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●揺れる箱
車窓から覗く風景は広々とした開放感を持っていた。
田舎特有のモノという訳では無い。不自然に『片付き過ぎた』景色は元々この辺りにそれなりの人が住んでいたという事実を夢幻のようにも感じさせるそれである。
ゴトゴトと規則正しいリズムで車両が揺れている。真新しい座席に疎らに座る客の数は酷く少なかった。
肘掛に腕を置いて頭を預けた九十九 白の頭はうつらうつらと揺れている。
耳を覆うヘッドホンからはシャカシャカという小さな音が漏れ出てはいたが、それさえ今は気にならないのか。
眠気に胡乱と濁った彼の瞳は駆け足で過ぎ去る外の光景を見えているのかいないのか、唯ぼんやりと見つめていた。
西暦2010年、10月18日――
それは多くの人間にとっては唯の一日だったが、極一部の『例外』にとっては極めて重大な意味を持つ日付である。
そして、然して多くも無い客を運ぶこの電車に乗り合わせた幾名かの乗客達はまさにその『例外』なのであった。
運命に繰られ、世界の理を知る者。此の世為らざる奇跡に対抗する術を持つ者。或いは、神秘それそのもの――一体誰が想像し得よう。
今電車に揺られる彼等が――何れも人間では無い、等と。
「……ふ」
誰にも届かない幽かな声を上げて六華・聖は笑った。
すらりとした細身の長身に端整な顔立ちの青年は、この先を――街へ降り立つ自らの姿を思い浮かべている。
(これから……どんな風になるんだろ……?)
四条・理央の思考を占めるのはこの先の『戦い』では無く、『出会い』と『体験』の方であった。
「さて……待ちに待ったこの日だ。俺は『正義の味方』になるんだったな」
一方でクウガ・カシミール・ファーブルの望むのは『使命感』と『戦い』それそのものである。
二者は形こそ違えど、本質は同じだ。何れにしても共通するそれは――より色濃い非日常と変化に対する期待感なのである。
急行が置き去りにする景色がこれまでと少し変わっていた。
不意に現代的な高層建築が視界の中に現れたのだ。何れも真新しいそれは作りたて、或いは作りかけの姿を晒している。
今度はハッキリと静岡の片田舎にはそぐわない風景だが、再開発かと言えばそれは異なる。今この場所で成されているのは再生ではなく新生なのだ。
「奇妙な気分と申しましょうか……」
『造りかけの街』に何十年か前に見た戦後の復興の光景をふと思い出し一条・永は小さな苦笑いを浮かべた。
白い綾線の入った黒いセーラー服を着て、長い黒髪を一房の三つ編みに束ね肩から前に垂らしている。
可憐な女学生と表現すれば過不足無いこの永が齢七十七を数える等と誰が知ろうか。
「……初心忘れるべからず、と申しますものね」
異能(ちから)は神の祝福か、悪魔の呪縛か。
その答えは長く時間を過ごしてきた彼女にも分からなかったが、子や孫、後に続くものへ大切な何かを残す為に為すべきが何かは分かっていた。
(ここが、三高平か……俺みたいな能力を持つ強い奴らがウヨウヨしてるらしいじゃないか)
燕条・和馬の胸は否が応にも昂ぶった。
闘争に明け暮れた日々、それすら前菜に過ぎなかった――と。剣呑な予感が近付く程に強くなる。
普通ならばそれは一概に歓迎出来る事実では無いのだろうが、生憎と彼は普通では無い。彼は似合わない鼻歌を口ずさみかけた自分に気が付いて唇の端を吊り上げた。
そんな内にも外に覗く街の様子は既に完全に様変わりしている。
