【鉱員の挽歌】4つの美徳、4つの悪徳
●
思慮あるいは知恵を働かせ、中庸を守りなさい。かれは欲望と気概を従わせる主です。欲望を理性によって制御しなさい。欲望が善く働くとき、かれは節制となるでしょう。理性に基づき、自身の考えを率直に述べ、行動しなさい。気概が善く働くとき、かれは勇気となるでしょう。
そして思慮と節制と勇気、3つの徳が調和するとき、正義は自ずと成されるでしょう――。
●
僅かなノイズの後、夢を見ている感覚を覚えた。
男は坑道の中を、鳥籠を携え歩いていた。籠の中には、白いカナリアが一羽。美しくさえずる声が、坑道の中に響く。彼はその鳥を見て微笑みを返した後、坑道の道を見据えた。
坑道は暗く、闇は深い。しかし白いカナリアの声が聞こえる限り、彼は安堵していた。
「……!」
いつの間にか、眠っていたようだ。突如鳴り響いた電話の音に目を覚ました男は首を横に振ってから電話に出た。
「……何だ」
ぜえぜえと息を切らす音だけが、電話の向こうから聞こえる。
「どうした!?」
「……けも、が」
ばきり、と不吉な音。そして複数の悲鳴。
「化け物がああっ!!」
水を大量に含んだ何かがはじけるような音。更に何かが、折れる音。
大体の状況を察した男は、手元のノートパソコンを起動し彼等の居場所を調べた。電話の発信元は、案の定自分達がアジトに使っている場所の一つ。足が付かないように種々の手配はして使っていて、部下に貸していた場所だった。
嫌な予感はしていたのだ。くだんの部下は『問題』があった。魔物や男に言わせれば『想像力が足りない』人間だった。とはいえ、部下を無能で放置しておくのは上役の無能さの証明だ。馬鹿もハサミも使わねばならぬ。
だが。
急いで現場に向かい、ドアを開けたその瞬間。
かつてニンゲンだった代物が複数。そして、生きたニンゲンがひとり。男はジャケットの下に忍ばせた拳銃を取り出し、安全装置を外した。
……切れないハサミは使えない。あの部下は、『捨てるべき代物』だっただけだ。
思慮や知恵が働かなければ、かれは無知となり欲望と気概を暴走させるのです。欲望が悪しく働くとき、かれは放埓となるでしょう。気概が悪しく働くとき、かれは臆病となるでしょう。
そして、正義は。
銃声が、響いた。
●
「破綻者と妖が出ます。対応をお願いします」
『夢見准教授』菊本 正美(nCL2000172)が資料を携え、上の空と言った様子で切り出した。
「破綻者は憤怒者、なんだけど、あー……」
加えて歯切れが悪い。洗いざらしの髪をガリガリと掻きむしり、数秒沈黙してから一言。
「時間も無いから身も蓋も無い言い方をする。
破綻者はイレブンの構成員。例の『ラプラスの魔』の一派のセンが濃厚だ。その破綻者なんだが、リンチを受けてた。……1970年代じゃあるまいし」
大学教員の家柄らしく、苦々しく正美は言う。
「リンチを受けてる間に発現したみたいでね。更にリンチはエスカレート……。その流れで破綻したみたいだ。で、リンチ加害者が死んで、妖になったー……と」
ホワイトボードに『現場:雑居ビル 破綻者:1名、生物系妖:4体』と角ばった文字で書いたあと、数秒間沈黙が周囲に流れた。
正美は、盛大に溜息を一つ吐く。手をぐうぱあと握りながら、もう一度溜息を吐いた。魔物の思想に共鳴した正美にしてみれば、特にこの悪夢は精神的に堪えるものがある。
「問題はそれ以降。その現場にイグノラムスがいる。彼は自分の身は守るみたいだけど、当然妖は取り逃がす。で、雑居ビルから出た妖が暴れて人的被害が出る」
そこまで言って、正美は集まった覚者の顔を見回した。
――必要なのは事実を伝えること。そこに、『私』は存在すべきではない。心臓が、胸が、器官が締め付けられ、バクバクと鼓動が響いたが、それでも彼は『私』を無理矢理抑えつけた。
「情報は最大限提供します。だから、どうか。考えて下さい。
どんな作戦が、どんな方針が、どんな考え方が、『私達』だけではなく『我々』にとって有益であるかを。
どうか、皆さん無事で。……幸運を、祈ります」
思慮あるいは知恵を働かせ、中庸を守りなさい。かれは欲望と気概を従わせる主です。欲望を理性によって制御しなさい。欲望が善く働くとき、かれは節制となるでしょう。理性に基づき、自身の考えを率直に述べ、行動しなさい。気概が善く働くとき、かれは勇気となるでしょう。
そして思慮と節制と勇気、3つの徳が調和するとき、正義は自ずと成されるでしょう――。
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僅かなノイズの後、夢を見ている感覚を覚えた。
男は坑道の中を、鳥籠を携え歩いていた。籠の中には、白いカナリアが一羽。美しくさえずる声が、坑道の中に響く。彼はその鳥を見て微笑みを返した後、坑道の道を見据えた。
坑道は暗く、闇は深い。しかし白いカナリアの声が聞こえる限り、彼は安堵していた。
「……!」
いつの間にか、眠っていたようだ。突如鳴り響いた電話の音に目を覚ました男は首を横に振ってから電話に出た。
「……何だ」
ぜえぜえと息を切らす音だけが、電話の向こうから聞こえる。
「どうした!?」
「……けも、が」
ばきり、と不吉な音。そして複数の悲鳴。
「化け物がああっ!!」
水を大量に含んだ何かがはじけるような音。更に何かが、折れる音。
大体の状況を察した男は、手元のノートパソコンを起動し彼等の居場所を調べた。電話の発信元は、案の定自分達がアジトに使っている場所の一つ。足が付かないように種々の手配はして使っていて、部下に貸していた場所だった。
嫌な予感はしていたのだ。くだんの部下は『問題』があった。魔物や男に言わせれば『想像力が足りない』人間だった。とはいえ、部下を無能で放置しておくのは上役の無能さの証明だ。馬鹿もハサミも使わねばならぬ。
だが。
