忌み児よ噎び泣き賜うな
●儚
「破綻者の所在を予知しました」
夢を伝える久方 真由美(nCL2000003)は珍しく、神妙な顔をしていた。
「まだ年端もいかない子供です。けれど、その子は」
一度目を伏せてから、決意したように言った。
「憤怒者の子です」
●閉じた地
「ああ! どこじゃ、どこじゃ」
深い皺の刻まれた老婆が薙刀片手に鬼の形相で練り歩いている。建ち並ぶ茅葺の家屋の一軒一軒に眼を光らせる様には、執念深さが如実に表れていた。
全ては『あの小娘』の居場所を突き止めるため。
「見つかりましたか」
「おらぬ。村のどこにも」
「ならば、裏手の畑にある農具小屋でしょう。他に身を隠せるような場所などありません」
そうか、と手を叩き、老婆は男衆の案内の下、木組の小屋へと向かった。
「やはりここにおったか!」
老婆に付き従っていた壮年の男は小屋の隅で屈み込む女の姿を見るなり、憤慨を露にした。
小屋には女と、その息子が潜んでいた。女は我が子を抱き寄せ、小さな身体を他者の目に触れぬようにしていた。その反抗的な姿勢が老婆の神経をますます逆撫でした。
「朝から探し回ったぞ、里美! この恥知らずが!」
里美と呼ばれた女は微かに視線を老婆へと送るだけで、何も言わない。
「意地を張るでない! 自分の所業が如何なことか分かっておるのか。その童は」
「その童は覚者じゃろうが」
水を打ったように静まり返る。
「忌々しい。口にすることも。地上の摂理から外れた覚者は消さねばならぬ。さあ、早う渡せ」
「出来ません! この子はまだ――」
まだ七つなのですよ。
里美は震える声で言った。
「ああ、だから余所者を招くのは嫌だった!」
天を仰ぎ、呆れ果てる老婆。
「掟や理も分からず、情に絆されおってからに! あの若造、斯様な痴れ者を嫁に取りおって、死んで当然のたわけじゃ」
「夫は貴方達のために尽くしました!」
母は息子の体を強く抱き締めて叫んだ。少年の羽織の裾からは、萎れた駒の尻尾が垂れている。
老婆は尚も罵声を飛ばし続けている。だが、最早里美の耳には届いていなかった。
「……遥?」
息子が腕の中で蠢いていることに意識を割かれていたからだ。
少年は母親の袖の陰から顔を出すと、小屋に集う大人連中を睨みつける。
眼差しに野生を宿して。
「な、なんじゃ!?」
追い詰めていたはずの老婆達が狼狽する。
少年は母親の手を振り払って立ち上がると、おうるるる、と朗々たる、しかしどこか悲壮な声で叫ぶ。
それは獣が目覚める咆哮だった。
●行方
「破綻者となった少年の名前は藤代遥。いつ発現したかは不明ですが、現在は母親に匿われている状態です」
心象風景を覚者達に送心する真由美。
「父親は、憤怒者組織に所属していました……存命ではありません」
憤怒者として生きると決めた以上、自業自得の結末ではある。
「彼の暮らしていた集落そのものが、ひとつの憤怒者組織であるようです。土着信仰の強い地域で、超自然的な存在である覚者への嫌悪感は夥しいものがあります……それゆえに、因子を得た事実を知られた遥さんの命が狙われているのです」
没後、自分の子があれほど忌み嫌っていた覚者となるとは思いも寄らなかっただろう。
「ですが、まだ精神的に未熟な幼子。力に翻弄されるのも無理はありません。完全に自我を喪失してはいませんが、放って置くといずれは」
災禍となる。改めてそう宣告した。
「集落の憤怒者も、結果的には適切な行動をしていると言えるのかも知れませんね。破綻者を討伐することになるんですから。だけど、私達が介入することで出来ることもあるはずです」
夢見は眉根を寄せて言う。
「この子もまた――望まれて生まれてきた子でしょうから」
「破綻者の所在を予知しました」
夢を伝える久方 真由美(nCL2000003)は珍しく、神妙な顔をしていた。
「まだ年端もいかない子供です。けれど、その子は」
一度目を伏せてから、決意したように言った。
「憤怒者の子です」
●閉じた地
「ああ! どこじゃ、どこじゃ」
深い皺の刻まれた老婆が薙刀片手に鬼の形相で練り歩いている。建ち並ぶ茅葺の家屋の一軒一軒に眼を光らせる様には、執念深さが如実に表れていた。
全ては『あの小娘』の居場所を突き止めるため。
「見つかりましたか」
「おらぬ。村のどこにも」
「ならば、裏手の畑にある農具小屋でしょう。他に身を隠せるような場所などありません」
そうか、と手を叩き、老婆は男衆の案内の下、木組の小屋へと向かった。
「やはりここにおったか!」
老婆に付き従っていた壮年の男は小屋の隅で屈み込む女の姿を見るなり、憤慨を露にした。
小屋には女と、その息子が潜んでいた。女は我が子を抱き寄せ、小さな身体を他者の目に触れぬようにしていた。その反抗的な姿勢が老婆の神経をますます逆撫でした。
「朝から探し回ったぞ、里美! この恥知らずが!」
里美と呼ばれた女は微かに視線を老婆へと送るだけで、何も言わない。
「意地を張るでない! 自分の所業が如何なことか分かっておるのか。その童は」
「その童は覚者じゃろうが」
水を打ったように静まり返る。
「忌々しい。口にすることも。地上の摂理から外れた覚者は消さねばならぬ。さあ、早う渡せ」
「出来ません! この子はまだ――」
まだ七つなのですよ。
里美は震える声で言った。
「ああ、だから余所者を招くのは嫌だった!」
天を仰ぎ、呆れ果てる老婆。
「掟や理も分からず、情に絆されおってからに! あの若造、斯様な痴れ者を嫁に取りおって、死んで当然のたわけじゃ」