「まるで、レールが切り替わったみたいだ」
小さく呟いた早瀬 直樹はやや自嘲気味に頭を振った。
外に広がる素晴らしい都会の街並みは数分前までのモノと余りに違う。
いきなり現れた知らない街は、突然に訪れた家族との別れとその先の運命を思わせた。
その落差は平々凡々としながらも、それなりに楽しく――平和に暮らしていた自分の世界の激変を思わせた。
望む望まないにせよ、これからはこの街が直樹の居場所――
(復讐なんて時代遅れでナンセンスだけど……)
速度を緩め始めた景色から視線を切った御陵院 いばらの口元には微かな笑みが浮かんでいた。
これより彼女が降り立つのは『十一年前の借りのその中心』だ。母を奪ったその現場である。
忸怩たる想い、或いは感傷だって全く無い訳では無い。
だが、それでも後ろ向きなのは彼女の『流儀』らしくはない。それは自身の言う所の『中二病ならぬ自己の確立』なのである。
「そのナンセンスだってあたしの魅力のひとつだわ。
さあて、行きましょうか! 何が起こるとも知れない、新しい日常へ」
だから、今彼女は嬉しくも思うのだ。同じスタートラインに立てた、その事を――
シャカシャカシャカ……
白のヘッドホンから相変わらず軽薄なリズムで漏れる音楽があたかも全ての始まりを告げるオープニングであるかのように車内の静寂を乱していた。
●始まりのターミナル
良く晴れた朝の少し冷たい空気を胸一杯に吸い込んでから、ルオ・アルトリア・クローリーはゆっくりとそのホームへ降り立った。
ぐるりと辺りを見渡せば目に飛び込んでくるのはやはり真新しい『三高平駅』の看板だ。
「今は……三高平駅前……か」
背の高いビルに幾らか気圧されながら少女は小さく呟いた。
小さく頭を振り、一瞬のそんなイメージを追い払う。
今日よりこの街で起きる出来事は見慣れぬ街を見た比では無いのだと。
「……ふぅ、ようやく着いたわね……」
十月の日差しさえ避けるように日傘を差した桜月 零音はそのレースの布越しに聳えるビルを、街並みを見上げていた。
「今より過去は既に去り、今より未来(さき)に道は来る……随分と迷って、傷ついてきたけれど。それでも、ここに辿りつく事が出来た」
桜色の唇が綻び、何処か詩的な言葉を紡ぐ。
(これからも、迷い惑って踊りましょう。この場所で……皆と一緒なら……それも、悪くはないでしょう?)
「ここはどんな居心地なのかしら? 凄く気になるかも」
零音の言葉に応えるものか、そうでないのか。霧島・神那が冗句めいた。
「ではでは、その第一歩を踏み出しにいってみよう!」
「それいいねっ!」
「おや?」
不意に神那の言葉に答えたのは電車の中からホームを見ていた花咲 冬芽だった。
「ここが……始まりの都市……!
私もついに、あの人と同じ場所に立てるんだ……!」
隠せない緊張に頬を紅潮させ、少女はすーはーと大きく呼吸を繰り返す。
「よし、始めのいーっぽっ! とうちゃーくっ♪」
「うん、それいいね」
神那も、笑う。
ホームには幾らか多くの人影があった。
元々外部からのアクセスが難しい三高平市だが、特に今日は関係者以外が足を踏み入れる事は無い。『そういう手筈』になっている。
つまり、今この場所に在るのは――皆謂わば御同輩と協力者という訳だ。
「ここに、アーク本部があるのですね……」
(ワタシ、オリビア・クルサードはやってきた。今! まさに! この三高平市へ!
名門の末裔であるこのワタシが、コンビニのアルバイトまですることになるなんて。……あの店長はいつか潰す事にするとして!)
