悲しみのプロボクサー
悲しみのプロボクサー


●憤怒の拳
 夜の繁華街。
 街道を彩る照明が輝けば輝く程に、路地裏の影は深く暗くなっていく。
 明るい光を求める人がいるように、その暗い闇を好んで密やかに沈み行く人もまたいる。
「……っでよー」
「マジで? そりゃ……」
 人ごみを外れた家々の狭間を通る路地に、彼らは吹き溜まりに集う砂のように引き寄せられ、集まっていく。
 何をするでもなく、怠惰に、あるいは爆発の勢いのまま無軌道に暴れ、はしゃぎ、その場限りの刺激を楽しむ。
 誰かが持ち込んだテープレコーダーから音質の悪い音を響かせながら、それがいいのだと通を気取って笑い合う。
 そんな彼らの前に、ふと、一人の男の影が姿を現す。
 それはこの場にあまりにも似つかわしくない格好の男だった。
 両の拳に取りつけた、青い色のグローブ。そして、コートこそ羽織っているが、シャツなどは着ておらず肌を見せ、グローブのカラーに合わせたショートパンツを穿いていた。
「なんだぁ? その格好は?」
「おい、ちょっと待て!」
 訝しんだ者の一人が男に無造作に近づいていくのを、その連れ合いが慌てて止めようとしたが、遅かった。
 次の瞬間、グローブの男に近づいていた男の顔に、青いグローブが突き刺さる。
 グローブの男がそのまま拳を振り抜けば、殴られた男は壁に飛び、薄暗い路地に致死の血の花が咲いた。
「ひぃっ!?」
 止めようとしていた男が気付く。グローブの男の目に、既に光がないことを。彼の足が、ないことを。
「お前達のせいで……」
 グローブの男の口が動く。小さな口の動きに明らかに噛み合っていない、大きな、低い声が響く。
「お前達のせいで俺はぁぁぁぁぁぁああああ!!」
 強力な怨嗟の叫びと、グローブの男が動くのはほぼ同時だった。
 直後に聞こえたのは強烈な殴打音。そして何かがぐしゃりと潰れる音。
「俺は! チャンピオンになれるはずだったのに!!!」
 咆哮を上げたグローブの男の羽織っていたコートが脱げ、夜の闇に溶け消えていく。
 そのコートには、HERO『斉藤達央』と刻まれていた。

●悲劇のプロボクサー
「ボクシングが好きって人、どれくらいいるんだろ?」
 久方 万里(nCL2000005)は小首を傾げつつ、集まった覚者達に問いかける。
「今回現れた妖はね、あるプロボクサーさんの怒りや無念が形になった、心霊系の妖だよ。名前は斉藤達央、知ってる?」
 斉藤達央。1970年代に活躍したとされるボクサーで、ボクシング黄金時代の一端を担う……はずだった人物である。
 正々堂々真正面から相手を打ち負かすファイティングスタイルは、当時のファン達を大いに熱狂させたと言われている。
「でも、彼は現役時代一度もチャンピオンの座に輝く事は出来なかった」
 元より正義感の強い人柄だった彼は、ある時路地裏で大勢の素行の悪い連中が行っていたいざこざの仲裁に入るも、その中の一人が取りだしたナイフにより重傷を負い帰らぬ人となったのだ。
 当時この訃報は一大ニュースとなり世間を騒がせたため、集まった覚者の中にも知る人はいるかもしれない。
「そんな彼の中に生まれた無念と、哀しみと、怒りの感情が妖を作ってしまったみたいなの。何十年越しの思いの結晶がこれだなんて、ちょっと、可哀想だよ」
 自分の生まれるよりずっと前の、過去の人を想い、万里は少しだけ目を伏せる。少女には彼の無念は推し量れない。
「そうして生まれた妖が、今。今を生きる人の命を奪おうとしてる。万里ちゃん、それは絶対だめだって思うんだ」
 それでも少女は知っている。生前の偉人の心が、今を害すようなことは、己の成してきたことを壊す真似はさせてはいけないと。
「この妖は生前と同じ様に、拳のみを使って襲ってくるよ。特に試合後半になると使ってたっていう必殺のストレートには注意して」
 ピンチになった時にこそ放たれる必殺の一撃、ファンはそれを『タツヒサ』と呼ぶ。妖となった今、彼のその一撃の威力がどれほどの物になるのか、想像もつかない。
「それに彼の死を悲しんでたファン達の思いも彼に引きずられるように現れるみたい。彼らは皆、妖を応援するよ。ファンに応援されると妖の体力が回復するみたいだけど、このファンを倒すと今度は妖の力が増すみたいだよ!」
 ファンの悲しみが形になった妖は、しかし覚者達を害する真似はせず、達央の敗北と共に消失すると万里は言う。
「達央さんの声、万里ちゃんには聞こえたんだ。悔しい、悲しいって。その思いの暴走、皆の力で止めてあげて!」


