第7の喇叭
【鉱員の挽歌】第7の喇叭


●審判の刻
 ノイズの後、腹部への強い痛みを感じる。血が抜ける感覚と、まどろむような何か。暗闇の中、倒れているのだと気づいた。私は、彼だった。

 俺の両親はカクシャだった。父は絵に描いたようなロクデナシ。母は毎日そんな父に虐げられていた。
 俺が刃物を手にしたのは、13の頃。
 ある日父が脅すために使っていた包丁を奪い、父を刺して母と逃げた。
 俺が一度全てを捨てたのは、その2年後。
 結局母もそのロクデナシの一人だった。俺はその女に魔眼で操られていたのだと分かり、逃げ出した。

 あいつらのその後は全く知らない。

 路頭に迷った俺はXIに身を置き、銃を手にした。恨みではない。そこしかなかったからだ。俺の境遇は仲間の敵愾心を煽るにはよかった程度のものだ。

 不幸なことに俺にはこの場所が合っていた。

 ここが、俺の全て。だから、俺はルイを殺した。
 他に方法はあったのかもしれない。だが、それがルイからの命令だった。

 ――もしこの組織が危なくなったら自分を殺して維持しろと。

 ルイが願う理想郷は、XIの中でも穏便な奴にしか受け入れられない。
 XIの屋台骨が揺らぐ中、何人もの過激な連中がやってきたことで状況は大きく変わった。ルイは組織の解散を考えたが当然それは潰された。俺達の派閥でも掌を返す奴が出てきて、風前の灯火。
 当然、ルイを殺そうとする奴も出てきた。血祭りにしてやると聞いたとき、俺は最後だと思った。

 最早俺の全てはここにしかなかった。
 ルイを殺した後、何人もの人間を見せしめとして甚振り、殺した。
 多かれ少なかれ支配には力と恐怖が必要だ。
 痛みなど、ルイを殺した時に全て捨てた。躊躇は一切なくなった。

 そして、俺はルイの傍にいた時よりも何十倍もの人数の構成員を統率するようになって。
 今、この暗闇の中にいる。

 自由に動かない身体を引きずり、窓から見える街の光を見た。今頃カクシャ達は絶望のどん底にいるだろう。この大都市で、あれだけの量の毒をばら撒けば……。
「ふふ、ははは……」

 血まみれの震える手で何とか煙草を取り出し、ライターで苦労して火をつける。思わずむせったが、構わず俺は煙草をふかし続ける。煙が嫌に目に染みた。身体はそこかしこ痛い上、涙が目を伝う。

 何故か、涙が止まらなかった。
 次逝くのは地獄だろうか。それとも全くの無だろうか。どちらだろうと好都合だ。
 仮に前者だとしたら、一瞬手の中にあった幸せはもう訪れないことを知っている。何度苦しもうと慣れたことだ。そして後者だとしたら、もう何も感じない。少なくとも、今のように泣くことはないだろう。

 ただ、一つの後悔があるとしたら。いや、後悔など――いくら持っても足りない物、か……。

 手が酷くかじかむ。煙草の火だけが熱い。そして異様に眠い。
 ――そろそろ、終わりなのだろう。
 俺は胸元のペンダントを握りしめ、静かに目を閉じた。頬を伝う涙が、熱く感じた。

 あなたに会えたことが唯一の幸福でした。
 しかし、その幸せは結局私のエゴでしかなかった。
 もう二度と会うこともないでしょう。地獄に叩き落すつもりで、どうか私を恨んでください。
 それが私に出来る唯一の、欺瞞に満ちた償いです。

 ありがとう。そして。
 さようなら――。

 私の、たった一人の先生。


●神のサイコロ
「このままだと東京で毒ガステロが発生します」
 『夢見准教授』菊本 正美(nCL2000172)は極めて落ち着いた口調でそう切り出した。
「多分毒は覚者にだけ効く例の代物。なぜか毒性も上がっている。イグノラムスはラプラスの魔を失ったことで方針を転換して、テロを起こす。でも決行後誰か……多分警察とかだろうね。彼等に撃たれてアジトで死ぬ。
 ……とはいえ、きっかけは小数賀ルイの死。テロ決行までまだ時間もある」

