求める者、応える者
●届かぬ叫び
見渡す限りの暗闇だ。
時刻は丑三つ、場所は山中。
月明かりさえも遮られた漆黒の山林を、一人の男がとぼとぼと歩いている。
くたびれたスーツ姿に、顔色は土気色。そして右手には一本のロープ。
見ての通りの自殺志願者だ。
何度も何度も溜息を吐きながら、男はどんどんと山の奥へと進んでいく。
このまま人様に迷惑を掛けないよう、ひっそりと人生の幕を閉じる算段だ。
「あ」
と、間抜けな声を漏らして、男がようやく足を止めた。
見上げる先には立派な幹の大きな木。
そして木の枝にぶら下がった一体の――。
「先客が、いた、のか」
男の声は震えていた。
生まれて初めて見る死体に恐怖を覚えたからか。
はたまた腐臭を漂わせる首吊り死体に、少し未来の己の姿を重ねたからか。
いずれにせよ、男の決心はここに来て揺らぎを見せていた。
「やっぱり止めよう……」
元々自殺の理由など大したものじゃなかったのだ。
会社で大きな失敗をしてしまい、逃げ出すようにここまで来てしまった。
でも死ぬほどの事じゃない。苦悶の表情で死ぬような理由にしては小さすぎる。
「あんたに助けられたよ。俺には何も出来ないが、せめて安らかに眠ってくれ」
考えを改めた男は、物言わぬ屍に手を合わせてから背を向けて帰ろうとした。
しかし振り向いた先には、また首吊り死体。
「ひぃっ!」
有り得ない。ここはついさっき自分が通ってきた道だ。
いくら暗いとはいえ、進路を塞ぐようにぶら下がっていたら嫌でも気が付く。
――そう、進路を塞ぐように。
ドッと汗が噴き出てきた。
そうだ聞いた覚えがある。死んだ人間の霊が妖化する事もあると。
であれば前後を塞ぐ二体の死体は、恐らくは、
「う、うわあああああああああああ!」
理解と同時に男は弾かれたように走り出した。
足元の悪い山の中を、一心不乱に無我夢中で。
気が付けば自分が今どこにいるのかさえ分からぬ有様。
けれども男は助けを求めて走り続ける。
ふいに前方に灯りが見えた。
誰か人がいる。助かった。
「助けてくれぇ!」
泥だらけになりながら転がりついた先には、轟々と燃える赤い炎。
意思ある生き物のように奇妙に蠢く炎の塊。
周囲の木々に火の手を広げながら、火の玉の妖が飛び跳ねていた。
「ま、また……!」
愕然とする男の呟きに気が付いたのか、火の玉の炎が触手のように男へと伸びてきた。
「うわぁ!」
腰を抜かした男の頭上を炎が掠めていく。
奇跡的に妖の攻撃を回避できた。
男は這いつくばるようにして、命からがらその場から逃げ出した。
なんで、どうしてこんな事に。
これまでの人生で妖に襲われた事なんて一度もなかった。
なのにこの短時間で、二回も別の妖に遭遇してしまった。
殺されなかったのが不幸中の幸いか。
けれどもその幸運ももはやこれまで。
三度目の不幸が男を襲っていた。
「誰かぁ! 助けてくれぇ!」
大声を上げて逃げ回る男と、それを追い回す三頭の黒い影。
うち一頭が男に背後から飛びかかり、その背中に爪を突き立てた。
妖化した野犬だ。それが三頭も徒党を組んでいる。
獲物を捕まえた妖犬たちは、容赦なく牙を剥き、男の命を奪っていった。
助けを求める男の声は最後まで誰にも届かない。
残酷な咀嚼音だけが山林に響いていた。
●応える者たち
「私が今回見た夢はこれで全てです」
久方 真由美(nCL2000003)は落ち着き払った声音で告げた。
複数種類の妖の同時出現。状況としてはあまり好ましくない。
だがしかし、真由美の表情に不安は感じられなかった。
理由は単純。彼女の前には信頼に足る仲間たちがいるからだ。
「今回の妖たちはどれも個々の能力は低いです。ですが放っておくという選択肢は有りません」
真由美は深々と頭を下げた。
「襲われる男性の声に応えてあげられるのは、あなた達だけです。どうか彼を助けてあげてください」
見渡す限りの暗闇だ。
時刻は丑三つ、場所は山中。
月明かりさえも遮られた漆黒の山林を、一人の男がとぼとぼと歩いている。
くたびれたスーツ姿に、顔色は土気色。そして右手には一本のロープ。
見ての通りの自殺志願者だ。
何度も何度も溜息を吐きながら、男はどんどんと山の奥へと進んでいく。
このまま人様に迷惑を掛けないよう、ひっそりと人生の幕を閉じる算段だ。
「あ」
と、間抜けな声を漏らして、男がようやく足を止めた。
見上げる先には立派な幹の大きな木。
そして木の枝にぶら下がった一体の――。
「先客が、いた、のか」
男の声は震えていた。
生まれて初めて見る死体に恐怖を覚えたからか。
はたまた腐臭を漂わせる首吊り死体に、少し未来の己の姿を重ねたからか。
いずれにせよ、男の決心はここに来て揺らぎを見せていた。
「やっぱり止めよう……」
元々自殺の理由など大したものじゃなかったのだ。
会社で大きな失敗をしてしまい、逃げ出すようにここまで来てしまった。
でも死ぬほどの事じゃない。苦悶の表情で死ぬような理由にしては小さすぎる。
「あんたに助けられたよ。俺には何も出来ないが、せめて安らかに眠ってくれ」
考えを改めた男は、物言わぬ屍に手を合わせてから背を向けて帰ろうとした。
しかし振り向いた先には、また首吊り死体。
「ひぃっ!」
有り得ない。ここはついさっき自分が通ってきた道だ。
いくら暗いとはいえ、進路を塞ぐようにぶら下がっていたら嫌でも気が付く。
――そう、進路を塞ぐように。
ドッと汗が噴き出てきた。
そうだ聞いた覚えがある。死んだ人間の霊が妖化する事もあると。
であれば前後を塞ぐ二体の死体は、恐らくは、
「う、うわあああああああああああ!」
理解と同時に男は弾かれたように走り出した。
