運命の6面体
【金糸雀の歌】運命の6面体



 ノイズの後。イグノラムスは目の前の男――竹島修一の発言に怒りを隠すことが出来なかった。こいつは付き合いの長い、いわば同僚だ。ルイも彼の実力を信用はしていた。
 だが、言葉は聞き捨てならなかった。彼は思わず胸倉をつかんだが、修一はへらへらとするばかり。
「まあ落ち着けよ。お前にとっていい話だ」
「何がだ!」
 無理もない。この男が提案したのは『ラプラスの魔』小数賀 ルイ(nCL2000178)殺害だ。彼は修一の胸倉を掴む手の力を強くした。
 もう、XIが死に体なのは大体が理解している。ルイは解散を考えているが、それを素直に受け入れる人間は自分達の子飼いの部下だけだろう。訳の分からない輩が増えすぎた。そしてその為にこいつは掌を翻した。だが解散が合理的なのは間違いない。
「博士に感化されすぎだ」
 心を読むように修一が一言。
「は?」
「自首してムショ行きか? 他の連中はどうするんだ? 今更知らん顔か」
「……」
「ああ。ひょっとして博士とデキてるって噂は本当か?」
「ふざけるな!」
「それは俺の台詞だ。お互い組織に恩がある身だろ。博士を妄信して偽善者面か?」
 思わず胸倉を掴む手が緩んだ。
「違う。潰れかけの状況で」
「その手立ては博士が打ってきた筈だ」
「そのドクターが破綻すると言っているんだ!」
「出鱈目だろ」
 ――全然一貫していない。出鱈目はこいつだ。
「未来は変わるもんだろ」
 その言葉に、イグノラムスは奥歯を噛みしめた。
「未来は基本変わらない。……どう対処するかだ」
「あほらし」
 言い返す前に、修一は乱雑にイグノラムスの手をはねのけた。
「いずれ今後邪魔になる博士は血祭りに挙げる。お前が手を貸すかどうかだ」


「余命幾ばくも無い奴を見ている気分でした」
「そっか」
 事の経緯を報告するため、イグノラムスはルイを匿っていた古い屋敷を訪れた。とはいえ、ルイの心は決まっていた。
 ルイは迷いもせず彼が用意した致死量の毒を飲んだのだ。今はそれが効くまでのタイムラグ。しかしルイは平穏な表情でベッドに腰かけていた。

 ――近いうちにこの組織は破綻を迎える。

 数年前隔者に殺されかけたルイを保護し、協力を仰いだ際に言われた言葉だ。
 ルイの取った方策はそれを踏まえて爪痕を残すぐらいの何かをこの世界に与えてやるもの。

 共存は、それで発する弊害を承知して行うもので無条件に肯定すべきではない。システムで不満分子を封殺するのも限度があるからだ。そして差別はどこにでも蔓延る。偏り見ないのは神ぐらいだ。
 それらの事実を受け入れた上で弊害をどう緩和させていくか。彼等の活動は、それを問うための爪痕だった。
 上手く行けば相互非干渉の地域は作れただろうが、冥宗寺が居ない今となっては妖を退治する非覚者も……。
 そしてここが非合法な行為を行っているのは変わらない。どこかでランディングさせるべきだ。
「一部は素直に自首したようですが……そこまでです」
「難しいね」
 一瞬、部屋の中が静かになった。言葉が出てこない。
「……ごめんね。僕を慕ってくれる人も沢山いたのに、全部任せて君を独りにさせる」
 ルイがぽつり。
「いえ。優しいからそう思うんです。私は底辺なりの最期を全うするだけだ」
「……」
「泥船にも船長は要るし、馬鹿だ悪だと罵られる人間も必要です」
 ――どこかで、これを止められなかったのか。お互い言わなかったが、そう思った。

 まさか夢見が見ている筈も無い。事件の数に対し、夢見の数はごく僅か。無数のサイコロをばら撒いて、全部1の目が出るような奇跡――。

 うつらうつらとまどろみ始めるルイを見て、彼はその肩に腕を回した。
「僕はね。怖くないよ」
「……」
「人間は細胞で出来た機械だ。心臓が止まれば機能は停止する。それだけ」

