【金糸雀の歌】8-もう一つの力と正義の数-
●
「ニルヴァーナは抑止力として使うつもりだったんだ」
「ニルヴァーナ?」
『イグノラムス』杉原 昇平(nCL2000187)が自分の組織と共に死を選ぶ。
その事実を伝えたいと言ってようやく『ラプラスの魔』小数賀 ルイ(nCL2000178)と特別に話が出来た『夢見准教授』菊本 正美(nCL2000172)は、ルイの言葉に首を傾げた。
「毒のことだよ。カクシャだけに効くやつだ」
「……洒落た名前だ」
溜息一つ。涅槃(ニルヴァーナ)。覚者、つまり悟りを開いた者の死のことか。あの毒がそんな名前だったとは。
ふふっと笑うルイのその眼は、どこか虚ろだった。
ニルヴァーナは、万が一相互非干渉地帯が出来た時の武器にするつもりだったそうだ。覚者だけに効くとなればいくらでもばら撒ける。
逮捕されたとしても――なぜそんな毒を欲しがったのか、と誰しも思うはずだ。動機は探られる。
「……どうして」
ルイはその問いに虚しく笑う。
「何でだろう。昔死んだ友達の為、だとちょっと弱いかな」
どうして。我ながらナンセンスなことを言ったと正美は思った。
指令から情報は得ている。7年程前に死んだルイの友人というのは、自分の婚約者を殺した隔者を追っていた。しかし結局彼は隔者に殺された訳だ。その事実を忘れさせない。そういう動機も考えられるが……。
「僕が自分の活動のせいでカクシャに殺されかけた時、『名無し』……イグノラムスに助けてもらった。……でも最初は軟禁。しばらくの間狙われるとまずいから、って理由でね。その内に彼と親しくなった。
僕は彼に可能な限りの教養を与えた。彼は天才だよ。せめて彼が普通の家庭に生まれていれば……」
その瞬間、正美は自分が鏡を相手にしている気分になった。あまりにも境遇も思考も似すぎている。もし自分がルイだったら、求めるものは。
「自由になりたかった?」
ルイは小さく笑った。
「彼を自由にしたかった。彼は、僕よりずっと優秀だ。日の当たる所にいて欲しかった」
喉に何かが突っかかり、胸の辺りに酷く熱い感覚を彼は覚えた。
「……電磁波」
ルイの唐突な発言。
「え?」
「ニルヴァーナは電磁波に『弱い』んだ。毒性があるってことは物質としては不安定で反応しやすいだろう? ガスになったニルヴァーナは、覚者が発している電磁波と同じ波長の電磁波でエネルギー状態が上がって、空気中の物質と簡単に反応して無害な物質になっちゃうんだ」
正美は呆気にとられた。それが真実ならば、以前起きた電波障害の事件の時FiVEが発見した電波増幅器が役立つ。しかしXI側にしてみれば、敵を嵌めようとして作った物が自らを苦しめる武器になる訳だ。
「毒のサンプルぐらい持ってるだろう。ガスにする方法は教えるから試してみればいい」
「そんなこと教えて何に――」
「イグノラムスを本当に助けてくれるなら僕はどんな情報でも吐く」
「それは『仲間』を売ることにも繋がるだろう!?」
思わず立ち上がった正美はルイの目を見て、そして凍り付いた。
「彼を利用するだけの奴は『仲間』なんかじゃない」
正美はふらりと一瞬よろけた後、力無く椅子に座り直す。
――不自由であろうとも生を選んだ自分の末路を、見ている気がしてならなかった。
「彼を解放するためならXIだって壊滅させる」
「……」
「だから……」
「……もう、いい」
●
「もう、いいんだ……」
話を終え部屋を出た後、正美は壁に背を付け、ずりずりと床に崩れ落ちた。
パンがなければお菓子を食べればいいのよ。と誰かが言って民衆の怒りを買ったそうだが、大体の悲劇はこれと全く同じだ。
所詮、陳腐な正義は自身の狭い世界観の下での合理性だ。
陳腐なプライドや古臭い常識、自分勝手な理由ならそれは合理性という武器で一蹴すべきだ。しかし時に無い袖を振れと強制し、他者を傷付ける『合理性』もある。そんな合理性を振りかざす輩に力が無ければ、そいつは冷や飯を食うのがオチだ。
しかし力があれば話は違う。袖を触れない人間が、迫害される。だがそれは結局力の暴走だ。
真の正義とは、何なのだろう。少なくとも迫害を助長するものではない筈だ。
正美は立ち上がり、よろけながら指令室へと向かった。
●
「今回は憤怒者の身柄確保をお願いします」
集まった覚者達を前にして、正美はそう切り出した。
「このままだとイグノラムス……いや、杉原昇平が自分の元居た派閥の仲間を皆殺しにすることになる。確かにそれでXIは大幅に弱体化するかもしれないけれど……頂けない」
正美はあくまでルイの代弁者としての立場で言っているが、ここまでの事件を追ってきた者達なら思う所は色々あるだろう。
昇平へのやるせない気持ち、何れ起こるかもしれなかったテロへの恐怖、竹島への怒り……。
何を思おうと罪は無い。そして、今覚者達がすべき行為も決まっている。
XIの一派の残党を一斉に確保することだ。
だが、それ『だけ』でいいのだろうかという不安を、正美は一切口にはしない。
「ニルヴァーナは抑止力として使うつもりだったんだ」
「ニルヴァーナ?」
『イグノラムス』杉原 昇平(nCL2000187)が自分の組織と共に死を選ぶ。
その事実を伝えたいと言ってようやく『ラプラスの魔』小数賀 ルイ(nCL2000178)と特別に話が出来た『夢見准教授』菊本 正美(nCL2000172)は、ルイの言葉に首を傾げた。
「毒のことだよ。カクシャだけに効くやつだ」
「……洒落た名前だ」
溜息一つ。涅槃(ニルヴァーナ)。覚者、つまり悟りを開いた者の死のことか。あの毒がそんな名前だったとは。
ふふっと笑うルイのその眼は、どこか虚ろだった。
ニルヴァーナは、万が一相互非干渉地帯が出来た時の武器にするつもりだったそうだ。覚者だけに効くとなればいくらでもばら撒ける。
逮捕されたとしても――なぜそんな毒を欲しがったのか、と誰しも思うはずだ。動機は探られる。
「……どうして」
ルイはその問いに虚しく笑う。
「何でだろう。昔死んだ友達の為、だとちょっと弱いかな」
