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『始まりの日』~アーク本部~


●本部へ!
「なァ、本部行くのん? 俺もつれてってぇなァ」
「……何だ、お前は」
 突然背後から掛けられた人懐こい呼び声にライアット・キル・ハイムは訝し気に振り向いた。
「やァ、三高平は事の他広いんやんなァ、道さっぱりやわァ」
 地図を片手にしたライアットの問いに答えずにまず自分の事情を言い出したのは化野・風音だった。
 中心を少し過ぎた太陽に照らされて長い影が広々としたアスファルトの上に横たわっている。
 新たな来訪者――新たな住人の物珍しげな視線の飛び交う三高平市でも一際人目を引いていたのは市の中央に聳え立つ一つのビルだった。
 三高平センタービルは市内を掌握する『時村財閥』の主要機能を都心部より移転した市の重要拠点の一つである。その美しい居住まいと完璧な計算の上で成り立った現代的な高層建築は当然ながら生まれて間もない三高平市のランドマークとしても認識されている。
 そしてそれはこの二人を見れば分かる通り――今日三高平市に集まったリベリスタ達の目的地の一つとなっているのだった。
「……キョロキョロするな。いや、それ以前に付いて来るな」
「そんな事言わんと、なァ」
 自身の言葉を途中で別のものにすり替えたライアットに風音は猫撫で声を出して応えた。
 この声色と調子は何処か芝居がかっており、わざとらしさが伝わってきた。
 文句を言いながらも付き合いの良いライアットの傍らを黒いスーツにコートを羽織った鳳 覚羅が追い抜いていく。
 その口元には殆ど分からない位の幽かな微笑が張り付いていた。
「ここに、アーク本部があるのですね……」
 近付く程に存在感を強める摩天楼を見上げ、それからその根元に――地下(した)に視線を落としてカルナ・ラレンティーナが呟いた。
 言うまでもなく多くのリベリスタ達は極普通の仕事や就職でこの街に来た訳では無い。企業としての時村グループの中枢を担うセンタービルは市内物流や経済活動の要ではあるが、彼等にとってより重要なのは今カレンが視線を向けた地下――センタービル地下深くに存在する『船(アーク)』の方であった。
 世界に冠たる財閥が心血を注ぎ、その命運を賭けた大計画の集大成がそこに在る。アークこそがこの三高平市の作られた本当の意味と言っても過言ではない。
 そこにはナイトメア・ダウンを契機に寸断された日本のリベリスタのネットワークを復活させ、この国の神秘防衛力を再びかつての水準まで引き上げるという狙いがある。
「ああ、アレがセンタービルなんですかね」
 一人暮らしの身の上ならば、一食浮くのは儲けもの――と、そんな風に考えた神近 カムロキがやがて行なわれるという歓迎会を考えてふらりと向かう。
(ここに来るのは皆リべリスタだって話聞いたけど……)
 久住 南緒は身の内に蟠る緊張と微かな不安を押し殺し、息と一緒に飲み込んだ。
 果たして彼女の考えは正解だった。幻視に身を包んでいる者も、一見普通の人間と殆ど変わらない姿をしている者も居るが、フェイトを持つ存在はフェイトを持つ別の存在を正しく知覚し、認識する。今日、この街を訪れたリベリスタ達はその声に応えこの場所を目指しているのだから――同類の姿が増えるのは当然だった。
「おい、早くしないと置いていくぞ」
「もう着いたん? はいはぁい」
 口調よりはずっと面倒見のいいライアットに口調通りに軽い風音が応える。
『現代の象徴』であるかのような天衝くバベルが『神秘そのもの』であるリベリスタ達を飲み込んでいく。
 その光景は一見すればどうという事は無い日常の風景に紛れ込んではいたが、理性に拠らない直感には何処か現実感の無い非日常をも感じさせた。