■シナリオ詳細
種別:通常
難易度:普通
■成功条件
1.妖の殲滅
2.なし
3.なし
初めましての方は初めまして、そうでない方は毎度ありがとうございます。
みちびきいなりと申します。
今回の敵は悲劇のプロボクサー、斉藤達央の念が具現化した妖です。

彼の無念が今に遺恨を残す前に打ち破り、晴らしてあげましょう。

●戦場
深夜の繁華街。人ごみから外れた路地が戦場になります。
戦場は繁華街の店屋の搬入路でもあり、大きめのトラックが出入りできる程度の空間があります。
が、時刻的に明かりらしい明かりは遠くの街の明かりのみになり、影はより深く濃くなっているでしょう。

●敵について
ランク2の心霊系に属する妖、斉藤達央と、同じく心霊系でランク1のファンの無念達3体です。
怒りと無念に囚われていても、正々堂々と真正面から相手に致命傷を負わせていきます。
そして達央の無念に引き寄せられたファンの念は、後方から彼に声援を送り傷を癒していくでしょう。
以下はその攻撃手段です。

『斉藤達央』
・ワンツーラッシュ
[攻撃]A:物近単・両の拳のコンビネーションで殴り中ダメージを与えます。《格闘》【二連】
・ストロングフック
[攻撃]A:物近列・空気すら刈り取る大振りの拳で衝撃を生み小ダメージを与えます。《格闘》
・ファンの無念を背負う男
[強化]P:自・ファンの無念が倒される度にダメージ一段階UP。この効果は重複します。【浮遊】
・タツヒサ
[攻撃]A:物近単・ノックアウト必死の必殺ストレートで特大ダメージを与えます。《格闘》【必殺】

『ファンの無念』
・声援
[回復]A:特遠単・必死の声援で相手を奮い立たせ小回復します。BSリカバー:中確率


●一般人
深夜とはいえ生活圏内での戦闘となります。何らかの対策が必要でしょう。
なお、真っ直ぐ現場に向かえば人通りのない状態から戦闘を開始できます。


決して放置はできない危険な妖の討伐任務です。
人の思いが呪いになった妖は、それでも己の生き様のままに挑んで来るでしょう。
如何にして勝つか。覚者の皆様、どうかよろしくお願いします。
状態
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
(1モルげっと♪)
相談日数
6日
参加費
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
公開日
2016年03月28日

■メイン参加者 8人■

『花守人』
三島 柾(CL2001148)
『見守り続ける者』
魂行 輪廻(CL2000534)
『探偵見習い』
賀茂・奏空(CL2000955)
『追跡の羽音』
風祭・誘輔(CL2001092)
『聖夜のパティシエール』
菊坂 結鹿(CL2000432)