「夫は貴方達のために尽くしました!」
母は息子の体を強く抱き締めて叫んだ。少年の羽織の裾からは、萎れた駒の尻尾が垂れている。
老婆は尚も罵声を飛ばし続けている。だが、最早里美の耳には届いていなかった。
「……遥?」
息子が腕の中で蠢いていることに意識を割かれていたからだ。
少年は母親の袖の陰から顔を出すと、小屋に集う大人連中を睨みつける。
眼差しに野生を宿して。
「な、なんじゃ!?」
追い詰めていたはずの老婆達が狼狽する。
少年は母親の手を振り払って立ち上がると、おうるるる、と朗々たる、しかしどこか悲壮な声で叫ぶ。
それは獣が目覚める咆哮だった。
●行方
「破綻者となった少年の名前は藤代遥。いつ発現したかは不明ですが、現在は母親に匿われている状態です」
心象風景を覚者達に送心する真由美。
「父親は、憤怒者組織に所属していました……存命ではありません」
憤怒者として生きると決めた以上、自業自得の結末ではある。
「彼の暮らしていた集落そのものが、ひとつの憤怒者組織であるようです。土着信仰の強い地域で、超自然的な存在である覚者への嫌悪感は夥しいものがあります……それゆえに、因子を得た事実を知られた遥さんの命が狙われているのです」
没後、自分の子があれほど忌み嫌っていた覚者となるとは思いも寄らなかっただろう。
「ですが、まだ精神的に未熟な幼子。力に翻弄されるのも無理はありません。完全に自我を喪失してはいませんが、放って置くといずれは」
災禍となる。改めてそう宣告した。
「集落の憤怒者も、結果的には適切な行動をしていると言えるのかも知れませんね。破綻者を討伐することになるんですから。だけど、私達が介入することで出来ることもあるはずです」
夢見は眉根を寄せて言う。
「この子もまた――望まれて生まれてきた子でしょうから」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.破綻者の撃破
2.なし
3.なし
2.なし
3.なし
成功条件一個なのでやろうと思えばすぐ終わらせられるシナリオです。
●目的
★破綻者への対処
●現場について
★山奥の村
四方を森に囲まれた、山中に佇む半径1kmにも満たない小さな集落です。
主に居住区と、離れの農地で構成されています。面積としては6:4程度の比率です。
居住区は平屋が密集しているため若干戦いにくいです。一応路上は道幅3m~5mはあるので完全に無理というわけではありません。
農地は収穫済の畑も込みで十分なスペースがあります。また農具小屋も数軒建っていますが、直径5mと狭く戦闘に向いているかは微妙なラインです。
部外者が現れることはまずありません。
集落に住む成人の多くは覚者に悪感情を抱いている憤怒者です。この地で生まれ育った人間に関してはほぼ100%といっていいほど。
到着は交通の便の関係で早くとも12:00以降となります。
出発時刻が憤怒者の行動開始と重なるので、タイミング的にシビアです。
●敵について
★破綻者『藤代遥』 ×1
火行、獣憑の少年です。深度は2であり、ギリギリ自我を保っている状態です。
自分を取り巻く全てへの恐怖心が自衛本能を生み、暴走の根源となっています。
皆様が『適切な処理』を施せば救うこともできるでしょう。
攻防とも物理に寄ったステータスをしています。扱えるスキルは自軍と同じ程度とお考えください。
こちらが何も行動を起こさないと憤怒者が遥と戦闘を開始します。
★憤怒者 ×30
信条に則って覚者を始末するために朝から遥を探している連中です。
彼らは遥が破綻者となっていることは知りません。また、F.i.V.E.の襲来も与り知らぬことです。
全員が槍や斧などで武装していますが、一人一人の戦闘力は知れたものです。
何手かに別れて捜索活動をしているので同時に30人相手にするわけではありません。
なお討伐対象ではないので放置も可能です。
初期配置は破綻者がいずれかの農具小屋内、憤怒者が居住区の各所となります。
憤怒者は妨害が一切なければおよそ5時間ほどで破綻者を発見します。
また破綻者には一般人の母親が伴います。
●『適切な処理』について
熱意があればなんでも出来ます。難しいことを考える必要はありません。
それではご参加お待ちしております。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
10/10
10/10
公開日
2015年10月02日
2015年10月02日
■メイン参加者 10人■

●獣
少年は猛々しく嘶いた。
そして周囲を睨む。血眼に迸る火を揺らめかせて。
攻撃性に満ちた、けれどとても不安定で、今にも壊れてしまいそうな姿。
「大丈夫」
少年は彼の格好に臆することなかった。身構えもせず、ゆっくりと手を差し延べる。穏やかな視線の裏に憐れみの気配も覗かせず、ただそうすることが自然であるかのように。
「君を傷つけに来たんじゃない」
その手に銃はなく、刃もない。
あるのは広げられた掌のみだった。
●未踏の鎖
「そういえば客船での仕事以来ですね、今回もよろしくお願いします」
にこやかに話しかける優男の言葉を、『レヴナント』是枝 真(CL2001105)はわざとらしく無視した。
「つれないなぁ」
これまたわざとらしく寂しげに呟く『便利屋』橘 誠二郎(CL2000665)の顔には、相変わらず人当たりのいい微笑が浮かんだままだ。
「埋伏の計に会話は必要ありません」
家屋の壁に背中を張り付けて、真は近辺を漂う感情の強弱に集中する。
