人間教育
人間教育



 校長の机に、僕は辞表を叩き付けた。
「芦田先生……これは?」
「見てわかりませんか」
「辞表であるのは、わかります。残念ですが、仕方がありません」
 僕が辞表と一緒に出したものを、校長は手に取った。
「しかし、これは……教職を辞める、だけでは済まないのですよ?」
 それは、1枚のタロットカードである。絵柄は、表が『力』、裏が『正義』。
 占いにもゲームにも使えない、こんな不良品のタロットカードを僕は、教員免許取得と同時に持たされた。
 これを、辞表と一緒に突っ返す。
 それはつまり、この国の『力』と『正義』に喧嘩を売るという事だ。
 子供の頃からの憧れであった、この教師という職業に、復帰する事はもはや出来ないだろう。
 だが。僕が憧れていたのは、子供たちを差別主義者に育て上げるような教師ではないのだ。
「校長先生、貴方は僕におっしゃいました……見て見ぬふりをしなさい、と」
「それが、芦田先生のためだからです」
 校長も教頭も、もちろん僕も、あの人々に逆らう事は許されないのだ。
 教育界の上層部に根を張りながら『力』と『正義』を掲げる、あの人々には。
「芦田先生、ここは学校です」
 校長は言った。
「子供たちが、等しく教育を受ける場所です。差別があってはなりません。我々教員は、分け隔てする事なく子供たちに接し、子供たちに教え、子供たちを導かなければなりません……人間の、子供たちをね」
 僕は無言で頭を下げ、校長室を出た。
 辞表を出した時点で、用事は済んだ。これ以上の会話は必要ない。


 学校を出て最初の角を曲がったところで、男の子が1人、待っていた。
「おう。どうした大地」
「先生……学校は?」
「辞めてきた。ああ別に、お前のせいとかじゃないから気にするなよ」
 村上大地。僕が担当していた4年3組の、男子児童である。
 いや、今はそうではない。僕と同じく、学校に居られなくなった身である。
「別に……気にしてねえよ。そんな事。バカじゃねえの」
「先生に向かって、その言い方はないだろー」
「もう先生じゃねえくせに」
 学校に居場所を無くした教師と児童が、何となく一緒に歩き出す。
 この大地という少年は、今や家に帰る事も出来ない。両親には、真っ先に拒絶されたようだ。
 クラスの男子も女子も、大地を人間として扱わなかった。席を離し、罵詈雑言を浴びせ、物を投げつけた。
 僕が有能な教師であれば、そんな事をする児童とされる児童、双方が何の不満も抱かぬよう取り計らう事が出来ただろう。
 だが僕は、教師としては無能もいいところで、大地1人の味方でいる事しか出来なかった。
「嫌だろうけど、しばらくは僕の家で寝泊まりするんだな」
 家と言っても、一人暮らしのアパートだ。
「僕も仕事探さなきゃいけないけど、そこそこ貯えはある。お前の飯代くらい、しばらくは大丈夫さ」
「……まじでウザいんだけど、そーゆうの」
「教師はな、生徒にウザがられるのが仕事みたいなもんだ」
 もう教師じゃないけどな、と続けようとして僕は突然、口がきけなくなった。
 顔面に、衝撃が来た。鉄パイプか、金属バットか。
 公園である。僕のアパートへは、ここを通り抜けて行くのが一番の近道なのだが、どうやら帰る事は出来そうにない。
 横合いから、僕は殴り倒されていた。
「校長先生から聞いてるよ。芦田先生、だっけ?」
「駄目だよ、人間なのにバケモノの味方したりとか」
「俺らが動かなきゃいけなくなっちまった。わかってんのかなあ、もう」
 そんな言葉と共に、何本もの金属バットが降り注ぐ。
 僕は、滅多打ちにされていた。
「先生!」
 大地が叫ぶ。
 そこへ、男の1人が金属バットを叩きつける。
「頭カチ割ってよォ、バケモノの脳ミソ引きずり出してやんぜクソガキがよおお!」
 やめろ、大地に手を出すな。
 そう叫ぼうとする僕の口元を、男の1人が思いきり踏み付ける。
「駄目だっての先生。バケモノはさぁ、人間社会全体、力合わせて排除しなきゃあ……」
 その男が、吹っ飛んだ。
 光が見えた。光が暴れ回って、男たちを打ちのめしている。
 その光は、大地の両手だった。
「先生に……手ぇ出してんじゃねえよ……」
 小さな拳を禍々しく輝かせながら、大地は立っていた。
 両手の甲に、何やら刺青のようなものが浮かび上がっている。それが、光を発しているのだ。
 男たちは全員、血まみれで倒れていた。皆、辛うじて生きてはいる。
 だが大地は、止まらない。
「俺はいい、バケモノでいいよ……ただ、先生に手ぇ出す奴は許せねえ……殺す」
「やめろ……」
 僕の声は、果たして大地に届いているのかどうか。
「駄目だ、大地……それだけは……」
 足音が聞こえた。誰かが、通報でもしてくれたのか。
 いや違う。駆け付けて来たのは、警官ではない。
 誰なのかは、わからない。ただ、大地と同じ何かを感じさせる。
 誰でもいい、と僕は思った。
 大地を止めてくれるのなら、誰でもいい。