足元の悪い山の中を、一心不乱に無我夢中で。
気が付けば自分が今どこにいるのかさえ分からぬ有様。
けれども男は助けを求めて走り続ける。
ふいに前方に灯りが見えた。
誰か人がいる。助かった。
「助けてくれぇ!」
泥だらけになりながら転がりついた先には、轟々と燃える赤い炎。
意思ある生き物のように奇妙に蠢く炎の塊。
周囲の木々に火の手を広げながら、火の玉の妖が飛び跳ねていた。
「ま、また……!」
愕然とする男の呟きに気が付いたのか、火の玉の炎が触手のように男へと伸びてきた。
「うわぁ!」
腰を抜かした男の頭上を炎が掠めていく。
奇跡的に妖の攻撃を回避できた。
男は這いつくばるようにして、命からがらその場から逃げ出した。
なんで、どうしてこんな事に。
これまでの人生で妖に襲われた事なんて一度もなかった。
なのにこの短時間で、二回も別の妖に遭遇してしまった。
殺されなかったのが不幸中の幸いか。
けれどもその幸運ももはやこれまで。
三度目の不幸が男を襲っていた。
「誰かぁ! 助けてくれぇ!」
大声を上げて逃げ回る男と、それを追い回す三頭の黒い影。
うち一頭が男に背後から飛びかかり、その背中に爪を突き立てた。
妖化した野犬だ。それが三頭も徒党を組んでいる。
獲物を捕まえた妖犬たちは、容赦なく牙を剥き、男の命を奪っていった。
助けを求める男の声は最後まで誰にも届かない。
残酷な咀嚼音だけが山林に響いていた。
●応える者たち
「私が今回見た夢はこれで全てです」
久方 真由美(nCL2000003)は落ち着き払った声音で告げた。
複数種類の妖の同時出現。状況としてはあまり好ましくない。
だがしかし、真由美の表情に不安は感じられなかった。
理由は単純。彼女の前には信頼に足る仲間たちがいるからだ。
「今回の妖たちはどれも個々の能力は低いです。ですが放っておくという選択肢は有りません」
真由美は深々と頭を下げた。
「襲われる男性の声に応えてあげられるのは、あなた達だけです。どうか彼を助けてあげてください」

■シナリオ詳細
■成功条件
1.妖の全滅。
2.男性の救助。
3.なし
2.男性の救助。
3.なし
新米STのへいんと申します。
初シナリオという事で、敵の能力はあまり強くしてません。
レベルの低いPCでもプレイング次第では十分に活躍できるでしょう。
ただし地形的に若干の不利がある事を念頭にいれてください。
油断すると痛い目に遭うと思います、多分。
■敵情報
【妖:心霊系】
・首吊り死体×2 ランク1
スーツ姿の首吊り幽霊。
生きてる人間を仲間に加えようと襲いかかってくる。
幽霊なので物理攻撃の効果は薄い。
基本的にはぶら下がっている木の枝の範囲でしか動けない。
だが近くの木の枝に瞬間移動する能力も持っているようだ。
何処からともなく取り出したロープを敵に投擲してくる。
ロープに捕まれば行動を阻害されたり、霊の元まで引き寄せられるおそれがある。
腕力が強く、首を絞めようとしてくるため、近接で戦うには注意が必要だ。
【妖:自然系】
・燃えさかる火の玉×1 ランク2
直径3メートルほどの火の玉。 山で発生した不審火がそのまま妖化したものと思われる。
首吊り死体同様、物理攻撃の効果は薄そうだ。
直接触れれば火傷は免れないだろう。
真由美の夢にあった通り、火で出来た触手を伸ばして攻撃してくるようだ(特・遠・列)
その特性上、この妖の周囲は非常に明るい。故に発見が一番容易な妖だ。
山林に火をつけながら跳ね回っているため、山火事にも気を付けたいところ。
行動パターンは少ないが、今回の妖の中では一番の強敵だ。十分に注意されたし。
【妖:生物系】
・飢えた妖犬×3 ランク1
妖と化した大型犬。
数はいるが戦い慣れした覚者なら問題なく対処できるはずだ。
例え戦い慣れしていなくとも、一対一なら負ける事はまずないだろう。
しかし相手は複数匹。しかも獣故に地形的な不利など相手には無いに等しい。
敵を侮る事は敗北に繋がる事を忘れ無きよう。
■救助対象
・スーツ姿の男性。恐らく厄年か何か。
覚者たちが山に入る頃には、既に妖と遭遇してしまっているだろう。
叫び声を上げて必死に助けを求めているはずだ。
妖の被害に遭う前に彼を助けてあげる事が、今回の成功の条件の一つでもある。
■地形情報など
夜間の山中。木々が多く、視界はすこぶる悪い。
しかも暗いので何らかの対策が必要だろう。
足元も傾斜が多く決して良いとは言えないが、
一般人が逃げ回れる程度には整っているようだ。
以上。皆様のプレイングをお待ちしております。
状態
完了
完了
報酬モルコイン
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
金:0枚 銀:1枚 銅:0枚
相談日数
7日
7日
参加費
100LP[+予約50LP]
100LP[+予約50LP]
参加人数
8/8
8/8
公開日
2016年12月05日
2016年12月05日
■メイン参加者 8人■

●
木々の覆い茂る暗たんたる山深く。
このような草木も眠る時刻に山を登る人間がいるとすれば、それは命知らずであるか、そうでなければきっと、どうしようもない愚か者だけだろう。
しかし、だ。今集団で連れ立って登山を敢行する彼らは、そのどちらにも当て嵌まらない。
「いたたまれねーな。せっかく人一人の命が失われずに済んだって場面なのに」
道すがら『守人刀』獅子王 飛馬(CL2001466)は誰にともなく呟きを溢した。
「自殺、駄目、絶対」
飛馬の呟きに応じるように『アンシーリーコートスレイヤー』神々楽 黄泉(CL2001332)が声を上げた。