(今日からここが、日本のリベリスタ…彼等の拠点になるのですね。
 ……あ、いや、私も入ってるんでした。いけませんね、どうも未だ実感が無い)
 センタービルの入り口を前にして、犬束・うさぎは極自然にその足を止めていた。
「アーク。私達の拠点で、所属で、雇い主で、……寄る辺。……不思議な物です」
『その場所』を見つめる表情は無色。口の中だけで小さく呟いて又一歩を踏み出した。
 そんな有様を一足先に着き、眺めている一組の男女が居た。
「……お父さんとお母さんの分も、ボク達でしっかりやんなきゃね」
「あぁ。俺達が親父達の意志を継ぐ」
 藤堂・刹華のワインレッドを思わせるその髪が屋上を舞った風に遊ぶ。
 真っ直ぐに眼窩の光景を見下ろした藤堂・烈火の胸を去来するのは単純極まりない事実のみ。
(ここは親父達の終焉の地。そして、俺達のとっての始まりの地――)
 この時ばかりは幾らか隠せない万感が自然と彼の口を突いて出た。
「始めるとしよう――俺達の、戦いを」
 鳥が飛ぶ。雲ひとつ無い青空を滑るように過ぎていく。
「何かを綺麗にするためには何かを汚さなくてはならない。でも、何かを綺麗にしなくてもすべてを汚せる――」
 兄妹から視線を切り、別の風景――街全体をぐるりと見下ろしたシェリー・アトラシアは冗句めいて呟いた。
「――なんて、ね」
 何時か何処かの誰かが云った。現実とは不確定性要因の集合だから面白いと。そんな気楽な目論見は果たして本当なのだろうか?
「よォ。社会復帰は順調かよ。もう三年もすりゃリッパな真人間のできあがりだ。アーク様々じゃねェか実際。
 そうがなんなって面倒っくせェな。それとも何か。元に戻りてェのか。餓鬼撃たれた仕返しに黒服共を蜂の巣にする生活が面白かったってのかてめェは。
 ……あぁ? はン、俺の心配なんぞ十年早ェ。寝言はてめェのケツ拭けるようになってからほざくんだな。切るぞ」
 かなりの早口でまくし立てるように携帯電話に言葉を投げたユート・ノーマンは口元にやや皮肉気とも寂しげとも取れる曖昧な笑みを浮かべてビルの回転扉を潜り抜けた。
「……じゃぁな。兄弟」
 通話を止めた最後の言葉は受話器の向こうには届いていない。
 ユートは歩いてきた道も、この先に続く道も少し捻くれて斜めに見る。数奇なる運命というモノの人の悪さを識っている。
「金原文です! これからよろしくお願いしますっ!」
 軽く『浸った』ユートの鼓膜を金原 文の大声が揺さぶった。
 見れば彼女は受付のエフィカ・新藤に勢い良く頭を下げて礼をしている。
 お互いに初対面の状況にうろたえ合い、困ったような仕草を見せているその様は馬鹿馬鹿しくも微笑ましい。
「やれやれ、だ」
 ユートは気付けば肩を竦めていた。今はこれで良いのだろうとそう思う。
 何もかも――今は未来(さき)という名の霧に隠されて見えないけれど。



●アーク本部
「うおーここがアーク本部ですね! このライラ・ライル苦節二週間故郷フィンランドから天より賜りし艱難辛苦を乗り越えいまここに辿りつきました!」
 高速エレベータで地下に降下する事幾ばくか。大仰な身振り手振りと共にその感激を表現しているのはライラ・ライルだった。
 このライラがインフォメーションであわや空腹に倒れそうになった事や、

 ――お嬢ちゃん可愛いなぁ、サービスで飴あげるにー。
 ユール言うねん、ここで会ったも何かの縁や。色々話聞かせてな?好きな玩具とかあったら教えて欲しいんやけど……
 まずは一緒に市内探検やな。さぁ行こかー♪

 エフィカがあわやユーレティッド・ユール・レイビットに押し切られかけ、ビルの外に引っ張り出されそうになった余談はさて置いて。