■シナリオ詳細
種別:通常
難易度:普通
担当ST:小湊拓也
■成功条件
1.破綻者・村上大地の撃破(身柄拘束)。
2.大地に殺人をさせない。
3.なし
 お世話になっております。ST小湊拓也です。

 今回の現場は公園内、人通りの少ない一角で、イレヴンの下っ端5人と、彼らによる暴行を受けた小学校教諭・芦田健一(25)氏、計6名が瀕死の状態で倒れております。

 イレヴンの5名にとどめを刺そうとしている破綻者・村上大地(火行彩、深度2)を制止して下さい。

 大地君が5人を殺害しようとしている、今まさにその時、夢見からの情報を得た覚者の皆様が現場に駆け付けたところが状況開始となります。

 イレヴンの5人は何かされただけで簡単に死ぬ状態ですが、殺す前に大地君は妨害者を排除しようとします。
 芦田先生に暴力を振るう輩を、庇う。守る。今の大地君にとっては、それこそが最も許し難い行為なのです。「暴力では何も解決しない」的な口上を述べれば、怒り狂って攻撃を仕掛けて来るでしょう。

 村上大地の攻撃手段は「五織の彩」と格闘戦(物近単)のみ。皆様のどなたかお1人でも戦闘可能状態である間は、イレヴンの5人に彼が手を出す事はありません。
 邪魔者を片付けた後で、じっくりと盛大に皆殺しを実行するつもりなのです。

 そのような行為を止めていただくわけですが当然、会話の出来る状態ではないので実力行使となります。特に手加減は必要なく、普通に戦って体力をゼロにすれば、死ぬ事もなく大人しくなってくれます。

 それでは、よろしくお願い申し上げます。
状態
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
(0モルげっと♪)
相談日数
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
参加人数
6/6
公開日
2017年06月20日

■メイン参加者 6人■

『想い重ねて』
蘇我島 恭司(CL2001015)
『想い重ねて』
蘇我島 燐花(CL2000695)
『ボーパルホワイトバニー』
飛騨・直斗(CL2001570)
『エリニュスの翼』
如月・彩吹(CL2001525)
『居待ち月』
天野 澄香(CL2000194)
『輝き、解き放って』
月影 朧(CL2001599)


