可逆的加虐崩壊性症候群。
可逆的加虐崩壊性症候群。



 だってボクは、5分前に死んでいたんだ―――。


 極薄の月が病的に浮遊していた。
 けれど不思議に明るい夜だった。
 埃の匂いが鼻腔を擽る。
 既に硝子が失われ、枠だけが残存した窓。
 一人の人影が、視線を泳がせた。三階から見える景色は、点滅する赤色の送電塔と、あとは殆どすべての山々。
 ―――騒がしい景色だな、とその影は胸の内で嘆息した。
 ふと、地面を踏みしめる音がした。小さな音。
 電灯など全て機能を喪失った室内。差し込んだ弱々しい月光だけが窓際の存在の白い横顔を照らし、訪問人へと視線を移す。
「はじめまして、ボクの≪患者様≫(クランケ)」
 俯いた顔。覇気のない歩幅。何より幸薄そうな雰囲気。
「あなたのカルテは既に出来上がっているよ」
 穏やかな微笑み。暖か声色。何より。
「大丈夫。
 優しく、丁寧に壊してあげるから―――」
 蠱惑的に輝く、妖しい瞳。


 この街に、一人の医者が辿り着いた。
 美しい医者だった。
 彼は街に、根城を張った。
 すぐに評判となったその医者は、頗る腕がよかった。
 けれど、医者の本当の目的は……。


「貴様、黑葛狐椥(くろくず こなぎ)だな?」
 薄ら寒い廃病院の中で、幾らかの侮蔑を孕んだ覚者の男の声が響いた。
 最初のシチュエーションと異なるのは、其処には俯き気味に訪れていた女性が居ない、ということ。
 振り返った狐椥は、やっぱり微笑みを湛えていて、くすりと息を漏らした。
「そうだよ、ボクの≪患者様≫(クランケ)」
 対峙する男が眉を顰める。何を言っているのか、と云った表情だ。
「……煙に巻こうとしても、無駄だ。
 黑葛、貴様の正体は、既に知れている。
 人の世に紛れ、人の世に害をなす―――“狐”め」
 男の声に、狐椥は表情を変えない。ただ、瞳の光だけが、妖艶に煌めいていた。
「ボクは努めて友好的な“狐”の心算だけれどね?
 それにキミの云う害とは何かな? どう定義するかな?」
「貴様に関わった多くの人間が消えていることなど、当に調べはついている」
「面白いね、キミ!
 じゃ、あちらこちらの病院じゃ、お医者さんはみんな疑義が掛けられているんだなあ」
「―――“そこの棺を開けろ”」
 一瞬の静寂。男の視線が、狐椥の傍らに置かれている、漆黒の棺に移った。
 やっぱり表情は変わらないが、狐椥と対峙する男の構えた拳銃、それを握る手を、狐椥は再度確認した。
「なぜ?」
「なぜ、開けられない?」
「これは関係ないよ。本当なんだ」
「関係がないのであれば、開けて証明すればいい。簡単なことだ」
「開けられない事情があるんだ。でも、本当に関係ないよ」
「ならば、こうするしかない」
 もとより、そうする心算であった。男は、引き金に掛けた指に、力を込める。

「あーあ。
 だってボクは、5分前に死んでいたんだ」

 発砲音に掻き消されたそんな言葉。
「……は?」
 思わず呆けた覚者。事前に決めていた狐椥との距離およそ五メートルを彼は忠実に維持していたはずなのに、気が付けば眼前に、狐椥の不気味なほどに整った相貌が、あって―――。
「実は、あの女も、そうだったんだ。
 キミみたいに特殊な力はないみたいだったけど、ボクみたいな存在が許せないんだって。
 だから、症状を偽って、ボクに刃を向けた。
 それとも、キミはそのことも知ってたかな?
 だから。“キミのカルテも既に出来上がっているよ”。
 大丈夫、安心して。
 優しく、丁寧に壊してあげるから―――」


 棺を運びながら、一匹の狐が歩いていく。
 次の診療予定は既に決まっていた。



■シナリオ詳細
種別:通常(EX)
難易度:難
担当ST:工藤狂斎
■成功条件
1.一般市民を救出する。
2.全滅しない。
3.なし
いかるが、です。宜しくお願い致します。

<作戦現場状況>
■時刻は深夜零時。ぼろぼろの廃病院(七階建て)の一室。
■強力な古妖・黑葛狐椥(くろくず こなぎ)が侵入し、廃病院内で診療と称した殺人を行っています。
■狐椥の情報を入手した憤怒者・覚者などが既に対応を始めていますが、効果は出ていません。
■今夜、廃病院に四人の患者(一般市民)がまとめて訪れます。

<味方状況>
■NPC
 ・駁儀 明日香が帯同します。指示が在ればその通り動きます。
■PC
 ・廃病院1階に入った所からシナリオが開始します。

<敵状況>
■一般市民
 ・四名。女性三名、男性一名。全員初対面です。
 ・いずれもシナリオ開始時には狐椥と面会しています。
 ・いずれも自殺願望やそれに準じる感情を抱いています。

