●2/17 「……という訳で俺の誕生日です」 他の誰が言わなくても自分自身でまずそう言う――『戦略司令室長』時村 沙織(nBNE000500)はそれが良い事かどうかは置いておいて、何ともストレスの溜まらなさそうな生き方をしているものである。 「おめでとう。で、それで本題は終わってないんだよな?」 「勿論。お祝いします。俺プレゼンツ、ハッピーバースデー俺」 「……」 「お祝いしてもいいんだぜ?」 「……まぁ、いいや。おめでとう」 アークが日々迎える事件は心の休まる暇を与えないものだ。運命の恩寵厚き戦士達(リベリスタ)の疲労も決して小さなものではない。故に何かと理由をつけてそんな彼等を休ませたがる沙織の言は『穿ってみるならば』気遣いを感じさせなくもないものになるのだが―― 「今年はどうするんだ。去年はパーティしたんだっけ?」 「時村観光の持ってるスキー場がハイシーズンを越えつつある訳。 気まぐれな御曹司が我侭言って貸し切るにはそろそろいい時期? 革醒者のお前さん達が一般に混ざるのは気疲れするだろうし、問題も起きるかも知れない。 まぁ、『リクエスト』もあった事だしね。何より知ってるだろう」 「何がさ」 「ゲレンデは男も女も何割か増しに見せてくれるって話」 ――それも無くはないだろうが『主体』であるかと言えば大いに微妙なのは確かである。 「お前ってそういうヤツだよな」 「そう、俺ってそういうヤツだからね」 確かに一面の銀世界は幻想的ですらある。舞台装置としては格別なのも事実であろう。 「ま、いいけど」 苦笑いするリベリスタを沙織は持ち前の涼やかな顔立ちに笑みを浮かべ軽く受け流した。何事も如才なくこなしてみせる彼は恐らくはスキーにおいても『プロ一歩手前位の腕前』を披露する心算なのであろう。 「何なら、俺教えるし。或いは一緒に滑ろうぜ、女の子なら大歓迎」 「……男は?」 「桃子’sブートキャンプがお待ちです」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:VERY EASY | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2013年03月07日(木)22:50 |
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●2/17 ホテルの高層階、調度良くしつらえられた部屋に荷物を置いて人心地。 埃一つ無い窓の木枠にそっと触れ、厚手のガラス越しに眼窩に広がる光景を眺めた悠月は何処か独白めいて呟いた。 「ある意味、壮観な眺めですね。人の手が行き届いた場所なのに、その人が居ないというのは」 芋を洗うような人混み……という余り嬉しくならない言葉がある意味で『良く似合う』のがハイ・シーズンのスキー場である。 一時のブームも過ぎて久しく、時期としても三月に程々近付いてきた頃。昨今の不況と――何より『社会的不安』の影響もあればその人出は最盛期には到底及ぶまいが、まさに何百何千にも向けられる広々とした雪のキャンバスを百人と少々で『貸し切る』という荒業は今更ながらに今日の招待主がどういう人物であるかを物語る事実になろう。 「時村観光……所有だそうですが。相変わらず『効率』を考えないのは彼らしい。尤も何時もそうなのだから誕生日ならば当然でしょうか?」 「流石は財閥の御曹司……という所か。随分良い部屋を用意して貰ったな」 悠月の言葉に相槌を打った拓真の調子は呆れ半分、感謝半分といった所であろうか。普通に泊まるならば歳若い二人には過ぎた請求が来そうなスイートルームである。当然のように二人で一部屋を宛がわれた『カップル』はあの面白がり――『自分の誕生日を口実にリベリスタ達を大ゲレンデに招待した』時村沙織にとっては『サービス精神』を発揮するに相応しい対象であったと言えるのだろうが―― 「温泉、スキーに……アミューズメント施設か。息抜きには丁度良いのだろうな」 ――切り替えねばと思いながらも拓真の口元には苦笑いが張り付いたままだった。 自他共に認める自罰的な性質はこんな時にも如何なく発揮されている。浮かれて楽しむのは些か難しいリベリスタを取り巻く現況は自分に言い聞かせるように呟く彼の足元に絡みついたまま離れない。「良い機会、なのでしょうね」と応えた悠月が少し曖昧に笑っていた。『遠い太陽の光を唯静かに跳ね返すが如くそこに佇む月の女』はその表情を大きく変える事は少ない。饒舌に『折れてしまいそうな壊れた正義』を饒舌に叱咤するでも無く、器用に慰める訳でも無く唯同じ時間を過ごしていた。 「その室長は……ゲレンデでしょうか?」 「ああ……」 応えた拓真はそんな彼女の有り様に心から安堵し――同時に深く感謝した。 腰掛けたベッドから彼が腰を浮かせると微かに軋んだ音がした。冷たいガラスにそっと触れてゲレンデを眺める悠月を背後から抱きすくめるように身を寄せた拓真は「ん」と小さく声を上げた彼女に倣うように一面の銀世界に視線を落としていた。 そこには『アークの日常』が広がっている。 幻想めいた日常の世界には何時もよりずっと少ない色とりどりのウェアの華が咲いていた。 ●幻想銀世界I 「輝く雪! 弾む息! いやー、すごい! テンション上がる!」 北国生まれのアイドルちゃん――明奈のお墨付きも頷ける。 見渡す限りの雪原のパノラマはリフトに乗っていた時から驚く程のものだった。『貸切』の自由さも手伝えば息を呑む程の風景で、ウィンタースポーツを満喫しようと今日『沙織の誕生日』に乗ったリベリスタ達の期待を大きく膨らめるものになる。 「スキーは結構久しぶりね……別に故郷はコロラドじゃないけど。 ……それにしても、『今日は俺の誕生日です』なんて言った割には投げっぱなしよね。 私達への福利厚生の意味合いもあるんでしょうけど――まあ日ごろの感謝を込めてお祝いは後で言っておきましょうか」 「うんうん、ぶっちゃけ久しぶりにスキーなので滑りたい。マジで。こっちに越してきてから全然だったしなー」 彩歌に応えた明奈は大ハリキリで腕をぶす。単純に体を動かす事が好きなのだ。大ゲレンデには今日この場所を訪れた多くのリベリスタ達が姿を見せている。尤も同じスキーをしに来た人間の内、一定数は虚ろな目で軍隊教育(桃色)に吸い込まれていったのだが、余談として。少なくとものんびりとしたリゾートの休日然とした『このゲレンデ』には休日特有の楽しい雰囲気が流れていた。 「大量の雪! 一面の銀世界! これはあれを作るしかないね! そう、雪だるま。雪だるま作ろう!」 「……うん。うさぎも作る」 はしゃぐ瑞樹に水を向けられたイヴがこくりと頷く。 智親の趣味かやけに可愛いウェアにファーの耳当てをつけたイヴは白い息を吐き出しながらスキーの邪魔にならない『居場所』でテンション高く雪をこね始めた瑞樹の下へと走り寄る。 「じゃあ、上の方を任せていいかな?」 「うん。大きなの作ろう」 同じ歳の二人は突発的に発生した共同作業で雪玉をごろごろと転がし始めていた。 「そう言えば、私には長年の疑問があったのでした」 神妙な顔でイヴが作る雪うさぎを見る、たぬきさん――じゃないうさぎさんが呟いた。 「アシュレイさんですよ、アシュレイさん! どんな格好してるか! 何時も通りの格好だったら勇者過ぎる。魔女なのに勇者過ぎる。仮に神秘パワーで暖を取っているんだとしても勇者過ぎる!」 「人の事を何だと思っているんですか! まったく! ぷんぷん!」 あざとい台詞を吐く三百オーバー(仮)は実にタイムリーに現れた。フォーチュナだからか? 大方の期待を裏切って(?)今日はスキーウェアに身を包むアシュレイはやれやれとばかりに白い溜息を吐き出した。 何時もの魔女の扮装が彼女の趣味なのか、それとも装備的な理由なのかは定かでは無いが……考えてみればアシュレイは時々に応じてこれまでもドレスやワンピースを着る事はあった。相当寒い雪山で水着もかくやな『あの格好』は敢えてはすまい。 「いやぁ、つい……」 しかし三白眼をあらぬ方向に向けながら頬を掻くうさぎにとって先の台詞はひねくれた沙織では無いが『口実』である。 (本当は一緒に滑れたらと思うんですよ。スキー、良いですよね。 アークもバロックナイツも神秘もエリューションも無関係にスキー。こう言うのを一緒できてこそ、友達になった甲斐があるってもんですから) 無表情にも取られがちな『難しい』うさぎの気持ちの中にはある意味で『有り得ないかにも思える未来』を信じたいという希望がある。 「本人が寒くなくても見てるこっちが寒いしね。うん、そっちの方が素敵に見えるかも。普通っぽくて。 いや、そこら辺は最終的には好みの問題かも知れないけど――」 そしてそれは自然に歓談の輪に入ってきた悠里にとっても同じであったかも知れない。 ――トモダチになりたい。 かつてそう言った裏切りの魔女の言葉を額面通りに信じるのは恐らくは愚かである。 しかして『愚かと知っていても』その言葉を受け入れたい者も居るという事だ。 「――女の子は清楚なのが一番だ。例えばそう、多分イタリア出身のフライエンジェのシスターで緑色の癒し系が可憐な……」 「うわああああん! このリア充が特定個人しか見ていないですー! 設楽悠里滅びろ!!! フェイト減れ! 部屋から出されろ!」 ――閑話休題。 「島山都会と何でもありだな室長……地下もあんじゃねぇだろうな……」 「時村さんちは何でもありますねえ。それはそうと、いつもと違った私の姿にドキッとしてもいいのですよ!」 「……いつもそれくらいちゃんと服着れ」 ウィンクをばちんと一つ、愛嬌を振りまいた黎子に一瞬言葉に詰まった火車がぶっきらぼうにそう言った。 他ならぬ沙織の語ったゲレンデの魔力は『名前の付け難い微妙な関係』にも十分効果が及ぶらしく。 (なんか知らんが、スキー場で可愛さ増しなのは否めん……) それをそうと口に出すのは憚られる――ややこしい火車に頭をばりばりと掻かせる程度にはやり難い所はあった。 「まー日々の疲れを思いっきり遊んで吹き飛ばすとしましょう。 ということで……誘っておいてなんですが宮部乃宮さん。スキーの滑り方教えてくださいな!」 「都会っ子め」 「仕方ないじゃないですか! 