急いで現場に向かい、ドアを開けたその瞬間。
かつてニンゲンだった代物が複数。そして、生きたニンゲンがひとり。男はジャケットの下に忍ばせた拳銃を取り出し、安全装置を外した。
……切れないハサミは使えない。あの部下は、『捨てるべき代物』だっただけだ。
思慮や知恵が働かなければ、かれは無知となり欲望と気概を暴走させるのです。欲望が悪しく働くとき、かれは放埓となるでしょう。気概が悪しく働くとき、かれは臆病となるでしょう。
そして、正義は。
銃声が、響いた。
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「破綻者と妖が出ます。対応をお願いします」
『夢見准教授』菊本 正美(nCL2000172)が資料を携え、上の空と言った様子で切り出した。
「破綻者は憤怒者、なんだけど、あー……」
加えて歯切れが悪い。洗いざらしの髪をガリガリと掻きむしり、数秒沈黙してから一言。
「時間も無いから身も蓋も無い言い方をする。
破綻者はイレブンの構成員。例の『ラプラスの魔』の一派のセンが濃厚だ。その破綻者なんだが、リンチを受けてた。……1970年代じゃあるまいし」
大学教員の家柄らしく、苦々しく正美は言う。
「リンチを受けてる間に発現したみたいでね。更にリンチはエスカレート……。その流れで破綻したみたいだ。で、リンチ加害者が死んで、妖になったー……と」
ホワイトボードに『現場:雑居ビル 破綻者:1名、生物系妖:4体』と角ばった文字で書いたあと、数秒間沈黙が周囲に流れた。
正美は、盛大に溜息を一つ吐く。手をぐうぱあと握りながら、もう一度溜息を吐いた。魔物の思想に共鳴した正美にしてみれば、特にこの悪夢は精神的に堪えるものがある。
「問題はそれ以降。その現場にイグノラムスがいる。彼は自分の身は守るみたいだけど、当然妖は取り逃がす。で、雑居ビルから出た妖が暴れて人的被害が出る」
そこまで言って、正美は集まった覚者の顔を見回した。
――必要なのは事実を伝えること。そこに、『私』は存在すべきではない。心臓が、胸が、器官が締め付けられ、バクバクと鼓動が響いたが、それでも彼は『私』を無理矢理抑えつけた。
「情報は最大限提供します。だから、どうか。考えて下さい。
どんな作戦が、どんな方針が、どんな考え方が、『私達』だけではなく『我々』にとって有益であるかを。
どうか、皆さん無事で。……幸運を、祈ります」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.妖の討伐
2.破綻者の撃破
3.なし
2.破綻者の撃破
3.なし
全3回予定の第1回目シナリオ。
こちらは隊長ことイグノラムスの話。
ラプラスの魔にはラプラスの魔なりに持っている信条があるように、彼には彼なりの信条があるようですが……。
成功条件は2つ。え? この間と何か似てる? 気のせいですよ。……多分。
§状況
某所の5F建ての雑居ビル3F。遠距離から術式を打てる程度の広さはあります。
入口は一つ。外部にはエレベーターも階段もあります。
現場である3Fの部屋の中には机とパイプ椅子、角材や簡易的な武器等が雑然と置いてありますが、拾って使うにしても威力は見込めません。
大体他の階は深夜営業だったり空きがあったりで(このビル内に限って言えば)人を巻き込む恐れを考える必要はないでしょう。
覚者達の突入時、既にイグノラムスは現場にいます。
仮にFiVEの介入が無い場合、破綻者は真っ先にイグノラムスの手で倒されます。
妖は彼の手で数体討伐されますが(准教授曰く『イグノラムスが妖を何体討伐するかは運次第で分からない。破綻者だけ倒して撤退することもある』とのことで、彼に一掃を任せることは不可能でしょう)イグノラムスは撤退。ビルのガラスを割って妖が繁華街に出ていき、被害が及ぶことになります。
破綻者については倒した後、妖が大量にいるので救出することもできず、放置し撤退を余儀なくされるようです。
破綻者と妖とイグノラムスのみがいる状態なので混戦が予想されます。
§破綻者データ
天行彩。深度2。
何らかのミス(とはいえ言いがかりかもしれない)で身体を拘束されたあとリンチに遭っていた憤怒者。
その間に発現したため、リンチはエスカレート。結果破綻者に。
見境なく天行の攻撃術式(召雷、雷獣、脣星落霜)を連発します。
彼を救出するにせよ何にせよ、一度は戦闘不能にする必要があります。
イグノラムスとこの破綻者の間に面識があるかどうかは分かりませんが、イグノラムスが救出を試みていたようなので少なくとも同情的である可能性は高いです。
§妖
生物系妖(ランク2・計4体)
憤怒者でリンチ加害者だった連中。
イグノラムスが『問題のある部下』と言っていたのはこの雑居ビルの管理を任されていたリーダーのこと(当然妖になってます)破綻者はそのリーダーの部下に当たる。
破綻者の逆襲に遭って死亡、妖と化した者や、その妖に襲われて死亡し妖となった者もいるが、いずれにせよリンチ加害者は妖となってしまった模様。
妖なので当然見境なくヒトを襲います。
スキルは以下の通り。
・角材攻撃(物近単)
・銃乱射(物遠列)
・噛みつき(物近単・出血)
§イグノラムス(本名不明)
イレブン幹部『ラプラスの魔』の腹心の部下の男。
年齢は推定20代後半~30代前半。
「二つの予知」「≪悪意の拡散≫2人の思想」「≪悪意の拡散≫3つの概念」に登場。
ラプラスの魔が作戦の立案等を担当し、彼が実働隊の指揮等を担っているものと思われます。
技能スキル無効。武器は拳銃、ナイフ(いずれも対覚者用)
使用スキルは以下の通り(ラーニングは不可能)
・精密射撃(物遠単・追加効果は無いが大ダメージ)
・毒炸裂弾(物遠列・対象が覚者の場合猛毒or虚弱をランダムで付加)
・閃光弾(物遠列・ダメージ0・命中率低下)
