食うなっつって
●
午前六時、五麟市郊外の住宅地。
「――えええええええ!?」
「うるさいなあ母さん。何だよ」
朝っぱらから響き渡った母の絶叫に、息子の秀一は眠い目を擦りながら台所へ降りてきた。ちなみに小五である。母は秀一を振り返り、どうせ意味も無いだろうになんか厳かな口調で言ってきた。
「秀一。残念なお知らせがあるわ」
「それは残念だ。聞きたくないけど一応聞きましょうか?」
「今日は、朝ごはん抜きよ」
秀一は一瞬フリーズし、すぐにははは、と乾いた笑いを上げた。「何故? 俺は後ろめたいこと何もしてないよ。毎日真面目に生きてるし、テストの点だって80を切ったことは無い。それがどうしていきなり朝食を抜かれなきゃいけないんだ? バカ言ってないでさっさと作れよババアアアアア!」
「だって無いんだものおおおお!」
「何があああああ!?」
「中身がああああああ!」
「中身ってええ、何のことだあああああああああぅあ!?」
「冷蔵庫の!」
「――何? 冷蔵庫?」
あー朝から叫びすぎた、と呟きながら秀一は母に歩み寄り、その正面の冷蔵庫を覗き込む。――確かに無かった。空っぽだ。三人核家族の家にはちょっと大きすぎるその6ドアの冷蔵庫には、まるで今日届いたかのようにミネラルウォーターの一本も入っていない。普段は壁に浮いている霜すらも綺麗さっぱり無くなっていた。
「――いや、いやいやいや。まだ諦めるには早いぜオカン。冷蔵庫以外にも食べ物はあるじゃないか。パンに缶詰にカップラーメン。そうだラーメンにしよう。たまには朝からラーメンも悪くないよ」
そう言う秀一に、母は無言で戸棚を親指で指す。秀一は戸棚に歩み寄り、それを開ける。――やはり空だった。秀一は母を振り返り、母は肩を竦める。
「――クールに肩竦めてる場合かあああああ! 何だよこれ!? なんでこんなことに!?」
「知らないわよ私だって! 泥棒でも入ったんじゃないの!?」
「だったら警察を呼べええええじゃねえ! とりあえず朝飯を何とかしろ! 俺が学校行くまでに!」
「ノコノコ朝ごはんなんて作ってる場合じゃないでしょうがあああああああ!」
「そこは拒否するなああああ! いいから作れババアアアアア!」
ごとり、と秀一の背後で音がした。秀一と母が振り返る。
もう一つの、調味料が入っている棚――そこを開けて、醤油のペットボトルをラッパ飲みしているやつがいた。身長1.5メートル前後。赤毛のおかっぱ頭の少女だ。それが醤油を両手持ちにして、ぐびぐびと一気飲みしている。
少女が気づいて二人に目をやり、ぺこり、と小さく会釈した。「「――お」」
「「お前かアアアアアアアアアアアア亜あああああああああああああ!!」」
「――ぴぃっ!?」
秀一と母が猛然と襲い掛かり、少女は蓋をした醤油のペットボトルを小脇に抱えて逃げを打った。
「おーい母さんに秀一。なんだ朝から。うるさいなあ」
午前六時半。今更起きてきた父は、台所の惨状を見て目を丸くした。――いったいどんだけファンキーな追いかけっこをしたのか、家具という家具がぶっ倒れ、その中央で母と秀一が汗だくでぶっ倒れている。「「……に」」
「「逃げられた……」」
「……何に?」
●
「というわけで、この食い意地の張った古妖をなんとかしてくれ」
久方相馬(nCL2000004)は予知夢の顛末を説明し、最後にそう締めくくった。「……古妖なの?」覚者の一人が訊き、相馬は頷く。
「古妖・赤赤熊《アカシャグマ》。夜になって家人が眠ると現れて、食べ物を勝手に食っちまう妖怪なんだそうだ。他にも寝てる家人をくすぐったり、悪戯する場合もあるそうなんだが、今回の個体は食い意地に特化してるな」
「どうして古妖だと? 確率は高くないが、人間の女の子の可能性もある」
「ただの女の子なら、そもそも予知夢を見ない」
「……成程」
「で、そのアカシャグマをどうすれば?」
訊かれ、相馬はそちらを振り返る。「今回は派手な戦闘にはならない。ただ、こないだの青女房とかと違うのは、はっきり実害が出てることだな。人ん家のもの勝手に食べてるわけだから。だから、最悪攻撃しても構わない。少なくとも、盗み食いをやめさせる必要はある」
「具体的には、どうやって?」
「捕まえて説教する、が一番妥当じゃないかな。どうやって捕まえて、どんな説教するかはお前らで考えてくれ。その後はまあ、追い出すなり何なり適当に」
いかにも適当感の漂う相馬の言葉に、覚者達は顔を見合わせる。相馬はぱんぱんと手を叩いた。「さあさあ」
「家に行って、家人と話して、古妖を捕まえて説教する。日常回と侮るなかれ。やること結構たくさんあるぞ。さっそく作戦会議に入ってくれ」
日常回? と覚者が訊き返し、こっちの話、と相馬は返した。
午前六時、五麟市郊外の住宅地。
「――えええええええ!?」
「うるさいなあ母さん。何だよ」
朝っぱらから響き渡った母の絶叫に、息子の秀一は眠い目を擦りながら台所へ降りてきた。ちなみに小五である。母は秀一を振り返り、どうせ意味も無いだろうになんか厳かな口調で言ってきた。
「秀一。残念なお知らせがあるわ」
「それは残念だ。聞きたくないけど一応聞きましょうか?」
「今日は、朝ごはん抜きよ」
