●時村本邸への誘い 緊急の呼び出しは青天の霹靂だった。 本部からの重要召集を受けたリベリスタが取るものも取らず駆けつけてみれば、そこでは神妙な顔をした『戦略司令室長』時村 沙織(nBNE000500)が今や遅しと彼の到着を待っていた。 「重要な話って――」 「――そう。二月十七日は、俺の三十四回目の誕生日です」 「……」 リベリスタは思わず絶句する。 ブリーフィングのリベリスタに沙織が告げたのは何らかの緊急を要する出来事でも何でもなく、実に気楽な用件だった。 「あん? どうした?」 「いや、何でも……」 食って掛かった所で喜ばせるだけ。 戦略司令室長――アーク司令代行、時村沙織。 肩書きは立派だが、故意犯で確信犯で悪戯をする大人気ない大人である。 彼はリベリスタの大仰な反応こそを待っているのだ。しかし、態々乗ってやる必要も無いと小さな咳払いで事態を済ませたリベリスタを見た沙織はそれさえも何となくは想定の内だったのか、喉の奥からハトが鳴くような声を発して笑っていた。 「お前達に用があったのもホントだよ」 「何となく想像はつくけどな」 「多分、当たり。時村本邸で誕生パーティをやります。例年は政財界のお偉方がどうだとか芸能人がどうだとか非常に面倒ですが、今年は『アーク本格稼動につきそちらを優先する』という名目で君達を招待する事にしました。なので、是非招待されて下さいな」 やけに丁寧な口調で物を言う沙織をリベリスタは訝しむ。 「……何時に無く来て欲しそうなのはどうしてた?」 「いやねぇ。時間の経つのは早いもの。この俺も今年で三十四なのよ。毎年毎年かれこれ十年以上は縁談だのお見合いだのそういう売り込みが多々あってねぇ。これは俺としては勘弁願いたいイベントでね」 「……あー……」 目の前のやくざな男は痩せても枯れても世界に名だたる時村財閥の嫡男で筆頭後継者である。しかしその浮名も社交的な性格も――否、性格故か。『結婚』が絡むと閉口する部分は大きいらしい。 「それで俺達を出汁に、か」 「別にそういう心算だけじゃねぇけどな」 沙織は小さく肩を竦める。 「ま、何だかんだでこの一年俺が一番世話かけたのもお前達だし。 折角だからね。まぁ、暇ならね。どうかと思った訳で。それは吝かじゃあ無い訳よ」 「……」 リベリスタは多少罰が悪く頬を掻く。 「パーティのメインは離れの迎賓ホールでやる。 ま、『そこそこフォーマル』な立食パーティってトコか。 美味いモンやいい酒があるのは保証しよう。楽団の生演奏つきのダンスも、その風情もね。 趣旨は一応俺の誕生パーティって形にはなるが、誕生日が嬉しい歳でもねぇし。冷やかし歓迎の懇親会位に取ってくれても構わない。本邸敷地はアホみたいに広いしな。蝮の事件じゃ多少は荒れたが、親父自慢の和庭園も中々見事だ。雪の一つも積もれば見応えもあるだろう。お前等は俺の客だからパーティに参加するなり、好きにその辺見て回るなりするといいよ」 沙織は言ってリベリスタの肩をぽん、と叩く。 世界一の金持ち――そのボンボンは実に気楽に一言を添えるのだ。 「損はさせないから、とびきりお洒落をしてきなよ。 大丈夫、大丈夫。『そこそこフォーマル』程度のパーティだし、衣装は貸したって構わないしね」 |
■シナリオの詳細■ | ||||
■ストーリーテラー:YAMIDEITEI | ||||
■難易度:VERY EASY | ■ イベントシナリオ | |||
■参加人数制限: なし | ■サポーター参加人数制限: 0人 |
■シナリオ終了日時 2012年02月29日(水)23:48 |
||
|
||||
|
||||
| ||||
| ||||
|
●二月十七日 「肉なの。高い肉なの。ルカ食べるためにきたの」 何時も通りの服装、何時も通りに自由なルカルカの、 「あのね、誕生日でしょ沙織。祝われすぎたとおもうから今度は沙織がルカを祝うの。 よきにはからえ、あそべ、うっふん。ルカの魅力にひれ伏せ」 実にルカルカらしい『絡み方』の方はさて置いて。 一年の内でも最も寒い二月、中旬も過ぎた十七日。 「何だそりゃ」 それはルカルカの言う通り、彼女の様にも困った顔の一つもせずその頭をわしわしと撫でてみせたアーク戦略司令室長、時村沙織の誕生日であった。 たかが誕生日。されど誕生日である。 誰かが此の世に生まれ落ちた――その誰かにとっては最初の『記念日』は常に人間の特別で在り続けてきた。 一年は三百六十五日――今年に限っては三百六十六日――毎日、誰かしらが誕生日を迎える訳ではあるが、それが知人にしろ、友人にしろ、恩人にしろ、恋人にしろ、家族にしろである。特別な誰かの存在が有り触れた一日を特別な一日にするのは別におかしな話では無い。それは勿論、祝う方も、祝われる方もである。 他ならぬ時村沙織がそこまで殊勝な事を考えたかどうかは別にして――ともあれ、リベリスタ達は招かれたのだ。 「時村のおにーさんはっぴーばー♪ ぷれぜんとふぉーゆー☆」 「すげぇ格好だな、お前」 「褒めても何もでないよ!」 華麗に薔薇を差し出すのは終。タキシードにマント、白い仮面。赤い薔薇…… 「何か思い出すって? 気にしない><」 ……えーと、タキシードか……マスカレイドと勘違いしたかのような終である。 「おお、おめでとさん。これ美味いぞ。いや、時村のニイサン、いい所に招待してくれてありがとな!」 今日は専ら飲む食べるに照準を合わせたらしいフツが陽気に手を挙げ、黒のタキシードを着こなすフォーマルな沙織に声を掛ける。 