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聖戦の爪痕に汚濁が溜まる




「お話になりません。何ですか、これは」
 民政官ネリオ・グラーク男爵が、卓上に書類を叩きつけた。
 旧シャンバラ皇国領、イ・ラプセル総督府。
 卓の向こう側で豪奢な椅子に座った年配の男が、怒りのあまり青ざめたり紅潮したりしている。
 総督府の高官。ネリオ男爵よりも、位は上だ。何人かの兵士を、周囲に控えさせている。
 対してネリオが伴っているのは、徴税官ガロム・ザグただ1名のみだ。
 高官が言った。
「ネリオ・グラーク男爵……貴官は、総督府の決定に逆らうのか?」
「僕を含む民政担当者全員の押印がなければ、決定事項にはならないはずです。そして僕は、こんなものに印を押すつもりはありません」
 ネリオは再び書類を手に取り、叩いた。
「ここの現状を貴方がたはわかっているのですか? 今まで神様が何もかも与えてくれた、そんな連中がようやく自力で産業をやり始めたばかりなんですよ。こんな税金が取れるわけないでしょう」
「占領政策とは慈善事業ではないのだぞ! 一刻も早く税収を上げねば、我が国の財政に負担を強いる一方だという事がわからんのか!」
 高官が、ガロムに人差し指を向ける。
「そやつが連れて来た者どもを換金し、税の不足に充てれば良いだけの話であろうが」
「換金……だと……」
 ガロムは呻いた。
「人を、売り払えと言うのか……貴様ら、為政者の身でありながら奴隷商の類と結託しているのか」
 ネリオが片手を上げ、制止してくれなかったら、高官の顔面に拳を叩き込んでいたかも知れない。
「……そんな事をさせるために、僕は彼を引き抜いてきたわけではありませんよ」
 片手を掲げたまま、ネリオは言った。
「ガロム氏が、働きもしない男どもの奥さんや子供を連行して来るのはね、真っ当な労働者と未来の納税者を保護するためです。将来の税収のためなのですよ」
「将来だと! 何を悠長な……」
「今でも税収が0なわけではないでしょう。皆、少しずつ税金を払ってくれるようになりましたよ。もちろん払わない奴もいるからガロム氏が必要なわけですが……今はまだ、そういう段階です。ここで搾取に走ったら反乱が起こりますよ」
「そのようなもの鎮圧すれば良かろうが! 我が国が何のためにオラクルどもを飼っているのか」
「自由騎士団が、そんな事してくれるわけないでしょうがっ!」
 ネリオが卓を叩く。
 高官が半ば怯み、半ば怒り、兵士らに命じた。
「こ、こやつを捕えよ! 反逆罪である」
 無言で、ガロムは兵士らを睨み据えた。
 高官を含む全員が、震え上がり動かなくなった。


