そして、逆位置の愚者。
●
女は憎んだ。
確かに、その男と結ばれたのは本望では無かった。諦観が胸の奥底で呻いた居たのを否定する心算は、彼女には無い。だが伴侶として共に暮らせば、情も湧く。だから、裏切られれば憎悪もする。
男は懊悩した。
その狂いゆく女を救いたかった。そしてその方法が分からなかった。
だから男は、せめてその哀れな女の生き方を無条件に肯定してやりたかった。
―――蜘蛛は嗤った。
人間など愚かな生き物だと嘲笑する。何時の時代も同様だ。
異形を排除した後に何が残ると云う? 何も変わらぬ。
其処には只、人間同士の争いが残るだけ。
「ならば無為に踊るが良い。どうせ、長き生にぽつり漂う瞬刻の余興に過ぎぬ」
●
丑三つ時に鬼が現れる。
そんな噂話を信じる訳も無く、青年は体内のアルコール分解を促進させるように夜道を歩いていた。
彼がその腕時計を確認することはなかったから、丁度この時刻が“丑三つ時”だったことは、単なる最悪の偶然に過ぎなかった。
人通りの多い駅前の商店街を抜けると、世界が変わったかのように暗く寂しい街路へと接続を切り替える。
『痴漢注意』の看板を尻目にその道を歩く彼がぴたり、と急遽足を止めたのは、何も吐瀉物の軌跡を計算するためではない。
「アア―――クルシイ」
嗄れ声は余りにノイジーで、何となく其れが女声であることだけは分かった。
そして次の瞬間、凡そ十メートルは先、そんな距離の闇の中にぽつねんと足っていたその奇妙な女の艶美な相貌と、似つかわしくない痛苦の表情が、青年の目と鼻の先に在った。
「え―――」
と一単語発するのが精一杯だった。その後、彼は、
「邪魔だ!」
女の握っている錆びに塗れた包丁に顔を両断される寸前、体が後方へと引き込まれた。
一体、何が―――。
そのまま尻餅をついた青年が見上げた先には、季節外れの赤いコートに身を包んだ男。
そして自らを挟んで対面には、“まるで鬼の様な包丁の女”と。
「また私の邪魔をするかね。つくづく愚かな男よな。貴様も秩序の反対側に立場を置く男だろうに」
“蜘蛛”が居た。
「妖怪風情が一端の常識を語るな。不愉快だ」
「それは此方の台詞だよ、祝園(ほうその)」
蜘蛛―――蜘蛛のような八つの長い脚と触肢が背から伸び、左手甲に四つ、そして右手甲に四つ眼球の様な黒い穴を穿つ以外は、人間の男にしか見えないその存在は、口の端を吊り上げた。
「貴様と遊んでやるのも悪くないが、今はその“鬼”の方が面白くてな。
だから―――退いてくれるか」
蜘蛛が腕を振り上げると、そのまま祝園と呼ばれた男へと襲い掛かる。
一瞬で死んだ間合いに、祝園は、背から取り出した大きな卒塔婆を手にすると真っ向から蜘蛛を迎え撃つ。
「う、うわああ……!」
しかし、祝園は劈く悲鳴に視線を動かす。彼の視界の先では、女が青年を抉り殺そうとしていた。
「あれが終着点に違いないぞ、祝園!」
至近距離で蜘蛛の彫刻の様な表情が声を上げて笑った。
古妖、隔者、破綻者、一般人。
夢見が見たのは、実に螺旋的で破滅的なそんな光景だった。
女は憎んだ。
確かに、その男と結ばれたのは本望では無かった。諦観が胸の奥底で呻いた居たのを否定する心算は、彼女には無い。だが伴侶として共に暮らせば、情も湧く。だから、裏切られれば憎悪もする。
男は懊悩した。
その狂いゆく女を救いたかった。そしてその方法が分からなかった。
だから男は、せめてその哀れな女の生き方を無条件に肯定してやりたかった。
―――蜘蛛は嗤った。
人間など愚かな生き物だと嘲笑する。何時の時代も同様だ。
異形を排除した後に何が残ると云う? 何も変わらぬ。
其処には只、人間同士の争いが残るだけ。
「ならば無為に踊るが良い。どうせ、長き生にぽつり漂う瞬刻の余興に過ぎぬ」
●
丑三つ時に鬼が現れる。
そんな噂話を信じる訳も無く、青年は体内のアルコール分解を促進させるように夜道を歩いていた。
彼がその腕時計を確認することはなかったから、丁度この時刻が“丑三つ時”だったことは、単なる最悪の偶然に過ぎなかった。
人通りの多い駅前の商店街を抜けると、世界が変わったかのように暗く寂しい街路へと接続を切り替える。
『痴漢注意』の看板を尻目にその道を歩く彼がぴたり、と急遽足を止めたのは、何も吐瀉物の軌跡を計算するためではない。
「アア―――クルシイ」
嗄れ声は余りにノイジーで、何となく其れが女声であることだけは分かった。
そして次の瞬間、凡そ十メートルは先、そんな距離の闇の中にぽつねんと足っていたその奇妙な女の艶美な相貌と、似つかわしくない痛苦の表情が、青年の目と鼻の先に在った。
「え―――」
と一単語発するのが精一杯だった。その後、彼は、
「邪魔だ!」
女の握っている錆びに塗れた包丁に顔を両断される寸前、体が後方へと引き込まれた。
一体、何が―――。
そのまま尻餅をついた青年が見上げた先には、季節外れの赤いコートに身を包んだ男。
そして自らを挟んで対面には、“まるで鬼の様な包丁の女”と。
「また私の邪魔をするかね。つくづく愚かな男よな。貴様も秩序の反対側に立場を置く男だろうに」
“蜘蛛”が居た。
「妖怪風情が一端の常識を語るな。不愉快だ」
「それは此方の台詞だよ、祝園(ほうその)」
蜘蛛―――蜘蛛のような八つの長い脚と触肢が背から伸び、左手甲に四つ、そして右手甲に四つ眼球の様な黒い穴を穿つ以外は、人間の男にしか見えないその存在は、口の端を吊り上げた。
「貴様と遊んでやるのも悪くないが、今はその“鬼”の方が面白くてな。
だから―――退いてくれるか」
蜘蛛が腕を振り上げると、そのまま祝園と呼ばれた男へと襲い掛かる。
一瞬で死んだ間合いに、祝園は、背から取り出した大きな卒塔婆を手にすると真っ向から蜘蛛を迎え撃つ。
「う、うわああ……!」