破綻者の対処――それが今回請け負った依頼だ。二人して建物の陰に身を隠しているのも、任務を滞りなく遂行するための一環である。
ただそれだけならば、凍てついた心のまま事を済ませられただろう。だが、この件に憤怒者が一枚噛んでいる以上、真の胸を占める氷塊は鋭利な形状を描かざるを得なかった。
「捕捉しました、仕掛けましょう」
徘徊する憤怒者の一団を察知し、ペアを組む誠二郎に声を掛ける。
誠二郎は了解の旨を伝えると、欠片も警戒する様子なく物陰から飛び出した。
「お言葉ですが、目立ちすぎでは」
「このくらいが丁度いいのですよ。囮ですし、敵を集めなくてはいけません」
白昼堂々と敵陣を闊歩する誠二郎。
「こういう時は多少不謹慎ですが悪役になりきり楽しむと良いのですよ。つまり、容赦無し大いに結構。どんな行動も肯定しますよ、真ちゃん」
温和な表情でそう言った。
「でも、どう考えてもそっちのほうが僕より目立ちますよね」
そしてその表情のまま、真が軽装も軽装、水着姿であることにあっさりと触れて指摘する。
「いいんです。非常に動きやすいので」
少女は合理的な装備であることを示した。
古びた農具小屋が疎らに並んでいる。
「ここも……ハズレかぁ」
不在を確認して扉を閉める『蹴撃系女子』鐡之蔵 禊(CL2000029)は落胆と安堵の入り混じった溜め息を吐いた。
「地道にやるっきゃないな。次、回るぜ」
やや先にある小屋を『オレンジ大斬り』渡慶次・駆(CL2000350)が指差す。
憤怒者への妨害工作が予定通り進んでいるのであれば、捜索に掛けられる時間はまだ余裕がある。
「だからって急がなくていい理由にゃならねぇ」
駆は真剣な面構えで言う。
「子供が泣いてるかも知れねぇしな」
居住区には怒号と罵声の入り混じった騒音が起こっていた。
「ええい、どこに逃げ込んだんだ!」
藤代親子の行方を追う憤怒者達は村中を手当たり次第に巡回していた。
そんなささくれ立った連中に向けて、前兆もなく頭上から眩いばかりの閃光が放たれる。
次いで何かが爆発するかのような轟音。
「うわっ、なんだこの光は!?」
「それにうるせぇっ!」
慌てふためく彼らの耳に、満足げな高笑いが届いた。
「知らねば教えてあげましょうっ! 天知る地知る人知れずっ、正義の味方の御参上っ!」
盛大な音と光に包まれて、突如憤怒者達の前に現れた『独善者』月歌 浅葱(CL2000915)が二階建て家屋の屋根の上で啖呵を切った。
「憤怒者退治に参りましたっ」
機械化した右腕部を誇示し、覚者であることをまじまじと見せつける。
「ふっ、認めてあげましょうっ。正しい行動だとっ。異端の排除は生物の効率的に正しいとっ」
尚も続く浅葱の口上。その間にも騒ぎを嗅ぎつけた憤怒者が続々と集結している。
「正しく義があるならそれは正義っ! ならば拳で語り合いましょうかっ!」
屋根から一回転して飛び降りる浅葱。
武器を振り上げた憤怒者達は、舐めやがって、と口々に叫ぶと浅葱目掛けて駆け出した。
浅葱は跳躍。相手は多数、かつ注目を一身に浴びている以上、集中砲火だけは回避しておきたい。
隙を見て、敵が固まったところに落雷を。
「チッ、化物め!」
反撃に出ようとするが、不意に地走りの炎に足を取られる。
憤怒者達は突然襲ってきた熱気に狼狽しながらも、視線を異なる方向へ移した。
「……ふむ、久々だな。こうして殺気を直に受けるというのも」
向けられた敵意に少年は――『陽を求め歩む者』天原・晃(CL2000389)は幽かに昂りを覚える。
瞳が徐々に金色へと染まっていく。
「名乗ろうか。十天、天原晃だ」
体の内側から噴き上がらせた焔を、その手に握る薙刀に纏わせる。柄を軽く接地させただけで、そこから無数の小火が散開する。
「先程の火はそれか!」
だがそれも、前座でしかない。猛火は今も尚苛烈に晃の中で煮え滾っている。
「俺は正義を問わない。愚直に願望に身を窶すのは自分自身もだからな」
熱が堆積し、緋色に染まった薙刀の刃を突きつける。
狙うは中央に陣取る大将格。
「俺はただ、覚者の一人として貴様らを受け止めるまでだ」
雄々しく斬りつける。傷口を刃に付随する火炎が焼き、血肉が焦げる悪臭が辺りに漂った。
晃が目を付けたとおり、この一団の中でも戦闘能力に長けている相手だったためか、一撃では倒れない。しかし覚者との力量差は歴然だった。
加勢した浅葱と共闘し、更なる成果を目指す。
「ひっ……二人もいるならこの数じゃ無理だ」
敗勢を悟り逃走を試みる憤怒者だったが、背後に何者かの存在を知覚する。
「くたばれ」
女の怜悧な声を耳元で聞くよりも早く、冷たい刃の感触が首筋に走っていた。
●脈拍
ところどころ腐食した、まるで朽木で組み上げたような農具小屋の前に覚者達は立った。
「酷い場所だね」
黒桐 夕樹(CL2000163)はぼろぼろの外壁に触れながら呟く。農地に並ぶ小屋はいずれも雨風に晒されて傷んではいたが、この建物は特に手入れが行き届いていないように思えた。
「それだけ人の目に付きにくいってこったな。その分駆け込むにはうってつけかもな」
腕を組む駆。
「逃避行が昨夜からなら、ここで一晩過ごしたのかな」
夕樹の声音は小さい。
「小さい子の命を狙って……憤怒者の外道どもめ、どんだけ腐ってんだ」
握り締めた拳を小刻みに震わせる『アグニフィスト』陽渡・守夜(CL2000528)は、憤怒者への嫌悪を露にしていた。覚者と非覚者との間に壁はないと、そう信じているからこその怒りだった。