「あんたがいてくれて本当に大助かりだよガロム君。オラクルの威を借りて、無茶を押し通せるからね」
 木々に囲まれた小径をガロム・ザグと共に歩きながら、ネリオ・グラークは言った。
 にこりともせずにガロムが応える。
「……かつて私は、オラクルとしての力をもって1人の暴君を支えていた。暴虐に、手を貸していたのだ。ネリオ男爵、あんたに暴政を始める兆しが見えたら」
「わかっているさ。僕を、始末してくれればいい」
 ベレオヌス・ヴィスケーノ侯爵のように……とまでは、ネリオは言わずにおいた。かの暴君は病で亡くなった、という事になっているのだ。
「それにしても……どうだいガロム君。ひどいものだろう、この国は」
 ネリオは話題を変えた。
「民衆は意外と皆、真面目に働いてはくれる。ただ、あの神民という連中だけはね……まあ総督府があの様では、偉そうな事も言えないかな」
「……始末するならば、あの輩ではないのか」
「まあ……それは、最後の手段という事にしておこう。イブリースを退治するのとは、わけが違う」
「イブリース、か」
 歩きながら、ガロムはちらりと見回した。
 総督府の近くである。もう少し歩けば、湖がある。
「どうしたガロム君、イブリース退治がしたいか。まあ貧乏人を虐めるよりは、そちらの方がオラクルの本懐と言うべきかな」
「別に、そういうわけではないが……む」
 湖が見えた。
 湖畔の、大きな岩の上に、小さな人影があった。
 子供である。幼い男の子が1人、ぼんやりと岩に腰掛けて湖を見つめていた。
 ガロムが歩み寄り、声をかける。
「……スバル・トニッシュ、何をしている。学校はどうした」
 男の子が立ち上がり、恐る恐る、岩から降りて来る。幼い子供では、いささか上り下りが危険な大岩だ。
 手を貸そうとするネリオを、今度はガロムの方が止めた。
 スバル・トニッシュは、シャンバラ皇国の特権階級『神民』の家庭に生まれた少年である。
 皇国の滅亡に伴い特権を失った父親によって、人身売買業者に売り渡されるところであったのだ。
 そういう事があるから、このガロム・ザグのような人材が必要となる。
 どうにか自力で降りて来たスバルが、頭を下げた。
「ごめんなさい……」
「学校の授業は、つまらない……と言うより、ひどくて聞くに耐えませんか」
 ネリオは身を屈め、スバルと目の高さを合わせた。
「先生は、どんな事を言っていますか?」
「アクアディーネさまは、すばらしい神さま……ミトラースさまは、ひどい悪魔……」
 旧シャンバラの子供たちを教育するために、イ・ラプセルが建てた学校である。アクアディーネを肯定し、ミトラースを否定する。それは、まあ当然ではあった。
 それは、しかし下手な教え方をすると、子供たちの全てを否定する事になってしまう。
「だから……ぼくたちは、悪魔にだまされてきた、かわいそうでバカなやつだって……」
「わかりました、その教師は罷免させましょう。教育内容も少し考え直させねば」
「おいおい、そんな事まで民政官が……」
 言いかけたガロムが、息を呑んだ。
 大型の剣を抜き放ちながら湖の方を向き、ネリオとスバルを背後に庇う。
 湖面が盛り上がり、破裂していた。大量の水飛沫が、ガロムのたくましい全身を濡らす。
 水中から、巨大なものが出現していた。
 哀れみを催すほどに醜悪な、蠢き震える肉塊。腐敗した全身いたる所で口を開き、寄生虫のような舌を吐き出しうねらせ、牙を剥き、瘴気の吐息を小刻みに噴射している。
「ガロム君は……聖獣、というものをご存じか」
 書類から得た情報に過ぎない事を、ネリオは口にした。
「生ける兵器。シャンバラ皇国の魔導技術によって作り出された、人造の生命……で、あったらしい。当然、失敗作もあって、殺処分の後この湖に投棄されていたという」
「そしてイブリースと化し、人を襲う……か。わかりやすい話だ」
 イブリースの腐敗した巨体が、どろりと湖畔に這い上がって来る。
 牙が、棘のある舌が、瘴気の息吹が、ガロムを襲う。ガロムがいなければ、ネリオとスバルがたちどころに殺されているところだ。
「ネリオ男爵! スバルを連れて逃げろ!」
 踏み込み、剣を振るい、応戦しながら、ガロムは言った。
 自分など、この場にいたところで何の役にも立たない。それは、ネリオも理解はしていた。


†シナリオ詳細†
シナリオタイプ
通常シナリオ
シナリオカテゴリー
魔物討伐
担当ST
小湊拓也
■成功条件
1.イブリース(1体)の撃破
 お世話になっております。ST小湊拓也です。

