●ガラクタのセカイ 解けないパズルも、出れない迷宮もあるんだよ。 ――――『黒い太陽』ウィルモフ・ペリーシュ ●混沌迷宮エクスィス まさに、この一時は魂を底から震わせる。 圧倒的な存在感は恐怖を喚起するものだろう。 ヒトなる身の持てる小ささを思い知るに――それは十分な相手なのだろう。 ミラーミスは世界そのものであると云う。 世界なる概念を単純化するそれは全ての縮図であるのだろう。 ラ・ル・カーナと世界樹のような完全なイコールで結ばれたケースが多いのか、それとも少ないのか。或いはあの憤怒の巨人も拠るべき世界を――司る世界を持っているのか、居ないのか。全てはボトム・チャンネルのリベリスタ達に分かる事では無かったが―― 「……行きましょう。いえ、宜しくお願いします」 ――神妙な顔でそう言ったシェルン・ミスティル(nBNE000023)の言葉に頷いたリベリスタは、一瞬だけ脳裏を過ぎったその詮無い思考を澱みの空の向こうに追いやった。 全く消耗をしていない者は居ない。 それでも彼等は――このシェルンを世界樹の最奥へ届けるべく決死隊を編成した彼等は仲間の、友軍の痛みを盾にこの場まで辿り着いたのだ。 暗闇ばかりを抱く闇の洞はあのプリンスが傷付けた小さな疵を広げたものだ。 急速に零れた砂時計を巻き戻さんとする『それ』に仲間達が抗っている証明、それそのものだ。今も奮戦する誰かが、死を厭わず戦う者達が踏み止まるその内に。 リベリスタはラ・ル・カーナを『踏破』しなければならないのだ! 「……生きて、戻るぞ」 「ああ」 誰ともなしに呟いて、誰ともなしに頷いた。 ボトボトと緑色の液体を零し、大地を腐食させるその樹目掛けて。 その樹の内部に広がる――迷宮を目掛けて勇者達は走り出す。 ――それの名は『混沌迷宮エクスィス』。 進み入るには余りに無残な。先を征くには余りに過酷な。 『混沌迷宮エクスィス』。人の目は黒い霧の先を何時も知らない―― |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:VERY HARD | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年10月13日(土)23:23 |
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●STAGE-I 「最初は自分達を守る為に戦う事もしないフュリエ達の為に、あたし達の命を掛けるべきじゃないと、そう思ってたわ――」 無限に広がるかにも思えるその洞に独白めいたエレオノーラの声が吸い込まれていく。 少しの疲労と、それに勝る意志の力。漲ると言えば幼げなロシア人特有の――そう『妖精のように美少女めいた』愛らしい姿には不似合いなのだが。乾きに血を飲み干した殺伐なる戦場さえエレオノーラの涼やかな美貌を汚すには到っていない。 「――でも、今は……そうね。沙織ちゃんの命令じゃなくても手を貸したと思う」 まさに、人には決断しなければならない時がある。 平穏に生きている人間であろうと、波乱万丈な道を行く人間であろうと。善人であろうと悪人であろうと。強い意志を持つ誰かであろうと、その逆に勇気を持たない誰かであろうと。人生とは選択の連続で成り立つものだ。運命という呼び名を持つ『最良最悪の悪女』は誰の覚悟も待たず、誰の言い訳も聞かず――極上の笑みを浮かべて問い掛けてくるものなのだ。 ――貴方は、運命に従う? それとも、運命を従える? 前触れの無いその言葉は福音であり、呪いである。 目の前、途上に広がる無限の可能性を見せながら、断崖絶壁に人を誘い込む魔性そのものでもある。 危険なのは承知の上。見回した何処にも保証等は存在しない。 命を賭ける、と。言葉にするのは容易いが、極限の状況で一体どれ程の人間が迷わずに居られると言うのだろうか? リベリスタ、そしてフュリエ達。シェルン・ミスティル。 ……二百名に足りない『勇者』達が今日その場所へと踏み入ったのは『選択』の結末である。 彼等は無明の未来に確かにそれを選び取った。その先に在るモノが何かも分からないまま―― 「あの時、彼女を見つけたことで始まった物語は……形を変えて今日に、世界の滅亡につながっている。 その原因がR-Typeならば、ボクたちが戦わない訳にはいかないのだ」 「さおりんの思いはあたしも同じ。R-Typeはあたしも無関係……ではないのです」 「……室長はきっと、やりきれない思いでいるのだろうな」 「らいよんちゃんはいつも気を配ってくれてありがとです。 一緒にラルカーナが滅びないように頑張るのです。らいよんちゃんの思いも叶うように頑張るです」 自分に言い聞かせるようにも呟いた雷音の温かな手をきゅっと握ってそう言ったのはそあらだった。 完全世界の名を持つラ・ル・カーナにおける戦いは既に最終局面へと到達していた。 かのプリンス・バイデンが与えた『小さな疵』を足掛かりに荒野に戦いを展開する全ての者達は乾坤一擲の勝負をかけたのである。 形の上では一応の友軍となったバイデン達の思惑は後先考えぬ単純に世界樹を打倒する事ではあるのだが、それはさて置いて――『忘却の石』とそれを解析した天才・真白智親の存在は確かにこの世界を救い得る、救う為の希望となったのは間違いない。リベリスタの――フュリエ達の目的は『R-typeの影響を受けて狂化した世界樹を元に戻す事』である。世界樹にリンクする能力を持つ『守り人』とシェルンをそのコアまで届ける事。『忘却の石』により病的因子に侵された世界樹を『リセット』する事がラ・ル・カーナに残された最後の手段なのだ。 亜空間迷宮と化した世界樹の内部を進み、最奥へ到達する事は容易い仕事では無い。 突入して間も無く、リベリスタ達の視界中に広がるのは果てしない根の通路。 「……っ……」 「大丈夫なのです」 息を呑んだ雷音にそあらが言った。 「予想以上だな……これも世界樹の一部なのか」 二丁拳銃を抜き放ち、乾いた声で睡蓮は言う。 彼の見た風景は捻じ曲がり、絡みあう『生命』の蠢く無限の回廊の様は他に類を見ない深淵の迷宮のパーツである。 場には吐き気すら催すような悪意が充満していた。床から、壁から、天井から。まさに敵は『生えている』。 歪んだ木の瘤が変異した澱みの生命体が招かれざる客達をねめつけていた。 ざわざわ、キチキチ、ざわざわ、キチキチ。 「なんだかなぁ……ここの根に言っても無駄なのかもしれないけどさ…… 自分の分身に崇めさせるだけ崇めさせておいて……すごくナルシストだよね? それとも怖がりなのかな」 明確な拒絶の意思を目前に――少し呆れた調子で愛が言った。 「今回は『君』の魔力をいつも以上に使う事になる。頼もしい事だ。『君』と出会えて、本当に良かった」 自身の愛銃に語り掛けたマコトの目は増殖する『世界樹の使者』の姿をハッキリと捉えていた。 あのジャックの『放送』以来少しずつ壊れ始めた世界を、自分を取り巻く運命をマコトは確かに感じていた。 「自分の望みは――穏やかに長生きする事」そう言って憚らないマコトが死地と分かって立つこの場所の意味は小さくない。 穏やかな日々を取り戻す為には力が必要だ。来るべき日に後悔しない為には少しでも多くの力が必要なのだ。 「でも、正直――世界の存亡を賭けた戦いとか、燃えるね」 「わらわらとわき出る羽虫どももぷち|゜p・| も覚悟するといいですぅ! ビーストハーフ(ねずみ限定)最強のマリルちゃんがいちもーだじんにしてくれるですぅ!」 「木を斬る私は、剣士と言うより庭師ですね。世界樹を剪定するなんて、一生に一度有るか無いかでしょうけど」 嘯いたのは千歳である。マリルである。珍粘である。 遭遇した意思と意思は明確な始まりの合図を待たずに済し崩しの戦闘を開始する。 「この世界を左右する戦い、か。いいだろう、先ずは初戦を制し、道を切り開かねばな」 『軍神の生まれ変わり』を自認するリオンの戦闘教条が的確にリベリスタ達を奮い立たせた。 「必ず、勝利に導いてみせよう」 「援護せよ、アマノサクガミ!」 凛とライコウの声が響き、呪力の力場――陰陽の得手、守護の結界が展開した。 広々とした空間に葬送の調べを奏でる千歳が、しきりに何事か騒ぎつつも魔力銃の絶叫を轟かせ続けるマリルが、「死んじゃっても知りませんよ」と笑い、そんな風に言いながらも同道するフュリエ達を気に掛ける珍粘の両の剣が影を引き裂く。 「今日は頑張って~、沢山分身しちゃいますよ~」 多重を織り成す残影を戦場に残し、恐るべき勢いで数を増やす敵を引き裂くユーフォリアの一方で、 「沙織もいい命令くれるじゃない。ふふっ、あれはちょっとカッコよかったかな」 そんな風に冗句めいたのは支援役としてここに在るレイチェルである。 『難しい』少女の芳しい評価をもし司令代行当人が聞いたなら、きっと大いに喜んで胸を張るに違いない。 ――敵は神。敵は世界―― 「ここ一番の勝負所――最初から躓くわけにはいきません! 何としても抉じ開けます!」 それはレイチェルにとっても、声を張った大和にとっても。 「やっとだ、やっと片鱗を現したな! 残滓でも奴の一部を消し去れるなら露払いでも何でもやってやる――!」 「大丈夫、櫻子が支援します! 思い切り戦って下さいっ!」 「さあ糸よ踊れ、切り刻め……全てを!」 (櫻霞様の為すべきをお支えする事こそが――櫻子の務めですわ) 櫻霞にならずとも、彼に付き従う櫻子にならずとも――震えるような事実であった。 言葉にすれば全くもって出来の悪い冗談は圧倒的な真実だった。 三千世界の神秘を殺すリベリスタの身の上であったとしても、神に弓引き、世界を侵そうという『大それた』戦いの前にまるで緊張を抱かない者も居まい。だが、死力を尽くして自身等をここに送り込んだ仲間達が居る以上、仲間達が今も戦っている以上。『自分達がやらなければ何一つ救われない事を知っている以上は』。『それが選択であった以上は』。戦士達は誰一人この時間を厭うては居ないのだ。憤怒と渇きの荒野を駆け、傷付き、血に塗れ、体力を失いながらも。気力を漲らせ、残る力を振り絞り、まさにこの時に全てを賭けて――世界樹の中を、澱んだこの迷宮を踏破せんとしているのである! 「これはキツイ戦場じゃ。じゃが若い者達が命かけて信念を貫かんとしておる以上、爺も少しばかり無理してでも手を貸さねばのぅ」 戦場における先鋒はまさに誉れである。 咲夜の発した翼の加護にその名が体を示す一団――【先駆】が動き出す。 「私達のお役目は、ここに花道を作る事――」 「はっ! こんな気持ちワリィ場所で死んでやる気なんて無いんだよ!」 意志を持つ大和の影は無数の蛇と成る。壁と言わず床と言わず天井と言わず。行く手の全てに立ち塞がらんとする不気味な人型の瘤を、それが吐き出した無数の奇妙な羽虫を彼女の不吉なる赤光が焼き払った。