 制御を失い、己の力に飲み込まれ、自我を失いかけている覚者。
 それが破綻者である、と『ニュクスの羽風』如月彩吹(CL2001525)は認識している。大きく間違っては、いないはずだ。だが。
「何だよ、あんたら……このクソッタレどもの仲間なら、まとめて殺す。そうじゃねえなら引っ込んでろよ」
 村上大地の、口調は静かだ。
 こちらを見据える眼光は、激しく燃え盛っている。その炎に、しかし狂気の揺らめきはない。
 確固たるものが、大地の両眼には宿っている。
「厄介だぜ、こいつはよ……」
 妖刀を抜き構えながら『ボーパルホワイトバニー』飛騨直斗(CL2001570)が呻く。
「とち狂ってる、わけじゃねえ。正気のまんま人殺しをやろうとしてやがる……先生を、守るために」
「だったら尚更、止めなきゃね」
 言いつつ彩吹は、大地の正面に立ち、翼を広げた。
「そこまでだよ村上大地。別に、この連中を守るつもりはないけれど……君を、人殺しにはさせない」
 血まみれで倒れている、5人の男……イレヴンの末端構成員。
 大地に殺されるところであった彼らを、翼で庇うような格好になった。
 その5名に殺されるところであった芦田教諭の傍で『世界樹の癒し』天野澄香(CL2000194)が、片膝をついている。
「今、傷を治します。じっとしていて下さいね」
「あ……貴女たちは……」
 血を流している芦田の頭に、澄香が『樹の雫』を注ぎ込む。
「私たちは、ファイヴという組織の覚者です。貴方と大地くんを、助けに来ました」
「ファイヴ……あなた方が……」
 芦田が、上体を起こした。
「……いろいろと、噂は聞いている。大地の、味方をしてくれる……という事で、いいのかな……?」
「もちろん、私たちはそのつもりですが」
 澄香と芦田を2人まとめて護衛する形に、『想い重ねて』柳燐花(CL2000695)が立って身構える。
「……村上さんが、それを受け入れて下さるかどうか」
「テレビで見たよ。ファイヴって人たち、こないだ京都で何か派手な事やったんだって?」
 大地が言った。
「あんたたちのせいで、人がたくさん死んだ……そんなニュースだったよ」
「マスコミやテレビ局にも大勢いるからねぇ、イレヴンの連中は」
 苦笑しつつ頭を掻いているのは『想い重ねて』蘇我島恭司(CL2001015)である。
「あんな感じの番組作りになっちゃうのは、まあ、しょうがないか」
「ファイヴって、何てひでぇ奴らなんだ。カクシャってのは許せねえ……俺も、そう思ってたよ」
 言いつつ大地が、左右の拳で紋様を輝かせる。
 間違いない。彩の因子の証である。
「こんなん、なっちまう前までは……なぁ」
「その拳を下ろして、落ち着きなさい」
 彩吹は言った。
「マスコミが垂れ流すもの鵜呑みにしないで、よく考えてみる機会じゃないか」
「考えたさ。いくら考えたって、そいつらは許せねえ」
 大地の燃え盛る眼光が、彩吹の背後で死にかけている男たちに向けられる。
「……そいつらは、先生を殺そうとした。だから俺が殺す。いくら考えたって、こっから先には進まねえよ」
「見てわからないのか大地!」
 芦田が叫んだ。
「僕は助かった、この人たちに助けてもらったんだ。いや、最初に僕を助けてくれたのはお前だな。ありがとう、だけどもういいじゃないか。お前が人を殺す理由なんて」
「バカ言ってんじゃねーよ先生、あんたなんか助けるワケねえっての」
 禍々しく光り輝く拳を、大地はイレヴンの5人に向けた。
「俺ぁただ、そのクソどもが許せねえから殺すだけ。俺がそうしたいってだけの話、別に先生のためじゃねえよ……バカじゃね?」
 うっかり笑い声を漏らしてしまった恭司に、燐花がじろりと視線を向ける。
「……ここ、笑う場面じゃないと思うんですけど」
「いや、ごめんごめん。この子がさ、燐ちゃんに……そっくりだから、つい」
「恭司さんの冗談って基本あんまり面白くありません。やめて下さい」
「冗談じゃあないんだけどなぁ」
「だったら尚更やめて下さい」
 口調を強めながら燐花が、疾蒼と電燐を構える。
「とにかく村上さん。今の貴方に『暴力は悪い事ですよ』なんて言ったところで、聞き入れてもらえないのはわかります。だから」
「実力行使で行くしかない……か」
 彩吹は溜め息をついた。
「私たち、そのために来たんだものね。澄香、先生をよろしく。あと、この連中も」
「任せて下さい」
 死にかけたイレヴンの構成員5人を、澄香が『土蜘蛛の糸』で手際良く縛り上げる。
 その5人に、直斗が妖刀を突きつける。
「俺としちゃあ、こいつらを真っ先に始末しときてぇとこなんだが……」
「そんな事する前に、まずは大地ちゃんを落ち着かせないと」
 恭司が言った。
「未来のある子供に……人殺しなんかで、心に傷を負わせるわけにはいかないからね」
「君を止めるよ、大地。私も君と同じ、口より先に手が出る方だから、あんまり偉そうな事は言えないけど」
 一瞬だけ微笑んでから彩吹は、どうにか逃げずにここまで来た6人目の覚者に目を向けた。
「……やれる?」
「だ……大丈夫、です……」
 声と手足を震わせながら、月影朧(CL2001599)が弱々しく翼を開く。
「やります……僕に出来る事なんて、何にもない……かも知れないけど……」
 安定剤が、今日はいくらか効いてはいるようであった。
「それでも……力に、なりたいから……」
「まあ無理すんな。誰かの力になりたいなんて、あんまり思わねえ方がいい。自分が生き残る事、優先でな」
 直斗が言う。
 いくらか先輩風を吹かせているのかも知れない、と彩吹は思った。