私の青春時代ときたらちょっとした戦場ドキュメンタリーですよ! つべこべ言わず教えたらいいのですよ」 「シーズンスポーツは確かに人並みに出来るけどよ、滑り方なら……オレよっかプロ級の室長が喜ん……」 火車はそこまで言ってから『沙織に手取り足取りスキーを習う黎子の姿を想像して』言葉を切った。 「……そうだな」 「わぁい! なにしろ一度もやったことがないので。基本的なことからでいいんですよう……沙織さんは周りの方がたまに怖いですし」 「ああ。行くな、あの無慈悲な戦場にお前を送り出したくない」 それはお約束の『複雑な気分』だけが理由では無かった。 SGGK(さおりん・ぐれねーど・ごーるでん・きらー)悠木そあら(他)はペナルティエリアの外からシュートを決めさせない所の話ではなく、ペナルティエリアに近付いた選手をボールもろとも吹き飛ばすレベルである。彼女の不幸は当の沙織が『困った人種』である事なのだが、一般多数にとってある種の火花が散る乙女の戦争現場は眺めている位で丁度いいものである。少なくとも黎子にとっては沙織より『素直で可愛い年下の男の子』の方がずっと重要であるのだし――それはそうと、コレ。SGGKにいちご爆弾と金色の毛並みところすです掛けた絶妙のネーミングだと思いませんか? 「一応地元ではスキーは義務教育だったから。上手いって程じゃないけど私は普通に滑れるわ」 「まぁ、正直に言って俺はスキーは上手くないからな……何とか滑れるって程度か」 「ん、じゃあ同じ位かも知れないね。のんびり初心者用でも滑ろうか。 うん、何時何があるかも分からないし――楽しめる時に楽しんでおかないとね」 複雑怪奇な人間関係がグレー色の青春を醸す火車や黎子のようなカップルもどきも居れば、リフトに並んで座っている時からイチャイチャと――時期柄も手伝って初々しい幸せを満喫する祥子と義弘のような正統派素直に王道な普通のカップルも居る。 組み合わせの妙と言えば、 「雪すごおーい!」 「以前は訓練で良く雪中登山したものだ」 「おっきい雪だるまゴロゴロ!」 「……うむ、辺りは何事も無く息災な様子。何よりだな」 「ハッ! らいじどー様だ! なにやってるんですか? えっソクサイ? くさい?」 ファミリアーの鷹に辺りの様子を探らせる雷慈慟と雪だるまを作るロッテ――中にはこんな訳の分からない取り合わせもある。 「わたし、雪だるま作ってるんですぅ! 誰にも負けない一番大きいの作るのです。 らいじどー様手伝って! やっぱり一人より二人のほうがコウリツがいいのですぅ!」 「雪玉を? 了解した」 「鷹さん、雪玉に丁度いいサイズのを取ってきてくださいね~」 ロッテにとっての目下のライバルはアークのお姫様――イヴを擁する瑞樹のチームになるだろうか。 噛み合わない二人は噛み合わないまま共同作業を始め、やがて大きな雷慈慟の手に興味を持ちぎゅっと握ったロッテに彼は…… ロッテ嬢は確かに発育が良く胸も大層……そう言えば年齢は……器整えば問題は無い筈だな) 例の何時ものしょうもない何て言うか酷く破滅的な一言を繰り出すのである。 「……自分の子を産んではくれないだろうか」 「……って何そのプロポーズはんぱねえ! やだも~らいじどー様のえっち!」 大きくなり始めた雪玉は雷慈慟の顔面で見事に割れた。 ●幻想銀世界II 転んだ明奈が言う。 「ここはイケメンが助けに来てくれる所だけど――室長は駄目!」 色々、駄目。 「ゲレンデ初めて! 前に見た雪景色は、雪玉飛び交う戦場だったしなぁ……」 「まぁ、来ようと思わないと中々見れない風景だしね。こんな非常識な貸切、多分来ようと思っても無理だけど」 感嘆の声を上げたアリステアと並んで雪景色を眺めるのは涼だった。 「……最近何かとお世話をかけている気がして申し訳ないんだけど……」 「気にしないでいいよ。ここで放っておく方が余程アレだし。沙織程教えるのも滑るのも上手くは無いと思うけど、勘弁ね」 「……いいの? 遊びに来たのに、教えても楽しくなくない?」 「そうでもないよ。喜んで――俺で良ければ頼ってね」 冗句めいた涼が軽く笑って恐縮し掛けたアリステアを先回りした。年上の余裕も含め、こんな風にしていれば十分に端正なマスクが生きてくる。女の子にハの字の眉をさせるのは彼の流儀にはそぐわない。スキーはハの字が大事だが、彼がレクチャーするのはスノーボードの方である。 「え、ええっと、こう?」 「そうそう、そんな感じ」 面倒見の良い涼は恐る恐るといった風のアリステアに簡単な『やり方』を教えていく。 幾度かアリステアは転んだが髪や手についた雪は涼が丁寧に払い落とした。「気に障ったらすまん」なんて付け加えるのが如何にも彼らしいと言えば彼らしいとは言えたのだが―― 「こんなもんか?」 「え、ええ?」 「じゃあ、俺は下まで滑るから、ゆっくり降りてきてごらん」 「えええええええ!?」 涼の対応はアリステアに不測の事態が起きた時の為だったが、少女からすれば『一人で降りる』のは試練に感じたらしい。 (だ、大丈夫かなぁ……) ごくりと息を呑み、意を決して斜面に挑んだ彼女が―― 「ご、ごめんなさい。一人で頑張ってみたけど……もうちょっと傍で教えてくれる?」 ――助けに入った涼を下敷きに少し罰が悪そうに言うのはもう少しだけ先の出来事である。 レクチャーと言えば本格的な面々も居た。 「さすが、沙織さんが用意しただけあるな。せっかくだし思いっきり楽しませてもらおう」 そう言ったエルヴィンの今日の楽しみは『可憐な初心者の女の子達』に優しくスキーをレクチャーするというものだった。 都合良くそんなに初心者の女の子達が居るのだろうか、という疑問も今回に限っては全く不都合にはならないのである。何故ならばアークはこの程『雪の無い世界』に長らく生きていたフュリエ達をボトム・チャンネルに迎えたからである。彼女達は『女の子しか居ない種族』なのだからこれはもう彼にとっては張り切るしかない現場である。老いも若きも人型であろうとそうでなかろうと人類だろうとアザーバイドだろうと脅威の守備範囲を持つ彼の前には水道橋多目的ドームでエイトマンを決める聖人も真っ青である。 「エルヴィン兄貴の企画なら乗るしかないぜ。……もっと打ち解けられるといいよな」 アークとフュリエが少し難しい感情と事情をお互いに抱えていたのは周知の事実である。奇しくも訪れた『アークの危機』を切っ掛けに雪解けが進んだのは事実であるが、ユーニアの口にしたのは彼に組織にとってもとても大切な『個人的事情』であった。 「んじゃ、サクっとナンパしていくか」 「でもナンパはちょっと……そゆのは兄貴に任せる」 簡単なスキー&スノーボード教室を始めようと提案したのはエルヴィンで乗ったのはユーニアである。スキー担当はエルヴィンで、スノーボード担当はユーニア。 「折角っすから、うちも混ぜて貰うっすかねー。 ……っても、うち感覚派っすから身体で覚えてしまうしかないっすけど」 ユーニアのサポートに当たるのは「最初は転んでナンボっすよ」と言い切るフラウである。 「まぁ、後々の為にも転び方、シッカリ覚えておくっすよ? うち等は頑丈だからイイっすけど、覚えておいて損は無い筈っすからね」 「そーだよな。まぁ、怪我はしないように見てねーといけねーけど」 フラウに応えたユーニアは不器用で喋るのが得意な方では無いが「じゃあ、任された」と軽く請け負ったエルヴィンの方は水を得た魚のようである。持ち前の人当たりの良さとトークスキルで次々とその辺りに居たリベリスタ達を【パウダースノー】のグループに引き込んでいた。別に選んでいる訳ではないのだが、時節柄も手伝ってその大半が女子であるのはお約束と言えばお約束である。 「これが銀世界……ボトムっていろいろとすごいです」 『スキーなる競技』の存在を聞きつけ、興味津々といった風に呟いたのはリッカである。 「エウリスはボトムに先行しているので、色々と知っているでしょう。教えて下さいね。全力で周知、普及させますので!」 「わ、私もこんな一杯のユキとか初めてだから良く分からないよ!」 気合十分のリッカに、 ――スノボってのはだな、えーと……うーん、どう説明すりゃいいんだ? 兎に角行こうぜ、行けば分かる―― かように下手糞に『ユーニアに誘われた』(※意味深)エウリスが少し困った顔をする。 「雪。冷たくて白いんだね。食べても甘くないのは、ちょっと不思議な感じ。 寒いっていう感覚も新鮮だね。貸してもらった、このもこもこの服も温かいよ」 「ボトムは色々不思議なものが沢山なんだよ」 リリィの言葉にエウリスがうんうんと頷いた。 「エウリスは、もうニホンに慣れたかな? 見るものみんな新鮮で……何時もびっくりしちゃうけど」 「慣れた……かどうかは分からないけど、私もリリィと同じだったよ」 「雪だるまって分かる? フィアキィみたいに羽を付けるの。 本当に、ボトムはいろんな事が楽しい。いろんな事が心に溢れてくるのよ」 だから、守りたい。今度は自分達の手で。 フュリエ同士に伝播するリリィとエウリスの気持ちは全く同じものであった。 「寒いね」 エウリスの呟きは幾度と無く繰り返された『感動の言』である。 「全くね。なんでこんなに着込まなきゃいけないの、って不思議に思ったけれど…… こういうことね……寒い、寒いわ……なんで人間用の耳あてにしちゃったのかしら……! うう、耳が冷える……! はっ、でもこの位は想定の内。こういう反応がいいのかと思ってしてみただけだから、勘違いしないでよね!」 特定の場所で需要が強そうな性格を、ボトムの文化的に昇華させているのは強がりの気があるサタナチア。 「うわぁー! すごーい、一面真っ白! 綺麗ー……だけど寒い! すっごく寒い! 雪って冷たくて寒いんだねー……ぶるぶる……」 下から上まで体を分かりやすく震わせたエフェメラが感動と困惑の入り混じった表情で雪をさくさくと踏んでいる。 「わーっ、リリスちゃん! 見て見て、周囲が雪? ……雪! 真っ白だよ!」 「おー……これが雪なんだ……」 華やいだ雰囲気で思わず笑い、はしゃぐのはルナ。雪を手に取って不思議そうに耳をピクピクと動かすのはリリスであった。 「真っ白で、冷たくて、ふわふわで……いくらふわふわでも、ここで寝たらそのまま起きれなくなりそうだねぇ……」 「此処で眠ったらダメだからね、お姉ちゃんとの約束!」 思わず呟いたリリスにルナが釘を刺す。