ほぼ同時に前に出て啖呵を切った雅もこれに負ける心算は毛頭あらず、よろめいた敵陣を暴威に満ちた大蛇の如く薙ぎ払う。 「出し惜しみは無しね。……隠せる手品も無いけれど! ええ、挑ませて貰うわ。 異界の異能者が一人として――菊水一門に恩受けし異能者、高藤。押して参る……なんてね!」 「端役の相手など、同じく端役の自分で十分に御座ろう……いざ、参る!」 仁義を切って敵を見据える。宙を滑り、味方前方の壁になるように動くのは奈々子。 四方八方から襲い掛かる使者を見事な体捌きで翻弄し、まとめて切り裂いたのは幸成である。 (私の実力では死力を尽くしても気休め程度かもしれない。けど、奥に命がけで行く仲間を考えれば…… 豺狼が一匹、高藤奈々子。この心が折れるまで立ち続けて見せる!) 「道は我らがつける故、疾く行かれよ。自分の分の活躍の場も残しておいてくれると有り難いで御座るがね!」 奈々子の手にしたリボルバーが硝煙を吐く。凶鳥は影舞闘着(しにがみのかげとまえ)を纏った幸成の手から飛び立った。 「フ、遅い……」 壁より生え出した捩れた木の根の槍を影を捻る事で辛うじて避けた幸成の首筋を熱くて冷たい汗が滑り落ちている。 「結構、危なかったんじゃない?」 「何の、まだまだで御座るよ!」 されど、それでも軽口を叩き合う奈々子と幸成のやり取りは丁々発止としたものだ。 「蜂須賀示現流、蜂須賀 冴――」 一方、その名乗りは朗々と。少女の影が間合いを奔る。 「――切り開きます!」 冴の放った裂帛の気合はその身纏う破壊的な戦気さえ霞ませる程に凛と閃く。 二尺五寸八分――鬼丸に這った雷撃が青く迸り、目前を塞ぐ敵の一体を灼滅せしめた。 (この世界を護るためではない。私が護るべき世界はボトムのみ。 されど――されど、私の剣は悪を断つ正義の刃。最大級の邪悪であるR-Type。その残滓を斬り裂くのに今は何の迷いもない!) 獣の呼気が空気を揺らす。誰よりも果敢に、誰よりも果断に剣を振るう彼女の見るのは無限に広がる迷宮の奥、その果ての果て。 「この置き土産を斬り伏せる。ミラーミスに対抗できるという事を示す為に! この一戦、決して負ける訳には参りません!」 霞掛かる遠い未来さえ見通して、冴は一撃を振るう。 「――チェストォォオオ!!!」 繰り返し響くその声の一度毎に漲るような戦意を乗せて。刃は真っ直ぐ世界樹の使者を縦に割った。 「さあ、一気に切り開くぞ」 「あー、もう負けてられないね!」 躍動する【先駆】。得物の剣で前を払い、バランスを取るように上手い動きを見せる零二がちらりと視線を投げた先には彼等に負けじと暴れに暴れて存在感を示す嵐子――同じく先鋒を務める【鉄火】の面々の姿がある。 「この世界には銃とかなさそうだし、ガンスリンガーの雄姿を是非目に焼き付けてほしいな。 そう! アタシはこの世界で伝説になる! 結構、そんなのもいいんじゃない!?」 世界樹の使者が吐き出した無数の羽虫を文字通り『ばら撒かれた』嵐子の弾幕が撃墜する。羽虫の霧をあっさりと叩きのめした弾丸の雨は狙撃ならぬ威力の暴力である。Tempestの名に相応しく轟音を立て続けに吐き出し続ける彼女の得物は成る程、『伝説』を目指すには相応しかろう。 「ミュゼーヌさん、後ろ、触手です!」 「ありがとう、助かったわ!」 混乱の戦場にもミュゼーヌが『その声』を聞き漏らす事は無い。 凛とした迫力の美貌にその一瞬だけ乙女の表情を覗かせて、栗色の髪を揺らした彼女は半身から迫り来る触手を破壊する。 「少しでもこの場の力になれれば……」 「十分だわ。三千さんが居ると私も、もっと戦えそうな気がするもの。 ここは私の守る世界ではないけど……私は自らの意志で戦うわ!」 ――それが、あのR-typeの残した爪痕だと云うならば。 翼の加護に聖戦の加護、鉄火場の戦いを支える一人が三千であり、縦横に動き回るのがミュゼーヌである。流石に息の合う所を見せた二人の戦いは『きりがない』敵の最中にも映えるもの。 「なるべく安全に、迅速に……ですね」 更には死角より彼女に忍び寄らんとする敵も慧架の蹴撃が払うのだからこれはまさしく見事と呼べよう。 ……とは言え、始まった戦闘はまさに乱戦そのものである。 気を張る戦士達は自身に迫る敵に都度対応するが、危険は時を追う程に大きくなっていく。 世界樹迷宮に踏み込めば――捩れ根の迷いを行けば何処にも安全地帯等ありはしない。 「……ッ!?」 「ここを抑えるのが俺達の役割だ。誰一人欠けさせやしねえ――!」 「あたしの目の黒い内は誰一人としてやらしゃしねぇよ!」 床から伸びた触手に脚を絡め取られたとらを引き戻さんと吠えた凍夜が刃を振るう。雅が断罪の弾丸を撃ち放つ。 「させねぇよ、こんなヤツに」 「っ、ありがと!」 肩で息を整えて凍夜は「気にするな」と応え、敵に相対する。 「支援に徹してほしいからな。護衛は任せろ」 「でも、庇われるのって嫌い、なのよねぇ」 「悪ぃな。でもここは食い止めさせて貰うぜ!」 ここが出番と役を請け負う焦燥院フツは実にケレン味の無い――気持ちのいい男なのである。 魔槍深緋を構えて自身をその背に置いた彼に苦笑いを浮かべたとらは足に絡みついたまま蠢く根の一部を蹴っ飛ばす。 回復手たる彼女は――時に守られる存在だ。『ジャックとの戦いを越えた』彼女だからこそその言葉は重かったが――フツも又、この戦いに挑むその心持は確固たるものがある。人の痛みを理解する彼はこの状況をまるで他人事とは思えないのだ。 「こういう鬱陶しい奴らは、先手を取っちまえばこっちのもんだ。結界の網から逃れられるかよ――縛ッ!」 気合の声は韻と澱んだ空気を切り裂く。 「触手に捕まったらとりこまれます。シャレになりませんね☆」 「どうなっちゃうんだろうねー。試してみるー?」 「まって!? 触手のほう押さないで!? 本当にシャレになりませんねぇ~!」 【ぷり☆ぴん】の三人――葬識、甚内、ロッテのお約束とも言えるやり取りはさて置いて。 「嘘嘘! 俺様ちゃんたちのお姫様が無事じゃないと『千堂ちゃんのあとの約束』守られないもんね!」 「姫様に怪我させないよーにせんとねー★」 「わたし、ふたりのお姫様じゃないですし、約束とか……わ、わすれましたしぃ~? 兎も角、今は協力してやるですぅ! わたしの戦闘指揮について来やがれですぅ~! いっけぇ! プリンセス☆ピンポイントォ!!!」 フツの得手、陰陽が秘術・結界縛に捕まった世界樹の病巣がロッテの号令で攻める二人に、リベリスタ達に次々と撃滅されていく。 「……ここで死ねれば、もうあの乳女の顔見ずに済むけど。ねぇ、夜倉お兄さんもそう思うでしょう?」 何処まで本気か、脳裏に描く彼が何と答えたかは――とらならぬ誰にも分からない。 されど、聖神の息吹は助けられた彼女を上回るだけ、誰かを助く。 捩れた根の迷宮をリベリスタ達は進軍していく。 「――クソッ、敵が多い!」 支援に従事する冬彦が場所を問わず産み落とされる無限の敵に悪態を吐く。 (これで終わるんだろ。終わるって思っていいんだろ……成功してくれよ。ホント、頼むぜ……) ……進む程に思い知る事が出来るその現実は実に単純明快に神に挑む人の立場を鮮明にするものになっていた。 「傷つくのが早すぎです。早く前線に追いついて下さい」 「何だい、何だい! 危なくなったら皆と逃げるんだよ! いいね! 死ぬんじゃないよ!!!」 「う、む。自分の身くらいはなんとか守れる……と思、う」 傷付いた咲逢子を治癒のついでに冗句めいて叱咤した螢衣がけたたましいジョーズ子に目を丸くして――それから僅かに笑った。 (しかし――ミラーミスというものはここまで……) そこかしこで断続的に続く戦闘は当初より濃度を増している。 倒せば倒しただけ、薙ぎ払えば払っただけ、進めば進んだだけ。敵の数は多くなり、そこかしこから襲い来る触手は槍は凶暴になっている。深淵ヲ覗ク螢衣は――例えそれを見通す目が無かったとしても分からない事実では無いのだが――狂うミラーミスの憤怒を、嘆きを、苦しみを嫌という程その肌で感じ取っていた。それの『感情』は底の見えない怖気のする――まるで奈落の底である。 「しかし、信じ難い。これが体内の有様か……!」 【TYG】の面々と共に世界樹を進む咲逢子は半ば呆れたように呟いていた。 敵の性質を看破する彼女の瞳は通常ならば千里の果てまでをも見通す魔眼である。 リベリスタの戦いに注意を払い、必要ならば情報を共有する事。彼女が自分に架した任は単なる戦いでは無かった。 「つぶつぶ、あんたの背中はあたしが守ってやるッスよ! 非力なあたしでも、弾よけくらいにゃなるッス!」 「うち一人じゃない。後ろを振り返らずに戦えるのは恵まれてる。全員、無傷で先に進ませてあげるから――任せておきなさい!」 多勢の無勢の戦いは咲逢子も気を配る計都と瞑に見られる通り、お互いにフォローし合わなくては『持たない』だけの苛烈さを帯びていた。道を急がば危険は否めぬ。さりとて彼等に与えられた時間は長いものではない。 「騎士、ザイン・シュトライト。参る」 ザインが両の手に嵌めた鋭き硬質の爪は溢れんばかりの暗黒を抱いている。 繰り出された暗黒の瘴気は同じく暗黒の申し子たる世界樹の使者さえも黒い澱の内に呑み込まんと『侵略』する。 「まるで悪夢のような世界ね。あの日の傷跡と恐怖を呼び起こす……でも!」 ――行きましょう、あなた―― 由利子は言わぬその一言を胸に秘め、我が身を挺して仲間を支える。 それでも、彼女が――他の誰かがどれだけ力を尽くしても暗黒の洞の中、傷付くリベリスタは後を絶たない。 「ええい、数が多すぎるッス!」 計都の一声は恐らくこの場の全員の代弁になっただろう。 加速度的に困難を増す迷宮の内部はまさに死線の上に踊るリベリスタを嘲り笑うが如くであった。 だが、この期に及び、容易く退く選択肢は在り得まい。 「ヒューッ!」 「必ず、成功させないとだから、ね――!」 体力を失い、或いは血を流し、戒めを受け、呪いに咽ぶ。そんな仲間を独特の調子で軽快に激励するのはアルバロン、咲夜であり、力強くその体力を賦活するのはこのレイチェル、そあら、愛、三千、とら等といったホーリーメイガス達であった。 (ささやかな願いでもいい。叶えてくれ。この場に居る全ての若者の未来を俺は守りたい。 ――こんな俺を誘ってくれたお嬢ちゃん達の為にもな!) もう一度「ヒューッ」と声を発したアルバロンには言わぬ熱い想いがある。 (七院も心配してあげるから――帰ってきなさいよ!) (出口は固めとくッスから、ガツンと突っ込んでくるッス!) 瞑にしても計都にしてもそれは同じ。但し、懐に潜る凍の式神に敢えてそれを告げる事はしない。 この場を受け持ち、先を託す事を決めたのは当然彼女等だけでは無い。ここを切り開き、食い止めんと決意する者の一方で先を進み、先を開かんとする者も居る。全ては一の為、一は全ての為。リベリスタ達の目的はあくまでシェルンを最奥へ届ける事にあるのだ。 