■『黑葛 狐椥』(くろくず こなぎ)
 ・古妖。狐。
 ・人型に化けています。男性か女性か不明瞭な、若く美しい外見です。
 ・人間界では、医師として活動している様です。
 ・人間大の棺を背に抱えています。棺についての詳細は不明ですが、何かが入っている様子です。
 ・性格自体は温厚で、話し合いの余地があります。しかしそれは、無害であることと同値ではありません。
 ・夢見ほど明確ではありませんが、本の少し先の未来を視ることができます。

★戦闘について
 ・医療用の刃物を多種多量に所持しており、それらを用いる場合があります。
 ・特殊属性の遠距離攻撃を用いる場合もあります。また範囲攻撃である可能性が高いです。
 ・ステータス値が非常に高いため、索敵等による敵の分析も重要性を帯びると考えられます。
 ・極めて激しい戦闘が予想されるため、十分に備えておくことが重要であると考えられます。

●備考。
 ・OPで示唆されている二名の憤怒者および覚者のその後は、いずれも不明となっていますが、廃病院の内部からは多量の血液の存在を証明する定性・定量的なデータが得られています。
 ・廃病院の設計図や院内図等は、事前に入手することができます。
 ・事前自付は可能です。
 ・PLだけでなく、PCも、ここまでに記載されたすべての情報を知り得ます。

皆様のご参加心よりお待ちしております。
状態
完了
報酬モルコイン
金:1枚 銀:0枚 銅:0枚
(1モルげっと♪)
相談日数
6日
参加費
150LP[+予約50LP]
参加人数
10/10
公開日
2016年07月13日

■メイン参加者 10人■

『豪炎の龍』
華神 悠乃(CL2000231)
『獣の一矢』
鳴神 零(CL2000669)
『使命を持った少年』
御白 小唄(CL2001173)
『F.i.V.E.の抹殺者』
春野 桜(CL2000257)
『白焔凶刃』
諏訪 刀嗣(CL2000002)


「あ―――」
 嬌声のような。
 悲鳴のような。
 判別つかない息が、――――の口から漏れた。
 眼前のその光景を疑ったのは、――――。
 ≪外科的治療≫(オペ)が始まったのは唐突だった。
 手術台もなく。
 麻酔もなく。
 心電図もなく。
 飛散した血飛沫。
 開かれた白く美しい腹部。

 ―――黑葛は微笑み、ずるりと引き出したその小腸を、優しく撫ぜた。


 これは、五分後の世界の物語―――。


 青白くやせ細った月が、緊張と静寂の垣根を通って降り注ぐ。
 星は皆、恐れたように姿を隠し。
 薄く紫がかった霧が侵入者を歓迎するように漂っていた。
 聳える闇黒の摩天楼へと辿りついた覚者たちは、覚醒を果たしながら息を潜め、鼓動さえ殺した。

「それでは、参りましょうか」
 『教授』新田・成(CL2000538)の熟達し、重みを帯びた声に覚者全員の頭が前へと倒れ、頷いた。
 鍵はその本質を忘れて錆びつき、ドアノブは吊られたように外れた扉が、音も無く開かれた。
 風が――通り抜ける。
 中へと誘われているのか。それとも、飲み込まれようとしているのか。
 どちらにしろ、探求心も好奇心も別にしてさえ、中へは入らなければならない。
 そして、一歩、二歩を踏み出していく。中は、目の前から全ての視界を奪っていくかのように容赦無く、静寂。
 お願いね、と。目線で合図を交わした『裏切者』鳴神 零(CL2000669)と、彼女の守護使役であり、ほんのり白く輝くキッドは周囲の世界に色を与えていく。他の竜の守護使役たちも連鎖して明かりを灯していった。
「すぐに、見つかればいいのですが」
 一般人が。
 『Queue』クー・ルルーヴ(CL2000403)が心の中で呟いていた文字が、小さな声へ変換され漏れ出していた。
 思ったよりも病院の中は音が響く。やまびことまではいかないが、エコーがかったクーの声が段々と奥へと消えていった。
 ハッと口を押えたクーの金色の瞳が数メートル先さえ見えぬ闇の中で輝きつつ、右から左、左から右へと動きつつ、獣の耳がぴくぴくと動いた。
「大丈夫、まだ一階には誰もいないみたいだね」
 『使命を持った少年』御白 小唄(CL2001173)がウィンクを放てば、クーは口を押えた手を放した。
 ――さて、まずは三階を目指さねばならない。
 一刻の猶予も無い。
 しかしそれは分かっていたこと。いくらでもショートカットをする術はあるのだ。
 例えば病院内地図を隅々まで暗記してきたとかだ。『スポーティ探偵』華神 悠乃(CL2000231)は、竜の爪牙を進行方向へ向けて、覚者たちを導く。
「階段は、こっちだよ。ついてきて」
 背中を押されたように駆けていく覚者たち――たった一人、春野 桜(CL2000257)は入った扉の方向へ振り向いた。
「……」
 桜の口元が艶やかに口角が上がった――のと、同時。
 ぱたん、と。扉は閉まった。