 旧シャンバラ領内。とある湖で、投棄されていた聖獣の失敗作がイブリース化しました。これを討滅して下さい。

 時間帯は昼、場所は湖畔。

 イブリースの攻撃手段は、無数の口吻を伸長させての噛み付き(攻近範)、毒針を生やした舌による一撃(攻遠範、BSポイズン2)、瘴気の噴射(魔遠全、BSカース1)。

 現場にはシャンバラ総督府の兵士ガロム・ザグがいてイブリースと戦っていますが、苦戦中です。自由騎士団の到着時点ではダメージを負い、毒を受けています。
 回復を施し、戦わせる事は可能です。指示には従ってくれるでしょう。
 ガロム・ザグ(ノウブル、男、24歳。重戦士スタイル。初登場シナリオ『暴君の帰還』)は、戦闘では『バッシュLV2』『ライジングスマッシュLV2』を使用します。

 非戦闘員であるネリオ・グラークとスバル・トニッシュが近くにいて、避難しようとしているところへ皆様には現場に突入していただきます。

 それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
報酬マテリア
6個  2個  2個  2個
9モル 
参加費
100LP [予約時+50LP]
相談日数
7日
参加人数
6/6
公開日
2020年05月16日

†メイン参加者 6人†




 教皇ヨハネスは、最後まで己の信仰と信念に誇りを持っていた。
 その誇りを彼が早々に捨て去ってくれれば、戦争を回避する事が出来たかも知れない、と『戦場に咲く向日葵』カノン・イスルギ(CL3000025)は思わない事もない。
 かの教皇が、戦争を行ってまで守りたかった国の姿。それは、こんなものではないだろう。
 今のシャンバラそのもの、と言ってもさほど間違いとも思えぬほど醜悪なものが、湖から這い上がって巨体を晒していた。
 腐敗した、巨大な肉塊。その全身で口吻が盛り上がって牙を剥き、棘の生えた舌を伸ばし、瘴気の吐息を噴射している。
 それら様々な攻撃を受けた1人の戦士が、満身創痍ながら剣を構えて佇み、2名の非戦闘員を背後に庇っていた。身なりの良い若い男と、幼い男の子。
 彼らを脅かす醜悪な怪物を見据え、カノンは軽口を叩いてみた。
「シャンバラの置き土産、かぁ……もうちょっと可愛ければいいのに」
「可愛かったら戦えねえだろう」
 言いながら『1000億GP欲しい』ウェルス・ライヒトゥーム(CL3000033)が、白銀の大型拳銃を抜いて引き金を引いた。
 放たれたのは銃弾ではなく、破魔の力である。
 それがキラキラと、カノンの両手を包み込む。少女の愛らしい前腕を防護する格闘戦用の籠手が、破魔の光をまとったのだ。
「行けるか? カノン嬢」
「うん、ありがとう! ガロムさん今行くよーっ!」
 小型肉食獣のように、カノンは駆けた。満身創痍の戦士……がロム・ザグの、前方に出た。
 小さくとも獣である。破魔の力を宿した両手の五指は、可愛らしく見えても牙だ。
 その牙が、怪物の巨体に深々と刺さり埋まった。
 腐肉を穿つ両手から、カノンの気力が、破魔の光と一緒くたに迸る。そして怪物を体内から灼いた。
「自由騎士団……来て、くれたか……」
 砕けた腐肉の飛び散る様を見つめながら、ガロムが呻く。
「……すまぬ。実は、あてにしていなかったわけではないのだ」
「頼ってくれればいい」
 ガロムの負傷した身体に、きらきらと魔導医療の光を流し込んでいるのは、『紅の傀儡師』マグノリア・ホワイト(CL3000242)である。