しかし、祝園は劈く悲鳴に視線を動かす。彼の視界の先では、女が青年を抉り殺そうとしていた。
「あれが終着点に違いないぞ、祝園!」
至近距離で蜘蛛の彫刻の様な表情が声を上げて笑った。
古妖、隔者、破綻者、一般人。
夢見が見たのは、実に螺旋的で破滅的なそんな光景だった。

■シナリオ詳細
■成功条件
1.一般人男性の救出
2.安栖里の無力化
3.白銀(蜘蛛)の撃退
2.安栖里の無力化
3.白銀(蜘蛛)の撃退
アラタナルにおいてSTをさせて頂くことになりました、いかるが、です。宜しくお願い致します。
<作戦現場状況>
■駅前の繁華街から離れた暗い夜道。電灯が十メートルおきくらいに設置されており、付近は局所的に雑木林などが生い茂り、民家等は近くにありません。
■時刻は丑三つ時で、満月の為、夜でも周囲の様子が把握できます。
■一般人男性が、破綻者と古妖に襲われており、“隔者”がそれを抑えています。PCは現場へ向かい、一般人男性を救うことが求められています。
<味方状況>
■『祝園』(ほうその)
・因子不明、火行術式を操る隔者。
隔者でありながら、破綻者と化した『安栖里』(あせり)(後述)を『蜘蛛』(後述)から救出するべく動いている様です。安栖里とは古くからの知人であり、祝園は彼女に好意を抱いている様ですが、破綻者となった彼女を救う手立てを持たずに苦悩している様です。
・何らかの理由のため、基本的には隔者としての精神性を遺憾なく発揮する祝園ですが、このシナリオでは状況上、彼を友軍ユニットとすることが出来ます。但し、必ずしも祝園を友軍にしなければならない訳ではなく、PCの動き次第で本来の敵ユニットと見做す事も可能です。
■青年
・救出対象の普通の大学生です。安栖里に斬殺されそうになっています。戦力としては全く期待できません。
<敵状況>
■『安栖里』(あせり)
・元々は彩の因子の、木業術式使用の覚者。現在は、深度2の破綻者。
・長く美しい黒髪の美女でしたが、ほぼ自我を失い“鬼”の様になっています。
・祝園とは知人。祝園に好意を抱いていた時期もありましたが、結局は他の男性と付き合い、結婚。しかし、夫は他の女性と関係を持った上にその女性と子を成し、安栖里の前から忽然と姿を消しました。精神的に不安定な時期に、『蜘蛛』と出会い破綻者となりました。
・錆びついた包丁を使って人間を襲うシリアルキラーとなっています。
■『蜘蛛』
・『白銀』(しろがね)の名を持つ蜘蛛型の古妖。
・外見はむしろ人間に近いが、背から生えた八本の足及び触肢、両手甲にある眼球が蜘蛛を想起させます。男性を象っており、長い銀発をポニーテールにまとめています。顔は彫刻の様に整っています。
・厭世的な思考をし、人間には敵対的な立ち位置の古妖です。人間を破滅させることを束の間の余興と捉え、その破滅を当然の帰結と考えています。安栖里を唆したのも、其の為です。
・戦闘に秀でています。難易度に対しては強力な敵ですが、蜘蛛ならではの構造的な弱点を有しています。
・背から伸びる長い八つの脚と触肢を使った鋭い突き、高強度の糸を吐いて一時的に対象を束縛するなどの行動が夢見に把握されています。
●備考。
・設定難易度は祝園を友軍ユニットとした場合の難易度です。祝園を敵ユニットとした場合は実質的な難易度が上がる可能性がありますが、勿論どちらの場合でも然るべき対処を行えば成功となります。
・仮に安栖里を救出できた場合、『適切な処理』を実施すれば自我を取り戻す可能性があります。祝園を適切な処理に協力させることは可能です。
・上記のキャラクター紹介文の情報は、夢見が得たものとして、PCが知っていて構いません。
皆様のご参加心よりお待ちしております。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
6/6
公開日
2015年10月12日
2015年10月12日
■メイン参加者 6人■

●
華神 悠乃(CL2000231)がまず最初に、その青年のもとへと走り寄った。
「―――何だ、お前達」
突然の来訪者に怪訝そうに呟いた白銀。
そんな彼のもとへは『運命殺し』深緋・恋呪郎(CL2000237)が既に詰めている。
悠乃らが見た安栖里は、まだ深度二の破綻者ではあるけれども、自我を失っている様子だった。
“鬼”と化した彼女のノイジーな声は、喉が潰れたか。
喉が潰れたのは、それ程に叫んだからか。
それ程に叫んだのは―――、救われたかったからか。
そして彼女の抑えを担当するのが、トール・T・シュミット(CL2000025)であり、彼は安栖里の前に幾らかの恐怖も見せずに、飛び込んだ。
「さあ、憎しみも苦しみもぶつけてこい! オレが受け止めてやる!」
平時の活発そうな容姿とは異なり少女の様に華奢の姿のトールだが、威勢よく青年退避のための時間を稼ぎ始めた。
「君、此処は大変危ない。早く逃げなさい」
安定感のある声に、青年は思わず見上げた。『教授』新田・成(CL2000538)も悠乃と共に青年の保護に動いていた。
「走れるなら直ぐにここを離れてください」
「あ……ああ」
そう答えた青年の脚は、けれど、大きく振るえていた。
眼前に迫った恐怖。初めて相対する本物の死の匂い。
覚者にとっては有り触れた事象でも、決して一般人に同様の論理は適用できない。
青年が走れぬ事をその様子から理解した成が悠乃へ目配せをすると、彼女も頷く。
「ちょっと失礼するよ」
よいしょ、と悠乃は青年を担ぎ上げた。確かに彼女の身長はかなり高いのだが、これには担がれた当人も驚いただろう。
「酔ってるみたいだけど、離れてから逃げるくらいはできるでしょ。
……ていうか、逃げて。死にたくないでしょ?」
悠乃が担いで青年を移動させる。青年は無言のままこくりと頷いた。