秀一は一瞬フリーズし、すぐにははは、と乾いた笑いを上げた。「何故? 俺は後ろめたいこと何もしてないよ。毎日真面目に生きてるし、テストの点だって80を切ったことは無い。それがどうしていきなり朝食を抜かれなきゃいけないんだ? バカ言ってないでさっさと作れよババアアアアア!」
「だって無いんだものおおおお!」
「何があああああ!?」
「中身がああああああ!」
「中身ってええ、何のことだあああああああああぅあ!?」
「冷蔵庫の!」
「――何? 冷蔵庫?」
あー朝から叫びすぎた、と呟きながら秀一は母に歩み寄り、その正面の冷蔵庫を覗き込む。――確かに無かった。空っぽだ。三人核家族の家にはちょっと大きすぎるその6ドアの冷蔵庫には、まるで今日届いたかのようにミネラルウォーターの一本も入っていない。普段は壁に浮いている霜すらも綺麗さっぱり無くなっていた。
「――いや、いやいやいや。まだ諦めるには早いぜオカン。冷蔵庫以外にも食べ物はあるじゃないか。パンに缶詰にカップラーメン。そうだラーメンにしよう。たまには朝からラーメンも悪くないよ」
そう言う秀一に、母は無言で戸棚を親指で指す。秀一は戸棚に歩み寄り、それを開ける。――やはり空だった。秀一は母を振り返り、母は肩を竦める。
「――クールに肩竦めてる場合かあああああ! 何だよこれ!? なんでこんなことに!?」
「知らないわよ私だって! 泥棒でも入ったんじゃないの!?」
「だったら警察を呼べええええじゃねえ! とりあえず朝飯を何とかしろ! 俺が学校行くまでに!」
「ノコノコ朝ごはんなんて作ってる場合じゃないでしょうがあああああああ!」
「そこは拒否するなああああ! いいから作れババアアアアア!」
ごとり、と秀一の背後で音がした。秀一と母が振り返る。
もう一つの、調味料が入っている棚――そこを開けて、醤油のペットボトルをラッパ飲みしているやつがいた。身長1.5メートル前後。赤毛のおかっぱ頭の少女だ。それが醤油を両手持ちにして、ぐびぐびと一気飲みしている。
少女が気づいて二人に目をやり、ぺこり、と小さく会釈した。「「――お」」
「「お前かアアアアアアアアアアアア亜あああああああああああああ!!」」
「――ぴぃっ!?」
秀一と母が猛然と襲い掛かり、少女は蓋をした醤油のペットボトルを小脇に抱えて逃げを打った。
「おーい母さんに秀一。なんだ朝から。うるさいなあ」
午前六時半。今更起きてきた父は、台所の惨状を見て目を丸くした。――いったいどんだけファンキーな追いかけっこをしたのか、家具という家具がぶっ倒れ、その中央で母と秀一が汗だくでぶっ倒れている。「「……に」」
「「逃げられた……」」
「……何に?」
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「というわけで、この食い意地の張った古妖をなんとかしてくれ」
久方相馬(nCL2000004)は予知夢の顛末を説明し、最後にそう締めくくった。「……古妖なの?」覚者の一人が訊き、相馬は頷く。
「古妖・赤赤熊《アカシャグマ》。夜になって家人が眠ると現れて、食べ物を勝手に食っちまう妖怪なんだそうだ。他にも寝てる家人をくすぐったり、悪戯する場合もあるそうなんだが、今回の個体は食い意地に特化してるな」
「どうして古妖だと? 確率は高くないが、人間の女の子の可能性もある」
「ただの女の子なら、そもそも予知夢を見ない」
「……成程」
「で、そのアカシャグマをどうすれば?」
訊かれ、相馬はそちらを振り返る。「今回は派手な戦闘にはならない。ただ、こないだの青女房とかと違うのは、はっきり実害が出てることだな。人ん家のもの勝手に食べてるわけだから。だから、最悪攻撃しても構わない。少なくとも、盗み食いをやめさせる必要はある」
「具体的には、どうやって?」
「捕まえて説教する、が一番妥当じゃないかな。どうやって捕まえて、どんな説教するかはお前らで考えてくれ。その後はまあ、追い出すなり何なり適当に」
いかにも適当感の漂う相馬の言葉に、覚者達は顔を見合わせる。相馬はぱんぱんと手を叩いた。「さあさあ」
「家に行って、家人と話して、古妖を捕まえて説教する。日常回と侮るなかれ。やること結構たくさんあるぞ。さっそく作戦会議に入ってくれ」
日常回? と覚者が訊き返し、こっちの話、と相馬は返した。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.古妖の捕獲
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
古妖・アカシャグマを捕獲するシナリオです。同古妖を捕獲し、盗み食いを防止することが成功条件となります。
敵? およびサブキャラクターのご紹介です。
・アカシャグマ
古妖。外見は赤毛のおかっぱ少女。食い意地が張っており、逃げ足も速い。
・秀一
小五。のわりに血の気が多い。
・秀一母
母。のわりに血の気が多い。
・秀一父
父。上二人よりは温厚。
作戦はいくつか考えられると思いますが、私が思いつく範囲で書いていきます。
『前夜に秀一宅を訪問し、罠を仕掛ける』
この場合、家人に趣旨説明を行って納得させ、さらに効果的な対人用罠を仕掛ける必要があります。成功すれば最も確実かつ迅速に捕獲までを終わらせることが出来るでしょう。
『深夜に踏み込み(忍び込み)、古妖を捕獲する』