感情の機微が分かり辛い彼女にしては、些か声に心が籠もっている。黄泉は黄泉なりに自殺に対して思うところがあるのかもしれない。
「変な事考えるから、大変な事になるの。男の人、助けたら、お説教、ね」
助ける、とは文字通りの意味だ。
彼ら――FiVE所属の覚者一行は、夢見の夢に現れた、不幸な一人の男を助けるために行動している。
その男の不幸は、自殺しようとするほど追い詰められたこと……ではなく、せっかく自殺を思い留まった所に妖が現れて殺されてしまうことだ。
それも短時間に三度も襲われるという運の無さ。
「二度あることは三度あるとは言うものの、三度も妖に遭遇する不運も驚きです」
『Overdrive』片桐・美久(CL2001026)のもっともすぎる意見に反論一つ上がらない。
「真夜中、妖、活性化。男の人、災難?」
言葉少なに岩倉・盾護(CL2000549)が男の不運を疑問する。
しかし美久は首を振った。男は確かに不運には違いないが、
「不運を本当の不運にしてしまわないように、しっかりと探して助け出しますよ!」
その男の運命を覆すために自分たちが在るのだから。美久の言葉に納得したのか、盾護は無言で頷いた。
「経緯はどうあれ、死にたいとまで思いつめた、思ってしまった。そんなひとが、踏み止まってくれた。それを強引に彼岸へ引きずり込むようなことは、させちゃいけない」
男を助けたいと思っているのは宮神 羽琉(CL2001381)もまた同じだった。
「首吊り死体なんて見たくもないけど、いかなきゃ」
暗闇と、未だに姿を現さない妖に怯えながらも、羽琉は鷹の目で周囲を見渡す。
自分たちの近くに限るなら、ある程度の光源は確保されている。
複数名が懐中電灯やヘッドライトを持ってきていたし、守護使役のともしびもある。羽琉のアテンドである伊勢もともしびで照らしてくれている。
が、それでも夜間の山中は見通しが効かない。鷹の目の効果も十全とは言い難い状況だ。
ならば視覚以外の情報ならば?
「聞こえる、男の人の、悲鳴」
黄泉の指し示す方角を見て、『探偵見習い』工藤・奏空(CL2000955)も同意を示した。
「俺もそっちの方から聞こえますから、方向は間違ってないみたいですね」
鋭聴力によって研ぎ澄まされた黄泉と奏空の聴力は、ずっと何者かの叫びを聞き取っている。
山に入ってからこれまでの大半は、二人の聴力を頼りに進んできた。
とはいえ当然、聴覚以外にも予防線は張ってある。これは人命が掛かっている依頼だ。念には念を入れるべきだろう。
「きせきー! そっちに反応は?」
「ごめん! 僕の方はまだ引っかかってないよ!」
感情探査で男の感情を探していた『鬼籍あるいは奇跡』御影・きせき(CL2001110)は元気良く返事をした。
探査の範囲にまだ救助対象や妖の反応は現れていない。
「こちらも成果はかんばしくないですね」
木の心で植物の記憶を読み取っていた美久が冷静に報告した。
植物の記憶に男の姿がないと言う事は、少なくともこの付近を通っていないという事だ。
「ですが、ていさつは多少意味があったようですよ?」
美久と自分の鳥系守護使役を見ながら、御石 司(CL2001518)はそう返す。
上空からのていさつで妖の一体はあっさりと見つかったらしい。
赤々と燃え盛る大火球。火の玉の妖の位置が特定できたのだ。
「距離は離れているので、直ぐに接触する危険はなさそうです。気になるのは……」
「男の人、火の玉、方角が同じ」
司の言葉を盾護が引き継ぐ。
そう。鋭聴力によって明らかになっている男の現在地と、火の玉の位置がかなり近い。
つまり男は火の玉と接触する直前か、或いはもう接触した後か。
いずれにせよ、夢見の夢に現れた最後の時は刻一刻と近づいていた。
●
鷹の目で索敵していた羽琉は、不意に木々の群れの中に『何か』を見つけた。
何か人のような、しかし人にしては様子がおかしい何かが。
ともしびの灯りが遠くのそれを朧気に照らし上げる。
前情報を聞いていたお陰で、羽琉はハッキリと形が分からないままでも、それが何なのか理解してしまっていた。
「待って皆! アレ!」
恐怖に耐えて声を出した羽琉の示す先。
まだ依然として暗く、たとえ明るくとも鷹の目を持つ羽琉以外にはそこまでの距離は見えない。
だが見えずとも目標を捉える事はできる。
「何か妙な匂いがすると思えば腐臭でしたか」
猟犬の如き嗅覚で何があるかを察した司が、左手に銃を構える。
「首吊り死体、見つけたの?」
黄泉の疑問に司は頷きかけたが、そこではたと動きを止めた。そして首をきせきへと向ける。
司の意図を読んだきせきは否定の意を込めて、首をぶんぶんと横に振った。
「僕の感情探査はまだ反応してないよ!?」
妖にも感情はある。だがきせきの感情探査はまだ不発だ。
つまりはアレは首吊り死体であって、首吊り死体ではないモノという事になる。
「妖の元になっちまった死体って事かよ」
救えなかった悔しさからか飛馬が口惜しそうに歯噛みする。
確かに、既に失われてしまったモノを守る術はない。だが、
「行こう! 助けを呼ぶ声はまだ聞こえてるよ!」
「ああ、そのとーりだな!」
全員を励ますように発せられた奏空の励ましに、飛馬は再び走りだした。
「ごめん……僕が余計なモノを見つけたせいで」
再び進軍を始めた最中、羽琉が小さく謝罪を口にした。
しかし羽琉を責める声は上がらない。
「気にする必要はありません。羽琉くんのお陰で、彼らを弔う事が出来るのですから」
司が言うと、羽琉はきょとんとした顔をした。
「弔う?」
「はい、事が済んだら警察に連絡して、仏様を弔ってあげましょう」