●斉藤達央という男
 現場に向かう車内、『ゴシップ記者』風祭・誘輔(CL2001092)が調べた情報を紙にして覚者達に配っていた。
「斉藤達央、名前は知ってたんだ」
 悲劇のプロボクサーとして名を遺した男、斉藤達央。享年26歳、独身。
 詳細な試合内容のデータも私生活を捉えたゴシップ記事も探せば溢れるほどに出た。それだけ時の人であった。
「その最後が、チンピラに絡まれて……とはな」
 不運だな。とは、誘輔は思っても続けない。それだけでは割り切れない悔恨がそこにあるのを分かっていたからだ。
「正義感の強さが命を失った原因、か」
 現場入りを前に、『百合の追憶』三島 柾(CL2001148)は思いを馳せていた。
 正義の人であった人物が死後、人を襲う存在になるなどあってはいけない。その拳の意味を違えさせないためにも。
「正々堂々と」
 柾はナックルを填めた拳に力を入れた。
「……俺にとって、あいつはヒーローだったんだ」
 二人の言葉に繋ぐようにして坂上・恭弥(CL2001321)が口を開く。彼の口から語られる音には熱があった。
 幼い頃、画面を通して見た男の雄姿。その時すでに故人であった彼から、恭弥は多くを学んだのだ、と。
「あいつみたいな強い漢に、俺はなりたかった」
 熱い語り口と違い彼の表情は苦く、痛ましげな色が強い。
 『探偵見習い』工藤・奏空(CL2000955)は、そんな恭介の心が痛いほどに理解できた。だからこそ思う。
(……こんなの、間違ってる!)
 そんな戦う前から暗く沈む車内を、深緋・幽霊男(CL2001229)の一言が一蹴する。
「くだらん」
 彼女からすれば、何も面白いことなどない。
 人は極限においてその本質を現すという。であれば、達央という男は死という極限に至り如何なる答えを得たのか。
 それがこれなのだとしたら。
「なるほど……ヒーローってヤツじゃの」
 その瞳はまぶた重く、窓に映る夜街を映していた。
「おおう、ヒリヒリしてるねえ。おっさん困っちゃう」
「ふふ、この場で溜まっている色々な感情は、みぃんな現場で思い切り発散しちゃわないとねん♪」
 空気を張りつめさせた車内を緒形 逝(CL2000156)と『ドキドキお姉さん』魂行 輪廻(CL2000534)の言葉が柔らかく包みほぐした。
「着いたみたいですよ」
 現場傍まで来たことを告げる菊坂 結鹿(CL2000432)の声がする。戦いの時は近い。
「行きましょう、皆さん」
「おう」
 奏空の号令に、各々が現場へと降り立っていく。それぞれの意志を軸にして。
 斉藤達央という男が遺した、感情の残滓を討ち払うために。

●悔恨の拳
 それは微かな前触れをもって現れた。
「………ぉぉ」
 建物が作り出す深い影の中から、底冷えする暗く重い呻きと共に。
 生前、彼の纏っていたトレードマークの青のグローブとショートパンツ。彼の最も輝いていた時の格好。
 現の因子を想起させるそれは、彼の想いの成したことか。
「結界は張り終えたぞ」
「テープ貼りも完了してます」
 人除けが正常に機能していることを確かめ、覚者達は武器を構える。結界を張った幽霊男もまた己の得物を向けた。
「ゴングはいらんよな? プロボクサー。此処はリングの上ではない」
 彼女の持つカトラスが、未だ距離のある幽体にその切っ先を向けて。
「タツヒサ! タツヒサ!!」
 彼の背後に湧き出す数多の声をBGMに。
「圧倒させて貰うぞ」
 次の瞬間柄の部位の撃鉄を打ち鳴らし、攻撃にして戦いの始まりを告げる号砲を生んだ。