 結果として、三階までは難無くこれてしまった。
 呆気なく来れた事に途方に暮れてしまいそうではあるが―――、ぶつぶつ、ぶつぶつ。クーの耳が再び揺れ、『白焔凶刃』諏訪 刀嗣(CL2000002)は舌打ちを放つ。
 二人だけが察知したもの。
 それは吉と出るか凶と出るか。開けてみなければ分からぬシュレーディンガー。
 険しい表情を魅せたは刀嗣は覚者の列から一人離れ、引き戸へと手をかける。その間にクーは声ならぬ声で、直接仲間へと伝えた。
 ――何かを、見つけてしまった報告を。
 直後、刀嗣は扉を開く。
 漏れ出してきた風に乗って、鉄の香が運ばれる。それともうひとつ、呻き声。その声は、懺悔にも似ていた。
「私が悪いのです。私が悪いのです。私が悪いのです。私が悪いのです。私が悪いのです」
 ざく、ざく、ざく。
 女であった。
 右手の逆手に握られたナイフで何度も何度も左手首を削るように切っている。
 その自傷行為は自殺願望の現れか。虚ろを見ながら、別の世界へと旅立ってしまっている女を止めさせようと『狗吠』時任・千陽(CL2000014)は駆け出す、その、コンマ五秒前。
「手荒じゃろうから、文句は後で聞くぞなもし」
 深緋・幽霊男(CL2001229)は零と成、そして『スピードスター』柳 燐花(CL2000695)、駁儀 明日香(nCL2000069)を、自傷行為をする女がいる部屋の中へ突き飛ばしてから扉を閉めた。
 察した小唄とクーが、全身の毛を逆立てながら得物を持ち、悠乃が両手を上げやれやれと。

「はじめまして。
 ボクの≪患者様≫(クランケ)は、面会謝絶が基本なんだけれど――」

 蠱惑的に輝く、妖しい瞳。
「黑葛狐椥」
 千陽は文字一つ一つを力むように名を呼び。
「いかにも――――嗚呼、理解した。これは、緊急外来なんだね」


 突き飛ばされ、医療器具台をひっくり返しながら転倒した零。足元に溜まった埃を舞い上げつつ、咳き込みながら、
「素敵な出会いがあると思ったらこうだよ!」
 文句を言っていた。明日香はその埃を払ってあげつつ、頭に怒りマークを着けながら起き上がった彼女を見た燐花は、身を震わす。
「今怪我とかなさいました?」
「? してないよ」
「そうですか……じゃあ、それは」
 燐花は零の顔をひと撫で。べっとりとついた、赤色は酸化し黒ずんでいる。
「血だね」
「血、ですね」
 二人の瞳孔は、伺うようにゆっくりと下へ滑る。
 見ない方がいいと、明日香は首を横に振ったのだが――敷かれた絨毯は、広く、広く、伸びていた。人間の身体にはここまで液体がつまっているものか――と思わせる程に。
「ここでも誰かが――黑葛狐椥に」
「順当にいけば、憤怒者の女性かなあ」
「そんなところでしょうね」
 燐花は顔の手前で両手を合わせた。血の主が生きている間に辿りつけなかった事を心の中で詫びながら。
 成は女からナイフを取り上げ、女の視界の手前で手の平を左右に振ってみた――がしかし、反応は無い。一点を見たまま、動かない人形のようだ。
 これではまるで死を待つだけの生き物か。
 胸前のポケットから取り出したハンカチを、女の左腕に巻いて止血を施す間、紡ぐまでの言葉も無く。成は重い溜息を飲み込んだ。
 零のワーズワースに先導されるように、女は立ち上がったまでは良かったものの、動きは遥かに遅く、女は彼女が抱える闇に謝り続けていた。
 廊下では依然、激しい戦闘の音が緊張と切迫を思い知らせるように鳴り響いていた。
「三人は他の一般人をお探し下さい。私はこの方を避難させます。後程、落ち合いましょう」
「いえっさーぼす」
「はい、では……」
「わかりました」
 成は仕込み杖の先端で女の鳩尾を突き、倒れかけたそれを騎士が姫を抱えるように受け止め、硝子無き窓に足をかけた。


 遥かに早い狐椥との逢瀬。
 原因があるとすればほんの少し先の未来を予見して探知されたのだろう。
「困ったね。君たちのカルテは無いよ」
 鎖の撒かれた棺を引きずり、壁へ立て掛けた狐椥。
 覚者たちは無言の圧力を放ちながらも、されど、誰一人として戦闘へ移る者は居ない。