「こうして涼乃さんと戦場に立つのは久方振りですね」 「……暖ちゃん、家に帰り着くまでが戦だ。最後まで戦い、二人で帰ろう」 「ええ。子供達にも良いところを見せねばなりませんからね――」 消耗した暖之介を癒すのは涼乃、その涼乃を狙う敵影を指先で繰る気糸で戒めるのが暖之介である。 苦境にも『仲睦まじい』所を見せる明神夫妻を例に挙げるまでもなく、敵の体内での戦いは限界に限界を問うかのようなものである。誰が欠けても難しさを極めるものである。誰かと支え合う事で成り立つものである。 「……元より生きて帰る以外の何があるって言うんすか。 無理無茶無謀、承知の上。命を懸けるのは当たり前っすけど、だからって簡単に捨ててイイってモノじゃねーんですよ!」 フラウ・リードはまるで鮮やかに駆け抜ける戦場の風であった。 口を突く――極自然に口を突いたその理想を、誰一人欠けぬという幻想を例え甘いと謗られようとも。アークの戦いは最初から誰かの犠牲の上に立つ事を良しとはしていないのだから。想いは戦う力に成る。 魔力を帯びた短刀が触手に絡まれ、壁に呑まれかかったライコウを救い出す。 「テメェ等にうちの仲間を誰一人渡すかよ!」 辛うじて吐き出されたライコウは無事とは言い難かったが――フラウは更にそこを狙う捩れ根の槍に敢然と立ち向かっていた。 どれ程、容易く命が失われるかを誰もが皆知っている。誇りを胸に剣を取らなければ辿る運命が一つである事を本能で知っている。 「助かったのですぅ!」 「さー、まだまだ行くよっ!」 うさ子のインスタントチャージを受けたマリルが、嵐子が再び弾幕を展開する。 「『Rapid Fire』,Are you ready?」 「勿論、オーケーですよ」 絶妙のバランスでバイクを乗りこなすうさ子に宙を駆け、併走するヴィンセントが応えた。 【兔と烏】――戦場内を駆け、仲間達の支援に奔走する二羽(ペア)である。 「……うさ子さん、怖くないですか?」 「当然。怖いのだよ。でも……」 うさ子はそこで一旦言葉を切ってから、その先を続けた。 「……その、ヴィンセントさんは覚えてる? あのお化け屋敷でも、ここでも、ヴィンセントさんがいれば大丈夫」 「ええ。覚えていますよ。ハッキリと――」 余りにも冥利に尽きる――うさ子の言葉に銃を握るヴィンセントの指は格別の力を得た気分だった。 銃を持つ、本当の理由は――実に、何処までも単純だった。並んでこの場に立つ愛しい彼女を守る為。 戦いは続く。敵の攻め手は攻撃役も支援役も選ばずに次々と苛烈に襲い掛かる。 ヴィンセントの放った雨のような光の魔弾が薄暗い迷宮に光の尾を引き、複数の敵を纏めて砕く。 迫り来る敵は多く、奮闘も焼け石に水と言えるのかも知れないが――彼はそれでも決してうさ子の前を退く心算は無い。 「――――」 唸りを上げて伸びた複数の木の根が強靭なるその意志に食い込んだ。 ボタボタと滴る赤く鮮やかな液体は濃い独特の――鉄分の匂いを含んでいる。 「……っ!」 「……だい、じょうぶ」 息を呑むうさ子を振り向かず、ヴィンセントはそう言う。 「約束、しました。だから、あなたはまもり、ます」 膝を折る事は無く、目前の敵を――『彼女の敵』を撃ち滅ぼし。運命を青く燃やしては立ちはだかる。 敗れざるその光景を愛の力と呼べばまるで冗談にも聞こえるが、尽力は全くハッキリと胸を打つ。 「皆さん……!」 「あたし達が死ぬのはここじゃないわ」 「伝承歌(サーガ)なら少し位、ピンチは見せておくものでしょ!」 「ええい、いちいち気にするな! ひとりでも多くの精鋭を超えた……真鋭たるアーク戦力を最深奥にぶっこむのじゃー。 闘戦経にある! 兵は能くたたかうのみ……と! フュリエ共よ! ボトムのサムライ集団・アークの戦いを目に焼き付けよ!」 エレオノーラが、嵐子が、そしてメアリが声を発したシェルンに見得を切る。 「ふっ、ここは任せて先に逝けぇ~。桜咲く学園でまってるぜー!」 シェルンはメアリのその言葉がボトム・チャンネルで言う悪趣味な――『死亡フラグ』なる冗句である事を知らない。 しかし、その言葉が先を進めと促すものである事を分からない訳では無い。 「私は超かっこよくラ・ル・カーナを救って可愛いフュリエの皆さんにちやほやされなければいけません。 アシュレイさんじゃありませんが。今日の私の占いは……ジョーカーしか出ませんよ!」 「……っ!」 「ほら、早くどうぞ! 大丈夫、私はまだまだ元気です! 一度言ってみたかったんですよ、ここは私達に任せて何とやら――」 唇を噛むシェルンは――踊るように敵を切り裂き、カードの乱舞で敵を呑む黎子が口程の余力を残していない事に気付いている。 由利子の献身は何時まで持つだろう? 根を必死に払うフラウはもう傷だらけだ。 囚われかかったとらは、ライコウは次は逃れられないかも知れない。 血を流すヴィンセントの深手は深刻なものだ。 気を吐くメアリの、黎子の余裕は――何処か作り物めいているではないか。 「……」 「シェルン様……」 「……………」 「シェルン様!」 「ここで立ち止まれば、全ての献身も無に返りましょう……!」 故にシェルンの言葉は重く、口惜しさを帯びていた。頷いたフュリエ達も感情を共有するまでもなく気持ちは同じだった。 ささやかなる力をこの場に貸し、傷付くリベリスタを守る事はフュリエ達にも出来る事。しかして、彼女達がしなければならない事はここには無い。シェルンは一秒でも、一瞬でも早く『その場所』に到達しなければならないのだ。世界樹の内外で、憤怒と渇きの荒野で、ラ・ル・カーナ橋頭堡で流れる夥しい血と痛みを止めるには他に手段等ありはしないのだから。 『目の前で自分達の為に傷付く誰かの姿を見送って、シェルン達は先を目指している』。 フュリエが戦士足り得なければ戦場に足を踏み入れる事は無かっただろう。 そして同時に目の前に広がる凄絶なる現実を受け入れる事も難しかっただろう。 友人の血と痛みに舗装された道無き道をフュリエ達は突き進む。在るか分からぬ希望を求めて、一筋残った希望を信じて。 「はろーはろー世界樹。あなたは愛を知っていますか? はろーはろー世界樹。あなたは愛されていますか? はろーはろー世界樹。あなたは誰かを愛した事ありますか?」 「いまだ地図の無い、世界樹の迷宮。まさにこれは冒険じゃありませんか」 シェルンの背を見送って、呟いたのは愛であり、マイスターだった。 捩れ根の迷いを埋め尽くさんとする使者を、虫を阻み道を道のまま残すのもリベリスタ達の戦いである。 放った雷光で飛来した虫を焼き尽くした彼女は大きく肩で息をして――それでも努めて明るく嘯いた。 「迷宮ってそれ自体が『完全』ですよね……。 ある迷宮で迷っているのだとすれば、別の迷宮でも迷っているとは言えない。 だから、『私達』はここで迷わないんです」 それは馬鹿馬鹿しい位に惚けた言葉だったけれど、空気を僅かに解す程度の意味はある。 「知ってますか? 私達の世界の、最も優れた建築家が作った迷宮は、一人の乙女によって突破されたんですよ。 そう! 女の子は皆、心に恋の絶対迷宮(ラビリンス)を持っているんですから♪」 ●STAGE-II 「腐臭を撒き散らすな。切り倒して薪にすればいいとも思ったが――このままじゃ、腐りきって使えないな?」 「ずいぶんとまた……内部は凄いことになってるんだな……」 呆れ交じりに呟いたユーヌと達哉のその一言は『全くそうとしか言いようのない』確実な事実を示すものである。 世界樹迷宮のその第二エリア『腐敗と毒の澱』へと到達したリベリスタ達は突入時よりもその数を減じていた。 第一エリア『捩れ根の迷い』で傷付いた者もあれば、本隊と呼ぶべき彼等やシェルンを先へ送る為にその場に残った者もあるからだ。緑色の重い液体は床から天井まで――地球上の物理法則を無視するかのような液体の壁を一面に作り出していた。 「まぁ、そうですよね」 「この『上』を歩ければ幾らかマシだったんだろうけどね……」 「流石にこんな某探検隊も裸足で逃げ出すLevelの所を泳いで渡りたくは無いんだけどな」 「……こんな液体が充満してるってのがいよいよこの世界がヤバいんだなってのを改めて実感させるわよ」 カイや影時や禅次郎をはじめ、何人かのリベリスタは水上歩行や飛行でこの場をやり過ごせるのでは無いかと期待していたが、残念ながらこの場はレナーテの口にした皮肉の方がしっくり来る所である。『腐敗と毒の澱』を越えるのに毒液に身を浸さずに済む『易しい方法』は、どうやら最初から用意されていなかったようである。 「なに、メインまでのエスコートは引き受けよう」 ユーヌは事も無いように惚けて見せたが、確かに世界樹の悪意が形になった迷宮に『侵入者を困らせない』方法等はあるまい。死と腐敗の臭う怖気立つ毒液に率先して飛び込みたい者は居ないだろう。毒液の海に泳ぐ無数の影を目にすればそれも尚更の事である。 「流石にこの中を泳ぐのは抵抗がありますね……」 「成る程、あれだけの数となると確かに厳しいですね。ですが──それも臆する理由にもなりませんが」 口では抗議めいてみたルカも、それは本気かと言えばそうでもない。要するに紫月の言う優先順位の問題だ。 元より覚悟の上なのだ。時間が多く残されていない事をリベリスタ達は知っていた。 「『鏃隊』は全体の先陣を請け負う。全体の損耗を極小化し、コアに最大限を送り込むんだ」 【鏃】としてチームを組んだ面々――レナーテ、拓真、アラストール、瀬恋、禅次郎、紫月等に確認するように快が告げた。 目の前に聳える空間は飛び込もうとする覚悟は『ぞっとする』ものに違いないが、躊躇うならば誰もここには居ないだろう。 だからアラストールは凛然と居住まいを正したまま、来る自分の戦いよりも先に『彼女の戦い』に思いを馳せた。 「シェルン殿、貴女達の武運を祈る――無事に戻られよ」 「貴方も、どうか御無事で」 「……うむ。我が身盾にして道半ばを支える。騎士としては腕をぶす絶好の機会に恵まれた、と。そう言っておきましょう」 アラストールとシェルンのやり取りと同じくである。 「本隊前方の外周を覆う形で防護、範囲攻撃で道を拓き本隊が前進する空間の確保を任務とする。 殲滅で進路に空間を作り直ちに前進し確保。これを繰り返し本隊の進路を拓く。あくまで俺達は――布石だ!」 「本隊は必ず、奥へと送り届ける。それを邪魔するというのなら、例え無限であろうとその存在全てを――撃ち落とす!」 迸るような快の言葉は、拓真の気合は自分がやらなければ誰がやるという気概に満ちていた。 それは自分でなければ出来ないという傲慢では無い。自分が自分に架す、やってみせるという矜持である。 (……それが、この俺の為すべき事だ) 自身を見つめるシェルンに気付いた拓真は彼女に小さな礼をした。この世界に降り立った時、彼女と『約束』したのはアークでは無い。他ならぬ自分自身なのだ。