黒犬は転倒を許さず
黒犬は転倒を許さず



 夜闇の中、雨脚はまだ弱まりそうになかった。
 ぽつぱつ、ぱらら。
 傘を打つ雨音は嫌いではない蓮風だが、足が濡れるのには少しだけ辟易していた。
 ぬかるんだ道は歩きにくいし、泥混じりの水が服を汚す。後で洗うのが大変そうだ。
 そんな時、目の前に古いバス停が見えた。
 電球があたりをぼんやりと照らす停留所は、今日の仕事をもう終えている。だけど、その一畳ほどの、木でできた屋根とベンチしかない待合には営業時間などないだろう。傘をたたみながらホーロー製の広告などが貼られた壁を見回し、彼女はふうと息をついた。
「困りましたねぇ……」
 口にしても何かが変わるわけでもないのに、言葉にしてしまえば憂鬱感がいや増すばかり。
 手のひらで雨を受け止めてみても、空模様が変わるわけでもないことに肩を落とし、彼女はベンチに腰を下ろそうと振り返り――
 初めて気がついた。
 そこには、先客がいた。
 黒い、毛深い生き物だ。それは間違いなく目を開けて、彼女を見ている。
 それに彼女が怯えたのは、一瞬のことだ。それは少し大柄で、理性的な目をした犬のようだ。
 例えるならば、真っ黒なシベリアンハスキー。
 それが2匹、体を寄せあっていたのだ。
「あら。そちらも雨宿りですか?」
 くすりと笑って、彼女は犬に声をかける。
 一匹の犬は伏せていた上体を起こし、彼女の言葉に対し首を傾げた。
「私も、です。もうしばらく、ご一緒させてくださいね」
 言葉を理解しているかどうかはともかくとして、犬は納得したのか興味を失ったのか、伸ばした前足の上に顎を置き直した。
 ざあざあと。
 雨音はまだ、しばらくやみそうにない。


「以前、覚者のみなさんに救出依頼をお願いしたことがある方なのですが」
 久方 真由美(nCL2000003)がそう前置きをして、今回の『夢』の話を始めた。
 一人の少女が、偶然に出くわした古妖の機嫌を損ねて襲われてしまうのだという。
 古妖の名は、送り犬。
 送り狼というのがよく人間の害意、悪意に対する表現として使われたりするが、その語源である。
 様々な伝承があるが、今回の送り犬は目的地に到着した際一言お礼を言えば満足するらしい。
「お礼を言い忘れるわけじゃないですよ」
 真由美が、覚者が早とちりする前に釘を差した。
 同時にこの送り犬は、『転んだ者に襲いかかる』性質があるのだという。
 転ばないように注意してもらえばいいのかと呟いた覚者の前で、真由美は首を横に振った。
「それが、どうも彼女、かならず転ぶみたいです。まず一度は、石に足を取られて。
 その時はかろうじて逃げ出そうとするんですが、この場にいたのは、この古妖だけではなくて」
 真由美が困った顔でじっと覚者の顔を見た。
「おそらく、すねこすりだと思うんです――多分」
 それはほとんど無害ながら、人の足を引っ張り、転ばせる古妖――。


 通り雨だったのだろう。
 雨はもうしとしとよりも静かな音になり、時折、電球の光を返す絹糸のような雫が見えるくらいだ。
「良かったぁ! 洗濯物、明日は干せそうです!」
 そう言って傘を差し、振り返って犬に手をふろうとした彼女の前で2匹の犬はのそり、と立ち上がる。
 きょとんとした彼女の前をゆうゆうと歩き、ついて来いと言わんばかりに振り返る犬。
 だが、彼女はさっきまで犬が座っていた場所にまだ、珍客がいるのを見つけ、目を瞬いていた。
 白と茶色。だいたいそんな色合いの、小さく、丸っこいものがそこにいた。
「あら! 可愛らしいお客さんが、他にもいらしたんですね」
 彼女はにっこりと微笑むと、その生き物に手を伸ばす。
 それは、眠っていたようだった。
 背中をゆっくりとなでられる感触に目を覚ました、ネズミのような印象のそれは、眠そうな目を一生懸命にあけて彼女を見、その拍子、寒さにだろう、少し震えて小さなくしゃみをした。
「まあまあ。冷えちゃってるのかな……そうだ、よかったら一緒に帰りませんか?」
 そう言いながら、彼女はそれを抱え上げる。嫌がりもせず、それは彼女の腕の中に収まった。
「――待っててくださったんですね。じゃあ、帰りましょうか」
 犬がじっと彼女を見上げているのに気がついて、足取りも軽く、彼女は振り返る。
 一歩踏み出して――そして、濡れた石に足が滑り、ばしゃり、と水の中に手をついた。
「痛た……」
 膝を擦ったようだ。あとでしっかり洗い流し、消毒をしなければ――そう思った彼女の腕の中で、抱えたままのネズミめいたそれが、きゅい、と悲鳴のように鳴いた。
 彼女は慌ててそれを見る。だが、それは無傷なようで――悲鳴を上げながら、彼女と犬を見比べる。
 何事かと、恐る恐る顔を上げた彼女の前で。
 さっきまであれだけおとなしく振舞っていた犬たちは、鼻に皺を寄せ、牙を剥いていた。