司は当然のように言い放った。一拍おいて、羽琉は自分の行動が決して無駄でも、迷惑でもなかったのだと理解した。
「有り難うございます、司さん」
「お礼は全部終わった後で……それよりも」
司が目を鋭く細め、小さく臭いを嗅ぎ始めた。
山の中にしてはやけに人工的な臭いがする。人里特有の排気ガスや煙草の臭いを司の嗅覚が嗅ぎ取った。
それとほぼ同時、
「感情感知したよ! もうかなり近い!」
「でかしたきせき!」
きせきがついに感情探査に成功した。それを受けて真っ先に駆けだしたのは奏空だった。
きせきの感情探査、司の猟犬の嗅覚、そして自らの鋭聴力を武器に、覚醒した少年がひた走る。
「久々の実戦ですね。勘を取り戻すためにも、身体に慣れるためにも、慌てず、一つ一つ丁寧にいきましょう」
飛び抜けた速度を見せる奏空を追うように、司も銃と盾を手に戦列へと加わっていった。
●
多種多様の妖に襲われるなんて、人生のどん底みたいな災難の連続だ。
これが今生の幕引きだというのなら、なんと救いのない事か。
背後に迫る獣の荒い息遣いを前に、男はどこか他人事めいた感想を浮かべた。
現実逃避だ。分かっている。
何度も躓きそうになりながらも男は死に物狂いで走り続ける。
「誰か……助け……!」
喉からはもう掠れるような音しか出ない。
どんなに声を張り上げた所で誰も来ないのは知っている。
そういう場所を選んだのは自分なのだから。死ぬためにここに来たのは自分なのだから。
諦めに呼応して速度が自然と落ちる。足の疲労はもうとっくに限界だった。
飢えた野犬が一気に距離を縮めて来るのが分かって、男は恐怖に息を呑んだ。
「――雷獣!」
刹那、空気を切り裂くような轟音が山林を震わせた。
雷だ。男の背後に雷が落ちてきて、今まさに牙を剥こうとしていた野犬たちに直撃したのだ。
突然の雷撃を受けた野犬たちは怯み、動きを止めていた。
これはどういう幸運の賜物か。
降って湧いた奇跡に男は目を白黒させた。
その眼前に、一人の少年が舞い降りる。
「間に合った」
黒塗りの大太刀を手にした金髪の少年だ。
どこか幻想めいた光景だが、まさか新手の妖かと男は身を固くした。
しかし何か違和感がある。少年は野犬と対峙するように立っており、これではまるで自分を守っているかのようだ。
その違和感を証明するように野犬たちが少年もろとも男を殺そうと飛びかかってくる。
が、その牙は少年にも男にも届かない。
「男の人、守る」
今度はキャップを被った別の少年が、野犬の攻撃を全て受け止めていた。
少年は両手に盾を持った――否、両腕が盾になっている。
ここまで見れば流石の男もピンと来る。
覚者。今、ぞくぞくと男の周囲に集い始めた少年少女たちは、皆あの覚者なのだ。
でも、何故こんなにも多くの覚者がこんな場所に。
展開の早さに呆ける男だったが、ふといつの間にか傍らにいた少女が、
「助けに来た、の。お説教は、後、今は私達から、離れない」
と呟いた。
●
「このへんいっぱい妖がいるから、僕たちから離れないで!」
「もう大丈夫。怖くないですよ。あとは、お任せください」
男を安心させ、尚且つ警戒を継続させるために、司ときせきが次々に声を掛けていく。
黄泉のマイナスイオンもあってか男はすんなりと助けを受け入れてくれたようだ。
「にーちゃん、こっちだ。助けに来たぜ」
飛馬は男の近くに控えつつ、蔵王・戒で自己強化を図っている。
男のガードには盾護もいる。あの二人ならば問題はないだろうと、美久は正面の敵に意識を向けた。
きせきは錬覇法で攻撃力を高めている。ならば二番槍は自分の役目だろう。
妖犬たちは未練がましく男に殺意を向けている。
「あのお兄さんよりも僕の方がきっと活きがいいと思いますよ!」
そんな妖犬に向け美久は徒花と苦無による二連撃をお見舞いした。
さらに、
「地烈ー」
美久の地烈に重ねるように、黄泉が金棒を叩きつける。
気合いの抜けそうな声とは裏腹に、その連撃は鋭く重たい。
妖犬の内、一匹は金棒の一振りを腹に受け、近くの木に叩きつけられて動かなくなった。
会心の一撃だ。残る妖犬は二匹。
(怖い……)
羽琉は震えていた。
いまだに、生きて動いている相手を撃つのは、妖でも恐怖と躊躇いが消せない。
だが、
(目を逸らしちゃいけないことには、向き合わないといけない)
ここでの敗北は男の死を意味する。そして自分たちには、まだ弔わなくてはならない相手がいる。
妖犬に焦点を合わせた羽琉は、心に描いた弓を引き絞り、意思を収束させた。
「雷獣!」
再び落雷が轟き、妖犬二匹をまとめてなぎ払った。
「お見事です」
トドメにパチンと指の鳴る音がして、まだ息のあった妖犬を、司の棘一閃が仕留めていった。
かくして妖犬の脅威は取り除かれた。
しかし、だ。まだこれで終わりでは無い事をこの場の全員が知っていた。
周囲の木々が風もないのにざわめいた。
「首吊り死体だ!」
奏空の鋭聴力が音を捉えた。
今度こそ本物の妖化した首吊り死体が、木の枝に瞬間移動してきたのだ。
そして、
「火の玉もこちらに接近しています!」
ていさつを飛ばしていた美久が警戒を更なる来敵を告げる。
●
「こんなにいろんな妖が同じ場所にいるとか、何か原因になるものとかあるのかな……?」
きせきがふと口にした疑問に、奏空が背後の男を見た。
「おっちゃんの死にたいっていう心に妖が呼応しちゃったのかな……」
それは有り得なくもない想像だった。奏空の言葉に、男は自然と俯いていた。
でも、
「でもおっちゃんは引き返した。おっちゃんはまだ生きていたいって事だよ!」
あの時、男は確かに死を躊躇ったのだ。