ならば、それに応えないで何とする……『誰が為の力か、正義か』自らに問う男の今日に迷いは無い。 「守ろう、レナーテ。俺達の明日も。このセカイの明日も!」 「……うん、カッコいいじゃない」 「……ま、確かに。しょうがないよな」 「マジでお人好しが過ぎるんじゃねえか? よその世界の事なんてほっときゃあいいのに……」 共に先陣に立ち果敢に後を守るのは鉄壁のカップルらしい選択である。レナーテの叩いた本音交じりの軽口に快は「からかうなよ」と少し場違いにやり難そうな顔をした。そのやり取りに溜息を吐いた禅次郎は頷き、頭をバリボリと掻いて「付き合ってられねぇ」とばかりにそう言った瀬恋は前後の辻褄の少し合わない次の一言を付け足した。 「時村のニーサンには報酬弾んで貰わねぇとな。んじゃ、寒中水泳といきますか」 短い時間は終わりを告げた。 「絶対に生きて帰るんだからな! 死亡フラグは立てるなよ!」 「シェルンさんを無事に送り届ける為にも、ここは正念場ですね」 「此処が淵。後戻り出来ぬ境目……行こうか」 共に大部隊【毒浚】を構成する達哉、カイに頷き、姓が呟いた。 「さて、一体何が出てくるのやら……」 「久々に来て見たらこのザマだなんて笑える。滑稽すぎるから元に戻してあげるよ」 影時は露悪めいて嘯く。 「私はただ先に行く皆さんを手助けするために癒すのみです。 この身に宿したこの力はそのためにあるものなのですから――」 「支援は任せて。支援位しかしてないけど……こんな俺でも役に立てるのならば、本望だけれどね」 「まさかこんなに早く『世界』に喧嘩を売りに行く破目になるとは思ってなかったけど。 ここで見捨てたら、きっともう前に進めなくなるから」 麻衣は、【鏃】を支えんとするミカサ、腐食毒さえ『朝飯前』に平らげる彩歌は目の前を阻む『壁』へと歩み出す。 (全部元に戻るなんてご都合主義が無い事は知っているけれど。せめて、意味が無かったなんて事がないように、精一杯の事を) 言葉にすれば語るに落ちる。しかし思わないでは居られない。彩歌の目の前に広がるのは先の見えない緑色の闇だ。 「九曜や津布理と一緒に居たかったんだけどな。ボクに出来る事をしろって背中、押されたよ」 凍の言葉に恐れが無いのは式神の『シノ』を通じて、彼が彼女達の戦いを『見た』からだ。 「……出来た奴等だよ。帰ってきたら嫁に貰わないとな」 案外と捨てたものではない『三次元』に彼が口元を緩めた事を二人は知らない。 (老いぼれの命で救える者があるならば躊躇いますまい…… ここにいるのはこの世界とわし等の世界の未来を担う若者達ですかのう……) 気力を充実させ、勇気に満ちて道を征く『若者達』の背に目を細めた小五郎はその枯れ木のような体に一杯に空気を吸い込み、 「キエエエエエエエエエエエエエエェ――ッ!」 『モーセのように』海さえ割らんとばかりの気合を声を吐き出した。 それは激励であり、祝福でもあった。自身も【毒浚】の一員として緑の海に歩み出す彼は誰の死も見たくは無い。 「神秘を追いかけて此処まで来ましたが……人生とは何が起こるかわかりませんね。 これからも、神秘を求め続けることで予想もしなかった出来事に巡り合えるのだとしたら…… ええ、このようなところで、皆様を、この世界を失うわけにはいきませんからね」 「うむ。少しでも力になって見せましょう。さもなくば地上に戻る事も叶いますまい」 小五郎も芙蓉も考えた事は同じである。華々しく前に立ち、敵を薙ぎ払う事ばかりが戦いでは無い。 二人の戦いは『掌から滑り落ちる砂を止めるが如く』。意気軒昂なる『若者』を時に上手く使い、時に抑えてやる事だ。 その身に培った戦いの為の教条が、指揮力が少しでも困難な時間の助けになる事を二人は心底から願っている。 かくて、リベリスタ達の――第二の進軍は始まった。 大凡の予定通り先鋒として危険を切り開くのは【鏃】等の役割。 その後方に【毒浚】をはじめとしたリベリスタ達の戦力が続く格好である。 致死性の毒液を掻き分けて泳ぐのは例えリベリスタの強靭な体力をもってしても簡単な仕事では無い。 進めば程無く現われた無数の魚影に対応しながら進むとあらばその困難は尚更の事である。 (毒ぐらい意思で捻じ伏せてあげるわよ……!) (一秒でも早く、一人でも多く皆を送り届ける。 だから、ここで消耗させるわけにはいかない。毒の沼? 知るか。魚ぐらいモノの数でもねえ――!) (持久、耐久ならお手の物。天使の歌程度なら半永久的にかけてみせますよ) 勿論、この状況を想定してきたリベリスタ達である。小夜香のもたらす聖神なる奇跡、冥真、ルカの奏でる天使の音色は澱んだ水中にあって痛むリベリスタ達を賦活し続けている。 そして、尽力するのは彼女達だけでは無い。 (万全な体勢で皆さんを奥に送り届けるのが私のお仕事です――) 三次元的な構築を可能とする道中の陣形を球体に維持する辜月の指揮能力、万事にバランスを取る器用な支援能力は格別である。 (君の子達が苦しんでるよエクスィス…… 正直怖いさ、でも大切な黒兎が側にいるから頑張れる。護ってみせる、世界も、大切な君も……!) (……危険だってわかってるところに飛び込むんだから、さ。まぁ、それでこそおにーさんだけど。 チビちゃん達がまってるんだ。心配させないでよ。心配して待つ位なら――一緒に居た方がいいけれど) 遥紀は傍らに在る綾兎を何よりの意気に感じて未来を紡いだ。 一方の綾兎は唯、前を向くそんな彼の横顔を見つめて強い――決意を新たにしている。 誰も然り。彼も然り。 ……多くのリベリスタがこの局面を打開するべく総ゆる手段を講じてここにあるのだった。 だが、それでも不可能が不可能でなくなる事はあっても――困難が困難でなくなる事は無い、というのが現実である。 (壁だな。俺は、壁になれりゃいい。 前に向かって進むやつらの壁にな。犠牲になる気も、死ぬ気もねえがな。 俺が敵を引きつけりゃ、その分、他が楽できるって寸法だ。俺に出来るのは耐える事だ。タフに、しぶとくな。 分かってるだろ? 俺ぁ、生き汚ねぇんだよ。簡単に死ぬか。死にゃしねぇよ。だから、早く先を――傷つきぶっ倒れるのは、俺のようなやつでいい) 確かに敢えて突出を意識するソウル、【鏃】の壁を構成する――耐久力に自信を見せる禅次郎、快や早々と『ヘッドホンを失くした』レナーテは敵を良く引き付けている。 (羽衣の魔法は、皆のしあわせの為のものよ。今使わないで何時使うの。 羽衣の力で、少しでも先が開けるなら……こんな痛みなんて大した事じゃあないわ。 やれるかじゃないの。やらなきゃいけないの。その為に私は来たの――!) 運命を幾ら燃やしても……そう思う羽衣の『雷撃の魔力』の迸りは液体の中にあっても、器用に敵だけを撃ち滅ぼしている。 (うふふふふふ! 私の為の的がこんなにたくさん! 今日はいつもより派手に撃ちまくれるわね。あはははははは! あっはっはははっは――見ていらっしゃいますか! 桃子様!) 【チーム・デストロイピーチ】の一角を形成するエーデルワイスのテンションは上がる一方だ。 (ジャマなのよ、いちいち――アンタ達は――!) (そら、餌はここですよ…容易く食べられはしませんがね!) 無数に蠢く危険を纏めて薙ぎ払う涼子の一撃は幾度と無く繰り出され、カイは嘲るようにそれを始末する。彩歌の光線は何度も瞬いたている。だが、それでもリベリスタ達の勢いが盛んな程に際立つ現実は、『無数はあくまで無数である』という事ばかり。 (ギリギリのところでも、シェルンが無事なら勝ちの目は残る。この血が一滴でも残り、指先ひとつでも動く間はね。 この拳も、この体も軽いかもしれないけど。一人のリベリスタにできることは、ぜんぶやってみせる――) 奮闘する当の涼子にある種の覚悟を強いる程度にはそれはキリが無く、先は見通せない状況のままだった。 常人よりも圧倒的に優れた体力を持つリベリスタでも『毒液の中』での戦闘は相当に堪えるものである。 時間と共に失われる体力は深い水底に引きずり込まれるような、強い負のイメージだ。 (こんな所で倒れる訳には――倒させる訳にはいかないのですっ!) (流は年下のくせによく身体張るのね。あまり傷つけさせないように早々に葬送ってか。 ……って言うか、流に手ェ出してんじゃねぇよ――!) 流と共に【骨羽】を形成する魅零が奮戦した。流は周りを良く支援し、魅零は『抜けてきた』敵を我が身厭わず抱く暗黒で叩き潰す。互いを想い合う辺りは『相思相愛』といった風。 体力に優れないフュリエの一人が大きく苦し気な息を吐き出して、止める暇も無く奈落の底へと墜ちて逝く。 (しっかし、しんどいな、これ) 何が……と言えばまさに愚問である。 流やこの魅零等はこの場に対して酸素ボンベを持ち込むという気の利かせ方を見せたが、あくまでそれも気休めの範囲であった。ボンベ自体の耐久が怪しければ効果の程は限られる。呼吸関係と毒に対する耐性に異能を持つリベリスタばかりならば苦労は無いのだろうが、流石にそれは望むべくも無い所。踏破のタイムリミットはこのステージにおいて特に大きな意味を持っていた。 リベリスタ達には時間が無い。出し惜しみを出来ないのは常に同じだが、この場においては時間こそが重要である。 命は簡単に失われ、次が自分の番とも限らない。踏み入れた迷宮に運命が迷ったならば――出口はあるまい。 (……いや、違う。……『無理かも』なんて、思う余裕があるのなら手と頭を働かせろ) 一般に思考は酸素を強く消耗する『行為』であるとされるが、気を張る事はミカサの全身に格別の力をもたらした。緑色の闇――不良の視界を掻き分け、襲い来る無数の魚影と戦うリベリスタ達は皆一様に酷く痛み始めていたが、その進軍の旗色は未だ色褪せては居ない。それはまさに彼等の気力が減じていない事を意味している、そう言っても決して過言にはならないだろう。 (皆、帰らないと悲しむ大切な人がいるんでしょ――?) 自分には、居ない。そう思う姓の考えが事実かどうかはさて置いて。 毒液の中で足掻くリベリスタ達を彼が――氏名姓が命を賭しても届かせたい、戻らせたいと思う事実は確かである。 だが、それでも――人なる身には限度がある。 どれ程強く何かを願ったとしても――天は常にその想いを汲み取る訳では無い。 不具合と不出来に満ちた世界は――ボトム・チャンネルでも完全性を失ったこのラ・ル・カーナでも変わらない。 爆発的に増殖する魚影は、キリの無い物量はやがて応戦するリベリスタ達の限度を上回る。陣形の囲みを破り、汚れた水の中を行く戦士達にそれ等は次々と食いついた。一体一体ならば然程の敵でも無いそれも、暴力じみた数が伴えば別である。 「――っあ、ッ……!」 粘つく緑にくぐもった音と泡が零れる。 白い肌を切り裂き、豊かな肢体のその一部を噛み千切る無数の魚影に囚われたのは瞬時の判断を僅か一瞬、損ねてしまった斬乃であった。燃える炎のような赤い髪も色を失った世界に精彩を点さない。