■シナリオ詳細
種別:通常
難易度:普通
担当ST:ももんが
■成功条件
1.蓮風の生存
2.送り犬の沈静化
3.なし
犬に送迎されてみたい、犬派のももんがです。

●送り犬
古妖。2体。
多くの場合、いつの間にか夜道で後ろをぴたりとついて歩いているとされる。
時折、道に迷った人を送り届ける形の伝承が有り、おそらく今回はこちらのケース。
どの形であれ、転んだ者を噛み殺すという習性が伝わっている。
転んだのではなく休憩であると思わせれば襲ってこないという話もあるが――
今回は、間違いなくこけてしまっていると認識されるため、襲撃は確定事項である。
体が黒く、夜闇では狙いをつけにくい。

・体当たり 近距離単体物理
・噛み付き 近距離単体物理 出血
・吠える 遠距離単体貫通3特殊 ダメージ0 弱体

●ネズミのような生き物
すねこすりではないかと推測される。
少なくとも居合わせた一般人に対し攻撃的な様子がないため妖ではないだろう。

●現場状況
夜、田畑の中を通る、舗装されていない路面。
バス停の他には何もなく、電信柱の外灯も切れている。
無人販売所も近くにあるが、そちらには灯りはない。
足元も、照明条件も非常に悪い。

●蓮風
祭木 蓮風。(まつりぎ れんふう)
成人したてくらいに見える、一般人の女性。
長い黒髪を三つ編みにしている。大きな眼鏡。
10月頃、彼女の所有する蔵の所蔵物が妖に変異した事件でFiVEに助けられた記録がある。
なお、当該事件の収束にあたった人員は、自分たちは郷土史研究クラブだと名乗っている。
状態
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
(1モルげっと♪)
相談日数
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
サポート人数
1/1
公開日
2015年11月26日

■メイン参加者 8人■

『インヤンガールのインの方』
葛葉・かがり(CL2000737)
『弦操りの強者』
黒崎 ヤマト(CL2001083)
『インヤンガールのヤンの方』
葛葉・あかり(CL2000714)
『『恋路の守護者』』
リーネ・ブルツェンスカ(CL2000862)
『風に舞う花』
風織 紡(CL2000764)