どうして。我ながらナンセンスなことを言ったと正美は思った。
指令から情報は得ている。7年程前に死んだルイの友人というのは、自分の婚約者を殺した隔者を追っていた。しかし結局彼は隔者に殺された訳だ。その事実を忘れさせない。そういう動機も考えられるが……。
「僕が自分の活動のせいでカクシャに殺されかけた時、『名無し』……イグノラムスに助けてもらった。……でも最初は軟禁。しばらくの間狙われるとまずいから、って理由でね。その内に彼と親しくなった。
僕は彼に可能な限りの教養を与えた。彼は天才だよ。せめて彼が普通の家庭に生まれていれば……」
その瞬間、正美は自分が鏡を相手にしている気分になった。あまりにも境遇も思考も似すぎている。もし自分がルイだったら、求めるものは。
「自由になりたかった?」
ルイは小さく笑った。
「彼を自由にしたかった。彼は、僕よりずっと優秀だ。日の当たる所にいて欲しかった」
喉に何かが突っかかり、胸の辺りに酷く熱い感覚を彼は覚えた。
「……電磁波」
ルイの唐突な発言。
「え?」
「ニルヴァーナは電磁波に『弱い』んだ。毒性があるってことは物質としては不安定で反応しやすいだろう? ガスになったニルヴァーナは、覚者が発している電磁波と同じ波長の電磁波でエネルギー状態が上がって、空気中の物質と簡単に反応して無害な物質になっちゃうんだ」
正美は呆気にとられた。それが真実ならば、以前起きた電波障害の事件の時FiVEが発見した電波増幅器が役立つ。しかしXI側にしてみれば、敵を嵌めようとして作った物が自らを苦しめる武器になる訳だ。
「毒のサンプルぐらい持ってるだろう。ガスにする方法は教えるから試してみればいい」
「そんなこと教えて何に――」
「イグノラムスを本当に助けてくれるなら僕はどんな情報でも吐く」
「それは『仲間』を売ることにも繋がるだろう!?」
思わず立ち上がった正美はルイの目を見て、そして凍り付いた。
「彼を利用するだけの奴は『仲間』なんかじゃない」
正美はふらりと一瞬よろけた後、力無く椅子に座り直す。
――不自由であろうとも生を選んだ自分の末路を、見ている気がしてならなかった。
「彼を解放するためならXIだって壊滅させる」
「……」
「だから……」
「……もう、いい」
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「もう、いいんだ……」
話を終え部屋を出た後、正美は壁に背を付け、ずりずりと床に崩れ落ちた。
パンがなければお菓子を食べればいいのよ。と誰かが言って民衆の怒りを買ったそうだが、大体の悲劇はこれと全く同じだ。
所詮、陳腐な正義は自身の狭い世界観の下での合理性だ。
陳腐なプライドや古臭い常識、自分勝手な理由ならそれは合理性という武器で一蹴すべきだ。しかし時に無い袖を振れと強制し、他者を傷付ける『合理性』もある。そんな合理性を振りかざす輩に力が無ければ、そいつは冷や飯を食うのがオチだ。
しかし力があれば話は違う。袖を触れない人間が、迫害される。だがそれは結局力の暴走だ。
真の正義とは、何なのだろう。少なくとも迫害を助長するものではない筈だ。
正美は立ち上がり、よろけながら指令室へと向かった。
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「今回は憤怒者の身柄確保をお願いします」
集まった覚者達を前にして、正美はそう切り出した。
「このままだとイグノラムス……いや、杉原昇平が自分の元居た派閥の仲間を皆殺しにすることになる。確かにそれでXIは大幅に弱体化するかもしれないけれど……頂けない」
正美はあくまでルイの代弁者としての立場で言っているが、ここまでの事件を追ってきた者達なら思う所は色々あるだろう。
昇平へのやるせない気持ち、何れ起こるかもしれなかったテロへの恐怖、竹島への怒り……。
何を思おうと罪は無い。そして、今覚者達がすべき行為も決まっている。
XIの一派の残党を一斉に確保することだ。
だが、それ『だけ』でいいのだろうかという不安を、正美は一切口にはしない。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.憤怒者全員の身柄確保
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
泣いても笑ってもシリーズ最終回です。
8はマルセイユ版タロットでの正義の数、ウェイト版タロットでの力の数。
§状況
首都圏某所の埠頭にある倉庫。午後9時を過ぎていますが、周囲はかなり強い光で照らされていますし、倉庫内も照明で照らされているので暗視等の技能スキルは不必要です。
XIの構成員が使用しているのは2箇所ありますが、こちら側には竹島修一が運搬を担当している倉庫の制圧を担当して頂きます。
・倉庫
昇平が提供した情報の中に記載されていた、アジトの一つ。
毒が反応してしまわないようにと太陽光を遮断する必要があるためか、窓はありません。
倉庫を出た周囲にはコンテナ、フォークリフト等が置いてある他、倉庫内には毒のタンク以外にも金属製の古びた棚、鎖、鉄パイプ等がありますが、耐久度は高くありません。
後衛からでも遠距離術式を撃てる程度には広いです。
倉庫には引き戸の入り口が一つ。大きな物資を出し入れするので入り口は相当広いです。
そこから入って一番奥に毒ガスの入ったタンクが複数あります。毒ガスの無毒化については後述する電波増幅器があるので、タンクの近くに寄って十数分もすれば可能でしょう(反応熱が発生して爆発することはないので近づいても問題ないと思います)
§ニルヴァーナと電波増幅器
・ニルヴァーナ
覚者だけに効く毒の正式名称。
今回ガス化に成功し、更に毒性も上がりましたが、毒性が上がったことが裏目に出て反応性が高くなり、特定の周波数、更に詳しく言えば覚者が発する電磁波で急速に反応し無毒化してしまう事が判明しました。(尚電磁波での無毒化が有効なのはガスの場合のみです)