古妖が出現するのを見計らって屋内に侵入、捕獲します。屋内に迅速に侵入する作戦が必要です。
『早朝訪問し、母・秀一と共に古妖を捕獲する』
事件が起きた直後の秀一宅に踏み込み、「話は聞かせてもらった!」します。盗み食いは防げませんが、状況的に入りやすいと言えば入りやすいです。また、この時間帯であれば家の鍵は開いているものとします。
もちろん、ここに挙げた作戦以外で挑んで頂いても結構です。
古妖は逃げ足は速いですが、全く追いつけないほどではありません。また、たとえ鍵が開いていても、家の外には出ないものとします。うまく追い詰めるような作戦を考えてください。
秀一一家はあくまでも一般人です。えらくテンションは高いですが戦闘力は皆無、足の速さも二人がかりで古妖を捕まえられない程度です。……まあ、数合わせぐらいにはなるかもしれませんが。
また、このアカシャグマは一説には座敷わらしの一種とも言われています。ですので方法を一工夫すれば、共存の余地があるのかも知れません。――秀一一家がそれを承諾するかは別問題ですが。
簡単ですが、説明は以上です。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
6日
6日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2016年03月21日
2016年03月21日
■メイン参加者 6人■

●
午後八時。夕飯もすでに片付けられた秀一宅に、訪問者を告げるチャイムが鳴った。「――誰かしら」台所で洗い物をしていた母は手を止め、玄関に向かう。「はい――?」
「すみません」
「夜分遅くに失礼します」
ドアを開けた玄関先には、白髪の少年と黒髪の少女、そこから一歩下がって黒い狐面の女が立っていた。前に立つ二人が挨拶し、黒髪の少女のほうが言葉を続ける。
「初めまして。私は納屋といいます。少し、お話をしたいのですけれど……」
そう言った納屋タヱ子(CL2000019)に、母は小首を傾げる。「……どういったご用件でしょう?」
「私達は《F.i.V.E.》から来た覚者《トゥルーサー》です。ウチの夢見が、今晩こちらのお宅に古妖が出て、お家の食料を全て平らげてしまうという予知夢を見ました。私達はAAAを通じて、妖などの対策の為に警察との協力もしている組織です。年少者の私が言っても信じられないかもしれませんけれど……今言ったことは確実に起きる事件なんです。よろしければ、事件が起きる前に古妖を捕獲させていただければと思います」
「……えー」
趣旨を説明したタヱ子に、母はそんな声を返した。そして、「ちょっと待ってくださいね」顔だけは笑顔でそう言い置き、家内に引き返す。
「お父さーん! ちょっとー!」
「……」「……」
覚者達が暫く待っていると、やがて足音が二つ帰ってきた。「なんだ母さん。お風呂も沸かさないでうるさいなあ」「お客さんだっつってんでしょ。出てよ」
「――はい、こんばんは。どういったご用件でしょう?」
「……えーと」
玄関先に出てきた父に、タヱ子はさっきどう話したっけ、と一瞬考えてから同じ説明を繰り返した。父はふむ、と顎に手を当てて唸る。
「……こないだのニュースで、その、《F.i.V.E.》の話は聞いております。それで、具体的には何をされるおつもりで?」
「古妖は今日の深夜、外ではなくこの家の中に出現します。だからその前に罠を張って待ち伏せ、盗み食いをする前に捕まえます」
白枝遥(CL2000500)がそう言い、父はまたううむ、と唸る。「……今晩はおトイレ行けないね」その背後から母が言う。
「そうだなあ……私達は寝ててもいいんですよね?」
「……そうですね。捕獲は私達で行いますから」
「では、罠を張ったりするのは一階だけにしてください。私達は上で寝てますので」
「……私は起きてるかも。眠れそうにないし」
「僕は明日も仕事なんだ。悪いが意地でも寝させてもらうよ。朝になったら報告を聞く」
「私だって朝早いのに」
「それは母さんが決めることだろ」
「何い」
「ま、まあまあ」
「待てえええええい!」
「「「「!?」」」」
《裏切者》鳴神零(CL2000669)が突然声を上げ、四人が思わず振り返る。零はぴょん、と父母の前に進み出た。何が入っているのか、背中に背負った巨大なリュックが揺れる。「夜中になる前に家に入ってもいい? ちょっと考えがあって。仏壇ある?」
「ぶ、仏壇? ――あるが」
「アカシャグマってさ、仏壇から出てくる妖怪だったと思うんだよね。じゃ、お邪魔しまーす」
「「「「あ」」」」
答えを待たず、零はまたぴょんとあっさり家の中に上がり込んだ。「ちょ、鳴神さん」「罠仕掛けるのだって時間いるでしょ? いつまでも喋ってらんないよ」静止も聞かず、零はよいひょいと家の奥へ進んでいく。父母は呆気に取られてそれを見送り、やがてタヱ子と遥に向き直る。二人は顔を見合わせ、父母に向き直り、
「「……お邪魔してもよろしいでしょうか」」
「……もう入ってんじゃん」
同時刻、秀一宅から50mほど離れた公園で、静かに目を閉じていた上月・里桜(CL2001274)がその目を開いた。振り返る。
「望月さん、秀一さん宅の間取りは把握しました。特に問題無く、普通のお宅みたいですね。広すぎず狭すぎず」