ホームから外を見やれば一際背の高い摩天楼はすぐに目に付く。
感慨を込めて呟いたカルナ・ラレンティーナの向こうで、旅費を稼ぎ出す為のバイトなる艱難辛苦を噛み締めつつ、件の店長に脳内で123ヒットコンボを叩き込んだオリビアが浸っている。
「ああ、随分と早く着いてしまいましたね。松山さん」
学ランに学帽、煤竹色の外套という常の装いは変わらず。古いトランクを引き、下げたビニール袋の中の盆栽に話しかけるようにした二三 松葉が幾らか遅れてホームへ降りた。
(……ここでなら、きっと……)
古い装丁の本を大事そうに胸に抱いて行くのは依子・アルジフ・ルッチェラントである。
「此処がリベリスタの街、ねぇ」
キャリーバッグを引きながら、誰に言うともなしに呟いた白樺 棗の足の向く先はこの街の商業地区――とある著名な写真館だった。
(……柾さんは撮る側だったのよね。写真)
年恰好も国籍も雰囲気も見事な位にバラバラ。
だが、この場に居る誰もが神秘世界の住人・リベリスタ。外見も外見通りにあてにならないのだから当然か。
恐ろしい程に調和の取れていない彼等はここまで自分達を運んだ電車をもう振り返る事は無くめいめいに自分の時間へと動き始めている。
まだ然程人気は多くは無いものの、少し浮き足立ったような――肌をくすぐるような雰囲気は『新しい何か』が持つ特有の空気を感じさせていた。
「雷音、そんなに緊張するなでござる」
「ボ、ボクが緊張などするわけがないだろう」
鬼蔭 虎鐵は頭を撫でた傍らの少女から返って来た予想通りの言葉に目を細めた。
「その意気でござる。この勢いで――今度こそ拙者と交際を前提に結婚するでござるよ!」
「はいはい、十年後ボクに相手がいなかったらな」
くすりと笑ったその声色から緊張の色が薄れた事を確認して、虎鐵は少しだけ誇らしい気持ちになった。
エリューションに親を殺された雷音、その雷音を保護する事で『堅気になれた』虎鐵。二人は少なからず依存しあってここに在る。
義理とは言え雷音は虎鐵の娘である。長く見ていれば分かってくる事もある。戦いを好まない彼女が『船に乗る』と言い出したのは彼にとっては少し意外な出来事だった。
「なぁ、虎鐵」
雷音はその翼を軽く広げて呟いた。
「この力を得たことに……意味が無いなんて思いたくない。
だから、船に乗るんだ。虎鐵、共に行こう」
そう。この街は――彼等が目指す『アーク』なる船は今日から動き始めるのだ。
そしてそれを動かすのは今、この場に降り立った――或いはもう降り立った、これから降り立つ誰かなのである。
或る日突然起きた非日常との遭遇。死を覚悟した自分を救ってくれたリベリスタと言う存在。そして知ってしまった世界の真実……
全てが星月 奈緒にとっての幸運だったとは言い難い。しかし、同時に――不運だったとも言えなかった。
彼女の胸には遠い日に見た『あの人』への憧憬が息づいている。同じように大好きなこの世界を守りたい、そう思った事が力をくれたとするならば、それは確かな福音だ。
「うん。がんばりますよー!」
出した声は澄み渡る青空のように澱み一つ無い。
「あなたに会いたい……あなたに」
愛されたい。
目を瞑ったアンジェリカ・ミスティオラは言葉の後半を胸の中だけで呟いた。
『大切な人』をこの街で見たと聞いただけ――寄る辺は僅かにそれだけだった。
だが人間が何かに運命的なモノを感じる機会は決して少なく無い。
幾らか肌が粟立つような感覚はそんな『錯覚』を彼女に本物と思わせるには十分だった。
今日という日は悲喜こもごもである。
感傷もあれば突き抜けた希望や期待もそこに在る。
「こういうとこ住んでみたかったんだー! 憧れの都会生活のスタートだ!