人、雪原に眠るを永眠と呼ぶ。 二人の外見は大した差が無いが、年齢に直せば四十年近い差がある。リベリスタには珍しい事では無いが、フュリエはそれに輪をかけて見た目が当てにならない所がある。『全員が』見目麗しい年頃の女子という――ある意味『夢のような』種であるからむべなるかな。 「ボク運動神経にはそこそこ自身あるからねー、こんなのお茶の子さいさいだよっ♪ みんなのドキドキは分かるけど……硬くなったってこんなの出来ないんだからさ!」 「さて、せっかくなのでリリスもスキーというのに挑戦だよ!」 「じゃあ、私はユーニアちゃんに教えてもらうね!」 そんな風に意気込んだエフェメラ、リリスやルナに加え、 「まだ分からない事ばかりだから、こうして教室を催してくれるのはとても助かるよ。有難う、今日は宜しくね」 「おー、任せとけ」 『すぐに上達! 簡単スキー・スノボ入門』で予習だけはしてきた――ヘンリエッタの姿もある。 (……やっぱり男って格好良いな。オレも早くあんな風になりたい。何が足りないんだろう。きんにくかな……?) ヘンリエッタの思い描く『男』なる存在の像はさて置いて。 女子よりは随分と厚い胸を張ったエルヴィンは確かに頼りになる兄貴分といった風であった。男女の差が無いフュリエの文化に『兄貴分』は存在しないが、彼の雰囲気はやや不安気な気分を隠せないフュリエ達にとっては好意的に受け入れられているようである。 【パウダースノー】の面々は全力でこの世界に初々しい反応を見せるフュリエの少女達だけでは無い。 「スキースノボ教室か。ちゃんとした講習って受けたことなかったな。なんとなくで滑ってたから助かるぜ」 『形から入る初心者』と自認するフツの格好はスノーボーダーらしくかなりラフなもので何時もとは少し違った雰囲気がある。 「教える方もテキトーってかプロじゃないけどな」 「いやいや、ヨロシク先生! 他の生徒の人たちもヨロシク!」 ユーニアは肩を竦めるが、フツは格好が僧衣であろうと都会系だろうと滲み出る徳には余りに違いが無いようだ。 「以前スキーは教わったので、今度はスノボーの方を教えてもらいたいのですよ!」 「日本は四季が豊かと言いますが、場所が少し違うだけでこれ程の雪があるのでございますね! この雪が二ヶ月もすれば溶けてしまうというのも不思議なものでございます」 「リコルはスキーとかの経験とかもあるかと思っていたんですが、やった事がなかったのですね。ちょっと吃驚しました」 集まりに合流したのはミリィにリコルも同じである。 「スキーの教本は一通り見て参りましたが、まずは転んだ際の受け身の取り方と歩き方でございましょうか? 基本から忠実に学ぶのが上達の一番の近道でございます! 日本のことわざでは急がば回れと言うのでございますよね?」 「そうそう! 私も以前少しだけ教わっただけなのですが、アドバイスできる事はしっかりと…… あ、私はスノーボードを教えて貰うのでした。でも、ほら! 滑れるようになったら、一緒に滑れたら楽しそうですので!」 板を履いてエルヴィンの言う通りに移動しかけて綺麗に転んだリコルの姿にミリィは思わず目を瞑った。 「な、成せば成る! 何事もチャレンジでございます! もう一度!」 「……デ、デモンストレーションよ! 今のは転んだ訳じゃなくて、うぅ……何これ起きられない!?」 実に分かり易いサタナチアを例に取ればバッチリである。 運動能力は基本的に高いリベリスタ達でもかなり特殊な『感覚』を必要とするスキーやスノーボードには悪戦苦闘のよう。 「最初はこうハの字に……そうそう、ちょっとカッコ悪いけど、これが基本だ」 「ぼーげん はのじ わかる」 「そうそう、上手上手!」 見事なへっぴり腰で緩やかな初心者コースに覚束無いシュプールを描くヘンリエッタに盛り上げ上手なエルヴィンが拍手する。 「いえーい! はやいはやーい♪」 「ルナちゃん助けてえええぇぇぇぇぇー……!」 早くもコツを掴み始めたエフェメラの向こうでは加速して止まれなくなったリリスが情けない声を上げている。 「あはは、たのしーい!」 転んでも雪に塗れて笑っている。 同じフュリエでも個性は様々。変化しボトム・チャンネルに到った彼女達は以前よりも人間的に見えた。 「……その、楽しいか?」 「うん。楽しいよ。でも、どうしてこっちを見ないの?」 「いや、今日のオレは色々見ていないといけないから……」 「? ……そっか」 ユーニアとエウリスのやり取りをエルヴィンがにやにやしながら眺めている。 本格的に雪遊びを始めたゲレンデの空気は静から動へとその姿を変えていた。 「雪だー! 楽しい! スキーすっべるー!!!」 騒がしくも面白い(笑)独特の反応で喜びを表現するのは二十歳を迎えても何処までも自由な羽柴壱也その人である。 「わたしスキーはあまりできないので、ハの字でゆっくり、ゆっくり…… す、滑れてる! 天才だぁ! わたしてんさい……」 絶好調の彼女が絶好調で居られたのはその辺りまでだった。 「やっほ~☆ 今日もレジャーたのしんでるぅ?☆」 「放って置いても木にぶつかりそうだけどー? 羽柴ちゃんの華麗なる滑り学ばせてぇーん★」 両サイドからすいーっと近付いてきた不吉の影は言わずと知れた葬識と甚内、☆と★のコンビである。 「こ、コンニチワァ……でも、なんでいるのおおおおおおおお!?」 どうしてか二人に滅茶苦茶愛されている壱也は今日も今日とて彼等の玩具であるらしい。 動悸は早鐘を打ち、注意力は散漫に。スキーはそんな状態で何とかなる程生温いものでは有り得ない! その名もズバリ【羽柴】のタグは彼女のエンディングを今日も約束してくれた。ブレイクしてくれる誰かはここには居ない! 「あ、羽柴ちゃんあぶないよ、具体的にはマイナス十秒位前から」 「うわああああああ前見てなかぶひゃっっ……!? く、苦しい……木にぶつかってどっさり雪がふってきて……息が……いきが……!」 「はっはー! 凄いなーこんなの本当に見たの初めてだわー。漫画みたーい♪」 「たすけてぇぇぇええぇぇぇぇぇぇ……」 笑う甚内、叫ぶ壱也。助かるものも、助からない。 「うむ、毎年盛大なことだ、誕生日はめでたいな」 「俺もうお祝いしといたからね! 出来る男ってのは、そういうマメな気配りも出来るのさ。 大丈夫、今日は心置きなくユーヌたんとちゅっちゅ出来るよ!」 「……まぁ、適当に滑るか」 竜一の放言にユーヌは構わず素っ気無い。 しかして彼女の白い肌には、その頬には寒さだけが理由ではないうっすらとした朱色が浮かび上がっている。 物言いの苛烈さと非常に淡々とした素っ気無さの内側にある『可愛い所』は彼女を良く知る人間ならば当然ではあるのだが。困った恋人の一挙手一投足を遊ばせながら意外と――意外と言っては失礼なのかも知れないが――乙女な彼女なのである。 「伊達にハイバランサーを持ってないよ、俺は。 エッジをきかせる、という言い回しにもあるように、スキーの基本は、重心バランスとスキー板の角度のイメージ。 脳内で下り最速と呼ばれた俺についてこれるやつはいない!」 「勇ましいな? でも、ハイバランサーがあるとバランスを崩す楽しみが少なくなって困るな? よし、今日は邪道に頼らず上級コースに挑戦する事にしよう」 先に滑り始めた竜一にすぐに追いついたユーヌは少し意地悪く言う。 「名乗って数秒で最速返上か?」 「まだまだ!」 再び引き離した竜一が抜かれまいと加速する。 「ゲレンデが溶けるほどの恋をするぜ! ユーヌたんと!」 「……ゲレンデを溶かしたら迷惑だから暖まるのは場所を変えるか」 ご馳走様な二人である。 「なるほどね……にしても快がボード得意だってのもちょっと意外だったわ。 ちょっとイメージと違う感じ。あ、言っておくけど悪い意味じゃないわよ」 教え上手は想像の内だが、スノーボードというファッションめいたスポーツは確かに質実剛健なラガーマンから連想するものでは無い。レナーテが彼氏の得手をスキーの方だと思っていたとしてもそれは不思議な事では無かっただろう。 「まぁ、何となくね。でも、ウェア姿のレナーテってのも新鮮でいいなー。 スキーやってたんならすぐ慣れると思うけど、転んだなら助けるよ。慣れてきたら、もうちょっと上のゲレンデまで行ってみよう!」 爽やかなスポーツマン然とした明朗な言葉の端に若干の煩悩を覗かせる――快に「良く分からないけど」と肩を竦めたレナーテは、 「まあ、親切なコーチもいるのだし何度か転んでるうちに様になってくるでしょう。 上か……そうね。滑り降りれたら楽しいでしょうし、後で行ってみましょうか。 久しぶりに戦う事以外で体動かすと気分が良いわね。来れて良かった気がするわ」 と雪を払いながら体を起こして積極的に練習を続けている。 「エッジを切り替えてターンするってトコはスキーと同じ」 「うん」 「フロントサイドはブーツの脛当てに体重をかける感じで、バックサイドは腰を落として踵に体重をかけるんだ」 「ふむふむ……でも、良かったの?」 「何が?」 冗談めかして問い掛けてきたレナーテに快は不思議そうに首を傾げた。 「ブートキャンプ」 「俺、あの桃の巣から卒業出来たのはレナーテのお陰だと思ってる!」 参考までに桃の巣は卒業出来てもアレからは卒業出来ない快が折角のスイートルーム(相部屋)を酔い潰れてパーにしたのは言うまでも無い余談である。 「何だかこういうのも新鮮ね。私、これが人生初滑りよ」 「むむ、では私が颯爽と素晴らしい滑りを見せましょう」 スキーウェアの糾華にリンシードが薄く小さな胸を張る。 仲の良い二人は今日も今日とて同じ時間を過ごしていた。 (お姉様がバランス崩した所を颯爽と騎士の如く……と思ったのですが……) スキー場で何をするかと言えばやはり滑るのがメインで、ここぞといい格好を見せようとしていたリンシードではあったのだが…… 「あら、こんな風かしら。意外と滑れるものね」 基本的に身のこなしが素晴らしい糾華は彼女の期待(?)とは裏腹に中々上手にコースを滑り落ちていた。 一方のリンシードの方はと言えば…… 「ふ、不覚……」 己が内の邪念が禍したか、糾華に見蕩れて転んでしまったのだから中々どうして上手くいかない。 「あらあら、大丈夫?」 からかうように言った糾華に「やっぱりお姉様素敵……」と溜息を吐くリンシードさん。 