■サポート参加者 1人■



 かつてこの日本(ヒノモト)には、狼がいた。
 今から110年前に奈良で捕獲された一体を最後に姿を消したと言われている彼らは、習性として群れて縄張りを作ったようだ。また、その群には縄張りの中に侵入した存在を尾け見張る偵察役がいたと言う。
 そして、彼らは倒れた人を見た時にその生死を確認する行動をとったという話が残っている。
 且つ他の、作物を食ってしまう害獣を食うことから、人を護るものではないかという信仰も生まれ。
 幽霊の正体見たり枯れ尾花。
 古妖の成り立ちやあり方はわからずとも、送り犬なる古妖に限れば、人と狼のつきあい方のひとつの指針のようであり、鶏が先か卵が先かということのようで。
 ――あえて言うならば。
 当時存在した、狼への信仰がある種の言葉となって今も残っているものなのかもしれなかった。
 もっとも、当の狼が死滅したと言われる現在。
「人を襲う野良犬よりも質が悪い犬が昔からいるという方が問題だわ」
 そう呟いた『浄火』七十里・夏南(CL2000006)のように人の認識が覆るのも、必然だろう。
 元来清潔を重んじる夏南にとって、獣という生物感溢れるものへの信仰と彼女自身の信じる秩序とが相容れないのかもしれなかったが。
「叩いて殺せるのかわからないけれど。試してみればいいだけの話ね。
 殺せれば減らせる、減らせるなら無くせる――居なくなれば事件が起きることもなくより秩序的になるわ」
 夏南がそう呟く横で、『教授』新田・成(CL2000538)がやんわりと首を振った。
「かつて、古妖が人の暮らしと共にあった時代は終わりました。
 人は人の、古妖は古妖の世界で、それぞれの境界線を守って暮らす。
 ――そんな風に生きるには、この国は少々狭かったという事ですかね。
 それでも、私は無闇に其の境界が侵されることを望みません」
「あたしは殺すつもりはねーです」
「沈静化が目的だから殺す必要は無いデスヨネ?
 流石に弱らせても来る様なら涙を飲んで殺さないとイケマセンガ……」
 窓を叩く雨粒を見ながら、『鉄仮面の乙女』風織 紡(CL2000764)がぽつりと呟き、 『『恋路の守護者』』リーネ・ブルツェンスカ(CL2000862)が、「可能なら弱らせて諦めさせたいデース」と続ける。動物の好きなリーネは、人を襲うことが予知されていても攻撃することには気が引けているようだった。
「送り犬とすねこすりの組み合わせ、かぁ。
 どちらも、特に問題がなければ無害な存在なはずなんだけど」
 話の方向をやんわりと変えようとしたのか、指崎 まこと(CL2000087)が軽く頭を掻いた。
「これは見事な連係プレーだねぇ。……状況的には笑い事じゃないんだけどね」
 覚者たちの間で今ひとつ方針がはっきりしないまま。
 それでも彼らを乗せた車は、雨を踏み荒らすように走り続ける。
 送り犬かぁ、と呟いた『B・B』黒崎 ヤマト(CL2001083)が、ふと思いついた様子で声をあげた。
「終わったら送り犬に名前つけていいかな? タローとジロー!」
 雨音が車のボディを叩いている音だけがヤマトに応える。
 この雨がやむ頃には、目的の場所につくはずだ。

「ひゃああ……、?」
 足元の悪さかすねこすりの悪戯か。
 鼻に皺を寄せた送り犬に、身の危険を感じた蓮風は逃げ出そうと走りだしたところを、再度派手につまづいた。夢見の見た限りではこのまま喰われるところだったその時に、ぱっといくつもの明かりが浮かぶ。
「え?」
 きょとんとしながら明かりを見上げた蓮風と送り犬との間に、夏南が割入るように飛び込んだ。
「毛が沢山生えた生き物苦手なのよ……ぬかるみで靴が汚れるのも嫌だし」
 さっさと殺してしまおう。小声でそう口にした夏南の足元は、その実、地面を踏みしめていない。
 極僅かな低空飛行は、泥に足を取られないための対策でもある。
「や、どうもどうも」
「お久しぶりですね、郷土史研究クラブです。こんばんは、僕らの事覚えてます?」
 同様に割り込みながら『インヤンガールのヤンの方』葛葉・あかり(CL2000714)が軽く挨拶をし、まことが穏やかな空気感を意識しながら声をかける。見覚えのある顔に、蓮風は目を瞬いたようだった。
「あら? ええと、みなさんも道に迷われました?」
 落ち着いてこそいないものの、とぼけた空気感は相変わらずのようだ。パニックになって逃げられても困るところだが、いきなり警戒ゼロの勢いで安心されても、これはこれで困る。
「ワンコ! ちょっと、俺たちと遊んで行こうぜ」
 そう言ってヤマトは転んで見せ――そのまま、「一休み一休み」と言った。
 これで気を引けるならそれはそれで良しとしつつも、習性を試してみたかったのもある。送り犬たちは一度ヤマトをしっかりと見つめたが、休憩を口にした途端顔をそらして興味を失ったようだ。
 なるほど、と呟いて『インヤンガールのインの方』葛葉・かがり(CL2000737)もまた、蓮風と犬の間に立ち入った――と思いきやその途端盛大にすってんころりんした。
 わざとである。
 かがりの名誉のために繰り返すが、わざとこけたのである。
 すぐに立ち上がってみせたが、犬たちの目は確かに怒りに染まっている。
「転ぶのはめっちゃ得意ですわ。わざとじゃなくても転べますよ。
 三年坂で寿命三十年分くらいは縮めたかなあ。あっはっはー」
 泥を払おうとして、じゅくりとなるほどあっというまに泥水を吸った服に渋面を向けながらも、かがりはそんなことを嘯く。ただその後、がくりと肩を落として呟いた。
「はあ……あかりちゃんの運動神経が羨ましい……」
 ――わざとこけた、はずである。
 オー、とその盛大なコケ演技(のはずだ)に賞賛を向けて、リーネも躓いたようによろけてみせる。地面に手をつき、確かにころんだように見せかける。これで犬たちはリーネのことも標的とみなしたはずだ。
「全力で囮をヤリマスヨー!」
 狙いを蓮風以外に向けさせるための囮作戦がうまく回りそうな気配に、リーネは強気な声を上げる。
「皆は犬をこらしめるみたい。お手伝いいるよね。それが皆の望みだもんね。
 わたしはサポートに徹するよ。皆のお仕事だもんね」
 右手を数度、握ったり開いたりしてから『願望器』ファル・ラリス(CL2000151)は術符を掴み、そう呟いた。
「あくまでわたしは皆の願望をお手伝いするだけ。全ての決断は望む人のものなんだよ」
 金から、烏の濡羽のように色を変える髪。ファルが謳うかのように口遊む言葉は、酷く耳障りが良い。