 センタービルを訪れ、アーク本部の見学を申し出た面々は紆余曲折の末、漸く街の『心臓部』に辿り着く事に成功していた。
「たった八年でこれ程とは、流石に日本だな」
 ヴィヴィアンヌ・L・ベルティエの言葉は呆れ半分、感嘆半分といった所か。
 戦後の復興といいその後の躍進といい世界的には奇跡的とも呼ばれている興隆を果たしてきた日本である。
 齢十の頃からかれこれ七年も日本に住む彼女からしてみればとうの昔に知れた話。或る意味におけるこの国の非常識は教科書で習った以上に実感はしていたのだが、いざ目の当たりにすればそんな感想も強くなる。しかしそれは世界の痛みと悲しみを暖色に塗り替えんとするヴィヴィアンヌ・L・ベルティエにとってみれば実に頼もしい事実であった。
「ここがアークのターミナルになります。簡単に言えばエレベーター乗り場ですね。
 アーク内部は複数の階層に分かれていますから。各階は非常用の階段とこの高速エレベーターで繋がっているんです」
「ふんふん」
 先のやり取りの妥結点として「街の探索は……じ、時間のある時で」まで漕ぎ着けたユーレティッドがエフィカの説明にふむふむと小さく頷いた。
「うう、なんだか広そう……迷子にならないといいけど」
 心持ち不安そうな顔をした絢堂・霧香が周囲にキョロキョロと視線を配る。
 エレベーターを降りた先、通路に踏み込めば確かに似たような風景が縦横に伸びている。
「重要な情報を得られる場所があるとよいのですが」
 山吹・時雨が手にぶら下げたビニール袋の中には『ついでに』買い込んだ酒が入っている。
 アーク本部の様子は現代的を振り切ってやや近未来的な様相を呈していた。
 暖かみからは程遠い一帯の材質はひんやりと冷たく、確かな強度を感じさせた。
 磨き上げられているかのようなリノリウムの床は天井のLEDライトの輝きを冷たく無機質に反射している。
「ふえ~……ここがアークなんですね~」
 ティセ・パルミエは興味深そうに呟いてその手で壁をガンガンぶん殴る。
 些か景気の良い音が立つが、エフィカが困ったような視線を向けた途端、
「ごめんなさい、すみません、もうしないから許して~」
「あ、え、その……わ、わたしこそ……ご、ごめんなさい!」
 泣く姿と混乱する姿で何とも微妙な有様である。
「アーク内部の隔壁は下層の制御室や司令室で操作出来るようになっています。簡単に破壊出来ないように特殊な素材を使って作られているそうですよ」
「ほほー、おおー、ふーん!」
 尚も続くエフィカの説明にいちいち感心したような声を上げているのは石川 ブリリアント。
 彼の場合、まったく教材か教育番組の『ほんぶのひみつ』のノリである。
「やはり、ある程度の戦闘をも想定している訳だな」
「御明察だな、教授」
 一方でオーウェン・ロザイクの独白めいた言葉に応えたのはオークス・ブルー・ハイダリーだった。
「尤もそれはこの本部だけでは無い。午前中をかけて市内を探索してみたが――中々どうして。
 少し見て回っただけでも、この三高平市という街は市街戦を念頭に置いて作られている所がある。恐らくは見えない部分にも――そういった工夫がなされているだろうな。
 よくよく考えればそれだけでも『政府主導』――厳密には『目的ありき』か――が窺い知れる」
 オークスの言葉にオーウェンは小さく頷いた。
 似たような目的で辺りを見て回れば出会う事もある。
 視点の一致から簡単に自己紹介を済ませ幾らかのやり取りを交わせばある程度は気心も知れてくる。
『教授』と呼ばれたオーウェンは過去にアメリカで教鞭をとっていた過去がある。
 卵が先か鶏が先か。彼曰く『駆け足過ぎた学生時代』を振り返る為に今は三高平大学に編入を済ませている。
「噂通りのアークだな、暇はせずに済みそうかねぇ」
「音羽君は問題を起さないでくださいね」