「君は……やはり、働き過ぎだと思うよガロム・ザグ」
「総督府は、設立時からずっと人手不足でね」
 守られていた非戦闘員2名の片方……民政官ネリオ・グラークが言った。
「貴方がた自由騎士の何人かでも、ここ旧シャンバラ領に常駐してくれれば理想的なのだけどね」
「そうしてやりたいのは山々なんだが」
 言葉と共に、ウェルスのたくましい両手で大型の2丁拳銃が回転した。
「こちとら、もう次の戦争の準備に入っちまってるからな! 何せタイムリミットが近いのよ」
 2つの銃口から、破魔の力を宿した純白の砲火がフルオートで迸る。蒸気式機関射撃。
 カノンの攻撃を受けて一瞬、動きを止めていた怪物が、痙攣しながらも口吻を伸ばし開き、牙を剥いてウェルスやガロムに喰らい付こうとする。その口吻のいくつかが、白き銃撃に薙ぎ払われ砕け散った。
 まだ無数にある口吻が一斉に、毒棘のある舌を吐き伸ばす。
 その時には、『緋色の拳』エルシー・スカーレット(CL3000368)が踏み込んでいた。
「ネリオ・グラーク男爵ですね!? そのスバル君と一緒に逃げて下さい、ここは私たちが!」
 怪物の舌が、全て破裂していた。
 エルシーの美しい背筋が躍動し、左右の鋭利な拳が銃撃の如く繰り出される様を、カノンは辛うじて視認した。
 いくつもの毒棘の舌、のみならず腐肉の巨体の一部をエルシーの高速拳撃で粉砕された怪物が、しかし痛みを感じた様子もなく巨体をズルリと這い進ませる。
「どこへも行かせませんよ、聖獣……ミトラースの哀れな落とし子」
 藍花晶の杖をかざしながら、『その瞳は前を見つめて』ティルダ・クシュ・サルメンハーラ(CL3000580)が言い放つ。
 怪物。イブリース化した、聖獣の屍。
 その腐敗した巨体が、目に見えぬ泥沼に捕われていた。鈍重な前進が止まり、無数の口吻がいくらかは苦しげに開閉する。
 右手で杖を掲げたまま、ティルダは嫋やかな左手をかざした。振り返らず、ネリオに語りかける。
「……大変でしょうね。国を立て直す、と言うより……国を1つ、新しく作り上げるようなお仕事」
「貴卿には何としても、やり遂げてもらわねばならん」
 言いつつ『重縛公』テオドール・ベルヴァルド(CL3000375)が、ティルダと並んで左手を掲げる。
 強力な呪術士2人分の呪力が、イブリースの腐敗した巨体を束縛しつつあった。
「そのためにも、さあ逃げたまえネリオ・グラーク卿。護衛の手配は済んでいる」
「……任せよう、自由騎士団」
 ネリオ男爵が、男の子と共に避難して行く。
 その幼い少年……スバル・トニッシュが、ネリオに手を引かれながら、ためらいがちに言葉を発した。
「…………ヨウセイさん……」
「何も言わないで。あなたは何も悪くない……悪くない人に、謝って欲しくはないから」
 ティルダの言葉に合わせて、聖獣の巨大な屍がメキメキと歪んでゆく。腐肉の飛沫が、飛散する。
 そこにテオドールが己の呪力を合流させ、イブリースの巨体をさらにグシャア……ッと圧し潰してゆく。
 大型の剣を刺突の形に構えながら、ガロムが呟いた。
「護衛……か」
「命を狙われているのだろう? 彼は」
 呪いの圧殺力を制御しつつ、テオドールが応える。
「ガロム・ザグ卿には、ここで戦っていただきたい。要人警護は、今この場にいない自由騎士たちに任せておけ」
「……心得た」
 ガロムが、イブリースに向かって砲弾の如く踏み込んで行った。