「む、これもなかなか……こっちも……」 「そっちもお勧め」 「さすが時村家……一流の味だ……」 主役に対して興味も示さず、薦められるまま口にしては感嘆の声を漏らすのは綺沙羅である。 「え、何しに来たかって? 勿論、美味しいご飯を食べに来たに決まってる」 ハッキリ言い切る少女である。 お祝いする気の有無の差はあれど、並ぶ素晴らしい料理に目を輝かせるのはニニギアも同じであった。 「NOBUさんみたいにうまく伝えられるかしら、このおいしさを!」 「お、そりゃ面白そうだな!」 いでたちは、しなやかな黒い生地にスワロフスキーをちりばめたシックなカクテルドレス。淑女然としたニニギアの中身は何時もと同じである。 「うわぁぁ、口の中に芳醇な、……森の……ぱのらま、もぐもぐ、おいしぃぃ!」 「はもはも……んくっ、あ、時村さん、ご招待ありがとーなの! 楽しんでるよー、とっても料理おいしいの! もう、手が止まらな……んぐもぐ、ぷはー♪」 「お前等位楽しそうに食えばシェフも多分本望だろうよ」 いい所のお嬢様の筈が、お嬢様の格好を決めた筈が……ある意味で機能していないルーメリアである。 「あー、いやー、そのー……お嬢様でも、質素倹約目指してますからー……」 目を逸らす彼女は誰にともなく言い訳めいて。 「……い、いいじゃん、たまには食べまくっても! おいしいんだよ、このお肉! 時村さんも、ほら、あーん! うーん、そうだ。誕生日おめでとう。三十四には見えないね!」 フォークを差し出す姿は余計な一言も健在で、全く可愛気の塊である。 「笑ってるし……」 一方で笑う沙織に気付いて、少しだけ拗ねたように頬を赤らめるのはニニギアである。 (沙織さんの嬉しそうな顔。こちらまで嬉しいわ。いつもお疲れ様) 敢えて口には出さずニニギアは内心だけで呟いた。「今日位はお願いだからエリューションもおとなしくしていてね……」。 例年は政財界の大物が集まるという財閥嫡男、時村沙織の誕生パーティ。 時村本邸の敷地内、迎賓ホールで開催されるパーティは恒例のものだという。 比較的『小規模』であるという今年に関しても、見ての通りその言葉を疑える程度なのは流石の時村と言えるのだろうが。 高級な調度品で整えられた明るい室内には、素晴らしい料理の数々が並んでいる。 歓談を楽しむ面々の向こうでは、見事な楽団がその出番を待っていた。中々お目にかかれない社交場のシーンである。 曰く「オッサンほど与し易いモノはねェっすよ」。 再三リハーサルを重ねたタヱは甘く可憐な少女の声とスマイルでタタっと駆け寄った。 「やーん、時村のおにいちゃーん♪ この前はおいしーお土産ありがとうございましたっ。 おたんじょうび、おめでとうございまーす♪」 元々、政財界の誰ぞに取り入る為にここにやって来た少女である。 今日の主賓がアーク関係者である事と、肝心のプレゼントを忘れてきた事に彼女が気付くまであと三十秒。 「誕生日、おめでとう。今年一年がよき年である事を祈る」 「Danke、司令殿。今日は楽しませてもらうよ」 「ああ、ゆっくりしていきな」 質実剛健なるウラジミールの祝辞と、気安いクルトの声に沙織は片手を挙げて応えた。 「やぁ沙織さん。お誕生日おめでとう御座います」 「……ええと?」 「あたしだよあたしぃ。遠野御龍だよぅ」 「分かってるよ。惚けてやるのが礼儀かと思ってね」 沙織にひらひらと手を振った御龍はブルーのドレスで見違えるほどのお洒落を果たしている。 「やればできるのだ。やれば」 「大したもんだ」 「室長さん室長さん、はじめましてはじめまして! アルは、アルトゥルは、アルトゥル・ティー・ルーヴェンドルフともうします」 笑う沙織の姿を見つけ、ささっと駆け寄り、ドレスの裾をちょんと摘み、勢い良く頭を下げるのはアルトゥルである。 「はい、宜しくね。食べ物とってあげようか?」 「いえ、おきになさらず! お誕生日おめでとうございます室長さん。 アルは、アルトゥルはまだまだひよっこですけれど、きっときっともっと強くなって立派なアークの一員になるます、ね! それでは室長さん、すてきなすてきないちねんを!」 可憐な少女とのやり取りは沙織にとって心温まる一時だったのだろうが「室長さんは、とうさまのひとつ年下なのですね。アルのとうさまは幸せそうですが。結婚、ふむむ、むずかしいものです」。小さく唸った少女の言葉には答える術をなくす彼である。 夢のある少女には沙織の苦慮は分からないし、沙織には少女の知る結婚観は共有出来まい。 ……何でもこの沙織、雨あられと降り注ぐ縁談話の回避の為に今年の主賓をリベリスタにする事を決めたという位の『筋金入り』である。 「あ、あのっ……ほ、本日はお日柄もよく、そのお誕生日おめでとうございます!」 曖昧に誤魔化した沙織の元へ今度は雷音がやって来る。 「ああ、ありがとう」 アークにやって来て一年、しかし雷音が直接沙織に……改まって相対するのは初めての事である。 着慣れぬドレスと少なからぬ緊張に堅くなり、ぎこちない笑みを浮かべる雷音に沙織はふっと微笑んだ。 彼女が彼と『直接関わる機会が少なかった理由』は専ら二つか。一つ目は―― 「見るでござる! 雷音のあの格好を! 麗しくて……かわいいでござる……悪い虫がつかないか心配でござぁ……」 ――離れたテーブルで必死に智親に雷音の可愛さを語り、しきりに同意を求める虎鐵である。 「そういえば智親は……仮にイヴに悪い虫がついた場合はどうやって追い払ってるでござるか?」 「つかん。故に問題ない。もしついたら、殴る」 「成る程! 最後は腕力でござるな! 