この事実はルイと昇平ぐらいしか知らず、他の憤怒者には知らされていないようです。
・電波増幅器
≪悪意の拡散≫で騒動の発端の一部を担った代物。
当時は電波障害を引き起こした疫病神でしたが、皮肉にも今回は上記の理由からXIにとって疫病神になることでしょう。
当時の騒動後FiVE側で増幅器を解析し、同じものを複数用意できたので、今回覚者の皆さんはこれを持っているものとします。
§エネミーデータ
・竹島修一
前回『【金糸雀の歌】運命の6面体』で組織維持の為、昇平にルイ殺害を提案した人物(その前にルイ自身が自分の殺害を昇平に提案していたのですが)
前回の『【鉱員の挽歌】第7の喇叭』側で昇平を人質にし連れて行った後無事(?)アジトに戻ったようです。
ルイや昇平とは意見の違いから対立しましたが、前回の昇平の行動に対して一応は疑うことをやめたようです。……自分達の情報がその昇平に流されているとも知らず。
武器はアサルトライフル、ナイフ
スキルは以下の通り(ラーニング不可)
号令(味方遠全)仲間の物理攻撃力を上げる
貫通弾(物遠貫2)
応急処置(味方遠単)味方単体のBS、体力を回復
プロテクター(パッシブ)受けるダメージの2割を軽減
・憤怒者
計30人。
XIの組織維持を選び、ルイ側に付かず竹島に与した憤怒者です。昇平については一応信用している者、疑っている者など思うことは人それぞれです。
武器はアサルトライフルを装備
スキルは以下の通り(ラーニング不可)
貫通弾(物遠貫2)
毒炸裂弾(物遠列・毒・弱体)ダメージ0
機銃掃射(物遠列)
プロテクター(パッシブ)受けるダメージの1割を軽減
身柄確保には撃破が必須ですが、拘束具等についてはFiVE側で支給されますのでプレイングで特に明記する必要はありません。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2017年11月17日
2017年11月17日
■メイン参加者 8人■

●
何であれ、これで最後になる。
ルイに付き添った正美に『探偵見習い』工藤・奏空(CL2000955)は深々と頭を下げた。
「必ず、負の連鎖を止めてきます」
その言葉に、傍らにいた『ファイブピンク』賀茂 たまき(CL2000994)も頷いた。
「微力ながら私も」
奏空も、たまきも状況を理解しているようだ。正美は小さく笑い、手を振った。
「准教授ちゃん、安心して欲しい」
淡々とした口調でそう語る『冷徹の論理』緒形 逝(CL2000156)に、正美は頷く。
「頼りにしています」
「おっさんは言われた通りにやる」
その言葉通り忠実に遂行してくれるに違いない。
一方。『秘心伝心』鈴白 秋人(CL2000565)は以前会った時の答えを返すように、口を開いた。
「小数賀さん、君は数学者だろ。簡単にあきらめてしまうの?」
ルイにポツリと一言。
「小さな幸せでいいんだ。自分が幸せじゃなければ、人の幸せなんて導けないと俺は思って、ここにいる」
だが彼を『Mr.ライトニング』水部 稜(CL2001272)が止めた。肩をポンと叩いた後、稜は首を静かに横に振る。しかしそれを止めたのはルイだった。
「気にしなくていいよ。事実だ」
「だが……」
驚く稜に、ルイは首を横に振った。
「何かいい事があるんだね?」
「あ、うん……」
「幸せにね」
ルイは秋人にクスリと笑った後、稜を見た。
正しさは、難しい。その事実とルイの表情に稜は一人、自戒を覚えた。
その光景を見ていた『世界樹の癒し』天野 澄香(CL2000194)が俯く。
「菊本先生。小数賀さんは――」
「予期していたことだ」
澄香も手を握りしめた。正美の返答に、不安が確証に変わった。
「どうしてみんな暗い顔をしているのだ?」
しかしそれを疑問に思う人物が一人。たまきに誘われてやってきた『ちみっこ』皐月 奈南(CL2001483)だ。
泣くときが必要なのは分かる。そういう時は泣けばいい。だが、この雰囲気は――。
「ナナン頑張るよぉ! だから笑ってほしいのだ!」
叫ぶ奈南を見て、『エリニュスの翼』如月・彩吹(CL2001525)も小さく笑った。
「隊長は、助ける。帰って来たら『心配かけてこの馬鹿』ぐらい言ってやるといい」
彩吹の言葉に、ルイは小さく笑うだけ。彼女は引っ掛かりを覚えたが、それを気にする余裕もなく、彼等は急かされるように出発することに。
正美とルイは、彼等の背を見送った。
「博士、時間だ」
「うん」
「……彼等に会えたのも、特例中の特例です」
「……だよね」
●
案の定、と言った所か。後がないのを彼等も理解しているのか。倉庫突入直後からとてつもない歓迎ムードであった。昇平という主要な指揮官が居ないとはいえ、仮にも相手はXIの憤怒者だ。追い詰められていることもあって相当な火力だ。思うことはそれぞれあれど、昇平がどうとかはあまり関係なさそうだ。
金属音と銃声が、建物ごと空気を震わせる。思わず全員倉庫入口の扉に身を隠したが……。
「こりゃ埒があかんね」
逝がポツリ。弾薬が尽きるのを待つという手もあるかもしれないが、どこまでの装備かは分からない以上無理だ。弾が尽きたら毒ガスをばら撒くかもしれない。
「……ふむ。ちょっと御三方、いいかね?」
逝はたまきと奈南、彩吹に声を掛け、彼等は銃弾が跳ねる中突っ込んだ。
逝が銃弾をその飛行機の主翼のような腕でガードし、進んでいく。カンカンと甲高い音が響くが、土の術式の防御力もあって大したダメージではなさそうだ。
「さ。遠慮なく行きたまえ」
そこで憤怒者達を襲ったのは、
「ひかっちゃえー!!」
奈南の閃光手榴弾だ。思わず腰を抜かす憤怒者達。
「私も……!」
その隙を突き、たまきはリュックから護符を取り出すと、ひらりと翳した。直後、轟音と共に地面が揺れ、憤怒者達が飛ばされる。
一瞬、攻撃が止んだ。直後澄香、稜、奏空、秋人が隊列に加わる。
「お前等怯むな!」
その中で怒号を飛ばす男が一人。彩吹がその姿に小さく笑った。