「分かりました。……これで止まってくれればいいのですが」
望月・夢(CL2001307)はそう応え、持ってきた『罠』を見下ろした。――確かに、あの家に古妖がいる。夢にはそれが分かった。今のところ、敵意は感じない。それどころか、存在を感知してから今まで殆ど動きを感じなかった。――案外寝ているのかもしれない。
「お待たせ。此方の準備は出来たよ」
《白い人》由比久永(CL2000540)が、そう言いながら公園に入ってきた。いつもの着物姿で、手には食料品がぱんぱんに詰まったコンビニ袋を提げている。「お疲れ様です。――コンビニですか」夢が言い、久永が頷く。
「他に店が無かったものでね。妖を捕まえる為とはいえ、家人の食料を犠牲にするのは忍びないからな。これで古妖を誘き出すとしよう」
「――じゃあ、作戦の確認でもしましょうか。お宅の間取りも細かく説明しますので」
「お願いします」「よしなに」
言って、三人は公園のベンチに腰を下ろす。「おお~い!」不意に声が響き、三人はそちらを振り返る。「あら、鳴神さん」
「どうしたね? そちらの説得はうまくいったのかな」
「そりゃもう、うまくやってんよー。それよりほいこれ」
零は言うとどすん、と背中のリュックを下ろし、中からタッパーを三つ出してそれぞれ三人に渡した。蓋を開けると、湯気と共に甘い香りが広がる。芋の煮っ転がし。「ほい箸」「あ、どうも」
「……鳴神さん、これは?」
「陣中見舞いだよー。風邪ひくなよー。たらふく食えよー。じゃ」
「じゃ、って――あ」
用事が済むと、零はさっさと踵を返してしまった。当然だ。これから夜が更けるまでに罠の準備をしなければならない。それはいいのだが。「……あのリュック、全部芋なのかしら」
「私達用と、古妖用と、秀一さん達の朝ごはん用だとしたら……多分」
「……」
「……とりあえず、頂こうか」
「ええ」
いただきます、と言って三人は芋煮を口に運ぶ。「……おいしい」「温まりますね」「うむ、悪くない……悪くない、のだが」
「「「……なんで芋?」」」
ひゅう、と夜風が一つ吹いた。
●
秀一宅の仏壇は二階、六畳の座敷にあった。
深夜。仏壇の前の畳からにゅっと古妖――アカシャグマの頭が生える。古妖は周囲を見回し、
「……」
目の前の『それ』を発見した。――芋だ。わりと大きな皿に、芋の煮っ転がしが堆くこれでもかと積まれている。匂いを嗅ぎ、周囲を見回し、古妖は慎重に床から全身を出した。芋を一つ掴んで口に入れる。もぐもぐやりながらもう一度周囲を見回し、それから本格的に食いに入った。両手を使ってえらい勢いで芋を口に放り込んでいく。
「――こんばんは、と」
「!?」
言葉と共に、明かりが灯った。古妖は弾かれたように見上げる。忍び足で近寄った零が、守護使役《キッド》の明かりの向こうで小首を傾げた。
「ちょっとお話しない? 赤い赤い座敷童さん」
「――」
古妖は暫く目を丸くして零を見上げていたが、やがて零と目の前の芋を見比べ始めた。「……」零は小首を傾げるが、まだ動かずに静観する。零が動かないのを見て取り――古妖は、食事を再開した。目の前の芋を口に運び始める。「……」チャンスか。チャンスってことでいいのか。零は少し考え、やがて古妖に手を伸ばした。
「……捕獲、っと」
「!」
零の手が肩に触れた瞬間、古妖は弾かれたように立ち上がって走り出した。「っとと」何とか反応した零がその進路を塞ぐように回り込む。すると古妖はさらに加速して反対側から零の傍らをすり抜けた。零は振り返りながら考える。まだ最大戦速なら捕捉できる。あるいは《雷獣》も射程内だ。
しかし、零はどちらも選ばず、階段を降りていく古妖を見送った。その目が隣の部屋を見る。寝室。「うるさくするな」というのが秀一父から出された二階で行動する際の条件だった。ここでは本気は出せない。
「……いきなり攻撃ってのもなんだし、ね」
肩を竦め、呟いた。
息を弾ませ階段を降りた古妖は、ちらりと階段を振り返り、それからとたとたと廊下を走り始めた。台所に入り、冷蔵庫を開けた。「……?」小首を傾げる。続いてその隣の戸棚を開ける。「……?」さらに大きく首を傾げる。周囲を見回し、またとたとたと走り始めた。開けっ放しの冷蔵庫と戸棚には、何も無い。
やがて古妖は、一つの部屋の前で立ち止まった。一階の隅にある小部屋。普段は物置に使われている部屋だ。扉を開ける。
「……おお」
古妖が声を上げる。物置の中はどういうわけか綺麗に片付けられ、その中央に白いシーツが敷かれ、その上に食料品が山と積まれていた。古妖は暫し食料品の山に見入り、やがて部屋の中に一歩を
「」
踏み出せなかった。足が動かない。足元を見る。部屋の前に敷かれたマットに両足が粘着して動かなかった。ん、ん、と力を込めるが、さっぱり動かない。
「――こんばんは」
「!?」
古妖は声がしたほうを振り返る。望月・夢。粘着マットは彼女の仕業だった。「――そこにある食べ物は、貴女のものではありません。勝手に食べるのは悪いことです。悪いことをすると天罰が降ります。――そんな風に」
夢が粘着マットを指差す。古妖はなおも足を外そうと力を込めた。すると、
「あ」
コケた。一瞬両足がマットごと宙に浮き、そのまま前のめりにぶっ倒れる。顔から床にぶち当たり、一瞬の間を置き、古妖は両手をついてのろのろと上体を起こした。