「少年も、それに母親も助けないといけません。まだ間に合うでしょうから」
強い意志を感じる守夜の言葉に、皆が頷く。そして破綻者との邂逅に備えて呼吸を整えてから。
扉は静かに開かれた。
扉は乱雑に開かれた。
小屋全体に喧しい開閉音が鳴り響く。
「里美! ここにおるのか!」
数人の憤怒者を率いた老婆が青筋を立てて叫ぶ。
老婆は屋内を見渡し、そしてはっと息を呑む。
そこには確かに女性はいた。しかし見知らぬ二人であった。
「待ち侘びたよ」
顔色一つ変えずに『鴟梟』谷崎・結唯(CL2000305)は農具小屋に踏み入ってきた連中を一瞥した。
「今、何時かな? ここに隠れてから結構経ったよね」
軽く伸びをする宮神 早紀(CL2000353)も、同様に前髪で遮られていない左目で訪問者を眺める。
「緊張してきたかも」
即座に早紀は覚醒し、刺青の輝きを増させる。
覚者は農地にも囮を仕掛けていた。
「ええい、大地に逆らう不届き者どもめ」
喚く老婆に冷笑する結唯。
「馬鹿馬鹿しい。我々は進んでこの力を得たわけじゃない。自然にそうなっただけだ。ならば自然を受け入れられないのは我々を排斥する貴様等ではないか」
まあいい、と結唯は会話を断ち切る。
「議論は無用だ」
「あっ、谷崎さん」
ちょいちょい、と早紀が呼び止める。
「あたし、この仕事が初めてだから、足引っ張ったりしないように気をつけるつもりだけど、なんかあったら言ってね。出来るだけ合わせるから」
「……善処はしよう」
臆面もなくそう話す早紀の親しみやすい笑顔を見ると、結唯も頷く他なかった。
もっとも早紀も覚者である。信頼を寄せるに足る仲間だ。
狭い屋内。二人は背中を合わせて布陣する。憤怒者達もそれぞれ武器を構える。
早紀はまず、冷静に身体能力の強化を。
「無碍に殺すな、だったか。甘い連中だ」
先手を取って攻勢に出たのは結唯だった。諸手に持った刀剣『小龍影光』の峰で敵一人の側頭部を打ちつけ、昏倒させる。自身に向かってきた相手には刃を返して踝を裂き、その足を止める。
「よし、あたしも頑張るよ!」
十二分に下準備を重ねた早紀は床を思い切り蹴ると、その拳に激しく燃え盛る炎を纏わせて憤怒者を殴打した。彩の因子と火行の術式、両方の加護を受けたその拳撃は、初仕事とは思えないほどに強烈な威力を誇っていた。
「お、いい感じ!」
ふっと吐息で拳の火を掻き消してみせる早紀。
「ええい怯むでない! 儂に続かんか!」
老婆が檄を飛ばすが、付き従う憤怒者の若人連中は立ち向かっていかない。それどころか仲間同士で小競り合いを始めていた
「一体これは……そこの小娘! 何をした!」
老婆は異変を察し、密かに不審な様子を見せていた結唯を怒鳴り声で問い詰める。
「何をしたか、だと? 何もしとらんよ」
妖しく双眸を光らせる結唯は悪びれもせず、無表情でそう答えた。
憤怒者の首筋を切りつけても尚、刃物を握る真は無表情のままだった。
「……まだ息がある」
逃走行動は止めたものの、裂傷は浅い。寸前で暴れられなければ刃は頚動脈に達したはず。
本音を語るなら、憎き憤怒者は全員殺してしまいたかった。大事な家族を奪った敵に対して慈悲を傾ける必要はない。それが直接に関わった憤怒者でなかろうとも。
「これだけの出血、放置すれば遠からず死ぬでしょう」
自分を納得させて、その場を後にする。
息絶えるかどうかは天に任せる。とにかく、数さえ稼げればいい。
先程別地点で誠二郎と共に妨害を働いた憤怒者達も、ただ効率重視で足を斬り伏せただけだ。
遥を抱き締める母親、里美は、当初村の人間が来たと思って足を竦ませていた。
「十天が一人、鐡之蔵禊。正しいことをしに来たんだ」
覚者達は怯える彼女を宥めつつ、助けに来たのだということを説明する。
最中、母親の袖から僅かに見える破綻者の存在を確認する。憔悴しきった表情をしていて、現時点ではまだ暴走の気配はない。
「俺達は覚者の自助会、ってとこかな。その子が藤代遥で間違いないな?」
里美は黙って頷く。未だに不安そうな顔つきである。
「心配しなくてもいいですよ。嘘なんかじゃありませんから」
手の甲に刻まれた真紅の紋様を掲げ、『醒の炎』の煌きを見せた。覚者であることの証拠だ。
里美はまだ逡巡した様子である。唐突な事態に対する混乱もあるかも知れない。
その少しの躊躇いの狭間。
「……ッ! これは」
閉鎖空間だというのに、禊は風向きの変化をはっきりと感じた。
少年は立ち上がると母親の元を離れ。
おうるるる――と吼える。
華奢だった四肢は筋骨の隆起した馬脚となり、そしてその瞳は邪な破壊衝動で埋め尽くされている。
その光景を目の当たりにしても、覚者達はたじろぐ様子を見せなかった。
「大丈夫、君を傷つけに来たんじゃない」
黒の少年は両手の武器を投げ捨てた。そして遥の前に歩み寄る。
「君と、君の母さんが一緒に生きられるようにしたいから来たんだ」
●除け者
早紀は自分自身の力に驚いていた。
足元で突っ伏している憤怒者達を倒したのが自分だという事実に、興奮を覚えずにはいられない。
「あたしも結構、やるもんだなぁ」
まだ拳に敵を殴り飛ばす瞬間の感触が残っている。
「この場は片付いたか」
うう、と弱々しく呻く老婆を見遣りながら結唯が言う。
「さて、向こうの連中はどうしていることやら」
農具小屋から出ると煙草の火を点け、遠くを眺めた。
「一人、あえて逃がしてみましょう」
誠二郎がそう言い出した時、皆が呆気に取られた。
浅葱が大立ち回りをしていた区域で、居住区で活動する四人が合流した場面でのことである。