・回避(パッシブ。確率で攻撃を回避する)
交戦のメリットが無い場合積極的に戦おうとせず、事実登場した過去4つのシナリオで一貫して交戦回避の姿勢を取り、事態収拾を優先しています。
つまり彼がこちらをターゲットにするか、あるいは事態収拾に協力するか(妖あるいは破綻者の討伐に手を貸す)どうかはこちらの出方次第で、
彼の行動を邪魔する、積極的に攻撃する、身体拘束の姿勢を見せる等の行動を行えば、『邪魔者を排除する必要がある』と判断して覚者をターゲットとし、攻撃したり攪乱してくる可能性は極めて高いです。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2017年08月31日
2017年08月31日
■メイン参加者 8人■

●泥沼
ばちばちと火花が散る。階段の踊り場で聞き耳を立てていた緒形 譟(CL2001610)がその音を拾うと、その場にいた覚者全員に頷きを返した。
「ありゃ天行の術式の音だ」
「やっかいだなー」
自身も天行である『ファイブレッド』成瀬 翔(CL2000063)は思わず眉根を寄せる。
その一方で。
だんまりなのが『新緑の剣士』御影・きせき(CL2001110)だ。以前イグノラムスに会い、辛辣な言葉を吐かれただけに今回の依頼は複雑なものがある。僅かに背を丸め、いつも明るい顔からは笑顔が少々消えていた。そんな彼の背中を叩いたのが、『導きの鳥』麻弓 紡(CL2000623)だった。
きせきがはっとしたのを見て、紡は黙ったまま手を振った後、傍にいた『アイラブニポン』プリンス・オブ・グレイブル(CL2000942)の背を思いっきり叩いた。ぐえと言ってから前につんのめった彼を見てもスルーである。非常に雑だ。
「余、難しいこと言う民の相手したくないんだけど」
「わんわんの爪の垢でも貰って来たら?」
「そんなもの摂取したら余、死ぬよ!?」
「つーちゃん、わんわんって隊長のこと?」
そんなやりとりを見て『地を駆ける羽』如月・蒼羽(CL2001575)は首を傾げた。紡は頷く。
「成程。ラプラスの魔の愛犬だからですか」
以前正美と会話をした『教授』新田・成(CL2000538)がそうぽつり。
「でも可愛すぎませんかね?」
『凡庸な男』成瀬 基(CL2001216)がそれに返した。
「イグノラムス……我々は知らない……不知……」
そして何かを考え出した所で、紡ときせきと翔に基は背中を叩かれた。今回彼ぐらいしか術式を封印できる人間がいないのだ。責任重大である。
3人に叩かれた背中をさする基の横を、譟が何やらぶつぶつ言いながら階段を昇って行った。
「腐ってもオレはあのクソ上司の部下ですしおすし。仕事はしますけど?」
メールで件名だけ『何か気になるから見てこい』とフルフェイスの彼に書かれた恨みは、深い。
とはいえ3階の件の部屋まで音もなく近寄り、手に閃光手榴弾を携える様は真面目そのもので。
「おい! イグノラムスとか言う奴! 伏せろ!!」
叫んで無数の手榴弾が地面を転がった直後、いくつもの光が閃いた。それを合図に、覚者達は部屋へと駆け足で入る。
部屋に入るとすかさずきせきが床に手を付いた。蛇のように地面を這う無数のツタが一斉に鎌首をもたげ、敵を見つけて食らいつき。破綻者と妖を拘束した。
その隙を突き、蒼羽が雷獣結界を展開する。次の瞬間、火花を立てて妖が空間に封じ込められた。
更にそこを縫って、基が破綻者に近づいた。ぐらりと破綻者の身体が揺れ、一時的に大人しくなる。
「よーし効い……効きましたよね?」
首を傾げ、エネミースキャンを使っている成に確認を取る基。成は「よろしい」という言葉と共に頷きを返した。
「なんつーかさー」
翔は伏せていたイグノラムスの傍に寄って一言。
「リンチしてた相手が覚醒して破綻して、結局殺されちまったって……。憤怒者って、ほんと誰でも発現する可能性あるって考えねーんだなあ」
「因果応報かもしれないけど、妖になるのは気の毒だよねー……」
「お前等……」
唖然とする彼に大人の姿の翔はニッと笑いを返し、きせきは武器を構えた。
「何故ここにいる?」
「まあふっちー落ち着いて」
おまけに基にそう言われる始末。譟は思いっきり『困惑』の感情を拾った。
「一応感情はある、と……」
「ふっちー……?」
「今ならわんわんとの二択ですよ?」
蒼羽にまで言われ、なぜか反応したのは前衛でブロックに就いたプリンスである。
「ちょっと! 余のコメディ枠取ってかないで! 光の国の誰かと一緒で3分以上シリアス出来ない!」
しかし謎のスルー空気が発生した。
「隊長! どっちが先に片付けられるか僕と競争だよ!」
きせきはちらりとイグノラムスを見てから、武器を構え直した。
「あーオレ抜きでずりぃ!」
「あっ民達スルーは駄目!!」
きせきと翔のやり取りに割り込もうとするプリンスの背に、祝詞の加護を得た紡のハリセンがバシィンと音を立ててぶつかった。
「馬鹿殿は黙ってブロック!」
「ウッス!」
基の螺旋崩しが効いて術式を封じられた破綻者は、言葉にならない声で喚きながら腕を振り回すだけだ。しかしそれをプリンスは自身の身体を硬化させて確実に抑え込んでいた。……ハリセン効果も相当あるが。
「つーか。オレの予想してた現場と違う気がするんだけど……?」
後衛で大填気に備えていた譟が思わずポツリ。
いくら元が人とは言え、あまり高くない知能の妖である。彼等は結界の存在に気づくことも無く、覚者達に襲い掛かる。
「僕達は貴方とやり合う気はありませんから」
柔らかい笑みを崩さないまま、蒼羽はイグノラムスにそう語り、息を吐くように容赦のない連撃を妖に放った。地面から浮いた所で、更にきせきの連撃が何度も何度も妖の身体を抉る。
イグノラムスは軽く舌打ちをするとその銃口を破綻者に向けた。素直に共闘を受け入れたようである。
……しかし。
