【緋色蜘蛛】第二の継美
●
少々、……眠りすぎてしまった内に、人の世は変わってしまった様子で。
『継美』の名など、忘れてしまったのではありませんか。
ならば、再び。
思い出させてあげましょう。
継美の再誕を。そして、人が主導権を握る世界の終焉を。
……いいえ、これは私の復讐です。
母を殺した種族を、滅ぼす。
その日まで。
●
「今月入って……これで、何件目だ? 全身の血が一滴も無い女性の死体なんて」
暗い。
暗い。
真夜中でありました。
「さあ、もう五十を超えたあたりから数えるのを止めたからな……」
月明りは大きな雲が隠し、街灯は壊れていたのです。
「吸血鬼? それとも別の? まさか、変な妖怪が目覚めちまった……ってことは、無い、よなあ」
光が無いからこそ、影は影で隠れられるのです。
「悪い冗談だ。ま、あのFiVEっていうのがなんとかしてくれると良いんだが……」
少しずつ、少しずつ忍び寄って。
「そうだな。これはもう、人の領域を超えちまってるぞ……能力者に、頼むしかないか。警察じゃあ、手に負えない」
糸を絡めて、引き寄せる。
「ああ……、そうだな。とりあえず本部に連絡を。て、あれ」
隣には、誰もいない。
だって。
「お、おい、川中さん? どこに行った? お、ぉぉい、そんなまさか」
糸を絡めて。
引き寄せた。
断末魔も起こす暇さえ無い程、一瞬のうちに二人の人間は文字通り、消え去った。
●
「妖退治を、お願いしたいんだぜ。その前に」
久方 相馬(nCL2000004)の瞳が、集まった覚者達一人ひとりの瞳を順繰りに見た。
「なんとなく……でかいもんが後ろにいる気がするんだよな。
だから、もし行くならほんと、気を付けて欲しい。とりあえず、それだけは言っておくぜ。ごめんな、俺も一緒に戦えなくて」
相馬は精一杯かき集めた情報が凝縮されている資料を配った。
「最近……、『血が抜かれた死体』がよく発見されるんだ。それと、『神隠し』も多い」
人が消えたかと思えば、必ず消えた人間は血が一滴も体内に存在しない状態で見つかるという。
「それも、見つかるのは女性ばかりだ。
男性は……行方不明になった男性は、見つからない。帰ってこない。正直、この事件と男性が消えるのが同じ原因なのかも、現時点ではわからない。
世の中は、不気味がって『恐怖が増す』ばかりで……さ」
人は、脳内で処理しきれない出来事には単純に恐れを感じる。それは、生理的でかつ、当たり前のこと。
「それに関連して、警察官二人が今日、血の抜かれた死体を見つけた後、忽然と消える未来が見えた。
正確には、連れ去られていた……。
犯人は恐らく妖。
俺には糸と、足と、顔が見えた。あれは、『蜘蛛』だったんだ。
でもおかしいな、奴ら、なんで男性を攫っているんだ。
それに、頭が良さそうな動きをしていたんだ。なんつーか、周囲の地形や条件を利用ていたっていうかさ。
妖ってそんな統率とれていたっけ……? 蜘蛛もさ、足とか胴に、たまに、ほっそーい糸が見えたんだけど、見間違いだったかな。
もしかしたら、『九頭竜』が……まさか、な!」
●
新たに、こんな噂が日本を徘徊していた。
『七日で必ず死ぬ病』
『血が抜かれた死体』
『死者が蘇る薬』
これはその、『血が抜かれた死体』の物語である。
少々、……眠りすぎてしまった内に、人の世は変わってしまった様子で。
『継美』の名など、忘れてしまったのではありませんか。
ならば、再び。
思い出させてあげましょう。
継美の再誕を。そして、人が主導権を握る世界の終焉を。
……いいえ、これは私の復讐です。
母を殺した種族を、滅ぼす。
その日まで。
●
「今月入って……これで、何件目だ? 全身の血が一滴も無い女性の死体なんて」
暗い。
暗い。
真夜中でありました。
「さあ、もう五十を超えたあたりから数えるのを止めたからな……」
月明りは大きな雲が隠し、街灯は壊れていたのです。
「吸血鬼? それとも別の? まさか、変な妖怪が目覚めちまった……ってことは、無い、よなあ」
光が無いからこそ、影は影で隠れられるのです。
「悪い冗談だ。ま、あのFiVEっていうのがなんとかしてくれると良いんだが……」
少しずつ、少しずつ忍び寄って。
「そうだな。これはもう、人の領域を超えちまってるぞ……能力者に、頼むしかないか。警察じゃあ、手に負えない」
糸を絡めて、引き寄せる。
「ああ……、そうだな。とりあえず本部に連絡を。て、あれ」
隣には、誰もいない。
だって。
「お、おい、川中さん? どこに行った? お、ぉぉい、そんなまさか」
糸を絡めて。
引き寄せた。
断末魔も起こす暇さえ無い程、一瞬のうちに二人の人間は文字通り、消え去った。
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「妖退治を、お願いしたいんだぜ。その前に」
久方 相馬(nCL2000004)の瞳が、集まった覚者達一人ひとりの瞳を順繰りに見た。
「なんとなく……でかいもんが後ろにいる気がするんだよな。
だから、もし行くならほんと、気を付けて欲しい。とりあえず、それだけは言っておくぜ。ごめんな、俺も一緒に戦えなくて」
相馬は精一杯かき集めた情報が凝縮されている資料を配った。
「最近……、『血が抜かれた死体』がよく発見されるんだ。それと、『神隠し』も多い」
人が消えたかと思えば、必ず消えた人間は血が一滴も体内に存在しない状態で見つかるという。