拙者結構得意でござるよ!」 ……保護者にして養父の立場ながら、雷音の夫(未来予想図)を自称する彼である。虎の守る少女にはそう簡単に悪い虫は近寄らない。アークにおけるその筆頭と称してもおかしくはない沙織等もっての他である。 「うひょおおおおおおおおおお! イヴたあああああああああん! 可愛いね! ぺろぺろちゅっちゅ! あのメガネはロリコンだから、イヴたん写真集とかプレゼントにどうかな! もちろん健全なのだよ! イヴたんをそういう眼でみるのは俺が許さないよ! ぺろぺろ! 自然なイヴたん、いつものイヴたん、着飾るイヴたんをだなあああああ!」 「竜一、怖い」 「怖くないよ! 俺はいつもの俺だよ! 大丈夫だよ! 安心して、身をゆだねて!」 ごつん! 「腕力実施でござるなー。効いてなさそうでござるけど」 「ちゅっちゅ!」 「竜一、落ち着いて。智親も武器は置いて……」 ……何せこの一団、最も落ち着きのあるのは幼女であった。 「お前も苦労するね」 「あ、あはは……」 アホ共のやり取りに肩を竦めた沙織に雷音は愛想笑いを漏らした。 「いつも指揮をとってもらってありがとう御座います。 し、室長の戦略はいつも、す、すごいと思います。ボクも、貴方みたいな指揮ができるように、なりたいです」 極々自然に少女の手を取った沙織に虎鐵の表情が強張る。雷音の頬に朱色が差す。……とは言え、それは色っぽい理由ではない。 「そ、そうだ! そ、そあらと仲良くしてあげてください。そあらはすごくいい子なのだ!」 理由は直接的に沙織と雷音が関わる機会の少なかった二つ目――雷音の言う親友(そあら)の存在の方である。 何せ目の前の彼は親友の好きな人。大好きな人。一生懸命、目の前の遊び人に親友の良い所を売り込む雷音は何て可愛い良い子だろう。 「沙織、誕生日おめでとう」 「ああ」 「祝われて嬉しい歳でもない、とはいえ、祝ってくれる人がいるのはよい事だろう?」 短く応えた沙織にアイリは悪戯っぽい笑みを投げる。 「……あぁ、そうか。沙織の好む年齢の子が、あまりいないのが残念だな。私も、もう少し年齢が低ければよかったか?」 「盛大な誤解があるような気がするんだが」 沙織は大きく溜息を吐き出してアイリが「……なんてな」と落ちをつける前に彼女の頤を持ち上げた。 「それより下がったら守備範囲から外れるだろうが」 「……」 「……………」 「……いや、十分広すぎると思うぞ」 「まぁね」 何ともシュールなやり取りであった。 「誕生日おめでとう、室長」 「おう」 パティシエの達哉が持ってきたのはそんなそあらの大好きな苺のタルトである。 「彼女のそあらと一緒に食ってくれ」 「……お前なぁ」 当然のように言った達哉に苦笑いした沙織に彼は「違うのか? なんだ残念だな」と肩を竦める。 「室長は子供とか興味ないのか? 子供はいいぞー。双子の娘はマジ可愛いぞー。 まあ、気が向いたら家庭を作るのはいいことだぞとだけ言っておくがなー」 「……む……リベリスタの中から……お嫁さん……選びのための……パーティー?」 ノンアルコールのシャーリーテンプルを片手に妙に多い女性陣の姿を見回して、小首を傾げたエリスのアホ毛が揺れる。 「待て待て」 「……むにられた」 頬をむにっとやられたエリスが茫と呟く。 ……今年で三十四にもなる遊び人は、特定の誰かも作らずに、人生の墓場に抗っている最中である。 雷音の微笑ましい援護射撃は良いとしても、年も年ならば、周囲の無形のプレッシャーも日々強くなるというものなのだ。 ともあれ、誕生パーティの主役になる沙織の付近からは人がはけない。 彼がそう推奨した通り――彼をダシにして単にパーティを楽しみに来ただけの客も多いのだが、そこはそれ建前もあるし。 「色々既に素敵なプレゼントを貰っておられるでしょうけど、つまらないものもどうぞ」 と連日夜なべして作ったマフラー』を、さもどうでも良さそうに渡す制服姿の恵梨香のように。 言葉や態度はどうあれ、素直に祝おうと思ってきた連中も事の外多かったという事なのかも知れない。 「沙織室長がお誕生日と聞いて文字通り飛んで来たよ。 誕生日が嬉しい歳でもない、だなんてツンデレだよね……? 折角の大事な日なんだから、ちゃんとお祝いしないとね!」 ゴシックな黒いドレスに身を包んだウェスティアがケーキ溢るる戦場に向かう前に沙織に軽く捕まった。 「どうして、自然に手とか取るかな! 当然のように手の甲にキスとかするかな!」 「俺よりケーキを優先しそうだったから」 A:つまり、一種の病気だから。 「さおりn……沙織さまの誕生日を純粋にお祝いにきました。 ダンスパーティーなんて何年ぶりだr……でしょうか」 煌びやかな照明に照らされる陽菜の姿は『美しい』。日頃の『可愛らしい』ではなく『美しい』と説明を受けるだけあって、今日の彼女は一味違う。長い髪は何時もの横ポニーを解きストレートにおろしている。うっすらと化粧を施し、フリル系のフォーマルなドレスを着こなした少女は、目の前の沙織に優雅に一礼をしてみせた。 「沙織さま、お誕生日おめでとうございます。毎日のお仕事もお疲れ様です」 「ありがと。今日は随分と綺麗だね」 「宜しければ、後で一曲を――」 些かぎこちない喋り方とその態度を面白そうに見た沙織は頷いて彼女からシャンパングラスを受けとった。 お嬢様と言えば不慣れな陽菜とは対照的に威風堂々とした二人(+オマケ)も居る。 「お誕生日おめでとうございます」 沙織が声に振り向けばそこには目の覚めるような赤いドレスに身を包んだ彩花が立っていた。 