「きっと仲間を呼んでくるでしょうからね。ここはひとつ、海老で鯛を釣ってみませんか」
依然として目を弓にしたままで語る誠二郎の発案に乗ってはみたものの、話半分なところはあった。
しかし、それも不要な懸念だった。
「本当に来るとは。単純な奴らだ」
白髪を掻き上げて、少し呆れたふうに呟く晃。
視線の先には、誠二郎の思惑通り大挙してやって来た追手の集団がある。
「ひと、ふた、みっ。凄い数ですねっ。さっきやっつけたのが七人とかだったから……」
「多いほうが助かります。手間が省けるので」
真は誰よりも早く戦線へと疾駆した。遠距離から雷雲を巻き起こして敵複数を対象に先制攻撃。しかしこれは牽制に過ぎない。本命は一対の小剣による斬撃。手首と足首を集中して引き裂く。
続けて誠二郎も戦闘を開始する。練成した植物の蔓を束ね、しなやかな鞭を形成。
「命までは取りませんが、加減もしませんよ。今回は悪役を気取らせていただきますので」
情け容赦なく、新緑の鞭を憤怒者の脛へと叩きつける。
「やはり脆いですね、地虫の如く地を這う姿がとても良くお似合いですよ」
見下ろす微笑の裏にある真意はまるで読めない。
「来い。力で捻じ伏せるのではなく、対話を望む者が居るなら後で相手になってやる」
晃もまた、薙刀一本で憤怒者達との立ち回りを演じる。灼熱が流れる大気ごと焼き尽くしていく。
その間にも、真は次々に標的を切り裂いていっていた。
憤怒者の動きが彼女の目には遅々として映る。決して反応で追いつかせない。
戦鬼のような振る舞いに、一人の憤怒者が腰を抜かす。真は好機とばかりに突き殺そうとしたが、その体を浅葱が蹴り飛ばした。下腹部を強く蹴られたその憤怒者は悶絶し、立ち上がれなくなった。
「動けなくなればいいのですっ」
浅葱は、これ以上の阻害行動は必要ないことを伝えた。覚者達に向かってきた十数人の憤怒者は返り討ちに遭い、全員が重い傷を負って倒れこんでいる。
状況を悟った真は刃を仕舞った。
「あとは、遥くんの救出が上手くいくことを願うのみですねっ」
「……藤代遥か」
薙刀の炎を鎮めながら晃が呟く。
「さて、無事にコトが進んでいれば良いのだがな」
遥の息は荒く、そして何よりも感情の発露が激しかった。怒りと悲しみが入り混じったような声で啼き、喜びと楽しみを抑えられないかのように力任せに暴力を振るう。
だというのに、覚者達は決して覚醒しない。武器を持つことすらしない。
まっすぐに遥の瞳を見つめ、その奥にある少年らしい純粋な精神に語りかけていた。
「来な。おっさんの腹、叩いてみろ。いい音がするぞ」
駆は戦闘に適さない中年男性の姿のままで。
「怖いなら、不安なら、私に襲い掛かってきてもいいよ。ただ、信じて。私達は傷つけにきたんじゃないよ」
禊は自慢の脚を振り上げず。
「俺は他に、魂を伝える方法を思いつきません」
守夜の拳は開かれたままだ。
「……君に声が届いているかは分からないけど」
夕樹は無防備を晒す。決して敵意がないことを示す。
「欲しくて得た力じゃないのは分かってる。俺もそうだった。それでも俺は力を正しいことに使う道を選んだよ。世界の不条理から家族を守りたかったから」
また一歩、手を広げて歩み寄る。
「君もその手で母さんを守れるはずなんだ」
進み出たのは――破綻者だった。獣の跳躍は恐るべき速さで夕樹に激突した。
夕樹は苦痛で顔を歪ませるも、跳ね除けることはせず、ただその因子変化した手を優しく握った。
思わぬ反応に遥は困惑し、今度は禊に狙いをつけた。彼女も抵抗せず、その突進を受け止めると、ぎゅっと体を抱き寄せた。
「周りが皆敵っていうのは、不安だよね」
耳元で囁く。遥は動けなかった。
「そうやって戸惑うのは、遥君がちっとも化物なんかじゃないからですよ。人間の心がある証です」
守夜が近寄り、その肩を抱く。体温をお互いに感じ合う。
「お前は世界に愛される資格がある。少なくとももう、すぐそばの誰かに愛されているけどな」
駆は母親のほうを見ながら言った。里美の靴は夜通し村中を走り回ったせいで黒ずんでいた。けれど遥の靴に過度の汚れはない。逃避行の間中母親に背負われていたのだろう。
「あ、ああ……」
遥は全身から力が抜けていくのを感じた。あれほど身を焦がしていた激しい衝動はどこかへと霧散していった。憑き物が落ちたようにその場に倒れこむ。
「……よかった」
打撲痕を撫でる夕樹は、少しだけ唇に笑みを湛えて安息を漏らした。
覚醒の解けた少年に母親は駆け寄る。息があることを確認すると、目尻から涙を零した。
「もう平気、みたいですね」
破綻者の――『覚者』の無事を見届けると守夜が皆に目配せする。
「これからお前達を逃げさせる手引きをする。だから一つ約束してくれ。この子を愛すると……それさえ守ってくれれば、俺達はいつでも駆けつける」
駆の言葉に、里美は強く首を縦に振った。
その腕の中で、彼岸から帰還した遥は穏やかに寝息を立てている。
まるで赤子のような清らかな表情で。
少年は猛々しく嘶いた。
そして周囲を睨む。血眼に迸る火を揺らめかせて。
攻撃性に満ちた、けれどとても不安定で、今にも壊れてしまいそうな姿。
「大丈夫」
少年は彼の格好に臆することなかった。身構えもせず、ゆっくりと手を差し延べる。穏やかな視線の裏に憐れみの気配も覗かせず、ただそうすることが自然であるかのように。
「君を傷つけに来たんじゃない」
その手に銃はなく、刃もない。
あるのは広げられた掌のみだった。
●未踏の鎖