三高平の美味しいものはー……知る人ぞ知る名店『白虎飯店』が支店オープン! か、流石都会!」
タウンガイドを片手に感心したような声を上げるのは神林・広音。
「えーと、三高平大学は……っと、ねえねえ!」
健康的な肌にショートボブの茶髪が良く似合う白石 明奈は丁度傍を通りかかった尾方 瞬と尾方 歩の兄妹に声を掛けた。
「わ、な、何……?」
「んとね、学校行くなら一緒にどうかと思って!」
やや面食らう瞬に対して明奈の方はマイペースそのもの。年恰好の似た相手に大体の当たりをつけ声をかけたのである。
「いいね! 僕ら引っ越して来たばっかだから、友達百人作んなきゃだしねっ」
一方で妹の歩の方はそんな瞬よりもう少しだけ思い切りが良かった。
小、中、高の付属を持つ三高平大学はこの街に越してくる彼等――リベリスタの為に作られた市内唯一の学校である。
丁度、似たような歳の三人が偶然に出会ったのは幸運な偶然であると言える。
「そうこなきゃ! ねえねえ!」
明奈の弾むような声が再び前を通りかかった深山 栄輔へと向いた。
彼は同じような同道の話を聞いて「早速面白い感じだな」と愛嬌のある笑顔を浮かべた。
旅は道連れ程大層な話では無いが、元より『笑う門には福来たる』を座右の銘にする彼である。
「良し、そうしよう。楽しく話していれば、未来も開けるさ。わはは」
一つ大きく頷いて一行に加わる事となる。
「ようし、レッツゴー! ……で、大学はどっちかな?」
突き上げた拳の空転にはっきりと空気が緩んだ。
袖擦り合うも多生の縁。人生にはなかなかどうして寄り道、回り道も重要なのだ――得てして、多分。
朝の賑わいは徐々にその濃度を増していく。
静まり返っていた無機質なホームが嘘のように人影の彩りで飾られていく。
「まずは薬局をさがしましょう! 色んなバンソーコーがあると嬉しいですっ」
「イートインが出来る店があったら良いんだけど……」
天王寺 唯乃、そして上代・梓月。
「お、やっぱり人いっぱいいるっすね。
強そうな人も多そうっすし、これからが楽しみっす! いつか手合わせしてみたいっすね」
「オレがオレである事はこの拳でしか語れねぇ。
この腕に『鉄腕』の二文字ある限り、歩いてみしょう、喧嘩道!」
嬉々として尻尾をぱたぱたと振るジェスター・ラスール、見栄を切る阪上 竜一は些か気が早いながらも気合十分だ。
改札口へと続く地下街への階段が集った面々の様々な想いを呑み込んでいく。
吹き抜けた風に抱かれ、目を細めて足を止めたクロウ・レイヴンは仰ぎ見るように人のはけてきたホームに目線をやった。
「風が乱れ、騒いでいる……ふふ、まるで宴のようだ。
……あ、今日あの雑誌発売日だったな…コンビニ寄っていこう。
あっ、先週合併号だった…テンション下がったな……もうローブ脱ぐか……」
……おい、ねーちゃん。
「フ……お前も選ばれし者だな」
現実との境界線があやふやで迷走する世紀末・ハオー・伝説も対抗せんとばかりに風に呟く。どう見ても人の話とか聞いていない。
「う、く……! はぁ……! ……人が多いところに来たから興奮しているのね……、いい子だから治まりなさい……『蒼の覇龍(ブラオ・ドラッヘ)』。
でも、興奮するのも当然ね。これだけの数の力在りし者達が集まって来ている。今日こそ天に定められし運命の転換期ね、ふふふ……楽しみだわ」
河西 清音も又然り。含み笑いのコミュニケーションはそれはそれで成立しているのか辺りに微妙な空気を作り出していた。
三人がモーセの十戒の如く人の波を完全に割っていた事等、大いなる運命の前ではまさに児戯の如くである。
要するに何だ。こいつ等は重篤なので放置しよう。
「遂に来たぜ三高平ッ!
俺はこの地で、最強の萌えを見つける……ッ!
粗製濫造されたクソみてぇな萌えじゃねえ。正真正銘、神をも畏れぬ真のそれをなッ!」
「あたしは萌えとかじゃねーですし!? ロックですしー! 尻尾引っ張るな、って……がおー!?」
突っ立ったリーゼント――苺野原 ジョーと丸井 あるなも放っておこう。キリッ。シリアス!