得物を振るい、集る敵を散らさんとしても叶わない。他のリベリスタがこの危急を救わんと手を伸ばすが――澱に黒を引き力を失った体はその手をすり抜けるように暗い水底に落ちていく。 如何ともし難い、余りにも度し難い運命は今日もそれに立ち向かう者を試していた。 小五郎の手にした電灯の明かりが先を照らす。漸く見えた『出口』の存在。それでも時間(とき)は遅すぎた。 (……っ……!) どれだけ気を張っていた所で、どれだけ自分に言い聞かせた所で恵梨香の薄い唇に滲む鉄分の味は変わらない。 恐ろしいのだ。どうしようもなく。この場所は、一刻も早く――叶うならば過ぎ去りたい。でも、それでも。 (……それでも、私は……) シェルンを守り、リベリスタを生かす。 この迷宮の先に彼等を送り届け、自分も生きて戻る。 (『戻れ』も命令のひとつよね……) 胸に点る小さな炎、調子のいい男の言葉の一つ一つを真に受ける心算は無かったけれど。 それでも、折れそうなギリギリに踏み止まる少女にとってそれは余りに強い支えで力。 だから彼女はその十字に復讐の炎(ネメシス)を宿して最後までこの暗闇の通路を退く事はしないのだ。 (――アタシの炎は、他に誰も居ない方が――強いのよ!) ただの、強がり。本当になる、それは強がり。 ●STAGE-III 見上げた天井の果ては知れない。 見回した空間の果ても知れない。 世界樹迷宮エクスィスを踏破せんとする一行が次に到達した『悪意のステージ』はとてつもなく広い――唯の空間だった。 迷宮に踏み入ってからどれ位の時間が経ったのかを正しく把握している者は殆ど居まい。狂った世界の――狂った時空の連結するこの胎の中では正しく時を刻む事は難しいという事だ。 「この先に世界樹エクスィスはいるのね……」 呟いた糾華の視線の先に、無数の不気味な『貌』が浮いていた。 辛うじて内部に居る自身等が『今も生存している』という事実のみが、外界に在るリベリスタ達の健在を思わせた。更に戦う能力を減じたリベリスタ達は暗い空間を明かりで照らし、エリア全体を囲うかのように出現した『世界樹の悪意』達のその姿に戦慄する。 「世界樹の悪意……わらわらわらわらと。世界樹は余程私達を拒絶したいみたいね。でも、あと少しよ。必ず届けるわ――」 怖気立つような嫌悪感が無い訳では無かった。それを恐怖と呼ばない理由は無かった。 だが、敢えてそう言い切った糾華も、 「グダグダした先の見えない状況も嫌い。でも、暴れたい気分なのは確かよね」 「……俺は、お前さんの第三の腕であり、第三の目である。……存分に使うがいい」 「ありがと」 「世界樹にあの巨人は刺激が強すぎたかね。 まぁ……無数に出現し、無数に再生するなら、無数に破壊すればいい。 迷宮の出口が見えないならこじ開けるまで。単純明快で分かり易いさ」 未明とオーウェンのカップル、クルトを加えた【朝日】の三人も。命をチップに削り合うのはそう苦手では無い。 「肩の力は抜いていきましょ。やることはいつも通りだわ。まぁ――アレの口当たりは悪そうだけれども」 発達した犬歯を覗かせて薄い唇を舐めたのは『グルメ』な彩音である。 何れも鼓舞の言葉は惚けたものだが、リベリスタにとって――これは『見せ場』の一つとも取れなくはないという訳か。 「世界を救う。自身の生まれ育ったそれでないにしろ、命を賭すに値します。世界に救われた命なら、世界の為に――」 「いっぺん足突っ込ンだからな。見てェじゃねェか――めでたしめでたしってのを、よ!」 「多美は嫌いです! こんな不潔っぽい顔!」 凛然と言い放ったかるたが、吠えた暖簾が、本来は『王子様』に会う為にラ・ル・カーナにやって来た多美が――リベリスタ達が無数の悪意の潜むエリアの中央目掛けて駆け出した。彼方の出口を目指して道を拓かんと駆け出した。 『悪意のステージ』は最もケレン味無く戦いの求められる『戦場』である。 最も広く――最も敵の多いこの空間は熾烈な戦いの約束されたまさに『戦場』である。 「さて、往くぜマリア! 術士無頼、機械! いざ、参る!」 轟音を吐き出す暖簾の相棒が手近な顔の一体に文字通りの『ヘッドショット』を叩き込んだ。 「変わらぬ結末でしかない死に対し、歩み続けた私が、勝てぬ道理など――!」 敢えて強く言葉を吐き出したかるたの鬼の烈風が床から天高くまでを突き上げて敵の自由を破壊する。 多くを語る必要も無い、そこに必要なのは武力だけだ。 戦いは糾華の苛烈な弾幕を号砲に、暖簾の殺意の銃声を号砲に凄絶なるその幕を開けていた。 始まるなり見渡す限りの空間に増殖する悪意の顔達は何れも――不快極まる澱みばかりを湛えている! 「世界の興亡はこの一戦にあり、ですかのう。ここは私に任せて先へ行け、言ってみたい台詞ではありませんか?」 奇妙奇抜な『なり』の割に動きは素早く身軽い。 抜群の身のこなしで横合いに飛び出した九十九は銃士ながらに囮の動きを見せている。 闇に浮かぶその顔が自分の方へ意識を向ければしたりと彼は笑うのだ。 「フラグなぞ、この手で撃ち砕けば良いのです――」 「あたしは、あたしに出来ることを頑張る! 行ってらっしゃい、俊介。皆……!」 九十九に集りかけた敵を纏めて切り裂いたのはこの戦場の何処かに居る恋人を、仲間を脳裏に描いて気を吐いた羽音だった。 ラディカル・エンジンが獣と唸る。強靭な鳥脚の膂力で蹴り上げたその動きは力強くも華麗なる、まるで舞踏を思わせる。 武器を握るその手が、迷宮を踏みしめるその足が、死闘に臨むその心が震えないのはきっと信じているからなのだろう。 (絶対にシェルン達は帰ってくる。だって、俊介が一緒だもん。だから、それまでは――それまでは頑張らなくちゃ) これまでのステージがそうだったのと同じように、道を切り開く事と道を守る事はある意味で同義である。 生きて戻る事が自身に架せられた『使命』であるとするならば、是非も無かろう。 「これでこの世界が、どうなるか。フュリエたちが平和に過ごせる世界になるのか…… 賽は投げられた。今は目の前のことを考えればいい。そうだよな!」 イフリートの名を冠する和希のジャマハダルが目の前の敵を引き裂き、爆破した。 「ココはオレ等が何とかするぅ! テメェ等この先ぃ "何とかしろぉ"!」 景気良く声を張り、命も燃えよと炎を巻く。 火の玉のような快男児はこの上なく『ストレート』なこの鉄火場にこそ良く映える。 細かい事を考えるよりも、拳を突き出す事こそ――この火車には似合うのだ。 「送り火迎え火盛大によぉ! やっぱぶん殴るのは顔面に限るよなぁ――」 飛び込んだその勢いのままに目前の顔面を猛る炎で叩き割る。 「――テメェは所詮前座……前座は前座らしく! 本番前に引っ込めよ!」 「流石ですよう。流石ですねい」 「ハッ、油断すんじゃねぇよ――」 周りを囲うように出現した複数の顔を睨みつけながら、背中を合わせた黎子に言う。 火車の顔に薄い笑みが浮かんでいたのはどうしてか―― 「気持ち悪いエリアだけど挫けないっ……いえ。むしろこれは……」 病んだ世界樹の苦しみを目の当たりにしているようで、心が痛むと言った方が正解だ。 持ち前の優しい心を病巣に塗れた世界樹にさえ砕き、戦線を支えるニニギアを旺盛な戦意と戦闘力で守るのは言わずと知れたランディであった。 「四方八方わさわさと……っと下もか! 気をつけろよ、ニニ!」 「うんっ、ありがと!」 「おらよッ!」 戦斧を存分に振るい、幾度と無く敵を破壊する。ランディの純粋な暴力は水を得た魚のようでもあったが―― (チッ、この異形が懐かしい気がするのは何故なんだよ……!) その心に立つ漣のような――不思議な感覚は彼ならぬ誰にも共有出来ないものである。 「流石だな。さて、そろそろオレの出番か。待ってろシェルン。今、道を拓いてやる――!」 ランディの戦いを目にすれば黙っていられる風斗では無い。彼は瑠琵の複数の影人に守られるフュリエ達を追い抜いていく。 赤いラインの入った白銀の剣――その名をまさに『デュランダル』――を構えた彼は真っ直ぐに敵陣へと切り込んだ。 「アークのデュランダル、楠神風斗! 決して折れぬ誓いを胸に! 今、未来への道を切り拓く!」 振り下ろされた一撃が破壊的な威力を迸らせ、目前の敵を暗闇の向こうに押し返す。 その『馬鹿正直』な名乗りは一本気な彼の性質を良く示す勇壮なものだったが―― 「バカめ。周りを見なさい、敵の数を見なさい。白黒小僧1人如きじゃ血路を開く所か二秒で圧殺でしょーが。このおばか様め」 ――まくし立てるように並べられた『罵詈雑言』は『一人で決めた』彼にまるで拗ねているようでもあった。 「……お、お前、なんか口悪くなってないか?」 「別に。だから、でも。そうですね……一緒にやろうや」 前に出た風斗に『そうする事が当たり前であるかのように』並びかかったのは言わずと知れたうさぎである。 感情の読み難い三白眼は何時もと一緒。暗がりに褐色の肌では顔色が変わっていたとしても分からない。 うさぎの言葉は真っ直ぐで、その態度も何時に無く真っ直ぐだった。死と隣り合わせになるこの場所だからこそ? ……いや、それも分からない。小さく頭を振った風斗は『鵺のような』友人――友人だ――に肩を竦めた。 「二人なら出来る。てか、やる。こじ開けて、持たせんぞ、スケコマシ」 「だ、れ、が、スケコマシだ!」 並んで戦えば勇気も活力も溢れてくるかのようだった。 少なからず降り積もった疲労も忘れ、不覚にも戦場の脅威も一時ばかりは吹き飛んだ。 「アークのデュランダル、楠神風斗! 決して折れぬ誓いを胸に! 命預けた友と共に! 今、未来への道を切り拓く!」 「毎度毎度この二人はやんちゃしよってからに…… いいわよ、分かってるわよ。任されたわよ。あんた達がどんだけ暴れても、泥試合でも私が―― ――ああ、でも分かってるな。怪我位は許すけど、そこまでだ。ちゃんと生きてかえるんだぞ。このばかものどもめ!」 『言い直した』風斗にうさぎは小さく頷いて、アンナはそんな二人を見て「やれやれ」と溜息を吐いた。 戦いは続く。自身等を押し潰そうとする『悪意』を団結の力で跳ね返さんとするのは【LGK】の十人だった。 「俺は――俺に出来る事をやる、彼女達を何としてでも届ける――!」 気を吐いたエルヴィンがスピードを武器に複数の敵に攻め掛かる。 「兄さん動ける? オーケー、じゃあすぐそこ入って!」 「ここからが本番だ、絶対に護り抜くぞ!」 『もう一人の』エルヴィン――レイチェルの兄――は人遣いの荒い妹にニヤリと笑い『言われるまでもなく』動き始めていた。 「いや、やり甲斐があるねぇ。可愛い妹と――美人(フュリエ)の為なら、尚更だ!」 「……むぅ」 眉を八の字に、口元をへの字にしたレイチェルは確かに可愛い妹だ。有機的な連携は悪意の顔達には存在し得ない武器となろう。 ――数多の地より集いし剣よ。束ねて掲げ誓うは一つ。