「そういえば客船での仕事以来ですね、今回もよろしくお願いします」
にこやかに話しかける優男の言葉を、『レヴナント』是枝 真(CL2001105)はわざとらしく無視した。
「つれないなぁ」
これまたわざとらしく寂しげに呟く『便利屋』橘 誠二郎(CL2000665)の顔には、相変わらず人当たりのいい微笑が浮かんだままだ。
「埋伏の計に会話は必要ありません」
家屋の壁に背中を張り付けて、真は近辺を漂う感情の強弱に集中する。
破綻者の対処――それが今回請け負った依頼だ。二人して建物の陰に身を隠しているのも、任務を滞りなく遂行するための一環である。
ただそれだけならば、凍てついた心のまま事を済ませられただろう。だが、この件に憤怒者が一枚噛んでいる以上、真の胸を占める氷塊は鋭利な形状を描かざるを得なかった。
「捕捉しました、仕掛けましょう」
徘徊する憤怒者の一団を察知し、ペアを組む誠二郎に声を掛ける。
誠二郎は了解の旨を伝えると、欠片も警戒する様子なく物陰から飛び出した。
「お言葉ですが、目立ちすぎでは」
「このくらいが丁度いいのですよ。囮ですし、敵を集めなくてはいけません」
白昼堂々と敵陣を闊歩する誠二郎。
「こういう時は多少不謹慎ですが悪役になりきり楽しむと良いのですよ。つまり、容赦無し大いに結構。どんな行動も肯定しますよ、真ちゃん」
温和な表情でそう言った。
「でも、どう考えてもそっちのほうが僕より目立ちますよね」
そしてその表情のまま、真が軽装も軽装、水着姿であることにあっさりと触れて指摘する。
「いいんです。非常に動きやすいので」
少女は合理的な装備であることを示した。
古びた農具小屋が疎らに並んでいる。
「ここも……ハズレかぁ」
不在を確認して扉を閉める『蹴撃系女子』鐡之蔵 禊(CL2000029)は落胆と安堵の入り混じった溜め息を吐いた。
「地道にやるっきゃないな。次、回るぜ」
やや先にある小屋を『オレンジ大斬り』渡慶次・駆(CL2000350)が指差す。
憤怒者への妨害工作が予定通り進んでいるのであれば、捜索に掛けられる時間はまだ余裕がある。
「だからって急がなくていい理由にゃならねぇ」
駆は真剣な面構えで言う。
「子供が泣いてるかも知れねぇしな」
居住区には怒号と罵声の入り混じった騒音が起こっていた。
「ええい、どこに逃げ込んだんだ!」
藤代親子の行方を追う憤怒者達は村中を手当たり次第に巡回していた。
そんなささくれ立った連中に向けて、前兆もなく頭上から眩いばかりの閃光が放たれる。
次いで何かが爆発するかのような轟音。
「うわっ、なんだこの光は!?」
「それにうるせぇっ!」
慌てふためく彼らの耳に、満足げな高笑いが届いた。
「知らねば教えてあげましょうっ! 天知る地知る人知れずっ、正義の味方の御参上っ!」
盛大な音と光に包まれて、突如憤怒者達の前に現れた『独善者』月歌 浅葱(CL2000915)が二階建て家屋の屋根の上で啖呵を切った。
「憤怒者退治に参りましたっ」
機械化した右腕部を誇示し、覚者であることをまじまじと見せつける。
「ふっ、認めてあげましょうっ。正しい行動だとっ。異端の排除は生物の効率的に正しいとっ」
尚も続く浅葱の口上。その間にも騒ぎを嗅ぎつけた憤怒者が続々と集結している。
「正しく義があるならそれは正義っ! ならば拳で語り合いましょうかっ!」
屋根から一回転して飛び降りる浅葱。
武器を振り上げた憤怒者達は、舐めやがって、と口々に叫ぶと浅葱目掛けて駆け出した。
浅葱は跳躍。相手は多数、かつ注目を一身に浴びている以上、集中砲火だけは回避しておきたい。
隙を見て、敵が固まったところに落雷を。
「チッ、化物め!」
反撃に出ようとするが、不意に地走りの炎に足を取られる。
憤怒者達は突然襲ってきた熱気に狼狽しながらも、視線を異なる方向へ移した。
「……ふむ、久々だな。こうして殺気を直に受けるというのも」
向けられた敵意に少年は――『陽を求め歩む者』天原・晃(CL2000389)は幽かに昂りを覚える。
瞳が徐々に金色へと染まっていく。
「名乗ろうか。十天、天原晃だ」
体の内側から噴き上がらせた焔を、その手に握る薙刀に纏わせる。柄を軽く接地させただけで、そこから無数の小火が散開する。
「先程の火はそれか!」
だがそれも、前座でしかない。猛火は今も尚苛烈に晃の中で煮え滾っている。
「俺は正義を問わない。愚直に願望に身を窶すのは自分自身もだからな」
熱が堆積し、緋色に染まった薙刀の刃を突きつける。
狙うは中央に陣取る大将格。
「俺はただ、覚者の一人として貴様らを受け止めるまでだ」
雄々しく斬りつける。傷口を刃に付随する火炎が焼き、血肉が焦げる悪臭が辺りに漂った。
晃が目を付けたとおり、この一団の中でも戦闘能力に長けている相手だったためか、一撃では倒れない。しかし覚者との力量差は歴然だった。
加勢した浅葱と共闘し、更なる成果を目指す。
「ひっ……二人もいるならこの数じゃ無理だ」
敗勢を悟り逃走を試みる憤怒者だったが、背後に何者かの存在を知覚する。
「くたばれ」
女の怜悧な声を耳元で聞くよりも早く、冷たい刃の感触が首筋に走っていた。
●脈拍
ところどころ腐食した、まるで朽木で組み上げたような農具小屋の前に覚者達は立った。
「酷い場所だね」
黒桐 夕樹(CL2000163)はぼろぼろの外壁に触れながら呟く。農地に並ぶ小屋はいずれも雨風に晒されて傷んではいたが、この建物は特に手入れが行き届いていないように思えた。
「それだけ人の目に付きにくいってこったな。その分駆け込むにはうってつけかもな」