「経路は確認済みです」
そう言った『狗吠』時任・千陽(CL2000014)は事前に地形を解析し最も安全な経路を選んでいた。
「この街路をそのまま逃げて下さい。一本道です。
従って、自分達が抑えている限り、貴方の安全は保障されます」
「怪我してなかったのはラッキーだな。
仕方がない、その様子じゃ走れそうもねえし、途中までは俺が付いて行ってやる」
虹彩を赤く、毛髪を灰色に変化させた香月 凜音(CL2000495)は、青年の状態を確認してそう言った。
「では、お願いします」
「はいよ」
千陽から引き継いで凜音が青年を連れて行く―――実にスムーズな救出劇である。だが既に、周囲には戦いの残響が鳴り響いていた。
●
(不変であるなら、それは一つの幸せじゃ。誰かの所為にできりゃ、そりゃ楽じゃ。
裏切った男が悪い。唆した蜘蛛が悪い。
傷つけるのが、ではなくて、傷つくのが恐ろしい―――これだから男という奴は頭でっかちの餓鬼の様じゃ)
……餓鬼というなら、其処の友達いなさそうな蜘蛛もじゃろうが。年不相応に老練な思考をした恋呪郎はそう結論付けた。
「小娘、まさかとは思うが、“私を止めに来た”等と云う冗談は止めておけよ」
低くも無く高くも無い不思議な音程。透き通るような白い肌。
地面に着きそうなほどに長い銀髪をポニーテールで纏めている男。
まるで女性にも見える蜘蛛―――白銀が不機嫌そうに口元で微笑む。
「恰好つけるな。餓鬼ども。片腹痛いわ」
切先をそのまま白銀の美貌へと向け振り上げた恋呪郎。
遂には堪らずと云った様に白銀も笑い出す。
「私をして餓鬼と吐き棄てるか。愚かではないか。
……余りに愚か過ぎて、よかろう。女一人を破滅させるぐらいの暇は潰せそうだ」
一方、祝園は複雑な表情だ。
「……覚者か?」
「まあ、そんな所よな。その話は別のモンがヌシにするじゃろう」
「……ふん、余計な真似を」
「口では無く手を動かせ。ほれ、蜘蛛男もヤル気じゃ―――」
●
「まだその女性は助けることができます」
千陽が祝園へと声を掛けた。恋呪郎の云った『話』とはこれなのだろうと、祝園もそちらへと向き直る。
「……なんだと」
「我々は敵ではありません。信じろというのも都合がいい話ですが、もっと都合のいい話を持ってきました」
「都合の良い話?」
「彼女は幸いながらまだ人に戻れる段階にあります」
「戻れる―――」
「―――必要な物は、蜘蛛の排除、呼びかけて自我を取り戻すこと、戦闘不能のショック療法」
安栖里を抑えているトールが、彼女の攻撃を避けながら必要事項を端的に述べた。
「これは経験則だ。だがオレたちは、時任が言った様に、実際に人間に戻した事がある」
祝園は白銀との対峙で、傷を負っていた。トールは、祝園を含めて療術を施すことで、敵意の無さを示す。
「我々の目的はそちらの古妖の撃退と、安栖里さんによる被害発生の防止です。
詰まり、彼女を正気に戻すという点で、目的と利害が一致しています」
そのまま、成が話を詰める。ここまでくれば、祝園が我々と敵対する必然性は消失する。
「覚者と組むのは癪だが、奴らを野放図にするよりは、余程飲める条件だ」
其れに、俺はあの女を戻す術を持たないからな。祝園は付け加えた。
「ただ、ある程度傷を与える必要があるかもしれません。その際は手加減して攻撃します。
尤も―――自我が戻らぬのなら、その際は『最悪の手段』に頼る事にもなりましょうが」
「……心得た」
成の宣告に、祝園は感情を露わにせず頷いた。
精神的にタフな隔者なのだろう。実力も低くない。論理的な思考も早い。
―――敵に回せば厄介だ、と成は分析しつつ、その感想は胸の奥に仕舞い込んだ。
「彼女の心には、随分と貴方が残っているようだ。彼女に言葉を届けることは、貴方にしか出来ない仕事です」
「ええ、それは絶対です。実際そうして救ったことがある。
そして、それは……俺の誇りだ」
成の意見を肯定すると、軍帽をかぶり直し、祝園を見据える千陽。
祝園はバツが悪そうに、その真直ぐな視線を避けた。
●
七体二の構図は一見、祝園を含めた覚者達有利に見えるが、実際は白銀の力が予想以上にも強大だった。
千陽に安栖里の抑えを要請された祝園は、トールと共に安栖里の抑えに回る。
「よう、思ったより早かったな」
トールが祝園に軽く笑いながら声を掛ける。しかし、トールの額には汗粒が滴っていた。深度二の破綻者を一人で抑えるのは、彼だからこそこれまで持っていた様なものだった。
「……加勢しよう」
「頼むぜ。ちっとばかしキツめだったんでな」
言葉少なに卒塔婆を握りしめた祝園。
彼の目に映る女の姿は、
「ナンデ―――アア、ナンデ―――」
やっぱり良く知った女の、けれど変わり果てた形相であった。
●
(暑くもなく寒くもなく、満月を眺めるのに良さげな夜に戦うとは無粋だな)
錬覇法にて自らを強化した凜音は、後衛位置から全体の支援に特化していた。凜音は“強敵”を前にする仲間へと声を掛ける。
「何度でも癒してやるさ。“俺が立ってる限り”はな」
心強い凜音の言葉を背に、古妖・白銀へと覚者達の攻撃が始まる。
(硬くはなさそう、という想定だけどどうかなー)
初手から炎の拳で殴り込みを掛けた悠乃。彼女はそんな仮説のもとに取り敢えずの一発を撃ちこんだものの、どうやら堅牢さと云った点で劣っている様子は見られなかった。
「児戯だな」
そう呟いた白銀の言葉だが、抑々、これは牽制に過ぎない。
「キミには大して興味ないのだけど、取り合えず色々見せてもらおうかな」
強いのは知ってる。長生きしてて色々出来るのも知ってる。
―――けど、その結果が“他者弄りだけの存在”には、何の面白みも見出しはしない。
「人を無為と嗤いながら……『何』を為したのかな、キミは」
悠乃は白銀を『視る』。
(……まさかね?