オートクチュール、大人びた一品物のパーティドレスは華やかで、彼女の凹凸の十分な肢体に良く似合う。 「馬子にも衣装~初回限定特別パック~です」 「飽きずにオマケのバカメイドまで付いてくるのは余計ですけど!」 フランス料理におけるソースの如く余計な一言を添えるモニカの存在も彼女にとっては定例である。 「お互い、意外にこうした場所で会うのは珍しいですよね」 「ええ。本当――」 彩花が話しかけた傍らでは青のパーティドレスに白のレースボレロ、自前で彩花と鮮やかなコントラストを生み出したミュゼーヌが笑っている。 「おめでとう、室長。ふふ、相変わらず室長の傍は美しい花で彩られているわね。でも、そろそろ花を剪定しても良い頃合じゃないかしら」 早速馬脚を現した彩花に比べてミュゼーヌの何と落ち着きのある事か。 彩花にはモニカが居る。ミュゼーヌには居なかった。この現実の、何と非情な事だろうか。 「何か、凄まじく失礼なナレーションですね。うちのお嬢様の資質(芸人)を甘く見ないで下さい」 褒めてねぇ。カメラ目線でズームするメイドのスコープはさて置いて。 「乾杯、ね?」 「じゃあ、お前達も――」 「乾杯」 透き通ったグラスが彩花の声にかつんと涼やかな音を立てる。 「私はメイドなので」と固辞したモニカを除く三人は高いシャンパンを一息に飲み干した。 「どう? 船旅は順調かしら」 「お前達のお陰でね」 社交界の一幕の如く、華やかなやり取りを続けるミュゼーヌと沙織。「ああ、そうだ」と彩花がラッピングされた包みを差し出した。 「お祝いをどうぞ。重工系列の新商品、最新の電動歯ブラシです。時期柄、歯はきちんと磨きませんとね」 「とことんつれないね、お前は」 「生憎と、室長の望む類の愛想を振りまくのはそう得意ではありませんので」 随分と三高平を騒がせたバレンタインはつい三日前の出来事である。すげなく揶揄した彩花の強気な美貌に沙織は小さく肩を竦める。 「世が世なら、或いは縁談話のあった間柄かも知れないのに」 「もう十も歳が近ければ、ですか? 相変わらずご冗談が上手な様子で」 完璧な所作で髪の毛をかき上げ、見事にかわしてみせる彩花。完璧である。完璧―― 「ジャジャーン。そんな沙織様に、メイドの素敵なプレゼント。 『大御堂彩花のおっぱいを心行くまで揉み尽くせる権利が得られる券』。ちなみに権利だからといって身の安全は保証されません」 「モニカッ!」←芸人モード ――嗚呼、モニカさえ、居なかったならば。 連れ立って沙織の元に顔を出したのはお嬢様勢ばかりではない。 「室長は誕生日を祝われる歳でもない……と仰っておいででしたけど。 アークが正式に動き出してからの一年を無事に過ごせた証としてのお祝いです。そういうお祝いなら、如何でしょうか?」 始まった喧々囂々とした漫才にグラスを片手に小さく息を吐き出した沙織に声を掛けたのは悠月だった。 「室長、お誕生日おめでとうございます。 普段から、何かと室長には任……仕事でお世話になっていますが、今後も宜しくお願いします」 悠月に続けて拓真が丁寧に一礼した。 彼にとってこの本邸は『相模の蝮』事件以来の場所である。 「こちらこそ。まぁ、お前達も遠慮なく楽しんでいきなよ」 「はい、それは……ええ」 ドレスアップした悠月をちらりと見やり、少しだけ拓真は鼻白んだ。 嫌味な位に気の利く沙織の言葉は着飾った悠月に新鮮さを覚える拓真の感情を見透かしているようでやり難い。 「……?」 少しだけ不思議そうに彼の顔を覗き込む彼女の顔が何時に無く美しく見えた。 煌びやかな舞台装置は悠久の月を鮮やかに輝かせる。そう言えば、月は光を返すものなのだ―― 「沙織室長、ご機嫌麗しゅうございます」 落ち着いた所作は先程のお笑いお嬢様とはステージの違う真のおしとやかさを感じさせる―― 「こんにちは、沙織さん。誕生日おめでとうございます!」 そんなカルナと共にやって来たのは彼女の恋人、悠里である。 「ありがちだけど沙織さんの生まれ年のワインを持ってきたよ。 それなりに奮発したけど……まぁ、こういうのは気持ちって事で!」 会場で開けられるシャンパンやワインの値段を考えて悠里は軽く笑った。 どうにも金銭感覚のぶっ壊れた御曹司には何を送ってもモノとしての価値はたかが知れている。 「分かってるじゃない。気持ちが大事、気持ちがね」 故に沙織は「全くその通り」と悠里の言葉を肯定した。 「この一年が室長にとってより良き一年となるよう、お祈り申し上げます。 そして、より良き一年と出来るよう、これまで以上にお仕える所存です」 男性へのプレゼントには華美なる三十四本の花束を差し出してカルナが微笑む。 聖女の微笑みは格別である。何とも癒し系を形にしたかのような緑、まるで森林浴のよう。 「じゃあ、簡単だけどこれで失礼します。今日はカルナと楽しませて貰うね!」 「では、ごきげんよう。どうか良き日をお過ごし下さい」 会釈をして二人が離れる。 「よう、時村の!」 豪気な声で呼びかけるのは狄龍である。 「……って言ったら親父さんの方も振り向いちまうな…… 息子だ、息子。誕生日、おめでとな。生日快楽♪ プレゼントなんて嬉しい年頃じゃねェだろうし、テキトーに包ませて貰ったぜ。おらよっ!」 豪放に「ははは」と笑い、まくし立てるようにそんな風に言って包みを押し付ける。 狄龍に隠れるように同道していたまおがおずおずと前に出た。 「お誕生日おめでとう御座います。あのえっとそのうー……もっと頑張ります」 ガチガチの少女に軽く応え、沙織は会場を見回した。 