しかしてその素敵なおねーさまにはアレがあった。所謂一つの『致命的失敗発生確率(ふぁんぶるち)』。 「ああっ!?」 不意にバランスを崩した糾華が宙を舞う。すっころんだ彼女のウェアは何がどうなったか絶妙に破れ、ちらりと白い肌が覗いている。 「つ、冷たいわ! ひゃああぁ……」 「ああん、やっぱりおねーさますてき……」 極めてえっちなリンシードさんが白い白い溜息を吐き出した。 「リセリアはスキーだとか、スノボの経験は?」 「ありません」 猛に答えたリセリアの言葉は全く端的で全くストレートなものだった。 「……スノーボードもスキーも、興味はありましたけど機会が無かったですね」 リフトから見下ろす大パノラマは実に壮観な眺めであった。 ウェアもスノーボードもリフトも当然初めてである。未経験の世界に興味を向けるリセリアが楽しそうにしているのを見て何となく猛も安堵した。 「俺は二回目位だな。ほぼ初心者……まぁ、滑ってる内に感覚も掴めてくるだろ」 「……ちょっと、先ずは感覚を掴まないと。時村室長とかを見れば参考になりそうですが……」 曰く「ドンパチやるよかは難しくないだろ」という猛にリセリアは小さく笑って「そうですね」とだけ答えを返した。 「競うような相手も居ないし、楽しく滑るとすっかね?」 「まずは練習から」 「ああ、流石に沙織サンレベルは無理だけどな。今日中にもっと上手くなって見せるぜ。そしたらコースな」 そう言って差し出された猛の手を握ったリセリアは少しだけ目を細めていた。 「凛子さんのスキーウェア姿、新鮮で眩しいッスよ」 「……さすがにスキーウェアーまで男物はもっていませんからね」 「普段着ももっと女性物でもいいッスけど」 名前の通り『凛々しい』凛子は普段あまり女性らしい格好をしない。 バイクやライダースーツが似合いそうな長身の美女は専ら白衣でいる事が多く、そう言った『少女のようにも見える』リルとは違った意味でユニセクシャルな魅力を持っていると言えるだろうか。 「さ、いきましょう」 リルを促した凛子には年上ながら感じた気恥ずかしさが見えていた。 二人が滑るコースは通常コース。まったりとした時間はとても良いものである。 「スキーは学生の頃以来ですね……あっ……」 上手に滑るリルを眺めていた凛子がバランスを崩して転び、雪の中に座り込んだ。 「大丈夫ッスか?」 「……ふふっ、恥ずかしい所を見せてしまいましたね」 普段見ない凛子の女性的な――悪戯っぽい表情にリルの心臓が軽く跳ねる。 「スキーをするリルさんは格好良いですね」 手を取り起こした彼女が――頬にキスをすれば尚の事―― 「お、お誕生日おめでとうございます」 緊張をその可憐な顔に乗せ、改まってそう言ったのは雷音だった。 「ああ、ありがと」 黒いウェアを着た沙織は彼らしく自由に今日という日を楽しんでいるようだった。 お祝いを言いに来た人間も当然雷音だけでは無いのだろう。砕けた調子はやはり余裕めいている。 「沙織! 誕生日おめでとうでござるよ! 今日は雷音とデートでござる! ウキウキでござるし!」 「ウキウキはいいから、もうちょいお前何とかなれよ」 「こら、室長の前でくらいおとなしく! ステイ!」 雷音の傍らには『どちらが保護者か分からない』彼の義父――虎鐵の姿もあった。 養女と過ごす時間をデートと呼ぶ彼の倫理観に深い追求をする事は辞めにして。 「スキーは初めてなのですこしおしえていただけませんか?」 そんな風に請うた雷音に「そう?」と沙織は簡単な世話を焼き始めた。 しかして捨て目の利く彼の事である。虎鐵が「ござぁ……」と拗ね始めたのを見るや、雷音の肩をポンと叩き軽く目配せで合図をしてやる。雷音はと言えば困った義父に「仕方ないなぁ」という顔を見せ、 「ありがとうございます。た、楽しんできますっ!」 沙織にペコリと一礼をして孤独なソリ遊びに興じる彼の下へと滑っていく。 「ハの字に足をむかわせて……うむ、できるぞ! できるのだ! ほら、虎鐵! 何時まで拗ねているのだ! 上級コースはまだ遠いのだぞ!」 「大丈夫でござる! 雷音ならきっとできるでござるよ!」 現金に元気を取り戻した虎鐵はだが――知っている。気丈に笑顔を見せる愛娘がどれ程に傷付いているかを。 本当は誰と言わず『彼女』とも――ここに来たかったのであろうという事も。 道化を演じる心優しい父親は不意に涙ぐんだ少女を知らない振りして抱きしめた。 「く、苦しいのだ。何を突然、発作か!?」 「拙者は雷音が大好きなのでござるよ」 その言葉の意味は「悲しい時は泣いてもいいと思うのでござる」。語れば語るに落ちるけれど。 「――出来る男は気が利くものなのね」 「まぁね。敵を作る生き方は味方も多くいなくちゃいけない。惚れ直してもいいよ?」 「ふふ。お生憎様、私はとっくに『品切れ』なの。それに言う程、悪ぶれてないわよ。お誕生日おめでとう、室長」 その瞳の色と同じように鮮やかな――青と白のスキーウェアがすらりとした肢体に良く似合う。 声の主に視線をやった沙織が目を細めたのは燦々とした太陽の光を跳ね返す真白い雪だけが理由で無い筈だ。 「まさか本当にゲレンデにしてくれるなんて……おねだりした甲斐があったわ。 誕生日プレゼント代わりにこう――四季折々の、少しはサービスになるかしら?」 冗句めいて華やかなミュゼーヌが少しだけ気恥ずかしそうにくるりとターンを決めて見せれば黒いウェアがやたらに馴染む沙織は「うんうん、いいね。歳食った分は若返った気分」と同じく冗談で答え軽く二、三度拍手を打つ。 「『この足』になってからはスキーからは離れていたけれど、彩花さんにお願いして私でも履ける専用のスキーを用意して貰ったのよ」 「子供の頃には得意だったから。どうぞこちらはお気遣い無く」と目配せをした彼女の傍らには――凛と澄ました青とコントラストを作り出す鮮やかな赤系のウェアを身に纏った『話題の主』の姿があった。 「まずはお誕生日おめでとうございます。 歳も歳になればあまり嬉しくないものかもしれませんけれど。 まあ祝辞というものは必ずしも相手に喜ばれるものではありませんから」 「もにもにもここに居ますよ。無かった事にはさせへんでー」 ――至極淡々と祝辞を述べた彩花と『そんな心算は無いってば』なモニカの組み合わせも『赤と青』に同じく、実に見慣れた組み合わせの光景である。 「可愛いじゃん?」 「……不本意ですが本日はスキーウェアです。メイド服で滑ろうとしたら軽く死にそうになりましたから」 外見はいい所少女、その御歳は沙織より二つ上。三高平のリベリスタには珍しい事では無いが、抜けるように白い肌に銀髪銀目の『メイドの妖精さん』は今日はそのアイデンティティーにしてトレードマークたるメイド服を白いスキーウェアに変えていた。黒神父曰く『雪のようなシニョリーナ』も歳食った――失敬。女の子の多くの例に漏れず冷え性ばかりはどうにもならないものらしい。ウェアの中に幾つも装備した貼るタイプのインスタントカイロが本日の生命線なのは否めまい。 「お祝いの代わりという訳ではありませんが――」 以心伝心、人生の大半を共に過ごしていれば『呟いた叔母』の本音が分かるのか軽く苦笑した彩花が切り出した。 「――テニスの時の事もありますしよろしければ今回はスキーで対決といきませんか? 無論、敗者は勝者の要求を呑む事になりますけれど――私が負ければデートでも何でも喜んでお付き合い致しますよ?」 彩花の提案は『(専ら頼りにならないダブルスパートナーの所為で)テニスで一敗地に塗れた』意趣を返さんと実に負けず嫌いな彼女らしいものであった。 「デートでも『何でも』?」 「……ぁ」 しかし、鉄壁の鋼鉄令嬢も百戦錬磨の遊び人(35)の前にはまだまだ甘い所がある。 言葉の後半にアクセントを置いた『親切』な沙織に己の『失言』を理解した彩花は一瞬だけ素の反応を見せはしたが―― 「室長は『案外無害な人』ですから、私の意に沿わない下手なエスコートはなさらないものと『信じて』いますので」 ――そこはそれ、持ち前の頭の回転の速さで如才無く切り返す辺りは『社交慣れ』の見事と言えるだろうか。 とは言え少なくとも今のは肩を竦めた沙織の方が想定通りに『言わせた』台詞に違いない。 (彩花さんのこういうシーンって新鮮だから、最近少し楽しくて――でも避け方が上手すぎるのが『重傷』かしら) (色んな意味で凍えますねぇ) ギャラリー二人の内心はそれぞれであったがさて置いて。 「では私はランダムな妨害役を務めます。もにもに必殺の雪玉投げをくらえー」 スキー対決に『妨害役』なる存在が一般的かどうかもさて置いて。 「私が勝った場合は、そうですね……あ、浮かびました! 一日メガネ禁止令です! 今日一日裸眼で過ごして下さい。コンタクトも駄目ですよ? え、スキーゴーグル? 駄目に決まっているじゃあないですか!」 ウキウキと楽しそうに提案する彩花はこれはもう年相応である。 「いいよ、俺負けないし。それに眼鏡な、実はあんまり度が入ってないの」 「……では何故掛けているの?」 思わず問い返すミュゼーヌ。 「その方が頭良さそうって言われて女の子にモテたから」 今度は完全に呆れに緩んだ空気を咳払い一つで追い払い、どちらからともなく「始めるか」とゴーグルを掛け直す。 ストックが雪に小気味良い音を残せば、大ゲレンデに美しいシュプールが二対描かれた。 長い黒髪が風に靡く。スタイル良く均整の取れた二人の姿勢は抜群でスピードに乗る姿はまさに『絵になる』と言えるだろう。 成る程、ゲレンデの男女は何割増しか、だ。二人がカップルであるかどうかは、別にして。 ●※雪山を舐めてはいけません※ 「ふおおお、めっさ寒いよ! 旧日本軍の雪中行軍より過酷だよ! 騙されたよ! エロ眼鏡に騙されたよ!? てゆかなに、あの鬼教官のサディスティックな笑顔! この先生きのこるには、下克上しかないです! 勝負よ! ツインズワロス……、じゃなくて、桃子!」 本日ここまでのあらすじを台詞だけで説明して下さるような親切な舞姫の言葉が状況の苛烈さを物語っていた。 「男は桃子にでも習えば?」(意訳)といういい加減な沙織の言葉を信じ――というか、ブラックホールに引き寄せられるようにこの超上級者コース(特設)に案内されたリベリスタは二十名近くに及ぶものであった。 