 深刻な事態であることも、イグノラムスの心境も理解した上で正美は淡々と言葉を紡ぐ。
 思いの外恐れは無かった。悲観すべき事柄も多いが、それでも彼は賭けを選ぶことにした。
「なら、ハナっからちゃぶ台をひっくり返せばいい訳だ。
 小数賀ルイ殺害も、テロ決行も阻止する。……そして、彼を雁字搦めにしているXIを潰す」

 正美が見た夢はルイが死ぬ前後とテロが起こった直後のもの。テロの前段階であるルイ殺害を阻止した所で未来がどう変わるかは一切分からない。
 しかしルイはイグノラムスにとっての精神的支柱だ。ならば、ルイの生存で状況が好転する可能性はある。

「貴方達にはイグノラムスによる小数賀ルイ殺害阻止をお願いします。
 彼は相当な手練れだ。説得も通用しづらいと思う。だから面倒かもしれません」
 正美自身の意思も決まっている。確信めいたものを言葉一つ一つに乗せて、彼は口を開いた。

「ああ、そうだ。『呆れるほどお人好しのやつに止めてこいって頼まれた』って彼に伝えて。

 皆さん、どうか無事で。幸運を、心から祈ります」



 ――サイコロを振り直す時が、来た。




■シナリオ詳細
種別:シリーズ
難易度:普通
担当ST:品部 啓
■成功条件
1.イグノラムスの小数賀ルイ殺害計画を阻止する
2.なし
3.なし
【注意】このシナリオは『【金糸雀の歌】運命の6面体』との同時参加はできません。重複して参加した場合は全ての依頼の参加権利を剥奪し、LP返却は行われないのでご了承ください。

シリーズ全3回の内の第2回目。
夢見という切り札の威力を心から実感した瞬間。
最悪のエンディングを避けるため、彼を妨害せよ。
同時公開予定の『【金糸雀の歌】運命の6面体』と同時刻の連動シナリオです。イグノラムスの目的が目的だけに、今回は両者のプレイングが影響しあう可能性は高いです。
『運命の6面体』側でルイの殺害(?)方法については具体的に言及されていますが、これで『ルイを殺した』と言う辺りにイグノラムスの人となりが見える気がします。

§状況
昼間。
『運命の6面体』側より3ターン分交戦が早いです。
古い屋敷に通じる一本道。周囲は森に囲まれています。この屋敷には小数賀ルイが匿われており、イグノラムスはこの道を通ってルイに会いに行きます。
反対側にもう一本道がありますが、その道の方が太く、そこを通ってルイを拉致する憤怒者達が来ることをイグノラムスは理解しているので、細い道であるこちらの道を選んでくるようです。
細い道ですが立ち回りする程度の広さはあります。
ただ、相当な大人数が押し寄せるには少し狭いので、憤怒者達は太い道の方を通るようです。
覚者の待ち伏せを先読みして彼が不意打ちを仕掛ける等の心配は要りません。逆に覚者側が不意打ちを仕掛けることも不可能です。
つまり事前付与以外の小細工不要の正面衝突。
事前付与は1回まで可能。

・連絡通信手段について
『運命の6面体』『第7の喇叭』いずれかの参加者が交戦中は覚醒状態であることが想定されるので携帯電話等の通信端末機器で連絡を取ることができません。
仮に覚醒しないで戦闘する場合は今回相当弱体化しているという扱いで判定しますので、通信機器は使用不可だと思って頂いた方がいいです。
ですが、イグノラムスの交戦区域から屋敷まで距離は80m程度の距離なので、送受心・改で『運命の6面体』側のPCと連絡は可能です。
その場合は送受心・改で意識伝達する対象の名前を書いてください。リプレイに直接名前が出てくることはないですが、今回小数賀ルイの身柄安否はイグノラムスの行動に影響を与えるので、判定そのものに影響を与える可能性があります。
特定の愛称、呼称でおり、類推が付かなさそうな呼び方の場合は、(名前の一字を取って呼ぶ等なら、多分分かると思いますが、その場合でも記載して頂けると嬉しいです)、STが読解に時間がかかるので、IDかフルネームの記載をお願いします。