「見つけた」
間違いない。竹島だ。翼を広げ低空飛行し、彩吹は弾丸の如く竹島の元へと飛んでいく。しかしその前を他の憤怒者が遮った。
「邪魔!」
鋭い蹴りが憤怒者の身体を蹴り倒したかと思いきや、直後彩吹向けて無数の弾丸が飛んできた。竹島の撃った弾丸だ。
完全な回避はかなわず、弾丸は身体を掠め彼女は地面に落ちる。
「いぶちゃん!」
澄香が悲鳴に近い声を上げた。いくら奏空が事前に使った瑠璃光の力があるとはいえ、ダメージはそれを上回っている。
数名が呆気に取られた直後、更に弾丸の雨が彼等を襲った。しかし稜と澄香はそれに怯むことなく、攻撃を止めなかった。
その術式の特性上威力が弱まるとはいえ、澄香の放った真っ赤な炎は波の如くうねり、憤怒者達を飲み込んでいく。そこに奈南がホッケーディスクを改造君で吹き飛ばし、炸裂させる。奏空も地をうねるような連撃を放ち、敵の前衛を削っていく。
火力と火力のぶつかり合い。憤怒者側には毒炸裂弾もある。治癒が上がっているとはいえ、即時回復する訳でもない。互いに容赦なく削り合い、じりじりと肝を焼く様な戦い。
完全な消耗戦だ。しかしそこでも、勝敗を分けたのは回復の速度と規模だった。秋人と澄香、奈南が回復に当たることが出来る一方で、憤怒者側の回復担当は竹島一人だ。しかも範囲も狭い。いくら澄香と奈南が片手間で回復しなければならないとはいえ、人数が違うのだ。当然差は付く。
更には一時的にヒトを辞めた逝が猛然と襲い掛かり、憤怒者を薙ぎ払っていく。
――そんな中。
「止めろ!」
竹島の怒号が飛んだ。憤怒者達の射撃が、止まる。
「……どうせ俺が狙いなんだろ」
彼の目は焦点が合わず、血走っている。完全に怒りに染まった人間のそれだ。狂気にさえ見える視線に、覚者達は一瞬攻撃を止めた。
「まさかお前が直々に出てくるとは思わなかった」
傷つきながらも、彩吹はうっすらと笑う。しかし、それが逆に彼を怒らせた。
「如月ちゃん。まずい。相手は――」
反動で膝をつき、しかし竹島の感情を拾っていた逝の言葉は、彩吹には届かない。
舌打ちの直後、竹島のライフルが火を噴いた。しかし彼女は凶弾をひらりと躱し、そのみぞおちに鋭い蹴りを沈めた。
「かはっ……!」
空気を吐き、地面に叩き付けられる身体。彩吹は竹島の上に馬乗りになると、その胸倉を掴んで拳を握りしめた。
「気に食わねぇ……」
かすれた声で竹島がそう呟く。
この時点で、勝負はほぼ決着した。タンクに近寄る憤怒者は奏空やたまきが感知し、稜が攻撃に移る準備をしている。しばらくすれば逝も今の状態から回復し殲滅に移ることが出来るし、奈南も秋人も攻撃が出来る。そして澄香が全体を焼き尽くすこともできるのだ。
だがそれでも、彼は不相応に言い放ったのだ。
「いいよなぁ覚者サマはよ。力もあって、被差別だ何だかんだ言われて弱いもんのフリもできて、真実を知る者だなんて言われてよ。ちやほやされてんじゃねぇか」
「な、なんでそんなこと言い出すのぉ!?」
煮詰めに煮詰めたタールのような黒い悪意の固まりのような発言に、奈南は思わず驚いた。狂気を孕んだ眼差しに、憎悪を帯びた口調。他人を傷付けることしか考えないような悪意。化け物ならともかく、一人の人間がこれだ。いくら慣れていようと驚く。そんな怯えを感じたか。彩吹が無言で竹島の顔を殴る。
しかし彼は言葉を止めようとはしなかった。
「こっちは餓鬼の頃からはぐれ者だ。お前等みたいな被害者ヅラの化け物相手にな、オモチャみたいな小さな拳銃一つで殺して来いって言われてきたんだ。当然、防具も無しだ。お笑いだろ」
――だから。何だ。そう言わんばかりの彩吹の拳が、再び彼の顔に飛ぶ。
「彩吹!」
稜も思わず叫んだが、聞こえていない。雷を落としてやろうかと思ったが――そういう空気でもない。
「クソ野郎がてめぇの力振りかざして他人泣かしてんだ。サツもAAAも頼りになんねぇ。行き場の無い餓鬼がそのクソと心中するしかないんだよ」
――それでもお前は博士を殺そうとして、杉原さんを拉致して利用しようとした。それが許されるか。
彩吹の手が、赤く染まっていった。
「それが何だ? 今になってFiVEは政府公認の正義の味方? AAAをも救った救世主? ……笑わせんなよ!! 命に穴開けてきた俺達の目の前でオイシイ所かっさらっていくんじゃねぇよ!!」
竹島の悲痛な叫びに、澄香は手で口を塞いだ。
「名無しもあの真っ白なオカマもそうだ! 何が今更解散だ!? さんざXIの中ひっかきまわした挙句……てめぇの身内が可愛いだけじゃねぇか!! 掌返しやがって……」
感情探査など要らない。憎悪がヒトの形をして、そこに横たわっている。自分も憤怒者に両親を奪われた身だ。怒りも恨みも知っている。だが、ここまでの憎悪を持ち続けられることに、澄香は言葉を失った。
たまきも胸の上に置いた手を握り締めた。ここまで、人の冷たさ全てを凝縮した氷のような何かを、生身の人間に見出すとは思わなかった。
「名無しも白い野郎も、お前等もFiVEも全員殺す……!」
自分の心まで冷え切ってしまったのだろうか。たまきはその事実に震えた。
酷いという言葉が、陳腐になりそうな世界を目の当たりにした。
「……竹島が本当の弱者――だったか」
稜がぼそりとこぼす。追い詰められた狂気に哀れみさえ感じた。
「八つ裂きに、蜂の巣に、血の海に沈めて、火を放って全部灰にしてやる。いや物足りねぇ。全部血で塗り潰して壊して壊して壊」
だがその狂気に対し一撃。一撃。怒り以上の純度の高い感情を込め、しかし無心の勢いで彩吹は拳を飛ばす。
修羅には修羅をぶつけねばならぬ。そんな真理さえ考えることなく殴る。
そんな修羅を止めたのは。
「如月さん!」
奏空の言葉だった。
「……これ以上は、やめよう」
「……」
「菊本先生が、望まない」
この世に悪意や害悪があって、それが善意では止まらないことは彼も薄々は知っている。だがそれとは別に、正美はこの光景を望まないと奏空は思ったのだ。