「大丈夫ですよ! ももこさんに掛かればド素人も一日でスイスの特殊山岳部隊に魔改造なのですよ! ……たら」 「今! 言ったよね!? 『生きてたら』とか言ったよね!?」 地雷を進んで踏み抜く舞姫をやはり温かく見守らざるを得ない終は教官・桃子の漏らした一言を決して聞き逃す事は無かった。 上級コースにブートキャンプでやって来て雪だるまを作り始めた彼はある種の現実逃避をしていたのかも知れない。桃子とて滑る気が無い人間を無理矢理参加させる事は無いのだが、ラヴ&ピースを訴えても力無き主張は暗闇の世を救うには到らないのであった(悲痛)。 「ええと、まず重要な事は雪山を舐めてはいけないという事です」 桃子は言うが、そんな事はこのリフトはおろか道さえも定かでは無い高峰を登るに到ってとうの昔に知れていた。 「特に初心者が簡単に上級コースに挑むと、途中で助けたこの蜜帆さんのように雪に埋まって大変危険なので注意しましょう」 「リベリスタだからスキー程度に苦戦するなんて身体能力的に有り得ない!」と主張なさった蜜帆はゲレンデでこぶのついた上級コースにトライし、見事に撃沈していたが彼女にとっての不幸はついででここに連れてこられた事だろう。そして…… 「こ、この位平気よ。さっきだって私はまだまだ……!」 ……どうしてもボロボロでも強がらずには居られない生まれついた性格の問題だった。 「ええと、兎に角ここまでの講習で皆さんは一騎当千の古強者に肩を並べるに到ったと確信しています。なので実技しましょう」 ここまでに桃子から与えられたレクチャーに実技指導は存在していない。 話ではリベリスタ用にセッティングされた上級コースが舞台という話ではあったが、彼女が誘ったのは露骨に唯の山であった。 開けた視界は心地良く一面のパノラマは絶景をリベリスタ達に提供してくれている。しかして桃子が「どうぞ!」と指差したのは斜度およそ七十度程の斜面と呼ぶのもおこがましい『縦』である。 「あー、普通に滑れない所を滑るから面白いんですよね!」 何か大事なものが麻痺してしまっているかのような桐の明るい声を他所に周囲が絶望の気配に満ちていく。 崖からアイキャンフライする事を一般的にスキーとは呼ばない。さりとてニコニコ笑う桃子はそれがスキーの心算であるらしい。 一般人ならば泣いて拒否するであろうこのシーンも悲しいかな、彼等はリベリスタであった。 「……己を知り己を鍛え己を高めれば、百戦危うからず。力が欲しい。そう、俺は力が欲しいのだ!」 呟いた鷲祐が絶対的な正義とするのは『スピード』だ。 何時如何なる時でも自身が誰かの後塵を踏む事は許されるものではない――その断固としたメンタリティが一分も揺らがぬ彼は吠えた。 「……かの名作ボクシング映画にあやかり……雪上疾走特訓を為すッ!」 飛び出した。七十度の斜面に勢い良く、当然滑るではなく『落下』していく彼がドップラー効果と共に白い世界に消えていく。 「……」 「……………」 降りる沈黙。 「……はい、ももこさんは言いました。雪山を舐めてはいけません。こういう『洒落』を本気にしない機転も重要ですね!」 嘘、大袈裟、紛らわしい時は何処ぞの相談しなくてはいけないではないか。 「ついでにそのまま下山して下さい。スキーは転んで覚えるものなので、飛ぶとかそういうズルはなしですよ」 「一般人も使うコースって聞いていたのだけどね。まぁ、いいわ。挑ませて貰いましょう。死ぬ事は無いでしょう、多分。きっと」 詐欺等という表現では物足りぬ酷ぇ現実に、しかし溜息を吐いたさざみは退く心算は無いらしい。 「一手間違えただけで、失敗は必定。ふふ、戦闘の時みたいで燃えるわね。果たして何人この震える山から帰れるかしら?」 『洒落』(※犠牲者・『手を伸ばして届かないものなどない。それが、今の俺の原動力(SIVA(25))』)の代わりにももこが指し示したほぼ崖第二弾は斜度六十五度はあろうかという未整備コースである。大して変わってねぇ。何れにしても一般人ならば自殺もののこのコース(?)にリベリスタ達はごくりと生唾を飲み込んだ。しかし、怯えぬからリベリスタ。竦まぬからリベリスタ。省みぬからこそのリベリスタなのである。 「フ、上級者コースでの戦いか。相手に取って不足はない」 「HAHAHAHAHAHAHA! こいよ雪山! 雪なんて捨てて掛かって来い!」 何故かこんな時にも燃え上がる炎のような情熱を隠さない――スキー初心者の優希が根拠の無い自信を見せる一方で、何処と無くアメリカナイズされた笑い方がコマンドーな喜平の方はもう全力でヤケクソという気分が隠せない所がある。 「ふっ……桃子さんお勧めのコース……燃えてきたわ! このアタシが楽勝にクリアし、桃子さんの一番弟子はアタシという事を思い知らせてやるわ! え、ちょ……飛んじゃ駄目? え、え、アタシの羽はえ? 飾りなの!?」 『天使の羽』がある限り余裕をぶっこいていた久嶺の表情が蒼褪めた。 「いや、いやよ。こんなお姉様も居ない雪山で春まで冬眠なんて真っ平御免、でも逃げる訳にはいかないし……」 それは葛藤。 「何と! 見ててね桃子様! 私の大回転をご覧あれ~! ついでにほら、覚えたての怪盗でさおりんになってコケても笑いが取れるって寸法ですよ、桃子様!」 エーデルワイスは何故か沙織に妙な対抗意識を燃やしている。後、桃子とか崇めている。 久嶺といいエーデルワイスといい、 「さあ、ブートキャンプに参加でワンモアセッ! 桃子様、桃子様。この『海兵隊式罵倒集』でクソ未満の新兵風情を罵って下さい、お願いします!」 「お願いすれば叶えて貰えると思ってんのか、この勘違い似非クール中二野郎が! 老け顔テニスでもしてろ!」 「清々しい位に資料にありませんね! だが、それがいい! うおおおおお! 漲ってきた! 日本最強の虎ジジイ! 次に会ったら絶対ブッ飛ばしてやる!」 ……この影継とかといい何か溢れ出るダークカリスマが案外ガチで機能しているのがこの集まりの怖い所である。 「やぁ、そこのプリティーレディ。俺と一緒に踊らない?」 「お前が諸悪の根源かエロ眼鏡!!!」 「ぐえぇぇぇえええ……」 くねくねと身をくねらせて妙なポーズで『さおりん』したエーデルワイスを目が据わった舞姫が締め上げた。 「ここに来れば桃子・エインズワーズのEX腹パンが覚えれると聞いた! 貴様のその腕はどうなってるんだ! 僕も使えるようになるのか? よし!来い! 構えて腹パンに耐えて盗みとってや――げふっ!?」 体をくの字に折る天才・陸駆(IQ53万・理屈じゃない)。 本題もそれ以外も老いも若きも滅茶苦茶である。 熱狂(フィーバー)は正常な判断力を失わせる。 換気の悪い熱っぽい空間で実演販売が上手くいく――そんな効果を芯から冷えるような眠くなるレヴェルの寒さが担当している。 よせばいいのに、どうも戦意の高い人間が多すぎた! 「さ、サーイエッサーッ! 己を鍛え直す為だ! この位で怯めるか! 地雷原を滑り抜けようとも、セバスチャンと素手で格闘しようとも、必ず生き延びてみせる!」 「はいはい! 元気が良いですね、ももこさんはなまるあげちゃいますよ!」 叫ぶツァインは思う所があるのだろう。これは情熱を注いではいけないイヴェントな気もせんではないのだが。 ――ブートキャンプと云えばビデオなのですビデオ! 桃子さん、訓練の様子を撮って解説付けるだけで大儲けなのだわ! サクッと売り捌いて美味しい物でも食べませう! (どうしよう、とっても三百六十五度桃子さんで編集し切れないのだわ><。) 軽い気持ちで撮影クルーになったエナーシアは状況の苛烈さにR指定を覚悟しつつあった。 自分はスキーの特訓を取りに来た筈なのに、極めてまずいシーンを撮影する羽目になっている。『一般人』である事を自称する彼女が本当に『一般人』かどうかはさて置いて、結構色々長らくと荒事とも向き合ってきた彼女だからヤバさは何か凄く分かった。 「第百三十二回! チキチキ☆ベネ研エクストリーム雪だるま大会ー! どんどんぱふぱふ♪ この極限状況で、一番ビッグな雪だるまを作った人が優勝です! ふふん、見せてあげましょう! 女子力=物攻ということを!」 「ああ、舞りゅんが! 舞りゅーん!?」 恐怖に耐えかねたか、寒さにどっかおかしくなったか、それとも直近のバレンタインが心を狂わせたのか。 良く分からないが舞姫が果敢にコースにチャレンジし、ごろごろと雪だるまになって転がり落ちていく(実演)。 「生まれも育ちもシベリア・タイガ、アムール川で産湯をつかい、姓はパブロヴァ名はベルカ! 人呼んで……呼び名とかは特に無かった。まあいいや。そんなシベリアンハスキーの私だから、スキーなどはお手の物! いやさ必須の手段である! なればこそ挑まねばならぬのだ、この試練に。ブートキャンプに! 同志桃子のしごきを耐え抜いてこそ――モブチュナは雪だるまになる未来を教えてくれたけどだからこそ覆す!」 そんな風景にも悲しいかなベルカの闘志は萎えていない。 「上級コース(笑) この二本の板切れと細い棒で滑降しろってんだろ? 超余裕だし、足とか震えてないし、武者震い的なアレだしぃ。 だからちげぇしぃこわくねぇしーこんなんざーっとすべっていけばいいんだろー ほらいくぞーいまいくぞーあとじゅーかぞえたらいくぞー……おすなよ! ぜったいおすなよ! じゅーきゅーはちー……」 喜平の姿が絶望の斜面を転がり落ちていく! 「しつちょおおおおおお――おめでとうぅぅぅぅぅございまぁぁあぁぁぁすぅぅぅぅ――!」 レンズ越しに光景を見つめていたエナーシアが呟く。 「桃子さん、桃子さん」 「何ですか!」 「私は今、スキーの教習ビデオを撮っていたら週刊サスペンス劇場のワンシーンみたいなものを見てしまったやうな……」 「押して下さいって言うんですもの」 「余が雪原の大魔王グランヘイトである。大魔王たるものウィンタースポーツ等造作も無い。 久しいな、魔王桃子よ。貴様にこのカルネアデスの舟板を下賜する。この愚昧なる人間どもに恐怖と絶望と悲しみを与えるが良い。 うむ、その調子で良いぞ。お前の邪悪はこの大魔王の心すら震わせるものがある!」 「……久しいな、大魔王グランヘイト陛下! 突然出たな、大魔王グランヘイト陛下!」 「言葉の使い方が心なしかおかしいような気がするのだが……大魔王は些事には構わぬぞ」 「あ、大魔王様。あんな所にUFOが」 「何、未確認飛行物体だと? 