 村上大地は小学生、自分は高校生である。
 子供を相手にしている、とは思うまいと燐花は決めた。
 自分とて、20歳過ぎの相手に子供扱いをされたら、良い気分にはならない。
 思いつつ燐花は一瞬、恭司に視線を投げた。
 今の彼は実年齢40歳、外見28歳の天行・変化である。15歳の燐花など、子供にしか見えないだろう。
 それはともかく大地に向き直り、燐花は言った。
「……貴方を、大人として扱いますよ」
 すでに『天駆』を施してある身体で、踏み込む。そして『激鱗』を繰り出す。
 大地の方からも、踏み込んで来ていた。赤く輝く拳が、燐花に向かって流星の如く一閃する。
 ぶつかり合った。双方、後ろへ吹っ飛んだ。
 辛うじて着地をしながら、燐花は微量の血飛沫を吐いた。
 大地は地面に激突し、だが跳ねるように一転して着地しつつ、同じく血飛沫を散らせた。
 見据え、燐花は言い放つ。
「全力で……貴方を、止めます。長い時間、痛い思いをさせたくはありませんから」
「……いいね、全力でブチ殺してくれよ。俺、バケモノなんだからよ」
「大地……!」
 身を乗り出し、何か叫ぼうとする芦田教諭を、澄香が止めた。
「ご心配でしょうけど、大地くんは私たちが必ず助けます。先生は……見守っていて、いただけませんか?」
「先生。ケガ治ったんなら、どっか行っちまえよ。マジうざいから」
 大地が言う。
 澄香が、芦田を庇うように立ち、翼を開く。
「芦田先生を守るため、巻き込まないため……なんでしょうけど大地くん、そんな物言いはやめなさい」
「悪ぶっても意味ないって事さ、大地ちゃん」
 恭司が言った。
「根が良い子だっていうのは、もうバレちゃってるからね。本当にもう、誰かさんに」
 そっくり、などと言おうとしながら恭司が、ちらりと燐花の方を見る。
 じろり、と燐花は睨み返した。
 恭司が、軽く咳払いをした。
「とにかく大地ちゃん。君がね、一時の感情で道を踏み外さないように……ちょっと注意をさせてもらうよ」
 B.O.T.が、恭司の片手から迸って大地を直撃する。
 紋様を輝かせる両手で一応は防御の構えを取りながら、大地は吹っ飛んだ。
 そして倒れ、よろりと起き上がる。
 その眼前に、直斗が立った。
「痛えだろ、恐ぇえだろうがよ。小便ちびって泣き喚きたくなるくれぇに……それでも、まだ言えるか? 殺すとか、殺せとかよォ、まだ言えんのかオイこらクソガキ!」
「……殺す……そいつら……邪魔する奴も、ぶっ殺す!」
「よく言った! 立派じゃねえかぁああッ!」
 光り輝く拳を、大地が振るう。
 それを直斗が、妖刀の一閃で迎え撃つ。猛の一撃。
 両者、ぶつかり合いながら鮮血を飛散させ、よろめく。
 よろめいた大地を抱き止めるように、茨が生じ、広がった。
 澄香の、棘散舞だった。
「先生は助かりましたし、悪い人たちも捕まえました。大地くん、貴方がそんなふうに怒って戦う理由はもうありません……わからないんですか、それが」
「そいつら……捕まえてくれて、ありがとよ……」
 鋭利な茨に締め上げられ、全身を切り裂かれながら、大地が呻く。
「だからよ……あとは、そいつら……ぶっ殺す、だけだっての!」
 血まみれになりながら、大地は茨の束縛を振りほどき、踏み込んで来る。
 それを、彩吹が阻んだ。
「……駄目だよ、殺しては」
 醒の炎、によるものであろう。彼女の全身に、火行の力が漲っている。
 そこへ大地が、光り輝く拳を叩き付ける。
 彩吹の細身が、黒い翼を舞わせ翻った。
 その翼の陰で、彩吹が何かをした。当て身か、投げか。
 とにかく大地の小柄な身体が、吹っ飛んでいた。
「霞舞……会心のカウンター攻撃、のつもりだったけど」
 苦しそうに微笑みながら、彩吹は地に膝をついた。
「ほとんど、相打ちになっちゃったね……凄いよ大地、君なら強い覚者になれる。その力、人殺しなんかに使っちゃ駄目だ」
「殺すよ……俺は、バケモノだからな……」
 吹っ飛び倒れた大地が、よろりと立ち上がりながら呻く。
「どいつもこいつも、ぶっ殺す……先生だけは、まぁかわいそうだから生かしといてやるよ」
「人を、殺しちゃいけない。傷付けちゃいけない」
 彩吹は、なおも言った。