きっと彼なら叫ぶ。そして腕を掴んで止めようとする。そして『彼だって人間だから』と言うだろう。だから。代わりに奏空がやった。
彩吹は握りしめていた拳をだらりと解くと、しばらくの沈黙の後、頷いた。
「……そう、だね」
近くに寄ってきたたまきも頷き、澄香は彩吹の手を取る。竹島を何度も殴ったせいで、彼女の手もボロボロだ。
「こんなに傷付けちゃって……」
思わずそんな言葉がこぼれた。
そんな光景を遠目に見ていた逝が、きょろきょろと周囲を見回して感情を探った。
幸か不幸か、先程の光景で憤怒者達は全員戦意を喪失したようだ。拘束は、容易そうだ。
これでひと段落だ。しかしまだ仕事は残っている。
「さ。早くタンクの毒を無毒化しようじゃないか。それからゆっくり休むとしよう」
逝の言葉に、一同は静かに頷いた。
●
その数日後。秋人はルイに会いに廊下を歩いていた。
彼は一か月後結婚式を迎えた身だ。彼等を招待したいと思い探しているのだが、見つからない。
しばらくすると、稜が壁にもたれ掛かっている事に気付いた。何か言いたげな様子で、こちらを険しい顔で見ている。
「……博士は?」
秋人は思わず問う。しかし直後の返答に、彼は驚きを隠せなかった。
「逮捕されて身柄を移された」
「どこに……?」
「おっさん達の知らん所、さね」
突如現れた逝に、稜は頷きを返した。
二人の身柄の移送先は、厳密に言うと全国いずれかの拘置所だそうだ。指令曰く最大限の警戒の下、公判が恙なく終わるまで厳重に秘匿されるらしい。
「ある意味VIP待遇じゃないかね?」
秋人は呆気に取られたまま。
「裁判は――」
「情状酌量は見込める。だがそれも事件の全容次第だ」
思わず彼は首を横に振った。
最悪は脱した。しかし取り返しの付かないものはあった。その上で、ルイは自分に幸せにと言ったのか。
「でも、やり直しはきっとできるって……」
「それは茨の道だ」
黙る秋人を、稜はじっと見ていた。
「本当に、助けたいか?」
秋人は、僅かに躊躇した後静かに頷いた。
「本当の人助けってのは人を深い所から引き揚げ、支え続けるってことだ。……生半可なもんじゃない」
「それは、分かる」
「ならいい」
突如踵を返す稜に、秋人は声を掛けた。
「何を……」
「主に情報と人間集めだ。署名活動、情報収集……他にも山ほどある。隊長と接触した奴も協力してくれるようだ」
一連の事件が明るみに出れば、影響が諸方面に出る。当然ルイへの誹謗中傷も相次ぐだろうし、そもそも裁判が有利に進むとは限らない。その為にはどうしても人手が必要なのだ。
一時は自分の仕事が因果なものだと稜は自嘲もしたが、これで失ったものを埋め合わせられるなら、それでいい。
速足で歩く稜。秋人はそれにつられるように追う。しかしそんな二人を、逝は止めた。
「あゝ二人共。ちょいと待ってくれ。
武力も必要じゃないかね? 仲間内の制裁もありうるだろう」
おっさん暴力なら得意よと、やたらけろりとした逝の口調に数秒の沈黙が。稜は溜息を一つ。秋人は口を開いた。
「如月さんも呼んだ方がいいかな?」
一方。
「失礼します」
澄香と彩吹はノックをした後、菊本研究室へとそっと入る。嫌に静かだと思ったら、当の正美は自分の椅子の上で居眠りをしていた。二人がやってきたことに気づいたようで、直後飛び上がる勢いで目を覚ます。
「お邪魔だったでしょうか?」
「いいんじゃないかな?」
首を傾げる澄香に、勝手知ったる研究室と言った様子で入る彩吹。正美も特に問題が無かったようで首を横に振った。
「どうかした?」
「アップルパイの差し入れに」
「え!? 何かありがとね?」
とりあえず皆で頂こうとお茶を淹れている間に、奏空がたまきを連れてやってきた。奈南も一緒だ。
「菊本先生!」
「あ。工藤さん」
「ナナンも一緒にきたのだー!」
「ははは。皐月さんも一緒か」
奏空は僅かに照れくさそうにしながら、たまきを紹介した。
「こないだ言ってた彼女のたまきちゃんです」
「先日はお世話になりました」
「こちらこそ」
照れつつも嬉しそうな奏空の声に、正美は笑いを返す。
「いいタイミングで来た。君達もどう?」
いいよね? と澄香に聞くと、彼女もはにかむ様に笑った。
賑やかに紅茶を淹れ、ようやく落ち着いた所で澄香が一言。
「先生、先日はお疲れ様でした」
「君達こそお疲れだよね?
それに、まだ色んな問題が残されているし気は抜けない。結局私達は憤怒者を捕まえただけ。根本的な解決はこれからだ。
夢見の私にしてみれば、バッシングを受けて隔者に襲われた博士の無念もまだ痛い程に感じる。博士が相互非干渉なんてスタンス取ったのも、覚者の両親に虐待された杉原さんの為もあるんじゃないかって思うしさ」
その言葉に奏空が目を丸くした。
確かに覚者と非覚者を分けてしまえば、問題のある隔者から非覚者の非力な子供を引き離せる手段の一つにはなる。
「先生、辛くないですか……?」
「正直辛い。でもね」
正美は溜息一つ。言葉は悲観的ではあるが、とはいえ表情はそこまで悲しげではない。
「こうやって沢山の優しい人に会えた。それが『私達』にとって救いなのと……」
「それと?」
彩吹の問いに正美はちらりと棚の上のサボテンを見た後、小さく笑った。
「さっきね、久々に良い夢見の夢を見たんだ」
どんな夢を見たのと問われる前に、正美は指を口元にやり一言。
「でも、秘密。吉夢は言わない方がいい」
「そこまで言っておいて!?」
「吉夢は言うなって話は、私も家族から聞きました」
叫ぶ奏空に対し、平安時代からのしきたりですよねとたまきは首を横に傾げる。とはいえその程度で納得しない翼人が。
彩吹は正美の肩をがっしと掴み、前後に揺すった。
「しきたりなんてどうでもいい。夢見の夢は絶対なんですから言って下さい!」
洒落にならない勢いの揺すり具合に、周囲は慌てるが、何だか止められない雰囲気である。
きょろきょろと周囲を見回した澄香は、先程正美がちらりと見たサボテンに気づいた。
間違いない。ルイが可愛がっていた子だ。正美が預かることになったようだが、ならば。見た夢というのは……?