そんだけふんぞり返って実績零の空っぽで無為なのはどっちよなんてことはないよね?)
視えたのは―――思わず悠乃の表情が歪む。
(零は零でも、本気の零? どういうこと?)
そんな彼女の様子に、白銀は何の感情も表現しない顔で、問う。
「よくぞ私の本質を見抜いたものだ。そう、私には“何も無い”のだよ」
そう言った白銀に、構わず斬り込む影―――恋呪郎。
「蜘蛛男。退屈なら儂が友達になってやろう。感涙に咽び泣くがいい」
「友達? 巫山戯るなよ、小娘」
一転、笑う白銀。
「貴様らヒト風情が、私と対等であるなど、愚にもつかぬ思い上がりだぞ!」
白銀の背から伸びる六本の脚が覚者達の攻撃を大きく削いでいた。恋呪郎の刃も其れに返されるが、成の仕込み杖から放たれる波動弾は、その足を貫通する。
「それにしては、手慰みにしても手口が余りに凡庸ですな。
心的外傷につけこんで憎悪を煽る。人間にも実行可能な、実に詰まらない方法です」
「全く同意です。
―――白銀、だったか。ずいぶん趣味の悪い脚本だな。三文小説以下だ」
「見解の一致だな、小僧共」
永く生きている白銀にとって、千陽はともかく、成も“小僧”の一人であるという認識なのか。
白銀は千陽と纏めて小僧と呼び、そして彼らの主張に、意外にも首肯した。
「詰まらぬ余興よな。全く以て、ヒトとは矮小な存在だ。そしてそんな存在が、跋扈しているこの世界―――」
「そしてそんな存在にすら手を煩わしおられる貴方もまた、同様」
「……」
成の挑発は意図的なものだ。そしてそれは、実に的を得ていた。
白銀の中性的な顔に、嘲りが浮かび上がる。
「―――口が過ぎたな、小僧」
「っ……!」
突如、白銀から放たれる白糸。幾許か彼から距離を離していた成すら、瞬間的に仕込み杖を振るい糸を受けるが、全てを処理しきれない。
老巧とも云える成の顔が歪む。其処に、凜音の声が響く。
「支援はこっちに任せろ!」
凜音が宣言し、成に療術を施す。同時に、悠乃が成への射線を防ぐように白銀へと肉薄する。
白銀は、恋呪郎の斬撃を二本の脚で、受けている。それだけではない。千陽の無頼による過大重圧を受け、動きを鈍化させてさえ居た。逆説的に言えば、その状況でも『これだけ』動けるという事―――。
「成る程、“空”は“空”でも、只の伽藍堂でも無いみたい」
「何を分かったかのような口を」
「分からないよ。確かに分からないけど……」
悠乃の瞳が覗き込む。白銀の心底を、覗き込む。
「意味があるものしか認められないのは、何とも世界の狭いことよね」
精一杯の皮肉。白銀はその言葉を、神妙な面持ちで否定する。
「小娘、貴様にもすぐに分かる。この世の総ては無意味であることがな!」
●
「あっちも大分苦戦してる様子だな……」
祝園と共に安栖里の抑えを行っているトールが呟いた。
「来るぞ」
「了解!」
安栖里は元は木行術式を操る覚者。攻撃の面でも優れている。
そんな彼女の振るう錆びついた包丁。
(一体、どんだけ斬ってきたのかね)
暗視と鷹の目で視野を広げたトールがそれを回避すると、祝園は安栖里へと卒塔婆を振るう。
恐らく、全力では無い、とトールは評価する。
その仮説は、恐らく正しかった。むしろ互いに憎み合ってさえくれれば、もう少しはやり易い依頼だったのに。
トールは暴れ狂う安栖里へと視線を向ける。
「憎いだろうな。悔しいだろうな。けど、今の姿がお前の望みか?」
「ニクイ―――クヤシイ―――」
「……思いだせよ。お前は自分の幸せを諦めるのか?
泣きたきゃ泣け! 憎けりゃ怒鳴れ!
だが“力”に―――溺れるんじゃねえ!」
●
キィンと刃と刃が弾けるような甲高い音が響く。
白銀の脚が恋呪郎の刃を、成の刃を、千陽の銃弾を弾いた音だった。
後衛位置で、凜音は小さく舌打ちをする。
(全体の疲弊が早い。……おっつかねえな。
しかし、“昆虫”なら……腹が柔らかいのか?)
「人間を破滅させたがるくせに、やることは女一人唆す程度かよ。ちっちぇえな。
―――なあ、腹を狙ってみるってのは、どうだ?」
「実は、俺もそれを考えていた」
凜音の意見に千陽が同意する。彼も、同じことを考えていた。
<私も、そう思う!>
それに乗っかる形で、悠乃の意識が伝達されてくる。エネミースキャンを有する彼女の意見は、根拠として有効だ。
もう既に何度目の斬り込みか分からない。恋呪郎は白銀へと振るった刃をそのまま押し当てる。
鍔迫り合いの様な形になり、
「……っ!」
そして、突如白銀のその顔が歪む。ぎんと恋呪郎が弾かれるが、白銀は自らの腹を見た。
「ほう、少しは考えたな」
成の放った波動弾が白銀の腹へと直撃していた。白銀は素直に感嘆すると、腹を撫でた。
「異形を排除すれば、少なくとも貴方の犠牲者は無くなります。論理的な結論ですよ。
ですから、貴方には此処で退場頂きます」
「……」
成の言葉に押し黙る白銀。悠乃らがじりじりと彼を囲む。
「成る程、相分かった」
「何がです」
「次の余興を、今、決めた」
「余興?」と問い返した千陽。白銀は微笑みながら頷いた。美しい微笑みだった。
「私に“痛み”を思い出させた貴様らに、感謝しよう。
面白い。貴様達は、とても面白い。その『鬼』はもう要らぬ」
そうとだけ言うと、白銀は覚者へと背を向け。
そのまま、青年が逃げて行った方向とは反対の闇へと歩き始めた。
「待ちなさい。逃げる心算?!」
「“逃げる”だと?」
―――ぴくり、と白銀の肩が跳ねた。そして、次の瞬間。
「……!」
悠乃が“その光景”に思わず目を顰める。
彼女らの見ていた人型の白銀は、一瞬の内に……、巨大な正真正銘の“本物の蜘蛛”へとその姿を変貌させていた。
赤黒い艶に、細身の脚。けれどその大きさは人何人分であろうか?