 やや剣呑な二人のやり取りを聞いてか拳を軽く鳴らした雪白 音羽をすかさず雪白 万葉がたしなめた。
 黙っていても何れ荒事、問題事の方からやって来るのは分かっている。しかしまだ尚早である。
 事態は動き始めたばかりであり、運命は今は未だ凪を望んでいる。尤もそういった『変化』を望む人間は音羽に限らず少なくは無いのだろうが。
「私に何か手伝えることはないか? 勝手が分からないし、早く慣れておきたいんだ」
 先導する自身に声を掛けた不動峰 杏樹を振り返りエフィカは小さく微笑んだ。
「ご心配なく。今は慣れて貰う事が一番ですから。……強いて言うなら、このアークを良く知って貰えれば助かりますっ」
「うむ。その通りじゃ」
 エフィカの言葉に鷹揚と頷いたのは勝海・源三郎だった。
「何をするにも、この街が作られた推移と歴史、それに機能もの。最低限知っておかねばなるまいて」
 亀の甲より年の功という事か。ゆったりとした口調でモノを言う彼の言葉は若々しい外見とは異なり十分な落ち着きを持っていた。
「しかし、驚いたな……」
 興味深そうに辺りを見回す『仲間達』を眺めながら久遠寺・和真は誰に言うともなしに呟いていた。
(……眼福だ、ではなくて。生徒と同じくらいの歳の子が多いというのは……何とも。
 大きなお世話だろうが、この子達に危険がなければ良いけどな)
 望みは叶うかどうか知れねど。何となく茫と考えた和真は案内から遅れないように少しだけ足を速めて後を追った。



●アーク戦略司令室
「先生から、アークには全面的に協力するよう仰せ遣ってます。どうぞ宜しくお願いしますね」
 一際広いオフィススペースで時村 沙織と相対した源 カイはそんな風に言って頭を下げた。
 アーク内部は未だに一部は工事の途中であり、準備中、整理中の印象が強かったが沙織の居る室長室だけは全くそんな風を感じさせなかった。
 大小様々な端末、本部内に状況を通達するマイクが備えられており、背中には大きなスクリーンを背負っている。
「これからお世話になる、カインと申す。幾人の者が訪れるその一人だが、どうか宜しく」
「これは室長の時村沙織殿。つまらないものですが皆様でお菓子をどうぞ」
「ご丁寧に、どうも」
 沙織はカイン、ラシャと机越しに握手をかわし、それから丁寧な会釈を送る。
 書類から目線を上げ、やって来たリベリスタ達何人かを応対した彼の様はまさしく完璧であった。
『極限に忙しない状況において如何に必要最低限の労力で粗相無く障りのない対応をするか』。まるで競技である。
「初めまして。時村のおじ様。『お久しぶり』」
 だからと言う訳では無いが、遠野 うさ子はそんな沙織に些かの意趣を込めて言葉を吐いた。
 前後の二つの言葉は矛盾していたが、その実整合性は取れていた。
「いつぞや時村家のデータベースに侵入して返り討ちにされたハッカーです」
「ああ」
 沙織は面白そうに頷いてうさ子の顔をじっと見た。
 リベリスタがこの三高平市を訪れた経緯は様々である。
 千差万別に及ぶ彼等の事情は大凡二つとして同じものが無い。
「その節はお世話になりまして」
「いえいえ、大した御持て成しも出来ず」
 沙織はうさ子の顔をじっと見つめたまま、わざとらしく何もない机の上でキーボードを叩くような仕草を見せた。
(……まさかの、本人か)
 うさ子は内心で臍を噛む。あの時は中々にスリルのある『鬼ごっこ』を楽しめたものである。
 だが、結末は些か不満だった。ネットワークに逆侵入を受け、端末の画面に『三高平市においでよ』等という小洒落たメッセージを頂いてしまった彼女としては一敗地に塗れた印象が拭えない。
 沙織はそんなやり取りですっかり書類への集中が途切れたのか、不意に首を左右に動かしてコキコキと音を鳴らした。