澄香はクスリと笑った。
「早く帰ってくるといいですね。ガリレイ君」
「この子がなにかしってるのだ?」
「ええ。ルイちゃんの可愛いサボテンです」
奈南もサボテンをじっと見る。
「この子がしあわせなら、こすがさんもきっとだいじょうぶだよぉ」
彼女の明るい言葉に、たまきも頷き、そして祈った。
――小数賀先生や菊本先生が望んだように、世界が、私達の力で少しずつ優しくなっていきますように。
――だから、また会えるその日まで。
――私達、頑張りますからね。
「今度は二人とも、幸せになれるといいね」
奏空も、たまきに微笑みを返した。
……しかし。
直後彼等は重要なことに気が付いた。
「ところできくもと先生は?」
奈南の指摘に後ろを見ると、そこには彩吹に胸倉をつかまれ、グロッキーになっている正美の姿が。
菊本研究室に、悲鳴が響き渡ったとか。
何であれ、これで最後になる。
ルイに付き添った正美に『探偵見習い』工藤・奏空(CL2000955)は深々と頭を下げた。
「必ず、負の連鎖を止めてきます」
その言葉に、傍らにいた『ファイブピンク』賀茂 たまき(CL2000994)も頷いた。
「微力ながら私も」
奏空も、たまきも状況を理解しているようだ。正美は小さく笑い、手を振った。
「准教授ちゃん、安心して欲しい」
淡々とした口調でそう語る『冷徹の論理』緒形 逝(CL2000156)に、正美は頷く。
「頼りにしています」
「おっさんは言われた通りにやる」
その言葉通り忠実に遂行してくれるに違いない。
一方。『秘心伝心』鈴白 秋人(CL2000565)は以前会った時の答えを返すように、口を開いた。
「小数賀さん、君は数学者だろ。簡単にあきらめてしまうの?」
ルイにポツリと一言。
「小さな幸せでいいんだ。自分が幸せじゃなければ、人の幸せなんて導けないと俺は思って、ここにいる」
だが彼を『Mr.ライトニング』水部 稜(CL2001272)が止めた。肩をポンと叩いた後、稜は首を静かに横に振る。しかしそれを止めたのはルイだった。
「気にしなくていいよ。事実だ」
「だが……」
驚く稜に、ルイは首を横に振った。
「何かいい事があるんだね?」
「あ、うん……」
「幸せにね」
ルイは秋人にクスリと笑った後、稜を見た。
正しさは、難しい。その事実とルイの表情に稜は一人、自戒を覚えた。
その光景を見ていた『世界樹の癒し』天野 澄香(CL2000194)が俯く。
「菊本先生。小数賀さんは――」
「予期していたことだ」
澄香も手を握りしめた。正美の返答に、不安が確証に変わった。
「どうしてみんな暗い顔をしているのだ?」
しかしそれを疑問に思う人物が一人。たまきに誘われてやってきた『ちみっこ』皐月 奈南(CL2001483)だ。
泣くときが必要なのは分かる。そういう時は泣けばいい。だが、この雰囲気は――。
「ナナン頑張るよぉ! だから笑ってほしいのだ!」
叫ぶ奈南を見て、『エリニュスの翼』如月・彩吹(CL2001525)も小さく笑った。
「隊長は、助ける。帰って来たら『心配かけてこの馬鹿』ぐらい言ってやるといい」
彩吹の言葉に、ルイは小さく笑うだけ。彼女は引っ掛かりを覚えたが、それを気にする余裕もなく、彼等は急かされるように出発することに。
正美とルイは、彼等の背を見送った。
「博士、時間だ」
「うん」
「……彼等に会えたのも、特例中の特例です」
「……だよね」
●
案の定、と言った所か。後がないのを彼等も理解しているのか。倉庫突入直後からとてつもない歓迎ムードであった。昇平という主要な指揮官が居ないとはいえ、仮にも相手はXIの憤怒者だ。追い詰められていることもあって相当な火力だ。思うことはそれぞれあれど、昇平がどうとかはあまり関係なさそうだ。
金属音と銃声が、建物ごと空気を震わせる。思わず全員倉庫入口の扉に身を隠したが……。
「こりゃ埒があかんね」
逝がポツリ。弾薬が尽きるのを待つという手もあるかもしれないが、どこまでの装備かは分からない以上無理だ。弾が尽きたら毒ガスをばら撒くかもしれない。
「……ふむ。ちょっと御三方、いいかね?」
逝はたまきと奈南、彩吹に声を掛け、彼等は銃弾が跳ねる中突っ込んだ。
逝が銃弾をその飛行機の主翼のような腕でガードし、進んでいく。カンカンと甲高い音が響くが、土の術式の防御力もあって大したダメージではなさそうだ。
「さ。遠慮なく行きたまえ」
そこで憤怒者達を襲ったのは、
「ひかっちゃえー!!」
奈南の閃光手榴弾だ。思わず腰を抜かす憤怒者達。
「私も……!」
その隙を突き、たまきはリュックから護符を取り出すと、ひらりと翳した。直後、轟音と共に地面が揺れ、憤怒者達が飛ばされる。
一瞬、攻撃が止んだ。直後澄香、稜、奏空、秋人が隊列に加わる。
「お前等怯むな!」
その中で怒号を飛ばす男が一人。彩吹がその姿に小さく笑った。
「見つけた」
間違いない。竹島だ。翼を広げ低空飛行し、彩吹は弾丸の如く竹島の元へと飛んでいく。しかしその前を他の憤怒者が遮った。
「邪魔!」
鋭い蹴りが憤怒者の身体を蹴り倒したかと思いきや、直後彩吹向けて無数の弾丸が飛んできた。竹島の撃った弾丸だ。
完全な回避はかなわず、弾丸は身体を掠め彼女は地面に落ちる。
「いぶちゃん!」
澄香が悲鳴に近い声を上げた。いくら奏空が事前に使った瑠璃光の力があるとはいえ、ダメージはそれを上回っている。
数名が呆気に取られた直後、更に弾丸の雨が彼等を襲った。しかし稜と澄香はそれに怯むことなく、攻撃を止めなかった。
その術式の特性上威力が弱まるとはいえ、澄香の放った真っ赤な炎は波の如くうねり、憤怒者達を飲み込んでいく。そこに奈南がホッケーディスクを改造君で吹き飛ばし、炸裂させる。奏空も地をうねるような連撃を放ち、敵の前衛を削っていく。
火力と火力のぶつかり合い。憤怒者側には毒炸裂弾もある。治癒が上がっているとはいえ、即時回復する訳でもない。互いに容赦なく削り合い、じりじりと肝を焼く様な戦い。
完全な消耗戦だ。しかしそこでも、勝敗を分けたのは回復の速度と規模だった。秋人と澄香、奈南が回復に当たることが出来る一方で、憤怒者側の回復担当は竹島一人だ。しかも範囲も狭い。いくら澄香と奈南が片手間で回復しなければならないとはいえ、人数が違うのだ。当然差は付く。
更には一時的にヒトを辞めた逝が猛然と襲い掛かり、憤怒者を薙ぎ払っていく。
――そんな中。
「止めろ!」
竹島の怒号が飛んだ。憤怒者達の射撃が、止まる。
「……どうせ俺が狙いなんだろ」