「先生が今回、身をもって教えてくれた事じゃないか。先生を傷つける奴らが許せない、それはわかるよ。そういう奴らを、だけど殺していいというのは……違うよ、大地。赤の他人にこんな事言われるのは気持ち悪いだろうけど、あえて言う。君には、芦田先生のような大人になって欲しい」
「先生を……連れてさ、どっか行っちまってくれよ……頼むからぁあッ!」
 大地は叫んだ。
 言葉を返したのは、澄香である。
「認めなさい大地くん。貴方は、先生を守るために戦っているんです。貴方は、先生を裏切れません……先生の目の前で人を殺す、そんな事は出来ませんよ大地くんは」
「あんたが一番……ウザッてーなぁああ、こん中じゃあ!」
 澄香に猛然と殴りかかろうとする大地の身体に、その時ビシッ! と蔓植物が巻き付いた。
 朧の、深緑鞭だった。
「駄目だ……駄目だよ、村上君……」
 辛うじて聞き取れる声を、朧は発している。
「わからないの? 先生は、君に……人殺しを、して欲しくないって……」
「……んだぁ? てめえ……弱っちいのが出て来ンじゃねえぞ死にてぇのかァアアッ!」
 深緑鞭をあっさりと引きちぎった大地が、朧の胸ぐらを掴み、吼える。
「やめろ……!」
 直斗が、朧を助けに入ろうとする。
 それに合わせて、燐花も動きかけた。はっきり言って、破綻者の一撃に朧が耐えられるとは思えない。
 踏み込もうとする直斗と燐花を、しかし翼と両腕を広げて阻む者がいた。
「2人とも待って……ここは、朧に」
「な……何言ってんだ、彩吹さん!」
 直斗は、困惑している。
 燐花は、じっと彩吹を見据えた。
「月影さんに……少し厳しくしようと言うのなら、わからなくもありませんが」
「それもある。朧は、ここを乗り越えなきゃいけない」
 2つほど年下の少年に胸ぐらを掴まれ、朧は怯えていた。小さく悲鳴を漏らし、ぐっしょりとズボンを濡らしている。
 どうやら、失禁していた。
 こんなふうに胸ぐらを掴まれ、罵声を浴びせられ、暴力を振るわれ、あらゆる物事に怯えながら日々を過ごしてきた少年であるらしい。
 怯え、泣きじゃくり、小便を漏らすだけか。そこから先へ、自力で進む事が出来るのか。
「……僕には……誰も、いなかった……」
 涙を、鼻水を、小便を垂れ流しながら、朧は言った。
「だけど君には、先生がいる……だから駄目……先生を、悲しませるような事……しちゃ駄目なんだよ君はぁ……っ!」
「てめ……」
「今は、まだ先生1人だけ……かも知れないけど……そこから、輪を……広げていければ、いいなって……僕たちも、その輪に……」
「ウザッてぇっつってんだろ! そーゆうのはぁッ!」
「うざったい……うざい……きもい……僕、そう言われるの……慣れてるから……」
 朧は、微かに笑ったようだ。
「うざったくても、言うよ村上君……芦田先生の言う事だけは、聞かなきゃ駄目……」
「クソが……」
 大地の声が、弱々しい。
 小さな身体が、崩れ落ちるように倒れかかり、朧に抱き止められる。
 大地は、気を失っていた。
「破綻者って言ってもね、覚者としては新米の小さな男の子……」
 彩吹が言った。
「柳、蘇我島さん、直斗に澄香、及ばずながら私……一連の攻撃を、まともに受けたんだ。戦う力なんて、もう残っていないよ。鋭刃脚や告死天使の舞なんかは今回、出番なかったね」
「あの……誰か、村上君を……」
 朧が、震える声を発した。
「僕は、汚いから……臭いから……」
「待ってな。コンビニで、パンツ買って来てやるよ」
 直斗が、朧の返事も聞かずに駆け出した。
 その間、気を失った大地は、澄香の膝の上に移されていた。
「頑張りましたね、朧くん」
 澄香の笑顔から逃げるように、朧は後退りをした。小便の臭いを気にしているようだ。
「ぼ……僕は……」
「ちなみに朧ちゃん、僕は大きい方も漏らした事あるよ。君よりずっと年上の時に」
 恭司が、訊かれてもいない事を言った。
「あの頃は、刺激的な写真を撮りに中東とかアフリカの方まで行ってたからね。どこの国だったか忘れたけど、武装勢力の連中に捕まっちゃってさあ……あの時、覚者だったらねえ。いろいろ楽だったんだけど」
 今の自分なら、その武装勢力を皆殺しにしてやれる。
 一瞬でも今そんな事を考えてしまった自分には、大地に何か偉そうな事を言う資格はないのだろう、と燐花は思った。