 肩に手を当てた彼は素晴らしいイタリア製のスーツが皺になるのも構わずにそこを揉み解すような仕草をした。
 そして、今度は眼鏡を外してリベリスタ達に向き直る。
「成る程、今更感動するってのも柄じゃないが。いざ出会ってみれば実感するな。ようこそ、アークへ」
 一挙手一投足が無駄な位に様になる男は整然とした室内が何故整然とし切っているのかを分からせるに十分だった。
 ともすれば嫌味にも映る計算じみた一連の流れである。とは言え、彼の方にその心算は無かったらしい。視線に単純な興味を込めて居並ぶリベリスタ達を見回している。
「どうだい、アークは」
「中々の施設だわ」
 問いに短く答えたのは有栖川 リリスだった。
 元より幾らか未完成。それにこの短時間で見て回れる程の場所でも無い。
 殆ど詮無い問いに対する答えは詮無いモノだった。だが、まるきり的外れという訳でもない。
「……ま、そんな所だろうな」
 答えは大体想像の通りだったのか、沙織はそんな風に言って小さく肩を竦めた。
「箱はあくまで唯の箱さ。漕がなけりゃ進まない船を単なる箱以上にするのはお前達さ。
 さて、もしお望みなら歓迎会まで俺が案内してやろうと思うけど――」



●アーク研究開発室
 一方その頃――アーク研究開発室。
「よう、良く来たな!」
 沙織とは全く違う印象でやって来たリベリスタ達を出迎えたのは言わずと知れた真白 智親だった。
 豪快そのものといった調子の彼の場合、良く言えば自然体のまま、普通に言えばだらしない調子で欠伸混ざりに寝癖のついた頭をぼりぼりと掻いている。
「こんな嘘のような本当を科学してる奴の元締めがどんな奴なんだろうって思ったら……」
 富永・喜平は呆れ半分に智親を見た。
 上から下まで。寝癖のついた頭からよれた白衣、磨り減ったサンダルまで。
 ついでに――大凡優秀な科学者の居所とは思えない雑然と足の踏み場も無い位に散らかった研究室まで。
 ……埋もれかけた大型の最新コンピュータや何に使うとも知れない装置が申し訳程度にここが一線の研究室である事を告げている。
(……ああ、嘘のような本当を科学してる奴の場合、これでいいのか?)
 回り回って一周で本当という事もあるのかも知れない、と。どうでもいい事を喜平はぼんやりと考えた。
「あの、これを」
「ん……?」
「エリューションや超常現象のサンプルから様々な一致や事象を抽出したデータです。何かのお役に立てば」
 リリ・シュヴァイヤーの差し出したデータディスクを受け取った智親の目がすっと細くなる。
 幾らか鋭利さを増した彼の表情を見れば有能な科学者だと今度は信じられるかも知れない。
「ああ、助かる。生憎と俺は普通の人間でな。フィールドワークにはどうしても一歩気遅れる」
 智親の回答は慣れた調子だった。彼のこれまでの研究の多くを有志のリベリスタ達が支えてきた事は想像に難くない。
 言ってしまえばリリと智親は初対面だが、こういったやり取りは珍しい事では無いのだ。
「しかし……もっと派手なものと思っていたのですが」
 ディスクをいそいそと机の中に仕舞い込む智親にそんな風に言葉を投げたのはベルベット・ロールシャッハだった。
「何が言いたい、メイドちゃん」
 メイド服を着込んだ少女――ベルベットのいでたちに早速智親の相好が崩れている。
 まさか自分の娘程の年齢の女子にどうこうという事はあるまいが、大人の理屈で物申すならばそれはそれ、これはこれである。
「いえ、思ったより普通だな……と思いまして」
 ベルベットの方は何ら意に介さず端的にそう答えていた。
 確かにアーク本部は現代技術の粋を集めた特別な場所である。
 しかし彼女がこれまで見てきた光景はその想像力の範囲を出ていない。