彼の目は焦点が合わず、血走っている。完全に怒りに染まった人間のそれだ。狂気にさえ見える視線に、覚者達は一瞬攻撃を止めた。
「まさかお前が直々に出てくるとは思わなかった」
傷つきながらも、彩吹はうっすらと笑う。しかし、それが逆に彼を怒らせた。
「如月ちゃん。まずい。相手は――」
反動で膝をつき、しかし竹島の感情を拾っていた逝の言葉は、彩吹には届かない。
舌打ちの直後、竹島のライフルが火を噴いた。しかし彼女は凶弾をひらりと躱し、そのみぞおちに鋭い蹴りを沈めた。
「かはっ……!」
空気を吐き、地面に叩き付けられる身体。彩吹は竹島の上に馬乗りになると、その胸倉を掴んで拳を握りしめた。
「気に食わねぇ……」
かすれた声で竹島がそう呟く。
この時点で、勝負はほぼ決着した。タンクに近寄る憤怒者は奏空やたまきが感知し、稜が攻撃に移る準備をしている。しばらくすれば逝も今の状態から回復し殲滅に移ることが出来るし、奈南も秋人も攻撃が出来る。そして澄香が全体を焼き尽くすこともできるのだ。
だがそれでも、彼は不相応に言い放ったのだ。
「いいよなぁ覚者サマはよ。力もあって、被差別だ何だかんだ言われて弱いもんのフリもできて、真実を知る者だなんて言われてよ。ちやほやされてんじゃねぇか」
「な、なんでそんなこと言い出すのぉ!?」
煮詰めに煮詰めたタールのような黒い悪意の固まりのような発言に、奈南は思わず驚いた。狂気を孕んだ眼差しに、憎悪を帯びた口調。他人を傷付けることしか考えないような悪意。化け物ならともかく、一人の人間がこれだ。いくら慣れていようと驚く。そんな怯えを感じたか。彩吹が無言で竹島の顔を殴る。
しかし彼は言葉を止めようとはしなかった。
「こっちは餓鬼の頃からはぐれ者だ。お前等みたいな被害者ヅラの化け物相手にな、オモチャみたいな小さな拳銃一つで殺して来いって言われてきたんだ。当然、防具も無しだ。お笑いだろ」
――だから。何だ。そう言わんばかりの彩吹の拳が、再び彼の顔に飛ぶ。
「彩吹!」
稜も思わず叫んだが、聞こえていない。雷を落としてやろうかと思ったが――そういう空気でもない。
「クソ野郎がてめぇの力振りかざして他人泣かしてんだ。サツもAAAも頼りになんねぇ。行き場の無い餓鬼がそのクソと心中するしかないんだよ」
――それでもお前は博士を殺そうとして、杉原さんを拉致して利用しようとした。それが許されるか。
彩吹の手が、赤く染まっていった。
「それが何だ? 今になってFiVEは政府公認の正義の味方? AAAをも救った救世主? ……笑わせんなよ!! 命に穴開けてきた俺達の目の前でオイシイ所かっさらっていくんじゃねぇよ!!」
竹島の悲痛な叫びに、澄香は手で口を塞いだ。
「名無しもあの真っ白なオカマもそうだ! 何が今更解散だ!? さんざXIの中ひっかきまわした挙句……てめぇの身内が可愛いだけじゃねぇか!! 掌返しやがって……」
感情探査など要らない。憎悪がヒトの形をして、そこに横たわっている。自分も憤怒者に両親を奪われた身だ。怒りも恨みも知っている。だが、ここまでの憎悪を持ち続けられることに、澄香は言葉を失った。
たまきも胸の上に置いた手を握り締めた。ここまで、人の冷たさ全てを凝縮した氷のような何かを、生身の人間に見出すとは思わなかった。
「名無しも白い野郎も、お前等もFiVEも全員殺す……!」
自分の心まで冷え切ってしまったのだろうか。たまきはその事実に震えた。
酷いという言葉が、陳腐になりそうな世界を目の当たりにした。
「……竹島が本当の弱者――だったか」
稜がぼそりとこぼす。追い詰められた狂気に哀れみさえ感じた。
「八つ裂きに、蜂の巣に、血の海に沈めて、火を放って全部灰にしてやる。いや物足りねぇ。全部血で塗り潰して壊して壊して壊」
だがその狂気に対し一撃。一撃。怒り以上の純度の高い感情を込め、しかし無心の勢いで彩吹は拳を飛ばす。
修羅には修羅をぶつけねばならぬ。そんな真理さえ考えることなく殴る。
そんな修羅を止めたのは。
「如月さん!」
奏空の言葉だった。
「……これ以上は、やめよう」
「……」
「菊本先生が、望まない」
この世に悪意や害悪があって、それが善意では止まらないことは彼も薄々は知っている。だがそれとは別に、正美はこの光景を望まないと奏空は思ったのだ。
きっと彼なら叫ぶ。そして腕を掴んで止めようとする。そして『彼だって人間だから』と言うだろう。だから。代わりに奏空がやった。
彩吹は握りしめていた拳をだらりと解くと、しばらくの沈黙の後、頷いた。
「……そう、だね」
近くに寄ってきたたまきも頷き、澄香は彩吹の手を取る。竹島を何度も殴ったせいで、彼女の手もボロボロだ。
「こんなに傷付けちゃって……」
思わずそんな言葉がこぼれた。
そんな光景を遠目に見ていた逝が、きょろきょろと周囲を見回して感情を探った。
幸か不幸か、先程の光景で憤怒者達は全員戦意を喪失したようだ。拘束は、容易そうだ。
これでひと段落だ。しかしまだ仕事は残っている。
「さ。早くタンクの毒を無毒化しようじゃないか。それからゆっくり休むとしよう」
逝の言葉に、一同は静かに頷いた。
●
その数日後。秋人はルイに会いに廊下を歩いていた。
彼は一か月後結婚式を迎えた身だ。彼等を招待したいと思い探しているのだが、見つからない。
しばらくすると、稜が壁にもたれ掛かっている事に気付いた。何か言いたげな様子で、こちらを険しい顔で見ている。
「……博士は?」
秋人は思わず問う。しかし直後の返答に、彼は驚きを隠せなかった。
「逮捕されて身柄を移された」
「どこに……?」
「おっさん達の知らん所、さね」
突如現れた逝に、稜は頷きを返した。
二人の身柄の移送先は、厳密に言うと全国いずれかの拘置所だそうだ。指令曰く最大限の警戒の下、公判が恙なく終わるまで厳重に秘匿されるらしい。
「ある意味VIP待遇じゃないかね?」
秋人は呆気に取られたまま。
「裁判は――」
「情状酌量は見込める。だがそれも事件の全容次第だ」
思わず彼は首を横に振った。
最悪は脱した。しかし取り返しの付かないものはあった。その上で、ルイは自分に幸せにと言ったのか。
「でも、やり直しはきっとできるって……」
「それは茨の道だ」
黙る秋人を、稜はじっと見ていた。
「本当に、助けたいか?」
秋人は、僅かに躊躇した後静かに頷いた。
「本当の人助けってのは人を深い所から引き揚げ、支え続けるってことだ。……生半可なもんじゃない」
「それは、分かる」
「ならいい」
突如踵を返す稜に、秋人は声を掛けた。
「何を……」