「オオッ!!」
 打ち出された弾丸を、達央の右の拳が打ち払う。その隙に二人の覚者が躍り出た。
「達央ぁああああ!!」
 放たれた弾丸を追って真正面から恭弥が駆け込み、思いを込めた拳を放つ。炎に包まれた拳は達央の肩を狙った。
「!」
 上体を逸らし、達央がその一撃を交わす。無駄のない体捌きは生前の、恭弥がテレビで見た動きそのままだ。
「悪いがこいつはサシの勝負じゃないんでな」
 交わすその動きを待っていたと、近くの段差を利用し相手の死角を取った誘輔の正拳が、今度こそ達央の肩を打つ。
 ステゴロ喧嘩上等。昔取った杵柄をそのままに、達央へと相対する。
 それが達央の怒りを呼び起こす結果となった。
「お前達があああああああああ!!!」
 恭弥の格好が、誘輔の戦い方が、彼の最も忌み嫌う、彼の命を奪った者のそれに被るのだ。
 二人の拳に込められた気持ちも、敬意も、彼の妖には届かない。
「ッラア!!」
 達央の拳が横薙ぎに空を切る。だが、それこそが彼の攻撃だった。
「うおおっ!」
「くっ?!」
 ハンマーで殴られたような衝撃が恭弥と誘輔の体を撃ち抜く。揺れる体に最接近していた二人がたたらを踏んだ。
 達央の動きはそれだけでは止まらない。無い筈の足から床を擦るような音をさせながら距離を詰め、誘輔の懐に飛び込む。
「……ぐっ! がっ!!」
 猛スピードで繰り出される二発の拳が、誘輔の体をくの字に折らせた。くずおれそうになるのを気合で踏み止まる。強く噛んだ唇から血が滲んだ。
 達央の背後に現れた無数の人魂、彼のファンの無念が具現化した存在達は、彼の一挙動に一喜一憂しては声をあげる。まるで戦場がリングであるかのように。
「代わるぞ、風祭!」
「悪い!」
 後退を指示し代わりに前衛へと躍り出る柾を、逝が補助する。機人の腕に振るわれた刀の生み出す念弾が、達央の追撃を阻害した。
「ほいっと、いやあ……ここは気楽でいいねえ」
 余程のことがなければ逝の元まで敵の攻撃は届くことはない。だからこそ務めて冷静に、彼は己の職務を全うする。
 戦局はここに来て一進一退の硬直状態となった。
「少しハンデつけさせてくださいね」
 度重なる打ち合いの中、結鹿の愛刀蒼龍が鳴り周囲に霧を発生させる。それらは妖達に絡みつき、動きを弱体させる。
「グギアアアア!!」
 怒りのままに振り下ろされる拳を鞘で受け止め、返す刀で二撃目の拳を受け流す。
「どんな理由があろうとプロボクサーさんがその業をリング外で出しては、もう、それはプロを名乗る資格はないのです!」
 正義感の強い彼女らしい叱責が達央へ飛んだ。彼女の信じる正しさは、彼の絶望を否定し堕落と断罪する。
 だがそんな彼女の言葉など知らぬと、死をもって恨みと絶望を知った男の拳は止まらない。
「危ない!」
 大振りの一撃が来る前に、結鹿の前に柾が割り込んだ。身を打つ衝撃に、柾は嗚咽を零す。
 人魂達が歓声を上げた。