 後方、湖の方角から、激戦の轟音が聞こえてくる。
 自由騎士団が、巨大なイブリースと戦っているのだ。
 それに比べて激戦というわけではないにせよ、こちらでも1つの戦いが繰り広げられたところである。
「もうっ! ダメだよ、こんな事しちゃあ!」
 1人の小さな少女が、ぷりぷりと憤慨している。
 その周囲で、何人もの武装した男たちが倒れ伏していた。全員、辛うじて生きてはいる。
 この男たちが、剣を抜いて木陰から現れ、自分ネリオ・グラークを寄ってたかって切り刻もうとした。一緒にいたスバル・トニッシュも、口封じのため殺されるところであったのだ。
 そこへ、この2人が駆け付けてくれた。小柄な少女と、細身の青年。
 少女が、いくらか心配そうな顔をした。
「ナナン、やりすぎちゃったかなあ……だって、みんな弱いんだもん……」
「ふむ、こちらの彼は脳震盪。この彼は顔面打撲、おやおや歯が折れていますね。で、こちらの彼は肋骨骨折……と。大丈夫ですよナナン嬢。皆、命に関わるほどではありません。ひたすら痛いだけです」
 青年が微笑んだ。
「おめでとうネリオ男爵。ここまで命を狙われるという事は、貴方のお仕事が成功に近付きつつあるという事ですよ」
「だと、良いのだがね……ともかく助かった、ありがとう」
 ネリオに合わせて、スバルが無言で頭を下げる。
 その頭を、少女が撫でた。
「ネリオちゃんも、スバルちゃんも。落ち着くまで、ナナンたちが守ってあげるからねえ!」
「私からも、ひとつ仕掛けをしておきましょうか」
 青年が、ちらりと総督府の方を見据える。
「あまり実家の名前は使いたくないので、まあ……程々に」