●新生活
「さて、これで大物は一通りかな」
額にうっすらと滲んだ汗を手の甲で拭って英 正宗は一つ大きく息を吐き出した。
「ん。大きいのは全部運べたね」
彼の言葉に応え、タイミング良く烏龍茶の缶を差し出すのはその恋人の東雲 聖だった。
二人が今居るのは三高平市南西部に位置する居住地区の一棟である。
まだ建材の匂いが残る二階建ての新築は二人を喜ばせた。思った以上に広々とした『自宅』はこれからこの街で新しい生活をスタートさせようという恋人同士の――些か気恥ずかしい呼び方をするならば――愛の巣に相応しい。
「小物や私物はまあ後に回すとして……市内、歩いてみるか。デート替わりに」
「いいね、デートしたい!」
正宗の口から流暢に滑り落ちた魅力的な提案に聖は破顔して大きく頷いた。
ちらりと正宗が視線を向けた窓の外、路上のあちこちには中型のトラックが幾つも停められていた。
何処も変わらぬ引越しの風景だが、気を入れて午前中に終わらせようと思ったのが正解だったのは聖のこの顔を見れば明白であった。
極自然な所作で聖の手を引いた正宗は最後に表札の上に『オフィス ライオンハート』の金属プレートを固定する。
当然、忙しない引越しの対応に追われているのは二人だけでは無かった。
「來夢、今日から此処が愛の巣だよ……!」
「さて、大体片付けも終わったかな」
前の二人とは対照的に兄・璃雨の吐いた妄言と肩を抱こうとするその手までもを華麗にスルーする妹・來夢。
これで中々妹想いの璃雨が大半の荷物を持ち込んだ事もあり、來夢の仕事は少なかった。
「お兄ちゃん、何で目の幅涙なの?」
「玉葱が目にしみた!」
「変なお兄ちゃん」
気付かない辺り、妹は本能(てんねん)で兄の奇行をブロックするモノであるらしい。
ともあれ、市内のアパートに予定通りに入居した二人は漸く人心地をついていたのである。
「……ここは、どこだ?」
一方で大量の荷物を下げたまま、途方にくれている者も居る。
驚異的な要領の悪さで地図を逆さに見た慶雲寺 桜良はあっちへウロウロ、こっちへウロウロと未だに目的地のアパートに辿り着く事もままならない。
困り果てた彼は丁度通りかかったシャーク・韮崎に助けを求める。
「あんた、この街に詳しいか?すまないが、道順を教えてくれると助かる……」
「カカ。その程度、お安い御用よ」
街のそこかしこに引越しの光景が溢れるというのは、普段中々見られない光景である。
独特の忙しなさと期待感に満ちた空気はやはり今日ならでは。
『単身赴任』を脳裏に浮かべ、ディリータ・カティス・レージンは目を閉じた。
一人暮らしの部屋には最愛の夫も、可愛い子供の姿も無い。それでも戦わねばならないのはリベリスタだから。
胸の内の葛藤が消えた訳では無かった。離婚はしていない。「たまに帰ってこいよ」と送り出してくれる夫の優しさが尚の事辛かった。
自分が戦わなくてもいいのかも知れない、そう考えた事も無い訳では無い。
しかし、十一年前の事件を考えれば――その災禍が何時夫に、子供に及ぶかも分からない。
(私が戦う事で、あの笑顔が守られるなら――)
「――迷わない」
整理していた荷物の中から記憶に無い両親と兄の写真を見つけ、戦場河原 黒猫織は呟いた。
血は繋がってなくても大切な家族。今はもう亡い家族。
力を持っていたが故に。大切な何かを守る為に倒れた、大事な家族だ――
「迷わない。私……皆の誇れる家族になるから」
二度目の呟きは一度目にも増して凛と響く。
「ここで生活するんですね~」
とある老夫婦に譲ってもらった『笹塚商店』で笹塚・みりはしみじみと言った。
「話しやすい店主さんとか探さないとなー……」
明るい生活環境を整える事はポジティブ人生最初の至上命題と決めている。
「……そうなるといいなぁ……」
荷物の梱包を解きながらぼんやりと大曲 賢は天井を見上げた。
……早速、微妙にネガティブである。
「これから生活する街だし、雑貨とかも見たいし……お店を中心にいろいろ回ってみようかな?」
葉月 かのねは少し大変な――だが楽しい作業に思いを馳せる。
「話に聞いていたよりも良い街みたいだね。さて、と……」
神野 柚須は自室でまずは楚々としたワンピースを脱ぎ捨て、ラフな格好に着替えていた。
「ん~、いいね。これからの事を考えてくると楽しくて仕方ないや。どんな出会いがあるのかとか……ホント、楽しみだよね……」
クスクスと笑う彼女は髪の毛先を赤く染め――厳しい実家には無い、最高の開放感を味わっていた。
「ぁ……」
着のみ着のままとまでは言わないが――居心地の悪さに耐えかねて理由をつけて実家から飛び出した憂杏・莉衣は荷物を解いて単純な事実に気が付いた。
(……日用品全然無い)
彼女はラフな格好のまま外へ出る。
その一方で、引越しを機に数奇な出会いをした二人も居た。
「……何だろう、これ。ぼろ雑巾?」
バイトへ行こうと思った道すがら、鳳 朱子が目にしたのは路傍に倒れているラキ・レヴィナスだった。
何もかもが新鮮な三高平市内には大凡似つかわしくない襤褸を纏ったラキは何処からどう見ても行き倒れの体である。
……辛うじて辿り着いた行き倒れも引越しと呼ぶならそうなのだろうか?