「ふっちー、術式は僕が封じ……」
黒いオーラを漂わせ妖の能力を更に弱くした基がそこまで言った所で、一発の銃声。
「次は額のド真ん中だ」
イグノラムスの本気の威嚇射撃に、基は言葉を飲み込むことにした。
「叔父さん! 遊んでねーで手伝えよ!」
スマートフォンをタップし画面から天の源素を帯びた雷電を呼び出し、翔がそう叫ぶ。しかし巨大な雷の音に、翔の声はかき消されそうだったが。
「お前等! オレが補給はやるから遠慮なく行って来い!」
きせきが確実に敵の状態を捉え、譟の的確な補給もあって火力は常に最大限だ。出血を食らおうとも紡が後方支援に徹しているお陰で覚者の勢いは止まらず、妖の身体は覚者達の攻撃で崩れていく。
「よーし、トドメ……」
きせきと翔、二人が最後の一撃を食らわせようとした所で、丁度、妖の真横から。
ずどんと、成の鋭い一撃が。
「あーーー!!」
きせきと翔の絶叫が重なった。
「せんせーずりぃ!!」
「全員の連携があってのことです。よくやりました」
「そんな言葉でごまかさないで!」
蒼羽と紡、譟がそんなやり取りを遠目に見ていた。
「何て言うか、新田先生って……」
「うん。ソーちゃんの思ってる通りの人だと思うよ?」
「あの3人レベル近くね?」
その傍らで。
「もうこの民の近く居たくない!」
プリンスの絶叫が聞こえた。
「愛読書が『純粋理性批判』とか『意志と表象としての世界』なんでしょ余は賢いから知ってるよ!」
イグノラムスがそんな言葉に反応もせず、銃の引き金を引いたの後、悲鳴と共に貫殺撃を放つプリンス。しかし声は悲痛を帯びていながらも、彼の攻撃は確実に破綻者をとらえ、崩れさせるには十分だった。
どさり、と音と共に倒れたと同時、覚者達は破綻者の男の傍に寄ろうとする。
しかし、イグノラムスが破綻者の男をじっと見ていることに彼等は気が付いた。
●ジレンマ
「……何だ」
イグノラムスは低い声を出した。
「番犬クンさ、この子どうするつもり?」
紡の言葉に彼は眉一つ動かさない。
「やっぱ殺すの?」
「……何故そうなる」
その台詞に違和感を抱いたのはプリンスだ。
「貴公覚者絶対殺すマンの幹部クラスだよね? 助けたら組織の根幹に関わる背任行為じゃない?」
「……さあな」
「でも背任覚悟の割に簡単に撤退しようとしてたんでしょ? 覚悟薄すぎない?」
さっきまでのテンションと180度逆のプリンスの鋭い指摘。譟がイグノラムスの内心の焦りを確実に読み取った。
「お宅ずいぶん役者だねー。オレには通用しねーけど」
そこで口を開いたのは基だ。
「いい加減腹割って話そうよこの際。目的は『覚者と非覚者の相互非干渉』っしょ?」
どうやら図星だったようだ。眉が動いた。
互いに干渉しあわない。つまり『部分的に覚者のいない世界』を作るために覚者を排除する。しかしそれを成し遂げるのには労力がかかる。非覚者と覚者が干渉した結果問題が起こるのなら、『理想郷』が実現するまでその問題を排除するのが彼の今の使命。
だから、破綻者は真っ先に倒された。
「何故それを……」
「積極的に戦わないから分かるよ。夢見もいるし。で。彼はもう覚者なんだ。こっちによこしてよ?」
「お前こそ腹を割れ。欲しいのは情報だろう」
「ちっバレた」
白々しく言う基に、イグノラムスは溜息を返すと破綻者だった男に近寄ろうとした。
しかしその前に立ちはだかったのがきせきと翔だ。
「……何だ」
「僕たちに助けさせてよ!」
「オレは一歩もひかねーぞ!」
しかも臨戦態勢である。武器を構えられて眉根を寄せたイグノラムスに、蒼羽が声を掛けた。
「貴方の組織では、この人を助けられるのかな?」
表情は険しいままだが、僅かに身体だけが動くのを蒼羽は見逃さなかった。
「こっちにはその設備がある」
「……だろうな」
僅かに声色が変わったのを、譟は聞き逃さなかった。
――そして。次の瞬間。
「頼む。そいつを助けてやってくれ」
イグノラムスは頭を深々と下げたのだ。
一瞬、空気がしんと鎮まった。
「貴公頭下げていいの?」
「俺の頭で済むなら安い」
紡と蒼羽と翔、きせきがすぐさま元破綻者の横に近寄っていく。
「これでもう化け物にはならないね」
蒼羽が笑顔で破綻者の手を握る。その手は冷たかったが、蒼羽の手のぬくもりがじんわりと男の手を伝っていく感覚を覚えた。
まだ、生命はある。蒼羽はいつもの笑顔を浮かべて、もう少しだけ強く彼の手を握った。
「絶対、戻っておいでね」
紡も、破綻者のもう片方の手を握り、源素の力で男の怪我を癒す。その瞬間、譟はイグノラムスのある感情を拾った。
「何でお宅があの破綻者の幸せ願ってんの」
譟の任務は上司への報告だ。だから交渉にも加わらないつもりだったが、あまりにも憤怒者らしからぬ感情だったために思わず聞いたのだ。
「今後一切関わらないからだ」
そのやりとりを見ていた成が、ようやく口を開く。
「貴方は相互非干渉の理念を貫くつもりですか」
「カクシャと関わらない自由もあるべきだ」
「……その実現のためにこの組織にいる必要は?」
成の指摘にイグノラムスは諦念に満ちた、しかし意外にも青年らしい若い視線を向けただけで。成の横を通った。
「……成程。菊本君が悩む訳だ」
「何? チーフの犬種について?」
プリンスのいつものボケた発言に、成は「彼はドーベルマンでしょうか」と呟いた。
「王家的にはシベリアンハスキーもありかなって思うよ」
破綻者の横にいたきせきと翔は、突然自分の視界が暗くなったことに気付いた。
上を見上げれば、そこにはイグノラムスが。
「何? この人は渡さないよ?」
「そうじゃない」
きせきの言葉に彼は信用が無いなと言わんばかりに眉間にしわを寄せ、そしてぼそりと。
「競争は負けだ」
「え……」
大きく目を開くきせき。何を意図したものなのかは分からず、彼は声を上げて叫ぶ。
「待って!」