我等この地の守護者なり! 「……って、こんな恥ずかしいの考えたツァイン先輩は帰ったらお仕置きね!」 照れ隠しに冗談めいた陽菜の思考の奔流が物理的な圧力となって群がる敵を吹き飛ばす。 「LKG! LGK! かんしゃく玉を喰らえ! ガス欠で困ってる人いませんかー? インチャ一発十秒チャージです!」 攻める陽菜、支援する七海。場には瞬間毎に――それぞれの戦いが展開されているのだ。 「あら、いいと思うけど、スローガン。うん、なんかこういうの一体感があっていいわよね」 祥子はそう言ってちらりとツァインを見た。じっと、見た。 まさに彼の掲げた旗の下に集まった戦士達は各々が限界までの『ベスト』を尽くす事で赫々たる存在感を示している。 それがどれだけ特別な事か、彼女は想いを馳せていた。運命の残量を気にせずに、この場に立つ彼を心配する気持ちも、ある。 「戦端広げ過ぎんな! 耐え切れば勝ちだ!」 そんな祥子の気持ちを知ってか知らずか。ツァインの――怒鳴るような号令が空気を震わせる。 彼を何時に無く燃え上がらせるのはこのシチュエーション、そして今は亡き戦士の面影に違いない。 (なぁ、紅い王よ、聞こえているか? アンタがつけた小さな疵が、皆の気持ちを繋げたぞ。 ここにアンタの同胞は居ないから、代わりに俺が届けよう。アンタの代わりに俺が戦う――) 獣の如く、ツァインは吠える。吠えて剣を繰り出す――それは猛き戦士の鬨の声。 「おああああああああああああああ――ッ!」 先の見えない戦いの『その先』に勝ちを見出すツァインは、ここを預かり先を託す事で得られる未来を信じ切っている。 彼のそんな姿は何処か眩しく。彼の掲げたスローガンを素直に口にするのは憚られた翔太は少しだけ斜に構えて小さく呟いた。 「そりゃあな、少し位は気合も入るさ」 全員の位置を把握し、孤立を防ぐ――視野の広さを見せた彼は自身こそが前に立つ事で仲間への攻撃を減らしている。 気の無い態度も、『やる気の無い』その呼び名も翔太を正しく表しているとは言い難い。 「……仕掛けます、狙って下さい!」 鋭く響いたレイチェルの声に続き白光が闇を照らす。 神々しき神気は彼女の類稀なる頭脳が生み出す完璧なる論理演算の前に究極の効果をもたらした。 焼き尽くす光に動きを失した顔達は、最早戦士達の的である! 「優希、俺達は出来るだけ前に行くぞ!」 「ああ翔太、風穴を開けてくれるわ!」 翔太に続いた優希の気合が迸る。 雄叫びを上げ、闘志を奮い立たせる――彼の操る武技は疾風迅雷であり、岩破土砕の掌であり、風さえ斬る蹴撃である。 「どのような悪意に晒されようとも負ける筈がない! 仲間と絆で一丸となれば突き進めぬ道はないのだ!」 臆面も無く言い放つ優希に翔太は小さく苦笑いした。 全面的に肯定するには気恥ずかしく、さりとて『それが間違っているとも思わない』。 「力と意志もて世界樹の悪意を討ち、シェルンの往く道を切り拓き、その帰路を守る……いい、出番だぜ」 ナイフと銃を振るい、戦場を縦横に暴れ回る影継もその気持ちは同じだった。 「俺達は仲間と共にR-typeを超える! フュリエやバイデンもそこに加えてやっても構わない! すべての未来の為、悪意よ邪魔だ、そこを――退け!」 斜に構えた少年だが、その実は中々熱い。 意志無く力に振り回される世界樹が歯痒く「テメェはこの世界の親だろうが! 情けない姿をいつまで晒してる気だ!」そう叱咤する彼は彼なりにこの世界を憂いていた。本当は美しかった――この世界に少なからぬ同情を抱いていたのだろう。 それでも、敵の波は引かない。 まさに一面を埋め尽くす大小様々なる顔は一様に苦痛と憎悪に満ちた表情を並べていた。 「アークに来てからの初実戦が超修羅場……ほ、ほんま怖いんですけど、これ!」 何とかここまで到達した日響だが、如何せん経験の浅さはどうとも出来るものではない。 否、例え経験豊かなリベリスタだったとしてもこれ程の存在に出会える機会が多い筈も無いのだから彼女の反応は当然である。 それは、破壊されたとしてもすぐに修復し、それ所か増殖していくのだ。 その性質は鮮烈に闇を裂く光(リベリスタ)さえ飲み込む、まるでブラックホールのようでさえある。 「でも――怖いからって避けてたら、本当にそれは怖いもののままだ」 「そ、そですね。し、師匠の顔に泥を塗らんよう頑張りますっ! てやーっ!」 ここで踏み止まらんと覚悟を決めた翔子が、気を取り直した日響が悪意を叩く。 だが、全体としての進撃は依然遅々として進まず。降り積もる疲労はやがて焦燥へと変わっていく。 無限なる敵は勇者の心を折らんと不快な笑みをその顔に浮かべ、肩で息をする彼等を嘲り笑っている。 嬲り殺しの心算さえ思わせるその愉悦の表情は何処までも醜悪で――許し難いそれ。 「あの巨大な目ン玉がこの世界に与えた影響って……凄まじいにも、ほどがあるわよ!」 レナの中では美しかった世界樹と目の前のそれが一致しない。 この戦場においては――まだまだ非力。戦いを続ける【チームRR】の余力は急速に失われていた。 「みなさん、がんばってください!」 「敵の数が……多すぎる……!」 無論、ホーリーメイガスのパティーダも必死で天使の息を紡ぐのだが、支えようにも支え切れぬ。 小さな口が彼女の肩口から肉を削ぎ取り、大剣を振るうロイの体が畏怖なる視線に竦み上がる。 ――諦めろ―― ニタニタと笑う口が不快だった。 その洞のような瞳は何も映さない癖にやけに深い底冷えを湛えているのだ。 ケタケタ、ケタケタ、ケタケタケタケタケタケタ……! 無数の顔が浮かぶ。無数の顔が笑う。無数の顔に幾多の悲鳴が引き裂かれる。 「……くっ……!」 幾らあっても足りぬ回復に尽力してきた瞳が足元よりせり上がって来た大口に飲み込まれた。 その場には、最初から何も無かったかのような静寂のみが広がっている――それは誰が何かを叫ぶ間も無い一瞬の出来事。 どれ程呆気無いのか。どれ程にこの迷宮は深いのだろうか? 理不尽への怒りを抱くのは、痛みを知るのはもう……世界樹ばかりでは無い。 ――慟哭も、憎悪も、憤怒も。まるで煮詰め続けたタールのよう。 だが、リベリスタはあくまでリベリスタだった。 足掻くだけ足掻き道を切り開く。唯、呑まれた世界樹とは違う。 「それでもね」 澱んだ空気を攪拌したのは未だに萎えぬリリィの一声だった。 「黒鎖よ! 可能な限り捕らえて見せなさい……!」 彼女が繰る黒の鎖は彼女自身の血と痛みを代償に――空間を暴れ回る、まるで蛇である。 濁流の如き鎖の奔流は複数の悪意を飲み込み、叩きのめし、敵陣に僅かな隙を作り出す。 「持てる力をすべて使って……勝ちたいなら、『折って』御覧なさい!」 「滅び行く世界樹(おまえ)を修復しようとするのを――邪魔するのが悪意だっていうのか? それは唯悪意じゃない……自分に向くなら、それは狂気だっ! そこを退けっ……道をあけろおおおおお――ッ!」 遊撃手。そこに飛び込んだ美虎の鮮やかなる雷華が百花繚乱と咲き誇った。 (「生きて帰るんだ」って言う癖にどうせ皆『死ぬ気でやる』んでしょ? 運命だってガンガン使うんでしょ? 馬鹿! 嘘吐き! そんなのって……そんなのって詐欺じゃないかああああああああ!) 恐怖に押し潰されそうになりながらも、顔を涙でぐちゃぐちゃにしながらも伊藤は今度は声を張る。 「言ってやるさ。生きて帰ろう! 死にたくない! 死にたくない! 死ぬのは嫌だ! 絶対に死んでたまるかぁああああッ!」 目前に迫った死に叫び、弾幕をばら撒く伊藤の様は格好がつくものではない。だが、彼はそれでも戦いを選んでいるのだ。 その意味では大剣を振るう今日の刃紅郎の戦いは『それにさえ届いていない』ものだった。 (ルカが逝き、我に二度も敗北を刻んだあの漢すら――全て泡沫と消えた今。 我は何の為にここに居るというのか。熱の冷めたこの身体に、之程に剣を重く感じた事は無い……) 剛毅なる巨躯に旺盛な闘気を誇った筈の彼の威風は見る影も無い。敵の猛攻に唯押され、振るう一撃も精彩を欠けばそれは最早別人であった。戦いが審判の場であるならば、意気消沈なる彼の辿る運命等、知れたもの。 唯、降魔刃紅郎がそのままで在ったならば――その程度の男であったならば結末は見えていただろう。 しかし、そんな彼に届く声がある。届く、言葉があった。 「集中してください、でないと死んじゃいますよ!」 覇気無き、胡乱なる刃紅郎を助く一喝は彼が天使と呼んだ――彼女の既視感(デ・ジャ・ビュ)。 「この――しっかりしろ、刃紅郎!」 「酷く懐かしい響きだ。一度とて彼奴に叱られた事など無かったがな!」 刃紅郎の面立ちに野獣が戻る。『姉の声色』で声を発したセラフィーナの頬は紅潮している。 「私の名前はセラフィーナです」 「我は降魔刃紅郎」 「共に戦って――くれますか?」 「死なば諸共。尤も、死んでやる気も死なせる心算も失せたがな!」 東雲と獅子王の煌きが戦友と並ぶ。短い時を越えた【邂逅】は剣劇の調べを無明の闇に響かせた。 戦いは続く。シェルンを届けようとするリベリスタ達の執念は――亀の歩みの中でもジリジリと戦線を押し上げた。 「皆さん、頑張って下さい――!」 何時に無く、本当に何時に無く。仲間を賦活し、激励する桃子の背後に大口を開けた世界樹の悪意が現われた。 「――!?」 まさに振り返る暇も非ず、声を上げる暇も非ず。 彼女の危機を見過ごさずに火を噴いたのはエナーシアの対物ライフルだった。 「えなちゃん! 桜さん!」 「最前線の桃子さんは珍しい、つまりは慣れていないという事なのだわ」 「桜ちゃん痛いの苦手なんですけど。本当の、本当に苦手なんですけどね」 憧れのエナーシアを傷付けまいと彼女をフォローする役を買って出た桜が小さく舌を出した。 そんな桜と表情を緩ませた桃子に『クール』な所を見せたエナーシアが小さく笑った。 掃き溜めに鶴、地獄に花園。『JaneDoeOfAllTrades』の乙女の集いは戦場に咲く一輪の花となる。 (必要かは判らないけれど、私が守りたい。ならば、やるべきなのです) 駆け寄る桃子が手にした魔法少女のステッキで「感動のシーンを邪魔するな!」と悪意の一体を叩きのめした事実はさて置いて。 (……必要かは、判らないけど……) ……さて置き切れず、複雑な顔をしたエナーシアは猛禽類のような目をした桃子を宥めるように溜息を吐いていたけれど。 何せ、汗も血も埃も毒液を抜けてきたのも含めて――今はお互いコンディションが悪すぎる。 「抱きつくのは全部終わって……お風呂入ってからで御願いするのだわ……」 ●STAGE-IV 「解けないパズルなんて無ぇ。抜け出せない迷宮なんて無ぇ――」 消耗は隠せない俊介だが、唯気力は煮え滾っている。 「――救えない世界なんて、絶対に無い!」 「……うん……」 世界に名だたる大魔道の『名言』を真っ向から否定して、その向こう脛を蹴っ飛ばした彼に小さく那雪は頷いた。 