 大地と、それにイレヴンの5名には、澄香が『大樹の息吹』を施した。
 うっすらと目を覚ました大地に、まずは恭司が言葉をかける。
「痛かったかな……ごめんね? 命を奪うな、なんて簡単に言える状況じゃなかったのはわかるけど、それでも言うよ。人の命は、本当は大切なものなんだ。それはまぁ僕らが言わなくても、芦田先生が時間をかけて教えてくれると思うけど」
「……俺は、先生の命しか大事じゃねえ」
 大地は呻いた。
「他の奴の命なんざぁ、知った事かい」
「そこだな。うっかり力を持っちまうと、そうなる」
 戻って来た直斗が、言った。
「守ってやりてえ命と、あっこいつは殺しちまっていいやってぇ命をな、選別するようになっちまうのよ。気をつけねえと……一部のクソ隔者どもみてえな、神様気取りになっちまうぜ」
「そうなったら、もちろん私たちが貴方を止めます。何度でも」
 燐花が片膝をつき、大地と目の高さを合わせる。
「まだ戦うと言うのなら、今度は私が1対1でお相手しますが……戦わないなら村上さん、私の通う学校に来ませんか? 貴方のような子が大勢います」
「児童の進路を勝手に決められては困る……と言いたいところだけど」
 芦田教諭の、口調が重い。
「大地の事は……あなた方に任せるしか、ないのかな」
「芦田先生、貴方もです。傲慢な言い方かも知れませんけど、五麟学園なら貴方がたも安心して過ごせると思いますから」
 言いつつ澄香は、大地の頭を撫でた。当然、鬱陶しがられた。
「あんた……やっぱり、うざいよ……」
「私、徹底的にうざったく行きますよ。覚悟して下さいね大地くん」
 澄香が微笑みかけると、大地はうんざりしたように顔を逸らせた。
 芦田が、いくらか厳しい声を発する。
「本当はわかってるよな、大地……お前、この人たちにお礼言わなきゃいけないんだぞ」
「無茶言うな先生。こいつ下手すると、俺たちに殺されるとこだったんだぞ」
 直斗が言うと、芦田は頭を下げた。
「まずは、僕がお礼を言わないとね……本当に、ありがとうございました」
「それより芦田先生、お伺いしたい事が」
 澄香は訊いた。
「今の教育界が腐敗している、とは思いたくありませんが……貴方のような先生が、こんな目に遭ってしまうほど、その……」
「教育界の、かなり上の方まで食い込んでいますよ。イレヴンの人たちは」
 芦田が答える。
「僕たちは教員免許と一緒に、おかしなタロットカードを持たされます。イレヴンの、身分証みたいなものかな……四六時中、イレヴンの一員として振る舞う事を強いられるんです。学校では、とにかく貴方がたが、いかに凶悪な存在であるかを子供たちに教えなければいけません。子供たちを……洗脳、と言っていいでしょう」
「そういうやり方しか、ねえだろうがよ……」
 土蜘蛛の糸で縛り上げられた男たちが、呻き、喚いた。
「てめえらバケモノどもに、俺たちが力で勝てるわけはねえ……」
「そうよ、てめえらは力ずくで何でも出来るバケモノだろうが! こうやって正義の味方もやれる、ムカつく野郎を証拠もなしにブチ殺せる!」
「そういう事が出来ねえ奴らの気持ち、考えた事あんのかよ! 被害者ヅラしてんじゃねえぞクソ化け物どもがあ!」
 木陰で下着を穿き替えていた朧が、ちらりと顔を出す。
 因子の力に目覚めても一切、復讐の類に手を染めずにいた、彼のような少年もいる。
 それを、この男たちに言って聞かせたところで、しかし意味はなかった。

■シナリオ結果■

成功

■詳細■

MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし




 
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