しかし彼はそれを聞くことも無く、彼等の元を去っていった。
「叔父さんさー」
「ん? 何?」
何の気なしに、翔が基に声を掛ける。声はいつもの気さくな叔父さんだが、表情は翔からは見えない。
「ソウゴヒカンショーってことはさ、非覚者が隔者に殺されることはなくなるってことだよな?」
「そうだね」
「でも、非覚者とは一生会えないってことだよな?」
「そうなるね」
「それって寂しいよな……」
寂しい。それで済む問題だろうか。
仮に実現するとなったら、覚者と非覚者はそれぞれ特定の地域に住むことになる。そしてお互い絶対に関わることはなくなる。
そしてやってくるのは徹底した管理社会だ。非覚者が発現すれば即座に追放され、覚者の住む世界へと移ることになるのだから。
「……寂しいね」
しかし基は、いつもの調子で言葉を返した。
●意志
「元破綻者の彼に話を聞いてみたんだけど、分かったのはふっちーには『分からないことだらけ』なこと」
破綻者を無事保護し終えた後のこと。菊本研究室に集まった面々を見渡して基が口を開いた。
「相当な量の身分証明証の名前が全部バラバラなの見たって」
「マジか。相当きな臭い奴じゃね?」
譟の言葉に、正美は項垂れているだけ。そんな彼に、紡が近寄った。
「マサミちゃん、さ」
椅子に膝を乗っけてから、ポツリと一言。
「助けたいから助けたのは、いい事なんだよね?」
彼は全員の顔を見渡した後、蚊の鳴くような声で返した。
「皆は……それで幸せ?」
「僕は彼を助けられてほっとしましたけど……」
あまりの悲しそうな顔に、思わず困惑する蒼羽。視線をやった先に居たきせきも悲しそうな顔をしている。
「何か悲しい事でもあるの?」
「君達が幸せならそれでいい」
彼がそれ以上話さないのを見て、今度口を開いたのは成だった。
「『守り手』たるものが国家のために守るべきは何か」
唐突な言葉に、一斉に視線がそちらに集まる。
「私はそれは『自分自身であること』だと思いますがね。そうして多様な価値観を飲みこんで、各々を尊重していくのがダイバーシティだ。最早社会に国境を引くことはできないのですよ」
「……ええ」
成は諭すような口調で彼に語り掛けたが、沈んだ声が地面を這うだけ。
「だから私は一人一人が『より善良な自分自身』となれるよう教育者として在り、そして彼らの選択を狭める障害を排除するために、老兵として此処に立っている」
「それは、分かります……」
「プロフェッサー、言い過ぎじゃない? チェックの民のチェック柄が歪んでるよ?」
プリンスの指摘に成は眼鏡を上げた。正美は項垂れたままだ。
――しかも。
「真の相互理解ってそりゃあ。要は『本質的に相容れないものとどう相容れるか』だ。でも結局グローバリズムとか言って基準を決めてる辺りで結局全体主義で……」
ぼそぼそと聞こえにくい声で言い出す始末である。しかし成は言葉を止めなかった。
「だから『貴方』がどうしたいかを聞いています」
「私はFiVEの夢見で……」
「欺瞞は止めなさい」
ぴしゃりと一言。そこでようやく正美が顔を上げた。
「え」
「自分自身であることは強い者を強くするためではない。弱者を救うためで、それには自分の意思が必要なのです」
「ですが、私が言うことはパターナリズムの……」
「それ以前に貴方を全体主義の被害者にしてどうするのですか」
「あ……」
その言葉に、遂に正美は崩れ落ち。地面に手と膝をつき、眼鏡を掛けたままでボロボロと泣き出した。
「私は……私は……」
ずっと、言ってはならないと、彼は思っていた。しかしそれも限界だった。
「私は……ラプラスの魔とイグノラムスを助けたい。
彼等は悪事に手を染めていますし、FiVEの活動にとっての障壁です。でも……彼等だって人間なんですよ!? 彼等は……恐ろしく不運な人間だったとしか……思えなくて……」
ひどく悲痛な声が、部屋の中に響き渡り。一瞬だけ、周囲が沈黙に沈んだ。
「じゃ、助けようぜ」
そこで、翔が声を上げた。その顔に暗さは一切ない。
「助けられるものは助けようって先生言ったろ? それでいいじゃん。『オレはそうしたい』」
あまりの屈託のない笑顔に愕然としている傍ら、今度はきせきが頷いた。
「僕も不幸な人は助けたいよ。隊長には色々言われたけど、でも先生が苦しい思いしてるのは嫌だな」
「でもどうやって――」
困惑する正美に、今度はプリンスが口を開いた。
「単純な話だ。XIをぶっ壊せばいい。あの民達は本当の意味で憤怒者じゃないよね? 『立場』さえ無くせば民達は解放されるんじゃない?」
「でも、罪は犯してる訳で……」
今度口を開いたのは蒼羽だ。
「弁護士さんに頼みましょうよ。償うものは償うべきですけど、いざとなったら僕等も支えますよ」
きっと僕の友達の弁護士も協力してくれると思いますよ。彼、クールに見えてアツい奴だし。そう付け加えて蒼羽は笑った。
「でも君等は……」
更に困惑する正美の口に、紡がパチンコで飛ばした飴玉が入った。思わず口を塞がれる。
「マサミちゃん、くどい」
「むぐ」
「ボクは、マサミちゃんがしたいことのためにここにいるんだよ」
「むぐ」
「マサミちゃんは、らぷちゃんと番犬君を助けたいんでしょ?」
「むぐ」
「で、それはホントなんでしょ?」
「むぐ」
「じゃ、それでいいの」
彼女はまるで小さな子供を相手にするように正美の頭をぽんぽんと撫でた後、彼と握りこぶしをぶつけ合った。
「ごめん……」
その言葉に紡は小さく笑った。
「そういう時は、ありがとじゃない?」
「あり、がと……」
彼は、再び泣き出した。
「これで佐倉さんへの償いができるかな……?」
その光景を見ていた基もぼそりと言った。
正美との出会いは、彼が憤怒者に射殺されそうになった時のことだ。あの時基は警官として心から申し訳ないと思った。彼の旧友の死を予言した正美の言葉を警察官が信じず、結果悪夢通りになってしまったからだ。