「それも、見つかるのは女性ばかりだ。
男性は……行方不明になった男性は、見つからない。帰ってこない。正直、この事件と男性が消えるのが同じ原因なのかも、現時点ではわからない。
世の中は、不気味がって『恐怖が増す』ばかりで……さ」
人は、脳内で処理しきれない出来事には単純に恐れを感じる。それは、生理的でかつ、当たり前のこと。
「それに関連して、警察官二人が今日、血の抜かれた死体を見つけた後、忽然と消える未来が見えた。
正確には、連れ去られていた……。
犯人は恐らく妖。
俺には糸と、足と、顔が見えた。あれは、『蜘蛛』だったんだ。
でもおかしいな、奴ら、なんで男性を攫っているんだ。
それに、頭が良さそうな動きをしていたんだ。なんつーか、周囲の地形や条件を利用ていたっていうかさ。
妖ってそんな統率とれていたっけ……? 蜘蛛もさ、足とか胴に、たまに、ほっそーい糸が見えたんだけど、見間違いだったかな。
もしかしたら、『九頭竜』が……まさか、な!」
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新たに、こんな噂が日本を徘徊していた。
『七日で必ず死ぬ病』
『血が抜かれた死体』
『死者が蘇る薬』
これはその、『血が抜かれた死体』の物語である。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.妖の討伐、または撃退
2.一般人を一人たりとも連れ去られない、死亡者を出さない
3.なし
2.一般人を一人たりとも連れ去られない、死亡者を出さない
3.なし
●状況
・近頃、変な噂がある。
『血が抜かれた死体』。
行方不明になる女性は、血が一滴も体内に無い状態で見つかり、
行方不明になる男性は、未だ見つかっていないという。
そんな中、蜘蛛に攫われる男性の未来が見えた。まずその未来を阻止しつつ、情報を収集しよう。
●敵情報
・大蜘蛛(ランク2)
全長2mの蜘蛛。
大蜘蛛が闇に溶け込み、光が差さない場所にいるとき、その姿を見ることは不可能となります。
明確に、男性二名を連れ去るのが目的とし、動いております。
光が差したときのみ、
大蜘蛛の八本の足や胴体には、細い糸が見えます。糸はどこかに繋がっているようです。
攻撃は、
捕食 近接、物理、大ダメージ
蜘蛛糸 遠距離、物理、BS麻痺。中衛以降にいるPCを前衛まで引き寄せます
体当たり 近接、列、ノックバック
八つ裂き 遠距離、列
面接着に似たスキルがあり、立体的に動きます。
・子蜘蛛(ランク1)×2体
子蜘蛛闇に溶け込み、光が差さない場所にいるとき、その姿を見ることは不可能となります。
光が差したときのみ、
子蜘蛛の足や胴体には細い糸が見えます。糸はどこかに繋がっているようです。
攻撃は大蜘蛛のものと同じですが、威力自体は大蜘蛛に劣ります。
また、面接着に似たスキルがあり、立体的に動きます。
●一般人
・警察官二名
一人は川中という名前で、もうひとりは名前不明
二人は巡回中に血の抜かれた死体を見つけました。
●場所
・路地裏
両サイドがビル壁に囲まれ、非常に狭いです。
横に二人並べるのがやっとです。
三人以上一緒に並んだ場合、攻撃威力と命中、回避にペナルティが発生します
また、月明りも無く、明かりらしいものも全て破壊されております
足下に死体がひとつ転がっております。
路地から出られれば大通りになりますが、一般人が通る可能性が高いです
●初動
・PCが到着したとき、警察官がOPの
「悪い冗談だ。ま、あのFiVEっていうのがなんとかしてくれると良いんだが……」
あたりの状況になっております
それではご縁がありましたら、よろしくお願いします
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2016年05月08日
2016年05月08日
■メイン参加者 6人■

●
「悪い冗談だ。ま、あのFiVEっていうのがなんとかしてくれると良いんだが……」
黒墨を零した夜の視界は、狭く。
墨に紛れてしまえば、形というものはなんの意味も持たない。
つまり警官二名が、忍び寄る巨体を瞳で認識する事は、到底無理至極なお話である。
ほぅら……今宵もまた一人、また一人と。祭壇に並べられる子羊は増えていく。行方不明という大義名分を背負う、子羊が。
「調子づくのも、そこまでじゃぜ」
本来なら警官一名が標的になったはず。雷撃の如く飛ばされた蜘蛛糸をジキルハイドへ巧みに絡ませながら、警官の頭上で弧を描き飛ぶ深緋・幽霊男(CL2001229) 。
狭き壁に吊られた室外機の、僅かな面積を足場として着地。いるわいるわ。闇にぼんやりと浮かび発光しているように見える、蜘蛛の瞳が。
「な、なんだ!?」
「あんたたち、一体!!」
カチッという無機質な音がし、懐中電灯が薄いコンソメスープ色の光を放ちながら幽霊男を照らした。
瞬間的に警官二名の視界が広がり、次には大声で叫び始めていた。闇に慣れ過ぎて霞がかった視界だろうと、糸ひとつで綱引きをする幽霊男と蜘蛛の姿は、警官が守る日常世界とは程遠いからか仕方ないのだろう。
「危なかったな。あと少しで、食われておったぞ」
更に。懐中電灯を持ち、透けるような人間離れの美しさを持つ『白い人』由比 久永(CL2000540)を見た警官たちは、久永を古妖の類と勘違いしたのか、更に高い声で叫んでいた 。