「和泉さん、いくつか料理取ってきたから、一緒に食べない?」 彼が何気なく眺めたテーブルでは『あの』快が何時もより随分と頑張っている。 絶妙なローストに最高のグレイビーソース。赤ワインも酒屋の息子の記憶が正しければ、ボトル数十万する逸品である。 パーティは華やかな歓談の場を作り出す。 ムードは男を三割それらしく見せ、女を三割は美しく引き上げる。上等の酒は何時もより誰かの舌を軽やかにするだろうか。 (これだけのパーティー開けて頭も切れる色男に口説かれちゃ、そりゃあコロっといっちゃう人もいるよなあ……) 気のいい快は妬むではなく、いっそ持ちすぎて生まれてきた沙織に半ば呆れていた。 「そういや、和泉さんも室長に『そういう風に』声掛けられたりしてるの?」 「気になりますか?」 白いドレス。髪をアップで纏めて今日はコンタクトにした和泉が悪戯っぽく聞き返す。 「そりゃ、気になるよ。室長が相手じゃ分が悪い――なんて、ね」 やはり、快。今日は随分頑張っている様子である。 楽しそうな集まりは幾つもある。 リベリスタだから度胸があるのか。それとも度胸があるからリベリスタになれるのか。 卵が先か鶏が先かの議論はさて置いて、不吉の悪名が名高い『塔の魔女』が壁の花にならないのもアークらしい。 「アシュレイちゃん? ……ドレス、とっても素敵です♪」 「アリス様の方が可愛いですよ! 食べちゃいたくなる位!」 ――これは、クラリス様にセバスチャン様…… 本来なら、アリスお嬢様と共にご挨拶差し上げるべきでしょうが…… お嬢様は今アシュレイ様の所に……本当にお嬢様ったら…… オルクス・パラストの二人に挨拶をする――気を揉む従者のミルフィが聞いたらば大変な事になりそうな台詞である。 空色を貴重にしたプリンセスラインのドレスに、豪華なティアラ。確かに人形のようなアリスは可愛らしい。 「もし宜しければ、ご一緒にパーティを楽しみませんか」というアリスの言葉に応え、何となく時間を過ごしている二人である。何時ものあられもない格好をシックなナイトドレスに替えた彼女はアリスの言う通り、 「いつもの魔女っぽい服と帽子ではないから一瞬分からなかったよ。女性は化けるというが、見事なものだね」 クルトの言う通り、『いわくつきで無いならば』誘いたくなるいい女には違いないのだが。 「時村のパーティってのはほんとにゴーカだよねぇ。 タキシードまで貸してくれるとかちょー助かるよねえ」 ふらりと現れて気楽に言った葬識は最初からその辺りが全く気にならない人間らしい。 「お酒もおいしいし料理も最高。オトモダチもいるし、アークさいこうだねっ! こんばんは、ヘーゼルモアちゃん。一曲どうかな? って誘うのが紳士的?」 「あはは、足踏んづけちゃいますよ」 アリスと歓談に興じていたアシュレイに声にへらへらと問い掛ける。 掴み所の無いこの殺人鬼の場合、『いわくつき』はかえってプラスに働くのか。何処まで本気かアシュレイを気に入っている節がある。 「アッシュレイちゃん! あーそーぼー!」 元気良くやって来た夏栖斗の方も掴めない。ある意味の化かし合いなのか、見ての通りの社交性が故なのか。 彼は目ざとく――ドレス姿のアシュレイの左手の手袋に視線をやった。そこだけは何時もと変わらないのだ。 「やっぱりそれは外さないんだ。お気に入りなの? 大切な人に貰ったとかさ。僕がなにかプレゼントしたらいつでも身につけてくれる?」 「あはは、どうでしょう」 少し困ったように笑うアシュレイの顔を覗き込みアリスが心配そうな顔をした。 「そっか」と愛想笑いを返した夏栖斗も困らせる心算は無かったのか、アプローチを変える。 「アシュレイちゃんいつもの格好もエロイけど今日もエロイね!」 ……悪化したとか言わない。 「よぉ、魔女。ヌシもまともな格好が出来たんじゃな。少々驚いたぞ」 夏栖斗では無いが直球に声を掛けてきたのはゼルマも同じだった。 「意外と見れるではないか。普段もあの狂った格好をやめて服装を選べば良いものを」 「な、何か酷い事を言われた気がする!」 マイペースなゼルマはアシュレイの顎を指先でくいと持ち上げて、その大きな瞳を覗き込む。 「折角じゃ。踊る。付き合え」 「!?」 「そうじゃな。理由は、強いて言うなら笑えるからじゃ。魔女と魔女のダンスなど、そうあるものではあるまい?」 生半可な男より余程男前な姿を見せたゼルマにアシュレイが目を白黒とさせている。 カマトトぶるという表現が誰よりも似合う魔女の姿に魔女は笑う。 何時もと変わるものもある。 何時もと変わらないモノもある。 (室長に誕生日のお祝いを言いに行くだけの簡単な用事のはずなのだけど……) 少女の甘ったるい香りに包まれながら無意味にぎゅーっと抱きしめられて、エナーシアは走馬灯のように今日の展開を思い出していた。 (礼服は探してみたら白いタキシードしかなかったから。 まあいいかしら変装替わりだわ、眼鏡と合わせると某ホストみたいだけど。 人の流れにステルスで紛れていけば何とか……うぎぎ、ももこさんに捕まってしまったのです><。) え、そんだけ? 時村邸は蝮事件で来た事があるから間取りが分かるとか、地の利がどうとか。 庭を回って上手く撒けばとかどうとかこうとか。超スピードだの催眠術だのじゃないうぎぎなのです><。 桃子が嗜虐的でマイペースなのは何時もの事。 「ドレスを新調したので、来ちゃいました。 どうですか、このドレス。ほらほら、仮面にも薔薇がついてるんですよ? 褒めてくれると、私とっても嬉しいです」 「可愛いです! とっても可愛いです、プリティでキュアキュアです。