「主に情報と人間集めだ。署名活動、情報収集……他にも山ほどある。隊長と接触した奴も協力してくれるようだ」
一連の事件が明るみに出れば、影響が諸方面に出る。当然ルイへの誹謗中傷も相次ぐだろうし、そもそも裁判が有利に進むとは限らない。その為にはどうしても人手が必要なのだ。
一時は自分の仕事が因果なものだと稜は自嘲もしたが、これで失ったものを埋め合わせられるなら、それでいい。
速足で歩く稜。秋人はそれにつられるように追う。しかしそんな二人を、逝は止めた。
「あゝ二人共。ちょいと待ってくれ。
武力も必要じゃないかね? 仲間内の制裁もありうるだろう」
おっさん暴力なら得意よと、やたらけろりとした逝の口調に数秒の沈黙が。稜は溜息を一つ。秋人は口を開いた。
「如月さんも呼んだ方がいいかな?」
一方。
「失礼します」
澄香と彩吹はノックをした後、菊本研究室へとそっと入る。嫌に静かだと思ったら、当の正美は自分の椅子の上で居眠りをしていた。二人がやってきたことに気づいたようで、直後飛び上がる勢いで目を覚ます。
「お邪魔だったでしょうか?」
「いいんじゃないかな?」
首を傾げる澄香に、勝手知ったる研究室と言った様子で入る彩吹。正美も特に問題が無かったようで首を横に振った。
「どうかした?」
「アップルパイの差し入れに」
「え!? 何かありがとね?」
とりあえず皆で頂こうとお茶を淹れている間に、奏空がたまきを連れてやってきた。奈南も一緒だ。
「菊本先生!」
「あ。工藤さん」
「ナナンも一緒にきたのだー!」
「ははは。皐月さんも一緒か」
奏空は僅かに照れくさそうにしながら、たまきを紹介した。
「こないだ言ってた彼女のたまきちゃんです」
「先日はお世話になりました」
「こちらこそ」
照れつつも嬉しそうな奏空の声に、正美は笑いを返す。
「いいタイミングで来た。君達もどう?」
いいよね? と澄香に聞くと、彼女もはにかむ様に笑った。
賑やかに紅茶を淹れ、ようやく落ち着いた所で澄香が一言。
「先生、先日はお疲れ様でした」
「君達こそお疲れだよね?
それに、まだ色んな問題が残されているし気は抜けない。結局私達は憤怒者を捕まえただけ。根本的な解決はこれからだ。
夢見の私にしてみれば、バッシングを受けて隔者に襲われた博士の無念もまだ痛い程に感じる。博士が相互非干渉なんてスタンス取ったのも、覚者の両親に虐待された杉原さんの為もあるんじゃないかって思うしさ」
その言葉に奏空が目を丸くした。
確かに覚者と非覚者を分けてしまえば、問題のある隔者から非覚者の非力な子供を引き離せる手段の一つにはなる。
「先生、辛くないですか……?」
「正直辛い。でもね」
正美は溜息一つ。言葉は悲観的ではあるが、とはいえ表情はそこまで悲しげではない。
「こうやって沢山の優しい人に会えた。それが『私達』にとって救いなのと……」
「それと?」
彩吹の問いに正美はちらりと棚の上のサボテンを見た後、小さく笑った。
「さっきね、久々に良い夢見の夢を見たんだ」
どんな夢を見たのと問われる前に、正美は指を口元にやり一言。
「でも、秘密。吉夢は言わない方がいい」
「そこまで言っておいて!?」
「吉夢は言うなって話は、私も家族から聞きました」
叫ぶ奏空に対し、平安時代からのしきたりですよねとたまきは首を横に傾げる。とはいえその程度で納得しない翼人が。
彩吹は正美の肩をがっしと掴み、前後に揺すった。
「しきたりなんてどうでもいい。夢見の夢は絶対なんですから言って下さい!」
洒落にならない勢いの揺すり具合に、周囲は慌てるが、何だか止められない雰囲気である。
きょろきょろと周囲を見回した澄香は、先程正美がちらりと見たサボテンに気づいた。
間違いない。ルイが可愛がっていた子だ。正美が預かることになったようだが、ならば。見た夢というのは……?
澄香はクスリと笑った。
「早く帰ってくるといいですね。ガリレイ君」
「この子がなにかしってるのだ?」
「ええ。ルイちゃんの可愛いサボテンです」
奈南もサボテンをじっと見る。
「この子がしあわせなら、こすがさんもきっとだいじょうぶだよぉ」
彼女の明るい言葉に、たまきも頷き、そして祈った。
――小数賀先生や菊本先生が望んだように、世界が、私達の力で少しずつ優しくなっていきますように。
――だから、また会えるその日まで。
――私達、頑張りますからね。
「今度は二人とも、幸せになれるといいね」
奏空も、たまきに微笑みを返した。
……しかし。
直後彼等は重要なことに気が付いた。
「ところできくもと先生は?」
奈南の指摘に後ろを見ると、そこには彩吹に胸倉をつかまれ、グロッキーになっている正美の姿が。
菊本研究室に、悲鳴が響き渡ったとか。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
『幸福を識る者』
取得者:鈴白 秋人(CL2000565)
『居待ち月』
取得者:天野 澄香(CL2000194)
『宿業の刃』
取得者:水部 稜(CL2001272)
『修羅の拳』
取得者:如月・彩吹(CL2001525)
『0と1の狭間』
取得者:緒形 逝(CL2000156)
『意志への祈り』
取得者:賀茂 たまき(CL2000994)
『小さな幸せ』
取得者:皐月 奈南(CL2001483)
『儚の声』
取得者:工藤・奏空(CL2000955)
取得者:鈴白 秋人(CL2000565)
『居待ち月』
取得者:天野 澄香(CL2000194)
『宿業の刃』
取得者:水部 稜(CL2001272)
『修羅の拳』
取得者:如月・彩吹(CL2001525)
『0と1の狭間』
取得者:緒形 逝(CL2000156)
『意志への祈り』
取得者:賀茂 たまき(CL2000994)
『小さな幸せ』
取得者:皐月 奈南(CL2001483)
『儚の声』
取得者:工藤・奏空(CL2000955)
特殊成果
なし

■あとがき■
皆様全三回のシリーズお疲れ様でした。
ルイは身柄を確保されましたが、考えられる限り最も幸せな終わり方だったと思います。
『組織の終わり』に対してのそれぞれの想い。それを考えるリプレイとなりましたが楽しんで頂ければ幸いです。
この度は本当に参加ありがとうございました
ルイは身柄を確保されましたが、考えられる限り最も幸せな終わり方だったと思います。
『組織の終わり』に対してのそれぞれの想い。それを考えるリプレイとなりましたが楽しんで頂ければ幸いです。
この度は本当に参加ありがとうございました