「……!」
 輪廻が気を活性化させ味方を治療している中、奏空は己の攻撃をしばし止め戦局を見守っていた。彼の目は奥の人魂達へと向かう。
(『今の斉藤さんを見て、何も思わないの!? ファンなら、彼が悪行を働いているなら、止めなきゃでしょ!!』)
 奏空の心の叫びは人魂達へと届けられた。が、返って来たのは強烈なノイズと、感情の波だった。
(『彼は死んでない。彼は負げてない。彼ば死んでない。彼ば負げでなび。彼ヴァ負けデナい。ガレは負ゲデなイィ!!』)
 妄執といって間違いないそれらは、真面目に聞いてしまえば心を蝕むほどに純粋に、研ぎ澄まされた感情を露わにする。
 それはもはや人ではない。別種の何かなのだと、改めて妖という異形を奏空に認識させる。
(あ……)
 元が人であったが故に、それらは認識できる音となって彼を苛んだ。
「しっかりなさい」
 そんな彼を引き戻す輪廻の声。彼女の放つ癒力活性の力か、引き摺られそうな奏空の意識が定まった。
「貴方のするべきことは、それなのかしらん?」
 重ねて掛けられた言葉に、奏空はハッとなり戦場を再びその目で捉える。そこには今、戦う仲間達がいた。
「俺は、あんたのそんな姿見たくねぇんだよ!」
「こんなヌルい技で倒れてられん」
 何度拳を受け止めたのか、体内の炎を燃やす恭弥が、英霊の加護を受けた幽霊男が、傷つきながらも前に立っている。
 傷を受けた先から声援で回復する達央も、消耗しているのかコートがボロボロになっていた。
「………」
 夢を持つ少年の瞳に再び力が宿る。妖を生んだ彼の無念は計り知れないが、彼が遺した物は決してそれだけじゃない。
(恭弥さんも言ってたんだ。斉藤さんは……ヒーローなんでしょ!)
 奏空は前線へと駆け出していた。
「おーう、若いね」
 逝の呟きは彼に届いたか。奏空を見届けて、逝は再び達央を見る。
 怒りに支配され、歪んだ拳を振るう男がそこにいる。
(素敵よ? 分かり易くって殺りやすい……けど、私怨塗れじゃ折角のベビーフェイスが台無しだな)
 敵味方入り乱れて数多の感情が生み出される戦場で、しかし逝のフルフェイスの中の表情は窺えなかった。

●研ぎ澄まされる拳
 戦いが進むにつれ、それぞれに消耗が大きくなる。
 夜の路地に懐中電灯の明かりが舞う戦場は、一人の人ならざる男を囲う覚者達が入り乱れる乱打戦となった。
「資料にもあったが、これが終盤の粘りと攻撃力か!」
 戦いが長引く程に達央は動きのキレを増し、連撃の頻度も高まっていく。その攻撃が誰か一人に積み重なれば、一気に崩されかねない。
 だが覚者とて手をこまねいているわけではない。
「フッ! ンッ、シッ!」
 誘輔が拳によるコンビネーションを仕掛ける。硬化させた拳と練達の拳を織り交ぜた攻撃は、他の覚者達と共に連携することで達央の体に次々と吸い込まれていく。
「俺はぁぁぁぁ!!」
 誰に向けた叫びか、達央のグローブが唸る。再び空を切った拳は衝撃を生み、前に立つ誘輔達前衛を弾く。が、弾かれた誘輔はむしろその衝撃を素直に受け止め距離を取った。
 その瞬間をこそ狙っていた一人の覚者――輪廻に血道を開くために。
「……この技、貴方には一度当てた方がいい気がするのよね」
 振り抜かれた拳を追って彼女の手は伸びる。掴むのはその拳の根元、腕の部分。
 絡めた手を引き輪廻が背中を達央の胸に寄せる。もう一方の手が、彼のボロボロのコートを掴んだ。
「しっかり味わいなさいねん♪」
 彼女の腕が円の軌道を描く。肌蹴た着物がはためくままに、幽鬼となった男は宙へ舞った。
「……それっ!」
 圧の篭った見事な背負い投げ。揺らめく半実体は彼女の導きのままに地面へ激突し、体を震わせる。
 すぐさま幽体は掴みを解き距離を取るが、投げられたという事実は意外だったのか、その動きが鈍る。
「………」
 それは棒立ちのまま、何かここではないどこかを見ているような、そんな虚ろな顔を浮かべていた。
「! 待った!」
 攻勢に出るべき場面であったが、それを恭弥が止める。
 気がつけば達央は、グローブのガードを低めにより攻勢を見せる構えを取っていた。
「『タツヒサ』だ!」
 恭弥はそれを何度となく見てきた。窮地に陥ったヒーローが見せる、覚醒の瞬間を。
 後悔と怨念が作り上げた妖であっても、彼の形をとったそれは、その技を放つ構えを取ったのだ。
 絶対に負けないという強い意志。彼の中の最も堅く揺るがなかった力の代名詞。それが来ると、恭弥は本能で悟った。
「!」
 恭弥の言葉に対する咄嗟の判断で、結鹿が前衛に対して守りの盾を展開する。そして次の瞬間、状況は動き出した。
「……Ahhhhhhh!!」
 振り抜きは一瞬、真っ直ぐに突き出すだけ。ただそれだけで、一撃を受けた結鹿はくずおれ地面に膝から倒れる。
 妖となった男の必殺に、場が凍る。しかし、その後に続く追撃はなかった。
 拳の命中と同時に甲高い破裂音が響き、彼の拳は衝撃の反射を受けて弾かれたのだ。
「こういう、のも……クロスカウンターというんでしょう、か……?」
 意識を落とす瞬間。結鹿が笑う。反射の力は、彼女の紫鋼塞によるもの。
 絶対的な形勢逆転の逆風は、己の正義を譲らない少女の意志が役割を果たし、挫いたのだ。