腕を組む駆。
「逃避行が昨夜からなら、ここで一晩過ごしたのかな」
夕樹の声音は小さい。
「小さい子の命を狙って……憤怒者の外道どもめ、どんだけ腐ってんだ」
握り締めた拳を小刻みに震わせる『アグニフィスト』陽渡・守夜(CL2000528)は、憤怒者への嫌悪を露にしていた。覚者と非覚者との間に壁はないと、そう信じているからこその怒りだった。
「少年も、それに母親も助けないといけません。まだ間に合うでしょうから」
強い意志を感じる守夜の言葉に、皆が頷く。そして破綻者との邂逅に備えて呼吸を整えてから。
扉は静かに開かれた。
扉は乱雑に開かれた。
小屋全体に喧しい開閉音が鳴り響く。
「里美! ここにおるのか!」
数人の憤怒者を率いた老婆が青筋を立てて叫ぶ。
老婆は屋内を見渡し、そしてはっと息を呑む。
そこには確かに女性はいた。しかし見知らぬ二人であった。
「待ち侘びたよ」
顔色一つ変えずに『鴟梟』谷崎・結唯(CL2000305)は農具小屋に踏み入ってきた連中を一瞥した。
「今、何時かな? ここに隠れてから結構経ったよね」
軽く伸びをする宮神 早紀(CL2000353)も、同様に前髪で遮られていない左目で訪問者を眺める。
「緊張してきたかも」
即座に早紀は覚醒し、刺青の輝きを増させる。
覚者は農地にも囮を仕掛けていた。
「ええい、大地に逆らう不届き者どもめ」
喚く老婆に冷笑する結唯。
「馬鹿馬鹿しい。我々は進んでこの力を得たわけじゃない。自然にそうなっただけだ。ならば自然を受け入れられないのは我々を排斥する貴様等ではないか」
まあいい、と結唯は会話を断ち切る。
「議論は無用だ」
「あっ、谷崎さん」
ちょいちょい、と早紀が呼び止める。
「あたし、この仕事が初めてだから、足引っ張ったりしないように気をつけるつもりだけど、なんかあったら言ってね。出来るだけ合わせるから」
「……善処はしよう」
臆面もなくそう話す早紀の親しみやすい笑顔を見ると、結唯も頷く他なかった。
もっとも早紀も覚者である。信頼を寄せるに足る仲間だ。
狭い屋内。二人は背中を合わせて布陣する。憤怒者達もそれぞれ武器を構える。
早紀はまず、冷静に身体能力の強化を。
「無碍に殺すな、だったか。甘い連中だ」
先手を取って攻勢に出たのは結唯だった。諸手に持った刀剣『小龍影光』の峰で敵一人の側頭部を打ちつけ、昏倒させる。自身に向かってきた相手には刃を返して踝を裂き、その足を止める。
「よし、あたしも頑張るよ!」
十二分に下準備を重ねた早紀は床を思い切り蹴ると、その拳に激しく燃え盛る炎を纏わせて憤怒者を殴打した。彩の因子と火行の術式、両方の加護を受けたその拳撃は、初仕事とは思えないほどに強烈な威力を誇っていた。
「お、いい感じ!」
ふっと吐息で拳の火を掻き消してみせる早紀。
「ええい怯むでない! 儂に続かんか!」
老婆が檄を飛ばすが、付き従う憤怒者の若人連中は立ち向かっていかない。それどころか仲間同士で小競り合いを始めていた
「一体これは……そこの小娘! 何をした!」
老婆は異変を察し、密かに不審な様子を見せていた結唯を怒鳴り声で問い詰める。
「何をしたか、だと? 何もしとらんよ」
妖しく双眸を光らせる結唯は悪びれもせず、無表情でそう答えた。
憤怒者の首筋を切りつけても尚、刃物を握る真は無表情のままだった。
「……まだ息がある」
逃走行動は止めたものの、裂傷は浅い。寸前で暴れられなければ刃は頚動脈に達したはず。
本音を語るなら、憎き憤怒者は全員殺してしまいたかった。大事な家族を奪った敵に対して慈悲を傾ける必要はない。それが直接に関わった憤怒者でなかろうとも。
「これだけの出血、放置すれば遠からず死ぬでしょう」
自分を納得させて、その場を後にする。
息絶えるかどうかは天に任せる。とにかく、数さえ稼げればいい。
先程別地点で誠二郎と共に妨害を働いた憤怒者達も、ただ効率重視で足を斬り伏せただけだ。
遥を抱き締める母親、里美は、当初村の人間が来たと思って足を竦ませていた。
「十天が一人、鐡之蔵禊。正しいことをしに来たんだ」
覚者達は怯える彼女を宥めつつ、助けに来たのだということを説明する。
最中、母親の袖から僅かに見える破綻者の存在を確認する。憔悴しきった表情をしていて、現時点ではまだ暴走の気配はない。
「俺達は覚者の自助会、ってとこかな。その子が藤代遥で間違いないな?」
里美は黙って頷く。未だに不安そうな顔つきである。
「心配しなくてもいいですよ。嘘なんかじゃありませんから」
手の甲に刻まれた真紅の紋様を掲げ、『醒の炎』の煌きを見せた。覚者であることの証拠だ。
里美はまだ逡巡した様子である。唐突な事態に対する混乱もあるかも知れない。
その少しの躊躇いの狭間。
「……ッ! これは」
閉鎖空間だというのに、禊は風向きの変化をはっきりと感じた。
少年は立ち上がると母親の元を離れ。
おうるるる――と吼える。
華奢だった四肢は筋骨の隆起した馬脚となり、そしてその瞳は邪な破壊衝動で埋め尽くされている。
その光景を目の当たりにしても、覚者達はたじろぐ様子を見せなかった。
「大丈夫、君を傷つけに来たんじゃない」
黒の少年は両手の武器を投げ捨てた。そして遥の前に歩み寄る。
「君と、君の母さんが一緒に生きられるようにしたいから来たんだ」
●除け者
早紀は自分自身の力に驚いていた。
足元で突っ伏している憤怒者達を倒したのが自分だという事実に、興奮を覚えずにはいられない。
「あたしも結構、やるもんだなぁ」