§敵データ
イグノラムス(本名不明)
イレブン幹部『ラプラスの魔』の腹心の部下の男。
「二つの予知」「≪悪意の拡散≫2人の思想」「≪悪意の拡散≫3つの概念」「【鉱員の挽歌】4つの美徳、4つの悪徳」に登場。
武器は拳銃、ナイフ(両者とも対覚者用ですが、毒が仕込まれている可能性は無いです)
イグノラムスの行動を制限する、干渉する等の技能スキル(魔眼、結界、ワーズワースetc.)無効
BSは重力系、鈍化系無効

使用スキルは以下の通り(全て体術・ラーニング不可)
・毒炸裂弾(物遠列・ダメージ0・猛毒・虚弱)
・閃光弾(物遠全・ダメージ0・命中率低下)
・霞舞(強カウ)
・四方投げ(物近単)

高機動力・手数重視。速い上回避率も高く、容赦なく会心に当ててきます。
防御力は低くとも命中率を下げてくる上、仮に命中したとしても霞舞の強カウンターの威力が凶悪になる可能性が高いです。
今回は彼を撃破せず妨害するだけで構わないので最悪『運命の6面体』側が小数賀ルイを保護するまで耐久戦を仕掛けるのもかなり有効な作戦だと思いますが、『運命の6面体』側が成功する、その確証がない限りは彼が説得に応じる可能性は相当低いです。

仮に説得しても『運命の6面体』側が失敗し、ルイが死んだとなれば状況は悪化するでしょう。
また相当追い詰められている状態なので、正論で論破したり「小数賀ルイの身柄保護は約束するからここは退いてくれ」と言っても素直に聞きません。
戦うことなく場を収めることは不可能だと思って下さい。

しかし、聞く耳を一切持たないという話ではありませんので、戦闘中に有効なことを言えば何らかの弱体化(攻撃力・攻撃回数の低下等)は見込めますし、難易度が相当下がる可能性は極めて高いです。状況によっては撤退する可能性もあるでしょう。
状態
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
(1モルげっと♪)
相談日数
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
公開日
2017年09月26日

■メイン参加者 8人■

『凡庸な男』
成瀬 基(CL2001216)
『天を翔ぶ雷霆の龍』
成瀬 翔(CL2000063)
『天を舞う雷電の鳳』
麻弓 紡(CL2000623)