 ……話しを試みる。

 それだけでも大きな時間稼ぎには違いない。
 現に、こちらの班は狐椥を抑えておくことが仕事なのだ―――何が、あったとしても。
 溜まった唾を飲み込み、千陽は尋ねた。
「そも、貴方と我々が戦う理由はあるんですか? 話し合いでの解決はできませんかね?」
 口調はあくまで穏健に、穏便に。
「それは……、残念な返答しかできないんだ。一分後には、ボクと君たちは衝突している”みたい”だね」
 狐椥から避けられない事実を突きつけられ――与えられた一分の中で抗ってみせる。
「どうして、こんな事をしているんですか!」
 同じ『狐』として見過ごせない小唄の強い意志に、裏打ちされた響きを込めた声色。
「≪患者様≫の為さ」
 返された言葉はどこか、言われ慣れた言葉に返答するように軽く、そして儚く虚空に消えた。
 しかしそれだけで終わらせない。
「本当に、それだけ。かの?」
 幽霊男は逃げて煙に巻くのを許さず、不確定な部分まで飲み込むように――抱え込まんとするように食らいついた。
 例え真実が決定的に開示されないと予想されるこの場であれ、たった一滴の情報でさえ見逃しはしない。
 逆に、そこまで掘り進んで中へ入って来ようとする覚者全体に、狐椥は一歩前へ進み月明りを見上げる。
 矢張り同じ月がいつまでも見守ってくれているようだ。
「それだけ……ね。全てが見透かされる前に、ボクは君たちに抗おう。それが未来さ」

「構えな」
 刀嗣は抜刀、刃の先端が鞘から抜けるとき。
「遅いよ」
 数メートルは離れていたクーの近接に、狐椥の影。爪のようなメスが彼女の身体を引き裂き、鮮血が空中で弾けて雨となった。その傷は思った以上に深く、臓器へ達すると共に狐椥がその傷を舐め上げる。
 単なる速度の問題よりは次元離れ、移動したという結果だけを残すような――正に瞬間移動に近い動きで狐椥は揺らめき蠢く。
「結局、相容れないのよね。私たち」
 ヒトとヨウカイ。原初より根本から存在の垣根が異なるからか。
 桜は踊るようにステップを踏み、メスを振り切ったばかりの狐椥へ綿貫を奔らせた。得物の名、同様、狙うのは狐椥のガラ空いた腹部。
 そして衝撃。桜の腕はあっさり狐椥の腹部を突き刺し、刃を廻す。狐椥の引きずり出された呻き声がした。
 片腕で桜の手首を掴んだ狐椥との間は遥かに近く、キスだって可能な距離。
「貴方の事わかったわ」
「……ぅ、ボクの事?」
「得たいの知れないと思っていたけど、敵ね。敵なら殺すわ。他に理由が必要?」
「知られてしまったのなら、致し方無い」
 ほら――ボクが見た未来と同じことが起きている。
 戦う未来。
「賽を投げたのは、どっちだろうね」
 桜を弾いた狐椥。人と同じ赤い血が狐椥から溢れていた。しかしその腹の中は黒いのだろう。
 桜のお蔭で足が止まった狐椥。それへ、エネミースキャンを仕掛ける悠乃――であるが、外部から妨害の圧力がかかった。テレビが突然ぷつんよ切れるように、悠乃の視界が途切れたのだ。
 思い当たるのは――、
「棺桶……?」


 小唄の攻めが奔る。
 右、そして左。拳を巧みに操り翻弄していく――上で、小唄には一つの疑問が発生していた。
 狐椥は『強い』と聞いていた。
 だが『弱い』?
 何故なら攻撃が当たるのだ。これは遊ばれているのか、それとも別の理由があるのか。しかし狐椥から一切の焦りが見えないのも、また事実。
 一言で言えば、不気味であった。追い詰めているのか、それとも追い詰められているのか。
「未来が、見えるのでは?」
「そう、頻繁に見えたら、狐生楽だと思うんだ」
 壁際に来た狐椥を追い込み、悠乃は利き腕を振るう。その速度に反応しているのか狐椥は身体を捻り、拳を見送った。
「他にも聞くけど。患者カルテは持っている?」
「ああ、そんなもの、ここだよ!」
 狐椥は頭を指さした。どうやら物としてのカルテでは無いようだ――頭にあるのなら、何を奪えばカルテは消えるのか。
「んな事、知るか」
 一瞬の隙。
 刀嗣は身体を狐椥の後方へ廻り込ませ、半回転する身体と共に刀を横に振るう。
「お手並み拝見といこうじゃねぇか」
 頭を低くした狐椥の頭上、そして小唄の眼前、彼の刃は奔走していく。
 残念外れだと思う事勿れ。空ぶったそれを今度は両手で握り、大回転の内に培った威力と共に今度は振り落とす。
 振り落とし――た。
 のだが、刃は地面を切っていた。
 ぬらり、刀嗣の頬を冷たい両手が、後ろから静かに触れる。耳に寄せられた口元。
「大丈夫。君は二秒前に、ボクを斬っていた。安心するといいよ、結構痛かったんだ」
「触るんじゃ、ねぇ」
 振り向きながら後ろを斬る――そこにはただ暗い闇夜があるだけ。
 傍から見ていた仲間達も、狐椥が消えては別の場所に立っているを繰り返すだけである。それが彼の能力なのか、それとも別の何かが働いているのかは――現時点では不明だ。
「斬っていたと仰いますが、貴方は切れていないではありませんか」
 言葉を発しつつも千陽の攻撃が繋がる。狐椥を間に挟むように、悠乃と千陽は立ち位置を取った。