「…だから絶対守るよ! 死なない! 生きる! って強く思えばこいつらは消えるさ! だからもう死にたいだなんて思っちゃ駄目だ!」
「俺は……死にたくない! まだ生きていたい……!」
それは男の嘘偽り無い本心だった。
助けを求める男の声。それを確かに聞き届けた覚者たちは各々の武器を構えた。
「いいぜ。助けてやる。あんたがもしももう一度死にたいって言ったとしても死なせねー」
求めに応えた飛馬は、男の前で静かに二刀を握り締めた。
一瞬の静寂を破り、最初に動いたのはやはり奏空だ。
三度目の雷獣。雷は暗がりに隠れていた二体の首吊り死体へと直撃する。
鋭聴力の効果でその位置はすでに割れていた。
思わぬ攻撃を受けた首吊り死体は、反撃とばかりにロープを投じてきた。
しかも狙いは一般人の男。どうしても彼を仲間に引き入れたいらしい。
しかしその執着も届かない。
「心霊系か……ま、こっちからの攻撃が聞きにくいってのは分かってるけどよ。効きにくいのはこっちだって同じだぜ」
「盾護、引き寄せ、防ぐ」
ロープに絡みついたのは男ではなく、二人の覚者。
しかもこの二人、尋常ではなく堅い。
引き寄せようとロープを引いてもほとんど動かないのだ。
「二人ともそのまま抑えておいてー!」
綱引きを続ける妖の一匹を、きせきが双刀で切りつけた。
首吊り死体は出血が止まらなくなり、みるみるうちに弱っていく。
続けざまに美久の深緑鋭鞭が弱っていた首吊り死体を打ちのめした。
「破眼光ー」
またも気合いの抜ける声と共に黄泉が残りの死体を殴りつけた。
拳に開かれた第三の目から怪光線が走り、首吊り死体を振り子のように大きく飛ばす。
そこに羽琉のエアブリットと、司の棘一閃が命中し、あっさりと首吊り死体は片付いた。
ランク1の妖は倒し終えたが、続けざまに最後の敵が姿を現す。
山の一部が大きく火の手を上げていた。
山林の奥から現れた直径3メートルの火の玉が、グルグルと回転し火の粉を散らす。
回転する火の玉から大きく太い、火の触手が放たれた。
周囲をなぎ払うように振るわれる火炎の鞭が、前衛に立つ覚者たちに熱撃を与える。
きせきの清廉香のお陰で火傷の治りは早い。盾護も時折、深想水を使い火傷を治していた。
味方が傷つけば、奏空の演舞・舞音や、きせきの大樹の息吹がそれを癒やす。
覚者たちは回復の手立ても万全である。
確かに火の玉は一番手強い妖であった。
だが所詮は一体。力を合わせる覚者たちの敵ではない。
いかに炎の触手を伸ばそうと、盾護と飛馬の鉄壁にひび一ついれられない。
司やきせき、そして美久の棘一閃や深緑鋭鞭が着実にダメージを与えていく。
覚者たちの気力も無限ではない。戦いが長引けば不利になっていたかもしれない。
だが、
「エアブリット!」
戦う意思を心に宿した羽琉の一撃が、火の玉の動きを鈍らせ、
「破眼光ー」
最後の攻撃なのに、もう気合いとかそういうのを無視した一発を黄泉が加え、
「これで……終わりだ!」
錬覇法によって威力を底上げした奏空の雷獣が、本日一番の雷をもってして、山火事の元凶を爆音と共に鎮火させたのだった。
●
その後、覚者たちの働きにより消火活動は無事に終わった。
多少の木々を切り倒す事になってしまったが、後の被害規模を考えれば致し方ないだろう。
今はその帰り道。
「命を粗末にする、駄目。解った?」
黄泉に首根っこ掴んで引きずられる男は、首元が締まって返事もままならない。
「返事」
「その人、首締まってるよ……?」
羽琉のツッコミにも黄泉は動じない。
「次自殺、考えたら」
と、黄泉は金棒を片手で軽くスイングした。
どうやら自殺を考えたらコレらしい。男も必死に頷くしかない。
「解った? ん、良い子」
男の頭を撫でる黄泉を見て、
「長い人生です。ここで生き長らえたのも、何かの縁でしょう。もう簡単に、諦めては駄目ですよ」
「お兄さんが無事で、よかったです」
司と美久も表情に安堵を浮かべた。
「死ぬほど嫌なことなら、全部捨てて再出発もありですよ! 大丈夫、死ぬ気になればきっと何だって出来ると思いますよ!」
そうやって励ましのエールを送る美久だったが、不意に男だけに聞こえる声量で
「だって、僕だって出来ましたしね……」
と意味深に囁いた。
「これに懲りたら、もう死のうなんて考えるんじゃねーぞ。俺らだっていつも間に合うとは限らねーんだから」
皆に混じってしっかりと苦言を加えてから、飛馬はしかし表情を暗くした。
「妖になってた連中も、ああなる前に、死ぬ前に……救えればよかったんだけどな」
思い浮かべるのは首吊り死体の妖たちだ。
そんな飛馬の肩に盾護がそっと手をおいた。
「大事な事、忘れてる」
「まだ最後の仕事が残ってるぜ!」
「そうそう! ちゃんと弔ってあげないと!」
言葉足らずな少年の言葉を、奏空ときせきの明るい声が引き継いだ。
後日。警察の捜索により、某山中から二体の自殺体が発見された。
現場には警察の他に、八名の覚者と、献花を携えた一人のサラリーマンが同道していた事をここに記す。
木々の覆い茂る暗たんたる山深く。
このような草木も眠る時刻に山を登る人間がいるとすれば、それは命知らずであるか、そうでなければきっと、どうしようもない愚か者だけだろう。
しかし、だ。今集団で連れ立って登山を敢行する彼らは、そのどちらにも当て嵌まらない。
「いたたまれねーな。せっかく人一人の命が失われずに済んだって場面なのに」
道すがら『守人刀』獅子王 飛馬(CL2001466)は誰にともなく呟きを溢した。
「自殺、駄目、絶対」
飛馬の呟きに応じるように『アンシーリーコートスレイヤー』神々楽 黄泉(CL2001332)が声を上げた。