「こけるのはムギのキャラじゃねーですので!」
 妙に自信たっぷりに胸をそらし、えっへんとか擬音の付きそうな態度で白金に変じた髪をかきあげれば、右耳の傍で翠玉が揺れた。紡は引き出した英霊の力を己のものとして、型に揃えて構えたナイフで斬りかかる。目の前にいる犬――とりあえずタローとする――は紡に目もくれず中ほどにいるリーネに飛びかからんとしているのだが、それを遮る夏南を障害であるとも判断しているのだろう。目はリーネを狙い続けたまま、夏南に体当たりし、喉を狙って噛み付こうとしている。
 仮称ジローは、こちらも狙っているのは後方にいるかがりのようだが、成が立ちふさがっているため、タロー同様に成を排除すべく噛みつく一方だ。
 夏南は身の内に宿る炎を感じながら連撃を繰り出す。地を這い、跳ね上がるような軌跡で犬たちを襲う、銀の箒めいた斧。
 あかりが呼気とともに髪色を変じ、かがりが吸気とともに妙齢へと姿を変じて術式を行使する。
 絡みつくような霧の中では犬たちの動きはいくらか鈍く、更には霧に紛れた雷雲が雷を降らせた。
 追撃とばかりジローへと符を放ちながら、あかりは鼻歌を歌う。実のところ、微妙に身体が震えているのを知らず知らずに精神の方から奮い立たせていたのかもしれない。
「男は狼ふふーんふーん♪」
「送り狼には気をつけなさい、てヤツやな。
 お母ちゃんが言うてたなあ。まだウチら姉妹には早い話や思うんやけど」
 かがりは召雷を繰り返しながら、離れて暮らす実家の母のことを思い出した。とはいえ電車で一時間ほどの距離ではあるが、13歳にはそれでも結構な距離の印象がある。
「でも、パパよりお母ちゃんの方がどっちかというと肉食系だった。
 ……かがり姉、今のナイショね。告げ口なし!」
「はいはい」
 じっとりとした空気感で返すかがりも、微かに膝が震えている。可愛いんやけどなあ、と呟くあたり、どうにも犬に怯えるのは姉妹の体質か何かのようだ。
 成は現の因子を覚醒させながらも、その身に何の変化もない。六十余のその積み重ね、人生の歩みすべてが経験ならばこそ、常に現在が最盛期であるがゆえに。己に牙を向ける犬を前にして、土を鎧のようにその身に纏わせた成は仕込み杖に指をかける。
「多少の怪我と汚れは、必要経費でしょう」
 かつ、という音がした次の刹那、迅雷の如く刀身が光を反して閃き――されどその抜刀は物を切ることを目的とせず、静かに『鞘』に戻される。振るわれたのは、弾丸のような衝撃波。追撃とばかり、ファルの符が犬に向かう。同時に、成は犬の様子を瞬時に観察し――「興奮未だ収まらず、というところですか」呟く。
 リーネもまた、大きくは見た目が変わらない。だが元来の成人を目前とした少女とは決して同じ外見とはいえず、成熟し、美しさに磨きがかかったそれとなっている。両の手に持った書物から波動弾をタローに向けて撃ちだしながら、ふと周囲を見回した。
 昼間のように、とまではいかないものの、その場所はかなり明るくなっている。
 クロ、えどわーど、もち、ピュラリス――だったはずだ。それぞれヤマト、あかり、紡、夏南の守護使役たちが、足元が暗くならないように頑張ってくれている。
「時々もちの存在を忘れるです……すまねーですね……」
 その存在に気がついて紡は眉を申し訳無さそうな顔をし、もちは耳をぱたりと動かした。
「行くぜレイジングブル! 妖に響かせろお前の魂!」
 そう叫んで、地面から少しだけ離れた高さで翼を広げたヤマトはギターをかき鳴らす。ぬかるんだ地面が数カ所乾いてひび割れ、そこから炎が柱となって吹き出した。犬の毛がちりちりと焦げるも、地の乾きがすぐに周囲の水に侵食されてぬかるみにもどるように炎上とまではいかなかったが、火傷しなかったわけではなさそうだ。
「ワンコが飽きるまで遊んでやろうぜ!」
 火が直撃していたジローへと、圧縮された空気をギターの音に乗せてぶつけてやる。