久永は警官二名が非常に元気である事に幾度か頷いてから笑顔を止め、斜め上にゆっくりと移動した薄紫の黒目。その、靴と地面の間から蜘蛛の動きを制限させる霧が闇に手を伸ばし、白く、ゆったりと、滑るように周囲を飲み込む。
大蜘蛛との繋がりの糸を断った幽霊男は足場から降りながら、久永と位置を交代。
大蜘蛛とは別に、地面を這う音が響いたかと思えば、一瞬のうちに鳴りやんだ。答えは簡単だ、跳躍したのだ。暗視を発動させている『水天』水瀬 冬佳(CL2000762)は警官と、降ってくる子蜘蛛の間に入り、鞘に仕舞った状態の刀で子蜘蛛を打ち返した。壁へと激突した子蜘蛛が忌々し気にギギ……と鳴いてから、再び闇に紛れようとしていたが、そうはさせまい。冬佳はすかさず懐中電灯で追う。
「御二方、妖が居ます。お下がりを!」
「ひい! やっぱり妖か!!」
「ってことは、あんたたち!!」
抱き合いながら、恐怖を抑え込もうとしている警官二人の手前。阿久津 ほのか(CL2001276) は、長い袖を振り上げて立つ。
「はい! ファイヴです。助けに参りました!」
これが噂の組織である。噂は本当で、実際に存在していたのだ。
しかしまだ安心するには早い。
もう一匹が見当たらない上で、ほのかは第六感を光らせながらも懐中電灯で隅々を辿って行く。警官を早く避難させたいものだが、より敵の姿さえ視認できれば避難もやりやすくなるというもの。
「俺がいるうちは、もう連れて行かせないからな!」
まるで昼の太陽の如く。『B・B』黒崎 ヤマト(CL2001083) の全身が光帯び、周囲の闇という闇と駆逐する。
ついでにであるが、ヤマトは人形のように倒れている死体を見た。本当はこういうものを視認する形で記憶に留めることをしたくは無いものではあるが、ぐっとこらえてヤマトは糸が無いかを探した。
どうやら、死体には糸は繋がっていないようだ。あくまで死体は、死体という事なのか確実。
ヤマト光の中でなお目立つ黒の翼を広げて飛び上がり、冬佳が打ち返した子蜘蛛の前方まで近づけば、子蜘蛛は光を嫌いながら悶え始める。
その時、別の子蜘蛛の糸が警官を吊ろうと噴き出し、そしてほのかが身を呈して庇った。胸元にしつこく付着した糸にされるがまま引き寄せられていく。
不運にも、子蜘蛛がいたのは壁の上。飛行能力が無いほのかが引き寄せられれば、ぷつんと攻撃が終了した瞬間、身体は真っ逆さまで重力に従う。
落ちる――と思われたが、ほのかの身体が硬いコンクリートの上で赤い花を咲かせることは無かった。
ふわりと翼を広げる『浄火』七十里・夏南(CL2000006) が、ほのかの身体を空中で受け止め、地面まで丁寧に案内をした。
受け止めたときに付着したのか、蜘蛛の粘糸が夏南の腕に一部付着していた。見つけた瞬間、背筋が上から下まで、ゾ……と電撃が走りながら、ウェットティッシュで拭き取る。
皺ひとつ無い制服をよくも汚してくれたものだと、容赦無く術札を手に蜘蛛の手前へ位置を固定した夏南。
ほのかと幽霊男は、警官の背を押しながら避難を開始した。
●
巨体が吼え、闇夜が震えた。
狭い路地でぎゅうぎゅうに詰まった身体であれ、室外機やパイプをぶち壊しながら前進する大蜘蛛。お構いなしか、眼前に布陣していた久永を馬鹿力で押し返せば、赤色の羽が地面へと堕ちる。
即座に起き上がった久永は上を見上げ、刃のように鋭い冷笑を魅せた。
「あなや、羽が折れてしまったでは無いか」
飛べないことは無いが。背中より更に後ろから来る痛みを無視して扇を振るう。直後、何度も何度もほぼ直角に折れ曲がる雷が矢のように子蜘蛛を射抜いた。
口では断末魔のような割れる声を出しておきながら、糸に操られ、身体に鞭打ち無理くり子蜘蛛は攻撃を行う。
滑らすようにして横に線引いた子蜘蛛の鋭い足先を、身体を仰け反らせて回避せんとした冬佳。だが、冬佳の喉元が割れた、その、隣で久永の身体にも赤い線が入る。
冬佳の瞳は子蜘蛛の足を追えていたが、反応速度が一歩遅れたか。
構うまい。左手に帯刀したそれに、右手で触れ、音も無く抜刀。中衛という位置より腕を精一杯伸ばし、子蜘蛛を裂く衝撃を放つ。
ひとつの観察を滞り無く行っていた冬佳。操られているのか知らぬが、統率が取れているのか知らぬが。一切の会話や、それに見合う行動が敵から見えないのに、久永を中衛まで押してから列攻撃を叩きこんできたあたり、何かしらの大きな意思が盤上の駒を動かしているのは間違い無いだろう。目に見えて直情で動く低ランクの妖では無いと見える。
「我々が、狙われておりますね」
「うむ。そしてもう一人押し込まれれば、狭くてかなわん」
「正に、蜘蛛が戦い安い場所ということです」
「糸がどうにかできれば、どうにかならぬかの」
口元を扇で隠した久永は、上空の夏南の方を見た。
「これがご注文かしら?」
夏南は左腕でもう一体の子蜘蛛を抑え込みながら、空いた右手の指をパチンと鳴らした。
竜巻が舞い上がるように、紅蓮の炎が子蜘蛛を包み込む、ついでに同列にいた大蜘蛛もともに巻き込んで。これにはたまったものでは無い子蜘蛛の焼ける妙な香りがしながら、更に四肢から伸びる糸を焼き切っていく。
夏南は一部始終を瞬きせずに目を凝らした。糸が萎れて落ちてから、蜘蛛は文字通り糸無しマリオネットのように力無く地面へと転がった。
夏南が発生させる感情探査にも、蜘蛛の意思らしい何かは伝わってこない。