猪口才な我の上を飛ぶとは……はぁああああああああああああ!?」 人間も大魔王も等しく雪山を転がり落ちていく。 (これは、証拠……? でも、桃子さんを売る訳にはいかないのだわ!) 「んじゃ、レッツゴー! ひゃっほぅー!」 「さすが上沢軍曹殿……このコースを物ともせずに……!」 「続くしかないな、俺も!」 感嘆したツァイン、優希、降っていく翔太……【挑戦者達】の今日のノリは良く分からん軍人ものである。 「先端がつんのめっても問題なっ、うぉっ……ぐあああああああああああああ!?」 大車輪の如く雪山を円を描いて滑走し気付いたら雪だるま状態で斜面を下りる――もう何処へ滑っていくのか終着点は何処なのか自身にも分からない――優希の姿は見なかった事にして! 「ほら、滑れてる人も居ますよ! 皆勇気を持ってトライですよ!」 リベリスタの抜群の身体能力とプロレベルの技術の融合で酷い無茶振りを華麗に乗り越えんとする翔太を指差して桃子が大きな声を上げた。そんな超例外的存在をデフォルトのように言われても困るというのは明白だが、桃子は恐らく本企画に多分殆ど頭を使っていない。 「見ていてくれ桃子様……ってああっ、全然興味ない路傍の石を見るような目をしている!?」 慟哭する影継。 「アカン……CVにあんなに可愛い声を当てて貰ったヒロインが絶対しちゃいけない目つきだ……」 「うわぁ、すごい、ここ……ホントに滑るの!? あれ、ぶつかると痛そう……」 流石に常識人枠のニニギアが眉を顰めた。 そんな彼女の肩を優しく抱く男の影が一つ。 「大丈夫。俺がついてるからな。どうしても無理ならやめりゃいいしよ」 赤いウェアを着たランディはかなり自信があるらしく、その言は『桃子と戦う事も厭わない』という男気に満ちていた。 「うん、大丈夫。皆の怪我を治さないといけないしね。……でも、ありがと」 じっと自身を見つめるニニギアにランディは視線を明後日に向けて少し罰の悪そうな顔をした。 「一つ、ストックの使い方でも見せてやるか」 照れ隠しも半分にそんな風に言ったランディの肩を桃子がポンポンと叩いた。 「あん?」 「ランディさん自信があるみたいなので別のコースどうですか?」 桃子が指し示したのは斜度百二十度、つまりマイナス三十度の今度こそ正真正銘の崖であった。 「行っちゃ駄目よ! ランディ!」 「行かねぇよ!」 律儀にボケるニニギアと突っ込むランディ。 「つーか、お前は滑らないのかよ!」 「滑りますよ、普通のコースで」 最悪だ。 「……せめて自殺教唆とかやめていただけませんかね!」 「所謂一つのリア充滅びろってヤツです。えなちゃん、えなちゃん。 ビデオは教材辞めてギャグ映画か何かにしましょう。ギャグですとか言っておけばほら、結構何とかなりますし。 そうだ! そんな事より、今回の旅行の経費を一部ちょろまかしておいたので一緒に熱海行きましょうです。温泉!」 「もう、何が何だか分からないのです><。」 「いやぁ、思いっきり遊ぶのは楽しいですね。ブートキャンプって言うだけあって上達もしそうですし」 桐は何故か一人ほのぼのとこの時間を楽しんでいる…… ●パーティ! 「あ、こんな所で。奇遇ですね。パーティの主役なんですから会場に行かないと駄目ですよ」 共に遊びに来た兄は誰ぞの面倒を見ると言ってゲレンデの方へ遊びに行ってしまった。 外に出るのも嫌いではないが何となくゆっくりしたくなった黒レイチェルは浴衣を着てホテル内をぶらぶらするという『贅沢にして暇な時間』を過ごしていたのだが――そんな彼女が今日の主役と顔を合わせたのは全く偶然の出来事だった。 「いや、まぁ……これからね。結構しっかり滑ってきたから一休みって訳。明日は筋肉痛かもね」 まだ『すぐに筋肉痛が出る』と主張する辺り本日付で三十五の沙織も色々大変ではあるのだろう。 そんなどうでもいい事を考えたレイチェルは彼の顔をじっと見て、ある事に気が付いた。 「……そんなにいい男?」 「いえ、眼鏡――かけていないんですね」 素面で臆面も無く言う沙織も、一言で否定したレイチェルも互いに剛の者である。 自分の顔に手で触れた沙織は「ああ」と頷いて彼女の疑問に軽く答えた。 「賭けをしたのよ。俺が勝ったら――は兎も角、負けたら一日眼鏡を外せとさ」 「おや、珍しい。沙織さんが負けたんですか?」 「いいや、写真判定が要るレベルの僅差勝負。 リベリスタの動体視力でも分からなかったから、取り敢えず引き分けで両方遂行という事に」 かのお嬢様は鉄壁鉄板だが、元々『一ミリも満更でもない相手』にはそういうネタを振らないタイプという事であろうか。 「成る程。ああ、素敵な所をありがとうございます。のんびり楽しませていただいていますよ」 「お前は一人なの? あのアイツがしっかりしてないからお前が以下略な兄はどうしたの?」 「……私がひとりで居るのって、そんなに珍しいですか? あのひとはまぁ、どこかでナンパでもしてるんじゃないでしょうか。 私も、出来るだけ兄離れしたいとは、思ってるんですけどね……なかなか難しいです」 思わず苦笑したレイチェルは自分のブラコンを十分に認めていたりはする。 「へぇ。じゃー、開いてるんだ。何なら俺とちょっと時間潰す?」 「……いいんですか?」 レイチェルは手持ち無沙汰の時間と誘いを天秤にかけ、瞬時に『論理的回答』を打ち出した。 否定ではなく問い返した時点で結論は大体見えている。「勿論」と笑った沙織の顔を見て彼女は何となく考えた。 (ああ、兄さんも同じようなものなんだな――) 兄はモテるのか、と思ったらレイチェルはやっぱり少しつまらなかった。可愛いよ、可愛いよ!!! 「おー、今日の主役がいらっしゃいましたねー」 主役の登場を待たずに『出来上がっている』嶺がワインの瓶を片手に声を上げた。 「ところで司令。室長が生まれた日ってどんな日だったのですか?」 「寒い日だったよ。雪の降る、凍えるような夜だった。だから十七日は大抵寒くなると思っている」 主役そっちのけに傍らでグラスを開ける貴樹に水を向けた嶺は小さく「ふむふむ」と頷いていた。 沙織が来るなり――と言うよりは来る前から、パーティはすっかり空気が温められた状態になっていた。 「お誕生日おめでとうございます。アークを作ってくれてありがとうございます。これからも宜しくお願いしますね!」 「はいはい、どうも。こちらこそ」 頭をぺこりと下げてパステルカラーのラッピングを差し出したセラフィーナに少し相好を崩した沙織が笑う。 甘いバニラ・ビーンズの香る包みは中身がお菓子である事をすぐに教えてくれるものだ。 赤いリボンを目の前で解いて見せれば中には動物を象った彼女の自信作――クッキーが可愛い姿を覗かせた。 「ん、美味そう。じゃあプレゼントついでに食べさせて」 「……!?」 一瞬驚いた顔を見せたセラフィーナの頭をポンと撫でる。 「沙織君はアラフォーおめでとうさん。早く身を固めて司令を安心させてやると良いぜ」 「独り者に言われたくないね」 「プレゼントは物をやるより『でこっぱちの撃退』のがいいだろうからな」 「早いトコ頼む。胃が痛い」 烏の祝辞に沙織が肩を竦める。 「祝いに来たぞ沙織。おめでとう」 「ありがとな」 「妾の方は見ての通り満喫中だ。おぬしの事はあまり知らぬし、食えぬやつだと思っているが趣味は悪くないな。 アークを作った事も感謝しているし、その点については信頼しておるよ」 「……ま、日本的に言うなら『親の敵討ち』ってのは大事って事だ。ま、うちの場合は本人もファイティングポーズ取ってるけどね」 シェリーの軽口に軽口で応えた沙織の下にはやはり多くの人間が集まっていた。 「ささやかですが、これプレゼントです!」 長い三つ編みを揺らしながら駆け寄ってきたフュリエ――チャノの姿に沙織はやはり嬉しそうである。 彼女が用意した小さな招霊木のポプリはお守り代わりにと心を込めて手作りされたものである。 「沙織さん、お誕生日おめでとうございます。 それに、私たちを受け入れ、こちらでの生活のサポートもしていただいて、本当にありがとう。 アークのために、力になれるよう、これからがんばっていきますね!」 「何でも言ってね。助けちゃうから」 「はい!」と元気良く返事をするチャノは素直そのものといった風である。 「流石、とっきー。相変わらずの手の早さとぶるじょあだな。かにこうせんだな。ただめしを貰うお礼にお祝いをしてやらう」 「蟹工船はプロレタリアだろ」 「細かい事はいいから、白髪染めをプレゼントしよう。それともあれか、小生がちゅーしてやろうか。 今の小生は、みため十九歳。ぴちぴちであだるてーな魅惑ぼでーだぞ」 「お前、怖い事言うよなぁ」 「まぁ、冗談だけど。小生が好きになったヤツは大抵死ぬし、ちゅーしたヤツは致死率百パーセントだからな」 「分かってるから言ったんだよ」 「誕生日おめでとう、室長。 今日は室長の誕生日を記念してアーク社員食堂の女性従業員全面協力の下、イチゴショートケーキを作ってみたぞ。 このチョイスは自称専属秘書と食うことを考え……つまりはそういう事で…… そうそう、ラ・ル・カーナ系の料理を食堂に追加してみたいと思ってるんだが、どう思う?」 どうもこの達哉はそあらさんをプッシュしている所がある。 「ありがと。まぁ、ケーキは後で気配殺してるそあらとでもゆっくり食うとして……メニューはいいんじゃねの?」 パーティ――体のいい宴会の機会を得た会場はすっかり歓談やら酒盛りやらに盛り上がっていた。 「御機嫌よう、時村室長。誕生日おめでとう。礼儀作法は余り知らなくて、悪いけど」 「気にしなくてもいいよ。美人がお祝いしてくれたらそれで百点」 着物姿で顔を出した霧音に沙織は軽快そのものに返事をする。 「ま、先日からアークに所属させて貰った訳だけど なんて言うか……面白い組織ね、此処。入ってからまだ一月も経ってないけれど。ええ、飽きないわ」 「そりゃ良かった。是非、『末永く』宜しくね」 「そうね。来年はスキーでも教えて頂戴。私が貴方の御眼鏡に適うなら」 「As you like it」 今回の集まりは名目上は沙織の誕生日を祝うものだが、かの御曹司は案外そういう照れ臭いのが得意ではない。極めてフォーマルな生まれにありながら、性格はカジュアル――良く言えば親しみ易く、悪く言えばいい加減な男であるから騒げればそれでいいという所が強いのだ。