「う……ふえ……」
「……」
半泣きである。夢は小首を傾げて暫く半泣きの古妖を見つめ、やがてため息を吐いた。古妖の傍に跪き、マットを足から外してやる。
「ごめんなさいね。大丈夫ですか? 怪我してるなら言ってください」
言って、古妖の顔を見る。古妖は足が外れたのを確認し、涙の浮いた目を擦り、夢の顔を間近で見て、口を開いた。
「ぶわーか」
「」
古妖は立ち上がり、物置に入る。「へへ」微笑み、食料の山に手をかける。
「?」
手に取った幕の内弁当に、糸が結んであるのが見えた。その糸は弁当を引くと一瞬だけ突っ張り、すぐにぶつん、と切れた。
「!?」
古妖の頭上から網が落ちた。古妖は何とか外そうとするが、この手の網は暴れれば暴れるほど絡まるものである。
「子供の姿だから今までは見つかっても大丈夫だったのかもしれないけど……昔はともかく、今は立派な窃盗罪だからね。君がそういう古妖なのは知ってるけれど、勝手に入って食料を食べるのはよくないよ」
言いながら遥が入ってくる。古妖はしばらくもがいていたが、疲れたのかやがて静かになった。遥が屈むと、網の向こうから古妖が見返してくる。
「ね。盗み食いなんかやめようよ。じゃないと――捕まって銀色の歯の化物のお腹に詰め込まれちゃうからねえええええ」
言いながら目一杯怖そうに笑ってみた。ついでに両手も上げてみる。
「~~~~!」
効果覿面だった。古妖はみるみるぷるぷる震え出し、その身体が赤い光を放ち始める。「……はい?」
「!?」
光が弾けた。光が去った後を遥が見ると――古妖は網を抜け出し、網は破られた風もなくその足元に敷かれている。「……な」
「何、したの、かな……?」
「ひっさつ、こようばーすと」
「必殺古妖バースト!?」
「ふん」
古妖はえへん、と胸を張り、それから食料の山を離れて逃げようとした。
瞬間、
「!?」
古妖がコケた。「おっと」遥もバランスを崩しかけるが、持ち堪える。
「よく食べるのは良いことだが、人の家のものを盗むのは……よくないな」
物陰に隠れていた久永が出てきた。床に敷いていたシーツを思い切り引っ張り、古妖を転ばせたのである。「……」古妖は倒れたまま動かない。「……あの、大丈夫?」遥が屈み、声をかける。
「……や」
「うん? や?」
「……やる気、失せた」
「……」「……」
遥と久永が固まる。古妖も倒れたまま動かない。――やがて遥が網を拾い、古妖の上にかけた。「捕獲完了」
●
「いいですか。冷蔵庫を一晩で空にするぐらい食べたら、お家の人にも迷惑でしょう? それに、食材をそのまま食べるのはよくありません。美味しくないし。調理したほうがずっと美味しいと思いますよ」
翌朝。捕獲された古妖に里桜はそう懇々と説教した。古妖は静かに聞き入っている――ように見える。
「あの古妖は、座敷童の一種です。彼女を置いておけばこの家に繁栄を呼び込んでくれると思います。座敷童子に毎日膳を備える風習もありますので、アカシャグマさんの分のご飯も作ってあげれば食料を荒されずに済みますし、この家もより繁栄に向かうと思われます」
「うーん……そう言われてもねえ……」
夢の言葉を聞き、秀一母は小首を傾げる。「僕も座敷童子なら聞いた事あるよ。没落回避の対処法もあるにはある――まず家を土地ごと売却、そうして無人になった家から座敷童子が出て行くのを確認したら買い戻す……だったかな?」
「話がでかすぎるよ。なんであいつのためにそんな手間を踏まなきゃいけないんだ」
遥の言葉に秀一が食って掛かる。「あ、勿論昔聞いた話なので。お気になさらず」「気にするなっつってもさ」
「でも、長い間一人で居るのは寂しかっただろうなって……思うんです。新しい妹とか、どうですか?」
「……」「……」
秀一と秀一母が顔を見合わせる。「秀一ちゃん家は幸運だよ」零がさらに言い募る。
「この子は、座敷童みたいなものだからね。君達には幸運があるから、住まわせた方がいい。出て行かせると大変な事が起きるし……くすぐられたり残飯あさったり枕元で騒ぐ子だけど、悪い子じゃないから。そういう子なの。賑やかな一家にはお似合いの妖怪じゃないの。だから、ここを選んで住み着いたのでしょう?」
言って、零は古妖を見る。「ね?」「……」
「帰る」
「「「「え」」」」
古妖は言うなりぴょん、とジャンプした。着地と同時にその身体が床に沈んでいき、やがて消える。「……」「……」「……」「……」
「……帰っちゃったけど」
「ど、どーすんだよこれ?」
「……と、とりあえず、さっき申し上げた据え膳、やってみてください。それでまた再発するようなら」
「「するようなら?」」
「……ゆ、夢見が予知すると思いますので、また来ます」
「対症療法かよ」
「……」
里桜は、静かに微笑んだ。ずっと古妖の顔を見て説教していた彼女には、消え去った古妖の表情が見えていた。また来る――それもいいかも知れない。きっと彼女は、楽しく遊んでいるだけだったのだ。
「なんだか、ほのぼのした事件でしたね」
「たまにはそれもよかろう。――しかし、そろそろ余もお腹空いたのう。朝食のご相伴に預かれんものかね」
タヱ子と久永は物置の片付け――というか、片付けた物置に物を戻す作業をしていた。久永が現場となった物置の現状復帰を引き受け、タヱ子もその手伝いに回ったのである。