 ――その時、部屋から燐花と零と明日香が出てきては、狐椥から逃げるように別の場所、別の一般人が居る場所へと向かった。

「彼女たちは……」
 狐椥は暗闇の奥へ消えていった二人を目で追っていた。
 悟られるのは時間の問題。追いかけさせる訳にはいかぬ。
 狐椥は顎の下を指で触りつつ、彼の左右から攻めが入った。ナイフを持つ腕に銃を持つ腕を隠しながら千陽は攻め、悠乃は自慢の肉体を振り回し――
「死んでもいい人間を喰らう食事場といったところですか?」
「余所見とは、余裕だね。カルテ作りは片手間でも可能って?」
「ボクは医者だからね」
 ――そして、三者の激突。
 切り裂かれ、殴打を喰らい、なお、狐椥は考えながら。足をトンと地面を蹴った瞬間、覚者前衛を全て薙ぎ払った。刀嗣も、小唄も、悠乃も軽々と宙に浮き床へ叩きつけられていく。
「結論を出そう。ボクは――」
 この『間』がいけない。
 幽霊男は察してる。考える時間を与えてはいけない事を。
「棺の中身は?」
「……」
「ヌシ、男?」
「……」
「何でこんなトコで病院してんの?」
「………ああ、質問が多い」
 ノイズのように問を重ねてプレッシャーをかける。
 幽霊男はジキルハイドを右往左往縦横無尽に操り、狐椥はすれすれの間を最低限の動きだけで避けていく。
 されど最後の一撃が狐椥の腹を抉った。背中から飛び出る刃に、べったりとついた血が雫となり零れ落ちていく。
「古妖って話だけど、何か良いもん持ってない? あったらくれない?」
「……キミの目的はそこかあ」
 得物を抜き、幽霊男は一歩離れた。途端、足元から電を放つ小唄が飛び込んでいく。その一瞬の交差の間で幽霊男は小唄へ「物理は駄目だ」と言い放つ。
 器用にも得物を引き、全身から放電する小唄。雷の網目は抜けられまい。狐椥が袖で払うも、触るだけで傷つける雷撃にはとんと対応が出来ていないようだ。
「止めてよ、こんなこと!」
 小唄は再度、出し惜しむように絞り出す声で吼えた。
 本当は、同じ狐に出会えたことに、心底嬉々の感情を表していた。
 真実は、人を殺めている『疑惑』の在る現状。嬉々の感情をすり潰す程であった。
 小唄の首が狐椥の手に掴まれた。刹那、感じたのは自分の中身がこじ開けられ裸にされ全てを見透かされるような感覚―――。
「キミたちのカルテ作りは予定に入っていないよ。でもどうしても――――と言うのなら。それも一種の自殺行為だよ、ねえ、患者様」
 腹を抑えていたクーの半目の瞳が、かっ開く。
「雑事は……クーに、お任せください……」
 あくまで同じ狐が。同族同士が殺しあうのは見てられない。
 懐中電灯を放り投げ、デファンスを力強く握りしめる。己の血でぬるんだ足元を強く蹴り、飛び込むように舞った。
「死の外科医を気取るのは悪趣味ですね。目的は身体ですか? それとも魂?」
「両方―――と言ったら、どうするのかな」
「止めます。今此処で」
 命令は必ず全うのが侍女の仕事。雁字搦めになったクーの生き様はある意味呪いに等しい誓約がある。
 それさえ共存し、得物を振るう銀猫の、僅かに残った友人を護りたい一心が狐椥を縦に裂いた――。
「え――」
 覚者達は驚愕したであろう。『強敵』と称されたものが簡単に『終わった』事に。
 縦に割れていく狐椥は余裕にも淡々と笑いながら。されど、蜃気楼のように消えていく。
「待ちなよ!!」
 悠乃はその蜃気楼を掴む。だが零れる砂のようにそれは手から零れ落ち――。