結婚式でも出来そうな会場には実に豪勢な料理やら、いい酒やらが溢れている。 そして、結婚と言えば必死なのが一人。 「室長におかれましては誕生日おめでとうございます! ところで貴樹さん! 結婚の! 御予定は! ありませんか!?」 「嫁に先立たれてからはな。特にそういう話も無くてな」 そういう話があってもしそうにない辺りは時村の男であるが、海依音に応える貴樹の様は実に如才無いものである。 「沙織君! 貴方はお母さんを必要とかしていませんか!?」 「母親に憧れる歳でもねぇし、仮にそうであったとしてもお前は嫌だ」 「馬鹿な!」 「沙織、引っ張りだこだと思うので、コレ食べて体力回復させておくんデスよ!」 「彼女ならいいとでも!?」 「……?」 海依音が指差したのは貴樹の周りに居て彼の世話を焼いたり、彼と遊んだりする事が多いシュエシアである。 彼女はと言えば貴樹の肩叩きをすると張り切って――流石に相部屋は沙織が止めたのだが――何と言うか祖父と孫にしか見えないのだが。氷砂糖を沙織に差し入れた本人としてはやぶからぼうに向けられた水に小首を傾げるばかりである。 「そう言えば、こないだのチョコ食べました? どうでした?」 「うん、上手く出来ていたな。偉い偉い」 こういう時、嫌気が差すほど貴樹と沙織は『そっくり』である。 「三十五になって十八の母親候補とかなぁ、おい……」 「照れるのデス♪」 「無理なら! 無理なら月収二十万GPくらいのいい! 男子は! いませんか! この際歳の差なんて誤差です! 婚活! 必死なんです! アラサーですから! 海依音ちゃん見た目だけは美少女なのに! なぜか! 男が近づいてこないんです! 凪のプリンスもターゲットです! 沙織君もプリンスをパーティに呼んでくださいよ! おねがいします!」 「そうだなぁ」 沙織は思案顔をした後に意地悪く言う。 「御厨夏栖斗ってヤツ稼ぎがいいよ。見込みもある。彼女おっかねぇけどな」 「僕かよ!? やめてよ、巻き込まないでよ!」 ドリンクを持ってお祝いを言いに来た夏栖斗が悲鳴めいた声を上げた。 ちなみに男が寄り付かないと嘆く海依音たんみたいなのがくろくてはねのはえたむがいなねこたんは好きなんだけど、くろくてはねのはえたむがいなねこたんが喜ぶ時点で恐らく世の中のスタンダードなストライクゾーンからは暴投なのでした。まる。 「それは兎も角、誕生日おめでとう! 丁度脂が乗ってきた時期っていうの?」 「ま、俺は十年前も十年後もいい男だから問題ないの」 「そういうタイプだよね、室長は」 何時も自信たっぷりな彼を見る夏栖斗の方は『今』彼程には自分が信じ切れていない。 「……なぁ、室長。誕生日に言う事じゃないかも知れないけどさ。 正義と秩序、セカイを護る事――なんで全部は上手く行かないんだろうなあ。 僕はバカで不器用で、意地を貼り続けることでしかリベリスタであると思い込まないとリベリスタじゃなくなるって思っちゃってさ」 「そういう記号ってそんなに大事か? お前が何をしようとお前はお前だろ。『職業』より先にお前な訳。 俺はお前に彼女を見捨ててでも世界を守れとは言わないし、俺も全てを捨ててアークに尽くせる程の男でもない。 大人がいい事を教えてやる。完全な正義の味方なんて存在し得ないし、例え居ても気持ち悪くて傍に置きたくないってよ。 世の中ってのは大抵の場合、消極的な選択を繰り返すものなのさ。それが、人生」 カチン、と澄んだ音を立ててグラスが乾杯した。一息にシャンパンを開けた沙織は『敢えてそんな風に軽く言った』。 恐らくは彼は少年の心を正しく共感出来ない。それは手を下す直接の人間に成り得ない事もそうであるし、仮にそのままその立場だったとしても彼は『割り切る事が出来る』人間だからであろう。時村の帝王学を幼少より学ぶ彼は心を痛める痛めないは別にして時に断固として冷徹である。そうでなければ司令官は司令官足り得ない。誰かが死ぬ度に泣いていては大を助く為に小を犠牲にする判断等出来ようか。ノーブレス・オブリージュでは無いが生まれた時から特別な彼は背負う荷物を選んでいる。 「……ま、色々あるとは思うけどね。という事でおめでとうございます」 時村沙織プレゼンツ、ハッピーバースデー時村沙織の会場に役所勤めの義衛郎が顔を見せた。 「しかし三十五歳には見えない。若いね、時村室長。よし、義理は果たした後はパーティを楽しむべい」 「現金だな」と背中を追う沙織の言葉にひらひらと手を振って、義衛郎は今度はフォーマルなドレスに身を包んだアシュレイと歓談を始めていた。 「明けてめでたかった。どうも、ご無沙汰してます」 「あはは。久し振りな感じですね」 「何時も誰かの相手をしている感じだったからねぇ」 旧知の二人の歓談の間にも魔女の所には人が集まっている。 白い皿にしこたま料理を盛ったアシュレイを呆れ半分に眺めて烏は「やっぱり」と顔を抑えた。 確かに美人である。スタイルも性格も悪くは無い。尽くすタイプでジャックの様子を見ればまぁついでに床上手も間違いない。 が、しかして生活力の無さを含めた残念振りは『塔』の属性を除いてもかなり、こう。 「――稀代の魔女なんだろうが最近、小動物にしか見えないのが困るな」 その心は『頬袋にひまわりの種を貯めるハムスター』。 「ひっはひなんのはなひれふ?」 「いや、こっちの事」 「せっかく日本に来たのだから、美味しい食事や飲み物について知りたいな。詳しそうだから教えてくれないか?」 フュリエのスィンが魔女を見て興味深そうに尋ねている。 スィンだけではなく、フュリエ達もこの賑やかな時間を楽しんでいた。 「パーティ……というものは、要するに何時かの私達の村にアークの皆様をお招きした時の宴会……のようなもの、なのですね」 「そうだよ、ファウナ。アークは何時もこうして騒ぐのよ」 エウリスがファウナに伝えた『正しいが表現が微妙な話』は何とも言えない所である。 「そう思って見てみれば……成程。色々と理解できるものもあります。これが此方の世界の宴なのですね」 沙織に礼儀正しく挨拶を済ませ、祝辞を述べたファウナは全く理想的にフュリエといった風。 アクティブ度の強い個体も少なくは無いのだが例えるならそう、少しシェルンに似た雰囲気である。 歓談する『姉妹』にウラジミールが歩み寄った。 「初めましてになるかな。自分はウラジミール・ヴォロシロフだ。この世界に不安や不便はないかと思ってな……」 「御丁寧にどうも。大変、お世話になっております」 「初めまして、宜しくお願いします!」 彼はフュリエ達を極力緊張させないように優しく語り掛けた心算だった。 しかして相変わらず折り目正しいファウナの方は兎も角、軍人然とした彼に反射的に居住まいを正したエウリスは多少の緊張は否めなかったようである。 「ならば良いのだが、困った事等あれば話をして貰えればな」 「ううん、皆良くしてくれるから大丈夫だよ。今日も――」 エウリスが堰を切ったように語り出した『今日の思い出』にウラミジールは目を細めて耳を傾けた。 分かり合う事は大切である。過去にハッピーエンドが無かったとしても、未来にハッピーエンドを求めるのも悪くは無い。 「そう言えば、フュリエは下着が存在しないとか穿いてないって噂がアーク内で流れてるんだけど……実際どうなの?」 「え、え、ええええええ!? あの、その――!」 そんな空気を攪拌するフィオレットの問いも、困るエウリスも又良いものだ。 ●ゆっくりと夜は更ける。そして…… 「Joyeux anniversaire」 「その顔は誰の所為」 「貴方以外に居ると思うの?」 パーティも一段落して会場が静けさを取り戻しても残る影は二つある。 白いナプキンに「残っていて」とメモを残した氷璃のリクエストに彼が応えたのは何時もの通りである。 彼と居るのに不機嫌そうな顔をしているのは彼女からすれば珍しい事である。 「ええ、不機嫌よ。寒いのは嫌いだもの。 でも、そうね。寒いからこそ――誰かの温もりを求めてしまうのかしら?」 試すように問うた氷璃の事を暫く前、沙織は凍ったシャンパンのようと称した。 その意味を正確に彼女が知る事は無かったけれど、空気は何となく察せられない事も無い。 「Voulez-vous danser avec moi?」 差し出された手を取ってその甲に軽く口付ける。 夜会巻きに濃紺のドレス姿の氷璃はカジュアルなパーティでは『浮く』程におめかしを済ませている。 ビスク・ドールのような冷たい美貌に薄く乗る化粧は『ナイトバロン』に下手なエスコートを許すまい。 否、彼は例えどんな瞬間であったとしても『下手なエスコート』を打つような『へま』はしないのだが。 「ねぇ、沙織。今年は私の本音を上げるわ。貴方の何処が好きなのか、教えて上げる」 「興味はあるね」 「私は戦う力を持たない無力な貴方が好き。 無力さを自覚して尚、諦めない貴方が好き。 貴方なりの方法で抗い続ける貴方が好きよ。とっても、好きなの」 「……手厳しいねぇ」 「聞かなければ良かった?」 「いいや、聞いて良かった」 「今年のプレゼントは少しビターにしてみたわ。 残り時間は一世紀にも満たないのだから――終わりの無いワルツのような戯れを」 音楽はそこに無くても、暗闇に浮かぶシルエットは円舞を描く。 露天風呂は最高だ。 「……う~、あ~……」 髪を結い上げ、バスタオルを巻いた永がこれは生き返ると実に『イイ声』を上げていた。 「気が抜けると変な声が出るのは若くない証拠でしょうか」という彼女ではあるが、幸せなものは幸せなのである。 家で沸かしたお湯と温泉の違いは、体の芯から温まって毒素が抜けて行くような感覚でやはりこれは格別であった。 (雪山と温泉を見ると、故郷に帰りたくなる。偉大なる北の大地に……だからこの光景がとても嬉しい) この露天風呂は彼女にとってノスタルジーを誘う意味もあるようだ。 「うーん、とっても気持ちいいの……」 身を切るような外気が冷たい程にじんわりと熱を身体の芯まで伝えてくる温泉は心地良く感じるものである。 手足を存分に伸ばして浸かる湯船は何とも言えない贅沢である。 普段は隠す必要があるあれこれを気にしなくていいのはとこにとってはとても重要な事であった。 『とあ』と共に過ごすリゾートの夜は解放感に満ちている。