――今度は、悪夢をただの夢にできるだろうか。
……それとも。
そんな中、正美の背中を優しくさする紡を遠目に見て、譟が一言。
「あーあ。オレもクソ上司にこき使われる立場ぶっ壊してほしいわ……」
とはいえ仕事は現実としてある。報告書を提出するために、彼はそっと研究室を抜けた。
ばちばちと火花が散る。階段の踊り場で聞き耳を立てていた緒形 譟(CL2001610)がその音を拾うと、その場にいた覚者全員に頷きを返した。
「ありゃ天行の術式の音だ」
「やっかいだなー」
自身も天行である『ファイブレッド』成瀬 翔(CL2000063)は思わず眉根を寄せる。
その一方で。
だんまりなのが『新緑の剣士』御影・きせき(CL2001110)だ。以前イグノラムスに会い、辛辣な言葉を吐かれただけに今回の依頼は複雑なものがある。僅かに背を丸め、いつも明るい顔からは笑顔が少々消えていた。そんな彼の背中を叩いたのが、『導きの鳥』麻弓 紡(CL2000623)だった。
きせきがはっとしたのを見て、紡は黙ったまま手を振った後、傍にいた『アイラブニポン』プリンス・オブ・グレイブル(CL2000942)の背を思いっきり叩いた。ぐえと言ってから前につんのめった彼を見てもスルーである。非常に雑だ。
「余、難しいこと言う民の相手したくないんだけど」
「わんわんの爪の垢でも貰って来たら?」
「そんなもの摂取したら余、死ぬよ!?」
「つーちゃん、わんわんって隊長のこと?」
そんなやりとりを見て『地を駆ける羽』如月・蒼羽(CL2001575)は首を傾げた。紡は頷く。
「成程。ラプラスの魔の愛犬だからですか」
以前正美と会話をした『教授』新田・成(CL2000538)がそうぽつり。
「でも可愛すぎませんかね?」
『凡庸な男』成瀬 基(CL2001216)がそれに返した。
「イグノラムス……我々は知らない……不知……」
そして何かを考え出した所で、紡ときせきと翔に基は背中を叩かれた。今回彼ぐらいしか術式を封印できる人間がいないのだ。責任重大である。
3人に叩かれた背中をさする基の横を、譟が何やらぶつぶつ言いながら階段を昇って行った。
「腐ってもオレはあのクソ上司の部下ですしおすし。仕事はしますけど?」
メールで件名だけ『何か気になるから見てこい』とフルフェイスの彼に書かれた恨みは、深い。
とはいえ3階の件の部屋まで音もなく近寄り、手に閃光手榴弾を携える様は真面目そのもので。
「おい! イグノラムスとか言う奴! 伏せろ!!」
叫んで無数の手榴弾が地面を転がった直後、いくつもの光が閃いた。それを合図に、覚者達は部屋へと駆け足で入る。
部屋に入るとすかさずきせきが床に手を付いた。蛇のように地面を這う無数のツタが一斉に鎌首をもたげ、敵を見つけて食らいつき。破綻者と妖を拘束した。
その隙を突き、蒼羽が雷獣結界を展開する。次の瞬間、火花を立てて妖が空間に封じ込められた。
更にそこを縫って、基が破綻者に近づいた。ぐらりと破綻者の身体が揺れ、一時的に大人しくなる。
「よーし効い……効きましたよね?」
首を傾げ、エネミースキャンを使っている成に確認を取る基。成は「よろしい」という言葉と共に頷きを返した。
「なんつーかさー」
翔は伏せていたイグノラムスの傍に寄って一言。
「リンチしてた相手が覚醒して破綻して、結局殺されちまったって……。憤怒者って、ほんと誰でも発現する可能性あるって考えねーんだなあ」
「因果応報かもしれないけど、妖になるのは気の毒だよねー……」
「お前等……」
唖然とする彼に大人の姿の翔はニッと笑いを返し、きせきは武器を構えた。
「何故ここにいる?」
「まあふっちー落ち着いて」
おまけに基にそう言われる始末。譟は思いっきり『困惑』の感情を拾った。
「一応感情はある、と……」
「ふっちー……?」
「今ならわんわんとの二択ですよ?」
蒼羽にまで言われ、なぜか反応したのは前衛でブロックに就いたプリンスである。
「ちょっと! 余のコメディ枠取ってかないで! 光の国の誰かと一緒で3分以上シリアス出来ない!」
しかし謎のスルー空気が発生した。
「隊長! どっちが先に片付けられるか僕と競争だよ!」
きせきはちらりとイグノラムスを見てから、武器を構え直した。
「あーオレ抜きでずりぃ!」
「あっ民達スルーは駄目!!」
きせきと翔のやり取りに割り込もうとするプリンスの背に、祝詞の加護を得た紡のハリセンがバシィンと音を立ててぶつかった。
「馬鹿殿は黙ってブロック!」
「ウッス!」
基の螺旋崩しが効いて術式を封じられた破綻者は、言葉にならない声で喚きながら腕を振り回すだけだ。しかしそれをプリンスは自身の身体を硬化させて確実に抑え込んでいた。……ハリセン効果も相当あるが。
「つーか。オレの予想してた現場と違う気がするんだけど……?」
後衛で大填気に備えていた譟が思わずポツリ。
いくら元が人とは言え、あまり高くない知能の妖である。彼等は結界の存在に気づくことも無く、覚者達に襲い掛かる。
「僕達は貴方とやり合う気はありませんから」
柔らかい笑みを崩さないまま、蒼羽はイグノラムスにそう語り、息を吐くように容赦のない連撃を妖に放った。地面から浮いた所で、更にきせきの連撃が何度も何度も妖の身体を抉る。
イグノラムスは軽く舌打ちをするとその銃口を破綻者に向けた。素直に共闘を受け入れたようである。
……しかし。
「ふっちー、術式は僕が封じ……」
黒いオーラを漂わせ妖の能力を更に弱くした基がそこまで言った所で、一発の銃声。
「次は額のド真ん中だ」
イグノラムスの本気の威嚇射撃に、基は言葉を飲み込むことにした。
「叔父さん! 遊んでねーで手伝えよ!」
スマートフォンをタップし画面から天の源素を帯びた雷電を呼び出し、翔がそう叫ぶ。しかし巨大な雷の音に、翔の声はかき消されそうだったが。
「お前等! オレが補給はやるから遠慮なく行って来い!」