 その言葉を最後にルイは彼にもたれ掛かり。二度と眼を開かなかった。体温が抜けていく感覚だけが、腕を伝った。

 複数人の足音が聞こえた。彼はゆっくりルイの身体を横たえそちらへ向かう。
 そこには武装したXIの構成員が。イグノラムスは沈黙のままナイフを取り出した。

 彼がまず殺したのは、自分の心と痛み。次は、生贄にすべき同胞。
 そして彼は、魔物となった。


 ――しかし、まさかの奇跡が起きていた。
「仮にイグノラムスが来なければ小数賀博士は拉致されて筆舌に尽くしがたい血祭りだ。その結果イグノラムスが何をするかは分からない」
 『夢見准教授』菊本 正美(nCL2000172)は比較的淡々とした口調でそう言った。
「こちらには博士の身柄確保をお願いします。構成員が自首して供述している。聴取ぐらいは可能だ。博士が死んで神格化されたらまずいし」
 そこまで言って、深呼吸一つ。固い話はここまでだろう。
「……ま、ホントは単に私が彼等を助けたいだけ」
 自嘲を込めて、正美は言った。
「エゴかもしれない。でも、折角この力があるんだ。だから、最初で最後の『わがまま』だ。

 ……博士を、助けてきて」


■シナリオ詳細
種別:シリーズ
難易度:普通
担当ST:品部 啓
■成功条件
1.小数賀ルイの身柄を保護し(軽傷までなら可)屋敷から脱出する
2.なし
3.なし
【注意】このシナリオは『【鉱員の挽歌】第7の喇叭』との同時参加はできません。重複して参加した場合は全ての依頼の参加権利を剥奪し、LP返却は行われないのでご了承ください。

シリーズ全3回の内の第2回目。

正美が苦悩した末の『最初で最後のわがまま』
何だかんだで職務に忠実でしたもんね。電磁波の時は怒ってましたが、武力衝突を止めて来いとしか言わなかった。
でも彼は結局お騒がせですよね。
閑話休題。
同時公開予定の『【鉱員の挽歌】第7の喇叭』と同時刻の連動シナリオです。イグノラムスの目的が目的だけに、今回は両者のプレイングが影響しあう可能性は高いです。

§状況
昼間。『第7の喇叭』側より3ターン分交戦が遅いです。
某所にある古い屋敷。周辺は林が半径100m以上広がっています。屋敷入り口はすでに開いています。
2階立て、ロビーは吹き抜け。ロビーの階段を上ってすぐの所にルイのいる部屋があります。部屋にはベッドや机があります。
両隣にも部屋はありますが、人は住んでいません。
ルイの部屋の戸は施錠はされていません。
屋敷までは大きな道と細い道2つのルートがあります(林を突破するのは不可とします)が、細い道は『第7の喇叭』側の交戦場所となっています。
尚、屋敷の横から物質透過を使用する、ルイのいる部屋へ飛行を使用して窓から侵入するなどの手段は可とします。(ただし、そこに行くまでに最低でも道の途中の憤怒者10人(後述)を抜ける必要はあります)
成功条件を満たすには

(1)憤怒者を全員撃退する
(2)屋敷入り口前に待機している憤怒者を突破し、身柄を保護した後憤怒者を始末するなりかいくぐるなりしてルイを屋敷から100m以上移動させる(ただし『第7の喇叭』側の交戦場所は経由しないものとする)&憤怒者を述べ12人戦闘不能にする
のいずれかがあります。

(1)は時間がかかりますが、確実にルイを保護できます。しかし『第7の喇叭』側に負担を掛ける恐れがあります。
(2)は時間短縮できる可能性は高いので『第7の喇叭』側の負担は減りますが、ルイに1人ガードを付ける必要があるので、その分交戦人数が減るデメリットがあります。
尚今回「100m離せばいい」ということで一旦屋敷周辺の林に匿い、待機してもらうのも有効ですし、その方法を用いても成否に関わるペナルティは一切発生しません。逃げ出すこともないでしょう。