「うがぁ! 飯いぃぃぃ!」
手を伸ばしかけた所で顔をぐわっと持ち上げたラキの有様に朱子は嫌そうな顔をして手を引っ込める。
「……って人か。あぁ……本格的に腹が……」
最後の力を使い果たしたかのように呟いてぐったりとするラキと周囲を交互に見て朱子は暫し考える。
辺りに人は居ない。イコール、これを助けそうな者も居ない。つまる所、見捨てて化けて出られるのも嫌だなあ。
(……ご飯食べたいらしいけど、わざわざ奢るのは嫌だな。くさいし。バイト先に連れてってもいいけどそれでお客さん増えるのも嫌だな)
一瞬だけ実に売れない『閑古鳥商店』が頭を過ぎるが、即座に却下する不良店員・朱子さん。
ぽくぽくぽくぽく、ちーん。整いました。
「……そうだ。ヨハンナさんの何でも屋に押しつけよう。私は冴えている」
いや、そのりくつはおかしい。
「ちょ、おい……擦れる、おまっ、痛い、引きずるな……っ!」
かくして、ラキを拾った朱子さんは商業地区を目指すのでありました、まる。
●三高平キャンパス
「三高平大学特撮研究会、新メンバー募集中!」
道行く学生に焔藤 鉄平が良く通る声を張り上げている。
迷子に道案内をする事――特に明奈達、四人組の迷走は凄かったと付け加えておく――三度、探し物の手伝いをする事二度。
「成る程、そりゃそうか」
「へぇ……」
神代 優雨はこれまでの道中を思い出し、納得しながらそんな風に呟き、その彼に同道した赤羽 光が感心した声を上げた。
キャンパスは時期外れの新顔に沸いていた。
何せ普通ならばこれだけ大規模な中途編入等中々無い。
「賑やかやん。沢山友達が出来るかも知れんなぁ」
うきうきとした御子神 のえるの言葉通り、小、中、高、そして大学――校内には人種も国籍も姿格好も様々な実にバラエティに富んだ若者達の姿が溢れている。
「なぁ?」
「は、はい……」
突然振られた話題にややぎこちなく黒部 仁が頷いた。
彼が来日したのは今朝の話である。元々連れ立ってやって来た育ちの親――サンディことアレクサンドラ・ミュラー・ルーテンフランツとは、お互いが持ち前のマイペースさを発揮した結果、はぐれてしまったのだ。探しはしたがあのアレクサンドラの事、簡単に見つかりよう筈も無い。
「……これからよろしうなぁ!」
「は、はい。よろしく……お願いします?」
黒犬の頭部を持つ少年は――身に纏う幻視は当然そのままに――ぺこりと頭を下げた。
やはり消え入りそうな声ではあるが、人見知りの気が強い仁としてはこれでも格段にマシな方であった。
エリューション化の影響で人生に何らかのトラウマを持つ人間は少なくない。増してや日本語の得意ではない多感で繊細な少年ならば言うに及ぶまい。
(ここは……大丈夫……?)