きせきが確実に敵の状態を捉え、譟の的確な補給もあって火力は常に最大限だ。出血を食らおうとも紡が後方支援に徹しているお陰で覚者の勢いは止まらず、妖の身体は覚者達の攻撃で崩れていく。
「よーし、トドメ……」
きせきと翔、二人が最後の一撃を食らわせようとした所で、丁度、妖の真横から。
ずどんと、成の鋭い一撃が。
「あーーー!!」
きせきと翔の絶叫が重なった。
「せんせーずりぃ!!」
「全員の連携があってのことです。よくやりました」
「そんな言葉でごまかさないで!」
蒼羽と紡、譟がそんなやり取りを遠目に見ていた。
「何て言うか、新田先生って……」
「うん。ソーちゃんの思ってる通りの人だと思うよ?」
「あの3人レベル近くね?」
その傍らで。
「もうこの民の近く居たくない!」
プリンスの絶叫が聞こえた。
「愛読書が『純粋理性批判』とか『意志と表象としての世界』なんでしょ余は賢いから知ってるよ!」
イグノラムスがそんな言葉に反応もせず、銃の引き金を引いたの後、悲鳴と共に貫殺撃を放つプリンス。しかし声は悲痛を帯びていながらも、彼の攻撃は確実に破綻者をとらえ、崩れさせるには十分だった。
どさり、と音と共に倒れたと同時、覚者達は破綻者の男の傍に寄ろうとする。
しかし、イグノラムスが破綻者の男をじっと見ていることに彼等は気が付いた。
●ジレンマ
「……何だ」
イグノラムスは低い声を出した。
「番犬クンさ、この子どうするつもり?」
紡の言葉に彼は眉一つ動かさない。
「やっぱ殺すの?」
「……何故そうなる」
その台詞に違和感を抱いたのはプリンスだ。
「貴公覚者絶対殺すマンの幹部クラスだよね? 助けたら組織の根幹に関わる背任行為じゃない?」
「……さあな」
「でも背任覚悟の割に簡単に撤退しようとしてたんでしょ? 覚悟薄すぎない?」
さっきまでのテンションと180度逆のプリンスの鋭い指摘。譟がイグノラムスの内心の焦りを確実に読み取った。
「お宅ずいぶん役者だねー。オレには通用しねーけど」
そこで口を開いたのは基だ。
「いい加減腹割って話そうよこの際。目的は『覚者と非覚者の相互非干渉』っしょ?」
どうやら図星だったようだ。眉が動いた。
互いに干渉しあわない。つまり『部分的に覚者のいない世界』を作るために覚者を排除する。しかしそれを成し遂げるのには労力がかかる。非覚者と覚者が干渉した結果問題が起こるのなら、『理想郷』が実現するまでその問題を排除するのが彼の今の使命。
だから、破綻者は真っ先に倒された。
「何故それを……」
「積極的に戦わないから分かるよ。夢見もいるし。で。彼はもう覚者なんだ。こっちによこしてよ?」
「お前こそ腹を割れ。欲しいのは情報だろう」
「ちっバレた」
白々しく言う基に、イグノラムスは溜息を返すと破綻者だった男に近寄ろうとした。
しかしその前に立ちはだかったのがきせきと翔だ。
「……何だ」
「僕たちに助けさせてよ!」
「オレは一歩もひかねーぞ!」
しかも臨戦態勢である。武器を構えられて眉根を寄せたイグノラムスに、蒼羽が声を掛けた。
「貴方の組織では、この人を助けられるのかな?」
表情は険しいままだが、僅かに身体だけが動くのを蒼羽は見逃さなかった。
「こっちにはその設備がある」
「……だろうな」
僅かに声色が変わったのを、譟は聞き逃さなかった。
――そして。次の瞬間。
「頼む。そいつを助けてやってくれ」
イグノラムスは頭を深々と下げたのだ。
一瞬、空気がしんと鎮まった。
「貴公頭下げていいの?」
「俺の頭で済むなら安い」
紡と蒼羽と翔、きせきがすぐさま元破綻者の横に近寄っていく。
「これでもう化け物にはならないね」
蒼羽が笑顔で破綻者の手を握る。その手は冷たかったが、蒼羽の手のぬくもりがじんわりと男の手を伝っていく感覚を覚えた。
まだ、生命はある。蒼羽はいつもの笑顔を浮かべて、もう少しだけ強く彼の手を握った。
「絶対、戻っておいでね」
紡も、破綻者のもう片方の手を握り、源素の力で男の怪我を癒す。その瞬間、譟はイグノラムスのある感情を拾った。
「何でお宅があの破綻者の幸せ願ってんの」
譟の任務は上司への報告だ。だから交渉にも加わらないつもりだったが、あまりにも憤怒者らしからぬ感情だったために思わず聞いたのだ。
「今後一切関わらないからだ」
そのやりとりを見ていた成が、ようやく口を開く。
「貴方は相互非干渉の理念を貫くつもりですか」
「カクシャと関わらない自由もあるべきだ」
「……その実現のためにこの組織にいる必要は?」
成の指摘にイグノラムスは諦念に満ちた、しかし意外にも青年らしい若い視線を向けただけで。成の横を通った。
「……成程。菊本君が悩む訳だ」
「何? チーフの犬種について?」
プリンスのいつものボケた発言に、成は「彼はドーベルマンでしょうか」と呟いた。
「王家的にはシベリアンハスキーもありかなって思うよ」
破綻者の横にいたきせきと翔は、突然自分の視界が暗くなったことに気付いた。
上を見上げれば、そこにはイグノラムスが。
「何? この人は渡さないよ?」
「そうじゃない」
きせきの言葉に彼は信用が無いなと言わんばかりに眉間にしわを寄せ、そしてぼそりと。
「競争は負けだ」
「え……」
大きく目を開くきせき。何を意図したものなのかは分からず、彼は声を上げて叫ぶ。
「待って!」
しかし彼はそれを聞くことも無く、彼等の元を去っていった。
「叔父さんさー」
「ん? 何?」
何の気なしに、翔が基に声を掛ける。声はいつもの気さくな叔父さんだが、表情は翔からは見えない。
「ソウゴヒカンショーってことはさ、非覚者が隔者に殺されることはなくなるってことだよな?」
「そうだね」
「でも、非覚者とは一生会えないってことだよな?」
「そうなるね」
「それって寂しいよな……」
寂しい。それで済む問題だろうか。