「“餌”は巣に絡まり、力尽きたものを食すのが我ら“蜘蛛”の常套。
まこと今宵は楽しき余興であったぞ、人間。努々、我らの糸には気を付ける事だ」
成が縋るように波動弾を放つが、白銀はそれをものともせず、ゆっくりと雑木林の中、闇に埋もれていった―――。
●
「さっきのありゃ、何だ?」
仲間に、トールが訊ねる。一瞬、馬鹿デカく悍ましい蜘蛛が居た様な気がしたし、雑木林がやたらと五月蠅かった。
「……化け物め。あれが奴の正体か」
「そのようですね」
祝園の問いを成が肯定する。
「だけど、あっちから退いたのはむしろ幸運だったのかもな。
……ま、その鬼女を何とかする方が大事じゃねえの」
凜音の言葉にトールも頷く。安栖里は既に相当の被弾を受けており、その動きは既に遥かに愚鈍化していた。凜音は、もう攻撃を止め、神妙な面持ちで安栖里を見つめている祝園へと視線を向けた。
「祝園と言ったか」
「お前みたいな若造に、呼び捨てにされる覚えはない」
その返答に凜音も思わず閉口する。
「……面倒なおっさんなこった。
そんなだから難しいかもしんないけどよ、安栖里に伝えたい言葉があるなら伝えればいいだろ。
今まで、言えなかったこととか、言いたかったこととかあるんじゃねーの?」
「俺はまだ三十だ、若造。
しかし、本当にそんな奇跡が起きると考えているのか?」
「こんな世の中だが、小さな奇跡くらい起きてもいいだろ?
もしかしたら幸せになっていたかもしれない二人なら―――、これから幸せになったっていい筈だよな」
凜音の言葉に、今度は祝園が閉口する番だった。
「踏み込む事は恐ろしい。拒絶される事は恐ろしい。
じゃが、エゴイズムから離れた愛などありえん。それで良いではないか」
恋呪郎が齢十四とは思えぬ言葉を漏らす。
「どいつもこいつも、今時の若いモンは皆こう説教くさいのか?」
「己を否定するな。愛は惜しみなく喰らうものじゃ。
『傍に居るだけ』なら、鉢植えの仙人掌でもできるわ。たわけが。
……彼女を想うなら言葉にしてやれ。止めてやれ。“優しさ”と“臆病さ”は……似て非なるモノじゃ」
―――儂は、はっぴーえんどが好きなんじゃ。そう付け加えた恋呪郎の言葉は、やっぱり虫唾が走る程に不愉快だけれど、しかし、確かに祝園の心に薪をくべた。
「自分の気持ち、躊躇うなよ。分からないなら、一緒に考えてやれ。
……どんな言葉だっていい。本心なら絶対に届く。
人は、簡単に終わらねえんだよ」
「……ふん、このお節介共めが」
これだから餓鬼と覚者は嫌いなんだ。そう言った祝園の顔が、けれど笑みを浮かべていたのを成は見逃さなかった。
覚者達に背を押され……、祝園は一歩を踏み出す。
●終章
(色々あったろうけど、それでもそれを抱えて生きている人は、素敵だ)
悠乃は今回の祝園と安栖里を見ていても、やっぱりそうだと思う。
―――激しい戦いのその後、安栖里は無力化され、処置施設に移送されることとなる。まだリスクは残るが、きっと彼女は自我を取り戻すであろう。
しかし、二人の関係も元通りとはいかなかった。
酷い疲労で意識を失っている安栖里を、そのまま覚者達へ任せ立ち去ろうとする祝園。
「彼女の行く末を見届けなくて良いの?」
「……俺にその資格は無い」
そう言って歩き出す祝園。
「なぜ貴方は秩序に抗うのですか?」
成がその背に問うた。数秒の間を置き、祝園が振り返る。
「逆に問おう。秩序を何と定義する」
「秩序の定義、ですか。成る程、これは藪を突いてしまいました。その議論をする為に、貴方と一日は話がしてみたい」
「今宵の事、礼は言う。だが次は、もし逢えば敵としてになるだろう」
「じゃあ最後にこれだけ教えてくれよ」
トールがその別離を匂いを嗅ぎ分け、最後の質問を投げかける。
「俺はトールだ。お前の名前は?」
「……今宵の代償が俺の名なら、安いものか」
祝園は鼻で笑った。
「―――祝園守(まもる)。
一度ならず二度も愛する女を守れなかった、愚かな男の下らぬ名だよ」
華神 悠乃(CL2000231)がまず最初に、その青年のもとへと走り寄った。
「―――何だ、お前達」
突然の来訪者に怪訝そうに呟いた白銀。
そんな彼のもとへは『運命殺し』深緋・恋呪郎(CL2000237)が既に詰めている。
悠乃らが見た安栖里は、まだ深度二の破綻者ではあるけれども、自我を失っている様子だった。
“鬼”と化した彼女のノイジーな声は、喉が潰れたか。
喉が潰れたのは、それ程に叫んだからか。
それ程に叫んだのは―――、救われたかったからか。
そして彼女の抑えを担当するのが、トール・T・シュミット(CL2000025)であり、彼は安栖里の前に幾らかの恐怖も見せずに、飛び込んだ。
「さあ、憎しみも苦しみもぶつけてこい! オレが受け止めてやる!」
平時の活発そうな容姿とは異なり少女の様に華奢の姿のトールだが、威勢よく青年退避のための時間を稼ぎ始めた。
「君、此処は大変危ない。早く逃げなさい」
安定感のある声に、青年は思わず見上げた。『教授』新田・成(CL2000538)も悠乃と共に青年の保護に動いていた。
「走れるなら直ぐにここを離れてください」
「あ……ああ」
そう答えた青年の脚は、けれど、大きく振るえていた。
眼前に迫った恐怖。初めて相対する本物の死の匂い。
覚者にとっては有り触れた事象でも、決して一般人に同様の論理は適用できない。
青年が走れぬ事をその様子から理解した成が悠乃へ目配せをすると、彼女も頷く。
「ちょっと失礼するよ」
よいしょ、と悠乃は青年を担ぎ上げた。確かに彼女の身長はかなり高いのだが、これには担がれた当人も驚いただろう。
「酔ってるみたいだけど、離れてから逃げるくらいはできるでしょ。
……ていうか、逃げて。死にたくないでしょ?」
悠乃が担いで青年を移動させる。青年は無言のままこくりと頷いた。