「ヨハネス教皇……あなたの不始末が、シャンバラという国に今こうして災いをもたらしている……自業自得。わたし今、そんな気分よ……」
 自分が今、笑っているのか、怒り狂っているのか、わからぬままティルダは左手をかざしていた。嫋やかな五指で、存在しない何かを握り潰していた。
 それは、死せる教皇か。あるいは自分自身の、この暗く燃え燻る感情か。
 現実に、この呪いの握撃によって押し潰されつつあるのは、イブリースの腐敗した巨体である。
 イブリース化した、聖獣の屍。
 痛ましいほどに醜悪な、その肉体が、目に見えぬ巨大な手によってメキメキとへし曲げられ、腐肉の雫を滴らせる。
 へし曲がり、歪み潰れゆく巨体の各所で口吻が開き、毒煙のような瘴気を吐いた。イブリースの反撃だった。
 吐き出されたものが、自由騎士たちを猛襲する。瘴気が、ティルダを体内から灼いてゆく。
 血を吐きながら、ティルダは呻いた。
「どんな災いに遭っても、自業自得……シャンバラなんて、放っておいても良かった……わたし、どうして来てしまったの……?」
「君が、結局……人を、守らずにはいられないから……だと思うよ、ティルダ」
 細い身体から魔導医療の煌めきを拡散させつつ、マグノリアが言う。
 キラキラと舞い散る癒しの光が、自由騎士たちの肉体の再生力を高めていた。ティルダの灼けただれた体内も、自然に修復されてゆく。
 同じく治療を得たエルシーが、真紅の輝きをイブリースに叩き付けていた。光り輝く赤き衝撃を宿す拳。その一撃が、大量の腐肉を飛び散らせる。飛び散ったものが真紅の光に焼かれ、火葬の臭いを発する。
「さあ……もう一息。頑張る事は、出来るかい?」
 マグノリアが言う。
 ティルダは、圧殺の呪力を制御しながら訊いた。
「ねえマグノリアさん……聖獣の材料に、生きたヨウセイが使われてたっていう噂。本当だと思いますか?」
「どうかな。あの状態では、もう確かめようもないと思う」
 あの状態、と呼ばれたイブリースが、腐敗し破壊されゆく巨体を、なおも自由騎士団に迫らせる。
 そこに、ウェルスが2つの銃口を向けた。
「確かめられる、かも知れんぜ」
 2丁拳銃が、火を噴いた。
 聖獣の、動く屍。もはや聖獣の原形なき巨体が、銃撃を叩き込まれて揺らぎ、痙攣する。いくつもの口吻が砕け散り、それと共に銀色の煌めきが散った。対イブリース用の、浄化の銃弾であった。
「だが確かめたところで、出来る事なんぞ何もねえ……それは、わかってんだよな? ティルダ嬢」
 ウェルスの言葉に、ティルダは応えられなかった。
 その間イブリースが、毒針の生えた無数の舌を伸ばし放って来る。
 それらをガロムが、大型の剣で切り払う。
 呼吸を合わせるようにカノンが、ガロムの傍から駆け出した。
「哀れなるものよ、塵へと還れ!」
 オニヒトの少女の小さな身体が、いくらか芝居がかった言葉と共に跳躍し、拳を叩き込んでいた。一見可愛らしい拳が、凄まじいエネルギーを宿したままイブリースの肉体に突き刺さる。
 鐘の音、を思わせる響きを立てて、そのエネルギーが爆発した。
 ちぎれた舌、折れた牙、腐肉の破片。様々なものを大量に飛び散らせながら、イブリースはしかし動きを止めない。腐敗した巨体が、苦しげに痙攣しながら暴れ狂う。
 残心を決めつつ、カノンが呻く。
「くっ……まだ……」
「シャンバラ皇国の、様々な不始末……それらを丁寧に片付けるのも、我らの使命と思う他あるまい」
 テオドールが、存在しない弓を引き、存在しない弦を手放した。
 目に見えぬ、呪力の矢が、荒れ狂うイブリースに突き刺さる。腐肉の津波とも言うべき巨体が、硬直する。
 そこにマグノリアが、右手を向ける。綺麗な手が、拳銃を形作っている。
「イブリース化してでも、伝えたい事が……あったのだろう。僕なりに受け止めたよ。正しいかどうかは、わからないけれど……」
 その繊細な指先で、強毒の炸薬が調合されてゆく。
「ともあれ……苦しかっただろうが、それも今日で終わりだ」
 調合されたものが、銃声もなく放たれ、イブリースを直撃する。
「いのち、として……いつか、また会おう」
 腐敗した巨体が、燃え上がり、崩れながら灰に変わってゆく。
 その様を見つめながら、ウェルスが言う。
「……こいつの中には、いなかったぜ。ティルダ嬢」
 交霊術であった。
「ただ……もしかしたら、他の場所にいるかも知れん。この湖だけじゃあないだろうしな」
「聖獣の屍が、投棄された場所。という事だな?」
 テオドールの言葉に、ウェルスは頷いた。
「そういう場所を放っておいたら、またイブリース化が起こる……この湖も、ちょっと底の方まで浚ってみた方がいい。腐りかけの化け物が、まだ何匹か沈んでるかも知れないからな」
「うーん、それって」
 エルシーが、綺麗な顎に片手を当てる。
「……ミズヒトの方々に、お願いする事になりますかね?」
「嫌がるだろうなあ、あいつら」
 苦笑するウェルスに向かって、ティルダは頭を下げた。
「ウェルスさん、ありがとうございました……確かに、出来る事なんてありませんよね。わたしたちは、戦うしかない」
「……ま、そういうこったな」
 ウェルスは頭を掻いた。
「次の戦争をやらなきゃならん一方、終わっちまった戦争の後始末も疎かには出来ねえ。で、タイムリミットは容赦無くやって来る……と。笑えるなあ、まったく」