それ以外に何かあるとすれば――夏南の瞳は動く。
「……上かあ」
この感情はなんだと言えば――殺意とか、復讐とか、そういうものは確かにあるのだが。強いて言えば、『おなかがすいたからご飯を食べる』そういった本能的なものに近い。
「これで、そいつ、もう攻撃して来ないかな……?」
ヤマトが落ちていたパイプを投げてみて、糸切れた子蜘蛛の反応を調べようとしたが。上より更に糸が降りかかり、子蜘蛛の身体へと巻き付き、再び戦線復帰した。
仰向けになっていた身体を正しい形に戻し、ヤマトへ飛びつかんとしたとき。
「行くぜレイジングブル! 炎の音色を響かせろ!」
ギターの弦を弾いたヤマトの眼前に拳大の炎を出現。子蜘蛛はまさにその炎へと飛び込む形となり、シュボッ!と音を響かせれば一瞬のうちに骨も残さず消滅していく。
ふう、と息を吐いたヤマト。
まず、一体。
久永はやれやれと頭を振り、夏南は代弁。
「また燃やしても、再度糸を繋がれるのなら。何度やったって同じってことね」
「ただいま戻りました!」
「滞りなく終わったぞなもし」
ほのかが警察官を安全な場所へと連れていき、幽霊男が大通りから路地裏へ人間が入り込まないように結界を施せば、ここへもう関係者以外の誰かが来る事は無い。
二人が戦線復帰するとき、大蜘蛛を抑え込んでいた久永、そして十秒前に引き寄せられてしまった夏南――大蜘蛛は子蜘蛛を逃がす心算であったか――と共に、刃の如く鋭い前足を横に薙がれては雨のように血が地面を染めていた。
「御二方!」
仲間を気遣う、冬佳の鈴のような声が響いた。
冬佳は刀を帯刀し、両手を広げて周囲の水気に呼び掛けた。癒しを、只管の癒しを。目を瞑り、糸を針に通すような繊細な作業を行う冬佳という娘の祈りは特に重い傷を背負う久永の痛みを取り除く。
そして久永も。紅葉程に紅に染まる傘をくるくる回し、聖なる輝きを模した淡く光水蒸気が現場周囲の味方の傷へと入り込む。と同時に幽霊男へ目線で合図を送りながら後方へと下がる。
再び壁にいる大蜘蛛に、鉄パイプを足場にして近寄った幽霊男。
入れ替わりに挨拶は必要だ。カトラスを握った腕を大上段から振り上げて落とす。大蜘蛛の頭を震盪させるくらいの威力はあった事だろう。ひしゃげた頭で大蜘蛛は小さく鳴いただが、幽霊男が手を止める隙は無いときた。
幽霊男が解析した大蜘蛛は普通の妖であった。ただし、半ば催眠状態のような形になっている。
「逃がすかああ!!」
夏南に代わり、ヤマトは空中を滑りながら大通り方面へと駆ける子蜘蛛の足を掴んで止め。その、ざらりとした足の触り心地に一瞬、ヤマトの背は悪寒を感じたものの。離せば一般人が危ないと思えば、握力に普段以上の力が籠った。
「参ります!」
ほのかは手の甲を上にした。ゆっくりと開く瞳は、三白眼、いや、四白眼かと思えるほどに見開いたとき、直上の子蜘蛛へ閃光が飛んだ。
子蜘蛛の腹を的確に射抜き、上と下がバラけた子蜘蛛。ヤマトが握る足も胴体から千切れたようで、意味を無くした足はそこらへんに放り投げた。
「「でも、まだ!!」」
ほのかとヤマトの声が偶然綺麗にハモった。
そう、生命力は高いかな、いや、操られているのならどんなに傷を受けようが立ち上がらせられるのに同情すべきか。
上だけで動く子蜘蛛は未だに人間が欲しいと見える。
「どこ行くつもり?」
光の方へと駆ける子蜘蛛に、夏南は血まみれた眼鏡を拭きながらため息を吐いた。
「どうしてくれんの。こびりついた血は、落としにくいのよ。貴方が洗ってくれるなら許してあげてもいいけれど」
眼鏡を定位置に戻してから、翼は扇のように大胆に広がった。空気を、圧縮、圧縮。
「――ま、無理よね。あんた自身が汚いんだもの」
そして解放。周囲の埃や塵を左右に押しのけながら打ち放たれた砲弾は子蜘蛛の身体を細かく砕き、その息を根こそぎ取り除いた。
●
最早単体と化した大蜘蛛に連携という言葉は程遠いであろう。ならば力押しだ。幽霊男の肩へと食らいつき肉と骨を引き千切る。だからなんだと幽霊男は血飛沫が飛ぶ頬に冷笑を乗せた。
「お前ら、なんでこんなことしてんだ! 答えてみろ!」
ヤマトの声にぴくりと反応はした大蜘蛛であるが、彼等の意図は霧のように不透明だ。彼としては、人を襲い、なお、同族であるものさえ利用する黒幕の思考は理解できぬもの。それに赦せぬもの。
だがこのヤマトの目が月の光のように青色を灯しているうちは好き勝手させまい。飛燕のように動く指先と音は同調した。二弾の炎は極小の太陽のように照り輝き、大蜘蛛を染め上げる。
苦手な光が、最早己の身体からも発生する程燃え上がる大蜘蛛へ、今度は星が降り注ぐ。
久永の扇が上から下へ、呼応して星は舞い降りるのではなく舞い落ちた。
大蜘蛛は数メートルに及ぶ足を、狭い路地で縦横無尽に振り回した。室外機やパイプ、ゴミ箱などを破壊しながらだが覚者たちは足をすれすれの処で避けていった。
「ちょっと! 埃を飛ばさないで欲しいんだけど」
夏南の指は再度パチンと鳴り響く。これ以上ハウスダスト充満な場所に居てたまるかと、高火力の炎が爆風を従えつつ大蜘蛛を飲み込んでいく。ついでに、糸を焼き切り操作を失った大蜘蛛が地面へと落ちてきた。
火の粉が舞う中、冬佳は冷気帯びた白銀の刃を抜く。目に見えぬ閃光と、吹き荒れた風。一瞬にして駆け抜けた冬佳は大蜘蛛を背にして刃を鞘へと仕舞った。刹那、大蜘蛛の身体に十字の傷が刻まれる。