「先約がいるんだ。もう行かないと――」

 ふと、小唄は棺桶が立て掛けられていた場所を見たが、そこにはもう何もなかった。


「あれ、鳴神のワーズワースが効かない。覚者さん?」
「そのようです」
 零と燐花と明日香、三人の手前には、男が立っていた。
「事情を聞きましょう」
「ああ、俺は覚者だ。症状を偽って、ここに来た。あいつを――狐椥の真実を暴く為に」
「その症状とは、やはり自殺目的でしょうか……」
「そうなる」
「その狐がいなくなったって連絡が入ったんだ今。どういうことー?」
「分からない……奴には秘密が多過ぎる。ここにはもっと多くの人間が居た。誰しもが消えた。死体も無く。そして痕跡も無く。俺の恋人も――」
「私たちも同じ目的でここにいます。今は逃げて下さい、きっと全てを暴きますから」
「お、俺だって、覚悟してここにき――」
 男が最後まで言葉を発する前に、燐花は男の首元を打ち、明日香が受け止め、零は口笛をぴゅーと短く吹いた。
「可哀想な方です。ですが、犠牲になるよりは……」
「上に同じ」
「では私はこの方を連れていきますね」
 燐花は小さな身体で男を担ぎ、しかし零は燐花を背に隠した。
 こつ、こつ、こつ。
 明日香は振り向いた。軽快に足音を鳴らし迫る影―――に、零は鬼桜を両手で持ち構えた。燐花は不本意だが男を抱き寄せるようにし、そして。
「嗚呼、お二人でしたか。随分と厄介なものも一緒に」
 また別の一般人らしき女を小脇に担いだ成であった。しかし、成は担いだ女を降ろしつつ仕込み杖を帯刀。
 いつ、覚醒を果たしたか外見では掴めないも、年齢を考慮すれども若さ溢れ過ぎている走り方で彼女らに迫った。
 走りきる、甲高い金属がぶつかり合う音―――一五センチ程に満たないメスが成の刃に食らいついている。
「言ったでしょう、厄介なものがいると」

 狐椥だ。

 明日香が両手を打ち付け、刹那、音に反応した燐花は走り出した。背後、直上に狐椥が一般人へ手を伸ばしていたのだ。
 あともう、コンマ何秒反応が遅れれば何があったか読めたものでは無い。埃を舞い上げつつも男を担ぎ、倒れている女を抱え込む。
 狐椥は透き通るように成の前から姿を消し、零の背後を歩いていく。首を左右に廻して、背後の狐椥に気づいた零は、腕に纏わせた静電気を放った。
「待った。狐椥の相手は私たち。ていうか全然状況読めない。アンタ、死んだんじゃ?」
 足を止めた狐椥。
 零を飛び越えた成が狐椥へ切り掛かり、激しい斬撃戦の中で成も狐椥も服の切れ端や血をばら撒きながら嵐のように舞った。
「僕を殺したのは間違いはない。そもそも、数十分前にも死んでいたんだ。今更、死ぬだなんて珍しくも無い、そうだろう」
「『死』というのは、皆、平等に一つしか無いものですよ」
「本当に、そういうものだと思うかい? 僕もそう思うよ」
 だからこそ、死ぬ瞬間というものは何度見ても飽きない――甘美にして最高のショーである。
 その合間に燐花はある程度残った硝子を蹴破ってから、枠に足を置いた。三階から見下ろす地面で、生い茂った新緑が彼女を受け止めてくれるだろう。
 成の斬撃が狐椥の手首を傷つけ、構わず狐椥は数本のメスを燐花へと放つ。ダーツのように空中を翔るそれを零が片腕を犠牲に止めてから、燐花は飛び降りた―――。

 残り一般人は、一人。

 狐椥は空いた両掌で何かを掴む動作をした瞬間、成と零の身体がぴたりと止まる。
 文字通り掌握されているようだ。手の平が締め付けられれば徐々に押し潰される重圧の度合いは増していくのだ。
 中身が圧迫され弾け、骨が軋む。二人が倒れないのは意地でもあったが、元より体力が高いのもある。
 狐椥は両手で投げる動作をすれば、二人の身体は宙に浮き後方へと投げられた。すかさず狐椥は飛び降りた燐花の方を見るが、彼女の姿はもうそこには無い。
「ねえ、黒葛は楽しい? ケーキみたいに人を分割するのは、楽しい?」
 狐椥の瞳が嗤う。
 零は剣で杖つき立ち上がり、成は納刀しつつ後方へと下がり闇へ消えた。
 零は強敵への大きな期待を秘めている。先ほどまで一般人救出を担っていたときよりも、爛々と瞳が輝いていた。
「ねえ、どう? 黒葛。鳴神のカルテも作ってみてよ」
 赤色の放電を行い、零は鬼桜を廊下に突き刺し雷撃の槍を放つ。
「――ご安心を。全員分、作成途中でね」
 雷を手で振り払えば、おかしな起動でそれは逸れた。そして、離れていた狐椥が零の間近に迫る。
「キミのカルテはもう、できあがっているよ」
 せめてもの、時間稼ぎだ。理解していた――。

 総受心にて伝達が奔ったのは、成が狐椥と出会って間もない頃だ。
 駆けつけた覚者達が目にしたのは、己の武器が腹部に刺さった状態で床に縫い付けられた零である。
 どうやら、狐椥は成を追ったらしい。その、彼から救援要請が出るのはもう、すぐの話だ。


 二階――。
「死なせてください、死なせてください!!」
 死ぬ権利とは如何なものか。だが女は狐椥による手術の内容なんて知らぬ。
 泣く女を成は片手を当て、気絶させ。抱える。ここまではいつも通りではあるが……毎回この手が通用するとも思ってはいない。
 燐花の身体が廊下側の窓硝子を盛大に割りながら飛ばされてきた。上手く着地できなかった彼女は、何度か床に身体を跳ねさせながら壁にぶつかり止まりつつ命が飛ぶ。
 気配に構えた成が抜刀しかけたとき、その柄の先端を押えて強制的に納刀させた狐椥。
「キミたち、面白いね!」
「おや、何か理解した事でも?」
「そう。キミたちに患者様を連れて行かれるのはこの際目を瞑ろう。その代わりに、代わりはキミたちがやってくれるのだろう」
「そこまでよ」
 桜の声が響いた。
 入口から雪崩れ込むように入って来る覚者たち――。