絶大な支援能力を発揮する俊介とその彼を支える那雪である。阿吽の呼吸で――此処まで道を支えてきた。この先もその心算で居る。 (……信頼してくれたその気持ちに、私は応えよう) それでも、突入時百八十三名を数えたその数も、少数に減じているのが現実である。 数多の苦難を乗り越えてその場所に――『エクスィス・コア』に到達した人間は決して多い数では無かった。或る者は傷付き倒れ、ある者は『先』を仲間に託してその背後を守った。誰も無理をせずに突き抜ける事が叶う程、混沌迷宮は甘いものではなく、又そんな誰かの犠牲――いや、献身を受け入れられないのならばこれ程の数が最終階層に到達出来た奇跡は生まれ得なかっただろう。 「あれが――この世界樹の『コア』です」 動き回るには十分過ぎるが『悪意のステージ』に比べればそれも常識的なものである。 黒色の大理石にも似た艶やかな材質で構成された玄室の中央――シェルンの杖の指し示した先には薄闇の中に鮮やかな存在感を点す光の球が浮いていた。付近にこれまでのような禍々しい生物の影は無い。静寂に満ちた空間に誰かの息を呑む音がやけに響いた。 「シェルン、お前は同胞とこの世界を護れ。お前は俺達が守り通す」 「ボトムより上位の完全世界において、此様な事が起こるのであればボトムに置いても同じ事が起こる可能性は高いからのぅ」 最後の試練となるであろうこの部屋に油断をするゲルトでは無い。 同じ『ハルトマン』と言えば――こんな状況さえ少なからず『未知を見る楽しみ』として見出したゼルマもやはり筋金入りである。 「貴方達と出会い、信じ助け合い絆を深め歩んでこれたと思います。 ええ、自分は――自分達は。不安、脅威から貴方を、貴方達を全力で守ります。 苦しい時でも感じて欲しいと思います。私達にフュリエの感応能力は無いけれど、種族の垣根を越え想いは繋がってると信じたい。皆で――貴方達の母を救いましょう」 自身の手を握り、そう言った亘にシェルンは少し驚いたようにその切れ長の目を丸くした。 「シェルンよ、この役目を担えるのはお主だけじゃ。じゃが、お主も決して一人では無い事を忘れるでないぞ? まぁ、長女としての責任感は分からぬでもない。妹達は護るべき存在かも知れぬがのぅ」 僅かにからかうように気安い言葉を投げた瑠琵は或る意味それを言えるだけの『立役者』であった。 力弱きフュリエの少女達の全てがこの場に辿り着いた訳では無い。しかして、実に七人ものフュリエが『残って』いるのは道中において瑠琵の分身が――彼女の常識知らずの錬気が編み続けた影人達がその身を惜しまず彼女達を『守った』からである。 「……誰かを頼るも、誰かを許すも、勇気が要るのじゃよ。叶う、叶わぬはさて置いて、の」 幽玄に漏れた瑠琵の意味深な呟きは果たしてシェルンに届いたかどうか。 (うちらにとってはファンタジーな異世界でも、フュリエやバイデンにとっては大切な世界なんよな…… この状況に興味がある気持ちは否定できへんけど……ちゃんと気は引き締めてこか) 椿は一つ気を引き締め直した。 「シェルン様、皆様、必ずやこの世界を元の美しい世界に……!」 「あの綺麗な世界樹の鏡を――絶対、この世界を取り戻しましょうね……!」 ミルフィ、アリスの主従にせよ、それ以外にせよ。リベリスタの大半も気持ちは同じである。口々に一同が投げかける言葉を力に変えて――一瞬の後には表情を緩めたシェルンは一つ大きく頷き、『戦う者』の顔になってそのコアに向けて歩み出した。 ――私が紡ぐ、私が奏でる。 私は戦奏者、戦場を奏でる者。 戦場の流れを読み取り、唯一つの勝利をこの手に掴み取る―― 「世界を、絶望を、全てを飲み干し、新たな希望を紡ぎましょう。 奇跡を織り成し、紡ぎ続けてきたものは、何時だって諦めず足掻き続けてきた人の意志なのだから」 「守りに長けている私だから出来ること。それだけが取り柄であり、この場で必要とされることでしょう」 亘やミルフィ、アリスも含め一分の油断無く構え、シェルンを守る【絆守】。静謐と決意を口にしたのはミリィと真琴。 (いつも怖がってばかりだけど……今回はそうも言ってられない。 中心に送り込んでくれた皆とシェルン様を連れて、無事に帰るんだから!) 「あんた達がいれば俺達は何度でも立ち上がって戦える。頼んだぜ」 あどけない可憐な美貌に気負いを見せるアリステアの内心を察してかユーニアはそんな彼女の肩をポンと叩いた。 すぐそこに在る『未来』を知らずに死ぬのは冒涜だ、と彼は強く思っていた。 「死に腐っても骨なんて拾ってやんねーからな。俺達全員這ってでも帰るんだぜ。あのどーしようもねぇクズみたいな世界にな」 少年の口を突いた悪態はまるでラヴ・レターのようである。生命賛歌のようである。 「うんっ!」 アリステアのその表情に浮かんだものにユーニアは「上等だ」と笑った。 長いようで短く、短いようで長い刹那の永遠。数分にも満たない時間の先にシェルンは光球の前に立つ。 杖をフュリエの少女に預けた彼女の白い指先が輝くそれに伸ばされた。触れたのは刹那、青い光を湛えていたそれは彼女が触れるなり赤く光り、黒く光り、劇的――過剰なまでの反応を示していた。 「……っ……!」 シェルンの柳眉が歪んだのと護衛のリベリスタが動いたのは殆ど同時だった。 一歩退いたシェルンを身を挺して庇いにかかった真琴が生み出された衝撃波に紙のように吹き飛ばされる。 「……静まって、静めて下さい! エクスィス!」 声を張るシェルンが今一度指を伸ばすと、光球はこれまで以上の光を放った。 視界を灼く強い閃光に誰もが一時、目の前の風景を失っていた。 「……これは……」 呟いたのは一体誰だっただろうか。目前にあった光の球がその姿を消している。 代わりに――見上げた宙には『一人の少女』が浮かんでいた。黒髪を結い、その両の目に赤と青の硝子を嵌めたかのような少女。 酷く希薄な現実感ながらに、圧倒する程の存在感を湛える『彼女』が普通の存在では無い事は見るからに明らかであった。 リベリスタ達は彼女の胎の中に居るのだから、間違え得る筈も無い事実である。 「世界樹、エクスィス――」 「これが世界樹……ミラーミスのコア……」 茫洋と声を発した悠月は、自身で深淵を確かめる為にここに来た綺沙羅は、リベリスタ達は。 不思議と奇跡のようなその事実を瞬時の内に理解し、共有していた。 (シェルン。これから巨人の怒りを取り払えばバイデンも生まれなくなるかもね。あんたの兄弟達……どうするか決めるといい) 内心で呟いた綺沙羅のその言葉は実は『この先』に非常に重大な意味を秘めていたが――それはさて置き。 ――何故、僕を呼ぶのですか? 少女の鈴鳴る声は空気を震わせず全員の頭の中に響いてくる。 全身に淡い光を纏う少女の姿は美しく、そのトーンは穏やかなものであったけれど、警戒を解くような愚か者は一人も居ない。 驚愕するシェルンも知らぬ目の前の現実は『コア』に直接触れたからこそ目に映るある種の幻想なのやも知れぬ。 ――目を開ければ苦しいのに。眠ったままなら、辛くないのに―― 訥々と語るエクスィスのその大きな瞳の奥から、唇の奥から――ごぼりと赤い粘つく液体が零れ出した。 元が神秘めいて見目に麗しい少女だからこそ、否が応無くより一層――おぞましくも映るその姿。 常人が目の当たりにしたならば精神を食われ、狂気に塗り潰されてしまうような『恐怖』は本能から誰もの芯を震わせた。 「話を聞いて下さい、エクスィス――!」 必死に、叫ぶ。目を閉じた彼女の体を世界樹と同質の光が包んだ。 それはリベリスタ達が希望を託した彼女の世界樹接続能力の始まりを意味している。 より純化された『忘却の石』を纏ったシェルンはそれ自体が一つの装置である。この世界樹を食い止める為の、その為だけの。 「えーと……こっちはあたし達に任せてリセットに集中してねぃ!」 しかし、事態はアナスタシアが口にした通りである。 辛うじて『接続』を果たさんとする彼女の状況を見守る暇はどうやらリベリスタには与えられないらしかった。 黒い艶やかな石で作られた広い玄室の壁から『見覚えのある』シルエットが浮き上がってくる。 圧倒的な新手の気配は気を張るリベリスタ達の肌を突き刺すような殺気に満ちていた。 瞳を失い、唯の洞と化した目からは蠢く触手が生えている。 緑の液体を滴らせた蔦で、捩れ根で肉体を補う『それ』の姿は在りし日のものとは余りに違う。 しかし、見れば分かるのだ。どんな異形と化したにせよ、どれだけ朽ち果てたとしても。 身の丈数メートル以上にも及ぶ『それ』をリベリスタ達は一人しか知らない。 おおおおおおお……! 怨念に満ちた声ならぬ、息遣いならぬ、風を吐き出すその大口が。 かつて豪放なる大笑を吐き出し、リベリスタ達に戦いの意味を問うた者である事を多くの者が知っていた。 「勝ち逃げなんて……ふざけんなとは言ったけどよ……」 血を吐くような声で、似合わない低い声に怒りとそれ以外の気持ちを綯い交ぜにぶち込んで。 「そんな様、違うだろ――!?」 爆発した夏栖斗の声は心の何処かで期待した再戦ならぬ――『残滓』ならぬ人形に感情のままに炸裂した。 プリンス・バイデンの死体は世界樹エクスィスに取り込まれた。 玄室にて始まる最後の戦いは――まさにその火蓋を切り落とす……! 「誰も解決出来ない危機に直面したら? 一か八かの博打しかなくなったら? 『鉄火場』は私の専門なのよ」 「――さて、この世界が生き延び先へ進む為の、答え合わせの時間だな」 有紗は嘯き、二四式・改を肩に担いだ烏が咥えた煙草を吐き出した。 敵が世界樹そのものならば、心臓たるこの部屋に安全な場所等一つも無い―― 壊れた『エクスィス』の哄笑が部屋に響く。 必死でリンクを繋ぎその『リセット』を試みるシェルンの守りは【絆守】に託される。 一方で、生まれ出でた敵に相対するリベリスタ達の責任は重大なものになっていた。 「一手。いつもそうだ、なんだって一手速いって事実が世界を変える」 事、速いという一事において――司馬鷲祐に比肩する者は決して多くない。 戦いの鏑矢として一飛びに間合いを駆け抜けたのは『神速』を自他共に認める彼にとっては当たり前の話であった。 「俺達の『都合』だ……悪いが、今を留めるために全速力で行かせて貰うッ!」 ……鷲祐が仕掛けた目前の敵はこれまでのような圧倒的な多数では無いにせよ、その質の方は比べるまでも無い。 まさに最強にして最悪の存在はコアに肉薄された世界樹が数多の悪意よりも頼りにした『番人』そのものだ。 壁より現われる『番人』は一個では無かった。捩れ根の合わさった『似た』個体も続け様に壁から浮き上がってきたのだ。 『粗悪品』達はアリスやオーウェン等の見立て(スキャン)によれば本体には及ばぬが、それは十分『強力過ぎる』敵である。 数こそ十体に満たないが、状況は――まさに激烈そのものだ。阻まなければ全てが水泡に帰す以上――まさに是非も無いとはこの事なのだが。