まだ拳に敵を殴り飛ばす瞬間の感触が残っている。
「この場は片付いたか」
うう、と弱々しく呻く老婆を見遣りながら結唯が言う。
「さて、向こうの連中はどうしていることやら」
農具小屋から出ると煙草の火を点け、遠くを眺めた。
「一人、あえて逃がしてみましょう」
誠二郎がそう言い出した時、皆が呆気に取られた。
浅葱が大立ち回りをしていた区域で、居住区で活動する四人が合流した場面でのことである。
「きっと仲間を呼んでくるでしょうからね。ここはひとつ、海老で鯛を釣ってみませんか」
依然として目を弓にしたままで語る誠二郎の発案に乗ってはみたものの、話半分なところはあった。
しかし、それも不要な懸念だった。
「本当に来るとは。単純な奴らだ」
白髪を掻き上げて、少し呆れたふうに呟く晃。
視線の先には、誠二郎の思惑通り大挙してやって来た追手の集団がある。
「ひと、ふた、みっ。凄い数ですねっ。さっきやっつけたのが七人とかだったから……」
「多いほうが助かります。手間が省けるので」
真は誰よりも早く戦線へと疾駆した。遠距離から雷雲を巻き起こして敵複数を対象に先制攻撃。しかしこれは牽制に過ぎない。本命は一対の小剣による斬撃。手首と足首を集中して引き裂く。
続けて誠二郎も戦闘を開始する。練成した植物の蔓を束ね、しなやかな鞭を形成。
「命までは取りませんが、加減もしませんよ。今回は悪役を気取らせていただきますので」
情け容赦なく、新緑の鞭を憤怒者の脛へと叩きつける。
「やはり脆いですね、地虫の如く地を這う姿がとても良くお似合いですよ」
見下ろす微笑の裏にある真意はまるで読めない。
「来い。力で捻じ伏せるのではなく、対話を望む者が居るなら後で相手になってやる」
晃もまた、薙刀一本で憤怒者達との立ち回りを演じる。灼熱が流れる大気ごと焼き尽くしていく。
その間にも、真は次々に標的を切り裂いていっていた。
憤怒者の動きが彼女の目には遅々として映る。決して反応で追いつかせない。
戦鬼のような振る舞いに、一人の憤怒者が腰を抜かす。真は好機とばかりに突き殺そうとしたが、その体を浅葱が蹴り飛ばした。下腹部を強く蹴られたその憤怒者は悶絶し、立ち上がれなくなった。
「動けなくなればいいのですっ」
浅葱は、これ以上の阻害行動は必要ないことを伝えた。覚者達に向かってきた十数人の憤怒者は返り討ちに遭い、全員が重い傷を負って倒れこんでいる。
状況を悟った真は刃を仕舞った。
「あとは、遥くんの救出が上手くいくことを願うのみですねっ」
「……藤代遥か」
薙刀の炎を鎮めながら晃が呟く。
「さて、無事にコトが進んでいれば良いのだがな」
遥の息は荒く、そして何よりも感情の発露が激しかった。怒りと悲しみが入り混じったような声で啼き、喜びと楽しみを抑えられないかのように力任せに暴力を振るう。
だというのに、覚者達は決して覚醒しない。武器を持つことすらしない。
まっすぐに遥の瞳を見つめ、その奥にある少年らしい純粋な精神に語りかけていた。
「来な。おっさんの腹、叩いてみろ。いい音がするぞ」
駆は戦闘に適さない中年男性の姿のままで。
「怖いなら、不安なら、私に襲い掛かってきてもいいよ。ただ、信じて。私達は傷つけにきたんじゃないよ」
禊は自慢の脚を振り上げず。
「俺は他に、魂を伝える方法を思いつきません」
守夜の拳は開かれたままだ。
「……君に声が届いているかは分からないけど」
夕樹は無防備を晒す。決して敵意がないことを示す。
「欲しくて得た力じゃないのは分かってる。俺もそうだった。それでも俺は力を正しいことに使う道を選んだよ。世界の不条理から家族を守りたかったから」
また一歩、手を広げて歩み寄る。
「君もその手で母さんを守れるはずなんだ」
進み出たのは――破綻者だった。獣の跳躍は恐るべき速さで夕樹に激突した。
夕樹は苦痛で顔を歪ませるも、跳ね除けることはせず、ただその因子変化した手を優しく握った。
思わぬ反応に遥は困惑し、今度は禊に狙いをつけた。彼女も抵抗せず、その突進を受け止めると、ぎゅっと体を抱き寄せた。
「周りが皆敵っていうのは、不安だよね」
耳元で囁く。遥は動けなかった。
「そうやって戸惑うのは、遥君がちっとも化物なんかじゃないからですよ。人間の心がある証です」
守夜が近寄り、その肩を抱く。体温をお互いに感じ合う。
「お前は世界に愛される資格がある。少なくとももう、すぐそばの誰かに愛されているけどな」
駆は母親のほうを見ながら言った。里美の靴は夜通し村中を走り回ったせいで黒ずんでいた。けれど遥の靴に過度の汚れはない。逃避行の間中母親に背負われていたのだろう。
「あ、ああ……」
遥は全身から力が抜けていくのを感じた。あれほど身を焦がしていた激しい衝動はどこかへと霧散していった。憑き物が落ちたようにその場に倒れこむ。
「……よかった」
打撲痕を撫でる夕樹は、少しだけ唇に笑みを湛えて安息を漏らした。
覚醒の解けた少年に母親は駆け寄る。息があることを確認すると、目尻から涙を零した。
「もう平気、みたいですね」
破綻者の――『覚者』の無事を見届けると守夜が皆に目配せする。
「これからお前達を逃げさせる手引きをする。だから一つ約束してくれ。この子を愛すると……それさえ守ってくれれば、俺達はいつでも駆けつける」
駆の言葉に、里美は強く首を縦に振った。
その腕の中で、彼岸から帰還した遥は穏やかに寝息を立てている。
まるで赤子のような清らかな表情で。

■あとがき■
MVPは多数の憤怒者を引きつけた浅葱さんに。