●対峙
 風が吹いていた。『導きの鳥』麻弓 紡(CL2000623)は握りしめた手を解く。爪の跡が掌に浮いているのを見て、後ろから『地を駆ける羽』如月・蒼羽(CL2001575)が紡の頭をぽふぽふと撫でた。
「つーちゃん大丈夫?」
「……うん」
 紡は何かをごまかすように、『アイラブニポン』プリンス・オブ・グレイブル(CL2000942)を蹴り飛ばし、祝詞の加護を与えた。もっともプリンス本人にしてみれば単に背を蹴られただけだが。
 『凡庸な男』成瀬 基(CL2001216)が蒼羽にシールドを掛け、『教授』新田・成(CL2000538)が『白の勇気』成瀬 翔(CL2000063)に同様のシールドを展開する中、聞き耳を立てていた緒形 譟(CL2001610)が何かに気づいた。
「おい。奴さん来たぜ」
 自然治癒力を高める香りを振りまいていた『新緑の剣士』御影・きせき(CL2001110)が弾かれたようにそちらを見れば、確かに黒ずくめの男の姿が。
「やぁチーフ、ヒドい顔してるね」
 彼がこちらに着いた所で、プリンスが声を掛けた。イグノラムスは黙ったまま。
「二日酔い? 余もだよ!」
 軽いトークを交えても一切微動だにしない。感情を探っていた譟はぽつりと言った。
「つまんね。って言いたいそうだぜ?」
 しん、とする空気。不気味なぐらい感情もフラットだ。それより驚いたのが彼が自分達がやってきたことにほとんど反応を示さなかったことだ。
(オレ等を既に敵って見なして、それにしか集中してねーって感じだなコレ)
「一応聞くが」
 ようやく彼が口を開いた。
「今回のお前等の仕事は、俺の邪魔か?」
「そだよ」
 紡がぽつりと言った。これ以上の御託は要らない。そう紡は思っていた。正美が見た暗黒の未来。それは組織にとって最善だが、誰も幸せにならないものだと彼女は思う。だがそれを言っても逆上させるだけだ。
 譟が絶望に近い何かを深く受け取った次の瞬間、周囲に大きな光が閃いた。直後響いたのは、銃声。翔目掛けて放たれた弾丸は、シールドに弾かれ軌道を逸らし、翔の肩を掠める。反射障壁を兼ねたそれに自分の攻撃を遮られ、イグノラムスにも軽い傷を与えるが気にしている様子はない……と思いきや。
(イラついている、と)
 譟は確実に彼の苛立ちと焦りを拾い上げた。この状況はまずいと理解しているようだ。
 しかし、次の瞬間彼に襲い掛かったきせきの斬撃は、ひらりと後ろに飛んだだけで躱され、真上から振ってきたプリンスの顔入りハンマーも僅かな動きで容易く回避する。術式も同じだ。頭上から雷が降ろうと、地面から土の槍が突き出ようと最小限の動きで避けるのだ。
 今度閃いたのは毒の炸裂弾。後衛に投げ込まれて炸裂した直後、息を乱すことも無く覚者達の攻撃を回避しもう一度中衛に炸裂弾が投げ込まれる。小数賀ルイの確保にある程度の時間が掛かる以上、こちらは時間稼ぎをするしかない。猛毒と虚弱でこちらの火力も減っている。翔が回復に奔走するが、確率を考えれば一気に全員回復とは行かないだろう。
 だが、それでも集中を有効に活用したプリンスの大槌が、回避しきれずに彼の身体を吹き飛ばした。
「貴公、分かってんじゃない? 命令が誰のためのものかって」
 彼がぐらりと立ち上がり、カウンターの構えを取ったのを見てきせきも意識を集中させ、火の元素を身体に集約させる。
「お互い気遣い過ぎで逆にギスギスしてるんじゃない? そういうの良くないよ?」
 ぎり、と奥歯を噛みしめる音が明らかに聞こえた。完全にヘイトがプリンスに向かっている。
「隊長! もう止めようぜ!」
 翔も叫んだ。
「XIがとかじゃないだろ!」
「……」
「恩があるのは分かるけどよ! でも自分を押し殺して心壊してたら意味ねーだろ! これ以上あいつらに責任負う必要どこにあるんだよ!!」
 イグノラムスは動きを止めた。翔の叫びは、確実に聞こえている。しかし血のようなどす黒い何かが空気に混じったように見えた。
「アンタらが死ぬ必要なんてどこにもねーはずだろ!」
 男の表情だけは、変わらない。
「貴方の居場所は小数賀博士の隣だと僕は思ってたんだけどな」
 蒼羽の言葉に凪が、揺れた。
「組織も大事でしょうけど、結局それは建前だ。素直に考えたら大事なのはどっちか分かる筈だ」
 八つ当たりと言わんばかりに弾丸が蒼羽の頬を掠める。赤い筋が付いたが、蒼羽は表情を一切崩さなかった。
「この際だ。貴方に問いましょうか。貴方は何をしたいのか」
 成の言葉に、刺すような視線を送った。
「義理堅いのは美徳だ。しかし死を粛々と受け入れる彼に甘えて、その先の最善を諦めるのですか?」
「最善、だ……?」
「もっとはっきり申し上げましょうか。他人を尊重しすぎた結果主体を無くしたのでは?」
「オイ! それ以上は……!」
 譟が叫んだ次の瞬間、きせきが火の玉の様にイグノラムスの懐に飛び込んだ。
「思いつめるぐらいになっちゃうなら、何があったって大事なもの手放しちゃ駄目だって!」
 きらり、と。きせきの胸ポケットに入った形見が光るのを、イグノラムスは確かにみた。