「経路は確認済みです」
そう言った『狗吠』時任・千陽(CL2000014)は事前に地形を解析し最も安全な経路を選んでいた。
「この街路をそのまま逃げて下さい。一本道です。
従って、自分達が抑えている限り、貴方の安全は保障されます」
「怪我してなかったのはラッキーだな。
仕方がない、その様子じゃ走れそうもねえし、途中までは俺が付いて行ってやる」
虹彩を赤く、毛髪を灰色に変化させた香月 凜音(CL2000495)は、青年の状態を確認してそう言った。
「では、お願いします」
「はいよ」
千陽から引き継いで凜音が青年を連れて行く―――実にスムーズな救出劇である。だが既に、周囲には戦いの残響が鳴り響いていた。
●
(不変であるなら、それは一つの幸せじゃ。誰かの所為にできりゃ、そりゃ楽じゃ。
裏切った男が悪い。唆した蜘蛛が悪い。
傷つけるのが、ではなくて、傷つくのが恐ろしい―――これだから男という奴は頭でっかちの餓鬼の様じゃ)
……餓鬼というなら、其処の友達いなさそうな蜘蛛もじゃろうが。年不相応に老練な思考をした恋呪郎はそう結論付けた。
「小娘、まさかとは思うが、“私を止めに来た”等と云う冗談は止めておけよ」
低くも無く高くも無い不思議な音程。透き通るような白い肌。
地面に着きそうなほどに長い銀髪をポニーテールで纏めている男。
まるで女性にも見える蜘蛛―――白銀が不機嫌そうに口元で微笑む。
「恰好つけるな。餓鬼ども。片腹痛いわ」
切先をそのまま白銀の美貌へと向け振り上げた恋呪郎。
遂には堪らずと云った様に白銀も笑い出す。
「私をして餓鬼と吐き棄てるか。愚かではないか。
……余りに愚か過ぎて、よかろう。女一人を破滅させるぐらいの暇は潰せそうだ」
一方、祝園は複雑な表情だ。
「……覚者か?」
「まあ、そんな所よな。その話は別のモンがヌシにするじゃろう」
「……ふん、余計な真似を」
「口では無く手を動かせ。ほれ、蜘蛛男もヤル気じゃ―――」
●
「まだその女性は助けることができます」
千陽が祝園へと声を掛けた。恋呪郎の云った『話』とはこれなのだろうと、祝園もそちらへと向き直る。
「……なんだと」
「我々は敵ではありません。信じろというのも都合がいい話ですが、もっと都合のいい話を持ってきました」
「都合の良い話?」
「彼女は幸いながらまだ人に戻れる段階にあります」
「戻れる―――」
「―――必要な物は、蜘蛛の排除、呼びかけて自我を取り戻すこと、戦闘不能のショック療法」
安栖里を抑えているトールが、彼女の攻撃を避けながら必要事項を端的に述べた。
「これは経験則だ。だがオレたちは、時任が言った様に、実際に人間に戻した事がある」
祝園は白銀との対峙で、傷を負っていた。トールは、祝園を含めて療術を施すことで、敵意の無さを示す。
「我々の目的はそちらの古妖の撃退と、安栖里さんによる被害発生の防止です。
詰まり、彼女を正気に戻すという点で、目的と利害が一致しています」
そのまま、成が話を詰める。ここまでくれば、祝園が我々と敵対する必然性は消失する。
「覚者と組むのは癪だが、奴らを野放図にするよりは、余程飲める条件だ」
其れに、俺はあの女を戻す術を持たないからな。祝園は付け加えた。
「ただ、ある程度傷を与える必要があるかもしれません。その際は手加減して攻撃します。
尤も―――自我が戻らぬのなら、その際は『最悪の手段』に頼る事にもなりましょうが」
「……心得た」
成の宣告に、祝園は感情を露わにせず頷いた。
精神的にタフな隔者なのだろう。実力も低くない。論理的な思考も早い。
―――敵に回せば厄介だ、と成は分析しつつ、その感想は胸の奥に仕舞い込んだ。
「彼女の心には、随分と貴方が残っているようだ。彼女に言葉を届けることは、貴方にしか出来ない仕事です」
「ええ、それは絶対です。実際そうして救ったことがある。
そして、それは……俺の誇りだ」
成の意見を肯定すると、軍帽をかぶり直し、祝園を見据える千陽。
祝園はバツが悪そうに、その真直ぐな視線を避けた。
●
七体二の構図は一見、祝園を含めた覚者達有利に見えるが、実際は白銀の力が予想以上にも強大だった。
千陽に安栖里の抑えを要請された祝園は、トールと共に安栖里の抑えに回る。
「よう、思ったより早かったな」
トールが祝園に軽く笑いながら声を掛ける。しかし、トールの額には汗粒が滴っていた。深度二の破綻者を一人で抑えるのは、彼だからこそこれまで持っていた様なものだった。
「……加勢しよう」
「頼むぜ。ちっとばかしキツめだったんでな」
言葉少なに卒塔婆を握りしめた祝園。
彼の目に映る女の姿は、
「ナンデ―――アア、ナンデ―――」
やっぱり良く知った女の、けれど変わり果てた形相であった。
●
(暑くもなく寒くもなく、満月を眺めるのに良さげな夜に戦うとは無粋だな)
錬覇法にて自らを強化した凜音は、後衛位置から全体の支援に特化していた。凜音は“強敵”を前にする仲間へと声を掛ける。
「何度でも癒してやるさ。“俺が立ってる限り”はな」
心強い凜音の言葉を背に、古妖・白銀へと覚者達の攻撃が始まる。
(硬くはなさそう、という想定だけどどうかなー)
初手から炎の拳で殴り込みを掛けた悠乃。彼女はそんな仮説のもとに取り敢えずの一発を撃ちこんだものの、どうやら堅牢さと云った点で劣っている様子は見られなかった。
「児戯だな」
そう呟いた白銀の言葉だが、抑々、これは牽制に過ぎない。
「キミには大して興味ないのだけど、取り合えず色々見せてもらおうかな」
強いのは知ってる。長生きしてて色々出来るのも知ってる。
―――けど、その結果が“他者弄りだけの存在”には、何の面白みも見出しはしない。
「人を無為と嗤いながら……『何』を為したのかな、キミは」
悠乃は白銀を『視る』。
(……まさかね?