・連絡通信手段について
『運命の6面体』『第7の喇叭』いずれかの参加者が交戦中は覚醒状態であることが想定されるので携帯電話等の通信端末機器で連絡を取ることができません。
仮に覚醒しないで戦闘する場合は今回弱体化しているという扱いにしますので、通信機器は使用不可だと考えた方がいいです。
ですが、イグノラムスの交戦区域から屋敷まで距離は約80m程度なので送受心・改で『第7の喇叭』側のPCと連絡は可能です。
その場合は送受心・改で意識伝達する対象の名前を書いてください。リプレイに直接名前が出てくることはないですが、今回小数賀ルイの身柄安否はイグノラムスの行動に影響を与えるので、判定そのものに影響を与える可能性があります。
特定の愛称、呼称でおり、類推が付かなさそうな呼び方の場合は、(名前の一字を取って呼ぶ等なら多分分かると思いますが、その場合でも記載して頂けると嬉しいです)STが読解に時間がかかるので、IDかフルネームの記載をお願いします。

§小数賀ルイ
イレブン幹部、ラプラスの魔の正体。
身体能力は一般人より更に低いです。
かなり合理的に動きますし、あからさまな危害を加えようとしない限りはPCの指示に高確率で従います。

§敵データ
憤怒者×20人
使用スキルは以下の通り。
・毒炸裂弾(物遠列・ダメージ0・猛毒)
・ナイフ(物近単・出血)
・機銃掃射(物遠列)
・プロテクター(パッシブ・物特両者のダメージ軽減)

道の途中に10人。
入り口前に5人。
ロビー(1階)に5人います。
屋敷までの突破に手間取るとロビー内の憤怒者が2階に到達します。その場合ルイの奪還が必要になります。
道の途中の彼等を抜けることは簡単(ブロック不要)ですが、入り口前の憤怒者の突破は行動制限系のBSを付加する、注目を集めるなどの行為は必要でしょう。

・竹島修一
ルイ直属の部下。イグノラムスに比べれば重用はされなかったが実力は買われていた模様。
年齢は25ぐらい。
使用スキルは憤怒者と同一ですが、攻撃の威力、パッシブによる防御力が大幅に高いです。
また現場での状況判断能力は高いので、適宜柔軟に判断する可能性はありますが、あくまで憤怒者の域を出ないので脅威になる可能性は今回については極めて低いです。
状態
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
(2モルげっと♪)
相談日数
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
公開日
2017年09月26日

■メイン参加者 8人■

『Mr.ライトニング』
水部 稜(CL2001272)
『居待ち月』
天野 澄香(CL2000194)
『冷徹の論理』
緒形 逝(CL2000156)
『エリニュスの翼』
如月・彩吹(CL2001525)
『天からの贈り物』
新堂・明日香(CL2001534)
『涼風豊四季』
鈴白 秋人(CL2000565)

●全
 こっちは任せて。
 少年の念で伝わってきたその伝言に、『世界樹の癒し』天野 澄香(CL2000194)と『エリニュスの翼』如月・彩吹(CL2001525)は小さく笑った。
(信じていますから、こちらは任せて下さい)
 澄香も念を送り、空を仰ぐ。そろそろ頃合いだ。
「行きます」
 その言葉に頷きを返し、見送ったのは『Mr.ライトニング』水部 稜(CL2001272)だ。
「林は燃やすなよ」
 いつも通りの保護者口調で彩吹にそう言うが、次に返って来たのは
「じゃあ屋敷は燃やしていいってことだね」
 という言葉。
「……現住建造物等放火の量刑は洒落にならんぞ」
 思わず眉根を寄せる稜に、彩吹は笑っていた。
 空を飛ぶ澄香の姿を、桂木・日那乃(CL2000941)もじっと凝視する。
「夢見さんが、助けて欲しい、って、言った、から。わたしが、代わりに、やる、の」
「おっさんも同感よ」
 隣に居た『冷徹の論理』緒形 逝(CL2000156)も頷く。
「准教授ちゃんも小数賀ちゃんを助けることに決意は固そうだったし、仮に助かった後も大丈夫だと思うがね」
 何よりあの二人ならいい友達になりそうだと思うさね。そんな言葉に『癒しの矜持』香月 凜音(CL2000495)は頭を軽くかいた。
「小数賀はまあ……何ていうか。お騒がせなのか?」
 巻き込まれ体質とも違う気はするが、と独り言ちながら首を傾げる。
「不幸な人、だとは思うけど……」
 『秘心伝心』鈴白 秋人(CL2000565)はそこまで言って、言い淀む。そしてしばらくしてから一言。
「何にせよ俺は放っておけないな」
 『天からの贈り物』新堂・明日香(CL2001534)も静かに頷く。事態は相当複雑で、何が正しいのかはもうさっぱりだ。だが動く理由はある。
「先生が『助けて』って言ったんだもん。あたしも助けたい。それでいいよね」
 握りしめた手を解き、明日香は前を見据える。
 彼等は屋敷を目指し、走り出した。

