●役割を忘れた『キャスト』 ピカデリー・サーカスの地下に潜む『蜘蛛の巣』は魔都・倫敦の隅々までに網を張り巡らせるまさに『悪の帝国』の中枢である。 かつて世界で最も有名な名探偵は口にした。 ――彼こそ犯罪のナポレオンだよ、ワトスン君。 この倫敦(だいとかい)の半分の悪事、ほぼすべての迷宮入り事件が、彼の手によるものだ。 またこうも言っていた。 ――彼は、千本もの糸を張り出したくもの巣の真ん中に動かないで坐っているようなもの。 ……果たしてそれはある意味で名探偵の慧眼だったと言えるのだろう。 高度に発達した情報化社会における『ナポレオン』の仕事領域は確かにかつてに比べて減じている。倫敦で起きる様々な悪事の大半に彼は関わってはいないし、彼の手によらない迷宮入り事件も後を絶たない。 しかして、確かに。畏れるべき『ナポレオン』はここに居る。 日の光の当たらない世界の外、現と表裏一体を為す虚の世界。即ち人間が積み上げて来た科学的常識も、道徳観念も通用しない『倫敦・神秘界』における悪党の親玉は昔も今も何ら変わらずジェームズ・モリアーティである事に疑う余地は無いのだった。 「……教授」 「ああ、君か」 アークで言うならば――あの万華鏡(カレイド・システム)やVTSを思わせる巨大なコンピュータの集合体を前にしたモリアーティは、背後から声をかけられた野太い声に短い声を返していた。モリアーティは敢えて振り返らないがそこには何時もと変わらぬ邪悪な笑みを浮かべたモラン大佐が居る事は確認するまでもない。 「『予定通り』ですな、教授。アークとヤードの連合軍は我々の餌に食い付きましたよ。まぁ、彼等も此方の仕掛けをある程度は読んでいたのでしょうな。倫敦各所の主要交通路を中心にヤード側の予備戦力がギッシリです。戦闘力的には本気で食い潰しにいけばどうって事の無い連中ですが……彼等の狙いは検問と哨戒でしょうから、配置は正しい」 モランは皮肉気に唇を歪めてそう言った。 ジェームズ・モリアーティともあろう人が動いたにしては前回の『やり方』は余りにもお粗末であった。作戦成功の目は『モリアーティの行動計画書<モリアーティ・プラン>』からすれば半々以上の数値を示していたのだから決して無茶な話では無かったのだが……後先のフォローが余り良くない。五分の目で仕掛ける事も、例えばピカデリー・サーカス周辺の戦いや、あのデイブ・バスカヴィルの晒した醜態の如き情報漏洩は『本来からすれば』大いに問題である。 「ヤードは公僕の仕事には定評がある。 確かにああまですれば『陸路や空路は』万全でしょうな。 しかし、状況は未だコントロールされている。 ここまでは全て貴方の『予定通り』という訳だ」 「万事が万全では無いよ。予想よりも連合側の攻勢が激しい。 不完全な『フェーズ4』を使ったのはやや脅かし過ぎたかも知れない。 まぁ、六道紫杏(えさ)は他にもある。因縁を軽んじないのは日本人(かれら)の強い精神性や美徳の一つではあると考えているがね」 「恐ろしい方だ」 モランは小さく呟いた。 モリアーティの言葉を深く読めばその理由は知れている。彼はハッキリと宣言しているのだ。『フェーズ4』も『倫敦派』も百年の時を経てこの街に根を下ろした『驚異的犯罪ネットワーク』も全ては捨石に過ぎない、と。情も無い、単純な『数学的結論』として彼はこの決断を下している。 「アラステアは上手くやるでしょうか?」 「彼の能力を疑った事は無い。彼は『ある程度』を知っている。 連合側は何れにせよ、この『蜘蛛の巣』を攻略せん訳にはゆかぬのだよ。 間もなく第三層には『招待客』がやって来るだろう。 私の最大の望みをこじ開ける為の『鍵』を持った大切な『賓客』達が」 フッ、と笑みを浮かべたモリアーティは目の前で無数の電子光を発する『スーパーコンピュータ(アーティファクト)』を愛し気に見つめていた。 「我々は何の為に生まれて来たのだろうね、大佐」 「……」 「『我が父(コナン・ドイル)』は何を思って…… ホームズと等しき、ジェームズ・モリアーティを作り上げ、その幕を引いたというのだろうか」 「教授……」 「私はホームズを『終わらせる為』に産み落とされ―― 君はホームズ復帰の舞台を『華々しく飾る為』に登場した。 皮肉なものだ。私と私の腹心である君は互いに逆の存在意義を持っている。生まれに拘る程青くは無いが――中々興味深くはある」 何処か感傷的にも聞こえるモリアーティの言葉にモランは口を噤んだ。この広い世界の誰にも共感出来ない――『この二者のみ』の想いが言葉に込められているのは明白だった。 記号は記号でしかない。数学的に考えても、現実でも結論は同じだ。キャストは与えられた役割を踊るもの。モランは見事に仕事を果たし、モリアーティはそれを許されなかった。だが、無論――『最後の挨拶』においても最後まで復讐心を燃やし続けたモランはそれに承服している訳ではない。 「我々は戦わねばならないのだ」 モリアーティの言葉は『倫敦派』を含んだものではない。 そう、それは――もっと狭く、自身とモランのみを指した言葉である。 「我々は戦い、勝利し、全てのシャーロキアンに証明しなければならない。 ジェームズ・モリアーティは『彼』に等しい力を持つ、全能者であると。 私は決して彼に敗北した訳では無いという事を」 たかが百年。されど百年と少しの時間である―― 深い知性を感じさせるモリアーティの唯一にして最大の妄執は幾度と無く口にしてきた『ホームズ』なる固有名詞である。彼は自身の最大の能力を知っている。自身がどうすれば『今以上の存在に成り得るか』を。 第三層を警告音と赤いランプの点灯が支配した。 「――大佐、くれぐれも『後』は頼むよ」 「勿論。むざむざとここを『落とさせる』必要はありませんからな?」 モランの返答に頷いたモリアーティは少しだけ冗句めいた。 「ライヘンバッハに宜しく。バリツの二の舞は私に無いよ」 ●World Wide “Web” ジェームズ・モリアーティ。 「諸君等は魔法使いを知っているかね? 彼等はこの現世にあらゆる奇跡を体現する者。私のそれは彼等に比せば到底ささやかな芸当に過ぎないが――」 つまり、凡そ最も『魔法』なる単語からは程遠い論理探求の使徒が笑う。 自身を『追い詰めた』リベリスタを目の前に――酷く慇懃な一礼さえもしてみせながら。今まさにチェックメイトをかけようとした彼等を皮肉るのだ。 「外界より完全に遮断ブロックされた超精密システムへの侵入はこの私をしても容易なものではない。鍵を開けるには大魔法が必要だった。正しい手順と、それから何よりも大切な経路(しょくん)がね!」 第一、そして第二セキュリティを突破した後に『演算室』でリベリスタを待ち受けたモリアーティは刺激的探求と挑戦における興奮の気配をその語調に隠してはいなかった。冷静にして賢明なる彼の見せた満面喜色の姿は些か予想外のものとさえ言える。 「この――」 そこに今ある『罠』をこの期に及べば確信しながらも、まだその正体には思い当たらぬリベリスタが気色ばんだ。彼等が戦闘姿勢を取れば演算室の倫敦派部下達はこれに対応しようという構えを見せていた。 「私には欲しいものがある。 私は私(モリアーティ)の限界を超える為に必ず手に入れなければならないものがあるのだよ。 私より君達に詳しい全知の果実は不完全な人間の演算を他の誰も追随する事のない神のそれに変えるだろう」 地鳴りのように駆動を始めたアーティファクトの起動音にリベリスタの表情が歪んだ。目の前で電子光を増すコンピュータ・タワーがその根源である事は誰の目にも明らかだ。モリアーティの意に沿うその代物がリベリスタ達に良い結果を招く筈が無い事も。 「御機嫌よう、諸君」 短い言葉と共にモリアーティの全身が光の粒子へと変化した。背後のコンピュータ・タワーが『彼』を飲み込む。数十秒にも満たない時間、睨み合いの中で起きた予想外の事態に絶句したリベリスタ達の耳に聞き慣れた男のダミ声が飛び込んでくる。 ――おい、何がどうなってる!? ついぞ聞いた事も無いような焦りと困惑に満ちたその声の持ち主はアークの研究開発室長を勤める真白智親のものだった。 ――お前の端末が、今アークのシステムに不正侵入を行った。お前って言っても、ああ! お前だけじゃねぇ! 正しく言うなら複数だ! お前達! お前達、今何してる? 何が起きた!? 畜生め! 「……サイバーダイヴ……!」 短く呟いたのは誰の声だっただろう。 本拠にVTSという高度な電脳世界構築システムを持つアークのリベリスタは『極めて強力なアーティファクト』が時にそういう性能を持つ事を直感的に理解していた。 アークのシステムはアークの構成員以外に触れる事は出来ない。その根幹は一般的なwww.からは完全に隔絶され、データベースやシステムは幾重にも巡らされた防御の中に守られている。されど、逆を言えば『リベリスタの戦いを支える為の必須武器』はこのシステムとは決して切り離せない関係にあると言わざるを得まい。 「アクセス・ファンタズム……」 乾いた音にリベリスタ達は戦慄する。 天才・真白智親の構築した宝物庫の壁は外部より侵す事の出来ない絶対の堅牢性を有している。神の名を冠したかの全知はその敵がどれ程に欲したとしても簡単に靡く事はない――まさに楽園の果実のようでもある。 しかし、敵もさるものモリアーティ。 天才同士の戦いが戦いの舞台に上がってしまえば、その結末はいよいよ混沌として予断さえも許すまい。 ――何が起きてるかは知らねぇが、異常な勢いで防御システムが剥がされてやがる。『攻撃』に対しての情報が出揃い次第、お前達にも送信するから、兎に角そっちはそっちでいいように何とかしてくれよ! 智親の言葉にリベリスタ達は固く冷たい床を蹴り上げた。 今求められるのは一にも二にもモリアーティへの追撃だ。 『遅れれば』何が起きるか保証は無い! ●真白智親 それは長い時間の経過した後の話では無い。 されど、状況は整理された。 「……そういう事かよ」 まさに奇跡とも呼ぶべき理解力を発揮し、持ち前の頭脳を回転させた智親が舌を打つ。 恐らくモリアーティの真の目的は『アークのシステムへのハッキング』である。物理的手段による三高平の制圧では無い。恐らく狙いはアークの壊滅ですら無い。彼の持つ『モリアーティの行動計画書<モリアーティ・プラン>』は最初から『アークの根幹システムデータを自分が盗み出すにはどうすれば良いか』を謀っていたのだ。神算の演算能力を持つバロックナイツが、更なる高みに到り、究極の異能を制するに到るには何が必要なのかを極めてシンプルに思考していたのだろう。 ――それは『射程圏内』に『鍵』をかき集めること。 (……普通に勝負すりゃ簡単に負ける心算はねぇ。しかし、『先制攻撃』が効いてる。防御システムの半分は乗っ取られた状態か。いや、こりゃ『概念』と化したモリアーティだからこそ出来る芸当だろうが……) 成る程、少数のリベリスタを攫おうとしなかった理由は分かる。モリアーティなる『大データ』を送信するには『侵入経路』は太い程良く、咄嗟に切断出来ない数を用意すれば尚確実だ。 猛烈な勢いでコンソールを打鍵する智親は頭をバリボリと掻いてモニターを凝視する目を血走らせた。 現在、アークの中枢部を目指して進撃している彼は人物と呼ぶよりはコンピュータ・ウィルスと呼ぶ方が正しい。『ジェームズ・モリアーティ』は現実世界の戦闘力と全く無関係に肥大化し、僅かな取り掛かりを切っ掛けにアークの攻略を狙っている。 (……例えば爺さんが化け物みてーなサイズになりゃ実際問題ゲームだぜ。まともな手段でどう対抗するか。いや、待てよ。こうなった以上『まともな手段』が何で必要なんだ?) 電撃の如き天佑を受けた智親は手元のマイクに怒鳴りつける。 「おい、沙織! 誰でもいい、特にパソコンが得意なやつ! 手空きで手伝える奴は兎に角、開発室に急がせてくれ! 大至急の緊急事態だ、ああ、だから!」 彼は何とも言えない表情で話を結んだ。 「――ジェームズ・モリアーティは俺達も倒しに行くって事だ!」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2014年02月13日(木)00:02 |