「≪緊急手術≫(オペ)を始めよう」

 愉快で爽快な、人助けを。
 最速。
 燐花が目を覚まし、命数の削れた身体を無理やり起こした。
 目の端にチラついた一般人。彼女は死を望んでいた。それとは逆の事をしてしまう事を、果たして正しいと言えたものか。
 もし、死が選べるとするのなら――脳裏に映った影。それを危険の孕む空気に飛び込みつつ消失させ、一歩、二歩、進むごとに火力増す腕を掲げた。
「十天、柳と申します。貴方の患者ではありませんが、お相手願います」
「キミも僕の患者様さ」
 燐花の右腕が狐椥の肩を穿ち、伸ばされた狐椥の腕が燐花の頭を掴んで地面へと落とした。
 その時、中列にいた覚者、千陽、小唄、桜、クーが一斉に燐花と同じ動きで叩きつけられた。部屋の床が陥没し、建物全体に揺れが発生。それで燐花は意識を落とした。そんな彼女へ刃を突きつけるように、狐椥は唇を舐めてから戦闘不能の彼女を裂く。
「さ、せる……かぁぁ……!」
 抑え込まれたままだ。千陽はまるで重力をそのまま身に受けているような圧力に抗い、両腕を床につけて小刻みに震えつつ起き上がる。
 一瞬の隙。
 脳震盪しブレる視界。
 少々驚いた狐椥の顔。
 仲間を壊させる訳にはいかぬ。
 全ての想いが絡み合い、千陽の拳が床に叩きつけられた刹那、狐椥の足元が爆ぜて後方へと飛ばされた。
 一瞬にして重力の消えた身体を起こし、千陽は鼻からの出血を拭う。他の仲間も解放され、体勢を立て直すには十分だ。
「あの箱には何が入っているんですか。貴方が起こした殺人に関係がないのであれば、答えることは可能だとおもいますが」
「ああ、アレは全く関係が無いんだ。本当なんだ」
「それは聞き飽きてるのよ」
 桜の手元の花が液体を流す。ぴちゃん、とクーの額に垂れたそれは彼女の傷を埋めていった。小唄は燐花を抱えて明日香へと託した。
 桜は仁王立ち、病的な月に反射した光を帯びるナイフを舐めた。
「私のカルテ、とやらにはどう書かれてるのかしら? 少し興味があるわ」
「キミでも回復という形で人助けをする事が、あるんだね――かな」
「余計なお世話よやっぱり殺すわ最初から殺すつもりだけれど」
 悠乃が桜と狐椥の間へ身を滑り込ませた。
「ああ、キミのカルテも、すぐ出来るよ」
 撃破することで全てが終わる。
 しかしそれが自殺者の救いになるかは如何か。
 けれど、どこかしらあの狐が楽しんでいる事が、一層悠乃には気に食わない。
 アレができてしまいそうな程、時間をかけた。当たるか外れるかは一興の、ギャンブル高い拳が振り上げられる。
 着けたエクステも、どこかで落とした程度に気が狐椥へと向いていた。
 この拳、避けられようものなら、未だアスリートとしての己の力が乏しかっただけの事。
「受けてみろ!!」
 爪が食い込む程に赤らんだ拳の、威力というものを――。