●火
 澄香に注目を惹かせないためには、自分達が囮にならなければいけない。覚醒状態で駆け抜ける彼等に、10人達の憤怒者が立ちはだかろうとする、も。
「邪魔」
 火の玉の様に飛んできた彩吹が憤怒者数名を吹き飛ばし、その横を駆ける覚者6名。
「先に行かせてもらうよ!」
「鈴白ちゃん、ああいう手合いには何もコメントせんでもいいよ」
 あっさりと突破して、ちらりと見ればすぐ先に更に5名。
「事前の情報通りだね」
 彩吹はくすりと笑って言った。
「ほれ悪食や。そろそろ時間だ」
 妖しい気を帯びた武器を、滅茶苦茶に振り回す黒い長身の怪物じみた『何か』が屋敷の扉前に一『体』。
「がっ!」
 瘴気を伴う嵐のような斬撃に1人が巻き込まれ、なぎ倒されるかの如く斬り付けられる。
「おい……コイツ……」
「覚、者……だよ、な……?」
 覚者かどうか、というより、覚者以上の化け物を見る目だ。完全に注目を惹いている。銃声が響き、弾丸が逝に襲い掛かる。しかしそれは甲高い音を立てて主翼の如き腕に弾かれ、お構いなしに反撃の楔が飛ぶ。
 そこで更に憤怒者達に襲い掛かって来たのが、稜の雷と凜音の炎の波だ。鼓膜を破裂させる勢いの爆音と、目までを灼く勢いの火炎が真っ赤に視界を覆う。
「俺達、別に気を惹く必要なかったんじゃね……?」
「火力で潰す必要はあったからいいだろう」
 彩吹の蹴り飛ばしを横目に見つつ。それに、と稜が言った直後。
 更に轟音が響いた。地鳴りのような音と共に道からやって来たのは、秋人と日那乃の放った水龍牙だ。まさに龍という勢いで襲い掛かり、突っ込む様はよくできたSFXも真っ青だ。
 流れに巻き込まれていく憤怒者達。とて、とてと足音をさせて、日那乃は「ん」とだけ頷き、秋人もそれに頷きを返した。
「先生、どっち、攻撃する?」
「俺は……右側かな?」
「……ん。分かった」
 その光景を見ていた明日香が思わずポツリ。
「……これ、映画館いらない勢いだよね」


 一方で、澄香はと言えば。仲間達のお陰で首尾よく屋敷の裏へと回り、ルイのいる部屋を見つけた。軽くノックをしてから、澄香はガラス窓を開けた。
「君は……!」
「覚えてらっしゃいましたか?」
 くすり、と笑い。そして直後澄香は表情を一変させて真剣な声で言った。
「貴方と、貴方の為に不幸になろうとしてるイグノラムスさんを助けに来たんです」
 イグノラムス。ルイはその言葉に明らかな反応を示した。
「もう、分かってるんだ?」
「……」
「部下達のお陰かな」
 澄香は敢えてそれには反応せず、手を差し伸べた。
「一緒に来て貰えませんか?」
 その言葉にルイは無言で頷き、手を掴む。澄香はそれにふんわりと笑み、周囲を見渡した。
(とりあえず、安心させるために毛布を持っていきましょうか……)
 温かくてふかふかしたものがあると、人間は本能的に安心するだろう。ルイを毛布でくるみ、澄香は再び空へと飛び立った。