●絶望
「……抜かせ」
 きせきの火の元素を帯びた連撃が入り、イグノラムスの身体がぐらりと揺れた。服に血が赤く滲む。だがその目だけが嫌にぎらついた。
「だっから言わんこっちゃねーよ! これ地雷だろjk!」
 思わず譟が言った。
「黙って聞いていれば……」
 感情を探っていた譟は嫌にどす黒く、重い何かがのしかかる感覚を覚えた。これは本気で怒っている。それを嫌でも感じた。彼だけではない。その覇気に、全員が攻撃を止めた。
「俺がどれだけ苦しんだと思っているんだ! それでも俺が自分を殺さないでどうするって言うんだ!」
「でも、それで壊れたら駄目だって!」
 攻撃を止めてでも、きせきの言葉に彼は噛みついた。
「勝者の論理を振りかざすな! 性別、嗜好、血液型、人種、疾病、障害、組織、人間関係……。結局それも『偶然』だ! 実力で掴み取るような性格でさえ遺伝や環境に左右され、お前達はたまたま恵まれて光の当たる場所を歩けている! そして人助けだって所詮優越感とエゴイズムの賜物だ! 違うか!?」
「オレはそんなんじゃねーよ! アンタだって小数賀博士に生きていてほしくねーのかよ!」
「黙れ! 俺の願いに何の意味がある! 所詮それだってエゴだ!」
「そういうのがおかしいって言ってんだよ!」
 翔が負けじと彼に眼光を飛ばす。火花どころか炎上する勢いのにらみ合いに、成が口を開いた。
「強者の論理……なら、貴方はどうなのですか」
 敵意しかない視線を成に向けた後、怒りを滲ませながら彼は言葉を返した。
「俺はまだ運がいい方だ。XIが無ければ……想像したくもない」
 そう言うだろうな。紡は一言も発さなかったが、つくづく思った。同じ語源のignoreだったか。耳を塞いで知らんぷりのあのイメージが脳裏を過る。彼は、無視された人間だったのだろう。
(わんわんの場合はneglectって感じもするけどね……)
「たとえ最低の人間であろうと、俺が守らなければいけない。第二第三の俺がいるんだ」
「これ任侠道って言えば聞こえはいいけど結局ヒモ男養ってる姫の思考じゃん。第一XI守ったとしてもチーフが恐怖政治に走ったら無意味d」
 そこまで言ったプリンスの後頭部に、紡の無言のハリセンが飛んだ。至極正論だがこれ以上は彼を怒らせるだけだ。
「本音が何だろうと誰かが泣きを見なければこの世界は回らない! 俺もドクターもそれに絶望しているんだ!」
「だからだめだよ! 人の死がどれだけ辛いか僕もわかるから!」
「黙れ! お前のエゴを俺達に押し付けるな!」
 最早きせきの言葉に狂乱し始めたイグノラムスが声を荒らげたその瞬間。黒い影が、イグノラムスの目の前にすっと現れた。咄嗟に彼はその顔面を殴り飛ばす。その直後、全く同じようにイグノラムスの顔面に拳が入った。
 その瞬間、男は悟った。吹き飛ばされながらもすぐさま脚を掴む基に――イグノラムスは苛立ちを覚えて踏みつけようとする。が。黒い笑みを浮かべる彼に、否が応にも理解した。カウンターで自分を止めるつもりだ。しかも、タチの悪い事に
「ああ。そういう手があったか」
 蒼羽もうっすらと笑みを浮かべ、イグノラムスの背後に回る。反応しようにも脚を掴まれたままで躱すのにも限界がある。しかも蒼羽も霞舞の使い手だ。反撃したらダメージを食らう。背の高さも有利に働いて、イグノラムスは羽交い締めにされた。
「離せ! 邪魔をするな!」
「無理だね。僕達はちゃぶ台返しのために来たんだから」
 どさくさ紛れに翔ときせきまでもが彼を取り押さえにかかった。もう動く事は出来ない。
「ふざけるな! 大体お前等誰の差し金だ!!」
 イグノラムスの絶叫に、一同は全く同じタイミングで
「泣き虫で呆れるほどのお人好し」
 とだけ。直後翔がとつとつとしたルイ救出の念を受け取り、にんまりと笑った。
「キミらの最善はもう最善じゃないよ」
 紡もハッキリと言う。彼は遂に観念したようで、抵抗を止めた。