 だからどうという事は無いのだが、武器や兵器に興味がある彼女はこの研究室で何が行なわれるかに特に強い関心を持っていた。
「この研究室では何を?」
「アーティファクトの解析とエリューションの力の制御についての研究が主だ。
 件のアクセス・ファンタズム。そりゃ、その副産物だな。お前達の力を伸ばす為のシミュレータの開発も行なってる。
 ……まぁ、そっちは状況投影の問題やらネットワークの構築やらサイバーダイヴの負担がどうたら、まぁ遅々として亀の歩みってトコだがね」
 真の意味で人造アーティファクトと呼べる存在は多くは無い、と智親は語る。
 その説明はさわりだけであったがそれ以上の解説は必要ないと判断しての事であろう。
「そう言えば、メイドちゃん」
「……?」
 不意に声を掛けられ小首を傾げたベルベットに智親は人の悪い笑みを浮かべて先を続けた。
「さっき、ここが地味って言ったよな?」
「ええ」
「その言葉は『ここの全てを知ってから』もう一度言って貰おうか。アーク最下層に眠る、あの万華鏡(とっておき)を見てからな!」



●万華鏡(カレイド・システム)
「……うふふふふふふ……」
 童女に似た屈託の無い、しかし少し壊れた笑みが日下禰・真名の美貌に張り付いていた。
 彼女の顔を薄闇の中に照らすのは紫色の光。
 巨大なプラズマ・ボールに似た『何か』が放つ科学と神秘なるその魔光。
 中央の装置には天井や壁から伸びた多数のケーブルが接続されており、羽虫の羽ばたきのようなブーンという低音が部屋全体に響いていた。
 鮮烈な光球は大きくなり、小さくなり、光の拡散を繰り返す。まさに人智の外にあるその巨大な装置の作用は見る者全てからその瞬間言葉を奪い去っていた。
 やがて収束した光球の根元、『棺』を思わせる装置から小柄な影が現れた。
 それは少女のなりである。少女のなりながら――此の世で今の所唯一この巨大なる機構を制御し得る真白 イヴその人だ。
 そのイヴが通路を進んで近付いてくる。
「……これが、万華鏡」
 離れてその現場を見ていたリベリスタ達に小さいながらにも良く通る声が投げかけられた。
「これ、すごいの……!」
 歳の頃はイヴよりもまだ幼い程である。そう言った忍海 霧絵の瞳は初めて見た超技術にキラキラと輝いていた。
 一方「ん……」と頷いたイヴの視線は彼女の胸元、抱きしめた兎のぬいぐるみの方へと向いている。
「これが……万華鏡」
 茫洋とした綾崎 苑生の声には間近で目の当たりにした『奇跡』の余韻が残っていた。
 理屈を知る必要は無い。経緯を知る必要すら無いやも知れぬ。唯、そこに在るモノを見さえすれば――それがどういうモノなのか知るのは難しい事では無かった。
 幾千、幾万の確率の末。分の悪い勝負の末――もし勝ったならばそれを得る。そう思わせるだけのモノがそこに在った。
 成る程、力あるフォーチュナは運命を紡ぐとも云う。或いはコレがここに生れ落ちたのも必然だったのやも知れないが。
「こりゃ一体どんな原理だよ!?」
 相変わらず驚き役に徹するブリリアントの声はやや上ずっていた。
 室内全体を取り巻く壁や天井には無数の電子光が瞬いている。
 機械の集積による風景は無機質ながら何処か野辺に遊ぶ蛍の様さえ思わせている。
「原理は良く知らない。唯、万華鏡の事なら少しは分かる」
 イヴは表情を変えずにそう答えた。
「万華鏡(カレイド・システム)は中枢を支える二百基のスーパーコンピュータで成り立ってる。
 智親の言葉を借りるなら、これは神の奇跡。……現代において真の意味で『創造』された最大規模のアーティファクト、らしい」
 イヴの言葉に誰かがごくりと息を飲んだ。
 瞬いていたのは壁では無かった。天井では無かった。
 部屋全体がコンピュータ。イヴの言った意味はこの場所がコンピュータで作られた箱の中だったという事だ。