仮に実現するとなったら、覚者と非覚者はそれぞれ特定の地域に住むことになる。そしてお互い絶対に関わることはなくなる。
そしてやってくるのは徹底した管理社会だ。非覚者が発現すれば即座に追放され、覚者の住む世界へと移ることになるのだから。
「……寂しいね」
しかし基は、いつもの調子で言葉を返した。
●意志
「元破綻者の彼に話を聞いてみたんだけど、分かったのはふっちーには『分からないことだらけ』なこと」
破綻者を無事保護し終えた後のこと。菊本研究室に集まった面々を見渡して基が口を開いた。
「相当な量の身分証明証の名前が全部バラバラなの見たって」
「マジか。相当きな臭い奴じゃね?」
譟の言葉に、正美は項垂れているだけ。そんな彼に、紡が近寄った。
「マサミちゃん、さ」
椅子に膝を乗っけてから、ポツリと一言。
「助けたいから助けたのは、いい事なんだよね?」
彼は全員の顔を見渡した後、蚊の鳴くような声で返した。
「皆は……それで幸せ?」
「僕は彼を助けられてほっとしましたけど……」
あまりの悲しそうな顔に、思わず困惑する蒼羽。視線をやった先に居たきせきも悲しそうな顔をしている。
「何か悲しい事でもあるの?」
「君達が幸せならそれでいい」
彼がそれ以上話さないのを見て、今度口を開いたのは成だった。
「『守り手』たるものが国家のために守るべきは何か」
唐突な言葉に、一斉に視線がそちらに集まる。
「私はそれは『自分自身であること』だと思いますがね。そうして多様な価値観を飲みこんで、各々を尊重していくのがダイバーシティだ。最早社会に国境を引くことはできないのですよ」
「……ええ」
成は諭すような口調で彼に語り掛けたが、沈んだ声が地面を這うだけ。
「だから私は一人一人が『より善良な自分自身』となれるよう教育者として在り、そして彼らの選択を狭める障害を排除するために、老兵として此処に立っている」
「それは、分かります……」
「プロフェッサー、言い過ぎじゃない? チェックの民のチェック柄が歪んでるよ?」
プリンスの指摘に成は眼鏡を上げた。正美は項垂れたままだ。
――しかも。
「真の相互理解ってそりゃあ。要は『本質的に相容れないものとどう相容れるか』だ。でも結局グローバリズムとか言って基準を決めてる辺りで結局全体主義で……」
ぼそぼそと聞こえにくい声で言い出す始末である。しかし成は言葉を止めなかった。
「だから『貴方』がどうしたいかを聞いています」
「私はFiVEの夢見で……」
「欺瞞は止めなさい」
ぴしゃりと一言。そこでようやく正美が顔を上げた。
「え」
「自分自身であることは強い者を強くするためではない。弱者を救うためで、それには自分の意思が必要なのです」
「ですが、私が言うことはパターナリズムの……」
「それ以前に貴方を全体主義の被害者にしてどうするのですか」
「あ……」
その言葉に、遂に正美は崩れ落ち。地面に手と膝をつき、眼鏡を掛けたままでボロボロと泣き出した。
「私は……私は……」
ずっと、言ってはならないと、彼は思っていた。しかしそれも限界だった。
「私は……ラプラスの魔とイグノラムスを助けたい。
彼等は悪事に手を染めていますし、FiVEの活動にとっての障壁です。でも……彼等だって人間なんですよ!? 彼等は……恐ろしく不運な人間だったとしか……思えなくて……」
ひどく悲痛な声が、部屋の中に響き渡り。一瞬だけ、周囲が沈黙に沈んだ。
「じゃ、助けようぜ」
そこで、翔が声を上げた。その顔に暗さは一切ない。
「助けられるものは助けようって先生言ったろ? それでいいじゃん。『オレはそうしたい』」
あまりの屈託のない笑顔に愕然としている傍ら、今度はきせきが頷いた。
「僕も不幸な人は助けたいよ。隊長には色々言われたけど、でも先生が苦しい思いしてるのは嫌だな」
「でもどうやって――」
困惑する正美に、今度はプリンスが口を開いた。
「単純な話だ。XIをぶっ壊せばいい。あの民達は本当の意味で憤怒者じゃないよね? 『立場』さえ無くせば民達は解放されるんじゃない?」
「でも、罪は犯してる訳で……」
今度口を開いたのは蒼羽だ。
「弁護士さんに頼みましょうよ。償うものは償うべきですけど、いざとなったら僕等も支えますよ」
きっと僕の友達の弁護士も協力してくれると思いますよ。彼、クールに見えてアツい奴だし。そう付け加えて蒼羽は笑った。
「でも君等は……」
更に困惑する正美の口に、紡がパチンコで飛ばした飴玉が入った。思わず口を塞がれる。
「マサミちゃん、くどい」
「むぐ」
「ボクは、マサミちゃんがしたいことのためにここにいるんだよ」
「むぐ」
「マサミちゃんは、らぷちゃんと番犬君を助けたいんでしょ?」
「むぐ」
「で、それはホントなんでしょ?」
「むぐ」
「じゃ、それでいいの」
彼女はまるで小さな子供を相手にするように正美の頭をぽんぽんと撫でた後、彼と握りこぶしをぶつけ合った。
「ごめん……」
その言葉に紡は小さく笑った。
「そういう時は、ありがとじゃない?」
「あり、がと……」
彼は、再び泣き出した。
「これで佐倉さんへの償いができるかな……?」
その光景を見ていた基もぼそりと言った。
正美との出会いは、彼が憤怒者に射殺されそうになった時のことだ。あの時基は警官として心から申し訳ないと思った。彼の旧友の死を予言した正美の言葉を警察官が信じず、結果悪夢通りになってしまったからだ。
――今度は、悪夢をただの夢にできるだろうか。
……それとも。
そんな中、正美の背中を優しくさする紡を遠目に見て、譟が一言。
「あーあ。オレもクソ上司にこき使われる立場ぶっ壊してほしいわ……」
とはいえ仕事は現実としてある。報告書を提出するために、彼はそっと研究室を抜けた。
■シナリオ結果■
成功
■詳細■
MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし