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●蜘蛛の網を破る 歴史に赫々と名を残すのは何時だって一人の天才だ。 神の寵愛を受け、運命を従えて――時に奇跡とすら称される大事業を完成させる。 英雄に捧げられる賛歌を、或いは蛇蝎を嫌う如き唾棄を一身に受ける彼等は何れにしても『特別』だ。 為されるが『良い事』であろうとも、『その逆』であろうとも。 それが素晴らしき『善』であろうとも、大いなる『悪』であろうとも―― 全ては『一人』の野望から始まった。欲望から始められた。 ならば、全てを終わらせるのもその果てであるのは必然だったと言えるのだろう。 「くすくす……こんな所に倫敦の蜘蛛の巣があるなんて…… 警部さん達がなかなか核心に迫れないのは古来からのお約束なのかな」 「倫敦! なんと! 来たのです! みんなと一緒にぶっこむのです!!!」 ほくそ笑んだイーゼリットと、力一杯叫んだイーリス――対照的なイシュター姉妹をはじめに、ピカデリー・サーカスの地下くんだりまでやって来た百を大きく超える精鋭リベリスタ達はまさに今難攻不落の敵方要塞を怒涛の勢いで喰い破らんとする勇者達であった。 大ロンドンの闇に君臨する『倫敦の蜘蛛の巣』――通称『倫敦派』と、彼等アークが対決する事になったのは極東日本で六道紫杏なるフィクサードが紡いだ因縁の結末とも言える。アークはかつて日本で打ち漏らした紫杏とその咎を追って海を渡り、倫敦派も又結果的にはそれを望んでいたという訳だ。 既に進撃が始まってから幾ばくかの時間が経っていた。 各所での戦闘では倒したフィクサードも、逆に倒れたリベリスタも居るだろう。怒号と悲鳴が交錯する『戦場』が、態度を決めかねる気まぐれな女神を迎え入れる為の準備を始めているのは間違いが無かった。 「倫敦の蜘蛛諸君、盛大な出迎えご苦労!」 巨大な得物を軽々と構え、高らかに挑発めいたのは黒系の装束の目立つ影継である。 その目を爛々と輝かせた彼の視線の先には、次から次へと出現する新手、新手、新手…… 複数のセキュリティ・ルームを持ち、敵側の進行を寸断する地下三階は進軍する側にとって容易な防御態勢を敷いてはいない。『比較的簡単に突破出来た』地下二階に比して、執拗なその『出迎え』は影継が言った通りまさに『盛大』とする以外無い、強烈なものである。 間髪入れず、足元から自陣に強烈な弾幕が突き刺さる。 「まあ――弾除け位にはならないとね」 しかし、敢えて攻撃の矢面に立つ小梢は持ち前の防御で敵側の牽制を食い止めた。 今回の敵には少なからぬ怒りを見せるマリルは響く危険な轟音にも怯まない。 「よくも動物をオモチャにしたキマイラを大量生産してくれたのですぅ! ゆるせないのですぅ! こんな研究室めっちゃくちゃに破壊してやるですぅ! モリアーチーの手下ども! かかってくるといいですぅ!」 「お約束の隠し通路に、連携攻撃。いいぜ、盛り上がって来やがった――」 影継に到っては後方から出現した敵影にも、敵が敵、相手が相手ならば当然とでも言わんばかりであった。不便利な通路が不便利なのは侵入者たる自分達にとってだけ。勝手知ったるは何とやら、敵が策謀を巡らせる蜘蛛と分かっているならば、『あるに決まっている策謀等、予想の領域を出る筈も無い』。幾度目か始まった『不測の襲撃』に却って影継は「上等」と喜色の顔さえ見せていた。 この悪辣なる『蜘蛛の巣』の主をジェームズ・モリアーティという。 恐らくは――その名前を知らない者は少ない『有名人』である。 こと神秘界隈においては殆ど定説のように語られ尽くした倫敦の闇の王(バロックナイツ)は――その遠大なる選択の果てに今、箱舟のリベリスタ達との全面対決の時を迎えていた。 「さあて、お仕事お仕事っす。認識の共有、戦略の結合、集団戦のキモは連携と伝達と統率! わたいら一山幾らの足軽に個性なんぞいらん! 点やのうて面で攻めんで! 一人一人はただの部品、全員でようやっと一つ!」 景気良く戦場のドクトリンを唱えた夕奈は頭脳の一つといった所。 「まず敵地における『場』を作らねば、強敵である大佐や教授は倒せないでしょうからね」 シィンの作り出した紫月(ラ・ル・カーナ)の光が前方の敵陣を石化の魔力で照射する。 「追い詰めた……と言えるんですかね、この状況は……」 「罠があるとは思っては居たけれど……こんな……いえ、後悔は後にしましょう。 攻めるわよ、リンシード。これ以上好きにさせるものですか!」 「はい! お姉様の前に立ちはだかるモノは全て切り伏せます……!」 並んで舞うのは黒蝶館の少女達。 互いを完璧に信頼した二人の戦いは鮮やかに苛烈で、かつ優美であった。 口惜しいその心を隠せないながらも、糾華もリンシードも今出来る事に全力を尽くしていると言えた。 この『蜘蛛の巣』がそのものの意味を持っていたのは最早明らかになっている。『モリアーティの行動計画書<モリアーティ・プラン>』なるアーティファクトを基に自らの陰謀を巡らせていた数学教授は究極の演算で敢えてアークのリベリスタ達をこの本拠へと誘い込んだという事らしい。 例えばその餌はアークと浅からぬ因縁を持つ六道紫杏の存在だった。 例えばその餌はフェーズ4を数えるキマイラなる存在が引き起こした災禍そのものであった。 例えばその餌は『彼らしからぬ』派手な動きで本拠を掴ませた『ミス』だったのだろう。 当然ながら罠の存在を警戒し、ロンドンの主要交通路を押さえ、水も漏らさぬ態勢でこの本拠に攻め上がった彼等を待っていたのは『ネットワーク』という名の侵入経路を新たに開いたモリアーティの罠だった。 (サイバーダイヴ? 三高平を狙う? 何をどうやって……等と、今更か) 柳眉を曇らせたリセリアは一瞬だけ瞑目し、目前の敵を強く見据えていた。 モリアーティは地下三階『演算室』に存在する超巨大アーティファクト『World Wide “Web”』を以ってアークのリベリスタの携行ネットワーク――アクセス・ファンタズム――をハッキングする事で、この本拠から遥か数千キロを隔てるアークの『本丸』三高平の距離をゼロにしてみせた。 (未だ理解が遠い事を痛感します。この世界の、科学の事象は複雑怪奇ですね。 そこに確かに存在していた人が消える。それ所か不可視のネットワークに乗って遥か彼方の三高平に向かったなんて……) 大魔術の如きその手品の原理を本当の意味で今リセリアやこのファウナが理解する事は不可能だ。専門家ならぬ誰にも……否、専門家であろうとも『天才』というカテゴリに類せぬ誰にも分からぬ状況は、殆どの人間にとって『単なる事実』の域を出まい。 (現にジェームズ・モリアーティはアクセス・ファンタズムを通じてアークのシステムに侵入を果たしている。なら、考える必要もありません――此方は、真白博士のプラン実行の為に動くのみ……!) されど、状況が明らかになった以上は少しでも多い戦力を演算室に届け、更にネットワークへ消えたモリアーティを追撃するのが必要なのは確実である。 「――はっ!」 鋭い呼気と共に放たれたセインディールの煌きが刃を手にしたフィクサードの一人を魅了した。 速力を威力に変え、相対する敵の魂さえ翻弄してみせる彼女の剣技は決戦の場に冴え渡る。 (シェルン様、母なる永遠よ――私達に力を――) ほぼ同時に消耗を見せた前衛をファウナの放つエル・リブートが再加速させる。 「難しいことはわかんないけど――ここはわたしに任せて!」 隠し通路より現れた新手に得物を担ぐように構えた壱也が肉薄した。 「露払い、必要だよね!」 露払い、等という言葉が果たして適当かどうかは分からない。 まさに猛然たる勢いで距離を詰めた彼女は逆に敵側が利用した順路を奪う事さえ視野に入れていた。 「道はわたしたちが作るんだから!」 「そうそう、その調子!」 全力全開、余りに強烈な打ち込みに防御姿勢を取ったフィクサードさえ壁に叩き付けられる。 快哉を上げたノアノアに壱也が小さく指を立てる。 しかし、この時――通路の天井部分がパカリと口を開けていた。 出現した蝙蝠の翼を生やした蛙は生命への冒涜を思わせる。 「――っ!?」 長く数十メートルも伸ばされた粘性の舌が振り返った壱也の腕に絡むも、この邪悪をすかさずノアノアの聖気が払う。決戦の場に相応しいラグナロクの戦音を紡ぐ彼女は惚けたような笑顔を見せた。 「援護は任せろ。さっさとぶっ倒してくれよな」 「攻撃は、束ねないとね――」 ノアノアに言われるまでも無く、未明は壱也の一閃によろめいた敵への距離を詰めていた。 飛翔し、天井を蹴るように降下。体重と膂力を乗せた鶏鳴が肩口から深く敵を切り裂いた。 彼女が意図するのは確固撃破。乱戦めいた戦場において、確実な遂行の為す所は大きい。敵側が地の利を持つ守備側である以上、状況を徒に長引かせるのは悪手と呼ぶ他は無いからだ。 「元より蜘蛛の巣の中、囚われないようにしておかないとね。 何があるか分からないからこそ、できる事を確りやるのよ……!」 この戦場の何処かで同じように力を尽くす恋人も、これには大いに頷く所だろうか? 出来る事を確りやる――裏を返せば『そうする以外に道は開かれない』という事でもある。 「あたし達仲良し姉妹の力! 見せびらかしてやるぞ!」 「……思い知らせてやる」 何とも微妙な風に気を吐いた『金色』の比翼子に『黒色』の黒羽が応えた。 閑古鳥姉妹はお互いの動きの隙を埋めるようにコンビネーションを展開して多数出現した小型キマイラ達を相手取る。 「かかってきな! その他大勢ども!」 「纏めて――落ちろ」 派手に意気込む比翼子の一方で、静かに言葉を紡ぐ黒羽。 姉が強烈に引き付けた敵達を妹の全身から噴き出した漆黒――暴風のようなワイヤーが貫通した。 その一方で見事な連携を見せるのはルアにジース、ホワイト姉弟も同じである。 (ここを制圧しないと皆が待ってる三高平がもっとあぶなくなる…… ううん、それだけじゃない。もっと大変なことになるわ。それは――阻止しないと!) 抜群のスピードから敵に迫れば氷雪の霧が通路に充満する。 視界を白く染めた凍気(ホワイト・アウト)に敵が咽べば、 「――邪魔だ!」 吠えたジースが繰り出した烈風が強かにこれを打つ。 攻め立てるリベリスタ達の猛烈な勢いは彼等の士気を良く表している。 そこに存在する罠を踏み潰さんとするかのような彼等は、死中に活を得るその意味を誰よりも知っていた。世界最強と呼ばれるバロックナイツと『戦う羽目になってしまった』アークのかつての姿はそこには無い。唯そこには『世界最強を打破する為のロジックのみが存在している』。 「あー、こんな事ならもっと修行しとくんだったよ。 周りの皆と比較すると、どうにも自分の力不足ってやつを感じるねえ」 ぼやくように呟いた付喪のハイ・グリモアールが放射状に雷撃を撒き散らす。 なかなかどうしてその言葉とは裏腹に薙ぎ払うその技の威力は中々のものがある。 「ま、無いものねだりしたって仕方ない。幸い私の技自体は効きそうではあるし……」 惚けた言葉がどれ程本気かはさて置いて、目の前の結果は彼女の言葉を肯定している。 とは言え、フィクサード達は断続的な遭遇戦、追加の援軍、組織的な防戦で攻めるリベリスタ達に激しく対抗していた。本来万全を期すならば、より多い寄せ手が必要な要塞の攻略を五分程度の戦力で為すのは決して簡単な仕事では無い。繰り返される激戦に消耗を見せているのはどちらも同じ。しかし、キマイラ等の『使い捨て』の戦力を執拗にぶつけてくる倫敦派は攻め入った側の泣き所を良く知っていると言えた。 「き、気をつけて……!」 少し震えた声で声を張る美月の目に敵側の反撃で危急に落ちる仲間の姿が映っていた。 この『蜘蛛の巣』は敵の本拠である。もし万が一味方が倒された場合、即座に退かせる事叶わぬのはリベリスタの側であった。敵地で守るべき仲間を抱えての孤立は危険の度合いを跳ね上げる事になる。 猛烈な攻勢に 「ちょっと申し訳ないけど……後ろに隠れさせて貰うね」 敢えて仲間の陰に隠れ、天使の歌を紡ぐ事で支援を続ける美月は状況を良く支えていた。 (それにしても、モリアーティ教授かあ…… 本で読んだ時は随分憧れたなあ……カッコ良いよね、闇のカリスマ……) 会った事は無い。だが、良く知っている。 (……でも、ちょっと悲しいな。 読者(ぼくら)は教授がどれだけ凄いか充分知ってるのに…… こんな形で、証明なんかしなくたって……) 奇妙な親近感と、奇妙な存在感は彼女ならずとも感じる『事実』であろうか。 さりとて、彼女が知るモリアーティもまた『悪』であろう。それが単なる『証明』の為の行為なのか、それともアイデンティティに拠るものなのかは――本人ならぬ誰にも分かるまい。 おおおおおおおおお……! 「ひ、ひぃ!?」 戦場を揺るがすような咆哮が上がり、辺りに殺気が充満した。 その根源――美月の悲鳴の原因が通路の奥からのそり、のそりとその巨体を現していた。 フェーズ4キマイラ、ザ・ボマー。 以前より圧倒的に安定度を増したというそれの出現にフィクサード側の士気が上がる。 だが、それは一部リベリスタにとっても同じであった。 「次から次へと……流石バロックナイツすげえすげえ。まあ、自分はコイツを片付けよう」 自らが主敵の出現に七海が全力で引き絞った弓がキリキリと悲鳴を上げた。 放たれた告別の矢は呪いを帯び、敵が巨体に潜り込む。強烈な貫通力にも堪えぬ敵が相手でも、 「フィクションはフィクションだからいいんですよう。犯罪のナポレオンも倫敦の闇も現実には要らないです」 「んで……? ホームズは君だ! ……ってか?確かにねぇやな。 フィクションはフィクションのまま御退場願おうや――」 涼やかに惚けた調子を崩さない黎子と、却って敵は申し分無しと拳を合わせた火車のコンビには『いい相手』であるらしい。 「それじゃ行きましょうか、宮部乃宮さん。最初から全力で行きますよ!」 「言われるまでもねぇ! 出し惜しみなんざナシだ! 着いて来い!」 運命を司る不条理のルーレットが唸りを上げた。 炎を噴き上げるかのような裂帛の気合が真っ直ぐに目の前の的を射抜いていた。 「行道拓くぞ薙ぎ払い! 緋暴! 鬼業紅蓮! 行くぜ、雑魚共! 緋ぃ浴び尽くして灰燼と化せぇ――」 鬼暴の一閃より伸びた強烈なる獄炎が敵を飲み込まんと荒れ狂う。 一歩を退き、咄嗟にこれを逃れた敵陣を姿勢を低く駆け抜けた黎子が切り裂く。 「再生能力? 無類のタフネス? ええ、成る程。再生を止めて削り続ければいつか死ぬでしょう」 冷え冷えとした殺意をその薔薇の唇に貼り付けた彼女はまるで別人のように短く言った。 「いや――死ぬまで殺す」 噴き上がるカードの嵐が周囲を舞い、無差別に敵ばかりを斬り付ける。 華麗なる連撃は鮮やかに戦場に死を手向ける『死神』の思うが侭に無数の痛みを刻み付けた。 「負けてられませんね。相手は最後のフェーズ4、悪くない。ぶちのめしてやる」 対抗心と言えば違うのかも知れないが――七海の気力がまた満ちる。弾幕世界で捏ねながら、インドラの火で……これはまるでハンバーグ。食欲を感じさせるかは別にして、彼の『料理』は丁寧である。 一方で腐肉の触手があちこちに伸びて通路に爆花を咲かせていく。 リベリスタ側の猛攻を浴びるも、それでも精強なる倫敦派達は敵の勢いを長く看過する事は無いのだ。 「も、桃子さん紙防御のアタシに回復ぷり~ず! あっ、戦闘中なんで腹パンはやめて下さい!?」 「分からないでか!」 周囲に炸裂した衝撃にバランスを崩した陽菜が声を上げた。 彼女が頼んだ桃子はと言えばこの時ばかりは真面目に賦活の力を注いでいる。 「桃子さんは真面目な時は真面目な人なのだわ」 フォローにならないフォローを交えつつ、彼女を背に庇うように立ち、得物を構えたのは言わずと知れたエナーシアであった。連続して銃声(ひっさつ)を吐き出す愛用のペイロードライフルは大口径の連発で敵の肉をこそぎ、吹き飛ばしている。 「それにしても……百歳超でデッカーなのね、森脇さん。教授は未来に生きてんな」 「全くだ。傍迷惑と言うか何と言うか……」 思わず零したエナーシアに応えたのは敵陣にフラッシュバンを投げつけた九凪である。 「やれやれ……他のメンバーの助けになっているといいんだが」 「すでにジャックインされたとはいえ、サイバーデッキは確保しなきゃだし。 第三層制圧組のやることは変わらないわよ」 「成る程」 「帰ったら時村の野郎(すけこまし)を締め上げて皆で温泉に行きましょう!」 「桃子さん……」 JaneDoeOfAllTredesの二人に桃子を加えた三人は、頷き合って幾度目か敵に鋭い視線を送っていた。 モリアーティは確かに既にアークの本丸――三高平市の中枢システムに喰らいついている。しかして、三高平では三高平での戦いが行われているのと等しく、この三層には三層の役割がある。アーク側の勝利条件は究極的にはモリアーティの撃破だが、第三層の制圧に成功すれば少なくとも彼の退路の一つは絶たれるし、組織的悪事の遂行能力を当面奪えるのは確実だからだ。モリアーティを倒す事と第三層を制圧する事は無関係の間柄では無い。又、『倫敦の蜘蛛の巣』なる悪辣な組織の機能を停止させる事はバロックナイツとの抗争という面を差し引いても、ロンドンの平和にとってかなりの意味を持っている事は言うまでも無い。 おおおおおお……! 怖気立つその声がリベリスタ達の肌を粟立たせていた。 圧倒的なプレッシャーは局面の突破が困難である事を伝えている。 「……だが、上等!」 吠える影継は脳裏の片隅でちらりと思案を巡らせた。 演算室には追加の戦力が要る。同時に施設全体を制圧するのは一先ずの戦略目標だ。 何としてもモラン隊と敵側の合流は避けねばならない。逆にリベリスタ側が敵戦力を駆逐し、これを感性させたならば状況は俄然良い方向に傾いていくだろう。 「まー、燃やし甲斐はありそうですよね!」 敵の外見のおぞましさに臆する事も無く『わんさかと居る敵』にユウは瞳を輝かせている。 「撃てるだけ撃ちます、いや。撃てなくなってもまだ撃ちます! インドラ祭ですよ!」 「全く、益体もないのだわ……」 集められた戦力は一級。されど、立ち塞がる敵は超一級。 今日の全ての戦場に安寧が無いのと同じように――この現場も例外ではない。 それでも。 「大口径弾は大体何時だってマスターキーになるのだわ」 至極分かり易いエナーシアの銃弾(けつろん)は最初から微塵も揺らいでいない! ●カーネル・モランI 「以前の戦闘はとても勝利と言えたモノでは無かった。 名誉の為に戦っている訳ではないが、ハッキリ言えばこの上無く不名誉だ。 折角のこの好機……今日こそ、払拭させて貰う」 鬼謀神算に最高級の指揮力を併せ持つ雷慈慟、 「ええ、負けられない。今度こそ。 幾度も敗走を重ねるようでは我が名の名折れ。 この手に勝利を。さぁ、戦場を奏でましょう――」 その目に静かな決意を宿す少女――かのクェーサー家の秘儀を継承した『指揮官』ミリィ・トムソンは部隊戦闘におけるまさにキー・パーソンである。 「よぉ、モランよ。テメェを殺しに来たぜ? ここで決着をつけてやる――」 「――フフッ、出来るかな!?」 「出来るか、じゃねぇよ。『やる』んだよ!」 吠えた虎鐵が獅子護兼久と共に地面を蹴った。 両者の因縁は昨日今日に始まったものではない。 会うのも既に三回目。アークとモランの付き合いも随分長い。 虎鐵からすれば友人付き合いでも無ければこれ以上は御免蒙るというのが本音である。 第三層の制圧を目指し各所に進撃するリベリスタ達の中で最も大変な仕事を請け負ったのは恐らく――第三セキュリティに陣取ったセバスチャン・モラン大佐に対応する事を選んだ者達だっただろう。 広い第三セキュリティエリアで会敵したアーク・『ヤード』の連合軍とモラン隊は然したる時間も置かない内に本格的な戦闘を繰り広げるに到っていた。モリアーティの狙いがネットワークを介したアーク・システムのハッキングであると分かり、『彼』が演算室よりサイバーダイヴした事が確定している今、敢えて第三セキュリティに陣取ったモラン大佐は『アークが決め手を打つ為の進撃方向』には存在しないが、この最大戦力がリベリスタを常に脅かす最大の問題点である事には変更が無い。 「細かいことはいい。ここで奴を抑えたけりゃ、小手先じゃなく、つぶすつもりで突っかけるしかない!」 敵中に突出して食い込まんとした涼子が言葉通りの覚悟を示す。複数の敵に包囲されかかった彼女は強引にナックルと化した可変双銃を振るう事で黒い八岐の鎌首をで間合い全てを薙ぎ払った。 詰まる所、影継やジース、壱也等が警戒した隠し通路は――判明していないものも含めてこの蜘蛛の巣に縦横に張り巡らされているものと推測された。最大戦力の異名を持つモラン隊がリベリスタ側の側面や後背を突けば総崩れの危険は否めないのだから、この決戦は不可避のものであると言える。 「あァ、この空気、まさしく決戦だなァ。この一戦がどれだけの影響を持つかは馬鹿でも分かる」 リベリスタに架せられた使命は制圧。ならば、銀次の言う通りこの場こそが鉄火場だ。 「だが、そんな事はどうでもいい。知ったことじゃねェ。 俺にとって重要なのはテメェが地を這う事だ。あいつが散ったこの地で骸を晒せ。 それを――せめての手向けとしよう、ってなァ!?」 銀次の鋭すぎる位に鋭い眼光は唯、執拗にモランだけを貫いている。 些か『派手』が過ぎる大親分の戦いは、成る程――『彼らしい』と言えば『彼らしい』ものだ。 「ふむ、有名人を倒して名を上げると言うのは俗っぽい話ですが…… 世界有数の射撃の名手と言われては、私も多少は興味が沸いてしまいすかのう?」 「全くだ。名前には興味が無いが、奴さんの腕には感服仕る」 副官ポーロックの指揮の下、リベリスタ達の迎撃に出ているフィクサード達に容赦無く弾幕の雨が降り注いでいた。 放ち手は仮面のスナイパー百舌鳥九十九と覆面のスナイパー――モランと同じく極めて優秀なる技量を持つ――晦烏の二人である。 「その腕は如何ほどのものか体験してみたい所ですが……」 「全くだ。おっかないねぇ。まぁ、でもそれも面白き、かね――?」 互いに幾つかの面で奇妙な一致を見せる即席のコンビはそれを思わせない位に攻め鋭い。 嘯いた二人の本音は白い仮面と赤い覆面に隠されて見えはしない。 「おっと、好奇心が命取りということも充分考えられますからな」 淡々と言っても良い調子で惚ける九十九は射手にありながらフロントでの動きを可能とするオールラウンダーでもある。敵側の射線と攻勢に気を配る彼は抜群の身のこなしと精密な攻撃力を備え持っている。 「そうそう――それが重要だぜ。凄い射撃の名手なんだってな?」 九十九の軽口に応えるように声を上げたのはMuemosyune Break02の照準を真っ直ぐ大佐に合わせた木蓮だ。 「一度は対峙してみたいと思ってたんだ。俺様と同じ『系列』。その技術にも興味はあるぜ!」 木蓮の言葉は恐らくは今ここには居ない『最高のスナイパー』を思い浮かべてのものになっただろう。 ――一際鋭い一発の銃声が喧騒を引き裂く。 針穴さえ射通す正確無比な銃撃にモランが一歩を跳び退がる。 「あー、惜しいっ!」 声を上げる木蓮の目はしかし次こそは捉えると目標目掛けて燃えている。 「フッフッフ……流石にやってくれる。だが、我々は分かっていて貴様等を『出迎えて』いるのだよ!」 言うなればスナイパーでありながら極めて高いスタンドアローンでの戦闘力を併せ持つ彼は、九十九をより禍々しい形にビルドアップしたかのような存在であると呼べるだろう。 交錯する意志と意志、繰り返される攻防はリベリスタ、フィクサード双方を痛めつけている。 しかし、あくまで口調に余裕を滲ませるモランは現状にうろたえる様子は無い。 彼の態度から感じ取れるのは強者としての余裕。しかし、それだけでは無い。 (これは……『教授』への『信頼』……ですか?) 明敏なるミリィの直観が告げる事実は如何なる状況にあろうとも『彼』が失敗する筈は無いというモラン自身の確信であった。単純な主従の関係では望むべくもない、絶対的確信だ。その空気をどうしてかミリィは酷く『排他的』なものに感じていた。 ――まるで、大佐にとっての『同属』はモリアーティ一人であるかのようだ―― 「どの道、時間を掛けられる状況では無い。この局面は速やかに鎮めさせて貰おうか――!」 ミリィの沈思黙考を遮るタイミングで吠えたベルカが周囲の仲間達と共に強烈な攻勢に打って出た。 ベルカは敵部隊の中核がかの大佐である事を確信していた。如何な精強な部隊であろうとも、核を失った部隊は組織的行動を難しくするものである。リベリスタ側に比してハッキリとした中核は強味でもあり、弱味でもあるのは確かであった。 なればこそ狙いは一つ。叩き落とすべきはモラン一人である。 「さあ、諸君! 一気に行くぞ!」 「援護します!」 号令し、フラッシュバンを投げ込んだベルカに応えたのは、最下層のこの戦場に参戦したジェラルド警視と彼の部下達――『ヤード』の精鋭達だった。 「チッ……!」 倫敦派も応戦し、幾人ものリベリスタにダメージを刻んでいる。 しかし、自身に火力が集中しつつある事にモランは短く舌を打つ。 如何な手練だとしてもモランは『フィクサード』である。『フェーズ2以下の革醒体』というくびきを持ち、『フェイトに縛られた存在』である以上は『人間の枠の中に居る筈だ』。例外的な存在――例えばバロックナイツならば兎も角、『彼はモリアーティでは無い筈』なのだ。 「そう、この世界に『ホームズは』いない!」 朗々と声を上げ、視線を寄越したモランに笑んで見せたのはあばたである。 「だからこれは貴方の人生で一番の戦いになります。これ以上など無い。だから、やろう! 根限り!」 「――面白いッ! 敵ながら貴様はこの『モランを』認めるか!」 吠えたモランがギラギラとした視線で彼女を見る。 あばたという『素晴らしき』シューターにモランという『最高級の』シューターが応えている。 シューター同士の戦闘は如何な防御の術に優れても互いの首に匕首を突き付け合うそれに過ぎぬ。 言うまでも無くモランの技量は時に容易くあばたの命を刈り取るだろうし、あばたの技も又、流石のモランでさえも守り切る事は出来ぬ領域に存在している。実力差こそ明確なれど恐らくそれは間違いない。 「かしこまりました、我が主。射線の確保は安んじてお任せあれ♪」 「お邪魔、ですわあ!」 あくまで忠実にあばたに付き従うロウが、援護に入った黒天使――クラリスの刃と共に間合いの敵を散らすように攻勢をばらまけば彼我の間に邪魔をする者は居なくなる。 「では、お互い王佐の者同士という事で」 「はん、お前じゃ不足だぜ」 ロウとポーロックが交戦を開始したのと、あばたとモランがやり合い始めたのはほぼ同時である。とは言え、ここは戦場である。乱戦めいた戦場はお互いに礼儀正しい一騎打ち等を意識したものではない。 「済まないが、生憎と彼に用事があるのは此方も一緒でね」 火砲を互いに構え合い、死の弾丸を放ち合うあばたとモランに割って入ったのは唇の端に麗しい笑みを乗せた朔であり、肩口に傷を負ったモランを援護せんと動いたフィクサードだった。 一転して近距離戦の様相を呈したあばたをロウが援護する動きを見せた。 されどそこに待つのは「守ろうなとど思うな!」という一喝ばかりである。 一方で此方も近距離で向かい合った朔とモラン。 「私の興味は君だ。この戦場で最も強い者。さぁ、やろう――」 これが初めての太刀合わせでは無い。 朔の繰り出した鋭い切っ先に衣装の一部を引き裂かれ、却ってモランは愉快気に笑った。 「フッフッ、態々のお出まし痛み入る!」 「何処へでも出向くとも。例え、君が私ではない『何か』を見ているのだとしても。 きっと振り向かせて見せよう。私はな――」 迸る電撃が朔の速力を最高潮まで引き上げる。 「――振り向いて貰うのを待っていられる女ではないのだよ!」 無数の残像は千――以上。一声と共に繰り出された斬劇の大瀑布は間合いに緋の線を描き出す。 「畳み掛けろ!」 声の限りに怒鳴るような号令を下したのは雷慈慟である。 モランの生じた初めての隙らしい隙は彼にとって待望の瞬間であった。 モランを援護せんとしたフィクサードの一人、キマイラの一体を彼より生じた衝撃波が弾き飛ばす。 「モラン大佐。あの時の決着をつけましょう!」 踏み込んだセラフィーナの霊刀東雲がLEDライトのその光を跳ね返す。 (アークを守るため、戦友を守るため! それが私の誇り。私の――刃!) 翼を広げ、まさに一直線に肉薄した少女は持てる全ての力を吐き出してその一撃を一閃する。 「貴方の物語もここで終わりです!」 「そういう事――灯璃の目当ては最初から『二番目』だけだから!」 見事な連携で死角から距離を詰めた灯璃が両手の赤伯爵、黒男爵をモランの左胸に突き立てた。 灯璃の中には微かな違和感が残されていた。果たしてこの『モラン』を自称する男は何者なのか。 『ホームズの居ないこの世界』に確かに存在する『モラン』と『モリアーティ』は何者なのか―― しかし、それは戦場で考えても詮無き戯言だ。 「誰だろうとフィクサードは殺す。ラストを飾れよ、セバスチャン・モラン!」 敵の肉体を抉るその手の動きと共に凄絶に響いたその言葉に貫いた巨体が小さく震える。 決着に思われた時間は刹那。瞬きをするにも十分ではない時間。 錯覚かスローモーションのように流れたこの時間の過ぎた後…… 「……ッ……」 灯璃、セラフィーナは咄嗟にその場を飛び退いた。 飛び退くその動きさえも間に合わず――抜群の身のこなしさえも間に合わず。 灯璃、セラフィーナの両名共が迸る魔弾に撃ち抜かれ、強かに床に叩き付けられている。 「フッフッフッフ……」 それは低い、低い笑い声。 地獄の底より響いてくるかのような含み笑いは『確かに心臓を貫かれた』モランの発したものだった。 ●オフライン・ウォー 「喜んでいいのか悪いのか――」 汗を拭う暇も無い、ジェイドは何とも複雑な顔をして呟いた。 「珍しく『俺向けの仕事』が回ってきやがったのは……」 ロンドン、ピカデリー・サーカスの地下でリベリスタ達が死闘を繰り広げている頃、遥か数千キロの距離を隔てた日本、三高平でもアークとモリアーティの必死の攻防が展開されていた。 「いやいや、お前等の御陰でさっきよりゃ随分ご機嫌だぜ。まだまだ、これから――」 乾いた唇を舌で拭い、何処まで本気か分からない『檄』を飛ばしたのは言わずと知れたアーク技術班のトップである真白智親博士その人である。 「当然。技術狂《テック》としては負けるつもりは無いぜ?」 「相手は、世界最強のハッカーって言えばいいのかな?」 「間違いない。ハッカーって言うか最早『ウィルス』みてーなもんだが」 「面白いね。こんなに心が踊るのは時村のおじ様と会って以来だよ」 自らの端末を激しく打鍵し、モニターに映る状況に何処か歓喜の色さえ見せるのは『電子の妖精』うさ子である。 三高平でモリアーティに立ち向かうリベリスタ達は今回の攻撃計画に『何か』を感じて待機した者、或いはこのジェイドのように『今回の戦いだからこそ』特別役に立てるという自負を持った者達であった。 「噂のバロックナイツとまさかこんな形で勝負を挑むとはね、光栄の至りだよ」 感心半分、興味半分といった風に呟いたヒロムの言葉は正真正銘の本音であった。 直接対決は望めるものではない。しかし、ネットワークを介せばどうか。 彼の備える電子の妖精、そしてシンクロの異能は本来それを職分にしない彼さえも一端のプログラマーのように役立てる事が出来るだろう。ネットワーク上にその身を移し、直接アークのシステムを制圧しその情報を盗み取るという大胆な策を実行したモリアーティは逆を言えば外部からの防御策の影響を受ける状態になっているとも言える。一計を案じた智親はコンピュータの扱いに長けたリベリスタを動員し、外部からの抵抗及び支援を試みると同時にVTSを利用した『アーク側のサイバーダイヴ』によるモリアーティの迎撃計画というウルトラCを立案したという訳だ。 「それにしても……いきなり本丸にですか。 実際の戦闘は無理ですけど、支援なら何かできる筈、言うなればこれが裏方の実戦です。 ……まぁ、流石にクラッキングの専門家、という訳にはいきませんけど」 「ああ、戦闘では兎も角、電子戦ならば遅れはとらないぞ。 こうみえても、覚醒前はこの手のものは得意だったのでな。 ……私とて、アークの一員。座して本部の陥落を見ていられるものか!」 「心強いよ、本気で助かる」 目をモニターから離さない智親の言葉は本気を感じさせる切実なものだった。作戦はこの早苗やミストラルのように直接的戦闘を得手としない者も迎撃戦力に組み込みやすいというメリットを持っている。 「私にも出来る事がありそうっすね! 大丈夫、大丈夫! 私、サイバーパンクものとか好きっすから!」 「さてさて、居残りが功を奏したね。 それにしても、うへへ……根幹システムに堂々とアクセスできるとか楽しいなぁ……」 「おいおい、調子に乗りすぎるのは勘弁してくれよ……」 「頑張るから大丈夫っすよ! 外部オペレーターとかカッコイイじゃないっすかね? 電子の妖精で情報収集してダイブ中のみんなにフィードバック! 他の方の外部支援の内容、設置した罠の情報を適宜伝えるオペレーター! ……そうそう、やってることは地味目だけど美人オペレーターとか憧れるっすよね?」 「あ、大丈夫、まじめに支援する。あたしアークのリベリスタ」 華蜜恋にせよ、アメリアにせよ調子の良い所は折り紙つきだ。 「頼むぜ」とだけ告げて自身の状況に集中した智親を見て、アメリアは思案する。 (真白のおっちゃんがどれだけ天才でも、人間じゃこりゃ無理だ。 ……あれだね、少しでも見る余裕の無い場所をサポートしてあげないと……) 策敵方面に重点を絞ったアメリアが電子と意識を重ねるように自らの作業に没頭していく。 研究開発室からの『外部支援』を選んだ面々は言うまでも無くコンピュータに精通した面子が多いと言えるのだが……中には意外な顔もこの場に姿を現していた。 「ハッキングか……今度だけだぞ、こんな真似は……」 自ら「私はアセンブラとCしか操れないが」と但し置くも、イセリアの場合これは意外な特技と言える。 「こっちだって現代日本であらゆる電脳犯罪に手を染めてきたンだ! その辺のアマチュアよりはやれるンだよ!」 鼻息荒く自ら率いる【戦火隊】の支援を買って出たのは劇場版オークである。 「機械オンチでも何かの足しにはなるだろう?」 オークにせよ、小烏にせよ抜群のシンクロ能力で主に智親の動きをサポートしている。 (教授側への処理負荷増、防壁の増築、経路の無限化等々、味方の支援、思いつく限り――全部だ) 智親が断片的に呟いた対策の数々を自分なりに理解した小烏は万策による足止めの意義を理解していた。 知識より、技術より先に『相手に伴う』その動きは成る程、革醒者らしい異能。 研究開発室は一見すれば今現在進行形でアークに起きる異変を感じさせないが、その熱は事の重大さを隠しては居ない。 「システムを複数に分散させましょう、物理的に」 「モリアーティ側が管理権限の一部を掌握してやがるんだ」 「ですが、何とか成し遂げれば…… 極力、横の繋がりを断ち切り、それぞれが万華鏡とだけ繋がってる状態に近づけるんです」 「……」 「敵を隔離する状況さえ作れれば――こちらは個々のモリアーティに対してそれぞれの環境で別の対策を試みることができる上、効果がある対策が見つかれば全体に適用できます。ですが相手は他のシステムに居る自分と連絡が取れなくなるので、こちらの防壁への対策を交換できません。システムの性能が低下するデメリットはありますが、情報工学的に見たらウイルスの活動を劣化させられる筈です」 「……待てよ、それなら『ああ』すれば……」 冷静さを崩さないセレナの助言を受けた智親が猛烈にコンソールを叩き始めた。 しかし、確かに状況は困難を極めていた。 まず最初の『攻撃』で三高平側からのシステムのシャットアウトが封じられた。鮮やかな奇襲・先制攻撃で根幹システムの支配権の一部を奪い取ったモリアーティはその侵食度合いを着々と強めている。 「私の安らかな巣は渡さん」 即席の防壁プログラムを設置し、モリアーティ側の侵食を防がんとする。 時間を稼ごうとするネイルの判断は極めて賢明だった。 (……ジェームズ・モリアーティを名乗るお前は何者だ? この世界はホームズがいる小説やドラマの中じゃない……お前は『何』だ?) 『モニターの中のモリアーティ』にネイルは問い掛けるように疑問の視線を投げていた。三高平側の防衛策により一時的にモリアーティの進撃速度は低下を見せている。しかし、彼が止まるかどうかは『時間稼ぎと支援』が精々の外からの干渉にはかかっていない。問題は『此方側』からダイヴしたリベリスタ達の戦いと、『向こう側』からダイヴする――筈の――リベリスタ達の戦いにかかっていると言えるだろう。 「次の波が来ます……!」 「さぁ、語らおう。あなたの全てを曝け出して私を熱くさせて!」 画面に広がる警告に早苗の表情が引き締まり、うさ子は歓喜の声を上げた。 まさにこの時――ネットワーク上の『見えない死闘』は、実に壮絶なものとなっていたのである。 ●ネットワーク・ウォーI 「へえ……ゲームみたいで面白そうじゃねえか。勿論やるからにはマジでいくけどな!」 リベリスタ達が体感した世界は真理亜の言う通りまるでゲームのようだ。 「っと、こうしちゃいられねぇ! やる事は何時も通りだ。とにかく癒して癒して癒しまくる!」 ネットワーク上に擬似的に構築された『三高平市』では現在進行形で激しい戦闘が応酬されている。 敵を阻止せんと『ダイヴ』したリベリスタ達はまさにかのモリアーティが無数に生み出した蜘蛛(バグ)達とその刃を戦わせていたのだ。 「やー、二次元の住人になれるなんて夢のようっすね! 何かそのアーティファクト? 喉から手が出る程欲しいんすけど!」 「やれやれ、時間稼ぎはお互い様といった所かえ」 供の刹姫の気楽な調子を受け、蜘蛛の一つを叩き潰した瑠琵が苦笑する。 智親に出した『リクエスト』は十分に機能していた。彼女の操る影人は、彼の『細工』により普段のその性能を大幅に引き上げ、ほぼ彼女と同等の性能を発揮している。 「支援データの記憶はバッチリっすよ。まぁ、内側からどれ位再現出来るかは微妙っすけど」 「元より気休めじゃ。何れにしても押し切る他は無いわ」 指を立てた刹姫に瑠琵が言い切る。 「全く……簡単にはいかないとは思っていましたが……」 外部支援組の作り出した壁――遮蔽を利用したキリエが大量に発生した蜘蛛を相手に立ち回っている。 リベリスタ側の迎撃はモリアーティに蜘蛛(バグ)を作り出すという新たな工程を強いていた。彼は自身という本丸にリベリスタ(ワクチン)を近付けまいと防御網を構築しているのだ。 彼に作業を生じさせた分、単純に進撃が遅れたのは間違いない。 「フルメタルサーキット全開、処理能力124・5%アップ! セイバリアン、GO! かかって来い! どんな奴でも疾風怒濤フルメタルセイヴァーが叩き斬ってやる!」 気を吐く剛毅の性能はまさに備えた電子の妖精により現実世界を上回る処理能力(スペック)を見せている。 「海外任務は荷が重いかと思っていれば……これも怪我の功名ですか」 一斉に襲撃して来た蜘蛛(バグ)を翼の加護による飛翔でやり過ごした楽が呟く。 「犯罪ナポレオン、人々から笑顔を奪う存在、そんな人をこのままにしておくわけにはいきませんよね」 「気分じゃなかった――そう言えばそれまでだがな。 折角待機していた所へ出向いて貰ったんだ。しっかり歓迎させて貰うとしようか」 黒色のオーラが黄泉路の得物を始点に放射状に広がった。 蜘蛛(バグ)に喰らいついた暗黒が0と1の悪意を黒い塵へと変化させる。 「ワタシのドラマは天井知らず! それはサイバースペースにおいても変わらない! 気合と根性で止めてやるぜ! こういうゲームなら得意だ、明奈さんに任せとけ!!!」 日々ゲーム研究会『Just Luck』に入り浸っているのが奏功するのか、しないのか…… 本人曰く「こんな事もあろうかと」。日本に残っていた明奈がここが見せ場と胸を張れば、 「あの――戦場では桃子も戦ってるんデスよね? モリアーティなんかに皆の帰る場所を壊させたりしないデスよ!」 遥か異国の地の最前線で戦う友人を想うシュエシアも負けじとその唸る打撃力を見せ付けた。 本部研究開発室で死力を尽くすリベリスタ達の力により、ネットワーク上の『擬似三高平』は実物をも越える防御機構を備えている。彼等の操作でその能力を増した電脳空間上のリベリスタは普段を越える力を、或いは普段持ち得ない力を十分に発揮していた。個々の戦闘力で蜘蛛(バグ)を上回る彼等は敵軍とも言うべき蜘蛛(バグ)の群れを駆逐し続けている。 「留守番するつもりでしたけれど、三高平にこの様な方法で攻め入るなんて…… ……私の力が役に立つのであれば。ここを守らなくてはいけません」 あくまで柚利は場に展開する有力な仲間を支援する構えを見せている。 「敗北の運命がそこにあるなら私はそれを否定する。仲間が命を落とす運命なら、私はそれを歪めよう」 一方で前に出る護が強烈なまでの決意を胸に敵の攻撃を自身に引き付けた。 「不謹慎かも知れないが、オレ……こういうのにちょっと憧れてたんだよな」 成る程、苦笑い混ざりに振るわれた一悟の拳には0と1の羅列が帯のように纏わりついている。 数字の帯は瞬く間に炎に変わり、業炎撃ならぬ業炎“竜”撃で敵を貫いたではないか。 「サービスいいな、真白先生!」 「……でも……ちょ、コレかーなりヤバいのと違うニャ?」 しかして、表情をやや引き攣らせた遊菜の様子はある意味で状況を良く伝えている。 「古いSF映画でもあったらしいニャァ。仮想のモリアーティが現実に出て来ようとするってやつ……」 戦慄混じりの十四歳が実際に『古い映画』を見た事があるかは定かではないが。 リベリスタ側の必死の迎撃、派手な駆除にも敵の数は減ってはいない。 「情報の精度は、高い程あらゆる物事に有利になる。即ちアークの優位性は万華鏡あってこそ。 他の誰も、斯様な手段で三高平に攻め入ろうなど思わないでしょうね」 超頭脳演算で限界以上の戦闘力を引き出している。 自身も激しく敵を食い止めるロマネの言葉は皮肉混じりに半ば賞賛じみていた。 確かにこれは驚く程洗練された『侵攻』である。日本に足を踏み入れ、攻撃計画を発動したならば万華鏡はそれを見逃さない。物理的な攻勢を仕掛けたならば、駐留状態の主力と極めて高い防衛力を持つ三高平市が彼等を阻む。しかし、今回の手段はどうか。 始まりは遥か海を隔てた倫敦の穴倉。引き付けた主力の参戦は確実にそのタイミングを遅らせる。 何より閉じた財宝の扉を破る「開けゴマ」が必須プロセスだったならば、そこには一切の無駄も無い。 「流石は犯罪界のナポレオン。実に面倒な相手だ。それに対応する真白も人間離れしているがな……」 冷静さを崩さずロマネの言葉に相槌を打つゲルトだが、焦燥が皆無な訳では無い。 (アークのシステムを狙い、何を企んでいるかは知らんが、思い通りにはさせんぞ) それが『望ましく、素晴らしい事』で無い事が確実である以上、ゲルトは悪(モリアーティ)を看過しない。鋼鉄の砦はあくまでその前に立ち塞がらんと気を吐いている。 「面白い事を考えよるのぅ。蜘蛛の巣はまさしく獲物を絡めとる罠ということか」 ゲルトとは対照的に「ククッ」とハトのような笑い声を零したのはゼルマである。 成る程、魔女はこの状況さえ楽しんでいる節がある。同じハルトマンでも此方は少し『捻くれている』。 大増殖した蜘蛛(バグ)が次々にリベリスタを傷付けた。 ――そいつ等は空クジだ。倒してもキリは無い―― 外界よりジェイドの声がリベリスタ達に警告を送る。 恐らく蜘蛛を叩くに必要な唯一にして最大の手段は、あくまで頭を潰す事なのである。 だが、理屈では元より理解していても、これを放置する訳にもいかないのは必然だった。 無数と呼ぶ他は無い蜘蛛(バグ)はその増殖性と物量でリベリスタの防衛ラインを脅かし続けていた。 「全く――面白い体験ができるものね」 呆れ半分、感心半分に口の端を持ち上げたのはティオである。 「うん、日本で待っててよかったわ――でも敵の解析は難題かしら?」 マグメイガスらしく探究心旺盛な所を見せた彼女は双界の杖より雷撃の嵐を吹き荒れさせた。 「久しぶりの“実戦”だが、まさか電子の戦いとはな」 「普段と勝手の違う世界で何だかちょっと不安ですけど……」 「勝手が違う、か」 辜月が手を握れば、「ふむ」とその凛々しい瞳に少し優しげな色を覗かせるシェリーである。久し振りと言う割には実に苛烈に鮮やかに――進行方向の蜘蛛(バグ)を悉く薙ぎ払う銀の弾丸(シルバー・バレット)は『大魔道』の名刺代わりに十分過ぎた。 「……何だか、こうしていると電子空間(こんな所)でも安心出来ますね」 「……ふん、妾も随分と単純にできているのだな。辜月」 憎まれ口にも似た皮肉な言葉はある種の照れ隠しなのだろうか。 薙いでも雲霞の如く出現する敵を前に敢えて一歩を詰めた彼女は、背にした辜月の指揮をその身に受けてここは通さぬと益々の戦意を燃え上がらせた。 (――この戦い。勝利という結末以外いらぬぞ、辜月!) 振り返る事無くとも、声に出す事は無くとも。心は確かに繋がっている。 「妾の全身全霊! 持っていけ釣りはいらぬぞ――」 アスファルトをめくり上げるように銀の軌跡が間合いを灼いた。 「自分がいる限りは簡単にはいかんよ」 総ゆる侵入経路に目を配る――熟練の円熟味は、彼ならではだ。あくまで敵の阻止に立ち塞がるのは今回は三高平で決戦を迎えたウラジミールである。 (無数の侵入経路をある程度でも絞り込む事が出来たならば、それだけ迎撃は易くなる。 ふむ、これは本部との連携次第だが――) 少しでも『現場』の防御を助けんと研究開発室では必死の作業が続いているのは間違いない。 たかが一人、されど一人。その一人がウラジミール・ヴォロシロフならばそれは特別な意味を持つ。 先行して来た蜘蛛(バグ)の牙を堅牢な防御で受け止めて、その悉くを破壊する。不沈艦か要塞を思わせる『個』はあくまでもその場所を譲る心算は無かったのだ。 まさに、まさに、まさに奮戦である。 サイバー・ダイヴを果たしたリベリスタ達は文字通りの一丸となって猛威を振るうモリアーティ(ウィルス)に対抗するスクラムを組んでいた。元より真白智親の策は急ごしらえの応急措置である。有力なリベリスタの一部が三高平に残っていたのは事実だが、バロックナイツを相手取るに――それで十分に足りるという可能性が決して高くない事は知れていた。 「エリエリはパソコンそこまで詳しくないですが、邪悪ロリでそのうえ天才です。 天才にかかれば、これくらいちょちょいのちょいなのです!」 超頭脳演算に掛かればエリエリ・L・裁谷のクロックアップは難しい仕事では無い。 兎に角妨害、又も妨害。時間を稼げるだけ稼ぐのが自分の仕事――勝ち筋である、と。 割り切って動くエリエリは邪悪ロリ。口に出さないまでも仲間達を信じていた。確信していた。 当然、それはエリエリだけの想いでは無い。 (『モリアーティの行動計画書』と『万華鏡』が組み合わさるようなことがあれば、何が起こるか分かりません。何としても仲間たちが『追撃』してくるまで、この場を守りきらなくては!) 「チッ、楽団の時も相当に追い詰められたが、今回も相当ヤバイな。 だが、他の奴らが『追ってくる』まで絶対に通さねえぞ!」 それは丁度心と同じく重ねた修一、修二――山田中の兄弟に等しくである。 元より三高平のリベリスタの戦いは自身等を防壁にするものであった。。砂金よりも貴重な時の一粒を確保する為のものである。必ずやモリアーティを『挟撃』出来るという仲間達への信頼がそうさせているのは語るまでも無いだろう。 「アークはさおりんが作った大事な所なのです。あたし、絶対守りたいのです。ううん――」 そあらは大きく頭を振る。頭を振って持てる全ての力をその聖なる息吹に乗せた。 「――あたしが、守るのです!」 勝利には奇跡が必要。それも一つや二つでは無い。 モリアーティが魔法と称した以上のそれが――それ以上の数と質が必要だ。 だが、リベリスタは運命を捻じ伏せ、従えるもの。目の前に広がる絶望にも似たシーンの数々を平らげてきたからこそ今があるのだ。果たして彼等の組織的かつ粘り強い防戦は、執拗にして諦める事を知らない駆除攻勢はやがて一部戦力を彼等が望む『本丸(モリアーティ)』へと届かせるに到っていた。 彼を最初に補足したのは一人の少女である。 「これはこれは偉大なるジェームズ・モリアーティ! 著名すぎ名作過ぎて信仰の対象とまで化したミステリーの絶対悪。 いわば至高の都市伝説の一つの形――ホームズはいない。デスガ、都市伝説はここにもいるデス!」 「信仰か。中々的確な言葉を使うものだ」 明らかな歓喜を隠さずに口上を述べた行方とモリアーティの視線が交錯した。 「噂で伝わる都市伝説、三高平の夜に巣食う存在がアナタを迎えにきたデスヨ。 三高平はボクの街。さあ電子の世界でもただで通れると思うなデスヨ! アハハハハ!」 行方の哄笑に「ふむ」と首を傾げるモリアーティ。 蜘蛛(バグ)の群れを幾度か散らしたその先に在る彼は、市の大通りをゆっくりと歩いている。まるで散策でもするかのように着実に中央のセンタービルを目指してその歩を進めていた。 「モリアーティ教授……! 小惑星の力学! 天才的犯罪王!!!」 「三高平へようこそ、モリアーティ教授」 その姿を見るなり考えていた事を殆ど反射的に口にしたのはカシス。 隠せぬ消耗をしかし欺いて、皮肉な歓迎の言葉を投げたのは義衛郎だった。 自身のシンクロ能力を最大限に駆使した彼は外界のバックアップとその周波数を合わせている。 ゆらゆらとした視線を自身に向けたモリアーティのその視線を彼は真っ向から受け止めていた。 「ここの見物料は御存知で?」 「倫敦の犯罪王に小銭を請求すると言うのかね?」 「いいえ、その首級で結構ですよ」 剣呑としたやり取りは極度の緊張を孕んでいた。 「普段は滅多に姿を見せないと噂の教授とお会いできるとは光栄だね。 折角だからインタビューさせて貰おうかな?」 おちゃらけた調子は何時もと変わらず。やや芝居がかった調子で告げた義衛郎の一方であくまで普段の姿を崩さないのは外見には似合わない指揮力と支援能力を持ち合わせる時生であった。 「教授! 何でわざわざ正体現してホームズとタイマン張ったんですか!? 後学の為に知っておきたいんです!」 この問い掛けはなかなかどうして大胆不敵に挑発めいたものになっている。 「さて、何故だと思うね。 私の意義はあの滝壺に存在し、あの滝壺で消失した。 不可能という――その壁にぶち当たった時、人は奇跡を願うものなのだろう」 だが、老人は激するでも、嘆くでも無く淡々と言葉を並べた。 何処か現実感を喪失した『三高平市』の風景に溶け込んだモリアーティは静のまま。 「どれ程、論理を愛そうとも。どれ程、不条理を忌み嫌おうともだ。 人は時に『魔法』を望む。全てを一時にさらってしまう、必然染みた子供の我侭のような結末さえ」 「訳が分からないぜ」 吐き捨てるように言ったエルルの言葉は多数の代弁になっただろう。 それは恐らく『回答足り得ぬ故に回答』なのだろうが―― 「分からないけどよ。随分セコイことをやるもんだぜ。男なら小細工せずに掛かって来いよ!」 相手は犯罪のナポレオン。大層な名前を聞けばその害は明らか過ぎる位に良く分かる。 「お前を倒せば、世界もだいぶマシになるだろうさ。だからここで倒す!」 「ふむ……」 モリアーティは底知れない。しかし奇妙なまでに響くその一言一言は彼の存在感を際立てていた。数だけを見れば無数の蜘蛛(バグ)を除けばモリアーティは一人だけ。だが、それは嘘のようである。 ――気をつけて―― リベリスタ達の頭の中に外部からバックアップを続けるうさ子の声が響いた。 ――その人は防御システムの過半を手中に収めてる。最大の問題はその人自身だからね―― 「奇想天外に思える策とて…… それを為し得るだけの十分な力量と、完全なる奇襲が伴うのならば、決め手となる……ということか」 成る程、うさ子の警告は、油断無く敵を見据えるアルトリアの危険の直感は、全く正しいものと言えただろう。『この世界そのもの』を変容させるコンピュータ・ウィルスは、リベリスタ達と会敵しながらもその余裕をまるで失っていないように見えた。 モリアーティは自身を食い止めんとするリベリスタ達に対してピタリと歩みを止めていた。背筋の少し曲がった老人はどう見ても戦闘的に優れた存在には見えなかったが――それは気休めと言えるだろうか。 ワクチンがウィルスを破壊出来ると言うならば、その逆も又然りである。電脳世界の死が何を意味するのかを正確に理解するリベリスタは居ないが、相手の毒性を考えれば命の取り合いは覚悟せざるを得まい。 「だが」 アルトリアは手にした細剣の切っ先で不敵なる老人を指し示す。 「天才に立ち向かえるのが天才だけではないという事を天才は天才が故に見逃した。 ことアークに対峙するならば、それはそれだけで決め手と成り得ない事は、今これから証明しよう」 見事な宣戦布告の文言はまさに戦いの号砲を示していた。 アルトリアの宣告と時同じくして――リベリスタ達が動き出す。 「さすがの天才……考えることも行動も飛びぬけているわ。 だけれどね、貴方は三高平の底力をまだ見誤っている。それは、計算だけで表されるものではないわ!」 どんな脅威にも屈しない鉄の心を携えて。高速詠唱より、リリィ・アルトリューゼ・シェフィールドが命じるのは敵を破る呪鎖の濁流である。高速の仕掛けから放たれた葬操曲がモリアーティを襲う。 「物語る制約ならば、悪役とは華々しく己が犯罪(げいじゅつ)を見せつけ、そして正道の前に散りゆくものでしょう。貴殿が――偶像を宿す者ならば」 一気に肉薄したアラストールが神気を帯びた斬撃を裂帛の気合と共に振り下ろす。 『モリアーティの像』が攻撃にジジ……とノイズを走らせた。 アラストールの斬は一撃に留まらない。縦に敵を裂く一撃は即座に横の一閃に繋がった。まさに十字(クルセイド)を描く騎士剣は悪を滅ぼさんとする『祈り』そのものであるかのようだった。 モリアーティの像が霧散する。即座に構えを取り直したアラストールはその気配の残滓を捉えている。 ――確かに。『偶像』は『偶像』のままならばそれで良かったのだろう。 求めに素直に従うべき、『それそのもののままならば』どんなにか救いがあっただろうと思うよ。 果たして、モリアーティの声は目の前の像の有無に関わらずリベリスタ達の『鼓膜』を揺らした。 アラストールの言葉が何かの琴線に触れたのか、その声は何処か虚無めいた色合いを思わせた。 されど、響く言葉自体がそれが未だ何ら滅びていない事を明確に告げている。攻撃が通用していないのか、それとも何らかのダメージがある上での状況なのかも、分からなかったが―― ――諸君等にも『救いの無い式』というものをお見せしよう―― その声と共にリベリスタ達の前に異変は訪れた。 道路の下から、壁の向こう側から、ビルの上に――ありとあらゆる場所に。 モリアーティの像が生えてくる。出現した。少なくとも咄嗟に数え切れない多数。全て実像を持ったジェームズ・モリアーティは寸分違わず、嫌味な位に冷静な調子で次々にリベリスタ達に語りかけた。 「確かに私は無限という数字では無い」 「『モリアーティ』は確かに他の使徒程の性能を望むべくもない」 「しかし、果たして諸君はこの有限を全て防ぎ、また破壊出来るものだろうか」 ●カーネル・モランII 「やらせない……!」 歯を食いしばり、戦況を何とか踏み止まらせんと苛烈な局面に立ち向かう。 「……私達の後ろにはっ……守るべきものが沢山あるんだからっ!」 一声と共にルナが降り注がせた火玉の弾幕が地下施設を赤く染めていた。 リベリスタ達とモラン隊の戦闘はまさに佳境を迎えていた。 旺盛な戦意と苛烈な攻めで一度はモランを倒したかに思えたリベリスタ達だったが、致命傷にさえ倒れないモランはまさに悪鬼か亡霊のように彼等の前に立ち塞がり続けていた。 「成る程、大した化け物だぜ……!」 この敵には因縁浅からぬ銀次が獰猛に歯を剥いていた。 既に倒されたリベリスタ、フィクサードは数多い。原型を留めなくなったキマイラも数多い。 唯、猛然と命を削り合うかのような争いが長く続かない事はもう誰の目にも明らかだった。 だが、それでもモランの目はギラギラと輝いたままだった。 「俺はセバスチャン・モランだ。俺は――『倫敦で二番目に危険な男』!」 熱病めいた彼の銃が『静かなる死』を吐き出す度にリベリスタ達には危機が訪れている。 常人ならば幾度も死ねるだけのダメージを受けながらも、危険な男の切れ味は減じてはいないのだ。 傷付く程に力を妄執めいた力を発揮するモランに徐々にリベリスタ陣営は押し込まれている。 否、それはモランだけの力では無い。崩れぬ大将は倫敦派自体の士気を幾度と無く持ち直させてきた。 だが、リベリスタ陣営も負けてはいない。 敵が殺しても死なぬ化け物ならば、きちんと死ぬまで殺すまで――! 「ふふ……ついに正念場、ね」 肩で息をするティアリアが微かな声で呟いた。 (まったく、この期に及んで。本当にこの子達は……良いわ、わたくしが全力で支えてあげましょう) 無理無茶無謀にも思えるリベリスタの『酷い戦い振り』が彼等の矜持ならば、そんな彼等を一秒でも長く支え抜く事はきっと彼女の矜持であった。 嗚呼、銀次にしろ、虎鐵にしろ、朔にしろ、あばたにしろ――命が幾つあれば十分なのか分からない位。 「何故、俺を前に立ち上がる?」 モランはリベリスタをせせら笑う。 「俺を倒せぬ者共が、教授を止められるものか。 お前達は精鋭である筈だ。お前達以上の戦力がアークに多く残されているとは思わないがな!?」 「モリアーティ・プランは、三高平にいる皆が止めていると信じているわ。 だから――目の前に全力を注ぎ込むだけ、唯それだけよ!」 血を含み、低く掠れたモランの声を美しいティアリアの声が遮った。 「立て直します!」 凛としたミリィの声が響き渡る。 「負けんなよ!」 同じくそれに対抗するのは疲労の強く滲んだポーロックの号令だ。 幾度と無く攻防は展開される。一時倫敦派が押し返したかと思えば、その役割はすぐにリベリスタのものに変わる。されどそれも長くは続かない。移り気な運命の女神は気ばかり持たせて靡かない。 だが、そんな時間も永遠では無い。有り得ない。 (嫌な臭いだ) そんな――熱情に塗れた戦場で酷く心を冷やしていた者が居た。 「小生の、嫌いな臭いだ」 りりすはセバスチャン・モランという強敵が好きだった。 大佐には借りがある。彼は自分を眼中に入れていない事を知っていた。 だが、それでも良いと思っていた。上を見ているならば引きずり下ろす。 自身と同じ奈落まで、滝壺より深い底の底まで。 彼は酷く強靭で、苛烈で、喰い殺すに相応しい相手だと確信していたからだ。 なのに、この本拠で幾度目かまみえた彼は――いりすの嫌いな臭いに満ちていた。 ――食えた、ものじゃない。 そうあれと望まれて、与えられて、生み出された存在の臭いがどうしても鼻についていた。 祝いか呪いかも知れないそんな願望に踊らされるのは――いりすにとって唾棄すべき無意味でしかない。 「その命、その銃(ちから)貰い受ける」 幾度と無く告げた言葉が死線の上で踊っている。 命も要らぬと全力の刃を振るういりすは自らを狙う死の弾丸をこの時見切った。 身を屈めたいりすの髪の毛を『死』が刈り取った。両手の刃がモランを抉る。 獣じみた絶叫を上げる『それ』がいりすの体を振り払う。手負いのモランの上半身が揺れていた。 「大佐……!?」 事態を察したポーロックがモランをフォローしに動く。 しかしてこれは、 「そう何度も邪魔はさせん」 その動きを読んでいた雷慈慟が阻みに掛かる。 決着に向けて加速した戦闘は最早刹那の時間さえも振り返る事はしない。 「より正確に、鋭く、弾を標的に届かせる――結局、これが全てなんですよな」 九十九の完璧な狙撃が遂にポーロックを撃ち抜いた。 「最後だ、行け――!」 声も枯れよと絶叫したベルカの援護が敵陣に空隙を作り出す。残るキマイラがよろめくあばたに襲い掛かった。声も無い彼女を押し出すようにして――間一髪その身を盾に割り込ませたのは、こちらも満身創痍のロウである。 お叱りは後で、我が主。 唇の動きがそう見えたのは或いは錯覚だったのかも知れない。 (……馬鹿野郎が……!) あばたは見た。目の前で見た。 キマイラに食いつかれた彼が手負いのモランの銃撃を受けて完全に動かなくなるシーンを。 自分を庇って、動かなくなるその瞬間を。生きているかも分からない。死んでいるかも分からない。その従者を、彼が血の線を引いて倒れていく姿を克明にその網膜に焼き付けていた。 「技術じゃないな。技術じゃなかった」 ポツリと呟いたあばたはマクスウェル、そしてシュレーディンガー。 「さよならだ、お師匠さん」 モランと同じ二挺の拳銃の照準を彼にピタリと合わせていた。 