「……Ahhhhhhh!!」
 そこからの達央の攻撃は、そのどれもが真っ直ぐなストレート。つまり彼の得意技、タツヒサを主軸とするものとなった。
 読みやすい単純で真っ直ぐな軌道が、しかしそれを打ち込むために最適化された体捌きとコンビネーションで回避困難な一撃となる。だが避けることを諦めれば、今の消耗した体では一撃で致命傷となる。
 数の優位はそのまま手数の優位。それで押し切れるかどうかが、勝敗を左右する大事な鍵だった。
 倒れる前に結鹿の展開した守りが彼らを鼓舞する。迂闊に飛び込めない状態でも、多少の無茶が利いた。
「っと!」
 辛うじて直撃を避けた柾が、タイミングを計って攻勢に転じる。
「これで、どうだ!」
 妖の力で放たれた異質の技には、己もまた力を高める。インパクトの時の衝撃、力の弾け方は爆発を応用させる。
 が、そうして放たれた彼の拳は想像程の威力は生まず、逆にその素直な一撃が相手の反撃を誘ってしまう。
「下がれよ!」
 直撃コースだったタツヒサを、柾の代わりに幽霊男が引き受けた。
 打ち込まれる拳、弾ける破砕音。
 彼女の顔に巻いていた包帯がほどけ、微かに赤の混じったそれは熱の流れに従って空に舞う。
「………」
 真正面から拳を受けた幽霊男は、しかし唯鹿のように崩れ落ちることはなかった。
「軽いんだよ。お前の拳は」
 灰色の目が昏く濁りを宿したまま妖を睨む。くだらんと断じた拳に、自分が膝をつくことは意地でも許さない。
「……技を盗もうという奴がいるなら聞け。あれは起死回生の技、気力で撃つ体術じゃぜ」
 今までの戦いを見続け、彼女の目で捉えた最大の情報を伝える。
「はぁっ!」
「!?」
 双刀が舞い、幽霊男と達央の間に割り込む。剣舞の主、奏空はそのまま体をひねり二撃目の刃を振るった。
 受け止めた達央のグローブが浅く破ける。彼の魂とも言える武器の損傷は、かの妖の限界が近いことを伝えていた。
「幽霊男ちゃんバックバック」
 無理矢理立っている幽霊男を下がらせるべく逝の集中を込めた念弾が再び炸裂する。その隙に幽霊男は中列へ下がり、それを背中に庇うように立った輪廻が再び気の流れを操り傷を癒す。
「大詰め、ねん」
 輪廻の視線の先、達央へと飛び込んでいく男がいた。それを見送りながら、彼女は達央に声援を送る魂達に視線を移す。
(しっかり貴方達のヒーローを応援なさい。相手が堂々と来るなら、こちらも堂々と当たって悔いのない様に倒してあげる)