(澄香から連絡を貰った。保護に成功したそうだ。つけられている様子もないらしい)
 澄香から思念を受け取った稜が、一斉に残りの7人に思念を送る。ロビーに入って交戦を続ける覚者達だが、玄関前の憤怒者達を破竹の勢いで数名戦闘不能に追い込んだことが幸いした。屋敷に突入しても特にダメージは無く、ロビーとの相手とも交戦出来ている。
「おい! 何ぼやぼやしてる!」
「すまねぇ!!」
 挟み撃ちを避けるためロビーのエントランスの壁を背にし、憤怒者を迎え撃つ覚者達。先程無視した10人の憤怒者達も増援でやって来た。竹島修一がどこにいるかは分からないが、今まで確認できている憤怒者達は澄香には全く気付いていないようだ。確実に上手く行っている。
 室内とは言え術式の能力も健在だ。
「あなた達にはとっとと退場してもらうからね!」
 明日香が天の源素を活性化させた直後、星々のきらめきが波のように押し寄せて憤怒者達に襲い掛かる。数人が盾で防いだものの、その威力を受けて僅かに後ろに下がる。

 しかし、その防御に成功した憤怒者も逝に容易く投げ飛ばされて吹き飛んだ。
「さ、さくっと食っちゃおうかね?」
 ゆらり、と。形容しがたい瘴気が周囲を覆う。

 その後ろで。
 キリキリキリと音を立て、弓が張りつめられる。秋人は一直線上に憤怒者が並んだその瞬間を感覚を研ぎ澄ませて待ち、そして。
 空気を巻き込み、どうという重い音を響かせて矢の周囲に衝撃波をまとったそれは、憤怒者達の身体を軽く宙へと吹き飛ばした。

「俺、何か最近荒っぽい事ばっかやってるよなー」
 本来は治癒が専門であるはずの凜音が再び炎を放ちぼそりと。刺激を求めるためにここに所属して、結果荒事に巻き込まれ、回復役を目指したつもりが最近何ともその方針さえ揺らいでいる……気がする。
「吹っ飛ばされるのは勘弁だけどよ……」
 若干退いたような口調で一言言いつつも、その炎の威力だけは言葉とは裏腹に破壊的である。
「ああそうだ。回復しねーと。猛毒は流石にタチ悪いしな……」
 そう言えばあの毒の発見者はラプラスの魔だっけか、ともふと思いはしたが、それよりも今は目の前の戦闘だ。

(水部さん。魔物さん、と、天野さん、無事?)
(現段階では襲われている報告はない。じきに遠くまで博士を届けるだろう)
 念で会話をしながら日那乃はその深い茶の瞳で敵をじっと見据える。彼女が憤怒者をすっと指さした瞬間。ごぽりと音を立てて水球で現れ、風景が一部歪んだ。直後その水球から再び龍が頭を出し、憤怒者に猛烈な勢いで突っ込んだ。
「これで、被害者、出ない?」
 倒れた憤怒者を見てから、日那乃は問うように首を傾げた。
「……『誰』を『被害者』にするかによって返答が変わるな?」

 澄香がルイを毛布で巻いて抱えて空を飛び、屋敷から引き離したお陰で憤怒者はルイを探して拉致することもできていない。とはいえ目の前の覚者を放置することも出来ず、憤怒者達は明らかに苦戦を強いられていた。
 これなら全員撃破できるかもしれない。そんな空気さえ覚者が感じた直後。
 複数の毒炸裂弾が投げ込まれ、彼等の足元で破裂した。突如の出来事で面食らう覚者をよそに、男の声が。
「オイ! 撤収しろ!」
 その声の主の姿に真っ先に反応したのは彩吹と明日香だ。間違いない。竹島修一だ。
「逃がさない」
「あいつは絶対危ないよ……!」
 彩吹は憤怒者の胸倉をつかんでいた手を放し、新たな獲物を見つけたアシダカグモの勢いで飛び込んだ。明日香も手の平に天の源素を集中させる。
 だが、次の瞬間彼女たちに飛んできたのは機銃掃射による鉛弾だ。明日香は後ろに飛び退き、彩吹も一旦勢いを止める。だがそれでも追いかけるつもりであるらしい。
「おいお前達ちょっと待て! 深追いは……!」
 同じく修一には思う所のあった稜が制止するが、時すでに遅し。遠くに行ってしまった。
「……まあ、私は2階に行くか」
「何かしに行くの?」
「ああ……まあ。手が空いてるなら鈴白も手伝ってくれ」
「や、おっさんも手伝うよ?」

