シャンバラ神殿

 ――その空間は、一切の不浄を許さない純白に染め上げられていた。
「国が敗れたのみならず、神をも討たれるとは。……愚かなことです」
 報告を受けて、真っ白い聖衣に身を包んだ初老の男性が、表情を一切動かすことなく呟いた。
 彼が立っているのはこの大礼拝堂の祭壇。背後には、彼が崇める神を示す聖印が掲げられていた。
「ヴィスマルクがいかに強国といえども、所詮神も人も不完全な国であった。その証左でございましょうか」
 彼に応じたのは女性だった。
 澄み切った若々しい声だが当人の年齢はもう四十を超えている。
「彼らは選択を間違えたのですよ、フランチェスカ」
「選択、でございますか。教皇猊下」
 シャンバラ皇国司祭長フランチェスカ・ペリッツは、教皇ヨハネス・グレナデンに問いを返した。
「ヴィスマルクはイ・ラプセルのみを狙うべきだったのです。さすれば、敗れはしなかった」
「なるほど、然様でございますね」
 教皇の言葉に、フランチェスカは深々とうなずく。
「愚かなるかの国は我がシャンバラにも踏み入らんとした。それがゆえに神罰を受けたのでございますね」
「然り。しかも空を舞う蒸気の鋼鉄などという“邪法”の品を用いたのですよ?」
 教皇は嘆息し、フランチェスカは戦慄から口に手を当てた。
「何ということでしょう。“邪法”を用いる連中が清浄の地たるシャンバラを侵そうなどと……」
「分かりますね、フランチェスカ。ヴィスマルクの敗北も女神の死も、全ては必然でした」
「シャンバラを侵す者に神の威光が降り注いだ。これもまた我らが主の思し召しでございましょう」
「称えましょう。我ら主を。ただ一つなるミトラースを」
 そしてシャンバラの中枢たる二人は祈りを捧げる。
 イ・ラプセルの勝利など、彼らにとってはさしたる意味はなかった。
 ヴィスマルク帝国がシャンバラの地に踏み入ろうとした、ゆえに神罰が下りシャンバラは敗れた。
 その認識が全てであり、それ以上の思考は彼らには不要であり、そして、

『天に一つ――、神は一つ――、我こそは一つなる神。創造神が後継なり――』

 教皇ヨハネスの耳元に、声が聞こえてくる。
 そして大礼拝堂全てを包み込むほどの、真っ白い光が降り注いだかと思うと、祭壇に神が降り立っていた。
 聖印を背に、まばゆい輝きを放つ神ミトラースの姿は、もはや人の言葉では言い尽くせぬ神々しさを垣間見せている。
「おお……」
「主よ、我らが神よ――」
 神の降誕に、教皇と司祭長は揃って目を見開き涙を流した。
 ただ、神が姿を見せただけ。
 しかしそれだけで国家の中枢たる二人は感動に打ち震え、絶頂寸前にまで至っていた。
 どうして、他の国の神と比べられようか。
 一目見ただけで魂を捧げたいと思わせる強烈な存在感は、この世界で唯一のものに違いない。
 おお、これこそ我らが主。創造神の後継たるただ一つのミトラース。
『我がいとし子、我が栄えある“神民”たちよ』
 光を纏い、ミトラースが口を開く。
「「ははっ!」」
 教皇と司祭長はその場にひざまずき、床に頭をこすりつけて神の言葉を聞こうとした。
『神の蟲毒は開始された。このミトラースが新たなる創造の神となるべきときは近い』
「おお、ついに!」
「世が正しくシャンバラの神の法に治められる日が……!」
『“邪法”を駆逐せよ。蒸気の法は世界をけがす。準備を進めよ、あらゆる“神民”を解放するがために』
「仰せのままに」
「我が神、ただ一つなるミトラースよ」
『――我がいとし子よ、任せたぞ』
 その一言を最後に、ミトラースの姿は消えた。
 しばらくして、顔をあげた教皇と司祭長は涙と鼻水でグシャグシャになっている互いを見て、
「フランチェスカ、新法の公布を。“魔女狩り”の報酬割合を今の三倍にしてください」
「畏まりましてございます。審問教師会に通達しておきましょう」
 そして教皇と司祭長は準備を始める。
 彼らの意識に、今のところイ・ラプセルの名は微塵もない。
 このたびの神殺しは全て彼らの神ミトラースが下した必然の神罰でしかないのだから――

ミトラース(VC: ソガ