幽霊男に手番が廻り、自らの服で止血した肩を振るい大蜘蛛の八つ足を解体。胴体が先に地面に落ち、足が時間差で倒れてから力無く蜘蛛はキキ……と鳴いた。
哀愁は漂ったものの、人間の敵。ほのかは十分にそれを理解しつつ、再び甲の瞳がくるんと回る。
「おやすみなさい」
静寂に放たれる閃光は、用心深くも丁寧に大蜘蛛を壊すのであった。
その時。
「見られてる」
幽霊男は反射的に非常階段やパイプなどを足場に飛び移りながら屋上を目指した。
ほんの、一瞬であったが純黒の闇に輝いた瞳が上からこちらを見下ろしたのが見えたのだ。夏南や、ヤマト。そして久永は翼を広げ、冬佳も非常階段をのぼる。
「ふぇ!? あ、あまり深追いは……ああっ、どうしよう」
ほのかは一回、その場を一周駆け回ってから非常階段へと駆けた。
幽霊男の心は踊る。新たな敵の出現か、美味しいそうなにおいは果たして己が食い破る価値があるか、無いか。
屋上へ足を置き、貯水タンクの脇から顔を出していたのは、なんともまあ、小さな少女であった。
「……えーっと」
ヤマトは一度頭を掻きながら、妹がいるのならそれほどに、小さな少女の見た目に困惑した
ぜえぜえと息を吐いてから、仲間のところへたどり着いたほのか。見目は少女を見つけて、ぱあと明るくなった表情で両手を前に出してみた。
「怖くないですよ、こっちおいで」
とは言ってみるものの、幽霊男と冬佳が片手でほのかを制する。あの少女、覚者を見る目が道端のゴミを見る程に関心の無い目であった。
「お、女の子ですよっ」
「いえ、たぶん恐らく……」
「うむ。妖だの。それも、高ランクの」
「ええっ!?」
ほのかは手を引っ込めたものの、やはり少女は少女である。
長く伸ばしっぱなしの黒髪の間から除く瞳が動いた。ずるりと出てきたのは、確かに少女ではあったが、腰から下が先ほどの大蜘蛛。わかりやすく言えば、くもの頭部から人間が生えている形だ。
夏南は言った。
「あの子、血の匂いが濃すぎるわね。私でも、かぎ取れる……最悪だわ」
幽霊男は得物を片手に近づきながら、
「のう。名はなんという?」
『あやめ』
殺芽。あやめは、十本の指に絡む細い糸を動かしていた。どうやら、親玉だろう。期待しているのだ、もっと情報が欲しい。
「復讐のために人間を殺すのかな?」
『半分は。かかさまのため。あと半分は九頭龍のため。ですがまだ、時では無い。寝ている間に、随分と人間臭い世界になってしまっておりました。でも、それももう終わり。もうすぐ、もうすぐ私が完成します』
ヤマトは続いて言った。
「何故、こんなことするんだ!!」
『腹が減れば餌を取るでしょう?』
会話の最中だが、久永は別の場所が気になっていた。並列するビルの屋上。
……誰かいる。
「そちは?」
『それは名ですか。存在そのものの意ですか』
久永が問えば、仲間はそちらを向いた。再び幽霊男が少女を見たときには、少女の影もかたちも消えていた。久永は笑いながらも瞳は刃のように研ぎ澄ませた。
「おぬし、蜘蛛の子を逃がしたな?」
『あれは客です』
悪びれも無く言う。
もう一つのビルの屋上、その中央部に鎮座していたのは顔も、身体も隠した背の低い人型であった。背中には木製で縦長の箱を背負いつつ、風呂敷を足場にして正座し、茶を飲んでいた。
ほのかは前に出てみたが、冬佳が肩を掴んで首を横に振った。まだ、『アレ』が何か分かったものでは無い。
「……えーっと、名前は?」
『はい。「薬売り」と申しますが』
「薬売り、さん」
『はい。必要な「者」に必要な「物」を与えております。時には金もとります』
「えーっと……古妖さん?」
『人間が決めた呼び名の意を理解しませんが。つい最近生まれた獣たちに比べれば、遥か永い時を生きておりますが』
「じゃあ、古妖さんだ」
再び薬売りは、茶を口にした。夏南は頭を抱えてから、
「一応、聞くけど。殺芽が一連の血のない死体の事件の首謀者?』
『はて、使い道は知りませぬ故』
冬佳は予想を公開する。血を啜り、肉を貪り、糸で操る妖怪の名を――。
「あれは、女郎蜘蛛というものですか?」
『はい。部類としては、それと似たようなものでしょうが。しかし、彼女は最近生まれましたが。この薬売りの言う最近は、人間からしてみれば数年でしょうが』
「つまり、妖であると」
『はい。人間が決めた呼び名の意を理解しませんが。つい最近生まれた獣たちと同じでしょうが』
夏南もそうだが、ほのかは一歩前に出た。何故、この妖怪は。
「何故、そこまで親切に教えてくれるのですか?」
『私には善悪の区別はつきませんが。必要なものに必要なものを与えるのが薬売り。殺芽の情報を対価に、助けて頂きたく』
何やら奇妙な縁は続くようだ。
「悪い冗談だ。ま、あのFiVEっていうのがなんとかしてくれると良いんだが……」
黒墨を零した夜の視界は、狭く。
墨に紛れてしまえば、形というものはなんの意味も持たない。
つまり警官二名が、忍び寄る巨体を瞳で認識する事は、到底無理至極なお話である。
ほぅら……今宵もまた一人、また一人と。祭壇に並べられる子羊は増えていく。行方不明という大義名分を背負う、子羊が。
「調子づくのも、そこまでじゃぜ」
本来なら警官一名が標的になったはず。雷撃の如く飛ばされた蜘蛛糸をジキルハイドへ巧みに絡ませながら、警官の頭上で弧を描き飛ぶ深緋・幽霊男(CL2001229) 。
狭き壁に吊られた室外機の、僅かな面積を足場として着地。いるわいるわ。闇にぼんやりと浮かび発光しているように見える、蜘蛛の瞳が。