一抹の安心感は彼の両目に映る周囲の人間が『同類』であるとの看破から来るものだ。
「これから通う場所だからね……」
付属中学の校舎を見て回る銅川 日尾は僅かに目を細めた。
真新しい校舎は多少の歳相応らしさを覗かせる理由にはなるという事だろうか。
「えっと、あそこのジェラートは絶品なんだって」
平井 まさみは受付もそこそこにキャンパスの周囲に店を出すちょっと洒落た甘味に意識が向いているようである。
「うーん、いいなぁ、これ」
「あ、あっちのたい焼きもおいしいの……! はわ……ちょっと太っちゃうかも知れないの……!」
丁度たいやきをもぐつく食べ歩きの尾上・芽衣の姿も彼女の想いを補強したようだ。
「きゃあっ!」
「……っとぉ!?」
地図に視線を落としていた次屋・悠仁は体にぶつかった小さな衝撃と可愛らしい悲鳴に思わず声を上げていた。
「あいたたたたた……」
「余所見してたわ。堪忍な。……平気か? 嬢ちゃん」
彼の視線の先では少女――ソラ・ヴァイスハイトが見事な尻餅をついていた。
そのいでたちは見事なまでのゴシック・ロリータ。大凡キャンパスに似合っているとは言い難い。
「平気よ……でも!」
差し出された手は取らず何とか起き上がったソラは、片手を腰に当て悠仁に向けて指を差す。
「余所見してたらだめ! 怪我したら大変なんだから」
「……あー、すまん……」
少女に正論で説教をされるというのは年長者として問題だ――と悠仁は素直に反省した。
「あと、嬢ちゃんじゃなーい。私は先生なんだからねっ!」
「……へ?」
……しかし、その先の一言は彼の予想をそれは見事に裏切った。
このソラ・ヴァイスハイト、上から見てもロリロリだ。
横から見てもロリロリだ。裏から見ても、下から見ても、ひっくり返してもロリロリである。
薄い、細い、小さいの三拍子、一部の紳士やら大きいお友達が大喜びする事請け合いの以下略。
しかも幼女で先生とかどんだけ以下略削除。
「先生は先生なの!」
……その主張の必死さはさて置いて、確かにそれは事実であった。
(……そうか、そういやここ……三高平やったな……)
三高平市はリベリスタ達の街である。
そうでない人間も多数住んではいるが、特別な力を持つ存在は少なくない。
「木を隠すには森の中とも言うしね。似た境遇の者同士が集まっておけば目立つこともないのかしらね」
市内の探索中に丁度通りすがり肩を竦めた有坂・莢乃の言う通り。
リベリスタの外見年齢程あてにならないものも早々は無いのだから、これは少々迂闊だった。
(あかん、藪蛇やった……)
(些かの私情込みながら)一度火のついた教師というモノは何処でも大差が無いものなのか。
『ぷんすか』なんて擬音が似合いそうな『少女の姿』を見て、悠仁は罰が悪そうに頬を掻いた。
「……歓迎会までにはもう少し時間があるかしらね」
手持ち無沙汰を感じた源兵島 こじりの視線が一点で止まる。
そこには色素の薄い髪に赤い双眸の夜月 霧也が立っていた。
「ハジメマシテ。あら、貴方も……いえ、この街でこれを言うのは無粋ね」
「ああ……お前もそう、みたいだな」
霧也は突然親しげに話しかけてきたこじりに視線を返し、ややぶっきらぼうに頷いた。
とは言え別に気分を害した様子では無い。元々そういうタイプであると言った方が正解だろう。
「何となくだけど、気になったのよ」
「……? どうしてだ?」
こじりは意味深に笑うだけでその言葉には答えない。
彼女は直観的に――彼の姿に冷静と情熱の両面を見た気がしたのだ。それで少し興味が沸いた。
そのまま言葉にして伝える程、無粋では無かったけれど。
「そうね。貴方は……」
こじりは代わりに僅かに思案して言葉を探し軽く笑った。
「例えるなら、そう。蝋の翼で太陽を目指した勇者、みたいな人ね。
ただし、堕ちはしないけど。だって、仲間がこんなに居るのだもの。宜しくね――?」
<つづく>
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