動乱の日





その日のイ・ラプセル王国は動乱していた。数日前の前国王の崩御から、現国王、エドワード・イ・ラプセルの即位が完了したばかりの矢先だ。
――イ・ラプセル王国。この世界ビオトープの南方に位置する、海に囲まれた水の国とも呼ばれる資源豊富な国家であり――我々が暮らす大地である。
「まさか、こんなに早く動くとは、想定外だ。クラウス! 間違いはないのか?」
「そのとおりでございます。陛下。エドワード王」
「くそっ、準備なんてまだ完全ではないのに」
その日水鏡階差演算装置で感知した未来はヴィスマルク帝国からの侵略。未知の飛空艇と共に降り立つ兵士たち。
「とはいえ、エドワード王。陛下の直属の自由騎士団を立ち上げるには最高のタイミングと愚考しますが?」
焦りをあらわにする年若き王に進言するは壮年の紳士。
――イ・ラプセル国王、エドワード・イ・ラプセル。そして演算士の長にしてイ・ラプセル王国の宰相を務めるクラウス・フォン・プラテスだ。
イ・ラプセル自由騎士団。それはエドワードは数年前から構想していた組織の名前。来る戦争に備えて強制的に集められていたオラクル――神の声を聞ける。稀有な存在――を自由なる意思で国に尽くしてもらうための組織。
もちろん不安要素もはいて捨てるほどにあった。前王の統治ではノウブル以外の種族のオラクルの扱いは苛烈を極めていた。
それはどの国でも対して変わりはしないが、亜人種や混血種は最も激しい戦場に送られることが多い。同じ世界に住む種族であるのに、何故彼らは此れほどまでに酷使され続けているのだろうか? それはエドワードが幼少の頃から胸にいだいてきた疑問である。
だからこそ、エドワードは彼らを、ひいてはオラクルだけではなく全ての種族における差別もなくし、自由であることを掲げようとしたのだ。
しかし、そんな幻想にも近い信念はイ・ラプセルの元老院にも猛反発をうけた。奴隷階級がなくなるということは、一部の者にとっては大きな損害を齎すことにもなる。
それでも数年前から少しずつ、少しずつこの構想を実現させようとクラウスと共に裏工作もしてきた。
完全というには無理があるが後少しで基盤が出来上がるというその矢先だったのだ。
「エド」
ふいに彼の周りの空気が柔らかなもので満たされる。
「アクアディーネ様」
イ・ラプセルの神。青のアクアディーネが姿を表わす。一見只の少女にしかみえない彼女は紛れもなくこの国の神である。
「ヴィスマルクは動き出したわ。私も、戦うのは嫌だけど、でも」
憂いを帯びた青い瞳は今にも雫を落としそうな程に潤んでいる。
「私はこの国を滅ぼすわけにはいかないわ。だから、戦わないとダメだと思う」
クラウスは目の前の少女の声は聞こえない。しかしその表情で何を言いたいのかは理解はできる。
「号令を、陛下。今こそその時でございます」
眼の前に見える大きな脅威に国として立ち向かうため、それは大きな動きを、国を変えることのできるチャンスでもあるのだ。然し、まだエドワードにはその勇気が無かった。
「……」
女神がそっとエドワードの手を握る。幼きころからの話相手であり、母のようであり姉のようであり妹のようでもあった麗しきも愛しき女神が自分の言葉をまっている。そこで答えないのは、彼女に選ばれたハイオラクルとして、いや男として不甲斐ないにも程がある。
「まったく、本当に胃が痛い話だ」
「ご安心ください。胃薬はしっかりと用意しておきますので」
「厳しいな、クラウス」
「そのとおりでございます。厳しい状況、故に今でございます」
窓の外の工業区の蒸気の音が高らかに、まるでエドワードを急かす鬨の声のように国中に響いた。
そして――。
「イ・ラプセル国民よ! エドワード・イ・ラプセルである」 数万の聴衆が集まる水の広場を見下ろす王城より、エドワードの国王演説がはじまる。
遠くにいるものにも声と姿がよく見えるように蒸気スクリーンもいくつか設置されている。その蒸気のスクリーンに魔導でもって描かれた王の姿が映る。エドワードの朗々とした声は、拡声の魔導で国中に響き渡った。
「水鏡にてヴィスマルクのオラクル軍による進軍を感知した」
その絶望的な事実に国民たちは怯える声をあげた。ざわざわと民衆が不安の声をだす。
「私は、全ての種族が、一貫となり、此の国を守るために『オラクル自由騎士団』を立ち上げる!」
その不安を吹き飛ばすようにエドワードは言を続ける。
「オラクルであれば10歳から。亜人であっても混血であっても立場は同じだ! 此の国のため立ち上がってほしい」
基本的にこの世界はノウブルという純血種が支配し亜人種や混血種を虐げ、奴隷化し労働力や戦力として使ってきた。ある程度までならば亜人種でも高いポストにつけるとはいえ、その数は皆無に等しい。混血種が重要なポストにつけることなんてありえないことだ。
イ・ラプセルはもともと人種差別が薄い地域ではあるが根底にあるその人種差別がないとはお世辞にもいえない。その差別を撤回し、オラクルであればその貢献によって地位を約束されるという、それが今回のオラクル自由騎士団計画なのである。
オラクル自由騎士団の存在によって、自然オラクルではない各種族への差別も薄れていってほしい、そんな思いもエドワードにはあった。彼は美声でもってその計画を民衆に説いていく。
ざわつく民衆の声はやがて歓声に変わる。その政策事態に不安はある。しかしその理想が叶ったら? 数年前からの根回しにより、国民たちにはその理想は決して夢ではないと期待させるものはあった。
エドワード王の言葉は民衆にじわりじわりと拡がっていく。その第一歩が今回におけるイ・ラプセル防衛戦だ。
「我こそはと思うものは王城に集え! 我らが神、アクアディーネの名の元に誓う。この戦争に勝利すると!!」
ォオオオオオオ!!!
歓声が割れんがばかりに轟いた。