感情の機微が分かり辛い彼女にしては、些か声に心が籠もっている。黄泉は黄泉なりに自殺に対して思うところがあるのかもしれない。
「変な事考えるから、大変な事になるの。男の人、助けたら、お説教、ね」
助ける、とは文字通りの意味だ。
彼ら――FiVE所属の覚者一行は、夢見の夢に現れた、不幸な一人の男を助けるために行動している。
その男の不幸は、自殺しようとするほど追い詰められたこと……ではなく、せっかく自殺を思い留まった所に妖が現れて殺されてしまうことだ。
それも短時間に三度も襲われるという運の無さ。
「二度あることは三度あるとは言うものの、三度も妖に遭遇する不運も驚きです」
『Overdrive』片桐・美久(CL2001026)のもっともすぎる意見に反論一つ上がらない。
「真夜中、妖、活性化。男の人、災難?」
言葉少なに岩倉・盾護(CL2000549)が男の不運を疑問する。
しかし美久は首を振った。男は確かに不運には違いないが、
「不運を本当の不運にしてしまわないように、しっかりと探して助け出しますよ!」
その男の運命を覆すために自分たちが在るのだから。美久の言葉に納得したのか、盾護は無言で頷いた。
「経緯はどうあれ、死にたいとまで思いつめた、思ってしまった。そんなひとが、踏み止まってくれた。それを強引に彼岸へ引きずり込むようなことは、させちゃいけない」
男を助けたいと思っているのは宮神 羽琉(CL2001381)もまた同じだった。
「首吊り死体なんて見たくもないけど、いかなきゃ」
暗闇と、未だに姿を現さない妖に怯えながらも、羽琉は鷹の目で周囲を見渡す。
自分たちの近くに限るなら、ある程度の光源は確保されている。
複数名が懐中電灯やヘッドライトを持ってきていたし、守護使役のともしびもある。羽琉のアテンドである伊勢もともしびで照らしてくれている。
が、それでも夜間の山中は見通しが効かない。鷹の目の効果も十全とは言い難い状況だ。
ならば視覚以外の情報ならば?
「聞こえる、男の人の、悲鳴」
黄泉の指し示す方角を見て、『探偵見習い』工藤・奏空(CL2000955)も同意を示した。
「俺もそっちの方から聞こえますから、方向は間違ってないみたいですね」
鋭聴力によって研ぎ澄まされた黄泉と奏空の聴力は、ずっと何者かの叫びを聞き取っている。
山に入ってからこれまでの大半は、二人の聴力を頼りに進んできた。
とはいえ当然、聴覚以外にも予防線は張ってある。これは人命が掛かっている依頼だ。念には念を入れるべきだろう。
「きせきー! そっちに反応は?」
「ごめん! 僕の方はまだ引っかかってないよ!」
感情探査で男の感情を探していた『鬼籍あるいは奇跡』御影・きせき(CL2001110)は元気良く返事をした。
探査の範囲にまだ救助対象や妖の反応は現れていない。
「こちらも成果はかんばしくないですね」
木の心で植物の記憶を読み取っていた美久が冷静に報告した。
植物の記憶に男の姿がないと言う事は、少なくともこの付近を通っていないという事だ。
「ですが、ていさつは多少意味があったようですよ?」
美久と自分の鳥系守護使役を見ながら、御石 司(CL2001518)はそう返す。
上空からのていさつで妖の一体はあっさりと見つかったらしい。
赤々と燃え盛る大火球。火の玉の妖の位置が特定できたのだ。
「距離は離れているので、直ぐに接触する危険はなさそうです。気になるのは……」
「男の人、火の玉、方角が同じ」
司の言葉を盾護が引き継ぐ。
そう。鋭聴力によって明らかになっている男の現在地と、火の玉の位置がかなり近い。
つまり男は火の玉と接触する直前か、或いはもう接触した後か。
いずれにせよ、夢見の夢に現れた最後の時は刻一刻と近づいていた。
●
鷹の目で索敵していた羽琉は、不意に木々の群れの中に『何か』を見つけた。
何か人のような、しかし人にしては様子がおかしい何かが。
ともしびの灯りが遠くのそれを朧気に照らし上げる。
前情報を聞いていたお陰で、羽琉はハッキリと形が分からないままでも、それが何なのか理解してしまっていた。
「待って皆! アレ!」
恐怖に耐えて声を出した羽琉の示す先。
まだ依然として暗く、たとえ明るくとも鷹の目を持つ羽琉以外にはそこまでの距離は見えない。
だが見えずとも目標を捉える事はできる。
「何か妙な匂いがすると思えば腐臭でしたか」
猟犬の如き嗅覚で何があるかを察した司が、左手に銃を構える。
「首吊り死体、見つけたの?」
黄泉の疑問に司は頷きかけたが、そこではたと動きを止めた。そして首をきせきへと向ける。
司の意図を読んだきせきは否定の意を込めて、首をぶんぶんと横に振った。
「僕の感情探査はまだ反応してないよ!?」
妖にも感情はある。だがきせきの感情探査はまだ不発だ。
つまりはアレは首吊り死体であって、首吊り死体ではないモノという事になる。
「妖の元になっちまった死体って事かよ」
救えなかった悔しさからか飛馬が口惜しそうに歯噛みする。
確かに、既に失われてしまったモノを守る術はない。だが、
「行こう! 助けを呼ぶ声はまだ聞こえてるよ!」
「ああ、そのとーりだな!」
全員を励ますように発せられた奏空の励ましに、飛馬は再び走りだした。
「ごめん……僕が余計なモノを見つけたせいで」
再び進軍を始めた最中、羽琉が小さく謝罪を口にした。
しかし羽琉を責める声は上がらない。
「気にする必要はありません。羽琉くんのお陰で、彼らを弔う事が出来るのですから」
司が言うと、羽琉はきょとんとした顔をした。
「弔う?」
「はい、事が済んだら警察に連絡して、仏様を弔ってあげましょう」
司は当然のように言い放った。一拍おいて、羽琉は自分の行動が決して無駄でも、迷惑でもなかったのだと理解した。