そんだけふんぞり返って実績零の空っぽで無為なのはどっちよなんてことはないよね?)
視えたのは―――思わず悠乃の表情が歪む。
(零は零でも、本気の零? どういうこと?)
そんな彼女の様子に、白銀は何の感情も表現しない顔で、問う。
「よくぞ私の本質を見抜いたものだ。そう、私には“何も無い”のだよ」
そう言った白銀に、構わず斬り込む影―――恋呪郎。
「蜘蛛男。退屈なら儂が友達になってやろう。感涙に咽び泣くがいい」
「友達? 巫山戯るなよ、小娘」
一転、笑う白銀。
「貴様らヒト風情が、私と対等であるなど、愚にもつかぬ思い上がりだぞ!」
白銀の背から伸びる六本の脚が覚者達の攻撃を大きく削いでいた。恋呪郎の刃も其れに返されるが、成の仕込み杖から放たれる波動弾は、その足を貫通する。
「それにしては、手慰みにしても手口が余りに凡庸ですな。
心的外傷につけこんで憎悪を煽る。人間にも実行可能な、実に詰まらない方法です」
「全く同意です。
―――白銀、だったか。ずいぶん趣味の悪い脚本だな。三文小説以下だ」
「見解の一致だな、小僧共」
永く生きている白銀にとって、千陽はともかく、成も“小僧”の一人であるという認識なのか。
白銀は千陽と纏めて小僧と呼び、そして彼らの主張に、意外にも首肯した。
「詰まらぬ余興よな。全く以て、ヒトとは矮小な存在だ。そしてそんな存在が、跋扈しているこの世界―――」
「そしてそんな存在にすら手を煩わしおられる貴方もまた、同様」
「……」
成の挑発は意図的なものだ。そしてそれは、実に的を得ていた。
白銀の中性的な顔に、嘲りが浮かび上がる。
「―――口が過ぎたな、小僧」
「っ……!」
突如、白銀から放たれる白糸。幾許か彼から距離を離していた成すら、瞬間的に仕込み杖を振るい糸を受けるが、全てを処理しきれない。
老巧とも云える成の顔が歪む。其処に、凜音の声が響く。
「支援はこっちに任せろ!」
凜音が宣言し、成に療術を施す。同時に、悠乃が成への射線を防ぐように白銀へと肉薄する。
白銀は、恋呪郎の斬撃を二本の脚で、受けている。それだけではない。千陽の無頼による過大重圧を受け、動きを鈍化させてさえ居た。逆説的に言えば、その状況でも『これだけ』動けるという事―――。
「成る程、“空”は“空”でも、只の伽藍堂でも無いみたい」
「何を分かったかのような口を」
「分からないよ。確かに分からないけど……」
悠乃の瞳が覗き込む。白銀の心底を、覗き込む。
「意味があるものしか認められないのは、何とも世界の狭いことよね」
精一杯の皮肉。白銀はその言葉を、神妙な面持ちで否定する。
「小娘、貴様にもすぐに分かる。この世の総ては無意味であることがな!」
●
「あっちも大分苦戦してる様子だな……」
祝園と共に安栖里の抑えを行っているトールが呟いた。
「来るぞ」
「了解!」
安栖里は元は木行術式を操る覚者。攻撃の面でも優れている。
そんな彼女の振るう錆びついた包丁。
(一体、どんだけ斬ってきたのかね)
暗視と鷹の目で視野を広げたトールがそれを回避すると、祝園は安栖里へと卒塔婆を振るう。
恐らく、全力では無い、とトールは評価する。
その仮説は、恐らく正しかった。むしろ互いに憎み合ってさえくれれば、もう少しはやり易い依頼だったのに。
トールは暴れ狂う安栖里へと視線を向ける。
「憎いだろうな。悔しいだろうな。けど、今の姿がお前の望みか?」
「ニクイ―――クヤシイ―――」
「……思いだせよ。お前は自分の幸せを諦めるのか?
泣きたきゃ泣け! 憎けりゃ怒鳴れ!
だが“力”に―――溺れるんじゃねえ!」
●
キィンと刃と刃が弾けるような甲高い音が響く。
白銀の脚が恋呪郎の刃を、成の刃を、千陽の銃弾を弾いた音だった。
後衛位置で、凜音は小さく舌打ちをする。
(全体の疲弊が早い。……おっつかねえな。
しかし、“昆虫”なら……腹が柔らかいのか?)
「人間を破滅させたがるくせに、やることは女一人唆す程度かよ。ちっちぇえな。
―――なあ、腹を狙ってみるってのは、どうだ?」
「実は、俺もそれを考えていた」
凜音の意見に千陽が同意する。彼も、同じことを考えていた。
<私も、そう思う!>
それに乗っかる形で、悠乃の意識が伝達されてくる。エネミースキャンを有する彼女の意見は、根拠として有効だ。
もう既に何度目の斬り込みか分からない。恋呪郎は白銀へと振るった刃をそのまま押し当てる。
鍔迫り合いの様な形になり、
「……っ!」
そして、突如白銀のその顔が歪む。ぎんと恋呪郎が弾かれるが、白銀は自らの腹を見た。
「ほう、少しは考えたな」
成の放った波動弾が白銀の腹へと直撃していた。白銀は素直に感嘆すると、腹を撫でた。
「異形を排除すれば、少なくとも貴方の犠牲者は無くなります。論理的な結論ですよ。
ですから、貴方には此処で退場頂きます」
「……」
成の言葉に押し黙る白銀。悠乃らがじりじりと彼を囲む。
「成る程、相分かった」
「何がです」
「次の余興を、今、決めた」
「余興?」と問い返した千陽。白銀は微笑みながら頷いた。美しい微笑みだった。
「私に“痛み”を思い出させた貴様らに、感謝しよう。
面白い。貴様達は、とても面白い。その『鬼』はもう要らぬ」
そうとだけ言うと、白銀は覚者へと背を向け。
そのまま、青年が逃げて行った方向とは反対の闇へと歩き始めた。
「待ちなさい。逃げる心算?!」
「“逃げる”だと?」
―――ぴくり、と白銀の肩が跳ねた。そして、次の瞬間。
「……!」
悠乃が“その光景”に思わず目を顰める。
彼女らの見ていた人型の白銀は、一瞬の内に……、巨大な正真正銘の“本物の蜘蛛”へとその姿を変貌させていた。
赤黒い艶に、細身の脚。けれどその大きさは人何人分であろうか?