 ネリオ・グラーク男爵によって、総督府の応接室に招かれた。
 ウェルスは1人、湖畔に残った。
「もう少し湖を調べてみる……そうです」
 ティルダが言うと、テオドールが考え込んだ。
「……まさか、本当に湖底を調べるつもりではあるまいな」
「ウェルスさん、泳げるんでしょうか……確かに熊さんは、泳ぎも木登りも得意みたいですけど」
「通商連関係者だ。泳げないという事はなかろうが」
 そんな会話をしながらテオドールが、応接室を見回す。
「それにしても……豪奢なものだな」
「本当は、あのお2人も招きたかったのだがね」
 ネリオ男爵が応える。
「忙しいらしく、早々に撤収してしまった」
「我々も撤収しなければならないのだろうが、まあ一仕事終わったところだ。束の間、のんびりさせてもらおう」
 言いつつテオドールが、優雅にティーカップを掲げて紅茶を堪能する。
「……紅茶も高級品だ。ふふふ、これでは総督府が贅沢をしていると言われても仕方あるまい?」
「お菓子も美味しいよ! これ、冗談じゃないよ」
 カノンが、お茶請けの菓子を遠慮容赦なく食らっている。
「スバル君も、ほら食べなきゃ」
「ぼ……ぼくは……」
「学校サボっちゃってるのは、もうしょうがないです。今日はもう徹底的にダラダラ過ごしましょう」
 同じく菓子を食らい、紅茶で流し込みながら、エルシーが言った。
「絶対ダラダラ。ぜつ☆だら! です。長い人生、必要な事ですよ」
「……今日のはひどいね、エルシーちゃん」
「うーん、そうですかあ? まあとにかくスバル君もお菓子食べて、お茶飲んで。あ、お砂糖いただきますね」
 そんな淑女たちのティータイムを眺めながら、ネリオが言う。
「高級な茶葉と菓子……神民たちから搾取したものの一部さ。あの連中からは、とにかく徹底的に絞り取った。まさか家族まで奪う事になるとは思わなかったがね」
 ちらりと、ネリオはスバルの方を見た。
 遠慮がちに菓子を食べているスバルに、テオドールが語りかける。
「……ミトラース神は、言うならばパンを公平に分け与えなかったのだ」
「……こうへい、に……?」
「今は、わからずとも良い。わからずとも、時間をかけて考えてみる事だ」
「そう。自分で考えるって、すごく大事だよー」
 カノンに続いて、マグノリアも言った。
「スバル……君は、決して馬鹿じゃあない。君たちを騙していた悪魔もいない。それでも……ひどい事は、起こってしまうものなんだ」
「どうして……」
「それを君は……いや、僕たちも、学びながら考えなければならない」
 言いながらマグノリアは、つい睨むような視線をネリオに向けていた。
「ネリオ・グラーク……君も、考えてはいるのだね。その考えを実行するために、僕たちオラクルを利用するといい……君の、少なくとも抱いた志に偽りはないようだ」
「まあ、偽りになった瞬間、こちらのガロム君が僕を始末してくれるさ」
 ネリオに言われても、ガロムは無言のままである。
 エルシーが、声をかけた。
「ガロムさんとも、よく会いますね」
「……決まって、戦いの場で。な」
 ガロムは、微笑んだのであろうか。
「正直……このネリオ男爵は、少しばかり無茶が過ぎる。私1人では護衛の手が足りん。貴公らのどなたかに、総督府へとどまって欲しいくらいだ」
「なあに。僕が死んだら、それだけの事さ」
「そのような考え方は感心せんな。貴卿には、この地でやり遂げねばならぬ事が出来てしまったのだぞ」
 テオドールの口調が、いくらか強くなった。
「……そのやり方も、いささか考えねばならんのではないか。身分を考えずに意見を述べる、それは良いが数字も示さねば。現状、実施中の施策、予想される未来像。それらは言葉だけでは無意味、まずは数字を見せる事だ。超税率、労働人口とその推移。それに必要経費……もっとも、数字は人の手で誤魔化す事が出来る。そこが悩ましいところではあるが」
「それですよテオドール伯爵。数字はね、上がって来る書類に記されている。その書類が……今ひとつ、信用出来ないという事がありましてね」
 ネリオが、疲れたように微笑む。
「結局は民政官が、現場へ行って目で確認しなければならない。このガロム君に、護衛という余計な仕事を頼む事になってしまうのですよ」
「アラム侯爵にそっくりですねえ」
 エルシーが言った。
「ご存じですか? アラム・ヴィスケーノ侯爵。シェルミーネ様の婚約相手、つまりネリオ男爵の弟君ですよ!」
「……妹を、ご存じ……つまり。あやつ、自由騎士の方々にご迷惑を」
 ネリオが、頭を下げた。
「……本当に、申し訳ない」
「いえいえ。とても聡明な妹君じゃあないですか」
「……お世辞ではなく、僕も思う」
 マグノリアも言った。
「彼女は……本当に守るべきものを、知っている。ネリオ・グラーク、君もそうあって欲しいと切に願うよ」

†シナリオ結果†

成功

†詳細†

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