「な、なんだ!?」
「あんたたち、一体!!」
カチッという無機質な音がし、懐中電灯が薄いコンソメスープ色の光を放ちながら幽霊男を照らした。
瞬間的に警官二名の視界が広がり、次には大声で叫び始めていた。闇に慣れ過ぎて霞がかった視界だろうと、糸ひとつで綱引きをする幽霊男と蜘蛛の姿は、警官が守る日常世界とは程遠いからか仕方ないのだろう。
「危なかったな。あと少しで、食われておったぞ」
更に。懐中電灯を持ち、透けるような人間離れの美しさを持つ『白い人』由比 久永(CL2000540)を見た警官たちは、久永を古妖の類と勘違いしたのか、更に高い声で叫んでいた 。
久永は警官二名が非常に元気である事に幾度か頷いてから笑顔を止め、斜め上にゆっくりと移動した薄紫の黒目。その、靴と地面の間から蜘蛛の動きを制限させる霧が闇に手を伸ばし、白く、ゆったりと、滑るように周囲を飲み込む。
大蜘蛛との繋がりの糸を断った幽霊男は足場から降りながら、久永と位置を交代。
大蜘蛛とは別に、地面を這う音が響いたかと思えば、一瞬のうちに鳴りやんだ。答えは簡単だ、跳躍したのだ。暗視を発動させている『水天』水瀬 冬佳(CL2000762)は警官と、降ってくる子蜘蛛の間に入り、鞘に仕舞った状態の刀で子蜘蛛を打ち返した。壁へと激突した子蜘蛛が忌々し気にギギ……と鳴いてから、再び闇に紛れようとしていたが、そうはさせまい。冬佳はすかさず懐中電灯で追う。
「御二方、妖が居ます。お下がりを!」
「ひい! やっぱり妖か!!」
「ってことは、あんたたち!!」
抱き合いながら、恐怖を抑え込もうとしている警官二人の手前。阿久津 ほのか(CL2001276) は、長い袖を振り上げて立つ。
「はい! ファイヴです。助けに参りました!」
これが噂の組織である。噂は本当で、実際に存在していたのだ。
しかしまだ安心するには早い。
もう一匹が見当たらない上で、ほのかは第六感を光らせながらも懐中電灯で隅々を辿って行く。警官を早く避難させたいものだが、より敵の姿さえ視認できれば避難もやりやすくなるというもの。
「俺がいるうちは、もう連れて行かせないからな!」
まるで昼の太陽の如く。『B・B』黒崎 ヤマト(CL2001083) の全身が光帯び、周囲の闇という闇と駆逐する。
ついでにであるが、ヤマトは人形のように倒れている死体を見た。本当はこういうものを視認する形で記憶に留めることをしたくは無いものではあるが、ぐっとこらえてヤマトは糸が無いかを探した。
どうやら、死体には糸は繋がっていないようだ。あくまで死体は、死体という事なのか確実。
ヤマト光の中でなお目立つ黒の翼を広げて飛び上がり、冬佳が打ち返した子蜘蛛の前方まで近づけば、子蜘蛛は光を嫌いながら悶え始める。
その時、別の子蜘蛛の糸が警官を吊ろうと噴き出し、そしてほのかが身を呈して庇った。胸元にしつこく付着した糸にされるがまま引き寄せられていく。
不運にも、子蜘蛛がいたのは壁の上。飛行能力が無いほのかが引き寄せられれば、ぷつんと攻撃が終了した瞬間、身体は真っ逆さまで重力に従う。
落ちる――と思われたが、ほのかの身体が硬いコンクリートの上で赤い花を咲かせることは無かった。
ふわりと翼を広げる『浄火』七十里・夏南(CL2000006) が、ほのかの身体を空中で受け止め、地面まで丁寧に案内をした。
受け止めたときに付着したのか、蜘蛛の粘糸が夏南の腕に一部付着していた。見つけた瞬間、背筋が上から下まで、ゾ……と電撃が走りながら、ウェットティッシュで拭き取る。
皺ひとつ無い制服をよくも汚してくれたものだと、容赦無く術札を手に蜘蛛の手前へ位置を固定した夏南。
ほのかと幽霊男は、警官の背を押しながら避難を開始した。
●
巨体が吼え、闇夜が震えた。
狭い路地でぎゅうぎゅうに詰まった身体であれ、室外機やパイプをぶち壊しながら前進する大蜘蛛。お構いなしか、眼前に布陣していた久永を馬鹿力で押し返せば、赤色の羽が地面へと堕ちる。
即座に起き上がった久永は上を見上げ、刃のように鋭い冷笑を魅せた。
「あなや、羽が折れてしまったでは無いか」
飛べないことは無いが。背中より更に後ろから来る痛みを無視して扇を振るう。直後、何度も何度もほぼ直角に折れ曲がる雷が矢のように子蜘蛛を射抜いた。
口では断末魔のような割れる声を出しておきながら、糸に操られ、身体に鞭打ち無理くり子蜘蛛は攻撃を行う。
滑らすようにして横に線引いた子蜘蛛の鋭い足先を、身体を仰け反らせて回避せんとした冬佳。だが、冬佳の喉元が割れた、その、隣で久永の身体にも赤い線が入る。
冬佳の瞳は子蜘蛛の足を追えていたが、反応速度が一歩遅れたか。
構うまい。左手に帯刀したそれに、右手で触れ、音も無く抜刀。中衛という位置より腕を精一杯伸ばし、子蜘蛛を裂く衝撃を放つ。
ひとつの観察を滞り無く行っていた冬佳。操られているのか知らぬが、統率が取れているのか知らぬが。一切の会話や、それに見合う行動が敵から見えないのに、久永を中衛まで押してから列攻撃を叩きこんできたあたり、何かしらの大きな意思が盤上の駒を動かしているのは間違い無いだろう。目に見えて直情で動く低ランクの妖では無いと見える。
「我々が、狙われておりますね」
「うむ。そしてもう一人押し込まれれば、狭くてかなわん」
「正に、蜘蛛が戦い安い場所ということです」
「糸がどうにかできれば、どうにかならぬかの」