「有り難うございます、司さん」
「お礼は全部終わった後で……それよりも」
司が目を鋭く細め、小さく臭いを嗅ぎ始めた。
山の中にしてはやけに人工的な臭いがする。人里特有の排気ガスや煙草の臭いを司の嗅覚が嗅ぎ取った。
それとほぼ同時、
「感情感知したよ! もうかなり近い!」
「でかしたきせき!」
きせきがついに感情探査に成功した。それを受けて真っ先に駆けだしたのは奏空だった。
きせきの感情探査、司の猟犬の嗅覚、そして自らの鋭聴力を武器に、覚醒した少年がひた走る。
「久々の実戦ですね。勘を取り戻すためにも、身体に慣れるためにも、慌てず、一つ一つ丁寧にいきましょう」
飛び抜けた速度を見せる奏空を追うように、司も銃と盾を手に戦列へと加わっていった。
●
多種多様の妖に襲われるなんて、人生のどん底みたいな災難の連続だ。
これが今生の幕引きだというのなら、なんと救いのない事か。
背後に迫る獣の荒い息遣いを前に、男はどこか他人事めいた感想を浮かべた。
現実逃避だ。分かっている。
何度も躓きそうになりながらも男は死に物狂いで走り続ける。
「誰か……助け……!」
喉からはもう掠れるような音しか出ない。
どんなに声を張り上げた所で誰も来ないのは知っている。
そういう場所を選んだのは自分なのだから。死ぬためにここに来たのは自分なのだから。
諦めに呼応して速度が自然と落ちる。足の疲労はもうとっくに限界だった。
飢えた野犬が一気に距離を縮めて来るのが分かって、男は恐怖に息を呑んだ。
「――雷獣!」
刹那、空気を切り裂くような轟音が山林を震わせた。
雷だ。男の背後に雷が落ちてきて、今まさに牙を剥こうとしていた野犬たちに直撃したのだ。
突然の雷撃を受けた野犬たちは怯み、動きを止めていた。
これはどういう幸運の賜物か。
降って湧いた奇跡に男は目を白黒させた。
その眼前に、一人の少年が舞い降りる。
「間に合った」
黒塗りの大太刀を手にした金髪の少年だ。
どこか幻想めいた光景だが、まさか新手の妖かと男は身を固くした。
しかし何か違和感がある。少年は野犬と対峙するように立っており、これではまるで自分を守っているかのようだ。
その違和感を証明するように野犬たちが少年もろとも男を殺そうと飛びかかってくる。
が、その牙は少年にも男にも届かない。
「男の人、守る」
今度はキャップを被った別の少年が、野犬の攻撃を全て受け止めていた。
少年は両手に盾を持った――否、両腕が盾になっている。
ここまで見れば流石の男もピンと来る。
覚者。今、ぞくぞくと男の周囲に集い始めた少年少女たちは、皆あの覚者なのだ。
でも、何故こんなにも多くの覚者がこんな場所に。
展開の早さに呆ける男だったが、ふといつの間にか傍らにいた少女が、
「助けに来た、の。お説教は、後、今は私達から、離れない」
と呟いた。
●
「このへんいっぱい妖がいるから、僕たちから離れないで!」
「もう大丈夫。怖くないですよ。あとは、お任せください」
男を安心させ、尚且つ警戒を継続させるために、司ときせきが次々に声を掛けていく。
黄泉のマイナスイオンもあってか男はすんなりと助けを受け入れてくれたようだ。
「にーちゃん、こっちだ。助けに来たぜ」
飛馬は男の近くに控えつつ、蔵王・戒で自己強化を図っている。
男のガードには盾護もいる。あの二人ならば問題はないだろうと、美久は正面の敵に意識を向けた。
きせきは錬覇法で攻撃力を高めている。ならば二番槍は自分の役目だろう。
妖犬たちは未練がましく男に殺意を向けている。
「あのお兄さんよりも僕の方がきっと活きがいいと思いますよ!」
そんな妖犬に向け美久は徒花と苦無による二連撃をお見舞いした。
さらに、
「地烈ー」
美久の地烈に重ねるように、黄泉が金棒を叩きつける。
気合いの抜けそうな声とは裏腹に、その連撃は鋭く重たい。
妖犬の内、一匹は金棒の一振りを腹に受け、近くの木に叩きつけられて動かなくなった。
会心の一撃だ。残る妖犬は二匹。
(怖い……)
羽琉は震えていた。
いまだに、生きて動いている相手を撃つのは、妖でも恐怖と躊躇いが消せない。
だが、
(目を逸らしちゃいけないことには、向き合わないといけない)
ここでの敗北は男の死を意味する。そして自分たちには、まだ弔わなくてはならない相手がいる。
妖犬に焦点を合わせた羽琉は、心に描いた弓を引き絞り、意思を収束させた。
「雷獣!」
再び落雷が轟き、妖犬二匹をまとめてなぎ払った。
「お見事です」
トドメにパチンと指の鳴る音がして、まだ息のあった妖犬を、司の棘一閃が仕留めていった。
かくして妖犬の脅威は取り除かれた。
しかし、だ。まだこれで終わりでは無い事をこの場の全員が知っていた。
周囲の木々が風もないのにざわめいた。
「首吊り死体だ!」
奏空の鋭聴力が音を捉えた。
今度こそ本物の妖化した首吊り死体が、木の枝に瞬間移動してきたのだ。
そして、
「火の玉もこちらに接近しています!」
ていさつを飛ばしていた美久が警戒を更なる来敵を告げる。
●
「こんなにいろんな妖が同じ場所にいるとか、何か原因になるものとかあるのかな……?」
きせきがふと口にした疑問に、奏空が背後の男を見た。
「おっちゃんの死にたいっていう心に妖が呼応しちゃったのかな……」
それは有り得なくもない想像だった。奏空の言葉に、男は自然と俯いていた。
でも、
「でもおっちゃんは引き返した。おっちゃんはまだ生きていたいって事だよ!」
あの時、男は確かに死を躊躇ったのだ。
「…だから絶対守るよ! 死なない! 生きる! って強く思えばこいつらは消えるさ! だからもう死にたいだなんて思っちゃ駄目だ!」