 送り犬に立ち向かう覚者たちの、その一方で。
「まだ少々危険ですので、ちょっと失礼します」
 まことはそう言って、有無を言わせずに蓮風を抱え翼を広げる。
「え、あ、じゃあお願いしますね」
 きょとんとしつつも、蓮風は抵抗どころか抱えられやすいように身体をひねったりする。彼女には以前の事件でも抱えられて運ばれ、助けられた経緯がある。危険だと言った以外特に説明はしていないが、前と似たようなことだろうと推測はついていたのかもしれない。
 蓮風を抱えたまま、まことは高く飛ぶ。3mも上に飛べば犬の攻撃は届かないだろう。万が一吠えられては避けることも難しくなるが、痛みはないとわかっている以上はそれも考慮のうちだ。まことはこの位置から仲間への補助ができないかと検討したが、さすがに蓮風を抱え護るような姿勢のままではそれも難しそうだった。
「きゃあ! 飛んでます、すごい! 高い!」
 それはそれで楽しそうにも聞こえる悲鳴(のような何か)を上げて、蓮風は周囲に目を向ける。杉玉と名付けられた成の守護使役があたりを照らしてくれていて暗さがないことも、蓮風が怖がっていない理由なのかもしれない。
 ふと、まことは蓮風の腕の中の生き物に目を向けた。
「キュイキュイ!」
 それは下で戦っている覚者たちを見て、興奮しているかのように蓮風の腕をぺちぺち叩いている。抵抗の類などではなく、例えばメガホンを振り回すような仕草。どうやら応援しているつもりのようだ。
(……?)
 まことは今、自分が考えたことに対してひっかかるものを覚えた。
 叩いている。振り回している。何を。手を。ちっちゃな爪が生えている。
 ――すねこすりに手があっただろうか?
 見覚えがあるような気もするのだが、今はそれを気にしている時ではないだろう。
「雨がうっとおしいですね、傘さしててもらっていいですか?」
 命の危機があった事を蓮風には決して悟らせぬように、まことは話しかける。穏やかに、にこやかに。