リベリスタはかつてのプリンスの武力を知るが故に――最後の壁の高さを思い知る。 「宗一君……!」 「ああ――分かってる――!」 だが、この期に及べば躊躇いの一つもここには無い。 (ラ・ル・カーナは素敵な世界。フュリエ達の森も、バイデン達の荒野も。両方この世界の一部、だから全部守りたい! その為にあたし達は戦ってる。必ず――守る!) 一番槍こそ鷲祐に譲ったが、攻め手として霧香が続く。裂帛の気を吐いた妖刀――銘は櫻嵐――が弧に閃く。彼女が呼びかけた頼りにするべき……共に戦うべき、そして守るべき『大切な人(そういち)』は彼女の技の冴えに目を見張り、不敵に笑っていた。 「この世界、俺達になじみがあるわけじゃない。だが、負けてられないな」 繰り出される一撃は宗一の闘気を研ぎ澄ませ、束ねたような圧倒的威力を目の前の巨体へと突き刺した。 「ここで死ぬ訳にはいかない。それに――」 仲間も、それ以上に霧香を。『死なせる訳にはいかない』。 自身が燃え尽きるような無茶を願えば、それは彼女に――危険を願わせる事に相違ない。それが分からぬ彼では無いのだ。 或る意味【攻撃】の面々の予測は完全に正しかったと言えるだろう。『危険の読めないエクスィス・コアと危険が無い事はイコールしない』。当然と言えば当然だがそれを見切り、ここまで力を温存してきた精鋭達は溜めに溜めた鬱憤を炸裂させ、暴れ始めた『番人』を相手に怒涛の奮闘を見せていた。 「さぁ、気合入れていくっすよ!」 「元より」 「ちぇー、応援し甲斐が無い人っすね!」 同じ【宵咲】の血族の――刹姫等に言われるまでも無いのだ。 その中でも異端染みて、戦いに執着を見せる美散にとってこの場は極上の晩餐に招待されたようなもの。 「ミラーミスに一矢報いて傷を負わせた者だ。かの戦士を“最強”と呼ばずしてなんと呼ぶ!?」 不敵に笑い、魔槍で敵が胸を突き。全く目前に立つ者との『再会』に狂喜するのは彼が彼である故だ。 おああああああああああ……! ……成る程、果たして美散の歓喜は全く正しい。 此の世のものとも思えない『音』を立てるソレはかつてよりもずっと化け物じみている。 「善とか悪とか今回は細かい事はええでっしゃろ。今は世界が死ぬとあっしも困る。だから、まじめに殺っておきまっさぁ!」 言葉は相変わらず露悪的なものだったが、体を張ってこの戦いに挑む玄弥の意志は他の誰にも劣るものではない。 これまでの戦いに、これからの戦いに『少なからず』傷付く事は覚悟の上。 「うら~うら~、殺る気はあるよ!」 その身の漆黒を解放し、魔なる閃光を解き放つ。 撃ち抜かれた『番人』の様を見るに彼は少し甲高い調子で調子のいい声を張る。 「さあ、お嬢ちゃん!」 「――攻撃ならお任せあれぇ! しっかり時間を稼いでやるさぁ!」 玄弥に応えるのは『狼のように駆け暴龍のように暴れまくる』疾風怒濤の女武者、『外道龍』遠野御龍その人である。 「鬼は出たから次は蛇か? 二度ネタはつまらないしな?」 「支援します、何とか少しでも――粘り強くこの戦いを――!」 ユーヌや智夫、遥紀の必死の支援を受けた【駄】の面々は――【攻撃】のリベリスタ達は必死の猛撃を加えるが、痛覚も存在し無いのか、その体力は全く化け物じみているのか。集中攻撃を浴びた所で『番人』はやはり、びくともしていない。攻撃能力の方も『プリンスのものとは違ったが』纏めて多数を薙ぎ払う局面には多数生み出された触手がモノを言っている。 「フュリエだけじゃねぇ。バイデンも変わってるんだ。こんな世界――助けねぇ訳にはいかねぇだろ!」 それでも威圧に屈さずに、吠えた虎が――虎鐵が力任せに伸びた触手を叩き斬る。 「親父、やるじゃん、息子の前で無様みせんなよ!」 「……ふん、お前も精々頑張れ。流石に今回はテメェのお守はできねぇぞ」 轡を並べて敵に向かう夏栖斗と虎鐵のやり取りは丁々発止と小気味いい。 彼等に負けじと、椿の呪縛がそれを縛る。 「救える今があるなら――手をこまねく必要なんて、無いやろ!?」 圧倒的暴威を見せる『番人』の前にリベリスタ達は木っ端のようだっただろう。 単純な戦闘力でそれに及ぶ者等、居よう筈も無く。 「わたしは……わたしは、しぶといんだよ」 「『正常化』が完了するまでそれらと戦い続けるのみ。実に分かり易い仕事ではありませんか」 「負けないんだよぅ!」 壱也が、貴志が、アナスタシアが。運命を燃やしては叩きのめされる様はラ・マンチャの男さえ思わせる。 「――後、どれ位持たせましょうかね?」 「さーね」 不測への対応に尽力する理央の言葉に肩を竦めたノアノアが獰猛に笑った。 「十分か? それ以上は持たないぜ!」 時間は適当、それ以上持つかも知れないし、持たないかも知れない。 ノアノアが言葉を投げた先はコアに接続したシェルンの背中である。 薙ぎ払う触手が、丸太のような腕が壱也の華奢な体を横殴りにした。 床にバウンドし、壁に叩きつけられ、それでも――這うようにしてでも立ち上がった彼女は叫ぶ。 「倒されない。こんなんじゃ――」 「R-typeなんかに呑まれやがって、ふざけんのも大概にしやがれよっ!」 「先輩……」 「――てめぇに意思も矜持もねぇのか! てめぇの世界だろうがっ! 気合見せやがれっ! この野郎!」 世界樹に向けて必死の声を張る。壱也を守るようにその前に立ちはだかったのはボロボロのモノマである。 強烈な踏み込みから叩き込まれた焔が『番人』の腹を穿つも。反撃を受けた彼は縦に振るわれた一撃に硬い床に叩きのめされる。 「かぁ、やるねぇ!」 烏の連射がすんでで更なる敵を食い止めた。 戦況は見るからに芳しいとは言えない。しかし、それでも―― 「不思議ですね」 ――悠月の口元には幽かな笑みが浮かんでいた。 「心は、これ以上無い程に澄んでいる。この為に、戦う道を選んだから、でしょうか」 「全く、同感だわ」 穏やか極まりない表情で、静かに首肯する氷璃は何処と無く嬉しそうに一瞬だけ――その目を閉じていた。 アークは世界樹と対決する―― 忌々しいあの日に聞けた貴方の言葉は、何よりも素敵な誕生日プレゼントだったわ―― ……全く、惚れた男のいい所を見るのは女冥利に尽きるというものだ。 蕩けた氷の頭の先から爪先まで誰が為の戦いであるかを理解している。 彼の為ではない。自分の為でも無い。敗れざるこれは『彼と自分の為の戦い』なのだから。『敗れていい訳が無い』! 「――終わらせません。悪夢の穢れを祓う迄、邪魔するならば排除します!」 「人の恋路を邪魔する心算なら、温厚な私にだって考えがあるのよ――?」 悠月の白鷺結界、氷璃の呪氷矢。共に凍気を統べる『少女』達の競演が『番人』を激しく攻め立てた。 「本音言えばね。これ以上の犠牲なんて、見たくないんですよッ!」 面映いだけ。口で出張手当がどうと言ってみても、嶺の想いは最初から一つだけ。 「――天衣無法っ!」 四方八方に放たれる羽衣のような気糸は美しく――凛と敵を襲撃する! 「――私達を蹴散らした癖に情けない姿、見せないで!」 必死で支援を重ねる小夜香の声は『プリンス』に向けたもの。 「……っ!? 悪いっ!」 「倒れて、なんかやらないよ。これが、R-typeのひとかけらだとしたら絶対に……!」 椿を庇い、一撃に叩きのめされ。それでも限界さえ超え、立ち上がる夏海の目から闘志は消えていない。 「たかが世界の趨勢一つで、貴女の姉上を泣かせる訳にも行きますまい?」 「イケメン、キタコレ!」 スマートな居住まいはそのままに桃子をフォローして見せたイスカリオテが「やれやれ」と笑って見せる。 リベリスタの総力戦は奇跡を奇跡と諦めぬ、道無き道さえこじ開ける英雄の――所業。 「R-typeに蹂躙された世界など、もう見たくない! もう、これはラルカーナだけの戦いじゃない。わたしたちと、R-typeの戦いです! 万分の一でも、この借りは返させて貰う!」 まさに戦場を舞う『舞姫』の想いが、 (……今ここに貴方が居ないなら。貴方の意志を汲み。貴方のやりたい事を代わりに私がしたい) 彼女と共に戦う京子の想いが、 (一言でも命令をくれたから――貴方の言葉が力になる――!) その無数の魔弾達が迫り来る絶望を一瞬退け、後退させた。 ――僕は、僕は―― 血のような赤い液体を零すエクスィスが頭をいやいやと横に振った。 白い肌にうっすらと汗を浮かべたシェルンの消耗は激しく、彼女の姿勢の良い体は不意に崩れ落ちかけた。 しかし、リベリスタ達が彼女を支えるまでも無く。『残された希望』は最初から彼女と共に道を歩んでいた。 「シェルン様」 「シェルン様……」 「――シェルン様!」 疲れ果てたフュリエの少女達はそれでも瑠琵の言った『姉』たるシェルンを支えようと彼女を励ましている。 「シェルンさんは今まで皆さんを守ってきた矜持があるかも知れませんが…… フェリエの皆さんはもう守ってもらうだけの人たちじゃないと思いますよ?」 アゼルの言葉にシェルンは少しの涙を零した。 ……フュリエは同種同士で分かり合い、心を共有する強い感応能力を備えている。 フュリエは遥かな時間の彼方、正常だった頃の世界樹が――『完全世界だった頃のラ・ル・カーナ』が生み落とした完璧なる造作物だったに違いない。その彼女等が特別な能力を備えていたのは、或いは時間の末にこの瞬間が訪れる事を見越した『神』の仕事だったのやも知れぬ。 フュリエ達の体に光が伝播した。 シェルンの想いはフュリエが共有し、増幅する。 フュリエの想いも又、シェルンの中で大きくなる。 一個だった装置は複数の『ブースター』によってその力を増していた。 たかが、一瞬の奇跡。限界以上の奇跡は、崩れ落ちたフュリエ達の姿と共にその効力を失ったけれど。 ――僕は……どうして、あんなに怒ったんだろう―― ふと、『エクスィス』が呟けば――憤怒に塗れた玄室の瘴気は晴れていく。 薄闇の部屋に穏やかな日が差した。何処からから爽やかな風が吹き抜けていく。 暴れに暴れた『番人』達の体はさらさらと灰のように、砂のように代わり、その痕跡さえも残さない。 「世界樹が、壊れていく……」 綺沙羅の言葉は正確には少し違う。 世界樹を覆った澱が、ラ・ル・カーナに不要な憤怒の巨人のその残滓が――剥がれ落ちていくその風景は新生それそのものだ。 世界樹はボロボロと崩れ落ちていく。穏やかなままに、胎に飲み込んだ全てのリベリスタ達を傷付けず守るようにその場所を残して。 ――ありがとう。それから、ごめんなさいましね―― 気付けば少女は消えていた。 戦いの終わり。その声は、穏やかにラ・ル・カーナ全土に意思を届ける、確かな福音―― |
■シナリオ結果■ | |||
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■あとがき■ | |||
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