口元を扇で隠した久永は、上空の夏南の方を見た。
「これがご注文かしら?」
夏南は左腕でもう一体の子蜘蛛を抑え込みながら、空いた右手の指をパチンと鳴らした。
竜巻が舞い上がるように、紅蓮の炎が子蜘蛛を包み込む、ついでに同列にいた大蜘蛛もともに巻き込んで。これにはたまったものでは無い子蜘蛛の焼ける妙な香りがしながら、更に四肢から伸びる糸を焼き切っていく。
夏南は一部始終を瞬きせずに目を凝らした。糸が萎れて落ちてから、蜘蛛は文字通り糸無しマリオネットのように力無く地面へと転がった。
夏南が発生させる感情探査にも、蜘蛛の意思らしい何かは伝わってこない。
それ以外に何かあるとすれば――夏南の瞳は動く。
「……上かあ」
この感情はなんだと言えば――殺意とか、復讐とか、そういうものは確かにあるのだが。強いて言えば、『おなかがすいたからご飯を食べる』そういった本能的なものに近い。
「これで、そいつ、もう攻撃して来ないかな……?」
ヤマトが落ちていたパイプを投げてみて、糸切れた子蜘蛛の反応を調べようとしたが。上より更に糸が降りかかり、子蜘蛛の身体へと巻き付き、再び戦線復帰した。
仰向けになっていた身体を正しい形に戻し、ヤマトへ飛びつかんとしたとき。
「行くぜレイジングブル! 炎の音色を響かせろ!」
ギターの弦を弾いたヤマトの眼前に拳大の炎を出現。子蜘蛛はまさにその炎へと飛び込む形となり、シュボッ!と音を響かせれば一瞬のうちに骨も残さず消滅していく。
ふう、と息を吐いたヤマト。
まず、一体。
久永はやれやれと頭を振り、夏南は代弁。
「また燃やしても、再度糸を繋がれるのなら。何度やったって同じってことね」
「ただいま戻りました!」
「滞りなく終わったぞなもし」
ほのかが警察官を安全な場所へと連れていき、幽霊男が大通りから路地裏へ人間が入り込まないように結界を施せば、ここへもう関係者以外の誰かが来る事は無い。
二人が戦線復帰するとき、大蜘蛛を抑え込んでいた久永、そして十秒前に引き寄せられてしまった夏南――大蜘蛛は子蜘蛛を逃がす心算であったか――と共に、刃の如く鋭い前足を横に薙がれては雨のように血が地面を染めていた。
「御二方!」
仲間を気遣う、冬佳の鈴のような声が響いた。
冬佳は刀を帯刀し、両手を広げて周囲の水気に呼び掛けた。癒しを、只管の癒しを。目を瞑り、糸を針に通すような繊細な作業を行う冬佳という娘の祈りは特に重い傷を背負う久永の痛みを取り除く。
そして久永も。紅葉程に紅に染まる傘をくるくる回し、聖なる輝きを模した淡く光水蒸気が現場周囲の味方の傷へと入り込む。と同時に幽霊男へ目線で合図を送りながら後方へと下がる。
再び壁にいる大蜘蛛に、鉄パイプを足場にして近寄った幽霊男。
入れ替わりに挨拶は必要だ。カトラスを握った腕を大上段から振り上げて落とす。大蜘蛛の頭を震盪させるくらいの威力はあった事だろう。ひしゃげた頭で大蜘蛛は小さく鳴いただが、幽霊男が手を止める隙は無いときた。
幽霊男が解析した大蜘蛛は普通の妖であった。ただし、半ば催眠状態のような形になっている。
「逃がすかああ!!」
夏南に代わり、ヤマトは空中を滑りながら大通り方面へと駆ける子蜘蛛の足を掴んで止め。その、ざらりとした足の触り心地に一瞬、ヤマトの背は悪寒を感じたものの。離せば一般人が危ないと思えば、握力に普段以上の力が籠った。
「参ります!」
ほのかは手の甲を上にした。ゆっくりと開く瞳は、三白眼、いや、四白眼かと思えるほどに見開いたとき、直上の子蜘蛛へ閃光が飛んだ。
子蜘蛛の腹を的確に射抜き、上と下がバラけた子蜘蛛。ヤマトが握る足も胴体から千切れたようで、意味を無くした足はそこらへんに放り投げた。
「「でも、まだ!!」」
ほのかとヤマトの声が偶然綺麗にハモった。
そう、生命力は高いかな、いや、操られているのならどんなに傷を受けようが立ち上がらせられるのに同情すべきか。
上だけで動く子蜘蛛は未だに人間が欲しいと見える。
「どこ行くつもり?」
光の方へと駆ける子蜘蛛に、夏南は血まみれた眼鏡を拭きながらため息を吐いた。
「どうしてくれんの。こびりついた血は、落としにくいのよ。貴方が洗ってくれるなら許してあげてもいいけれど」
眼鏡を定位置に戻してから、翼は扇のように大胆に広がった。空気を、圧縮、圧縮。
「――ま、無理よね。あんた自身が汚いんだもの」
そして解放。周囲の埃や塵を左右に押しのけながら打ち放たれた砲弾は子蜘蛛の身体を細かく砕き、その息を根こそぎ取り除いた。
●
最早単体と化した大蜘蛛に連携という言葉は程遠いであろう。ならば力押しだ。幽霊男の肩へと食らいつき肉と骨を引き千切る。だからなんだと幽霊男は血飛沫が飛ぶ頬に冷笑を乗せた。
「お前ら、なんでこんなことしてんだ! 答えてみろ!」
ヤマトの声にぴくりと反応はした大蜘蛛であるが、彼等の意図は霧のように不透明だ。彼としては、人を襲い、なお、同族であるものさえ利用する黒幕の思考は理解できぬもの。それに赦せぬもの。
だがこのヤマトの目が月の光のように青色を灯しているうちは好き勝手させまい。飛燕のように動く指先と音は同調した。二弾の炎は極小の太陽のように照り輝き、大蜘蛛を染め上げる。
苦手な光が、最早己の身体からも発生する程燃え上がる大蜘蛛へ、今度は星が降り注ぐ。
久永の扇が上から下へ、呼応して星は舞い降りるのではなく舞い落ちた。