 幾度かの攻防の後、タローはとうとう組み付いていた夏南から飛び退る。誰を狙うかではなく、守りの姿勢に入ったように見えた。そして、吠える――威嚇。
 多くの生物にとって、威嚇は逃避や反撃の前触れである。古妖がその軛を逃れるものか否かは別の問題であるが、この送り犬たちにとってはそのままの意味を持っているようだった。
 炎を扱われるのが怖かったのか、その威嚇はヤマトに向かった。威力のあるものではないが、僅かに足がすくむ。ただの犬であれば、これくらいなんということはないのに。
「後ひと押しでお帰りいただけそうですな。もう少しだけ、頑張りましょう」
 成がかけた言葉に、ヤマトはああ、と頷いて自分を取り戻す。
「妖怪って不思議だよな。
 生き物なのか、自然現象みたいなのか……普通にしてたら可愛いワンコなのに」
 夏南が、かがりが犬たちに続けざま斧箒での連撃を、雷の雨を食らわせる。
 前線で攻撃を行ってに引き受けた夏南と成はさすがに怪我も多いが、行動に支障が出るほどの深手にはなっていない。そこまでの手傷になる前に、あかりが、ファルが癒すからだ。リーネは自分まで回復に回る必要が無いと察し、波動弾での攻撃を中心として動いている。
 ヤマトが撃ちだした空気弾に、タローはキャンと鳴いて更に飛び退った。
 そのタイミングでのことだった。
 成が突然「どっこいしょ」と口にしながらその場に座り込んだのは。
「お見送り、ご苦労様でした。ありがとう」
 さっき、ヤマトがやってみたことでもある。その時と今では、決定的に犬たちの状況が違った。戦意にあふれた健康体か、満身創痍で怯え始めたかの違い。
 礼を告げられ、菓子まで差し出されたタローはよろめいたように伏せてぐったりと転がってしまった。ジローも牙を剥くのをやめて、自分より深い傷を負ったタローに寄り添い、相棒の怪我を舐め始める。
 ――戦闘をこれ以上続ける意味はないだろう。
「このままお帰り願えたら上々かな。
 葛葉家のモットーは退魔調伏! 退かせ正道へ戻す!
 古妖はどれだけ力があるか未知数だからね。七十里様は、どうします?」
 あかりが、右目を閉じて夏南に振る。
「……皆乗り気ではないようだしね。一人では返り討ちに遭うだけだから」
 銀の箒こそ手放さぬままだったが、夏南はそう言うと送り犬から顔ごと視線を逸らした。
 リーネが「ゴメンナサイデス」と言いながら犬たちに両手を合わせる。送り犬たちはゆっくりと立ち上がると静かに遠ざかり、やがて夜闇に紛れて見えなくなった。


「お久しぶりでっす! まさかまたお会いするとは!」
「送り犬言いましてなあ、ちょうど研究調査しとったんですわ。まさかホンマにおるとは思わんかってけど」
「挨拶が遅れてしまいましたね。
 以前、部員がお世話になったと聞きました。『郷土史研究クラブ』顧問の新田と申します」
 改めて蓮風に挨拶する成と、それに続いた葛葉姉妹に、蓮風もぺこりと頭を下げる。
 下げてから、不思議そうに首を傾げた。
「送り……お葬式でもあったんでしょうか?」
「ええとね」
 どうやら本気で言ったらしい蓮風に、苦笑混じりにヤマトが古妖の伝承について説明をする。
「――だから、転んでも休憩の振りすれば、大丈夫!」
「なるほど……そんな方だったんですね。私としたら躓いてしまって」
 蓮風は特に疑いなく、偶然遭遇した郷土史研究クラブの面々に助けられたのだと信じたようだ。
「こいつを抱えていたんじゃ、手も塞がってるし。転ぶのは仕方なかったですよ」
「人里でくつろいでるんじゃないわよ……。
 悪戯する程度ならいいが、今回の様な事が二度無いとは限らないんだから。
 あまりに目につくようなら片っ端から丸焼きにして私の妹に食わす」
「モルゥ!?」
「あ!」
 もしかして自分のせいなのかしらといった風情でしょんぼりしながらあかりに頬をつつかれていた不確定名:すねこすりだったが、夏南に脅されたことにびっくりしたのか、悲鳴を上げて腕から飛び出し、すごいスピードでぴゅうとばかりに走りだした。バス停の裏に走りこんだのを慌てて蓮風が追いかけたが、すぐに立ち尽くしてしまった。
 暗くて見えなかったわけではなく、あっというまに姿を消してしまったのだと、蓮風は言う。
 ――色々と腑に落ちないことはあるが、それこそ古妖と人との境界の話である。
「これでよかったんですよ」
 と、成は目に見えて肩を落とした蓮風をなだめた。
 しかし。
(二度ある事は三度ある。この人、大丈夫かなぁ……)
 まことはふとそんなことを考え――それから「あ」と声を上げた。
 ヤマトとあかりも、同じことに気がついて目を丸くした。
 さっき姿を消したあいつは、彼らの持つ根付の意匠にとても良く似ていた。

<了>

■シナリオ結果■

成功

■詳細■

MVP
なし
軽傷
なし
重傷
なし
死亡
なし
称号付与
なし
特殊成果
なし



■あとがき■

モルモットの鳴き声って、キュイキュイキュイ、って感じでした。はい。




 
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