ももこさんのハートがマックスブレイクですよ!」 「わぁい」 人形のように抱っこされてぐったりと脱力するエナーシアに構わず、桃子は珍n……那由他と歓談している。 「沙織さんには?」 「御挨拶をしようかと思いましたけれど……やめておくことに」 「それが正解ですよ。そんな格好で行ったら大喜びしますからね! あのスケコマシの場合、倍プッシュですからね!」 「誰に恨まれたくもありませんしねぇ」 ……ゆったりとパーティの時間を楽しんでいた。 ――うわー! 超マゴイショ! きっみきゃっわいいねぇ~! いつもは悪魔にしか見えないけどおめかしするとまるで天使みたいに見えぐふぉっ! 「かくし、かくし」 純白のフリルのドレスに身を包む桃子は残骸(かずと)をテーブルの下に押し込め、既に証拠隠滅を図っている。 「桃子は楽しそうね。何か飲む?」 共犯のティアリアはくすくすと笑ってそんな桃子との一時を楽しんでいた。 「こんなつまらない会に何しに来たのかしら――とは思ったけど。意外と、たまにはいいものね?」 「この桃子さん、人のお金で贅沢するのは大好きなのです」 「ワインを酌み交わせないのが残念だわね」 「成る程」とティアリアは頷いた。何時もドレスの彼女は今夜も余り変わらない。 『淑女のたしなみ』で沙織に祝辞を述べてきた彼女だが、その専らの目的は目の前で嗜虐性を存分に発揮する白い悪魔の方である。 「わたくしは……貴女に会いに来たと言ったら、貴女は喜んでくれるのかしら?」 試すような問い。桃子(ノーマル)は「んー」と思案して、 「……たっぷり可愛がって差し上げますよ?」 そんなジゴロのような言葉を口にする。 口に手を当てて「それいいわ」と笑うティアリア(サディスト)が年下の少女(サディスト)の戯言を本気にしたかどうかはさて置いて。 「結局あまり派手でない振袖を着てしまいました。 いいんです、わかってます。あたしの体型でドレス着ても似合いません。 踊るわけでなし、踊る相手がいるでもなし――」 「――じゃあ、俺とどう?」 「ひっ!? 天敵!?」 それなりに楽しそうな面々に目を細め、過敏な反応を見せる夢乃をからかっては又遊ぶ沙織である。 「あー、お洒落。僕もお洒落」 「お前もタキシードかよ」 「流石の僕でもふぉーまるな所でくろリスお嬢さんらーぶとかだきゅすりったりとか。 とっきーに『ぱぱー偶には、お家に帰ってきてよー』とか言ったりしないし」 「そりゃ、正解だ」 気付けば自分の隣に居る。気配も無く隣に居たりりすの『笑えない冗談』に沙織は軽く『笑って』みせた。 「懐かしいか?」 「それなりに」 りりすの脳裏を過ぎるのは。この場所への『特別な感慨』であった。 (感傷なんてウェイトは、とっくの昔に捨てたと思ったのだけど――) あのシンヤと初めて出会った場所はこの本邸の敷地内であった。 「とっきー、楽しい?」 「まぁね」 「僕も楽しい。とっきーが困るの見るのスキだし、たまに殺したくなる誰かが居るしね」 りりすはこの時、肩を竦めた沙織ではなくその背後を見ていた。 「さおりん!」 可憐な声がその名を呼ぶ。鈴を転がしたかのような少女の声は言わずと知れた彼女の――そあらのものである。 意外と人望のある彼女、雷音に達哉に珍n……エカテリーナの気遣いも従えて、堂々の登場であった。 「さおりん、さおりんパパも見つけてきたです!」 テンション高く鼻息荒く、貴樹を同伴してやって来たそあらに沙織はハッキリとある種の予感を覚えていた。 鋭敏なる彼は、自分の勘に自負がある。幾多の修羅場を越えてきた遊び人は直感が故に、その時の訪れを知っていた。 「さおりんもパパも、もう大丈夫なのです! あたしがお嫁入りするですから安心して下さいです!」 勝ち誇るそあら、それは――(`・ω・´) 強きアザーバイドを思わせる真顔で真剣にそれを言うそあらに貴樹は堪え切れず大きな声で笑い出した。 「良かったな、沙織! 嫁が我が家に来るらしいぞ!」 「……」 絶句し、恨めしそうに父を見る息子の絵である。 小首を傾げたそあらは二人に構わず「任せておいて下さいです」とCカップ位の胸を張る。 「ではな、沙織。後々、良い報告を期待しているぞ!」 和装の貴樹は、同じく和装――白地に赤い花の振袖に髪飾りを差したシュエシアを呼び止めて『二人の世界』に意地悪く笑んだ。 「うふふ、和庭園があると聞きましたからね。なら日本の服で行くのが妥当かなっと。 ……あれっ、もしかして似合わないデス?」 「いいや、中々良く似合うぞ。それはそれで趣があって大変宜しい」 「そ、そうデスか」 ……この親にして、あの子有りとはこの事だ。 孫程の年齢の少女と微妙な空気を醸す父に何とも言えぬ視線を送る沙織はこの時ばかりは己が行動を反省した。 そんな駄目な老人と駄目な成人の事情は兎も角として。 「プレゼント持ってきたですよ」 おめかしをしたそあらは全身から相変わらずの大好き光線を発している。 一緒に居る事が嬉しくてたまらない――赤く染まったそあらの頬に何となく触れる沙織。 沙織の自然の所作は彼の業で、そんな彼に簡単に胸を高鳴らせるのはそあらの浅はかさであるが…… 「結局ネクタイにしたです。ネクタイなら1年中さおりんに使ってもらえると思って……それともあたし自身の方がよかったです?」 言っておいて恥ずかしそうに身をくねらせるそあらさん。最早名物と化した平時の光景に周りの誰も突っ込まない。 「ネクタイ締めてあげるです。何だか新婚さんみたいです。 ……いってらっしゃいのちゅーもいるですよね?」 