 この期に及んで、狐椥の回避力は増していく。彼のカルテ作りが進行している為なのか――耐久性の乏しい狐椥であれ、攻撃が当たらないのでは意味が乏しい。
 ぼう、と狐椥の周囲に青白い狐火が現れた。周囲を蒼く照らし、そして指を鳴らす指示に合わせて覚者全員の身体が同じ色に燃え上がる――。
「燃やすのは、あまり、したくはないんだ。面白くないからね」
 ん? と狐椥は顔を斜に傾けてから口を押えた。千陽の指がぴくりと動く。銃口を、照準を、狐椥にぴたりと着けて一発放つ。
「それが、貴方の理由(ワケ)ですか」
 脳天に穴の空いた狐椥の瞳がぐるんと一回転してから、口から弾丸を地面へと落とした。
「思った以上に考えている事は口に出るんだ」
 全身を燃やす千陽や、桜。悠乃、成は耐えたものの、特攻撃に耐性が乏しいクーや、小唄、そして幽霊男は一斉に命数を飛ばした。
 切羽は詰まってきている。成は倒れている女を抱えてみようものなら、狐椥は再び手を翳して握りしめ、成の身体を縛った。
 だがそれが、逆に隙であるのだ。成の立ち位置は仲間と少し離れていた。例えばそれが列攻撃であるとしても、他の仲間へは脅威は向かぬ。
 全身の骨が絞られる感覚は最悪であるが、それ以上に狐が術中にハマった事が心地良い。
 気づいた狐椥が成を解放してから――しかし遅い。
 見上げた狐椥。
「主は、ただの快楽犯よ」
 幽霊男が上から降り注ぐようにして、剣戟に身を任せた。考えたのでは悟られる、感覚と、運任せに、思い思いに振るジギルハイド――。
 幽霊男としては、品定めを展開していた。エネミースキャンに解析され、特攻撃に弱いだの、相手の特攻撃が強いだの、体力は無いだの、得体の知れない力が外側から受けているだの――そんな情報、取って足りるものでは無い。全く、全然、欲しい情報では無い。
 狐椥が喰うに値するものであるかどうか――。
「ふ――」
 狐椥は言う。
「キミに食われる訳にはいかない。あえてキミの望むボクにはならないよ」
 鈍い音。
 ジキルハイドは狐の心臓部を抉っていた。同じく、狐椥の爪尖る腕は幽霊男の肺部位を貫いていた。
「嗚呼、キミのナカミ、綺麗だね!」
 皆みんな、同じものが詰まっているというのに。僅かな違いを見分けているのか、小学生が遠足にはしゃぐ程度には狐椥は無邪気に笑っていた。
 幽霊男は、狐椥の腕を掴んだ。動かさぬ、逃がさぬ。ふと、その合間に成は一般人の女を抱えて窓枠から身を投げる。
「あ――ああ、あぁあ、あーあー、ああぁぁ」
 ほほ笑みながらも大層残念がる声色――しかしそこには狂気を秘めていた。
「あーあ」
 同じく桜は言う。
「誰でも、いいの?」
 本当は、抑圧されたように狐椥は殺してもいい人間を選んでいただろう。
 本心は。誰でも、良かった。そこに一瞬の善意があったから、狐椥はこの檻の中に居た人間だけを狙ったの――かもしれない。
「何にしろ、クズよ。私と、同じ。匂いがしたわ」
 桜は回復に徹していたが最早譲らぬ。腕に巻きついた新緑に、多量の毒を仕込んで鞭のように振るう。
 幽霊男は腕を引き抜かれ倒れ込みつつ、そこに鞭が飛ぶ。止めた狐椥だが、刺が突き刺さりその身体に微量の毒を染み込ませ――。
「撤退です!!」
 千陽は叫んだ。千陽は、燐花と幽霊男を抱える為に走る。だが狐椥は許さないだろう。手を掲げ、拘束を――その前に、刀嗣の刃が、狐椥の瞳の数ミリ横を通過し阻止した。
「狐、手前ぇの尻尾は何本なんだ?」
「知りたい?」
「そこまででもねェが」
「九本以外だよ」
「回りくどい」
「今は大事な面接時間だよ。ああ、でも」
「?」
「キミのカルテはもうできあがっているよ」
 ある意味その言葉は死刑宣告か。
 狐椥の指がぱちんと鳴らされたとき、刀嗣の腹部が縦に裂かれて血肉が飛び出す。
 突然の激痛に倒れ、見上げた刀嗣の瞳にはうっとりと舐めるように見つめてくる狐椥の視線があった。
 壊れてやがる。
 それが真意だ。
 狐椥背後。
 悠乃が拳を振り上げた。魔を思わす腕から、漆黒に染められた炎が吹きあがり周囲の温度を加速度的に上昇させていく。
 カルテを作るのが、恐らくそういう意味であるというのはなんとなく理解した。結論的にひとつだ、カルテを作らせる前に倒さねばならない。
 全く厄介な古妖である。
 クーと小唄がお互い、顔を見合わせてから頷いた。
 駆け出す二人、タイミングは今までの戦闘の感覚からなんとなくでわかっている。クーが右を、小唄が左を。それぞれ狐椥を掴んで拘束した。
「終わりだよ!!」
「終わらせましょう」
 悠乃の着地は羽が舞い降りるように静かだ――しかし、着弾した拳は何重もの衝撃を放つ。
 片腕でそれを受けた狐椥の身体がいくらか後退したとき、遂に限界を迎えた足場が罅割れて崩壊を起こす。

 何が手術だ。

 何が医者か。

 何が救済か。

「人の死を見て笑えるもんか――!」
 今一度、空中で。残ったもう片方の腕を振り上げた。止めるように。思い知らせるように。死の連鎖を断つ為に――。
 瓦礫の階下。小唄が目にしたのは、口が開く棺桶だ。

「そういうことだ。十五分前の次のボクは、もっと上手くやるだろう――」

 棺桶からは漆黒の影が手を伸ばし狐椥に纏わりつきながら飲み込んでいく。
 悔し気に表情を歪ませながらも、穏健な声色で最後――。

「十五分前の、キミたちのカルテはもう作ってあるよ。優しく、丁寧に壊してくるから――」

 次の世界で、悲劇の連鎖は続いてゆく――。

■シナリオ結果■

成功

■詳細■

MVP
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし




 
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