「俺は……死にたくない! まだ生きていたい……!」
それは男の嘘偽り無い本心だった。
助けを求める男の声。それを確かに聞き届けた覚者たちは各々の武器を構えた。
「いいぜ。助けてやる。あんたがもしももう一度死にたいって言ったとしても死なせねー」
求めに応えた飛馬は、男の前で静かに二刀を握り締めた。
一瞬の静寂を破り、最初に動いたのはやはり奏空だ。
三度目の雷獣。雷は暗がりに隠れていた二体の首吊り死体へと直撃する。
鋭聴力の効果でその位置はすでに割れていた。
思わぬ攻撃を受けた首吊り死体は、反撃とばかりにロープを投じてきた。
しかも狙いは一般人の男。どうしても彼を仲間に引き入れたいらしい。
しかしその執着も届かない。
「心霊系か……ま、こっちからの攻撃が聞きにくいってのは分かってるけどよ。効きにくいのはこっちだって同じだぜ」
「盾護、引き寄せ、防ぐ」
ロープに絡みついたのは男ではなく、二人の覚者。
しかもこの二人、尋常ではなく堅い。
引き寄せようとロープを引いてもほとんど動かないのだ。
「二人ともそのまま抑えておいてー!」
綱引きを続ける妖の一匹を、きせきが双刀で切りつけた。
首吊り死体は出血が止まらなくなり、みるみるうちに弱っていく。
続けざまに美久の深緑鋭鞭が弱っていた首吊り死体を打ちのめした。
「破眼光ー」
またも気合いの抜ける声と共に黄泉が残りの死体を殴りつけた。
拳に開かれた第三の目から怪光線が走り、首吊り死体を振り子のように大きく飛ばす。
そこに羽琉のエアブリットと、司の棘一閃が命中し、あっさりと首吊り死体は片付いた。
ランク1の妖は倒し終えたが、続けざまに最後の敵が姿を現す。
山の一部が大きく火の手を上げていた。
山林の奥から現れた直径3メートルの火の玉が、グルグルと回転し火の粉を散らす。
回転する火の玉から大きく太い、火の触手が放たれた。
周囲をなぎ払うように振るわれる火炎の鞭が、前衛に立つ覚者たちに熱撃を与える。
きせきの清廉香のお陰で火傷の治りは早い。盾護も時折、深想水を使い火傷を治していた。
味方が傷つけば、奏空の演舞・舞音や、きせきの大樹の息吹がそれを癒やす。
覚者たちは回復の手立ても万全である。
確かに火の玉は一番手強い妖であった。
だが所詮は一体。力を合わせる覚者たちの敵ではない。
いかに炎の触手を伸ばそうと、盾護と飛馬の鉄壁にひび一ついれられない。
司やきせき、そして美久の棘一閃や深緑鋭鞭が着実にダメージを与えていく。
覚者たちの気力も無限ではない。戦いが長引けば不利になっていたかもしれない。
だが、
「エアブリット!」
戦う意思を心に宿した羽琉の一撃が、火の玉の動きを鈍らせ、
「破眼光ー」
最後の攻撃なのに、もう気合いとかそういうのを無視した一発を黄泉が加え、
「これで……終わりだ!」
錬覇法によって威力を底上げした奏空の雷獣が、本日一番の雷をもってして、山火事の元凶を爆音と共に鎮火させたのだった。
●
その後、覚者たちの働きにより消火活動は無事に終わった。
多少の木々を切り倒す事になってしまったが、後の被害規模を考えれば致し方ないだろう。
今はその帰り道。
「命を粗末にする、駄目。解った?」
黄泉に首根っこ掴んで引きずられる男は、首元が締まって返事もままならない。
「返事」
「その人、首締まってるよ……?」
羽琉のツッコミにも黄泉は動じない。
「次自殺、考えたら」
と、黄泉は金棒を片手で軽くスイングした。
どうやら自殺を考えたらコレらしい。男も必死に頷くしかない。
「解った? ん、良い子」
男の頭を撫でる黄泉を見て、
「長い人生です。ここで生き長らえたのも、何かの縁でしょう。もう簡単に、諦めては駄目ですよ」
「お兄さんが無事で、よかったです」
司と美久も表情に安堵を浮かべた。
「死ぬほど嫌なことなら、全部捨てて再出発もありですよ! 大丈夫、死ぬ気になればきっと何だって出来ると思いますよ!」
そうやって励ましのエールを送る美久だったが、不意に男だけに聞こえる声量で
「だって、僕だって出来ましたしね……」
と意味深に囁いた。
「これに懲りたら、もう死のうなんて考えるんじゃねーぞ。俺らだっていつも間に合うとは限らねーんだから」
皆に混じってしっかりと苦言を加えてから、飛馬はしかし表情を暗くした。
「妖になってた連中も、ああなる前に、死ぬ前に……救えればよかったんだけどな」
思い浮かべるのは首吊り死体の妖たちだ。
そんな飛馬の肩に盾護がそっと手をおいた。
「大事な事、忘れてる」
「まだ最後の仕事が残ってるぜ!」
「そうそう! ちゃんと弔ってあげないと!」
言葉足らずな少年の言葉を、奏空ときせきの明るい声が引き継いだ。
後日。警察の捜索により、某山中から二体の自殺体が発見された。
現場には警察の他に、八名の覚者と、献花を携えた一人のサラリーマンが同道していた事をここに記す。

■あとがき■
参加者の皆様、素晴らしいプレイング有り難う御座いました!
今回は全員まとまって動いていたので、戦闘は圧勝でした。
分散していた場合、男性の発見は早まったかもしれませんが、その分、苦戦をしていたやもしれません。
それもすらもプレイング次第なのが、PBWの面白い所ですが……。
では、また機会がございましたら依頼にご参加頂ければ恐悦至極に存じます。
今回は全員まとまって動いていたので、戦闘は圧勝でした。
分散していた場合、男性の発見は早まったかもしれませんが、その分、苦戦をしていたやもしれません。
それもすらもプレイング次第なのが、PBWの面白い所ですが……。
では、また機会がございましたら依頼にご参加頂ければ恐悦至極に存じます。