そあらが用意したネクタイは沙織が好むイタリアの高級ブランド製である。 彼の首に手を回し、ネクタイを締めかけた彼女はぐっとそれを引っ張って―― ――都合の良い所で、間一髪。生演奏の音楽が流れ始めた。 「……それは今度ね」 (´・ω;`)としたそあらの額に軽く唇を押し当てて、沙織はさっと手を挙げる。 それは予定通りの事。 ――誕生日おめでとう……! ボクからのプレゼントです……! そう言って『一曲』を所望したアンジェリカが既にステージに立っている。 歌う機会はどんな事にも代え難い。誰かを祝う為の歌ならば、それは尚更の事である。 目を閉じたアンジェリカはこの場に蝮原咬兵が居ない事を残念に思った。しかし、それも一瞬の事である。 ――Happy Birthday To You―― 柔らかな歌声は清廉と響く。時間を楽しむ面々の鼓膜に、心に滑り込み――特別の意味を教えるのだ。 ●踊るモーツァルト 室内に響き渡る音色は豊かな室内楽にその姿を変えていた。 夜会めいた時間は世俗の感覚をこの時ばかりは打ち消す、一種の幻想を秘めている。 手を取り合う男女は自然とその足取りを軽くして、互いの姿は三割と言わずもう少し――魅力的に映るのだ。 「俺達も行こうか……悠月」 「ええ。参りましょう、拓真さん」 恋人達も、それ以外も。この夜の調べに酩酊するのだ―― 「今日は皆でお祝いに来たんです! 嬉しいですか? 沙織さん」 眉根をぐっと寄せ、気合十分、力たっぷりに京子が言う。 「あ、これ、ドレス、さっき和泉さんに見繕ってもらったんです、可愛いです? 嬉しいですか? 沙織さん」 少女の可愛らしさを一杯に引き立てるドレスに、薄い化粧。艶やかな唇に大きな瞳は本来そんな手助けを必要としないが――背伸びした少女の僅かばかりの『危うさ』は沙織の好むものだった。 「嬉しいよ、可愛いし」 「……そうですか」 表情を緩め、引き締め、京子の顔は忙しい。 こんな時、どんな顔をしていいのか余り彼女は知らない。必要以上に『近い』距離に慌て、しかし身を離すでもなく。 「これってダンスパーティでもあるんですよね? 踊ってあげても、いいですよ?」 「へぇ?」 大上段から言った少女は二秒と待てず本音の言葉を付け足した。 「嘘です、踊って下さい」 全く憎らしい程、こういう手管に長けた男なのである。 沙織のリードは少女の不慣れを察しているかのように丁重なものだった。 「クイック、クイック、スロー。そう、ワルツは風情で踊るもん」 「は、はいっ!」 緊張に硬くなり、沙織の足に『とまる』事数度。 「しっかりリードしてください、私はじめてなんですから!」 顔色一つ変えない沙織は当然と言わんばかりである。 そんな事実にかえって顔を赤くして逆にそう言った京子の言葉に「そう?」と応えた彼はステップを転調させた。 優しい、ながらも意地悪いリード。全くこの男そのものといった風―― 「わぷっ!」 ――それがトドメで完全に足をもつれさせた京子を沙織の胸が抱き止めた。 「に、二月十七日は!」 「……は?」 「天使のささやきの日です! 沙織さん囁いてください!」 目をぐるぐるにした京子は自分で何を言っているか分かっていない。 彼女が「……って何言ってるんだ私は><;」と内心で考えたその時に、 「……、……、……………」 彼女の耳元に寄せられた沙織の唇が、意地の悪いバリトンが『とんでもない事』を彼女の耳の奥に吹き込んでくる。 顔を真っ赤にした一人の少女が出来上がり…… 「女装趣味がありましたっけ?」 男装の麗人という評価が一番ピタリと嵌るだろうか―― タキシードを見事に着こなした凛子が、言葉の通りドレスを纏った桐の手を引く。 「趣味とか関係なく……だって似合うでしょう?」 くるりと一回転、ターンを決めた少年は悪戯っぽく凛子の顔を覗き込む。 女性と男性、リードする者とされる者。倒錯的にそれが入れ替わった二人の様もこんな時間には相応しい。 「雪白さん、一曲踊って頂けませんか?」 「喜んで。では、お願いしますね?」 役柄を入れ替えた王子様とお姫様はかくて幻想の夜に繰り出した―― 「戯言に戯れですよね」 「戯れで心が軽くなるなら、何よりです」 「室長が無事に歳を重ねたという事は日本が一年を乗り切った証左だ。本当に目出度いね」 音楽に合わせて体と体を寄せてしまえば、目の前の相手以外の雑音は全く気にも留まらぬもの。 喜平は不慣れなステップで苦心惨憺、必死についていこうと努力するプレインフェザーの姿にふっと柔らかく微笑んだ。 ――何も言うな……笑えるカッコなのは自分が一番分かってるって! 言い訳めいた彼女の藍色のドレス姿を喜平は笑わなかった。 ――口ん中でとけるよーなすげえウマい肉が食えるんだろ、我慢するさ。甘いのも一杯あるとイイな? 花より団子といった風の彼女の笑顔に彼は応えた。 ――その……あたし、ホントにやり方知らねえぞ? 絶対コケて、富永の方がケガすると思うけど……もお、後悔すんなよ…… ケガしないようにきっちりリードしろよな? 拗ねたような困ったような上目遣いで頬を染める少女の姿が何とも言えずに愛しく見えた。 緊張の余り少女の足はふらつき、ステップは乱れる。彼女の足が喜平の足に『とまった』のも一度や二度の話ではない。 「うー……」 「……こんな素敵な女性と踊れるなんて、運命に感謝だ」 プレインフェザーの唸り声を喜平は先手を打って封殺した。 「ヒドいだろ? ……だから、いつかまた、リベンジさせろよ。絶対だ」 それを言う――彼女は彼の顔を、見れない―― 「――ミスタ・アトキンス。