 それがどれ程の事かは智親の得意気な台詞を聞かずとも良く分かる。
 総ゆる運命を見通さんとせし、この万華鏡はまさに誰かが称した『神の目』と呼ぶに相応しい。
「すごい……これ……」
「最初は誰でも驚くものです。……真白室長の得意気な顔が目に浮かぶ」
 小さく呟いた椛は不意に背後から掛けられた声にびくっと体を震わせた。
 振り向いた椛の視界に居たのは何時の間にやら現れた狩生だった。
「だが、それだけの価値がある。そうは思いませんか?」
 美しいモノを好む狩生は何処か試すように椛に尋ねた。小さく、頷く。
「何だ。もう見ちまってたみたいだな」
「面白くねぇなぁ」
 そこへ沙織と智親、そして更に幾人かのリベリスタ達がやって来た。
 アークの切り札を目の前に誰もが圧倒されていた。少なくとも何らかの感動や衝撃を覚えた事は間違い無い。
「……大丈夫、お姉ちゃんが必ずあなたを守ってあげる」
 着物の下のロケットを指先でつと撫で、真名はもう一度笑う。
 もう一度、笑んだ。



●茜色
「……くさま」
「……ん……」
「……客様」
「ぁ……」
「お客様、間もなく空港に到着いたします」
 鷹塔・瑛は言われるままに目を開け胡乱とした目を窓から覗く光景へと向けていた。
 出発した頃、青く澄んでいた空は今や見事な茜色に染まっていた。
 遅れて完全に眠ってしまった事を自覚する。
「……そうですか、三高平に着いたのですね……」
 意味の無い一言だが口にすれば寝ぼけた頭でも理解するには十分だった。
 とろりと細めていた瞳を瞬かせ開き、窓から覗く光景――荒野の如き一帯に現れた市を一望すれば実感が現実に変わるのはすぐだった。
 今までの友と離れ、新しい生活が始まるのだ。何かを振り切るように軽く左右に頭を振れば流れる漆黒の髪がさらりと揺れた。
「さて、一体どんな人達が居るんだろうか」
 同様に窓から眼窩の世界を見つめてユリウス・フィッシャーが呟いた。
 日本に来るのも三度目。しかし、今回は前二回の観光とは土台異なる。
「飛行機の旅も終わって……これが初めての日本ですね」
 一方、そのユリウスに応えるように言ったマーシャ・ヘールズはこれが初めての来日だった。
「何でも手頃に買えるお菓子が美味しいと聞いてるんで楽しみです。後は時代劇とか、ワビサビですか。アニメ何かも興味があるので楽しみですね」
 まだ知らぬ異国の地に並々ならぬ期待を込めて後僅かのフライトを楽しんでいる。

 ごぅ、と。

「ああ……」
 耳をつんざく轟音が蓮守 優輝の体の奥を揺らした。
 見上げた茜色の空を切り裂いて間近に迫るのは飛行機の影。
 空港のフェンスに何気無く寄りかかり、優輝は手にしたブラックの缶珈琲を斜めに傾けた。
 空腹を感じるが彼女はそれに構わない。夜になれば美味いモノが出る、その保証があるから。
「どうかしてる」
 何となく呟き、左手首の時計を確認。彼女は同時に五年前の事件を思い出した。
 犬のようで、そうではないもの。必死に何事か叫ぶ弟。忘れてしまった方が余程楽な記憶の一欠片だ。
 小さく頭を振った彼は脳裏からその光景を追い出した。
 あの飛行機にも、この街を目指す誰かが乗っているのだろうと――そう思う。
 その誰かは何を想ってここへやって来るのだろうと詮無く想う。
「……後を向くのも前を見るのも、自分次第。それなら前に向かって歩きたい。そのための今日なんだ」
 金網から体を離した優輝は飲み干した空き缶を丁寧にその場に置いた。
 そしてそのままその場所を後にする――全ては明日に向かって歩き出す、その為に。



<つづく>

       
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