 黒い翼を広げ、器用に林を抜けながら彩吹は修一を追う。それに続く明日香は彼に雷を浴びせようとするが、走っているせいで的が定まりづらい。
「ちょこまか器用な奴だ」
「これじゃ埒が明かない……!」
 ――しかも。轟音と共に小銃の弾丸が襲い掛かる。これには二人も堪らずに木に身を隠した。とりあえず弾丸が尽きれば、目はある。そう思って待っていた直後、鉛の嵐が止んだ。
(チャンス!)
 しかし、刹那飛んできたのは毒の炸裂弾。予想していなかっただけに驚き、回避で後ろに飛び退く明日香と彩吹。
 だが、それが災いした。直後視線を上に戻せば――

 どこにも、修一はいない。
「逃がしたの……?」
「どうやらそうみたいだね」
 周囲を見回した彩吹に、明日香は手をぐっと握りしめる。こんなにやすやすと逃がすとは。……とはいえ、今はルイの身柄の無事の方が重要だ。
「戻ろう。これ以上は誰かさんにカミナリを落とされそうだしね」
「そうかもしれないけど……」
 そう言いながら、彼女達は来た道を戻って仲間と合流することにした。
「……次は絶対に逃がさない」

●個
 憤怒者達は、完全に撤退したようだ。一応手分けして確認をしたが、それらしい気配は一切なかった。
「向こう、何か、大変そう、だった?」
 念を別動隊に送った日那乃が小首を傾げてそう言う。向こうも終わりが近いようだが、何か大捕り物があったらしい。
「大丈夫でしょうか……?」
 澄香も一緒に首を傾げる。
「たぶん、大丈夫?」
「ならいいのですが……」
 僅かに考えた後、
「魔物さん、無事?」
 日那乃にそう問われ澄香は頷いた。
「ええ。落ち着いてらっしゃいます。怪我もありませんし大丈夫かと」

「……竹島は逃がした」
 直後、合流した彩吹がそうぼそりと言う。
「アイツは逃がしたらまずいと思ったけど……」
 一緒にいた明日香もその場でポツリ。とは言え今回の目的である小数賀ルイの保護は果たされた。
「所で残りの3人はどうしたんだ」
 凜音は辺りを見回した。確かに稜と秋人、逝が居ない。彩吹や明日香と違い憤怒者の残党を追いかけなかったのは確かだが。
 だが、数分もしないうちに彼等はやってきた。逝と秋人は手に何冊もの本を、稜はサボテンを持っている。部屋から持ってきたようだ。
「水部さんが部屋に大事なものがあるんじゃないかって」
「おっさんは、暇つぶしにどうかと思ってだね。持ってきた。流石数学者だ。ソ連でも有名なポントリャーギンの本さね」
「サボテン、つぼみ、付いてる?」
「片付いてない部屋の中でこれだけ大切に置かれていたからな」
「博士が育てたものかな? 可愛らしいね」
 とはいえ、このままルイを放置しておく訳にも行かない。澄香に案内されてルイを保護した場所に向かう。ルイは毛布を被せられ、木の傍に座り込んでいた。
「……また、君達か」
「魔物、さん、はじめまして?」
 日那乃の言葉を聞いて、ルイは溜息をついた。正体を知られていることについて驚きは無かったようだ。数秒間の沈黙。とはいえ立ったままの覚者達を見て、ルイは小首を傾げた。
「どうしたの? 手錠掛けて手荒に連行するもんかと」
「俺達警察じゃねーしな」
「そっか」
 凜音の言葉に続き、彩吹と明日香が口を開く。
「法律なんてどうでもいい。私はあなたを助けに来ただけ」
「あたしも! 助けたくて……」
 ルイは何故か沈黙していた。
「あのさ」
 それを見て、秋人が口を開く。
「俺は小数賀さんに生きていてほしい。出来ることから逃げては……駄目だよ」
「どうして?」
「え……」
 どうして。その言葉に虚を突かれた気分がして、秋人は目を丸くした。
「え、その……ただ。俺は――死ぬには早すぎるって思って……」
「『早すぎる』か――」
 沈黙する秋人に、澄香が首を横に振る。
「秋人くん、それ以上は……」
「強いて言うなら。幹部を生きたまま保護することで得られる情報は多く、相手の士気は抑えられる……そんな所だ」
「分かりやすいね」
「……建前で喜ばれるのも奇妙だな。本音はもっと別にあるんだが」
 稜の言葉にルイは不思議と笑っていた。つぼみの付いたサボテンを手渡され、じっとそれを見る。
「ガリレイも無事だったんだ。よかった」
 サボテンのガリレイ。名前を付ける程度には大事だったらしい。
「……この子はイグノラムスが買ってきたんだ。だから、花は彼に見せたかったんだけど」
「そんなんで死ぬつもりだったのかよ」
 凜音に指摘されても、ルイは薄く笑ったままだった。
「願いと生死は次元の違う話だよ」
「アンタにはそうかもしれないが……だからって組織と心中するのはおかしくねーか?」
「……それはそうかもしれないね」
 淡々としているルイに、凜音は溜息を吐く。ルイの思考はどうも何か、普通と違う。