一曲お相手いただきたいのですが……宜しいでしょうか?」 言葉に目を丸くして少しの驚きの色を浮かべたセバスチャンは螢衣の要望に応え、この時間を彼女と共に過ごしていた。 「……本当に、私で宜しかったのですかな?」 「ええ、はい。勿論です」 本場英国の社交界で身に着けた『嗜み』は流石である。 その物々しい体付きからは信じられない位に繊細に、丁重なセバスチャンのリードは時間に酔うには十分な質を持っている。 「私の方こそ……ダンスは高校の、ハイスクールのダンスパーティのレベルなら何とかなる程度ですが……」 ヒールの履きこなしの方には自信がある。 「いえいえ、とんでもない。美しいお嬢様をリードする権利を頂いたのは、今晩の誉れになりましょう。 出番は無い心算ではおりましたが、お役に立てましたならば、何より」 音楽に合わせて身体は揺れる。全く『絶対執事』の名の通り、何をやらせても様になる男は、選んだ螢衣に見る目があったか。 夜会を知る彼女は、十分満足出来た事だろう。 「ところで、沙織。ダンスの誘いはまだかしら?」 素直になった『溶けかけ』の氷璃は甘く蜜を湛える、まるでアイスクリームのよう。 「エスコートして頂戴。自惚れたければ自惚れなさい」 夜会のリズムにシルエットが揺れる。 揺れて、揺れて、揺れて、酔う。 陶酔するような光のシャワーを浴びて、誰の注目も気にせずに、二月十七日のナイトバロンと時間に酔う。 「――Joyeux anniversaire?」 「Merci」 からかうような氷璃のその声に沙織は全く平然としたものだ。 目の前の父よりも長く生きる『少女』にも彼は物怖じする事は無い。 「楽しそうね?」 「お前が居るからね」 身長差も気に掛かる事は無く、白い少女の手を取った沙織は見事なリードを見せていた。この場合は、くるりと回るロブデコルテ、アームロング、ストール。銀の夜会巻き、逆十字のアクセサリーを身に着けた少女の協力も大きいが。全く場慣れた二人は奇妙に絵画めいた時間を作り出している。 「ねぇ、沙織」 「うん?」 音楽の調べに乗せて少女はステップを踏む。身体をぴったりと寄せて他の誰にも零れる言葉が零れぬように。 「永遠ってあるのかしら。永遠を、信じるかしら?」 詮無い質問は問いかけとは裏腹に彼女と彼の間に横たわる限界を意味している。 少女のなりで時間を止めた彼女と、誕生日を迎え老いる彼の間に永遠等ありはしない。 彼女本人が永遠だったとて、仮に――仮に、である。『想い』等という不確かなモノが永遠だったとしても――である。 「信じない。そんなの無いよ」 「同感だわ。でも、却ってからこそ――刺激的なのかも知れないわ」 氷璃は予想通りの答えに小さな溜息を零した。分かっていた事、自身も同意する事。しかし、溜息。 「でもね、沙織。『有限の永遠』ならあるかも知れないわ。 期間限定。試してみましょう? 私が死ぬか、沙織が死ぬまで――からかったりからかわれたり、戯れ合ったりしてあげる。 誕生日プレゼントよ、沙織。私は貴方が……だから、そう。Mon présent、お気に召したかしら?」 「プレゼントは私、か。随分、思い切った事を言うね、お前は」 「悪い?」 氷璃は華やかに笑って悪びれない。 「お酒を呑み過ぎたら酔うものよ。いいえ、酔えるお酒なら素敵でしょう? 沙織が結婚したら……そうね。背徳(おさけ)を飲み干すのも、とても魅力的だと思うわね――」 ●一年 「時間の経つのは早きもの、ですね。司令――」 「おお、永殿か。全く、この老体には堪える事実ではあるが――」 パーティの喧騒を避け、雪のちらつく庭園を眺めていた貴樹に声を掛けたのは同じく夜に静けさを求めた永だった。 「大きくなりましたね、アークも」 「全く。ご尽力の賜物と思います。我々の力とは思っておりませぬよ」 普段の三つ編みは解き、結い上げている。紫地に桜柄の着物、白い帯。 永の姿は少女のままだが、その歳は老いた貴樹よりも上である。 静けさの中、夜の中――二人はぽつりぽつりと言葉を交わす。 「初めて三高平を訪れた時、その活気に驚いたのを覚えております。 戦場に散った古強者の遺志を継ぐ若武者のように、やがては若武者も古強者となるのでしょう。 それを育て上げた老人の意志を、かの若人は継ぐのでしょうか」 「はてさて、見届けたいがわしは届くか分かりません。永殿はどうか、彼等を見守ってやって下さいましな」 「そんな弱きお言葉は聞きたくございません。息子殿の晴れの日ではありませんか」 「……これは失敬」 老齢に少なからぬ持病を持つ貴樹ではあるが、その気質は若い頃と余り変わっていない。 言葉を失言と笑い飛ばした彼は雪の降る庭園の方へ手を差し出し、その一片を掬い取る。 「永殿は?」 「さて、私は如何なのでしょう? 夫が亡くなった後、息子達に家を任せて私の役目は終わったと思っていたけれど…… 何かに駆られて飛び乗った方舟は新鮮な事ばかりで……」 言葉は不器用なものだった。拙く、纏まってはいない。「ふむ」と頷いた貴樹に彼女は一言を添える。 「いずれまた、この庭園を見に伺っても宜しいですか?」 「喜んで。何なら、お付き合いも?」 「そうですね――」 この場所にはアークの歩む足跡が残っている、残されていく。二人はそんな気がしていたのかも知れない。 ふけていくのは二月十七日。時村沙織の三十四回目の誕生日。 時間は続く。連綿と。今日も又、アークに新たな一ページが刻まれている―― |
■シナリオ結果■ | |||
|
|||
■あとがき■ | |||
|