、もう帰らないよ……」
「……世迷い言を……ッ……!」
鮮血の飛沫を噴き、黒い羽根を舞い散らせ、アイヴァーンは激昂していた。吼えていた。怒り狂っていた。
「戯言を! ほざくな、貴様ぁああああっ!」
●
ホムンクルス、よりも儚いものたちが、そこに出現していた。
マグノリアの錬金術が生み出した、人形兵士の部隊。槍や剣でアイヴァーンに攻撃を喰らわせながら、砕け散り消滅してゆく。
彼らの破片を蹴散らしながらアイヴァーンは暴れ狂い、ウェルスに激突し、エルシーと殴り合い、カノンとぶつかり合う。
その3人に、セアラは魔導医療の光を投げかけ続けた。
エルシーが、カノンが、ウェルスが、負傷とほぼ同時に回復してゆく。
人形兵団を操縦しながらマグノリアが、セアラの消耗を気にしてくれているのがわかった。
確かに、治療回復に専念出来る者は今のところセアラ1人である。
だが自分が力尽きる事はない、とセアラは思った。その前に、戦いは終わる。
この6人を相手に、勝てるわけがないのだ。
「アイヴァーン様……ひとつ、お聞かせ下さい」
降服勧告など、聞き入れてはくれないだろう。別の事をセアラは言った。
「貴方は……かつて、自由騎士団におられたのですか」
「……イブリースと戦っていた。戦いながら、俺は思った」
エルシーの蹴りを喰らい、よろめきつつも、アイヴァーンは答える。
「こやつらがいる限り……イブリースは永遠に出現し続ける、とな」
「確かに……多くの場合、イブリースはヒトの悪しき心が原因で生まれます。貴方は、それが許せなかったのですか」
癒しの光をカノンに浴びせながら、セアラはなおも言った。
「……最後の戦いが、間もなく行われます。それに私たちが勝利した瞬間、世の人々の心が清らかなるものとなり、誰も悪事を働かなくなる……そんな奇跡が、起これば素晴らしいのですが」
「殺したのだな」
テオドールが、呪力の刃で自身を斬る。
「恐らくはイブリース発生の原因となる悪事を働いた者を……貴卿は許せず、殺害した。そして自由騎士団を追放された」
「何人か、いますよ。そういう人。私、知ってます」
血飛沫をぶちまけるアイヴァーンに、エルシーが必殺の拳を叩き込む。
「ちょっと道を間違えただけで、目的地は私たちと同じ……同志、仲間だって! 私、勝手に思ってますから!」
深紅の衝撃光が飛散し、アイヴァーンが吹っ飛んで行く。
「仲間として……まずは貴方に、反省をしてもらいます」
「アイヴァーン……君は、僕たちから見れば虐殺者だ」
吹っ飛び、倒れ、起き上がるアイヴァーンに、マグノリアが手を緩めずに人形兵団を突撃させる。
「けれど……君のその行動で、助かった人々もいる。彼らにとって、君は英雄だろう」
遠巻きに戦いを見守るアマノホカリの難民たちに、マグノリアは視線を投げた。
「彼らに石を投げ、追い出し、生きる道を閉ざす……許せない行いだろうね。でも……そんな事が行われてしまう原因は『正しく知らず』『不安だから』だ。正しく伝達させる力、不安を収める力に……僕は、ならなければいけないと思っている。君は、どうかな」
「……要らぬ……他者を攻撃する事でしか、不安を晴らせぬ者どもなど! アクアディーネ様の御世には要らぬ!」
アイヴァーンが、人形兵の破片を蹴散らした。
「俺は、そのような者どもから不浄の財を奪い、土地を奪う! そして真に救いを必要とする人々に」
轟音が、アイヴァーンを黙らせた。
ウェルスの大きな両手で、砲身が砕け散っていた。
砲撃に灼かれ、倒れ伏したアイヴァーンに、テオドールが言葉をかける。存在しない弓を引きながら。
「……それこそ世迷い言というものだ。この国の土地は、全て陛下の温情の元に賜り、皆で統治しているものであるのだぞ」
「……陛下……ふふ、エドワード王か……」
アイヴァーンが、ゆらりと立ち上がる。
「何が出来るのかな? あのような……自由騎士団という力を擁しながら、悪しき者どもを一掃する事も出来ぬ……惰弱な、王に」
「……程々にせよ、アイヴァーン・ゲルト」
テオドールは躊躇いもなく、魔力の矢を放っていた。
直撃を喰らったアイヴァーンが、鮮血をぶちまけて痙攣する。テオドールは、なおも言葉を投げる。