義足も外し、羽を動かして移動する。 全く他所では出来ない事なのだから、リベリスタというのも中々大変だ。 「やぁー、いいお湯だねぇ、イヴたん! こういう時でもないとゆっくりしてられないよねぇ。なんか近頃は楽団だか学ランだかが暴れてるらしいしねぇ」 「悪い奴等」 「そうだねぇ。悪いヤツは全部やっつけないといけないねぇ」 イヴの白く小さな背中を流しながら御龍がそんな風に呟いた。 「……別にさ。あたしは死ぬことは怖かぁないけどぉ…… イヴたんや皆と別れるのはちと辛いかなぁと思ったりするのよぅ。最近ねぇ。 ま、兵士ってぇのは生きて還ってなんぼなんだけどねぃ。 イヴたんとあたしは、いつまでも親友だよぅ。生きてても、死んでてもねぇ!」 「駄目」 御龍の言葉に珍しく少し怒った調子でイヴが言った。 「駄目。死んだら泣いちゃうからね」 「そりゃ、死ぬ訳にはいかなくなったかなぁ」 温泉で心身を癒しているのは白レイチェルも同じであった。 (癒されるわ。楽団の事とか、失恋とかあったけど。 本当は、前者はまだ、ちょっと辛い。むしろ辛いのはこれからなんだろうけど。 はふ……今は、のんびり傷を癒そう……) 湯船に肩まで浸かった彼女がふと目を留めたのは、 「あれ。あなたもアークの人――だよね?」 「あら……? 可愛らしい女の子ね。私は紗倉ミサ、この間入ったばかりの新参者よ」 「道理で。見た事ないと思ったんだ。あ、ごめんなさい。私はレイチェル。レイチェル・ウィン・スノウフィールド。 アークでホーリーメイガスやってるの。宜しくね」 「レイチェルさんって言うの? 奇遇ね。私もホーリーメイガス。 ふふ、年齢は私の方が上だけれどアークでは貴方が先輩ね。これから色々教えて頂戴?」 別れがあれば出会いもある。 「んんー……やっぱり寒い時期は温泉よねえ。 普段シャワーばっかりだから、たっぷりのお湯の有難さが沁みるわ…… 実験室に篭って細菌の世話をするのも幸せだけど。たまには広いお風呂でのんびりしたいわよねえ……」 (……しかし、なかなかどうしていい身体をして……はっ! い、いけない…初対面の人だっていうのに、つい見入っちゃった!) 「……どうしたの? 私の身体に興味があるのかしら……解剖は駄目よ? 私、自分が痛いのは嫌いなの……」 (へ、変な人だ……) レイチェルが普通の人かどうかは置いておいて、アークが新たに迎えた仲間もやはり変な人らしい。 「今回、時村殿にお祝いをしようと思いまして」 「そうですね」 「脳裏に何故か混浴温泉と言う言葉が過ぎりましたのです」 「お約束だよな」 「邪智姦計に長けた何かの意志を感じますが、それはそれで良いかと思い。 然るに『まっぱ』で此処に赴こうとした所、長い緑色の髪に花飾りをつけた――そう丁度フュリエのような方に止められまして。 こうして湯浴み着を着せられて此処に到るという訳であります」 露天の岩風呂に身を横たえ、一時を過ごす人間はそれなりの数が居た。 誰かの悪ふざけで『混浴』になったその場所に日本酒の盆を浮かべたのはアラストールの心尽くしという訳だ。 「私で足るかは分かりませんが」 沙織の口癖は『酒には酌が必要だ』というもの。ご相伴に預かるに騎士子さんは一年足らず早く。 彼女がかような思い切った行動に出たのはそれを吹き込んだアシュレイという犯人ありきの事ではあるのだが。 「……まぁ、いいんじゃないですか」 細身の身体に厳重に白いバスタオルを巻き、下に水着まで着込んだ恵梨香が足を伸ばして星の良く見える山の空を眺めながら独白めいて呟いた。 「今日は特別な日です。お誕生日おめでとうございます――は聞き飽きたかも知れませんけど。 『楽団』の騒ぎ。情勢不安は言われなくても分かっているものと思いますし、どんなにいい日でも要人警護は欠かせません。 でも。でもですね。それはそれとしてもどうせ『こんな時位は羽を伸ばせ』と仰るのでしょう? 分かっています。仕方ありません。福利厚生を大事にする素晴らしい上司の顔に泥を塗る訳にはいきませんから。 あくまで今、私は余暇として温泉で寛がせて貰っているのです。その時、偶然横に素晴らしい上司が居て、日頃の労を労ってくれているのであれば顔も立つでしょう。ついでにアタシが周辺警戒を行っていても問題はありませんよね」 一息でこれだけ言った恵梨香に沙織はパチパチと拍手をした。 「……………時に、室長」 頬を紅潮させた恵梨香は何となくタオルの胸元に手をやりながら彼に尋ねる。 「……これは全くの余談ですが、やはり男性は胸の大きな女性の事を好ましく思うのでしょうか?」 「司令、この後――お食事でも一緒に如何ですか?」 「おお、永殿。これは良い所に。日本酒は飲めますかな。ここの日本料理屋は中々良いものを出しますぞ」 「その前に、フルーツ牛乳を飲んでマッサージ椅子でくつろぐのもよいかも知れません。 冬は良い。寒さ極まりながらも春が近付く頃は格別です。よく学びよく食べよく遊ぶ。私も、まだまだこの世に未練があるようで――」 「は、は、は。まだ当分は死ねませんなぁ」 息子が息子ならば親も親で貴樹と永は風呂上りに鉢合わせ、そんな歓談をしながら連れ立って歩いていく。 夜もすっかり更けてゲレンデでの時間も、パーティも、温泉も過ぎてしまえば後はゆっくりするばかりである。 各々は部屋に。相部屋を取った恋人達にとってはある意味、これからが本番だと言えるのかも知れないが。(※新田快を除く) 「……気持ちよかったですね。それに何だか、腕鍛様の湯上り浴衣姿、少しどきどきします」 「にははは、気持ち良かったでござるな。リリ殿の浴衣も似合っていて拙者は色々とほくほくでござる」 腕鍛はリリの浴衣の合わせ目が『逆』である事に気付いて直そうとし――ふと『長年の夢』を思い出した。 「リリ殿、一生のお願いがあるでござる。リリ殿、拙者と以前見た時代劇覚えてるでござるか? うん、あれやりたいでござる。ダメでござるか?」 キラキラと瞳を輝かせる彼に『NO(いや)』と言えないのは惚れた弱味か。 「お願いですか? 腕鍛様のお願いなら、何でも伺いますが。 あの時代劇……は、はい。分かりました……! やってみますね!」 リリさんも疑わず、迷わない辺りは立派にバカップルである。 「えっと……お、おだいかんさま、おたわむれを……! あ、あーれー……! です!」 「にゃはははははは!」 お幸せにー…… 「私、これでも嫁入り前の子女ですのよ?」 夜のゲレンデと星空が見えるホテルの一室に亘がクラリスを誘ったのはこの夜の出来事だった。 バレンタインの贈り物の話をして、ちょっと胸の弾む甘いやり取りを繰り返し。 意を決した亘が乾坤一擲で伝えたその言葉を聞いたクラリスはしかし――少し困ったように唇を尖らせていた。 「亘さんの事は信頼していますけれど。それに、多分まだ私の方が強いですし」 でも、それとこれとは話が別というヤツである。 こんな娘でありながらクラリスは由緒正しきラ・ファイエットの娘なのである。欧州で騎士爵をもつような家柄の女子なのである。決してダブルピースとか喜んでしている訳ではなく、支倉ノイズこの野郎! いいぞ、もっとやれ! さて置いて。この関係が壊れる事を恐れながらも一歩を踏み出さんとした亘の気持ちは汲めなくは無い。 戦いの日々においては『次』がある保証は無く。今回は確かに好機だったからだ。 故にクラリスの言葉も少し歯切れの悪い調子になったのである。 「その、申し訳なく。でも自分はお嬢様を、心から……」 楽しく話すだけで最初は十分だった。だが、今はそれだけでは足りないのだ。 「……クラリス……様。自分は貴方の特別になりたいです」 それは相手を欲する事に違いない。冗談めいた『お嬢様』ではなく名前を呼んだ――そこには亘なりの決意があろう。 「……………『特別』というのであれば、もう『特別』かとは思いますけれど。 このアークで一番親しくさせて頂いているのは、亘さんですし。それがこ、恋人とかそういうのを指すなら、それはその」 ごにょごにょとやはり歯切れの悪いクラリスはややあって首をぶんぶかと振ってその状況を追い払った。 「兎に角! 続きはスカイバーででもお話しましょう! 嫁入り前の娘として、お部屋は駄目ですわあ!」 結局はどちらも余り器用ではないという事か。 だが、亘君。道は険しいぞ、頑張るのじゃぞ。 険しいと言えばもっと険しくても現在進行形で頑張る人も居る。 「プライベートでお祝いしてあげるって言ったのにずっと誰かが居たのです」 ちょっとだけ涙ぐんで報われる時を待っていたそあらは漸く沙織を独り占め出来る局面に辿り着いた訳だ。 無駄な出番はこの一時の余力を殺ぐ。彼女は間違ってもSGGKなる出番を欲している訳では無かった。 「やっとタイミングを掴んだのです。 すっかり夜になって冷え切ってしまったのです。 あたしの根性と頑張りを称えて暖めてあげるといいのです。わんこだって寒さには弱いのですよ?」 「本当にお前は頑張るからな」 金色のお日様の毛並みを愛でるように頭を撫でた沙織の手にそあらは漸く人心地ついたように微笑を零した。 奇しくも黒猫も寒さに弱く、金色のわんこも寒さに弱かったという訳だ。 廊下で待っていたそあらを部屋に招き入れた沙織は冷蔵庫からケーキを取り出した。 パティシエの達哉がこしらえた特製のそれはそあらが目を見張る位の立派な苺のショートケーキである。 「誕生日プレゼントだって」 「素敵なのです。でもどうして部屋に?」 首を傾げるそあらに沙織は当然のように言った。 「お前が気配を殺してたから。そしたら、こう来るしか無いかと思って」 それは至極単純な――彼からすれば解くのに何ら苦労の掛からない方程式である。 「今日はあたしの大切な人が産まれた大事な日なのです。 パパとママより大切に思える人が出来るなんて思わなかったのですよ? ずっと大変で――でも、一度は好きな人とこうやってロマンチックにお祝いをしてみたかったのです」 そあらはホットワインティを入れながら――沙織の顔を見て大輪の笑顔の花を咲かせていた。 「改めて――お誕生日おめでとうです!」 |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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