「うまく共存できるといいのですが」
「あの家族に任せるさ。するかしないかは家人の決めること。悪事が未然に防げただけでよしとすべきだろう」
「――そうですね。私達の力は、人間を護るためにあるのでしょうから」
「面白かった。またね」
「――うん?」
不意に聞こえた声に、久永は思わず振り返った。「……どうされました?」タヱ子がきょとん顔で見返してくる。「……いや」久永はそう言って正面に向き直り、ふっと微笑んだ。
「食事というのは皆で食べた方が美味しい――良い子にしておれば母御殿が、そなたにも美味しい食事を用意してくれよう」
その言葉への答えは無かった。――とっくにどこかへ遊びに行ったのだろう。
午後八時。夕飯もすでに片付けられた秀一宅に、訪問者を告げるチャイムが鳴った。「――誰かしら」台所で洗い物をしていた母は手を止め、玄関に向かう。「はい――?」
「すみません」
「夜分遅くに失礼します」
ドアを開けた玄関先には、白髪の少年と黒髪の少女、そこから一歩下がって黒い狐面の女が立っていた。前に立つ二人が挨拶し、黒髪の少女のほうが言葉を続ける。
「初めまして。私は納屋といいます。少し、お話をしたいのですけれど……」
そう言った納屋タヱ子(CL2000019)に、母は小首を傾げる。「……どういったご用件でしょう?」
「私達は《F.i.V.E.》から来た覚者《トゥルーサー》です。ウチの夢見が、今晩こちらのお宅に古妖が出て、お家の食料を全て平らげてしまうという予知夢を見ました。私達はAAAを通じて、妖などの対策の為に警察との協力もしている組織です。年少者の私が言っても信じられないかもしれませんけれど……今言ったことは確実に起きる事件なんです。よろしければ、事件が起きる前に古妖を捕獲させていただければと思います」
「……えー」
趣旨を説明したタヱ子に、母はそんな声を返した。そして、「ちょっと待ってくださいね」顔だけは笑顔でそう言い置き、家内に引き返す。
「お父さーん! ちょっとー!」
「……」「……」
覚者達が暫く待っていると、やがて足音が二つ帰ってきた。「なんだ母さん。お風呂も沸かさないでうるさいなあ」「お客さんだっつってんでしょ。出てよ」
「――はい、こんばんは。どういったご用件でしょう?」
「……えーと」
玄関先に出てきた父に、タヱ子はさっきどう話したっけ、と一瞬考えてから同じ説明を繰り返した。父はふむ、と顎に手を当てて唸る。
「……こないだのニュースで、その、《F.i.V.E.》の話は聞いております。それで、具体的には何をされるおつもりで?」
「古妖は今日の深夜、外ではなくこの家の中に出現します。だからその前に罠を張って待ち伏せ、盗み食いをする前に捕まえます」
白枝遥(CL2000500)がそう言い、父はまたううむ、と唸る。「……今晩はおトイレ行けないね」その背後から母が言う。
「そうだなあ……私達は寝ててもいいんですよね?」
「……そうですね。捕獲は私達で行いますから」
「では、罠を張ったりするのは一階だけにしてください。私達は上で寝てますので」
「……私は起きてるかも。眠れそうにないし」
「僕は明日も仕事なんだ。悪いが意地でも寝させてもらうよ。朝になったら報告を聞く」
「私だって朝早いのに」
「それは母さんが決めることだろ」
「何い」
「ま、まあまあ」
「待てえええええい!」
「「「「!?」」」」
《裏切者》鳴神零(CL2000669)が突然声を上げ、四人が思わず振り返る。零はぴょん、と父母の前に進み出た。何が入っているのか、背中に背負った巨大なリュックが揺れる。「夜中になる前に家に入ってもいい? ちょっと考えがあって。仏壇ある?」
「ぶ、仏壇? ――あるが」
「アカシャグマってさ、仏壇から出てくる妖怪だったと思うんだよね。じゃ、お邪魔しまーす」
「「「「あ」」」」
答えを待たず、零はまたぴょんとあっさり家の中に上がり込んだ。「ちょ、鳴神さん」「罠仕掛けるのだって時間いるでしょ? いつまでも喋ってらんないよ」静止も聞かず、零はよいひょいと家の奥へ進んでいく。父母は呆気に取られてそれを見送り、やがてタヱ子と遥に向き直る。二人は顔を見合わせ、父母に向き直り、
「「……お邪魔してもよろしいでしょうか」」
「……もう入ってんじゃん」
同時刻、秀一宅から50mほど離れた公園で、静かに目を閉じていた上月・里桜(CL2001274)がその目を開いた。振り返る。
「望月さん、秀一さん宅の間取りは把握しました。特に問題無く、普通のお宅みたいですね。広すぎず狭すぎず」
「分かりました。……これで止まってくれればいいのですが」
望月・夢(CL2001307)はそう応え、持ってきた『罠』を見下ろした。――確かに、あの家に古妖がいる。夢にはそれが分かった。今のところ、敵意は感じない。それどころか、存在を感知してから今まで殆ど動きを感じなかった。――案外寝ているのかもしれない。
「お待たせ。此方の準備は出来たよ」
《白い人》由比久永(CL2000540)が、そう言いながら公園に入ってきた。いつもの着物姿で、手には食料品がぱんぱんに詰まったコンビニ袋を提げている。「お疲れ様です。――コンビニですか」夢が言い、久永が頷く。