次の瞬間、放たれたのはシューターの望んだ『静かなる死(レクイエム)』―― ●演算室 「『あの』蜘蛛の巣が滅ぶ事になるのかしらね。 家に居た頃から噂だけはずっと聞いていたし……潰えるのはあっという間、ね」 欧州フランスがカレード家に身を置くシルフィアは『この』蜘蛛の評判を嫌と言う程知っていた。 全く先の読めない戦況に嘯いた彼女が艶やかとも言える微笑を浮かべているのは皮肉な冗句の表れか。 「見目麗しい女性とご一緒なのは役得ですね。しかし、長居したい穴蔵でない事は確かだ」 「全く。向こうもこちらも纏めてケーブル引き抜けば――さっくりあの世に行かないものか」 諭の言葉にユーヌが物騒な相槌を打った。 サイバーダイヴのロンドン側の入り口こそ、彼等が制圧を目論むこの演算室である。 「たったこれだけの為にどれだけの人が死んだのだろう。これ以上――好きにさせてはいけない」 リベリスタとしてこの場所に立つ以上、青の抱いた想いは誰にも同じものだったと言えるだろう。 (ボクには帰りを待っていてくれる人はいない。 だから、帰りを待ってくれる人がいる人達を生きて帰してあげたいんだ――) 踊るように展開する青の刃が間合いに鮮血の花を咲かせている。 「長いことライバル不在で耄碌でもしたようで」 「――丁度いい。老人介護もとっとと終わりにしてやろう」 諭とユーヌは互いに展開済みの式符を複数従えて優位な戦線を構築している。 「モリアーティの野郎、やってくれるじゃねーか。 けどなあ、アークをなめるんじゃねーよ!」 啖呵を切ったラヴィアンが全身のばねを爆発させた。 マグメイガスながら派手に敵陣に肉薄した少女は魔力障壁(ルーン・シールド)を頼りに至近距離からキマイラに葬操の調べを叩き込む。 「行くぜ! 破滅のブラックチェインストリーム!」 ラヴィアンに同じく奮戦奮闘を見せるのはシビリズである。 「不測の事態。予期せぬ動き。実に結構大変宜しい! さぁ行くぞ! 陰謀はよい。唯只管の闘争を寄こしたまえ!!!」 朗々と響く戦士の渇望は戦士を奮い立たせる讃歌(ラグナロク)。 誰よりも果敢に、誰よりも勇猛に、誰よりも多くの攻撃を浴びながら――退かぬ。 「チープでよくある表現だけど……護りたいのさ、僕だって。 カッコツケたいんだ……僕だって。僕だって! やれば出来るんだ!」 「その通り。いいぞ、その意気や良し、だ!」 声を張り、己に打ち克ち、全力で業火の矢を放った伊藤をシビリズが賞賛した。 「モリアーティの罠が何だ。キマイラが何だ――」 首だけが奇妙に長い不恰好な――元が『何だか』は分からない――獣を振り払い、ユーグが吠えた。 「――俺達は一人で戦う訳じゃない! アークを、舐めるな……!」 防御役であり、支援役であるユーグは戦場の楔そのもの。 そんな彼を更に狙わんとする敵を―― 「神秘って本当に何でもありなのね」 ――ポツリと零した羽衣のマジックブラストが撃ち抜いた。 「頭のいいひとの考える事は難しくって羽衣にはついていけないわ。 だから羽衣は皆と一緒に此処を奪うだけ。判り易くって素敵じゃない?」 玲瓏な『少女』が纏うのは夜のいろ。 「ほら聞いて? 羽衣が最後まで――貴方の終わりを歌ってあげるわ……!」 「いざ! 絶対攻勢の真髄をソノ身を以て味わって下さいませ――アクセル全開でゴザイマス!」 羽衣が撃ち抜いたその敵をアンドレイのビッグバンアクセルが追撃する。 超常識的にして超衝撃的な彼の武力は敵を一気に呑み込むかのように愕然の坩堝へと叩き込んだ。 『この場は自分達が任された』単にそれだけの事実は【鉄】なる彼等にとって無限の力の源泉であるかのようだった。誰一人敵に怯んでいる気配は無い。敵がどれだけ精強でも構いはしない。 「フハハハハハハハハハ! 構わん、その程度のダメージ! 却って火がつくだけだとも!」 刻まれた痛みさえ、圧倒的な耐久力を誇るシビリズにとっては己が真の覚醒を呼ぶスパイスに過ぎない。 哄笑するシビリズを盾にした後背から次々とリベリスタ達が火力を紡ぐ。 (モリアーティ教授……彼が大きく動くなんて……それだけの大勝負……って事ですよね。 あの人の狙いが上手く行っちゃったら……きっと、酷い事になるのよね。 皆……皆が……沢山の塔が……倒れされちゃう。倒されちゃ、いけないのに……) 美伊奈の黒光がキマイラを撃つ。 「ターゲット複数確認! 拡散誘導弾装填! ……なんてね☆」 「後方支援は任せてよ!」と気張るメリュジーヌの気糸が解け、複数の敵を貫いた。 イーゼリットの魔術が黒鎖を蛇の如くうねらせ、 「紅蓮の月光よ――電子の牙城を焼き果たせ!」 「――うらぁっ!」 ウーニャが抱いた不吉なる月が敵陣を焼き払い、勢いをつけた瀬恋の拳が問答無用と敵を強かに壁に叩きつける―― ――互いの戦力は拮抗し、苦戦は否めなかったが制圧戦はリベリスタに軍配を上げた。 「……ったく、クソ面倒な連中がよ」 毒吐く瀬恋は疲労困憊の顔でもう一言を呟いた。 「いちいち粘り過ぎなんだよ、この野郎」 巨大なコンピュータ・タワーを見上げる瀬恋は何とも言えない表情だった。 地下三層演算室――モリアーティが一早くこの場所を離脱してから幾ばくかの時間が経っている。 部屋の制圧にそれ相応の苦労を要したリベリスタ達は漸く彼を『追撃』する準備を整えようとしていた。 温存は十分。残された余力は、戦力は教授を確実に仕留める為の一矢である。 「情報も無い状態で動くのは趣味では無いがな」 持ち前の直観を働かせたオーウェンが顎に指先を当てた。 『ドクター』の愛称を持つ知性派は目の前の『それ』が何であるかに思案を巡らせている。 内部の味方を強制退出する『裏技』は? 外部からの観測は可能か、否か。 Dr.Trickの『カードゲーム』はセバスチャン・モランのイカサマとは格が違う。 「必要なのは手の内だ」 「せやな。……まぁ、ウチが追いかけた所で大した戦力になるとも思わんし。 こっちの『あれこれ』を――例えば、解析出来れば、勝つ目は上がるかも分からへんからな」 難しい顔をしたオーウェンに麻奈が賛同した。 「……逃走経路は塞ぎたいけど、情報を抜く時間すら惜しいのが辛い所ね」 「確かに時間をかけてもいられないが」 されど、時は金なりだ。出撃準備を整えた彩歌の言う所は至極尤もである。 「俺には少し考えがある。『World Wide “Web”』は教授にとっても重要なものの筈だからな」 「電脳戦ならまーソコソコにねー★ やっぱー今の世の中って情報社……あ、そうゆーのいらなーい?」 出撃準備を整えた彩歌にやや渋顔のオーウェンが頷いた。一方で巨大アーティファクトに手を掛けてそう呟いた喜平や甚内にはオーウェンとも別の思い付きがあるようだ。 「じゃあ、私は――ここの確保ついでに『人待ち』という事で」 人好きのする笑顔で海依音は戦場に向かう仲間達にひらひらと手を振った。 これはバロックナイツとの抗争だ。『モリアーティの有するアーティファクト』が『彼女』の狙いだとするならば、それを好きにさせ続けるのは――何と言えばいいのか。鳥肌が立つ位嫌な予感がする。 「私は探偵じゃないけど、それでも答えを探すものだから。 ここからは三高平とも協同できる筈。この局面に、私とオルガノンの全演算能力を捧げてみせる――」 「確かに一本取られたわ。でもピンチはチャンスに変えるもの。さあ、大捕物の始まりよ!」 彩歌、ウーニャの言葉にリベリスタ達は頷いた。 「いくぞうさぎ。老人虐待は趣味じゃないが、そんな可愛い相手でもないか――」 「ええ、風斗さん。昔の栄光ばっか見てるお爺さんに――『今』を叩き込んで差し上げませんと、ね」 今一度起動した『World Wide “Web”』は先行した犯罪王への挑戦権。 大した間も置かず、風斗が、うさぎが――追撃部隊が、超空間へその身を躍らせた。 始まりは攻めるはアーク、受けるはモリアーティ。 次に攻めるはモリアーティ、受けるはアーク。 二度目の攻勢は今度こそ敵の喉元に届かんとする牙。まさに――ここからが彼等の本当の勝負である! ●ネットワーク・ウォーII 「状況は――どうなっています? まだ、大丈夫ですか?」 『……何とか、かな。かなり押されてるけどね――』 電脳世界で通信するという行為に少し奇妙な感覚は否めない。サイバーダイヴした嶺がまず情報を頼んだのは今回の戦争で三高平市に残り、今まさにモリアーティを迎撃している筈の義衛郎だった。 「……追撃は開始しています。もう少し頑張って下さい」 『了解』 短い返答は恐らく彼の側の余力の問題なのだろう。 『World Wide “Web”』より追撃を開始したリベリスタ達は『三高平市』の外周に到達していた。されど、モリアーティにとっては恐らく三高平側の迎撃の方が計算の外であり、ロンドン側からの追撃は当然の予測の範疇と言えただろう。 「簡単に届かせる心算は無い、という訳ですね!」 すぐに急行する、そう気休めが言えればどんなに素晴らしかっただろうか。 「実に興味深い相手だね。流石に私の実力ではどうかと思ったが…… 『あれだけ居れば』モリアーティという人物を知るには十分だろうか」 軽妙に洒落た彩音の言葉は現在の状況を良く表していると言える。 「大変な事ですよ」 「確かに歓迎出来る事では無いな」 「全くです」 彩音とやり取りを重ねた嶺は見慣れた三高平市の風景に侵食した無数の蜘蛛(バグ)、そしてモリアーティ『達』に苦笑した。何かが起きている事は最初から分かっていたが、まさか『大量のバロックナイツ』を見る羽目になるとは思っていなかったのだ。尤も、彼女の指が光を繰れば老人の像は体をくの字に折り曲げている。個々の戦闘能力の方は『バロックナイツらしい』と呼べる程では無いのは幸いだったのだが―― 「予想外の光景には――違いありません、ねッ……!」 ――恵梨香の雷撃が蜘蛛(バグ)を散らすも、散ったそれ等が溶解の蜘蛛糸を一斉に吐き出した。 モリアーティ『達』はその持ち前の頭脳で単純極まりない怪物達を規律の取れた軍隊に仕立て上げている。彼等は自身でも宙空に数式を展開し、空間の圧縮、切断でリベリスタ達に猛攻を仕掛けている。 (厄介な……!) 臍を噛む恵梨香。時間は無い。されどそれはモリアーティも意識している所である。 彼は酷く合理的な敵だった。『リベリスタ達に時間が無いから状況の遅延に力を注いでいる』。 だが、リベリスタ側が敵の思惑に付き合うかどうかは別物である。 「色々偉そうにふかしといてやる事は火事場泥棒って、無職のSHOGOも流石にフォローできないよ!」 冗句めいた翔護が躍り出て、『何時もの』開幕パニッシュ――で派手な弾幕を展開する。 誰よりもその瞬間目立った彼はまるでステージの中央に立っているかのようである。 しかし、彼の狙いは――その実、自分が主役を張る事では無い。花道を作る露払いを承っている。 「――ニッキ!」 「状況が変わろうと、俺に出来る事、やるべきことは変わらない……押し通る!」 声に応えたというよりも、快は翔護の意図を予め理解していたのだろう。 リスクを恐れず弾幕が押し下げた敵陣目掛け、強引に間合いを詰めた快に次々と攻撃が突き刺さる。 動きを奪う蜘蛛糸に、猛毒を秘めた蜘蛛牙。爆弾めいた空間操作、それ等全ては常人ならば――並のリベリスタならば堪え切れるものではない。しかし、理想という名の死神に身を預け、守護神の左腕(けっかんひん)で救える全てを救おうとする彼は猛攻にもその足を止めはしなかった。 青く運命を燃やした絶対者はあくまで敢然と目の前の不条理を決して看過する事を許さない。 「万華鏡は、世界を守るための力だ。崩界を阻止するための切り札だ。絶対に――渡さない!」 「まんまと罠に嵌めた心算なんでしょうけどね」 快に群がる蜘蛛(バグ)は距離を持つ氷璃にとっては格好の的である。 アイスブルーの双眸が冷たく無機質な敵(デジタル)を見つめていた。 「この状況は悲観するばかりでもないわ。 何せ、貴方は『出てきてしまった』のだから。此処はもう、蜘蛛の巣の中心でも――霧に覆われた倫敦の都でもない」 「そう、ここは現世ならぬ電子の海――」 氷璃の言葉を続けるように生佐目が高らかに宣言する。 「この身は所詮情報に過ぎないならば、この一撃さえフィクションに過ぎないならば。 ――より恐怖劇的な一撃を為す事も可能なれば。 道化なら道化らしく、より滑稽かつクールかつグランギニョールかつ馬鹿馬鹿しい私が推参する!」 高速詠唱を展開した氷璃と歌い上げるように言い切った生佐目がほぼ同時に『漆黒の協奏』を織り成した。 「教授、あんたにとって『敵』とはホームズだけなのかもしれないけどな……」 一時的に数を減じた蜘蛛(バグ)の隙を縫い、デジタルの風景を駆けた風斗がモリアーティを強襲する。 「ここにいるのは、未だ完結していない己の物語の主人公たちばかりだ! 既に終わった――いや、これから終わりを始めるお前の出る幕は無いんだよ!」 破壊神の如き勢いを有する風斗の暴威は枯れ木のような老人に受け止め切れるものでは無い。 渾身の斬撃は斬撃でありながら最早消失の為のエネルギーそのものと称する事さえ相応しい。 炸裂した一閃にノイズが走る。風斗が振り下ろしたデュランダルの先には『その』モリアーティが居ない。 「……大した力だ、少年」 「人が自分に無いモノを求めると言うのなら」 「確かにそれは一つの結論なのだろう」 残るモリアーティ達が攻め手である風斗に照準を定めていた。 「『彼』が武術を修めていたのが結末を分けたというならば――」 「――ったくホームズホームズホームズと……一途なのは大変結構ですがねえ…… ちゃんと『こっち』を見なさい!」 饒舌なる敵をそんな啖呵で遮ったのは風斗の相棒とも言えるうさぎである。当然と言うべきか突出した風斗の背を守るように動いたうさぎは何も言われないでも無茶な少年の事を良く理解している。 「今デートのお相手してんのは愛しの名探偵様じゃねーですよ! そんな事も分からねえってんなら……分からせてやる。 この傍迷惑な大騒ぎが勝敗判定の不満申し立てと自己の証明の為たぁいじましい事ですけど……」 「……成る程、『そう見える』のかね。確かにそう取るのも理屈ではあるが」 「……?」 うさぎは小さくモリアーティが零した言葉に小さく首を傾げた。 しかし、次の瞬間に訪れた攻防にその思考を追い払う。 「因縁、宿命といのは複雑ですよね。 ――でも進む意思があれば成長に繋がり、超える力になると想います。 貴方もそうなのかは分かりませんが……」 青と黒の翼が空を駆けてくる。 立体的に空から降下する事で強襲を仕掛けたのは亘とクラリスのコンビであった。 「自分は頭も回らないし根本的に劣っている。 だが、優れている筈の貴方が方法の選択を誤ったのは――実に残念と言わざるを得ない!」 「クラリス様!」と呼びかけた亘に彼女は華やかに笑った。 まさに華美なるスピードファイターの競演は風斗等に的を絞らせず、戦場を更にかき回している。 「逃がさない。勿論負けない。ここで決着をつけてやるぜ――モリアーティ!」 倫敦派との抗争で死したとも言われる祖父の分も込めた――守夜の迅雷が蜘蛛(バグ)ごと教授に吸い込まれた。 追撃組のリベリスタは流石の精鋭揃いである。 演算室に残ったリベリスタ達の『可能な限りの小細工』も一部は奏功したと言えるだろう。 防衛ラインを構築し、状況の遅延を目論んでいたモリアーティを押し込み、進撃を続けていた。 モリアーティを撃破するに必要なのが『全て』を破壊する事なのか、それとも例えば『核』を破壊する事なのかは現時点でも不明のままだったが―― ともあれ『倫敦の霧』を掻き分けながらリベリスタ達は目的地を目指した。 『三高平市』の各所には戦いの爪痕が残されていた。破壊された蜘蛛(バグ)、或いは改変されたデータの残骸――これは外部支援を行った本部人員の罠や妨害も含まれる――破壊された街並み。その存在は全て擬似的なものに過ぎないが走るリベリスタ達の焦燥を煽るには十分である。 破壊の順路は三高平センタービルを目指していた。 その地下にはアーク本部がある。つまり、モリアーティが掌握せんとする最大の財宝はそこにあるのだ。 駆け抜けたリベリスタ達が大通りに出た。 広場の向こうにはセンタービル、彼等の視線の先にはモリアーティの『本隊』。 その更に向こう側には壊滅寸前に余力を減じた三高平の守備隊の姿が見えた。 「あ……!」 幾度と無く崩壊しかかる戦線を支えてきたカシスの表情が輝く。 「ギャー! ギャギャギャー!」 オークからの追加支援で獰猛さを強化されたリザードマンがモリアーティに襲い掛かった。 何を言っているかは分からないが、何となく分からないでもない。 「あら、こりゃあ……いよいよ倒れてられませんね」 「頃合じゃな」 待ち望んだ援軍の姿を確認すれば疲労困憊の義衛郎の表情も幾ばくか和らいだ。 童女のなりらしからぬ獰猛な笑みを浮かべた瑠琵は攻勢へとその構えを変えていた。 「フッ君!」 「ああ! 良くこれまで粘ってくれた……!」 「何、いつも通りだ」 翔護の声に応えた福松が淡々と頷いたウラジミールに敬礼するかのように片手で帽子を被り直す。 勇猛果敢なる戦いに礼と賛辞を述べた彼は刹那の後、既に神速の連射で敵複数を撃ち抜いている。 お代わりだ、とばかりに更に続いた乱れ撃ちは蜘蛛(バグ)も教授も選ばずに後背から敵を追い詰める。 遂に挟撃の状況を作り上げたリベリスタ陣営は前後左右から包囲を展開し、根深く『三高平』に侵入したモリアーティ(ウィルス)へ集中攻撃を加え始めた。 「私は孤高の魔術師。常に不条理と強大な敵に立ち向かってきた。 例えジェームズ・モリアーティだろうが他のバロックナイツであろうが負けるつもりはないわ!」 リリィの魔術の輝きが幾度目か戦いを加速させる合図になった。 徹底的な駆逐と、闇の増殖。どちらが上回るか。 戦いの最終局面は本当の決着をこれから望もうとしていたのだ。 「本を読んだことは無いので、貴方のことって余り知らないんですよね。 だから、ここで知ろうかと思います。貴方が何を願い、何に喜び、何が嬉しいのか―― 何が苦しくて、痛くて、どんな風に表情を歪めるのか。それを知ってから、貴方を殺します、ね?」 「却って嬉しい位だ、お嬢さん。期待に応えるのは少々疲れる。この期に及べば、是非も無い」 珍粘の奈落剣がモリアーティを引き裂いた。 彼女への言葉を繋いだのは又別の個体である。分裂した蜘蛛(バグ)がその肢体に喰らいつき爆発した。 艶やかなその衣装を傷ませた彼女の柳眉が激しい痛みに曇っている。 壮絶な戦いは続いた。 「防火壁なんて生易しい。侵入者を焼き尽くしてこそファイアウォールでしょ」 ネットワーク上での戦いには一言ある綺沙羅が小さな鼻を鳴らした。 「あんたは長い時間かけてこの作戦進めたつもりだろうけどね。 キサはそれ以上の時間をかけてきたんだよ――智親の知識を技術を得る為に。 誰がおまえなんかにやるものか! 炎の滝壷に落ちろ。『K2』――舐めんな!」 珍しく歳相応に感情を見せた彼女の朱雀は一際熱く激しく世界を焦がした。 されど、そんな彼女をもってしてもモリアーティの殲滅は彼自身の増殖性を相俟って困難を極める事業だった。 消耗戦の中でそれは巨大化する事もあった。その姿を獣のように変化させる事もあった。粘り強いリベリスタの戦いはそれ等手品の全てを超えんとするものであった。 局面を打開したのは―― 「やっと――来るニャ!」 ――張り上げた遊菜の一声だった。 彼女の戦闘力は周りに比して特別高くはない。少なくとも今回の敵を相手取るに十全であるとまでは言えない。しかし、彼女の『発想』は拮抗する戦況を傾けるだけの意味を持っていた。 ――待たせたな、投下するぞ―― 智親の声は自信に満ちている。 ――これが特製の『ホームズ』だ! 外部より出力されたデータの構築体は――智親がホームズと称した対モリアーティ専用の特効薬(ワクチン)である。モリアーティが『概念』と化しているならば、同じ世界に存在するホームズとは同等以上の存在にはなれないだろうという――遊菜のアプローチは外部チームの総力で今形になっていた。 つまり『ホームズ』とは相討ちのプログラムである。 単なる技術に魔術的概念を加えた――モリアーティにだけ通用するある種の呪いだ。 増植性を低下させたモリアーティの眉がピクリと動く。 「繰り返しの演目か。ここはライヘンバッハでは無いというのに!」 荒ぶるその声は慟哭めいている。 彼は最初からホームズを終わらせる者。そして、ホームズと共に終わりを迎える者だった。 「これは――ドラマチックだな」 嘯いた彩音が縮減する蜘蛛(バグ)を破壊した。 「私は私の限界を超える為、と言ったわね。『World Wide “Web”』は出力も可能なのかしら? 電脳世界の住人を現実世界に出せるのなら――貴方はある意味では本物の“教授”だけれど。 ……だとしたら余りにも哀れで、身の程知らずだわ」 教授の正体に『あたり』をつけた氷璃が強かに敵陣を薙ぎ倒す。 「限界を越える、限界を超える、ですがその先に何があるというのでしょう。 死もまた限界なれば、貴方はそれをも超えるのでしょうか――」 僅かな感傷を感じさせる生佐目の刃は言葉と共にモリアーティを切り裂き、 「蜘蛛の巣も、自身も捨て去ろうとするあなたは――きっと最初から負けていた」 彩歌のオルガノンが持てる力の全てを吐き出した。 悉く駆逐されたウィルスの中心に無傷の老人が一人。 身を翻し、逃れんとした彼のその行為そのものが――その存在の意味を告げていた。 「今度は――渡さない!」 「あー!? ずるい!!!」 この瞬間、電脳世界に出現したアシュレイに先んじて――警戒を強めていた恵梨香が駆け出して彼の『手帳』を弾き飛ばした。飛び込んだ彼女はそれを抱えるようにして地面を転がる。 決着は余りに呆気無い。 モリアーティはその武力でバロックナイツだった訳では無いからだ。 彼の戦闘力はセバスチャン・モランに劣る。恐らくはバロックナイツ最弱。 アシュレイにも及ばない彼は、一線級のリベリスタの猛攻を食い止めるだけの能力が無い。 「物語のキャラクターとしてのアンタは、嫌いじゃなかったぜ。 滝も無ければバリツも使えんが勘弁してくれ」 福松が跳んだ。 終焉に照準を合わせたオーバーナイト・ミリオネアが黄金の絶叫でその運命を撃ち抜いた。『何者でも無いモリアーティ』の眉間には穿たれた小穴。0と1に分解され、消失する彼の姿にリベリスタ達は戦いの終わりを確信した。 ●ジェームズ・モリアーティ 倫敦派の戦力は倫敦要塞、アーク・システムの両方から駆逐された。 少なからぬ敵が要塞を脱出し、逃走したが――一部を『ヤード』が捕縛したという情報も流れている。 戦勝に沸く演算室に姿を見せたのはイーゼリットである。少女はその胸に古い手帳を抱いていた。 「ねぇ、海依音さん?」 「……なあに?」 何気無く話しかけてきたイーゼリットに小首を傾げた海依音が応えた。 イーゼリットは海依音の横までやって来て、壁にもたれながら言葉を続けた。 「モリアーティって、何だったと思う?」 問い掛けに海依音は何とも曖昧な顔をした。 何となく――彼女は感じていた。彼は――厳密に言うならば『彼とモランは』人間では無かったのではないか。例えば神(ドイル)の作り上げた――情念の塊(エリューション・フォース)のようなものでは無かったのだろうかと。成る程、フェーズを2までに限定すればエリューション・ビーストがフェイトを獲得する事態は有り得る。より概念的なフォースがフェイトを獲得した例を彼女は知らないが――知らない事と有り得ない事はこの場合イコールしない。 「……どう? ワタシの当てずっぽう」 イーゼリットは、くすくすと笑って推論を口にした海依音を褒めた。 彼女は神秘を探求する者。そういう意味では今日知ったそれはまた素晴らしいものだった。 「でも、惜しいわね。少しだけ――違う。神(ドイル)は何者も望んでは居なかった」 やや芝居かかった少女はそこからは一息に『教授の部屋』で知った手帳の中(しんそう)を口にする。 「モリアーティを生み出したのは、他でもないシャーロキアン。 彼の退場を惜しんだ人。彼はホームズと『同等以上』だと信じた――彼自身の『ファン』だった」 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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