●犠牲
 小数賀ルイの殺害が不可能だということは完全に理解したようだ。憑き物が落ちたようにイグノラムスが木にもたれ掛かったのを見て、覚者達は警戒を解く。一応仲間の手当てをした後、紡はイグノラムスの傷も術式で治した。軽く傷が塞がる程度の治癒だ。
「激しく動いたらまた傷が開くからね?」
「……分かった」
 魂が抜ける程の勢いで、溜息を吐く。
「ドクターの無事は……保証してくれるのか?」
 抜け殻のような言葉に譟は面食らった。
「あのクソ上司のこったから他が壊滅的でもそこ『だけ』は守るんじゃね? オレも組織人寄りだからとやかく言えねーが、いい加減そういうの考えるのやめろよ」
「『そういうの』……? それはずるくないか?」
「ずるいとか……いや……ずるくはねーだろ」
「貴公完全にモラハラホイホイだよね? そんなんだと望みの姫にアプローチ出来ないよ?」
「ホイホイ……」
 プリンスの言葉に彼は呆気にとられた後、今まで聞いた言葉を反芻するようにぶつぶつと言ってから地べたに座った。しかしここに問題が。足元の基である。まだ彼の足首を掴んでいる。
「おい。いい加減離せ」
「名前、教えて」
 彼は一瞬黙った。何故それをと思ったが、手を放す様子はない。
「ふっちーとか隊長とか何かもうアレじゃん」
「分かった。アレの意味は分からんが離してくれ」
 ようやく基が手を放したのを見た所で、溜息一つ。
「杉原昇平。昭倭64年6月17日生まれ。……探っても何も出てこないぞ」
 彼の境遇を考えれば戸籍もないかもしれない。ただ、名前を名乗った時点で最早大体のことに諦めは付いたようだ。勿論、良い意味で。
「あ。僕は成瀬基ね?」
 白々しく笑う基を見て、イグノラムスこと杉原昇平は呆れ気味に溜息を吐いた。
「夢見が観測した以上、未来は収束し確定したのですよ」
 仕込み杖をコツリと鳴らし、成が口を開く。
「夢見……卑怯な能力だ」
「ちなみにチンチロだったらピンゾロより遥かに奇跡的な確率かと」
「そんな強運に負けたのか。……あほらし」
 拗ねた様子に成は笑みを崩さない。
「そんなことは言わず。28ならまだまだお若いのですし」
「もう30近いぞ」
「その歳ならいくらでもやり直せるでしょう。貴方がやりたいことも出来る筈だ」
「……やりたいこと?」
 昇平は酷く苦々しい顔をして溜息一つ。
「人間、出来ることしかやれないだろう」
 譟は昇平から言いようのない空虚を感じた。しかし成はそれに一言。
「なら出来ることを増やしたいのが貴方の希望ですな」
 何かをさらりとかわされた気がして、昇平は眉根を寄せた。
「スタントマンとかどうかな? 絶対向いてるよ」
「じゃあ何だ? その内ヒーローショーとか出るのか!? オレ見に行くぜ!」
「……何勝手に話を進めている」
「あ、ボクも相棒と見に行きたいかも」
「じゃあさ、きせきさんもいこーぜ!!」
「え!? 僕も?」
「もちろんだろ? 何ならタテの稽古付けてもらえよ! 叔父さんは引率な!」
 蒼羽達の発言に昇平は鼻白んだ顔をし、煙草を取り出して咥える。その傍らで、プリンスがしたり顔で話しかけた。
「じゃあチーフ、まずはとりあえず余と姫探しに行かない? 余と貴公のコンビならいい姫間違いなく見つけられるよ?」
「……ナンパは遠慮する」
「え。何で? 博士一筋?」
「そうじゃない。今のでしたいことを思い付いた。例えば――」
 そこまで言った次の瞬間、彼は何かを察知したようで、煙草をぱたりと口から落とした。