「罵詈雑言の投げ合いは一向に構わぬ。私に対しては、いかなる言葉であろうと好きに放つが良い……エドワード陛下への無礼・不敬は、許さぬぞ」
「要らぬ……王など、要らぬ!」
痙攣を振りきるようにアイヴァーンは、傷付いた翼で猛々しく痛々しく羽ばたき、踏み込んで来た。
「この世には、アクアディーネ様と! 心清き民だけが、存在しておれば良いのだ! それがわからぬか」
「いい加減にしろ! この大バカ野郎!」
カノンが叫び、迎え撃った。
見えざる拳。そのようにしか、思えなかった。
「アクアディーネ様はね、いなくなっちゃったんだよ! カノンたちが平気だとでも思ってるわけ!?」
セアラには目視不可能の一撃が、アイヴァーンを打ち倒していた。
「……どんなに駄々こねたってね、アクアディーネ様はもう帰って来てくれないんだよ」
「…………嘘だ……」
アイヴァーンは、もう立ち上がらない。弱々しく、声を漏らすだけだ。
「……嘘だと……言ってくれ……」
「……みんな、これから忙しくなる。君だってね、石を投げて来る人たちを殺して回るような暇はなくなるよ」
カノンが、背を向ける。
代わるように、マグノリアが言葉をかける。
「やはり……彼女に1番帰ってきて欲しいと願っているのは、今は……君、なのかも知れない」
小さな身体が、アイヴァーンの傍らに膝をつく。
「……ヒトは、不浄のものだよ。聖人じゃあない……それでも、彼女が愛したものの1つだ。だから、僕は守る。君も、一緒に来て欲しい……見届けて欲しい。アクアディーネを失った後の、ヒトの往く道を」
アクアディーネを失った後。
そのような世界を、彼は受け入れる事が出来るのか。
思いつつセアラは、アイヴァーンの身体に手を触れた。
「真っ先に申し上げるべき、でしたね。アイヴァーン様……夏美姫様たちを助けて下さって、ありがとうございます」
何も言わなくなったアイヴァーンに、生命維持のための最低限の魔導医療を施す。
エルシーが、見下ろした。
「ゆっくり休んで、とっとと元気になってもらいますよ。負けた人に拒否権はありません。私と一緒に、神殿の雑務をこなしてもらいます。朝から晩まで、こき使いますからね」
「神殿は……あり続ける、のでしょうね。アクアディーネ様が、いなくなられた後も」
セアラは言った。エルシーが、俯く。
「……神殿として、やらなきゃいけない事はいくらでもあります……アクアディーネ様が、いらっしゃらなくても……」
アイヴァーン、だけではない。
アクアディーネの消滅を本当に受け入れている自由騎士など、1人もいないのではないか、とセアラは思う。
蹄の音が、聞こえた。
武村夏美が、愛馬・寿丸の鞍上を降り、頭を下げる。
「……武家の指導者として、無様なところを見せてしまったな」
「何言ってるの、夏美さんは立派だよ」
カノンに続いて、セアラは言った。
「夏美姫様……御無事とは言い難くも、生きておられた事。本当に嬉しく思います。磐成山の方々に続く、幸せな再会です」
「おぬしらに会いたかった」
夏美は、涙ぐんでいた。
「おぬしらに頼ろうかと、何度思った事か知れぬ……」
「頼って下されば良かったのに……大名家の誇りが、それを許さなかったのですね」
セアラは軽く、夏美を抱き締めていた。
「家中の方々を、御自分の力だけで守らなければ……そう思ってしまわれたのでしょう。ですが、こうして私たちの知るところとなってしまいました。運の尽き、ですね」
間近から、微笑みかける。
「貴女様の自由意志は一切、考慮いたしません。お助け、いたしますよ」
「…………すまぬ……」
「うむ、寿丸も息災で何より」
テオドールが言い、寿丸が軽く嘶く。
「……貴族としての特権と人脈、大いに活用させていただく。アマノホカリの方々よ、まずは我がベルヴァルド領においでいただこう」
「アラムさんやネリオさんにも、声かけたいね」
「苫三さんにも。ねえ夏美さん、磐成山の人たちですよ」
「あの人々が……」
「通商連にも話は通しておこうか。無償の人助けは出来ないが……お前さん方にも、仕事が必要だろう」
カノンやエルシーやウェルスの話を、アイヴァーンは呆然と聞き流している。
セアラは、言葉をかけた。
「ほら……貴方が躍起になって殺戮などなさらずとも、この方々に差し伸べられる手はあります。焦らずに、参りましょう」