「他に店が無かったものでね。妖を捕まえる為とはいえ、家人の食料を犠牲にするのは忍びないからな。これで古妖を誘き出すとしよう」
「――じゃあ、作戦の確認でもしましょうか。お宅の間取りも細かく説明しますので」
「お願いします」「よしなに」
言って、三人は公園のベンチに腰を下ろす。「おお~い!」不意に声が響き、三人はそちらを振り返る。「あら、鳴神さん」
「どうしたね? そちらの説得はうまくいったのかな」
「そりゃもう、うまくやってんよー。それよりほいこれ」
零は言うとどすん、と背中のリュックを下ろし、中からタッパーを三つ出してそれぞれ三人に渡した。蓋を開けると、湯気と共に甘い香りが広がる。芋の煮っ転がし。「ほい箸」「あ、どうも」
「……鳴神さん、これは?」
「陣中見舞いだよー。風邪ひくなよー。たらふく食えよー。じゃ」
「じゃ、って――あ」
用事が済むと、零はさっさと踵を返してしまった。当然だ。これから夜が更けるまでに罠の準備をしなければならない。それはいいのだが。「……あのリュック、全部芋なのかしら」
「私達用と、古妖用と、秀一さん達の朝ごはん用だとしたら……多分」
「……」
「……とりあえず、頂こうか」
「ええ」
いただきます、と言って三人は芋煮を口に運ぶ。「……おいしい」「温まりますね」「うむ、悪くない……悪くない、のだが」
「「「……なんで芋?」」」
ひゅう、と夜風が一つ吹いた。
●
秀一宅の仏壇は二階、六畳の座敷にあった。
深夜。仏壇の前の畳からにゅっと古妖――アカシャグマの頭が生える。古妖は周囲を見回し、
「……」
目の前の『それ』を発見した。――芋だ。わりと大きな皿に、芋の煮っ転がしが堆くこれでもかと積まれている。匂いを嗅ぎ、周囲を見回し、古妖は慎重に床から全身を出した。芋を一つ掴んで口に入れる。もぐもぐやりながらもう一度周囲を見回し、それから本格的に食いに入った。両手を使ってえらい勢いで芋を口に放り込んでいく。
「――こんばんは、と」
「!?」
言葉と共に、明かりが灯った。古妖は弾かれたように見上げる。忍び足で近寄った零が、守護使役《キッド》の明かりの向こうで小首を傾げた。
「ちょっとお話しない? 赤い赤い座敷童さん」
「――」
古妖は暫く目を丸くして零を見上げていたが、やがて零と目の前の芋を見比べ始めた。「……」零は小首を傾げるが、まだ動かずに静観する。零が動かないのを見て取り――古妖は、食事を再開した。目の前の芋を口に運び始める。「……」チャンスか。チャンスってことでいいのか。零は少し考え、やがて古妖に手を伸ばした。
「……捕獲、っと」
「!」
零の手が肩に触れた瞬間、古妖は弾かれたように立ち上がって走り出した。「っとと」何とか反応した零がその進路を塞ぐように回り込む。すると古妖はさらに加速して反対側から零の傍らをすり抜けた。零は振り返りながら考える。まだ最大戦速なら捕捉できる。あるいは《雷獣》も射程内だ。
しかし、零はどちらも選ばず、階段を降りていく古妖を見送った。その目が隣の部屋を見る。寝室。「うるさくするな」というのが秀一父から出された二階で行動する際の条件だった。ここでは本気は出せない。
「……いきなり攻撃ってのもなんだし、ね」
肩を竦め、呟いた。
息を弾ませ階段を降りた古妖は、ちらりと階段を振り返り、それからとたとたと廊下を走り始めた。台所に入り、冷蔵庫を開けた。「……?」小首を傾げる。続いてその隣の戸棚を開ける。「……?」さらに大きく首を傾げる。周囲を見回し、またとたとたと走り始めた。開けっ放しの冷蔵庫と戸棚には、何も無い。
やがて古妖は、一つの部屋の前で立ち止まった。一階の隅にある小部屋。普段は物置に使われている部屋だ。扉を開ける。
「……おお」
古妖が声を上げる。物置の中はどういうわけか綺麗に片付けられ、その中央に白いシーツが敷かれ、その上に食料品が山と積まれていた。古妖は暫し食料品の山に見入り、やがて部屋の中に一歩を
「」
踏み出せなかった。足が動かない。足元を見る。部屋の前に敷かれたマットに両足が粘着して動かなかった。ん、ん、と力を込めるが、さっぱり動かない。
「――こんばんは」
「!?」
古妖は声がしたほうを振り返る。望月・夢。粘着マットは彼女の仕業だった。「――そこにある食べ物は、貴女のものではありません。勝手に食べるのは悪いことです。悪いことをすると天罰が降ります。――そんな風に」
夢が粘着マットを指差す。古妖はなおも足を外そうと力を込めた。すると、
「あ」
コケた。一瞬両足がマットごと宙に浮き、そのまま前のめりにぶっ倒れる。顔から床にぶち当たり、一瞬の間を置き、古妖は両手をついてのろのろと上体を起こした。
「う……ふえ……」
「……」
半泣きである。夢は小首を傾げて暫く半泣きの古妖を見つめ、やがてため息を吐いた。古妖の傍に跪き、マットを足から外してやる。
「ごめんなさいね。大丈夫ですか? 怪我してるなら言ってください」
言って、古妖の顔を見る。古妖は足が外れたのを確認し、涙の浮いた目を擦り、夢の顔を間近で見て、口を開いた。
「ぶわーか」
「」
古妖は立ち上がり、物置に入る。「へへ」微笑み、食料の山に手をかける。
「?」
手に取った幕の内弁当に、糸が結んであるのが見えた。その糸は弁当を引くと一瞬だけ突っ張り、すぐにぶつん、と切れた。
「!?」