大蜘蛛は数メートルに及ぶ足を、狭い路地で縦横無尽に振り回した。室外機やパイプ、ゴミ箱などを破壊しながらだが覚者たちは足をすれすれの処で避けていった。
「ちょっと! 埃を飛ばさないで欲しいんだけど」
夏南の指は再度パチンと鳴り響く。これ以上ハウスダスト充満な場所に居てたまるかと、高火力の炎が爆風を従えつつ大蜘蛛を飲み込んでいく。ついでに、糸を焼き切り操作を失った大蜘蛛が地面へと落ちてきた。
火の粉が舞う中、冬佳は冷気帯びた白銀の刃を抜く。目に見えぬ閃光と、吹き荒れた風。一瞬にして駆け抜けた冬佳は大蜘蛛を背にして刃を鞘へと仕舞った。刹那、大蜘蛛の身体に十字の傷が刻まれる。
幽霊男に手番が廻り、自らの服で止血した肩を振るい大蜘蛛の八つ足を解体。胴体が先に地面に落ち、足が時間差で倒れてから力無く蜘蛛はキキ……と鳴いた。
哀愁は漂ったものの、人間の敵。ほのかは十分にそれを理解しつつ、再び甲の瞳がくるんと回る。
「おやすみなさい」
静寂に放たれる閃光は、用心深くも丁寧に大蜘蛛を壊すのであった。
その時。
「見られてる」
幽霊男は反射的に非常階段やパイプなどを足場に飛び移りながら屋上を目指した。
ほんの、一瞬であったが純黒の闇に輝いた瞳が上からこちらを見下ろしたのが見えたのだ。夏南や、ヤマト。そして久永は翼を広げ、冬佳も非常階段をのぼる。
「ふぇ!? あ、あまり深追いは……ああっ、どうしよう」
ほのかは一回、その場を一周駆け回ってから非常階段へと駆けた。
幽霊男の心は踊る。新たな敵の出現か、美味しいそうなにおいは果たして己が食い破る価値があるか、無いか。
屋上へ足を置き、貯水タンクの脇から顔を出していたのは、なんともまあ、小さな少女であった。
「……えーっと」
ヤマトは一度頭を掻きながら、妹がいるのならそれほどに、小さな少女の見た目に困惑した
ぜえぜえと息を吐いてから、仲間のところへたどり着いたほのか。見目は少女を見つけて、ぱあと明るくなった表情で両手を前に出してみた。
「怖くないですよ、こっちおいで」
とは言ってみるものの、幽霊男と冬佳が片手でほのかを制する。あの少女、覚者を見る目が道端のゴミを見る程に関心の無い目であった。
「お、女の子ですよっ」
「いえ、たぶん恐らく……」
「うむ。妖だの。それも、高ランクの」
「ええっ!?」
ほのかは手を引っ込めたものの、やはり少女は少女である。
長く伸ばしっぱなしの黒髪の間から除く瞳が動いた。ずるりと出てきたのは、確かに少女ではあったが、腰から下が先ほどの大蜘蛛。わかりやすく言えば、くもの頭部から人間が生えている形だ。
夏南は言った。
「あの子、血の匂いが濃すぎるわね。私でも、かぎ取れる……最悪だわ」
幽霊男は得物を片手に近づきながら、
「のう。名はなんという?」
『あやめ』
殺芽。あやめは、十本の指に絡む細い糸を動かしていた。どうやら、親玉だろう。期待しているのだ、もっと情報が欲しい。
「復讐のために人間を殺すのかな?」
『半分は。かかさまのため。あと半分は九頭龍のため。ですがまだ、時では無い。寝ている間に、随分と人間臭い世界になってしまっておりました。でも、それももう終わり。もうすぐ、もうすぐ私が完成します』
ヤマトは続いて言った。
「何故、こんなことするんだ!!」
『腹が減れば餌を取るでしょう?』
会話の最中だが、久永は別の場所が気になっていた。並列するビルの屋上。
……誰かいる。
「そちは?」
『それは名ですか。存在そのものの意ですか』
久永が問えば、仲間はそちらを向いた。再び幽霊男が少女を見たときには、少女の影もかたちも消えていた。久永は笑いながらも瞳は刃のように研ぎ澄ませた。
「おぬし、蜘蛛の子を逃がしたな?」
『あれは客です』
悪びれも無く言う。
もう一つのビルの屋上、その中央部に鎮座していたのは顔も、身体も隠した背の低い人型であった。背中には木製で縦長の箱を背負いつつ、風呂敷を足場にして正座し、茶を飲んでいた。
ほのかは前に出てみたが、冬佳が肩を掴んで首を横に振った。まだ、『アレ』が何か分かったものでは無い。
「……えーっと、名前は?」
『はい。「薬売り」と申しますが』
「薬売り、さん」
『はい。必要な「者」に必要な「物」を与えております。時には金もとります』
「えーっと……古妖さん?」
『人間が決めた呼び名の意を理解しませんが。つい最近生まれた獣たちに比べれば、遥か永い時を生きておりますが』
「じゃあ、古妖さんだ」
再び薬売りは、茶を口にした。夏南は頭を抱えてから、
「一応、聞くけど。殺芽が一連の血のない死体の事件の首謀者?』
『はて、使い道は知りませぬ故』
冬佳は予想を公開する。血を啜り、肉を貪り、糸で操る妖怪の名を――。
「あれは、女郎蜘蛛というものですか?」
『はい。部類としては、それと似たようなものでしょうが。しかし、彼女は最近生まれましたが。この薬売りの言う最近は、人間からしてみれば数年でしょうが』
「つまり、妖であると」
『はい。人間が決めた呼び名の意を理解しませんが。つい最近生まれた獣たちと同じでしょうが』
夏南もそうだが、ほのかは一歩前に出た。何故、この妖怪は。
「何故、そこまで親切に教えてくれるのですか?」
『私には善悪の区別はつきませんが。必要なものに必要なものを与えるのが薬売り。殺芽の情報を対価に、助けて頂きたく』
何やら奇妙な縁は続くようだ。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