 自分の数段先を行く覚者の検証を見た。
 意地を突き通して耐え抜いた覚者の目がその技の特質を解析してくれた。
 今も自分のために仲間の一人がその刃を振るってくれている。
「恭弥さん! ぐぁっ」
 覚悟を決めて、駆け出す。
(全部、引き継いでやる。あんたの夢も技も……想いも!)
 ありったけの思いを込めて拳を振りかぶる。体全体を使い、心に燃える炎を燃やし尽くす。
(あんたを慕う一人のファンとして、その醜態を止めてやる! 悔恨塗れの妖じゃない、俺の知ってる――)
 溜めこんだエネルギーを、気力に任せて打ち付ける!
「斉藤達央という、俺のヒーローを取り戻す!」
 拳が妖を捉えた。かに見えた。
「があっ!」
 だが、恭弥の拳は。同時に放たれた必殺の拳に弾かれていた。
 恭弥の強い、圧倒的な熱量を持った想いが、しかしそれでも至れない。
 弾かれるままに距離を離した恭弥の背を、誰かが受け止めた。
「ありがとう。おかげで足りなかった物が分かった」
 恭弥を受け止めた覚者は、彼と立ち位置を入れ替え再び達央の前へとその身を晒す。
(正々堂々、真っ直ぐに敵を見るのだと決めていたのにな)
 技を受け継ぐことを意識し過ぎて、思考に傾いていた己を恥じる。
(必要なのは、ピンチになった時こそ諦めない不屈の意志。坂上が示してくれた想いの熱を、そのままに!)
 もう想いに澱みはないと、拳を構えた覚者――柾が吼える。
「……Ahhhhhh!!」
 練り上げた力を、それを上回る渾身の気力と共に拳に載せて真っ直ぐに突き出す。



 撃ち抜いた瞬間、シンッと、彼の耳に届く世界の音が消えて。
「………!!」
 一撃を受けた達央が、その体を揺らめかせ、地面に手をついた。
「おやすみなさいねん?」
 そしてふわりと距離を詰めた輪廻の静かな二連撃が、戦いの幕を降ろした。

●受け継がれる物
「さすがに重いな。この拳は」
 手応えを得た柾は、握りしめた己の拳を見つめながら呟く。自分一人では成し得なかった境地に、彼を偲ぶ。
「大丈夫か?」
「恭弥さんの気持ち、わかるから」
「……ありがとうな」
 一撃に沈んだ奏空に肩を貸し、恭弥が笑う。彼の目にも、追うべき夢の火が灯っていた。
「あれは本当に達央ちゃんだったのかねぇ」
「さてねん」
「どちらにしてもチャンプの時代はもう過ぎた。時代は変わった。変わっちまったんだよ」
 未だ解明に至らない多くの謎を持つ妖について、推察は答えに至る材料を持たない。
「こんな最期を迎えるだなんて、残念です」
「こんなところで血迷ってる暇があるなら、さっさと生まれ変わって出直すがいい。無駄にしている時間はないだろう?」
 ただ今は、その魂に光が差すことを祈る。
「研鑽しろ。研磨しろ。倒れても立ち上がるのがボクサーなのだろ?」
 結界の解けていく路地を、覚者達は離れていく。
 後に一つ、投げ込まれた手向けのタオルだけを残して。

 後日、誘輔は自分の所属するスポーツ新聞に一つの記事を載せた。
 彼の生涯と、悲劇、そして死して遺した無念が生んだ妖について。噂という形を取りながら真偽を混ぜつつ語り尽くす。
 せめてあの場が、静かで安らかになればと願ってのことだった。

■シナリオ結果■

成功

■詳細■

軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし



■あとがき■

依頼完了。覚者の皆様はお疲れ様でした。
無念の内に死したプロボクサーから生み出された妖は、皆様の手により祓われました。
その必殺の拳も、その魂の有り様も。受け継がれたようです。
今回のシナリオ、楽しんでいただけたなら幸いです。
また機会ございましたらよろしくお願いします。

ラーニング成功!!

取得キャラクター:三島 柾(CL2001148)
取得スキル:タツヒサ




 
ここはミラーサイトです