古妖の頭上から網が落ちた。古妖は何とか外そうとするが、この手の網は暴れれば暴れるほど絡まるものである。
「子供の姿だから今までは見つかっても大丈夫だったのかもしれないけど……昔はともかく、今は立派な窃盗罪だからね。君がそういう古妖なのは知ってるけれど、勝手に入って食料を食べるのはよくないよ」
言いながら遥が入ってくる。古妖はしばらくもがいていたが、疲れたのかやがて静かになった。遥が屈むと、網の向こうから古妖が見返してくる。
「ね。盗み食いなんかやめようよ。じゃないと――捕まって銀色の歯の化物のお腹に詰め込まれちゃうからねえええええ」
言いながら目一杯怖そうに笑ってみた。ついでに両手も上げてみる。
「~~~~!」
効果覿面だった。古妖はみるみるぷるぷる震え出し、その身体が赤い光を放ち始める。「……はい?」
「!?」
光が弾けた。光が去った後を遥が見ると――古妖は網を抜け出し、網は破られた風もなくその足元に敷かれている。「……な」
「何、したの、かな……?」
「ひっさつ、こようばーすと」
「必殺古妖バースト!?」
「ふん」
古妖はえへん、と胸を張り、それから食料の山を離れて逃げようとした。
瞬間、
「!?」
古妖がコケた。「おっと」遥もバランスを崩しかけるが、持ち堪える。
「よく食べるのは良いことだが、人の家のものを盗むのは……よくないな」
物陰に隠れていた久永が出てきた。床に敷いていたシーツを思い切り引っ張り、古妖を転ばせたのである。「……」古妖は倒れたまま動かない。「……あの、大丈夫?」遥が屈み、声をかける。
「……や」
「うん? や?」
「……やる気、失せた」
「……」「……」
遥と久永が固まる。古妖も倒れたまま動かない。――やがて遥が網を拾い、古妖の上にかけた。「捕獲完了」
●
「いいですか。冷蔵庫を一晩で空にするぐらい食べたら、お家の人にも迷惑でしょう? それに、食材をそのまま食べるのはよくありません。美味しくないし。調理したほうがずっと美味しいと思いますよ」
翌朝。捕獲された古妖に里桜はそう懇々と説教した。古妖は静かに聞き入っている――ように見える。
「あの古妖は、座敷童の一種です。彼女を置いておけばこの家に繁栄を呼び込んでくれると思います。座敷童子に毎日膳を備える風習もありますので、アカシャグマさんの分のご飯も作ってあげれば食料を荒されずに済みますし、この家もより繁栄に向かうと思われます」
「うーん……そう言われてもねえ……」
夢の言葉を聞き、秀一母は小首を傾げる。「僕も座敷童子なら聞いた事あるよ。没落回避の対処法もあるにはある――まず家を土地ごと売却、そうして無人になった家から座敷童子が出て行くのを確認したら買い戻す……だったかな?」
「話がでかすぎるよ。なんであいつのためにそんな手間を踏まなきゃいけないんだ」
遥の言葉に秀一が食って掛かる。「あ、勿論昔聞いた話なので。お気になさらず」「気にするなっつってもさ」
「でも、長い間一人で居るのは寂しかっただろうなって……思うんです。新しい妹とか、どうですか?」
「……」「……」
秀一と秀一母が顔を見合わせる。「秀一ちゃん家は幸運だよ」零がさらに言い募る。
「この子は、座敷童みたいなものだからね。君達には幸運があるから、住まわせた方がいい。出て行かせると大変な事が起きるし……くすぐられたり残飯あさったり枕元で騒ぐ子だけど、悪い子じゃないから。そういう子なの。賑やかな一家にはお似合いの妖怪じゃないの。だから、ここを選んで住み着いたのでしょう?」
言って、零は古妖を見る。「ね?」「……」
「帰る」
「「「「え」」」」
古妖は言うなりぴょん、とジャンプした。着地と同時にその身体が床に沈んでいき、やがて消える。「……」「……」「……」「……」
「……帰っちゃったけど」
「ど、どーすんだよこれ?」
「……と、とりあえず、さっき申し上げた据え膳、やってみてください。それでまた再発するようなら」
「「するようなら?」」
「……ゆ、夢見が予知すると思いますので、また来ます」
「対症療法かよ」
「……」
里桜は、静かに微笑んだ。ずっと古妖の顔を見て説教していた彼女には、消え去った古妖の表情が見えていた。また来る――それもいいかも知れない。きっと彼女は、楽しく遊んでいるだけだったのだ。
「なんだか、ほのぼのした事件でしたね」
「たまにはそれもよかろう。――しかし、そろそろ余もお腹空いたのう。朝食のご相伴に預かれんものかね」
タヱ子と久永は物置の片付け――というか、片付けた物置に物を戻す作業をしていた。久永が現場となった物置の現状復帰を引き受け、タヱ子もその手伝いに回ったのである。
「うまく共存できるといいのですが」
「あの家族に任せるさ。するかしないかは家人の決めること。悪事が未然に防げただけでよしとすべきだろう」
「――そうですね。私達の力は、人間を護るためにあるのでしょうから」
「面白かった。またね」
「――うん?」
不意に聞こえた声に、久永は思わず振り返った。「……どうされました?」タヱ子がきょとん顔で見返してくる。「……いや」久永はそう言って正面に向き直り、ふっと微笑んだ。
「食事というのは皆で食べた方が美味しい――良い子にしておれば母御殿が、そなたにも美味しい食事を用意してくれよう」
その言葉への答えは無かった。――とっくにどこかへ遊びに行ったのだろう。