「だがちょっとばかし淡々とし過ぎじゃないかね?」
 それを見ていた本を地面に置き、逝が言った。だがルイは驚いてさえいない。
「僕には出来ることが少ないんだ。頭が回るって言ったって『人よりちょっとだけ上』の話。したいことは大抵上手く行かない。そりゃ淡々ともするよ。
 友達を亡くして、僕と同じような人を助けたくてこの国に来た。
 話は単純じゃないから、軋轢を緩和する方法を探した。そしたら殺されかけた。
 それで助けてくれた人を……何らかの形で幸せにしたかったのに、さ」

 明日香は思わず視線を逸らす。以前イグノラムスに言われた言葉を思い出したのだ。思い通りにならないのは、むしろ自分達だと。
「あたしは、ハッピーエンドが好きなんです。だから、報われない結末も、犠牲も無くしたくて。……だから、あなたが死ぬ未来も、彼が死ぬ未来も覆してやりたくてここに来たんです」
「うん。僕もそう。ハッピーエンドは好き。報われない結末も犠牲も科学者として許容するべきじゃない」
 ルイは頷きを返してから、一言。
「……でも、『幸せ』な『結末』って、『誰』にとっての、『いつ』の、『どんな』救いなんだろうね?」
「え……」
 それに明日香は目を見開いた。
「誰の、いつの……どんな……救い……?」
 彼女の脳裏に過去の光景が過ったが、それは結局自分だけの救いだった。ルイはそれを理解したかのように首を横に振った。
「……今のは老婆心だよ。聞き流していい」
 そこで日那乃が首を傾げた。ルイとあの夢見は似ていると日那乃は思ったのだ。何らかの未来を変えるために動くのもそうだ。だが。だがそれ以上に。

 ――君みたいな優しい子はもっと自分だけの幸せを求めていい。

 その言葉を思い出し、逆方向に首を傾げる。彼は日那乃の幸せが自分の幸せでもあると言った。しかし未だに彼の言葉―特に自分だけの幸せ―の意味はあまり分かっていない。だが、理解できていることはある。そこまで踏まえて、日那乃はぽつりと。
「……魔物さんは、隊長さんに、幸せに、なって、欲しい?」
 ルイが、小さく頷く。
「それが、魔物さんの、幸せ?」
「そう、だね……」
「……ん。それなら。いい、の。夢見さんの幸せは、きっと、魔物さんと、隊長さんの、幸せ、だから」
 日那乃が頷いたその直後、

 一発の銃声が響いた。

 方角は……別動隊が交戦していた辺りだ。
「何が起きたんだろう?」
 思わず秋人は周囲を見回す。その音を聞いて、逝は首を傾げてから一言。
「今の、憤怒者が使ってたやつの音でない?」
 逝の指摘にルイの身体が震えた。イグノラムスも拳銃を持っているとの話だが、それとは違う音。となれば……まさか。憤怒者の誰かが――向こうで?
「まさか……イグノラムスが……」
 澄香は言葉を発したルイを咄嗟に抱きしめ、彩吹はそのルイの背をさすった。
「大丈夫です。きっと。何があっても――」
「……私達もいる。安心するんだ」

 ルイの救出を機として、何かが阻まれ、終わりを告げた。しかし、大きな流れは決して変わることはない。

 いずれ誰かが『魔物』と化し、彼等に牙を剥く――。

■シナリオ結果■

成功

■詳細■

MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし




 
ここはミラーサイトです