「“餌”は巣に絡まり、力尽きたものを食すのが我ら“蜘蛛”の常套。
まこと今宵は楽しき余興であったぞ、人間。努々、我らの糸には気を付ける事だ」
成が縋るように波動弾を放つが、白銀はそれをものともせず、ゆっくりと雑木林の中、闇に埋もれていった―――。
●
「さっきのありゃ、何だ?」
仲間に、トールが訊ねる。一瞬、馬鹿デカく悍ましい蜘蛛が居た様な気がしたし、雑木林がやたらと五月蠅かった。
「……化け物め。あれが奴の正体か」
「そのようですね」
祝園の問いを成が肯定する。
「だけど、あっちから退いたのはむしろ幸運だったのかもな。
……ま、その鬼女を何とかする方が大事じゃねえの」
凜音の言葉にトールも頷く。安栖里は既に相当の被弾を受けており、その動きは既に遥かに愚鈍化していた。凜音は、もう攻撃を止め、神妙な面持ちで安栖里を見つめている祝園へと視線を向けた。
「祝園と言ったか」
「お前みたいな若造に、呼び捨てにされる覚えはない」
その返答に凜音も思わず閉口する。
「……面倒なおっさんなこった。
そんなだから難しいかもしんないけどよ、安栖里に伝えたい言葉があるなら伝えればいいだろ。
今まで、言えなかったこととか、言いたかったこととかあるんじゃねーの?」
「俺はまだ三十だ、若造。
しかし、本当にそんな奇跡が起きると考えているのか?」
「こんな世の中だが、小さな奇跡くらい起きてもいいだろ?
もしかしたら幸せになっていたかもしれない二人なら―――、これから幸せになったっていい筈だよな」
凜音の言葉に、今度は祝園が閉口する番だった。
「踏み込む事は恐ろしい。拒絶される事は恐ろしい。
じゃが、エゴイズムから離れた愛などありえん。それで良いではないか」
恋呪郎が齢十四とは思えぬ言葉を漏らす。
「どいつもこいつも、今時の若いモンは皆こう説教くさいのか?」
「己を否定するな。愛は惜しみなく喰らうものじゃ。
『傍に居るだけ』なら、鉢植えの仙人掌でもできるわ。たわけが。
……彼女を想うなら言葉にしてやれ。止めてやれ。“優しさ”と“臆病さ”は……似て非なるモノじゃ」
―――儂は、はっぴーえんどが好きなんじゃ。そう付け加えた恋呪郎の言葉は、やっぱり虫唾が走る程に不愉快だけれど、しかし、確かに祝園の心に薪をくべた。
「自分の気持ち、躊躇うなよ。分からないなら、一緒に考えてやれ。
……どんな言葉だっていい。本心なら絶対に届く。
人は、簡単に終わらねえんだよ」
「……ふん、このお節介共めが」
これだから餓鬼と覚者は嫌いなんだ。そう言った祝園の顔が、けれど笑みを浮かべていたのを成は見逃さなかった。
覚者達に背を押され……、祝園は一歩を踏み出す。
●終章
(色々あったろうけど、それでもそれを抱えて生きている人は、素敵だ)
悠乃は今回の祝園と安栖里を見ていても、やっぱりそうだと思う。
―――激しい戦いのその後、安栖里は無力化され、処置施設に移送されることとなる。まだリスクは残るが、きっと彼女は自我を取り戻すであろう。
しかし、二人の関係も元通りとはいかなかった。
酷い疲労で意識を失っている安栖里を、そのまま覚者達へ任せ立ち去ろうとする祝園。
「彼女の行く末を見届けなくて良いの?」
「……俺にその資格は無い」
そう言って歩き出す祝園。
「なぜ貴方は秩序に抗うのですか?」
成がその背に問うた。数秒の間を置き、祝園が振り返る。
「逆に問おう。秩序を何と定義する」
「秩序の定義、ですか。成る程、これは藪を突いてしまいました。その議論をする為に、貴方と一日は話がしてみたい」
「今宵の事、礼は言う。だが次は、もし逢えば敵としてになるだろう」
「じゃあ最後にこれだけ教えてくれよ」
トールがその別離を匂いを嗅ぎ分け、最後の質問を投げかける。
「俺はトールだ。お前の名前は?」
「……今宵の代償が俺の名なら、安いものか」
祝園は鼻で笑った。
「―――祝園守(まもる)。
一度ならず二度も愛する女を守れなかった、愚かな男の下らぬ名だよ」
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
特殊成果
『白銀の蜘蛛糸』
カテゴリ:アクセサリ
取得者:全員
カテゴリ:アクセサリ
取得者:全員

■あとがき■
皆様お疲れ様でした。
人間関係が複雑に見えて、本質的な解決策は単純でオーソドックス。
けれど、やるべき事が多くて忙しい。そんな依頼でした。
説得が幾らか重複していた事、安栖里対応が忙しい等はもう少し最適化出来る可能性を感じました。
しかし、全体的に非常に密度と質の高いプレイング揃いで、幸せな執筆が出来ました。
青年君は今後健全な時間に出歩いて、安栖里は覚者として人を探す旅に出るでしょう。
『そして、逆位置の愚者。』 へのご参加有難うございました。
人間関係が複雑に見えて、本質的な解決策は単純でオーソドックス。
けれど、やるべき事が多くて忙しい。そんな依頼でした。
説得が幾らか重複していた事、安栖里対応が忙しい等はもう少し最適化出来る可能性を感じました。
しかし、全体的に非常に密度と質の高いプレイング揃いで、幸せな執筆が出来ました。
青年君は今後健全な時間に出歩いて、安栖里は覚者として人を探す旅に出るでしょう。
『そして、逆位置の愚者。』 へのご参加有難うございました。