 一発の、銃声。

 昇平は間一髪で躱したものの、弾丸は脇腹を掠め血が流れた。
「おい名無し。何油売ってる」
 そこにいたのは一人の男。小銃を携えたその人物は、間違いない。竹島修一だ。覚者達は一斉に武器を向ける……が。
「おっと」
 修一は迷いもなく昇平に近寄り、その頭にライフルの銃口を押し付けた。
「訳分からん事態だが、こうすりゃお前等が動けないってぐらいは分かるぜ?」
「卑怯だぞ!」
 翔が叫ぶが、彼は一向に気にしていない。何せ互いに消耗した状態だ。昇平と戦う前ならば目はあったかもしれないが……。
「卑怯もクソもあるか。むしろこいつは裏切り者に等しいだろ」
「仲間を撃つなんて最低だよ!」
「馬鹿言え。ならそれで硬直してるお前等もお笑いだろ」
 きせきの言葉にやすやすと反論する修一。呆気に取られる一行を他所に、なぜか昇平は薄く笑っていた。
「ふふ……自分が何をしたい、か」
「番犬クン、何するつもり?」
 嫌な予感を覚え、紡が口を開く。そして次の瞬間
「お前達は盛大な勘違いをしている。俺の人生は他でもない俺自身の選択だ」
 その発言に、周囲が一気に凍り付いた。
「君は子供の頃から頑張って……」
 基の言葉に、昇平はまだ笑っていた。
「だがいくらでも引き返すチャンスはあった。それを反故にしたのは俺自身だ」
 基は言葉を詰まらせる。
「俺は結局自分勝手なクズなんだ。これは自業自得。それでいい。お前達は今まで通り光の当たる場所を歩け」
「そんなの小数賀さんが報われないよ!」
 今度はきせきが声を掛けた。それに昇平は笑ったまま。
「ならお前が俺の代わりになってくれ」
 昇平の言葉に、きせきは目を丸くした。
「辛くとも人は別れを乗り越えられる。それはお前自身が証明しているんじゃないか?」
「それは……」
「お前には適任だ」
 ――間違っていないが、正しくはない。きせきは強くそう思ったが、否定しようがない。
「だから頼む。小数賀博士の支えになってくれ」
「何するつもりだよ!」
 傷を手で抑え、去ろうとする昇平に翔が叫んだ。昇平は笑ったまま、ポソリと。傍にいた修一にさえ聞こえない声で何かを言って。
 その場を、去った。
「なんて言ったんだよ……」
 愕然とする翔に対して、譟が淡々と一言。
「『ありがとう。全部終わらせる』だとよ。あんな悟りの境地ヅラしといて物騒なこと言うぜ」
 アルカイックスマイルっつーの? といいつつも譟は更に思う。
「ラプラスの魔の代わりに心中するつもりだろ。まあオレ達の言葉は多少なりとも通じたんだろうよ。本音はあるが引き下がれねーから妥協点探って、所じゃねえか?」
 翔はその言葉に握り拳を作った。こんなに人を狂わせるなら、XIなんて無い方がいいと思ったのは事実だ。だが。それを一人で背負うのはおかしい。おかしく、あって欲しい。
「隊長が何悪い事したって言うんだよ……。悪いのはぜってー周りの人間だろ……?」
 今の今までもがき苦しみながらも歩いた人間が、このままだとまた人柱になって終わる。
「ぜってーちげーよ! こんなの正義じゃねー!!」
 翔の絶叫が、響いた。

「チーフは多分、チェックの民の親戚みたいな博士の罪は庇うだろうね」
 プリンスが淡々とそう語る。
「でも他に得する人っているの?」
「そう単純な損得の話でもないでしょう」
 今度は成が口を開いた。
「先程の彼の様にXIにしがみついていたい者はいる筈です。そしていくら非合理的に思えても破滅に向かう事例など枚挙に暇がありませんよ」
 そう。歴史上山のようにあった。当事者がおかしいと思っても、いつの間にか泥沼と化し、沈んでいくことなど――。
 昇平はそれを理解し、最大限利用するつもりだろう。

「でもそれでXIが完全に終わるとは思えないけどな……」
 今度は蒼羽がポツリ。それこそ未来が見えている気がする。昇平がルイの罪を全て背負い、存在を闇に消し、XIという組織が無くなったとしても、間違いなくXIの残党は残る。
「彼は、本当に雁字搦めにされているのかもね」
 世の中には不条理な人間が沢山いて、弱い彼等には居場所が与えられないのも事実だ。そこには覚者の闇以上に膨大な闇が広がり、人々を覆っている。
 弱者とは、何なのだろう。本当の弱者である昇平は限界だろう。それでも逃げ出せず、強くなることを結果的に強いられている。……相当な絶望だ。

 全部終わらせるというのは、本当に今彼がしたいことなのかもしれない。
 それでも彼が自分の名を、個を出したのは――ひょっとしたら。

「ばっかだなあ。みんな、わんわんを引っ張りあげたいのに」
 昇平が流した赤い血の跡。紡はそれを半ばじっと凝視し、そして呟いた。
「ボクは、諦めないからね。絶対助けに行くからね」
 泣き虫が泣き止むまで、二人が幸せになるまで、青い鳥は諦めない。

■シナリオ結果■

成功

■詳細■

MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし




 
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